>>454
直江状などが載っているなんて一言も言ってないけどな。
高校で学ぶ下記のことを理解しているなら、
豊臣公儀は天皇を主君にいただいて諸大名をたばね、聚楽第行幸でそのことを確認していると理解できる。
理解していれば、家康の行う公務のたいして的外れな苦情をのべる直江状や内府違いの条々が間違っていると言っている>>>>216
とりあえず教科書を読み返して来い
豊臣家は織田家の家臣にすぎず、主家乗っ取りの逆臣にすぎない。
それがなぜ大義をもって公儀を行えたか。すべては惣無事と聚楽第行幸にある。
天皇にゆだねられた大義の所在は将軍から関白に、そして関白殺しにより太政大臣に行き、欠員により内大臣にあった
そして1601年に関白左大臣、1003年に右大臣征夷大将軍が任命された。ちょっと調べればわかるだろう

詳説日本史 山川出版社 (高校)

※関白になった秀吉は、天皇から日本全国の支配権をゆだねられたと称し、
 惣無事(全国の平和)をよびかけ、たがいに争っていた戦国大名に停戦を命じ、
 その領国の確定を秀吉の決定にまかせることを強制した。

※秀吉は、1588(天正16)年京都に新築した聚楽第に後陽成天皇をむかえて歓待し、
 その機会に諸大名に天皇と秀吉への忠誠を誓わせた。


新しい歴史教科書 扶桑社(中学)

※関白となった秀吉は、天皇から全国の統治をまかされたとして、
 大名間の戦いや一揆などいっさいの争いを停止し、その解決は秀吉にゆだねることを命じた