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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/08/08(火) 21:24:41.36ID:QecJFFRE
ホレ

前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
0313人間七七四年2017/08/20(日) 10:02:20.19ID:XCoE+oJl
うん、岐阜城は味方になったんだから速攻で清州まで進出すべきだった。
0314人間七七四年2017/08/20(日) 10:18:03.31ID:1Gif5vGX
>>310
司馬史観乙
0315人間七七四年2017/08/20(日) 10:51:14.67ID:1oknLprJ
>>313
清洲までいってそこで東軍と構えているの方から前田が越前、近江と出て来た時にどうするかね?
0316人間七七四年2017/08/20(日) 11:05:40.69ID:F2myKFY7
流石にこの状況で清須の防衛が手薄ということはありえん
0317人間七七四年2017/08/20(日) 11:15:44.58ID:XCoE+oJl
>>315
小松城他を置いて近江までで来れるか?
場合によっては前田単独で美濃で西軍主力と対することになるぞ?
0318人間七七四年2017/08/20(日) 11:31:23.23ID:1oknLprJ
>>317
えっ?なんで?
東軍先鋒が清洲周辺で西軍主力と向き合っててどうやって西軍主力が?
前田が来たら西軍主力は引き返して前田に向かう?
後ろから清洲にいた東軍が襲いかかってきて終わりでしょ?
更に家康、秀忠が徳川本隊率いて出陣したら伊勢から伊賀方面抜けていきなり草津まで行ける
西軍主力は佐和山から長浜周辺で北からの前田、南東からの東軍先鋒、南西や琵琶湖水利から徳川本隊と囲まれるよ
0319人間七七四年2017/08/20(日) 11:37:27.04ID:w8ugJpLq
>>311
ちょっとした神のいたずらが無ければ西軍の勝ちだったと思われるほど東軍にとって完全無欠な状況ではなかったってことだよ
東軍必勝を主張するには東軍は100万人、西軍は100人くらいの戦力差が必要だった
0320人間七七四年2017/08/20(日) 11:55:37.13ID:1Gif5vGX
ちょっとした神のいたずら(わずか二時間で西軍崩壊)

西軍オタは妄想か創作物をソースにするから困る
0321人間七七四年2017/08/20(日) 11:57:21.25ID:1Gif5vGX
真面目な話、西軍の挙兵当初に家康初め東軍側に動揺があったのは確かだが、東軍が事態の全体像を把握した後は
西軍の勝ち目なんて1%も無かった
0322人間七七四年2017/08/20(日) 12:00:10.18ID:XCoE+oJl
>>318
伏見後すぐ7月下旬には、美濃を調略しつつ尾張に進出清州攻め開始って段取り。
前田がまだ小松を落とせず北陸で手間取ってる8月初旬のタイミングで清州を落として、
前線を安定させれば孤立するから前田は単独ではでて来れないだろ。
0323人間七七四年2017/08/20(日) 12:07:33.41ID:gxYy+0sx
挙兵した頃の西軍って明応の政変みたいに家康を政治的に倒すことしか考えてなくて、軍事面での戦略はろくに立ててない気がする
0324人間七七四年2017/08/20(日) 12:18:21.99ID:1oknLprJ
>>323
目的はあるけどそこへの戦略はなく行き当たりばったり
三成さんの得意のやつっすねw
0325人間七七四年2017/08/20(日) 13:11:24.85ID:lTZm2INU
三成は秀吉時代の記憶が骨身に染み込んでいるからな
自分が豊臣の名の下に相手を糾弾すれば皆が自分に平伏し、相手は政治的に死んだも同然で何もできなくなると
完全に秀吉時代のノリのままなんだよ
秀吉が死んで時代が変わりつつあるという変化についていけない化石となっていた
0326人間七七四年2017/08/20(日) 13:12:51.20ID:cGA1wUiQ
早期の尾張国侵攻が躓いたのは、やはり伏見城の鳥居元忠以下の奮戦が大きい
あれの影響は時間だけでなく、直ぐに来るかもしれない「東軍の援軍」に悩まされ続け、
実際に東軍先鋒が到着するまで、西軍の方針は二転三転七転八倒
0327人間七七四年2017/08/20(日) 13:47:00.14ID:F2myKFY7
清須攻めは悪手の極み

史実より簡単に勝てた
もっとも決戦が発生せず時間がかかったかもしれん

史実では一戦で決着がついた
0328人間七七四年2017/08/20(日) 15:34:17.33ID:WUHFQPAI
>>324
前田死去から七将襲撃前後から戦略を練っていたがガラシャが勝手に死ぬ
岐阜城があっさり落ちる・小早川を捕らえ損ねる・松尾山に小早川が勝手に陣取るなど
色々と不測の事態が起きすぎていたが
関ヶ原でもなんとか勝てるようにしていたのは考慮しようよ
0329人間七七四年2017/08/20(日) 15:50:00.13ID:ULWjoL3z
関ヶ原本戦は毛利が動かないという確信を得たからああいう布陣になったんであって
吉川が裏切らなければ勝てるとかいうのは無意味な仮定だぞ
0330人間七七四年2017/08/20(日) 17:31:49.07ID:F2myKFY7
三成は必勝の陣形と思った
0331人間七七四年2017/08/20(日) 18:14:38.58ID:xrOZI0Cw
>>329
毛利の総帥が知らないのに確信って言われてもなぁ。
0332人間七七四年2017/08/20(日) 18:21:43.34ID:F2myKFY7
総帥は遠方
0333人間七七四年2017/08/20(日) 18:41:33.08ID:gvuj/FE0
>>331
本戦の前に吉川とは交渉済みな上毛利が山上に布陣したのを見れば戦意がないのは明らかだから
毛利にやる気があるならすぐに行動できる麓に布陣すると忠勝が言ってるようにね
0334人間七七四年2017/08/20(日) 19:10:48.82ID:MFsOEv2Y
上杉が東軍を追撃してたら戦局は変わってたかな?
0335人間七七四年2017/08/20(日) 19:37:14.71ID:fxZrwzAu
上杉が家康退却を知ったのは家康が江戸城に入ったのと同日。
既に宇都宮で秀忠軍3万+結城他2万が防戦に備えている。

この状況下で徳川を追って関東に攻め込むの?
伊達と最上を放置して?
0336人間七七四年2017/08/20(日) 20:28:37.23ID:5rcOOb6k
更に家康が率いて東海道を上った38,000も別枠でいるしな
0337人間七七四年2017/08/20(日) 20:43:59.88ID:PXHp6/DO
>>323
明応の政変より関ヶ原の時の方がクーデターを起こした側の条件がずっといいんだけどなあ。
敵は遠く離れた関東で主君はこちらの手の内。軍勢もとりあえずはいる。
クーデターの理由も明応の時より関ヶ原の方がまだマシ、だと思う(個人的意見だが)
それなのに…なんでこうなったんだろう。
0338人間七七四年2017/08/20(日) 21:19:54.71ID:MFsOEv2Y
>>335
佐竹辺りとうまく連携できればワンチャンあるかもしれん
あと伊達の寝返りもあればな
0339人間七七四年2017/08/20(日) 23:13:37.34ID:jIoIhYAr
>>335
攻め込まなくてもいいから、いつでも攻め込む体を見せるだけでも違ったかも。
要は家康を西上させなければ、戦局は全然違ったと思う。

当時、上杉は最上・伊達両家と同時に和睦交渉していたので不可能ではない話。
そして実際に、家康が西上した直後に最上攻めを開始している。
この辺りに上杉のイヤラシサを感じるし、実は徳川と裏取引してたのではないかと勘繰りたくなる。
0340人間七七四年2017/08/20(日) 23:24:20.19ID:fTvjJyMy
裏取引して70万石吹っ飛ぶ大名ねぇw
最上、伊達が交渉に応じるそぶり見せることで北東方面の兵が南へ移ればこれを攻め易かったからだろ
大体隣接するもの同士は常に境界を巡って争いの種は尽きない上に上杉と和睦してわざわざ南に400キロ遠征するメリットがあんの?伊達や最上に

ifの話だとしてもあまりにも御都合主義な話で三成の希望的観測より非現実的じゃないか?
0341人間七七四年2017/08/20(日) 23:40:59.21ID:jIoIhYAr
混迷が長期化すれば徳川との裏取引は相当意味があるでしょ。
関ヶ原本戦は一瞬で終わったので、裏取引があったとしても確かに全く意味はないし、70万石が吹っ飛んだわけで。

いやだから、上杉的には南征するメリットは全くないよ。
西軍的にとっては、上杉が関東に攻め入るポーズだけでも取り家康を西上させなければ、という事。
上杉にそんな事するつもりがない事は当然わかった上での話。
0342人間七七四年2017/08/20(日) 23:45:33.70ID:tcSURXfX
上杉は背中のナイフな最上領どうにかして伊達が日和って佐竹が腰上げたら南進出来るだろうけど
第一段階の途中でタイムアウトだからな
0343人間七七四年2017/08/20(日) 23:56:30.91ID:fTvjJyMy
>>341
メリットもなく実際には最上、伊達への防備で手一杯
最上、伊達との交渉は成り立たない
関東への派兵メリットも余力もない

でこの状況からのifを成立させるまでのファンタジーが多過ぎないか?
という指摘
ゲームではあり得るかも知らんけど、大人が聞いたらうーん無理だよねで終わるよ
0344人間七七四年2017/08/21(月) 00:00:19.17ID:/dajRdxG
反関ヶ原みたいなIF小説展開ではかなりファンタジーな事やってなかったかな?
0345人間七七四年2017/08/21(月) 00:07:34.24ID:JnaUKdi9
だからファンタジーなんだろ
0346人間七七四年2017/08/21(月) 00:11:19.76ID:YpGhIt8b
ファンタジーでいんじゃね
所詮はIF語りなんだし
0347人間七七四年2017/08/21(月) 00:14:26.52ID:E85Sry02
>>343
いや、そんな事はないよ。
最上は、上杉に対してほとんど降伏同然の書状を出している。
伊達は、北方の南部領に対して岩崎一揆を扇動している。
その気になれば、両家との和睦交渉は十分成立し得る。全然ファンタジーではない。

しかし実際には、上杉は最上・伊達のどちらかとしか和睦するつもりがなかった事が、本庄繁長宛の書状で明らかになっているけどね。
実際、防備に手一杯どころか、9/8に最上攻めを開始し、9/13に畑谷城を落城せしめ、梁沢、八沼、左沢を次々と攻め落としてる。
また飛び地の庄内勢も、白岩、寒河江、谷地と次々に落城させているし。
上杉が苦戦したのは、終戦間近の長谷堂城くらいなもの。

なのでIFとしては、上杉のメリットを考えず、あくまで西軍の一員として行動させてみては?という話。
0348人間七七四年2017/08/21(月) 00:39:04.87ID:FATc5num
>>321
別に大昔の話じゃなくても、アイゼンハワーが戦場で予想道理なんて事は殆んど無かったって
言ってるやん。
ヒトラーも、ラインラント進駐後の48時間の恐怖を後に語ってるしさ。
ドイツには張りぼての軍隊しか無いからフランス軍が攻めてきたら、只、只、逃げるしかなかったって。
有名なダンケルクの奇跡も、あんまし連合軍が脆いんで疑心暗鬼が原因らしいし。
家康は確かに賭けに勝ったけど、かなりきわどいよ。
0349人間七七四年2017/08/21(月) 00:42:19.06ID:jGI+Woio
南部は東軍なんだよなぁ
伊達も長期化を睨み、旗幟不明確な大名
0350人間七七四年2017/08/21(月) 01:23:16.76ID:dhevZYU+
>>347
最上の書状については再検証の余地がありそうだけどな
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=118251
0351人間七七四年2017/08/21(月) 01:26:18.52ID:tM1zxiwP
>>338
上杉・佐竹は連携しようとしていたのはよく知られているが
相馬も同調していたことに触れられることはまずないというw
やっぱ小大名は扱いが悪いね
伊達政宗が領内を通ったときに討ちとっておけば良かったんだよ
0352人間七七四年2017/08/21(月) 02:40:04.69ID:ysNLa6IJ
上杉が最上を攻めたのは家康との戦いの可能性がなくなってからなので
家康を牽制する(少なくともその姿勢は見せる)なら逆に最上との戦は停滞するんじゃないの
0353人間七七四年2017/08/21(月) 07:30:39.16ID:Xf19mwmA
>>347
言うのは簡単だがなあ。それ要は上杉に対して目の前の利益を捨てて大損をしてくれと言っているに等しい訳で。
家中一同を納得させるのがかなり難しいと思うんだが。
これは毛利もそうなんだが徳川と正面から戦うより周辺を制圧してなしくずしに自領にした方が
リスクが低い上に遥かにお得なのよね。実際そういう動きしてるし。
毛利や上杉が天下を取ろうってんならともかく、そうじゃないんなら豊臣家をかつての室町政権状態にして
諸大名の領地拡大を制御出来ない状態、つまり戦国時代に戻した方が彼ら的には良いからな。

西軍が莫大な報酬を約束するって手もあるけど、豊臣政権に権力を残した状態でそれやると
今度は自分たちが討伐対象になりかねないし。それはそれでリスクが高すぎる。
0354人間七七四年2017/08/21(月) 08:52:47.78ID:zvwT8Y7c
東軍が決戦を挑んで来たら応じるしかないけど
自分から関東に乱入するのはリスクが大きい

下手すると野戦で撃破されて
東軍は北を気にせず西軍を攻めれる
0355人間七七四年2017/08/21(月) 09:54:51.95ID:/RR9GgXl
>既に宇都宮で秀忠軍3万+結城他2万が防戦に備えている。
敵の半分で籠城しとけば、早々落とされないだろうに
コレだけでも、リターンマッチ前提で関ヶ原臨んだのが分かるよな♪
0356人間七七四年2017/08/21(月) 09:57:53.18ID:s1U2AOsz
>>337
>それなのに…なんでこうなったんだろう。

代わりの神輿が不在だから

IFとして、秀次の子供が生存していれば、

秀頼の代わりに立てることで政権の形式は整えることができたと思う>>337
0357人間七七四年2017/08/21(月) 10:25:55.28ID:v+KQpJ55
羽柴秀長が生きてたら関ヶ原の戦いも起こらなかったし
家康も天下取れなかったかもな
0358人間七七四年2017/08/21(月) 10:50:17.34ID:eIDSZ9e4
秀長でなくてもせめて秀吉が生きていれば関ヶ原は起きなかったかも
0359人間七七四年2017/08/21(月) 10:57:02.24ID:zvwT8Y7c
秀長でなくてもせめて利家が生きていれば関ヶ原は起きなかった

家康と参謀は慎重に票読みしてる
0360人間七七四年2017/08/21(月) 11:19:11.95ID:hbM+kAWH
秀吉が聚楽第で後見、秀頼はここに在所
秀次が関白で大坂詰めで秀長大納言、池田輝政後見

前田利家が領国戻って、利政は大阪城詰め
小早川隆景領国、秀明大坂詰め

三成は蟄居のまま、息子
0361人間七七四年2017/08/21(月) 11:21:35.77ID:hbM+kAWH
途中で送信してしまったw

しかし上の状況なら家康は絶対に豊臣家にも奉行にも手を出せないから関ヶ原的なものが発生しないな

三成が蟄居させられて腐るだけ
あれ?三成いなくなったら豊臣家平穏?
w
0362人間七七四年2017/08/21(月) 12:14:21.77ID:eIDSZ9e4
大坂城、伏見城、聚楽第の位置付けってどんなだっけ?

伏見城は秀吉の隠居地(私邸)よね?
聚楽第は関白の政庁?
大坂城はサブ?
0363人間七七四年2017/08/21(月) 13:26:46.67ID:XWeaNjzn
大阪城は大名としての豊臣家の本拠地かと
0364人間七七四年2017/08/21(月) 14:40:20.83ID:cgW68DY7
豊臣の家政機関って秀吉存命中も大坂城にあったっけ?
0365人間七七四年2017/08/21(月) 15:57:47.31ID:tM1zxiwP
聚楽第→秀次を思い起こさせる→破却
0366人間七七四年2017/08/21(月) 16:08:25.68ID:qJdRVXaO
伏見城が天下人の城で、大坂城が豊臣家の城
0367人間七七四年2017/08/21(月) 17:54:49.65ID:FATc5num
>>366
確か、豊臣家の本拠が大阪城、伏見は本来秀吉の隠居城「つまり、家康晩年の駿府城」で、聚楽第が
関白の城だっけ?
正直、秀次事件さえ回避してれば家康の出る幕無いよね。
秀次の娘を婚約者って事で秀頼の元で育てるとか、色々方法有りそうなのに何でこうなった?
0368人間七七四年2017/08/21(月) 18:10:56.32ID:SCvJEHB1
応仁の乱と同じく権力者の晩年に嫡子が生まれやがるのが原因
みなし後継者はすっかりその気になってるけど
権力者はわが子に継がせたい→みなし後継者が邪魔

義視「おい話が違うじゃねーか」→内乱

秀吉「関白にあるまじき振る舞いしてるそうだな、高野山へ行け」
秀次「いずれ許してくれるだろw」
秀吉「死ね」
秀次「えっ?」
0369人間七七四年2017/08/21(月) 18:16:46.22ID:Zrg8Er5N
伏見城が駿府城に相当するなら
江戸城に相当するのは(破却されるまでは)聚楽第だろう
その場合は当然、豊臣の本拠地も聚楽第。

大坂城は聚楽第が破却されて再度脚光を浴びただけで
本来は旧居城に過ぎなかったんじゃね?
言うなれば浜松城的な
0370人間七七四年2017/08/21(月) 18:49:40.24ID:XWeaNjzn
どちらかといえば信長時代の安土と岐阜の関係じゃないか
0371人間七七四年2017/08/21(月) 18:51:09.62ID:qrWGequS
>>368
毛利秀就が誕生した途端に輝元の後継ポジションを辞退した秀元は賢明だったな。
まあ秀元は豊臣秀長の娘で秀吉の養女を嫁にしてたから、(つまり、準一門格)
豊臣政権における毛利家の地位が少し低下した可能性がある事を考えるともったいなかった気もするが
0372人間七七四年2017/08/21(月) 19:29:10.07ID:jHSgbgP2
小早川に変わる藩屏にしようとしてたかもな
秀次が生きていたら小早川秀秋も完全に一門扱いを継続してもらえただろうし豊臣家にとっても地方にデカイ所領与えて睨みきかせる役割を与えただろうし

秀次処分してなかったら
中継ぎとしての秀次政権を前田、毛利、宇喜多の大老と次代の大老候補池田で支えつつ秀頼に政権移行したタイミングで秀次、秀秋、宇喜多は中央から引き払い池田は残留
政権引き継ぎと秀次、秀秋への粛清回避役として止める

秀長生きてたら秀次の子を養子にしてこれも秀頼付きのお守り役に大和ではなく秀頼の元に置いといたら良いし
徳川がその後にやったような御三家創設、後継者の補充や地方の抑えにと秀次兄弟は役に立っただろうにな

途中から徳川、毛利、上杉みたいな独立大身大名にとにかく因縁つけていくイジメをやりながら減封、養子の押し付け、普請の押し付けやりまくってればw

そう考えると徳川は子に恵まれ豊臣という悪い見本を打ち破っての政権奪取の経験をとても上手く参考にしたな
できすぎなくらい
0373人間七七四年2017/08/21(月) 19:43:49.42ID:O2H/JyaC
出来すぎなのではなく羽柴がダメすぎただけでしょうけど
0374人間七七四年2017/08/21(月) 19:59:48.77ID:qJdRVXaO
>>367
秀次については領国の尾張国が荒廃していて、
その復興に秀次を飛び越えて秀吉が関与する等、
両者の間に相互不信が高まる要素はあった

個人的な考えを言えば、秀吉は秀次を後継者としては、
能力が不足している上、自分の言うことも聞かないので、
ならば排除という形かと

秀吉の決断に異を唱えるなら、家康位の力量が無いと、
秀吉は認めないでしょう

信長も秀吉も「第二の家康」を探し続け叶わなかった
0375人間七七四年2017/08/21(月) 20:18:27.93ID:cckQp+UE
>>374
秀次が秀頼に政権を素直に渡すとは思えなかっただけじゃないの。
単に我が子可愛さってだけの話。悲しいけど人間ってそんなもんだろう。
残された豊臣政権と豊臣家の結果は見るも無残だが。
0376人間七七四年2017/08/21(月) 20:58:13.44ID:IsPx3q0u
映画関ヶ原でも三成は義の人なんだなあん
ここの馬鹿どもは間違いを認めろだなああああんあんあんあんあんwwwwwwwwwww
03773472017/08/21(月) 21:06:10.85ID:BIPGXyFZ
>>353
遅レスですまんね。日中は仕事なもので。

もちろん、上杉の真意はわかっている上でのIFだよ。
上杉が真に西軍の一員で、西軍大名宛にアピールした書状の通り、
『何をさしおいても関東に攻め入る』姿勢を見せたらどうだろうね?というIF。
0378人間七七四年2017/08/21(月) 21:19:34.90ID:zvwT8Y7c
それに乗るならば佐竹も全軍が早々に西軍参戦すれば…
0379人間七七四年2017/08/21(月) 21:24:15.96ID:qJdRVXaO
>>375
流石にそこまで秀吉が後先考えなかったとは思いたくない
感情論だけど
0380人間七七四年2017/08/21(月) 21:48:22.04ID:ue/P4pK6
晩年秀吉は徳川と前田が後見してくれるって部分にすがるしかなかったと思う
まともな思考は働いてないかと
ただ関ヶ原がなかったらわりと豊臣家は存続してたと思う
0381人間七七四年2017/08/21(月) 22:09:09.36ID:ysNLa6IJ
秀吉が健在なら秀次殺したって深刻な問題にはならないからね
問題が顕在化したのは秀吉が死んだ後
0382人間七七四年2017/08/21(月) 22:27:38.20ID:BWe8Xfcn
>>381
秀吉がいないと制御不能な政権ってのもそれはそれで問題だがなあ。
政権を世襲でつなぐのなら、トップが常に優秀とは限らない前提で政権を作らないと。
それに、仮に秀頼が関白になるまでは生きるつもりだったとしたら、
秀吉は後10年以上は生きるつもりだった事になる。関白の最年少任官例が16歳らしいので。
あの年でまだ10年以上生きる前提はちょっと予測が甘いと思うぞ。そりゃ生物学上不可能って訳じゃないが。
0383人間七七四年2017/08/21(月) 22:39:41.83ID:ysNLa6IJ
>>382
秀頼が生まれたのは秀吉が50代後半の頃なんだから無理ってほどじゃないでしょ
秀吉が死んだ年だって健康が悪化したのは五月になってからでそこから急激に衰えたって話だし
別に70まで生きずとも秀頼の為に体制作りをする時間があると考えてもおかしくはないでしょ
いつ来るか定かではない自分の寿命(と死後の内部対立の可能性)より
秀次の方が秀吉にとっては現実的な脅威だったんだろう
0384人間七七四年2017/08/21(月) 23:38:27.58ID:u6j+X61c
>>383
いや、やっぱり寿命の予測が甘いだろう。弟は50ちょっとで死んでるんだし。
それに秀次を処分するならそれこそ秀頼の為の体制作りを終わらせてからでもいいはずだ。
秀次は少なくとも秀吉の前では秀頼を後継にすることを承知していた筈だから
秀吉が秀頼の為の体制作りをするのを秀次が邪魔するわけないし。
それじゃあ寿命が間に合わないっていうんなら、それこそ秀吉は自分の死期を予測していたことになるんで、
やっぱり死後の予測が甘い事になる。
0385人間七七四年2017/08/21(月) 23:43:29.03ID:ysNLa6IJ
秀頼の為の体制作りに関白秀次がいたら何の意味もなくない?
秀吉が死んだ後に全部ひっくり返せるんだし
0386人間七七四年2017/08/21(月) 23:55:33.06ID:ysNLa6IJ
秀頼のための体制を作るならまず既存の秀次のための体制を解体か弱体化する必要があるし
その事に対して秀次が不満を持たない(逆らわない)と確信できるほど信用していないんでしょ
0387人間七七四年2017/08/22(火) 00:10:04.35ID:xWVdvlwd
一門への信頼示さなかった秀吉とそれを引き継いだ幼君秀頼はもう裸だったということだ
逆に言うとそういう状況だからこそ隠居したただの元奉行が何人かの大名に吹き込んで挙兵可能だったわけで

もし秀次関白体制がある程度上手くいっていて上杉討伐は史実通り家康を大将として行われたとしたら、三成は諦めて挙兵しようともしなかったんじゃないかね?
0388人間七七四年2017/08/22(火) 00:20:48.90ID:47ElfSg6
秀次政権が上手くいってたら七将襲撃が違った形になりそう
0389人間七七四年2017/08/22(火) 02:01:50.66ID:+19qf9pL
>>387
何か、仮定条件が意味不明な気が?
秀次政権で、何故合図征伐してるの?何故家康が総大将なの?
秀次政権でも、250万石の外様は警戒するでしょ?大将にする訳が?
普通に、家康に会津にお手伝い普請で城築けとか言いそうですが。
0390人間七七四年2017/08/22(火) 11:46:19.74ID:Dv9NPU15
>>388
少なくとも加藤福島は参加しないだろう、というか
豊臣政権が盤石なら家康に接近することもないはずだし
文治派が中心になってきてきて焦った武断派が
三成を排除しようとしたってのもあるだろうし
0391人間七七四年2017/08/23(水) 00:24:31.84ID:W4clUztI
秀次政権と加藤福島が上手くやれるか?
名称以外は別の聖剣だしむしろ不満を抱くことが多くなるんじゃないか?
0392人間七七四年2017/08/23(水) 03:00:10.38ID:IEw73pz5
加藤福島含め三成とかも排除されてた可能性は高いかもな
秀次が生きてたら子が多いから徳川みたいに御三家とか作れてたかな?
家康はその場合、室町幕府みたいに管領とかを目指すしかないな
0393人間七七四年2017/08/23(水) 04:27:59.72ID:2yU+WZoC
駒姫が懐妊して男児が生まれてどうにか後継者になれば
最上が外戚面していばりだすかもしれない可能性が無きにしもあらず…?
0394人間七七四年2017/08/23(水) 10:43:05.44ID:xkzMUz+8
三成は所詮は秀吉の側近だから
秀次政権では秀次側近に排除されるやろ

江戸幕府の側用人と同じ
0395人間七七四年2017/08/23(水) 11:21:34.57ID:0sxxWjmI
その辺の職制整備は徳川も4代目ぐらいまでかかってるからな

30年ぐらい前に出て今は絶版になってる有斐閣文庫に『徳川幕閣』という本がある。
豊臣政権での奉行がかなり固定された人事で一部の人に実権、利得が集まる弊害を排除しつつ家臣団の格付けと抜擢のバランスを取るのに秀忠、家光も相当苦労した様が描かれてたわ。
大老になれる家、老中になれる家、若年寄になれる家、その家の外で抜群の実績だした旗本を老中にするためのシステム

それぞれの職を輪番交代制にし情実人事や談合を排除しようとしたりと本当に細かく運用ルール決めてたんだなと呆れた

逆に言えば10年足らずで成立した豊臣政権で一気に中央集権化した中で奉行の権限は大きくならざるを得ず、人材登用しようにも譜代の家臣団を持たなかった豊臣家は今いる人材をフルに使い切る形になったのは仕方ない面もあっただろう。

その反動で権限握った奉行とそうでない大名との軋轢は大きくならざるを得ず、よほど世古に長けた人が周りから押される形で奉行引き受けないと三成のように孤立から暗殺の危機までいってしまうわなと思う。

三成は個人の人格そのものでというより豊臣政権成立の性質であのような状況になったという感はとても強い。
0396人間七七四年2017/08/23(水) 13:06:45.39ID:yTwofRDu
忠勝も十万石程度だし
権限と石高の大きさはどちらか片方でないと軋轢を生む
正信はその辺を分かっていたが正純は分かってなかった
正純はかわいそうではあるが
0397人間七七四年2017/08/23(水) 14:52:11.75ID:3cyrYKre
>>395
やはり唐入りと秀次処分は失敗だな。
そんなことする位なら豊臣政権の組織固めと次世代の為の統治機構の整備を
全力でやる方がマシだった。
秀頼も秀次に託すべきだったな。信用出来なかった気持ちはわからんでもないが、
処分した結果が史実ならしない方がよかったろう。たとえ結果論でもね。
0398人間七七四年2017/08/23(水) 16:26:58.46ID:2yU+WZoC
いっそ利家を家康旧領にブチ込んでおけば良かったんじゃね?
0399人間七七四年2017/08/23(水) 17:44:50.88ID:TGXGDJph
加賀征伐の時に利長をたすけなかったのが悪い
0400人間七七四年2017/08/23(水) 18:53:56.73ID:CXtmPYBI
>>398
それだと五大老隣接配置になるから怖いんじゃない?
万が一徳川、前田が豊臣政権と対立する事態になった場合350万石の塊が東海道を上ってくる可能性が
それこそその街道沿いに配置された小さな大名丸ごと飲み込んで少なくとも三河まで突っ込んでくる
清洲の福島が豊臣からそっちに鞍替えするとは思わんけど、まあその塊相手にどこまで持ちこたえられるかとなると

秀長亡き後なら前田は大和、伊勢方面に配置したいぐらいだろう
これも万が一豊臣に反旗翻すとなるといきなり喉元に刃の状態

やはり前田は利家が切り取った縁もある能登を中心にした北陸の要でいて欲しいかと
それ考えたら大名の配置場所も含め大和を秀長が領していた意味は大きいと思う

ここがあればこそ福島の清洲配置が最初の防波堤の意味を持つだろうし
岐阜の織田秀信の頼りなさも信濃方面だけの備えに徹するなら不足なし
東海道から攻め上ってくる大軍の敵に備えるには秀信の経験値では対応できないだろうことは皆予見してただろうしね

1人の人間に頼ることの大きい組織はその人を失うことで全てのことが上手くいかなくなることがあるからな
豊臣政権はスピーディーに成立した反面そういったマイナスの要素が強かったと言わざる得ないんじゃないかな?
0401人間七七四年2017/08/23(水) 19:35:58.80ID:n93ZEDx+
そもそも近江伊勢尾張は関白秀次の領土だったからな。
大和の秀長領土もそのままなら秀信とか誤差の範囲内だろ
0402人間七七四年2017/08/23(水) 21:34:54.44ID:mP3bXUrq
>>400
いや…徳川と上杉は元から隣接してるし、毛利と宇喜多も隣接してるんだが。
0403人間七七四年2017/08/23(水) 21:41:12.84ID:W4clUztI
毛利と小早川みたいに一族もいるからあんまり気にしてなかったんじゃないの
0404人間七七四年2017/08/23(水) 21:52:16.25ID:Z3VqMKZm
>>398
代わりに徳川領は東海甲信+北陸か?一国で日本分断できとるぞ
0405人間七七四年2017/08/23(水) 21:52:50.50ID:Z3VqMKZm
ごめん家康旧領ね
0406人間七七四年2017/08/23(水) 22:45:07.93ID:OhYDejCq
蒲生さんの代わりに会津+α(旧領より石高増)だったら家康はどういう反応したんだろう
0407人間七七四年2017/08/23(水) 23:04:07.86ID:zvCmjqZt
>>402
上杉景勝の家康嫌いは相当な物なんだけどね?
武田の旧領巡って色々経緯が有る関係なんだから。
宇喜多も一所、元々毛利が勢力拡大し始めた時は備中の三村が毛利傘下で、備前の宇喜多、天神山浦上とは
間接的に戦ってたの。
所が、宇喜多と三村の対立が激化した時に宇喜多の方を選んで三村を捨てた。
こうして、毛利傘下に成った宇喜多は土壇場で再び織田に寝返りした訳。

毛利と宇喜多は組める間柄じゃないし。
0408人間七七四年2017/08/24(木) 03:11:20.57ID:p9351ZaR
>>406
伊達と組んで奥州(+佐竹領)を攻め取って守りを固めて独立王国でも構築するんじゃないかな
秀吉が死ぬまでは大人しくしてるけど
討伐したくてもリーダーシップを取れる人間がいないし
何より家康と進んで野戦したい奴はそういないだろ
0409人間七七四年2017/08/25(金) 21:08:34.20ID:OmpDB80q
吉川、小早川、福島とかは死ぬ時に「俺は間違いのない後世の模範とすべき人生を送ったなあ!」と思えたんだろうか?
違うなら西軍のため戦うべきだったということなのさ
0410人間七七四年2017/08/25(金) 21:36:25.35ID:uuh2i9rQ
>>409
戦争で負け組について没落した奴らの大半って普通は
「勝ち組についていけばよかった…」って後悔して死ぬだろうから
関ヶ原の負け組の大半は東軍について戦うべきだったな、って書き込めばいいのか?
0411人間七七四年2017/08/25(金) 21:54:33.20ID:r5TYtiId
福島は関ヶ原より伊奈の首を要求したり大阪の陣で中途半端な対応したりするのがまずい
0412人間七七四年2017/08/25(金) 22:04:27.44ID:iy7YoXvc
>>411
あの行動って、秀頼様の家臣としては俺は家康と対等って意味だろうねえ?
そんなに秀頼様が大切なら、西軍に付けば良いのにさ?
三成は確かに嫌な奴だけど、野望の範囲が豊臣家の家老として権勢振るいたいって感じに見える。
秀頼を主君と思ってない家康を選ぶより、秀頼公の安全を考えるならね。

自分が一番大切にしてる物が何か解って無い感じだよね。
大名としての福島家の存続を願うなら、関ケ原後は大人しく隠者みたいな生活すれば良いだけだし。
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