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大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/08/06(日) 12:37:18.99ID:lLKkXzHa
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part6 [無断転載禁止]©2ch.net
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498127809/
0828人間七七四年2018/08/04(土) 13:58:53.87ID:/gXdSUTo
何処まで本当かによるだろうな
徳川家としたら謀反を起こした訳だから
元主君が有能であっては不味い
あくまで器が小さいとしないと

こういうと徳川は豊臣に仕えてないとかいうキチガイが湧くけどww
0829人間七七四年2018/08/04(土) 14:00:47.72ID:2hjMYhnQ
>>828
逆。秀頼が徳川体制に「謀反」したの。「主上御謀反」ってご存知?知らんだろうなあ
0830人間七七四年2018/08/04(土) 14:13:15.43ID:/gXdSUTo
家康好きって何故そんなに家康が綺麗な家康と思ってるの?
徳川が秀吉に下った時から臣下だよ、後から色々屁理屈付けてるだけだろ
戦国武将なんだから、そんな綺麗事だけでは上手くいかんよ
0831人間七七四年2018/08/04(土) 14:22:11.16ID:2hjMYhnQ
>>830
むしろお前何でそこまで史実を捻じ曲げて徳川を悪くしたいの>親でも殺されたの?
あと二条城会見で世間的には完璧に秀頼は家康に臣従してるぞ。そんな事もわからないの?
0832人間七七四年2018/08/04(土) 14:23:12.24ID:Xgg8emFn
関ケ原後に豊臣と徳川の上下関係は逆転してるよ
それは年度礼なんかでも豊臣自体が認識していることだと思うけど

そこを無視して話すからややこしいことになる
0833人間七七四年2018/08/04(土) 14:23:25.45ID:7+hpCuTD
>>830
征夷大将軍になった理由がわからないのか?
0834人間七七四年2018/08/04(土) 14:31:59.77ID:euzEqrxR
>>827
そうだよなあ
千あたりに助命嘆願やらせるのも見苦しい
とりあえず千は徳川家にかえし嫁実家への義理を果たして後は武家らしいいさぎよさを出すくらいでちょうどいい
それぐらいの大家なんだから。
0835人間七七四年2018/08/04(土) 14:34:05.10ID:euzEqrxR
>>830
まあ確かに徳川は豊臣の風下についたわな
徳川も戦乱がおちつくならと大人の判断をしたわけで。
豊臣としちゃその後徳川の機嫌を損ねないように必死だったのが笑うところかな
0836人間七七四年2018/08/04(土) 14:35:35.69ID:/gXdSUTo
謀反は禁句か。家康好きが荒れてるww

当時の人達が主上御謀反だとか理由として語るならまだしも
徳川も豊臣も関係ない後世の時代の人達がそれを言ってたら駄目だろ

当時の人達がどういう理由を付けて、豊臣から徳川へと世を変革していったかを学ぶべき所で
主上御謀反だから大丈夫キリッではたんなるバカ
あくまで当時の理由付けなんだから

まぁ、いずれにしろ、徳川家としては政治を行う上で
豊臣のがましじゃねってのだけは避けたかった
それ故、秀頼を悪く言う可能性は十分過ぎる位にある
どこまで本当かは分かりにくい
当然、本当かもしれんよ
0837人間七七四年2018/08/04(土) 14:38:52.90ID:7+hpCuTD
自分に酔って熱弁してるが
他人が読んでわかるように書こうとは思わないものなのか
0838人間七七四年2018/08/04(土) 14:39:55.78ID:Xgg8emFn
>>836
もちろん悪く言ってる可能性は十分に考慮しないといけない
けれど、史学上十分信用できるとされる史料なんかでも正直秀頼はあまり出来た行為をしてたとはいいがたいんですよね

史学のともがらとして言うなら、いやいやそれは全部徳川がでっち上げたことなんですという信用に足る史料がないと、そりゃ違うって言われてしまう

もちろん解釈が違うって言うのはあると思うけどね
0839人間七七四年2018/08/04(土) 14:43:47.56ID:2hjMYhnQ
>>836
おまえ大阪の陣が起こった経緯いちゃんと把握してる?
0840人間七七四年2018/08/04(土) 14:49:05.80ID:/gXdSUTo
>>839
所謂、1ビット脳の話?
オンかオフか
発表すれば、それしかやりませんってやつ
武家諸法度を構想1ヶ月で作りましたキリッ
大笑い
家康にも失礼だよww
そんなちゃちなもんじゃないし
0841人間七七四年2018/08/04(土) 14:52:27.63ID:/gXdSUTo
個人的には徳川は凄いなと思ってるよ
その方が自分達にとって都合が良いという事はあるのだろうけど
戦後時代や江戸時代初期までの武士道と、それ以後の武士道の概念を変えた

一般的に武士道言われて思うのは、正々堂々
でも、これは徳川の世で変えたものであって
戦国時代とかの武士道とは違う
0842人間七七四年2018/08/04(土) 14:58:32.70ID:Xgg8emFn
>>841
いやだから徳川が凄いとかどうとかじゃなくて
信用のおける史料をもって語れって言ってるんだけど
0843人間七七四年2018/08/04(土) 15:15:23.07ID:/gXdSUTo
>>842
スマン
何か徳川に親を殺されたのかって言う人が居たから
別に徳川に親殺されてないし、思想の変革という凄い事をしたなと思ってるよと言いたかった
スレ違いだし、そんなに深くやろうとは思ってない
0844人間七七四年2018/08/04(土) 15:18:26.21ID:LB9usuue
家康(あるいは秀吉)が簒奪者なら分かるが、謀叛人と言われるとしっくりこないな
簒奪者にはある程度合法的な手続きを踏んで上位者にとって変わる、謀叛人には上位者に直接軍事力を行使するイメージがある
0845人間七七四年2018/08/04(土) 16:24:41.26ID:euzEqrxR
>>836
謀反に反応してるひとなんていない

単に家康はそれなりにやることやった偉人だし、豊臣は秀吉で終わったようなもの、その事実があるだけ
0846人間七七四年2018/08/04(土) 16:54:53.65ID:GMOszlHY
あの場面は北条氏直みたいに自分が全ての責任を取りますから他の者の命は助けてくださいと言うべき場面だからなあ
そういってこそ相手も助けてやろうかという気が起こるってなもんだけど
秀頼は自分に何が求められていてどう振舞うべきかという芝居の筋がわかってないという印象はあるね
生育環境が特殊なせいだろうけど
0847人間七七四年2018/08/04(土) 17:11:27.48ID:/gXdSUTo
秀頼が考えてたとは思わんけど
小田原城に居る人達と、大阪城に居る人達は意識が違うんじゃないだろうか?
大阪城に居る人達は、文学的に言えば、居場所がなく、死に場所を求めて大阪城に入ってね
そんな人達がはいそうですねと引き下がるだろうか?
0848人間七七四年2018/08/04(土) 17:24:02.87ID:GMOszlHY
あの時点で秀頼が気を使わなきゃいけない相手はその人たちじゃないからなあ
0849人間七七四年2018/08/04(土) 18:24:39.61ID:lJyBnUE7
天下人に対する謀反が最高にうまくいった結果が簒奪で、必然簒奪者は合法的な手続きに沿って天下人になったという歴史が生まれる
0850人間七七四年2018/08/04(土) 20:19:23.68ID:DylmrFnz
秀頼が大人しく降っていれば、豊臣も宋代の後周柴氏のように厚遇されたろうに
0851人間七七四年2018/08/04(土) 20:54:32.55ID:CUwpjv2C
冬の陣で、淀殿はもう心が折れてしまったが、秀頼が牢人衆の昔語りで(太閤様は戦では...)で強硬派になってしまった説は本当だろうか。
0852人間七七四年2018/08/04(土) 22:25:59.60ID:Xgg8emFn
>>850
実際豊臣家は奉行すら足りてなくて自領の年貢の徴集すら徳川によって京都所司代から派遣された代官で回してますからね
普通の御家なら奉行足りなくて自分の領土から年貢徴集できませんなんて言ったら即改易だし、よほどの厚遇措置だと思う

甘やかされすぎて超えちゃいけないラインわからなくなってたんじゃないかな
0853人間七七四年2018/08/05(日) 00:30:31.25ID:ceHiZShs
>>847
あの場面では真田幸村達の意見を受け入れて浪人達は討って出させるべきだったな
無茶苦茶な強行軍で軍の体を成していない秀忠なら仕留められた可能性が高い
0854人間七七四年2018/08/05(日) 01:09:47.05ID:YDduQC0G
秀吉が死んだとき、まだ物心付いてなかった頃だよね?
武将としての教育をする人がいなかったのが問題
秀吉と秀頼の間に秀次がいたらちゃんと育ってかもしれない
0855人間七七四年2018/08/05(日) 03:40:52.21ID:n5TVJB4H
>>847
大阪城に籠ってる牢人達の意識って「飢え死にはしたくない、せめて武士らしい死に場所を」って
のが実状だろうからね。
あそこで秀頼が助命嘆願なんかしても喜ばんと思う。

理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された牢人達の憎悪が漂ってるのが大阪城。
せめて、「徳川に一泡吹かせたい」せめて、「討ち死には覚悟するから徳川本陣に突撃を」とか
「もし家康に一太刀出来るなら悔い無い」とかそんな連中。

死に場所を求めてるって意識濃厚だしね。
家臣の事考えるなら、半分討ち死にしても良いから徳川本陣に突っこむべきだよねえ。
皆、武士らしい最後を求めてるんだし。
0856人間七七四年2018/08/05(日) 03:55:09.54ID:xrVnIZ81
武士らしく華々しい散り方とはいうが、単なる食い詰め者が一発逆転のばくちにでた程度の心構えだと思うよ
0857人間七七四年2018/08/05(日) 04:03:34.34ID:QeEQEDfU
豊臣家が滅びようがどうでもいいってやつしかいないんならそら負けますわ
0858人間七七四年2018/08/05(日) 09:18:43.69ID:UJLyC0eh
>>854
下手に摂関家になっちゃったから公家教育か武家教育かで方針が定まらなかったとかあるのかな?
0859人間七七四年2018/08/05(日) 09:49:20.93ID:WCQztU1R
>>858
いやあ、明確に武家の棟梁としての教育受けてるんだけど。一条兼良が将軍足利義尚のために著した「樵談治要」の講義とか受けてる>秀頼
0860人間七七四年2018/08/05(日) 10:43:57.68ID:UJLyC0eh
>>859
そうなんだ…
武家教育ちゃんと受けてたのに最期あんな残念な感じになっちゃったんか…
0861人間七七四年2018/08/05(日) 10:58:59.21ID:bFEfKaSL
>>856
>>857
状況としては、徳川が可成り理不尽な改易や減封をやり、更に徳川を刺激したく無い大名が
牢人の新規召し抱えなど保々やらないって状況だし。
秦王朝を滅ぼした、陳勝呉広とかの立場に近く無いかね?大阪城を退去しても徳川の政策から
して新規召し抱えなんて期待出来ず、緩慢な飢え死にのみ。

結局、大阪の陣其の物が徳川の政策で追い詰められて窮鼠に成った牢人の存在有っての物
だと思う。
確かに勝ち目は薄いかもしれんが、家康の政策で餓死寸前に追い詰められてる牢人としては
武士らしい最後に賭けるしかないもんな。

この辺は、家康自体が窮鼠の怖さを忘れてたのでは?
可成り強引な大名取り潰しをやって、しかも籠城抗戦した奴が居ないから徳川に怨恨持つ牢人を
大量発生させちゃった。
0862人間七七四年2018/08/05(日) 11:43:58.71ID:8KLnyo2Z
理不尽な改易や減封なんてあったかしら?
0863人間七七四年2018/08/05(日) 12:21:02.72ID:4+UwPpoR
減封はあったね、なので牢人がでた
ただ集まった牢人衆に奇麗事はなかったと思うよ
元の雇用主に反発して出奔した後藤又兵衛みたいな困ったちゃんみたいなのが目立つくらいなんだから
真田次男も同様。
一発逆転したいだけの荒くれなだけで、武家の死に様とか考えてたとはおもえない
0864人間七七四年2018/08/05(日) 13:23:33.33ID:ia6jea+/
最大の浪人発生源は関ヶ原
0865人間七七四年2018/08/05(日) 13:29:42.92ID:8FRlecjE
後の世には幕府として浪人の積極雇用を全国の大名に言うし
まぁ失敗だったんだろ
このままで浪人による政情不安に成りかねないと

理不尽でない改易厳封だから、そこの藩士に仕方ないだろと説明すんのか?
それで、そーだねと納得する人ってどれくらい居るんだろ?
0866人間七七四年2018/08/05(日) 13:54:04.14ID:8KLnyo2Z
>>865
改易や減封で牢人が出たことは確かだし、その浪人衆が大坂城に集まったことは確かだけど
それを理不尽、って言ってしまうのは公平なものの見方ができてないでしょ
0867人間七七四年2018/08/05(日) 15:03:07.66ID:8FRlecjE
はっ?
浪人達がどういう感情を抱こうが自由じゃん
理不尽とか公平とか意味分からん

後世の人達が理不尽じゃないといえば
浪人達の感情は理不尽じゃなくなるとか?
何で公平とか出てくる要素があんの?
0868人間七七四年2018/08/05(日) 16:04:58.64ID:QeEQEDfU
というか浪人の心境はどうでも良い
浪人の死に場所探しの為に暴れられちゃ豊臣家にとって迷惑なだけだし
秀頼も死ぬ気がないならそれに付き合っちゃ駄目だろうという話
0869人間七七四年2018/08/05(日) 16:51:51.14ID:UJLyC0eh
>>868
まあ私も浪人の心境はあまり興味はないけど
関ヶ原の戦いという戦闘行為の結果による改易減封なら
戦国時代だったら普通なんでそれで浪人となったからって理不尽だと悲憤にかられてたんだろうか?
再就職が出来たのと出来なかったので違いは出てきただろうけど
0870人間七七四年2018/08/05(日) 16:53:44.90ID:npEL94Hc
浪人衆の多くは単に再就職先として大阪入ってるだろうけど
新参者の常として身を切るような働きが必要でもある

改易厳封というか過剰な戦闘員のリストラは乱世から安定政権への移行に必要不可欠でしょ
江戸幕府は仕事ない旗本御家人抱えたり、1つの職務を月番にしたりむしろその辺甘い印象ある
0871人間七七四年2018/08/05(日) 16:54:55.53ID:UJLyC0eh
>>869
あ、間違えて868にレスアンカーつけてしまいましたm(_ _)m
0872人間七七四年2018/08/05(日) 17:01:05.03ID:8FRlecjE
戦国時代は戦乱の世だから当然のように再就職先はあるでしょ
仮に仕えてる主家が滅びても、滅ぼした所に敵対してる所とか

あと、浪人問題は対策は打ってるけど、江戸幕府を通しての問題でもあったよ
抜本的な解決はしなかった
まぁ、体制的に無理だろうな

それに、どういう人達が大阪城に集まったかって話だし
徳川幕府をちょっとでも批判するとすぐに反論が出るところが面白いww
徳川幕府を批判するのがそんなに不満なの?
名前が徳川だからとか?
0873人間七七四年2018/08/05(日) 17:17:11.99ID:wb8Ln30S
華々しい活躍をして合戦で死ななきゃこれまでのように新たな仕官先がまた見つかるだろうってのもたくさん居ただろうな
0874人間七七四年2018/08/05(日) 17:55:01.38ID:8KLnyo2Z
>>872
批判の仕方が頓珍漢だからでしょ
改易や減封が理不尽なんて書き方すればそりゃ理不尽なんてなかったんだから批判されて当然でしょ

牢人たちにとって、とか前置き置くくらいのことしようよ
0875人間七七四年2018/08/05(日) 19:24:27.30ID:8FRlecjE
どう見ても浪人の流れだと思うけど
そもそもここ大阪陣のスレでもあるし
徳川がちょっとでも悪く言われた気がして過剰反応してるだけだろ
何でそんなに徳川好きなの?
家康の掛け軸とか飾ってたりすんの?
0876人間七七四年2018/08/05(日) 19:30:13.00ID:8KLnyo2Z
>>875
理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された牢人達の憎悪が漂ってるのが大阪城
この記述で牢人たちの主観であると認識するの難しいでしょ
一般論で語ってるとも十分に受け取れるよね

その手の過剰反だなんだで批判する前に誤解させる記述だった可能性考えようよ
0877人間七七四年2018/08/05(日) 19:36:33.61ID:8FRlecjE
>>876
えっ?
浪人達の憎悪が漂ってんだから
浪人達の感情だろ

きみ少し落ち着きなよ
家康好きはアレだと思われるから
0878人間七七四年2018/08/05(日) 20:02:32.12ID:8KLnyo2Z
>>877
理不尽な取り潰しや改易で主家を潰された、の部分は浪人の感情とは認識しにくいでしょって言ってるんだけど、これでもわかんない?
受け取りにくい記述で誤解生ませた挙句他人批判しておいて落ち着きなよはないわー
少しは反省しなよ、他人を家康好きはアレだなんだとかレッテル張りする前に
0879人間七七四年2018/08/05(日) 20:07:57.38ID:8FRlecjE
>>878
それ書いたのオレじゃないし
いい加減落ち着きなよ
キミの大好きな家康も、嘆いてるよ
落ち着けと
0880人間七七四年2018/08/05(日) 20:13:41.95ID:8KLnyo2Z
>>879
落ち着け落ち着け連呼する前にさ
他人を煽り倒してた事に対して反省すらないの?
それとも本気で自分が他人を煽ってないと思い込んでるの?

どちらにしても君いま人として最低な行為をしてるよ?
0881人間七七四年2018/08/05(日) 20:24:22.81ID:hrNp6UDd
家康好きがあれとかレッテル貼りはあまりに酷いね
別に誰が好きでもええやろ
俺は家康嫌いやけどね
0882人間七七四年2018/08/08(水) 01:55:39.61ID:FzU/QGpI
>>878
多分さあ、この時代の人って本当の意味で平和な時代を経験して無いって思うんだよね。
水軍には本業が有るから、平和に成れば本来の業務の商戦隊や商船隊の護衛に戻るだけ。
しかし、陸軍の軍縮はそうでは無い、容易に政情不安に繋がる。

軍隊で鍛え抜かれたホームレスが何を考えるのか?
家康も、その辺の事を良く考えて無かった気がするんですよ?
そういう行き場を失った牢人の憤り、恨み、怨念が無ければ大阪城に大量の牢人が入城する
事も無かったでしょうし。
0883人間七七四年2018/08/08(水) 07:30:30.82ID:xtxA30nX
>>882
そういう人は一部の年寄りだけだよ。
城攻めのための仕寄りの作り方もわからなくなってたんだから。
0884人間七七四年2018/08/08(水) 07:51:06.61ID:J10WfnUQ
>>882
相当数が海外へ流れて迷惑をかけたので諸外国から文句が来て、
家康は現地で勝手に処分して良いと返答している
0885人間七七四年2018/08/08(水) 09:56:39.51ID:FzU/QGpI
考えると、戦国時代前半までは兵農未分離だから普通に牢人したら帰農してたんだよね。
だけど、織田豊臣が専業兵士にしたから牢人問題が出て来た訳で。

古代ローマなんかでも、兵役が職業に変わって以降は退役後の土地問題が出て来た。
カエサルなんかでも、元部下を軍団ごと入植させて作った都市とか有るし。
職業兵士を無保証で放り出したら治安上の問題に成るしね。

多分、大阪の陣の時は勝算の少ない大阪城に入城した牢人の心情なんて理解してない
気がしますね。
理解してれば、末期養子の禁なんてやらないでしょう。
0886人間七七四年2018/08/08(水) 10:16:45.15ID:FWxp7Ntj
浪人って要は失業者だよ
特殊に考え過ぎ

全国各地で軍拡してたのをやめるんだから当然失業者は出る
お上からしたらその心情とかどうでもいいし世情を騒がすなら取り締まるだけ

何が起こるのか?大して何も起きてないよ
大阪に篭ったりあちこちで騒ぎ起こしたってもそんなんこれまではもっと大規模で制御不能に起きてたことじゃん
0887人間七七四年2018/08/08(水) 11:24:44.44ID:bIMLath4
江戸幕府は初期こそ諸侯統制のために改易や減封を繰り返して牢人を増やしたかも知れんが
大坂の陣以降牢人が起こした島原の乱や慶安の変承応の変などの騒動もうまく鎮圧して
その後は末期養子の禁も緩和して各藩に牢人の採用を奨励するなど体制固めと
文治政治への転換に成功している

これ、後の明治政府が士族の反乱を各個撃破してその都度体制を強化していったのと
みごとに共通しているんだよな
明治政府こそ武士からしたら理不尽なことしたわけだから
要は体制の変革期で必ず発生する反作用(大坂の陣もそう)にどう対処するかなんで、
そこで政権の力量が問われるんだが江戸幕府も明治政府もかなりうまくやった
むしろ武士を一切否定した明治政府より同じ武家体制下でできるだけの配慮をした
江戸幕府のほうがよほど心情に寄り添ってると思えるけどね
0888人間七七四年2018/08/08(水) 17:59:03.66ID:DIvFb7BK
>>882
上杉や毛利みたいに西軍大名を大減封で留めておけば大量の浪人は出なかったかもな
ガチで反徳川なのは石田や宇喜多ら少数だろうし
0889人間七七四年2018/08/08(水) 20:33:57.85ID:GpfP+mIT
>>888
それはそれで「ここまでやってもこの程度で済むのなら…」みたいになって
モラルハザードが進み、中央政権の統制がきかなくなるって問題が発生するがな
というか、それって戦国時代の復活じゃないの?
中央政権である室町幕府の秩序が完全崩壊して、幕府が有力大名によって
都合よく利用されるだけの存在になっちゃった時代と変わらん事になりそう
0890人間七七四年2018/08/08(水) 21:48:32.63ID:fja7RRLN
長年の内戦状態の結果、武士階級かなりいるからなぁ
江戸時代に入ってすら多すぎるといってもいい状態だし

この辺はもう帰農なりなんなりで減らさないと、今度はこの層食わせる生産階級がつぶれるだろうし
0891人間七七四年2018/08/08(水) 21:52:25.26ID:xiowr2gD
家康は政権取ると猛烈な勢いで新田作って猛烈な勢いで帰農させてて実際帰農した連中もかなりいるんだけどそれでも足りなかった。
0892人間七七四年2018/08/08(水) 22:12:09.78ID:FWxp7Ntj
太平の世に移行するってことは大量の戦闘員が解雇されるってことだ

そこは天下人が誰だろうと絶対に起きる
というかそれができなければ大量の戦闘員とその活躍の場が残ってるってことだ
0893人間七七四年2018/08/08(水) 23:03:14.84ID:Lc9Ccnd+
秀吉「仕官もせず農業も手に職もない浪人は村から追い出して野垂れ死にさせろ」

代官と大名と農村が土地用意した上に食住を負担し新田は数年間無税、場合によれば永年減税と
至れり尽くせりで帰農の道を確保した江戸時代各々の温情には涙が出てくるな
0894人間七七四年2018/08/08(水) 23:06:35.30ID:Lc9Ccnd+
そもそも第一に新領地得たものも増員しないと両地経営が回らないので仕官を一定数は募る
特に有能なものは取り合いで大名重臣や幕臣になったものも多数
平和になった分の軍縮であぶれるものは当然出てくるが次は帰農の道が待っている
戦国末期から江戸前期にかけては農村は新田開発真っ盛りの高度成長期でどこもかしこも深刻な人手不足で
代官と大名と農村が土地用意した上に食住を負担し新田は数年間無税、場合によれば永年減税と至れり尽くせりで人材確保の必死
人返し条約結んでる大名同士間でも逃散してきた農民を親戚頼ってきた正規の移民だからとかなんとか理屈付けて返さないくらい
軍縮してもなお軍人及び支配階級の割合の多さは江戸時代通じて問題だったくらいで侍自体もういらない
仕官できる能力も伝手もなく好待遇での帰農もいやだなんてのは、なんか起こしたらぶっ叩く以外政府にはどうしようもない
0895人間七七四年2018/08/08(水) 23:07:32.74ID:s5LaKSJZ
家康が浪人雇用を一定数義務付けたって話も聞いたけどどうなんだろう
0896人間七七四年2018/08/10(金) 17:35:14.22ID:8ev1F2Vr
>>887
大坂の陣の教訓の理解出来ずに、慶安事件で初めて破綻を悟ったって感じに見える。
家康って、数にすれば数百程度しか居ない三河譜代しか信じて無いんで、それ以外の大名は全て
取り潰したいって考えに見えます。

結局、末期養子の禁の緩和が政策的な敗北だと思うんよ。
なんせ、外様の上杉家を取り潰す機会を幕府が自分て潰したんだからね。
0897人間七七四年2018/08/10(金) 18:20:22.37ID:0jNqMaTi
豊臣家を潰すというより、帰農もせず、今後の治安不安に繋がりかねない浪人を一気に抹殺するねらいですか
0898人間七七四年2018/08/10(金) 18:21:30.41ID:YMe95oBI
>>896
上杉に限れば保科正之の尽力だろう
0899人間七七四年2018/08/10(金) 18:23:13.67ID:YMe95oBI
>>896
上杉に限れば潰して得られる30万石に対して発生する浪人が100万石規模なのも割に合わんのかも
0900人間七七四年2018/08/10(金) 18:50:05.68ID:S6F0p8xB
あの時点で上杉氏を潰すことに政策的な意味がすでに薄かったでしょ
逆に上杉氏を改易しなかったことによる幕府の損害ってなによ?

末期養子の禁止は政権初期には特権階級の数を減らし幕府服従させるのに役立った
でも世の中が治ってそれ以上締め上げる必要なくなったら無用になったら緩和されたってだけでは?
0901人間七七四年2018/08/10(金) 18:55:50.28ID:0jNqMaTi
酒井忠清の考えは次のようになる。
無嗣を理由に、上杉家を取り潰すのは、「余りに勿体無い」ことであり、罰して取り潰すのは簡単だが、罰せず徳川家のために働かせるのが幕府の利益に繋がる、と。
0902人間七七四年2018/08/10(金) 21:11:37.19ID:xoUvPnw5
江戸時代という長い時代の政策を、全部一貫してるとみるのは無理あるよね
時間がたてば状況が変わるんだからそりゃ今まで出してたお触れを緩和したりもするよね

幕府成立からその緩和までで50年近くは経ってるんじゃね?
0903人間七七四年2018/08/10(金) 21:36:22.32ID:90dyirpA
何が破綻してて何が敗北かさっぱりだ
0904人間七七四年2018/08/10(金) 22:12:19.30ID:GeN34HX9
まったくだ。江戸城開城の後まで徳川家に尽くした上杉家を潰した方が良かったとか、先が見えない盆暗だわ
0905人間七七四年2018/08/10(金) 22:33:10.26ID:rw7loKPq
そもそも250年以上続いた体制の終焉を初期の政策から導き出そうとすること自体がどうなのよって話
0906人間七七四年2018/08/12(日) 09:58:03.72ID:XSOvzmpB
自民党は江戸幕府を超えられるのか
0907人間七七四年2018/08/12(日) 23:56:26.36ID:oESOAyjM
まだ半世紀くらいだから道のりは長い
0908人間七七四年2018/08/13(月) 20:04:53.70ID:ynI3Vtyo
何度か政権交代してるだろ
3回ほど
どれも短期で終了だったけど
今の自民は第4期自民か
かれこれ6年ほど。まだ短い
0909人間七七四年2018/08/14(火) 19:50:03.95ID:qyVtuJJH
政権交代いうても結局自民系だしな
派閥争いの延長でしかない
0910人間七七四年2018/08/15(水) 02:05:23.92ID:YhjE7V5K
当時の豊臣家の勢力で摂津、河内、和泉の3カ国と言われてるけど実際どこまで豊臣家の直轄地だったの?
名目上豊臣領でも幕府が押さてて豊臣の実質的な支配地域は摂津の一部だと勝手に思ってたんだけど実際のところどうなんでしょうか
0911人間七七四年2018/08/15(水) 05:22:22.87ID:A6OXAj1j
豊臣譜代の土地も込みやろ?
七手組とか
0912人間七七四年2018/08/15(水) 20:52:41.70ID:YhjE7V5K
例えば岸和田城だと小出吉政が当時居たみたいだけど小出って豊臣方ではなかった気がする

というか大坂城の支城ってあったっけ
0913人間七七四年2018/08/15(水) 22:35:47.56ID:6uS6iOg3
>>912
片桐兄弟も城持ちだったけど大野治長とか他の重臣連中はどうだったんだろうね
0914人間七七四年2018/08/17(金) 17:59:39.49ID:PVLVc1dc
>>910
北条家なんかもずっと狭山にいたはずだからなあ
摂河泉の小藩連中は美濃の織田秀信のように豊臣を一応盟主と仰いでいたのかガン無視してたのか
0915人間七七四年2018/08/18(土) 00:55:50.39ID:JxwMx5rc
>>850
家康が許しても秀忠は確実に豊臣の息の根を止めると思うけどな
秀忠は皇室にすら超強気で挑発しまくりだから、家康のように甘くない
0916人間七七四年2018/08/19(日) 23:37:06.59ID:vQ9IvdCB
>>915
秀忠ってその辺り家康以上に厳しくて絶対になぁなぁでは済まさないよね
福島正則の改易の話でも、もちろん悪いのは百パー正則なんだけど
本多正純が事なかれ的に処理しようとする中厳罰に処すって態度取り続けてるし

自分で自領の年貢徴集すら自前でままならないっていう状態の豊臣家が何もなしに済むかというと多分厳しい
0917人間七七四年2018/08/20(月) 04:37:02.00ID:rrf4O4Jr
>>915
宋代の柴氏とは、大分条件が違うってのも事実では有るんだよ。
後周王朝の版図は黄河流域だけで、地方政権は盟主と仰いでただけですからね。
大体の目安として唐の最盛期で350州前後、そんで五代の王朝は黄河流域で70〜80州程度
ですから。
つまり、趙匡胤が下剋上して無ければ全国統一は無理で乱世が続いただろうって予想は誰でも
予想できます。

丁度、立場的には秀吉に近いんだよね、趙匡胤。だから柴氏が旧主でもまあ礼遇してれば批難を
受け難い立場ではあります。

豊臣家は全国政権だし、秀吉死後乱世に成った訳でも無いからどうしても徳川の立場が悪いのは
事実なんだよな。
0918人間七七四年2018/08/20(月) 06:38:02.01ID:kJtewbxW
病人登場
0919人間七七四年2018/08/29(水) 22:09:15.90ID:V+vty8DA
幸長、清正が生きてれば正則もやる気になっただろ
0920人間七七四年2018/08/29(水) 22:26:04.28ID:hN7iYod7
>>919
幸長も清正も家康の親族なんだがね
0921人間七七四年2018/08/29(水) 22:29:46.47ID:JxryjBoG
義直と頼宣の妻の実家だな
0922人間七七四年2018/08/29(水) 23:03:24.57ID:okaCRv9S
豊臣だって親族だよ
0923人間七七四年2018/08/29(水) 23:07:37.13ID:hN7iYod7
秀頼とはほぼ他人
0924人間七七四年2018/08/29(水) 23:33:02.61ID:vDpNMkve
>>914
いない
狭山の陣屋が出来たのは戦後

多分久宝寺屋敷(織田信雄元屋敷の払い下げ)が丸焼けになったんだと思う
0925人間七七四年2018/08/29(水) 23:59:31.75ID:rO/Me/sI
豊臣恩顧と呼ばれる大名達が生きてても秀頼のために戦うより
秀頼に頭下げさせようとする奴の方が多いんじゃないかな
0926人間七七四年2018/08/30(木) 00:22:52.87ID:R8zzdtlR
実際頭下げるところまでがっつりセッティングされたのが二条城の会見じゃね?

当の本人がわかってなかった可能性あるけども
0927人間七七四年2018/08/30(木) 07:27:06.54ID:n2yX11P4
子飼いみたいな小者じゃ無理だわ
秀長、蒲生、堀、蜂須賀くらい揃ってないと
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。