7/22に公家の西洞院時慶がわざわざ大坂城へ下向しているね。
その目的は、
「諸大名衆の一統(家康を公儀から排除して、秀頼のもとに諸大名が集った、という意味)が成った後の(秀頼への)御見舞い」
で、これは、この時点では家康を排除した豊臣公儀の成立を朝廷として認めていたことを意味する。
ってのが白峰らの見解だったはず。

7/17にも大坂に勅使が派遣されてるし、少なくとも7月中は朝廷は西軍支持に傾いてるっぽいな