そもそも朝倉義景は鈍重すぎる。
1572年3月に北近江の誓願寺が本願寺に出した手紙では「朝倉義景は腰が重く、浅井への後詰も遅延しがちで、このために浅井方の国侍が次々に織田方に寝返った」と報告している。