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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/08/08(火) 21:24:41.36ID:QecJFFRE
ホレ

前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
0742人間七七四年2017/09/08(金) 12:49:34.74ID:1sKktcPn
結局三成の予定は福島をはじめとした東海道沿いの豊臣恩顧大名を味方にして。家康を三河・尾張におびき出して上杉・佐竹軍と挟み撃ちにするというものだろう。
確か真田昌幸の手紙にいとやすしと書いていたと思った。
何一つ上手くいっていないけど。

しかしよくこんな作戦を戦争プロフェッショナルの昌幸に送ったよな。
三成が一番小説脳だよな。
0743人間七七四年2017/09/08(金) 12:52:41.75ID:JVQnsAvA
そうするとそれを読んだら
こいつ馬鹿なのってなるな
0744人間七七四年2017/09/08(金) 12:53:25.97ID:1sKktcPn
小山評定が無かったというのは、まだ立証されていないだろう。
そういうことをほざいている学者がいるだけで。

黒田は出席していなかった可能性もあるしな。
0745subo2017/09/08(金) 14:58:02.70ID:12tbul9J
武力で皇統を北朝から南朝に変えればよかったんだよ、毛利の南朝とか

まあ、幕末はこっそり南朝にして倒幕したが
0746人間七七四年2017/09/08(金) 17:38:08.17ID:KqDY/QkV
それぐらいぶち上げないと昌幸裏切りそうじゃん
0747人間七七四年2017/09/08(金) 18:02:33.21ID:3GqPTnjx
原作にはない朝鮮人大砲名人の三成隊
0748人間七七四年2017/09/08(金) 18:20:00.94ID:+ieYu2qi
現代からタイムスリップした自衛隊が
0749subo2017/09/08(金) 18:20:47.36ID:12tbul9J
奴隷貿易で武器をしこたま購入しとけばよかったんだよ
0750subo2017/09/08(金) 18:23:28.46ID:12tbul9J
戦国自衛隊か、自衛隊だったらあっというまに圧勝だな
0751人間七七四年2017/09/08(金) 18:26:05.78ID:PfsXOVrk
でも駐屯地ごとスリップでもせん限り1勝しても後が続かんわな
0752人間七七四年2017/09/08(金) 18:39:26.10ID:xr7PhlGK
>>749
豊臣政権って隣国の評判は悪いんじゃないの。

こんな狂犬と関わりたくないと思っていそう。
0753人間七七四年2017/09/08(金) 18:59:48.11ID:Djz8DzZS
>>748
しかしタイムスリップしたのは糧食班だった
0754人間七七四年2017/09/08(金) 19:01:22.86ID:KqDY/QkV
>>748
ヒャッハー
女だー

なおこのシーンのせいで自衛隊の羌呂化をしばらく得られなくなった模様
0755人間七七四年2017/09/08(金) 20:01:12.85ID:RviEIYqZ
七将は三成を家康が上手く隠居させたからそっち付いたって言うけど
順序的には逆っぽいよなあ。家康派に七将がいて、家康と三成の政争のなかでトドメが七将の動きだったってほうがしっくり来る
三成がこのへん引き込めると本気で考えていたとは思い難いけどなあ
0756人間七七四年2017/09/08(金) 21:47:28.71ID:xr7PhlGK
>>755
なんかこいつ凄いアホそう。
0757人間七七四年2017/09/08(金) 22:20:53.04ID:U/At9J0r
七将襲撃で一番得したのは家康だからね。
そう考えれば、何の為の襲撃だったか自明でしょ。
秀吉遺言通りの家康主導の政権運営、不穏分子排除による政権安定化一択しかない。

三成憎しは、動機が個人的で、いかにも小説的演出。、
0758人間七七四年2017/09/09(土) 01:25:41.29ID:69x51+XV
三成憎しも何も普通に政治的報復だよ
むしろ七将は三成を家康が上手く隠居させたから付いたなんて話のほうが聞いたことがない
0759人間七七四年2017/09/09(土) 02:32:04.96ID:vP9Rh5te
だからここはそのレベルの話が中心だから一々噛みつかないw
0760人間七七四年2017/09/09(土) 04:31:06.29ID:239IemKc
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月14日 家康赤坂着陣

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
よくわからんのが筒井の伊賀上野城開城日時。

>>725
当時の西軍美濃防衛ラインは大垣・岐阜・犬山のライン。
岐阜だけ守っても大垣落ちたら意味ないよ。
タイムライン的に清洲を攻撃するならば、伊勢攻略部隊を転用するしかないけど、
松阪攻略しないということは九鬼を見捨てるということ。
安農津、桑名の北伊勢を攻略しないということは尾張から伊勢経由で畿内に
侵攻されるリスクがある。
それ以前に伏見攻略後10日前後で清洲が落とせるかどうか。
0761人間七七四年2017/09/09(土) 06:40:47.31ID:239IemKc
大谷らが伏見攻略後、敦賀に8月3日に着陣してるとこからして、
初めから清洲攻略を企図してやる気がある行軍ならば
岐阜、犬山には8月5日には着陣できると思う。
あとはそこから遅くとも8月10日くらいまでに清洲を攻略できるかどうか。
8月14日には東軍先発諸将3万数千が清洲に到着する。
さらに先発してる隊は数日早く到着してるはず。

清洲までの主だった城として、岩倉、小牧山、守山あたり。
清洲後方には那古野、鳴海、長島あたり。
桑名の氏家兄弟は一応東軍方として籠城態勢。

伊勢攻略部隊を転用するにしてもこいつらのやる気のない行軍では
8月5日に岐阜、犬山に着陣できそうもない。

さて、打開策はあるだろうか?
0762人間七七四年2017/09/09(土) 10:22:17.12ID:n2/HiHE2
三成は東軍先発隊がいつ戻ってくるかも把握していなかっただろう。
真田への手紙では徳川は1万で豊臣恩顧があと1万とか書いていたから、
上杉と交戦が始まった前提で考えていたのかな。

そうなると決起のタイミングが早すぎたということだけど、もし会津征伐軍の行軍も
把握していなかったらいたしかたないよな。
何かで東軍が来るのが早くて三成がびびったというのを読んだことがあるけど
(小説かもしれないが)。

とにかく諜報能力が皆無の人が司令官になると悲惨だよな。

相手の動きを全く把握出来ずに立てた計画は絵に描いた餅だよな。
0763人間七七四年2017/09/09(土) 10:25:19.99ID:n2/HiHE2
鍋島息子は伊勢松阪城攻略しちゃたのか。
親父は佐賀から家来に尾張周辺の米を買い占めさせて目録を家康に渡したんだよな。

こういう気づかいは嬉しいよな。
0764人間七七四年2017/09/09(土) 20:55:26.89ID:56lPeGht
秀吉が義昭に養子を断られなければ
豊臣が将軍になって2代目は秀次→廃嫡
3代目は摂家将軍で繋ぎにしといて
4代目秀頼になってたかもしれない
0765人間七七四年2017/09/09(土) 21:24:31.14ID:3BPyKJXU
家康が喜連川担いだりして(w
0766人間七七四年2017/09/10(日) 00:24:01.35ID:+mxa52fn
中央突破
0767人間七七四年2017/09/10(日) 06:04:19.89ID:H8v4MIPZ
秀吉が将軍になれなかった一因は小牧・長久手で家康に勝てなかっただろう。
豊臣政権は徳川家を武力では従えられなかったという事実がトラウマになっている政権なんだよ。

淀君はそのことを忘れているけど。
0768人間七七四年2017/09/10(日) 13:17:42.47ID:TWYSlIeS
>>767
全然違うけど、将軍の地位が空席にならなかっただけ
0769人間七七四年2017/09/10(日) 13:29:34.95ID:yJaCEb5I
でも、位だけなら、関白が上でしょ
0770人間七七四年2017/09/10(日) 15:23:22.61ID:F7q3hnqJ
>>764
将軍は関白と違って年齢制限がないから、摂家将軍を挟む必要がない。
だからその仮定なら三代目将軍秀頼で問題ない。
>>769
確かに関白の方が地位は高いけど、史実でそうなってしまったように摂関家に地位を奪われる危険性は高いね。
関白は彼らにとって『上がり』の地位だから、当然隙あらば地位を狙われてしまうリスクがある。
しかし、将軍なら年齢制限がないから地位を奪われにくいし、朝廷の貴族があまりほしがる地位でもない。
つまり、政権の権威を維持しやすいというメリットはある。秀頼は結局は関白になれなかった訳だし。
0771人間七七四年2017/09/11(月) 02:24:05.89ID:TOTiOwX1
〉〉767
そもそも小牧長久手は秀吉対信雄であって家康は同盟相手として派兵したに過ぎん。
同時進行中の紀州勢の岸和田侵攻とか秀吉方の前田対信雄方の佐々とかの一連のひとつの戦闘に過ぎない。
秀吉が信雄の本領を攻撃して降伏させると同盟勢力として派兵してた家康は
戦闘継続の大義名分失って何ひとつ得ることなく撤退してるのが何よりの証拠。
つまり家康は局地戦のひとつには勝ったが戦場に釘付けにされて信雄本領を攻略され、戦略目標達成できず負けた。
(ついでに言えば池田は同盟相手であって秀吉と主従関係にあったわけじゃない)

だいたい秀吉は徹底抗戦の相手には侵攻してるけど、
家康に限らず交渉で済む相手には外交で併呑してる。
小牧長久手で負けなかったから〜云々は後世のこじつけ。

ただ外様を直接侵攻せずに呑み込んで広大な領土を持たせたままだったから
秀吉が君臨してる間はともかく、トップがいなくなると途端に不安定な政権だったのは事実。
トラウマではないが構造上の欠陥。
三成が挙兵しようにも手持ちが19万石で、輝元を総大将に祀り上げないとどうにもならなかった。
それで肝心の総大将がひよってたのが最大の敗因なわけで。

幾ら吉川や福原ら宿老が内通してても、総大将になって更に瀬戸内にちょっかい出してる時点で
負けても本領安堵されると本当に思ってたんだろうか。
毛利本隊と別動隊の元康・秀包隊に秀元隊合わせて
積極的に戦闘参加してれば福島その他抱きこまないでも勝てたかもね。
0772人間七七四年2017/09/11(月) 02:42:13.40ID:Fcukqc3m
>>576
まさに小説じゃないかw
歴史解説書の体裁を取った小説
読まなくても中身が想像できるわw
0773人間七七四年2017/09/11(月) 05:15:42.22ID:lLqfYBcH
>>771
なんで徳川に対して毛利が全面戦争せにゃならんのだ。
毛利はこの機会を利用して自家の勢力拡大狙ってるだけだろう。
それなら徳川と石田や宇喜多が遊んでる間に瀬戸内周辺を火事場泥棒した方がいい。
早い話が中央政権なんて無力化させて戦国時代に時計の針を戻した方がいいって事。
毛利が天下人を狙ってるんなら、あなたの言うとおりに徳川と全面戦争すべきだけどね。
ただ、その場合徳川のポジションに毛利が入るだけだがな。
0774人間七七四年2017/09/11(月) 07:54:20.85ID:9dqNj2h8
>家康に限らず交渉で済む相手には外交で併呑してる。

自分の妹との結婚と母親を人質という屈辱外交でな。

関西人の負け惜しみが笑える。

形式的なんてどうであれ戦闘で秀吉がまんまとやられて、その後も手を出せなかったのが
一番大きいんだよ。
0775人間七七四年2017/09/11(月) 08:02:00.89ID:9dqNj2h8
>毛利はこの機会を利用して自家の勢力拡大狙ってるだけだろう。

それだったら西軍の大将になんかならないで家康と一緒に三成をやっつけちゃえば、
領土は増えたかそのままだったな。
少なくとも減らすことはなかった。

火事場泥棒をしようとしたのに、日和見の中途半端な態度だったから
領土を減らされるんだよな。

まあ、命令書みたいなものにサインをしてたらまずいよな。
輝元の政治感覚は少し異常というか甘すぎるよな。
0776人間七七四年2017/09/11(月) 08:16:07.04ID:9dqNj2h8
白峰の説によると家康はまず大垣城の後詰の役割だった毛利から攻撃しようと思っていたらしかったけど、
吉川の方が停戦願いを出してみたいだな。
0777人間七七四年2017/09/11(月) 11:23:22.49ID:VNs172Tq
>>775
家康が上杉征伐することになってから関ヶ原で石田三成が負けるまでのテルの戦略シナリオって分からないよな

基本的に状況見ながらの後手ばかりだから家康追従型か反家康型かハッキリしそうなのにブレブレで
とりあえず大坂城で秀頼抱き込めばあとは何とかなるから可能な限り自領増やす、流れに乗ってみるという風にしか見えない

家康が上杉征伐に失敗するか手間取って淀が家康の力に疑い持ったら一気に家康追いおとすつもりだったかも知れんが
0778人間七七四年2017/09/11(月) 11:30:33.44ID:q0aQVA3s
テルちゃんはアルツハイマーになりかけてたんだよ
0779人間七七四年2017/09/11(月) 16:15:32.17ID:NI9S8d5p
> 481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/11(月) 13:44:10.85 ID:wdg4PnWa
> 歴史群像のやつ
> ・石田大垣隊2万+毛利弁当隊1万5000で計3万〜四万もない?
> ・東軍は7万で大垣城包囲、南宮山毛利も殴りにいく
> ・大垣城は小城
>
> って単純に西軍が不利すぎるな
> こりゃ小早川も寝返る罠
0780人間七七四年2017/09/11(月) 17:22:45.19ID:LCdUnyDE
織田さんが岐阜城にじっと籠城していれば、少なくても時間稼ぎはできたと思う。

籠城できない理由がなにかあったの?
0781人間七七四年2017/09/11(月) 17:25:39.13ID:LCdUnyDE
>>765

幕末の東武皇帝(上野の宮様を天皇に即位させたっぽい)みたいなもんだな。
0782人間七七四年2017/09/11(月) 17:40:03.46ID:FEqByLRq
太閤に10万の采配を任せたいと言われた大谷刑部も小禄でライ病末期
過ぎたるモノと言われた島左近に蒲生郷舎と武辺モノはいたけどな

南宮山がアレではもとより勝機なしw
宇喜多騒動で宇喜多が骨抜きだったのが痛かったな
0783人間七七四年2017/09/11(月) 18:33:21.81ID:AJ8ddkqb
がんばって数だけは集めたから。。
0784人間七七四年2017/09/11(月) 18:48:51.28ID:/BaST3z/
官僚などに有りがちだがとりあえず数は互角にする
そうしないと寄り合いなんで逃げるのが出て来てしまうので止む無しだが
0785人間七七四年2017/09/11(月) 19:35:49.07ID:9dqNj2h8
後世の作り話で西軍は頑張ったとか言っているけど、実際は大谷なんて瞬殺されて
島左近も大して役に立っていなかったんじゃないの。

島津も単に逃げた方向が正面だっただけで。

まあ、西軍も少しは頑張ったと言わないと講談のネタにならないからな。
0786人間七七四年2017/09/11(月) 21:19:31.94ID:5OK/GUnN
逸話除いたら西軍なんてかなしいまでに活躍要素ないから話にならんやん
西軍が有利っていう前提にすればなお家康が凄かったって話につながるし
0787人間七七四年2017/09/11(月) 23:07:57.76ID:xU3/HYmF
>>780
岐阜城って井戸が少ないので籠城するには飲み水の長期確保に不安があったからという説を聞いたことあるよ。
飯は極論根性で我慢できても水がないってわけにはいかないし…まぁ三法師が単純に功を焦っただけかもしれないけど。
0788人間七七四年2017/09/11(月) 23:49:40.63ID:9dqNj2h8
>>777
よく家康は毛利の所領安堵を保証したのにウソを付いたという言われ方をするけど、
あとで毛利の花押がある書状が見つかれば仕方ないよな。

広家は知らなかったから仕方ないけど、あれで安堵されると信じたテルはお目出たい。
0789人間七七四年2017/09/11(月) 23:53:09.65ID:9dqNj2h8
>>786
雑誌とかやたらに杭瀬川の戦いをアピールするけど、あんなの30騎だからな。
西軍が大勝とか書いているけど、ただの小競り合いだ。
0790人間七七四年2017/09/12(火) 00:21:53.43ID:PShM3EDg
もしそんな城ならば転居すべきだった
0791人間七七四年2017/09/12(火) 01:43:52.27ID:Oj0RNqep
岐阜城は山城だからな。井戸を掘るのが大変かもね。

そもそも戦国後期は山城は廃れていったよな。
山城だとあまり大規模な堀は掘れないから、槍で戦っていた時代は良かったけど、
鉄砲が主流になると堀が浅いから守るには不利かもな。
0792人間七七四年2017/09/12(火) 12:37:12.90ID:+D3mgTTH
歴史群像のあれは
裏切った小早川を全力で叩く

東の押さえは毛利にまかせた

毛利裏切り、側面突かれた石田勢ほか壊滅

こういう理解でいいのか
なんというか元就の薫陶がよく行き届いてるな
0793人間七七四年2017/09/12(火) 15:03:09.88ID:qolPM7bT
抑えるつもりなら山を降りて
街道を封鎖せにゃあ
0794人間七七四年2017/09/12(火) 15:59:03.69ID:9WzB64VR
>島津も単に逃げた方向が正面だっただけで。
コレ本当なの?
0795人間七七四年2017/09/12(火) 17:14:46.70ID:skgJI2wm
本当かどうかなんて誰にも分らん
一部の研究者が言ってるだけ
とはいえ戦闘傍観してて最後に前方に退却ってのも無理ありすぎるのも確か
0796人間七七四年2017/09/12(火) 17:55:14.79ID:qolPM7bT
真相は戦って最後に突破
0797人間七七四年2017/09/12(火) 18:22:10.96ID:6v50Ste2
徳川に軽く見られないように逃げたのは確か。
大坂で亀寿を助けて、立花も船に乗せて、途中で黒田の船と闘って薩摩に帰るとか、権現様の伊賀超えより凄い。
0798人間七七四年2017/09/12(火) 18:51:28.05ID:qolPM7bT
というかほぼ全滅
義弘も死を覚悟した
0799人間七七四年2017/09/12(火) 19:56:10.34ID:3NTFlAEx
なんか一部の研究者の意見に毒されてるな
0800人間七七四年2017/09/12(火) 23:15:13.31ID:feddQB9t
そもそもの「通説」が根拠に乏しいからな
問鉄砲と同じで要検証なのは確か
0801人間七七四年2017/09/13(水) 00:14:16.21ID:2oeaCXco
旗倒してこそこそ逃げるのが島津の退き口やでな。勇猛な通説とはまるっきり違う
0802人間七七四年2017/09/13(水) 13:08:17.05ID:5Bd5S/6Q
三成は大坂とのルートを確保するために結局は撤退しようとしていた訳だよな。
南宮山の毛利勢は見殺しにする気だったのかな。

家康軍の側面攻撃を仕掛けるには後方に陣を敷いているし。

まあ前に進んだらもろに小早川に横腹を見せることになるし。
0803人間七七四年2017/09/13(水) 14:33:07.01ID:/MQZ0FUr
普通に秀頼が出陣していれば普通に勝ったでしょ って言うか秀頼が出陣するなら家康は関ヶ原の戦いは避けたんじゃないかなぁ。
0804人間七七四年2017/09/13(水) 14:34:22.53ID:/MQZ0FUr
秀頼が出陣していれば普通に勝ったでしょ って言うか秀頼が出陣するなら家康は関ヶ原の戦いは避けたんじゃないかなぁ。
0805人間七七四年2017/09/13(水) 14:55:20.98ID:1rY9wgi7
秀頼が出てきても人質としての使い方しかないよ
0806人間七七四年2017/09/13(水) 14:59:24.94ID:2oeaCXco
東軍諸将は秀頼様の命令だと言われても無視しまくりだったから千成り瓢箪が戦場に合っても気にしないと思うよ
0807人間七七四年2017/09/13(水) 15:23:17.85ID:Lx4/DLGp
回りを西軍に囲まれても味方しなかったんだから秀頼(というか淀)を味方につけることは無理でしょ
無理やり攫って連れてきたらそれこそ謀反人は誰だということになる
0808人間七七四年2017/09/13(水) 16:15:29.85ID:/3Ft+kpe
西軍が囲む事で萎える理由ないような
0809人間七七四年2017/09/13(水) 16:18:32.28ID:5Bd5S/6Q
大坂の陣でさえほとんど出て来ないのに、関ヶ原で出てくるはずないな。

まあ、7歳のガキを戦場に出す道義的な問題もあるし、家康は片桐且元まで押さえていた用意周到さ。
0810人間七七四年2017/09/13(水) 16:40:21.16ID:7SgXBXXF
>>809
別に子供を戦場に出した前例が無い訳じゃないよ。
南北朝時代だと、幼少の○○親王が総大将なんて話多いしね。
新田義貞の鎌倉攻めには、幼児の足利義詮が参加してる。
どうも、子供を大将にすると神仏の加護が有るって信仰有ったみたい。

秀頼の馬印だけで味方の士気が天井しらずに上がるだろうに何故出来なかったんでしょうね。
0811人間七七四年2017/09/13(水) 16:51:42.98ID:5Bd5S/6Q
>>810
それは三成の政治力のなさと
家康の用意周到さだろう。
淀殿を動かすキーマンは且元だからな。

あとなにげに京極も東軍に付いたのが大きかったかもな。
妹二人とは戦いたくないからな。
家康は全てに手を打っているよな。
0812人間七七四年2017/09/13(水) 17:15:01.22ID:obuiL9bx
家康は武田信玄から攻められ織田信長から使い捨てにされながら生き永らえただけでも奇跡的なのにそれらを無駄にせずとにかく学習していたんだよな
戦場経験や戦前の駆け引き経験の豊富さが正に功を奏したと言える
0813人間七七四年2017/09/13(水) 19:20:29.28ID:5gVrfYr6
>>810
最低だね。西軍が豊臣家を私物化してもかまわないと思っているんだな。
『三成ら西軍は豊臣御為に〜』とか『家康は豊臣をないがしろにして〜』とか言っといて
勝つためには豊臣家を好き勝手に利用すればいいときたもんだ。
ふりでもいいから豊臣家を尊重する真似位すればいいのに。そんな事家康でさえやってるぞ。
0814人間七七四年2017/09/13(水) 19:53:51.85ID:TY2Y1ulJ
>>813
どうすれば西軍が勝てたか?スレなんで、手段がどうであれ、
勝てる可能性の高い方法を考えるのは間違ってはいないだろう。

個人的には秀頼を関ヶ原に連れ出したところで、戦局に与える影響はそれほど
大きくはないと思うが。
小早川、脇坂らが裏切らず、南宮山の毛利勢や長曾我部、長束らが西軍としして
戦闘参加、
秀頼が関ヶ原に出てきてそのような効果があるか疑問。
0815人間七七四年2017/09/13(水) 20:08:20.67ID:5Bd5S/6Q
というか三成軍に勝ち目があるとしたら秀頼を担ぎ出す、この1点しかないような気がするけど。

それでも家康が勝っちゃったという展開が見たいけど。
0816人間七七四年2017/09/13(水) 20:10:34.82ID:5Bd5S/6Q
>>814
秀頼が出陣した影響は西軍ではなく、東軍がどうなるかだろう。
0817人間七七四年2017/09/13(水) 20:39:30.98ID:TY2Y1ulJ
>>816
仮にうまいことやって大坂城の秀頼を連れ出したとしても大坂から関ヶ原まで3日は掛かるよね?
9月12日の段階でそれが可能だったかどうか。西軍はまだ大垣に籠もってる。

さらに仮に9月15日に秀頼関ヶ原着陣したとして予想される東軍の反応。
豊臣恩顧系武将が日和見しだすかもしれんが、
秀頼陣に攻撃はしない、あるいはまったく西軍には攻撃はしないが攻撃されたら
防御はする、ってかんじじゃないかと個人的には予想する。
つまり史実での島津あるいは脇坂らのようなかんじ。
露骨に寝返って隣の陣の東軍を攻撃、とかは福島くらいしか想像つかない。
極端に形成が傾けば脇坂らのように勝ち馬ついて寝返るかなと。

形勢不利になりかねないと家康が判断すれば、いったん岐阜まで退いて秀忠との合流
及び前田勢の南下を待つんじゃないかな。
当然その間「石田らは幼君を拉致った君側の奸、逆賊討つべし」みたいな書簡ばらまいて
調略工作するんじゃないかな。
秀頼が自分の意志で西軍支持するとかできる年齢じゃないのは皆知ってるだろうし。
0818人間七七四年2017/09/13(水) 20:52:45.18ID:7QEGqNN8
親が自分の名代で子供を戦場に出すのと
家臣が親の反対を押し切って戦場に出すのは訳が違うからなぁ

東軍からしたら「三成は君側の奸」の主張通りなわけで、
秀頼に配慮する戦法に変更はしても
「三成に従おう」とはならないんじゃ?
そもそも東軍は西軍が「秀頼様の公儀」を名乗っていて尚、
「逆賊」家康に従っている連中なわけで。

自分の意思がある分、北政所の方がまだ戦況に影響しそう。
それでも両軍調停がせいぜいだろうけど
0819人間七七四年2017/09/13(水) 20:57:26.43ID:TY2Y1ulJ
個人的には小早川やら鍋島やら京極やら行軍の途中で勝手に離脱した連中への対応策を
もっとうまくやるべきだったと思う。結果論だし対処といっても非常に難しいが。
東軍みたく家康(内府)の命令書でその通り皆動く、ならいいけど、
西軍は石田単独署名の命令ではだれも動かんだろうし、連署するにも大坂やら
大垣やら伊勢やらと分散していて時間的ロスは極めて大きい。

東軍が岐阜攻略後翌日には赤坂布陣とものすごくスピーディなのに対し
西軍の一部以外のやる気のないこと。
ほんと数だけは集めました、でもそれ以外は知りませんってかんじ。
0820人間七七四年2017/09/13(水) 21:06:29.35ID:7QEGqNN8
元々会津攻めのつもりだったのにいつの間にか西軍組も多いからな
抑え役と一緒に行動させないといつ離脱されるか分からん連中も多かったろうし

実際、小早川なんてフリーになった途端独自行動始めてるしな
0821人間七七四年2017/09/13(水) 21:28:10.06ID:5Bd5S/6Q
>>817
前から島津の戦場の中心でなに
0822人間七七四年2017/09/13(水) 23:02:14.56ID:fp6HIssa
そもそも三成は東軍を謀反軍と言っているのだから
謀反軍の前に幼い秀頼を出せなんて要求は豊臣家として飲めるわけがない
逆に東軍が秀頼に攻撃できないほど忠義があるなら謀反軍という三成の主張は間違いとなる
むしろ勝手な行動を繰り返す三成を謀反人として切り捨てて
忠義の厚い東軍に戻って来てもらえばいいだけだ
三成が豊臣に利用される道具であって、豊臣家が三成のために存在しているわけではないということ
0823人間七七四年2017/09/13(水) 23:04:58.36ID:2Eb4y/N0
そもそも小早川や小西なんて西軍に全力で味方する義理ないしな
0824人間七七四年2017/09/13(水) 23:33:57.63ID:zumy/0r1
小早川は東軍だよ
0825人間七七四年2017/09/14(木) 00:10:10.27ID:xHBAAqnc
>>824
西軍として出陣し、東軍として奮戦したのは周知の事実
0826人間七七四年2017/09/14(木) 00:35:05.88ID:9z/mp+Uh
>>819
だって小田原征伐とか唐入りみたいな、詰まるところは数に頼んだ力押しで踏み潰す戦争しかやったこと無いもの。
0827人間七七四年2017/09/14(木) 02:01:30.12ID:UCynJ0Vk
>>818
因みに足利義詮の場合は在国の家臣が独自の判断で参加させてる。
足利と新田は家格としては保々同じのはずなんでして、清和源氏の本家が滅亡した後で本家に
一番近い2分家ってのが当時の認識です。

でも現実には足利の方が遥かに勢力有るんで、新田は足利庶流家だと思ってた人も多いみたいです。
つまり、情報不足の連中には本家の幼児を担いで庶流家の当主が挙兵したみたいにも見える。

何にしろ、別に異常な考えでは無いと思うなあ?
味方の士気を高め敵の士気を落とすって、冷静に考えると凄い効果ですよ。
僅か二年前まで諸大名は秀頼に絶対の忠誠を誓ってたんだし。
0828人間七七四年2017/09/14(木) 02:04:09.02ID:Ya5u5h9M
少なくともでてくりゃ三成は喜ぶし家康はビビるだろ
三成が打てる手段の一つであったろうし、出ても大した効果がないといえるのは後世の我々の立場だからではないか
0829人間七七四年2017/09/14(木) 07:46:07.46ID:hSqk/95k
いや小早川は東軍として出陣
殆どがそうだよ
0830人間七七四年2017/09/14(木) 16:13:53.23ID:SKGUBDiX
>>827
>本家に一番近い2分家というのが当時の認識
足利の庇護下に入って足利当主から偏諱を与えられるようになって久しい
新田にそんな認識あったか?
神皇正統記でも増鏡でも完全に一足利庶流扱いだけど
0831人間七七四年2017/09/14(木) 17:05:12.50ID:+K+H6xrP
>>830
小説の話をしてらっしゃるので、そっとしておきましょう
0832人間七七四年2017/09/14(木) 22:37:47.23ID:F3jLwarm
>>828
秀頼の出陣のことを言っているのかな?
三成が秀頼のために命を賭けるのであって
秀頼が三成のために命を賭けるのはおかしいだろ
三成が豊臣との主従関係を覆すような要求をしたところで認められるわけがない

むしろ三成が勝手に起こした戦に秀頼が出陣して三成の盾になるべきという意見こそが
後世の人間による主従関係を無視した発想だろう
0833人間七七四年2017/09/14(木) 23:22:05.28ID:paIxNCm5
本戦に7歳の秀頼を戦場に連れてきてホントに東軍士気↓になるかね?

劣勢に追い込まれた三成が秀頼を盾にしてるようにしか見えないと思うんだけど。
豊臣に忠誠を誓ってる連中からしたら尚更激怒するんじゃない?

先に父親が挙兵済みで勝ち戦ほぼ確定だった状況下の義詮出陣と一緒には出来ないさ
0834人間七七四年2017/09/14(木) 23:33:19.12ID:RV9rVQBy
権威ってのはそういうものじゃないさ、
0835人間七七四年2017/09/14(木) 23:34:46.71ID:RV9rVQBy
秀頼と豊臣の旗がそこにあれば三成が壟断しているとしても体技はそこにある。
0836人間七七四年2017/09/15(金) 02:02:33.66ID:Jc16dDrA
三成が壟断した秀頼の「大義」に逆らって結成されたのが東軍だろうに。
豊臣の旗だけで「へへー」ってなるならそもそも会津征伐すら発生しないし、
小山会議で家康に付くなんて選択肢が発生するはずがない。

戦国武将なめすぎ
0837人間七七四年2017/09/15(金) 02:56:24.04ID:uQ51x3lS
別に秀頼が出陣しないでも秀頼から公式に家康討伐の命令が出れば
東軍へのダメージは大きいだろう。

それと福島正則がそれでどう動くかが一番問題だけどな。
しかも福島が秀頼側に付けばそれに追随する武将もいそうだしな。
福島はバカだけど一応この時代に豊臣武将には求心力があったみたいだしな。
0838人間七七四年2017/09/15(金) 03:04:51.95ID:uQ51x3lS
ただ、何度も言っているけど、三成はそれだけの政治力が無かった。
淀君を説得するにはキーマンは片桐且元であろうけど、片桐と相談とかしないで
直接飛び越えて淀君に訴えたのだろうな。それでは無理だ。

一方で家康は大坂に自分の屋敷が無かった時には、わざわざ片桐の家に泊まって
それ以降連絡を取り続けたみたいだし、会津征伐の時は途中で淀君の妹がいる京極家
大津城に寄って来る日の味方に付けているしな。
0839人間七七四年2017/09/15(金) 03:05:36.30ID:/fGyt6Cv
小山会議で徳川に付くって決めた時点でその辺は想定済みじゃないかなぁ?

輝元が大坂に入城して秀頼を手中にって聞いた時点で、
秀頼名義の討伐令が出ることも、秀頼を戦場に引っ張り出す可能性も、
西軍の方針次第で大坂城決戦に至る可能性も
阿呆でも思い付くだろうし。

史実では毛利が日和って無血開城だけど、
最初からその想定で動くのは楽観が過ぎよう
0840人間七七四年2017/09/15(金) 04:31:37.63ID:aiTBnihd
東軍武将が中立化するかどうかは分からんが小早川は意外に西軍の足並みが揃ってるのを見て中立化するかもしれん
大阪城工作がうまくいかなかったということを示すことになるし
広家一手で南宮山抑えられるかも疑問が出てくるので南宮山への備えを厚くするかもしれん
こうして前線が薄くなれば決着は伸びるかもしれない
西軍を勝たせるためのifとしては悪くないと思うんだがな
幼児云々については、全権委任された代官が指揮とればいいしょ
とはいえ出てきても後報で傍観して真っ先に裏崩れして逃げていきそうな気もするんだけどね
0841人間七七四年2017/09/15(金) 04:43:37.09ID:qEgdI5NP
>>830
神皇正統記や増鏡では完全に足利庶流家の認識なのは事実です。
つまり、京都辺りではそういう認識だったと。
でも、元々は兄弟から別れた家筋で、実は始祖は新田の方が兄です。
こういう微妙な関係で、新田氏の方が足利庶流だと納得してた訳じゃないでしょに?

大体、何故徳川家康は徳川を自称したかです。
新田庶流に得川ってのが有ったらしいしか解らんのにさ?
足利庶流家はうじゃうじゃ居る時代だから家康も足利庶流家でしたじゃ失笑を買うでしょ。
本来は、新田の方が始祖が兄なんだからむしろこちらの方が尊貴な家柄って主張でしょ。

世間の認識と、当事者の認識は全然別の問題だと思うのですが?
少なくとも、新田義貞は自分が足利庶流なんて全然思ってません。
0842人間七七四年2017/09/15(金) 09:25:37.34ID:BLFaZBKN
話を少し戻してしまうんだが、仮に秀頼をうまいこと引っ張り出したとしても、
9月12日時点で大坂出発し秀頼を大垣入城させるということなのか、西軍は。
小早川に松尾山占拠されたのって9月14日だっけ?
かなり秀頼を危険にさらす行為だと思うが。

もし小早川が家康の意を受けての松尾山占拠ならば小早川に秀頼を確保される恐れがある。
山中村の大谷らだけで抑えられるとは思えない。

それとも伊勢経由で大垣入城?今度は小早川ではなく鍋島に秀頼確保される恐れがある。

皆関ヶ原に秀頼着陣が行軍や日数逆算で可能かどうかの視点が抜けている。
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