>>524
近年の研究では、信長自身も足利将軍の権威に大きく執着していた事が明らかになっており、
1573年初頭に義昭が敵対した時には、その時に信長は「条件はそちらのお好み次第でいいから、
和睦して欲しい。」と義昭に要請していますし、それでも義昭は承諾してくれなくて、
結局最終的には勅命講和の形で講和するわけなのですが、
この時には信長は「和睦してくれてありがとうございました。」とお礼まで使者に述べさせておりますね。

さらには義昭追放後も、普通に義昭に戻ってきてくれるように交渉したり、
義昭の息子さんを未来の将軍候補として保護したりしておりますし、
信玄も足利将軍を擁立の方で動いたのかもしれませんかねえ。