>>895
・例えば堅田元慶宛蜂須賀家政書状において、蜂須賀家政は毛利輝元に対し三成謀反に同調しないよう諫めている。
 複数の史料によって当時三成挙兵は謀反とみなされており、榊原康正書状は戦中戦後の豊臣家の動きと矛盾しない。
 逆に東軍を討て、という史料は存在しない。ゼロがイチを否定する事は出来ない。
・両賭けをしていた根拠を史料で示すべき。豊臣家が西軍に賭けていた史料はない。
・例えば福島と石田が不仲であった根拠は何か?小説ではないのか?史料は存在しない。
・加藤は不仲だった可能性があるが、加藤は九州におり、会津征伐に同行したわけではない。
・史料に基づいた推測なら理解できるが、西軍支持の史料が全く存在しないのに、そう判断する事がおかしい。
 それを妄想という。
・政治判断が欠けようが、豊臣家の旗幟は重要。内府違いの条々に豊臣家の花押が押されていたら、展開はまるで違うだろう。