>>946>>927>>928宛ですね。失敬。

>>930
少なくとも、北条を動きが鈍い、とは謙信は感じてないとは
思うのですけれどね。実際に関宿や羽生の救援を謙信は
1574年の年末までかけて奮闘しますが、結局果たせずに
北条に攻略されてしまうわけですしね。
謙信は当時の国力としては、単独では越後一国に上野の北部に越中のある程度、
といった感じですし、これで100数十万石の北条に加え、
北陸一向宗を両方相手にしているのですから、かなり大変ですし、
この状況でさらに信玄率いる武田主力軍まで相手にしたいとは思わないと
思うのですけれどねえ。実際に>>946にもあるように、
信玄西上の前には信長仲介による信玄との和議に
大いに乗り気になってたのが謙信ですし、
上杉側の信濃国境軍は夜の猟師の鉄砲一発を信玄主力軍の侵攻、と
思ってパニックになるほどに神経質になっている状況ですしね。

仮に当時の家康が失地回復に動こうとするなら、
数千程の抑えで十分対応できるように思いますけれどね。
そもそも、謙信が上記のような感じで、
自身を当て馬にするつもり満々の信長の為に
ただでさえ苦しい状況ですのに、武田主力軍を引き受けようとするとは
どうにも想定しにくいとは思うのですけれどねえ。