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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part9

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0001人間七七四年2017/10/26(木) 23:26:54.99ID:I3T6B09R
前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part8 [無断転載禁止]©2ch.net
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
0002人間七七四年2017/10/26(木) 23:30:47.05ID:I3T6B09R
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月14日 家康赤坂着陣
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら大津城攻略
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
0003人間七七四年2017/10/26(木) 23:34:59.53ID:dx7WIKHm
勝てません
0004人間七七四年2017/10/26(木) 23:35:19.77ID:I3T6B09R
あ、史実時系列田辺城関連すっぽり忘れてた。
あと秀忠の美濃到着もあったほうがいいかな。

他にもなにかあれば追加、訂正等よろ。
0005人間七七四年2017/10/26(木) 23:41:13.02ID:I3T6B09R
この板って即死あるのかな?

立花宗茂って大津城攻撃までなにやってたのかなと思ったら
大津城監視係やってたのね。
そんなことするくらいなら大津城に毛利の兵5000くらい入城させとけばいいのにと思うけど。
京極高次に入城拒否でもされてたのかな?
0006人間七七四年2017/10/26(木) 23:58:46.11ID:I3KzKPpX
立花は九州からの増援待ってた。
0007人間七七四年2017/10/27(金) 00:11:27.83ID:cSAzVZT+
>>5
東軍の東海道連中のように自発的に城を明け渡すってんならともかく、
立ち退き要求なんかしたら普通怒ると思うぞ。しかも秀頼の叔父相手に。
そもそも京極って立場的に考えればはっきりと敵対行動とらない限りは
干渉しない方が無難だと思うけど。
0008人間七七四年2017/10/27(金) 00:57:00.32ID:y+4RAkmk
>>2


そう言えば9月15日の本戦が抜けてるな
いや敢えて記載しなくても周知だとは思うが
0009人間七七四年2017/10/27(金) 01:02:18.95ID:yTbbOVVq
>>7
いや立ち退きとか明け渡しじゃなくって「援軍」って形でさ。
西軍兵同居状態では中立化はできても東軍に寝返りは難しいでしょ?

瀬田抑えてても大津城の去就が怪しいでは片手落ちだと思う。
が、実際に大津城に西軍が入城してないならなにかできない理由があったのかなと。
0010人間七七四年2017/10/27(金) 08:54:01.03ID:tiV5HnyV
援軍はあり

でも本人がNOと言えば
ゴリ押しできない
0011人間七七四年2017/10/27(金) 09:06:06.01ID:V/C3pxkj
無理強いして反発されたら味方に引き入れた意味なくなるしな
まぁ無理強いしなくても反発されたけど
0012人間七七四年2017/10/27(金) 10:47:46.66ID:pQ1ZtMVq
援軍も何も前線は(高次が裏切るまで)大津のはるか先だぞ
0013人間七七四年2017/10/27(金) 10:55:09.90ID:7fBM9R4q
そうだな

あんまりバラ撒いたらゆう兵になって
敗北して叩かれるぞ
0014人間七七四年2017/10/27(金) 13:09:32.04ID:PBe0Appf
石田三成が自害する
0015人間七七四年2017/10/27(金) 18:17:55.92ID:JCEwi1zG
ごめん、自己解決した。
やっぱ輝元、増田も同じこと考えてて、
大津城に援軍という形で兵を入城させようとしたら京極の留守方に断られて、三の丸だけでも強引に占拠しようとしてたあたりで京極高次がむろする西軍を強引に押しのけて帰城、
籠城という流れみたい。
0016人間七七四年2017/10/27(金) 21:42:00.73ID:cdd1RNN7
やはりいの一番に清須を謀略で落とし浜松辺りで対決という俺の意見以上の物は出て来なかったな。
俺のこの意見をベースに練り上げていこうぜ。
0017人間七七四年2017/10/27(金) 21:50:39.34ID:m4XGPiDX
ゲーム脳
0018人間七七四年2017/10/27(金) 21:55:48.96ID:DIIqD2Av
なんかみじめ
0019人間七七四年2017/10/27(金) 22:10:47.21ID:P/Q/PqtY
>>15
んなことしてたから寝返られたんじゃないの
0020人間七七四年2017/10/27(金) 22:37:56.97ID:vkAFN6rU
>>15
やはり頼んでもいない『援軍』を自分の城にいれるのは抵抗があるんだろうね。
強引にやろうとすると反発して敵対行動をとられるだけだ。
ほぼ西軍が制圧したとみていい畿内でさえ、大津の京極がこういう対応するんだから
他の地方じゃこの手は絶対使えんな。
0021人間七七四年2017/10/27(金) 23:24:00.87ID:z9vcpyYZ
>>19
>>20
いやどちらかというと福島のパターンに近いかんじ。
東軍につくのがほぼ既定路線で、京極高次の意を酌んだ留守方家臣が
輝元、増田の「援軍入れさせて要請」を適当な理由つけて時間稼ぎ。
焦れた西軍が三の丸だけでも占拠しよう、としていた頃に
京極高次が強引に帰城。

んで、京極高次「やっぱ俺東軍につくわ」と籠城。
ってかんじ。
0022人間七七四年2017/10/27(金) 23:46:52.62ID:P/Q/PqtY
>>21
こちらから乞うたわけでもない『援軍』とやらを入城させろって胡散臭すぎる
まして最前線ってわけでもなく兵力が必要でない大津なら尚更
そりゃまともな家臣なら主君の了解を得てからって話になるよ
0023人間七七四年2017/10/27(金) 23:48:13.88ID:z9vcpyYZ
あと瀬田の砦構築については、伏見城の後詰に来るであろう東軍を瀬田辺りで迎え撃つ
つもりだったんじゃないかな?
つまり瀬田砦構築を決定した時点で西軍は伏見城を早期に落とせる自信がなかった、
だから急いで毛利勢に瀬田に砦構築をさせたんじゃないかと思う。

ただ、なんとか伏見城を攻略できたのと、東軍の伏見城後詰が来なかったので
特に瀬田に砦構築する必要もなかった。
しかし9月に入って東軍が美濃まで来ている、大垣を包囲に留めて近江から畿内乱入しても
おかしくない情勢となった。
もし来たら瀬田で迎え撃とうと思ったが、大津城が東軍方については瀬田防衛線は危うい。
なので大津城に援軍を入れようとした、こんなとこなんじゃないかな。

あくまでわたし個人の想像。
0024人間七七四年2017/10/28(土) 00:46:48.72ID:JgFjJn5y
>>21
その辺の経緯って、やっぱり勝負事が解って無い甘ちゃんだよね、輝元。
家康の方針って簡単で、戦場付近や重要ポイントの大名には中立を認めないって事だしね。
中立を宣言してもお構い無しで攻め落とすんよ、家康はね。
だから桑名の氏家なんか両方から攻められてるし。
家康が輝元の立場なら、大津城は少なくとも本丸は明け渡しで腹心を入れてるでしょう。
ガラシャの問題もそうだけど、反発食らっても強引に進めた方が良い場合も有ると思う。
人質拒むなら屋敷事焼き払うでも、別におかしな判断じゃ無いしね。
0025人間七七四年2017/10/28(土) 05:53:33.07ID:GUhbLTcw
>>24
氏家は結局は西軍に屈しちゃったからね。
まあいっちゃあなんだが桑名で氏家ごときが中立は無理があった、としか。
0026人間七七四年2017/10/28(土) 07:09:36.11ID:vhdczTmJ
>>24
いくらなんでも淀の妹の旦那にそんなことしたらヤバいとおもうけどなぁ
というか輝元は瀬田なんかで迎撃を考えるほど追い込まれると想定してたのに、
よく家康に喧嘩売れたな
0027人間七七四年2017/10/28(土) 14:23:28.75ID:++qEhZv0
瀬田普請終えて防備固めた時点で「勝負あり」と思ってたんじゃ無いだろうか
三成の昌幸宛書状があまりにも楽観視し過ぎているけど輝元もあんな感じだったか。
そう考えないと、8月以降の美濃伊勢方面があまりにも後手後手なんだよなぁ

逆に、勝ち確と判断してたなら無闇に京極に喧嘩売って淀の反感受けるのは得策ではないしな
戦後の情勢を踏まえた政治判断的としては
0028人間七七四年2017/10/28(土) 19:07:29.71ID:vhdczTmJ
うーん三成は逆に家康が関東から出てこれないと考えてたみたいだからなぁ
0029人間七七四年2017/10/28(土) 19:14:04.86ID:vhdczTmJ
>間違って送信しちゃった

ということは挙兵する前に作戦の摺り合わせをしてなかっということか...
そりゃ西軍は終始グダグダになるわけだ
0030人間七七四年2017/10/28(土) 19:57:35.47ID:Ts2olZmj
スマホ太郎一人で東軍なんか倒せるよ
武田軍も撃破したしな
0031人間七七四年2017/10/29(日) 11:40:16.63ID:ptB04tWF
そういえばすっかり忘れてたけど、前田勢25000がそのまま南下してれば伏見城の後詰めになり得たとも言えるね。そのための瀬田の砦構築かな。
0032人間七七四年2017/10/29(日) 11:44:38.14ID:ptB04tWF
というか、前田はそのつもりだったけど伏見が落ちたんで引き返した?
タイミング的には合うんだよな。
大谷の流言飛語の効果もあったんだろうけど。
0033人間七七四年2017/10/29(日) 14:54:02.58ID:PmwXEEcE
精々西軍に与した加賀南部〜越前の制圧が目的だったんじゃないかな
で伏見が落ちて、前田が単独で西軍の矢面に立つのを恐れて退却した感じ
0034人間七七四年2017/10/29(日) 18:01:28.45ID:KcsmwhtE
>>33
前田は結果から見れば動きが小さかったわけだが、意図まではわからん。
西軍にしても利長の目的を正確につかんでいて、近江への進軍はないと
確信していたとも思えない。前田に備えたという解釈も間違いではないと思う。
0035人間七七四年2017/10/29(日) 19:05:29.36ID:J6gyrMdL
>>34
確かに。
越前方面の西軍組が輝元にとって信用できるかって言われると微妙だしな。
丹羽とか特に。
その一帯が前田の南下に呼応すると途端に近江が危険になるわな。
西軍からすれば備えは当然か
0036人間七七四年2017/10/29(日) 21:23:14.98ID:ohsOYzlQ
7月下旬〜8月初頭頃の伏見城攻城中の西軍の畿内周辺に対する東軍の重大な脅威というと
明確なのが前田勢の南下くらいで、不明確なものが京極の東軍化あたり。
先々を考えれば家康の西上対策とも言えるけど、南近江に兵を展開しつつ
急いで瀬田に砦構築という点から前田勢の南下対策の部分もけっこうあったように思う。

大谷らの敦賀着陣がけっこう早い点からも前田の南下は警戒してたんじゃないかな?
0037人間七七四年2017/10/29(日) 21:41:58.59ID:QOeArW+R
当初の課題は鳥居元忠の篭る伏見城とガラシャの死で敵対せざるを得ない細川と三成を謀反人とした蜂須賀でしょ
これ以外は全部交渉で片が付くと思ってる
前田だって母親を人質に取られてるから対立してるけど本心ではこちら側みたいなこと言ってるし
0038人間七七四年2017/10/29(日) 21:48:12.63ID:j+9XggEe
先駆けて落ちた清須から左回りに平定だな。
大混乱の浜松も併せて落とす、と。
0039人間七七四年2017/10/29(日) 22:58:10.93ID:J6gyrMdL
>>37
細川も蜂須賀も前田の南下対策に比べたら課題じゃ無いでしょ
細川の残存兵力はわずか500、蜂須賀も輝元の大阪入りと同時に家政は虜だし、
7月末には阿波も制圧済み

8/2に大聖寺城を攻略した前田の方がよっぽど課題
本心はどうだろうと現に侵攻して来てる
0040人間七七四年2017/10/29(日) 23:02:18.57ID:QOeArW+R
>>39
だから前田然り福島然りその時点でもまだ交渉で何とかなると思ってるからどうにもならんって話よ
0041人間七七四年2017/10/29(日) 23:12:23.54ID:KcsmwhtE
>>40
本当に交渉でどうにでもなるって思ってたのかね。
だったらなぜ瀬田の防備を固めたのか。

そして伏見攻略後に伊勢に大軍勢を向けたのか。
前田や福島でさえ西軍になびくと思うのなら、
伊勢の小名程度には軍勢を差し向けるまでもなく
降伏すると考えるはずではなかろうかね。
0042人間七七四年2017/10/29(日) 23:22:15.68ID:QOeArW+R
>>41
思っていたとするのが一番簡単な解釈だけど
仮にそんなに都合よくことが運ぶはずがないというのは思っていたとしても寄り合い所帯なので口にはできない
できないから早期に東軍を防ごうという行動にも移れない
この時点ではまだ上杉が足を引っ張ってくれることも期待してたはずだからね
西軍からしたら家康が帰ってくるのが早すぎた
0043人間七七四年2017/10/30(月) 00:58:07.93ID:NJrK0AMe
>>41
多分ね、三成って太閤の調略を自分の眼で見てたんだと思うんよ。
素人が名人の真似をすると大切な大前提を見落としてたり、気付かなかったりするって事でしょう。
結局、調略ってのも裏付けの武力や経済力ってのが有ってこそ上手く行くんでさ。
前田だって、西軍が本気で攻める構えなら抵抗したんだろうか?問題は前田の家老に西軍寄りの人も
結講居たりする訳でさ、四男って丁度良い神輿も居るし?
東海道の豊臣恩顧が家康に味方したのは、家康の旧領だから一揆煽動とかされるの恐れたってのも
有ると思うんだよね、家康は一度この手で川尻を消してるしさ。
カエサルだって、有名な寛容だけじゃ無いんだよね。
戦場付近の都市が日和見しようとしたり、敵方に味方しようとしたら平気で略奪したりしてる。
その辺は割り切りって言うか乾いた判断が有るんだよね、私は寛容だか両手に物を持ってるってさ。
0044人間七七四年2017/10/30(月) 02:03:48.27ID:D+b24oOH
>>43
まぁ面白い策ではあるね、前田勢25000を味方とするために前田を攻めよと。

しかし野戦でも攻城戦でも前田に勝つ(降伏させる)には少なくても4〜5万の兵力が必要なんじゃない?
西軍戦力のかなりを北陸に振り向ける必要があるよ?
成功した場合の見返りは大きいがかなりのリスクを伴う策。
ちょっと熟考しないと判断できない。
0045人間七七四年2017/10/30(月) 02:24:13.59ID:fG4Yq9sC
>>43
仮に東海道の豊臣恩顧組が西軍に味方or中立した場合、
徳川本隊とガチンコする羽目になるからな
西軍の後詰めは物理的に不可能な状況下で。

正直福島が徳川に付くって言った時点で他のメンツに選択肢は無いわ
細川はまた別の意味で選択肢が無いが
0046人間七七四年2017/10/30(月) 02:25:36.29ID:9xgv3mE7
王様ゲームの王様の命令で勝てる
0047人間七七四年2017/10/30(月) 11:00:55.11ID:DDwVK+w2
夜襲を決行して成功していれば勝てた
0048人間七七四年2017/10/30(月) 19:09:38.41ID:PAG5fgY0
夜襲は少数で行うもので大軍の敵を大敗させるものではない
0049人間七七四年2017/10/31(火) 02:13:20.18ID:jgvrVnwe
西軍は初っぱなから詰んでるようにしか見えんw
0050人間七七四年2017/10/31(火) 02:55:09.44ID:hLZRoUjR
逆に西軍の当初の着地点の「徳川と決戦を避けながら戦略的優勢を固めて政治的に勝利」を考えてみようか。

「内府、会津・佐竹を敵に仕り、僅かに三万の人数を持ち、分国十五城を抱へ、廿日路を上らる事なる物候哉。
 (中略)右の分別これなく、主の人数一万、上勢一万許り語ひ上り候へ共、尾・三の間にて討ち取るべきの儀、誠に天の与へに候」

@内府ちかひの条々で会津征伐軍瓦解、A徳川軍3万の関東封じ込め、B西上する軍勢を2万程度に抑える
この3つが「徳川と決戦を避けながら戦略的優勢を固めて政治的に勝利」の大前提で、
これが達成できれば確かに政治的勝利も視野に入る。

しかし8/14の東軍諸将3万数千到着と、8/24の秀忠軍3万5千の西上開始でこの戦略は完全に崩壊する。
更に言えば徳川単独で結城を残して尚、6万5千を西上させてるから徳川軍3万の見通し自体が甘かったんだけど。

で、これらを達成する方法ってあるんかな?
0051人間七七四年2017/10/31(火) 09:04:08.19ID:6nmw73iJ
家康暗殺に成功
0052人間七七四年2017/10/31(火) 18:07:30.80ID:oZ2GNlMJ
上杉と佐竹が背後を気にせず、全力で関東に攻め入って玉砕するまで暴れればチャンスがあるけど、両家に何のメリットも無いからなあ
0053人間七七四年2017/10/31(火) 20:33:31.53ID:NVKXZIJU
西軍は三成が悪目立ちしている時点で勝ち目がない
どんな立派な大義名分を掲げても三成が復権を目論んで起こした私戦になってしまう
まず三成を追放か処刑することが西軍のスタートラインだろう
0054人間七七四年2017/10/31(火) 20:51:55.24ID:+74aXh74
>>53
三成排除のメリットにだけ目を向ければそれがよいように思えるかもしれないが、
三成を排除すれば大谷も降りるんじゃないの?大谷が勧誘した越前衆はどうなる?
三成が勧誘した秀信はどうなる?秀信の勧誘した美濃衆は?
勧誘の条件が全て空手形になる可能性を勧誘された側は恐れるよ。
三成いないなら佐竹は東軍に付かない?

石田、大谷が越前、美濃の勧誘で大きな働きをしているのだから
三成を排除すればそれなりのデメリットはあるよ。
少し上で出てるけど、前田勢+越前衆を瀬田で迎え撃つ事態になるかもよ。
0055人間七七四年2017/10/31(火) 21:26:55.20ID:ieHjiGdZ
>>54
というか、石田三成がいなければ西軍決起すらなかったと思われ。

三成は西軍の総大将ではなかったが、おそらく彼が仲立ちになって
奉行衆と二大老を結び付けたというのは間違いなかろう。
(高橋陽介のように異説を唱える人もいるが)
人脈が太いとは言えない毛利輝元だけではこうはいかない。
0056人間七七四年2017/10/31(火) 21:47:22.78ID:OcvR/u7C
>>50
@が達成できればA、Bはほぼ自動達成になるな。つまるところ、
内府違いの条々が征伐軍の連中にほとんど受け入れられなかったのが全ての問題って事だ。

>>52
毛利や上杉がやる気を…説の最大の問題点はそれ。どう考えても大損するんだよ、徳川とガチンコなんて。
それがメリットになるのは毛利や上杉に天下取りの野望があった時だけ。
その場合なら最大勢力の徳川は絶対に叩く必要があるから。
でもそれ西軍の挙兵理由でもある『豊臣御為』と完全に矛盾するのよね。
豊臣政権に無理にでも権力を持たせたうえで、西軍が莫大な報酬を約束したら?
どう見ても政権の次の討伐対象です、本当にありがとうございました。だな。
0057人間七七四年2017/10/31(火) 22:47:41.16ID:+74aXh74
>>56
毛利・上杉やる気問題については、まず上杉については西軍挙兵がなければ
上杉征伐が予定通り実行されるはずで、実行されれば上杉敗北で
どのみち上杉はよくても大幅減封、下手すりゃ全領地没収、は避けられないんじゃない?

毛利についても西軍挙兵がなければ前田、上杉の次に狙われるのは毛利か宇喜多。
狙われないにしても既に反家康派は少数派となり家康の専横は政治的にも軍事的にも
阻止するのは不可能な状態に陥ると思われる。

つまり毛利はまだ生き残る可能性があるから日和見加減もわからなくはないけど、
討伐対象にされてる上杉は味方の多くなった西軍挙兵時に
中央の西軍主力と連携取らんでどうするの?って思う。
0058人間七七四年2017/10/31(火) 23:18:00.85ID:NVKXZIJU
>>55
三成がいないと決起もできない時点で西軍に勝ち目はないだろう
戦は命がけの殺し合いなのだから
大軍を持っているわけでもない、豊臣一族でもない、百戦錬磨の猛将でもない単なる官僚に過ぎない三成頼みとかありえない
三成がいることもわからない空気な状態でも戦える気力がないのなら論外だよ
0059人間七七四年2017/10/31(火) 23:32:40.45ID:Lau9IVnl
>>57
問題は西軍の総大将が毛利であるって事。
つまり、上杉が西軍と完全に連携するという事は、上杉が毛利の下風に立つ事を認めるって事だ。
宇喜多のように石高が小さくて年齢も大幅に若いとかならともかく、
石高も官位もほとんど変わらん毛利に命令されるとか上杉からすりゃ冗談じゃないだろう。
せめて毛利が大納言位なら『朝廷から与えられた官位の差』で、なんとか折り合いつけられそうなんだけどねえ。
まあ、勝手な想像ではあるんだが面子とかそういう問題もあるんじゃないかと。
徳川軍が全力で上杉領土に突っ込んできたなら、そんなモン無視するだろうけど、
幸か不幸かそういう展開にはならんかったしね。
0060人間七七四年2017/10/31(火) 23:46:16.36ID:8fPaygmg
上杉はヤル気あるけど背後を安全にしてるうちに時間切れになっただけだし
帰る家無くなるけど気にせず玉砕するわなんてできるのはゲームだけ
0061人間七七四年2017/11/01(水) 00:58:27.62ID:Fu2mwVrw
西軍は不利だけど全滅するまで戦えというブラック企業
0062人間七七四年2017/11/01(水) 02:39:00.51ID:E60vsgAR
>>57
応仁の乱みたく長引くと想定してるなら、足下固めから取りかかるのは分かる気がするけどな。
自家が犠牲になってわざわざ短期決戦に挑む必要も無いし。
三成が書状で楽観視+優位誇張しているから余計にそう思うはず。
0063人間七七四年2017/11/01(水) 03:13:44.96ID:C2pS+vTF
石田秀雄さん(左)が秀秋を「勇将だ」とたたえ、小早川隆治さん(右)と固い握手
http://www.sankei.com/images/news/171029/wst1710290058-p1.jpg

「関ケ原の戦い」で西軍を率いた石田三成と、東軍に寝返ったとされる小早川秀秋の子孫が29日、三成ゆかりの観音寺(滋賀県米原市)で会談した。

 映画「関ヶ原」の公開を記念し、同市が開いた座談会で実現。両家の伝承や、秀秋は当初から東軍だったとの学説も紹介され、ファンが聞き入った。

 石田秀雄さん(67)が秀秋を「勇将だ」とたたえ、小早川隆治さん(76)と固い握手。約400年越しに“和解”した。


産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171029/wst1710290058-n1.html
0064人間七七四年2017/11/01(水) 05:17:06.02ID:k3s1Xc/k
まあ豊臣家にとっちゃ関ヶ原がおきないのがベストシナリオだよなぁ
あと挙兵以降どうやって上方の連中と上杉が連絡とるんだよw
0065人間七七四年2017/11/01(水) 09:37:18.11ID:TXRqYsaT
>>50
1、についてはもうどうしようもないかと。流れで西軍に巻き込まれたのもいるように
流れで東軍に巻き込まれたのもいるようには思う。

2、3についてはようは上杉に敵戦力の誘引をしろってことだね。
具体的には宇都宮方面で、決戦すると見せかけて決戦しない、
自戦力を温存しつつ敵戦力を誘引(宇都宮に秀忠、秀康を釘づけにする)すること。
宇都宮方面の地理には疎いので戦術的にそれが可能かどうかはわからない。
検証は他のかたにお任せする。

具体的に決戦すると見せかけて決戦しない、自戦力を温存しつつ敵戦力の誘引を行った例としては
セイロン沖海戦のイギリス軍。
結果は史実の通りで自軍は軽空母撃沈等それなりの損害を被る。
しかし日本機動部隊の戦力誘引には成功している。

上杉にこれやれってのは難しいかもしれないが。
ちなみに陸戦、海戦はたいして関係ない。
0066人間七七四年2017/11/01(水) 11:09:05.01ID:TXRqYsaT
>>50
それと上方方面の西軍配置も、決戦を避け防衛を主眼に置く方針だとしても
美濃に振り向ける戦力が少ない。
前スレ>>884くらいの美濃方面重視の配分にしなければ、
史実の戦力配分では美濃防衛も厳しい。
そして美濃の郡上方面、東濃方面に援軍を送り、郡上で飛騨、越前方面からの侵攻警戒、
東濃は岩村〜苗木のラインで警戒線張って中山道の遮断及び早期警戒を計るべき。


ただ、美濃に重点おくと伊勢が脆弱になるというトレードオフ。
0067人間七七四年2017/11/01(水) 13:03:54.79ID:yokfDQfQ
バランス取るなら
小早川が西軍という学説もあるにしないと
0068人間七七四年2017/11/01(水) 13:24:40.00ID:sgtsLWd4
>>58
それかなり重要だと思う
上杉、毛利は士気が高くなる理由がなさすぎるし
豊臣の連中は内輪揉めと保身ばっかり

こんな状況で家康のためなら重臣クラスも喜んで命を投げ出す徳川軍65000を相手に出来るわけない
唐入りからの不満が爆発してる福島ら武断派、愛娘を虐殺されて冷遇されてた最上、ガラシャ殺された細川・・
東西で士気に温度差がありすぎる気がしてならない
0069人間七七四年2017/11/01(水) 14:25:38.34ID:DRsfHLBh
佐竹が積極的動けばと思ったが、
それって佐竹に「単独で徳川軍6万5千を相手にしろ」って言ってるに等しいんだよな。
佐竹にとってみればせめて上杉が宇都宮付近まで南下してこないと、
遠い会津じゃ話にならないだろう
0070人間七七四年2017/11/01(水) 14:43:53.56ID:60f5Gn0N
徳川の本拠地の目の前だからどの大名も迂闊な行動ができないんだよね
戦略的には上杉遠征の隙に挙兵というのがそもそもの間違いの感じがする
上杉が屈服したらどうしようもなくなるという考えも分かるが
0071人間七七四年2017/11/01(水) 15:02:24.44ID:kYO1m71r
>>63
『小早川秀秋の子孫』ってのに違和感
0072人間七七四年2017/11/01(水) 15:17:06.03ID:rM1jznuq
>>71
秀吉の子孫が存在してテレビ出ちゃったりするぐらいだからなw
0073人間七七四年2017/11/01(水) 15:29:10.29ID:ZG+3LBRf
名跡を継いだ系譜上の子孫やからな
0074人間七七四年2017/11/01(水) 16:42:04.90ID:lpF2KPOj
小早川秀秋の死後になぜか秀秋の子供が生まれて木下家に引き取られたって話があったな
信憑性は微妙だけど
そもそも小早川は養子ばかりだからな
0075人間七七四年2017/11/01(水) 16:45:55.71ID:Iv+AYNAC
>>69
場面次第だけれど佐竹単独は無理だろうね。
直江から佐竹に宛てた手紙では、最上伊達を平定し、彼らを従えて後に共同して江戸に
攻め込もうと提案している。上杉側の戦力計算としても、後背に敵を抱えたままで徳川
と戦うリスクは負えないというところだろう。上杉ですらそれくらいの戦力が必要と思
っていたわけだから、佐竹だけでは危険すぎる賭けになる。

直江の認識では8月末までは徳川の主力は関東に残ったまま。
秀忠転進後も家康の本隊が江戸に残っている。
最上攻めを始めたのが9月8日だから家康の江戸出立の情報を掴むまでは
最上攻めに戦力を割くことすら慎重にならざるを得ない状況だったということになる。

とは言え、徳川の方が圧倒的に有利だったとは思えない。
家康はリスクを負って関東の戦力を引っこ抜いて上方に宛てたのであって、余剰戦力
が豊富にあったわけではない。
結論的には時間との勝負だったのだろう。
家康が上方を制圧するのが速いか、景勝が東北を制圧するのが速いか。

美濃で西軍が粘って家康を釘付けにできれば上杉・佐竹が後背を襲うチャンスもあった。
0076人間七七四年2017/11/01(水) 16:49:52.77ID:BHIl0v+f
情報戦の分野では、雲泥の差がある
0077人間七七四年2017/11/01(水) 17:09:35.13ID:ZG+3LBRf
団結力でも、雲泥の差がある
0078人間七七四年2017/11/01(水) 18:29:21.69ID:ObNoOzEd
>>75
逆に言えば8月〜9月の間は徳川領を脅かせられる勢力が周囲に存在しないから
戦力を西に向けられたとも言えるわけで。

まぁそこは動かせる戦力を必要なタイミングで動かして勝利を掴んだ
家康の決断力を賞賛するべきなんだろうけど

とは言え西軍の勝利を検討する上で、
上杉が東北を制圧するまで徳川軍がフリーハンドなのは
あまりにも痛い
なんとか牽制しときたいが
0079人間七七四年2017/11/01(水) 18:54:17.53ID:ymO1mj/9
東軍でも絶妙のタイミングで反旗を翻す大名がいれば、、、
0080人間七七四年2017/11/01(水) 19:27:15.28ID:Iv+AYNAC
>>79
江戸攻略とはいかないまでも、家康出陣後に佐竹がちょっかいを出したら戦況は変わったかもしれないね。
0081人間七七四年2017/11/01(水) 19:30:19.36ID:/x0yLAoi
わたしは上杉が最上攻略するまで美濃で粘るという案はデメリットのほうが大きいと思う。
9月に入ると前田の再南下と挙動不審小早川の活性化が懸念材料。
それよりも上杉にさっさと宇都宮方面でうろちょろしてもらったほうがいい。
最上が上杉領に侵攻してきたら逆に野戦で最上を叩くチャンス。
0082人間七七四年2017/11/01(水) 20:07:15.31ID:ZG+3LBRf
宇都宮方面うろちょろしてるのに最上と野戦できる不思議
0083人間七七四年2017/11/01(水) 20:58:05.42ID:6KH7DNGK
上杉が徳川と戦ったら最上だけじゃなく火事泥狙いの伊達だって手薄な背後を狙って攻めて来るだろうから
どのみち戦力足らないんじゃないの
0084人間七七四年2017/11/01(水) 21:02:40.29ID:sgtsLWd4
長谷堂合戦の経緯を見るにそもそも最上に負けそうだし待っても無駄という気がする
下手な動きをする場合、伊達に挟撃される危険もありそうだし
佐竹は義重が生きてる限り期待出来ないかと
0085人間七七四年2017/11/01(水) 21:45:34.17ID:RnuoWtCj
思ったんだけど、西軍視点では徳川の牽制は可能という認識だったんじゃないかな。
西軍視点では、内府違いの条々を見た上杉征伐軍に参加した諸大名が徳川を見限る予定だった筈。
つまり彼らは自動的に徳川と敵対してくれるから目前に徳川という敵がいる以上、
牽制は頼まれなくてもやってくれるって認識だったんだろう。
予測が甘いと思うかもしれないが、西軍はこの時点で近畿(豊臣政権)を抑えているし、
諸大名の妻子も人質にしたんだから、豊臣政権をないがしろにしている(西軍視点です)徳川なんか、
諸大名はほとんど見捨ててしまうだろう、位の考えだったんじゃないの。
0086人間七七四年2017/11/01(水) 21:55:43.48ID:6KH7DNGK
そうだよ
その楽観的な見方ですら徳川との対決は準備を整えた翌年以降の話なのに
史実だとそれよりも遥かに早く東軍が帰って来ちゃったから
戦略を練り直す暇も与えられずに戦う羽目になってああなった
0087人間七七四年2017/11/01(水) 22:16:39.17ID:NuxqbAb0
西軍が勝ったらだれが論功行賞を仕切るんだ?
テルか三成か茶々か
三成は嫌われ過ぎ
0088人間七七四年2017/11/01(水) 22:21:56.92ID:MqZTAbnW
古今東西、有力者の出征に乗じた首都クーデターって、遠征軍が崩壊したら成功、崩壊しなかったら反転してこられてフルボッコにされるのがパターンなんだよね
0089人間七七四年2017/11/01(水) 22:23:08.39ID:+NWIwOsn
>>87
史実では東軍の論功行賞はほぼ徳川で行われている事を参考にすれば、
西軍の場合はほぼ毛利関係者だけでやる事になるでしょう。
奉行や上杉が口はさんだら、第二次戦国時代の幕開けだね。
0090人間七七四年2017/11/01(水) 23:17:20.85ID:/x0yLAoi
まぁ>>50の2、3については上杉が宇都宮の、佐竹と与力が江戸の牽制をしないなら
他にする者がいないので不可能なんじゃない?
というか西軍の想定もこれでしょ、実際に上杉、佐竹がやらなかっただけで。
0091人間七七四年2017/11/01(水) 23:33:52.85ID:EHVBkSF6
>>90
なんで上杉や佐竹が豊臣家の為なんぞに大損害をしなきゃならんのか、これがワカラナイ。
こういう事書き込むとすぐ「徳川に征伐されて〜」とかいう人いるけどさ、
それは『徳川と対立する理由』にはなっても、『壊滅覚悟で徳川に特攻する理由』にはならんよ。
特攻してもなお、上杉や佐竹が利益を確実に得られるって報償なんて西軍は作れるの?
また、それが確実に実行される保証は?
0092人間七七四年2017/11/01(水) 23:47:11.14ID:lpF2KPOj
前スレの織田秀信が西軍の首謀者並みに自滅覚悟で早期から清洲城攻めるとか言ってたように
佐竹や上杉も豊臣のために自滅覚悟で攻めるとか無茶振りだなw

そんな大名を洗脳できるなら小早川も裏切らせずに洗脳できそうだなw
家康も洗脳しちまえw
0093人間七七四年2017/11/02(木) 00:24:29.23ID:v0Jl9P7c
>>91
じゃ、だれがやるの?だれもやらなければ史実通りになるだけ。
上杉も佐竹も史実通りの結果を受け止めればいいだけ。

それはifでもなんでもなく史実でしかない。
0094人間七七四年2017/11/02(木) 00:27:24.10ID:3XnWiE05
じゃあ家康洗脳でいいじゃん。上杉が戦う必要もない
0095人間七七四年2017/11/02(木) 00:27:47.81ID:cdteJWjx
そうはいっても、城持ち大名クラスだと死に物狂いで籠城しとるのよ。

西軍でいけば真田昌幸、山口宗永は落城して自刃しとるな
東軍は富田信高、分部光嘉、京極高次、細川幽斎とか
大軍に囲まれた中で敢えて命懸けで籠城した連中は勇敢だわ。
自分が死んでも、将来的に友軍が勝つと信じて布石を打っているんだろうな。

家康に逆らっていない佐竹がリスクを冒す義理はないんだろうが、
家康に反旗を翻した毛利や上杉は将来を見据えれば死に物狂いで戦う必要があった。
特に毛利は伏見城攻めで鳥居たちを殺してる、勝ち切らないとタダで済むはずがないんだ。
確かに徳川軍の正面を受けるのは大きなリスクなんだが、誰かがやらないと負ける。
囚人のジレンマだな。
0096人間七七四年2017/11/02(木) 00:29:20.10ID:3XnWiE05
上杉も攻められれば死に物狂いで籠城するだろ
0097人間七七四年2017/11/02(木) 00:33:15.48ID:cdteJWjx
>>96
敵地のど真ん中で籠城するのは攻勢以上にリスクが大きいことを言っているんだが。

富田とか分部なんて家康に忠誠を誓う義理なんてないんだよ。
テキトーに西軍のハタ降って小人数を西軍に拠出すれば
生き延びられるんだ。
0098人間七七四年2017/11/02(木) 00:45:33.78ID:3XnWiE05
上杉も図体デカいだけで敵地のど真ん中やで
0099人間七七四年2017/11/02(木) 00:57:24.16ID:4ejxZdj7
上杉や佐竹に比べて近場の真田ですら具体的な恩賞の話は8月10付の書状で出てくる程度なので
更に遠方の上杉佐竹は見返りも不確かな状態で徳川と相対しなきゃいけないんだよなあ
これで死力を尽くせといわれても無理でしょ
0100人間七七四年2017/11/02(木) 00:57:51.60ID:cdteJWjx
>>98
上杉が死に物狂いでリスクを取りに行ったとは思えんけどな。

8月中に最上は上杉に和睦を持ち掛けている。最上、伊達とは和睦して、佐竹と江戸に
攻め込むというプランもありえたわけなんだが、その最上に攻め込んでるんだよな。
信用できないと思ったのかどうかは分からんが、毛利にしても上杉にしても、敵を
絞り込んでいないのが問題点。

その点家康は戦う相手を絞り込んでいる。
対上杉は早い段階で防戦に絞って、上方でも毛利と奉行を切り離しにかかっているしな。
真田攻めで遊軍化してしまったのが失態だが。
0101人間七七四年2017/11/02(木) 01:13:43.14ID:3XnWiE05
上杉もリスクとって徳川と対峙しながら後方に兵力送って安全にした後に関東攻め込む予定だったろ
0102人間七七四年2017/11/02(木) 01:52:21.19ID:fl6S0A1b
>>91
徳川家康って人を綿密に研究すれば、毛利や上杉みたいな大大名がそのまま認められる訳が
無いのは解ると思うんだけど。
関東移封の時、東海五ヶ国130万石「ここは議論有るけど」から250万石に加増転封されたのに
家康は一族や三河遠江の地付き豪族の所領を殆んど加増して無いんだよね。
つまり、以前は家康の蔵入地約30万石、松平同族の所領約30万石で、家康が独裁権持ってるとは
言い難い状況だったんよ。
同族の所領は場所的にも一等地なんで、団結して反攻されると家康の方が負ける可能性も有った。
それを、行き成りお手盛りで自分の蔵入地を約100万石まで増やすんですよ、これで完全な独裁権を
家康が握ったんでね。

何かこの辺、秦の始皇帝と六国の王みたいな関係ですよね。
六国の王は妥協の余地が有ると思って、団結したり秦と和議を結ぶ事考えるけど、実は妥協が出来る
人じゃあってね。
あの時点の国力で、秦は3割強って言われるから別に全部じゃ無くて斉楚みたいな比較的国力有る国が
同盟するだけで秦は困るんだよね。

家康の、上杉、毛利、宇喜多なんかの足並みが揃う訳ないから各孤撃破の作戦は正しいけど、一度
主導権を相手に渡すと袋叩きだとも言える。
相当危ない橋を渡ってると思う。
0103人間七七四年2017/11/02(木) 01:58:33.67ID:W38WojW/
>>101
誰が決めた予定だよ?
そもそも上杉は石田が挙兵するなんて知らなかっただろw
>>102
前田「せやろか?」
0104人間七七四年2017/11/02(木) 03:20:55.00ID:TbxO1SvV
>>103
利政の没収分に更に色付けて40万石以上の加増だからな利長は。
絶対値なら福島正則よりも多く加増されてる。

その利政も大坂の陣の折に10万石を打診されてるし
上杉も毛利も前田並みに最初から尻尾を振り続けられれば
大大名として生き残る道はあったと思うわ。

秀忠を乗り越えられるかは知らん
0105人間七七四年2017/11/02(木) 12:21:40.64ID:cdteJWjx
>>99
真田や佐竹は黙っていればやり過ごせる立場ではあるが、上杉は恩賞どうのこうの
以前に家康に反抗しているから勝たないと処罰される対象なんだけどな。

>>102
これは異議あり。
譜代家臣の知行割という内政課題と、大名との外交関係を同列で考えるのは論理の飛躍
だと思う。家康が大きな蔵入地を確保できたのは大幅な加増転封があったためで、家臣
の相対的地位は低下しても減俸されている家臣というのはいない。

少なくとも関ヶ原以前の家康が他の大名を減封しようとしていた兆候はない。
家康による減封・改易は大坂の陣までは関ケ原の合戦による処罰を除けば無嗣断絶ぐらい。
家康は譜代と外様を区別して扱っていて、傾向として徳川の支配は豊臣よりも分権的だった
と評価されている。

改易の嵐が吹いたのは家康に軍事的反抗をしたからであって、これがなければ家康も
容易に減封する大義名分がなかった。まさに家康にとっては渡りに船・奇貨となったわけで
関ヶ原が起きなければ、当面は前田のようにせいぜい人質要求をされた程度だったのでは
ないか(徳川からは秀忠の娘を輿入れさせる約束をしているから一方的な人質要求でもない)。

領地内での大名独裁権の強化は全国的な傾向で、宇喜多家は大幅加増、転封なしで
あからさまな大名権力の強化を図ったために宇喜多騒動が起きたと言われている。
薩摩でも給地替えにかこつけた家臣の実質的減俸を主導した伊集院忠棟が反発を受けて
殺害されている。庄内の乱はこの事件が引き金になっている。
上杉家では徳川のように会津への国替えと共にかつての重臣たちが相対的に弱くなっている。

家康のような大名独裁的な知行配分は全国的にどこの大名でもやりたがっていることで
あって内政課題でしかない。これを大名間の関係に当てはめて諸大名が家康を警戒した・
すべきだったとは思えない。

以上、私見としては上杉・毛利は「挙兵したからには勝ち切れ」というだけであって、
「戦わなければ領地を奪われた・滅ぼされた」とは思わない。
0106人間七七四年2017/11/02(木) 12:25:45.24ID:Qn6EaI/u
>>104
みんなで家康にしっぽを振りまくって、改易出来る家を極端に減らすのが最上の策。
0107人間七七四年2017/11/02(木) 12:48:29.46ID:HH923Uwc
>>105
毛利も上杉の勝つための策は打っているでしょ
まず短期決戦を想定していないのだから本領付近の敵対勢力を降して足場を固めるのは当然の策
それが活きなかったのは東軍が瓦解せずに想定以上に早く西上してきたから
これは上杉毛利の動きが鈍かったからではなく家康の手際を褒めるしかない
特に上杉は西軍首脳陣と示し合わせたわけじゃなく西軍が家康の不在に乗じて挙兵しただけで
事前の打ち合わせも挙兵後の通信も不十分な状態
いくらifとはいえ大損害を受ける覚悟で敵地侵攻しろというのは無理筋過ぎる
0108人間七七四年2017/11/02(木) 13:16:25.13ID:IewYcDXG
結局は上杉は長谷堂城の戦いでも最上勢の籠城で二週間以上も時間稼ぎされて
関ヶ原が間延びしたとして、もし攻め落とせたとしても
まだ最上義光の居城の山形城があるからどのみち徳川を攻めるのは不可能
0109人間七七四年2017/11/02(木) 13:22:54.99ID:/PGt0huG
>>105
中国や西洋の例え話する子をまともに相手しちゃだめ
0110人間七七四年2017/11/02(木) 14:14:18.29ID:cdteJWjx
>>107
>>108
お題は西軍が勝つための方法だからね。
西軍はアホだったと言っているわけじゃないんよ。(まあ輝元はアホだったと思うが)
家康が好手を打ったなら、それを越える妙手を打たなきゃいかんわけで、
彼らが常識的判断をしていたかどうかではないよ。

何度も言うけど、北側を固めるためには最上を攻めるんじゃなくて和睦すべきだった
と思うわけよ。最上を攻めるのが前提という観念を取り払わないと。場合によっちゃ、
最上の欲しがる庄内地方や伊達の欲しがる伊達郡はやるから、けしからん内府を一緒に
討とうぜぐらいの交渉をすれば、最速で北を固めて関東に乱入できたかもしれない。

そこまでしなくても、最上・伊達と和睦したことを表明できれば家康は江戸から
動けなくなった可能性は高い。

家康は最上との関係改善の意思のない上杉の野心が北側に向いていることが分かって
きていたし、佐竹の家中も分裂していることが分かっていたから秀忠を真田攻めに
送ったわけだし、自身も江戸から離れることができた。上杉も毛利も戦わなくて済む
相手に兵力を割き、一番ケアしなければいけない相手を牽制できなかった。
0111人間七七四年2017/11/02(木) 14:26:48.75ID:6R+r/8U/
金吾ちゃんはアホじゃないよね
0112人間七七四年2017/11/02(木) 16:01:19.52ID:IewYcDXG
>>110
三成や輝元が急に信長、秀吉並みの才能になるという話は現実味がないから
0113人間七七四年2017/11/02(木) 16:12:21.14ID:HH923Uwc
>>110
上杉と最上はもともと争っていた間柄だし会津征伐の発端となった報告者の一員でもある
最上が上杉の申し出を信用出来るかは怪しいし秀次事件以降徳川に対する傾倒を深めている親徳川派
伊達も私婚問題では徳川と一緒に責められた立場だし
このことは内府ちがひの条々でも相変わらず責められているので政治的に妥協する余地は少ない
両者ともわざわざ家康との関係を悪くしてまで上杉と関係をよくする意味ないのよ
普通に上杉と戦ってれば恩賞をもらえる立場(伊達はやんちゃが過ぎてアレだったが)
0114人間七七四年2017/11/02(木) 18:11:08.65ID:1P66q80x
>>113
史実でも伊達は上杉と和睦してる。
岐阜落城を聞いて伊達側から反故にしてるけど。
伊達と手打ちできるなら最上とも手打ちして対徳川に集中した方が良くない?
って話だと思う

「上杉は伊達最上の内、一方とは手打ちしても両方と手打ちする気は元々無かった」
って誰か主張してたはず
0115人間七七四年2017/11/02(木) 18:39:05.43ID:HH923Uwc
>>114
その伊達と上杉の和議に関しては白石城の戦いの後西軍決起を受けて家康が反転したから
家康の後援無しで上杉と戦いたくない伊達と最上伊達を両方相手にしたくない上杉の間で成立したものだから
上杉が家康を関東に拘束する為にと攻め込むという状況だと成立するかどうか
伊達も最上も普通に家康と協力して上杉叩けばいいんじゃないの?
0116人間七七四年2017/11/02(木) 19:07:50.45ID:cdteJWjx
>>113
自分で言っておいて何だけど、最上は秀次事件以前から家康に入れ込んでる。
次男の家親は1594年には家康の小姓に送られ、そこで元服、偏諱をもらっている。
関ケ原の合戦では秀忠に随行している。

とはいえだ。戦国武将ってのは状況次第で態度を変えるもんだよ。

検討すべき材料は上杉家の記録にある最上義光から直江兼続に宛てた8月18日付の
書状で、「最上から何人でも証人(人質)を出すし、兵一万で従軍する」とかなり
低姿勢で和議を申し出ている。

時期的には伏見城陥落の情報が伝わり、西軍が最も優勢に見えた時期、同時に家康は
山形に集結していた南部や秋田に一時帰国を許可しており、最上は梯子を外された形
で窮していた。

これを急場しのぎや偽計とみるか(あるいは偽書)苦しい内情の表れとみるかだが、
もし人質が取れていれば、少なくとも後方から攻め込まれるリスクはかなり抑え
られたのではなかろうか。
0117人間七七四年2017/11/02(木) 19:32:37.97ID:heCk4Ddz
状況次第、というのはまあ正しい。
しかしそれはあくまで『状況が変わったから』であって、『状況を変える為に』ではないと思う。
要は交渉次第で中立までは持っていけるかもしれないが、味方にするとなると…って話。
さらに問題なのは、他ならぬ上杉自身がそう考えてる可能性が高いという事。つまり、
「徳川が政治的か軍事的に『決定的に敗北するまでは』直接戦闘はさけて東北制圧しよう」という考え。
つーか、普通はこうなるだろう。上杉からすれば上方の連中が徳川をやりこめてから関東攻撃した方がリスク少ないし。
0118人間七七四年2017/11/02(木) 19:43:08.23ID:9aYHn3D+
伊達最上が上杉に着くほど家康の求心力が低下しているなら、他の東軍大名を切り崩して西軍につかないまでも日和見に持っていく方が早い
0119人間七七四年2017/11/02(木) 22:52:25.24ID:ePMXBXKW
>>116
知ってると思うけど最上が降伏を申し出たって言う話は上杉家の史料にしか存在せず
江戸初期に最上家が改易されていることから上杉家が都合の良いように創作した捏造説もある
ここではそういう申し出があったとして話を進めると
最上は上杉に対して下手に出る一方で秋田実季とも密約を交わしそれが露見して交渉が決裂しているから
仮に和議を結んたとしても面従腹背の類で
最上にしろ伊達にしろ家康の後援が無くなったから下手に出ていただけで
上杉が背後を気にせずに徳川を攻められるようなものではないのは確か
0120人間七七四年2017/11/03(金) 01:24:23.20ID:hrMm9+sM
>>119
史料の読み方や評価の仕方って読む人の好み次第なところがあるからね。
自分は専門家ではないので、偽書かどうかは良く分からないというのが正直なところ。。

実は個人的には家康びいきなので、この手の史料は偽書だと言いたくなるところ
なのだが、後世の上杉家にとってこの文書は捏造したい内容なのかと考えると
「降伏している最上を攻めた上杉の野心の証」になるわけだから、
「降りかかる火の粉を止む無くはらった」という大義の戦いではないことになる。

むしろ秋田実季と共同して最上がたばかったという筋書きの方が上杉の大義がたつ
はず。また、この時点では交戦が始まっていないので、上杉の武勇を顕彰する内容
にもならない。

そうやって考えると、後世の上杉家が捏造するメリットのない内容ではないか
と思ったりもする。この手の密約は基本的に当事者の家にしか残るはずのない
ものだから、上杉だけに残っていることもおかしいことではない。また最上家側では
残したくない文書でもある。

この交渉が本当だとして、面従腹背程度の役にしかたたないというのは、理解できるが
そういう点では、家康に味方した大名の多くも面従腹背で成り行き次第で離反した
可能性も否定できない。伊達や前田なんかは風向き次第で変わりえたのではないかな。

一旦和睦が成立してしまえば、心底上杉に味方をしているわけではなくても、その
効力が利いているうちに様々なことができる。無理して徳川領に攻め込まなくても
北と和睦して関東に攻め込む態勢を見せれば、家康も史実のように身軽には江戸を
離れられなくなる可能性はある。家康が西上しなければ、関ヶ原での劇的な東軍勝利
は起きないことになるから、その後の展開も変わり得る。
0121人間七七四年2017/11/03(金) 02:22:39.49ID:AG4O0Ud7
別に上杉は捏造はしてないだろうが
義光の時間稼ぎと見るべきだろうな
0122人間七七四年2017/11/03(金) 02:23:17.44ID:6/NSFrG9
>>120
同意です。

>無理して徳川領に攻め込まなくても
>北と和睦して関東に攻め込む態勢を見せれば、
>家康も史実のように身軽には江戸を
>離れられなくなる可能性はある。

なんかここのひとたちはこういう「抑止」とか「誘引」とかそういう戦術的なものが
いまいちよくわからないみたいですよね。
戦うとなったら攻勢限界点超えてまで攻めなきゃいけない、
あるいは兵力劣勢でも攻めなきゃいけないみたいな。
兵力劣勢なら劣勢なりの戦い方をすればいいわけで、
なにも上杉に宇都宮城攻略しろなんて言ってるわけじゃないのに。
0123人間七七四年2017/11/03(金) 02:26:28.56ID:7NQ7fqMO
>>120
うろ覚えだけど、
「最上が低姿勢で和睦を持ち掛けてきたけど、
裏で庄内を騙し討ちする計画を進めてたことが発覚したから
懲罰しようとした」
って内容じゃなかったっけ?
つまり上杉の最上攻めの大義名分を主張してたはず
0124人間七七四年2017/11/03(金) 02:44:28.70ID:yQMhw+t9
>>122
上杉が本気で最上が和睦してくれると思ってくれるほどチョロいなら義光ももうちょい楽できたろうけどな
実際はその裏で秋田等と画策してたのがバレただけ
義光は駒姫の一件以降完全に豊臣を憎悪している家康信者に見える
これを籠絡はちょっと現実みがないように思う
0125人間七七四年2017/11/03(金) 03:02:15.71ID:j395y0Wa
家康が上方へ行くつもりだから後ろ楯を失った最上伊達が時間稼ぎをしてきたんであって
家康が関東から動かないんだったら最上も伊達も協力して上杉攻めるでしょ
0126人間七七四年2017/11/03(金) 05:00:33.31ID:C9d5zewQ
>>123
【長谷堂合戦前夜の義光書状をめぐって】
http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&;l=118251
0127人間七七四年2017/11/03(金) 08:00:37.45ID:kxf6k9eZ
どのみち上杉の狙いは家康が西上したことにより、自領拡大だから最上攻めるしか選択肢はないよ
関ヶ原敗北を知った後の上杉の最上からの即撤退&家康への降伏見る限り
豊臣のためにとか全く思ってない
0128人間七七四年2017/11/03(金) 11:48:23.62ID:C9d5zewQ
そりゃそうだろう
そもそも上杉の決起理由は「奉行衆がこっちの言い分を認めなかったから」なんだから
「家康主導の」という但し書きが付くとは言え、既に豊臣政権そのものを見限ってる
0129人間七七四年2017/11/03(金) 13:14:18.68ID:NuXnegeZ
>>128
じゃあ上杉は「敵の敵は味方」、っていう程度の関係ってこと?
それなら初めから三成は上杉なんかあてにせず西国戦力だけで徳川を打倒する戦略構想を
練るべきだと思うけど。秀康だけでも引き付けてくれればラッキー、くらいのかんじで。
0130人間七七四年2017/11/03(金) 14:59:05.38ID:yQMhw+t9
>>129
実際三成はそういう戦略取ってるでしょ
家康も平然と東は手薄にしてるし
東国は根本的に豊臣に忠義なんかあるわけないんで
0131人間七七四年2017/11/03(金) 15:21:10.05ID:KfapIhKZ
少なくとも上杉が西軍挙兵前から三成と組んでいた史料はなかったはず
0132人間七七四年2017/11/03(金) 17:06:26.11ID:qiJ9OWbi
西軍の主導者が誰だったらまだ良かったと思う???
0133人間七七四年2017/11/03(金) 18:22:58.59ID:MjoP67EC
家康
0134人間七七四年2017/11/03(金) 18:41:56.45ID:Sca0DRy7
利正
0135人間七七四年2017/11/03(金) 18:58:10.02ID:OAnwdPcA
スマホ太郎
0136人間七七四年2017/11/03(金) 19:41:05.97ID:1Fmkge63
>>132
真面目な話、総合的に見たら輝元以上の適任者は存在しない。
あえていうなら秀頼そのものを担ぎあげる位か。
しかし、そんな事が出来るんならそもそも苦労せんし、こんなだらだら議論続ける必要もない。
0137人間七七四年2017/11/03(金) 21:08:39.29ID:PXKSa3g2
>>132
秀吉
0138人間七七四年2017/11/03(金) 21:31:01.94ID:SN0J85sT
秀頼、輝元、景勝、三成が全権委任してくれるなら秀家で問題ない。
0139人間七七四年2017/11/03(金) 23:05:38.41ID:axzSzsSb
どうすれば勝てたのかって?答えは出てるでしょ。
上杉は奉行衆が自分たちの言い分を認めなかった故の挙兵なのだから、
放置して泥沼の一進一退にさせてから挙兵すればいいだけ。
毛利宇喜多石田ぐらいで空き城を次々おとしながら東海道を進めばいい。
0140人間七七四年2017/11/03(金) 23:11:17.45ID:MjoP67EC
兵力差的に一進一退は無理だろうな
0141人間七七四年2017/11/03(金) 23:15:52.85ID:AG4O0Ud7
>>138
秀頼が全権委任って誰が許可するのかだよね、そこが重要
他4人ははっきり言って委任しようがしまいが大した違いはない
0142人間七七四年2017/11/03(金) 23:31:04.71ID:uGlBx4aZ
>>140
上杉が圧勝という意見か。
0143人間七七四年2017/11/03(金) 23:35:59.07ID:63mJLa6g
>>138
三成が一刻も早く奉行に返り咲きたいという私欲を出しすぎたんだよな
東軍が会津に行く前に蜂起して、畿内の基盤固めも無視して東進させろの一点張り
ここまで露骨な態度を取られたら西軍の大半の大名も白けてやる気をなくすし
三成の身勝手な行動に対する東軍の反発も強くなり反三成感情がさらに強化される
0144人間七七四年2017/11/03(金) 23:50:42.33ID:zE/4x34o
>>143
上杉征伐軍が会津に行くってことは毛利と宇喜多だけで挙兵するわけ?
大坂城にでも籠城するつもり?
0145人間七七四年2017/11/04(土) 00:00:27.72ID:Vep0YYtl
>>138
その三成の心情は何が根拠なのかな?
0146人間七七四年2017/11/04(土) 05:51:17.33ID:1kybRuYz
宇喜多も上杉征伐に行く気だったはず
となるとテル単独での大阪フェス
0147人間七七四年2017/11/04(土) 05:56:31.02ID:potaXElx
というか毛利単独だと淀が余裕で大坂入城拒否できるなw
0148人間七七四年2017/11/04(土) 10:09:01.12ID:M8zkgDN8
淀に入城拒否権限があるかどうか
0149人間七七四年2017/11/04(土) 10:28:20.15ID:potaXElx
史実でだって西軍は大坂城本丸には淀に入れさせてはもらえなかったからな
0150人間七七四年2017/11/04(土) 10:55:31.74ID:Tz/v6Wmq
西軍は決定権や誰が主導者かが決まってない。「なんとなく」折衷案に落ち着くようだから淀が認めないとかは決定打ではないだろ
0151人間七七四年2017/11/04(土) 11:10:24.06ID:potaXElx
毛利単独ならといってるだろw
0152人間七七四年2017/11/04(土) 13:13:42.71ID:h65xotef
単独では「徳川を父とも思う」と誓ってる毛利と
単独では「徳川と前田に同心します」と誓ってる宇喜多が
徳川の手足みたいになっていた奉行衆と一緒と連んで
単独で豊臣政権に反逆した上杉に「俺たちも闘うぜ」ってやったのが関ヶ原
0153人間七七四年2017/11/04(土) 13:32:58.56ID:KmNhGR+I
長生きした宇喜多の勝ち
0154人間七七四年2017/11/04(土) 14:42:14.14ID:M8zkgDN8
本丸は淀君の自宅

二の丸は家康の家
0155人間七七四年2017/11/04(土) 15:26:05.37ID:OYzQW6QG
真田丸ならぬテル丸を作れば良いんだよ
0156人間七七四年2017/11/04(土) 15:26:31.28ID:OYzQW6QG
テル丸ロマン
0157人間七七四年2017/11/04(土) 19:33:49.20ID:MspVgaIK
>>152
でも考えると、120万石の領地と瀬戸内の商業権益なんかと一族の領地とか付け加えると
実力200万石超えの輝元が、秀吉死後に700日も日和見してたんだから迷惑だよね。

この、毛利は日和見って先入観が諸大名に刷り込まれた時点で挙兵だから西軍膨れ上がった
んでしょうね。
勝てる確証が有るから毛利が乗ったんだろうって、誰でも思いますもん。
豊臣に忠義じゃ無くて、勝てるから挙兵したんだろうってね。
0158人間七七四年2017/11/04(土) 20:37:54.83ID:h65xotef
>>157
輝元自身は三成襲撃事件で三成に援軍送って伏見でドンパチするつもりだったくらい積極的野心家。
日和ってそれを諫めたのは大谷ら奉行衆一派。
利長謀反疑惑の時も最初に家康に密告して、仲裁どころか家康に全面協力したのも奉行衆。
会津征伐の時に家康の意を汲んで積極的に上杉を追い詰めて、景勝が決起理由に挙げているのも奉行衆。

日和見ってイメージが付いてたのは輝元より増田じゃね?
0159人間七七四年2017/11/04(土) 20:42:51.43ID:7xcdOad7
真田の東西が逆なら西軍が勝ってた
0160人間七七四年2017/11/05(日) 01:35:27.60ID:Cvt0nJFd
長男のが使えたのかよw
0161人間七七四年2017/11/05(日) 08:32:01.91ID:peBneKre
毛利は徳川、上杉、前田、宇喜多のように積極的に動いたようには見えん。大阪入場後に輝元がもっと迫力あるツイするだけでも評価は変わったろう。
0162人間七七四年2017/11/05(日) 08:39:20.43ID:/C99pbRb
見えんって言われても実際積極的だったしなぁ
方向性はアレだったかも知れんが
0163人間七七四年2017/11/05(日) 08:58:41.47ID:OvCVrntx
輝元は祖父の代から築き上げた石高と家名を持ち、裏で策謀するのは得意だけど
先頭に立ってリーダーシップを発揮するのが苦手
三成は自分自身の威信はゼロだが、前線にしゃしゃり出て仕切るのが大好き
輝元と三成は互いに足りないものを補える仲ともいえるね
輝元が大坂に篭り、三成が関ヶ原に行ったのも互いの気性に応じた役割分担だった

問題は輝元と三成は完全に赤の他人なので、三成が輝元に代わって毛利軍を仕切ることができないこと
特に毛利の重臣たちからすれば、三成の指揮に服するくらいなら戦闘拒否するのは当然という感覚だから
吉川たちの行動は輝元と三成の矛盾による産物だった
0164人間七七四年2017/11/05(日) 11:31:12.34ID:Y+ZftcYL
その素晴らしい分析眼を、朝鮮戦争スレ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1507589264/l10
でも披露して欲しいものだな♪
0165人間七七四年2017/11/05(日) 13:44:21.98ID:u207Q6Pr
>>163
まぁたしかに輝元中継しての指示じゃないと動かんだろうね。輝元が「三成と協力するように」とか指示しといてくれれば楽だろうが、
輝元的にも自家の兵勝手に動かされるのも嫌だろうし。
0166人間七七四年2017/11/05(日) 14:21:19.87ID:FK6mKkia
>>165
逆ならまだマシなんだよね。輝元の命令で三成が動くって形。まだマシ程度でしかないが。
毛利も西軍総大将としては一番マシって程度でしかないのよね。
特に上杉を制御出来ないのは痛い。連絡可能かは別として、地位も官位も石高もほぼ変わらんから、
素直に命令を聞くとはとても思えんのよね。せめて毛利が大納言位になってればなあ。
東軍は徳川が何もかも突出してるからな、この差は大きい。まあ、そういう形にしたのは秀吉だけど。
0167人間七七四年2017/11/05(日) 15:08:43.50ID:/C99pbRb
徳川が内府、前田が大納言、
毛利宇喜多上杉が権中納言で横並びが五大老の大枠だからなぁ。

ただ光成氏の主張の
「景勝は伊達・最上氏のいずれかと講和する気はあっても、双方と講和する気は無かったことは明白」
「景勝の本音は越後奥州を制圧し、一大領国を形成することにあった」

が正しいなら毛利が大納言でも内府でも余り変わらない気も。
官位同格よりも、畿内西国のように毛利軍の圧力が届かないことが制御できない最大の要因だろう。
0168人間七七四年2017/11/05(日) 17:34:28.38ID:GbYdKiUE
伊達は上杉と和睦する気なし
0169人間七七四年2017/11/05(日) 22:03:38.28ID:gKOcTznW
>>168
とはいえさあ、120万石の上杉相手に50万石の伊達が突っ張り続けられるものかな?
伊達は南部家にちょっかいを出してしまい、必ずしも対上杉に全力を投じられる訳でもない。
0170人間七七四年2017/11/05(日) 22:27:46.18ID:RmemT758
堀,伊達,最上に,結城の残留組
四方に敵抱えてね
0171人間七七四年2017/11/05(日) 23:00:14.61ID:1k8KP4N6
前田、上杉、佐竹の連合が反徳川でまとまってたらまだしもな

プラス真田の籠城、西軍本体の東海道東上でようやく五分五分の勝負になるか

まあ前田が敵にいるような状況で徳川が奉行や他の大老と武力衝突までやると思えんがw
0172人間七七四年2017/11/06(月) 00:01:58.87ID:sP9DEEzm
>>171
と考えると前田が「徳川にキレたわ、豊臣家は味方してくれるよね?」の時に
縁戚の宇喜多が毛利石田巻き込んで反徳川連合を仕立てられりゃ何とかなったかもね。
肝心の宇喜多が他所様の心配している場合じゃなかったんだけど...
0173人間七七四年2017/11/06(月) 00:30:08.31ID:1h7M35uC
>>172
石田は越前に前田牽制の出兵してるんだよなぁ大谷と一緒に。
おまけに増田は火付け役。

前田側に立った、若しくは援護したのは浅野、細川、清正の
どっちかと言えば親徳川派だから救えないよな

で前田含めこいつら全部東軍になるんだから
0174人間七七四年2017/11/06(月) 02:01:13.67ID:cTgpQKfD
秀吉死後、三成は結局どういう存在になりたかったのかなあ
0175人間七七四年2017/11/06(月) 02:55:30.94ID:QIGNNTKB
本人が最終的にどこを目指していたかはわからないけど秀吉死後の動きを見ると
徳川と前田(と浅野)という目の上の瘤を取り除きたかったんだろう
0176人間七七四年2017/11/06(月) 05:29:51.37ID:BTBb4ILs
>>173
こういう流れがあるから、西軍に前田を加入させるIFも厳しいよね。
何しろ事は前田家存亡の危機だった上に、徳川に対抗出来る最大派閥を崩壊させたというとんでもない事態だ。
これでいきなり徳川倒す為に協力せい、なんて言われても「お前らは何を言ってるんだ」状態だろう、普通なら。
かなり西軍に甘いIFでも、奉行と大谷は全員隠居して、せめて関ヶ原が終わるまでは政治的に死亡させないと交渉も難しいだろう。
しかも交渉は彼らとは別の大名がやらんといかんから…宇喜多位しかいないな。
ちなみに毛利は駄目。総大将問題でどっちかがへそ曲げる未来しか見えん。宇喜多をクッションにしてうまくごまかすしかない。

でもこれやると、8月以降の美濃方面が非常事態になるんだよね。奉行、大谷、宇喜多が消える訳だし。
おまけに内府違いの条々そのものの効果が半減以下になっちゃう。奉行が逃げに入ったとみられるだろうから。
だからといって伏見陥落のタイミングを早めると、元々纏まりの弱い西軍の結束がさらにいい加減になる危険性もある。
0177人間七七四年2017/11/06(月) 06:58:44.01ID:8f5pQn2Q
伏見陥落のタイミングを早めるとかアホか
そこは早めようがないだろ
落とせないんだから
0178人間七七四年2017/11/06(月) 08:10:30.13ID:ViZ0Xm6q
奉行抜きで前田、毛利、上杉、宇喜多対家康かぁ、以外とそのほうがいい戦いになりそう。
諸大名への求心力も悪くないと思う。
0179人間七七四年2017/11/06(月) 08:37:23.10ID:8f5pQn2Q
前田は徳川に人質を取られ徳川秀忠の娘を貰ってるのに西軍になる?
アホかw
0180人間七七四年2017/11/06(月) 09:45:01.44ID:j5uTQ66H
前田vs徳川では上杉と毛利に前田に付き合う義理はないかと
0181人間七七四年2017/11/06(月) 11:15:42.20ID:5upN5y1o
>>172
実際に加賀征伐有ったら、普通に三成は呼応して挙兵してると思うけどね?
会津征伐と、基本的には同じパターンに成ったと思う。
但し、利長は親父みたいな度胸も景勝みたいな意地も無いんで読め無かったんでしょう。
多分、木の芽峠を越え越前に入った時点で反徳川の挙兵が起こる。
利家なら笑って迎え討ったんでしょうね。
0182人間七七四年2017/11/06(月) 11:18:19.30ID:5upN5y1o
>>180
其処をなんとかするのが三成の役目なんで。
それに、基本的に対等の大老に成った以上、武士の面子って物が有るんでね。
0183人間七七四年2017/11/06(月) 11:20:57.22ID:nsghg1KZ
>>180
そこはあるな
ただ秀吉、利家死亡後のタイミングでなら徳川一強の五大老体制は目に見えてるから、上杉が前田、宇喜多と組むには悪くない話かな

ただ毛利は豊臣恩顧も多い西国の中で領土拡張狙うと豊臣、前田、宇喜多と対立する。
テルならそこで家康と組んじゃう可能性が出てくる。

もしそうなれば豊臣は東西の大老を相手に攻勢、防戦をすることになる。
その時に利家なしの前田や遠い上杉の主導は考えられず、若年の宇喜多があれもこれもやれるか?という

奉行を中心に補佐すると福島、両加藤、黒田、細川は中立なり徳川、毛利よりの動きをする可能性も

そうなるとまた全国騒乱

結果的に見て三成を中心とする奉行クラスを始末できた関ヶ原
豊臣政権崩壊で関白豊臣家滅亡の流れは秀吉死去の時点でかなり確定的だったかも
もう少しイフを成立させる可能性があるとしたら何度も話題になっている秀次生存のシナリオがあり得る時点まで遡らないといけないのでは?
0184人間七七四年2017/11/06(月) 12:20:27.29ID:CPbsD4OW
>>181
上にも有るけど三成は石田家の手勢を
加賀征伐の先兵として
越前に送り込んでるけど、呼応できるの?
確か大谷も丹羽と一緒に先陣として突っ込む手筈だったと思うけど。

そもそも加賀から北国街道を南下すれば4、5日で帰還可能だし
そんな博打は打てないと思うがなぁ
0185人間七七四年2017/11/06(月) 17:28:53.75ID:gfZ2yWIU
加賀征伐だと上方が留守にならないから、史実とは全然別の展開になるな。
0186人間七七四年2017/11/06(月) 17:53:54.92ID:j5uTQ66H
>>182
豊臣政権を守る側の前田と、自国の勢力を拡大したい上杉と毛利をどう結びつけるのやら
0187人間七七四年2017/11/06(月) 19:07:02.87ID:g0rdLTaC
加賀征伐未遂の最中に大名間の間で「次は会津」って噂が流れてたらしいしな。
それでも尚、奉行衆は家康に全面協力して前田潰しを進めたんだから
奉行衆の目的は>>175言うの通り、「徳川と前田(と浅野)の排除」だろう。

実際、家康弾劾までは目論み通りトントン拍子で進んでる。
誤算は会津征伐組が瓦解せずに早期反転してきたことか
0188人間七七四年2017/11/06(月) 19:07:26.05ID:8f5pQn2Q
三成に人を説き伏せる力や交渉力があるなら
加藤清正や福島正則と険悪にならずに黒田長政らも加わり襲撃されることはないわな
人望がないから毛利に総大将を頼んだわけで
0189人間七七四年2017/11/06(月) 20:36:29.06ID:Kj/Qk6rD
その辺は自覚もあったろ、
0190人間七七四年2017/11/07(火) 09:53:06.67ID:bZjf+ili
関ヶ原前から小早川の裏切りを忠告されても裏切られてるからな
自覚というか分かっていても三成は説き伏せる力が無かったんだよなぁ
0191人間七七四年2017/11/07(火) 10:46:49.15ID:UsIUJZYm
三成は現場と話し合い協調して仕事をする人間ではなく
上の権威を振りかざして押さえつけるタイプの人間だからな
三成に威光を貸していた秀吉が死んだ時点でもう三成は詰んでいた
あの手この手で誤魔化そうとして最終的に破綻した場所が関ヶ原だったというだけ
0192人間七七四年2017/11/07(火) 12:21:43.85ID:9bI+iM0S
七将に追われて隠居、前奉行なのに出しゃばりすぎ
0193人間七七四年2017/11/07(火) 13:04:59.26ID:W/hK9bpG
安定の石田嫌い家康マンセー
0194人間七七四年2017/11/07(火) 13:33:32.96ID:bZjf+ili
発端はこれだろ
三成を過大評価しすぎてる

182:人間七七四年 2017/11/06(月) 11:18:19.30 ID:5upN5y1o
>>180
其処をなんとかするのが三成の役目なんで。
それに、基本的に対等の大老に成った以上、武士の面子って物が有るんでね。
0195人間七七四年2017/11/07(火) 14:10:18.26ID:QbJ6LgHP
前田は味方にならない、上杉は言うこときかない、
なら史実の西軍戦力でなんとかするしかないでしょう。

まず伊勢に大軍振り向ける必要があったのかどうかだけど。

秀元からの援軍要請があったにしても伊勢の東軍弱小戦力相手にそんなに必要か?
大軍投入で一気に短期で伊勢制圧、ならわからなくもないけど、
まぁ東軍先発隊の動向をまったく掴んでなかったんだろうなぁとは思うけど。
0196人間七七四年2017/11/07(火) 14:38:09.18ID:bZjf+ili
敵に籠城されると大軍で囲わないと兵糧や物資を補給されていつまでもグダグダになるからだろ
戦の基本だぞ
0197人間七七四年2017/11/07(火) 14:40:43.95ID:NRHpoNbo
伊勢は伊勢湾通じて兵力送り込める橋頭保であり、尾張で戦ってたら背後に大兵力出現なんて目も当てれんから、大兵力で速攻つぶすに越したことはない
0198人間七七四年2017/11/07(火) 15:00:12.29ID:bZjf+ili
海からの上陸を阻止するために海側を先に制圧するのは基本よな
0199人間七七四年2017/11/07(火) 15:40:08.61ID:/y50PSlY
あと伊勢を押さえれば防衛線を二方面から一方面に絞り戦力を集中できるのもある
0200人間七七四年2017/11/07(火) 16:27:34.07ID:K85mA6+j
東軍が伊勢渡海を企図した史料はある
0201人間七七四年2017/11/07(火) 16:58:36.28ID:QbJ6LgHP
あと伊勢を巡る論点としては、8月中旬に清洲に集結した東軍先発隊は、
攻撃が予想される伊勢の東軍諸城(要衝としては安濃津城)に援軍を送るという
選択肢もあったはずだが、実際には領主の帰城と船で伊勢に援軍を送るという予定のみで
(援軍兵はどこから抽出?東軍先発隊か家康本隊?)
結果としては伊勢の東軍諸将劫の立替状態。

木曽川渡河美濃侵攻を選択した理由はなにか。
早急に援軍を送る船を用意できそうもなかったからか、
戦果(手柄)のわかりにくい防衛戦よりも戦果確実な岐阜城や大垣城攻略を優先させたからか。
伊勢湾制海権ともリンクしてくるけど、
結果論的には東軍の伊勢への後詰の企図が薄いと見るなら早急に伊勢を制圧する必要はない、となる。
つまり必ずしも伊勢に大軍を投入する必要はなかったと。
0202人間七七四年2017/11/07(火) 17:08:18.78ID:NRHpoNbo
何言っとるかわからん
0203人間七七四年2017/11/07(火) 17:50:59.98ID:srBHlMw4
単純に中山道組と合流するためでしょ
0204人間七七四年2017/11/07(火) 18:26:13.69ID:bZjf+ili
この長文の奴は清洲城を秀信の6000の兵で落とせるとか
清洲城を謀略で落とすとか喚いてた人でしょ
基本的に長文書くけどゲーム脳だから言ってることに現実味がない
0205人間七七四年2017/11/07(火) 18:45:22.41ID:K85mA6+j
>>201
渡海時に襲われるリスクを嫌ったかと
0206人間七七四年2017/11/07(火) 19:25:56.49ID:zGQTJ4KO
西軍視点、美濃に大軍を送り込む必要性は薄いと思う。
何故なら美濃はすでに大垣と岐阜という重要拠点が西軍についているから。
伊勢はそういうラインがない以上、ライン構築の為に大軍を送り込むのはむしろ当然。
そもそも位置関係を考えれば、伊勢を放置する方がよほど危険だろう。
0207人間七七四年2017/11/07(火) 20:15:52.49ID:SP86hOY8
東軍に裏切り者が頻出したら勝てた
0208人間七七四年2017/11/07(火) 20:22:08.84ID:aYckY5R2
>>207
東軍、というより上杉征伐軍を崩壊させようと西軍が出したのが内府違いの条々なんじゃねーの。
失敗したけど。
0209人間七七四年2017/11/07(火) 20:54:27.07ID:uZjbk2dO
>>205
この当時(富田、分部渡海時)九鬼父が伊勢湾制海権持ってたっぽいけど
援軍の兵数にもよるけど、熱田か鳴海あたり?から伊勢の桑名あたりまでの渡海もしくは
木曽三川(木曽川長良川揖斐川)河口部付近の渡りに近いかんじで
そのリスクは大きいだろうか?
大きいならば東軍の伊勢への後詰可能性は低く、小さいならば東軍先発隊は伊勢の東軍諸将を
半ば見捨てたと言える。

>>206
「早急に」かどうかがポイント。伊勢制圧の必要性の有無ではないです。
というか根本的に西軍が、35000もの東軍先発隊が早期に尾張まで来るというのを
想定してないのが誤算というかだめなのですが、
それを想定できたと仮定(if)するなら、史実の美濃の戦力では足りません。
木曽川方面も東濃方面も東軍の活動を阻止できていません。
美濃に兵力をもっと送るべきです。
0210人間七七四年2017/11/07(火) 21:16:45.71ID:uZjbk2dO
>>199
地勢的に西軍が抑えておくべき場所は3か所。敦賀周辺、関ヶ原、桑名周辺。
この3か所を抑えておけば間道と海路を除けば東からは侵攻されない。
0211人間七七四年2017/11/07(火) 21:53:53.04ID:uZjbk2dO
情勢的に東軍は尾張に戦力を集中してるのに対し、西軍は伊勢と美濃に戦力を分散している。
(しかも美濃(尾張含む)では大垣・岐阜・犬山にさらに分散)。
不利な状況で戦う合理性はないわけで、東軍が戦力集中するならこちらも集中する、
もしくは敵戦力を分散させる、しかるのちに有利か互角の状況下で戦うべきでしょう。

東軍が伊勢に援軍送るなら敵戦力分散という観点から西軍はむしろそれを歓迎すべきです。
0212人間七七四年2017/11/07(火) 22:05:37.12ID:f/d1phQq
>>209
ああ、諜報力が上昇してるってIFなのか。それでもあまり変わらないかな。
最悪でも岐阜と大垣のラインが健在なままなら別にかまわないし。
美濃はそのラインさえ健在なら相当粘れるから。
それに美濃の兵を増やすにしても、伊勢方面から兵を割くのは正直おすすめしない。
伊勢と美濃は対東軍を考えると、どっちかを重視ではなく、どっちも重視すべき拠点と認識してるから。

ま、正直毛利が西国に派遣してた兵を美濃に送るのが一番効率的なんだけど、
それ輝元が承知するとはとても思えんのよね。
0213人間七七四年2017/11/07(火) 22:43:17.09ID:K85mA6+j
>>209
家康が上洛した時に熱田から九鬼の軍船が確認できたという話があるので、
東海道大名が主力を投じないと伊勢湾の制海権確保は難しいかと
0214人間七七四年2017/11/07(火) 22:47:56.99ID:kqZXptrJ
彼我の兵力差を埋める術は無く、戦略的劣勢は最早不可避
斯くなる上は西軍諸将の粉骨砕身たる奮戦を期待する
0215人間七七四年2017/11/07(火) 22:53:54.40ID:uZjbk2dO
>>212
史実の戦力で大垣、岐阜、犬山、籠城するだけなら足りる兵力だと思う。
だけど敵襲来城に後詰を送ろうと思っても送れる余力が各城にない。
地図見ればわかるんだけど、清洲から岐阜と清洲から大垣は渡る川の本数が違うけど
距離的にはそう変わらない。
どちらかに敵が来てもわずかな守備兵残して後詰に出るというのはかなりのリスクを伴う。
犬山への襲来に至っては後詰に行っても木曽川挟んで伊木山か鵜沼あたりで対峙になると思う。

あなたの言うように毛利元康らの戦略予備は輝元は前線には動かさないと思う。
北陸はぎりぎりの戦力だし、
ならば消去法で行くと伊勢方面から削るか、瀬田守備隊転用するか、
備口人数にある伊賀守備隊(新庄らかな?)転用するしかないかなと。
0216人間七七四年2017/11/07(火) 23:37:13.33ID:bZjf+ili
ただ単に織田秀信が岐阜城で籠城して伏見城みたいに時間稼ぎすれば良かっただけ
あいつが少数で野戦して大敗して岐阜城を早期陥落させた無能だったのが原因
0217人間七七四年2017/11/07(火) 23:46:24.34ID:DnXGIepC
東軍の先発隊は家康の指示(と後援)を待ってる状態なんだから独自に作戦行動を取ろうとは思わないでしょ
他を差し置いて独自行動できるほど突出した地位の人物もいないことだし
そして西軍の動き自体は緩慢でもなんでもないと思う
七月中は内府違ひの条々の効果を待ちつつ自動的に敵対せざるを得ない伏見と細川家の対処
八月上旬は近場の敵対勢力の掃討をしつつ味方になった真田と恩賞の話してるからいたって普通の流れ
会津征伐軍が瓦解しないという情報は挙兵前じゃないと間に合わないくらいだし
なら挙兵しないほうが良いレベル
0218人間七七四年2017/11/07(火) 23:47:09.27ID:+ERYGkN0
ぶっちゃけ三成だからまけた
0219人間七七四年2017/11/08(水) 01:29:48.59ID:5W0zJNwj
>>217
むしろ何の相談もせずに三成が勝手に蜂起したら
福島たちが喜び勇んで会津征伐軍から戻って味方してくれると思っている三成の頭がおかしいだろ
会津征伐軍が瓦解しないことなんて常識で考えれば誰でもわかること
どうせ秀吉の威光で威張り散らし続けたのを三成は自分の権威だと勘違いしていたんだろう
0220人間七七四年2017/11/08(水) 02:19:30.94ID:nEgYPF6F
三成「反徳川で挙兵したで。味方もぎょーさんおるで!」
上杉「マ?なら佐竹・伊達・最上・相馬の入魂仲間と一緒に関東討ち入りしたるわw」
三成・上杉((言うても先ずは足場固めやな。それだけ優勢ならあっちが徳川の足止めしてくれるやろ))
伝令「岐阜城陥落ゥ!」
三成上杉「「ファッ!?」」
0221人間七七四年2017/11/08(水) 07:54:19.57ID:iNvncxAB
上杉と三成は連絡とれてないんじゃないの?
0222人間七七四年2017/11/08(水) 08:04:15.04ID:Xy0RDA+1
石田→佐竹に「会津からの報告も度々届いてる」って報告してるけどな
真田経由かも知れんが
0223人間七七四年2017/11/08(水) 08:24:38.90ID:std27w/w
上杉はどのみち長谷堂城の戦いで二週間以上かかり
関ヶ原敗北の報を聞いて一目散に退却し家康に降伏しに来るから
保身を最優先する何の役にも立たない勢力
0224人間七七四年2017/11/08(水) 08:58:12.79ID:/iLjMZrN
景勝も八月の終わりごろに家康が上洛したら佐竹と相談して江戸を攻めますという事は言ってるようだけど
先に最上と伊達が敵対してきて邪魔なんでそいつら何とかしてからねという話だから
伊達最上を何とかしないと動くに動けない
0225人間七七四年2017/11/08(水) 10:38:45.04ID:Ojju3vCA
こういうのは調子のいいこと言うのが常で、どこまで本心なのか分からんがな
0226人間七七四年2017/11/08(水) 11:14:26.63ID:/iLjMZrN
史実では景勝が最上攻めに出たのは家康が江戸から出陣したのを確認してからなので
家康が江戸を出ないことには最上伊達の対処は出来ず
対処が終わらないことには江戸には攻めこむつもりはないってことだから
上杉の働きを期待するにはどう考えても時間足らないね
0227人間七七四年2017/11/08(水) 11:24:33.58ID:cy+aROee
>>216
岐阜城は井戸がなく曲輪も狭いので篭城に不向き
それは道三の時代から言われていたことで斉藤家の時代から防衛戦は木曽川にしている
織田秀信はそれを理解していたので野戦に出るのは戦術的に間違いではないが、あまりにも兵力が足りなかった
元城主の池田輝政がいる東軍も岐阜城の弱点が分かっているから一直線に岐阜城攻めに向かっている

ただ前提として織田秀信は元々東軍に着く予定だったことも考えると石田三成にとっても敵地に張り出した岐阜城防衛は厄介だったと思う
実際、後詰しなかったのは三成の合理的判断だろうけど軍事司令官としては失格
0228人間七七四年2017/11/08(水) 12:05:07.55ID:Ojju3vCA
考えれば考えるほど、濃尾が主戦場である限り尾張を制圧しなければ勝ち目はないように思えてくる
でもスケジュール的にとても無理そう
戦線を後退させても岐阜城見殺しは変わらないし、もうこれ詰んでるよね
0229人間七七四年2017/11/08(水) 12:37:19.71ID:wIqpSQ4E
岐阜城籠城させ後詰決戦で東軍先鋒軍を撃破、
後退する東軍先鋒軍を追って東海道筋を攻めて出てきた家康軍を撃破、
取って返してきた秀忠軍と合流した家康軍と関東口で最終決戦
関東包囲戦で徳川降伏

上手い事各個撃破してくしかないが問題は岐阜城後詰決戦の時点で東軍先鋒軍に負けそうなこと
0230人間七七四年2017/11/08(水) 12:43:16.64ID:std27w/w
>>227
ほとんどの山城は元々水源に乏しく湧水や池を作ったり甕を用意してるのが普通だ
稲葉山城時代以前から水や兵糧攻めで落ちた痕跡は無く
何回も攻めて撃退された織田信長が喉から手が出るくらい欲しくて岐阜城を建てたんだけどな
野戦開戦から二日で落城なんて無能のすることだ
何回も言うけどな
0231人間七七四年2017/11/08(水) 12:57:54.98ID:fYmWMyFu
岐阜城は各峰に曲輪が分散して相互支援できずに各個撃破されてお終い
万単位の敵に耐えられる城ではない
0232人間七七四年2017/11/08(水) 12:57:57.97ID:/iLjMZrN
家康の使者の村越茂助が到着してから岐阜城攻略開始まで二日の時差があるけど
西軍は東軍出撃の情報すらつかめなかったのかな
事前に知っておけば後詰が間に合わないなんて事もないだろうに
0233人間七七四年2017/11/08(水) 13:09:51.25ID:TnPg7P/3
史実戦力での岐阜城後詰決戦検証するの?
ならまず史実で大垣籠城してた福原長尭、熊谷直盛、垣見一直、
木村由信、木村豊統、相良頼房、秋月種長、高橋元種、
かき集めて兵約7000、この諸将がいつぐらいに大垣入城したかで後詰決戦に
間に合うかどうか変わってくる。
この諸将がいつ大垣入城したのかがよくわからん。だれかご存知ですか?

面子的には瀬田守備隊が主力っぽいので、石田の援軍要請に応えて
8月下旬〜9月上旬あたりに大垣入城したっぽいが…。

ちなみに8月5日時点での備口人数にある瀬田守備隊
太田一成、垣見一直、熊谷直盛、秋月種長、
相良頼房、高橋元種、竹中重利、木村清久ら
0234人間七七四年2017/11/08(水) 13:12:34.85ID:std27w/w
>>231
アホだな
木曽川に土類や柵を築いてたけど一ヶ所でも突破されると退却せざるを得なくなり無駄になる
岐阜城も退却しやすいように何も準備もしてない
普通の城のままだからそのまま乗り込まれて落城した

籠城は侵入路を塞いだり木曽川に築いてた作業分を全部集約できるから持つんだよ
大津城でさえ焼き払って通路を塞いだから籠城に不向きでもあれだけ持ったんだからな
所謂立て籠りと一緒だ
例えばお前んちでもそのままだとガラスとか割られて一斉に敵に侵入されるからベニヤ板や家具で全部塞いだりするだろ?
そういう準備も含めて籠城だ
0235人間七七四年2017/11/08(水) 13:33:17.11ID:wIqpSQ4E
>>232
出撃情報だけじゃ目標が岐阜か大垣かはたまた両方か他(犬山長島)か分からんから後詰しようもないんじゃね
首脳陣にスパイでもいれば別だけど
0236人間七七四年2017/11/08(水) 13:39:15.68ID:std27w/w
>>232
籠城して敵を疲弊させてから援軍なり奇襲部隊で叩くってのは定石だけどな
むしろ籠城せずに二日で落ちるなんて三成どころか西軍も想定外だったろ
0237人間七七四年2017/11/08(水) 13:44:38.57ID:std27w/w
少数で劣勢だった所から敵の大軍を打ち破る戦いは大体
籠城で敵の主力部隊を引き付けたり、疲弊させて士気が落ちた所を急襲してる

むしろ血気盛んで士気が落ちてない敵の大軍に少数で増援に行っても多勢に無勢で返り討ちに逢うだけだ
0238人間七七四年2017/11/08(水) 13:56:06.63ID:/iLjMZrN
>>237
大垣城に入った三成と小西行長、それに岐阜城の秀信の兵力合わせれば一万五千位にはなるから
とりあえずこの兵力で東軍の侵攻を防ぎつつなんとか時間を稼いで
伊勢方面から移動中の宇喜多(史実では8/27には大垣入り)あたりを回せばなんとかならないかな
宇喜多まで加われば兵力的にもある程度バランスが取れるのでは
0239人間七七四年2017/11/08(水) 14:46:17.75ID:wIqpSQ4E
長島付近にいる宇喜多は北上させればすぐ合流できるはず。あとの面子は岐阜城の耐え具合によるな
0240人間七七四年2017/11/08(水) 14:57:47.43ID:TnPg7P/3
>>239
いや、宇喜多秀家が大坂出陣して京都通過したのが8月15日。
草津経由桑名→長島→大垣で8月27日。
0241人間七七四年2017/11/08(水) 15:15:07.29ID:TnPg7P/3
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、松平忠吉ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。
0242人間七七四年2017/11/08(水) 15:18:11.08ID:TnPg7P/3
>>241の兵数が35000をはるかに上回ってるのは福島覚書参照なんで多少の誇張はあると思われ。
なので多少割り引いて見てもらえれば。
0243人間七七四年2017/11/08(水) 15:52:46.15ID:fSrUuDOy
>>230
逆。
水源のある山が築城の候補となる
その中でも独立峰は最も山城に適しているが、独立峰かつ水源のある山は限られるので連峰が第二の候補となる
そういった過程でできたのが切岸とか堀切

ちなみに信長は稲葉山城下への侵入は一度だけ
その一度だけで稲葉山城を落とした
あとはすべて木曽川流域や濃尾平野で撃退されている
0244人間七七四年2017/11/08(水) 16:02:34.81ID:std27w/w
>>243
稲葉山城も岐阜城も水源は湧水が湧いていて水が全くない状態ではないから建ったんだよ
だから山城は湧水を溜める池や甕が複数用意されていた
湧水さえ全く湧かない所には城は立てない

信長が落としたのは美濃衆調略で落としただけで水や兵糧攻めの力押しで落としてはないけどな
0245人間七七四年2017/11/08(水) 16:10:28.09ID:ABT6SKUf
プラン通り岐阜城で最初から持久するにしても、
東美濃からみるみる切り崩されている有様では
西軍主力が到着するまで持ち堪えられるか疑わしい
0246人間七七四年2017/11/08(水) 16:44:11.38ID:T3D0whfy
秀吉が遺言で加藤と福島は畿内の門番とし遠征禁止の役職と領地を与えていれば逆利用されなかった
0247人間七七四年2017/11/08(水) 16:44:16.39ID:fYmWMyFu
>>234
それ以前に間取り段階で失格という話
0248人間七七四年2017/11/08(水) 16:50:08.34ID:z+2vAJN4
史実で岐阜城後詰めしなかったのはなんで?
0249人間七七四年2017/11/08(水) 17:03:15.81ID:wIqpSQ4E
1日で落ちたら後詰めしようもないよね
0250人間七七四年2017/11/08(水) 17:04:48.85ID:fYmWMyFu
実際には三成と島津が後詰しようとしたが、黒田・藤堂にコテンパにされた
0251人間七七四年2017/11/08(水) 17:41:16.59ID:std27w/w
少数の後詰めじゃ城に入れなければ少数で無謀な野戦する羽目になるだけだしな
しかも攻め手になるわけだから不利にしかならない
0252人間七七四年2017/11/08(水) 17:44:00.02ID:std27w/w
>>247
秀信みたいに少数で野戦開始して二日で壊滅&落城なんてこれ以上無能で無様なことは無いけどなw
0253人間七七四年2017/11/08(水) 18:57:18.35ID:JK20KifZ
>>252
少数で岐阜城に篭った方が絶望的かつ無策でしょ
岐阜城篭城は最悪の選択肢だと双方分かってるわけだし
少なくとも寡兵で木曽川の渡しを押さえて、福島正則の部隊を遠回りさせたのは評価できる
結果的にこの戦い振りが東軍諸将に評価されて織田家臣団は再就職先に困らなかったしね
0254人間七七四年2017/11/08(水) 18:59:59.79ID:QBG7aiN4
>>249
竹ヶ鼻城と米野の戦いはその前日で
秀信方壊滅は明らかだけど後詰めしてないよね
0255人間七七四年2017/11/08(水) 19:00:20.24ID:k8BAjSNN
西軍に諸葛孔明がいれば勝てた
0256人間七七四年2017/11/08(水) 19:00:46.77ID:7UpFJuBb
五事
道 家康は内大臣であり帝に晒布100反を下賜されて出陣した官軍であり唯一の武家大臣だった
天 家康は秀吉の死を待って動き天の時を得ていた。三成は大義にしていた秀頼が幼少であり天の時を得ていない
地 三成は大阪城を遠く離れて地の利を捨てた
将 家康は武断派を率いており将を得ている
法 家康は小山評定で軍制をしっかりおこなった

七計
君主はどちらが立派な政治を行っているか 徳川のほうが立派
将帥はどちらが有能か 徳川のほうが有能
天の時と地の利はどちらが有利か 徳川は天の時を得ており、三成は地の利を捨てた
法令はどちらが徹底しているか 徳川のほうが徹底
軍隊はどちらが精強か 徳川のほうが精強
兵卒はどちらが訓練されているか 徳川のほうが訓練されている


孫子で検討するならどう考えても東軍の勝ち
0257人間七七四年2017/11/08(水) 19:06:45.81ID:std27w/w
>>253
>部隊を遠回りさせたのは評価できる
>織田家臣団は再就職先に困らなかったしね

スレタイには全く関係ないけどなw
むしろ籠城で時間稼ぎしなかったから西軍が負けた
西軍も伏見城での籠城で時間稼ぎされたから後手になり
上杉も長谷堂城の籠城で時間稼ぎされたから結局は何も出来ずに家康に降伏
それどころか最上に反撃に逢い切り取り次第で領土を奪われるという
0258人間七七四年2017/11/08(水) 19:22:16.93ID:std27w/w
>>255
諸葛亮は外交・内政は凄いけど軍事、人材育成はさっぱりだから…
0259人間七七四年2017/11/08(水) 21:01:41.31ID:AQH9AFdj
攻め手に元城主の池田輝政がいる時点で岐阜城は詰んでるでしょ
木曽川を防衛ラインとして数カ所ある渡しを押さえるか
大垣まで退却させるしかない
0260人間七七四年2017/11/08(水) 21:15:05.00ID:PHY4ykEo
>>219
いやー、崩壊すると思ってたんじゃないかな、西軍首脳部は。
豊臣御為を掲げれば、諸将が敵に回る訳がないって思ってたと思うよ。
大体、内府違いの条々自体が諸将への決起を促す檄文に近いもんだろうし
西軍首脳部からすれば、西軍参加者を一気に増大させた上に家康を孤立化させる
妙手というか、切り札的なシロモノだったんじゃないかな。

実際、家康には結構ダメージがあったんじゃないだろうか。
小山会議(あったとします)で家康が「離脱したいならして構わん」って言ったのも、
あれ半分本音というか捨て鉢的な意識もあったんじゃなかろうか。もうどうにもならんみたいな感覚。
ところがほとんどが家康に協力するってなったんで逆に驚いたんじゃないかな。まあほぼ推測だけど。
0261人間七七四年2017/11/08(水) 21:25:19.77ID:std27w/w
>>259
アホかw
その理論だと池田輝政は大垣城城主にもなったことあるからダメになるだろw
籠城は敵に使われそうな施設を焼き払い
瓦礫で通路塞いだり城内の改造して侵入路を徹底的に塞いだり
真田丸みたいに鉄砲が射撃しやすいようにするから勝手が違うようになるから耐えられるんだよ
0262人間七七四年2017/11/08(水) 21:32:22.99ID:std27w/w
>>259
>木曽川を防衛ラインとして数カ所ある渡しを押さえるか

これをやった結果が
野戦開始から二日で壊滅&落城なんてこれ以上無能で無様なことになったんだろw
史実の結果から目をそらすなw
0263人間七七四年2017/11/08(水) 21:33:17.66ID:fYmWMyFu
籠城したら即日落城かもねw
0264人間七七四年2017/11/08(水) 21:38:03.12ID:std27w/w
木曽川で土累や柵を築いた作業分を全部岐阜城回りにつぎ込むんだから落ちるわけないだろ
それを理解できない無知なアホが籠城は門を閉めるだけと思って間取りガーとか喚いてて笑えるw
0265人間七七四年2017/11/08(水) 21:43:33.65ID:wz8+9Z6I
>>260
光成氏も西軍蜂起〜岐阜陥落の間に家康が弱腰で講和を請うていたと推測しているね
0266人間七七四年2017/11/08(水) 21:50:17.26ID:fYmWMyFu
>>264
そういう施設を木曽川に築いた、または岐阜城に築かなかったことを
示す史料は無い
0267人間七七四年2017/11/08(水) 21:56:44.51ID:std27w/w
>>266
土累や柵を築くのが当たり前の時代に防衛側が何もせずに寝て待ってたと思ってるのかw
本当にお前無知なんだなw
0268人間七七四年2017/11/08(水) 22:05:19.51ID:AQH9AFdj
>>261
池田輝政は本丸までの最短経路を知っていて一番乗りを果たしている事実は無視か
0269人間七七四年2017/11/08(水) 22:09:10.75ID:AQH9AFdj
>>262
岐阜城に篭城こそ史実から目を逸らした行為だな
斉藤家が美濃を防衛した方法を知っていたからこそ木曽川での防衛という定石を踏襲したんでしょ
織田秀信には援軍もなく明らかに兵力が足りないけどな
0270人間七七四年2017/11/08(水) 22:10:20.29ID:fYmWMyFu
>>267
木曽川に双方が何時頃到着して、そういう普請を行う時間的余裕が
あったとする根拠になる史料は?
0271人間七七四年2017/11/08(水) 22:24:32.30ID:std27w/w
>>268
そりゃ籠城での城内改造を全くしてないんだからすぐ乗り込まれるわなw

普通の城のままの状態だからなw

>>269
そりゃ犬山城勢は籠城の体制に入ってるのに野戦したアホが織田秀信だからだろ
普通なら犬山城や大垣城と連携とるのが定石なのにみんな行動がバラバラ
三成も二日で秀信軍が壊滅&落城すると思わなかったろう
大垣城や犬山城と連携も取らずに単独で野戦した無能なのが織田秀信
0272人間七七四年2017/11/08(水) 22:28:34.35ID:std27w/w
>>270
秀信はどこかに攻めていたのか?
西軍に表明してからどこで迎撃するか考えずにずっと寝てたのか?w
0273人間七七四年2017/11/08(水) 22:37:46.68ID:PHY4ykEo
>>272
東軍の連中がそんなに早く攻めてくるなんて思わなかったんだろ。
ひょっとしたら敵が来る事自体想定してなかったんじゃないの。
何しろ西軍首脳部からして、福島も味方に出来ると勘違いして
呑気に清州城と開城要求の交渉してたんだから。
秀信がほぼ初陣に近い事も合わせて考えたらなんの備えもしてなかった可能性すらあるよ。
0274人間七七四年2017/11/08(水) 22:46:13.35ID:fYmWMyFu
>>272
渡河点は多数あるので、事前に野戦築城は荒唐無稽
0275人間七七四年2017/11/08(水) 22:57:59.28ID:std27w/w
>>273
何の準備もしてない無能なら無能と言うのは覆らんし
秀信自身は大垣城なりに人質みたいに送り優秀な配下に籠城させるしかない

>>274
www
鉄砲がある時代にそれ防衛ラインとして機能してなく崩壊してるだろw
意味分かって言ってんのか?
相手も鉄砲撃ってくるのに遮るものがない河原で棒立ちして待ち構えてるのか?w
0276人間七七四年2017/11/08(水) 23:01:33.24ID:5W0zJNwj
>>260
豊臣御為を掲げるならよほど古参の重鎮がやらないと効果がないよ
クビになった中堅官僚と外様大名がやったところで逆効果の挑発行為にしかならない
三成は秀吉に重用されたことで自分が豊臣代表だと思い上がっていたのは間違いない
0277人間七七四年2017/11/08(水) 23:17:53.06ID:Iu7yXo9b
>>276
いや、長束や増田といった現役の奉行が作成してるからな、あれ。
それに、奉行は政権の実務を担当してたんだから『自分たちが政権を運営してるんだ!』
って考えてたんじゃないの。
だから自分たちこそが豊臣御為を主張出来るって考え。
0278人間七七四年2017/11/08(水) 23:28:59.13ID:std27w/w
五奉行が豊臣の実権を握ろうと前田や徳川を排除しようとしただけだよな
結局のところ小細工をしまくって墓穴を掘っただけ
0279人間七七四年2017/11/09(木) 00:12:12.39ID:ino/l0zK
とりあえず論点としては防御施設としての岐阜城の機能と
防衛ラインとしての木曽川の効能かな。

まず岐阜城について。井戸がなくて籠城には不向きで各曲輪も独立しており規模も小さいと。
まぁ確かに急な籠城はできないだろうし相互支援できないような曲輪配置では「落城しない」
という目的は果たせないだろうね。
ただ、水や兵粮については籠城見込みなら予め汲んできて甕にでも溜めておけばいいだけで、
せいぜい1か月分の水なら溜めておけるでしょ、準備してればだけど。
曲輪配置や規模が悪いのはもう根本的にどうしようもない問題で、「落城しない籠城」ではなく
「敵に出血を強いるための籠城」と割り切るしかないと思う。
防御には有利な施設ではあるのだから。
それでも6000で籠もれば2〜3日は持ちこたえるようには思うが。
後詰前提なら岐阜城籠城はありだと思う。(ただし史実のような2000〜3000の後詰では意味がない)

とにかく落ちない籠城がしたいなら大垣か犬山に合流すべき。
もしくは早期に小牧山占拠して拠点化する。

防衛ラインとして木曽川を使うというのは兵力優勢側なら各渡河点に迎撃隊を配置、
渡河を阻止するというのはありだと思う。
しかし兵力劣勢側がこれをやってしまうとただでさえ少ない戦力をさらに分散させる自殺行為。
渡河は阻止できない、戦力は各個撃破されると最悪のパターン。
博打でどこか1か所だけに集中配備、はありだけど、博打外れると楽に渡河され
ただの兵数不利な野戦迎撃になってしまう。
従って兵力劣勢側の西軍が取る戦術ではないと思う。

秀信は桶狭間の再現がしたかったんだろうけど、やるなら東濃の丘陵地帯を進軍してくるであろう
秀忠隊に対してやればよかったと思う。
あの辺りなら行軍中を奇襲できるような地形は多いと思う。
0280人間七七四年2017/11/09(木) 00:41:25.06ID:ZZ7yvUJC
>>279
桶狭間の戦いは籠城で今川主力部隊を前線に引き付けてから
手薄になった今川本隊を急襲したんだけど

岐阜城の戦いは囮も別動隊も何も無く河を渡る敵を無策でガチンコで迎撃しただけだぞ?
0281人間七七四年2017/11/09(木) 01:36:50.06ID:ZZ7yvUJC
寡兵で大軍を破ったとされる桶狭間の他に日本三大奇襲と言われる
河越城の戦い、厳島の戦いも籠城で敵軍を前線に引き付ける、または敵を疲弊させてから奇襲だからな

他に桶狭間のように少数で大軍の敵大将を討ち取った沖田畷の戦いは湿地帯に敵を誘引してから
伏兵で一斉に攻撃し総大将を撃ち取ったけど
岐阜城の戦いの渡河防衛は視界を遮るものも伏兵ポイントも無く
龍造寺のような討ち取れば勝ちという総大将もいない
ましてや鉄砲や大筒が導入されてる時代に遮るものがない河原で渡河防衛なんて時代遅れすぎるわ
0282人間七七四年2017/11/09(木) 02:54:57.88ID:Mwgt9tyQ
>>281
渡河防衛はどの時代でも有効だぞ。
木曽川の川幅は当時の鉄砲や大砲では対岸から狙える距離ではない。

秀信の失敗はタダでさえ劣勢な戦力を分散したことだろうな。
想定渡河ポイントにそれぞれに柵を築くよりも
相手が実際に渡河を試みるポイントに機動的に戦力を
集中させるべきだった。
0283人間七七四年2017/11/09(木) 04:44:09.55ID:ZZ7yvUJC
>>282
>想定渡河ポイントにそれぞれに柵を築くよりも
>相手が実際に渡河を試みるポイントに機動的に戦力を
>集中させるべきだった。

あのな、福島隊と池田隊に別部隊で別れて
同時に渡河する作戦でどっちかに部隊を集中したらどっちかは普通に渡って突破されるだけだろ?
もうちょっと歴史を勉強しろw
0284人間七七四年2017/11/09(木) 05:53:43.38ID:P6dVJcF8
豊臣家を守るために家康暗殺とか。
五大老の中で大きな力を持っていたし、かなりの脅威。
0285人間七七四年2017/11/09(木) 07:10:13.83ID:RctdpspP
>>258
そうだな
司馬懿がいれば勝てたな
0286人間七七四年2017/11/09(木) 07:44:33.42ID:mDVgHk5F
>>275
野戦では鉄炮は1・2発しか撃てず、その後は直ぐに白兵戦という論文がある
0287人間七七四年2017/11/09(木) 08:39:26.54ID:ino/l0zK
>>286
平地での野戦ならそうかもしれないけど、渡河という敵が著しく機動性が落ちる場面に対しての使用なら
阻止火力として弓・鉄砲はそれなりに発揮するんじゃないかな?
木曽川の渡河点の浅瀬がどの程度の深さかわからないけど、
膝から腰あたりまで浸かる深さなんじゃないかな?
いくらなんでも足首レベルの浅瀬のある川じゃない。
0288人間七七四年2017/11/09(木) 09:17:28.15ID:wJfjOtJu
しかし織田秀信も哀れな男だ
豊臣秀吉に織田家伝来の領地を奪われ、その領地を取り戻したくて三成の約束で西軍に参加して
尾張領主の福島正則に攻め滅ぼされる。哀れな織田家哀れな秀信
0289人間七七四年2017/11/09(木) 09:45:36.92ID:Y5rjaGJg
本当に哀れなのは関ヶ原後だけどな。高野山で信長に焼き討ちされた連中からいじめを受けいたたまれずに逃げ出すも親族からも旧家臣からも
援助はなく実質野垂れ死に。信長嫡孫が、だよ。
0290人間七七四年2017/11/09(木) 10:20:24.50ID:Mwgt9tyQ
>>283
木曽川対岸から鉄砲で攻撃できると思っている人に歴史を勉強しろって言われてもねぇ
木曽川の川幅や水量を見たことあるのか? 趣旨は一般論としての渡河迎撃の是非。
河川は江戸幕府の構想でも重要な防衛ラインと想定されている。尾張藩の防衛ラインは
木曽川と庄内川だよ。清州から名古屋に城を移した理由の一つだ。

大坂の陣でも淀川と平野川が天然の堀の役割を果たしたでしょ。

秀信の部隊分割は、池田と福島の同時対処のためではない。
布陣地は河田(現笠松町)新加納(現各務原市)川手(現岐阜市)と
最初から秀信の部隊は池田勢にしか対処していない。
新加納は合戦のあった河田から5km離れた木曽川沿い。
川手は木曽川北部を流れる支流の境川沿い。これらに兵力を3分割している。
河田、新加納が突破されたら川手で食い止めるつもりだったのだろうが、
河田が敗れた時点で川手の防衛線で食い止められるような兵力比ではなくなっている。

結論的には池田勢を叩いても福島勢が突破したわけだが、福島勢は竹ヶ鼻城攻撃で
一日遅れることになるから、最低一日は稼げたわけだ。出鼻を挫いて籠城するのと
ただ引き籠るのとはその後の士気が違う。
0291人間七七四年2017/11/09(木) 10:39:39.20ID:wJfjOtJu
>>289
そりゃいたし方ないだろ
家康は内大臣で政権を動かしている政府の人間だ。
現代で言うなら内閣総理大臣。
上杉征伐にあたっても後陽成天皇から晒布100反、前政権の豊臣からも黄金2万米2万の支援を受けた官軍だった
それに反乱をおこしたのが三成で協力したのが織田秀信
織田家を横領した豊臣に手を貸して滅んだのだから哀れとしかいいようがない
0292人間七七四年2017/11/09(木) 11:17:10.23ID:ZZ7yvUJC
>>290
アホだなお前
池田輝政は雨天で増水でもしていなければ木曽川で中洲があり比較的浅く渡りやすい場所を知ってたからあの場所を選んだわけで
対岸から届かない?
中洲がある河田渡戦の場所に行ったことないんだなw

福島正則隊渡河ポイントは厳重に防備されてて被害が甚大になりそうだから別の場所に移動したんだよアホ
何にも知らないんだな


>ただ引き籠るのとはその後の士気が違う。

敗走したら士気が落ちまくって命惜しさに散り散りになり、どさくさに紛れて兵糧や鉄砲持ち逃げされる上に
後方は撤退しやすいように土累や柵や瓦礫で城を埋めてない状況だったから一日で落城したわけだよなw
0293人間七七四年2017/11/09(木) 11:25:37.72ID:ZZ7yvUJC
>>286
河の深さがある場合は機動力が落ちるし遮るものがないから射撃したほうが良い
ただ池田輝政が渡河した場所は比較的浅く中洲もあり突破されやすい
はっきり言って少数で防衛は無理
0294人間七七四年2017/11/09(木) 12:08:34.32ID:Mwgt9tyQ
>>292
まずは罵倒して威嚇するチンピラみたいな物言い辞めてくんないかな。

中州なんぞ知ってるよ。中州ににおける鉄砲って何丁よ。
迎撃側よりたくさんの鉄砲が置けるの?
中州から岸までの距離は今でも50mはあるぞ
迎撃側は中州の人数よりも多くの鉄砲を揃えれば圧倒できるし、
そもそも中州からの射程圏内にラインを張る必要はない。
中州から岸の中間に射程を合わせて陣を置けばいい。

渡河は横列で何人で渡れるんだ?
渡河迎撃戦の有利な点は戦闘正面を絞れること。
岐阜城付近に柵や土塁を築いたって正面は絞れない。

自分でも「甚大な被害が出る」って言ってるやん。
河田は3000だから圧力で負けたんよ。

河田の柵も一日で突破されたんだろ。
なんで岐阜城下の柵だと何日ももつんだ?

だいたい岐阜城は搦手からの攻撃で陥落している。
大手側に柵を追加することはできても、搦手側まで囲う余裕があったのか
0295人間七七四年2017/11/09(木) 12:20:18.96ID:ZZ7yvUJC
>>294
あの周辺結構中洲が広くて比較的浅いのは知ってるか?
中洲があるってことはその周辺も浅いんだよ


>渡河は横列で何人で渡れるんだ?

何人とか言ってる時点でさっき写真か何かで確認したのモロバレですよw
0296人間七七四年2017/11/09(木) 12:29:58.10ID:ZZ7yvUJC
>>294
>渡河迎撃戦の有利な点は戦闘正面を絞れること。
>岐阜城付近に柵や土塁を築いたって正面は絞れない。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Gifujyou11.jpg

細かい通路という通路を瓦礫などで塞いで敵の侵入路を数ヵ所に絞り
鉄砲で正面から待ち伏せできるのにか?w
山城ってことをもう忘れてるのか?w

渡河防衛は何ヵ所もあり広範囲な防衛ラインで一ヶ所でも突破されたら放棄して撤退しなければならないと違うけどな
0297人間七七四年2017/11/09(木) 12:40:28.85ID:Mwgt9tyQ
岐阜城は急峻すぎて曲輪が小さく駐留兵力が少ない上に距離が離れていて
相互支援できない。大兵力で一気に攻められると脆い城だと評価されているな。
城攻め側は通路からしか攻めてこないわけではない。

山城への総攻撃は斜面からも敵が迫る。じゃあ岐阜城搦手側に斜面や稜線を防御する
堀切や竪堀があったかというとそういうものの発掘例は聞かないな。
0298人間七七四年2017/11/09(木) 12:49:48.73ID:ZZ7yvUJC
>>297
中洲がある比較的浅い河でも兵士たちは全く渡ることができないが
崖や斜面はスイスイ昇ってくると申すかw

登る兵を鉄砲で射撃されたり敵兵が登れる崖上や斜面には味方の兵士は配備できなくて誰もいないお前のご都合状態ってことかw
0299人間七七四年2017/11/09(木) 13:00:44.86ID:ZZ7yvUJC
>>297
何回も言うけどさ
籠城する場合は侵入できそうな場所を瓦礫なりで埋めたり改造するわけよ
広い通路には柵や土累で鉄砲で狙撃できるように

だけど織田秀信は野戦に出て木曽川に土累や柵の防備に使ったわけよ
しかも一ヶ所でも突破されたら放棄して退却しないといけない
実際は突破されたから無駄になったわけだ
秀信が撤退してくるからもちろん岐阜城は通路を塞げない
ほぼ普通の城のままの状態だったからすぐ落ちたんだよ

木曽川防衛に使った土累や柵の労力を全部岐阜城に注ぎ込むのが籠城な
何回言っても理解できないみたいだけどw
0300人間七七四年2017/11/09(木) 13:00:53.36ID:Mwgt9tyQ
>>298
スイスイとも全く渡れないとも一言も言ってないが、
そう誇張しなければ反論できんのかい。

少なくとも渡河迎撃側は局所的に相手よりも数的優勢を
作ることができる。この時代の鉄砲を買いかぶりすぎだ。

一般論として渡河迎撃を否定していることには大いに反論する。
0301人間七七四年2017/11/09(木) 13:02:35.19ID:Mwgt9tyQ
>>299
で、搦手から落ちたんだろ。
秀信が撤退する通路を確保するのに搦手を開けておいたのか?

そもそも岐阜城に柵を作っていなかったのは記録されてんの?
0302人間七七四年2017/11/09(木) 13:10:46.08ID:ZZ7yvUJC
>>301
>で、搦手から落ちたんだろ。

史実の場合は野戦に出て木曽川で防衛準備してたから岐阜城は全く防備してない状態だったからすぐ落ちた
最初から籠城してた場合はありとあらゆる場所を塞ぐようになる
野戦でぼろ負けして士気も兵数も落ちてないしな
>>299で説明しても全く理解できないアホなんだなw
しかも木曽川は全長に渡って深くずっと幅広いと思ってる無知がドヤ顔してたのが笑えるw
0303人間七七四年2017/11/09(木) 13:12:54.95ID:RTW2KoBR
まず秀信が無能という前提が覆らない限り
野戦しようが籠城しようが大差ない気がする
0304人間七七四年2017/11/09(木) 13:16:05.35ID:G2FOCC+R
木曽川の場合、川の両岸沿いの結構な範囲が泥濘み
柵とか言う前に天然の防備があるので守りやすい
ただ流域が広いので守る方も大兵力は必須
秀信の援軍要請の目的ははっきりしてるんだが石田三成が理解していなかった
0305人間七七四年2017/11/09(木) 13:22:16.30ID:ZZ7yvUJC
>>300
お前の理論は中洲がある比較的浅い河を渡るより崖や急な斜面を登るスピードのが速いってことかw

河を渡る場合は両手は塞がってないために鉄砲防御の竹束などを持って行軍できるが
崖や急な斜面を登る場合は重い甲冑に加え
崖や斜面を登るために這う状態になるから竹束は使えないけどな

後は戦国時代で脅威なのは高所からの投石な
それも籠城する時は事前に準備しないといけない
0306人間七七四年2017/11/09(木) 13:23:58.99ID:bTS3uSp6
東軍は木曽川渡河のために大兵力を複数に分割して渡河しないといけない
敵を前に兵を割る不利を補うために木曽川の同時渡河を行なっている
でもこれは織田秀信が寡兵かつ西美濃から援軍が来なかったから成功できたとといえる
尾張からの侵入を木曽川で撃退することは斎藤道三の時代からの定石だからね
織田秀信が無能かどうかを判断したいなら兵力が少ない中でどう戦ったかをちゃんと検証すべき
史実だけを追うと秀信は割と合理的な判断ができていると思うけど
0307人間七七四年2017/11/09(木) 13:30:58.39ID:ZZ7yvUJC
>>304
犬山城も籠城決め込んでたし、大垣城の様子から見ると
秀信がどことも連携を持ちかけずに身勝手に野戦したんだろ
ただの無能だよ
もし三成が見捨てるように木曽川防衛を却下してたなら秀信は東軍に寝返れば良かっただけ
寝返りもせずに無謀な野戦して家臣を無駄死にさせ信忠嫡流の織田家を断絶させた無能

未だになぜ野戦したのが理解不能であるw
0308人間七七四年2017/11/09(木) 13:50:19.54ID:ZZ7yvUJC
>>306
>史実だけを追うと秀信は割と合理的な判断ができていると思うけど

どこが合理的なんだよw

・三成の美濃・尾張二か国の条件で欲にかられて西軍表明
・3万5千相手の東軍に6千の少数で野戦挑む無能
・犬山城も籠城決め込み、大垣城とも全く連携を持ちかけておらず単独開戦する無能
・もし仮に三成から見捨てられるように木曽川防衛を却下されていたなら
家臣や自領を守るために東軍に寝返れば良かった ← これが真っ当な大名の判断
・結果、野戦ボロ負け&家臣の多くが討ち死に、信忠嫡流の織田家断絶


どう見ても無能です
ありがとうございました
0309人間七七四年2017/11/09(木) 14:33:46.40ID:Mwgt9tyQ
>>305
なんか論理のすり替えを図ってないか?
そもそも山城と渡河迎撃の優劣なんて話してないぞ

>>281
岐阜城の戦いの渡河防衛は視界を遮るものも伏兵ポイントも無く
龍造寺のような討ち取れば勝ちという総大将もいない
ましてや鉄砲や大筒が導入されてる時代に遮るものがない河原で渡河防衛なんて時代遅れすぎるわ

と渡河迎撃を全否定しておきながら
>>292
渡河ポイントは厳重に防備されてて被害が甚大になりそうだから別の場所に移動したんだよ

という論理矛盾はどう説明つけたのか。

俺はもともと一般論として渡河迎撃の是非について反論したんだぞ。
0310人間七七四年2017/11/09(木) 15:01:08.50ID:ZZ7yvUJC
>>309
>>282のお前の反論の時点
>木曽川の川幅は当時の鉄砲や大砲では対岸から狙える距離ではない。

池田輝政が攻めた場所は中洲があり実際の木曽川の実態を深く河幅が広いと勘違いしてたから論破され


渡河ポイントの厳重云々は
↓に対する反論な

>秀信の失敗はタダでさえ劣勢な戦力を分散したことだろうな。
>想定渡河ポイントにそれぞれに柵を築くよりも
>相手が実際に渡河を試みるポイントに機動的に戦力を
>集中させるべきだった。

池田隊に集中させていたら福島隊が手薄になった最初の渡河ポイントを強行して渡られていただけだよな?
どっちにしても何をやっても木曽川防衛ラインは突破されるってことだ
わかったか?
0311人間七七四年2017/11/09(木) 15:09:51.58ID:ZZ7yvUJC
>>309
少数で渡河防衛なんて不可能なんだから
宇喜多や伊勢勢が来るまでの時間稼ぎとして岐阜城籠城しかないって言ってんのに論点すり替えてるのはお前だろーがw
0312人間七七四年2017/11/09(木) 15:48:39.50ID:ry//c4/g
前田利家が生きていたら勝てた
0313人間七七四年2017/11/09(木) 16:03:34.56ID:Mwgt9tyQ
>>310
>>290 で既に言っているんだが、どのみち渡河はされるよ。
何度も言うが渡河迎撃は時代遅れと全否定しとるだろ、そこに反論した。
渡河側は竹束を使って弾を防ぐそうだが、迎撃側は遮蔽物のない河原で撃たれっぱなしらしいな。
中州から岸までの距離は鉄砲の有効射程に入るか入らないかの距離がある。
中州に鉄砲が置けても東軍の数の優勢が生かせるほどじゃない。
そこについては未だに回答が来ていないな。

秀信が迎撃に出たのは賢いというよりは博打なんだろうがね、野戦一勝の価値はデカいんだよ。
結局渡河はされても、池田勢を破っていれば流れがかわる可能性もあるな。
0314人間七七四年2017/11/09(木) 16:29:12.70ID:ZZ7yvUJC
>>313
池田隊に部隊を集中する → 池田隊は18000だからそれでも劣勢な上に福島隊に手薄になった最初のポイントの渡河される

史実通り分散する → 福島隊は別の渡河ポイント所に移動するが池田隊に突破される

そして池田か福島どちらかに渡河された時点で挟み撃ちに合うから撤退せざるを得なくなる
木曽川防衛なんて最初から詰んでるのになw
最後には18000の池田隊を破るとか論破され過ぎてお花畑理論展開しててクソワロタ
0315人間七七四年2017/11/09(木) 16:32:17.07ID:ZZ7yvUJC
アホ「野戦一勝の価値はデカいんだよ」

兵力数がものを言う野戦で6倍の相手に挑んだ無能秀信の生まれ変わりかw
0316人間七七四年2017/11/09(木) 16:52:44.78ID:mDVgHk5F
犬山の内応が無ければ渡河する東軍の兵数は少なかったし、
逆に犬山との連絡線を維持するには出陣せざるを得ない
0317人間七七四年2017/11/09(木) 17:49:27.99ID:mKPPgece
敵に領内に入られて何もせずに篭城はありえんだろ
東軍勝利の結果を知ってる現代人だからこそいえるのであって最初から篭城しとけとは結果論に過ぎんよ
0318人間七七四年2017/11/09(木) 17:59:36.62ID:M/khJPDk
気のすむまでやってくれ
0319人間七七四年2017/11/09(木) 18:01:03.04ID:ZZ7yvUJC
>>317
伏見城の戦いも大津城の戦いも長谷堂城の戦いも敵本隊とは野戦せずに最初から籠城決めてたんだけどね
0320人間七七四年2017/11/09(木) 18:06:32.49ID:ZZ7yvUJC
>>316
>連絡線を維持するには出陣せざるを得ない

出陣してその連絡線とやらを維持したのに連携を援軍も無かったけどなw
その連絡線とやらは意味あったのか?
伏見城も大津城の戦いも敵地のど真ん中の孤立無縁状態での籠城で時間稼ぎに成功して
西軍に多大な遅延を引き起こしたけど
0321人間七七四年2017/11/09(木) 18:11:07.74ID:zqhLWjMp
おじじ様もお父上様も、城にこもらず城より出でて常に敵地にて戦いました。

ですから、その血をひく私秀信もできると思いました。
0322人間七七四年2017/11/09(木) 18:12:40.37ID:2odf6Mv7
>>317
そも、老臣は東軍に味方するよう秀信を説得していたし、
東軍が美濃に来た時は籠城するよう進言していたらしいが。
秀信は両方とも却下したけど。
まあ主君の為を思っての諫言って受け入れるのは難しいよね、という話。
0323人間七七四年2017/11/09(木) 18:37:56.08ID:mKPPgece
桶狭間や今山、厳島のように寡兵でも打って出て勝利した合戦はあるので、篭城戦だけを取り上げて、だから篭城ありきというのも結果論に過ぎんよ

ちなみに伏見城の戦いも大津城の戦いも篭城側が負けてる
これも東軍が関ヶ原で勝利したという結果を知っているからこの篭城戦は有効だったといえるのであってこれも結果論に過ぎないね
ちなみに長谷堂城の戦いの長谷堂城は最上の本城ではなく支城でそもそも敵を引きつける目的かつ伊達政宗の援軍があったので状況が伏見城や大津城とちょっと違う
0324人間七七四年2017/11/09(木) 18:49:17.90ID:ZZ7yvUJC
>>323
その寡兵で討って出た例も>>280>>281で言ったように籠城なんだけどね


>ちなみに伏見城の戦いも大津城の戦いも篭城側が負けてる

とりあえずスレタイ読んでくれ
岐阜城も時間稼ぎさえできれば負けても良いんだよ
伏見城での足止めが西軍にはかなり効いてるんだよな
岐阜城の織田秀信は野戦して無様に時間稼ぎさえできずに終わったのを言われてるんだから
0325人間七七四年2017/11/09(木) 19:12:48.20ID:KtlWS/EX
確かに秀信の最大の罪は『時間稼ぎすら出来なかった』って事だなあ。
負けたことも無論問題だが、早期に重要拠点を陥落させたのは本当に擁護出来ん。
時間稼ぎさえ出来れば、西軍の援軍が間に合ったかもしれないし、
家康の関ヶ原到着も遅れただろうし、西軍方の岐阜早期陥落による動揺もなかったろうに。
0326人間七七四年2017/11/09(木) 20:29:41.03ID:mDVgHk5F
>>320
そりゃ、秀信は犬山が内応しているとは知らなかったし
0327人間七七四年2017/11/09(木) 21:29:37.76ID:Y7O1xd/a
伏見にしろ大津にしろ結局東軍が勝ったから足止めできたと言われているだけであって
関ヶ原で西軍勝ってたら鳥居も京極も全く無意味で無様な籠城戦を西軍に仕掛けた。さっさと西軍に寝返ればーと言われてたんだろうな
一方で織田秀信が奮戦したから東軍の士気が下がったとか家康に躊躇いが出たとか言われるだろう
さっきから東軍が勝利したという結論を引きずっていてそれこそスレタイよく見ろと言いたい
0328人間七七四年2017/11/09(木) 21:40:08.22ID:Y7O1xd/a
>>325
そこは秀信より三成が岐阜城をどういう位置付けにしていたのかによる
出来るだけ時間稼ぎをしてくれとの指示が三成から出ていたのか
秀信だけが自分たちで時間稼ぎすべきだと考えていても結局は意味がない
少なくとも三成が秀信に対して、東軍先鋒を出来るだけ引きつけてくれ
後詰○万を必ず西美濃方面から出すとの確約をしないと
史実では秀信よ、死んでくれと言ってるようにしか見えない
0329人間七七四年2017/11/09(木) 21:46:06.75ID:FJnSrZaL
三成や秀信わ無能と決めつけてかかるのは議論としては不適切たな
0330人間七七四年2017/11/09(木) 22:08:18.02ID:mlUiTLYy
>327
京極と鳥居じゃ立場と状況が違いすぎる
0331人間七七四年2017/11/09(木) 22:43:54.86ID:ZZ7yvUJC
>>326
その連絡線のおかげで内応も防げたってなら価値はあるけど無意味だよな

>>327
負けた西軍側でも籠城していた真田は目茶苦茶に過大評価されてるけどなw
0332人間七七四年2017/11/09(木) 22:54:43.83ID:ZZ7yvUJC
>>328
>史実では秀信よ、死んでくれと言ってるようにしか見えない

もし仮に三成に見捨てられた状態なら
普通の大名なら東軍に寝返るけどな
大軍相手に野戦なんて無謀だし
それをなぜか犬山城は籠城を決め込んでて、大垣城とも全く連携も取らずの岐阜城勢だけの単独野戦
>>322で言われてるように家臣の助言にも耳を傾けず己の力を過信した無能にしか見えない
0333人間七七四年2017/11/09(木) 23:15:31.55ID:9vNkTsUL
>>332
それも東軍が最終的に勝ったから言えることでしょ
東軍につくことで岐阜城が東西両軍の最前線に晒されるリスクは変わりない
関ヶ原で西軍から東軍についた諸将もその場で急に決めたわけではなく何日もかけて調略されてた結果
自分の判断で攻められるから東軍につきますってのは小山田信茂のような末路しか見えない
0334人間七七四年2017/11/09(木) 23:31:43.18ID:ZZ7yvUJC
>>333
IDチェンジしまくりながら
>それも東軍が最終的に勝ったから言えることでしょ

この意味不明な文言をつけてるけど
IFスレで何を言ってんだよw

負けた西軍でも籠城して評価された真田はスルーか?
0335人間七七四年2017/11/09(木) 23:44:54.86ID:c0slouf1
なんでここで真田と織田を比較する?
秀忠を足止めしたのはポイント大きいだろ。
0336人間七七四年2017/11/09(木) 23:55:24.63ID:ZZ7yvUJC
>>335
つまり籠城せずに野戦して足止めさえできずに
壊滅&落城させられた秀信の無能ポイントはやはり出るわけですね
0337人間七七四年2017/11/10(金) 00:19:13.38ID:PczppEPE
>>334
真田がいつ東軍に評価された?江戸時代か?
それだって後世の評価だろう
結局は徳川軍にスルーされたし
また本多正信は上田城は無視して美濃を目指せといったのを秀忠は拒否して土井利勝の上田城攻めを採用した
二代将軍の判断ミスは真田が邪魔したから遅参したという材料に使われただけだろう

ということで真田がうまくいったからといって籠城戦が最善というにはちょっと苦しいねぇ
それだけで伏見城や大津城の籠城戦の失敗を否定できないよ
ましてや東西両軍が集結している最前線の岐阜城と上田城ではね
0338人間七七四年2017/11/10(金) 00:40:05.47ID:BcSud3dL
>>337
>それだけで伏見城や大津城の籠城戦の失敗を否定できないよ

西軍4万を二週間近く釘付けにした伏見城の籠城戦がが失敗?
名将の立花宗茂含む西軍1万五千を関ヶ原に間に合わせないようにした大津城の戦いが失敗?

伏見城の鳥居元忠は家康に賞賛され伏見城の血染め畳として江戸城に飾られ
元忠の嫡男はその功績で10万石を経て24万石の大名になり
大津城の京極高次は功績で加増されて9万石の大名に復帰したんだがなぁ

家康に賞賛されたのに失敗だったんだw
知らなかったわw
0339人間七七四年2017/11/10(金) 01:14:33.41ID:qWHVu6zp
>>233なんだけど、だれもご存知ない? 9月14日に西軍主力が関ヶ原に移動したとき
大垣城に残って籠城してた諸将の大垣入城日時なんだけど。
とりあえず福原は備口人数では北陸方面隊になってるのはわかったが。
史実で8月10日の石田、小西、8月20日の島津、8月27日の宇喜多、
そして入城日時不明の上記大垣籠城組くらいしか大垣に入城したのはいないかんじ。
(一応五月雨的に島津兵の増援は来てたみたいだが)

それとわたしは触れなかったけど、備口人数の小西の兵数は2900、
小西の与力4人の兵数4000とあるんだけど、これはどう判断したらいい?
足せば小西の兵数6900だが、この与力4人ってのがだれかよくわからんし
小西の兵6900でいいのかなと。
一般的には小西の兵数は4000〜5000くらいなかんじだが。

とりあえずこのあたりがはっきりしないと渡河迎撃にせよ岐阜城後詰決戦にせよ
参戦可能兵力が算定できない。
0340人間七七四年2017/11/10(金) 01:21:41.71ID:qWHVu6zp
ひょっとして宇喜多が草津に寄ったときに宇喜多隊に合流したのかな?
0341人間七七四年2017/11/10(金) 03:43:10.41ID:PTAIl2Yf
>>328
それこそ、最初から報告・連絡・相談を密にやっとけって話だけどね。
さらに言うなら秀信はもっとズルイ立ち回りをすべきだったかも。
西軍にはとりあえず色よい返事だけしておいて、尾張方面に斥候でも放ち、
東軍が西軍の予想より早く戻ってきたのを確認した時点で東軍に協力するとか。
織田家ならそれ位の対応しても許されるよ、多分。
0342人間七七四年2017/11/10(金) 07:33:18.98ID:uj0+IuMc
>>337
>>また本多正信は上田城は無視して美濃を目指せといったのを秀忠は拒否して土井利勝の上田城攻め>>を採用した
なんか古臭い話だなぁw
0343人間七七四年2017/11/10(金) 07:40:08.33ID:da5uMxCH
>>338
それもすべて関ヶ原で東軍が勝った結果でしょ
戦いそのものは伏見城も大津城も籠城側が負けている
これは事実
鳥居は死亡、京極は開城降伏して寺に行ってしまった
これも事実

家康が賞賛した
これも事実だけどしかしそれは関ヶ原で東軍が勝利したからでしょ
家康が負けてたら伏見城の鳥居の戦力は戻すべきだったとか譜代の家臣を見殺しにした家康は暗君とか言われるんだよ

関ヶ原で東軍が勝利した結果、実はあれが良かったんだというのを排していかないとスレタイの意味がないし
織田秀信が無能と決めつけるのではなくてどうすれば秀信側が勝てたか、もしくはどうすべきだったかを考えないと面白くない
まぁお前以外みんな理解してることだけど
0344人間七七四年2017/11/10(金) 07:57:02.48ID:uj0+IuMc
>>343
>>家康が負けてたら伏見城の鳥居の戦力は戻すべきだったとか譜代の家臣を見殺しにした家康は暗君>>とか言われるんだよ
そもそも石田や毛利が挙兵するなんて知ってたのか家康はw

>>織田秀信が無能と決めつけるのではなくてどうすれば秀信側が勝てたか、もしくはどうすべきだっ
>>たかを考えないと面白くない
おたくが面白かろうが無かろうが知らんがな(´д`)
0345人間七七四年2017/11/10(金) 08:19:05.63ID:BcSud3dL
>>343
>織田秀信が無能と決めつけるのではなくてどうすれば秀信側が勝てたか、もしくはどうすべきだったかを考えないと面白くない

そういうスレを自分で立ててそこで一人でやってろアホw
どうすれば秀信が勝てたかというスレをなw
0346人間七七四年2017/11/10(金) 10:11:15.46ID:7CDtOIl9
「え?こんな兵力で岐阜城を?」
竹中「できらあ!」
0347人間七七四年2017/11/10(金) 12:17:22.81ID:RR/3wv3N
図星で吠え面かくとはなぁ
もうちょっと勉強して来てね
0348人間七七四年2017/11/10(金) 13:04:57.72ID:sN6ApfW9
他人を罵倒したりレッテル貼りする前にまず立案。
0349人間七七四年2017/11/10(金) 13:13:57.08ID:YlnVGM2b
ここの東軍支持さんは感じ悪いなぁ
0350人間七七四年2017/11/10(金) 13:21:05.87ID:sN6ApfW9
こういう発想で行ってみるか。
8月27日付であさひ村に出した禁制かなんかの文書に石田、宇喜多らが連署してるんだが、

福原長尭、熊谷直盛、垣見一直、
木村由信、木村豊統、相良頼房、秋月種長、高橋元種、

上記の中に、その場に居たら連署してそうな者っています?
福原あたりは連署しててもおかしくなさそうだけど。

連署してそうなのにしてないってことは
8月27日には大垣にいなかった傍証になるかなと。
0351人間七七四年2017/11/10(金) 13:47:13.07ID:xkzZekcM
まずその中に石田三成、小西行長、島津義弘、宇喜多秀家と同格の者がいると思うか?
0352人間七七四年2017/11/10(金) 16:30:57.30ID:tloXqjmV
ホント得したのは家康、何も動かなきゃ毛利は減らされ無かったのに
毛利潰し狙いで薩摩は騙された振り、複数国支配は許せなかった
陰謀説信じちゃう、三成生きてたんじゃないかと
大騒動の割には死んだ人は少ないし
0353人間七七四年2017/11/10(金) 17:23:28.51ID:cChZu+7j
2,26と同じで、理解を示した野望家に裏切られた。
0354人間七七四年2017/11/10(金) 17:27:49.35ID:cChZu+7j
秀頼が前線に立てば、豊臣恩顧の大名の士気も上がり、東軍も分裂したかも。
0355人間七七四年2017/11/10(金) 18:01:25.39ID:BcSud3dL
秀頼は当時は七歳前後で元服もしていない人質状態で連れてきたら
むしろ豊臣恩顧は大激怒するぞ
0356人間七七四年2017/11/10(金) 18:01:43.87ID:PZ4jKjvI
元服はしてたけど初陣には早過ぎる年齢だろ
0357人間七七四年2017/11/10(金) 18:12:32.34ID:BcSud3dL
秀吉が五歳で元服させるなんて無茶苦茶したんだったなw
そういえば
0358人間七七四年2017/11/10(金) 18:30:49.06ID:YlnVGM2b
それを人質状態とは言わない。
激怒してても主君には従うんだよ。秀頼が出てれば西の勝ちだろな。
0359人間七七四年2017/11/10(金) 18:40:29.16ID:r8NX+/NW
>>358
幼児秀頼はなんの命令も指示もしないでしょ、ただそこにいるだけで。
従うも糞もなく西軍でも東軍でも連れ出したほうが拉致ったと見るべき。
0360人間七七四年2017/11/10(金) 18:40:45.02ID:xkzZekcM
お花畑だな
0361人間七七四年2017/11/10(金) 18:44:02.99ID:BcSud3dL
自分の意思ではなく連れてこられたなら人質でしょ
まあ淀から無理矢理引き剥がして連れて来るのは困難で
淀から無理矢理引き剥がして来たら淀が完全にぶち切れて豊臣の名目は失うけどね
秀頼は大坂の陣でさえ出てこなかったからまあ無理だろうw
0362人間七七四年2017/11/10(金) 18:51:53.88ID:Rw6LAJ+w
岐阜陥落前に、石田、小西が福島の陣に潜入して、自分で首をはねて西軍をまとめてくれるように頼むのはどうだろう?

石田が死んでいれば、後から手のひら返す心配も無いから信頼度は微かに上がると思う。
0363人間七七四年2017/11/10(金) 18:53:04.72ID:iR1nWiSS
そもそも西軍は家康が豊臣政権でやりたい放題してるからそれを正すと主張して
豊臣御為を掲げて挙兵したのだから、秀頼を連れ出そうとした時点で
それが嘘であり、自分たちで権力を握りたいだけだと天下にさらすことになる。
家康でさえそんな事はしていないのだから。
0364人間七七四年2017/11/10(金) 19:16:11.02ID:xvjNhAQg
>>346
そうだな
竹中半兵衛が西軍にいれば勝てた
0365人間七七四年2017/11/10(金) 19:28:20.92ID:zHkJipEk
秀頼がいるだけで勝てるなら関ヶ原なんて起こらんわな
0366人間七七四年2017/11/10(金) 19:43:14.38ID:24dVbOUe
輝元が腹据えて関ヶ原に着陣すれば
0367人間七七四年2017/11/10(金) 19:46:53.13ID:tryDWono
>>362
小西は自死しない。それに死んでまで石田の策には付き合わないと思う。
石田単独でも…、相手が福島では無理なような…。
0368人間七七四年2017/11/10(金) 19:56:06.61ID:c2TF1oae
>>366
輝元は西国で自領拡大するのに忙しいから。
それに兵は散々出してやっただろ。
0369人間七七四年2017/11/10(金) 20:14:50.10ID:BcSud3dL
>>362
五奉行の目的は五大老同士を争わせての弱体化&排除し
五奉行による豊臣政権運営が目的だからな
誰かに任せるようなことは絶対しないだろ
0370人間七七四年2017/11/10(金) 20:44:20.91ID:/CNVyLxb
>>366
三成も不要って言ってるじゃん
0371人間七七四年2017/11/10(金) 21:13:03.13ID:1lLauAPW
>>366
無能なテルが出てくれば
東軍は勝ちを確信しただろうから
逆にそれで油断させられたかもな
0372人間七七四年2017/11/10(金) 21:35:33.03ID:7N52BG4U
毛利はもう関ヶ原本線の段階で一部を除いて西軍そのものに見切りをつけてるっぽい。
輝元視点だとせっかく西国で領地を拡大する好機だったのに、奉行が家康の関東封じ込めに失敗するわ、
東軍の切り崩しもマトモに出来ないわ、岐阜は速攻で陥落するわで西軍が想像以上に話にならん状態。
こんな有様で毛利にやる気出せって無茶ぶりだよ。
だったら総大将受けるなって?総大将の為に勝利のお膳立てするのが下の仕事だろ。
少なくとも、東軍は岐阜を陥落させて家康に誠意を見せたぞ。
0373人間七七四年2017/11/10(金) 22:19:58.50ID:DGXhVNvy
結局、始動が早くないとどうしようもないよな。
伏見から順番に力押しで城を落として行ったら時間切れで岐阜城が落ちて追い込まれたからな。
やはりいきなり清須を奇襲謀略で落とすのが最良だ。
0374人間七七四年2017/11/11(土) 00:18:11.19ID:5zVT5cQE
東軍先発隊が35000だとするとこんなもんかな。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000

仮に大垣が岐阜に合わせて渡河迎撃に兵11000ほどで出撃したとしても
福島隊の渡河阻止には成功するが木曽川挟んで睨み合い。
池田隊は史実通り秀信を撃破し渡河成功、秀信岐阜へ敗走、池田隊岐阜城を包囲。
その後岐阜城抑えに3000ほど残して池田隊約10000が福島隊への加勢、
大垣勢は挟撃され大垣へ敗走。こんなかんじになるんじゃない?

こうならないように大垣から秀信に兵3000ほど援軍送ったとすると
下流大垣8000対福島隊14000、上流秀信9000対池田隊15000

うーん、なんとかなるようなならないような…。


逆に秀信説得して岐阜城籠城した場合、8月27日宇喜多大垣到着。
大垣に守備2000残したとして翌28日には27000ほどの石田・宇喜多らの後詰が岐阜近郊到着できるが、
東軍が23日から攻城開始したとして岐阜城が5〜6日持ちこたえられるかどうか。

渡河迎撃も岐阜城後詰決戦も勝てそうなダメそうな微妙なかんじに思う。
0375人間七七四年2017/11/11(土) 03:14:04.10ID:4tqRR/Um
>>373
そうだよなあ...最初に無茶した方が、最終的に有利に成るって皮肉だね。
カエサルのルビコン渡河みたいなのが、最終的に有利に成るんよね。
あの時一個軍団6000「実数は4500くらい」でローマを目指したカエサル並みの決断力が
輝元に必用だね。
0376人間七七四年2017/11/11(土) 03:36:01.67ID:qNsbvbK7
>>343
いやいや、何かの奇蹟が起きて関ヶ原で家康が負けたとしても
鳥居は間違いなく賞賛されるよ
桶狭間後の今川家臣とかもだけど結果の趨勢だけで見てる奴なんか今も昔もいない、優秀な奴は優秀だし賞賛される
逆に岐阜の秀信はただ負けただけじゃなくてあまりに無能な負けかた
結果的に西軍が勝っても誉められる理由なんかない
0377人間七七四年2017/11/11(土) 04:10:37.01ID:b7k1H/DX
無能談義はつまらんて
0378人間七七四年2017/11/11(土) 06:36:52.44ID:kEoJOawX
>>373
残念ながら三成、秀信には戦の才が無いから
城を落とすような奇襲謀略はできない
0379人間七七四年2017/11/11(土) 07:26:54.83ID:AtFtynQ8
織田秀信は東西の情報収集の好立地で信長の孫という家格もあるしすごく恵まれた環境だったのに、
ちゃんと情勢分析した上で西軍につくと決めたかんじがしないんだよなぁ
立地が悪くてどちらにつくかの選択権もほぼない連中もいたのに
0380人間七七四年2017/11/11(土) 08:16:49.15ID:k2oKoksr
確かにイチ個人の主幹で無能を連呼されてもつまらんな。その後の展開がない。
0381人間七七四年2017/11/11(土) 08:42:46.66ID:b7k1H/DX
秀信は尾張美濃を約束されて西軍についたとされてるけど、確かに東軍についたらついたで尾張は福島正則の領地なんで一生手に入らないんだよなぁ
福島が東軍勝利後に広島に行くとかその時点では誰も知らないしね
隣国同士というのは今も昔もなかなか難しい
0382人間七七四年2017/11/11(土) 09:04:19.71ID:kEoJOawX
秀信は欲に目が眩んだ無能
0383人間七七四年2017/11/11(土) 09:38:27.76ID:AtFtynQ8
>>381
秀信が何をおいても尾張領有に執着していたと示す史料とかあるんですか?
0384人間七七四年2017/11/11(土) 09:54:06.83ID:DVUuJTex
輝元は玉を握っていた
0385人間七七四年2017/11/11(土) 09:59:19.11ID:b7k1H/DX
>>382
戦国武将が大義のために戦ってた!とか思ってるのか
頭の中がお花畑だなぁ
千載一遇の戦乱を機に領土拡大は誰もが狙っている時だぞ
0386人間七七四年2017/11/11(土) 10:36:39.72ID:h091EuSG
西軍の外様大名連中は千載一遇の戦乱を機に領土拡大ばかりに気を取られて
中央で覇権を握るための戦いの重要性を軽視していたのは間違いないな
毛利も上杉も所詮は地方の田舎大名思考に囚われて縄張り争いばかりに夢中になった

そもそも田舎大名思考から脱していたら毛利も上杉も信長より先に中央で覇権を握れたわけだから
関ヶ原での行動も当然といえば当然なのだが
0387人間七七四年2017/11/11(土) 10:39:20.35ID:kEoJOawX
>>385
そう、秀信は大義のために戦わないからな
戦の才能もなく大義のために戦わないのに
西軍首謀者並みに早期から西軍のために死ぬ気で戦って、
死ぬ気で清洲城に攻めろというアホがいる
史実でも伊勢から本隊が来るまで俺は何もしないよ〜
と言って動かなかったのが秀信である
0388人間七七四年2017/11/11(土) 10:50:35.56ID:6tVl5x7O
で、大義のために戦った武将っているの?
0389人間七七四年2017/11/11(土) 10:55:43.74ID:h091EuSG
家康は政を混乱させていた奸臣を殲滅して天下泰平のために戦ったから
大義のために戦った武将と言えるんじゃないか?
0390人間七七四年2017/11/11(土) 10:58:19.34ID:AtFtynQ8
欲に目が眩むっていうのは欲心のために正常な判断力を失うという意味だから、
なんで大義云々の話しになってるのかよくわからない
0391人間七七四年2017/11/11(土) 11:09:15.36ID:kEoJOawX
上で言われてるように本当に秀信が三成に木曽川防衛を進言して
却下され見捨てられてた状態なら東軍に寝返れば良かった
家臣や自領、家紋を守るためにもね

>>381が言うように東軍に福島正則がいて
尾張が手に入らないから東軍に寝返らなかったのだというのならば
秀信は欲に目が眩んだ無能というのはその通りになる
0392人間七七四年2017/11/11(土) 11:29:33.14ID:8i0u4D8D
関ヶ原合戦時の織田秀信の意向を知る史料は皆無だから、
何とも言える
0393人間七七四年2017/11/11(土) 13:05:52.70ID:ufRGnp6O
俗説の「大谷は小早川の裏切りを警戒してた」エピソードでふと思ったのだけど、
小早川が裏切る、戦力にならないならそれこそ佐和山辺りまで撤退した方が良かったんじゃないか?
裏切る可能性がある大軍をひっつけて、寡兵なまま決戦挑む西軍がバカすぎるような気がする
0394人間七七四年2017/11/11(土) 13:21:11.62ID:THIvcIjS
>>393
今までに出てきた話で説明がつくのは、この辺かな
・あれ以上後退すると士気の低下で西軍が崩壊する
・小早川の裏切りは明らかで、西軍の関ヶ原への転進はその対応だった
0395人間七七四年2017/11/11(土) 13:44:43.70ID:gk80Lvs9
勝てば官軍の論理か
0396人間七七四年2017/11/11(土) 13:46:17.62ID:gk80Lvs9
小早川の裏切り軽快してたら関ヶ原まで引くってのがわからんな
0397人間七七四年2017/11/11(土) 14:12:56.13ID:mr/aQlY2
>>393
松尾山は大垣城主の伊藤盛正の持ち場だったんだけど
関ヶ原前日に秀秋が追い出して占拠した場所なのでこの時点で既に敵対的な態度
で松尾山を敵軍に取られると近江との連絡が断たれて大垣城が孤立してしまうので
連絡路を確保する為に撤退していたところ東軍に追いつかれて戦いになったのではないかという話
0398人間七七四年2017/11/11(土) 14:30:05.92ID:gk80Lvs9
ずいぶん飛ぶ。
悪魔でイチ推論だな。
0399人間七七四年2017/11/11(土) 16:14:33.30ID:sXzhscne
>>398
ブツブツ言ってないで散歩でもして来なさいよおじいちゃん
0400人間七七四年2017/11/11(土) 16:39:32.13ID:0k3SfH5L
秀吉より先におね様が亡くなっていたら
ちゃちゃが正室になってさまざま影響力も変わっていただろう
0401人間七七四年2017/11/11(土) 18:46:30.48ID:u4MS6p3N
淀君は実質正室
0402人間七七四年2017/11/11(土) 20:02:24.44ID:xp6IVgCZ
おね様は亡夫の弔い担当、茶々が家政担当で役割分担してた説聞いたことある。
三成も豊臣の資金提供を茶々に申請して断られたらしいし
0403人間七七四年2017/11/11(土) 21:01:03.29ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0404人間七七四年2017/11/11(土) 21:57:37.08ID:5zVT5cQE
>>403
それが西軍の理想形だと思う。というか西軍の勝負どころ。
たしかに東軍の退路は限定的。追撃戦で東軍武将の2〜3人でも討ち取れば
美濃周辺の日和見武将は一気に西軍になびきそう。

ポイントは2つですね。
まず後詰到着まで岐阜城が持ちこたえられるか。持ちこたえられても岐阜城の特性上、
兵の損害がかなり出てそう。
第2が兵数ほぼ互角。後詰決戦で勝てるか。
夜襲、挑発、やれる下準備はすべてやってる。
東軍先発隊は連合軍なので動きに統率性が低い可能性がある(おそらく福島、池田主導采配)。
(このケースなら西軍はおそらく石田主導の采配をするであろうから)。
その点で西軍優位に推移する可能性は高そう。

あと伊勢方面隊は安濃津城、松阪城攻略が8月24、25日。早くても9月上旬にしか来れない。
伊勢方面隊待ってると岐阜城陥落リスクが高くなると思う。
というか、後詰決戦で勝てれば、だけど、そのまま長島城、清洲城に向かってもらったほうがいいような気も。


>岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

同意。 
0405人間七七四年2017/11/11(土) 23:29:34.75ID:40cllHBn
東軍先鋒軍が出てくれば岐阜城後詰決戦、
出てこなければ史実の構想通りの近畿制圧後に尾張境で全軍による決戦で、首脳陣の意思統一ができているとすれば
岐阜城が1週間も持てば大坂城の兵力の元康隊や九州からの増援を待ってた立花宗茂や毛利秀包も間に合うからまぁまぁ勝負になるな
後は岐阜城が1週間持つかあるいはどうすれば持たせれるかだな。2週間持てば伊勢軍すら間に合う
0406人間七七四年2017/11/12(日) 00:46:09.52ID:Rn+jLeBP
>岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

そもそも西軍なんてものを結成しなければよかった
長期安定政権樹立のためには毛利・上杉のような地方の外様大名の力を削らなくてはならない
せっかく家康が頑張って毛利・上杉の力を削ろうとしているのだから応援するべきなのに
よりにもよって奉行が外様大名と結託して乱を起こすなどあってはならないこと
西軍のせいで豊臣に政権としての正当性がなくなってしまった
0407人間七七四年2017/11/12(日) 01:05:34.93ID:8TLyrM5P
>>404
東軍先鋒は余り大きな大名が居ず、寄せ集めの側面も確かに有るよね。
だから、一度負けると立て直すの無理かも。
そうなると家康も動けず、西軍を関東まで引き込む形に成るのかな?
九州方面が如何成るかとか、色々面白そう。
0408人間七七四年2017/11/12(日) 03:56:12.62ID:Owev4T1R
西軍勝利方法
@報告・連絡・相談はきっちり確実に行う。
A家康をいきなり撃破しようとか考えず、当面の敵を東軍先発隊に絞る。
B東日本方面に大量の斥候を放ち、情報収集を怠らない。
ここまでやればなんとか勝ち目が出てくるかな。これでようやく5分ってところだろうが。

後、上で最初で最後と言ってる人がいたけど、ちょっと違うと思う。
正確には岐阜城攻防戦が『ラストチャンス』なんだと考えている。
IFありならその前の時点で政治的に勝利する事は不可能じゃないから。
0409人間七七四年2017/11/12(日) 04:19:51.79ID:y4uRMry6
>>403
言っちゃなんだが史実でたった1日で陥落した秀信の守る岐阜城が
そんな小理屈並べた程度で急にそんな難攻不落になるのはちょっと考えにくい
0410人間七七四年2017/11/12(日) 06:58:55.59ID:ZnAZ8vQ8
結局は渡河防衛で膠着状態にしても
東軍先発隊はピンピンしてるし
秀忠隊が来てしまったら兵力で部が悪くなる
秀忠隊が合流してしまうと史実より悪い結果にしかならないから
家康本隊と秀忠隊が合流する前に東軍先発隊を壊滅させる必要がある

それしか勝つ方法がないわな
0411人間七七四年2017/11/12(日) 07:35:24.32ID:ywByUW8Z
西軍が上杉征伐軍の動向を完全に読み違えているのが痛すぎるんだよね。
豊臣御為を掲げれば家康からすぐに離脱すると考えていた可能性はかなり高いし。
ただ、皮肉な事に家康もそう考えてたようだが。豊臣政権という看板を奉行に奪われたのに、
諸将がほとんど見捨てようとしなかったのは予想外だったろう。
0412人間七七四年2017/11/12(日) 08:00:54.22ID:xFr+Nyhk
>>409
最初から籠城の方針で、籠城準備ありと籠城兵力6000なら史実よりは持つと考えるのが自然では?
史実のように敗残兵2000〜3000で準備もろくにせず籠るわけではないし。
0413人間七七四年2017/11/12(日) 08:35:26.13ID:YugdGdJx
勝利条件はあと東軍が諜報能力をゼロにしないとなw
0414人間七七四年2017/11/12(日) 08:38:28.03ID:8sNKMWp9
精鋭の東軍先鋒を蹴散らせる有能部隊なんか西軍先鋒に居ないような
0415人間七七四年2017/11/12(日) 10:11:41.25ID:2oWAH8Lk
>>414
中核になりうるのは宇喜多かね。戦力の質は少々心もとないけど。
質重視なら、立花、島津が使えそう。まだこの時点では大津は東軍支持を表明してないし。
一方、東軍の中核は福島か、池田ってところかな。展開次第だが勝ち負けにはもっていける、かな?

ただ、膠着状態や一進一退、あるいは西軍辛勝程度だと秀忠軍が到着したら事実上アウトだしなあ。
大勝レベルを求めるとなると、これでもキツイか。
0416人間七七四年2017/11/12(日) 10:35:01.96ID:Rn+jLeBP
>>411
>豊臣政権という看板を奉行に奪われたのに、諸将がほとんど見捨てようとしなかったのは予想外だったろう。

そもそも奉行連中は豊臣家に雇われているサラリーマンに過ぎない
特に尾張系や旧織田家臣系の古参はそういう発想が根強い
だから外様大名とつるんで自分たちこそが豊臣公儀そのものであるという西軍の主張は彼らにとって謀反でしかない
はっきりいって三成が自分たちの立場を勘違いしていたのが根本的な問題だろう
0417人間七七四年2017/11/12(日) 10:48:27.12ID:ZnAZ8vQ8
>>415
池田と福島は清洲城で揉めてたし
福島を挑発すれば止められる総大将の家康がいないから
チャンスと言えばチャンスだな
お互い功を焦る余り池田が抜け駆けして福島が大激怒してたしな
0418人間七七四年2017/11/12(日) 13:12:38.20ID:0Yikehn4
>>417
まあ、岐阜の時は織田軍が単独で動くという致命的なやらかしをしてるからね。
敵が事実上孤立してる状況だったからこそ、そういう余裕もあったといえる。
このIFの場合では西軍が美濃できちんと連合を組むという前提だから、諸将も気を引き締めてかかるだろうし、
そんな簡単には崩される隙を作ってはくれないと思う。別に東軍先発隊は軍事的に無能、って訳じゃないからな。
史実では家康ありきとはいえ、関ヶ原で東軍諸将は西軍にきちんと勝利しているのだし。
0419人間七七四年2017/11/12(日) 13:23:16.60ID:XtnwT9sC
ゲーム脳的には小西や三成とかじゃ太刀打できるかわからんし、宇喜多は寄せ集めらしいし
東軍先鋒を瓦解させよう思うなら、唐攻めでバリバリやってた小早川に完封してもらう、くらいしか美濃決戦難しくない?
0420人間七七四年2017/11/12(日) 13:30:00.18ID:j4FFjMR7
小早川隆景はとっくに死んどるよ
0421人間七七四年2017/11/12(日) 13:44:48.50ID:zZAMZBpF
二刀流の大谷に完封してもらうしかない
0422人間七七四年2017/11/12(日) 13:57:15.46ID:ZnAZ8vQ8
秀秋が唐入りでバリバリやって武功あげてたなら帰国後には減封はされないと思う
0423人間七七四年2017/11/12(日) 14:15:45.75ID:uDrN4FOD
>>411
正当性抜きにしても徳川の本拠地を後背地にした遠征で家康に反抗なんてまずできないのにな
0424人間七七四年2017/11/12(日) 14:16:31.34ID:yL7g4gHm
小西行長は朝鮮役で燃え尽きたからなぁ
0425人間七七四年2017/11/12(日) 14:35:22.16ID:5nU8C44u
>>423
ところがそうでもないんだよ。
史実でも、上方で西軍が挙兵した後に家康は諸将に離脱したいならしてもいいといってるんだが、
(要は小山会議。なかった説もあるけど、一応それに近いものはあったようだ。)
その時、少数ではあるが離脱した連中もいるから。
そして離脱した連中に対して、家康や諸将は全く追撃をかけた様子がない。
つまりその場で反抗はさすがに無理だが、家康の元を離れて上方や国元に帰国はおそらく可能だと思われる。
だからもし大半が帰国する、つまり内府違いの条々の内容を受け入れてしまったら徳川は詰んだ可能性が高い。

まあ、だから自分は時々こんな感じの事を書き込んでいるんだけどね。西軍が勝つには、
内府違いの条々を上杉征伐軍の連中が受け入れられる内容に変えれば政治的に勝利出来るかもしれないよって。
0426人間七七四年2017/11/12(日) 14:54:50.94ID:G8F8i9oq
>>425
>>内府違いの条々を上杉征伐軍の連中が受け入れられる内容に変えれば
襲撃してまで奉行排除も望んでた連中が三成の下に飛び込んでくる
その「内容」ってのを具体的にぷりーず
0427人間七七四年2017/11/12(日) 15:10:11.85ID:qGvs2BVP
>>426
その内容がさっぱり思いつかない事がこの意見の致命的な問題点なんだよ…。
いや、こればっかりは本当にわからない。
だからこれ、対案をこっち側が出せないって意味では事実上の机上の空論なんです。
内容が出てこない以上、議論のしようもないし。
つまり、そんなの無理だ!って言われたら、そうですか…って言うしかないんですよ。
0428人間七七四年2017/11/12(日) 15:15:43.05ID:l+n+sVrT
やっぱり岐阜城後詰決戦においても伊勢方面隊は美濃に呼ばずに予定通り桑名城味方しにたあと長島を3000ほどで包囲、残り伊勢方面隊主力で清洲城包囲したほうが美濃の東軍先発隊浮き足立つんじゃないかな?
退路の心配して尾張に後退するようなら追撃チャンスになるし。
まさに三成の「伊勢方面隊といっしょに(挟撃して)清洲を攻める」となる。
0429人間七七四年2017/11/12(日) 15:20:39.00ID:l+n+sVrT
あ、宇喜多は美濃に呼ばないと美濃が持たないけど。
0430人間七七四年2017/11/12(日) 16:02:51.51ID:G8F8i9oq
内府違いの条々は大老奉行が出す文としてはあれが最上ではないだろうか?
史実以上の効果を望むなら、北政所か淀の連名でも無きゃ無理だろ(それが可能とは言っていない)
0431人間七七四年2017/11/12(日) 16:05:00.03ID:uDrN4FOD
紙切れ一枚でどうにかしようというのがそもそもの間違い
0432人間七七四年2017/11/12(日) 16:17:34.60ID:ZnAZ8vQ8
>>428
それだと清洲城が落ちるより早く岐阜城が落ちるのが確実になる
岐阜城が落ちると徳川家康出陣&日和見してたのが東軍に一気に傾く
岐阜城落城の報でむしろ浮き足立つのは西軍になるのでは?
0433人間七七四年2017/11/12(日) 16:39:33.65ID:uRSRNVh1
>>431
とはいえ、かつての室町幕府では明応の政変という政治クーデターが成功してるからな。
あれの再現を狙ったと考えれば奉行たちが『イケる!』と思った可能性は高い。
この時のクーデターを起こされた側である将軍足利義材は河内という山城に極めて近いところにいたのに、
細川政元に完全にしてやられてしまった。おまけにその事を事実上紙切れで報告されたのに、
(畠山基家討伐の為に諸将らの軍勢を率いていたのにもかかわらず)
諸将どころか、側近にまで見限られてしまい軍勢は崩壊してしまった。
んで、将軍もクビ。つーか殺されそうにまでなった。
0434人間七七四年2017/11/12(日) 19:22:36.08ID:8TLyrM5P
>>423
会津遠征軍ってのは、建前では豊臣家の大老として豊臣家の大名率いてやってんでね。
その軍勢を反転させて秀頼担いでいる西軍攻めようって事だからなあ?
当然諸大名の妻子も大阪居るし、家族が心配で大阪に飛んで行きたい大名も居るはずでね。
そもそも家康が何で九月まで関東に居たのかって事だよ。
軽率に東海道に出れば、諸大名がごそっと西軍に寝返り孤立する事が怖かったんだと思うし。
小山の軍議って、実は家康が一番疑ってないかな?
皆で示し合わせて騙すつもりなんでは?ってね。
その意味でも岐阜の陥落は意味大きいよね。
0435人間七七四年2017/11/12(日) 19:56:06.23ID:3So2HH8U
6月2日。関東の諸大名に対して会津征伐の陣触れが出される。
6月6日。大坂城西の丸にて、会津征伐における評定が開かれる。
6月8日。後陽成天皇より、晒布100反が家康に下賜される。
6月15日。天野康景と佐野綱正が家康出陣中の大坂城西の丸留守居に任じられる。同日、秀頼より黄金2万両と米2万石が、家康に下賜される。

後陽成天皇から晒布100反を下賜された以上、家康の率いた軍は官軍だよ
0436人間七七四年2017/11/12(日) 20:28:49.78ID:G8F8i9oq
>>434
細川への西軍の対処を見れば東軍中核の三成襲撃事件組とその友達の寝返りは望めなさそうだけどな。
(ガラシャの一件が過失かは分からんし)
ガラシャの一件が無く、田辺城攻めもして無かったら迷う奴もいたかもな

>>435
ただそれは「秀頼公認の豊臣大老の家康」に下賜されたものだから
「秀頼公認の豊臣大老」が剥奪されたなら話は変わってくる。

如水書状の「天下之儀、てるもと様御異見被成候様にと、奉行衆御申、大坂城御うつりなされ候事」
清正書状の「其城之儀、大友方へ従秀頼様被遣之由候て、差下之由候」
義演准后日記 7月20日条の「伏見御城へ秀頼様衆押寄戦在之」
時慶記 8月17日の西洞院時慶と近衛信尹の会談について「大坂ト内府間ノ□(「扱」ヵ)ノ義」
言経卿記 9月27日条の「内府大坂ヘ御出也云々、秀頼卿和睦也云々」

家康と秀頼を対立軸においている当時の記録は結構多いからそう単純なもんでもないみたいよ
特に公家や僧侶に多いみたい
0437人間七七四年2017/11/12(日) 20:52:31.12ID:Sj1Q/GIQ
>>436
いや、どうだろうね。奉行や毛利は襲撃組も味方すると思ってたんじゃないかな。
彼らは『豊臣政権の筆頭大老であり、幼い秀頼公の政権代行者』の家康に協力しているのであって、
『』のとれた家康には従わないだろうと考えてたんじゃないかな。あるいは、家康自身もそう考えていたかも。
確かに家康と婚姻関係を結んだものもいるが、それこそ『大名は状況次第で態度を変えるもの』だろうし。
0438人間七七四年2017/11/12(日) 21:02:40.56ID:v0nbgz3D
>>403の別動隊で思いついたんだけど、8月27日の宇喜多大垣到着後、
大垣から小西、島津5000〜6000の別動隊を編成(多すぎるかな?)
竹ヶ鼻が落ちてる時点で隠密行動は期待できないが
岐阜城攻撃の東軍を避けるため木曽川を逆渡河、尾張領内から犬山へ進軍、
犬山城の抑えとして布陣している中村一栄ら約3000を犬山城美濃衆と挟撃、
これを撃滅する。これにより犬山城の美濃衆7000がフリーハンドになる。
その後犬山城守備3000を残したとしても9000〜1万の兵で各務原方面から岐阜への
後詰ができる。
もちろん別動隊出した分西岐阜方面の石田、宇喜多は21000程度になる。

予想される東軍先発隊の反応は岐阜城抑え2000、岐南、各務原方面抑え3000〜5000残して
兵22000〜24000ほどで西岐阜の石田、宇喜多に決戦を挑む、あたりかな?

岐阜城落とせないってことは東軍先発隊は敵中孤立なわけで、
史実では1日で落としたので問題なかったが、落とせなかった場合(初めから秀信が籠城してた場合)
東軍はどうするつもりだったんだろうか?
木曽川渡ってしまって退路限定的だよね?
0439人間七七四年2017/11/12(日) 21:24:38.18ID:j4FFjMR7
黒田隊も突破出来るか怪しい
まず捕捉されるから池田隊と清洲守備隊による挟撃の危機
元々東軍よりばかリで日和ってる犬山城番衆を開放しても働かなそう
0440人間七七四年2017/11/12(日) 22:48:39.07ID:Rn+jLeBP
>>436>>437
最大の問題は「秀頼公認の豊臣筆頭大老」を剥奪できるとしたら成人した秀頼だけであり
三成たちが勝手に「秀頼公認の豊臣筆頭大老」を解任する権限なんてないということだな
どうも三成たちは自分たちが豊臣の支配者であり何でも許される特別な存在だと信じきっていたようだが
それこそが三成の謀反・専横になってしまうという矛盾を孕んでいる

福島たちがマジギレして東軍についたのは単に三成が嫌いというレベルではなく
三成の思い上がりがあまりに酷すぎて当時の家康以上に豊臣の脅威となっていたという事情もある
0441人間七七四年2017/11/12(日) 23:13:50.86ID:8QlWGgiN
確かに当時の家康の地位は秀吉の遺言によって与えられたものだから
それに匹敵するような権威を持つ者じゃないと剥奪できるかって言うと怪しいね
私婚問題の時にも同じような理屈で逃れられたし利家がいても追求しきれなかった
朝廷を動かすとか秀頼(淀)と高台院の積極的な同意でもあればまた説得力が違うのかもしれないが
0442人間七七四年2017/11/12(日) 23:17:18.31ID:3So2HH8U
秀吉の地位は後陽成天皇の二度にわたる聚楽第行幸により与えられたものという前提を忘れちゃいけない。
けど、秀吉が関白を殺し、太政大臣が行い、太政大臣が死んだことで内大臣にスライドした。
関白、太政大臣、左大臣、右大臣が不在な以上、内大臣が政務を行うのは当然の権利であり義務だと思う
秀吉の大義も家康の大義も天皇に任じられた大臣であることから来ている
0443人間七七四年2017/11/12(日) 23:41:53.34ID:vkJ0o/Le
>>441
確かにそうなんだが、これは秀吉による家康への枷だったのかもしれない。
要は『お前はあくまで秀頼の代行だ。政権の庇護が消えたらお前に皆が従うとは限らんぞ』って事。
そしてこの枷はある意味家康に通用していたのではないかと思う。
婚姻の件も前田や上杉の件も、家康は政権内での権力や発言力の拡大はしようとしていたようだが、
それ即ち豊臣家を越えようとしていたとは限らないからだ。やってる事朝廷における藤原氏と変わらんもの。
しかし毛利や奉行は『家康は豊臣政権に不要だ!出ていけ!』と、安易にやってしまった。
そしてそんな状況に追い込まれた家康を上杉征伐軍のほとんどが『支持』してしまった。
この時点で秀吉が家康にかけた『呪縛』は消えてしまったといえる。
まあ早い話が、東西両軍が秀吉による家康の封印を解いてしまったんじゃないかと……。
0444人間七七四年2017/11/12(日) 23:56:46.92ID:G8F8i9oq
>>441
私婚問題については
家康「今度縁辺の儀について、御理りの通り承わり届け候。しかるが上は、向後遺恨に存ぜず候間、前篇に相替わらず諸事、入魂せしむべく候」
利家「今度縁辺の儀について御理り申し入れ候ところ、早速御同心、畏み入り候」
だから家康は利家達の糾弾を自身の非(自分の理屈が間違っていた)として認めている。
一方で婚姻そのものは無効にされてないから、利家:面目、家康:実利のバーター取引だったってとこだろう
0445人間七七四年2017/11/13(月) 00:05:56.91ID:nrNTVNbZ
そもそも秀吉は織田家の家臣にすぎないわけで、立場としては三好家を牛耳った松永久秀となんら変わらない。

けど1585年に関白に叙任され、1588年と1590年に聚楽第行幸があり、武家の関白に正統性を持ったせたことで成立したのが豊臣政権
豊臣政権は天皇の代理である関白が統治するという正統性で成立した政権という前提がある。

けど、秀吉が関白を殺して前提を壊してしまい、太政大臣に正統性がスライドさせてしまった。
秀吉は誓詞を無理やり書かせることで正統性を保とうとしたが
1598年に秀吉が死んだことでさらに正統性が武家最高位の内大臣にスライドした。
最初は大納言の前田利家が抑えていたが1599年に死亡したことで押さえがいなくなり
1600年に正統性を持つ内大臣vs不満分子の戦いが起こった。これが関ヶ原

そして1601年に関白が生まれ
1603年に征夷大将軍が生まれたことで鎌倉以来の武家政権に戻ったってのが正統性の移行状況だろう。

1600年の関ヶ原は関白太政大臣左大臣右大臣なき政権で
内大臣が行う政務に不満を持つ反乱分子が謀反をおこしたことで起こった戦いだな。
征夷大将軍による武家政権に戻るきっかけになった
0446人間七七四年2017/11/13(月) 05:11:47.37ID:x+yUeuJG
蒲生氏郷も前田利家も豊臣秀長も健在なら勝てた
0447人間七七四年2017/11/13(月) 07:26:09.45ID:nD1eOXjG
おまいら醜いもの同士が醜い喧嘩するとおまいらの大好きな家康...いや脱糞ヒーローうんこマンが悲しむぞ
>>389
それはギャグで言っているのか?
0448人間七七四年2017/11/13(月) 11:16:45.40ID:lMeE9POt
>>446
蒲生はどちらかというと豊臣に敬遠される形での移転だからいない方が良いかもう
0449人間七七四年2017/11/13(月) 12:12:23.03ID:Njh6SCzI
蒲生は家康嫌いだったから西軍に組みしそうだけど、
割とドライなとこも有るから家康に味方して上杉に突っ込む姿も想像できるな
0450人間七七四年2017/11/13(月) 12:29:50.29ID:P0+SE79/
何しろ豊臣が磐石なら徳川も手が出せないべ
秀吉が老害化しなきゃ良かったワケよね
0451人間七七四年2017/11/13(月) 12:50:58.50ID:LUMEmem0
良いかもう
良い蒲生

のダジャレには誰も触れてくれない(;ω;)
0452人間七七四年2017/11/13(月) 13:42:30.10ID:FnZz6I3J
武田信玄も豊臣秀吉も当の本人が負の遺産を残して行ったから
崩壊するのが早かったな
0453人間七七四年2017/11/13(月) 17:53:47.86ID:nrNTVNbZ
主君信長の喪中に主君の妻子兄弟孫娘を殺して主家を乗っ取った秀吉には正統性がない
それでも天皇が聚楽第に行幸して得た豊臣の唯一の正統性である関白も、秀吉が殺したため穴が開いた
そして朝鮮ごときを征服できず2度も撤退し、文治派は汚職や讒言を行い、武断派との亀裂は深く
太閤検地で農民はしいたげられ、
徳川、上杉、島津、伊達など領地を奪われたり故郷を奪われたりした戦国大名の生き残りである大大名がいて
秀頼には托卵疑惑があり、血統の正統性が疑われている
最高位の大臣は徳川家康で、秀吉が関白左大臣を殺し、右大臣を流罪にして公家を大臣から締め出したため豊臣は公家から恨みを買っている

こんな状態で豊臣政権が続くわけがない。
乱世に戻るか、徳川が統一するかのいずれかだろう
0454人間七七四年2017/11/13(月) 19:13:12.82ID:vqCycPOG
主君の妻って信長側室の坂氏のことだろうけど、
たかが夜伽用使用人に過ぎない側室を「妻」って表現されると違和感凄いな
茶々みたく家中に影響力持ってる側室なら兎も角
0455人間七七四年2017/11/13(月) 19:26:11.10ID:VhHRIy/l
0456人間七七四年2017/11/13(月) 19:52:27.34ID:5dWkqKfi
>>437
正直、家康自身の人物の好みとして安易に寝返る奴は嫌いだろうしね。
小山の軍議って、実は寝返られた家康の方が固まってた可能性も有るよね。
いや、だって、おれはこのまま陣中で取り込められ全滅したって構わないから大阪帰るって
主張する大名が出る事予想してそう。
大体、武功うんぬんじゃ無くて豊臣子飼いだからで大封もらってたんだから、家康の勝利は
身の破滅って考えも普通だし。
実際、江戸初期には良く解らん理由で取り潰し食らってる豊臣系多いし。
0457人間七七四年2017/11/13(月) 20:20:34.27ID:tuYWfZFk
>>456
>>実際、江戸初期には良く解らん理由で取り潰し食らってる豊臣系多いし。
そうか?
0458人間七七四年2017/11/13(月) 20:30:23.79ID:FnZz6I3J
黒田はかなり前から家康に懐柔されていて黒田が福島を説得して
小山評定の前には主要な大名は懐柔されてたって話じゃなかった?
0459人間七七四年2017/11/13(月) 20:42:42.27ID:QSoFrhPh
江戸幕府ははっきりした理由がないと豊臣系だろうがなんだろうが改易してないぞ。
わけわからん理由で改易が横行したのはむしろ秀吉の時代
0460人間七七四年2017/11/13(月) 21:11:34.23ID:nrNTVNbZ
織田信雄なんてひどいもんだわな
織田家は秀吉の主家、主家を先祖伝来の力出て行けとはどういうことだと反論したら改易
信雄の父、信長が秀吉を引き上げ、信雄の母生駒吉乃が秀吉が織田家へ仕官するきっかけをつくり
小田原征伐に従軍して軍功をあげたのに、反論しただけで改易。織田家からすべてを奪った。
みじめなもんだ

そして織田秀信が西軍に加わった理由も泣ける。
織田家家臣の秀吉が不法に奪った尾張と美濃を取り戻したい、だからな。
秀信は秀吉子飼いで織田家の後釜で尾張に入った福島正則に滅ぼされた
0461人間七七四年2017/11/13(月) 21:25:20.22ID:jM0mixDf
東軍先発隊の美濃侵攻時の構想について

岐阜城落とせないってことは東軍先発隊は敵中孤立なわけで、
史実では1日で落としたので問題なかったが、落とせなかった場合(初めから秀信が籠城してた場合)
東軍はどうするつもりだったんだろうか?
木曽川渡ってしまって退路限定的だよね?

もし敗走もしくは後退時に追撃を受けたりした場合、
それこそ>>403のような東軍先発隊壊滅しかねないわけで、このリスクに対しどう考えていたのか。

1、敵情偵察の結果、美濃の西軍戦力は弱小の上分散配置(大垣、岐阜、犬山)、
その上岐阜城は籠城に不向きで城内を知ってる池田もいる。早期に攻略できる見込みなので
退路の心配をする必要はない。

2、実は当時の木曽川の水量は、上流にいくつものダムがある現在とは違い、
雨が降ると一気に増水し渡河完全不能だが、雨止んで数日もすればかなり水嵩が下がり
割とどこでも渡河できるような状態だった?

3、もし後退しなければならないような事態になった場合、まず各務原方面に逃走、
犬山付近で木曽川渡河し中村隊と合流する予定だった。

4、岐阜城早期攻略後、次は大垣を攻略するか包囲し、佐和山攻略を目指す、
と攻撃プランだけは練っていたが、(赤坂で布陣した段階で家康から積極攻勢停止命令が出る)
防御については実はノープランだった。まぁこれは1に近いかな。


どれだろう?それとも他のなにか?
0462人間七七四年2017/11/13(月) 21:30:38.57ID:VhHRIy/l
今の堤防で狭められた川と違って当時は川幅がだだっ広かったから渡河自体は容易
0463人間七七四年2017/11/13(月) 21:47:40.00ID:jM0mixDf
>>462
それ木曽川も当てはまる? 川幅と水量の関係。

あと現在より当時の方が水量多かった要素としては愛知用水と上水道用取水は当時はなかった。
0464人間七七四年2017/11/13(月) 21:59:51.99ID:VhHRIy/l
当てはまるよ。江戸時代中期に紀州流治水術が流行るまでは川ちゃ広くて浅い物だった。
深みのできる湾曲部や勝手に削れて深くなる急流域は別な
0465人間七七四年2017/11/13(月) 23:06:25.77ID:jM0mixDf
なるほどね、川の流れ(本流)がちょくちょく変わったり頻繁に洪水があったみたいだから
水量の増減の激しい川だった、ってことかな。
リスクは雨次第ってとこかな。
0466人間七七四年2017/11/13(月) 23:25:12.06ID:jM0mixDf
前スレだかでだれかが言ってたけど、家康は1608〜1609年に木曽川に御囲堤っていう
対西国用の尾張防御用堤防作ってますね。
やっぱ木曽川は当時の認識としては防衛ラインとしての機能はある、みたいですね。
0467人間七七四年2017/11/13(月) 23:37:18.81ID:6TrxaipP
岐阜城の戦いを詳細に描いた図が残ってるのを見たことあるけど木曽川の渡しは数個しかない
つまり渡河ポイントはかなり限定されるのと、川筋だけが天然の防衛線ではなくて、その周辺は増水時でなくても沼地のようになってるので行軍はかなり限定される

ちなみにまだ織田信長が尾張を統一してなかった頃、岩倉城攻略で功績のあった犬山城主の織田信清に木曽川南岸一帯を恩賞として与えたら信清が怒って離反した
理由は農地にも宅地にも使えない沼地だったからだという
0468人間七七四年2017/11/14(火) 01:52:23.71ID:XYAGm2Yr
>>412
籠城戦の準備から統率まで
実績ある武将ならともかく秀信が最初から決めてたぐらいでさほど変わるとははっきり言って思えない
あの状勢下で全く籠城戦の準備も心構えもしてなかったと言うならそれ自体が無能にも程がある訳で

史実では一日持たずに陥落してる訳で
これが数日間でも持つようになるには
相応の理由がなければ納得しようがない
0469人間七七四年2017/11/14(火) 06:35:28.44ID:fZlvNJVz
>>468
>>299で何回も言われてるし
まず兵力も士気も落ちてない
大坂の陣の真田丸みたいに最初から籠城決めてたから作れたみたいにね
0470人間七七四年2017/11/14(火) 13:23:48.06ID:Z7yKRVXb
>>469
この状勢の籠城戦で士気を高めて下げさせないって相当の実力と準備が必要だぞ
真田みたいな達人の一族が死を覚悟して出来た事はともかく
秀信は実際そういう選択肢も取れた立ち位置でありながら全く出来なかった結果がある以上
ただ準備させましたってだけじゃ大した違いが出るとは思えないよ
0471人間七七四年2017/11/14(火) 13:35:30.81ID:siB5F63k
滝川一益くらい籠城戦に長けたやつが岐阜城に入っておけば
0472人間七七四年2017/11/14(火) 13:56:35.64ID:fZlvNJVz
>>470
野戦は逃げ場がいくらでもあるから士気が落ちれば雑兵なんてすぐ逃げ出す
野戦で規模の割に戦死者が少ないのはみんな散り散りに逃げるからだからな
だから最初から劣勢の少数で野戦をしてはならないというのが鉄則
少しでも分が悪くなると逃げ出すからな
渡河防衛が目的なんだから福島か池田どちらかに渡河されたら作戦失敗で士気が駄々下がりになる
だから史実でも退却した
籠城は逆に逃げ場がないから士気低下は少ない
城主が降伏するか死ぬまで戦うかの所謂、強制的な背水の陣状態だからな
岐阜城の戦いも木曽川退却後の岐阜城戦では激戦になり、
武徳安民記では福島正則勢が430、池田輝政勢が490、浅野幸長勢が308の首級をあげたことが書かれ
侍大将級はほとんど討ち死にし実際に死ぬまで戦う激戦だったから福島正則も称賛していた

浪人で纏まりが無かった大坂の冬の陣は籠城したからあれだけ保ってたが
夏の陣で野戦したら戦上手の真田も一日で崩壊したから野戦は兵力の利がなければやってはならない
まともな野戦経験がない秀信ごときが大軍相手に少数で野戦?過信にもほどがある
0473人間七七四年2017/11/14(火) 15:14:16.01ID:bQJZwjC8
上から目線
0474人間七七四年2017/11/14(火) 19:24:00.73ID:LQ/v8MvI
>>468
一日で落ちたってのは油断と、方針不明だったのが原因なのでは?
有名はヘロポネソス戦争では、油断して陸に上がってた所を敵に急襲されてアテネ艦隊が全滅するって
喜劇が起こってます。
ちゃんとした設備の有る港なら、行き成り敵の急襲で全滅はしなかったでしょう。
ちゃんと最初から籠城方針で防備を固めてれば全然違うと思いますね。
0475人間七七四年2017/11/14(火) 19:51:47.90ID:ZUQcY7Oj
あわれな織田秀信
秀吉に奪われた尾張と美濃を取り戻したくて西軍に参加して1日で落とされた
誰が織田家の敵なのかわからない阿呆だったのだろう
0476人間七七四年2017/11/15(水) 00:02:58.69ID:0BrwWmYh
>>472>>474
岐阜城が籠城に不向きと言えど、城を籠城用に周到に準備を進めて事前に部下も方策もまとめあげ
なおかつ現場で的確に采配が出来れば籠城で岐阜城が持つのはわかる
話の主軸はそこじゃなくまず織田秀信という人物が出来る理由がないと言ってる
彼に能力があれば上記のような方策を取ることはもともと可能だったろうし
上でも言われてるとおり野戦だってもっと賢い戦い方はあったろう、が彼は出来なかった人物な訳で
>>472も言うとおり彼の能力にはかなり疑問がある
それをどうにか籠城させるという仮定までは理解出来るが
木曽川渡河を妨害しない場合、岐阜城攻撃開始はますます早まる中で
彼が指揮してる限り大差があるとは思えない
0477人間七七四年2017/11/15(水) 00:20:13.10ID:MWF4pxM4
能力があっても兵力と援軍が無ければ難しいよ
少数でも真田みたいな戦い方が当たり前と思う方が非現実的
0478人間七七四年2017/11/15(水) 00:42:23.59ID:HmHcyWlP
>>476
大津城の戦いの京極高次も蛍大名と陰口を叩かれるぐらい
戦上手でも武功があったわけではない
大坂の陣も城主の豊臣秀頼も戦経験がなく置物状態だった
掛川城の戦いも君主の今川氏真が指揮していたわけではない
籠城だと攻城してくる敵を迎え撃てば良いだけだから
野戦のように迅速な判断や采配を求められず
大将の能力がダイレクトに伝わる野戦とは違うって話
そもそも寡兵で大軍相手にで勝った例は>>280>>281で行ったように
籠城で敵の前線に引き付けて奇襲か、籠城で疲弊させての奇襲
または総大将の首を取るのが大体で
東軍先発隊には総大将と呼べる人物がいないから野戦での一発勝負も通用しない
0479人間七七四年2017/11/15(水) 01:34:58.61ID:DenSf2+q
京極高次はいくさ上手…かは知らないが従軍経験と武功もあるベテランだぞ
0480人間七七四年2017/11/15(水) 08:48:39.66ID:fHDWkDOR
織田秀信は東軍諸将とのパイプはなかったのかな
ああいう状況に陥ったら普通に東軍と裏交渉をやってみようかと考えそうだけど
0481人間七七四年2017/11/15(水) 09:01:49.21ID:AGXKIlEt
>>476
その疑問の解決には、だれもが疑問に感じる、史実でなぜ岐阜城は一日で落ちたのか?
を検証してみればいいんじゃない?
wiki参照で申し訳ないけど、兵の配置が岐阜城一極集中ではなく岐阜城及び諸砦に分散配置、
それと登山口に重臣配置ってなんだろう?
この期に及んで山麓配置だったんだろうか?
城の収容スペースの問題でやむなくこの配置ならわからんでもないけど、
兵2000〜3000すら収容できないとは思えない。いや収容できないような城なのか?
この配置の意図がわからない。

砦以下の防御能力しか有しない城ならば、岐阜籠城は諦めて初めから大垣に合流してもらったほうがいい。
渡河迎撃はその時点での西軍戦力の観点から有効とは思えない。
0482人間七七四年2017/11/15(水) 09:05:34.58ID:AGXKIlEt
>>480
越後の堀に対しては、奉行ではなく秀信が勧誘してたら意外と堀は西軍側に立ってたような気も…。
秀信はもっと「信長嫡孫」という武器を旧織田系武将勧誘に使ってもよかったと思う。
0483人間七七四年2017/11/15(水) 09:22:27.24ID:vEgaCA4Q
「織田惣領」かつ「先の内大臣」織田信雄まで西軍に参加してたっつーの。
この時期の織田家の権威を過大視しすぎ
0484人間七七四年2017/11/15(水) 10:18:21.09ID:HmHcyWlP
>>479
でもまあ蛍大名と陰で言われるくらいだからな
一応今川氏真も従軍経験豊富だし戦功もあるぞ
戦功で城主になったがすぐ解任されちゃったけどw
0485人間七七四年2017/11/15(水) 10:21:53.59ID:ipqDcQjR
堀を味方につけるには上杉との関係を修復する必要があるから時間かかるでしょ
元々対立してた事に加えて上杉に旧領への未練を(少なくとも一時的には)断たせないといけないから
秀信が何か言ったところで一朝一夕で解決するような間柄ではない
0486人間七七四年2017/11/15(水) 11:18:45.58ID:1UaQoGHm
織田秀信あわれだよ
秀吉に奪われた尾張と美濃を取り戻したくて西軍に参加して滅んだのだから
織田家の敵は豊臣家なのだが、やっぱり恐怖があったのだろうな
0487人間七七四年2017/11/15(水) 16:51:02.44ID:gPE3a7q7
ぶった切るけど
島津がホントに夜襲やってたら
立花らが本戦参加してたら
鍋島オヤジ無視で西軍で本戦参加してたら
恵瓊と盛親、吉川無視で山下ってたら→物理的ムリ?
宇喜多に3000、大谷に3000、石田に3000ずつ兵数プラスだったら 
如水の九州勢が…って別のはなしになっちゃうな

堀直政の息子の一人は上杉と組もうって進言したはず
0488人間七七四年2017/11/15(水) 16:57:52.49ID:scjGhQ2v
>>482
美濃大名は旧織田系ほど東軍寄りだったわけでそんな武器は元から無かった。
0489人間七七四年2017/11/15(水) 17:52:22.49ID:hYD/P6hG
>>487
恵瓊と盛親?
スルーされる正家
0490人間七七四年2017/11/15(水) 19:58:47.74ID:0UXPYqND
>>487
普通に考えて「吉川が通せんぼしてたから物理的に参戦不可だったは」あり得ないでしょ
細い一本道以外断崖絶壁とかでも無い限り

常識的に考えれば指揮系統的な理由か、
毛利勢みんなが消極的だったか(つまり秀元のアレはブラフ)のどちらか
0491人間七七四年2017/11/15(水) 21:20:30.19ID:HmHcyWlP
吉川広家は先鋒で
先鋒を任じられるのは名誉なこと
それを後ろから追い越す行為は先鋒の名誉を傷付ける行為だから
後ろから広家に撃たれても文句は言えない
まあそれを逆に利用したんだろうな広家
0492人間七七四年2017/11/15(水) 21:23:01.71ID:vEgaCA4Q
>>491
それ作り話だから。南宮山から広家の陣を避けて下に降りる道はいくらでもあったから
0493人間七七四年2017/11/15(水) 21:48:12.00ID:HmHcyWlP
>>492
池田輝政が抜け駆けしたから福島正則が大激怒した話も作り話か
家康家臣の大須賀小吉が抜け駆けして切腹させられた話も作り話か
基本的に抜け駆けは陣容が崩れるから禁止なのに
0494人間七七四年2017/11/15(水) 22:17:27.35ID:vEgaCA4Q
>>493
> 池田輝政が抜け駆けしたから福島正則が大激怒した話も作り話か
そうだよ。信じてたの?
0495人間七七四年2017/11/15(水) 23:30:32.11ID:HmHcyWlP
自分の信じる話以外は全部作り話で
南宮山から広家の陣を避けて下に降りる道はいくらでもあったから行けたという話を主張されてもなw
0496人間七七四年2017/11/16(木) 02:10:49.01ID:StT5U+y3
>>478
他の武将が籠城で実績出したから秀信も出来るはずなんて理屈が通るわけもなく
彼は徹底抗戦してるのに1日で岐阜城落とされた実績しかない
また>>481で書かれてる通り彼は籠城自体もチグハグ

渡河迎撃が良いという訳でもないが
籠城自体も大差はないだろうと言いたい
ならいっそ城を捨てて兵力だけどこかで合流という>>481の意見はまあわかる
0497人間七七四年2017/11/16(木) 02:47:58.79ID:Zt7t7eAC
>>496
城を捨てるって…
岐阜城落ちたら日和見してた大名は史実通り東軍に傾くし
家康も江戸から出陣するから史実となんら変わらん結果にしかならんぞ?
0498人間七七四年2017/11/16(木) 03:04:58.97ID:TXFiovU8
岐阜が西軍方だったからこそ畿内の小大名は簡単に東軍方ですとは言えなかった面はあるだろうな
0499人間七七四年2017/11/16(木) 05:47:02.90ID:49tzysUc
岐阜放棄は本人にその気はなくて純粋に戦略上の判断だとしても
三成が他人の領地を放棄させて自領の佐和山城は守るように見えるから心象悪くなるだろうなあ
0500人間七七四年2017/11/16(木) 11:14:19.38ID:nEqC8G7V
秀信は秀吉に横領され奪われた
織田家の本拠地である尾張と美濃を取り戻したくて西軍に参加したのに、捨てるという選択肢はないだろ
尾張美濃近江などは豊臣に奪われたままなんだぞ
0501人間七七四年2017/11/16(木) 12:01:46.35ID:UtD5cHfm
>>500
勝てばまた戻ってくる。約束守ってもらえば尾張もプラスで。
0502人間七七四年2017/11/16(木) 13:09:45.84ID:P8fVXBU3
>>497
だろうね
ただそれは籠城してもまず変わらんと言ってる
そこに打開策がないならそもそもここはどうにもならんって事だわ
0503人間七七四年2017/11/16(木) 14:18:17.33ID:t81MZ8BH
じゃあ伏見も野戦で良かったと?
0504人間七七四年2017/11/16(木) 15:13:25.85ID:ZPRP0CyO
>>501
自宅を売って得られた資金をお預け頂ければ、
FX取引で勝った場合には二倍でお返しします。
負けた場合?諦めて下さい。
0505人間七七四年2017/11/16(木) 15:37:16.26ID:Zt7t7eAC
>>502
どの道、東軍先発隊を壊滅させることができなければ西軍の負けは覆らないからな
家康が江戸に留まり、秀忠隊が遅れて来ていない岐阜城合戦しかチャンスがないわけで

西軍先発隊がピンピンしてる、または岐阜城落ちる → 史実通り西軍敗北
過剰な時間稼ぎ → 秀忠隊が到着するために史実よりも戦力差が開いてアウト
0506人間七七四年2017/11/16(木) 17:20:56.04ID:7c/CKrIX
西軍首脳が東軍先鋒の目的と意図を正しく理解し、
それに適切に対応できれば、

というのは西軍が敗北した最大の理由でもある
0507人間七七四年2017/11/16(木) 17:24:25.42ID:MyBXppMB
じゃ、また2スレくらい前の話に戻っちゃうけど、
8月上旬に秀信に小牧山占拠させて小牧山で籠城してもらう。
小牧山なら大して守備配置いじりようがないので阿呆でもそこそこ守れる。
で、一週間小牧山で粘ってもらえば宇喜多到着で小牧山後詰決戦できる。岐阜城も落ちない。

もし小牧山スルーして岐阜城攻略してきたなら
岐阜決戦でもいい。
0508人間七七四年2017/11/16(木) 17:45:01.39ID:czGGgfM7
美濃防衛は無理だから、いっそのこと近江決戦でいってはどうか?
佐和山なんぞくれてやればいいだろ
0509人間七七四年2017/11/16(木) 18:00:51.92ID:Zt7t7eAC
>>507
それは小牧山と岐阜城の戦力分散にならないかね
0510人間七七四年2017/11/16(木) 18:11:06.15ID:V5kuxTtE
>>508
岐阜大垣佐和山を見捨てるのだから西軍の内情が史実以上にボロボロになる
0511人間七七四年2017/11/16(木) 21:10:37.80ID:GI97aDGY
でも岐阜城本気で落としてから家康は福島とか池田たちを信用して西上開始したというから岐阜城を落とさなければ落とさなかったで福島たちは信用されず、中山道組を待ってから出陣しただろうね
当然、その後の戦闘は徳川譜代中心の陣容になる
0512人間七七四年2017/11/16(木) 22:22:41.94ID:NSVXwI8Q
>>510
つっても美濃〜大垣は兵力不足で如何ともしがたいでしょう
近江衆は生贄にするとして、西軍全力が勢多で東軍と睨み合って、志賀の陣みたいな和睦したらどうか
美濃大垣で総崩れからより好条件で和睦しよう
0513人間七七四年2017/11/16(木) 23:54:26.39ID:B/n4KG7x
>>509
小牧山案は、岐阜城を籠城でも放棄でもない第3案としての提案。

それより前提として、西軍は岐阜城を守るのか、守らないのか、
守れるのか、守れないのか、これによって想定が変わってくるので
いったん小牧山案は保留にいたします。

論点は、籠城準備をした上で、秀信が兵6000で岐阜城に籠もっても持たないのかどうか。

秀信の将としての資質に問題があるというのなら、日程的にはぎりぎりだけど、
大垣から島津義弘1000を軍監というか軍目付として岐阜に援軍として送ってみてはどうだろう?
さすがに義弘の提案なら秀信もむげには却下しないと思うが…。

岐阜城の防御能力の問題ならば、そんな所で守っても兵の無駄な損耗にしかならない。
大垣なり小牧山なり防御に有利な所で守った方がいい。
規模はまったく違うが、伊勢上野城の分部光嘉も寡兵で伊勢上野城を守ることは困難という
戦術上の理由で伊勢上野城を放棄し富田信高の安濃津城に合流していっしょに籠城してる。
岐阜城をその理由で放棄してもおかしくはないと思うし、
そんな防御困難な城ならば東軍に取らせて守らせて、そこを西軍が容易に奪回すればいいように思う。
0514人間七七四年2017/11/17(金) 00:03:58.69ID:7lm8+IDi
秀信はもう調略せずに逆に西軍が攻め落として士気を高揚させたらいいんじゃないだろかw
0515人間七七四年2017/11/17(金) 00:20:17.49ID:BqcZnJnb
>>514
いっそそのほうが、とも思うけど、その場合、竹中重門の菩提山城、赤坂あたりの西濃が
東軍最前線になる。東軍美濃衆によって初期に大垣城が落ちる可能性もけっこうあると思う。
つまり松尾山か佐和山が西軍最前線になりそう。
0516人間七七四年2017/11/17(金) 00:37:54.69ID:Ww/y/22v
>>511
実際、岐阜落城の意味は、もう西軍に寝返る事が無理って事ですしね。
家康は甘い男じゃ無いし、それまでは東軍先鋒が自壊する可能性も検討してたと思う。
0517人間七七四年2017/11/17(金) 06:58:38.08ID:FUYgusLk
>>513
もう岐阜城が落ちた時点で日和見してた大名は東軍に傾くし
家康も江戸を出陣してくるから
その後にもう何やっても時既に遅しなんだって
家康本隊が合流した時点でもう西軍が勝てる要素無し
0518人間七七四年2017/11/17(金) 07:58:16.96ID:o4XwS8yy
社会構造を無視した机上の空論はもう飽きた
0519人間七七四年2017/11/17(金) 10:02:00.07ID:sPGjRn9+
東軍にどんどん裏切り者が出れば勝てた
0520人間七七四年2017/11/17(金) 13:49:09.37ID:NLmr8Epp
当時最高の兵法書の孫子で分析すると西軍には勝ち目がない
0521人間七七四年2017/11/17(金) 14:34:15.69ID:DE0n4PlK
why
0522人間七七四年2017/11/17(金) 14:42:02.70ID:NLmr8Epp
孫子の五事七計で
道天地将法のすべてにおいて家康が勝り
君主、将帥、天地、法令、軍隊、兵卒のすべてにおいて家康が勝っている
0523人間七七四年2017/11/17(金) 21:57:00.14ID:r1+ja9eW
8/20前後に東軍に寝返っていれば
大垣城を小早川と挟撃してMVPになれたのにな秀信
0524人間七七四年2017/11/18(土) 03:20:03.66ID:ep/+xjlz
>>523
でも、家康の性格からすれば加増転封で遠方に飛ばすでしょうね。
秀吉はまだ美濃に領地を与えてる分甘い男なんで。
流石に織田の旧臣の事考えると余り厳しい事もって事だろうし。
九州か奥州に飛ばされた織田家が残る未来ですね。
0525人間七七四年2017/11/18(土) 07:20:49.46ID:WMXyg6+D
そもそも秀吉が家康を江戸に転封して
転封拒否した主家の織田信雄を改易してるわけだけど
0526人間七七四年2017/11/18(土) 08:11:45.48ID:q2l3tik4
完全に妄想じゃん
0527人間七七四年2017/11/18(土) 09:56:26.95ID:AxzPNOGi
家康は織田恩顧には優しいからな
前田や池田は大大名として認めているし丹羽も大名に復帰させている
山内や蜂須賀も織田家臣として秀吉の配下に回されただけなので織田恩顧として認めている
さらに役立たずの信雄まで大名に戻しているのだから
秀信も馬鹿なことをせずに家康と仲良くしていれば問題ない
0528人間七七四年2017/11/18(土) 12:49:29.30ID:+0vTeoO0
家康マンセーマン
0529人間七七四年2017/11/18(土) 19:21:46.65ID:06GpW36U
脱糞ニキマンセー
0530人間七七四年2017/11/18(土) 20:12:45.25ID:zKasJcjr
>>529
未だそんな作り話信じてるんだ…。
0531人間七七四年2017/11/18(土) 21:49:19.29ID:b3Mk7bpz
ネタと分かった上でやってるだろ
普通に考えて
0532人間七七四年2017/11/19(日) 10:18:33.01ID:9rik8mcW
>>520
そもそも西軍を結成したこと自体が間違いだよ
むしろ家康のやりたいようにやらせて自由を与えるべきだった
その方が逆に豊臣政権も安定して存続の可能性が高まったのに
三成の身勝手な欲望が豊臣を滅ぼした
0533人間七七四年2017/11/19(日) 10:20:01.21ID:CtBradj4
どうしても勝てそうにないから発狂してんだろ
0534人間七七四年2017/11/19(日) 10:21:21.99ID:fZdMneHZ
安定の家康マンセーマン
0535人間七七四年2017/11/19(日) 11:08:09.09ID:QcZFTlVm
>>532
結局そのまま戻って来ても征夷大将軍を申請して何れ大坂の陣
0536人間七七四年2017/11/19(日) 11:28:17.94ID:oSwrI4Gs
大坂の陣が起こっても関ヶ原で反徳川勢力が壊滅してなければ
史実よりはもっとまともに戦えたろうけどね
0537人間七七四年2017/11/19(日) 14:01:00.87ID:P3IujnTP
因縁つけても上杉みたいなよく分からん精神してるやつ以外は
前田みたく速攻で土下座してくるから領地削減できないしな

関ヶ原無ければ、徳川250万石で大坂の陣で無謀の極み
つーか関ヶ原で反徳川一掃出来なければ先に家康の寿命が来そう
0538人間七七四年2017/11/19(日) 14:39:28.59ID:CtBradj4
まあ結論は石田はアホ
0539人間七七四年2017/11/19(日) 14:41:44.61ID:jh2R88pk
反抗勢力がある程度ある状態で大阪の陣って、防衛しなきゃいけない領地や城が増えるから、結局は関ヶ原と変わらんような気がする
大阪城に一極集中できないよね
0540人間七七四年2017/11/19(日) 15:40:46.82ID:yYXbDC+m
>>525
信長もまさか自分の死後8年で織田家が滅亡するとは思わなかっただろうな
それも30年近く恩を与えて下層民から大名、大名から軍団長まで引き上げてやった飼い犬に手をかまれて織田家が滅亡するとは。
信長の49年の人生とはなんだったのか。18歳で家督を継ぎ、31年奮闘し続けた人生とはなんだったのか。死後8年で織田家滅亡
0541人間七七四年2017/11/19(日) 16:02:06.53ID:/SYtJxNm
んなこと言い出したら信長だって
信友の暗殺計画を密告してくれた命の恩人の義統の子供を追放して
斯波家を滅亡させてるんだよなぁ。

しかも義昭に斯波の名跡貰って乗っ取りすらしてる畜生っぷり
0542人間七七四年2017/11/19(日) 16:24:12.12ID:yYXbDC+m
それ義統ではなく、簗田弥次右衛門だろ?
簗田は信長配下の那古屋弥五郎と男色関係でそれで信長に報告したんじゃないの
0543人間七七四年2017/11/19(日) 16:50:00.32ID:zNAWTVYY
「織田信長に申し通じて、彦五郎を誅せんとす」の後に
「義統も、信長と内々心を合せられしとかや」と続くから義統の意志だろ
0544人間七七四年2017/11/19(日) 16:56:25.85ID:oSwrI4Gs
>>539
大坂以外が徳川勢力だからああなったわけで西国に毛利のような反抗勢力があれば泥沼化してた可能性が高い
真田が提案した瀬田防衛も有効になったはず
家康は2年前後で死ぬし
0545人間七七四年2017/11/19(日) 18:11:08.40ID:IWGy1/3v
西軍が挙兵しなかったら上杉はマジで戦う気でいたのかね
0546人間七七四年2017/11/19(日) 18:17:50.20ID:P3IujnTP
家臣宛の書状で
「自然無分別理不盡之『滅亡』を存述懷者ハ、何者成共無相違可出暇候」って書いてるし、
滅亡覚悟でやりあうつもりだったんじゃね?

本能寺直前に佐竹に↓みたいな手紙を送る精神の持ち主だったみたいだし
「なかんずく景勝はよき時代に出生し、弓箭を携えて、六十余州を越後一国をもって
 相支え一戦を遂げ滅亡せしむこと、死後の思い出、景勝にははなはだ不相応に候か。
 もし又死を出でて一生せしむるにおいては、日域無双の英雄たるべきか。
 死生の面目・歓悦天下の誉れ、人々その羨み巨多たるべきか。」
0547人間七七四年2017/11/19(日) 18:35:03.24ID:JSrPxIgS
戦国時代に力を失った家が滅ぶ事に信長は
自分の家だろうとなんとも思わなそう、是非に及ばずってところだろ
優秀だった信忠まで一緒に殺されてしまった時点で織田の命運は尽きてた

ただ滅亡はともかく嫡孫がよりによって高野山で迫害された後に亡くなってるのはあまりに忍びない
0548人間七七四年2017/11/19(日) 18:47:02.58ID:yYXbDC+m
織田秀信は誰が敵なのかを間違えたな
織田家は豊臣家によって横領され、1590年の改易で滅ぼされた
織田家にとって豊臣とは不倶戴天の敵であり恨み骨髄の相手と言っていい。
豊臣を否定する信長の盟友だった徳川に秀信は手を貸すべきだった。

秀吉に滅ぼされた織田家の後釜として終わりに入った福島正則に攻め滅ぼされたのも
運命的なものを感じるな
0549人間七七四年2017/11/19(日) 19:39:30.82ID:2vbH+ISU
>>545
攻めてきたら戦うだろうけどどの程度の覚悟をしていたんだろうか。小田原のような感じになっても戦う覚悟だったのか。
0550人間七七四年2017/11/20(月) 01:36:12.13ID:IKKHLmwX
>>541
意外と知られて無い事実だけど、斯波家の子孫は姓を変えて織田家に帰参してますよ。
斯波の姓だと憚り有るんで、分家の津川姓を名乗ってますけどね。
織田信雄の家老の津川さんの正体です。
信長の織田家は下半国守護代家の家老なんで直接の主君でも無いんですけどね。
何にしろ、旧主君筋ってのは完全に滅ぼすと悪評がね。
0551人間七七四年2017/11/20(月) 01:41:10.84ID:IKKHLmwX
>>549
あの時代の上杉家って、実質謙信教団ですからね。
謙信なら確実に日本中を敵に廻しても戦うでしょ?それが答えですよね。
凄まじい消耗戦に成ると思うなあ。
0552人間七七四年2017/11/20(月) 01:42:35.42ID:qQHfV58T
初期の信長は斯波家の為に立派な城を用意せざるをえなかった
0553人間七七四年2017/11/20(月) 02:12:00.95ID:JrbF9Onm
>>550
>>541は「秀吉が信雄を改易して恩のある(大名としての)織田家を滅亡させた」って主張するなら
「信長も義銀を追放して恩のある(大名としての)武衛斯波家を滅亡させてる」って返してるんだと思いますが。

貴方が言うように義銀は後に帰参して織田家の親類になってますし、
信雄も後に赦免されて嫡男秀雄が大名に復帰してます。
主家根絶やしにして、主君の神号剥奪・神社廃絶解体まで徹底したのは家康くらいのもんです。
秀吉ですら信長を総見院に祭ったままだったのにね。
0554人間七七四年2017/11/20(月) 02:18:11.99ID:qQHfV58T
近年の研究成果を観る限り家康の意思だったかは怪しくて秀忠の意向の方が強い可能性もある
0555人間七七四年2017/11/20(月) 02:39:18.34ID:4aSSkxUf
>>553
秀吉は
信長の妻坂氏を串刺しにして殺害
信長の孫娘を串刺しにして殺害
信長の息子信孝を切腹させて殺害
信長の妹お市を自害させて殺害
織田家の領地を横領
織田家を改易にして滅亡させる
父母と義父を殺したお市の娘江を外交の道具にして次々に結婚と離縁を繰り返させ
父母と義父を殺したお市の娘淀を手篭めにして側室に
近衛家の養子になることで関白になったのに近衛家の当主を流罪
惣無事を唱えて関白は天皇の代理だと主張し、聚楽第行幸を2度もしてもらい関白に正統性を与えてもらいながら関白を殺害
とやりたい放題でしょう

ちなみに、家康の主君は秀吉ではありませんよ。後陽成天皇です。
日本史の教科書にもかいてあることだけど、
1585年に秀吉自身が惣無事をとなえ、自分は天皇の代理だと主張したからこそ、家康は1586年に天皇に臣従し
2度の聚楽第行幸で天皇を主君としてあおぎ、代理の関白に従うと誓っているわけだから。
まぁその関白を豊臣は殺したわけだけど。

さらに言えば
1614年当時、征夷大将軍は徳川秀忠であり、関白は鷹司信尚で
日本の政府は東京につくられていた。
自称関白の豊臣秀頼は、当時最高の学識者の五山が認める呪術テロをおこなったテロリストにすぎない。
テロリスト秀頼には、政府に出頭するか、母親を出頭させるか、国替えに応じるかの選択肢を
政府が与えたのに、すべを蹴って選択肢浪人を集めて反乱をおこしたのだから弁解の余地はない
0556人間七七四年2017/11/20(月) 02:43:19.20ID:4aSSkxUf
訂正
すべを蹴って選択肢浪人を集めて反乱をおこしたのだから弁解の余地はない
すべての選択肢を蹴って浪人を集めて反乱をおこしたのだから弁解の余地はない
0557人間七七四年2017/11/20(月) 02:43:31.64ID:VwgjOf/Q
徳川マンセーってか
0558人間七七四年2017/11/20(月) 03:33:28.26ID:4aSSkxUf
>>557
どこが徳川マンセーなんだ?

秀吉が信長の喪中に信長の家族を殺しまくった事実を書いたことか?
それとも、惣無事と聚楽第行幸で、家康と諸大名が天皇に臣下の礼をとった事実を書いたことかな?
それとも、父母と義父を殺した江を外交の道具にして結婚と離縁を繰り返させ、淀を手篭めにして側室にしたことか?
それとも、1614年当時の征夷大将軍が徳川秀忠、関白が鷹司信尚で、天皇公認の日本政府が東京にあった事実を書いたことか?
それとも、戦国当時呪術は大きな影響力を持ち、呪いの存在を当時最高の学識者五山が認定した事実のことか?
それとも、秀頼か母親が出頭するか国替えに応じるように政府がもとめたのに豊臣が蹴った事実のことかな?
それとも、秀頼が呪術テロを行ったあげく反乱をおこした事実のことか?

どこが徳川マンセーなんだ?
0559人間七七四年2017/11/20(月) 03:45:33.27ID:4aSSkxUf
>>557
もしかして、1590年に秀吉が織田信雄を改易にして織田家を滅亡させた事実を指摘したことだろうか
信雄は家康の口利きで大名復帰したわけだし。
もしくは、2度の聚楽第行幸で関白の大義を天皇が認めたのに、その関白を豊臣が殺害した事実を指摘したことだろうか

どこが徳川マンセーなのか分からないな。
事実を並べると徳川マンセーなのか。いや織田マンセーだろ
豊臣は織田家にとって不倶戴天の敵だし
0560人間七七四年2017/11/20(月) 07:49:29.68ID:OESo0N3o
要は秀頼が信雄みたいに改易に従えば良かっただけで
秀頼がアホだったって話でしょ?
秀吉みたいに改易じゃなくて
家康は転封と言う信雄の時より甘々な条件にも関わらず
それを蹴って二回も争乱を巻き起こしたんだし

処刑は免れない
0561人間七七四年2017/11/20(月) 08:08:41.29ID:B/offTXT
この記事に載ってる岐阜城の模型見ると兵2000〜3000くらいは収容できそうに思える。

http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=6521&;comment_sub_id=0&category_id=233
0562人間七七四年2017/11/20(月) 08:09:12.25ID:R5IXmPtD
全体では徳川寄りの解釈だとは思うが
豊臣寄りに見ても秀次を虐殺して以降全く正当性がないのは同意せざるを得ない
その時点で詰んでた
0563人間七七四年2017/11/20(月) 08:32:27.24ID:OESo0N3o
信玄も謙信も秀吉も後継者問題で死後に勢力が弱体化してるからな
0564人間七七四年2017/11/20(月) 10:06:26.87ID:SN0CMQlG
>>559
君毎日うるさいしウザい
0565人間七七四年2017/11/20(月) 10:16:41.10ID:VwgjOf/Q
粘着徳川マンセー
0566人間七七四年2017/11/20(月) 10:38:57.11ID:QuxzyNGx
史実をきちんと言っただけで徳川マンセーに見えちゃうからね。史実を改変するしか無いね。
0567人間七七四年2017/11/20(月) 11:22:34.36ID:B/offTXT
やはり個人的には>>403を叩き台とした岐阜城後詰決戦が有力なプランだと思う。
これを修正及び派生していけばいい線いけるような気がする。

8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多が大垣到着、9月7日毛利秀元、吉川、長曾我部ら伊勢方面隊南宮山到着。

宇喜多到着で後詰決戦か、確勝を期して伊勢方面隊を待つかは岐阜城の持ちこたえ次第だと思う。
ただ、伊勢方面隊を待つと、形勢不利を悟って東軍先発隊は清洲へ後退する可能性も…。

また伊勢方面隊の行動にも選択肢があり、史実のように鍋島等一部以外美濃へとか、
鍋島に長島城包囲、毛利、吉川、安国寺に清洲包囲、長束、長曾我部は大垣へとか、

または3000〜5000ほどを志摩へ援軍に送り九鬼嘉隆の後詰。
九鬼嘉隆がフリーハンドになれば、詳細が不明だが輝元が阿波占領後伊勢湾制圧のために
村上景親を伊勢に送っているので、九鬼水軍+村上水軍の一部+堀内氏善の熊野水軍で
伊勢湾制海権確保、
そして志摩から渥美半島経由で三河吉田城か浜松城の包囲に向かう後方攪乱も面白いと思う。

いずれにしても岐阜城が持ちこたえるかどうかがすべての鍵。
岐阜城健在ならまだ東西互角の情勢であり、日和見衆も去就を決めかねてると思う。
(ただし日程的に実行できるのはおそらく9月中旬以降)
0568人間七七四年2017/11/20(月) 12:41:09.93ID:v3x13N5Z
ごく自然に「マンセー」という言葉を使うやつ
0569人間七七四年2017/11/20(月) 14:34:53.11ID:OESo0N3o
>>567
北条氏康や真田昌幸は降伏すると偽って時間稼ぎや敵の戦意を下げてたけど
プライドが高かったのか家臣が尽く討死してやっと降伏した秀信には難しい策だろうな
0570人間七七四年2017/11/20(月) 16:02:22.94ID:VwgjOf/Q
よっぽど図星らしい
0571人間七七四年2017/11/20(月) 18:27:45.61ID:ebSNlR08
世渡り上手かったのは浅野長政か、まさか岐阜城攻める浅野家を想像出来たかな豊臣は
しくじりも無く維新まで家を残せたし
分家でヘマはしたが
0572人間七七四年2017/11/20(月) 18:43:21.77ID:Vpt8Be3J
浅野は他の五奉行からハブられてるし一時の失脚に追い込んだのも奉行だし
西軍の味方になる可能性は低いほうじゃね
0573人間七七四年2017/11/20(月) 18:50:49.47ID:4aSSkxUf
>>569
プライドが高いというより、
織田秀信はストックホルム症候群だったのだろうね

織田家は一族を家臣の豊臣に殺されまくり、豊臣に横領され滅亡させられたわけだが
被害者が加害者に執着するいびつな関係が幼少期より形成されていた。

醍醐の花見で淀が杯争いをしているのもストックホルム症候群。
被害者が加害者に執着してしまう。

信長が見たら嫌悪するだろう。

立てこもり事件であったストックホルム症候群では、
警察に銃を向けていたのは人質で
おまけに、すでに解放されているのに人質が加害者をかばったりもするらしい
0574人間七七四年2017/11/20(月) 19:06:12.18ID:4aSSkxUf
淀なんかはもうガチガチのストックホルム症候群だな

父親と母親と祖父と義父とほかまわりにいた親しい家臣は秀吉に殺され
北近江や越前は秀吉のものになり
小さいころに育った小谷城は秀吉に破壊された。
母と義父を殺されたあとは、秀吉に犯され、乱交して子供を生んだ。

太閤殿下万歳と叫びたくなるだろう。ストックホルム症候群だ
0575人間七七四年2017/11/20(月) 19:15:18.65ID:AkPYmNjE
歴史板で1番ウザいのは会話にならずに一方的に一人説をベラベラ話すやつだな

自己愛性人格障害だな
0576人間七七四年2017/11/20(月) 19:27:57.46ID:4aSSkxUf
>自己愛性パーソナリティ障害
>自分は他人よりも優れている、人とは違うと思い込み、自分の能力を過大評価しています。
>ほめられたい、尊敬されたいという思いが強く、自分のやったことを「すごいことだ」などと強調して周囲に話します。



秀吉のことじゃねーか
0577人間七七四年2017/11/20(月) 19:48:58.07ID:kI3B292X
最近の話しの流れみると関ヶ原の西軍勝利無理そうだし、
もうこのスレも終了かな?
0578人間七七四年2017/11/20(月) 20:18:56.13ID:B/offTXT
>>577
いや岐阜城が持つかどうか次第だと思うけど。
冷静に考えてほしいんだけど、西軍が『内府違いの条々』に期待していた効果、
つまり上杉征伐軍の瓦解だけど、
東軍先発隊を撃滅する(仮定)ということは期待していた内府違いの条々の効果の半分は達成できるということ。
もちろん、兵を出して戦をして東軍先発隊を撃滅するというコストは支払わなければならないが。

東軍先発隊以外でそれなりの兵を出して東軍として戦っているのは
宇都宮で秀康といっしょにいる組、秀忠隊同行組、家康本隊同行組、江戸留守居組、
最上、前田、動向の怪しい伊達あたり(九州及び小兵力除く)。
前田、伊達以外はそれほど大兵力ではない。

東軍先発隊が壊滅した場合、家康がどう動くかは予測できないが、
日和見衆が東軍につく可能性はかなり低下すると思われる。
西軍が有利な条件で家康と和睦するチャンスになると思う。
0579人間七七四年2017/11/20(月) 20:20:14.58ID:4aSSkxUf
西軍勝利の妄想でエクスタシーしているのは豊臣厨だけだしね。

豊臣は主家乗っ取りの逆臣で2度の聚楽第行幸で天皇に正統性を与えられた関白を殺したお家。
石田三成は、後陽成天皇に晒布100反を下賜されて出陣した武家最高位の内大臣に謀反をおこした逆賊。
率いる兵は文治派と分裂している毛利家。

家康は秀吉の死を待って行動をおこし、関東の地盤を背に、庭のような尾張美濃で戦い、関ヶ原の領主は東軍に参加。
そして小山評定で団結を強め、天の時、地の利、人の和すべてを兼ね備えている。
勝てるわけがない。
0580人間七七四年2017/11/20(月) 20:25:49.40ID:4aSSkxUf
>>578
降伏せず家臣が死に絶えるまで戦って加害者の豊臣を助けようとした秀信は
ストックホルム症候群だろう。
そんな病気の人が細かい戦術行動を取れるわけないよ。
難攻不落の岐阜城がたった1日で陥落したことからも秀信はまともな精神状態ではない。
岐阜城はなにをやっても持たないよ。
というか、関ヶ原が長引けば東から秀忠がやってきた。さらに長期戦になったら
元戦国大名のみなさんが独自の行動をはじめて戦乱逆戻りだったろう。
0581人間七七四年2017/11/20(月) 20:45:53.60ID:IKKHLmwX
>>580
此処は何のスレかぐらいは読もうよ、別に徳川スレ有るんだから其処でやれよ。
後、信長死亡時に織田は全国平定してる訳じゃ無く、あのまま乱世に戻る可能性も有ったんですよ。
秀信は秀吉に旗印として利用された事は確かだけど、事実上の内紛で織田家が消滅したも同然の
状況だったしね。
家康だって、一揆煽動で甲斐信濃を分捕ってるじゃん。事実上の無主の土地って認識だから横取り
したんだと思うよ。
それとさあ、秀信もだけどこの時代って不自然に徳川に都合良い死に方してる人が多くないかな?
信長の嫡流とその他の織田じゃ意味違うしさ?
0582人間七七四年2017/11/20(月) 20:50:13.68ID:B/offTXT
>>579
>勝てるわけがない。

勝てるわけがない、ではなく、重箱の隅をつついてでも勝てる方法を模索するのが
このスレの題目。

個人的には豊臣がどうなろうと知ったことではなく、関ヶ原戦役において
西軍が軍事的に勝つ方法を模索しているだけ。
0583人間七七四年2017/11/20(月) 21:00:53.05ID:OESo0N3o
まあ秀信は大垣城に人質みたいに送り
島津と秀信家臣が主導で戦うのが最善の手だわな

秀信が前線にいて秀信がもし戦死してしまったら
三成が尾張美濃二か国の約定を反故にするかもしれない等と家臣と島津が説得すれば下がるだろう
0584人間七七四年2017/11/20(月) 21:08:07.09ID:4aSSkxUf
大義がなく、天地人すべてにおいて負けている西軍を戦術的に勝たせようと思うなら
関ヶ原のもっと前を考察するしかないだろう。
上杉と毛利の役割分担を逆にして、上杉征伐を毛利征伐にするくらいしかないな。

天皇に送り出され、大儀を掲げた家康が毛利征伐にむかったところを大阪で蜂起する
中国地方では焦土戦術をおこない、
地の利のない家康が中国で孤立したところを持久戦に持ち込む。

家康のいなくなった関東には上杉が襲い掛かり空き巣を行う。
東海道や甲信も同じ要領で行えば西軍の勝利

勝てば官軍で大儀がなくても勝利かな。
関ヶ原でどうしても勝たせたいというなら、
淀を殴り倒して7歳の秀頼を戦場に連れ出して最前線に連れて行けばいい。
それでたぶん勝利できる
0585人間七七四年2017/11/20(月) 21:08:51.92ID:xwV98P+N
>>578
それ一見成立しそうなんだけど、成立しないんだよ。
何故なら、征伐軍瓦解を見越しているのなら『反転した征伐軍に備える必要がない』から。
だから、関東の情報収集をする必要がなくなってしまう。つまり、岐阜で軍勢を整えられない。
逆に、見越していないのなら『このタイミングで挙兵自体間違っている』。
対上杉の為の臨戦態勢を整えてる軍勢に対して、正面から喧嘩売るなんてどう考えてもおかしい。
征伐軍が反抗するのを予測しているならなおさら。だってわざわざ連合を組ませてしまってるんだもの。

まとめると、岐阜で東軍先発隊を撃破するというプランは
『東軍の崩壊を予測しているのに』、『何故か崩壊しない事前提で』、『最悪のタイミングで敵対する』という
訳がわからない前提にしないと成立しないって事。
0586人間七七四年2017/11/20(月) 21:27:51.17ID:B/offTXT
>>578
いや、0か100かじゃなくってさ、内府違いの条々で上杉征伐軍は瓦解するはず、
瓦解すれば西軍勝利間違いなし!
しかし瓦解しなかった場合にも備えておく。

こういう50くらいの期待でもいいんじゃないかなと思うけど。

実際、宇喜多が到着すれば東軍先発隊に対し兵力ほぼ互角、
伊勢方面隊が到着すれば西軍優勢、岐阜城が持ちさえすれば戦術的に勝てる可能性は秘めてると思う。


>>583
たしかに戦術的にはそれが無難だと思うけど説得できるかなぁ?
傍からはどう見ても人質だよねぇ…。
0587人間七七四年2017/11/20(月) 21:29:19.71ID:CXpXhdYW
>>584
それ、無理。上杉征伐って別に家康の思いつきで始めた事じゃないから。
あれは堀とか、藤田による上杉の不審な動きを訴えた事から始まってるからそれを毛利征伐にすり替える事自体不可能。
大体、関ヶ原の時には相手が東北の上杉だったから、関東を拠点としている家康がそこまで遠征しただけであって、
毛利征伐の場合は、大坂をそのまま拠点にした方がいいから家康が大坂にいるままだった可能性はかなり高い。
それにその場合はおそらく宇喜多が先発部隊にされるよ。だって領地隣接してるから。
拒否したら?宇喜多が豊臣政権に謀反した事になるから毛利征伐が宇喜多征伐に代わるだけ。
しかもこの場合でも家康は大坂に居座ったままだから意味なし。
上杉?徳川軍が関東に丸々残ってる状態で自殺しにいくとでも?
史実でさえ、主力が関東からごっそり抜けても関東に攻めるそぶりさえ見せないのに?
0588人間七七四年2017/11/20(月) 21:38:29.12ID:B/offTXT
>>586>>578>>585の間違いです、>>585へのレスです。すいません。
0589人間七七四年2017/11/20(月) 21:51:55.96ID:wsQALiQ+
>>586
西軍はそれやってたつもりかもしれないよ。近畿を固めに入ったのはそういう事だろう。
それから美濃と伊勢を西軍の影響下において、次は尾張を……と考えてたんじゃないかな。
だから西軍の誤算は正確には『崩壊どころかこんなに早く征伐軍が反攻してくるなんて!?』だろう。
情報収集のお粗末さにに関しては……まあ、大坂周辺を固める事に全力を尽くした、という事だろう。
0590人間七七四年2017/11/20(月) 22:03:56.52ID:OESo0N3o
>>586
家臣にとっても秀信が生きていないと恩賞が貰えないし
西軍にとっても秀信を人質に取っていれば岐阜城勢が裏切ることはないし
秀信自身も尾張美濃二か国の約定を反故にされるのは嫌だから全員win-winだと思うけどね
0591人間七七四年2017/11/20(月) 22:15:41.94ID:sMTBbkN9
>>582
勝てるわけがない、ではなく、西軍が勝つ必要がない
むしろ日本が太平の世になるために西軍はもっと大敗した方がいい
史実の大敗でもまだ足りないくらいだ
全西軍大名が討死・改易するくらいがちょうどいい
三成はもっと西軍大名が破滅するように頑張るべきだった
0592人間七七四年2017/11/20(月) 22:15:46.51ID:4aSSkxUf
>>586
内府違いの条々って、書いた直江の方が心得違いなんだよなぁ…

2度の聚楽第行幸で天皇から関白に代理として大義を与えられて豊臣政権が成立した以上、官位の位置づけがもっとも重要になる。
けど、豊臣が関白を殺したため不在になり、太政大臣も死んだ。そして
征夷大将軍がおらず、関白がおらず、太政大臣がおらず、左大臣がおらず、右大臣がいない状況で
最高位の大臣である内大臣が政務を行うのは当然の義務なんだよ。

上杉征伐も堀らの警告があり、家康は政務をあずかる内大臣として弁解せよと命令したのにやりたい放題したわけで
上杉には大義なんてないよ
0593人間七七四年2017/11/20(月) 22:19:11.94ID:2ODPbaMF
>>590
無理だと思うが。
それ事情はどうあれ、秀信に対して『お前なんか信用してない』っていうのと同義だから。
秀信が大垣に行くってのは、まだいい。島津に秀信家臣を指揮させようとするのは絶対アウト。
秀信がどういう人間かってのは正直知らないからおいておくとしても、
普通に考えれば『この俺が信用出来ないのか!?ふざけるな!』ってなってそいつらと敵対すると思う。
実際、西軍は京極に対してこれに近い事をやろうとして失敗してるし。
大体、なんで織田家臣が島津の命令で忠実に動く事になってるんだ。断言してもいいがそんなの不可能だぞ。
0594人間七七四年2017/11/20(月) 22:45:16.51ID:Vpt8Be3J
会津征伐軍が瓦解するという初期のシナリオでも家康(関東)攻めは翌年っていう話だから
全て西軍の味方になるという想定しているわけではないだろう
とりあえず細川なんかは敵対せざるを得ない状況だし
0595人間七七四年2017/11/20(月) 23:19:29.70ID:OESo0N3o
>>593
>>583
>島津と秀信家臣が主導で戦うのが最善の手だわな

って言ってる
島津がトップになって指揮するわけじゃない
0596人間七七四年2017/11/21(火) 00:09:26.62ID:mJLjT+jN
>>593
いやさ、御前なんて信用して無いって言うのは東海道の豊臣恩顧の城明け渡しも同じだよね?
それで腹立てて西軍に寝返った奴いましたか?
人質取るってのはこういう場合の常套手段だし、秀信は産まれからして周辺大名に影響力が
強い人だしね。
0597人間七七四年2017/11/21(火) 00:26:27.07ID:H690nffo
理想は長谷堂城の戦いみたいに秀信家臣が主将として防衛
島津が副将として鮭延秀綱が200人の決死隊を率いて夜襲を仕掛けたように夜襲&撹乱する
鮭延秀綱が夜襲しかけて同士討ちを誘発させたり撹乱させたから
長谷堂城は1000人でも二週間以上持ったんだよね
後は秀信がいなけりゃ偽りの降伏での時間稼ぎもできそうって意味で大垣に下がってもらう
0598人間七七四年2017/11/21(火) 00:30:11.12ID:84aIFQYO
秀信がそんなに殊勝な奴だったらそもそもあんな無謀な野戦を家老の反対押し切ってまでしないだろw
0599人間七七四年2017/11/21(火) 00:44:14.69ID:rHCoNeCH
ストックホルム症候群を検索して調べると
加害者の監禁状態から開放されても犯人に好意を抱いている状態にあるんだとさ。
環境を変えるとPTSDの症状があらわれてしまう。

被害者は加害者に依存せざるえない状況に追い込まれてしまっているので
自分ではマインドコントロール状態から抜け出せない。
だから加害者をかばうような行為をしたり極端な行動をとってしまう。
治療するにはカウンセリングが必要なんだと。

織田秀信や淀にはカウンセリングが必要だった。
織田にとって豊臣こそが敵なんだという客観的事実を教える人がいればよかったのにな
0600人間七七四年2017/11/21(火) 01:06:01.40ID:zzvbfC4m
義弘ってまさしく鬼島津の名にふさわしい実力だけど
城攻めや籠城はあまり得意じゃない印象あるし
無理に籠城に参加させずに大垣から遊軍として
渡河中の福島池田軍への奇襲、嫌がらせに従事させた方が
秀信に無理な事させるより粘らせたいならよほど効果的な気がする
その方が織田軍を援軍に使わせても違和感無いと思う
正面から野戦を仕掛けさせるよりはいいだろうし
0601人間七七四年2017/11/21(火) 08:57:42.27ID:RWcB0KIF
>>596
あれは東軍に参加した連中が自ら城を明け渡したんであって、状況が全然違うだろ。
いや、あれは無理矢理なんだとおっしゃるのなら具体的なソース、どうぞ。
それに東軍の場合は、相手が当時日本で最大の実力者である家康だから信用したのであって、
石田とか、宇喜多じゃとても信用できんぞ。2人共、信用に傷があるし。
石田は奉行を首にされてるし、宇喜多は騒動を起こしてるし。島津も内乱起こしてるしなあ。
ちなみに毛利の名前を使ってもだめ。石高半分程度の京極ですら、拒否して東軍に味方するような状況だから。
0602人間七七四年2017/11/21(火) 11:05:39.49ID:/VNVuUY8
輝と景がガチで死ぬ気にならんことには話にならんよな
こいつらが口ばっかりのヘタレだから負けて当たり前
0603人間七七四年2017/11/21(火) 12:38:35.97ID:VQqNtffC
だってそいつらに三成や豊臣家のために徳川と本気で戦う義理がないもん
0604人間七七四年2017/11/21(火) 13:01:23.51ID:Jn7dMN3Q
>よっぽど図星らしい
すげえ日本語、さすが半島人
0605人間七七四年2017/11/21(火) 15:17:19.82ID:o02pUuy6
>>603
一番はそこだな
その上で起きた政権内の対立だからどちらかというと勝ち馬に乗りたいのが本音
0606人間七七四年2017/11/21(火) 15:50:24.08ID:rHCoNeCH
豊臣政権は関白就任後に天皇の代理として惣無事を発して外交的に成立し、行われたもので、
その正統性は天皇あってのもの。さらに聚楽第行幸を2度も行い、諸大名が天皇に臣下の礼をとっている以上
家康ほか諸大名の主君は天皇で、その天皇に大権をあずけられているのが関白という仕組みで豊臣政権は成り立っている。

けど、その関白を豊臣は殺した。
それでも秀吉が太政大臣な以上、政権の維持はできたが、
豊臣政権の正統性は聚楽第行幸より関白という存在にある以上、
関白殺害と太政大臣の死で失われているんだよ。

そして、上杉、毛利、島津、伊達、徳川などはもともと戦国大名だ
正統性のない豊臣に従う義理なんてない。
0607人間七七四年2017/11/21(火) 15:59:22.56ID:rHCoNeCH
関ヶ原時点を正統性という視点でみると、
関白左大臣を豊臣が殺し、太政大臣が死に、征夷大将軍が辞任し、右大臣が流罪にされているので
内大臣が天皇に預けられた大権を振るうのは、正統性に基づくもの。
関ヶ原後の1601年に九条兼孝が関白左大臣が任命され、右大臣征夷大将軍に徳川家康が就任した以上
天皇から与えられた大義は完全に徳川に移った。
1614年に自称関白の豊臣秀頼が政府に対してテロをおこなって浪人を集めて反乱をおこしたが、
これはもう正統性も大儀もないただの賊ですな。

まぁ関ヶ原時点で豊臣に従う大儀もなければ義理もないという状況だった
上杉毛利なんかも勝ち馬に乗ることしか考えてないし、黒田や伊達は独立することを考えていたし
徳川は内大臣の職務をまっとうすることを考えていた。豊臣万歳していたのは天皇に逆らう逆賊三成くらいでしょう
0608人間七七四年2017/11/21(火) 17:36:13.41ID:GVV4+5N7
>>607
しつけーんだよキチガイ
おまえ普段話長い割につまらん、と言われてるだろ
0609人間七七四年2017/11/21(火) 17:41:01.17ID:eIiTw8D7
太政大臣なんて清盛の時代からただの名誉職ということすら知らないから、長文キチガイ君は無知なんだろうや
0610人間七七四年2017/11/21(火) 17:56:41.03ID:H690nffo
>>600
確かに島津は籠城じゃなくて後詰め決戦までの遊撃隊や
後詰め決戦の戦力として使ったほうが有効だわな
後詰め決戦で負けたら全てが水の泡だし
0611人間七七四年2017/11/21(火) 18:15:11.34ID:o02pUuy6
>>610
遊撃はともかく決戦兵力にするには数少なすぎないか?w
本陣に突っ込んでくる東軍の先鋒に射撃で出鼻を抑えるにもちょっとなあ
0612人間七七四年2017/11/21(火) 18:16:32.64ID:rHCoNeCH
>>608-609
高校の教科書にも書いてある「惣無事」や「2度の聚楽第行幸」を認めたら

豊臣は自称関白のテロリストに成り下がるだもんなぁ
官位に価値はないと主張したいのもわかる。

でもね、
1600年当時の武家最高位の大臣は内大臣で
1614年当時の関白左大臣は鷹司信尚、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠なんだよ。

豊臣に大義はない

基地外はレッテル張りと歴史捏造がお好きなようですね
0613人間七七四年2017/11/21(火) 18:27:34.19ID:Bi7v8TMf
>>610
そうは言っても、石田、小西、島津、秀信、あとは犬山城の美濃衆しかいないんだから
島津は岐阜城から夜襲や攪乱やってもらったほうがいいんじゃないかな?
兵も1000くらいしかいないし。


>>612
スレタイ読め。
0614人間七七四年2017/11/21(火) 18:33:00.57ID:rHCoNeCH
>>613
晒布100反を下賜されて、主君の後陽成天皇に送り出された、
武家最高位の内大臣率いる東軍に

聚楽第行幸で大義を与えられていた関白を殺した豊臣の家臣石田三成が謀反をおこした。

この大義なき西軍をどうやって勝たせるかというスレだろ?
0615人間七七四年2017/11/21(火) 19:05:50.54ID:a2PjMLyT
>>604
認定きちゃったよw
他の板で簡単に使われてるものをつかっただけでww
0616人間七七四年2017/11/21(火) 19:06:04.59ID:84aIFQYO
島津の事を過大評価しすぎじゃないかな一千ほどじゃ一回負ければ終わりじゃないかな
というかすでに決戦する事になってるみたいだけど西軍の兵力総数も決めてるのかね
0617人間七七四年2017/11/21(火) 19:49:11.85ID:H690nffo
>>611>>613
島津は騎馬と精強な鉄砲部隊だから
島津の戦い方は伏兵と奇襲がメインだから少数でも良い
敗走した敵将を撃ち取るには役に立つし
戦は数千人の軍団の集合体だから島津が当たるにしても
相手も数千だろうから全く役に立たないわけじゃないけどね
島津が万の軍勢全部引き受けるみたいに言ってるけど
0618人間七七四年2017/11/21(火) 20:57:26.90ID:Bi7v8TMf
>>616

>>567にあるようにまずは「どうすれば岐阜城が持ちこたえられるか」を煮詰めるべきで、
これがないと岐阜城後詰決戦が成り立たない。

しかるのちにそれが宇喜多到着後なのか伊勢方面隊を待つのか、
それとも伊勢方面隊はもっと他の手を打つべきなのかと議論があってよいかと思います。
0619人間七七四年2017/11/21(火) 22:33:05.82ID:9kgDuRjX
美濃で決戦するのが既にイケてないと思うわ
0620人間七七四年2017/11/21(火) 22:54:07.71ID:zzvbfC4m
まず美濃で決戦は岐阜城死守なのだろうか?
ヘタに粘るだけだと徳川軍集結してまとめて押し潰されるだけで
史実より酷い結果になるだけじゃないかとも思ってしまうが
0621人間七七四年2017/11/21(火) 23:52:17.41ID:rHCoNeCH
長期戦になれば乱世に戻る。これは黒田や伊達の目指す未来
東西双方とも短期戦で勝負を決さなければならない。

大義と正統性を持つのは家康で、武将たちの支持を得て統率の行き届いているのも家康
兵の総数も家康が多く、尾張美濃関ヶ原なら地の利も家康(小牧長久手では10倍の秀吉を相手にして勝利)
将兵は武断派を多くかかえている家康が強く
総大将としての才幹も家康が優れている

東からは秀忠3万8000が猛烈な勢いでやってきていて史実でも9月20日に大津だったから
秀忠軍は美濃尾張周辺なら25日くらいで戦える状態になる。
大津城は15日に降伏したので、西軍が対等に戦えるタイムリミットは15日〜25日の10日間が勝負だろうな

三成の西軍じゃ勝てる要素がない
0622人間七七四年2017/11/22(水) 00:02:01.24ID:4FsZcgWh
乗っ取りチンピラ野郎が大義と正当性www
と書くと何時までも
絡まれるだろうなうざい粘着にw
くわばらくわばら
0623人間七七四年2017/11/22(水) 00:17:28.86ID:RVCkY3Qu
>>620

流れとしては>>374>>403>>567あたりを参照してください。
家康本隊、秀忠隊が来る前の岐阜城後詰決戦で東軍先発隊の撃滅による西軍優勢が狙いです。
0624人間七七四年2017/11/22(水) 00:45:36.09ID:UNNtvzLQ
あと懸念材料としては東軍先発隊が1〜2回の総攻撃で岐阜城を落とせなかった場合どうするか。

近隣に陣城築いて包囲対陣態勢をとるか、攻撃を続けるか、清洲に後退するか、
岐阜には抑えを残して矛先を大垣か犬山に向けるか。
0625人間七七四年2017/11/22(水) 01:28:49.75ID:4ZJxw5Mx
>>620
長文の人が固執してるだけだし
別の長文が煽ってややこしくなってるけど
0626人間七七四年2017/11/22(水) 01:30:08.20ID:eG65ukvo
>>624
実際福島は一回木曽川の渡河先が堅いと見るやあっさり引いて
下流から支城落としてってるんだよね
史実ではその後あっさり岐阜が落ちたから落としに行ってるけど
変に岐阜を固めたら無理押しして来ない可能性も普通にある
そうすると東軍先発隊を撃破も何もじわじわ支城削られてジリ貧のところに
関ヶ原よりよほど東軍が戦い易い岐阜で
家康も秀忠も合流という最悪のケースが見えてくるが
この辺はどうするんだろか
0627人間七七四年2017/11/22(水) 01:36:59.31ID:clJ1a3dc
西軍は9月15日〜25日の10日間が勝負だったんだよ。
岐阜城がどうとか、そういう問題じゃないでしょ。
秀忠が到着した時点で西軍の負け
0628人間七七四年2017/11/22(水) 02:07:50.82ID:UNNtvzLQ
>>626
まず秀忠は9月14日信濃本山(塩尻の少し南)、木曾谷経由して9月17日妻籠(信濃美濃国境付近)
早くても9月18日に東濃か可児あたりに入るくらい。
家康はどうだろう?東軍先発隊の戦況次第で出陣が早くも遅くもなるような気がするが…。

支城というか既に大垣南方木曽川流域は東軍徳永寿昌、市橋長勝らに西軍方の城落とされてるし
福島らに竹ヶ鼻も落とされてしまっているので、実は大垣もけっこうやヴぁい状態です。

しかし西軍はいずれにしても宇喜多が来るまでは防御的なことしかできません。

宇喜多あるいは伊勢方面隊が来て、しかし東軍は先発隊しかいないときに決戦挑むしかない、
というのが流れです。
家康や秀忠が来たら無理です。
0629人間七七四年2017/11/22(水) 06:34:34.38ID:e4bKz4oe
>>613
8月22日に立花宗茂が美濃の垂井にいたと井伊直政書状にあるから
岐阜城の救援に行こうと他にも何人かは美濃に入ってたんじゃないかな
0630人間七七四年2017/11/22(水) 07:13:51.42ID:UNNtvzLQ
>>629
立花はたしか島津かだれかも「今頃来て見苦しい」みたいなこと言ってますね。
理由はわからないけど立花は一度は垂井まで来たけどまた佐和山もしくは瀬田まで
後退したと思われます。立花は9月3〜5日には大津付近にいます。
それ以外だと>>233にある関ヶ原本戦時に大垣籠城してた諸将。到着日時が不明です。
あとは9月2日山中村着陣の大谷らくらいかな?
0631人間七七四年2017/11/22(水) 08:58:53.22ID:JVaZVyI7
>>619
清洲を落として東海道決戦だよな。
0632人間七七四年2017/11/22(水) 13:15:52.99ID:e4bKz4oe
>>630
8月20日付の島津義弘書状が
「長曾我部殿は軍役高からすれば2千人で良いのに秀頼様の為に5千人も召し連れて来ている。
近日伊勢に着陣された立花殿も、1,300人の軍役であるのに4千人も連れて来ている。
これらに対して、薩摩の兵が僅かに千人ばかりでは面目が立たない。早く、人数を上方に送って欲しい」
って感じの内容だから、立花軍は7月17日の内府ちかいの条々を受けてから柳川を出て、8月20日以前に伊勢に着陣し、
岐阜城が攻められる頃に美濃の垂井に移動、京極高次の離反を知って大津城に監視に行ったって感じだろうか
0633人間七七四年2017/11/22(水) 13:26:20.93ID:bfGRBr4j
九州本領からの援兵と合流するために戻ったんだろう
0634人間七七四年2017/11/22(水) 13:40:04.68ID:4coNr8AA
官兵衛は乱世狙い
長政は家康の寵臣
0635人間七七四年2017/11/22(水) 15:09:43.58ID:clJ1a3dc
関ヶ原が長期戦になれば乱世にもどり官兵衛の目論見どおり。
関ヶ原が短期戦で東軍勝利で終われば史実どおり。

関ヶ原が短期戦で西軍勝利の場合は
敵陣深く入り込んだ豊臣恩顧の武断派が壊滅に近い被害がでるけど
後方に控えていた家康は被害を出しつつも逃げ延びて地盤だった秀忠と合流し三遠駿甲信でゲリラ戦を行い長期化
乱世にもどる。という可能性がきわめて高い

どちらにせよ秀忠の存在がかなり大きい
0636人間七七四年2017/11/22(水) 18:51:16.01ID:bKR4PTHK
東軍の先鋒が豊臣恩顧大名だらけの時点で東西どちらが勝とうが豊臣家は支持母体の片方を完全に失うからな

痛み分けにするにはせめて秀忠、忠政死亡シナリオぐらいに持っていかないと結局徳川政権誕生になっちゃう
0637人間七七四年2017/11/22(水) 19:03:02.07ID:4coNr8AA
秀忠死んでも
忠吉秀康らがいる
0638人間七七四年2017/11/22(水) 19:11:08.26ID:0KY5L5q9
伏見城に時間かかりすぎ
0639人間七七四年2017/11/23(木) 00:12:15.22ID:+RtkC6X+
お江に寝所で秀忠暗殺してもらう
0640人間七七四年2017/11/23(木) 00:27:48.80ID:+/C2VjIF
>>631
清洲城は何重の堀があり伏見城以上に堅牢だから無理
しかも8月14日には東軍先鋒軍が到着するから攻め落とせる期間が全くない
0641人間七七四年2017/11/23(木) 01:18:36.26ID:I/aOTxWH
信州上田で別働隊は足止め
南宮山に本陣敷かれてどうやって勝ったのか?調略されすぎだろう西軍諸将w
0642人間七七四年2017/11/23(木) 02:07:00.70ID:3vI0VuHp
関ヶ原の配置はこんな感じだし、東軍が負けるなんてありえない
小早川が寝返ろうと寝返なかろうと、東軍が勝っただろう

     西


  関ヶ原  西5万  関ヶ原
        東5万

  桃配山 家康3万


南宮山
 西3万 東2万



     東
0643人間七七四年2017/11/23(木) 02:17:43.55ID:MZoDRxn6
小早川なんて飾りですよ
エロい人にはわからないのです
0644人間七七四年2017/11/23(木) 02:17:57.02ID:3vI0VuHp
関ヶ原の戦い

  ▲                                 秀忠3万8000    
    西  東    家康3万   東2万
西 ▲5   5       ▲            
    万  万              西3万
  ▲                     ▲
0645人間七七四年2017/11/23(木) 03:01:02.78ID:uNOz9IQT
>>636
まあ、其処が家康の狙いでもある気がする。
東軍先鋒は豊臣恩顧大名なんだから、壊滅すれば豊臣の力が減るって事でも有るし。
福島なんかが焦る訳だよね、もしかして東軍先鋒を磨り潰すのが目的なのかも?ってさ。
勿論、そのまま西軍に寝返ると家康の目論見は外れるけど、それはさせない自信有ったんでしょうね。
0646人間七七四年2017/11/23(木) 03:06:32.18ID:3vI0VuHp
南宮山の西軍も動かなかったのではなく、動けなかったのだろうな

西のはしっこでは5万5万の戦力で膠着状態。小早川が動いてないので、実質3万5万
南宮山が動いても、2万で対処できるし、家康3万が背後に襲い掛かればすぐ蹴散らせる
史実では南宮山は動かないと見た家康は背後を2万に任せて前進して
5万8万の状態に持ち込んで小早川に鉄砲をうちかけたわけだけど
0647人間七七四年2017/11/23(木) 04:54:48.33ID:StpHPZuX
>>640
伏見を一日か二日で落としてれば余裕で間に合うぞ。
大体、清洲には大した兵力いないだろ。1000〜2000未満程度だ。
西軍はその時点で10万いるからな。
0648人間七七四年2017/11/23(木) 06:46:05.03ID:+/C2VjIF
>>647
>伏見を一日か二日で落としてれば余裕で間に合うぞ。

どうやって?
0649人間七七四年2017/11/23(木) 08:31:55.27ID:qcc9ybOz
>>632
8月20日の時点では安国寺、長束、蒔田らあたりしか伊勢に入ってなかったような気がする。
詳細はわからんけど垂井なら関ヶ原経由と見ていいと思う。
京極東軍方か?の噂は伏見城攻めの頃から出てたみたいなんで
大津の監視と援兵の合流で戻ったんじゃないかな?
0650人間七七四年2017/11/23(木) 10:01:11.20ID:FjlyBcTi
史実では、鳥居元忠に退去を命じたり、島津が味方と称して
入城して内応したりと色々と策を講じている

元忠はそれらを全て突っぱねたけど
0651人間七七四年2017/11/23(木) 10:12:35.29ID:+/C2VjIF
>>650
策が効かない相手だから史実通り約二週間足止めくらうのは避けられないわな
0652人間七七四年2017/11/23(木) 14:07:51.45ID:Swp7LDTj
>>634
長政は正則と一緒で大坂の陣の時の江戸留め置き組。
で、正則以上に何回も執拗に誓紙の提出をさせられてるから
正則以上に大坂方に付きかねないと警戒されてたっぽいけどな

本人も子供を大坂の陣に参陣させて疑念払拭に努めてるけど
0653人間七七四年2017/11/23(木) 15:26:18.29ID:3vI0VuHp
>>650
島津をもともとの西軍のように言っているが
島津は東軍だぞ。しかたなく西軍に参加した。
三成も信用せず進言を却下しまくったから島津は戦う気をなくして動かなかった
0654人間七七四年2017/11/23(木) 16:26:25.31ID:Olk1jlb7
>>651
徳川勢の三河魂が厄介すぎるな
0655人間七七四年2017/11/23(木) 16:35:48.66ID:FjlyBcTi
>>653
それは戦後の島津の言い訳
実際は当初から西軍
0656人間七七四年2017/11/23(木) 17:54:25.57ID:g4QDWWgy
薩摩本国が中立ってのも嘘だよな
肥後佐敷城に攻め込んでるし
0657人間七七四年2017/11/23(木) 18:29:55.97ID:EV+EVKYH
島津は東軍
入城断られた
0658人間七七四年2017/11/23(木) 18:38:23.58ID:FjlyBcTi
>>657
要求した守備位置が中枢の本丸と二ノ丸間なので、
折を見て内応する気満々
0659人間七七四年2017/11/23(木) 18:44:33.66ID:EV+EVKYH
島津は内応しないと思う
そんなに西軍に思い入れなし
0660人間七七四年2017/11/23(木) 18:50:13.00ID:3vI0VuHp
>>658
その説を入れるとするなら、
島津義弘は三成シンパの生粋の西軍でありながら、関ヶ原で戦わず
負けたら負けたで嘘八百の言い訳をならべて徳川に媚びへつらうしょーもない武将ということになるじゃないか

東軍だったけど鳥居に断られ、周囲を西軍に囲まれていたので致し方なく西軍に参加
しかたなく西軍に付き合ったのに、献策は握りつぶされ、関ヶ原では傍観
脅威の脱出劇を演じて、西軍に参加した理由を家康に報告したら許されたという不運の猛将ではなくなってしまう
0661人間七七四年2017/11/23(木) 18:52:10.85ID:s5IBDPWG
大河でも言ってたけど、
石川数正って築山殿好きだったって定説なの?
0662人間七七四年2017/11/23(木) 19:03:30.88ID:FjlyBcTi
>>660
関ヶ原では初めから松平忠吉と井伊直政本隊と戦っていた
戦わなかったとするのはこれも島津の言い訳
0663人間七七四年2017/11/23(木) 19:26:27.31ID:crdu0k+K
>>660
島津も毛利も根っこは同じの似たもの同士でしょ
こいつらを頼った三成が馬鹿なだけ
0664人間七七四年2017/11/23(木) 21:08:08.79ID:vtoyfPrj
7/15付の景勝宛て義弘書状でも西軍に参加するって言ってるし。

三奉行の家康弾劾と大坂占拠が7/17で、伏見退去通告が7/18だから
義弘が東軍だったタイミングはないな。
0665人間七七四年2017/11/23(木) 22:46:11.32ID:aXSBnl+k
なんで西軍につくと書いてある?
内府が非道だから?
0666人間七七四年2017/11/23(木) 23:20:05.87ID:oUltM+dL
>>661
脚本家のオリジナル設定
0667人間七七四年2017/11/24(金) 00:29:42.58ID:863ToGaD
>>666
そもそも女性は本名さえ不確かな事が多いのに、そんな話の資料が有る訳無いでしょ。
韓流時代劇だと、ほんの数行の記録を想像で膨らます「チャングムとか」とか有るけどね。
最近、百婆仙「日本に連行された陶工の長で女長老」モデルの時代劇有ってワロタwwww記録では
既に既婚で歳も30過ぎのはずなのに、李朝の王族と怪しい事にwwwwww
そもそも、温和な性格で長寿の人って事で子孫が尊んで百婆仙なのにさ。
まあ、ドラマの内容は三国志演義並みの創作が入ってる事が有るから要注意です。
0668人間七七四年2017/11/24(金) 00:34:02.95ID:/FeujHjE
とりあえずわかったこと。

8月25日石田が瀬田守備隊に大垣入城要請
9月5日相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら約7000大垣入城っぽい


瀬田から大垣まで10日もかかるのか疑問だけど。
0669人間七七四年2017/11/24(金) 00:57:42.94ID:6+jddN44
>>665
雖未申通候、令啓候、今度内府貴国ヘ出張二付、
輝元・秀家を始、大坂御老衆・小西・大刑少・治部少被仰談、
秀頼様御為二候条、貴老御手前同意可然之由承候間、拙者も其通候、
委曲石治より可被申候、
以上

七月十五日     惟新
0670人間七七四年2017/11/24(金) 01:02:24.78ID:RXEuDc6B
島津が特に秀頼のために尽くすとは思えん
0671人間七七四年2017/11/24(金) 01:14:59.21ID:XnX0DByn
徳川、伊達、上杉、島津あたりの戦国大名は
豊臣には恨みしかない。毛利にかんしては理解不能。なんであんなに秀吉と友好的だったんだ?
0672人間七七四年2017/11/24(金) 01:23:03.28ID:/FeujHjE
あぁ、そうか、東軍に赤坂、垂井周辺抑えられたから白瀬峠とか南から回り込んだようなルートで
大垣行ったわけか。
0673人間七七四年2017/11/24(金) 02:37:38.90ID:ErwSgRib
>>671
徳川、島津はまあ同意
上杉は豊臣が出来ずに織田のままなら間違いなく滅んでたから
ある程度恩義に感じててもおかしくはない
ただ景勝がそんな殊勝な男とも思わない
0674人間七七四年2017/11/24(金) 03:16:29.38ID:XnX0DByn
>>673
伊達も間違いなく恨んでいる
米沢を中心に100万石越えを半分に減らされたあげく先祖伝来の地を奪われ東の仙台に飛ばされた。
上杉も先祖伝来の地を奪われて米沢へ飛ばされた。その不満があって堀と対立していて会津征伐につながったわけだしね
九州征伐屈服して奪われた島津も同様。
あと豊臣を恨んでいるのは九州の黒田と四国の長宗我部あたりか。
0675人間七七四年2017/11/24(金) 06:00:19.58ID:863ToGaD
>>673
上杉だけじゃ無くて、毛利も普通に恩義に思う立場だと思うけど?
本能寺の変の時点では、良く毛利の援軍3万と対峙してたと言うけど、毛利は北九州の大友とも
険悪だから全軍を備中に廻せるはずが無いんだよね。
だから、三万でも大分サバ読みなんで別に信長の本隊来なくても秀吉の軍と保々同数程度しか
居ないんで、信長が和議に応じる訳が無いんだよね。
敵どころか家臣の林や佐久間を粛清して領地没収をした男が何故毛利に情け掛けるんよ。
それと、秀吉の中国大返しの時に追撃掛け無かった事で大きな貸しが有る意識が大きいと
思う。
選挙のプロが言う所の、確実に投票して貰うには買収するより献金して貰う方が確実って
奴ですよ。
つまり、自分の投資金を無駄にしない為には献金した候補に勝ってもらわんと丸損って奴ですね。
豊臣政権が永続してこそ大返しの貸しが大きな意味を持つんですから。
0676人間七七四年2017/11/24(金) 07:56:35.83ID:yHo/oX1X
>>675
中国大返しへの追撃がなかったのは毛利の装備、食料が全く足りず戦える状態じゃなかったからみたいだけどな
秀吉は高松城攻略で水攻めで城からのの出撃を封じつつ周辺の調略進めて海のルートを小西親子や黒田親子に抑えさせ毛利の輸送ルート、支援者を壊滅させてる
0677人間七七四年2017/11/24(金) 08:11:10.40ID:30MdgTXW
>>666-667
時々見掛ける設定だから気になったよスレ違い有難う♪
0678人間七七四年2017/11/24(金) 10:28:24.37ID:4Z+xpOtc
石田三成をぶっ殺して、秀頼は幼いから淀が全大名に謝罪する。
0679人間七七四年2017/11/24(金) 10:48:03.60ID:QZi9A/wn
秀次が邪魔なら乱心とかにしてやんわり隠居させて穏便に済ませてれば豊臣家への人心が離れなかったかもね
0680人間七七四年2017/11/24(金) 11:08:39.96ID:tekiEDEF
秀家を暫定関白にすればどうかなったかも
0681人間七七四年2017/11/24(金) 12:09:21.67ID:XnX0DByn
なんともならんよ。
二度の外征を失敗した秀吉は隋の煬帝みたいなもんだし、
豊臣の大義名分だった関白を豊臣が殺したことはとどめの一撃だった。

徳川伊達島津上杉最上などの豊臣に恨みを持つ戦国大名を残していることと、聚楽第行幸で大権を委託されている関白を殺したこと
2度の朝鮮進出失敗で詰みだな。さらに堀、黒田など豊臣に義理のない大名ばかり。大名配置を見ると九州や甲信関東東北は火薬庫だ
0682人間七七四年2017/11/24(金) 12:36:07.91ID:/IevzDY9
そもそも豊臣は織田から簒奪して出来た家だから、正当性ないからね。朝廷から大義名分もらうのが唯一の手段だったのに、秀次事件でそれも無くした。
0683人間七七四年2017/11/24(金) 13:48:45.94ID:mb+YbgWq
正当性なんて軍事的実力が無ければ紙切れみたいなもんだけどな
逆に軍事的実力が有ればそんなもの適当でもどうとでもなるさ
0684人間七七四年2017/11/24(金) 14:05:26.19ID:RpsmPoLm
秀吉のみの軍事的実力だったからあっと言う間に崩れたよね
後継者問題と家臣団の団結がないと崩れる
0685人間七七四年2017/11/24(金) 14:12:03.51ID:RxCfozTX
>>682
お前はいつまでも同じことをしつこいんだよキチガイ
0686人間七七四年2017/11/24(金) 15:03:24.33ID:wDCEvLvL
毛利も状況判断すれば随分バクチだった、そこまで追い込まれたのか?
一国一城論で不利になる事が予見されていたのか
徹底抗戦する度胸も無いのに
0687人間七七四年2017/11/24(金) 15:05:04.71ID:M6GOrMG1
テルだぜ、テル
0688人間七七四年2017/11/24(金) 15:11:15.81ID:XnX0DByn
豊臣は主家を簒奪したことで成立し、
天皇の権威を背景とした惣無事と2度の聚楽第行幸で簒奪の正当化に成功した家というのは、豊臣を語る上での大前提だろう。
豊臣という存在は関白という官位なしには成り立たず、その関白を殺した家なわけで豊臣に正統性がないのは当然の理屈。
秀吉が太政大臣だからこそ維持できたようなものだけど、太政大臣が死んだ以上正統性はない
関ヶ原は
正統性を持つ内大臣vs不満分子の戦い
0689人間七七四年2017/11/24(金) 15:59:47.40ID:kVef/yBR
毛利は中国削られたけど四国、九州に領土割譲されている
羽柴ー毛利の関係は織田ー徳川のような従属的な同盟国なんじゃないかな

結果論としては九州は大友と島津、中国は毛利、四国は長宗我部で西国ガッチリ固めておけば良かったと思うが
0690人間七七四年2017/11/24(金) 17:02:34.31ID:YZnRHSYe
実際のところ秀次事件が無かったら豊臣家の存続にどれ程の違いがあっただろうか?
徳川はそれでも動きは見せるとは思っているが
0691人間七七四年2017/11/24(金) 17:43:51.18ID:foH1gO6G
>>690
動きは見せても、秀次事件で処罰された大名の大半が徳川に付くかかなり疑問。家康がまさか75まで生きるなんてわからない。秀次は若い。従えば天下の家臣として加増や地位が期待でき、危険な博打を踏む必要はない。秀次のもとで、主流派でいられる。

秀次は子供もたくさんいたから、その点でも縁組結ぶのに有利だし。
0692人間七七四年2017/11/24(金) 17:55:45.83ID:AWdEGPjS
でもまあ精々室町幕府並みの安定度だろうなあ
秀吉死後は旧戦国大名系を中心に好き勝手に動きだしそう
0693人間七七四年2017/11/24(金) 18:10:49.69ID:UIdlk0Q5
秀次が秀吉の資産(領地+人材)を相続し、それに加えて大和大納言家が何らかの形で残るのなら
豊臣家の勢力は圧倒的だしそうそう悪いこともできないだろう
秀次に逆らって悪さするより取り入っておこぼれに預かろうとするほうが多いのでは
0694人間七七四年2017/11/24(金) 18:17:39.03ID:RpsmPoLm
五大老制なんてアホなことしなければ良いだけだしな
秀次さえ生きてりゃ五奉行もまだ権勢が無くなることはなかったのに
輝元のでっち上げと三成の告げ口が秀次切腹に追い込んだし
関ヶ原もその二人が原因なのはやっぱアレだな
0695人間七七四年2017/11/24(金) 19:26:16.64ID:dhXrbrUs
関白なんて飾りですよ
0696人間七七四年2017/11/24(金) 19:55:28.03ID:AWdEGPjS
>>693
秀吉の資産(領地+人材)といっても人材不足で直轄地支配は丸投げだったけどね
だから関ヶ原後の豊臣家は悲惨なことに
0697人間七七四年2017/11/24(金) 20:10:51.95ID:+80/bSrl
レモンは苗植えて5年たってもまだ実がならないのにカボスは3年目でたった2つだけだけど成ったわ
0698人間七七四年2017/11/24(金) 20:45:42.39ID:UIdlk0Q5
>>696
秀次が健在なら横領される心配はないから問題ないでしょ
秀次事件で粛清された家臣も丸々残っているはずだし
0699人間七七四年2017/11/24(金) 20:59:04.60ID:NuWZktxN
武功が無い秀次なんか秀吉が死ねば終了だろ
0700人間七七四年2017/11/24(金) 21:11:49.46ID:KYYvYaDA
>>699
ここまで無知だとワロタ。
0701人間七七四年2017/11/24(金) 21:19:46.08ID:NuWZktxN
>>700
日本語が理解できないなら無理するな
0702人間七七四年2017/11/24(金) 21:31:59.08ID:Vnfh9QVl
秀忠・・・
0703人間七七四年2017/11/24(金) 21:34:26.61ID:863ToGaD
>>683
でも、双方の実力が迫ってる場面では大儀名分は大きな意味を持つよ。
内府違いの条々で、西軍を正当化した意味は無かったみたいに言う人居るけど違うと
思うなあ。
長期化すれば、徳川は反乱軍ってイメージは大きく成るだろうし。
0704人間七七四年2017/11/24(金) 22:06:45.37ID:G3H0l4YI
義昭は信長を公儀への反乱軍にして大義名分を持っていたけど
10年経過しても義昭が有利になることはなかった
はっきりいって三成のやっていることは義昭とほとんど同じ
追放された過去の人が権力を求めて地方の外様大名をけしかけているだけだ
それでも三成に比べれば10年持たせた義昭は立派といえるだろうね
0705人間七七四年2017/11/24(金) 22:08:08.27ID:i6D6i1b+
>>703
どうだろう?
そういうイメージのインパクトって戦いが長期化すると
寧ろ薄れていくと思うけど。
家康弾劾を知って尚、東軍に参加した連中が時間経過で
「よく考えたら西軍が正しいわ」
と思い直すとは思えない。
0706人間七七四年2017/11/24(金) 22:08:29.63ID:XnX0DByn
上杉と隣接する堀や上杉家家臣のタレこみではじまった会津征伐の東軍は
後陽成天皇に晒布100反を下賜されて出陣した武家最高位の内大臣に率いられていた。
東軍は官軍と言っていい。
その軍に謀反をおこした西軍は賊軍と言っていい。

大義名分は重要だな。
0707人間七七四年2017/11/24(金) 22:20:40.57ID:AWdEGPjS
>>698
そりゃすぐにはねぇ 
取り合えず政権機構を整備しないとねほっといたらいずれ押領されそうだから
まあ秀次とかれを守れなかった家臣団はそんなに優秀だとはおもえないけど
0708人間七七四年2017/11/24(金) 22:31:52.08ID:i6D6i1b+
>>706
短絡的過ぎ
家康弾劾前の情勢で東軍の正当性は語れない
実際に家康vs秀頼で捉えてる当時の記録も多い
0709人間七七四年2017/11/24(金) 22:32:27.51ID:ZvXk7adq
>>707
秀次と、彼を守れなかった家臣が優秀ではない。

四国征伐で活躍。
小田原征伐で山中城をわずか数時間で落とす。
秀吉の朝鮮出兵で内政を司る。

これだけでもそれなりに有能だが。
秀次を守れなかった、を言いたいなら、秀次を守るんなら秀吉に対して謀反起こして勝つしか方法ないんだが。守れなかった、から無能はさすがに手厳しすぎる。
0710人間七七四年2017/11/24(金) 22:48:31.01ID:XnX0DByn
>>708
家康vs秀吉としても
豊臣は主筋殺し主家簒奪のお家柄で、2度の聚楽第行幸で関白を大義とながらその関白を殺したならず者
そしてその関白殺しを指揮したのが石田三成だろう。
大義なんてない
0711人間七七四年2017/11/24(金) 22:49:37.78ID:XnX0DByn
>>708
家康vs秀頼としても
豊臣は主筋殺し主家簒奪のお家柄で、2度の聚楽第行幸で関白を大義としながらその関白を殺したならず者の家
そしてその関白殺しを指揮したのが石田三成だろう。
大義なんてない
0712人間七七四年2017/11/24(金) 23:11:54.84ID:AWdEGPjS
>>709
内政を司るといっても秀吉の奉行衆が居ますし、
あと領国の尾張が荒廃して秀吉に領内統治介入されたのは結構なマイナス点だとはおもいますね
0713人間七七四年2017/11/25(土) 00:34:11.48ID:JDozkgCh
>>708
そいつ毎度毎度同じことしか言えない知的障害者だから相手しないでいい
0714人間七七四年2017/11/25(土) 01:31:05.83ID:FlPihGy4
>>690
家康を止める事は難しいと俺も思うが
少なくとも秀次なら豊臣の総大将として戦えるぶん
関ヶ原よりよほどマシな戦線を築けるだろうけど
それでも徳川に秀次が勝てるのかは怪しいと思う

ただ秀次なら関ヶ原や大坂の陣までこじらせずに
天下は禅譲して公家として豊臣を残す方向に持っていく可能性もあると思う
秀頼だって淀がいなけりゃそうなってただろうし
0715人間七七四年2017/11/25(土) 01:50:05.18ID:DBMh5R2A
>>714
秀次生存なら福島正則や加藤清正は付かんぞ
上杉を抑えてた最上も秀次に娘送ってるから家康派にはならんし
上杉がフリーになる
そもそも戦は起こらない
0716人間七七四年2017/11/25(土) 02:08:14.03ID:D+5Ej8Of
>>714
まあ、秀次生存でも徳川とは戦に成る可能性は非常に高いと思う。
何しろ、小牧長久手で秀次に大恥かかせた当事者が家康だからね。
当然秀次は徳川の大領地を削って何も出来ない様にしたがるだろうけど、家康が例えば10万石残れば良いや
みたいな考え方するとは思えないし。
0717人間七七四年2017/11/25(土) 04:24:45.42ID:+J51kytT
秀次が生きていた場合、ゆるやかに乱世になりそうだ
秀頼vs秀次の戦いと
豊臣vs徳川の戦いがおこりそうだが
豊臣vs徳川の戦いは起こらないだろう。
小田原征伐の褒美で本拠地を奪われるという嫌がらせにも粛々と従った家康だしな。
負ける勝負はしない。
秀頼vs秀次の戦いは秀次が欲を出して絶対におこりそう。
となると応仁の乱ふたたびということに
0718人間七七四年2017/11/25(土) 04:44:14.72ID:+J51kytT
考えてみれば石田三成も奸臣だわな
権力ほしさに秀次をのぞき、家康を除こうとして返り討ち
秀次が生存していた場合も三成主導で戦いになることは疑いない。

秀次が生存していた場合、
秀頼vs秀次の争いは確実におこる。

秀次は秀吉と関係悪化しても関白を捨てることが出来ず、かえって凶暴な行為に走った男だし
秀吉がいなくなり、秀頼にゆずるという話になったとき何をするか。そこに三成がどうからむか。

乱世もどりだな
0719人間七七四年2017/11/25(土) 07:11:20.40ID:0Wr1ZLi8
どうしても秀次事件を三成のせいにしたい連中っているけど
たかが奉行にそんな力無いっての。

相手は秀吉の身内で関白だぞ?秀吉だって超の字が付く切れ者なんだ。
三成が私心で何か謀略始めたら秀吉が見逃すはずがない。
0720人間七七四年2017/11/25(土) 07:15:22.68ID:0Wr1ZLi8
そもそも秀吉って人間は他人の心を取るのが巧みで
人を信じるのも大好きに見せかけてるが、本音では誰も信用しない典型だ。
だから身内には超甘かった。

もし三成が画策した場合、他人である三成と身内で後継者にまで選んだ
秀次じゃどっちを選ぶか明白だろ。
0721人間七七四年2017/11/25(土) 07:40:31.28ID:DBMh5R2A
晩年の秀吉は衰えていただけでしょ
中国を統一した秦の始皇帝も晋の司馬炎も統一後は晩節を汚している
秀吉も弱小の頃は人の献策を取り入れてたが
天下統一後は黒田官兵衛らを遠ざけてイエスマンの三成らを残した
0722人間七七四年2017/11/25(土) 07:56:28.54ID:0Wr1ZLi8
官兵衛を遠ざけたのって、単に官兵衛が歳食ってきたのと
世代交代のためじゃね?天下取った秀吉に官兵衛タイプは需要が少ないし
三成と官兵衛じゃ官僚と政治家みたいに体質が違う。
三成や増田の方が使い道多いだろ。
0723人間七七四年2017/11/25(土) 07:58:31.19ID:mTNYxcEA
>>722
遠ざける必要はない。
顧問か名誉職として残しておくべきだった。
豊臣家中に重しをつけるためにも。
0724人間七七四年2017/11/25(土) 08:25:30.59ID:0Wr1ZLi8
>>723
そこが秀吉が他人を信用しない所以だろう。
俺も居たほうが良かっただろうと思うよ。まあ、如水の場合は
信長が死んだ時の発言が決定的だったんじゃないか?
0725人間七七四年2017/11/25(土) 08:34:55.11ID:N4luLPye
秀次健在で如水が腹心のままなら長政も豊臣側だしな
更に加藤福島も豊臣側に残留
これなら徳川も下手には動けないな

後の懸念は秀頼と三成の動向次第かな
0726人間七七四年2017/11/25(土) 08:36:03.05ID:DBMh5R2A
家康を完全に信用して200万石以上にして放置
豊臣一族の地盤固めせずに秀次一族を処刑
朝鮮出兵で恩顧大名を疲弊
武断派と文治派の対立を放置
五大老制という欠陥制度

完全に秀吉の目は曇っていたよ
0727人間七七四年2017/11/25(土) 08:46:35.38ID:+FQu/EOB
>>726
曇ってるというか、狂ってる。
0728人間七七四年2017/11/25(土) 08:47:39.08ID:ZAHtgOyB
>>726
むしろ当初の家康は秀吉の失敗を補って豊臣を建て直そうとしていたんだよな
朝鮮出兵の即時終了
トラブルを繰り返す三成を解任して武断派と文治派の対立を解決
やる気のないニート大老を追い出してスピーディーな政治を確立
地方の大大名の力を削り中央の統制を強化しようとした

むしろ秀吉の誤算は三成が権力欲丸出しで暴れたことだろうね
自分が権力を握れないなら中央の支配がなくなって戦国乱世に戻ったほうがマシという
とても奉行を務めたとは思えないほどのエゴ丸出しで豊臣を崩壊に追い込んだ
0729人間七七四年2017/11/25(土) 08:59:02.70ID:+FQu/EOB
>>728
確かに。石田三成は全てにおいて家康に劣ってる自分が勝てるとか、本気で考えていたのかな? あれだけ人気がない人物も珍しいし。
0730人間七七四年2017/11/25(土) 09:20:36.36ID:DBMh5R2A
三成は目の曇っていた秀吉に従うイエスマンとして恨みを買いすぎたんだよな
それに対して家康は助け船を出してたから大名らの信頼度が跳ね上がった

秀次は年老いて老害化した秀吉に疑われてた上に、輝元のでっち上げを告げ口すれば秀次がどうなるか
三成は分からなかったのかね
それとも輝元と最初から結託してたのか
0731人間七七四年2017/11/25(土) 09:46:14.87ID:PIAB95H6
仮に秀次が秀頼が生まれたから、豊臣の家督を秀吉に返還、養子縁組解消、関白職退任していたら、大名としては残れたのか?
0732人間七七四年2017/11/25(土) 09:53:16.78ID:p4DIn7e9
>>731
殊勝に振舞ったところで秀吉にそれが演技と見られてしまえばアウトだから難しい
0733人間七七四年2017/11/25(土) 10:11:48.42ID:K+lyctWm
秀次は反骨の相

関白に意味があるなら秀家を暫定関白に
0734人間七七四年2017/11/25(土) 10:30:19.14ID:0Wr1ZLi8
>>730
>それに対して家康は助け船を出してたから大名らの信頼度が跳ね上がった

その割には家康に付いた味方少なくて、三成に付いた大大名多すぎだろ。
0735人間七七四年2017/11/25(土) 10:54:20.12ID:wdytF3ej
>>734
自立したい外様連中でしょ
それ以外は宇喜多くらい
0736人間七七四年2017/11/25(土) 12:38:19.89ID:mCW/Q1KM
秀吉が天下人だったのはわずかに15年程度
秀次や秀頼が死ぬまで安泰でいられると考えるほうが不自然
0737人間七七四年2017/11/25(土) 13:44:33.82ID:d01JABzw
家康が天下人だったのも秀吉死後の15年程度だけどな
0738人間七七四年2017/11/25(土) 14:03:30.81ID:JplSg2Nq
つまり家康に比べて同じ15年で体制固めの出来なかった秀吉の能力の劣りっぷりが
0739人間七七四年2017/11/25(土) 14:08:36.51ID:N4luLPye
秀吉が老害化する前に死んでればなぁ
ついでに秀長が家康張りに長生きだったらなぁ
0740人間七七四年2017/11/25(土) 15:22:04.35ID:d01JABzw
三成が見切り発車で挙兵して徳川400万石をアシストしなければなぁ
0741人間七七四年2017/11/25(土) 16:14:12.53ID:VD6utUYV
>>739
あれは過労の面もあるので、組織的宿命かと
0742人間七七四年2017/11/25(土) 18:27:03.65ID:Q7AeksUk
>>739
暗殺すべきは秀吉だったのか
0743人間七七四年2017/11/25(土) 19:52:54.32ID:0Wr1ZLi8
>>735
>自立したい外様連中でしょ

福島や黒田は恩賞欲しくて徳川に付いたがな。
0744人間七七四年2017/11/25(土) 20:04:42.31ID:JplSg2Nq
秀吉が家康に政務委託しとるがな。秀吉に対する忠誠心があるものほど家康に従うのが筋
0745人間七七四年2017/11/25(土) 20:19:26.02ID:+J51kytT
聚楽第行幸で天皇が関白に政務を委託し、豊臣が関白を殺したため太政大臣が強奪し、太政大臣が死んだため内大臣が引き継いだ
1601年に豊臣に任官妨害されていた関白左大臣が再任され、1603年に征夷大将軍が任命され、武家と公家がはっきりと別れて
東京に政府が開かれたってのが大義の変遷

関ヶ原時点だと、内大臣に従うのが筋。東軍は後陽成天皇が晒布100反を下賜して応援した軍で、三成は賊軍
0746人間七七四年2017/11/25(土) 20:21:12.42ID:ZAHtgOyB
>>734
毛利や上杉や島津は中央の統制を骨抜きにして地方で好き勝手暴れられる昔の世に戻したいわけだからな
豊臣を守ろうなんて発想は欠片も持ち合わせていない
家康と敵対する理由も目指す世もが三成とは180度違う
こいつらがまるで三成と連携が取れないのは当たり前なんだよな

逆に加藤や福島は政権が豊臣か徳川かはともかく中央による統制が存在して
恩賞にしてもそこから貰うことを前提にしているからな
彼らにとって三成が毛利や上杉や島津と結託するのは見苦しい謀反でしかない
0747人間七七四年2017/11/25(土) 20:46:26.51ID:Q7AeksUk
天変地異が無ければ西軍に勝ち目は無い
0748人間七七四年2017/11/25(土) 21:08:37.75ID:sEI8N5Ec
東軍集結した所に雷落として竜巻起こすか
0749人間七七四年2017/11/25(土) 21:16:11.31ID:ABrouhsI
そもそも天変地異がなけりゃ
家康は秀吉に潰されてたしな
0750人間七七四年2017/11/25(土) 21:21:51.50ID:d01JABzw
7/22に公家の西洞院時慶がわざわざ大坂城へ下向しているね。
その目的は、
「諸大名衆の一統(家康を公儀から排除して、秀頼のもとに諸大名が集った、という意味)が成った後の(秀頼への)御見舞い」
で、これは、この時点では家康を排除した豊臣公儀の成立を朝廷として認めていたことを意味する。
ってのが白峰らの見解だったはず。

7/17にも大坂に勅使が派遣されてるし、少なくとも7月中は朝廷は西軍支持に傾いてるっぽいな
0751人間七七四年2017/11/25(土) 21:33:46.80ID:rxtkA5nF
>>749
運も実力のうち
0752人間七七四年2017/11/25(土) 22:24:37.91ID:VD6utUYV
>>750
無理くりに秀頼を追加しているな
単に状況伺いでしょう
0753人間七七四年2017/11/25(土) 23:50:10.94ID:FlPihGy4
>>715
もちろんそこら辺は全部わかる
秀次がいたらそいつらが増長することも容易に想像できる
そいつらと元の西軍が仲良く出来ますかね
秀頼も淀も別にいなくなってる訳じゃない
戦は起こらないとか甘過ぎると思いますわ

家康は別に誰が敵で誰が味方でも問題ない
二つに別れてさえくれればその一方についてバランス崩して後は同じ流れだよ
ただ秀次なら正式な関白なのでそのあと公家として
織田信雄と同じ流れで高家として豊臣家を残す方向で行けた可能性は高い
0754人間七七四年2017/11/26(日) 00:05:43.25ID:76394FVa
>>750
外戚の徳川も加藤・福島・浅野・黒田など古参も全員排除して
クビになった三成が毛利・上杉・島津・長宗我部といった仇敵外様をかき集めて豊臣公儀の成立とか
無茶苦茶にも限度があるよな
冷静に考えたら西軍なんてお前らのどこが豊臣なんだというメンツだろ
0755人間七七四年2017/11/26(日) 00:36:35.36ID:bg+VsYcU
秀次が健在だったとしても間違いなく徳川は天下狙うよ。
0756人間七七四年2017/11/26(日) 01:39:37.96ID:GNiMk0TR
秀次vs秀頼になったら徳川はどっちにつく
0757人間七七四年2017/11/26(日) 02:00:09.03ID:dz8OXEun
>>750
関ヶ原当時、東軍を送り出したのは後陽成天皇で
関白、太政大臣、左大臣は豊臣に妨害され不在
右大臣は豊臣に娘を殺されて流罪された菊亭晴季で、家康が尽力して右大臣に復帰
内大臣は家康なわけだが

朝廷とは誰のことをさしているんだ?
0758人間七七四年2017/11/26(日) 02:08:07.11ID:p/ODKRc7
>>737
確か、漢の高祖が統一後が6年程度だった気が?
その六年で異性の八王を全て滅ぼし、統一の過程では何の勲功も無い一族を後釜に据えた
んだよね。
秀吉も劉邦並みに強引な粛清した方が良かったのかも。
小田原からで8年だから、徳川に会津と駿府に築城を命じるくらいしても良かったかもね。
家康も大阪攻める為に強引な事してるし、徳川さえ潰せば大分違う気がする。
毛利や上杉は一族で分割相続させるとかの手が使えそうだし。
0759人間七七四年2017/11/26(日) 02:20:11.80ID:dz8OXEun
近衛信尹は
関白相論の原因を作り、一夜にして700年続いた摂関家の伝統を潰した人物として公家社会から孤立し
豊臣のせいで家康の尽力で1605年に関白になるまで関白になれなかった人物で
近衛家の養子になった秀吉に流罪にされたことのある人物

二条昭実も
同じく関白相論の原因を作り、一夜にして700年続いた摂関家の伝統を潰した人物で、
豊臣に関白を譲らされ、豊臣が滅ぶと再度関白になった人物

九条兼孝は
二条昭実の兄で西軍が負けた翌年の1601年に関白になった人物

鷹司信房は
二条昭実の弟で徳川家光正室の父

菊亭晴季は
豊臣に妹を殺され、流罪にされた人物

朝廷とはいったい誰だ?
0760人間七七四年2017/11/26(日) 03:14:15.08ID:ABWWS2vD
>>758
豊臣が京で摂関家として天下人やっていくつもりなら、
関東の徳川より毛利を潰して中国地方を豊臣領国化したほうがいいとおもうけど
まあ蔵入地経営を人材不足で丸投げしてるような豊臣がそんな事して大丈夫なのかはおいておいてw
あと上杉家の分割相続可能な一族とは誰?
0761人間七七四年2017/11/26(日) 04:24:10.73ID:8fwtJnQO
>>758
いくら秀吉でもあれだけ従順な家康にまるっきり大義名分無しで攻めるんじゃ
明日は我が身と家康側につく大名が大勢出てきちまうぞ
小牧長久手で負けたのがやっぱりどうしても痛い
0762人間七七四年2017/11/26(日) 05:30:09.45ID:dz8OXEun
家康は読書家で大義を重んじる人間だから
秀吉と違って私欲じゃ動かないからな。動くときは
秀吉の簒奪を非難するような大義や、内大臣や右大臣征夷大将軍の官職などを得て大義名分を得ている。
大阪の陣も秀忠が右大臣に任官してからだ
0763人間七七四年2017/11/26(日) 07:17:11.33ID:UxoEoahl
>>754
専門用語でそれっぽく見せているが、つまるところクーデターで首都を制圧したってだけなんだよな
0764人間七七四年2017/11/26(日) 07:31:52.57ID:bg+VsYcU
>>756
そんな時まで家康が生きてる訳ねーだろ!

・・・生きてたな。秀頼じゃね?w
0765人間七七四年2017/11/26(日) 07:45:28.72ID:iHtWmUKs
秀次VS秀頼?
せっかく秀次生きてても結局戦うんか!?
0766人間七七四年2017/11/26(日) 07:59:40.08ID:bg+VsYcU
>>765
可能性は無くはないだろ。跡目争いは普通にどこの家でもあるし
徳川でもあった。ましてや秀吉死んで関白秀次だったらな。
0767人間七七四年2017/11/26(日) 08:27:01.86ID:4T/Hehu/
>>764
家康はケリが着くまでは静閑じゃね
0768人間七七四年2017/11/26(日) 10:12:30.68ID:bg+VsYcU
>>767
それじゃ天下が治まってしまう。
どっちかに味方して勝たせて、勝った方を後から討つ。
そうすりゃ逆らう奴はいない。
0769人間七七四年2017/11/26(日) 11:05:20.54ID:OtqpUHal
>>762
それはギャグで言ってるのか
0770人間七七四年2017/11/26(日) 12:59:54.53ID:ABWWS2vD
>>768
双方とも天下治められ無さそうなのがなぁ
0771人間七七四年2017/11/26(日) 13:12:11.21ID:WFMN4kkb
結局、関ヶ原の段階じゃもうどうにもならないからそれ以前の秀吉が生きている間に何とかするしかない、に行き着く西軍が勝てたかスレ
0772人間七七四年2017/11/26(日) 13:43:34.22ID:x1E8QOot
>>771
しかしそこで語られるのはもう西軍ではない・・・
0773人間七七四年2017/11/26(日) 13:53:33.88ID:ZmOQtSwI
>>759
近衛は本戦直前の情勢について
「心許ない」と心配する発言をしてたはず。
当時は岐阜が陥落して以降、東軍はイケイケ状態で、もし彼が東軍寄りなら心配する状況ではない。
0774人間七七四年2017/11/26(日) 14:08:38.15ID:GNiMk0TR
すべてこれ、亡き太閤殿下の御恩。その御恩は海よりも深く山よりも高いのです。って北条政子ばりの演説を寧々か淀がすればいい。
0775人間七七四年2017/11/26(日) 14:11:33.00ID:ZmOQtSwI
まぁ上で誰か主張してたけど、
朝廷や公家の賛同ってのは大義名分の一助にはなるが、
大義名分自体が軍事的実力があればどうとでもなりえるものだし、
それだけで立ち位置を決めるほど戦国武将は単純でもない。
現に、関ヶ原合戦中に西軍の「自称公儀」に対して徳川も朝廷も豊臣も
明確な否定声明を出せていないが、
徳川が勝った後に「豊臣の本意」では無かったで結論付けられてる。
仮に西軍が勝ってたら「豊臣は一環して西軍支持」で結論付いてたはず。

要は、最低限の大義名分の形作りが出来ていれば
岐阜戦線をどうにか勝ち抜けば
あとは朝廷と豊臣が勝手にフォローしてくれるさってことだ
0776人間七七四年2017/11/26(日) 15:49:53.17ID:dz8OXEun
1595年に関白を殺害した豊臣は、太政大臣秀吉の死までは公儀といえるけど
1598年以降は自称公儀と称するのが正解
1600年の時点では右大臣菊亭、内大臣徳川の2人の公武並立なので、公儀を名乗れるのは家康のみ
1601年になると関白九条が生まれ、以降は次々関白が生まれているので、豊臣は完全に公儀ではなくなっている
1614年に政府にテロを行った自称関白の秀頼はテロリストと同様で、大義なんてものはない。
まぁ、大名が誰一人豊臣に参加せず浪人がたかっていた現状でも分かると思うが。
1614年の関白左大臣は鷹司信久、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠。

豊臣がぎりぎり公儀を名乗れるのは1601年まで。
1598年には公儀は崩壊している
0777人間七七四年2017/11/26(日) 15:59:00.03ID:7Jknx1lU
秀吉が無理矢理関白になったように
武力さえあれば財力も備わり、朝廷などどうにでも操れる
0778人間七七四年2017/11/26(日) 16:10:48.14ID:0TfUtPVU
勝ったものが正義だからな。
大義名分がーとかほざいたところで負けたらなんの意味もない。
勝った奴に大義は付いてくるわけで。
0779人間七七四年2017/11/26(日) 18:02:33.35ID:feopEuw/
養鶏やってる者だがオスの体格が普通より小さいチャボ
メスは体格が大きいボリスブラウン
交配させて十数匹孵したがみんな体格はボリスブラウンとチャボの中間の中くらいの大きさの体格にしかならなかった

秀吉と淀の子の秀頼が体格180〜90cm、100kg級って遺伝的にもおかしいよね
0780人間七七四年2017/11/26(日) 18:03:53.38ID:feopEuw/
スレ間違えました
0781人間七七四年2017/11/26(日) 18:04:00.48ID:F4bu3w5K
よく三成西軍が正義だの義があるだの言ってるがまったくそんなん感じられんよな

まあ負けた方が美学になるのは日本らしいっちゃ日本ららしいけどw
0782人間七七四年2017/11/26(日) 18:57:45.09ID:dz8OXEun
年表にすれば豊臣や三成がいかにおかしなことを言っているか分かるというもの

1585年、豊臣秀吉が関白相論を利用し、二条昭実に譲られて関白になり天皇に政務を託されたと称して惣無事を表明(豊臣公儀が成立)
1586年、徳川家康や上杉景勝などが惣無事を受け入れて天皇に臣従。関白の指揮下に入る
1588年、聚楽第行幸があり、諸大名が天皇に臣下の礼をとり、関白に政務を委託された体制を確認
1592年、聚楽第行幸があり、諸大名が天皇に臣下の礼をとり、関白に政務を委託された体制を確認
1595年、豊臣家が政務を委託されていた関白を殺害し、右大臣菊亭を流罪にする(豊臣公儀の正統性が失われる)
1598年、太政大臣豊臣秀吉が死亡(豊臣公儀が崩壊。征夷大将軍、関白、太政大臣、左大臣、右大臣が豊臣の任官妨害で不在。内大臣が公儀を引き継ぐ)
1599年、菊亭が右大臣に復帰(右大臣と内大臣の公武並立公儀)
1600年、関ヶ原の戦い。石田三成が謀反をおこし死亡。豊臣にお咎めなし。
1601年、九条兼孝が関白に任命される
1603年、徳川家康が右大臣征夷大将軍に任命される。東京に政府を置く(徳川公儀がはじまる)
1605年、徳川秀忠が征夷大将軍に任命される。近衛信尹が関白に任命される。(徳川公儀の継続が承認される)
1606年、鷹司信房が関白に任命される
1608年、九条忠栄が関白に任命される
1612年、鷹司信尚が関白に任命される
1614年、自称関白の豊臣秀頼が五山の認める呪いで政府にテロを行い、とがめた政府をあなどって浪人を集めて挙兵する
1615年、自称関白の豊臣秀頼が死亡する。豊臣家滅亡
1615年、二条昭実が関白に任命される
1623年、徳川家光が内大臣征夷大将軍に任命される
0783人間七七四年2017/11/27(月) 00:17:36.68ID:JKSDUTzm
むしろ大儀云々と五月蝿かったのは西軍信者だったよなw
0784人間七七四年2017/11/27(月) 00:38:16.14ID:nXYowFnY
>>782
徳川大好き迄読んだ
0785人間七七四年2017/11/27(月) 00:42:33.39ID:MJjVaQJl
高校教科書レベルの知識もないのが豊臣厨
0786人間七七四年2017/11/27(月) 00:48:51.23ID:nXYowFnY
>>785
だよねー
家康がいればジオンも勝てたよね
0787人間七七四年2017/11/27(月) 00:49:05.02ID:RzcwVou3
>>768
昔から有る乗っ取りのテンプレだよね。
わざと主家に内紛を起こさせて、二分、三分させる。そして内紛の過程で自分の勢力を拡大させて
全てが終わった後で気が付くと主君が飾り物に成ってるって奴。
曹叡は、一族出らしいけど出自が不明な養子の曹芳の後見人として曹爽と司馬懿を指名したけど、最初
は司馬懿は警戒されて閑職にまわされる。
曹芳と曹爽が先祖の墓参りで洛陽を留守にした時に、司馬懿が皇太后の命令って建前で挙兵して降伏すれば
助命するって約束で武装解除した後に曹爽と徒党の物を皆殺しにする。
気が付くと皇帝は丸裸で事実上の司馬氏の捕虜に成ってんだよね。
更に、今度は曹芳は皇帝にあるまじき不良少年って建前で廃位、一族の曹髦に挿げ替えて皇帝がもはや只の
飾り物なのをアピールって流れに成る。
そもそも司馬懿が挙兵した時って、曹叡から曹芳の後見人に指名されたって事を建前にしただろうに
用済みに成ると廃位だもんなあ。
家康は、明らかに早死にせん限り野心を捨てないタイプに見えるね。
>>779
祖父の浅井長政は大男だったらしいよ。
0788人間七七四年2017/11/27(月) 01:00:08.56ID:MJjVaQJl
>>787
>わざと主家に内紛を起こさせて、二分、三分させる。そして内紛の過程で自分の勢力を拡大させて
>全てが終わった後で気が付くと主君が飾り物に成ってるって奴。

まさに秀吉のことだな。

織田家家臣の秀吉が三法師を当主にそえておきながら、織田信雄に臣従したりで対立をあおり
信長の喪中に信長の妻を殺し、信長の息子を殺し、信長の孫娘を殺し、信長の妹を殺し、信長の重臣を殺し
織田家の本拠地の尾張美濃や近江などをことごとく奪い、関白になることで正当化に成功した。
気づいたときには織田家は滅亡しており、秀吉は主君を「信長」と呼び捨てにして、主君にかついだ三法師を飾り物どころか家臣にしていた
0789人間七七四年2017/11/27(月) 01:05:24.13ID:nXYowFnY
>>788
秀吉大嫌い迄読んだ
0790人間七七四年2017/11/27(月) 02:00:55.91ID:Qgmtc3xz
でもその秀吉の乗っ取り方がある意味一番主家のためでもあったりする
結局戦国の世でより力がある方が治めるのは仕方ないが
上手く公家として尊重しつつ事実上の力を奪った方が後に憂いを残さずに残しておける
0791人間七七四年2017/11/27(月) 02:43:20.67ID:VrRTtVvq
>>777
徳川は操れなくて300年間対立してたが
0792人間七七四年2017/11/27(月) 02:58:06.18ID:MJjVaQJl
秀吉が長期政権を築きたかったのなら朝廷を滅ぼすべきだったのかもね
豊臣は朝廷に棚上げされて干されて滅んだようなもんだ。朝廷の公家や帝や親王を皆殺しにして自ら帝になれば
新王朝の創始者としてうまくいったかもしれない。
しなかったから、朝廷に任命された征夷大将軍に滅ぼされた
0793人間七七四年2017/11/27(月) 06:06:22.57ID:TiQxo9UE
そもそも天下分け目の大戦は講談や小説の謳い文句
豊臣も内部の人間擁立するのを怖がり浪人みたいの出すし毛利も大口叩いた割にはボクシングのゴングが鳴ってジャブ受けて直ぐ「参りました」みたいだし

小牧長久手の役の方が大戦、あれで天下の方向性は決まったんでないかい?
0794人間七七四年2017/11/27(月) 09:01:32.10ID:ot1CCirD
>>779
淀パパの浅井長政が巨漢だったので覚醒遺伝したならあり得ると思うよ
秀頼は秀吉の子供では無かったと思っているけど
0795人間七七四年2017/11/27(月) 10:04:03.78ID:SSpB5EmE
>>790
家康かよ
0796人間七七四年2017/11/27(月) 10:04:48.08ID:SSpB5EmE
>>792
逆賊指名
0797人間七七四年2017/11/27(月) 12:18:05.52ID:TiQxo9UE
秀頼を担げればと言うけれど「傀儡に拉致された秀頼様を救え」って流れで大筋は変わらないんだろうな
子供に天下の意思はまだないし取り巻きは一緒
0798人間七七四年2017/11/27(月) 13:03:33.50ID:BRp1X0M0
>>779>>794
浅井長政の異母姉も嫁の貰い手がないくらいかなりの大柄だったらしいから浅井は大柄家系だし市も大柄と言われてるな
0799人間七七四年2017/11/27(月) 13:09:31.41ID:QBbsl2ox
知識の無いやつが思い込みだけで必死の書き込み
0800人間七七四年2017/11/27(月) 22:10:06.53ID:zEY7mIRz
単純に小早川やら脇坂などがが裏切らなかったら買ってたでしょ。
0801人間七七四年2017/11/27(月) 22:30:23.86ID:MJjVaQJl
>>796
秀吉は主家簒奪の逆臣だから、逆賊になったところでたいした差はない
聚楽第行幸で天皇の代理として政治を託されていた関白を殺してもいるしね。
さらに帝や公家らを殺して逆賊になったところでたいした差はない
0802人間七七四年2017/11/27(月) 22:37:02.81ID:vAbwrRUj
家康の簒奪は綺麗な簒奪と言いたいのは伝わった
0803人間七七四年2017/11/27(月) 22:44:54.22ID:y9jXsjCj
じゃあもう関白止めて
公家を全部殺して皇帝になればええやん
0804人間七七四年2017/11/27(月) 22:46:56.19ID:EislP+Ph
>>800
その小早川が裏切る気満々で
金吾が裏切らないと言う前提自体が成立しないと言う・・・
0805人間七七四年2017/11/27(月) 22:52:06.50ID:MJjVaQJl
高校の日本史教科書を読み返して来い。お前には日本人として当然身に着けておくべき常識が欠けている。

秀吉は1585年に関白になると惣無事を発して、みずからを天皇の代理であることを表明して、帝に従えと大号令を発している。
1588年と1592年では、聚楽第行幸を行い、諸大名の主君は天皇であることが2度も示されている。

家康たち諸大名の主君は豊臣ではないよ。内大臣の家康に簒奪という言葉は当てはまらない。
そして豊臣はその管理人を殺しただろう。
豊臣は主君が政治を託した関白を殺したんだよ。

簒奪とは織田家家臣の秀吉が1582年〜1585年までにおこなったことだ
0806人間七七四年2017/11/27(月) 22:55:27.90ID:MJjVaQJl
そして豊臣はその関白を殺しただろう。
豊臣は主君が聚楽第行幸で政治を託した関白を殺したんだよ。

下から二行目三行目訂正
0807人間七七四年2017/11/27(月) 23:24:50.32ID:R0B5P0S/
三成が権力欲むき出しで暴れたのが悪いんだろうな
ただの行政官僚があまりにも調子に乗りすぎた
0808人間七七四年2017/11/28(火) 01:12:18.75ID:pPUTE4q+
>>804
人質を取っていればわからん。
輝元も人質出してるしな。毛利が出してるんだから
諸侯から取ってもおかしくない。
0809人間七七四年2017/11/28(火) 01:42:38.39ID:o7N8U4L2
>>805
何様のつもり?
0810人間七七四年2017/11/28(火) 01:47:37.87ID:TwAmQhvv
>>805
大好きな家康の簒奪は綺麗な簒奪なので簒奪ではないといいたいのですね分かります
0811人間七七四年2017/11/28(火) 01:59:31.23ID:WKlezjEC
もうその基地外相手にしないほうがいいよ
0812人間七七四年2017/11/28(火) 08:39:57.07ID:lSp4cCj4
>>808
そもそも三成は人質の取り扱いで大失敗している。綿密な計画を立てて取り押さえ、丁重に扱えばまだ違うのに。人質を次々と取り逃がすわ、自殺されるわとやることひどすぎ。
0813人間七七四年2017/11/28(火) 10:12:23.71ID:+0TKvBW+
ドーベルマン300頭くらい調教してれば勝てるかも
0814人間七七四年2017/11/28(火) 10:17:20.70ID:pPUTE4q+
>>812
敵方の奴と味方に加わってる奴から人質取るのじゃ
全然違うだろ・・・自害なんてされたら止められないわw
自分の女房に死ねって言う旦那がいるとは思わんだろ。
丁重に扱う前に死体になってんじゃねーかw
0815人間七七四年2017/11/28(火) 12:21:26.19ID:BBSpHq/y
>>794
遺伝子が同じでも環境による影響も大きいさ。
秀吉の成長期と秀頼の成長期の摂取した栄養分なんて
天と地ほどの差があるだろうし
0816人間七七四年2017/11/28(火) 12:46:31.60ID:eUYcZqZs
豊臣は主君の喪中に主君の家族を殺して主家を乗っ取ったお家柄で
惣無事と聚楽第行幸で政務を託されていた関白を殺したお家柄

淀には乱交托卵疑惑があり
秀頼は馬にすら乗れない160キロデブ

大坂城は主筋殺しの真っ最中に主君の1周忌で建てた城

この豊臣を賛美していのが石田三成だ。

豊臣に大義なく、西軍にも大義なく、君主は幼少、将はへたれ、豊臣に官位なく、天の時もない
地の利は美濃尾張が徳川福島の庭のためなく、人質をとらなければ成り立たない人の和
軍は武断派をしたがえ三河兵を率いた徳川の方が精強で兵も訓練されている。
西軍は命令さえも無視されるが東軍は小山評定で統一されている

勝てるわけがないな
0817人間七七四年2017/11/28(火) 15:16:18.81ID:bL+Lr1ZT
中々に熱い議論が展開されておりますね。
0818人間七七四年2017/11/28(火) 15:29:42.59ID:A58mH5Tp
これなら志茂田景樹のイフ物読んだ方がマシというレベルだけどなるw
0819人間七七四年2017/11/28(火) 15:33:18.81ID:gc9tAqDk
戦国時代に巨人軍がタイムスリップするというあれか…
0820人間七七四年2017/11/28(火) 17:32:19.16ID:pPUTE4q+
ここの議論はためになります
0821人間七七四年2017/11/28(火) 18:20:44.07ID:vz8SjI0x
>>819
なでやねんw
八重樫のスワローズだよ
0822人間七七四年2017/11/28(火) 18:50:58.08ID:xXEsc75I
>>812
別にさ、秀吉だろうが家康だろうがカエサルだろうが、あの場面では人質取ると思うよ。
問題は中途半端な事してるから問題なんで。
普通に従わなければ屋敷事焼き払うで問題無い状況だしね。
マキャベリの言う所の、残酷に振る舞う必要が有る時は一気に纏めて実行しようだよ。
ガラシャの自爆でへ垂れるからいかんので。
0823人間七七四年2017/11/28(火) 20:25:47.22ID:A0l1xY9F
>>793
小牧・長久手の役でも竹中半兵衛が生きていれば…って話になってたな
黒田官兵衛はやる気無かったし
0824人間七七四年2017/11/28(火) 21:34:49.75ID:eUYcZqZs
>>822
家康は人質をとるどころか思想精神の自由を重んじて
小山評定で豊臣に参加するなら参加してくれという態度だったろ
俺は東軍だ!という武将の多いなか、田丸忠昌が
秀頼のいる西軍につくと表明したので、家康は刀を一振り与えて送り出している。
戦後はもちろん所領没収のうえ流罪になったが。
0825人間七七四年2017/11/28(火) 22:25:11.02ID:ixE5slX5
>>824
二枚舌じゃねえかw
0826人間七七四年2017/11/28(火) 22:50:56.13ID:q/sq0uZp
>>825
お前二枚舌の意味わかってるか?
0827人間七七四年2017/11/28(火) 22:51:05.09ID:bfJ/KJK0
西軍につくのは自由だけど負けたら責任を取るのは人として当たり前だろ
輝元といい西軍には無責任な連中があまりにも多すぎる
戦をすることの意味を理解せず、子供が駄々をこねるように我侭で西軍に入ったり辞めたり
こういう馬鹿な連中が多いから家康が力を振るって統治する必要があるんだよな
0828人間七七四年2017/11/28(火) 23:02:39.51ID:pPUTE4q+
そうですね。わかりますw
0829人間七七四年2017/11/28(火) 23:22:07.75ID:ehzzT7UL
>>827
そもそも輝元、広家は西軍総帥になって何の罪にも問われない、所領安堵とかできるとかマジで思ってたのか?

毛利元就、元春、隆景が存命なら、こんなバカげた真似しなかったろうに。
0830人間七七四年2017/11/28(火) 23:37:51.65ID:pPUTE4q+
広家は徳川に内通を約束して、輝元を徳川に付かせるつもりだった。
けど輝元は西軍に付いてしまった。

徳川に内通を約束してたから、毛利が戦場で戦わなければ家康は
許すだろう。と広家は考えた訳だ。

家康からしてみれば味方に付くなら許すが、付いてないんだから
当然許す道理は無い。

要は広家が雑魚過ぎた。
0831人間七七四年2017/11/29(水) 00:27:18.40ID:/NsgQnRj
>>825
豊臣厨は惣無事や聚楽第行幸を理解していないようで、高校日本史の知識があやしいと思っていたけど
小学校レベルの国語もあやしいのか
0832人間七七四年2017/11/29(水) 00:49:42.41ID:553G0+v2
>>826
あ?
言ってることとやってることがちがうじゃねえか
>>831
またそれかよw
言行が一致してねえだろw
敵に回ったらリスクがあるって正々堂々と言えやw
0833人間七七四年2017/11/29(水) 01:16:35.54ID:/NsgQnRj
なるほど。常識に欠けているのか。

分かりやすく言えば、
犯罪者に加担するのは自由ですよ、今去られても止めませんし恨みません。
しかし、その行動による責任は戦後に取ってもらいます。犯罪者は内大臣として逮捕し刑に処しますってことだ
0834人間七七四年2017/11/29(水) 01:20:20.03ID:553G0+v2
黒田に仕込ませて福島に猿芝居
が精神の自由ねえw
家守るために味方してるだけなのになw
輝元を大坂城からどかせるために寛容な振りして後出しじゃんけんしたり
姑息すぎるんだよ
恨みはもうさんと言っておきながら流罪w改易程度ならまだしもな
>>833
戦と犯罪を同一視するバカw
0835人間七七四年2017/11/29(水) 01:50:25.34ID:/NsgQnRj
石田三成は汚職や讒言を行い、そが原因で私闘事件をおこし更迭され、蟄居謹慎していた元奉行だよ
その元奉行が、現職内大臣の率いる軍に謀反の兵を挙げたのが関ヶ原だ

執行猶予中の犯罪者が内乱罪を犯したわけで、犯罪者以外のなんだというんだ
0836人間七七四年2017/11/29(水) 01:56:51.80ID:553G0+v2
散々うざいといわれて迷惑がられてるも毎日居座り続けるのが常識とか言ってて笑えるわー
こいつの言い分じゃインキュベーターは悪くなるなw

家康は豊臣の部下じゃないとか言っておきながら今度はこれw
0837人間七七四年2017/11/29(水) 02:54:07.88ID:W7Rz9i4c
>>834
何て言うか家康は調略が上手いよね、毛利を口説かせた福島正則を安芸備後に入れたから自然と
毛利は家康に騙されたよりも、福島に騙されたの意識に成る。
そんで、福島の勲功は間違い無いから尾張から動かんでも不思議じゃないのをお祓い箱だし。
この辺、家康ってのは実に人間心理に長けてるよね。
小早川を宇喜多の旧領の備前とか意地が悪すぎだし。
今川や武田の旧臣を口説く時も、実に上手い工作してるし。
でも、良く言われる吉川広家の本心って謎だよね?
普通にあの状況で本領安堵が可能だと何故思うのか?
実は馬鹿なんじゃ?
0838人間七七四年2017/11/29(水) 05:03:45.24ID:G9u5AGYT
秀吉って具体的に何歳位の頃に耄碌したんだろう。
0839人間七七四年2017/11/29(水) 05:13:45.19ID:/NsgQnRj
耄碌なんてしていない。やっていることは変わらないよ

織田家の権威を利用し、横領して自分のものにすると、織田家を滅ぼした
関白の権威を利用し、天下を自分のものにすると、関白を殺した

秀吉の行動原理は
格上のものを利用し、自分の力にして、破壊する。
これの繰り返し。
ほかにも
羽柴を名乗って丹羽と柴田の権威を利用し、柴田を滅ぼし丹羽を横領すると、豊臣にくらがえる
近衛家の養子になり五摂家の権威を利用し、関白を自分のものにして豊臣を名乗ると、近衛家当主を流罪にする
など
0840人間七七四年2017/11/29(水) 05:45:41.96ID:G9u5AGYT
また弾道ミサイル撃ったな〜 秀吉は朝鮮滅ぼせなかったのが
最大の汚点だよな。
0841人間七七四年2017/11/29(水) 07:58:26.10ID:c8YoZ2Uj
信長の二の舞かと思ったら、
肝心の光秀とか粛清済みだもんなw
0842人間七七四年2017/11/29(水) 08:07:07.80ID:mhQw1tRA
>>835
蟄居謹慎。
えっと、どちらですか?
蟄居すればいいんですか?
謹慎すればいいんですか?

蟄居謹慎なんて処罰は存在しません。
0843人間七七四年2017/11/29(水) 08:38:53.20ID:K3mbJ9FJ
>>842
両方
0844人間七七四年2017/11/29(水) 08:39:19.89ID:/NsgQnRj
>>842
どっちでもいいよ。

蟄居…閉門より重い刑罰で部屋からの外出禁止
閉門…家から出てはいけない刑罰
謹慎…出仕停止と給料停止


大坂に出仕することを禁止され、部屋から出ることも禁止される刑罰を科せられた、服役中の罪人が石田三成なわけだ。
その犯罪者が反乱をおこした事実が伝われば。

現代でいうなら、
網走刑務所に服役中の犯罪者が刑務所内で共謀罪を犯し
脱獄して内乱陰謀罪を犯したってことになる。
0845人間七七四年2017/11/29(水) 13:21:20.51ID:VHnk/SHb
秀吉は家中分断を狙うために手を突っ込んだが
毛利をはじめとして全て裏目に回ってるよね
0846人間七七四年2017/11/29(水) 13:24:31.89ID:VHnk/SHb
ここの専門家の方に聞きたいがどこまで時計の針を戻せば西軍が勝つ
もしくは家康の専横を回避できたの
0847人間七七四年2017/11/29(水) 14:12:01.99ID:4OrtryY8
>>846
家康の臣従を認めず、被害出るのを覚悟で潰す。つまり小牧長久手の戦いの終了後、四国を平定した段階。
0848人間七七四年2017/11/29(水) 16:00:28.19ID:qaMaRi2Z
家康潰しても前田の独裁でいずれ豊臣はダメぽ
0849人間七七四年2017/11/29(水) 21:27:42.60ID:L6342oez
>>842
あまりバカを虐めるなよ
太政大臣が名誉職だったことも知らないお方だぞ笑
0850人間七七四年2017/11/29(水) 22:00:36.80ID:/NsgQnRj
そのただの名誉職のお方が聚楽第行幸で政務をたくされていた関白を殺したわけで
豊臣公儀なるものは1595年には正統性を失っているんだよな

けど関白殺しの名誉職さんは
なにやら秀頼を関白と思いご奉公と書かれた起請文を私的に書かせまくって自己正当化しようとしていたようだが
関白の任命権は帝にあり豊臣には決定権がない。そして

1600年の関白は不在で、右大臣と内大臣による公儀、
1614年は関白左大臣鷹司信尚と右大臣征夷大将軍徳川秀忠による公儀で、征夷大将軍による政府が東京にあるというね。
結局のところ秀頼は自称関白にすぎず、豊臣は公儀でもなんでもないという
0851人間七七四年2017/11/29(水) 22:04:54.30ID:3fa5bY+X
ただ秀吉は、最後まで太政大臣だけは辞任しなかったから、太政大臣というものに実質的な権限があると思っていた可能性がある
0852人間七七四年2017/11/29(水) 22:09:57.17ID:R7VMPrTZ
>>849
確か清盛の前から名誉職だったよね太政大臣

最高顧問みたいなかんじだろw
0853人間七七四年2017/11/30(木) 01:31:10.31ID:UTQGD1Ta
関白だって、力の源泉は内覧「天皇に上がって来る文書を先に見る事」だからね。
逆に言うと、内覧無しの関白って只の名誉職に過ぎない。
>>847
多分、小田原の陣で家康を加増転封した後に、朝鮮の陣じゃ無くて足元を固めるべきだったんよね。
家康には会津と駿府に築城を命じる、後他の大名にも築城と街道整備とかで財政的に虐めるくらいで
良かったんだよ。
秀次事件の時に、諸大名がお金借りに行ったら20年くらい前の日付けの封がして有ったそうだからね。
有名な家康の蓄財を空にしてれば大分違う。
0854人間七七四年2017/11/30(木) 01:49:25.45ID:A0ZCkd1n
関ヶ原の戦いは、
聚楽第行幸で政務をたくされていた関白を殺した豊臣の家臣で
服役中の囚人だった石田三成が脱獄して関白殺しの豊臣を大義にして共謀罪や内乱罪をおかした戦いだ。

この大儀なき戦いで関白殺しの豊臣を正当化して脱獄囚の三成を勝たせようというわけだから
難しい戦いになるだろう

関白殺しの豊臣には大義がなく、君主は幼少で托卵疑惑があり、大将は優柔不断で、将は戦下手、兵は文治派のため弱く
命令を出しても無視され、美濃尾張の地の利は徳川や福島にある。官位は家康が内大臣で最高位であり、右大臣は豊臣が娘を殺して流罪にした菊亭
豊臣は二度の外征失敗、農民への太閤検地、公家への任官妨害で求心力を失っている。
裏切り者続出で人の和もない

勝てるわけないわ
0855人間七七四年2017/11/30(木) 03:53:44.68ID:zshdzmvL
よく考えたら朝鮮出兵って、もし上手くいかなかったら、元寇で恩賞やれなくて不満溜まった鎌倉幕府コースだよね?
豊臣政権維持のためには江戸幕府みたいに軍事行動極力しないのがローリスクの安パイだったのでは?
0856人間七七四年2017/11/30(木) 08:15:24.20ID:xsI5FUke
中国でヌルハチが暴れてる最中だったら朝鮮は取れてたね
それで家康を朝鮮に転封してれば良かった
0857人間七七四年2017/11/30(木) 10:36:43.04ID:3fSqcXJ8
秀吉だって秀頼が本当の実子とは思わないだろう
織田から奪った天下、織田の血を引く女にチンポが入れば他人じゃないで自己解決してたんだろう
三成は徹底的におべんちゃらで秀頼担ぎ
もう人心は離れていた
0858人間七七四年2017/11/30(木) 10:49:54.47ID:PdPGEYeh
道理だの大義だのそんなこたぁどーでもいいわ
軍事的に岐阜戦線で勝利すれば万事解決なんだから
勝てば官軍
0859人間七七四年2017/11/30(木) 11:00:59.74ID:jBkUM93p
>>857
秀次事件がとにかく酷すぎる。
殺すに飽き足らず、遺体まで徹底的に辱めるんだから。あれでは人心が離れても仕方がない。
0860人間七七四年2017/11/30(木) 11:30:08.97ID:Sv9L+DsA
>>858
勝てば官軍の意味を勘違いしていないか?あくまでも、戦いに勝ったあとの言葉だよ

大義名分や道理というものは勝因の一つ、戦うんなら大切にすべきだ(戦力差アレば無視してもいいが)
勝って好き勝手にやれるってことと、好き勝手にやって勝てることは別だぞ
0861人間七七四年2017/11/30(木) 12:06:01.16ID:A0ZCkd1n
主家を簒奪して聚楽第行幸で政務を託されていた関白を殺した豊臣と、讒言しまくりの奸臣で脱獄囚の三成に大義はないからな
だから勝てば官軍なんだろう。
0862人間七七四年2017/11/30(木) 12:12:34.29ID:Ixa4FoNv
秀次が生き延びて豊臣家を再建するIF漫画や小説ってあるのかな?
0863人間七七四年2017/11/30(木) 12:29:20.21ID:DI+owey+
豊臣の氏長者は関白を降りてもずっと秀吉?
0864人間七七四年2017/11/30(木) 15:37:52.01ID:sjTtuQxG
家康が歴戦の勇者を引き連れてそのまま東軍の第一列に配し
3万の大兵力を率いる当代一の家康に戦場で勝てってよく考えたら無理じゃね?
0865人間七七四年2017/11/30(木) 16:13:55.91ID:1sHIY0Je
れきせではないが無理
0866人間七七四年2017/11/30(木) 16:20:31.96ID:tYNqNPml
家康なんてスマホ太郎の足元にも及ばないから
スリップとマルチプルで簡単に倒せるよ
0867人間七七四年2017/11/30(木) 23:36:17.37ID:JbUeaJ+u
>>859
その他、秀次関係者(前野長康、池田輝政、浅野幸長、菊亭晴季など)にも
厳罰を与えたからね。彼らの中で生き残った者も、秀次事件で豊臣家を
離れて行った。
0868人間七七四年2017/11/30(木) 23:55:34.38ID:NZ8rOunv
>>860
三成たち奉行連中の働きが悪くて豊臣が海外遠征や関白継承に失敗したせいで家康が筆頭大老として招聘されたのだから
三成たちの主張には大義名分や道理がないんだよね
むしろ豊臣を混乱させてきた三成を家康が排除する方が大義名分も道理もある
西軍の士気が低く内通者が相次いだのも西軍に大義名分や道理がないのが最大の原因だろう
東軍は勝つ前から官軍だったのがまさしく勝因だよ
0869人間七七四年2017/12/01(金) 00:00:18.97ID:BrpK/lut
三法師を利用して織田家を簒奪した豊臣に正統性はなく
近衛家の養子に無理やりなることで関白位を奪って700年の伝統を破壊した豊臣に正義はなく
天皇を利用して主家簒奪を正当化して、聚楽第行幸で政務を預けられた関白を勝手気ままに殺した豊臣には大義がない

その豊臣を支えるのが当然と考える方がおかしい。大坂城は主君の1周忌に主君の家族を殺しながら建てられた恩知らずの城

関ヶ原は世直し戦争だった。といっても脱獄囚の石田三成が内乱罪を犯したので内大臣みずから裁いただけだが
0870人間七七四年2017/12/01(金) 00:19:41.30ID:29O9bv7y
>>869
そんなことよりお前毎日いるみたいだけど
暇なの?無職なの?
0871人間七七四年2017/12/01(金) 00:35:57.46ID:BrpK/lut
歴史を捏造して豊臣を持ち上げるのは金儲けのため
大坂城で調べてみると、

本丸、二の丸、修道館、東外堀、西の丸庭園
茶室、大坂城梅林、大坂城音楽堂、大坂城野球場、
大阪城ホールに大坂城弓道場、ピースおおさか、
ほか、市民の森に、記念樹の森、黒松並木などが

昭和になってから金をぶっこんで整備されているので
歴史を捏造してまで豊臣を美化する必要がある

関ヶ原で西軍を美化するのもその一環。
西軍を美化すれば大坂に観光客があつまり金を落とす。
大坂の陣も160キロのピザデブの秀頼を美化すればするほど観光客が増える。

観光客が増えればそれにぶら下がっている大坂人が金儲けできるという構図

ちなみに大坂は在日韓国人が日本でもっとも多い都市です
0872人間七七四年2017/12/01(金) 00:38:01.91ID:29O9bv7y
>>871
で、無職なの?暇なの?
0873人間七七四年2017/12/01(金) 01:06:00.74ID:2SmelQDV
>>872
朝鮮人です
0874人間七七四年2017/12/01(金) 05:19:00.99ID:XyYyWeAy
関ヶ原の時点で家康は豊臣を潰す気はあったんだろうか?
それとも豊臣政権の筆頭として権力を握ることができればいいと思ってただけ?
千姫嫁いでるし
0875人間七七四年2017/12/01(金) 07:22:53.28ID:LEyNK8XN
関ヶ原の時点ではない
0876人間七七四年2017/12/01(金) 07:24:29.02ID:BrpK/lut
>>873
朝鮮ごときを征服できず2度も撤退に追い込まれた豊臣は日本の恥だと思う
けど、豊臣を悪く言うと朝鮮人認定するのが豊臣厨
その豊臣厨の総本山である大阪は日本一朝鮮人の多い都市で、豊臣ブランドを金儲けで使い、在日は豊臣を歴史問題として利用しています。

嫌韓の日本人なら豊臣を持ち上げるより、伊藤博文の死をいたみ明治天皇と桂太郎を賛美しますわ
0877人間七七四年2017/12/01(金) 08:31:22.46ID:2SmelQDV
>>876
明が出てこなかったら完勝だがな。
0878人間七七四年2017/12/01(金) 08:43:59.12ID:FejsqXKD
関ヶ原が1600年
大阪の陣が1614年と1615年
本能寺から秀吉が死ぬまでよりも長い時間をかけて大阪を潰していってる
気の長いじいさんは長生きだな
0879人間七七四年2017/12/01(金) 09:17:18.64ID:GJdghdfG
>>874
こういう問題を考えるには、家康の過去の行動を分析すれば良いと思うよ、結講資料は確実な奴が
沢山有るし。
今川義元の姪「瀬名氏は本来此方が今川の本家でもおかしくない名門」を貰ってたのに構わず独立
、「この時点では正室と長男と長女が人質にとられてる」してます。
結局人質交換で助かったから、まるで情が無い訳じゃ無いでしょうが、普通は其れ以前に99%確実に
人質が殺されるでしょうね。其の為人質だし。
三河一向一揆の時は、和陸の後は寺は元通りの約束を破って破却してます「寺が立つ前は野原だったろ
ほら元通り」ってへ理屈。
後年の大阪の陣の割り埋めの原型ですね。後、旧主の今川氏真に対する処遇とか。
温情と言うより晒し者にしてないの?って疑問湧くし?
人質時代の幼馴染だった、北条氏規に情け掛けた説も有りますが?
同時期に人質だったのは確実でも、親交有ったのか如何か?
まあ、必要と思えば孫娘だろうと平気で見捨てる事が可能な性格ですね。
0880人間七七四年2017/12/01(金) 09:50:03.84ID:AUHdHK7o
>>879
重大な局面で非情の決断が出来るということですね
運がよかったのでなく自ら掴み取ったからこそ三英傑になれたと
0881人間七七四年2017/12/01(金) 09:52:52.40ID:AUHdHK7o
関が原だって秀忠が来るまで待つ選択肢があったが決戦を選択した
西軍に勝機ありと思わせなかったら1日で終わらなかった
0882人間七七四年2017/12/01(金) 10:40:24.15ID:LEyNK8XN
必要とあれば正妻も嫡男も捨てる
0883人間七七四年2017/12/01(金) 11:03:20.89ID:KMWER+HK
>>874
どちらかというと豊臣を潰してもいいと考えていたのは三成だよ
自分が権勢を握れないなら豊臣が潰れても構わないという思想で動いており
豊臣への自分の返り咲きを認めるか豊臣の滅亡を認めるかの二択を迫ったのが関ヶ原だった
三成はこの二択なら自分の返り咲きを認められると思い込んでいたが
そもそもこんな二択を迫ること自体が許されない行為だから東軍大名が激怒するのも無理はない

処刑前にこんな謀反を起こして豊臣に申し訳ない気持ちがあるか?と聞かれて三成はないと答えているし
自分が権勢を握れないなら豊臣が潰れても構わないという思想が三成にあったのは間違いない
0884人間七七四年2017/12/01(金) 11:12:27.59ID:ZHwMZOFC
すげえ思い込みと妄想
0885人間七七四年2017/12/01(金) 13:00:39.60ID:eTaCkUrO
>>872
官位がない無職です笑
0886人間七七四年2017/12/01(金) 15:28:51.12ID:n/CsBV1x
まあ豊臣政権のことを考えるなら、秀頼が成長するまで8年から10年は忍耐するべきだったな。徳川家康が何しようと、秀吉の遺命受けてるし、秀吉の義弟かつ秀頼の外祖父なんだから仕方がない。家康がいないと政務自体執行できないのが秀吉没後の豊臣政権だし。
0887人間七七四年2017/12/01(金) 16:23:33.96ID:BrpK/lut
謀反人の豊臣は天皇を利用することで謀反の正当化に成功したのけど
正当化に必要な関白を自分で殺してしまったからな。あの時点で豊臣の大義名分的は失われた。

そして2度の外征失敗は隋の煬帝と同様に政権崩壊の引き金としては十分すぎる。
それに
1590年に北条征伐と奥州仕置き
1591年に九戸政実の乱
1592年に文禄の役だから

秀吉は戦争しかしていない。
正当性がないうえに、内政をせず戦争ばかりしているのだから滅んで当然だよ
惣無事令に従った大名は豊臣に恩も義理もない戦国大名だからね
0888人間七七四年2017/12/01(金) 19:03:14.04ID:YkgF1pkT
>>877
出てこない訳が無いだろw
それ以前にそもそもの目的は朝鮮じゃなくて明だし
0889人間七七四年2017/12/01(金) 19:41:02.45ID:YaU6lxw3
>>887
秀吉は将棋や囲碁はたしなんだのかな?
家康は囲碁派、内政も好きだろうね
秀吉は生き急いでしまったね、ヒトラーに似ている、イギリス(家康)落とせず、急にソビエト(半島)を攻めて攻めきれず国家(豊臣家)も非業の最後
0890人間七七四年2017/12/01(金) 21:43:22.67ID:vwyUJaOs
>>886
豊臣家を残したければさっさと城を出て公家として生き残るべきだった
秀頼が天下人として政権を持てる選択肢は残念ながら見当たらない
0891人間七七四年2017/12/02(土) 01:32:29.91ID:ieWLMJN6
>>883
そりゃあ、三成主観じゃ悪家老に圧拍されてる主君を救う為の挙兵だし。
謀反ってのは本来自分の主君に対する反乱を言うんで、俺は家康の家臣じゃないから謀反じゃないって
言うでしょうね。
それにさ、一度家康の屋敷に逃げ込んでるじゃん。
あれって、家康が俺を処刑するなら、それはそれで良しって判断だと思うし。
あの段階で豊臣の奉行を処刑すれば、家康が進めてる豊臣家の内紛を煽るってのが超高難易度に成るもんね。
>>890
家康が旧主の今川氏真氏真に与えた待遇とか、後北条氏の子孫に与えた待遇「豊臣時代7000石、後4000石加増で11000」とか
考えると、家康が認めたとしても5万石以下とかじゃないかな?
0892人間七七四年2017/12/02(土) 02:00:37.52ID:l6VbTKVA
>>891
徳川屋敷に逃げ込んだのは創作じゃ?
0893人間七七四年2017/12/02(土) 04:14:46.59ID:tGVmHSoj
>>892
創作だよw
0894人間七七四年2017/12/02(土) 08:40:05.27ID:VkghgoBf
逃込めば斬られないみたいな
高度な他人の心理は読めるヤツだったんだな > 三成w
0895人間七七四年2017/12/02(土) 08:45:42.09ID:DAQ33riw
圧倒的な差があった硫黄島の戦いですら1ヶ月以上奮闘したのに本当に戦ったの?
大茶番劇だよね、将軍家はオーバーな勝利話を吹聴、後世は大阪人の残念話、裏切りが無ければ天下は大坂やった〜
でも司馬の関ヶ原は面白かった
司馬の論評と創作混じりが絶妙、後で良くも悪くも竜馬とか問題だよね信じちゃう人が居るから
0896人間七七四年2017/12/02(土) 08:55:23.19ID:TkoBCKbn
旧日本軍は鬼畜米英と叩き込まれて信じ込んでいた兵も多かったが
関ヶ原の場合は、東軍の方が鬼畜三成と憎んでいたものの
西軍は石田派以外は東軍に対する恨みも何もない
奉行返り咲きを夢見る三成以外はつらい状況でも戦い抜くモチベーションがないからね
0897人間七七四年2017/12/02(土) 09:02:45.13ID:G2SRZf1p
国の中枢機能が全部東京に行ってしまったから日本はおかしくなった
0898人間七七四年2017/12/02(土) 09:21:13.42ID:Bbp+PaOR
おかしいのは大阪県民の頭の中だ
0899人間七七四年2017/12/02(土) 09:26:44.81ID:DAQ33riw
>>898
前、大阪で竜馬のトークショーやっていたが気違いだった
頭の中ファンタジーなんだね
0900人間七七四年2017/12/02(土) 09:35:09.00ID:gnHj97cE
前田征伐も上杉征伐も関ヶ原合戦も元を質せば全部奉行衆が元凶だからな
大名同士を争わせて奉行衆が権力を握ろうと画策してた
内乱をけしかけたりクーデター起こした張本人が奉行衆だからな
裏切りとかいう前に奉行衆の暗躍の自業自得な結果だろう
0901人間七七四年2017/12/02(土) 09:50:52.09ID:V6IQvzTg
またお前か
0902人間七七四年2017/12/02(土) 10:37:19.54ID:gnHj97cE
そうです
私が変なおじさんです
0903人間七七四年2017/12/02(土) 10:56:48.18ID:Bbp+PaOR
>>899
大阪県民は思い込みが激しいんだよ
基本的に死ねば極楽にいけると思い込んで宗教戦争していた狂信者だからな。
天下の台所とも言われているが、金と狂信が大阪県民の特徴だ。

豊臣を金儲けに使っているから、主家簒奪に関白殺しをしている豊臣を正義だと思い込み、
1590年に北条征伐、1591年に九戸政実の乱、1592年に文禄の役で平和になったことは一度もないのに
豊臣秀吉が天下を統一して日本を平和にしたと思い込み、
脱獄囚の奸臣石田三成の謀反が正義だと思い込み、160キロのメタボをかっこいいと思い込み
歯抜け白髪じいさんをかっこいいと思い込み、喪中に主君の家族殺しまくりながら建てた大阪城を素晴らしいものと思い込む
あげればきりがない
韓国ドラマの歴史捏造っぷりといい勝負
0904人間七七四年2017/12/02(土) 10:58:20.70ID:TkoBCKbn
本来は単なる行政官僚に過ぎない奉行が調子に乗っていたのは事実だろうな
書状に自分たちこそが大老だと書いたり勝手に公儀を自称したり
あげくは三成のように軍事指揮権を主張して司令官気取りをしたり
家康を利用して誤魔化されているけど奉行が自分たちの本分を忘れて増長していたのは間違いない
0905人間七七四年2017/12/02(土) 11:00:23.07ID:hNs/yg0v
>>896
石田以外で自分ところの一門全ての命運を賭けた(賭ける必要があった)のは宇喜多と小西あたりだろうか?
残りは家康を牽制して発言力強化したいとか、今の領地じゃなくかつての本領に復帰できりゃいいやぐらいが狙い目の面子ばかり。
0906人間七七四年2017/12/02(土) 11:08:52.35ID:v7iiN9nL
>>899
ごめん、シンポジウムだった
寝小便や背中の毛や新婚旅行とかで盛り上がっていた講談レベルで
0907人間七七四年2017/12/02(土) 11:23:29.13ID:Bbp+PaOR
大阪県民の一番痛い思い込みは

東京にある天皇公認の政府に五山も認める呪術でテロをして浪人を集めて挙兵しているのに
大阪の陣が右大臣征夷大将軍のいちゃもんで、豊臣が正義と信じているのも、思い込みが激しいゆえんだな

豊臣公儀を自称しているが、征夷大将軍がいるんですよ
関白を自称しているが、関白は鷹司信尚という立派な人が就任しているんですよと、いろいろと痛い
0908人間七七四年2017/12/02(土) 11:35:29.16ID:A/eIyOKr
家康厨「奉行が自分たちの本分を忘れて増長していたのは間違いない」

クルリッ

家康厨「家康が豊臣家家臣の本分を忘れて増長したのは問題ないんだ!!!」

いろいろ痛いなw
0909人間七七四年2017/12/02(土) 11:46:24.58ID:TkoBCKbn
家康は関ヶ原までは豊臣家筆頭大老の職務をまじめにこなしていたよ
三成が謀反を起こして自分を殺そうとしたのに豊臣家が見て見ぬ振りしたのが嫌になって独立しただけでしょ
0910人間七七四年2017/12/02(土) 11:53:10.69ID:Bbp+PaOR
上杉と隣接する最上や堀が、上杉に不穏な動きがあると内大臣に報告して
内大臣が弾劾状をおくりとがめたのに上杉はそれを無視。
さらには内大臣と上杉が戦争に突入しないように尽力していた藤田を上杉は追放してしまった。
そりゃ征伐になるわ。

征伐にあたっては主君たる後陽成天皇が晒布100反を下賜しており内大臣率いる征伐軍を応援している。
その軍に、私闘をおこして奉行を更迭され、蟄居していた囚人の石田三成が
脱獄して反乱をおこしたのだから、大義なんてあるわけないでしょう。

石田三成に正当性を求めるなら、
まず免罪してもらい、服役中の身分をといてもらって刑務所から正当な手続きで出所すること
家康以上の官位を得ること
後陽成天皇になにかを下賜されてから戦いを始めること
が最低でも必要になる
0911人間七七四年2017/12/02(土) 12:43:37.76ID:HXd+Q8R2
>>910
景勝は条件付きで上洛するつもりでいたでしょ。
それがその唯一の条件を家康にスルーされたのでブチキレて直江状送ったわけでしょ。
0912人間七七四年2017/12/02(土) 12:52:37.93ID:Nj4rSVFh
条件をつけること自体が豊臣政権の権威を貶めているという事に気づかないと
真面目な話謀反の嫌疑がかかっているのに時間稼ぎとも取れる行動をしたらアウトだよ
四の五の言わずにとっとと来いという状態なんだから
0913人間七七四年2017/12/02(土) 13:01:09.11ID:V6IQvzTg
>>903
そんなことより野球やろうぜおっさん
0914人間七七四年2017/12/02(土) 13:06:02.61ID:Bbp+PaOR
豊臣公儀は聚楽第行幸で政務を託されていた関白を豊臣が殺したことで大義喪失
太政大臣が死んだことで有名無実化
1601年に関白が任命され、1603年に征夷大将軍が任命され東京に政府が置かれたことで完全終了しているよ。

1600年の時点だと、内大臣の家康の行うことが公儀そのもの。征夷大将軍も関白も左大臣もおらず、娘を殺され豊臣を恨む右大臣は公家なんだしね
0915人間七七四年2017/12/02(土) 13:11:49.82ID:V6IQvzTg
その当時江戸はあっても東京は存在しませんw
政府じゃなく幕府ですw
つーかおっさん童貞だろw
0916人間七七四年2017/12/02(土) 14:29:53.51ID:WdvYUKU+
>>903
大阪人の思い込みと朝鮮人の捏造と勝負させたい朝鮮人ですか?

事実と捏造は相反しますけど朝鮮では同じことですか?
0917人間七七四年2017/12/02(土) 14:43:39.74ID:1aVhW3+F
明治維新の話やで
0918人間七七四年2017/12/02(土) 16:21:10.48ID:wiKvCsEc
>大阪県民

はあ?
0919人間七七四年2017/12/02(土) 16:45:06.94ID:ieWLMJN6
>>894
そんなん言うならさ、有名な韓信は戦場での相手の真理の読み方は相当な物なんだよね。
背水の陣でも趙軍の大将の陳余の性格の読み有っての事だろうし。
漢軍が徴兵されたばかりの農民で士気が低いから無理矢理戦わせるって意味も有る。
龍且を破った時も、相手の性格読んだ行動してる。
でも、主君に劉邦に対する読みは別人みたいに甘い?普通、韓信の立場じゃ勲功立て過ぎで
主君に消される可能性を中学生でも考慮しそうだけど。
結局思考の方向性って事だと思う、敵の心理読みは上手くても味方の心理は。
>>895
硫黄島を例に出すのは変だと思うなあ?守備隊の思考としては、それまで水際で防戦するって
作戦で上手く行かなかったから、無傷で上陸させるけど塹壕で粘るって事だし。
関ケ原みたいな野戦とは全然違いませんか?
0920人間七七四年2017/12/02(土) 16:48:34.43ID:v7iiN9nL
大阪生まれの秋野暢子が「水戸黄門は女探しで全国漫遊したんやで本当は」大阪は話が受ければ良いんだわ、「これは大坂城の抜け穴です」ただの井戸ですわ
0921人間七七四年2017/12/02(土) 17:11:17.84ID:Bbp+PaOR
>>918
大阪民国と言った方がよかったですか

徳川幕府直轄領だから府がついたようだが、県になおしてほしいね。
大阪県民は徳川嫌いなんだから徳川の恩恵で府を名乗るとはおこがましい
0922人間七七四年2017/12/02(土) 17:39:56.43ID:dWQ+x3v1
大阪府は大阪府だろ
おっさんは大阪が嫌いなんだろ
いじめられたのか
0923人間七七四年2017/12/02(土) 18:33:41.11ID:L1gFjhS/
関西人はアコギやで
まともなのもおるが
ヤクザや
0924人間七七四年2017/12/02(土) 18:58:47.06ID:gnHj97cE
織田信長死後に豊臣秀吉が主家を乗っ取り
豊臣秀吉死後に徳川家康が台頭して幕府開いたように
石田三成も徳川家康死後まで待ってれば良かっただけだよな
0925人間七七四年2017/12/02(土) 19:15:09.72ID:jOUAavMr
>>924
石田三成に信長、秀吉、家康のような実力や器量を求めるのは無理がありすぎるよ。
0926人間七七四年2017/12/02(土) 19:22:01.09ID:gnHj97cE
>>925
実力や器量や機を見極める忍耐力が無かったから徳川家康死ぬまで待てなかったと言える
0927人間七七四年2017/12/02(土) 20:00:00.62ID:TZT91VPU
秀頼が元服するまで待てば良いだけなのにな・・・
0928人間七七四年2017/12/02(土) 20:12:00.65ID:pZFOXZaq
>>927
何故お前は秀頼が成人したら自動的に三成が復権できると思うのだ?秀頼の近習直臣団が出世するだけに決まってんだろ
0929人間七七四年2017/12/02(土) 20:32:53.35ID:FmX1XBFv
だから三成が復権狙うんならあのタイミングだったんだよな豊臣の事なんか二の次だけど
本当に豊臣の忠臣なら外様巻き込んで内乱を起こすようなマネはしないで、
大人しく隠居生活していれば良かったのに嫡男の出仕は許されているんだし
0930人間七七四年2017/12/02(土) 20:45:47.44ID:V6IQvzTg
>>927
その前に完全に乗っ取られるのがオチ
0931人間七七四年2017/12/02(土) 20:47:27.65ID:Bbp+PaOR
まぁ、恩知らずの秀吉が天皇の力を悪用して作った豊臣家なんぞ滅んでよかったと思う。三成はいい仕事したな
信長も溜飲を下げただろう。地獄で牛丼片手にメシウマだ
0932人間七七四年2017/12/02(土) 20:49:01.74ID:V6IQvzTg
>>931
トヨトミガーよりもおっさん自分の生活何とかした方がいいよ
0933人間七七四年2017/12/02(土) 21:49:36.31ID:TkoBCKbn
>>929
三成は古参家臣でも豊臣一門でもない単なる中堅家臣に過ぎず
秀吉が個人的に行政官僚として重宝しただけだから
嫡男が出仕したところでたいした出世は望めない
しかも方々から恨みを買っているから権勢を握り続けないといつ潰されるかわからない
豊臣への忠義なんて綺麗なことではなく自己保身と権力欲による蜂起だよ
0934人間七七四年2017/12/02(土) 21:58:31.69ID:ITeqmfq4
武家官位で秀吉死後では最上位の右大臣
妹婿で義理の弟
政務を託された
最大勢力の250万石

これらすべてが秀吉から与えられたもの
なぜ秀頼が元服する前に家康に反旗を翻してしまったのか
0935人間七七四年2017/12/02(土) 22:11:43.16ID:ITeqmfq4
右大臣じゃなく内大臣か
上杉征伐で出払った隙を狙って蜂起が豊臣への義はよく考えれば理解しがたい
0936人間七七四年2017/12/02(土) 22:14:10.20ID:zjYKlyGX
現役専務取締役に楯突いた退社した元課長って感じだな。
それにしては頑張ったほうだと思うよ。

歴史的に天下分け目の関ヶ原で西軍の象徴となれたわけだから。
インパクトでいうと家康以外の他5大老より
最大瞬間風速上回った感があるしね。
0937人間七七四年2017/12/03(日) 00:37:06.55ID:9+CnSlZU
三成の挙兵がなくじっと我慢してたら、
家康はどんな方法で豊臣をほろぼしたんだろう。
0938人間七七四年2017/12/03(日) 00:40:54.70ID:9WWmpcH2
>>933
本当に自己保身と佐和山19万7千石を守るだけが目的なら、徳川に寝返れば良いだけなんでは?
藤堂高虎みたいに家康にしっぽ振って大阪を潰す工作でもすれば本領安堵は確実、上手くすれば50万石程度の大名を
狙う事も可能でしょうに。
三成に同情が集まる部分は、豊臣を裏切るって選択肢が最初から無い事だと思うよ。
0939人間七七四年2017/12/03(日) 04:53:14.12ID:EIo668/x
>>934
いや、天皇に与えられたものだ。
秀吉は1585年に惣無事をとなえ、天皇の命令だから諸大名は紛争をやめて天皇に臣従し、政務を託された関白に従えと言っている。
1588年には聚楽第行幸があり、諸大名は天皇に臣下の礼をとり忠誠を誓い
1592年にも聚楽第行幸があり、諸大名は天皇に臣下の礼をとり忠誠を誓っている。
家康は1586年に惣無事を受けて天皇の家臣になったのであって、豊臣の家臣ではないよ。
1590年の北条征伐で勲功第一位をあげた家康は天皇の名の下に三遠駿甲信の返還を求められて敵地に左遷という憂き目にあったが口答えせず従った。
秀吉の主家、織田家の家督代行の織田信雄はごねたため、天皇の名の下に改易にされた。

秀吉が与えたという認識が間違い。三成もこの構図が理解できてないのだろうな。
なんのために聚楽第行幸を2度もやったのか、中学高校教科書レベルの知識が身についていない
0940人間七七四年2017/12/03(日) 06:40:32.50ID:EIo668/x
>>937
関白任命と聚楽第行幸がなければ、豊臣は主家を乗っ取った逆臣にすぎないからね
関白を殺してしまった時点で豊臣家に大義はなく、秀頼にも正統性はない
まして石田三成になるとただの脱獄囚の謀反人でしかない

1590年北条征伐、1591年九戸政実の乱、1592年元禄の役で一度も日本を平和にしていない豊臣は
2度の外征に失敗した時点で隋の煬帝のように滅ぶのが道理
三成が暴発ぜずとも豊臣は滅んだよ。

 1位 徳川家康  255.0 万石 武蔵江戸
 2位 毛利輝元  120.5 万石 安芸広島
 3位 上杉景勝  120.0 万石 陸奥会津
 4位 前田利家   83.5 万石 加賀金沢
 5位 伊達政宗   58.0 万石 陸奥仙台
 6位 宇喜多秀家  57.4 万石 備前岡山
 7位 島津義久   55.5 万石 薩摩鹿児島
 8位 佐竹義宣   54.5 万石 常陸水戸
 9位 小早川秀秋  52.2 万石 筑前名島
10位 鍋島直茂   35.7 万石 肥前佐賀

こうやってみるとことごとく豊臣に恩もなければ義理もない戦国大名だし
乱世にもどらなかったことが奇跡といっていい
0941人間七七四年2017/12/03(日) 07:43:09.80ID:3YlhZNUv
代表取締役副社長に楯突いた
零細子会社に飛ばされた課長
0942人間七七四年2017/12/03(日) 07:53:49.45ID:7/BnWjI3
>>919
川を背にする背水の陣は弓矢がメインだった時代しか通用しない戦術だからな
戦国後期だと大筒や石火矢の集中砲火されてしまうw
0943人間七七四年2017/12/03(日) 08:06:37.48ID:HCZh8NGs
>>940
豊臣としては伊達は潰すか半減させとけば無力化出来た
佐竹に支配された宇都宮氏を改易せず下野国押さえとけば家康も動き難かったんじゃ無いかな?
何で浅野長政は宇都宮潰したか?家康には良いアシスト
前哨戦は始まっていたのか
0944人間七七四年2017/12/03(日) 08:32:14.75ID:2GFV9WZu
>>938
石高なんかよりも中央政権の中枢にいたい
0945人間七七四年2017/12/03(日) 09:41:44.30ID:v9idi20K
>>938
三成が欲しいのは政治権力であって石高ではないよ
徳川の下で政治権力を握ることは不可能だから徳川につかないのは当たり前
問題は自分が豊臣に居座って権勢を振るうためなら何でもする三成の自分勝手な姿勢だよ
秀吉が示した家康への融和姿勢も豊臣家当主の許可を得ない勝手な蜂起を禁止した惣無事令も無視して
やりたい放題を繰り返す振る舞いが当時の人から豊臣を潰す奸臣として扱われた
何故か一周回って忠臣だのと同情する人間が後世になって現れたが冷静に見れば三成なんて忠臣でもなんでもない
同情の余地ゼロの我侭な奸臣だろ
0946人間七七四年2017/12/03(日) 10:30:22.06ID:6njRx29M
>>938
佐和山はどの道無理だ。
あそこは近江と京都間の要地だから。
他の豊臣大名と同じように石高は望めても西国に飛ばされる。
0947人間七七四年2017/12/03(日) 10:46:05.35ID:HCZh8NGs
西軍が踏ん張り東軍が一旦引っ込んだら和議出来たかね?
上杉を尾張、清正と佐竹トレードで2国体制、国境は尾張と三河
西は朝廷傀儡国で豊臣関白、征夷大将軍は毛利・島津・上杉互選
東は江戸共和国徳川大君と諸侯達
0948人間七七四年2017/12/03(日) 11:01:49.26ID:U3X9/eKN
戦術面でどうにかしても、戦略・政略的に西軍が最終的な勝利を得られる見込みが
ほぼ皆無になったから、そもそも論になってきてるな

家康スレでも話題になったけど、家康の立場からしてもあれだけの地位と身代になったら、豊臣体制の中では
先々徳川家の存在そのものが危険視されるのは自明だったわけで、生き残るために動くのは当然だったろう
関ヶ原ってのは、結局秀吉一人であやうくもってた豊臣体制という空中楼閣の当然の帰結なんで、
家康の野望とそれに抗する忠義な三成、なんて単純で幼稚な構図などではない
子供にもわかりやすい構図だから一般受けしやすいけどね
0949人間七七四年2017/12/03(日) 11:05:11.12ID:ceNj9Ktg
五大老なのに家臣じゃないキリッ
豊臣は嫌いだけど秀次を利用
現代になぞらえるのは大好き
保身がーといっておきながらおきながら今度は権力がー
0950人間七七四年2017/12/03(日) 11:07:29.75ID:oaLfCx1Z
釣られんな
0951人間七七四年2017/12/03(日) 11:28:21.61ID:EIo668/x
>>947
長期化した場合は乱世になる。これは確定だろう

九州では黒田が、東北では伊達が乱世を目指して動いている。
島津や上杉や長宗我部や毛利は戦国大名で豊臣に嫌がらせをされたことしかなく、恩も義理もない。
堀も豊臣に従う義理はない。
前田も利家は親友だったが、息子になると豊臣なんてどうでもいい
中央では三成がやりたい放題

分裂して各地で戦国時代のやり直しだろう
0952人間七七四年2017/12/03(日) 11:50:58.71ID:v9idi20K
>>949
三成厨は忠臣説が否定されて追い込まれるといつも発狂しておかしくなるな
0953人間七七四年2017/12/03(日) 12:01:15.44ID:EIo668/x
http://file.sengokumap.blog.shinobi.jp/1600.jpg

九州では
 加藤と小西のあいだで戦争が勃発
 黒田が領地を広げ小早川や毛利に侵食
 鍋島は肥後を中心に勢力拡大
 島津が北上を開始する
四国では
 毛利が大阪城に足をとられて動けず徐々に侵食され
 豊臣に恩のある宇喜多は東軍に備えて動けない
四国では
 長宗我部と蜂須賀戦争するが膠着状態。藤堂が暗躍
近畿では
 石田三成の専横でまとまりがなくなり
東海では
 城を明け渡した大名が徳川の陣営に入り併合
甲信も
 徳川の勢力圏に入る。真田は滅亡
北陸は
 前田を中心にまとまりそうだが、人質を取られているので徳川の勢力圏
関東では
 佐竹が徳川に攻められ滅亡
北陸では
 上杉と伊達と堀が三つ巴の戦いをはじめ
 津軽と南部が争い始める

長期化したらこんな感じじゃないかな
0954人間七七四年2017/12/03(日) 12:02:30.53ID:ceNj9Ktg
>>952
ほらきたよ
何でも厨つければいいとおもってるパティーン
0955人間七七四年2017/12/03(日) 12:20:12.06ID:ZiJiNyNB
石田三成が真の忠臣であるなら、朝鮮出兵を諌めるなり、秀次事件を何が何でも食い止めるべきだよな。例え諫死してでも。

石田三成が秀吉を諌めたという話は本当にきかない。命令に忠実に従うできる官僚評価はあるけど。
0956人間七七四年2017/12/03(日) 12:39:30.23ID:EIo668/x
命令に忠実に従う官僚が国書を改ざんしたりするものかね
0957人間七七四年2017/12/03(日) 12:54:00.96ID:ITvbmMxb
>>956
忠臣説では、早く朝鮮出兵を終わらせるために改竄したとかあったな。清正が豊臣を許されてないのに豊臣清正と署名したのが悪いとか。
0958人間七七四年2017/12/03(日) 12:54:01.23ID:7/BnWjI3
>>947
東軍先鋒隊を潰すことが出来れば家康は動けなくなるからな
岐阜城の戦いで全てが決まってしまった
0959人間七七四年2017/12/03(日) 13:20:50.52ID:9WWmpcH2
>>948
家康が保身のみの男なら、自分の立場の危険さを理解出来ない訳ないし。
それと、小牧長久手で直接破って大恥かかせたの秀次だからね。
その意味でも秀次事件で一番得してるし。
もし、豊臣の二代目秀次で秀頼は秀次の婿で収まったら、家康は言い掛かり付けられてもおかしく
無い気がする。
0960人間七七四年2017/12/03(日) 13:22:41.82ID:HCZh8NGs
>>955
三成が佐竹領で太閤検地何かのんびりやってないで大坂伏見で根回しやっとれとも思うし、いずれ江戸に攻め込む下見に来ていたとも思われるし
常陸太田に居た佐竹を水戸に南下させたのは三成かもね?江戸にプレッシャー掛けろと
現に上杉討伐の際に家康本隊は小山でストップ、そこより北上すると水戸に背を向ける

チャンスはここだったと思う
家康が白河まで上がれば背後を突くか江戸に攻め入るか
まあ家康が上手で小山から反転、秀忠はゆっくり西に向かい隙を見せない
佐竹も存続を賭けてまでの義理は無い、豊臣正規部隊でも駐屯してないと
0961人間七七四年2017/12/03(日) 16:11:40.57ID:rq0phBxY
>>927
無駄でしょ
史実だって別に成人出来なかった訳でもないのに
なんも出来なかったし
0962人間七七四年2017/12/03(日) 16:13:57.11ID:rq0phBxY
>>960
義重が完全に徳川寄りの時点で佐竹に期待しても無駄かと
0963人間七七四年2017/12/03(日) 22:30:43.78ID:8QeYaG0N
>>958
その東軍先鋒隊が有能なので
そりゃ武断派が揃って東軍に組み込まれたらねえ?
0964人間七七四年2017/12/03(日) 22:39:54.62ID:8QeYaG0N
福島ら秀吉子飼いの武断派が西軍に加担してればね
妻子ら人質に手をかけようとしたり恨みを買った三成が西軍中枢だったりと望みが薄い
98年からロードしたら何度やり直しても同じ結末になると思うわ
0965人間七七四年2017/12/03(日) 22:57:33.34ID:NYNTNr7x
細川は殺されてる
0966人間七七四年2017/12/03(日) 23:27:10.41ID:QP7AwHiP
>>948
でもさあ、多少の立場の違いはあれど徳川家康とも豊臣グループ内の子会社社長同士だったのに、
一夜空けたら徳川商事の平社員にも敬語を使う人生なんて耐えられる?
恩賞という多少の賄賂に目が眩んだものの、
江戸にデカい新社屋を建てますから協力金をお願いします、
名古屋に息子を社長にした新会社を作るので社屋を建てる協力金をお願いします。
駿府に初代会長の巨大別荘を建てるので協力金を〜越後高田に息子を社長にした新会社を〜。
結局、受け取った賄賂以上のカネを際限なくむしり取られただけ。
徳川についても何も意味なかったじゃん。
0967人間七七四年2017/12/03(日) 23:34:47.60ID:Pur/pWPh
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

次スレ用にさらに加筆。
0968人間七七四年2017/12/03(日) 23:51:05.95ID:Pur/pWPh
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000
0969人間七七四年2017/12/04(月) 02:54:37.98ID:8u8WiBCy
>>962
佐竹も領内の土豪を騙し討ちとかしてるしね、豊臣家との根回し有るはずでその窓口が三成だったと
考えれば豊臣に私恩が有るよ。
元々は、あの辺の大名土豪が反北条同盟組んでたみたいなもんで、佐竹は盟主の一つでしかないからね。
それを、常陸は佐竹領に決まったんで宜しくだとまあ不満が出る。
>>966
その辺は史記に書かれてる漢の高祖の行動とかに重なるね、露骨な恩賞のばら撒きで周囲の人望を集めた事に
なってるけど、調べるえげつないとしか。
まず、統一後に譜代とみられる武将でも転封されて逆に戸数が減ってるケースが?これは良い場所に移ったのかも
知れんけど、あとでいちゃもん付けかも?
韓信、彭越、黥布の粛清でも、彭越は家臣と言うより独立勢力だし黥布は項羽から寝返らせたんだし、勝てば何を
しても良いって思考露骨。
そんで強引に取り潰しした後は劉一門を王にして王朝の基礎を固めるだもん。
家康が関ケ原の後3年とかで死亡してたらかなり面白い事成りそう。
0970人間七七四年2017/12/04(月) 05:23:16.59ID:lEcBc9Pa
家康には黥布の反乱が無くて良かったな
伊達あたりがなってたかも知れないが
0971人間七七四年2017/12/04(月) 06:41:24.14ID:5uv9eb8G
>>969
たしかに佐竹が参勤交代の時に水戸を通らなかったのは
騙し討ちにした国衆の残党からの報復を恐れたからという話しあるよね

家康が三年でしぬとどういう面白いことになるの?
0972人間七七四年2017/12/04(月) 08:14:00.09ID:Hf3ySKxd
>>967
伏見攻城開始も欲しいね
あと西軍蜂起からも欲しい
0973人間七七四年2017/12/04(月) 09:35:22.72ID:JGbma3OK
>>919>>969
韓信は謀や野心ありすぎて処刑されたんであって
韓信に非が全く無いわけじゃないからな
0974人間七七四年2017/12/04(月) 11:20:19.62ID:cY2nW8ji
韓信とくらべると徳川家康の身の処し方の見事なことだ
暴君に隙をあたえれば滅ぼされるということが分かっている
さすが読書好きなことはある。

愚かなのは織田信雄と豊臣秀次

逆臣の秀吉が主家に遠慮するわけないだろうに、反抗的な態度をだしたばかりに
改易されて織田家滅亡

聚楽第行幸で政務を預けられた関白とはいえ逆賊の秀吉が遠慮するわけないのに、
地位に未練たらたらで居座ったばかりに一家皆殺し
0975人間七七四年2017/12/04(月) 12:09:11.02ID:hON7mPEd
>>974
織田信雄は改易された後、秀吉の御伽衆として復活できたはず
もっとも、織田家における一家臣に過ぎなかった人物の単なる話し相手という、屈辱極まりないポジションだったが
0976人間七七四年2017/12/04(月) 21:10:49.37ID:t3Sm6k1L
信雄はアホなので殺すまでもなかった
信孝はちょっと厄介なので勝家共々葬った
0977人間七七四年2017/12/04(月) 23:30:02.09ID:+zVCBtcu
そうやってプライドを捨て道化に徹したことで結果として信雄の血筋は現代に残るってのはなんともおかしなもんだ。
0978人間七七四年2017/12/04(月) 23:45:53.52ID:JGbma3OK
信雄は100万石の大大名から改易されては5万石貰い、また改易されては大坂の陣前に逃げ出し
また5万石貰うという生き残る能力には長けてた
0979人間七七四年2017/12/05(火) 04:29:38.00ID:b4J4gq0W
生き残る力に関しては徳川と前田が突出しているけど丹羽長重もすごいよ

丹羽長秀は秀吉の協力者だったが、14歳の長重の代で、その秀吉にいいようにされて100万石を奪われ
関ヶ原では西軍に参加して改易にされるも、徳川の温情で10万石の大名に復帰している
0980人間七七四年2017/12/05(火) 11:29:34.70ID:FlGi7kwq
丹羽家の場合は秀吉にとって先輩格の長秀死んだら目の上のコブになると分かってたから粛清は仕方ない
まあ当主がすでにひとかどの武将、大名として実績あれば100万石をあっさり失うことはなかっただろうけど
0981人間七七四年2017/12/05(火) 13:03:19.36ID:7UTAiRzh
当主が幼少で統治能力に不安があるから大領の相続が認められないっていうのは
理屈としてはありだと思うが同じ運命が秀頼にも待ち構えているのがなんとも
0982人間七七四年2017/12/05(火) 14:58:43.06ID:7NXgLPR0
秀頼は逃げ切るつもりが相手が長生きだった
0983人間七七四年2017/12/05(火) 15:15:18.42ID:eosDaZD6
感情の原因はそれを感じる者自身の固定観念・価値観・判断基準
「言葉 風紀 世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを要求する
憤怒は無知 無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
真実・事実・現実・史実はその主張者の主観。人の数だけある
「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾を体験(煩悩 争い)する
宗教民族差別貧困は戦争の「原因」ではなく「口実動機理由言訳切欠」
全ての社会問題の根本原因は低水準教育
情報分析力の低い者ほど宗教デマ似非科学オカルトに感化傾倒自己陶酔
史上最も売れているトンデモ本は聖書。神概念は人間の創造物
犯罪加害者に必要なのは懲罰ではなく治療。被害者のみ支援は偽善
虐めの原因は唯一「虐める者の適応障害」。真に救済すべきは加害者
体罰・怒号は指導力・統率力の乏しい教育素人の怠慢甘え責任転嫁
死刑は民度の低い国家による合法集団リンチ殺人
死刑(死ねば許され償え解決する)を是認する社会では自他殺は止まない
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の徴候。奇人変人当選は議員定数過多の徴候

感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・)
0984人間七七四年2017/12/05(火) 20:22:50.54ID:wfGL4vWq
>>982
家康が先に死んでたところで大坂の陣の時点じゃ
秀忠は将軍、普通に討伐されるだけだよ

秀頼には正当性が無い時点で逃げ切る選択肢ははじめからない
生きるには勝つか従うかの2択のみ
0985人間七七四年2017/12/05(火) 20:46:21.97ID:7NXgLPR0
秀頼に正当性があないわけでもない


それに実力があれば関係ない

秀忠では大阪攻め完遂のできん
0986人間七七四年2017/12/05(火) 23:45:38.23ID:Kz0wvBeT
https://youtu.be/mXMf90QXOfc

関ヶ原に新幹線の路線が通っているのと、
関ヶ原で戦が発生したのには、地理的な要因があるのだな。
0987人間七七四年2017/12/06(水) 07:52:45.19ID:ctc+yOBa
>>985
豊臣は主家を乗っ取ったお家柄で

聚楽第行幸で諸大名は天皇に臣従して忠誠を誓い
関白に政務が託されていたのに、豊臣はその関白を殺し

隋の煬帝のごとく2度も外征に失敗し
1614年の関白左大臣は鷹司信尚、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠で、東京で政府が運営されているのに
関白を自称して政府に呪いでテロを行い、無職を集めて大阪で挙兵した豊臣と秀頼に正当性とな

さらにいえば、
秀頼は秀吉が九州にいるときに、畿内にいたはずの淀が妊娠して出産した子供…
0988人間七七四年2017/12/06(水) 08:21:43.64ID:yF5KXnHW
>>984
秀忠は大坂夏の陣の後に焼け残った蔵で秀頼生存&降伏を願い出てる報告を受けたけど
拒否して切腹を申し付けたからな

大坂の陣を起こした時点で生き残る選択肢はなかった
0989人間七七四年2017/12/06(水) 08:36:38.74ID:dmcj55Va
申しつけたのか?
助命嘆願無視したとはあるが
0990人間七七四年2017/12/06(水) 09:03:13.83ID:yF5KXnHW
>>989
夏の陣敗戦で助命嘆願→無視→大坂城炎上→次の日片桐に秀頼と淀が焼け残った蔵で生存報告を受ける→
→ここでも秀頼らは助命嘆願→秀忠は切腹を申し付ける→いつまでも秀頼らが切腹しないから井伊が鉄砲を撃ち込み自害を促した
0991人間七七四年2017/12/06(水) 09:10:24.18ID:dmcj55Va
申しつけたってソースどこにあるん?
0992人間七七四年2017/12/06(水) 09:21:40.47ID:ctc+yOBa
大阪を副首都にとか寝言をいうのも
豊臣に正義があったと勘違いしていることが根っこにあるのだろうな

秀吉は主家乗っ取りの逆臣で関白殺し、
秀頼は関白左大臣が存在し、右大臣征夷大将軍が政府を東京においているのに
テロをおこない謀反をおこした犯罪者だというのに
0993人間七七四年2017/12/06(水) 09:25:03.74ID:yF5KXnHW
>>991
金地院崇伝と毛利秀元の書状
0994人間七七四年2017/12/06(水) 09:28:14.37ID:visuc2TV
次スレ立てました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/



ここ埋まったら次スレへ。
0995人間七七四年2017/12/06(水) 13:28:20.62ID:8RSfPkB+
>>985
大坂の陣での大坂方の奮戦が素晴らしかったのはわかる
そこに家康は自分の代で一気に完全勝利まで狙ってたから急ぐ必要もあったし
そのためには陣頭指揮をとって戦術面でも圧倒する必要があって
それを秀忠が出来るかと言ったら出来ないだろう

ただ秀忠には時間と財力と大義名分がある
別に急いで決着つけなくても敵が食い詰めるまで囲んで
大砲撃ってるだけでも良いわけだし
戦略的に詰んでる
0996人間七七四年2017/12/06(水) 13:59:39.91ID:yF5KXnHW
関ヶ原の戦いが起こらずに毛利と上杉が100万石以上、宇喜多らも健在なら秀忠のみじゃ厳しかっただろうね
関ヶ原の戦いで反徳川連合が壊滅した後じゃ何をやっても後の祭
0997人間七七四年2017/12/06(水) 14:21:20.51ID:yrbWxJdm
>>995
家康でさえ十万以上動員した

十万以上を動員し続けるのは無理か
損益的に合わない

家康でさえ外堀ありで永遠に攻城はできなかった
0998人間七七四年2017/12/06(水) 14:26:54.35ID:FRMNKyJ2
>>996
上杉征伐は起きているから上杉領は米沢行きで同じこと
佐竹も難癖付けられて国替え
逆に力関係のバランスが微妙で豊臣攻めが早まったかも
まあ次は前田征伐、毛利仕置きとかが起きるんでしょうね、大名は一国一城が原則(将軍家除く)と言いながら
0999人間七七四年2017/12/06(水) 21:18:05.58ID:8RSfPkB+
>>997
堀の先まで攻めるのは大変だが外に出さないだけならそんなに要らない
参勤交代の代わりに交代交代囲ませて這い出てくる奴だけ潰して
たまに小競合いと威嚇をやり続ける
音をあげるまで、食い詰めるまで
家康がこれをやったら時間がかかりすぎて寿命がくるだろうし
大きな視点で見ればその後の江戸時代は
史実ほどもたない政権になった可能性は高いが
豊臣が勝てる見込みはないよ
1000人間七七四年2017/12/06(水) 21:32:46.67ID:1KGYi9aj
うめ
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