その辺の職制整備は徳川も4代目ぐらいまでかかってるからな

30年ぐらい前に出て今は絶版になってる有斐閣文庫に『徳川幕閣』という本がある。
豊臣政権での奉行がかなり固定された人事で一部の人に実権、利得が集まる弊害を排除しつつ家臣団の格付けと抜擢のバランスを取るのに秀忠、家光も相当苦労した様が描かれてたわ。
大老になれる家、老中になれる家、若年寄になれる家、その家の外で抜群の実績だした旗本を老中にするためのシステム

それぞれの職を輪番交代制にし情実人事や談合を排除しようとしたりと本当に細かく運用ルール決めてたんだなと呆れた

逆に言えば10年足らずで成立した豊臣政権で一気に中央集権化した中で奉行の権限は大きくならざるを得ず、人材登用しようにも譜代の家臣団を持たなかった豊臣家は今いる人材をフルに使い切る形になったのは仕方ない面もあっただろう。

その反動で権限握った奉行とそうでない大名との軋轢は大きくならざるを得ず、よほど世古に長けた人が周りから押される形で奉行引き受けないと三成のように孤立から暗殺の危機までいってしまうわなと思う。

三成は個人の人格そのものでというより豊臣政権成立の性質であのような状況になったという感はとても強い。