>>77
上段は関ヶ原前、本来志向すべき、していた政権運営の姿。
しかし、関ヶ原によって徳川の実力はさらに強化され、秀吉の願い空しく徳川は単体で天下人になれる状況が整ってしまった。

かかる状況下で下段。
もはや豊臣家は徳川家に抗うべきではなく、天下人に拘らず一大名として存続に注力すべき、という方向に転換。
むしろ加藤は徹底して徳川の意向に従い、豊臣家に害が及ばぬよう配慮している。
福島にしても、大坂攻めギリギリまで淀殿の江戸下向を促している。

上段と下段では、時期・背景が異なる。
>>72へのレスであり、意思解釈は十分可能と思い、そこには気を遣わなかった。