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【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ4【秀頼・秀次】 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/07/02(日) 20:30:52.17ID:POF0I7iN
秀吉や秀頼、秀長、大政所や旭など豊臣家と一族やその家臣団
あるいは研究者・論文まで、豊臣氏、羽柴家に関する話題を
肯定、否定的意見を含め包括して語る総合スレです。
都合が悪くなったり反論できなくなったりしたら
コピペ連投やレッテル貼りして逃げるのはやめましょう
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は指名してください

前スレ
【秀吉・秀長】豊臣家総合スレ3【秀頼・秀次】
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1493552245/
0460人間七七四年2017/12/30(土) 13:11:05.24ID:zkqRJ8No
>>458
その辺の秀吉の判断はまったく頭つかってないよな
感情だけ
0461人間七七四年2017/12/30(土) 13:32:34.23ID:np80RzOn
>>459
まず前提として、豊臣は主家乗っ取りの逆臣という経緯がある。
この逆臣という肩書きをひっくりかえし、正当化するために関白になる必要があったんだな。それで

1585年に関白になると惣無事を表明して、諸大名は天皇に臣下の礼をとり、関白に従えと宣言し
1588年に聚楽第行幸をしてもらい諸大名が天皇に忠誠を誓い、関白の命令に従うことを誓った
1592年にも聚楽第行幸があり諸大名が天皇に忠誠を誓ったわけだ。

秀吉の政権構想は、天皇の臣下として諸大名を天皇に臣従させることで
関白の自分の命令に従わせるというものだった。

でも1595年に関白が大義をもつ政体では秀頼に継がせられないと秀吉は気づいた。
それで関白を殺した。
そのあとに何をしたかといえば、誓詞を書かせまくった。
契約書で縛ろうとしたわけだ。

まぁその契約書も秀頼を関白と思ってご奉公するって内容だから、
基本路線は聚楽第行幸からの政権構想から離れてないけどね。
秀吉の無学っぷりがあらわになったわけだ。そして

1598年に太政大臣が死亡。1599年に秀吉に娘を殺された右大臣が復職。大納言が死亡
1600年に豊臣家の家臣が公儀を運営する内大臣に謀反をおこし関ヶ原の戦い
1601年に関白が任命され、1603年に右大臣征夷大将軍が任命され公儀が正式に征夷大将軍に移ったという流れになる。

1614年の時点で関白左大臣は鷹司信尚、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠なわけで
秀頼は当時最高の学識者である五山が認める呪いで公儀を運営する政府にテロを行って謀反をおこした形になる。
んで1615年に死亡って流れだ。

豊臣公儀の成立と崩壊の根幹はすべて惣無事と聚楽第行幸にあるんだよ
高校の教科書でも学ぶ内容だが
0462人間七七四年2017/12/30(土) 14:42:41.54ID:qGbWOlL+
一年中長文で秀吉を叩いてるやつ
親を秀吉に殺されたのかな?
とてつもない怨念だな
0463人間七七四年2017/12/30(土) 14:53:22.21ID:FtKdj5bA
まあ歴史的に秀吉ひどいやつってのは事実だし仕方がない
0464人間七七四年2017/12/30(土) 20:04:54.59ID:PuJ//GO7
しかしまあ、なんで全否定に走るんだろうか
0465人間七七四年2017/12/30(土) 21:52:25.24ID:GfL/PQlv
>>459
少なくとも天下統一前の関白任官時点では伝統ある官位が必要だった
そのあとに新しい官位を作っていればというのはその通りかもしれんが
秀次への世襲で豊臣氏の世襲は確定したと思っていたんだろ
秀次失脚後に政権構想を練り直す必要があったと思うがグダグダだからね
それでも近衛家は勅勘、鷹司家は信房が権大納言のまま従一位で上がりポスト、九条家は幸家が左中将どまり、一条家と二条家は後継者なしで養子を認めなければ断絶という状況で、そのままいけば摂関家の資格を喪失するのを待つばかり
死後に関白を何年も前に退いた九条兼孝が再任されるのは想定外だったのでは
0466人間七七四年2017/12/30(土) 21:56:30.60ID:laEg1QzX
>>462
徳川スレで発狂してる奴よりはまだマシだろう
クリスマスや年末に他にやる事無いのか哀れに成程
酷い有様だからな
0467人間七七四年2017/12/30(土) 22:09:55.86ID:GfL/PQlv
当初の政権構想では、唯一の摂関家となる豊臣氏のもとに公家と武家を融合させた新しい家格秩序を作ろうとしたのだろう
公家の家格秩序を壊さずそこに武家の大大名を清華家、国持クラスの大名を羽林家、小大名と清華家の家臣を諸大夫として合流させただけだしな
武家官位の濫発と言うが濫発したのは諸大夫に対してだけだろう
諸大夫の任官は武家官位として公家の官位に関係なく、重複も考慮せず与えた

これらは江戸幕府にも一部引き継がれている
武家官位は対象を拡大し全ての武家を公家の官位とは別にしたこと
国持クラスの大名を羽林家相当としたことなどね
0468人間七七四年2017/12/31(日) 06:24:56.35ID:rXKUang6
豊臣の成立と滅亡で重要な事実は
 @秀吉の主君織田信長が横死(1582年)
 A秀吉が主君の家族を殺し、主家である織田家を横領、君位を簒奪(1583年)
 B秀吉が関白に任命。惣無事を宣言し諸大名に天皇に臣従するように要請する。豊臣公儀が成立(1585年)
 C聚楽第行幸。諸大名は天皇に臣下の礼をとり忠誠を誓い、関白に公儀がゆだねられる(1588年)
 D聚楽第行幸。諸大名は天皇に臣下の礼をとり忠誠を誓い、関白に公儀がゆだねられる(1592年)
 E関白殺害(1595年)
 F太政大臣死亡(1598年)
この7つだよ。
特にCとDの聚楽第行幸が重要
Eの関白殺害とFの太政大臣死亡で豊臣は公儀としての正統性を失っている。
そして
 G内大臣が公儀を引き継ぐ(1598年)
 H大納言が死亡、右大臣が復職(1599年)
 I石田三成が公儀に謀反をおこし関ヶ原の戦い(1600年)
 J関白が任命され、豊臣公儀は完全終了(1601年)
 K征夷大将軍が任命され、徳川公儀が成立。武家政権に戻る(1603年)
 L征夷大将軍が任命され、徳川公儀の継承が帝に承認される。関白も近衛信尹が任命される(1605年)
 M右大臣征夷大将軍徳川、関白左大臣鷹司のとき、豊臣秀頼が公儀にテロを行い謀反をおこす(1614年)
 N豊臣秀頼が死亡し、あらためて二条昭実が関白に任命(1615年)
という流れになる
0469人間七七四年2017/12/31(日) 07:02:49.41ID:rXKUang6
豊臣の主家乗っ取りもB〜Cで正当化に成功していたけど
Eで御破算

あとはもう、文禄慶長の2度の外征失敗は隋の煬帝や元寇などをみればわかるけど
体制崩壊のきっかけとしては十分すぎる。
秀吉の政権は天皇の権威をかさに着た戦国大名の集合体だから、長続きはしないだろう。
豊臣に恩もなければ義理もない。徳川上杉伊達島津を筆頭に恨みしかないし、黒田なども忠誠心はない
0470人間七七四年2017/12/31(日) 07:06:03.80ID:/yP2Kk5Q
黒田ですら離れるんだから秀吉の求心力のなさは相当だよな
0471人間七七四年2017/12/31(日) 08:32:29.85ID:qHOCjU02
黒田とはどちらをさして言っているのだろう?
てか、秀吉が生きている間に背いてはいないと思うが
0472人間七七四年2017/12/31(日) 09:12:52.35ID:j0+YBcqz
如水は秀吉に改易された大友が所領を取り戻そうと三成の謀反に乗じて攻めてきたので鎮圧しただけ
長政も三成が謀反を起こしたので嫌々組み入れられた吉川・小早川を説得して謀反から手を引かせただけ
秀吉の求心力のなさを語るなら石田・大谷・小西が妥当だろう
0473人間七七四年2017/12/31(日) 11:35:20.95ID:rXKUang6
>>470
竹中半兵衛と黒田官兵衛は秀吉に食いつぶされたんだよ
労多くして与えられなかった。竹中半兵衛の息子なんて6000石で大名ですらない
官兵衛も12万石だから不満だったろう。三成の讒言で秀吉に切腹を言い捨てられたこともあったよな
0474人間七七四年2017/12/31(日) 12:02:10.48ID:eXvjFBhC
黒田の才能に危険を感じた秀吉、察して離れた黒田とか言われてるが、単に冷遇してるだけだよね
0475人間七七四年2017/12/31(日) 16:09:18.60ID:7bYhjzIk
官兵衛と前野蜂須賀宮部辺りの世代と比べると妥当だなと思うし
官兵衛と福島加藤石田辺りと比べると冷遇に見える
後者の面子と比べるのは長政と考えるとこんなものかという気がするが
0476人間七七四年2017/12/31(日) 16:31:29.66ID:eXvjFBhC
また黒田は信長からつけられた与力だったからな
その後家臣となってもあまり信用おけなかったのもあるだろうな
そういうのを清濁あわせのむ器量があるとかいうのが秀吉の売りだったろうに、結局泥縄なんだよな
0477人間七七四年2017/12/31(日) 16:33:24.41ID:eXvjFBhC
泥縄じゃなくて泥船でした。
あんまりしっかりしてないさま、として。

吏僚組の三成とかを重用したのもむしろ家臣にいいように使われてた感じなのかもな秀吉
0478人間七七四年2018/01/07(日) 09:08:44.06ID:iwD4/g9H
>>473
半兵衛なんて史実じゃ何したかわからない人物であるし、ましてやその息子が何したんだよ。
黒田にしても黒田家譜なんてファンタジーを除けば、実際は秀吉の支社として交渉や調略してただけだぞ。
それで豊前なんて要地に12万石ももらって冷遇はない

そして三成の讒言で切腹を命じられたことはない。三成が軍規に従わないで囲碁してたとしても秀吉はわしが囲碁禁止しなかったのが悪かったからといって取り合わなかった、
切腹命令が下ったのは、そのことで黒田が撤退命令もないのに勝手に陳謝するといって朝鮮から撤退したとき。
これは無断での撤退になるのでただの敵前逃亡、切腹に改易くらってもおかしくないくらいの重罪
0479人間七七四年2018/01/07(日) 09:13:55.97ID:iwD4/g9H
>>449
信孝の母と娘は秀信に対して謀反を起こしているのだから当然処刑される。
信孝本人の処刑をさせたのは信雄であるが、これも当然の事
お市にしても秀信に対して謀反を起こした柴田の妻であり当然処罰の対象
信雄は領地変更という天皇の命令に反している。当然処罰の対象になる
>>450
秀吉に誰一人逆らっておらず、家康が天下を乱さなければ何も起こらず平和だった
0480人間七七四年2018/01/07(日) 09:26:39.62ID:iwD4/g9H
>>459
武家が政治権力から独立するという体制ができてから戦乱の世の中になっているので、
その武家を公家成りさせる、つまり貴族にする事で一体化するという政策なんですよ。
いわば明治維新の先駆け
実権のない公家よりも有力大名を高位の官位につけて序列をつけるという体制にかえていたわけ。
諸外国の公爵に名ばかりの名門がいて、伯爵とか男爵に広大な領土をもった領主がいる体制のほうがおかしいでしょ。

歴史上の偉人を自分の愚かな頭では理解できない事やっているから、叩くとか自分はアホですと言っているようなものだぞ。
0481人間七七四年2018/01/07(日) 09:51:24.55ID:2be9XIYU
なげんじゃボケ!
0482人間七七四年2018/01/07(日) 10:34:19.07ID:gsiC3zgh
>>479
「秀吉」には逆らってなくても、死後のあの体たらくで安定が保たれた保証などないだろうが
現に秀吉の死の直後に三成自身が遺言破りをして安定を破ってる、家康が婚姻施策を顕在化させるより先だ

>>480
だからやるならそういう改革を貫徹すべきだったと言ってるだろうが
既存の体制に横滑りする形で動揺と不安を与えただけで中途半端、秀次一族を滅ぼして豊臣家自体を弱体化させたり
外征にかまけたりで肝心の国内改革を放ったらかしておいて何が明治維新の先駆けだ、結局公武の融合は果たされず
藤原氏の関白復帰、家康の征夷大将軍就任の余地が残されたままとなった
大体秀頼成人まで五大老五奉行制を繋ぎにするなんてことからして理念もクソもない場当たり主義で、
秀頼成人まで10年はあろうにその間五大老間での相互牽制で政治的化学変化を一切起こさないようにするなんて
どんだけお花畑なんだと
その間五大老五奉行が一切政治的確執も起こさず主導権争いもせず穏やかに秀頼成人まで過ごすとお思いで?
あの戦国乱世を生きぬいてきた海千山千の連中が?上述したように三成からして秀吉生前から家康を敵視して
いの一番に遺言破りしてるのに

秀吉に勝手な幻想抱いてホルホルするのは構わんが死後に豊臣家自身で何もできない体制を作るしかなかった秀吉の
残念さをもう少し直視しろよ、子供じゃないんだから
0483人間七七四年2018/01/07(日) 10:50:34.21ID:VTG0/mkC
秀吉のやってたのは単に腰ぎんちゃくだけ優遇する癒着政治だけなんだよな
家康とかいわずともいずれ破綻する
0484人間七七四年2018/01/07(日) 11:06:26.93ID:bWTXNdqf
>>479
家康は天下を乱してはいない
上杉が旧領の越後を奪還しようと戦争準備をしていたから鎮圧に向かっただけ
そこを権勢を握ろうとした石田が蜂起して天下を乱した
上杉と石田がいなければ何も起こらず平和だった
0485人間七七四年2018/01/07(日) 12:00:40.32ID:S08gtJ2m
>>479
信孝は清洲会議で三法師の後見役になっているのだが。
後見の信孝が、家督をついだ三法師と岐阜にいるのに謀反をおこしたのが秀吉だよ
そして信長の妻と孫娘をはりつけにしてむごたらしく殺した。
0486人間七七四年2018/01/07(日) 12:43:18.97ID:iwD4/g9H
>>482
誰も秀吉に逆らわず平和で秀吉の天下安定を享受していたのに、それを乱したのは家康だ

>だからやるならそういう改革を貫徹すべきだったと言ってるだろうが

全ての大名は豊臣家の下公家成りし、京都に集められて貴族化していた。
それを全て家康が台無しにしただけだろう?
鎌倉時代からの古い体制を復活させただけ、藤原氏の関白復帰をしたのも家康。
家康が全て台無しにして時代を400年戻しただけだ。徳川家の恐怖政治体制になっただけ

>秀頼成人まで10年はあろうにその間五大老間での相互牽制で政治的化学変化を一切起こさないようにするなんて

家康が何もしなければ何も行らない。騒乱を起こしたのは家康だけだからな。

>三成ガー
三成にしても遺言破りなどしていない。勝手な創作だな。
0487人間七七四年2018/01/07(日) 12:46:57.64ID:iwD4/g9H
>>484
旧領奪還など景勝は企んでいない。徳川が引いた後上杉が侵攻したのが出羽であるように、越後侵攻などしていないではないか。
>>485
信孝の後見人としての立場は信孝が秀信を岐阜に拉致監禁したことにより、解任されている。
だから信孝は秀信に人質を差し出す必要があった。そしてそれでも謀反を起こしたのだから当然処罰される。
0488人間七七四年2018/01/07(日) 12:53:13.73ID:S08gtJ2m
>>487
拉致監禁ってなに言っているのか意味不明だわ
岐阜城は信長の居城であり、家督を譲った信忠の居城でもある。
三法師の生まれた場所であり、織田家の天下布武の象徴とも言える場所
そこに後見役の織田信孝と、織田家筆頭家老の柴田勝家がいるのに、
岐阜城を出て、織田家に敵対して宗教戦争を繰り広げた一向宗の本拠地である大阪へ引っ越せとでもいうのかね
0489人間七七四年2018/01/07(日) 12:53:36.33ID:NtYJng2V
>>487
最上を攻めたのは義光が秋田と組んで上杉を攻めようとしたからじゃね?
0490人間七七四年2018/01/07(日) 13:01:28.70ID:iwD4/g9H
>>488
秀信は安土城にいる事とされているんですよ。
信孝の居城である岐阜城に拉致監禁する事が認められていない。
>>489
なら上杉の行動は最初から最後まで自衛的行為であって誰に非難されるいわれもない。
石高が倍増するなら家臣を増やすのは当然であるし、築城するのも当然だろう。
0491人間七七四年2018/01/07(日) 13:03:15.58ID:bWTXNdqf
>>486
秀吉の天下安定を継続させようとしていたのが家康なのに
自分が権勢を握りたいという欲望に突き動かされた三成が
領土拡大を目論む毛利や上杉と結託して謀反を起こした
西軍連中が騒乱を起こさなければ豊臣政権は十分に存続可能だった
0492人間七七四年2018/01/07(日) 13:06:34.19ID:iwD4/g9H
>>491
前田征伐や上杉征伐を主張して勝手に江戸に人質を集めた家康がそんなこと考えているわけねーだろW
万が一人質とるとしても集めるなら大阪だろうに。
家康の権力欲と領土欲で天下を乱しておいて何を言っているんだ。
毛利も上杉のただの被害者だろう。
0493人間七七四年2018/01/07(日) 13:10:52.28ID:iwD4/g9H
秀信の安土いきは清州会議の結果重臣一致で決められたこと。
これを信孝の一存で変える事は許されない。当然重臣によって後見人の地位ははく奪される。
この時はその結果信雄が後見人の地位を獲得した

ちなみに柴田は越前にいるから当然岐阜城になどいない。
0494人間七七四年2018/01/07(日) 13:10:53.09ID:S08gtJ2m
>>490
安土城は織田信雄が焼いた
ひどい話だな。幼い子供を焼け跡に行けとは。
当時は医療が発達していないから、少しの変化で子供は風邪をひいて死んでしまうのに
生まれ故郷から引き剥がして、焼けた廃墟でくらせとは。

結局、秀吉らは三法師を政治の道具としてしか見ていなかったのだろうな。

忠臣柴田勝家と信長の息子織田信孝と妹お市を秀吉が殺して、はじめて丹羽は気づいて憤慨したが
子供の代で丹羽家をほぼつぶされ、織田信雄も除かれた。謀反人秀吉の独壇場だ
0495人間七七四年2018/01/07(日) 13:14:30.01ID:iwD4/g9H
>>494
安土城はすぐに復旧されている。
織田家総領の城は安土城でありそこに鎮座するように決められている。
岐阜城は当時は信孝の居城になっており。そこに拉致する事は犯罪行為。
0496人間七七四年2018/01/07(日) 13:15:48.11ID:NtYJng2V
>>492
自分もそう思う。大坂の陣になるとさらに露骨になるよな。
あきらかに家康には天下取りの野心あったでしょ。
やっと自分に好機がきたとか思ってそう。
0497人間七七四年2018/01/07(日) 13:19:11.33ID:bWTXNdqf
>>492
前田は家康暗殺計画を増田や長束が主張した以上は仕方がないだろ
家康暗殺計画なんて出鱈目だというなら増田や長束は悪質な嘘つきになるから西軍の正当性なんて欠片もなくなるな

上杉にしても越後で一揆を先導したうえに武器弾薬や浪人を集めているのだから堀から糾弾されるのは当然だろう
しかも詰問されたら逆ギレして挑発文書を送りつけてくる以上は征伐されて当たり前だ

毛利も西軍総大将とは名ばかりで九州や四国への縄張り拡張ばかり企んでいる
結局は豊臣政権が秀吉の強権に依存しすぎて家康が強権で押さえつけないと政権が維持できないんだよな
しかも三成ら官僚連中まで権力欲で暴走したのだから家康もさじを投げざるをえないよ
0498人間七七四年2018/01/07(日) 13:19:14.22ID:S08gtJ2m
>>495
秀吉に騙された丹羽と
ほんらい出席する権利のない池田を丸め込んで多数決が清洲会議で
滝川も徳川も排除されたデモンストレーションが清洲会議だよ。
利用された丹羽は潰され、信雄もつぶされた。

おまえ大阪の人間だろ?
0499人間七七四年2018/01/07(日) 13:24:55.72ID:iwD4/g9H
>>497
その二人は三成と毛利が何か動いているとか家康にいろいろ密告していた最初から家康のスパイだぞ。
戦後豊臣家を乗っ取りの為に奉行衆に濡れ衣きせて、潰しただけ。

上杉にしても一揆の煽動?堀の検地が厳しくて一揆してただけだろうが、
当時の帰農した武士連中が大量の武器をもっているのは普通の事。
なお直江状は後世の創作

毛利にしても九州や四国の徳川謀反軍に加担する勢力を駆逐しないといけないから当然だろう
0500人間七七四年2018/01/07(日) 13:26:21.28ID:bWTXNdqf
>>496
家康は西軍の暴走までは天下を狙ってはいないよ
秀頼を抱きかかえて威張り散らすこともしていないし大坂にいる豊臣の人質を強奪したわけでもない
前田の人質が江戸に行ったのは増田や長束が前田の家康暗殺計画を主張するなど常軌を逸していたため
解決方法はこれしかなかった

家康も上杉の挑発までは我慢して豊臣政権として対処しようとしていたが
三成の暴走によって豊臣政権の維持を諦めて新政権樹立に舵を切るしかなくなった
0501人間七七四年2018/01/07(日) 13:28:15.98ID:iwD4/g9H
>>498
西国の人間ではあるが、大阪の人間ではないよ。
池田が出席する権利がなかったとか創作にすぎん。そもそも多数決で決まったのではなくて、重臣一致で決まったこと。
丹羽は100万石ももらったが、子供が若く家臣を統制できなかったことで減らされた。
信雄にしても天皇関白の差配にケチつけたから当然
0502人間七七四年2018/01/07(日) 13:29:56.25ID:Fa6kNIqV
>>490
安土城なんて焼失してるだろ
0503人間七七四年2018/01/07(日) 13:32:45.03ID:iwD4/g9H
>>500
家康は伏見で政務をとる事とされていたのに、勝手に私兵つれて大阪城に入城してそんなの通るわけねーだろW
大阪には他にも大勢人質がいたんだから、一緒に大阪にいればよかっただけ。
まつを江戸に送った時点で露骨に天下を取りに来ているよ

上杉にしても徴発などしていない。上杉は移動で大変なのでしばらく上洛しなくていいというお墨付きを秀吉からもらっている。
実際領内整備で大変なのにそんなことする余裕あるわけねーだろW
0504人間七七四年2018/01/07(日) 13:33:53.25ID:iwD4/g9H
>>502
天守だけで安土城そのものは健在であり、実際秀信は二の丸にその後入っている。
0505人間七七四年2018/01/07(日) 13:34:40.34ID:Fa6kNIqV
>>498
実は柴田も三法師擁立に賛成してたって話もあるんだよ
秀忠の直系が家督を継ぐのがやはり正当だと皆が思ってた
その後の秀吉台頭が気に入らないことが転じて柴田、信雄、信孝は当初から反対していたに変化していったのだと思う
0506人間七七四年2018/01/07(日) 13:40:04.73ID:Fa6kNIqV
>>500
これよく言われる妥当な線だよね
あくまで家康は律儀者。ある程度までは豊臣家をもり立てていってた。
また国中で戦乱だらけになるよりマシだったし、徳川としても大きな所領を確保できていたわけだし大役も担った。

それを三成が意識するか無意識かわからんままお家騒動。
あげく蟄居後に挙兵ともなれば家康もつぶすのは当たり前
自分があえて殺される必要もない。

で、結果は豊臣家弱体化、というか世をおさめるだけの実力も人望もないのがわかる
あげくにこちらもまた家康に無用な警戒をいだいて殺そうとしてくるのでは対抗せざるを得ない
0507人間七七四年2018/01/07(日) 13:40:48.66ID:iwD4/g9H
信忠が家督を継承した時点で信雄も信孝も他家に養子に出されており、
織田宗家を継ぐ資格は喪失している。
ほかならぬ信長の手によってね。兄弟で家督争いしていた信長からすれば当然の事

なのでそもそも信孝が後継ぎになるなんて展開はありえんし、柴田が推したということもありえん。
江戸時代の創作を真に受け杉
毛利家でも長宗我部家においても弟が継ぐことはなかっただろ。
0508人間七七四年2018/01/07(日) 13:46:51.75ID:iwD4/g9H
>>506
よく言われる普通の家康は天下とるために策動していただけだぞ。
山岡のフィクションの話を史実と勘違いしてないか?

大老で満足しているなら無断婚姻をして派閥作りをする事も、
伏見で政務をとるように言われていたのに、大阪城に私兵をつれて入城して秀頼を手中にする事も、
前田征伐、上杉征伐もする事も、人質を江戸に送ることも必要ないよね?
西軍の挙兵はアクシデントだろうが、敵を一つ一つつぶしていこうと思ったらまとめて家康に敵対したってだけ

なお関ケ原の後もみな秀頼の所に忠誠にいっており、秀吉の廟には大勢の人間が集まり、
多くの大名の寄進で盛大に祝われている。人望も実力もなかったわけではない。
秀吉死後も豊臣家によって公家成りされた大名もけっこういる。
定まった天下をいかに家康が奪ったかを知らな過ぎるな。
0509人間七七四年2018/01/07(日) 13:47:45.03ID:Fa6kNIqV
>>505
信忠でしたな、失礼
0510人間七七四年2018/01/07(日) 13:53:31.44ID:Fa6kNIqV
>>508
婚姻をすすめるのは結局のところ他家との結びつきを強め無用な争いをなくすため
秀吉が禁止したにしろ、その有用性は無視できない
ある意味家康は古い慣習にとらわれていたとも言えるがあくまで戦乱の世を再びおこさないための措置
結局ほかの武家にしてもより所ってものがほしいわけで。
有力武家である徳川の姻戚ともなれば安泰、人質を単に出すよりよほどマシな話

リーダーシップのとれない豊臣家では求心力がなさすぎて国をまとめるにはある程度の横紙やぶりもしかたない
ある意味田沼意次みたいなもんだな
0511人間七七四年2018/01/07(日) 13:54:01.73ID:bWTXNdqf
>>503
大坂で秀頼を後見するはずだった利家が死んだし奉行が不穏な動きをしているので
家康が直接大坂に入って緩みきった豊臣を引き締めるしかないだろ

上杉も堀とトラブルを繰り返し豊臣政権からの詰問にもまともに回答しないなど
惣無事令を無視する姿勢が露骨だったので征伐対象になって当たり前だ
ここで豊臣政権が弱腰な対応を見せたら諸大名に舐められて統治不能になるからな

上杉や奉行連中の暴走によって豊臣政権の維持が不可能に陥ったというだけ
0512人間七七四年2018/01/07(日) 14:04:13.99ID:Fa6kNIqV
前田も上杉も実際のところは単に力を持ちすぎた徳川がうとましかっただけだよね
徳川に叛意あり、というより豊臣家大老としてひときわ大きい徳川が気に入らない

徳川としてはかといってへりくだる必要もない、だが放置していては火の粉がふりかかるとまでは言わずとも家中が荒れる
だから力関係を明確にした。
その威圧に前田も上杉も結局おそれをなすしかなかった

そこに自分の利権がなくなった三成がテロを起こした
これが豊臣家にトドメをさした
おとなしくしていれば徳川も豊臣家を頂にしてもり立てただろうに。もちろん徳川家を大きく育てゆるぎない立場は確保しただろうけど。
三成に従ったという連中も結局秀吉の腰ぎんちゃくばかり
少なくとも西軍は豊臣家というより三成の徳川にくしで参戦しただけで豊臣への忠義とは無関係。
西軍が思うように動かないのもしかり。

あくまで豊臣家中の権利争いがあっただけで徳川の野望とかいうのは拙速
あわよくば、は誰にでもある話でね。
そういう隙をつくったのは結局三成。不忠だよね。
0513人間七七四年2018/01/07(日) 14:55:11.48ID:VQxl5tnS
>>510
ならなんで武家諸法度に無断婚姻の禁止が盛り込まれているんですかねえ?
>>511
利家が死んだ場合は息子がその役目を引き継ぐ事が記されており、家康が乗り込めなんて書かれていないし
そもそも上杉にしても領内から一歩もでていないわけで、叩く理由もない。
0514人間七七四年2018/01/07(日) 16:13:48.43ID:S08gtJ2m
豊臣公儀の構造を理解していない人がいるよな。

豊臣公儀は2度の聚楽第行幸で諸大名が天皇の臣下として忠誠を誓い、
関白に公儀がゆだねられることで成立している。

そして、太政大臣が関白を殺したことで、公儀を太政大臣が運営するようになり、
太政大臣の死亡とともに、遺言により内大臣に公儀がゆだねられた。
徳川家康の立場は、帝からゆだねられた公儀を運営する最高位の大臣という位置づけだ。

で、無断で結婚してはダメという決まりは、関白もしくは太政大臣の許可を得ることが必要だった。
けど、両方とも欠員な以上、内大臣が許可を出すのは当然なんだよ。

大名同士の婚姻は家康の専権事項だ
0515人間七七四年2018/01/07(日) 17:13:45.69ID:Fa6kNIqV
>>513
さあ、秀忠のきめたことですしおすし
0516人間七七四年2018/01/07(日) 17:22:43.28ID:S08gtJ2m
公儀を運営するものが大名同士の婚姻をコントロールするのは当然だよ。

織田信長右大臣が公儀をおこなったときは右大臣の許可が必要だし
豊臣秀吉太政大臣が公儀をおこなっているなら太政大臣の許可が必要

征夷大将軍、関白、太政大臣、左大臣、右大臣が欠員で
武家の大臣は内大臣しかいないのだから、内大臣が武家の婚姻コントロールする

あたりまえの道理

武家諸法度は1603年に征夷大将軍が任命され公儀がゆだねられ、
1605年に征夷大将軍は秀忠になっているのだから、
公儀を行う秀忠が大名の婚姻をコントロールする
0517人間七七四年2018/01/07(日) 18:36:04.93ID:VQxl5tnS
>>514
そんなルールがあるなら家康が利家に土下座して謝罪する事はない
あくまで秀吉の許可がいる、秀吉がいないときは、大老奉行の合意が必要
ないなら家臣に嫁にでも出せばいい、江戸時代の大名の姫の多くは有力家臣と結婚している

あくまで家康は筆頭家老にすぎん。他の家老である大老奉行と連盟で政治を動かす立場
.>515
家康は存命している
>>516
秀忠の官位は秀頼よりも下だ。
0518人間七七四年2018/01/07(日) 18:39:33.79ID:Fa6kNIqV
なにしろ秀頼に力がないからねえ
0519人間七七四年2018/01/07(日) 18:59:31.83ID:S08gtJ2m
>>517
武家諸法度が公布されたのは1615年
1614年の時点で関白左大臣が鷹司信尚、右大臣征夷大将軍が徳川秀忠で
徳川秀忠は従一位、右大臣征夷大将軍
徳川家康は従一位、前の右大臣、前の征夷大将軍
豊臣秀頼は正二位、前の右大臣
0520人間七七四年2018/01/07(日) 19:21:03.91ID:bWTXNdqf
>>513
武家諸法度は江戸幕府の法律
豊臣の婚姻云々は秀吉個人の遺言
豊臣家の誰もがはっきり遺言と断言している

安倍政権が作った法律には全ての日本国民が従う義務を負うが
安倍個人が書いた遺言は家族でもなければ関係ない話だろ
豊臣自身が遺言と主張しているのだからその程度の話に過ぎない
0521人間七七四年2018/01/07(日) 20:13:55.42ID:2be9XIYU
0522人間七七四年2018/01/07(日) 20:17:29.88ID:fHSYoUuY
まあ秀吉に対しては義理とかそういうレベルの話でしかないわなあ
0523人間七七四年2018/01/07(日) 21:30:42.21ID:MbnGYZWh
>>480
分かりやすい


しかし家康マンセーのバカ荒らしには理解できる頭がない
0524人間七七四年2018/01/07(日) 21:46:41.18ID:fHSYoUuY
実際に貴族化なんてしてないからアウト
0525人間七七四年2018/01/07(日) 23:59:20.37ID:VQxl5tnS
>>>519
1605で秀忠が将軍になった時点で秀頼は右大臣であり、秀忠よりも官位が上である、秀忠に従う必要性はない。
家康も右大臣の後は官職についていないので、秀頼の上はいない。

>>520
無断婚姻の禁止は秀次一族処刑の時に発した御掟という法律だぞ。
家康も含む五大老も当然署名している。
遺言でもなんでもない。
0526人間七七四年2018/01/08(月) 00:32:03.36ID:Pd1UGF3k
豊臣家が御掟は遺言だと言っているんだから遺言だろ
西軍ですら最初から最後まで遺言として扱っているんだから問題ない
0527人間七七四年2018/01/08(月) 02:12:11.16ID:oyzq1GES
官位だけで治められなくなってたから戦国時代になってたわけで。
もちろん官位は建前上必要だけど、結局は実力ありきだよな

秀頼にはそれがなかった
秀吉は没するまでに力も人望もなかった
0528人間七七四年2018/01/08(月) 02:19:09.97ID:oyzq1GES
豊臣家はその実力がなかった
それだけの話
一度に失ったわけではない
徐々にその地位を他家から見限られていた
そのようになるまえに手を打てない、手を打たない
上にたつ意識がないよな
0529人間七七四年2018/01/08(月) 10:00:49.85ID:Kfw6VoNQ
>>527
そんなの闇将軍が日本の首相だといっているようなものだぞ

力の有無で家臣は言うことを聞いたり聞かなかったりするが、
足利義昭のように将軍の地位で包囲網を築けたりする。
官位ってのは重要だよ。実力政治家がいようと日本の首相ならトップだ。
秀吉も関白と言う肩書きで外交的に天下を統一したんだしな
0530人間七七四年2018/01/08(月) 10:51:38.55ID:oyzq1GES
>>529
パワーバランス、その一言につきる
足利という歴代にわたった実力者と、わずか二代目で滅した豊臣と比べるだけでも無理があるよ
0531人間七七四年2018/01/08(月) 11:19:44.28ID:Kfw6VoNQ
まぁ誰も豊臣には忠誠を誓ってないからな。

主家簒奪者が天皇に臣下の礼をとり、代理たる関白の命令に従えと宣言したから各地の戦国大名は天皇に臣下の礼をとったわけだし。
1588年と1592年に聚楽第行幸をして、2度も天皇への臣従を誓っている。

それを豊臣は俺の家臣だと勘違いしたわけで、滅びるのも致しかたなしって感じだな。
室町や鎌倉の場合は天皇と武家は対立していて、独自に組織をつくったけど、秀吉はそうじゃない
天皇の権威あっての豊臣公儀。惣無事令と2度の聚楽第行幸あっての豊臣公儀だ

太政大臣の死後に内大臣が公儀を運営し、征夷大将軍が任命されて武家政治に戻るのも当然と言える
0532人間七七四年2018/01/08(月) 11:41:30.16ID:oyzq1GES
>>531
そうそう、まさにそんな感じだよね
武家にしてみたら過去の武家は公家の犬扱いされていた時代に戻るなんて願い下げだしね
力で公家のみならず他家他領をしたがえてきた実績からすれば建前だけそろえれば自分が差配できる立場につけるならうまくやるだろうしさ。
建前としての官位、そしておさえつけるだけの力、これをそろえたのがトップたりえたよなあ
どちらかとか、持ってない武家公家は従うがわになるしかない
0533人間七七四年2018/01/08(月) 23:19:52.86ID:P2QLajdf
>>526
御掟は法律、五大老全員が署名して発行したもの。
秀頼よろしくとかは遺言であるが、御掟違反は明確法律違反。
>>531
秀吉の武力と天皇の権威による体制だぞ。
家康は愚かだったのでまた時代を戻してしまった。明治維新まで新体制を待たなければならなくなった
>>532
公家は排除傾向だろ、大臣クラスの公家はいなくなっていた。
頭を下げるのは天皇と関白のみ
0534人間七七四年2018/01/08(月) 23:35:41.99ID:oyzq1GES
つまりは豊臣に従う必要はないってことだな
天皇に従い、武力は徳川が担うようになったと言うだけの話
0535人間七七四年2018/01/08(月) 23:37:17.31ID:P2QLajdf
コ川の武力のなさは幕末で証明されてるからなあ
つか大阪でも寡兵の浪人連中にあの始末だから酷い
0536人間七七四年2018/01/08(月) 23:48:19.31ID:oyzq1GES
武力のない徳川に制圧された他家w
すこしは現実みたらいいと思う
0537人間七七四年2018/01/08(月) 23:50:20.79ID:oyzq1GES
ぶっちゃけ250年後の話を混同しても無意味なわけでね
幕末は徳川の時代がおわったというだけの話
栄枯盛衰、ただそれだけ
0538人間七七四年2018/01/08(月) 23:55:29.24ID:HxF0YXe4
幕末だって幕府は海軍も陸軍も圧倒的だよ
幕府海軍は長州戦でちょこっと出番あったけど
幕府陸軍は戦う場すら与えられず敗戦
0539人間七七四年2018/01/09(火) 00:41:28.19ID:OHCkh3Sy
そうかねえ、結局新政府軍あたりに軍備で負けてるし。
それ以前に徳川の威光が通じなくなってるあたりに陰りが大きくなってる
その時点で足利末期みたいなもんだよ
250年もたせたのはスゴイけど仕方ない。
0540人間七七四年2018/01/09(火) 09:36:04.04ID:apuJJeFf
どんな国家も300年くらいでだいたい滅びるから興味深いな
源も足利も徳川も日本の政府だったけどみんな滅んだ。世界をみても1000年前の国家で残っている国のほうが少ない
0541人間七七四年2018/01/09(火) 09:45:13.02ID:apuJJeFf
1585年から1598年まで公儀をおこなっていた豊臣は
たった13年だし記録的な短命政府。

でもやったことは
帝の権威を背景に外交的に日本を統一し
主家を改易し
2度も外征に失敗し、
関白左大臣を殺害し、
右大臣を流罪にしとすさまじい
0542人間七七四年2018/01/09(火) 10:22:14.94ID:JQhr6Lbz
まあだいたい本流は後継ぎが細々としていき軍事力も低下して没落するよな
そして本流の外戚が力をつけていき本流を駆逐する
または完全な外部勢力に駆逐される
0543人間七七四年2018/01/09(火) 11:23:47.36ID:nhkjdKwZ
>>541
そんなこといったらナポレオン帝国も10年ほどだし
第一統領時代をいれても12年の短命政権だったけど、与えた影響力ははかりしれないよ
0544人間七七四年2018/01/09(火) 12:03:05.74ID:JQhr6Lbz
豊臣自体はいまでも伝え聞くレベルには名を残したから。
津軽さんだの南部さんだのろくにしられていない人からしたら比較にならないレベルだしいいじゃん
0545人間七七四年2018/01/09(火) 12:33:55.76ID:OxWyQBq+
ナポレオンは民法典をつくったのが後世への最大の影響であり功績の一つだと思うけど
秀吉はそういう画期的な何かを遺したとは到底言えないな
関白を横取りし、諸大名を無理やり宮廷秩序内に組み入れることで天皇権威を利用して出自の卑しさをカバーし
主家凌駕を正当化しようとしただけだ
そこから何か画期的な朝廷改革(関白に代わる新たな天皇代理人職の創設、征夷大将軍の廃止等)をしたわけでもなく
やったことと言えば旧来の官位秩序に乗っかっただけの行き当たりばったりな独裁体制、従来の構造は何一つ変えておらず
混乱と動揺を遺しただけ
大体諸大名と軍事力の分離も果たせていないのに何が明治維新の先駆けだよ、>>480>>523みたいな
妄想はさすが無智無教養の秀吉信者だけのことはある
0546人間七七四年2018/01/09(火) 13:44:32.74ID:JQhr6Lbz
秀吉も途中まではよかったのにね
優秀な部下のいうことをよくきいて日本人好みの成り上がりを体現した。
晩年そういう部下を切り捨て、無能な内外政をおこない評価をさげた。
本人がたいしたことがなくてもまわりがもり立ててくれた好例だなと。
結局身内で陣営をかためるのをおこたったのが痛い
0547人間七七四年2018/01/09(火) 14:09:37.95ID:apuJJeFf
中小企業の社長で秀吉を雇いたいって人はいないな
無職を拾って幹部にしてやったら、自分の死後に1周忌もたってないのに
自分の妻や息子や孫娘や妹を破滅させられ、自分が一生かけて育てた会社を乗っ取られ
自分の娘を愛人にされる。

これが日本的成り上がりなわけがない。
0548人間七七四年2018/01/09(火) 18:19:00.99ID:LzHPTRZS
>>547
社長側からすればな

成り上がりが好きなのは日本人気質に合致する
だから平サラリーマンからとか支持される設定だよ

ただ晩年のクソさがひどいので、ああはなりたくないの典型でもある
結局は創作の絵本太閤記ありきの人望だわな
0549人間七七四年2018/01/09(火) 19:16:35.23ID:apuJJeFf
秀吉がまともなのは1582年までだろう
信長が死んだ翌年に、信長の奥さんと孫娘をはりつけにして串刺しだぞ
関白の子供や奥さんを殺しまくった片鱗は1583年にすでにあらわれている
0550人間七七四年2018/01/09(火) 19:20:08.81ID:apuJJeFf
ちなみに信長の孫娘は九才。小学校2年生
爺さんにとっては可愛くてたまらない年頃

秀次のときの女子供皆殺しと同じことを1583年の信長の喪中にやっている
0551人間七七四年2018/01/09(火) 22:13:32.34ID:Q73PyeXf
>>545
総無事令、刀狩、海賊禁止令、喧嘩停止令、関所廃止、太閤検地、御掟、国替え、山城禁止令、廃城令、城下町つくり、
むしろ江戸幕府って何もしてないよな。秀吉の政策の後追いしただけ
0552人間七七四年2018/01/09(火) 22:35:42.74ID:upQwv9J5
豊臣も三成が謀反を起こさなければ長続きしたかもね
ああいう奸臣を雇い入れたら築き上げたものは全て無に帰すという教訓を豊臣は残したと言える
0553人間七七四年2018/01/09(火) 22:50:20.30ID:apuJJeFf
二度の外征失敗。これは王朝や政権が滅びるのには十分すぎる理由
関白の殺害、これは聚楽第行幸で得ていた豊臣の正統性を失わせた
徳川、島津、上杉、最上、伊達、長宗我部など豊臣に恨みを持つ戦国大名が多い
三成のような讒言をする奸臣が幅をきかせている
最高位の官職である内大臣が豊臣に恨みをもつ徳川家康
豊臣は主家を簒奪して成立した成り上がりの逆臣で忠義に値しない
豊臣の血筋がもともと悪い
一門がいない
譜代の家臣がいない

以上から長続きしないだろうね
0554人間七七四年2018/01/09(火) 22:56:27.97ID:apuJJeFf
まだあった
公家の最高位の大臣の右大臣菊亭は娘を殺され流罪にされた人
秀頼の托卵疑惑。秀吉自身が疑いの手紙を書いているし九州にいるのになぜと家康らも疑っているだろう。
0555人間七七四年2018/01/10(水) 00:16:08.49ID:WB1m5YBc
>>551
江戸幕府って豊臣政権の政策をかなり踏襲してるよな
0556人間七七四年2018/01/10(水) 05:00:26.75ID:Bu/yEsvx
>>551
そういう個々の政策面でのこと言ってるんじゃなくて、関白になりながら公武を統合し封建制を脱却するような
方向性、たとえばヨーロッパの絶対王政(平民からも登用する官僚制の整備、王朝直属の常備軍設置等)へ志向する
ようなそれがなく、旧来の世襲封建領主の権益をほぼそのままにただ朝廷の官位秩序で序列化しただけということ
これは秀吉のようなカリスマ創業者が中央にいれば機能するんだろうが、死後は封建原理が残っているので石高の少ない
豊臣家は相対的に中央政権としての求心力を失いやすいことになる、室町の再来だ
秀吉は死ぬまでに何としても豊臣家の充実を図らねばならなかったが、秀次一族を粛清し秀長家を潰すなど
豊臣家を弱体化させることしかやっていない
これでは惣無事令一つとっても秀吉死後守られ続けたかどうか疑わしい
実際豊臣信者も認めるように家康一人が動けば動揺するような脆弱な「天下安定」だったわけだから
無論家康だけが能動的だったなんてことはないが
0557人間七七四年2018/01/10(水) 05:04:41.34ID:LOx7uOrp
秀吉は武家の武力からの脱却もできてないから、事実上なにも改革できてないよね
0558人間七七四年2018/01/10(水) 05:16:13.41ID:Qx6ACSeD
秀吉の唯一最大の目的は唐入りで改革じゃない
独裁政権の政策もどきは全てそこに帰結する
長続きさせるビジョンなんて元から存在しない
0559人間七七四年2018/01/10(水) 05:38:15.20ID:fbikLDik
>>554
淀の方は九州に同行してました
0560人間七七四年2018/01/10(水) 06:50:06.29ID:LOx7uOrp
>>558
確かにね
恩賞確保のために唐入りしてるけど、そのためだけに戦争してる感が否めない
立ち止まれない秀吉さん無理筋おかまいなしって感じ
せめて攻め切れていたならねえ。

逆に攻めないでまとめあげた徳川をみると、とにかく上から押さえ込むのもひとつの手ではあるなと思う
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