公儀を運営するものが大名同士の婚姻をコントロールするのは当然だよ。

織田信長右大臣が公儀をおこなったときは右大臣の許可が必要だし
豊臣秀吉太政大臣が公儀をおこなっているなら太政大臣の許可が必要

征夷大将軍、関白、太政大臣、左大臣、右大臣が欠員で
武家の大臣は内大臣しかいないのだから、内大臣が武家の婚姻コントロールする

あたりまえの道理

武家諸法度は1603年に征夷大将軍が任命され公儀がゆだねられ、
1605年に征夷大将軍は秀忠になっているのだから、
公儀を行う秀忠が大名の婚姻をコントロールする