>>580
大名の自治権を侵害してるわけで、蔵入地のことも含めたら潜在的な反発があったことだろうな
そこまでやるなら大名を廃止して中央任命の官僚を派遣して全国直接統治でもすべきだったろうに
できなかったのが豊臣政権の限界、中途半端な中央集権志向が封建制への揺り戻しの余地を残した

秀頼成人まで10年はあろうにその間一門でも譜代重恩でもない同床異夢の大諸侯連合で波風立てず
政権を運営できたと考えているならそれこそお花畑、そんな道を選ばざるを得なかった時点で豊臣
政権は事実上崩壊したも同じ
そういえば三成の遺言破りは大日本史料の毛利家文書がれっきとした出典なんだが都合の悪いことは
何でも創作扱いですか、へー

関ヶ原の直後に九条兼孝が関白に再任してるのは何で?朝廷が関白を天下人の地位として豊臣氏の
独占と見なしていたのであれば藤原氏を関白に復帰させるはずはないだろう
秀頼成人までの繋ぎというのを理由にして、豊臣側の反対を押し切って家康が強行したと言うんだ
ろうがそれが通ったということが重要で、恐らく関ヶ原以前なら難しかったろうことができるほど
の、ある意味秀吉並みの威権を家康が獲得したことを意味するんだからいやはや三成はたいした
「忠義者」だよ
それに五摂家への関白返還、具体的には近衛信輔の関白就任は関白相論の際秀吉自身が約束してた
んだから家康はその約束を征夷大将軍就任後の慶長10年に履行したわけだし天皇や近衛信輔がそれを
辞退しなかったのは彼らの中で「関白=天下人の地位=豊臣氏の独占」という図式がもはや存在
しなかったことも意味する
まああわよくば「関白=天下人の地位」はそのままに天皇→(豊臣家を含む)六摂家の関白による
建武政権の再来を期待したのかも知れんが、恐らくそれよりは700年の伝統を有する関白職を取り
返したいというのと、秀吉のせいで停滞し、混乱した公家の任官秩序を取り戻したいというのが
大きかっただろう、彼らにとって(三成が起こしてくれた関ヶ原のおかげで)事実上の天下人と
なった家康の前では豊臣家など何の感傷もない存在だった
つまりは関白相論以来秀吉が詐取した関白職と、武家を官位で序列化しようとした施策の反作用だ
ったんで、この秀吉の一連の経緯のほっぽらかしが特に秀次粛正以降の豊臣家に災いをもたらしたと
以前から言ってる
あ、江戸幕府開幕後も豊臣家に一定の権威があったとかの二重公儀論的なオハナシはもう聞き飽きた
よ、現実に自前の力と組織で政権を維持できなくなった豊臣家に関してそれを言うのは豊臣家自体
を哀れな存在にするだけだから