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【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ4【秀頼・秀次】 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/07/02(日) 20:30:52.17ID:POF0I7iN
秀吉や秀頼、秀長、大政所や旭など豊臣家と一族やその家臣団
あるいは研究者・論文まで、豊臣氏、羽柴家に関する話題を
肯定、否定的意見を含め包括して語る総合スレです。
都合が悪くなったり反論できなくなったりしたら
コピペ連投やレッテル貼りして逃げるのはやめましょう
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は指名してください

前スレ
【秀吉・秀長】豊臣家総合スレ3【秀頼・秀次】
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1493552245/
0018人間七七四年2017/07/09(日) 02:29:02.51ID:6hh+xm8m
当時は今みたいに毎日風呂に入る習慣とか無いんじゃなかったっけ?
0019人間七七四年2017/07/09(日) 08:58:01.48ID:JP2krSZy
>>10
羽柴苗字、池田、筒井、森みたいに結構後年まで使っている者と
丹羽や上杉、毛利みたい結構早めに放棄している者がいるけど
その差は何だろう
0020人間七七四年2017/07/09(日) 09:27:29.40ID:9ynkC0q1
関ヶ原で負けたら使いにくいだろ
0021人間七七四年2017/07/09(日) 09:36:52.03ID:9ynkC0q1
於次秀勝が長生きしてたらどうなっただろうか
秀次に継がせたいと考えたのかな?

秀勝の官位って結局どうだったんだろう
Wikipediaでは丹波守→侍従→左少将→権中納言となっているが
公卿輔任には記載がないよね
秀次の弟の秀勝と混同されたためか
意図的に消したのか
死ぬ間際の後付けくさいから記載しなかったのか
ただこの官位昇進が本当なら、摂関家の子息としての昇進ルートだよね
参議を経ずに少将から権中納言だから

秀勝への情か摂関家としての豊臣家というのを明確にするために権中納言にしたんだろうか
0022人間七七四年2017/07/10(月) 12:22:18.83ID:6pRIlodr
大恩人の信長の死後たった1年で信長の家族を殺しながら建て始めた大坂城は
天下一の恩知らずの城と言うにふさわしい。

起業して中小企業を運営している会社の社長さんで、もし「豊臣秀吉みたいに出世したい」なんて言う社員がいたら要注意
その男は、
貴方が一生かけて築き上げた会社を、貴方の家族を殺しながら乗っ取った豊臣秀吉のように出世したいのです。
目をかけ恩を与えれば、貴方の家族が不幸になりますよ
0023人間七七四年2017/07/10(月) 21:54:28.16ID:Jbi7Ffn+
信長の遺族がバカ過ぎるからで
秀吉のせいじゃないじゃないんじゃないか
0024人間七七四年2017/07/10(月) 22:02:46.93ID:VihAJMNa
確かに信雄信孝はアホだよな
まとめきれないうちに配下に乗っ取られる無能
0025人間七七四年2017/07/10(月) 22:31:18.30ID:6pRIlodr
織田信長の軍団長および家老は4人
柴田勝家 ←織田信孝の烏帽子親
滝川一益 ←織田信孝を支持。柴田を支持
丹羽長秀 ←織田信孝の副官
羽柴秀吉 ←織田家の横領をたくらむ

この状況で清洲会議から秀吉が暗躍したからだな。
秀吉は三法師を主君にしながら織田信雄に臣従したりで煽っている
0026人間七七四年2017/07/10(月) 22:52:19.47ID:3iNylMfH
信長の子供たちより秀吉のほうが優っていただけでしょ
信忠が足掻いて生き残っていたら歴史はまったく違っていただろうけど
0027人間七七四年2017/07/10(月) 23:18:29.22ID:6pRIlodr
草履取りから大名に引き上げられたっていうのを現代でいうなら

一族経営の中小企業の社長に就職出来ないフリーター猿がひろわれて、
社長に特別に目をかけられて、恩を受けて出世していき、会社も社長の豪腕で大企業に成長し、
フリーター猿は社長のおかげで地方事業部長を任されることになった。
しかし、猿が社長を中国事業部に呼び寄せたことをきっかけに、社長が死亡。
死後1年で猿の手で社長の家族が次々破滅に追いやられ、社長が一生をかけて築き上げた会社も乗っ取られたようなものだな

恩と恥を知る人なら秀吉のようなことは出来ないだろう
0028人間七七四年2017/07/11(火) 08:21:29.00ID:FSaGKXoL
息子たちへの仕打ちに激怒する信長の霊を夢に見た秀吉が恐怖に打ち震えていたと
「利家夜話」にあるが、事実とすれば秀吉自身が織田家に相当な後ろめたさを持っていたわけだろうし
秀吉の霊が死後の豊臣家の体たらくを見たら滅びるのもしょうがないと思ったろうな
辞世の句(いつの時点で詠まれたものかはっきりしないが)を見ても、死後に自分の政権が崩壊することを予見して
諦めているようにも読める
0029人間七七四年2017/07/11(火) 09:01:03.40ID:Riq9g/B6
>>28
託卵なのに織田家の血筋の秀頼を後継にしたのもその辺が理由だったりして。
0030人間七七四年2017/07/11(火) 18:28:19.99ID:gLGA/MKH
つゆの様に落ちて消える我が身。
大坂のことは夢だったんだってやつか。

恩を受けた信長の家族を破滅させまくって大坂に城を建てたのが死後1周忌だからな。
大坂ってのは秀吉の主家横領の象徴といえる。自分の死とともに消えていく夢ってのを本人は分かってたのか。
まぁ夢というより野心と言った方がいいけど。
0031人間七七四年2017/07/12(水) 17:31:24.44ID:UyT/vBYC
http://www.owp.jp/osaka/

こういうのを見ると豊臣大坂城は金儲けの道具になっていると強く思うな
草履取りから引き上げてくれた大恩人を備中に呼び寄せて死ぬきっかけをつくり
主君の死後1年で主君の妻、主君の息子、主君の孫娘、主君の妹を殺して
主家を横領しながら建て始めたのが大坂城なわけだが。

恩知らずの城を歴史をねつ造しながら商売の道具にしてるわ
0032人間七七四年2017/07/12(水) 20:00:09.71ID:2RAh/bHH
客を呼びたいような城なんてどこも似たり寄ったりだろ
お前さんはただ秀吉を扱き下ろしたいだけなんじゃね?
0033人間七七四年2017/07/12(水) 22:51:53.46ID:UyT/vBYC
秀吉に呼ばれた信長が京都で殺されたのが1582年
秀吉が信長の家族を殺しまくって大坂城を建て始めたのが1583年だ

恩人が死んで1周忌で恩人の家族を殺しながら大坂城を建て始めたのは事実だ
0034人間七七四年2017/07/13(木) 04:37:22.24ID:6pWRA1ZO
>>31
すっげー細かいことだけど金儲けの道具になってるのは徳川大坂城だよな?w
0035人間七七四年2017/07/13(木) 05:39:32.15ID:+Jd7BKSq
でも秀吉の名前で金もうけ
0036人間七七四年2017/07/13(木) 13:41:21.80ID:YPOlWqUs
>>7
みるとどんだけ資金を投下してんだって話だな
数百億数千億の世界だろ。維持費もかなりかかっている。
そりゃデブの秀頼を細身のイケメンにしたり、白髪歯抜けの幸村をイケメンにしたり
徳川をタヌキ親父と罵りながら石田三成を美化したり
家康が正統な手続きを踏んで行ったことを野心からやったことだと罵倒したりするわけだわ
0037人間七七四年2017/07/13(木) 13:47:27.90ID:YPOlWqUs
>>33
のような事実は豊臣信者がもっとも隠したいことだろうな
恩人や大切な人が死んだら長い間喪に服すものだが、秀吉の場合1年で信長の妻や孫娘を串刺しにして殺すからな
イギリスのヴィクトリア女王なんかだと、夫が死んでから一生喪服を着ていたというのに。

大坂城は信長の死後1年で信長の家族を殺しまくりながら建てられ始めた
これは重要なことだ
0038人間七七四年2017/07/13(木) 17:03:18.28ID:lKbvRvew
家臣への書状でかつての主君である信長を呼び捨てで書くくらいだからね、秀吉は
まあ秀頼も大坂の陣後、伊達や毛利の書状で呼び捨てにされているけど
0039人間七七四年2017/07/13(木) 18:52:06.65ID:7v/kxSEo
政権が変わったならそれなりに見せないとな
まあ力のある者が取って代わるのは世の常
0040人間七七四年2017/07/14(金) 21:17:54.34ID:/p+xswkD
帝が秀吉を関白に任命し、秀吉がそれに相応しい力を持っている以上従うのが道理だし
帝が家康を征夷大将軍に任命し、家康がそれに相応しい力を持っている以上従うのが道理だな
安倍が気に入らない、鳩山が気に入らないと言ったところで日本の首相な以上従わなければならないのと同じだ

秀頼が自分を正義だと主張したいなら、
まず帝に懇願して徳川を征夷大将軍からおろし、朝廷の伝統である関白五摂家持ち回りをもう一度壊して
五摂家から関白を奪い取らなければ大義はない。

秀頼は謀叛人で間違いない。謀叛人に敬称はいらない
0041人間七七四年2017/07/15(土) 16:46:48.29ID:GWPnE6T4
>>38
信長は秀吉の主君だったが、
家康や政宗などの主君は秀吉じゃないぞ。
とくに1585年以降に関白の指揮下に入った大名は。

秀吉は1585年に関白職をだまし取り、惣無事を発して天皇に臣従するように呼びかけている。
1588年と1592年には聚楽第行幸をあおいで天皇に忠誠を誓い、関白が代理として政務を行うことを宣言している。
家康ら諸大名の主君は後陽成天皇であって、豊臣ではない
0042人間七七四年2017/07/15(土) 18:39:21.61ID:dpK1T6/n
つうかそんなん名目じゃん
0043人間七七四年2017/07/15(土) 21:00:24.15ID:3GQzW+6F
なんにしても豊臣家は力なく没落
0044人間七七四年2017/07/16(日) 13:25:41.98ID:0/rbj99Q
>>42
名目を無視するなら、力のある徳川に豊臣はさっさと尻尾をふるべきだろう

徳川は名目上は右大臣征夷大将軍で江戸に幕府を開き武家の棟梁として公儀を行い
力においては戦国No.1の実力者なんだから
0045人間七七四年2017/07/16(日) 14:06:43.79ID:f0SvHTkV
>>44
秀吉は名実ともに備えていたから家康は尻尾を振ったんじゃないの?
0046人間七七四年2017/07/16(日) 14:12:44.04ID:0/rbj99Q
だな。
力を持ち、名実をそなえた帝の代理である関白が天下のためにと頭を下げてお願いしてきたら
そりゃ信長といっしょに天下国家を考えていた盟友の家康は断れんよ
尻尾を振る。けど、秀吉は関白を殺して自ら大義を手放した。1601年に帝が関白を任命し1603年に征夷大将軍を任命した以上
豊臣は力もなければ名目もない、ただのいち大名になってしまった。成人まで後見するという約束を果たせば、あとは大人の対応をされるのも当然
0047人間七七四年2017/07/16(日) 14:52:55.06ID:2GuSnXeG
秀吉に従ったのはそのときの流れ
そのうち秀吉ともども秀頼ふくめ豊臣は勢いを失った
0048人間七七四年2017/07/16(日) 18:10:48.02ID:r7eS/358
秀吉は本質的に「武士」というのとは違う気がするな。
家康を上洛させるために彼が採った肉親への行動というのは
彼の心象風景が武士でもなんでもなく、
ただの非人階級の出身者であることを如実に物語っている。
0049人間七七四年2017/07/16(日) 18:13:19.93ID:r7eS/358
秀吉は恥も臆面もなく動ける出自だったから
争い事には強かったようだ。
破廉恥な振る舞いをしても、批判は浴びなかったから。

威勢もよく、度胸もあり、フザけたその態度も
若い武士たちから憧れられる存在だった。
0050人間七七四年2017/07/16(日) 18:28:03.52ID:r7eS/358
秀吉は「秀頼が自分の種でなくともよい、と考えていた」説について。

秀吉は出世した後も父親の菩提寺を建てておらず、
また取り立てた血縁者も母方だけで父方の血縁が
ひとりもいないところから、私生児説、もしくは
少なくとも「特定される父親はいなかった説」がある。

秀吉の時代の下層農民は苗字を持たず、
村への帰属意識に埋没して生きており、
その性はフリーセックスに近いもので、したがって
血統に対する観念的なこだわりを持っていなかった、という説。

秀吉は旧主筋で美貌の茶々を溺愛しており
その産んだ子なら、誰の子でもよい、と考えていた説がある。

江戸時代を経た現代からは想像できない、
原始的な社会で彼が育っていたことを念頭におけ、という考え方。
0051人間七七四年2017/07/16(日) 19:19:01.21ID:f0SvHTkV
秀吉を貶められるんだったらなんでもありって感じに見えるが
0052人間七七四年2017/07/16(日) 19:35:35.13ID:BqU6/kJr
>>48
秀吉が武士でないことは間違いないだろう。
非人階級である可能性は、服部英雄さんが証明した以上、非常に有力だ。

ただ、家康の上洛は違うと思う。
あれは、秀吉と家康がやった八百長試合。
どうやったら収拾つけられるか、互いに知恵を振り絞ってやった出来レース。
0053人間七七四年2017/07/17(月) 02:06:32.94ID:v2XFYM2K
>>41
家康は秀吉が関白に成る前から人質送って恭順しているんだから、
その理屈は通らんよ。
0054人間七七四年2017/07/17(月) 02:17:56.99ID:N/sbh/LD
人質おくるなんて当時は当たり前
0055人間七七四年2017/07/17(月) 07:45:45.60ID:tblj7+4E
恭順するときの当たり前の行為だな。
0056人間七七四年2017/07/17(月) 08:03:41.88ID:UXe2nase
直接家康が会いに行ってない以上臣従していない
0057人間七七四年2017/07/17(月) 09:38:16.61ID:7QhwEWw8
>>55
いやお互いさまの行為ですので
0058人間七七四年2017/07/17(月) 09:53:52.32ID:AS4efva3
>>53
秀康は養子であって人質ではないよ
後継者のいない豊臣家の養子になったんだよ。
北畠の養子になった織田信雄や
神戸の養子になった織田信孝や
小早川の養子になった小早川隆景や
吉川の養子になった吉川元春と同じだ
人質と養子はまったく違うもの。養子は家を乗っ取れる。
小早川隆景は毛利本家を乗っ取られないために自ら名乗り出て秀秋を受け入れるくらいだし
鶴松や秀頼が生まれると秀康は結城家に追い出され、秀秋は小早川家に追い出され、秀次は殺される
それくらい養子ってのは重要
0059人間七七四年2017/07/17(月) 10:02:16.97ID:AS4efva3
秀康を養子にすることで豊臣が譲歩したとみるべきだろうな
秀康も人質ではないから、馬で併走した秀吉の寵臣を斬り殺しているし
秀吉が折れて講和した証拠に、養子の秀康を尊重し、1585年に従四位下左近衛少将に叙任したりもしている。
0060人間七七四年2017/07/17(月) 10:12:38.61ID:5dy0SlvM
小牧長久手の後の紀州攻めにも四国攻めにも家康の軍勢は参加してないんだから恭順とまではいかんだろ
0061人間七七四年2017/07/17(月) 10:17:53.11ID:AS4efva3
豊臣家が徳川家に形として恭順したんだよ。
養子を受け入れるというのはそれだけ重大なこと
0062人間七七四年2017/07/17(月) 10:20:28.29ID:AS4efva3
永禄12年(1569年)8月、織田信長の侵攻を受け、大河内城を包囲・攻撃され、
10月に将軍・足利義昭の仲介で和議を結んだ(大河内城の戦い)[11]。
その結果、信長の次男・織田信雄を北畠具房の養子とし、
かつ先代・具教の娘・雪姫(千代御前)の婿に迎えるという織田家に有利な形で講和することとなった


これと同じ
0063人間七七四年2017/07/17(月) 10:24:09.74ID:AS4efva3
永禄11年(1568年)再度信長軍が侵攻してくると、抗戦の利あらずとして信長の三男・信孝を養子として迎えることで和睦した。


織田信孝のこれもそう。
養子は人質ではなく、負けた側や不利な側が下手に出る行為
豊臣が徳川に下手に出て頭を下げた形なんだよ
0064人間七七四年2017/07/17(月) 10:36:09.02ID:tblj7+4E
>>58
当時の秀吉の後継者は信長の子供であって、秀康は養子ではないよ。
相続権のない「猶子」だからね。
だから人質以外の何物でもない。
0065人間七七四年2017/07/17(月) 11:52:50.13ID:gVLejB0c
信長の娘は家康の息子に嫁いだ
これもある意味人質と言える政略結婚
当然家康より信長の方が威圧的だった

こんなこと当時では当たり前すぎること
0066人間七七四年2017/07/17(月) 13:23:52.76ID:AS4efva3
養子や婚姻にかんしては伊達稙宗が参考になる
息子や娘を結婚や養子で諸大名に送り込んで盟主になった
公家でも後陽成天皇の息子が近衛家や一条家の養子になっている。
今川義元は人質の家康に姪を嫁に出しているし
武田家は勝頼を対立していた諏訪家に養子に出し、信親を海野家の婿養子、信之は西保家の養子、盛信は仁科家の養子に
斎藤道三は弱い立場の信長に濃姫を嫁に出しているし
織田信長は信雄を北畠家に押しつけ養子にして、信孝を同様に神戸家の養子にした。
毛利元就は隆景を小早川家に、元春を対立していた吉川家に送り込んだ
大友家では親盛が田原家の養子になり


基本的に強い立場の方が養子や嫁を出す。これは戦国の常識だな
0067人間七七四年2017/07/17(月) 13:27:37.45ID:J1ngy0rH
>>64
秀康は養子だった筈だが。
0068人間七七四年2017/07/17(月) 14:28:08.92ID:ShmkWCg6
>>65
その通り嫁を出すほうが強い。だから家康は秀吉の妹を娶らざるを得なかった。

>>67
多聞院日記などに記載があるけど猶子で相続権はない。
どっちにしろ当時の後継者は信長の子供であって秀康に回ってくる可能性はない。
なので完全に人質としてとられている。
0069人間七七四年2017/07/17(月) 14:41:54.00ID:nkSVFCBK
>>68
嫁を出すのが強い、じゃない
そうやって縁戚関係をもとめて同盟を結びたがるのが戦国時代の常ってこと
珍しい話じゃないから大騒ぎするのがバカってこと
0070人間七七四年2017/07/17(月) 14:49:29.83ID:AS4efva3
>>68
だな。強い立場の方が嫁を出す。
朝日が家康に嫁いだのは秀吉が関白になってから。
天皇の政務を執行するという大義を手に入れた秀吉は強い立場だ。

信雄を取り込んで家康に媚びを売り、講和した秀吉は
紀伊と四国を併合して、関白相論を利用して関白になった。
そして天皇の代行者としての立場で振る舞うようになった

家康も帝を重んじるという姿勢で関白に譲歩せざる得なかった。
羽柴秀吉の妹ではなく、関白殿下の妹と結婚せざる得なかった。

そして1586年に関白に頭を下げられ、天皇に臣従を誓い、関白の指揮下に入った
というのが史実だ
0071人間七七四年2017/07/17(月) 16:14:01.13ID:3S4lZY6f
>>61
つまり秀吉が家康に降ったのに、その後は主従逆転して家康が秀吉の言うことを聞いてたってこと?
0072人間七七四年2017/07/17(月) 17:59:55.72ID:DOvNLR1H
>>70
両家で仲良くしましょうって意味で政略結婚するんだよ
オマエラバカか
0073人間七七四年2017/07/18(火) 21:29:23.52ID:lSWWwmN0
秀保に関しては秀吉お得意の各大名へ家康から人質取ったぞって
誇大広告の書状送ってるから勘違いされてるところもあるんじゃ無いか
0074人間七七四年2017/07/18(火) 22:41:06.35ID:GNhht129
本質的に秀吉の人柄を語れる人、いない?
私見で結構だから、おのおの、語ってくれよ。
個人的には、ものすごくわかりづらいんだよね。

「調子にのった穢多」ってことでいいの?
0075人間七七四年2017/07/18(火) 23:56:06.43ID:Hi5j/0tq
>>74
秀吉はサイコパスでFA

http://blog-imgs-44.fc2.com/k/a/l/kaleido11/20141001-3.jpg
0076人間七七四年2017/07/19(水) 00:07:43.39ID:QbL8CBzm
秀吉は口達者で人垂らしと呼ばれて一見魅力的で調略が上手いが
非常によく嘘をつき、竹中半兵衛に相談した黒田官兵衛のように恩賞でだまされたり
手紙が虚偽だったり、近衛家を嘘でだましたりする。
そして関白を世襲にしながらその関白を殺したり
朝鮮出兵を主導しながら秀頼が生まれたら放置したりで無責任
批判されると衝動的に行動して利休の様に殺したり村一つ皆殺しにしたりする
情があさく関白一家の女子供を皆殺しにしたり、恩を受けた信長の妻や孫娘をはりつけにしたりする
そして涙を流して同情を引きながら約束や契約で縛る

秀吉はサイコパスでFA
0077人間七七四年2017/07/19(水) 08:07:19.80ID:ZMoLKAvx
秀吉が「織田家中の若い武士たちに人気があった」
という記録はどう捉えればいいの?

秀吉には命知らずで勇敢な一面があり
それが非常に憧れの的だった、という説。

もう少し彼の肯定的な一面とか、多角的に
そういうことを語れる人、いるはずだぜ?
0078人間七七四年2017/07/19(水) 08:20:27.70ID:oioTd3ZV
人気があった、という記録を誰がつけてたかによる
0079人間七七四年2017/07/19(水) 13:02:00.10ID:QbL8CBzm
>>77
サイコパスととらえれば良い


「経営者には“サイコパス”が多い」不都合な真実
http://president.jp/articles/-/19916

――「冷酷」「恐れを知らない」というようなサイコパス特有の性格

リスクを人よりも多く取るというサイコパス的な性格

権力のある地位につくと、すべての人がそうなるわけではありませんが、
相手の気持ちを理解する力が下がることを示唆する証拠があります。

サイコパス度がもっとも高い職業がCEO
トップになるにはサイコパス度が高い性格であることが有利
0080人間七七四年2017/07/19(水) 17:35:49.55ID:Am3LEYEM
>>人気があった、という記録を誰がつけてたかによる

織田家中の武士の記録
あと前田利家も人気があったそうな
そんで徳川殿はまったく駄目なんだと
0081人間七七四年2017/07/19(水) 21:23:25.21ID:XWMkgGZq
>>78-79
戦国ちょっといい話・悪い話まとめサイトで
「豊臣秀吉の素性および性格」「関白(秀吉)は極度に淫蕩で」の話を読んでみな
なんかリンク貼れないからこういう書き方しとく
0082人間七七四年2017/07/19(水) 21:57:39.00ID:QbL8CBzm
>>81
秀吉はサイコパス確定ですわ
0083人間七七四年2017/07/19(水) 22:25:24.85ID:PTyFtPRC
>>81
両方フロイスやん
0084人間七七四年2017/07/19(水) 22:43:58.14ID:nUpKFeAG
秀吉を慕って秀吉に従った連中はやまほどいるが、
秀吉を裏切ったり、秀吉から逃げ出した人間はいない。
せいぜい罪を犯して追い出された人間くらいしかいない。
0085人間七七四年2017/07/19(水) 23:07:01.24ID:XWMkgGZq
>>84
「関白に示すこれほどの屈服と従順さは」「いかにしてこのように大胆で無謀なことを」参照のこと
0086人間七七四年2017/07/20(木) 00:15:07.98ID:kiPO2uAo
>>80
史料の具体名出してくれよ
0087人間七七四年2017/07/20(木) 00:18:53.24ID:QZwgvf2r
>>85
あれは完全にフロイスの妄想作文ですね。
当時で秀吉を批判する手紙でもあるのなら示してほしいものだがねえw
0088人間七七四年2017/07/20(木) 01:46:20.13ID:wTj5lOsa
>>87
妄想だとする史料を示すのが先でしょうな。
0089人間七七四年2017/07/20(木) 02:19:13.35ID:ML52vbFW
>>84
織田信雄がいるだろ。
主家を主家の故郷である尾張から追い出すとはけしからんと言ったら改易された。

豊臣秀次もいる
秀吉の方針に逆らったら聚楽第行幸で帝の代理と宣言している関白なのに殺された。
ついでに女子供まで一族皆殺し

千利休もいる
秀吉に批判的な事を言ったら切腹だ

丹羽長重もいる
父長秀は秀吉に協力しつづけたが、ちょっと否定的なことを言ったら
子供の代で110万石の大没収


秀吉の場合は謀叛をおこす以前の段階
批判しただけで殺され、全てを奪われる
謀叛人にも降伏勧告をする寛容な信長とは月とすっぽん
0090人間七七四年2017/07/20(木) 03:25:59.54ID:IHQ9xoR9
天下人を表だって批判できるわけがないわなw
0091人間七七四年2017/07/20(木) 14:05:14.98ID:GKePWos2
全員秀吉が切った相手であって秀吉が裏切られたはないなあ
0092人間七七四年2017/07/20(木) 15:01:23.90ID:M8rIjCOe
>>89
丹羽長重はしゃーない
幾ら何でも若すぎ
0093人間七七四年2017/07/20(木) 16:30:24.35ID:ML52vbFW
秀吉は自分を非難した奴を破滅にまで老い込む

神子田正治
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AD%90%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%B2%BB
正治は、他隊が交戦中であったにも関わらず、その敗北を知らぬまま、手勢を放置して無断で先に離脱した。
しかし個人で敵の首級を1つ挙げて帰還したので秀吉に感心されたところ、

このようなことで感心されたのでは「諸将が、匹夫の勇にばかり心がけ、戦いで大利を得ることはできますまい」と
主人に苦言を呈したため、秀吉は分を過ぎた発言であると激怒したが、
正治は「大小の利をわきまえず、戦いだけで功を計るのは、闇将である。ともに謀るにたらず」と放言し、
秀吉も正治は持ち場を放棄して逃げ去った臆病者であると罵った。正治は重ねて秀吉を闇将と誹って去ったため、
行動の責任を問われて所領を没収された上で高野山に追放された[4]。

天正13年(1585年)閏8月13日には朱印状が発せられて、高野山からも追放となり、
妻子も連座することになってこれらを庇護することは禁止された。

このために諸国を放浪し、天正15年(1587年)に豊後国で自害したとも、
九州征伐で陣にあった秀吉に帰参を哀願したが、許されずに切腹ないし打ち首を命じられたとも言う。
その死後、京都一条戻橋に梟首が晒され、「臆病者」との高札が立てられた
0094人間七七四年2017/07/20(木) 16:48:46.27ID:mrqfdf3m
>>91
明らかに謀反しても勝ち目ない状況じゃ表だって裏切りはしないな
もっとも死後のこと考えれば裏切られまくってるがw
0095人間七七四年2017/07/20(木) 17:39:00.11ID:tBLLQVhN
>>93
それに関しては神子田が悪いんじゃね?
最初の発言はまだ主君に苦言を呈するって事で分かるけどそれ以降の発言に関しては神子田にも非があると思うがな
最初の発言の後にすぐに謝れば済んでたと思う、昨日今日家臣になった訳でもなしに
0096人間七七四年2017/07/20(木) 18:36:50.87ID:VlzsHiqy
秀吉が子供のころ、秀吉をいじめた奴がいて、後年になって
秀吉がその道を通ったとき、そいつのことを思い出した。首を切ろうということで探したが
本人も子供もすでに死んでると村人が言って、孫ならいる、とのことで、孫なら仕方ないという
ことで、誰も罰しなかった。子供のころのイジメはよくない。
0097人間七七四年2017/07/20(木) 19:33:11.06ID:GKePWos2
>>94
山崎、賤ヶ岳、小牧長久手は普通に秀吉裏切っていたら勝ち目あったはずだが、秀吉に下った奴は大勢いるが、逆の奴誰かいたっけ?
0098人間七七四年2017/07/20(木) 19:55:55.43ID:vJshN0R8
>>96
松下時代じゃなかったっけ?
0099人間七七四年2017/07/20(木) 20:08:15.59ID:LZ6uDWzX
>>91
まあ恐怖政治はよくある話だけど、秀吉は基本的に狭量だわな
すぐ殺しにくる
0100人間七七四年2017/07/20(木) 20:38:21.86ID:1XVtnw90
>>97
山崎勝ち目なし
賤ヶ岳小牧長久手はもともと秀吉が裏切られて起こった戦い
0101人間七七四年2017/07/20(木) 21:45:44.03ID:UwW3uwip
>>88
フロイスの言葉を補足する証拠が一切ないからな。
その逆はいっぱいあるぞ。
当時の大名はみな渡海申請をだして、それが認可されたらみなにめでたいと祝われている。
みな勇ましい事を手紙に書いて送っている。

で、秀吉を批判する当時の手紙とかあるのかねw
公家や僧侶ならなくもないが、武家で秀吉を批判したものは見たことがないんだがw
0102人間七七四年2017/07/20(木) 21:49:09.85ID:UwW3uwip
>>89
その四人は全員秀吉を裏切った事などないだろ。
せいぜい秀次の謀反の噂が本当だった場合くらいのもんだ。
その場合は秀次粛清は正しい行為となるね。
信雄利休長重の三人がいつどこで背いたり、秀吉批判したのかね?

ちなみに秀吉は自分と戦った相手や、自分を暗殺しようとした人を自分の傘下に加えていった人間。
器が違うんだよね。
0103人間七七四年2017/07/20(木) 21:51:24.72ID:UwW3uwip
>>99
狭量の人間だったら長宗我部島津徳川といった、自分に敵対した人間の降伏を認めるわけがないだろうw
家康みたいに皆殺しにしているよ。
だが彼らも自分の傘下に入る事を認める器があったのが秀吉という人物であり。
だからこそみな秀吉に進んで仕え、誰も秀吉を裏切らなかった。
0104人間七七四年2017/07/20(木) 22:11:49.86ID:kwgTYbSf
>>103
まった
家康だって敵対者を皆殺しにはしてないだろ?
0105人間七七四年2017/07/20(木) 22:21:37.57ID:UwW3uwip
>>104
大阪の陣では籠城しておらず全く無関係だった、秀頼の子供まで殺していたような?
執拗に大阪方の武将を殺しまわっていたはずだが?逃亡した簾中含めてな。
高天神や堀川をはじめ家康が城攻めしたら、城兵皆殺しになるのがわりと普通じゃね?
0106人間七七四年2017/07/20(木) 23:20:27.58ID:ML52vbFW
平家物語を読んだことないか?
秀頼の子を殺すのは、歴史を学んでいる武家の棟梁ならば当然の対応だよ
男児というのはそれだけで反乱分子だ。
池禅尼に泣きつかれて子供を生かした平家はその子供に皆殺しにされた
武家なら誰もがしっている
0107人間七七四年2017/07/20(木) 23:49:06.74ID:wYQ81lDO
>>106
清盛が頼朝を助けたのは、清盛に頼朝を処罰する権限がなかっただけ。
だから、朝廷の命に従うしかなかった。

寝言もいい加減にしろ。何故清盛が大嫌いな池禅尼の言うことなど従う
可能性など微塵もあるわけないだろ。清盛と池の禅尼の息子、家盛&
頼盛は後継を争った宿敵だぞ。家盛は早死にし、頼盛は保元の乱で
上皇方について、平忠正とその息子たちと一緒に処刑された。
0108人間七七四年2017/07/21(金) 00:06:42.04ID:5pXvmP4q
国松は性別と年齢的には死罪も十分ありえるし
大坂の陣の際に側室系の男子として認めたのが結果的に悪手でしかない
0109人間七七四年2017/07/21(金) 01:36:09.73ID:AuHqhba7
>>103
進んで使えてない
0110人間七七四年2017/07/21(金) 06:28:58.90ID:tYu5qqZr
>>106
殺しまくる家康と許した秀吉
器量があるのはどっち
0111人間七七四年2017/07/21(金) 07:14:38.68ID:ETE8Bu09
>>110
家康
0112人間七七四年2017/07/21(金) 07:40:07.52ID:9Hkymbjn
>>107
頼盛は生きていただろうが
0113人間七七四年2017/07/21(金) 09:10:33.91ID:DCLyiVKt
>>110
秀頼は日本政府にたいして呪いというテロを行い
無職をあつめて国家反逆罪の反乱をおこした人間だぞ
政府に従い礼を尽くした秀信と、政府に逆らい,テロを仕掛けた上で反乱をおこした秀頼の違いはあまりにも大きい
0114人間七七四年2017/07/21(金) 11:46:12.69ID:e1FaxR9J
呪いw
0115人間七七四年2017/07/21(金) 12:15:44.19ID:AoiQPx5d
>>110
殺しまくる秀吉、じゃん、
0116人間七七四年2017/07/21(金) 13:01:09.36ID:rPdO68Gf
何度も徳川に恭順を促したのに拒否続けてたんだから
それだけで将軍家に敵意ありと判断され危険分子扱いされるのは当然
国松が処刑されないためには、徳川へ恭順するしかなかった
だあ淀も秀頼もそれを嫌がり対立姿勢を明確にした
合戦が起これば敗将の子である国松が処刑されるのはしょうがない
0117人間七七四年2017/07/21(金) 14:07:28.92ID:uFPJWSba
せめて徳川に対抗できるだけの武威が豊臣にあるならまだしもな
あの時点で残ってたのは単なる肥大した自尊心だけ
秀頼も淀も時勢のよめない間抜け
0118人間七七四年2017/07/21(金) 15:10:54.10ID:DCLyiVKt
>>114
笑えるのはキミが現代人だからだな
呪術は現代でいう科学だ。

政府閣僚の林羅山が科学捜査で豊臣がテロを行ったと強く主帳したため
前首相の徳川家康が物的証拠をしめして有名国立大学私立大学5つに意見を聞いたところ、
「なによりも悪いことだ。見逃しにはできない」
「承知できることではない」
「前代未聞である」
「好ましいことではない」
など容疑を大筋で認めて否定的な見解をしめし、
実行犯の清韓容疑者を逮捕して事情聴取すれば
「意図的に隠れて行いました。悪気はありません。祝意だったんです」
という趣旨の意味不明の供述をした。事態を深刻に思った政府は
テロを支持して清韓容疑者にテロを実行させたとみられる豊臣に,
豊臣秀頼本人が政府に出頭するか
本人がこられないなら保護者の母親が出頭するか、
テロリストの温床になる大阪からの移動に応じるようにもとめた。
しかし、豊臣は無職をあつめて檄文を発して反乱をおこした。

責任ある政府はどうすべきか。政府は非常事態宣言をおこない大阪に軍を派遣した。
現代的にみてもきわめて道理にかなった行動をしている。
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