>>857
厳密にいえば謀反ではなく、朝鮮出兵をやめさせようとした。
浅野幸長が秀次に朝鮮の悲惨な状況を報告し、木村重これ、池田輝政、
前野長康らが朝鮮出兵停止に立ち上がるよう勧めたと言われている。
木村、前野は秀次とともに族滅、池田輝政は永蟄居、浅野幸長は能登に
配流となった。池田も族滅のつもりだったが、義父の徳川家康が助命嘆願を
必死でしたため、永蟄居となった。

なお、秀吉の死後、田中吉政が呼びかけ人となり、池田輝政を頭と頂き
秀次残党という反豊臣のグループができ活動したが、誰も処罰できなかった。
なお、石田三成を襲撃した首謀者の細川忠興も秀次の残党。