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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/08/08(火) 21:24:41.36ID:QecJFFRE
ホレ

前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
0005人間七七四年2017/08/09(水) 08:35:05.03ID:OaJUKLD6
では試しに、『関ヶ原』のみにおける東西双方の正当性について議論してみれば?
すぐ終わると思うよ。
0006人間七七四年2017/08/09(水) 08:45:37.65ID:Z3dFqvuj
東軍は官軍ではない
0007人間七七四年2017/08/09(水) 10:00:51.85ID:efw80gW5
正統性と正当性
0008人間七七四年2017/08/09(水) 11:00:29.81ID:1AY6lFoP
東軍が勝った後の現代で西軍正当論者を殺したら罪人になるんだから西軍は正当だろ
西軍が勝った後の現代で東軍正当論者を殺しても罪人にならないと思う
0009人間七七四年2017/08/09(水) 11:40:22.42ID:oBJUpwIq
仮に正当性なり名分なりを確保できたとして福島だけでも西軍ついたら大分状況変わるんだよな
単純に兵力だけでも6000と言われる人数が東軍から西軍に移るわけだし
西軍の前線が尾張になる事によって岐阜城の陥落も避けられる可能性が高く
更に史実より多くの時間を西国平定の為に使うことが出来る
0010人間七七四年2017/08/09(水) 12:49:06.34ID:OaJUKLD6
そうなんだよね。
現実的に、福島が最大のキーマンだったと思う。
尾張清洲の去就はデカイ。家康が最も手紙を送り、慰撫していたのも当然だろう。
0011人間七七四年2017/08/09(水) 15:50:40.45ID:YGlHSH4X
清洲、岐阜、大垣で防衛戦組めるのまも大きい。
0012人間七七四年2017/08/09(水) 15:55:41.84ID:Fe+q6/CP
じゃああれか
福島が裏切れば勝っていた!!!
0013人間七七四年2017/08/09(水) 16:51:21.29ID:OaJUKLD6
それはないと思うけど、大勢として東軍が迎え撃つ側になってたかもね。
0014人間七七四年2017/08/09(水) 17:08:28.15ID:Fe+q6/CP
それもないが福島が清須に籠城したら
なかなかおちんな

まあ秀忠三万に包囲させておくぐらいか
0015人間七七四年2017/08/09(水) 18:11:52.66ID:vPyxcNzp
関ヶ原まで至った段階で福島が石田の下につくとか無いでしょ
徳川が裏切って西軍に付く並に有り得ん
0016人間七七四年2017/08/09(水) 19:06:36.79ID:VopEBy2W
秀吉が家康に政務を託しているし、淀も家康に三成鎮圧を依頼している。
そもそも、秀吉に忠実な福島が西軍はあり得ない。
0017人間七七四年2017/08/09(水) 20:00:12.63ID:IUnLkBrc
正統だからねw
家康ファンさんは視点が固すぎだ。
0018人間七七四年2017/08/09(水) 20:15:11.22ID:VopEBy2W
三成ファンが、東軍支持のフリしてわざとマヌケな事言ってるケースもあるからね。
0019人間七七四年2017/08/09(水) 20:18:01.24ID:DtRPo0QM
真面目な話三成は初めの内は秀頼を戴いて大坂の人質を確保すれば
会津征伐軍は瓦解して福島正則なんかも味方に付くと思ってたらしいからな
0020人間七七四年2017/08/09(水) 20:35:00.49ID:Fe+q6/CP
福島はどうかなあ

豊臣恩顧が西軍にかなり来ると思ってたらしいね
0021人間七七四年2017/08/09(水) 21:13:15.09ID:DtRPo0QM
真田昌幸宛の書状だと上方での騒ぎを聞きつけた大名はことごとく帰ってくるだろうから
それらの大名を尾張美濃で留めて秀頼への忠誠を確認するとあるので
福島正則もその中に入っているでしょう
0022人間七七四年2017/08/09(水) 21:49:15.18ID:Co73EZJO
なんで福島西軍とか無理筋の議論してるんだ? 時期も小山以前なのか
赤坂集結関ヶ原合戦直前とかはっきりせんし。
岐阜城落として関ヶ原先鋒でやる気満々のやつがその段で寝返るわけなかろう。

それよりも東軍家康を関ヶ原で迎撃せず大垣籠城継続のほうがまだ軍事的に
勝てる可能性はありそう。

ただそれでも考えてみたが、西軍には戦ってくれる兵力が少ないとかんじる。
東軍には予備兵力とでもいうか、
秀忠軍約35000、前田利長が利政いないと15000〜20000くらい?

西軍は田辺城組約15000、大津城組約10000?、
あとは兵力は多いが挙動不審の小早川や鍋島くらいしかいない。

田辺組を前田南下対策、大津組を佐和山後詰とすると、
大垣籠城西軍主力+南宮山毛利、長曾我部、長束らで
東軍先発諸将+家康+秀忠と対しなければならない。
それは兵力的に厳しいので東軍が集結しきる前に各個撃破したいところ。
ならば秀忠が合流する前に家康を関ヶ原で迎撃して…、史実の通りだなw

なので、合流する前の秀忠軍をなんとか叩くべきなんじゃないかという考え。
家康よりはまだ与し易いだろう、兵は徳川譜代の精兵だろうけど。

秀忠軍に勝つのが前提だけど、秀忠に勝てれば小早川や鍋島が西軍寄りの
行動をしてくれる可能性が高くなる。
史実の関ヶ原でも小早川、脇坂、朽木、赤座、島津らが西軍として戦っていてくれたら
勝てていた可能性は高い(勝てたとは言わない)。

問題はどうやって東軍先発諸将+家康を拘束しつつ合流させずに秀忠を撃破するか。
展開的なヒントは立場は逆だが小牧長久手時の家康の立場。
小牧が大垣で、池田、森らが秀忠。
0023人間七七四年2017/08/09(水) 21:55:18.07ID:vP8V+Pga
>>20
福島は、利害より感情の要素が強い感じですからね?
正直、前線に千成瓢箪の馬印が出ただけでそのまま寝返っても不思議無い感じなんだよね。
加藤清正なんかはグダグダしても寝返る根性無い気すんだよ?一応秀頼様の心配しても俺の命には
代えられんでへたれそうだし。
極端な話、西軍に付くって決めたらそのまま小山で全滅しても強行しそうだよね。
0024人間七七四年2017/08/09(水) 22:08:49.01ID:DtRPo0QM
>>22
それくらい無理筋の話しないと西軍の勝ち目薄いんだよ
0025人間七七四年2017/08/09(水) 22:41:23.25ID:vWI5yb3f
福島は空気読むタイプじゃない?
それだからこそ秀頼が出陣してればあっさり西につく可能性も。

>>5
なぜそんな意味のない議論を?
0026人間七七四年2017/08/09(水) 23:07:41.21ID:rSWbdFou
福島が西軍についたら織田秀信が東軍につきそうだけどな
尾張清洲を知行してる福島が東軍だから西軍についたんだろうし
尾張を餌に秀信を西軍に参加させられないでしょ
002752017/08/09(水) 23:23:11.19ID:VvpgLJea
>>25
意味あるでしょ。
関ヶ原における正当性については、昨今の識者もほとんど論じているところ。

で、『関ヶ原における』正当性については、過去レスを読む限り、すぐに終わるのは間違いないから。
0028人間七七四年2017/08/09(水) 23:44:56.61ID:Co73EZJO
>>27
残念ながらこのスレ的には意味がない。
「どうすれば西軍が勝てたか?」スレなので、どちらに正当性があろうがなかろうが
西軍が勝つにはどうすべきか、どうすべきだったか考えるべき。

まぁ、言いたいことはわかるが。豊臣家の政務代行者たる家康に
家康討つべしと挙兵した石田、宇喜多、毛利ら。
豊臣政権内の派閥争い。家康が豊臣家に害をなす行為をしてない以上は正当性は
家康にある。

だがそれを踏まえてどうすれば西軍が勝てたか?
0029人間七七四年2017/08/09(水) 23:46:50.45ID:vWI5yb3f
正当性は必要だけど必須じゃない。世の中が議論しているのと君が求めているものは違うようだ。
西は豊臣を滅ぼせばいいなどと言ってるうちは正当性のなんたるかは理解できていない様子。
0030人間七七四年2017/08/09(水) 23:59:27.69ID:VvpgLJea
>>28
>>4の反論で、>>5を提示したまで。
引っ張ってたのは東軍支持者ではないという事。
まぁ、確かにスレ的には関係ないのは確かだ。

>>29
必要と必須の違いを教えて下さい。
0031人間七七四年2017/08/10(木) 00:04:18.28ID:tuxLoIGv
ジャムリンはハゲしくハゲてペニスが勃起しなくなった肥満ネクラ眼鏡ジジィである
ウィキペディアを自分勝手に編集し、うす気味悪く1人でケタケタ笑うのが老後の唯一の生き甲斐であった

愛用する2ちゃんねるで自分がボロクソに誹謗中傷されるのを悔し泣きしPCを叩きながら自分の乳首を撫で回していた

「アンッ、あァンッ… うふゥンッ…」
狭く古く汚い自室からジャムリンの気持ち悪い喘ぎ声が響き渡っていた
0032人間七七四年2017/08/10(木) 00:11:00.46ID:VKq/P9wH
>>28
そりゃあねえ、三国志でも後漢の献帝に正式に丞相に任じられた曹操の正当性とか議論可能だよね。
でも、献帝は霊帝の息子でも董卓が担いだ皇帝だから実は微妙に正当性に議論が有る。
袁紹とか、遠縁の皇族を担ごうとしたくらいでね。
曹操が華北の覇者に成ったから忘れられてるけど、下手すると後漢の最後の皇帝は別の人に成った
可能性も有る。
しかし、どの道曹操は全国平定の後、禅譲を迫るだろうは公然の秘密なんで余り意味が無い。

家康は、明らかに秀頼を主君と思ってないから正当性の問題は無意味だよ。
只、孫娘送り込んでるから焼殺したのは意外に思った大名が多いだけで。
0033人間七七四年2017/08/10(木) 00:16:46.96ID:vrytSqKN
>>28
ほらな?
『関ヶ原における正当性』だって言っても>>32みたいなアホが出てくる。
正当性の話で議論が進まない原因は、東軍支持者にはないわけ。
0034人間七七四年2017/08/10(木) 00:18:38.60ID:4lYx9oN8
>>30
必要=存在を無視しては用を成さないこと
必須=必要なものの中でも最も必要なこと

手続き上どーのこーのと言えば三成には部が無い。
けど正当性って物事を動かすときの理由にはなるけど物事を決するときの決め手にはならないモノだよ。
0035人間七七四年2017/08/10(木) 00:24:36.19ID:4lYx9oN8
>>33
意見が合わないからと言っても流石に>>32をアホ扱いはひどい、議論の正当性はどこに行った?
例えは兎も角言ってることは理解可能の範疇だろう。
0036人間七七四年2017/08/10(木) 00:31:03.83ID:vrytSqKN
>>34
必須は『欠かせないこと、なくてはならないもの』と回答するかと思ったんだけどね。
つか、普通に調べたらこの意味がヒットすると思うけど。
わざわざ普通使わない意味を記載するのか理解出来ませんが。

というわけで、正当性は『必須』です。
クーデター軍にとって『正当性』のアピールは欠くべからざるものです。

でなければ、『内府違いの条々』なんて要らないわな。
0037人間七七四年2017/08/10(木) 00:41:12.07ID:4lYx9oN8
あれ?素で間違ってた?
言葉は兎も角主張は書いたとおりだよ。
「正当性は物事を動かすときの理由にはなるけど物事を決するときの決め手にはならない」ね。

つまりアピールできる程度でいいんだよ。
0038人間七七四年2017/08/10(木) 00:43:40.36ID:vrytSqKN
>>35
意見が合わないんじゃないんだよ。話が噛み合ってないんだよ。
仰る通り、まず例えが不要。で、関ヶ原における正当性のみを分析してくれればいいわけ。
家康が、秀頼を主君と思っているとかいないとか、全然関係ないから。
0039人間七七四年2017/08/10(木) 00:46:29.51ID:vrytSqKN
>>37
『正当性は必要だけど必須じゃない。』(>>29
クーデター軍に、正当性は必須です。
自らの正当性を掲げないクーデター軍があるなら、それこそ教えて頂きたい。
0040人間七七四年2017/08/10(木) 00:46:34.93ID:4lYx9oN8
まあ、ここで二人で、どっちだこっちだ、と言ってても仕方ない。

当時の人間の認識はまさに>>32だったんじゃないかな?
「正当性とかわかりきってる、そうじゃなくて生き残るために何を選択すればいいのか!?」って暗黙の共通認識。
0041人間七七四年2017/08/10(木) 00:48:26.27ID:jKellg+G
そもそも豊臣なんて姓としても組織としても歴史も伝統もない新興団体でしかない
確かに百姓から関白まで成り上がった秀吉本人は凄いけど秀吉本人が死ねば
何の能力も功績もないガキとおばさんが残っているだけだろ

しかも豊臣自身が関白継承や海外遠征で失敗を繰り返して政権基盤を自分でボロボロにしたから
家康に筆頭大老になって建て直してもらうようにすがってきたわけであり
三成たち奉行連中はその豊臣の失政に誰よりも深く関ってきた

そういう背景を考えたら三成の主張には何の正当性もあるわけがない
内府違いの条々を出したところで西軍の士気が上がるどころか崩壊していったのは
そもそも三成たち奉行連中自体に正当性がないからだよ
0042人間七七四年2017/08/10(木) 00:49:14.96ID:Fa+pOM7+
こいつらまだやんの?
0043人間七七四年2017/08/10(木) 00:51:05.26ID:4lYx9oN8
もうやめるよ。明日も仕事だしね。

>>39
クーデターの正当性なんて大概の場合ないでしょ
でも、成功したり失敗したり、つまり成功要素は他にある。重要なことは正当性ではないんだよ。
正当性がどうでもいいとは言わないがそこにばかりこだわってたら本質を見失う。

じゃ、正統性のお話はここまでで。。
0044人間七七四年2017/08/10(木) 01:51:53.30ID:4FytHpKb
豊臣って
首領の張角(秀吉)が死んだら官軍にフルボッコにされて終わった黄布賊みたいw
0045人間七七四年2017/08/10(木) 03:57:15.27ID:sFuh4Hc/
源頼朝なんて死んだ以仁王の令旨で挙兵だ
当時の天皇は平清盛の外孫の安徳天皇だから、正当性では負けているが、
それでも勝ったのは頼朝だった
0046人間七七四年2017/08/10(木) 07:03:27.38ID:LrYhm2fJ
重要なのは、令旨がある事
0047人間七七四年2017/08/10(木) 07:33:51.79ID:mbmAXv8G
852人間七七四年2017/08/06(日) 01:57:57.38ID:VtYZsIfV>>854
>>850
いや別に、俺も三成信者じゃないんだよね。
歴史上の戦いに正当性があるなしなんてナンセンスで、
それ以上ageてないよ。読み返せばわかる。
なので、的外れなレスお疲れさま(笑
0048人間七七四年2017/08/10(木) 08:11:12.34ID:O7yxNHKP
>>2
毛利は一か八か賭けに出る勇気なし
勝てば儲け、負けても本領安堵が毛利のスタンス
0049人間七七四年2017/08/10(木) 08:18:19.84ID:DvbnQ9iw
もともと輝元には徳川と決戦して勝つという考えはない

ホントなら三成が前に出る必要はない
0050人間七七四年2017/08/10(木) 16:17:06.48ID:sFuh4Hc/
>>46
幕末の討幕の密勅も偽だけど作ったもんな

三国志で董卓討伐の機運が諸侯の間で盛り上がった時にも、
董卓が幼い皇帝を虜にしているのに、董卓討伐の偽勅を作って挙兵してたわw
0051人間七七四年2017/08/10(木) 17:43:01.52ID:o6v36pX6
>>50
結局空中分解したけどな
0052人間七七四年2017/08/10(木) 19:13:44.16ID:t2107DvY
>>41
三成の正当性って、要約すればこんな感じ。
このまま徳川を放置すれば、ドンドン強大に成って仕舞いには大阪攻めの陣触れだって出かねないけど
それで良いの?豊臣取り立て大名として、秀頼様が心配じゃないの?って事でしょう。
内府違いの条々って、要約すれば家康は秀頼公を主君だなんて思ってないじゃんって事だしね。
0053人間七七四年2017/08/10(木) 20:39:12.94ID:FK0AqVqy
惣無事令に反した時点で三成に正当性はないけどね。
0054人間七七四年2017/08/10(木) 22:20:00.72ID:FQthG0rt
>>53
そういやあったな、そんなの。たしかにそれだされたら石田らの挙兵は
豊臣家に対する反乱ととられるな。
0055人間七七四年2017/08/10(木) 22:36:01.25ID:esl7kUua
さらにその前に歯根問題より先の誓紙取り交わしがあるから豊臣家に対する忠誠とは…なんだよなあ
0056人間七七四年2017/08/10(木) 23:17:08.71ID:jKellg+G
>>52
そもそも秀吉が家康に250万石と内大臣をプレゼントして強大にしたうえに
秀次を殺して関白を空位にする代わりに家康を筆頭大老にして
秀頼と千姫の婚姻を決めたんだろ

秀吉が家康を強大にすると決めたのに三成が反対している以上は
三成が豊臣に反逆していることにしかならないだろう
0057人間七七四年2017/08/11(金) 02:37:03.03ID:xuk5a471
>>56
全部いっしょくたに考えてるみたいだが・・・
大筋のところで、家康によくしてやって逆らわせないようにしただけなんだけどね。
あんだけ色々して貰ったのに、自分の死後に逆襲されるとは秀吉も考えなかったんだろう。
甘いけどな。
0058人間七七四年2017/08/11(金) 03:26:57.09ID:F+gF7WcN
遺言で政務を任せてるから、それだけではないな。
逆らわせないようにするだけなら、政治権力を与える必要はない。
秀頼・千姫の婚姻施策と合わせて、徳川家を取り込もうとしているのは確実。
0059人間七七四年2017/08/11(金) 06:26:53.45ID:QBz6tUnh
家康の元で諸大名への秀吉の形見分けや、仲直りが行われ、
定かではないが、淀殿との婚姻まであったと聞くし
0060人間七七四年2017/08/11(金) 09:53:26.70ID:pnYCYAoq
>>54
加藤清・福島以外は、誰も三成の挙兵は豊臣の反乱だから潰さないといけないと思ってねえよw
もし豊臣家への反乱を潰さないといけないとみんなが思ってたなら、
家康が将軍になり、豊臣を一大名にしたことに反発するはずだし、秀頼の助命嘆願だってする
0061人間七七四年2017/08/11(金) 09:58:12.29ID:uzuWZMgd
反発も助命嘆願もしてるはず
0062人間七七四年2017/08/11(金) 10:03:33.22ID:pnYCYAoq
一時期の曹操と家康が似ている

曹操も漢の丞相の名のもとに、敵対する諸侯を征伐してまわった
そして娘を皇帝に嫁がせて皇后にした
九錫を下賜されて王号を許された

家康の失策は曹丕の禅譲は平和裏に無事できたが、
秀頼から平和裏に禅譲させることができず、大規模な戦になったことだ
大坂城西の丸に徳川軍を常駐させ、大野治長も大坂へ返さず、
豊臣家の側近を全部徳川譜代で固めておけばよかった
0063人間七七四年2017/08/11(金) 10:19:28.74ID:0llNNrf/
>>60
そういう問題ではない。
思う思わないの話ではなく、三成の挙兵は惣無事令違反。
豊臣政権に対する謀反。
0064人間七七四年2017/08/11(金) 10:38:19.33ID:rJImugTL
乗っ取りか、その手もあるな。
感じ悪いが日本史では血を見ないやり方は後々評価される。
0065人間七七四年2017/08/11(金) 10:47:45.49ID:F+gF7WcN
・家康が政敵をキッチリ滅亡させる事。加賀征伐時の前田、七将襲撃時の三成、関ヶ原西軍諸大名。
・秀頼親子を大坂城から引き離し、江戸で政務をみること。

つまり秀吉死後から野心剝き出しで突き進むなら、豊臣家の血は流さないだろう。
言い換えれば、家康は甘過ぎ。
0066人間七七四年2017/08/11(金) 10:50:50.14ID:F+gF7WcN
↑秀頼親子は江戸に移す。
0067人間七七四年2017/08/11(金) 12:14:57.73ID:QBz6tUnh
秀頼が参勤交代して意思疎通をしっかりしていれば、大坂の陣は防げたな
せめて江戸ではなく京へ2・3年に1度位上洛していれば…
0068人間七七四年2017/08/11(金) 12:25:07.97ID:0llNNrf/
曹魏の例えなら、全然違う気がするな。
豊臣家ではなく、天皇家から禅譲させる話だろ?
0069人間七七四年2017/08/11(金) 12:32:47.43ID:DkguRE9N
秀頼の対応も悪かった。
国替えに応じて大阪城を手放せば…
上野・下野で100万石くらい提案してれば載ってきたかな?
0070人間七七四年2017/08/11(金) 14:43:33.64ID:KfTPZaiW
>>69
下剋上のテンプレに、主家を首都から移動させるってのが有るからなあ?
田斉だと、姜斉を海浜の邑に移動させてその後後嗣が絶えて下剋上完遂です。
肥前藩でも、竜造寺政家は佐賀の領主のはずなのに、佐賀城内に屋形を作って貰ってないんよね。
朝廷だって、京都を動かないからこそ、無視出来ない影響力有ったんだしね。
大阪城から移動しろは、御前死ねと同義ですよ?
大阪城を攻めたからこそ、家康は主君弑逆の汚名を被ったと思います。
もし、どこぞに転封してから攻めたんなら、主君弑逆の悪印象は大分緩和されるんで遠慮なくやったと
寧ろ思うんですよね。
つまり、豊臣家を存続させる気なら、大阪から動かす必要無いと思うね。
0071人間七七四年2017/08/11(金) 14:53:45.94ID:DkguRE9N
それはどうかな?

大坂は当時日本経済の中心で京に近い、西国には毛利、島津と警戒すべき大名も多い。
大阪城は日本一の要害だし秀吉の貯めた財力は天文学的なものがある。大坂は完全に豊臣のホーム。
徳川にすれば豊臣を大坂に止めるのは危険すぎると思うぞ。

存続させるためにはそれらと引き離して遠くに追いやって無力化する好かないのではないか?
0072人間七七四年2017/08/11(金) 15:01:00.80ID:KfTPZaiW
>>60
加藤や福島の行動原理って、現実問題として徳川に勝てないなら寧ろ、徳川に協力して発言力を
確保しようあたりだよね。
だから、豊臣家が65万石の大名に転落した事に対しても、俺達に遠慮して取り潰し出来なかったんだろう
俺達って豊臣の忠臣だよね...あたりの考えだと思う。
だから、家康が完全に豊臣家を消す方針を見せた時「それは話が違わなくない!!!」だった訳でね。
0073人間七七四年2017/08/11(金) 15:18:56.20ID:nouXwqHP
>>71
その子会話が成立しないから相手しないほうがいいよ
0074人間七七四年2017/08/11(金) 15:35:59.78ID:F+gF7WcN
>>72
そりゃ全然違うわ。
二人が最も忠誠を誓っていたのが秀吉。
その秀吉は、生前・遺言でも徳川を豊臣に取込む施策を進めていたわけで。
自分の死後は無力な秀頼と、実力ナンバー1との融和。超現実的な施策だよ。
二人はどころか、豊臣恩顧は皆それに従っただけの話。
意味不明な個人的感情は、小説の演出。

秀吉の織田家への対応を間近で見た二人が、『話が違う』などと思うわけがない。
0075人間七七四年2017/08/11(金) 16:00:10.82ID:DkguRE9N
>>74
上段と下段で趣旨が食い違ってない?
0076人間七七四年2017/08/11(金) 16:07:01.86ID:F+gF7WcN
>>75
空気を読まず、実力がないのに上から目線で対応していたらどうなるか、二人はよくわかっている。と言いたいんだが。

家康は最初から豊臣を消すつもりであったわけではない。豊臣側の対応でそうなった。
何か食い違ってる?
0077人間七七四年2017/08/11(金) 17:14:08.62ID:DkguRE9N
>>76
上の段はわかるが、下の段では「豊臣の自業自得だから仕方ない」と納得してるように取れる。
加藤あたりはいろいろ徳川に抵抗してるし、「豊臣をもっと丁重に扱うんじゃなかったの?」的な憤慨はあったと思うが?
0078人間七七四年2017/08/11(金) 17:40:05.55ID:pnYCYAoq
>>63
思う思わないの話ではなく、家康の江戸開幕は秀吉の遺言違反。 豊臣政権に対する謀反。
0079人間七七四年2017/08/11(金) 17:43:09.95ID:pnYCYAoq
天下人になるには、狡猾さが必要だってことだな

信長は室町幕府再興と称して上洛して、後に室町幕府を事実上滅ぼした
秀吉は織田信雄を旗頭に柴田勝家を討ち、後に信雄を一大名にして自分が天下を取った
家康は豊臣御為として石田三成を討ち、後に秀頼を一大名にして自分が天下を取った
0080人間七七四年2017/08/11(金) 17:58:40.04ID:F+gF7WcN
>>77
上段は関ヶ原前、本来志向すべき、していた政権運営の姿。
しかし、関ヶ原によって徳川の実力はさらに強化され、秀吉の願い空しく徳川は単体で天下人になれる状況が整ってしまった。

かかる状況下で下段。
もはや豊臣家は徳川家に抗うべきではなく、天下人に拘らず一大名として存続に注力すべき、という方向に転換。
むしろ加藤は徹底して徳川の意向に従い、豊臣家に害が及ばぬよう配慮している。
福島にしても、大坂攻めギリギリまで淀殿の江戸下向を促している。

上段と下段では、時期・背景が異なる。
>>72へのレスであり、意思解釈は十分可能と思い、そこには気を遣わなかった。
0081人間七七四年2017/08/11(金) 18:04:23.96ID:0llNNrf/
>>78
家康の開幕が遺言違反(?)だとしても、三成謀反がの罪が浄化されるわけではない。
そして、関ヶ原時点の家康には形式的な落ち度がない。

それはそれ、これはこれ、という当たり前の話。
0082人間七七四年2017/08/11(金) 18:36:34.36ID:DkguRE9N
>>80
あーそういうことね。領海。

>>81
それだったら形式だけクリアしても本質的な謀反を働いてる家康の罪のほうが大きいよね。
0083人間七七四年2017/08/11(金) 18:47:42.91ID:0llNNrf/
いーや。
関ヶ原においては、形式的にも本質的にも、家康は謀反を鎮圧する側であり、罪など全くない。
0084人間七七四年2017/08/11(金) 18:51:52.44ID:pnYCYAoq
>>81

三成が勝ってたら、家康「謀反」の罪は浄化されなかったろうなww
つまり家康は曹操になれた 董卓にならずに済んだ(その場合は王インが三成か)
0085人間七七四年2017/08/11(金) 19:02:57.79ID:0llNNrf/
>>84
??
三成が勝てば、謀反軍の勝利、政権軍の敗北。
家康が謀反を起こした実績など存在しない。
0086人間七七四年2017/08/11(金) 19:19:56.58ID:pnYCYAoq
家康が「謀反」起こして、最後は豊臣を滅ぼしたってことだ
足利に織田が「謀反」起こし、織田に豊臣が「謀反」起こし・・
天下はそう回っていくもんだよ

曹操が魏王になる「横暴」に、漢の臣下である吉丕はクーデターを画策したが、
鎮圧されて「謀反」の罪で討たれた
そして曹丕が帝位につき、漢は滅んだ
これと似ているわ

ただ曹操は漢の皇帝を奉戴して、
自分に逆らう諸侯を順次数十年かけて討っていったが、
劉備と孫権を滅ぼせず、天下統一は果たせなかった
家康の方が、反徳川の諸侯を「まとめて」関ケ原で1日で撃破して、天下統一をほぼ
確定させたから、効率はいいね
0087人間七七四年2017/08/11(金) 19:27:09.55ID:pnYCYAoq
https://youtu.be/a5nmEPjC-uA?t=56m08s

吉丕・・漢の臣下。曹操を打倒し、漢室再興を目指すクーデターを図るも失敗。
    「謀反」の罪で処刑。
曹操・・丞相から魏王となり、漢室の実権を掌握。娘を皇后にする。
    息子の曹丕が漢を滅ぼして帝位に就く地ならしをする。
献帝・・漢の最後の皇帝。曹操の操り人形にさせられる。

吉丕→石田三成  曹操・・徳川家康  献帝・・豊臣秀頼
0088人間七七四年2017/08/11(金) 19:28:15.91ID:0llNNrf/
???
三成が勝てば、謀反軍の勝利、政権軍の敗北。
家康が謀反を起こした実績など存在しない。

三成が勝った時点で、家康は豊臣家を滅せないわけだから、
そもそも家康の謀反とやらも存在しない。
0089人間七七四年2017/08/11(金) 19:29:43.52ID:O5EB8a92
いつから豊臣家が皇室になったんだ
0090人間七七四年2017/08/11(金) 19:34:48.50ID:DkguRE9N
後日謀反を起こすのは1600年時点でその意識はあったんだよ。
だから早期に止める必要があった、という理屈も成り立つ。
0091人間七七四年2017/08/11(金) 19:35:35.09ID:KdDGRPZN
だから関ヶ原時点の話をしましょう
0092人間七七四年2017/08/11(金) 19:36:10.93ID:DkguRE9N
豊臣を滅ぼしたことに違いはない。
都合よく前後を使い分けているのは如何なものか
0093人間七七四年2017/08/11(金) 19:36:46.39ID:0llNNrf/
>>90
関ヶ原の時点でそのような意識があった事など証明できない。
0094人間七七四年2017/08/11(金) 19:40:16.97ID:DkguRE9N
豊臣を滅ぼすかどうかは兎も角天下、実権を奪う決意はあったろ

それが無いのなら役後にまた従順に豊臣に従えばいいだけだから
0095人間七七四年2017/08/11(金) 19:40:41.20ID:0llNNrf/
これぞ正しく結果論。
豊臣家を滅した結果を以って、歴史を遡り全ての行動が豊臣家を滅ぼすための行動だったかのような建て付け。
0096人間七七四年2017/08/11(金) 19:41:27.03ID:pnYCYAoq
家康が勝って、謀反軍の勝利、前政権軍の敗北。
家康が謀反を起こして成功した実績しか存在しない。
0097人間七七四年2017/08/11(金) 19:43:16.32ID:0llNNrf/
>>94
実権を奪うも何も、遺言で家康に実権を与えていたのは他ならぬ秀吉。
家康が董卓さながらに、専横を行なってはいない。
0098人間七七四年2017/08/11(金) 19:43:27.92ID:pnYCYAoq
関ケ原の時点だろうが大坂の役の時点だろうが、
豊臣家家臣であることを誓っていた家康が、主筋の豊臣家を65万石の一大名にして、最後は滅ぼしたことに変わりはない
0099人間七七四年2017/08/11(金) 19:43:40.54ID:DkguRE9N
>>95
いやいや、徳川が関ヶ原後に豊臣に天下の実験を返して家臣として政府に専念するような行為があればいい。

でもないでしょ??
0100人間七七四年2017/08/11(金) 19:43:58.62ID:pnYCYAoq
>>97
秀吉は家康に将軍になってもよいなんて言ってませんが
0101人間七七四年2017/08/11(金) 19:44:17.01ID:KdDGRPZN
西軍の勝利方法を考える上では家康の意思は実はどうでもよくて、当時の人が家康のことをどう思っていたかが重要
0102人間七七四年2017/08/11(金) 19:46:02.35ID:pnYCYAoq
家康は今川に謀反を起こし、見事に謀反軍の勝利、今川軍の敗北、滅亡。

家康は豊臣に謀反を起こし、見事に謀反軍の勝利、豊臣軍の敗北、滅亡。

家康が謀反を起こして成功した実績しか存在しない。
さすが泣くまで待とうホトトギス
主家が傾いたら、すぐに主家を滅ぼしにかかって自分の権益を拡大し、最後に天下を取る
0103人間七七四年2017/08/11(金) 19:47:03.98ID:pnYCYAoq
>>99
むしろ65万石の一大名にしましたw
0104人間七七四年2017/08/11(金) 19:50:23.18ID:0llNNrf/
>>99
その証明はおかしい。
関ヶ原以前に、徳川が豊臣から実権を奪うような行為あった事で立証すべき。

もし、関ヶ原が史実通りの大戦果で終わっていなければ、家康の行動も従来通りであった可能性もあるわけだから。
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