【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ4【秀頼・秀次】 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2017/07/02(日) 20:30:52.17ID:POF0I7iNあるいは研究者・論文まで、豊臣氏、羽柴家に関する話題を
肯定、否定的意見を含め包括して語る総合スレです。
都合が悪くなったり反論できなくなったりしたら
コピペ連投やレッテル貼りして逃げるのはやめましょう
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は指名してください
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【秀吉・秀長】豊臣家総合スレ3【秀頼・秀次】
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0527人間七七四年
2018/01/08(月) 02:12:11.16ID:oyzq1GESもちろん官位は建前上必要だけど、結局は実力ありきだよな
秀頼にはそれがなかった
秀吉は没するまでに力も人望もなかった
0528人間七七四年
2018/01/08(月) 02:19:09.97ID:oyzq1GESそれだけの話
一度に失ったわけではない
徐々にその地位を他家から見限られていた
そのようになるまえに手を打てない、手を打たない
上にたつ意識がないよな
0529人間七七四年
2018/01/08(月) 10:00:49.85ID:Kfw6VoNQそんなの闇将軍が日本の首相だといっているようなものだぞ
力の有無で家臣は言うことを聞いたり聞かなかったりするが、
足利義昭のように将軍の地位で包囲網を築けたりする。
官位ってのは重要だよ。実力政治家がいようと日本の首相ならトップだ。
秀吉も関白と言う肩書きで外交的に天下を統一したんだしな
0530人間七七四年
2018/01/08(月) 10:51:38.55ID:oyzq1GESパワーバランス、その一言につきる
足利という歴代にわたった実力者と、わずか二代目で滅した豊臣と比べるだけでも無理があるよ
0531人間七七四年
2018/01/08(月) 11:19:44.28ID:Kfw6VoNQ主家簒奪者が天皇に臣下の礼をとり、代理たる関白の命令に従えと宣言したから各地の戦国大名は天皇に臣下の礼をとったわけだし。
1588年と1592年に聚楽第行幸をして、2度も天皇への臣従を誓っている。
それを豊臣は俺の家臣だと勘違いしたわけで、滅びるのも致しかたなしって感じだな。
室町や鎌倉の場合は天皇と武家は対立していて、独自に組織をつくったけど、秀吉はそうじゃない
天皇の権威あっての豊臣公儀。惣無事令と2度の聚楽第行幸あっての豊臣公儀だ
太政大臣の死後に内大臣が公儀を運営し、征夷大将軍が任命されて武家政治に戻るのも当然と言える
0532人間七七四年
2018/01/08(月) 11:41:30.16ID:oyzq1GESそうそう、まさにそんな感じだよね
武家にしてみたら過去の武家は公家の犬扱いされていた時代に戻るなんて願い下げだしね
力で公家のみならず他家他領をしたがえてきた実績からすれば建前だけそろえれば自分が差配できる立場につけるならうまくやるだろうしさ。
建前としての官位、そしておさえつけるだけの力、これをそろえたのがトップたりえたよなあ
どちらかとか、持ってない武家公家は従うがわになるしかない
0533人間七七四年
2018/01/08(月) 23:19:52.86ID:P2QLajdf御掟は法律、五大老全員が署名して発行したもの。
秀頼よろしくとかは遺言であるが、御掟違反は明確法律違反。
>>531
秀吉の武力と天皇の権威による体制だぞ。
家康は愚かだったのでまた時代を戻してしまった。明治維新まで新体制を待たなければならなくなった
>>532
公家は排除傾向だろ、大臣クラスの公家はいなくなっていた。
頭を下げるのは天皇と関白のみ
0534人間七七四年
2018/01/08(月) 23:35:41.99ID:oyzq1GES天皇に従い、武力は徳川が担うようになったと言うだけの話
0535人間七七四年
2018/01/08(月) 23:37:17.31ID:P2QLajdfつか大阪でも寡兵の浪人連中にあの始末だから酷い
0536人間七七四年
2018/01/08(月) 23:48:19.31ID:oyzq1GESすこしは現実みたらいいと思う
0537人間七七四年
2018/01/08(月) 23:50:20.79ID:oyzq1GES幕末は徳川の時代がおわったというだけの話
栄枯盛衰、ただそれだけ
0538人間七七四年
2018/01/08(月) 23:55:29.24ID:HxF0YXe4幕府海軍は長州戦でちょこっと出番あったけど
幕府陸軍は戦う場すら与えられず敗戦
0539人間七七四年
2018/01/09(火) 00:41:28.19ID:OHCkh3Syそれ以前に徳川の威光が通じなくなってるあたりに陰りが大きくなってる
その時点で足利末期みたいなもんだよ
250年もたせたのはスゴイけど仕方ない。
0540人間七七四年
2018/01/09(火) 09:36:04.04ID:apuJJeFf源も足利も徳川も日本の政府だったけどみんな滅んだ。世界をみても1000年前の国家で残っている国のほうが少ない
0541人間七七四年
2018/01/09(火) 09:45:13.02ID:apuJJeFfたった13年だし記録的な短命政府。
でもやったことは
帝の権威を背景に外交的に日本を統一し
主家を改易し
2度も外征に失敗し、
関白左大臣を殺害し、
右大臣を流罪にしとすさまじい
0542人間七七四年
2018/01/09(火) 10:22:14.94ID:JQhr6Lbzそして本流の外戚が力をつけていき本流を駆逐する
または完全な外部勢力に駆逐される
0543人間七七四年
2018/01/09(火) 11:23:47.36ID:nhkjdKwZそんなこといったらナポレオン帝国も10年ほどだし
第一統領時代をいれても12年の短命政権だったけど、与えた影響力ははかりしれないよ
0544人間七七四年
2018/01/09(火) 12:03:05.74ID:JQhr6Lbz津軽さんだの南部さんだのろくにしられていない人からしたら比較にならないレベルだしいいじゃん
0545人間七七四年
2018/01/09(火) 12:33:55.76ID:OxWyQBq+秀吉はそういう画期的な何かを遺したとは到底言えないな
関白を横取りし、諸大名を無理やり宮廷秩序内に組み入れることで天皇権威を利用して出自の卑しさをカバーし
主家凌駕を正当化しようとしただけだ
そこから何か画期的な朝廷改革(関白に代わる新たな天皇代理人職の創設、征夷大将軍の廃止等)をしたわけでもなく
やったことと言えば旧来の官位秩序に乗っかっただけの行き当たりばったりな独裁体制、従来の構造は何一つ変えておらず
混乱と動揺を遺しただけ
大体諸大名と軍事力の分離も果たせていないのに何が明治維新の先駆けだよ、>>480や>>523みたいな
妄想はさすが無智無教養の秀吉信者だけのことはある
0546人間七七四年
2018/01/09(火) 13:44:32.74ID:JQhr6Lbz優秀な部下のいうことをよくきいて日本人好みの成り上がりを体現した。
晩年そういう部下を切り捨て、無能な内外政をおこない評価をさげた。
本人がたいしたことがなくてもまわりがもり立ててくれた好例だなと。
結局身内で陣営をかためるのをおこたったのが痛い
0547人間七七四年
2018/01/09(火) 14:09:37.95ID:apuJJeFf無職を拾って幹部にしてやったら、自分の死後に1周忌もたってないのに
自分の妻や息子や孫娘や妹を破滅させられ、自分が一生かけて育てた会社を乗っ取られ
自分の娘を愛人にされる。
これが日本的成り上がりなわけがない。
0548人間七七四年
2018/01/09(火) 18:19:00.99ID:LzHPTRZS社長側からすればな
成り上がりが好きなのは日本人気質に合致する
だから平サラリーマンからとか支持される設定だよ
ただ晩年のクソさがひどいので、ああはなりたくないの典型でもある
結局は創作の絵本太閤記ありきの人望だわな
0549人間七七四年
2018/01/09(火) 19:16:35.23ID:apuJJeFf信長が死んだ翌年に、信長の奥さんと孫娘をはりつけにして串刺しだぞ
関白の子供や奥さんを殺しまくった片鱗は1583年にすでにあらわれている
0550人間七七四年
2018/01/09(火) 19:20:08.81ID:apuJJeFf爺さんにとっては可愛くてたまらない年頃
秀次のときの女子供皆殺しと同じことを1583年の信長の喪中にやっている
0551人間七七四年
2018/01/09(火) 22:13:32.34ID:Q73PyeXf総無事令、刀狩、海賊禁止令、喧嘩停止令、関所廃止、太閤検地、御掟、国替え、山城禁止令、廃城令、城下町つくり、
むしろ江戸幕府って何もしてないよな。秀吉の政策の後追いしただけ
0552人間七七四年
2018/01/09(火) 22:35:42.74ID:upQwv9J5ああいう奸臣を雇い入れたら築き上げたものは全て無に帰すという教訓を豊臣は残したと言える
0553人間七七四年
2018/01/09(火) 22:50:20.30ID:apuJJeFf関白の殺害、これは聚楽第行幸で得ていた豊臣の正統性を失わせた
徳川、島津、上杉、最上、伊達、長宗我部など豊臣に恨みを持つ戦国大名が多い
三成のような讒言をする奸臣が幅をきかせている
最高位の官職である内大臣が豊臣に恨みをもつ徳川家康
豊臣は主家を簒奪して成立した成り上がりの逆臣で忠義に値しない
豊臣の血筋がもともと悪い
一門がいない
譜代の家臣がいない
以上から長続きしないだろうね
0554人間七七四年
2018/01/09(火) 22:56:27.97ID:apuJJeFf公家の最高位の大臣の右大臣菊亭は娘を殺され流罪にされた人
秀頼の托卵疑惑。秀吉自身が疑いの手紙を書いているし九州にいるのになぜと家康らも疑っているだろう。
0556人間七七四年
2018/01/10(水) 05:00:26.75ID:Bu/yEsvxそういう個々の政策面でのこと言ってるんじゃなくて、関白になりながら公武を統合し封建制を脱却するような
方向性、たとえばヨーロッパの絶対王政(平民からも登用する官僚制の整備、王朝直属の常備軍設置等)へ志向する
ようなそれがなく、旧来の世襲封建領主の権益をほぼそのままにただ朝廷の官位秩序で序列化しただけということ
これは秀吉のようなカリスマ創業者が中央にいれば機能するんだろうが、死後は封建原理が残っているので石高の少ない
豊臣家は相対的に中央政権としての求心力を失いやすいことになる、室町の再来だ
秀吉は死ぬまでに何としても豊臣家の充実を図らねばならなかったが、秀次一族を粛清し秀長家を潰すなど
豊臣家を弱体化させることしかやっていない
これでは惣無事令一つとっても秀吉死後守られ続けたかどうか疑わしい
実際豊臣信者も認めるように家康一人が動けば動揺するような脆弱な「天下安定」だったわけだから
無論家康だけが能動的だったなんてことはないが
0557人間七七四年
2018/01/10(水) 05:04:41.34ID:LOx7uOrp0558人間七七四年
2018/01/10(水) 05:16:13.41ID:Qx6ACSeD独裁政権の政策もどきは全てそこに帰結する
長続きさせるビジョンなんて元から存在しない
0559人間七七四年
2018/01/10(水) 05:38:15.20ID:fbikLDik淀の方は九州に同行してました
0560人間七七四年
2018/01/10(水) 06:50:06.29ID:LOx7uOrp確かにね
恩賞確保のために唐入りしてるけど、そのためだけに戦争してる感が否めない
立ち止まれない秀吉さん無理筋おかまいなしって感じ
せめて攻め切れていたならねえ。
逆に攻めないでまとめあげた徳川をみると、とにかく上から押さえ込むのもひとつの手ではあるなと思う
0561人間七七四年
2018/01/10(水) 07:43:34.59ID:V6Xcb2zg秀頼が幼少のため、よりにもよって五大老に政治権力の一部を委譲してしまった
それがなければ五大老はそもそも中央政治に口出しできなかった
0562人間七七四年
2018/01/10(水) 08:37:34.85ID:ZHOf0+4Gそれでも不確定要素があるのは否めない
何しろ諸大名が武力を握る封建制を残したままで豊臣家は関白の権威と官位序列化だけで君臨しようという体制だから
政権安定のためには秀次以降が諸大名から武力を取り上げて封建制を終わらせ中央集権化を図るとか(明治維新や
ヨーロッパ絶対王政がそれ)
関ヶ原後の家康がそうしたように諸大名の領地を大幅に削減して豊臣家一家だけで他を圧する領地(=武力)を持つようにするか
いずれにしてももう一波乱二波乱ないとかなり厳しいんじゃないかと思う
秀吉はそこを唐入りすることで打開しようとしたのかも知れないけど、如何せん自身の持ち時間が少なかった
0563人間七七四年
2018/01/10(水) 10:43:57.16ID:7deGOS8I秀次を残していれば、聚楽第行幸で得ていた大義名分は保たれたな。
豊臣は諸大名に天皇へ忠誠を誓わせて、天皇の臣下に組み込むことで、関白の自分が威張るという体制だったから、
関白を殺した件は豊臣公儀にとっては大打撃だった。
でも徳川、伊達、上杉、長宗我部、島津など豊臣に恨みをもつ戦国大名が多く
堀、毛利など豊臣に義理のない家ばかりだから、長続きはしないだろうな。
三成が豊臣家の恩とかいっても失笑もの
0564人間七七四年
2018/01/10(水) 14:14:09.55ID:YBtbJPwF0565人間七七四年
2018/01/10(水) 14:29:12.50ID:Ti6Rzg2Kあるいは相模三浦氏滅亡の原因になった三浦道寸と三浦高教
どちらも親戚の前者を後継者にした後で嫡子の後者が生まれ、大乱を呼び一族滅亡の端緒となった
跡目相続において衰亡を決定付ける最悪の展開
歴史を知っている大名(家康とか細川とか)ならこれで豊臣家はかなりやばいことになると思っただろう
0567人間七七四年
2018/01/10(水) 17:07:26.87ID:7deGOS8I秀頼=足利義尚
秀次=足利義視
たしかに構図が似ている。
0568人間七七四年
2018/01/10(水) 17:09:38.80ID:7deGOS8I戦国大名だった徳川、毛利、上杉、島津、伊達らのほとんどが豊臣なんてどうでもいいってのが本音だから
応仁の乱よりひどい構図か?
0569人間七七四年
2018/01/10(水) 17:41:41.98ID:BiMZH9bV0570人間七七四年
2018/01/10(水) 23:17:19.50ID:ddoBfwVQ秀吉が関白になって公武合体となり、領地は全て天皇のものとなり、秀吉の一存で大大名でも一夜で領地がなくなるという絶対権力をもち、
土地もっていた武士は全部大名の官僚となり、大名は天皇関白に任命された知事になっている。
土地から武力が切り離されているんだよ。秀吉の時代にね。太閤検地がなんで行われたのかというと所得を調べるだけじゃなくて、土地と武士を分離するために行われたんだよ
で、そういう時代を回天させていたのを家康がもとに戻しただけ。
ついでに秀次の領土も秀長も領土もみんな豊臣家の直轄地になっているんだが?
豊臣家の倉入り地は220万石ほどと言われているが、それに鉱山や米の専売権なども持ってるから経済力は全盛期の江戸幕府以上とも言われている。
それを家康が関ケ原の恩賞ってことでみんな配ったんだよ、
池田とか浅野とかあれもともと豊臣の直轄地だからな。
0571人間七七四年
2018/01/11(木) 00:05:15.39ID:f03BNFdM0572人間七七四年
2018/01/11(木) 01:41:11.47ID:/OUWFIQB0573人間七七四年
2018/01/11(木) 05:04:55.52ID:f38RcdTQあのー世襲と家内主従を基軸とする各大名の領国自治と軍事力がセットになったままだったという意味で言ってるんだけど
で、どうしても家康ガーしたいみたいだけど現役関白を殺して政権トップを空位にし、そのまま死んで政権を
空洞化させ、事実上自壊させたのは秀吉自身なんだが
そこで遺言により政務執行者とされた家康が政権のイニシアチブをとろうとしたところを干されていた三成が挙兵して
大乱を起こし、結果的に家康の覇権確立をアシストした
ここで重要なのは豊臣政権の権威の源泉であった朝廷が征夷大将軍就任を家康に打診したことで、
関白を媒介にして天皇に忠誠を誓わせて公武統一を果たすという豊臣政権の建前を当の朝廷(天皇及び藤原氏等の
公家衆)はさほどに重視しておらず、依然として武家は武家として覇権を確立した家康を天下人として認め、
豊臣政権を天下人たる統治能力を失ったとしてあっさり切り捨てたということだ
つまりは豊臣政権の崩壊には三成と朝廷も荷担していたとも言えるんで、家康一人に責を追わせようというのは
近視眼的に過ぎる
あと経済力に関しては、まあー豊臣政権は二公一民とも言われる重税を課して搾取しまくってたしねー、藤堂高虎も
その苛政に辟易して豊臣に愛想を尽かして家康に接近したとも言われるくらいだし
江戸幕府は吉宗の頃までは概ね四公六民の穏やかな統治ですから、そりゃ苛斂誅求の豊臣政権にはかないませんわ
0574人間七七四年
2018/01/11(木) 05:48:29.33ID:/OUWFIQB単に租税の基準を中央集権側が把握した体をなしただけ。
システム化したようにみえるが単発花火みたいなもんだし
0575人間七七四年
2018/01/11(木) 09:26:41.76ID:h12/bJu0豊臣の関白殺害の意味を理解できない。
そして遺言で公儀を運営する内大臣に謀反をおこした石田三成も理解できないし、
1601年以降に次々に関白任命される意味も、
1603年の征夷大将軍の任命の意味も理解できないし
1614年、関白左大臣鷹司、右大臣征夷大将軍徳川のとき、
公儀にテロをおこなって謀反をおこした豊臣秀頼も理解できない。
理解していないから、石田三成は忠臣とか
徳川が乗っ取ったとかトンチンカンなことを言う。
惣無事と聚楽第行幸こそが、主家を横領し簒奪した豊臣と言う逆臣に大義を与えたんだよ。
豊臣が関白を殺し、太政大臣が死んだ時点で豊臣には逆臣という事実しか残らない
0576人間七七四年
2018/01/11(木) 13:22:27.56ID:6Od3PKRKどんだけ家康をお人好しにしたいんだか
家康がそんなにお人好しだったらむしろ徳川家中から反発を喰らうわ
もともと徳川家は同盟者だった織田家の家臣だった秀吉など下に見ており、その秀吉が織田家を足蹴にしてるのに
憤っていたのは小牧の陣のときの榊原康政の檄文見てもわかる、あれは政略的な意味も超えた秀吉に対する徳川家中の
認識だったといっていい
だから秀吉死後に豊臣政権が空洞化したとき「いまこそ我が君が天下人たるべきである」と勢い立ったのは容易に
想像できる、つまり家康一人の野心などというより、あの秀吉も羨むほど主君への忠義と無私をもち、三成のような
腰ぎんちゃくの出しゃばりなどほぼ皆無な、関ヶ原後人材がいなさすぎて豊臣家の行政まで肩代わりしていたほど
文武に充実した「徳川家」の総意だったと言える
秀吉死後の豊臣家と徳川家では組織と人材の質も量も懸絶していて話にならず、豊臣家が政権を担当しようと
するなら徳川家をまるごと吸収でもしない限り無理、そして徳川家にもちろんそんな義理はない
0577人間七七四年
2018/01/11(木) 14:25:51.42ID:/OUWFIQB0578人間七七四年
2018/01/11(木) 21:27:24.67ID:whJvJRoi豊臣政権が各地の諸大名を鉢植え大名化しようとしたから
それに対する反発もあっただろうな
それをうまく利用して家康は封建的な体制に巻き戻した
0579人間七七四年
2018/01/11(木) 21:41:18.92ID:xa9tuC+40580人間七七四年
2018/01/11(木) 22:27:14.88ID:fVgrjArt>あのー世襲と家内主従を基軸とする各大名の領国自治と軍事力がセットになったままだったという意味で言ってるんだけど
豊臣政権時代は自治とは名ばかりで、領国経営にもいちいち指示が出される形だよ、ダメな所には指導が入る。
技術的に劣っているなら技術指導が行われる。軍事力も政権が認める形以外では使えない。
>そのまま死んで政権を 空洞化させ、事実上自壊させたのは秀吉自身なんだが
秀吉亡き後は、関白の代わりに大老と奉行が政権を担う形にしているんだよ、秀頼が成人するまでな。
>依然として武家は武家として覇権を確立した家康を天下人として認め、
そもそも朝廷の認識では将軍は天下人ではないのでどうでもいい役職だっただけですよ。
>二公一民
なお税金は豊臣政権のほうが低いぞ、二公一民とかあれは双方が揉めて決まらなかった場合の最高税率にすぎん。
そういう意味なら江戸時代の最高税率は3公0民だ上限など決められていないからどんだけ高い税金でも欠けれるし、実際領民の数割が餓死してもかけた例もある。
なので君は根本的に間違ってますね。江戸時代ほど苛政な時代はない。
0581人間七七四年
2018/01/11(木) 22:33:18.34ID:fVgrjArtそれがそもそも間違い、家康は豊臣家の筆頭家老にすぎず内大臣ということで何かできる立場ではない。
ちなみに家康秀忠はただの秀頼に対する謀反ですよ。
>>576
だから家康は倫理も何もなくただの外道な人間で、恩を仇でかえして主君を討った不忠ものって話ですよ。
ただそれだけの話なのに、家康を無理やり正当化するから無理が出てくるだけの話。
下剋上して何が悪いと開き直ればいいのに、なに屁理屈こねくりまわしてるの?
0582人間七七四年
2018/01/11(木) 22:49:02.65ID:0seqc/Y1すごい分かり易い文章ですね
なるほどなと思った
秀吉も家康も今の感覚でいうと外道
ただ当時の感覚なら至極当然の事したまでだと思う
0584人間七七四年
2018/01/12(金) 14:51:45.47ID:mGgmnfEc大名の自治権を侵害してるわけで、蔵入地のことも含めたら潜在的な反発があったことだろうな
そこまでやるなら大名を廃止して中央任命の官僚を派遣して全国直接統治でもすべきだったろうに
できなかったのが豊臣政権の限界、中途半端な中央集権志向が封建制への揺り戻しの余地を残した
秀頼成人まで10年はあろうにその間一門でも譜代重恩でもない同床異夢の大諸侯連合で波風立てず
政権を運営できたと考えているならそれこそお花畑、そんな道を選ばざるを得なかった時点で豊臣
政権は事実上崩壊したも同じ
そういえば三成の遺言破りは大日本史料の毛利家文書がれっきとした出典なんだが都合の悪いことは
何でも創作扱いですか、へー
関ヶ原の直後に九条兼孝が関白に再任してるのは何で?朝廷が関白を天下人の地位として豊臣氏の
独占と見なしていたのであれば藤原氏を関白に復帰させるはずはないだろう
秀頼成人までの繋ぎというのを理由にして、豊臣側の反対を押し切って家康が強行したと言うんだ
ろうがそれが通ったということが重要で、恐らく関ヶ原以前なら難しかったろうことができるほど
の、ある意味秀吉並みの威権を家康が獲得したことを意味するんだからいやはや三成はたいした
「忠義者」だよ
それに五摂家への関白返還、具体的には近衛信輔の関白就任は関白相論の際秀吉自身が約束してた
んだから家康はその約束を征夷大将軍就任後の慶長10年に履行したわけだし天皇や近衛信輔がそれを
辞退しなかったのは彼らの中で「関白=天下人の地位=豊臣氏の独占」という図式がもはや存在
しなかったことも意味する
まああわよくば「関白=天下人の地位」はそのままに天皇→(豊臣家を含む)六摂家の関白による
建武政権の再来を期待したのかも知れんが、恐らくそれよりは700年の伝統を有する関白職を取り
返したいというのと、秀吉のせいで停滞し、混乱した公家の任官秩序を取り戻したいというのが
大きかっただろう、彼らにとって(三成が起こしてくれた関ヶ原のおかげで)事実上の天下人と
なった家康の前では豊臣家など何の感傷もない存在だった
つまりは関白相論以来秀吉が詐取した関白職と、武家を官位で序列化しようとした施策の反作用だ
ったんで、この秀吉の一連の経緯のほっぽらかしが特に秀次粛正以降の豊臣家に災いをもたらしたと
以前から言ってる
あ、江戸幕府開幕後も豊臣家に一定の権威があったとかの二重公儀論的なオハナシはもう聞き飽きた
よ、現実に自前の力と組織で政権を維持できなくなった豊臣家に関してそれを言うのは豊臣家自体
を哀れな存在にするだけだから
0585人間七七四年
2018/01/12(金) 14:52:07.47ID:mGgmnfEcあらあら、豊臣政権の政策をほぼそのまま踏襲したと主張する江戸幕府の治世を苛政呼ばわりとは、
暗に豊臣の治世は苛政だったと認めてるのね
二公一民が最高税率だろうがそれは十数年しか続かなかった豊臣政権の短い期間のもので、江戸幕府
は260年余も続いてるんだからその間政策的に緩かったり厳しかったりの波があるのは当然、特に
江戸期は地球規模で小氷河期で不作になりやすかったし豊臣政権と同じく押さえた諸国の金銀山も
枯渇していったんだから、豊臣政権が続いたとしてもいずれは税率を上げざるを得なかっただろう、
特に豊臣家は派手好みだしちょっと何かあれば外征起こしかねない危険性を持ってたからね
そういうどうにもならない環境的な要因の中で江戸幕府はよくやったほうだよ、石高制を基調とする
コメ経済だったのは豊臣政権も同じだったし
>>581
そっちがあくまでそう言うならそれでいいよ、それなら秀吉を逆臣呼ばわりするのだって認めてもら
わねばならない
天下統一する前だからとか、織田家を滅ぼしてないからどうのこうのって詭弁も聞き飽きた、秀吉は
倫理も何もなくただの外道な人間でそれこそ本当に信長以来の織田家の恩を仇で返して主家を足蹴に
した人非人の稀代の不忠者だ
何しろ秀吉自身が晩年そのことを自覚して信長の霊を夢にみてガタガタ震えてたらしいからね、これ
利家夜話に出てる話だけど君は創作だと喚くんだろうな
0586人間七七四年
2018/01/12(金) 19:07:38.40ID:6V8/HhW7権力を正しく行使するなら別に奪うことは悪いわけじゃないし
そういう風に思われるのが嫌なら、たとえ秀頼やその周囲がどんな馬鹿をしようが支えていけばいいんだから
それをしないで将軍職についているんだから野心を露にしたわけでしょ
0587人間七七四年
2018/01/12(金) 19:25:40.03ID:RFKly15Aお前個人の感想文になんの価値があるのか
0588人間七七四年
2018/01/12(金) 19:44:31.35ID:T3LmQjcR0589人間七七四年
2018/01/12(金) 22:33:13.11ID:BJjulCpj豊臣だけが特別って訳にはいかんだろうよ
0590人間七七四年
2018/01/12(金) 23:28:37.17ID:Mc0ziH7zこの時点で豊臣の天下は崩壊した
そこから家康が三成を討伐して、その功績で朝廷から将軍職を貰って天下を統治するよう委託されただけ
家康は簒奪したというより無主物となった天下の統治を朝廷から任されたに過ぎない
0591人間七七四年
2018/01/13(土) 02:11:53.97ID:SXCJgnxdこういうやつって
議会で選ばれた政治家が天皇に内閣総理大臣に任命されて政権交代したら不当な簒奪だとか言いそう
家康は
朝廷に選ばれた武家が天皇に征夷大将軍に任命されて政権交代したんだし
0592人間七七四年
2018/01/13(土) 05:56:37.39ID:mfXIf1E7徳川はその時分でその実力をもっていた
否定してもはじまらない
0593人間七七四年
2018/01/13(土) 08:14:02.49ID:ISSwZWF6当時とは違ういまの制度で、なぜ首相が変わることが簒奪になるんかな?
そんな風に考えたりはせんが?
0594人間七七四年
2018/01/13(土) 08:57:57.34ID:NL549GeJ謀反を起こして豊臣家の後継ぎを監禁したのは三成
家康は何も関係ないな
むしろ三成の謀反を鎮圧して関白職を復活させたのだから感謝されるべきだろう
0595人間七七四年
2018/01/13(土) 11:44:37.19ID:SuEGRRwC0596人間七七四年
2018/01/13(土) 16:35:16.14ID:SXCJgnxd家康ら諸大名は、天皇に臣従して忠誠を誓ったわけで、豊臣家の家臣ではない。
主君の天皇が公儀をたくした関白にしたがっているにすぎない。
だから、太政大臣が死んで他の大臣がいなければ内大臣が副総理的に公儀を運営するし
右大臣征夷大将軍に任命されれば、内閣総理大臣に任命されたのと同様に公儀を運営する。
家康は正統な手続きをへている。秀吉の関白殺しは現代で言うなら首相殺しと同じだ
0597人間七七四年
2018/01/13(土) 16:47:50.75ID:SuEGRRwC0598人間七七四年
2018/01/13(土) 16:49:05.67ID:SXCJgnxd諸大名は2度の聚楽第行幸で天皇に忠誠を誓って臣下の礼をとり
主君の天皇の代理である関白の命令に従うことを約束している
この事実がありながら、徳川は豊臣の家臣とかトンチンカンなことを言っているのが石田三成と豊臣信者
とんちんかんな豊臣信者は日本史の教科書か用語集を読み返してくるべき
豊臣は天皇の権威を前提に形成され、外交的手段で諸大名を天皇に臣従させることで成立している
家康が豊臣家の筆頭家老とか言って家来扱いとはお門違いもはなはだしい
0599人間七七四年
2018/01/13(土) 23:10:50.94ID:kTp4ESxj>そこまでやるなら大名を廃止して中央任命の官僚を派遣して全国直接統治でもすべきだったろうに
最終的にはそうなるだろうな。外国と戦争をするなら必然的に中央集権が推し進められる。
だが家康というアホの子がダメにしてしまった。
>秀頼成人まで10年
その間騒動を起こしたのは家康だけ。他の人間は何もしていない。
>秀頼成人までの繋ぎというのを理由にして、豊臣側の反対を押し切って家康が強行したと言うんだ
いや推挙したの家康だよね?しかも豊臣家家老って立場で。当時将軍になどなってないしな。
せっかく公家を政治から排除する流ができていたのに、家康がまたしてもダメにしてしまった。
最もその後家康に裏切られて禁中並び公家諸法度で何もできなくされたんだけどね。
>あ、江戸幕府開幕後も豊臣家に一定の権威があったとかの二重公儀論的なオハナシはもう聞き飽きた
二重公儀?いやそもそも豊臣家の家臣として将軍になっただけだぞ。二重ですらない。
0601人間七七四年
2018/01/13(土) 23:21:37.93ID:ISSwZWF6さすがにその時点で豊臣の家臣はないわ
0602人間七七四年
2018/01/13(土) 23:39:04.40ID:kTp4ESxj豊臣政権の時に廃止された関所を復活、豊臣政権の時は盛んに架橋され困難な所は舟橋までかけられていたのをなくす。
江戸の町でも明暦の大火までは隅田川に橋が一本しかかかってなかったほどだから、どれだけ極端な事したのかわかろうというもの。
街道にも荷馬車などは当然通らせない、街道への馬車が海禁されたのは幕府がつぶれる数年前、他にも大型船の禁止など流通に負荷をかける事で、
コ川を守る体制だったからコストが半端なく、江戸の町は常に高物価。
おまけにその高物価の江戸と通行が面倒な街道を無駄に毎年往復させる事で、諸藩は無駄な金を使わされてその負担は民への重税として現れる。
豊臣政権と江戸幕府で一緒なのは、内戦防止のシステムだけだ。江戸幕府の運用が酷すぎる。
江戸になってほぼすべての諸藩では検地ラッシュつまり増税ラッシュだ。
寒冷化とか言ってるけど、中世の温暖が終わったあとはずっと戦国時代から寒冷化しているわけで、言いわけにもならん。
そもそも歴代将軍はハーレムで遊んでいるだけだろうがw庶民が餓死している時代にさ。
>そっちがあくまでそう言うならそれでいいよ、それなら秀吉を逆臣呼ばわりするのだって認めてもら
信長は斯波家から簒奪した、秀吉は織田家から簒奪した、信長信者も秀吉信者もそれを否定している奴はいない。豊臣家から簒奪したのを必死に否定している徳川信者がいるだけ。
なお秀吉は織田家から簒奪しても織田家を滅ぼさず、むしろ秀信を守っていたくらいだが徳川家は秀頼を滅ぼした。
両者の明確な差だろうな。
0603人間七七四年
2018/01/14(日) 00:03:33.40ID:5xO+cWvd主家横領の簒奪者だった秀吉が諸大名に天皇へ臣下の礼を取らせることで
その主君である天皇の代わりに命令を下していた。
学校の教科書で学ぶことだ。
つまり、豊臣は家康らの主家ではないし主君でもない。
天皇が主君なんだよ。だからこそ、秀吉の主家の織田家も天皇の代理人秀吉に滅ぼされたりもしている。
関ヶ原は主君の天皇に内大臣に任命され、遺言で政務を頼むと太政大臣に言われていた内大臣に
石田三成が謀反をおこした戦い。
そして1601年に関白が、1603年に征夷大将軍が任命され、鎌倉室町の武家政治に戻っている。
豊臣秀頼は天皇公認で開かれていた幕府に逆らった謀反人だった。
官位も徳川の2人は従一位、秀頼は従二位で公家の視点でも武家の視点でも謀反人
0604人間七七四年
2018/01/14(日) 00:07:42.65ID:eQI8wcak豊臣家の家老であったから、豊臣家の領地を褒美として与える事が出来たわけで
豊臣家と関係がないのなら、豊臣家の領地にどうこう手を加える事はできんよ
0605人間七七四年
2018/01/14(日) 00:29:57.97ID:zT2uV4Hv戦はボランティアじゃないんだから豊臣家だろうが代金を払うしかない
0606人間七七四年
2018/01/14(日) 00:30:49.53ID:eQI8wcakおかげで豊臣時代に荘園をぶっ潰して、寺の多くがなくなったのに寺が農民からの檀家料などの搾取で復活した
鎖国もアホすぎる、大名への貿易統制レベルならまだわかるし。それは秀吉の時代でも行われており、加藤などの子飼いにすら自由貿易は認めなかった。
だがオランダだけに絞って貿易するとかアホの所業だ。交渉相手が一人なら、
いくらでもぼったくられるに決まっている、鎖国で輸入品も入らなくなり、輸出も行われないから国際競争からおいてかれた
異学禁止とかも無能としか言いようがない。知識も技術も何も進歩しなくなった。
豊臣政権時代のいい所をほんとダメにしているのが江戸幕府なんだよな・
徳川家だけがしばらく栄えればいい、そのあと日本なんてどうなってもいいと思っているのがほんとよくわかる
0607人間七七四年
2018/01/14(日) 00:52:32.51ID:ROtnxld50608人間七七四年
2018/01/14(日) 00:53:32.83ID:zT2uV4Hv文句は三成に言うしかないだろ
0610人間七七四年
2018/01/14(日) 09:33:34.50ID:IYtijeoC後、オランダ以外に清とも交易しているけど?
0611人間七七四年
2018/01/14(日) 11:36:33.43ID:SRcaoYHD0612人間七七四年
2018/01/14(日) 11:55:48.26ID:zT2uV4Hv日本は外国と戦っても勝てない危険性が高いという意識が日本に生まれてしまった
防衛に徹するしかないという弱気路線を作り出したという意味では石田・小西の罪は重いよ
0613人間七七四年
2018/01/14(日) 11:58:56.86ID:5xO+cWvdその大老という職は、公儀をゆだねられていた関白を殺した豊臣が、
天皇に忠誠を誓った天皇の臣下を自分の家臣にすりかえようとしたものだな。
契約書もいっぱい書かせてるぞ。
逆らえば関白でも殺されるから諸大名はみんな契約書を書いた。
たしか秀頼を関白と思って奉公すると書かれていたと思う。
でも秀頼は帝に任命された関白ではないし、1601年以降は何人もの関白が生まれているので意味はない
太政大臣の死後の豊臣は地方軍閥の1つにすぎなくなり、1601年と1603年に天皇に公認され、公儀は移っている
0614人間七七四年
2018/01/14(日) 12:04:40.35ID:5xO+cWvd公儀を運営するにたる人物は内大臣しかいなかった。
まず、征夷大将軍、関白、太政大臣、左大臣、右大臣が欠員であり
太政大臣に政務をゆだねられていたわけだからな。
1599年に大納言利家が死に、豊臣に娘を殺され流罪にされていた菊亭晴季が右大臣に復職したけど
内大臣に公儀を運絵する資格があるのは誰の目にも明らかだ。
関ヶ原も主君の後陽成天皇から晒布100反、前の太政大臣家からも黄金2万米2万が内大臣に下賜されている
まぁ、他人のものを自分のものにすりかえるのは秀吉の常套手段だな。
信長のものを天皇を使って自分のものにすりかえ、天皇のものを誓詞で自分のものにすりかえた
0616人間七七四年
2018/01/14(日) 12:39:38.40ID:SRcaoYHD秀吉は大義名分がいかに大事かわかってないよな
単なる恐怖政治をしいていただけ
諸武家が忠誠心をもっていたと信じていたなら相当な間抜けだろう
そこまではさすがにバカではないだろうが武家にそむかれるのが怖くて最期はおたのみもうすだからなあ
0617人間七七四年
2018/01/14(日) 12:57:58.36ID:5xO+cWvdhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fc/Toyotomi_hideyoshi5.jpg
秀吉の特徴はこの絵によく表れている。
三法師を利用して主家を横領し恐怖政治をおこなって信長の妻や孫娘や妹や柴田勝家、織田信孝を殺し
天皇を利用して関白になることで主家横領を正当化しつつ、恐怖政治をおこなって1590年に主家を改易して滅亡に追い込み
最後は利用するものがいないので、自ら関白を殺して恐怖政治をおこなって、
誓詞を書かせまくることで正当化し、聚楽第行幸で天皇に忠誠を誓った諸大名を縛った。
まぁ最後は泣きながらお頼み申すだが。
豊臣というのは大義なき存在だよ。大阪城は信長の1周忌に信長の家族を殺しながら建てた恩知らずの象徴だ
あの城が豊臣の大義のなさを形としてみせてくれる
0618人間七七四年
2018/01/14(日) 13:06:08.94ID:2KZVVX9l0619人間七七四年
2018/01/14(日) 13:06:27.48ID:2KZVVX9l0620人間七七四年
2018/01/14(日) 13:07:13.29ID:2KZVVX9l0621人間七七四年
2018/01/14(日) 13:08:16.76ID:2KZVVX9l0622人間七七四年
2018/01/14(日) 13:08:25.95ID:5xO+cWvdこなくていいのに、孫の顔を毎週見にきたうちの爺さんを思い出す
その孫を信長の喪中にはりつけにして串刺しにしたのが秀吉と考えると
関白殺害のとき女子供を無残に殺した兆候を感じるな。
串刺しにされた孫娘は小学生くらいだろう
0623人間七七四年
2018/01/14(日) 13:08:56.45ID:2KZVVX9l無能キチガイサイコホモ雑魚川雑魚光(笑)
0624人間七七四年
2018/01/14(日) 13:10:09.94ID:2KZVVX9l0625人間七七四年
2018/01/14(日) 13:10:43.51ID:SRcaoYHD結局織田の一派を正当に従えられなかったのは大義名分がなかったからだよね
なれば粛清するしかない。
で、そんなことやれば他の武家は面従腹背で心服はしないし、大義名分はなおさら離れる
むしろやるべきは当初のとおり三法師をもり立てて確固たる織田政権をかため、そこで徳川のごとく最高権力者としての羽柴家をつくるべきだったろうね
そして織田の力をそいでいく。
三好や松永が足利をつぶしきれなかった現実を反面教師にすべきだったわな
0626人間七七四年
2018/01/14(日) 13:11:51.64ID:2KZVVX9l■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています