【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2017/06/23(金) 20:16:46.14ID:yPoQZsoeこの合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/
前スレ
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1469158293/
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/
大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/
0002人間七七四年
2017/06/23(金) 20:17:11.44ID:yPoQZsoe幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。
長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。
大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。
真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。
毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。
大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。
後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。
木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。
0003人間七七四年
2017/06/23(金) 20:22:48.60ID:53ixmBS+菅 貫太郎
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ナレーター
寺 田 農
0004人間七七四年
2017/06/24(土) 08:54:26.18ID:d5y1rfrJ関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
0005人間七七四年
2017/06/24(土) 11:32:04.38ID:/bM1ss070006人間七七四年
2017/06/24(土) 11:39:11.89ID:ubXSnwj2関ヶ原が起きちゃったからね、しょうがないね。
あれは西軍が家康に喧嘩売った形だし。
しかも東軍が倒せるレベルの反乱でしかなかったからね。
恨むんなら奉行衆と総大将引き受けた輝元だね。
家康を恨むのは筋違い。
0007人間七七四年
2017/06/24(土) 13:54:20.70ID:uRsO9JwE家康を台頭させてはお家の危機、ぜひ御一考をと。
まあ秀頼は傀儡すぎて役にたたんかも知れんが。
0008人間七七四年
2017/06/24(土) 14:14:57.93ID:GUwA6PBi0009人間七七四年
2017/06/24(土) 14:29:01.85ID:l3MQIsQ9正直三成がいくら豊臣御為を口にしたってあのタイミングじゃ
「単に自分が政権復帰したいだけだろ」って思われてしまうわな。
0011人間七七四年
2017/06/24(土) 19:47:11.83ID:iId+K2yq0012人間七七四年
2017/06/24(土) 20:30:49.75ID:qZZpHfNe別にそれでいいじゃん。それで徳川政権が無事回ったんだし。
いらん事して御家が滅亡するより余程マシだ。
0014人間七七四年
2017/06/24(土) 21:13:18.13ID:/niKo9mC0015人間七七四年
2017/06/24(土) 22:14:07.82ID:d5y1rfrJ秀忠凡君、家光名君って感じだったと思うけど
二人の評価が逆転したのっていつくらいだろう
大河の葵三代の頃かな
0016人間七七四年
2017/06/24(土) 22:34:17.34ID:r7h5IFzK徹底的に嫌われていたこと。いずれも秀次事件で厳罰を食らい、
池田を除く2人は秀吉が死ぬまで遠流となったし、浅野を除く2人は肉親を
連座で処刑され、高札で罪状を晒された。
だから、徹底的に秀頼を憎んでいた。池田は重病にもかかわらず、
大阪攻めの総大将を望んで任ぜられ、死ぬまで手放そうとしなかった。
どれだけ大阪城を潰したかったかが判る。また、菊亭は左大臣として
朝廷を牛耳り、朝廷と豊臣家と距離を置かせた。
0017人間七七四年
2017/06/24(土) 22:39:33.27ID:GUwA6PBi0019人間七七四年
2017/06/24(土) 23:16:59.07ID:r7h5IFzK家康がやったとしたら嫌がらせ目的だろうね。
豊臣政権が西と結んで何かをしようとしても、間違いなく池田が妨害してくれる。
それを見込んでやった。
0020人間七七四年
2017/06/24(土) 23:25:22.10ID:Y7cTVxClどういう決着をつけるにせよ、一定レベルの警戒は当然。
むしろ警戒しない方がおかしい。
0021人間七七四年
2017/06/25(日) 21:08:59.86ID:Syfe2MY7連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させたと
日本が海外に雄飛する機会を奪い
江戸時代という閉鎖的な暗黒時代を創ったが抜けてるな
まあ4の主張も含めて突っ込みどころ満載の内容だが
0022人間七七四年
2017/06/25(日) 21:12:54.29ID:Syfe2MY70023人間七七四年
2017/06/25(日) 21:23:36.29ID:l6iU7Mot0024人間七七四年
2017/06/25(日) 23:21:45.52ID:HhtSNfSK0025人間七七四年
2017/06/26(月) 04:44:40.73ID:7FqPRylbただそれが費用に見合った勝利かというとまぁ…
0029人間七七四年
2017/06/26(月) 21:14:51.57ID:iuwPtOdJ0030人間七七四年
2017/06/30(金) 21:35:49.42ID:mcAmhH2k豊臣信者の主張
連戦連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させ、日本が海外に雄飛する機会を奪った
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
それでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
且元と大蔵卿局とで全く別の対応をすることにより、疑心を煽った
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
禁中公家諸法度で朝廷や公家を統制し、政治的に蔑ろにした
江戸時代という閉鎖的で発展性の無い暗黒時代を創った
0031人間七七四年
2017/07/01(土) 02:58:22.84ID:37thDGEl他にする事はないのですか
0032人間七七四年
2017/07/01(土) 21:12:54.34ID:pM7W/zIW、戦国坂には長文レス何と珍しくないのに
やっぱり豊臣信者ってすぐ分かる嘘ツキの馬鹿しかいないのかな
0033人間七七四年
2017/07/01(土) 21:19:49.86ID:FxMn96Hj内容に批判があるなら、レッテル貼りでは無く
きちんと反論すれば良いんじゃ無いかな
>>32
句読点、改行くらいちゃんとやれ
0034人間七七四年
2017/07/05(水) 23:19:16.32ID:S7xl+wXP0035人間七七四年
2017/07/09(日) 08:42:06.79ID:DYYFCykP0036人間七七四年
2017/07/09(日) 10:53:23.23ID:IMg5PVdp家康が死ぬのを待ってたんじゃね
ところがどっこい、なかなか家康は健康でwww
やがて徳川の体制が盤石になり、喧嘩を徳川の方からふっかけられてしまったw
0037人間七七四年
2017/07/09(日) 18:40:40.51ID:JP2krSZy速水なんて秀頼介錯した説まであるのに影薄いな
司馬の小説だと全員徳川と内通しているかの如くの扱いだったし
0038人間七七四年
2017/07/11(火) 21:07:58.07ID:IAzgwql7諸大名は徳川を見限るって主張する豊臣好きをみるが
秀頼は元服しても母親離れが出来ない乳飲み子程度の評価しか
諸大名の間では無いのに、どうしてその事信じられるんだろう
0039人間七七四年
2017/07/11(火) 21:40:01.01ID:jRFyE56Oまあ確かに伊達とか怪しいもんだが。
0040人間七七四年
2017/07/13(木) 17:24:53.50ID:YPOlWqUs喧嘩をふっかけたってなに言ってんだ?
戦国時代の呪術というのは現代で言う科学に相当するんだぞ?
現代に置き換えるなら、
学識者で政府閣僚の林羅山が科学的捜査で物的証拠をあげて
豊臣は化学テロを行ったと強硬に主張し、首相の家康が五大学の学長に聞いたら容疑を大筋で認め
実行犯の文英清韓容疑者が、意図的にやりました。祝意ですと意味不明の供述をしている状態だ。
秀頼に政府への出頭を求めるのは当然だし、本人がだめなら母親を送れ、それがだめなら犯罪組織の疑いのある大阪から国替えすることと
命令するのは政府からしたら当然の処置だよ
豊臣には政府に対するテロの疑いがかかっているわけだから
0041人間七七四年
2017/07/13(木) 17:45:33.66ID:LpXRSdzU(諱を勝手に使っていいのは主君だけ)
0042人間七七四年
2017/07/13(木) 21:18:00.53ID:0eFjm6RGワロタwwwwwwwwwwwwww
でも、最近の大阪の陣の本では、本当に>>40に近いことを書いているからな。
大阪の「国家安康」がいかに問題のある鐘銘かを説明している。
0043人間七七四年
2017/07/13(木) 21:36:35.73ID:9TT8eXc2一時期そういう傾向があったときもあるらしいけど、豊臣政権後期の書状とか見ると
宛名官途名で書かれているし、実際関ヶ原の時三成が真田に送った書状でも
宛名昌幸や信繁じゃ無く安房守、左衛門佐になってるし、やっぱり諱を書くのは
不敬って事になったんだろうね
0044人間七七四年
2017/07/13(木) 21:39:45.41ID:YPOlWqUs>大阪の陣の本では
そうなのか?
個人的な意見で自分と同じ事を言っている人は見たことないのだが
何か本を読んで受け売りしたわけでもないし、学者でも同じ感想の人がいるのか
0045人間七七四年
2017/07/13(木) 21:50:13.15ID:MaMLj6Pi0046人間七七四年
2017/07/13(木) 22:15:32.19ID:iaHVnxwu0047人間七七四年
2017/07/13(木) 22:52:32.58ID:VZKe6oET実際に用いた秀吉クラスならともかく清韓が勝手にやっていいもんじゃない
政宗は「うふ、政宗って呼んで(はーと)。」って本人が言っまわってるから仕方ない
0049人間七七四年
2017/07/13(木) 23:49:45.16ID:YPOlWqUs東福寺
名前の二字の間に安の字を入れたことは、何よりも悪いことと考える。
国家安康の言葉については、日本・中国共に天子の諱を避ける事は古くからのしきたりである。
日本の庶民の諱についてはこのしきたりが無いことがあると言えども、
天子・執政・将軍の諱は避けるべきで、見逃してそのままにはできない。
天龍寺
家康の名前を考えなく書くこと、特に銘文の言葉が諱に触れることは、承知できることではない。
ただし遠慮して避けるのが道理かは、自分は忘れた。
南禅寺
銘文中に大臣(家康)の名前の二字を分けて書いたことは、過去・現在に例は無い。
その上同じ官位であっても、天子に次ぐ大臣と同じ位置に並ぶことはあってはならない
何よりも大臣の諱の二字を、四言詩に分けて書くことは前代未聞である。
仮に二字を続けたとしても、文章の詞の内に記載することは、全く無い。
相国寺
銘文中に家康の諱を書いたことは、好ましいことではないと考える。
ただし武家のしきたりは知らないが、五山においてはある人物について書く時に、その人の諱を除いて書くしきたりは無い。
建仁寺
銘文の国家安康で前征夷大将軍の諱を侵したことは、好ましいことではない。
文英清韓容疑者
国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也
0050人間七七四年
2017/07/14(金) 16:17:45.54ID:4s4ZgKDl0051人間七七四年
2017/07/14(金) 18:41:32.40ID:FwTLQldu0052人間七七四年
2017/07/14(金) 18:42:12.17ID:CmF4DN15眉目秀麗 放蕩無頼
0053人間七七四年
2017/07/14(金) 18:50:35.53ID:/p+xswkD自由に身体を動かすこと能わず」
セバスチャン・ヴィスカイノ
イスパニア(スペイン)使節として秀頼に面会したときの感想
0054人間七七四年
2017/07/14(金) 19:48:54.89ID:dybiE4E00055人間七七四年
2017/07/14(金) 20:16:37.99ID:/p+xswkD返しきれない恩のある主君が秀吉に呼ばれて備中に途中で死んだのに、死後1年で信長の妻や子など家族を殺しまくり主家を横領し、
近衛家を騙して関白になり、武家関白制にして関白を世襲にしたと思ったら、その関白を殺し
北条家を倒して天皇家の権威のもと諸大名が天皇に忠誠を誓い、日本が平和になったと思ったら外征をはじめて2度も苦戦させた
そして秀吉が九州にいたときに、畿内にいた淀が妊娠して出来た子供が秀頼だ
秀頼もやけ食いしたくなるだろう
0056人間七七四年
2017/07/14(金) 20:39:07.67ID:dybiE4E0うまく豊臣の世にするのはものすごく難しい話だったろう
でもまあそれは年齢的に仕方ない
秀頼はただのクソ
なんにもやれない、なんにも活かせない
ほんとに秀吉の遺産をまるで活かせないクソでしかなかった
家康じゃなくても秀頼ではあっという間にさらわれていくしかない天下でしかなかったわな
0057人間七七四年
2017/07/14(金) 20:51:23.92ID:hd6jhmgI秀忠とか徳川家臣団は秀頼の徳川への無礼に怒り満々だしな
0058人間七七四年
2017/07/14(金) 20:52:57.93ID:dybiE4E0そりゃまあ序列ってもんがあるからな
結局秀頼豊臣ってもんが家康家臣からしたら大したブランドじゃなかったって糊塗だよな
0059人間七七四年
2017/07/14(金) 22:35:51.09ID:KbRS4qLE秀吉は、信長に仕える前に浜松の松下家の小物をしてたが、徳川家にはその頃の秀吉を知っていてバカにしてたのが多かったそうだ。
0060人間七七四年
2017/07/16(日) 12:19:25.48ID:0/rbj99Qその信長を備中高松に呼び寄せて死ぬきっかけを作り
死後10ヶ月で妻や子や孫娘や妹を殺して織田家をことごとく横領して
関白職をだましとって世襲にしたと思ったらその関白を殺しているのだから
豊臣には大義というものがない。
結局豊臣は滅びる運命だったんだよ
大坂城は主君の家族を殺し、主家横領中だった1583年に建てられはじめた簒奪の城で
秀頼は帝から任命された公儀に逆らった謀叛人だ
徳川から見れば、むかし小者でちょろちょろしていた人間が悪行に悪行を重ねて
よくもまぁ関白なんぞになれたものだという感じだろう。関東に左遷されて、湿地帯で葦の生い茂る江戸に住めとか指定して
嫌がらせされているしな
0062人間七七四年
2017/07/16(日) 15:19:41.76ID:0/rbj99Q社長が自分のものだと勘違いするのはよくあること。
与えられた権限や会社の財産を自分のものと勘違いするのを横領という。
秀吉も中国方面軍司令官を任されて、中国地方は俺のものと勘違いした
もし信長が生きていたら、中国地方攻略ご苦労であった、褒美をつかわすと1国与えるくらいだろう
だけど秀吉は信長の死をいいことに全部自分のものにして、主家の織田家すら横領した。
そして豊臣公儀は、天皇を主君としておしたて、諸大名を天皇に服属させることで、代理の関白である豊臣が采配をふるう体制だったが
これも自分の力だと勘違いして関白を殺すという暴挙にでて、契約書を書かせることで正当化しようとした。
そして主君の帝が関白と征夷大将軍を任命してもまだ自分に命令権があると勘違いしていた。
日本の君主は天皇であり、豊臣公儀は諸大名を天皇に服属させることで大義名分をえて、第一の臣下として差配していただけなのにな
秀吉が自ら宣言していたことだ。秀頼らはそれが分かっていない
0063人間七七四年
2017/07/16(日) 15:36:15.90ID:0/rbj99Q1601年に関白が任命され
1603年に征夷大将軍が任命されて大政奉還まで続く大権が委ねられて幕府が開かれた以上、
豊臣が何をいおうと、従わないなら謀叛人になる。
そして呪術が科学と同等の価値をもつ社会で、政府に対して呪いというテロを仕掛け
政府閣僚で学識者の林羅山が豊臣がテロをしたことを強く主張し、
五山が容疑を大筋で認めていて犯罪性を非難し、実行犯の清韓容疑者が意図的にやりましたと供述している以上
政府が本人が出頭するか、本人が来られないなら母親をよこすか、犯罪組織大阪から出るように求めるのは当然だし
従わず反乱をおこせば、軍を派遣して鎮圧し、国家反逆罪の首謀者は死刑にするのは当然になる。
まぁ、秀頼は国家反逆罪のテロリストってことだわな。死んで当然
0064人間七七四年
2017/07/16(日) 15:39:38.30ID:f0SvHTkV0065人間七七四年
2017/07/16(日) 16:33:40.22ID:0/rbj99Q織田株式会社
株主織田
社長信長
副社長信忠
専務信雄
常務兼四国事業部信孝
取締役兼北陸事業部柴田
関東事業部滝川一益
四国事業部丹羽長秀
中国事業部羽柴秀吉
この構図を社長と副社長の死をいいことに、社長の一族をころしまくって、幹部を排除し
織田株式会社
株主織田
社長三法師
副社長秀吉
この構図で織田の財産を横領していった秀吉は
天皇株式会社
株主天皇
社長秀吉
この形にすることで、三法師の上位にたち、織田家の財産を横領したことを正当化して
全国の諸大名を天皇株式会社にM&Aしていくことで、社長の自分に従わせていったわけだからな。
秀吉の死後、
株主の天皇は関白を九条、征夷大将軍を家康にしたわけで
0066人間七七四年
2017/07/16(日) 17:00:09.06ID:9xZfIm2K株主は意見する権利があるだけで所有者とは言わないよ
もちろん過半数を所持してたらほぼオーナーではあるけど。
ただそれはもともとの経営者が自社株としてほぼ持ってるわけだからなかなか有り得ないけど。
もちろん戦国日本のオーナーは天皇陛下だよ
0067人間七七四年
2017/07/17(月) 18:20:29.35ID:kkeJTL6X頼将(頼宣)や頼房に秀頼の諱を犯された事への意趣返しかも
0068人間七七四年
2017/07/17(月) 18:57:39.67ID:AS4efva3俺の諱が〜とか勘違いしたのか? 秀頼みたいなデブの名前を誰が欲しがるのかね
0069人間七七四年
2017/07/18(火) 08:09:13.93ID:bBZSZcggそりゃ源氏の頼の字なんだろうが
片諱で無い限り貴人の諱を避ける慣例から
豊臣側からしたら秀頼に対して遠慮が無いと思ったんじゃね?
0070人間七七四年
2017/07/18(火) 08:16:51.39ID:bBZSZcgg片諱で無い限り→偏諱で無い限り
0073人間七七四年
2017/07/18(火) 12:34:43.34ID:EVA5BnC6一字もらうのに貢いだり懇願したりと苦労して頂くもんだ
0074人間七七四年
2017/07/18(火) 12:52:35.56ID:byhI+OnH0076人間七七四年
2017/07/18(火) 21:26:19.88ID:lSWWwmN0だろうねも何も、書いた清韓が意図して諱を入れましたって言っているのに
今更何を
ただ家康自体は不快に思っていても、堪忍したみたいだけど
秀忠や徳川家の家臣達は頭にきてたみたいなんだよな
0077人間七七四年
2017/07/18(火) 21:37:43.70ID:Hi5j/0tq徳川頼宣の頼
徳川頼房の頼
清和源氏の諱は義と頼
源が頼で
足利が義
0078人間七七四年
2017/07/18(火) 21:55:44.62ID:rWuTcK5R0079人間七七四年
2017/07/19(水) 21:15:38.79ID:3BuHabdN源も頼は頼朝以降でしかも頼家と摂関将軍くらいで
基本はやっぱり義じゃないか
家康の家は義家の家からきてるって言われてるくらいだし
あと源だと義朝や為朝、頼朝、実朝など朝の字も結構使われてるけど
家康は朝の字は使おうとは思わなかったのかな
0080人間七七四年
2017/07/19(水) 22:09:08.72ID:QbL8CBzm頼宣、頼房の頼は太政大臣家の平家を滅ぼして幕府を開いた源頼朝の頼で
義直は義を直すとも読める。関白を殺したりする豊臣に奪われた大義を直す。
征夷大将軍としての決意表明に思える。そして
頼宣は、頼朝の頼に、宣で、宣にはすみずみまで広めるとか、帝の命令みことのりという意味があって、
幕府を開いた頼朝の意志を広めるという意味
頼房は頼朝の頼に、房は沢山群がってながく付いたもの、
さまざまな大名を、頼朝の、征夷大将軍の意志で束ねるという意味があるのではあるまいか
0081人間七七四年
2017/07/19(水) 22:58:15.94ID:PTyFtPRCてか義直って名乗ったの秀頼を殺したあとじゃなかったっけ?
0083人間七七四年
2017/07/20(木) 21:29:10.32ID:XCQny41a0084人間七七四年
2017/07/20(木) 22:00:24.53ID:UxLbfTjHむしろ遜っている感じだし、逆に家康としては友好の証のつもりだったんじゃ無いか
頼宣が元服したのは秀忠上洛時、会見を豊臣方が拒否した一年後のことだし
秀忠や彦右に代表される家臣連中はどう思ったか知らないが
0085人間七七四年
2017/07/20(木) 22:36:32.33ID:eEsKW/+g0086人間七七四年
2017/07/20(木) 22:37:25.80ID:zL/9cM5l頼は豊臣家伝統のものでも徳川家伝統のものでもないから
どっちが上下、挑発行為という議論は無意味では
侮辱するつもりなら諱を尻にしく命名するよ
秀吉がしたようにね
0087人間七七四年
2017/07/20(木) 22:56:13.06ID:ML52vbFW征夷大将軍になれる資格をもつ御三家にしたという事実の意図は明確だ牢。
家康は豊臣秀吉を平清盛に見立て、自分を源頼朝に見立てている。
頼朝は子供に頼家と名付けているので、頼は源氏の頭領の諱だ。
頼宣、頼房と源氏の頭領の諱を付けるのは征夷大将軍家として当然なのだろう
0089人間七七四年
2017/07/21(金) 01:03:38.15ID:jh+Aiyc2徳川家としてはもう秀頼は主君では無いという意思表示だったのかもしれない
花山院家には気を使って家忠の名を取りやめたのに(結果家光になった)
>>87
御三家といえど頼房の水戸家は将軍になれない
そもそも水戸家は忠長の駿府家よりも格下だったし
幕府初期は将軍家、尾張家、紀州家が御三家だったわけで
0090人間七七四年
2017/07/21(金) 16:53:41.01ID:HfMzctTw0091人間七七四年
2017/07/21(金) 21:33:19.78ID:UGvfQ540鶴松の通称が八幡太郎だったって根拠の史料は何?
0092人間七七四年
2017/07/22(土) 10:27:25.36ID:U20euouBこの時代は幼名と通称の区別があいまいになってきてたように見える
0093人間七七四年
2017/07/22(土) 12:11:19.71ID:QReGglxv0094人間七七四年
2017/07/25(火) 21:22:02.39ID:jf24Rsn/茶々と片桐且元の懊悩
http://www.heibonsha.co.jp/book/b288085.html
【目 次】
第1章 関ヶ原合戦以前の茶々と且元 茶々の呼称について/秀吉の妻になるまで/秀吉の妻から秀頼の母へ/秀吉時代の片桐且元/
茶々・秀頼から且元への文書群/茶々・秀頼からの七通の文書/文書を伝えた片桐家の思惑
第2章 関ヶ原合戦後の茶々・秀頼の立場 徳川家康の政権執政への復帰/合戦後の茶々の行動/政権運営の在り方の変化/家康、領知宛行権を掌握/羽柴家譜代大名にとっての秀頼の立場/
「公儀」と羽柴家の分離/家康、官位執奏権を掌握/家康、羽柴家と距離をおく/家康、政権本拠を伏見に移す/伊達政宗の観測/家康、将軍任官を計画/家康、敵対大名を降参させる
第3章 且元を頼りにする茶々茶々の「気鬱」/茶々から且元への消息──消息@/年代の推定──消息@/茶々、且元の身上を心配する/茶々、且元に秀頼の親代わりを頼む/
対応の遅い茶々/茶々から且元への消息──消息A/年代の推定──消息A/家康への取り成しを願う/「難儀」の「申し事」/且元への信頼/再び茶々の気鬱/その後の秀頼/羽柴家の存在をどうみるか
第4章 茶々・秀頼と且元の対立 大坂の陣の引き金/且元が示した三ヶ条の衝撃 9月18日/且元成敗の意見 9月18〜19日/且元に対抗する大野治長/且元、家中に奉書を出す 9月20日/
織田常真から連絡届く 9月23日未明/且元襲撃を懸念する常真/且元、出仕を取り止める 9月23日/織田頼長、幕府との抗戦を望む/信頼と疑念に揺れる茶々と秀頼 9月23〜25日/茶々の発言力、家臣の本音
第5章 茶々・秀頼から且元への説得 秀頼から且元への書状──文書B 9月25日/茶々から且元への消息──文書D 9月25日(日付は26日付け)/茶々から且元への起請文──文書E 9月25日(日付は26日付け)/
且元からの返事、武装する片桐・織田家臣 9月25日夜/秀頼、二度目の書状──文書C 9月25日夜/家臣の疑問再び。茶々の政治的力量/且元への警戒拡大。双方とも軍勢引かず 9月26日深夜/
秀頼の有力家臣、片桐貞隆/抗戦姿勢を見せる且元側 9月26日/茶々の怒り。軍勢退去へ 9月27日/茶々から且元への条書──文書F 9月27日/茶々と且元、それぞれの真意
第6章 茶々・秀頼と且元の決裂 且元、城外の下屋敷に退去する 9月27日/絶大だった且元の権力/織田有楽・大野治長からの人質/織田常真の大坂退去 9月27日払暁/茶々・秀頼を見捨てる織田家一族/
有力家臣らにも見限られる羽柴家/開戦必至。秀頼、弁明を試みる 9月28日/家康激怒。幕府方の判断は「戦争になる」 9月25日〜10月1日/大坂城の武装開始 9月29日頃/高台院寧々の想いは空しく 9月29日/
且元・貞隆の大坂退去 10月1日/幕府方へ弁明する織田有楽/家康、且元に大坂城攻めを伝える 10月1〜5日/茶々と且元の訣別/茶々・秀頼そして且元の死去 慶長20年5月
0095人間七七四年
2017/07/26(水) 06:49:48.79ID:vGYVxdl10096人間七七四年
2017/07/26(水) 09:41:44.67ID:waKHA1Stそれに文句言ってたグループなのに結局やるんかいという
0097人間七七四年
2017/07/26(水) 09:58:41.05ID:74N9QTw2何可こだわりでもあるのかな
0098人間七七四年
2017/07/26(水) 21:05:26.19ID:DAVjE6nX0099人間七七四年
2017/07/26(水) 21:35:04.88ID:waKHA1St0100人間七七四年
2017/07/26(水) 21:50:02.31ID:DAVjE6nX0101人間七七四年
2017/07/26(水) 22:59:39.19ID:waKHA1St0102人間七七四年
2017/07/27(木) 07:14:25.88ID:JhNbERKnで、この本の
0104人間七七四年
2017/09/02(土) 21:06:23.28ID:mJ7gK6Y0思ってたより且元の羽柴家での権力が大きくて面白かった
0105人間七七四年
2017/09/04(月) 22:15:32.30ID:+iozTLc4大坂城の門の番所は七カ所でそのうち五カ所を且元が管轄、残りは弟の貞隆と織田有楽が
一カ所ずつ管轄していて、こう言った点からも且元の権力の大きさが分かるって話だね
0106人間七七四年
2017/09/04(月) 22:25:34.30ID:st50f2Xpそこまでいくと大坂の陣は片桐に対するクーデターくらいの話かもしれんw
0107人間七七四年
2017/09/05(火) 01:33:43.04ID:CqA71ojc事の発端と大坂方の主観では本当にそのつもりじゃないかな
それが幕府への最終的な回答と受け止められるなんて、思いもしなかったかな
0108人間七七四年
2017/09/05(火) 11:36:56.42ID:l4UzR+lL大野治長や織田頼長あたりは嫉妬しててもおかしくないな
0109人間七七四年
2017/09/09(土) 22:04:18.67ID:giCsT3voもう六十近い男にいまだに大坂城の大部分の実権を握られているのは
面白くは無かっただろうね
0110人間七七四年
2017/09/18(月) 22:24:23.78ID:P5X24paE余計に変な夢でも思い描いていたのかな
0111人間七七四年
2017/09/18(月) 23:27:44.64ID:gtKRsMo1つか織田頼長に至っては秀頼も追い出して、織田信雄を大将にして戦うとか言ってたんだぞ。
豊臣どころか織田政権復活かよ
0112人間七七四年
2017/09/18(月) 23:44:16.62ID:rKujC/4X0113人間七七四年
2017/09/24(日) 20:17:55.95ID:eimyIy9m一応織田信雄は織田宗家だしなぁ
0114人間七七四年
2017/09/24(日) 20:57:58.04ID:YTISZ1f70115人間七七四年
2017/09/25(月) 22:11:44.85ID:SVc7IQLl織田嫡流は秀信だけど、秀吉と丹羽長秀が
秀信手放さない秀孝にに対抗して
信雄を宗家に立てたんだっけ
0116人間七七四年
2017/09/28(木) 09:41:51.80ID:ERokUJT/尾下、黒田、平山あたりの研究者が
言っているんだっけ
0117人間七七四年
2017/09/28(木) 13:00:03.69ID:hprxhZ3H官位もそうだけど、秀吉政権下の織田家の主な大名の中で、豊臣ではなく「平」姓を使っていたのは信雄だけ。つか当時全ての公家成大名の中で豊臣姓じゃなかったのは
信雄だけ。特例中の特例。
0118人間七七四年
2017/09/28(木) 13:45:39.06ID:DzocZYUC0119人間七七四年
2017/09/28(木) 17:08:25.71ID:OSm9IKw0, < - 、 `゙ヽ ,.><~~ >-、
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,-Y/!/ | マ ゙i ト.._K___}<
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.l .l .| lマ、__ム,...マヽ、ミl i l i゙.i| 、
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/ >マ ,.ヽ r_, /'i ./ .{ マ l ム
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0120人間七七四年
2017/09/28(木) 19:25:37.06ID:ERokUJT/秀信の方は羽柴岐阜主従や羽柴美濃守の署名があるから
豊臣姓、羽柴苗字をうけているんで違うだろう
信雄が平姓、織田苗字で通したのとは扱いがやはり異なる
0121人間七七四年
2017/09/28(木) 19:50:42.23ID:DzocZYUC0122人間七七四年
2017/09/28(木) 20:03:47.27ID:DzocZYUC秀信も名乗ってたの?
0123人間七七四年
2017/09/28(木) 21:04:36.22ID:ERokUJT/黒田の「羽柴を名乗った人々」を見ると
文禄二年に羽柴岐阜侍従と書かれた文書が見え、
慶長五年に羽美濃守秀信と署名した書状あるらしい
0124人間七七四年
2017/09/28(木) 21:15:01.31ID:DzocZYUC0125人間七七四年
2017/10/05(木) 20:39:38.60ID:nc3XlVVU結局豊臣家のためというより、片桐を追い出し自分が
大坂城での主導権を握りたいが為の行動が
予想以上に物事が大事になりすぎて、手に負えなくなり
結局逃げ出したり、自滅したりする羽目になっただけなんだよな
0126人間七七四年
2017/10/05(木) 20:44:44.60ID:M9tZ+Eat0127人間七七四年
2017/10/05(木) 21:02:40.73ID:/IXJAzNK0128人間七七四年
2017/10/07(土) 20:21:58.29ID:70w1UfW/信雄はさっさと逃げ出したけど有楽はよく冬の陣
大将引き受けたな
なにか成算でもあったのかね
0129人間七七四年
2017/10/08(日) 19:55:27.76ID:bYYCUaDR0130人間七七四年
2017/10/08(日) 20:32:16.59ID:GLFlS0Dm0131人間七七四年
2017/10/09(月) 20:22:04.98ID:EeNHAO5g自分を総大将にしろ、
↓
みんな反対
↓
じゃあ大坂城を出るだもんな
0132人間七七四年
2017/10/09(月) 21:08:40.78ID:ktIwFUgu0133人間七七四年
2017/10/09(月) 22:34:17.83ID:uZtTgWts0134人間七七四年
2017/10/10(火) 08:11:54.91ID:Xrx2FDxv輝元が総大将は三成だったと態度を翻して助命を狙ったように
頼長が総大将にしてやつが勝手にやったことですと言って秀頼の助命を狙えばよかったのにね
0135人間七七四年
2017/10/10(火) 08:45:31.04ID:iCBkvDOR0136人間七七四年
2017/10/13(金) 15:21:49.97ID:USPSHDJa方広寺事件直前までは豊臣政権の一切合切を取り仕切り
徳川から守ってたんでしょう、それなりに有能だったんじゃないの
徳川としても加藤清正が怖かったから、清正が病死するまでは
なかなか豊臣に強気に出れなかったし
片桐且元と加藤清正の二人がいたから関ヶ原から大坂の陣まで15年もかかったと思ってる
0137人間七七四年
2017/10/13(金) 18:19:21.34ID:lsPI6bHJ0138人間七七四年
2017/10/13(金) 22:50:07.53ID:USPSHDJaけど、結果的に冬の陣を起こしてしまった責任も大野にもあり(無論、「大野だけじゃないが
そのうえ好戦的な牢人としては戦略的に重要だった外堀・内堀を埋める等してしまったので
豊臣側、牢人側など各方面から恨まれてしまった可能性は強い
0139人間七七四年
2017/10/14(土) 13:18:13.46ID:XeJn+qRX0140人間七七四年
2017/10/14(土) 15:44:08.97ID:UBmJUBJY>>徳川としても加藤清正が怖かったから、清正が病死するまでは
>>なかなか豊臣に強気に出れなかったし
加藤清正なんてすごく従順だとおもうけど、福島正則も死んでたらこういわれてたんだろうなぁ
大坂の陣は織田有楽親子と大野治長の反片桐が行き過ぎて引き起こされた豊臣の自壊でしょ
0142人間七七四年
2017/10/14(土) 15:51:17.62ID:tduuqTGdなんにしてもあの時点の大坂方って人材足りなすぎだよな
めだつ家臣が大野ファミリーしかいねえし
牢人だらけだし
話にならん
0143人間七七四年
2017/10/14(土) 17:20:40.61ID:sbazirqI福島加藤といった豊臣恩顧武将も片桐且元も秀頼に対しては
もはや豊臣の世ではないという事実を認識させようとしかしてないから
家康に対して豊臣の盾になったというより秀頼を抑えようとしていただけだよね
彼らがいなくなった途端あの始末だから
0144人間七七四年
2017/10/14(土) 18:07:59.87ID:xHhOPife秀吉に対して恩や義理のある連中ですら秀頼を御輿にして豊臣の世ふたたび、なんて思ってない現実とその行動。
徳川が力を増すなか大坂にはもうまともな人材がいない
徳川の威勢や権力、財力もさることながら豊臣の人望のなさはひどすぎる
0145人間七七四年
2017/10/14(土) 20:22:51.42ID:VQMD7mSHその後で敵対して秀吉に自分を高く買わせた連中が地位も石高も思うがままという状況だ
秀吉に対して恩や義理のある連中だって大半は豊臣政権で出世不可能なんだからやる気もない
豊臣自身に取り立てる気がないのに秀頼を御輿にして豊臣の世を再びなんてする意味がないわけ
そんなことをするのはせいぜい浪人連中くらいだろ
0146人間七七四年
2017/10/15(日) 01:13:34.79ID:gZE48d2J九州で黒田や島津と組むだろうし
蜂須賀や前田も福島も豊臣につく「加藤いるし」ってなる
というか、豊臣命で最強の武将の加藤清正いたらあんな合戦起きない
0147人間七七四年
2017/10/15(日) 07:49:07.84ID:AWSnTZqD0148人間七七四年
2017/10/15(日) 08:15:40.21ID:zDDDQ0Rl0149人間七七四年
2017/10/15(日) 09:24:32.06ID:BFYwSxFF一応池田輝政だけ弁護すると、関白秀次のナンバーツーとして
政務、軍事とも大きな功績を残している。だから、池田が天下を
狙えたというのは、実績からすれば必ずしも過大評価とは言い切れない。
ただ、池田輝政は秀次の死とともに事実上失脚し、秀次の仇討ちには
かなりご執心だったが、2度と第1線には出てこなかった。
0150人間七七四年
2017/10/15(日) 10:04:46.16ID:qjtL7Rh3部下に箔をつけるためだけに七本槍とか無理矢理つける豊臣家だもんな
0151人間七七四年
2017/10/15(日) 21:35:37.03ID:BU/Otc4x秀忠達上層部は兵の損耗を防ぐため包囲戦を展開していたところ
一部の軍勢が軍令違反を犯し、城攻めを始め、外郭を落とし
本城へと迫っていたところ、本多正信が軍令違反を怒って
兵を撤兵させたらしい
実際真田の被害も大きく、展開は五分と言ってよく
兵の損耗を考えず本城を攻め続けていれば
落ちたのでは無いかと笠谷は見ているね
0152人間七七四年
2017/10/18(水) 23:39:58.19ID:eSYaAXRh0153人間七七四年
2017/10/19(木) 00:07:08.18ID:Ra2fnrtC0154人間七七四年
2017/10/20(金) 14:50:43.09ID:adDl5wDW結局、関ヶ原から冬の陣開戦まで14年もかかってしまったのは
豊臣にとって最大の守護者であった加藤清正の存在が大きいと思う
福島正則と同列にしてはだめだ
>>150
七本槍や虎退治は清正ファンからしたらそれこそどうでもいい話
0155人間七七四年
2017/10/20(金) 15:13:54.93ID:F2UUSB8V> 川家康からしたら豊臣家は何が何でも倒さなければいけない相手だった
一行目から既に昨今の通説から完全に乖離しててワラタ
0156人間七七四年
2017/10/20(金) 16:21:03.93ID:wiGz4UTk何の小説の話しとるんだ
0157人間七七四年
2017/10/20(金) 16:34:01.61ID:F2UUSB8V例の二条城会見の後、「清正の屋敷で休息したい」と言い出した秀頼の要求を断固拒否し、屋敷の中には一歩も入れなかった「忠臣」
0159人間七七四年
2017/10/20(金) 19:01:13.05ID:s0JRYWGw関ヶ原の時点で豊臣に弓引くのは日本全体を敵に回す可能性もあった
なんだかんだで封建的だからな日本
0160人間七七四年
2017/10/21(土) 09:52:44.37ID:Alo7vXHJ清正は豊臣家を残すため自分がどう思われようとありとあらゆる事を豊臣のためにした訳で
>>157なんかは最善の努力に見える
徳川に刺激を与えず、豊臣を守るため戦争にならないように戦った
>>155
「現在の通説」ならば方広寺クレーム、片桐追放の前
1614年2月に徳川が大砲購入した件についてどうぞ
0161人間七七四年
2017/10/21(土) 11:44:53.27ID:tDVc/3tj大砲は大坂城に限らず、関ヶ原後の全国的な新規築城、
スペイン・ポルトガルが売らなかった最新兵器を、オランダ・イギリスが
売るようになったから
0162人間七七四年
2017/10/21(土) 16:51:42.53ID:piPWCEv7クッソ都合のいい妄想まみれで草
0163人間七七四年
2017/10/21(土) 17:30:06.84ID:/SYNHHfTまあそれは忠誠としてありだが、そんなんで徳川を威圧できんわな
本気で秀頼守りたいならもっとまわりを固めろよと。
0164人間七七四年
2017/10/21(土) 17:36:05.40ID:NhJ2xGNj0165人間七七四年
2017/10/21(土) 19:27:10.49ID:/SYNHHfT0166人間七七四年
2017/10/21(土) 19:32:50.76ID:NhJ2xGNj0167人間七七四年
2017/10/21(土) 20:07:57.38ID:KrKkyoMz事態を緊迫させているのは秀頼の方だよなあ
0168人間七七四年
2017/10/21(土) 21:07:10.46ID:/SYNHHfT0169人間七七四年
2017/10/21(土) 22:13:39.41ID:0LaglIC8幸長も婿になる義直の御供をしてただろう
弟で家を継いだ長晟にしたって秀忠の小姓になる前は
秀頼の小姓頭をやってたくらいなのに、大坂の陣では
あの戦いっぷりだし
0170人間七七四年
2017/10/21(土) 22:26:54.89ID:NhJ2xGNj0171人間七七四年
2017/10/21(土) 22:46:20.33ID:DDCVkMSI浅野幸長は秀頼を「護衛」した。(内実は明白な秀頼に対する嫌がらせ。
そりゃ、秀次派で秀次事件で厳罰を食らった人間が、「護衛」なんて
あり得ないからね。)
だから、護衛中は加藤清正と一触即発の状態だった。
0172人間七七四年
2017/10/21(土) 22:54:35.76ID:NhJ2xGNj0173名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2017/10/22(日) 13:22:42.89ID:tBhMQf5M完全に徳川から豊臣への煽り
1607年亡くなった“豊臣恩顧”結城秀康は晩年に義兄弟秀頼の今後を心配していた
徳川と豊臣はその頃から緊張状態だったという事
二条城会見と方広寺の間に豊臣が前田に接触したという事は
徳川から豊臣に対して方広寺に近いよっぽどな圧があったんだろう
前田に裏切られたのは想定外だったようだが、まつが人質に取られていたからな
0174人間七七四年
2017/10/23(月) 10:11:14.75ID:sej5AJyw0175人間七七四年
2017/10/23(月) 21:03:30.90ID:J3hFdKgf0176人間七七四年
2017/10/24(火) 10:55:32.47ID:/zez5NxRいつもの事だが。
0177人間七七四年
2017/10/24(火) 11:13:40.65ID:xHYw5XJL0178人間七七四年
2017/10/24(火) 20:40:03.46ID:ZkVQV9iU家康が豊臣家に寺社の再建を命令した史料は無い
当代記では茶々の意思によるものだとしている
秀康が秀頼を心配していたのも俗説で
関ヶ原後、秀康は家康や秀忠に羽柴姓を称するのをやめている
前田は関ヶ原前から家康に従っており、新恩として領地を
貰っており、しかも跡継ぎの利常は秀忠の娘を妻に迎えており
裏切られたなど、勝手な豊臣の思い込み
0179人間七七四年
2017/10/24(火) 21:41:13.26ID:ry/NWqMB新説というより珍説ばかりでどうしようもない。
0180人間七七四年
2017/10/24(火) 22:47:31.14ID:7r9vHdhw秀吉の死後も淀から自分が日本の天下人だと引き続き植えつけられながら大人になったのだから
現実を理解できずにおかしくなってしまうのは仕方がないだろう
0181人間七七四年
2017/10/25(水) 13:38:28.43ID:eb1vnMMB利長は保身最優先だからね。関ヶ原の時も利政や秀家の助命の為に奔走したのはまつで利長は動いていない。そんな利長が豊臣の為に動くわけないよな
>>179
反論できないから、昔より今の説の方がおかしいって、さすがに阿呆過ぎるだろう
0182人間七七四年
2017/10/25(水) 14:54:03.27ID:/ku+Pez30183人間七七四年
2017/10/25(水) 15:01:38.14ID:XZ1bvybZ0184人間七七四年
2017/10/25(水) 15:21:46.46ID:/ku+Pez30185人間七七四年
2017/10/25(水) 15:44:17.92ID:XU6RL0Xk慌てた前田が江戸にまつを人質に送ってる、家康は前田征伐する気はなく
前田を抑えるのが狙い、将来的に豊臣倒すため
前田からしたらまつに何かされるよりは豊臣を捨て徳川につく
秀頼からの密書もすぐ徳川に送る
大坂の陣はイヤイヤ戦った
加賀には太閤様を祀る神社があるがそれは幕府に極秘で
0186人間七七四年
2017/10/25(水) 17:01:42.24ID:/ku+Pez3片桐の記録や豊臣が各所に蒔いた書状位しかない
奇跡的に天王寺・岡山合戦直前の作戦を記した大野治長書状
があるけど
0187人間七七四年
2017/10/25(水) 17:27:00.19ID:LazB9Fnf真田・毛利とよく談合して軽々しく出撃するなって内容の
0189人間七七四年
2017/10/25(水) 17:37:18.46ID:CcjnGyV80191人間七七四年
2017/10/26(木) 15:18:10.97ID:yC7wS/9A0192人間七七四年
2017/10/27(金) 02:39:23.98ID:SzoC/WFB江と大揉めからの徳川家内紛、崩壊で豊臣安泰
0193人間七七四年
2017/10/27(金) 07:58:07.12ID:B//DC/1M片桐追放騒動、牢人招集による秀頼謀反!で、
徳川が豊臣に対して高台院に何かするぞみたいな話はなかったのか不思議。
0194人間七七四年
2017/10/27(金) 10:11:27.17ID:DIIqD2Av0195人間七七四年
2017/10/27(金) 12:23:48.74ID:RVYZUzci0196人間七七四年
2017/10/29(日) 20:39:17.86ID:fSxGvEnK影響力を幕府が全く無視していたわけではないようだ
0197人間七七四年
2017/10/31(火) 14:13:04.77ID:cJqfMgj/清正って、比較的早く見限ってる感じでも有るんだよなあ?
関ケ原でも、九州で傍観してたとも見えるし。
完全に豊臣が消されるのは困るって考えてても、秀頼を主君って考えてたのか疑問?
只、あまり徳川に媚びても評判落ちるしね?
中途半端なんだよね?
福島は馬鹿だから騙されたで説明付くけど、清正はちゃんと理解して徳川に媚びてる感じ?
0198人間七七四年
2017/10/31(火) 18:31:55.29ID:dUuhWPru0199人間七七四年
2017/10/31(火) 21:25:24.25ID:bHMcsx7M徳川幕府下で(かつての豊臣政権内の織田家のように)
落ちぶれてもいいから豊臣家が残ればと
0200人間七七四年
2017/10/31(火) 21:27:06.42ID:bHMcsx7M関ヶ原で徳川方勝った時点で豊臣としてはどうしようもなかった
加藤清正だろうが高台院だろうが
0201人間七七四年
2017/10/31(火) 21:51:34.20ID:cJqfMgj/その関ケ原の勝利自体が清正の傍観が関係してる感じだしね?
幾ら小西と険悪でも、西軍に付く事が不可能だとまでは思わんからね。
まあでも、既に60近い家康が本気で豊臣を完全に滅ぼすって予想しなかったんでしょうね。
実際、関ケ原後大阪攻めの為の繋ぎ城って解釈出来る築城しまくりだし。
簡単に大阪攻めが不可能だったのも事実。
0202人間七七四年
2017/10/31(火) 22:07:37.52ID:MMDH2yBi『もうどうにもならないというのであれば、せめて自分の手で終わらせる!』
とか言って、見苦しい生より名誉ある死を秀頼にさせようとするんじゃないかと。
そっちの方がよっぽど『清正』らしい感じがする。
0203人間七七四年
2017/10/31(火) 22:12:00.68ID:yq99boWX0204人間七七四年
2017/10/31(火) 22:15:43.30ID:Pv2fghGJ積極的に滅ぼす気まではないにしろ
0205人間七七四年
2017/11/01(水) 07:16:23.84ID:k3s1Xc/k0206人間七七四年
2017/11/01(水) 14:54:39.92ID:a5H4rkRD同じく超豊臣恩顧である竹中、黒田、前田、蜂須賀、加藤「嘉明」のように直接大坂城に攻め込んでもいない
お咎め無しだったのは関ヶ原の最大の功労者だったからであろう
福島隊が西軍主力の宇喜多秀家隊を壊滅させていなかったら東軍は勝ってなかった可能性もある
0208人間七七四年
2017/11/01(水) 20:24:52.70ID:XrHiY4rV別に疑わしいのを最前線に出すのって普通だと思うけどね?
仮に関ケ原だって、後少し挙兵が遅れれば、豊臣恩顧を上杉にぶつけてたでしょ。
別に全滅したって痛く無いんだから。
近代でも、朝鮮戦争で中国共産党が同じ事してる。
寝返った旧国民党系部隊を最前線に出してるんよ。
まあ、いまさら豊臣方に寝返る根性無いだろうって事でやり放題だねwwwwwww
0209人間七七四年
2017/11/02(木) 08:48:17.33ID:NAHSGHQV他の大名みたいに蔵入地を横領せず
律儀に毎年3万石の蔵入地収入を豊臣に納入しているあたり
少なからず思うところはあったんじゃないかな?
0210まこと
2017/11/02(木) 09:44:36.94ID:mUO5o81t0211人間七七四年
2017/11/02(木) 09:45:58.26ID:ADOzo4l4( ´,_ゝ`)y―-~~.フハハハ!!
0213人間七七四年
2017/11/02(木) 14:04:19.48ID:ijEV35gf関ヶ原の石田三成・大谷吉継・真田昌幸のようにリスクを負ってまで家康に挑んだ可能性もある
0214人間七七四年
2017/11/02(木) 18:29:32.07ID:fl6S0A1b肥後半国25万石貰う前は、3000石なり5000石なりの旗本だったらしいからね。
武功うんぬんより、一門枠で領地貰ってる感じだしなあ。
でも良く、奉行衆と険悪だから西軍付けないって言う人居るけど逆でしょうに。
それが有名な分、加藤が西軍に付くと士気高揚効果が大きいと思うんだよね。
加藤が参陣するくらいだから、西軍はどんどん膨れ上がるぞ!って印象が強く成るからね。
0215人間七七四年
2017/11/02(木) 19:14:03.82ID:xk69A5sO0217人間七七四年
2017/11/03(金) 10:21:58.74ID:AMHJ2deV大坂の陣は加藤清正生きてたら起きなかった
0219人間七七四年
2017/11/05(日) 20:33:48.95ID:Lkmq8t4R浅野が抜けているな
0220人間七七四年
2017/11/05(日) 22:07:22.95ID:FqavUd7v0221人間七七四年
2017/11/06(月) 00:20:26.43ID:JTv0Rx3c池田家は清洲会議以降だから微妙かな
本能寺以前から秀吉の下だったメンツが深いった豊臣恩顧だと思う
前田は藤吉郎の頃からの友達だったので
0222人間七七四年
2017/11/07(火) 10:04:50.03ID:/kYMqfnA0223人間七七四年
2017/11/07(火) 10:40:14.55ID:UsIUJZYm家康が豊臣を仕切ることは古参恩顧も受け入れていた問題ないことだった
それでは甘い汁が据えない新参連中が外様大名と結託して権力を握ろうとしたのが西軍であり
豊臣を守る忠義とかはまったく関係ないことだよ
0224人間七七四年
2017/11/12(日) 21:52:59.63ID:PtW0FRFa山内と言えば忠義と毛利勝永は衆道関係だったらしいな
0225人間七七四年
2017/11/20(月) 22:53:17.02ID:KUWelewJ0226人間七七四年
2017/11/20(月) 23:18:18.80ID:w1LAZNDY0227人間七七四年
2017/11/22(水) 03:37:42.38ID:IxIdixJH本当に書き言葉で喋って意思疎通してたのかね?
それって何か変だな。
0228人間七七四年
2017/11/22(水) 05:10:06.08ID:XwtCWla6突然現れた宇宙人でもないわけで。
0229人間七七四年
2017/12/03(日) 20:23:41.24ID:sGIZDPih薩摩人は小松や吉井以外何を話してるか
分からなくて困ったと言ってるのを考えると
通じない場合もやはり有ったんじゃないかな
0230人間七七四年
2017/12/12(火) 11:35:50.41ID:5+lAbZSJ将軍家は必要な時は口を出すが、そうでない時は、老中などの幕閣による合議制を敷いたから長続きした。
将軍家独裁だったら長続きしなかったろ幕府は。
0231人間七七四年
2017/12/12(火) 11:39:17.06ID:5+lAbZSJそれなら関ヶ原は起きんだろ
何を言ってんだ馬鹿
ほれ、バツとして尻の穴を皆に出せ
0232人間七七四年
2017/12/16(土) 22:17:22.28ID:UFSrU1Hu浅野長晟は秀忠の小姓になる前は秀頼の小姓頭をやっていたっていう話もあるから
それだけにかえって奮戦したのかな
やっぱり秀頼の小姓だった政宗の庶長子の秀宗も頑張ったのか伊予宇和島十万石貰ってるし
0233人間七七四年
2017/12/20(水) 04:17:05.35ID:KRi5VyECしかし黒田長政と加藤嘉明は大坂夏の陣に参戦してるし、
蜂須賀家政はとっくに隠居済みだし前田利長は病死してるし元コメ滅茶苦茶だなw
0235人間七七四年
2017/12/27(水) 02:59:03.31ID:0nnCqthK秀吉の残した大阪城と、莫大な財産が大き過ぎたか
0236人間七七四年
2017/12/27(水) 06:51:44.22ID:SKMgLxHf0237人間七七四年
2017/12/27(水) 10:58:13.51ID:je7+Ujw90238人間七七四年
2017/12/27(水) 12:08:55.68ID:neubxvCz家康より若いのにさ
戦歴のある将がいなかったのが大きな敗因の一つでしょ
0239人間七七四年
2017/12/27(水) 12:11:30.60ID:48g6AE0yできずいた点として、家康には年賀の使者を送ったり、他にも二条城対面
で縁のあった義利、頼将にも祝儀の使者等送ったりとそれなりに礼を尽くしているが。
舅の将軍秀忠には全くの没交渉ではないかと思われることがあった(見落としている
資料があるか現在まで伝わっていない可能性はあるが)
秀頼13歳の時の上洛拒否は若年ということもあり仕方ないとしても、
秀頼と千姫の夫婦も淀と江の姉妹の仲もよかったようなのに(千姫
鬢削ぎ、九条家の縁組、大坂陣後の供養などから)やや異常ではないだろうか、
これでは家康には過去の経歴官位等から1代限りの敬意を表するが
2代目秀忠には頭を下げる気なしと
みなされ開戦の遠因の1つとなったのではないだろうか。
0240人間七七四年
2017/12/27(水) 12:25:11.02ID:jzBTQ2oN秀頼は、家康の寿命が尽きるのを待ってたんだろうね。ミエミエ。
だから、秀忠は豊臣に強硬だったんだろう。
0241人間七七四年
2017/12/27(水) 15:13:18.24ID:FpfskaT20242人間七七四年
2017/12/27(水) 15:52:31.79ID:jzBTQ2oN家康が内大臣から右大臣(兼征夷大将軍)に昇進し、空いた内大臣に秀頼昇進(秀忠は大納言)
家康が右大臣辞任した後任に秀頼昇進、秀頼の後任の内大臣に秀忠就任(兼征夷大将軍)
0243人間七七四年
2017/12/27(水) 20:14:31.99ID:48g6AE0y相当微温的で家康の立場に信長、信玄、
秀吉、元就などがあったとしたら早期に大阪城明け渡し要求か秀頼の
江戸伺候要求。謀略で家臣の執拗な切り崩し、最悪の場合は秀頼暗殺なども
あったと思う。
方広寺の事件も清韓が独自にしたこととはいえ豊臣側が家康の韓を犯すという
暴挙と直前に家康の官位執奉権を無視して朝廷に働きかけ豊臣家臣の官位を上げる
、更に2年前から徳川公儀発布のキリシタン禁教令を無視してキリシタン
信者を領内に受け入れけているなど挑発と取られても仕方がない事
もしている。
0244人間七七四年
2017/12/27(水) 20:36:57.63ID:wrgcg9vs家康に豊臣家を滅ぼす気があるなら一発でアウトになってもおかしくない行為
0245人間七七四年
2017/12/28(木) 16:01:25.51ID:loGpXiKlこれって関ヶ原後も伊勢、大和、讃岐、播磨、肥後に残ってた蔵入地や給人領地も含んでるのかね?
0246人間七七四年
2017/12/28(木) 17:41:06.82ID:lceCB9oL0247人間七七四年
2017/12/30(土) 11:26:18.22ID:V8tSUHcCあと1か国くらいやるべきだったよ
子飼い武将たちには10万、20万石と与えてるのに
利栄には最初に安堵したた土地から全然増やしてない
それで秀頼のこと頼むって言ったって
なんでぇこいつってことになるっしょ
0248人間七七四年
2017/12/30(土) 12:17:15.91ID:TXCHK8Qu利栄?
0249人間七七四年
2017/12/30(土) 12:57:58.67ID:e1W52IJCなのでどうにもならなそうだ。
0250人間七七四年
2017/12/30(土) 18:18:31.71ID:wFes6LCv0251人間七七四年
2017/12/30(土) 19:17:52.53ID:RFNCvXsA特に清洲会議までに自分になびいてきた織田家臣連中は心の底から軽蔑している
だからこいつらを重用しようとか大老にしようなんて欠片も思っていない
利家の場合は、隆景が死んで家康に次ぐ地位がいなくなったのと
清洲会議の時点ではまだなびいてこなかったからギリギリOKで大老に取り立てただけ
0252人間七七四年
2017/12/31(日) 16:46:47.11ID:tDWuefhE0253人間七七四年
2017/12/31(日) 16:54:53.95ID:wA/Hpl4h0254人間七七四年
2018/01/01(月) 00:20:51.75ID:MV0lDFl/毛利や上杉のような完全外様ではないので良い思い出を語りたい時は話が通じる特殊な存在なんだよな
小牧では戦ったけど秀吉から家康への怨恨や憎悪はドラマで描かれるほどにはなかったのだろう
家康の方からどう思っていたかはまた別だけど
0255人間七七四年
2018/01/07(日) 21:37:28.01ID:WjoWy69H片桐罰しようとして、その事に家康が立腹していると知ったら
慌てて言い訳の使者送ってどうにかしようとしたりとか
本丸も墜ちて、落城寸前になって漸く降伏するとか
0256人間七七四年
2018/01/07(日) 21:42:57.24ID:dA26FfF7姉川、金ケ崎は一緒に戦ってるしな
0257人間七七四年
2018/01/08(月) 05:00:58.00ID:YbkhuSD90258人間七七四年
2018/01/09(火) 21:58:29.43ID:RiFK76iU池田輝政が秀頼に嫌がらせの限りを尽くしたからな。
池田が秀次の元ナンバーツーで秀頼に極めて敵対的にも関わらず
隣国の姫路に置いたのは家康だし。
その繰り返しで大坂も我慢できなくなったのが正しいかもね。
最も、義弟(主君)と妹と姪を秀次事件で失った輝政の恨みも判るが。
0259人間七七四年
2018/01/11(木) 21:42:45.14ID:xa9tuC+40260人間七七四年
2018/01/12(金) 15:16:25.17ID:oyuHbARO屈辱に耐えるなんて誰でも当たり前にやってることなのに
0261人間七七四年
2018/01/12(金) 17:57:54.86ID:sWQEs/Ka0262人間七七四年
2018/01/12(金) 18:26:45.88ID:lU7ekC0F0263人間七七四年
2018/01/12(金) 19:32:14.48ID:p5mVExfa0264人間七七四年
2018/01/12(金) 22:12:44.44ID:iteCsvd5なぜそう言った人たちが名を残せるかと言うと
敗戦や征服と言う屈辱から立ち直るケースが
珍しいからである
0265人間七七四年
2018/01/12(金) 23:17:36.26ID:oyuHbARO我慢なんて誰でもしてんだよ、当たり前にな
なんで自分だけストレスフリーで生きていけると思ってんだあのデブ、て話しよ
0266人間七七四年
2018/01/13(土) 00:23:06.10ID:WnXeB/LE池田輝政が豊臣姓を僭称し続けた理由だが、非業の死を遂げた秀次の
遺志を継ぐことを天下に示した。これは同時に、秀頼にお前は正統な
後継者ではないと、宣言したに等しい。
なお、池田輝政は1588年に豊臣姓を与えられたが、秀次事件で剥奪
されている。だから、それ以降池田家が豊臣姓を名乗っているのは
僭称である。
0267人間七七四年
2018/01/13(土) 00:27:26.60ID:WnXeB/LE誤) >>258
正) >>259
池田輝政が豊臣姓を僭称したのも秀頼に対する嫌がらせだ。
当然家康も輝政の意図を判り切っていたので、完全放置している。
0269人間七七四年
2018/01/13(土) 03:43:10.09ID:Hghdd5Vh秀吉の育て方だね
気に入らない侍女がいたら縛り付けておきなさい罰してあげるからなんて手紙書いてたんでしょ
我慢なんてしたこともないんだろ
0270人間七七四年
2018/01/13(土) 08:24:22.37ID:ISSwZWF6生まれついてなんだろうな
0271人間七七四年
2018/01/13(土) 08:37:14.30ID:7hg3m67Z0272人間七七四年
2018/01/13(土) 11:41:30.39ID:SuEGRRwC美談にはほど遠い
0273人間七七四年
2018/01/14(日) 10:40:01.63ID:8dSodStN紀伊は桑山の4万石、堀内の2万8000石以外はほぼ豊臣蔵入地
関ヶ原での池田と浅野への加増だけで豊臣は所領を80万石程度減らしてる(浅野や池田の元領土、甲斐と三河吉田は徳川領に)
他にも半分くらい蔵入地だった尾張と近江、大和もこちらは丸々徳川(親藩、譜代含む)の所領に
0274人間七七四年
2018/01/15(月) 22:21:37.42ID:UeBuhzh+0275人間七七四年
2018/01/26(金) 04:04:26.89ID:6xroojkN0276人間七七四年
2018/01/26(金) 08:57:38.14ID:UE1MLnLRオーストリアの女帝、マリアテレジア何かが典型的かね。
即位直後にウィーン在住の外交官が、只の我儘なお嬢様とか、只のお腹が大きい「当時妊娠中」女とか
本国に報告してた。
幾らハプスブルク家が欧州最大の王家でも、周辺諸国全部的に回す馬鹿な外交しちゃねwwwww
所が彼女は心底危機に追い詰められてから覚醒するんだよね、ラノベの主人公みたいに。
何と、彼女は名目上はハンガリー女王だけど、実質敵国のハンガリーの議会に押し掛けて援軍を
出してくれる様に頼むんよ。
勿論、生き無しそんな事すればヤジで悲惨な事に成るんよ。それでも諦めず、土下座同然の立場で
ひたすら頼むの。
半年近くかかったけど、ハンガリーの議会は援軍を了承、ハンガリー軍の助けで各地の戦線が
一息つける様に成るんよね。
結局、戦乱は20年以上も続んだけど、皮肉な事にハンガリー騎兵の部隊こそが女王にもっとも忠実で
頼りに成るって皮肉な結末に成る。
0277人間七七四年
2018/01/26(金) 17:02:09.72ID:Xqk6+Vkkhttp://egg.5ch.net/test/read.cgi/asia/1516880628/l50
0279人間七七四年
2018/01/30(火) 21:55:57.51ID:7JuNmf3l0280人間七七四年
2018/02/17(土) 22:39:41.03ID:I3FBLP6q少なくとも大坂の陣までは羽柴苗字を使用していた大名は結構いたみたいだね
0281人間七七四年
2018/04/04(水) 14:45:33.00ID:ykSLlMFG「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級
大阪歴史博物館によると、描き方の特徴や記された地名から作製時期は江戸前期の17世紀後半と推定され、二つの戦いを描いた絵図としては最古。親藩または譜代大名のお抱え絵師「絵図方(えずかた)」が、幕府に提出する公式な記録として描いた可能性があるという。
0282人間七七四年
2018/04/15(日) 10:24:39.47ID:mFrKc3PZ0283人間七七四年
2018/06/17(日) 15:01:43.49ID:LsVFDjz50284人間七七四年
2018/06/17(日) 17:22:48.72ID:7Mlu6lx0清正はもろ親徳川というか縁戚
二条城会見だって次女の夫である徳川頼宣の護衛務めてる
二条城会見って豊臣に近しい人たちみんな徳川と縁戚結びましてん、穏やかに臣従してーなくらいの意味だったんじゃないかなー
0285人間七七四年
2018/06/18(月) 21:55:45.89ID:fABmsLyIその弟の長晟は関ヶ原後秀忠の小姓になる前は伊達秀宗と共に秀頼に
仕えていたと言われるけど、逆にその所為か大坂の陣ではむしろ豊臣攻めに
積極的だったし
0286人間七七四年
2018/06/19(火) 00:55:41.01ID:t6LTjBa3正則みたく出来る範囲での支援はするかも知れないけど大勢への影響は微妙
0287人間七七四年
2018/06/19(火) 01:42:01.71ID:ikldi7m5徳川との関係悪くなりそうなのを会見セッティングで穏便に頭下げさせようとしてるんだから
それなのに会見後にあんだけやらかしまくられちゃ浮かばれんわ
0288人間七七四年
2018/06/19(火) 09:28:05.27ID:anlPo6drなにもできんよ
0289人間七七四年
2018/06/19(火) 12:41:18.05ID:I6pkVRcg名古屋城つくる合間に中村に秀吉の神社作った
家康が関ケ原、征夷大将軍についてから
豊臣へ強気になるまで10年以上もかかったのは
豊臣守護者としての加藤清正の存在が大きい
前田利長はまつ人質の時点でコントロール可能だったのだから
0291人間七七四年
2018/06/19(火) 21:51:41.03ID:I6pkVRcg常泉寺は、愛知県名古屋市中村区にある日蓮宗の寺院。
山号は太閤山。豊臣秀吉の生誕地と伝えられている。
創建年 1606年(慶長11年)
開基 加藤清正
豊国大明神の廟堂として、加藤清正・開山圓住院日誦上人とで創建された。
寺号は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸(現在の産湯の井戸)があったことから定められたという。
境内には、豊太閤産湯の井戸や1547年(天文16年)御手植えの柊などがあり、
寺宝として秀吉の肖像画や加藤清正が大坂城から持ってきたとされる秀吉の木像のほか、
秀吉所持と伝えられる采配・茶釜・硯などが所蔵されている。
ttp://www.jousenji.or.jp/index.html
0292人間七七四年
2018/06/20(水) 08:11:39.44ID:WqG+q2iN慶長11年は名古屋城作る前だが
後、尾張名所図会では元和9年としている
こちらは清正は死亡、豊臣氏は滅亡後
0293人間七七四年
2018/06/21(木) 21:13:51.32ID:WYT8xipd俺は起きてなかったと思う
それより清正含め、
池田輝政、浅野長政、織田信包、前田利長と
親豊臣の有能が続けざまになくなったのが怪しすぎる
みんな徳川方ニンジャの暗殺なんじゃねーのか
0295人間七七四年
2018/06/26(火) 22:00:34.80ID:9yw7gC6e且元は思ってた以上に大坂城では権力者だったみたいだけど
0296人間七七四年
2018/06/26(火) 22:15:18.74ID:Mu3+YkNT大坂の陣の原因のように扱われることが未だに続いているよな
0297人間七七四年
2018/06/27(水) 01:57:27.86ID:EZqiTCr5片桐暗殺疑惑が出て片桐と秀頼との間に緊張が走ってたものの、一旦解決しそうになったところで大坂城に大野治長が浪人連れて立てこもりなどでご破算になってるようね
交渉中淀殿が秀頼と違う判断と思える命令を下したり治長の行動しかりと、この時点ですでに豊臣は主君の意思を万全に通せる状態ではなくなってるぽいね
0299人間七七四年
2018/06/30(土) 12:35:21.48ID:e6gKFJYp1589
豊臣秀長
豊臣秀次
豊臣秀勝 ○越前敦賀5万石へ転封
羽柴秀保
豊臣鶴松 ☆誕生
1590
豊臣秀長
豊臣秀次
豊臣秀勝 ○甲斐府中23万石へ転封
羽柴秀保
豊臣鶴松
1591
豊臣秀長 ●病死(1540-1591/01/22)、享年52
豊臣秀次 ○尾張清州100万石へ転封、関白就任、豊臣氏の氏長者
豊臣秀勝 ○美濃岐阜30万石へ転封
豊臣秀保 ○大和郡山50万石、従四位下参議近衛権中将、豊臣姓下賜
豊臣鶴松 ●死去(1589-1591/08/05)
1592
豊臣秀次 ○左大臣補任、叙従一位
豊臣秀勝 ●病死(1569-1592/10/14)、享年24
豊臣秀保
1593
豊臣秀次
豊臣秀保
豊臣秀頼 ☆誕生
1594
豊臣秀次
豊臣秀保
豊臣秀頼
1595
豊臣秀次 ●切腹(1568-1595/07/15)、享年28、三条河原で晒し首、妻子も処刑
豊臣秀保 ●病死(1579-1595/04/16)、享年17
豊臣秀頼
1596
豊臣秀頼 初めて上洛、豊臣朝臣藤吉郎秀頼と称す
0300人間七七四年
2018/07/29(日) 07:18:40.02ID:SEqmQinaまあ豊臣政権はワンマン社長が亡くなったら、とたんに駄目になった企業の典型みたいなものだし
0301人間七七四年
2018/07/29(日) 14:14:46.27ID:TCE12/XX悪人度で言えば宇喜多直家の方が相当陰湿な悪やぞ
0302人間七七四年
2018/07/29(日) 17:11:54.89ID:uuTqPwMb0303人間七七四年
2018/07/29(日) 17:59:33.92ID:HoAIsghX持ち出してるから、始まりには何の関係もなかった
というのも狭い解釈じゃないかな。
鐘の話は徳川が作ったものじゃないとは
もちろん知ってるけど。
0304人間七七四年
2018/07/31(火) 14:27:29.83ID:DMefykvR0305人間七七四年
2018/08/02(木) 01:27:57.62ID:i+mmDYD+謀略や裏切りそのものが目的じゃないから悪人とは言い切れないんだよなぁ
0306人間七七四年
2018/08/02(木) 03:29:06.95ID:z8bOpYWuこれこれ一つの理由で徳川が動いた、というのではなくどちらかというと複数の理由で豊臣氏が徳川に対して不興を買って、ついに堪忍袋の緒が切れたのが片桐追い出しの件って感じがしますよね
0307人間七七四年
2018/08/02(木) 03:46:43.26ID:yVMZVXBv交渉役の家臣を潰したら相手との関係悪化は避けられないし場合によっちゃ戦争の口実になりうる
信雄なんかはそれで秀吉に攻められたんだから忠告したれよと思うけど
且元に警戒を呼びかけて個人的な逃げ道を作るくらいが関の山だったんだろうなあ
0309人間七七四年
2018/08/03(金) 03:46:17.94ID:CpzHJkRRそう考えると有楽ほんと頑張ってたんだなって、誰も下知聞かんしもう無理って発言が哀愁漂う
0310人間七七四年
2018/08/04(土) 22:04:31.78ID:kFUybZMhその息子も途中退場しているけど
0312ナレーター・小松方正
2018/08/06(月) 09:42:56.77ID:F+FXSDoZ0313人間七七四年
2018/08/06(月) 16:04:23.62ID:sXlKU21S0314人間七七四年
2018/08/07(火) 14:16:07.42ID:wvgwYZ+F0315人間七七四年
2018/08/08(水) 01:37:24.36ID:FzU/QGpI宇喜多直家は、祖父の代まで備前砥石城主ですから、普通に数万石程度の領地が有った家の
子孫ですね。
一度没落して、親父は縁の有る商人の居候してたそうで。
こういう産まれだから、御家再興の野望に燃えてって部分が有りそう。
ただね、初期の頃から後の宇喜多四家老がいたりするし、食えないのに旧臣が集まって来た
んだろうなあ。
悪人の癖に、譜代家臣には意外と優しい人。
0316人間七七四年
2018/08/08(水) 13:56:16.08ID:t4KURYKj0317人間七七四年
2018/08/11(土) 02:08:32.03ID:MyALZq/H0318人間七七四年
2018/08/11(土) 06:42:06.86ID:JvR0zsZH0319人間七七四年
2018/08/16(木) 21:43:28.19ID:1AJ9KYhH前田家の軍勢の指揮を執ったのが本多政重だっけ
正重と政重の叔父甥はそれぞれの兄達と違いが大きくて面白いな
0320人間七七四年
2018/08/17(金) 07:15:44.25ID:AhcQkdyJ信雄が且元暗殺謀議の内容を且元に知らせたのは、よく似た立場であった
かっての自身の三家老と且元がオーバーラップして、贖罪意識のような
ものがあったのかな?
0322人間七七四年
2018/08/17(金) 17:19:29.16ID:KKqTjQJu0323人間七七四年
2018/08/17(金) 17:47:57.16ID:UcugmvKe――俺なんかに総大将頼むって、こいつら気は確かかよ…
と感じつつ、ドーンとおまかせください、といい、
ソッコーで逐電。京都に逃れ板倉勝重に保護を求めた…
0324人間七七四年
2018/08/18(土) 16:11:19.79ID:r40XReSG関が原当時じゃあるまいし、成人した秀頼が総大将なのが当たり前だろうに
こういうところが武家らしくない公家的な長袖者流という感じがする
自分たち(淀と秀頼)は超然として、家臣(と思ってる)信雄を総大将にして家臣(と思ってる)徳川と戦わせ
勝てばその勝利に乗っかり、負ければ総大将の信雄に全責任おっかぶせて自分たちだけは助かろうとしてたんじゃないか
と邪推したくなる
0325人間七七四年
2018/08/19(日) 23:27:55.58ID:vQ9IvdCB秀頼乳飲み子也、お袋専制也なんて言われたみたいな逸話も出るよね
なんというか異常に戦国時代の常識からずれてる行動を秀頼が取り続けたが故に
大坂の陣はきっと徳川の陰謀なんだ的な色眼鏡で見られる要因の一つになってそう
0326人間七七四年
2018/08/24(金) 18:40:22.90ID:qfnbv300足利家や執権北条家が無くなっても誰も困らなかったように、豊臣家が無くなっても誰も困らないって、そこに座ってる織田信雄や有楽斎見て気付かんもんかね?
0327人間七七四年
2018/08/29(水) 22:46:42.13ID:FzBwK+vg自主的に提出を申し出たり、江戸と駿府に豊臣家の屋敷を下賜してもらい
秀頼、淀が交代で詰めるか、そこまでしないのであれば淀殿は妹との対面、秀頼は
千姫を伴って富士山見物、秀忠、御台と千の親子対面を名目に下向するなど
すれば徳川には臣従となっても諸大名よりは上位の別格扱いの待遇は
受けれたのではないかと思う。
0328人間七七四年
2018/08/30(木) 00:53:26.45ID:q+aExjoA上層部が無能だから負けた
江戸幕府の統治の仕組みは、東の親藩の武力で西の外様に圧力を掛けて抑え込む仕組みだったわけ
今の大河を見ればよく分かりよ
つまり、大阪の陣の頃は、まだこの仕組みが完成していなかった
当たり前で大阪で豊臣が健在だったから
幕末に豊臣みたいな大名が大阪にいてみ?幕府は最初から勝負にならんかったで
0329人間七七四年
2018/08/30(木) 00:58:55.39ID:1MfNZhgf0330人間七七四年
2018/08/30(木) 01:52:12.90ID:ChkDDv1y0331人間七七四年
2018/09/09(日) 14:19:04.76ID:4EPCWZNX大坂からの転封を拒否した豊臣が、かつて転封を拒否して秀吉に改易された信雄を総大将にして、関東への転封をあっさりと承諾した徳川に戦を挑もうしたのは皮肉だな
0332人間七七四年
2018/09/10(月) 20:50:00.01ID:H8D1uBsr勝ってこない
0333人間七七四年
2018/09/11(火) 02:46:29.45ID:WxeIvL6P0335人間七七四年
2018/09/15(土) 20:25:11.40ID:1EsiYPPb家康以外で内大臣になっているから、それなりの権威はあるんだよな
0336人間七七四年
2018/09/17(月) 07:14:48.23ID:GL9fZ4Q90337人間七七四年
2018/09/17(月) 10:24:25.10ID:GaA2L3Ux0338人間七七四年
2018/09/23(日) 13:59:49.03ID:2urWlKaf過去の権威に頼る豊臣らしいといえば言えるなぁ
かつて豊臣の主君だった織田宗家の信雄が今は自分たちに臣従している点には気が廻らないけど
0339人間七七四年
2018/09/23(日) 20:18:31.94ID:hNPNOafU頭が悪いだけで
0340人間七七四年
2018/09/24(月) 00:00:19.95ID:LW3gEGsF0343人間七七四年
2018/09/25(火) 13:32:38.54ID:Ir0au0900344.
2018/09/26(水) 22:07:39.80ID:6zaIy6DH将軍家の直轄か?
0345人間七七四年
2018/09/26(水) 22:17:00.82ID:4ITDOSQO0346.
2018/09/26(水) 22:26:58.67ID:6zaIy6DH0347人間七七四年
2018/09/27(木) 15:13:30.02ID:5HFlLOrg0348人間七七四年
2018/09/28(金) 13:25:49.98ID:7eRjpSdW0349人間七七四年
2018/09/28(金) 16:57:16.24ID:/oYLwxQn0350人間七七四年
2018/09/29(土) 00:26:12.63ID:yVUz9WwZ使われ、あくまで豊臣の城というアピールが行われた(それも諸大名を欺く工作に過ぎなかった
わけだが)
大坂の陣以後は豊国社も破壊し、大坂城も破壊、伏見城も家光の代で放棄したわけだがそれ
は秀頼を亡き者にできたから可能だったこと
大坂城を退去したとしてもは豊臣家は残るわけで、そうなったなら理由もなく壊す事は余計な反感を
買うだけだからやらないかぁとも思うけど、大坂城天守などは豊臣の紋が象徴的に使われているの
でこれを残す事は不都合だし、火事と称して焼く可能性はあるなぁ
0352人間七七四年
2018/09/29(土) 09:50:26.49ID:0WXWfUq0数少ない場面しか用いてないよ
少なくとも建物にはない
0353人間七七四年
2018/09/29(土) 09:57:46.10ID:0WXWfUq0徳川氏の城で太閤紋などが使われた形跡がある例を教えてくれ
自分が知らないだけかもしれんので
あと炎上した建物の瓦は基本使われる事はないぞ?
0354人間七七四年
2018/09/29(土) 10:45:48.65ID:OJOHapxn城では無いが富士山本宮浅間大社は葵紋以外に菊紋・桐紋がある
後、関ヶ原合戦後の伏見城再建は大和郡山城等からの移築だから、そのまま流用したかと
0355人間七七四年
2018/09/29(土) 23:18:59.99ID:LZ7e+6RZ0356人間七七四年
2018/09/30(日) 08:33:18.70ID:YEcut9/z使えるものは何でも流用しないと
0357人間七七四年
2018/10/01(月) 08:45:40.66ID:stJqnByA関ヶ原後で幕府樹立だって十分見えてたろうし本当に影響あるなら避けるでしょ
0358人間七七四年
2018/10/01(月) 14:45:09.55ID:Rho8LSx/そりゃあんたが目的があればどんな事しても許されると思ってる同質の悪人だからだよw
普通の人は何でもありは許されないと思うからあんたたちみたいなのは悪に映る、そこの人間性の違いってだけの話
何かを評する時は己の価値観が反映されるってのは理の当然
0359人間七七四年
2018/10/01(月) 20:49:11.13ID:MII85Olq大したことないどころじゃないでしょ、豊臣家の威光で家康は力をつけたのだから
権威と正当性の根拠が「太閤殿下の遺命」なら避ける理由ないだけ
0360人間七七四年
2018/10/01(月) 21:31:14.67ID:p+FM8AlX公儀を認められた征夷大将軍就任前で、立場的にはまだ豊臣政権の大老だからな
それにそもそも桐紋ってもともと豊臣家の専売特許でもなくて室町幕府や皇室も
用いていたんだから「汎用天下人の紋」みたいなもんだ
その桐紋のある再建伏見城で征夷大将軍宣下を受けたわけだから、
「汎用天下人の紋がある城で新たな天下人として朝廷の公認を受けた」ことになる
ここで二条城ではなく桐紋のある伏見城で宣下を受けた辺りに家康の意図を感じなくもない
伏見城は前天下人の秀吉が建てた天下人の城であり、そこで「太閤殿下の遺命」をも
塗り替える朝廷からの将軍宣下を受けることで
伏見城を徳川氏の城とし、
豊臣政権を継承しかつ取って代わる新たな公儀の誕生を象徴させようとしたんじゃないか
0361人間七七四年
2018/10/01(月) 23:57:32.19ID:cHzhPGXw所もまたずる賢いところ
否定しないって所は豊臣家家臣であることの宣言でもあるから工作にはちょうどいいよね
0365人間七七四年
2018/10/02(火) 19:49:22.99ID:7YgTkLRq後陽成天皇の聚楽第行幸の際に諸大名に天皇と豊臣家に忠誠を誓わせているけど、この時
に秀信も豊臣家に臣下の礼をとっているのでこの時に名実ともに主従逆転となる
0366人間七七四年
2018/10/03(水) 06:31:10.91ID:GHkXWM+/0367人間七七四年
2018/10/03(水) 20:57:55.84ID:4kbD7bNC自らの家の枠内で権力伸ばした奴に従うわけはない
まだ秀信の時は天下が定まってなかった
0368人間七七四年
2018/10/04(木) 21:08:09.13ID:AMAUMq1S大阪城全史: 歴史と構造の謎を解く (ちくま新書 1359) 中村 博司 (著)
大坂本願寺に始まり、豊臣秀吉、徳川家康・秀忠ら歴代の権力者が本拠地として整備した枢要の地、
大坂城の全てを石垣や当時の詳細な資料を手掛かりに読み解く
0369人間七七四年
2018/10/06(土) 12:15:29.30ID:jE7f+Lhzでなく「国秀安頼」「君川徳楽」にしとけばよかった。
「自らを貶め徳川の天下安泰を願うものだ」
と感激のあまり涙を流しただろう。
0370人間七七四年
2018/10/06(土) 15:41:00.88ID:slfArWMu0371人間七七四年
2018/10/06(土) 16:07:52.23ID:5pK9cqDh0372人間七七四年
2018/10/06(土) 21:18:28.12ID:kc/yObwPそれ以降は地位が逆転したので行ってないだろう
莫迦と言われてる信雄だって秀吉と地位が逆転して以降
臣従しているのに
0373人間七七四年
2018/10/06(土) 21:32:03.62ID:5pK9cqDhああ言葉足らずで失礼
途中で逆転して豊臣から徳川へ年頭礼行ってるのに臣下じゃないってのは無理がある
と、言いたかった
0374人間七七四年
2018/10/09(火) 12:02:06.75ID:pFvxDufM秀頼が挨拶に行っているのであればまだしもね
家康が諸大名の領地安堵を秀頼側に追認求めているのでその理屈こそ無理がある
0375人間七七四年
2018/10/09(火) 13:59:28.89ID:QJM7c6yJ徳川に言うこと聞いてもらうが無理矢理聞かせるのは難しい
0376人間七七四年
2018/10/09(火) 15:59:27.06ID:pFvxDufM大坂衆の扱いは一般大名と同じ扱いだぞ?
大名の家臣とは扱いが違う
豊臣家が公儀的性質をもっていたからこそだが
0377人間七七四年
2018/10/09(火) 19:33:57.14ID:iTxDiNna徳川が陪臣くらいの扱いでみたらどうなんだって話
どこまでいっても徳川は豊臣の家に仕えてるわけじゃない
有力な武将ではある。が豊臣になにもかも放り出して仕える立場でもない
豊臣甘えすぎだろ
0378人間七七四年
2018/10/10(水) 21:51:33.82ID:J4cuwOZe0379人間七七四年
2018/10/10(水) 22:40:12.52ID:WQnlKPSg任すという立場だったからおんぶにだっこだったというのはどうかと思うが
こういうのこそ徳川史観っぽいぜ
0381人間七七四年
2018/10/11(木) 00:24:20.36ID:PyIIMV0T且元らが豊臣家直轄の都市や鉱山の引継ぎを家康に行ったのは家康が天下の御家老
だったからだし、家康に豊臣家が「処罰」されているという自覚はないだろう
関ケ原以後も徳川家の医師や諸大名の書簡でも家康は御家老という認識であった
そして家康も将軍になって以降もこの事を一切否定していない
秀忠の「秀」の文字返上もしていない
諸大名への領地安堵に関し家康名で行えなかったのはこの事がある上、且元を通じて秀頼の追認を得ていた
御家老が主家の政務をみることは普通のことで、これを「頼る」などというのは一面的ではないかね
我々は後の歴史を知っているからこそ家康が**に加増した、家康が**の許可を与えた
などと言っているけど、当時は秀頼の代理人という認識がある程度残っている事を
考慮すべき
0382人間七七四年
2018/10/11(木) 00:58:14.41ID:lvj6Loerいや豊臣の代理人だとみんな認識していたってのはちょっと無理あるんじゃないかなぁ
0384人間七七四年
2018/10/11(木) 13:13:16.80ID:EKtPxvBj当時の武将や公家の日記みたいな物には本音も書かれてるんじゃない
0385人間七七四年
2018/10/12(金) 13:45:26.00ID:wttM9jzD0386人間七七四年
2018/10/12(金) 16:38:22.84ID:6ESBSyGO0387人間七七四年
2018/10/12(金) 19:28:11.36ID:jKUYxlaZ実益も実力もないけど
0388人間七七四年
2018/10/13(土) 00:41:47.73ID:CrQxqWb3実は秀頼は存在してなかった、とか
0389人間七七四年
2018/10/21(日) 07:03:40.00ID:vaUgSjZH将軍に就任した時点で徳川が豊臣の家老ってのは無理があるよな
官位だって家康の方が秀頼上回っているわけだし
0390人間七七四年
2018/10/21(日) 08:03:34.79ID:ptOD4bXPそれは将軍職を誤解した現代の人間の考え
官位は個人レベルの話で家格を無視できないし
だいたい諸大名の所領安堵を家康の名前でできないってのは致命的なんだわ
0391人間七七四年
2018/10/21(日) 08:18:38.95ID:Y3l9Xl73裏を返せば、秀頼の気まぐれで諸大名の領地が否定されるリスクがあるということだからね
旧西軍連中はともかく、当時の日本の大多数を支配する東軍大名にとっては
秀頼は自分たちの財産の所有権を危うくする危険因子ということになる
大坂の陣は徳川の個人的都合というよりも、諸大名の大多数意思によるものと言う方が正しいね
どの大名も豊臣に味方しなかったのは、徳川との実力差という要素もあるけど
秀頼が特に東軍大名にとって厄介な存在であり、徳川への臣従か死ぬかしてもらわないと困るというのが本音だろう
0392人間七七四年
2018/10/21(日) 08:44:44.06ID:ptOD4bXPそして且元を通して秀頼の了承を得た
豊臣から独立した行為ができてないってのはそもそも幕府としての独自性に疑問符がつくわけだ
0393人間七七四年
2018/10/21(日) 13:37:12.76ID:vaUgSjZH0394人間七七四年
2018/10/21(日) 14:17:45.46ID:lUDb0u4K>家康の名前で領地朱印状が出せなかったのは関ヶ原直後の話で
いんや、結局豊臣家滅亡までだしてないよ
0395人間七七四年
2018/10/21(日) 16:59:57.73ID:XebmRQbh実質的な天下人となった徳川家からしたら統治上邪魔どころか危険なだけ
権威だけってことは軽い神輿ということで天下の不安定要素でもあるし伊達政宗も
秀頼を大坂城に放置しておくことの危険を指摘している
領地宛行状の発給が豊臣家の独占であるというなら、家として何の実力もない
豊臣家がそういう権威を持ち続けることは逆にどんな勢力に担がれるかわからないということ
現実の力にそぐわない権威だけの家なんて天皇家だけでも厄介なのに
そりゃ豊臣家は滅びて当然だという感想しかないな
0396人間七七四年
2018/10/21(日) 20:32:43.64ID:8TQZMAuNルールまもってる証拠
むしろそれを徳川まかせにしてる豊臣の形骸化について豊臣が危機感もって対応しないとな
危機感もちつつなんにもできないんじゃホント傀儡政権そのものだ
0397人間七七四年
2018/10/25(木) 18:24:48.89ID:Q8rXdvfoもっとも、東軍が負けても、誰かの傀儡になったかもしれんが
只、歴史上でも傀儡から復権ってのも無い事はないから
それに賭けてはいたんだろ
もっとも、傀儡からの復権って、本人の能力の他に能力の高い有力な家臣が必要なんだよね
まぁ、もう無理ぽい
0398人間七七四年
2018/10/27(土) 21:28:25.36ID:lDj/gyKC0400人間七七四年
2018/10/27(土) 21:40:23.13ID:lDj/gyKCここに書いてあったんだけど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14155640164
この本にも書いてあった
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76192-3
0401人間七七四年
2018/10/27(土) 21:42:25.91ID:GhVBTIii0402人間七七四年
2018/10/27(土) 21:58:32.35ID:N7ov20LQお袋専制、秀頼乳飲み子だけじゃ無く、関ヶ原の新恩を上げている家もあるから
大名達の意識としてはやはり徳川家康から安堵された領地だったんじゃないのかな
0403人間七七四年
2018/10/27(土) 21:58:45.13ID:OagYNnB6家康としては立場の弱い小領主へのお墨付きという認識かと
0404人間七七四年
2018/10/28(日) 00:22:37.88ID:BTvFl9XN秀頼に与えてもらった領地だが家康が怖いから秀頼には加担しない、という
考えもあるだろうし
下手にこういう事を決めつけていると教科書のように関ケ原の戦いを豊臣家VS徳川家
というような間抜けな結論をつけてしまう
0405人間七七四年
2018/10/28(日) 00:36:00.59ID:UyduURIa0406人間七七四年
2018/10/28(日) 00:47:21.28ID:BTvFl9XN諸大名にとっては無難な方につくのは生き残りのため仕方ないこと
中には徳川家を出奔してまで秀頼に加担したり、認知はなくとも家康の子
と認識されていた武将が秀頼側につくという事もあったみたいだが
0407人間七七四年
2018/10/28(日) 00:59:04.18ID:UyduURIa長くもなければ大樹というわけでもないのに張り合った秀頼の状況判断が悪いという
その辺は前田に協力を断られた時点で察するべきだった
0408人間七七四年
2018/10/28(日) 01:26:48.65ID:BTvFl9XN前田家も利長は隠居の自分なら老兵でも手勢を率いて味方できる、などと慎重
な言い方をしている
島津家は秀頼の要請を断ったものの、普段付き合いのない大名に恥をしのんで
まで頼み込み、上方の情勢を慎重に分析している
そして「佐野道可」の件だけでなく、いくつか出奔と称して家臣団を送り込んだ
疑惑の大名もあるから最後の最後まで分からなかったのだろう
0409人間七七四年
2018/10/28(日) 01:33:22.53ID:UyduURIa最後の最後までわからなかったのは秀頼だけだろう
0410人間七七四年
2018/10/28(日) 01:35:31.80ID:UyduURIaそれ以下の大名に期待しても望み薄だってことはわかるからな
0411人間七七四年
2018/10/28(日) 01:40:42.17ID:r/TuRltnそういう裸の王様として育てられたのだから仕方がない部分もあるけど
諸大名はお前のパパじゃないんだよ、我が子のように気をかける義理はないんだよ、ということだ
0412人間七七四年
2018/10/28(日) 08:07:42.55ID:wUwOqnLY堀智博によると佐野道可の逸話は信憑性に欠けるらしいがな
0413人間七七四年
2018/10/28(日) 08:20:56.57ID:c05zGVe+あの手の話は最初から秘密裏にやるもんだから史料が残るわけもなく見かけ上の信憑性が低くなるのは当たり前よ
だが火のない所に煙は立たぬ、からな
0414人間七七四年
2018/10/28(日) 08:56:27.69ID:0gTca7Eo大坂の陣が徳川方の圧勝に終わると輝元は幕府にビビって佐野の息子を自刃させてあっさり切り捨ててるし
毛利とすればとにかく家を存続させることが最優先で、家を賭してまで豊臣に忠義を尽くそうとしたわけじゃない
それは前田など他の大名も同じで、豊臣との主従関係なんてその程度のもの
0415人間七七四年
2018/10/28(日) 21:24:57.98ID:kK/jxzqD0416人間七七四年
2018/10/28(日) 21:43:52.22ID:2mCGXISe毛利内の出奔してたはねっかえりが大坂入城したのを吉川が仲の悪い秀元を攻撃するネタにした程度の話だろ
0417人間七七四年
2018/10/28(日) 22:19:30.58ID:u3xDWwPD0418人間七七四年
2018/10/28(日) 23:24:33.81ID:7upL2NNAそれこそ楠家くらいの覚悟で大坂に味方する家がいくつも出ないと
0419人間七七四年
2018/10/29(月) 00:48:39.12ID:sId7kNJd浪人身分ならまだしも、それなりの知行と家臣を持つ者にもいたようで、この
手の武将は福島正鎮、正守らがいた
増田盛次などは冬の陣では徳川方として参戦してるが、夏の陣直前に
尾張徳川家を出奔してまで豊臣についている
彼らは豊臣恩顧の大名の子息だが、彼ら自身は秀吉から直接恩顧を受け
たわけではないのに豊臣についている
家康が怖いから不本意ながら徳川についている者がいるという事を強く予
感させるな
0420人間七七四年
2018/10/29(月) 10:41:19.77ID:wE8uTWfC秀吉の天下統一前から独立勢力だった大名が家ごと豊臣方に参陣するくらいでないと
そういう大名を味方にできなかったというのがもはや豊臣家が天下人ではなく単に時代に
取り残された反逆者に過ぎなかったという証拠
0421人間七七四年
2018/10/29(月) 10:53:23.97ID:wE8uTWfC武家の主従関係は本来あくまで功利的で、恩義や名目でどうこうできるほど甘くはなく
こっちについたほうが得だとどれだけの武家に思わせるかが勝負の非情でドライなもの
源平の昔からその繰り返しでしょ
0422人間七七四年
2018/10/29(月) 11:59:21.54ID:sQBxV3W5冬になればコートを着るし春になればそれを脱ぐ。それだけの話し
ただ稀に春になろうと夏が来ようとコートを脱がない変わり者がいて、それをながめて愚かだなぁと思いつつ感動したりもする
0423人間七七四年
2018/11/02(金) 18:11:57.92ID:oaC82Izg西側武将から攻められるとは
やっぱり納得いかんかったろうな。
0424人間七七四年
2018/11/14(水) 22:09:18.97ID:5jZaHvQH0425人間七七四年
2018/11/18(日) 05:48:12.49ID:jhYn69MD0426人間七七四年
2018/11/18(日) 07:49:49.48ID:dw6N4ZS20427人間七七四年
2018/11/18(日) 11:20:36.37ID:NkksKTrXまあこれに尽きるよな
秀頼は大名に徳川から守ってくれではなく徳川から守ってやるって言わなきゃいけない
0428人間七七四年
2018/11/19(月) 20:36:57.15ID:fJFGdinI後藤に討ち取られたという話は雑兵や平武者が槍をつけたのをそれでは家康が不憫ということで後からあって名将に討ち取られたという話にしたらしい
豊臣は滅ぼしたが自分も滅びた、ではさすがに笑える話し
0429人間七七四年
2018/11/19(月) 21:42:30.82ID:s7VF+vXu0430人間七七四年
2018/11/19(月) 22:09:36.05ID:fJFGdinI昭和のはじめに家正氏が訪れ、徳川としては積極的に否定もしないし、かといって肯定もしないスタンスでいるとのことだった
0431人間七七四年
2018/11/20(火) 02:32:58.08ID:jGIfBsi3アホかと思う
信長の野望じゃないんだから
0432人間七七四年
2018/11/20(火) 06:15:34.69ID:8AWj253Q0433人間七七四年
2018/11/20(火) 21:11:39.50ID:4i34Ri6Iただ、幕末や昭和の徳川家の動きからはそれなりの信憑性は伺えて興味深い
0434人間七七四年
2018/11/20(火) 23:16:30.00ID:KAhh748a0435人間七七四年
2018/11/20(火) 23:36:51.30ID:YcpJrCysそこに限定して信憑性とかギャグか何か?
0436人間七七四年
2018/11/20(火) 23:49:09.74ID:vf0Eu1/Lしかし言っていることはいつも似ている
0437人間七七四年
2018/11/21(水) 02:14:49.75ID:Ca7F2Nos経済効果があるから町ぐるみで大真面目に信憑性訴えるし
0439人間七七四年
2018/11/21(水) 09:36:45.25ID:Ca7F2Nos0440人間七七四年
2018/11/21(水) 12:47:20.74ID:K0XvbbRX0441人間七七四年
2018/11/21(水) 12:58:21.65ID:uauCPIWm家康は怖い権力者なのにお上を茶化して当時の堺の人達に何の得がある
観光史観ではなく、傍証がいくつかある異説
だからあくまでも例の墓は「伝徳川家康の墓」
0442人間七七四年
2018/11/21(水) 13:20:43.98ID:aN5NxH0K0443人間七七四年
2018/11/21(水) 13:34:34.94ID:zn8BrtZNある意味司馬史観よりも厄介だと思う
0444人間七七四年
2018/11/21(水) 14:21:41.00ID:2BStEIrN下手に否定して子供の喧嘩みたいになるより肯定も否定もしないでおくのが
元天下人として余裕ある態度というもの
所詮秀頼が薩摩で生き延びていたってのと同レベルのだからどうした説だし
0445人間七七四年
2018/11/21(水) 18:57:26.32ID:TLin2nqr、細川忠興の次男ぐらいだな
0446人間七七四年
2018/11/21(水) 19:33:08.54ID:dpUYMaVmそして幕末に慶喜の意向を受けた山岡鉄舟が来たが、本来は慶喜が来て家康の墓と
認めるという趣旨の石板を納めようとしたが、あんたがやるのはまずいでしょう、という
ことで山岡鉄舟が代参して墓を家康の墓と認めるという内容の石板を納めたということ
これは今でも残っているし、実際見てきた
そして昭和に家正氏が訪れ参拝したものの墓を本物であるかどうかは曖昧な態度をとった
寺が拝観客に紹介しているのは家康が槍で突かれて一行がここに逃げ込んだ時には
家康は事切れていた、というものだが別説もあり、南宗寺の古田織部作の庭と伝わる
庭石が家康最後の場所だったともあり、どちらにせよ、開山堂の床下に一旦仮埋葬
したというのは共通しているそうだ
開山堂は米軍の空爆によって焼けてしまい、仮の墓石がでてきて現在に至る
0448人間七七四年
2018/11/21(水) 20:14:29.90ID:bc0vJ2sIそれは表向きの理由だと
当たり前だが、討死説が本当でも家康の墓参りに来ましたなんて公的に書くわけがない
0449人間七七四年
2018/11/21(水) 20:25:45.58ID:i44S1Bj60451人間七七四年
2018/11/21(水) 20:45:16.59ID:i44S1Bj6実際の秀忠はその日名古屋にいて参詣できるわけがないという
0452人間七七四年
2018/11/21(水) 20:46:01.37ID:bc0vJ2sI真相は確かめようもない
ただな、堺の人達が権力者を下手にイジるようなネタをわざわざ残すのも不自然なんだよね
こういうのは名前を変えて伝え残すのが通例
信繁を幸村などと変えたように
0453人間七七四年
2018/11/21(水) 21:07:55.18ID:IdSl01lf0454人間七七四年
2018/11/21(水) 21:14:00.68ID:zn8BrtZN0455人間七七四年
2018/11/21(水) 21:17:07.44ID:Ca7F2NosまぁX線なり筆跡検査したのか知らないからいつ誰が記述されたのかは同定できないけども
ガス抜きにここで家康公実は死んでましてんみたいなのは十分に楽しいやろうし
0457人間七七四年
2018/11/21(水) 22:03:25.45ID:V8vqgxTK0458人間七七四年
2018/11/21(水) 22:20:24.00ID:bc0vJ2sI頭大丈夫か
0459人間七七四年
2018/11/22(木) 09:10:31.49ID:P/ns+foL別に歴史の評価が変わるわけでもなく
関ヶ原時ならまだしも家康の子孫が250年政権を保ったのは事実だし
最後まで総大将として敵前に姿を見せず
引きこもりのまま命乞いしながら爆死した秀頼に比べて
執念で戦国を終わらせた英雄らしい壮烈な死に様とも言えて笑うなんて思いもよらないけどな
まあどこにでもある郷土ナショナリズムによる平和なひま話だね
真相がどちらであろうと毒にも薬にもならないという意味でそれこそ微笑ましい
0460人間七七四年
2018/11/22(木) 11:33:04.46ID:mloP++9l脱糞とか食い逃げとかの真偽の定かではない逸話も普通に残されている事を考えると
落書で憤怒したあのお方に比べりゃ度量の違いで済みそうな話ではある
0461人間七七四年
2018/11/22(木) 12:55:01.87ID:DEIcZBrQ0462人間七七四年
2018/11/22(木) 15:42:25.47ID:cctoGlGZ0463人間七七四年
2018/11/22(木) 18:31:43.08ID:YMOiic5V通説では自害した事になっているが、これも絶対ではないから歴史探索は楽しい
0464人間七七四年
2018/11/22(木) 18:36:36.80ID:pH6Wr3SE0465人間七七四年
2018/11/25(日) 07:39:08.48ID:5O+qoUf/そもそも三方原の戦いって深夜に行われたって説あるしな
0466人間七七四年
2018/11/28(水) 22:47:12.41ID:Qs+eD4+y時代劇に出てくるような民営の茶屋が出来るのは
江戸時代入ってからだしね
0467人間七七四年
2018/11/29(木) 00:39:31.49ID:qdesJhil食い逃げをそこまでムキになって否定しなくてもいいと思うけど
0470人間七七四年
2018/11/29(木) 12:24:18.54ID:U1kCJTG0お前はマッハババアが実在すると思ってるのか
大坂の陣で家康が討ち死にしたと言ってた知的障害者と同一人物か?
0471人間七七四年
2018/11/29(木) 14:15:42.36ID:7qZG1o6J当時の交通と流通と治安と経済状況から、
その手の店が成立するか否かを考察することは、
非常に困難な研究課題だと思う
0472人間七七四年
2018/11/29(木) 15:03:43.74ID:5Y5sb9dP小説等で得た知識が根拠ってか
0473人間七七四年
2018/11/29(木) 15:38:09.58ID:NgvzKf6B自分たちの地元ageするあさましい連中だからな
0474人間七七四年
2018/11/29(木) 16:17:57.57ID:YcSVH1b20475人間七七四年
2018/11/29(木) 20:22:15.35ID:L2UXcAzc食い逃げも脱糞も討ち死にも一つの説として気楽に考えたらいいのさ
0476人間七七四年
2018/11/29(木) 21:27:23.99ID:ANEzzbJ30477人間七七四年
2018/11/30(金) 01:09:32.05ID:0NKXXodQ0478人間七七四年
2018/11/30(金) 17:29:43.04ID:QFlxY7Pt0479人間七七四年
2018/11/30(金) 18:21:14.90ID:3q31zNSf0480人間七七四年
2018/11/30(金) 20:13:54.79ID:/0hasfET0481人間七七四年
2018/11/30(金) 21:24:51.08ID:fdXIJldi65万石で妥協しときゃ良かった
秀吉がノブの息子に行った仕打ちと比べりゃ温情あるほうなんだから
0482人間七七四年
2018/12/02(日) 07:40:07.70ID:SHTyQAmcなら最期の最期で蔵に逃げ込んで命乞いするなとは思うが
仮に助命されていたらどういう待遇を要求したんだろう
0483人間七七四年
2018/12/02(日) 08:02:13.95ID:ojF4qNr40485人間七七四年
2018/12/02(日) 16:26:56.60ID:FBKxZ8+3大坂城出るから約束通り大和国くれとかかな
0486人間七七四年
2018/12/05(水) 20:25:16.55ID:1aah1fdm0487人間七七四年
2018/12/05(水) 20:31:03.50ID:lgOdEjVb八丈島追放でよくない?
徳川の領域を通らずに秀頼を連れ出すのは無理だろうし
0488人間七七四年
2018/12/06(木) 02:14:35.42ID:r19RlIEo大坂城に2回も10万集めて負けた結果今更助命だなんて
大野が腹を切る代わりに2人の助命を求めたらしいけど、やっぱこいつが父親なのか
この3人が親子なら、下手に天下など目指さず公家化して静かに暮らしたほうが幸せだったろう
0489人間七七四年
2018/12/07(金) 21:31:55.35ID:GWYQin0z上から目線杉
0490人間七七四年
2018/12/07(金) 21:51:52.32ID:9w69zDL8だって史実の秀頼がどうしようもなく頭おかしいし
あまりにもやってることがちぐはぐで実は大坂の陣の秀頼は7歳から成長してないのでは、と思うくらい異常だし
0491人間七七四年
2018/12/07(金) 22:56:07.07ID:IUaO9DjIやってることも好戦的に見えるが、いざってときにひ弱だし
出てきたところで戦局に影響は大してないだろうが、最後まで引きこもってたのもなんだか
0492人間七七四年
2018/12/08(土) 01:34:44.77ID:3srGw1mx0493人間七七四年
2018/12/08(土) 04:19:34.13ID:+q272X8gそれができなかったもんだからあれこれ言われてしまうのは仕方ない
0494人間七七四年
2018/12/08(土) 10:59:41.57ID:BPBJK6ikこんなとこじゃないかな
0495人間七七四年
2018/12/09(日) 00:23:06.62ID:tcS6n+Ow0497人間七七四年
2018/12/09(日) 14:31:14.47ID:Hs1CnjDF0498人間七七四年
2018/12/09(日) 20:41:51.98ID:69/xAi7Y中国なんて政治犯にされたら女子供関係なく親戚含めて一族皆殺しだからね
0500人間七七四年
2018/12/09(日) 21:46:40.83ID:Yp8zrb3Z0501人間七七四年
2018/12/09(日) 21:52:55.89ID:IiilXhw30502人間七七四年
2018/12/09(日) 22:52:15.28ID:lNR4Pq/+秀吉に請われて招聘されたのに、豊臣の許可を取った遠征事業しただけで元奉行を刺客として差し向けられたし
自分を呪詛する鐘を作られたうえに怪しい牢人連中を何万人も集めて武装蜂起したり
家康は豊臣の暴走に振り回された被害者だよ
0503人間七七四年
2018/12/09(日) 22:56:19.79ID:Hs1CnjDFそのため秀頼の官位を進めて顔を立てると共に遺言通り千姫を秀頼と縁組みさせ
秀忠と秀頼の間に父子関係を作り軟着陸出来るよう努めている
それなのに豊臣は方広寺の鐘銘のような無礼をした
鐘銘の問題は俗説が言うような呪詛ではなく五山の僧の解答を見て分かるように
家康の諱を用いたばかりかそれを二つに分ける無礼をはたらいた事
呪詛ではなく豊臣が無礼をはたらいた証拠なのだから、腹立たしくはあっても
残していて置くのが普通、なのに豊臣好きは呪詛の文を残しておくのはおかしいと
騒ぎ立てる。
0504人間七七四年
2018/12/09(日) 23:23:45.22ID:69/xAi7Y浅野と加藤が家康を抑えていたから徳川と豊臣の関係が続いていただけ
家康もこの二人は無視できない
大義名分作りにこのふたりが邪魔だった
すべて潰してしまうからね
0505人間七七四年
2018/12/09(日) 23:42:01.90ID:aM6daWYX0506人間七七四年
2018/12/09(日) 23:54:22.31ID:dTHNojbO自分が織田にしたことを忘れたのか
おとなしく公家として生きてれば、そこそこの地位は約束されてただろうに
身の程を知らずに大阪に篭るから悪い
0507人間七七四年
2018/12/10(月) 12:27:44.61ID:NxOblEK0己の力で諸大名を斬り従えたならまだわかるけどさ
0508人間七七四年
2018/12/10(月) 12:35:08.93ID:wZ5675Sm0511人間七七四年
2018/12/10(月) 15:36:23.90ID:DU/UAvxj0512人間七七四年
2018/12/10(月) 16:14:10.93ID:CnwyCLp9秀頼は自業自得じゃないの?
まあ秀吉が織田家中で権力を掌握して織田を下に置いたのは事実だし、徳川に同じことをやられても仕方ないと思うけどな
0513人間七七四年
2018/12/10(月) 16:51:25.16ID:t4Mtvy7210万石で長浜に置く位で秀信と同格だな
0514人間七七四年
2018/12/10(月) 20:49:01.81ID:khYpt7zx家康の行動は天下統一している豊臣公儀の中でやっている話
幕府成立後も秀頼後見役の権威をフルに活用
秀吉は独立してやったこと
家康はがん細胞のように徐々に己の政権に置き換えた
甘いも何も寄生虫風情が秀頼をどうこうする資格があるわけもなく
0515人間七七四年
2018/12/10(月) 21:15:42.39ID:t4Mtvy72朝鮮の役と秀吉の死でその統一も崩壊したが
それを収拾して再統一したのが家康
崩壊が一年にも満たないから、崩壊していないと勘違いしているだけ
0516人間七七四年
2018/12/10(月) 21:45:58.44ID:khYpt7zx>朝鮮の役と秀吉の死でその統一も崩壊したが
それを収拾して再統一したのが家康
そもそもこんな史実があるかは別にしても
家康が豊臣の権威を使ったことに対しての反論になってないわけだが
0517人間七七四年
2018/12/10(月) 21:51:26.86ID:G0eSVqUs0520人間七七四年
2018/12/10(月) 22:21:04.59ID:khYpt7zx武家摂関家だし
既成事実として家康が豊臣の権威を使ったのだから後世のヲタがどうこう言ってもしゃーないやろ
0521人間七七四年
2018/12/10(月) 22:35:31.14ID:G0eSVqUsあとは太閤秀吉の個人権威政権に過ぎん
だから秀吉が死んだ後毛利も宇喜田も奉行衆も乱を起こした
0523人間七七四年
2018/12/10(月) 22:55:52.59ID:WwFGYJ+8作りかけていた秀次の関白体制だって自分で壊すし
それだって室町幕府程度の完成度じゃないか、いやそれ以下か
息子は息子で責任も取れないくせに暴れるし
普通は自分の命で家臣の命をとやるところを、蔵に追い込まれて命乞いとか当主としてやることじゃない
0524人間七七四年
2018/12/10(月) 22:57:05.17ID:khYpt7zxその将軍になるまでの官位官職はだれの推挙よ?誰が与えた領地よ
下地がなければ将軍などになれる道理ないわアホ
まして江戸城普請ですら秀頼側に采配者の派遣を頼んだり、諸大名の天下普請の負担割合を秀吉の朱印状を元に算出してるのにどこが否定になってるのよ
0525人間七七四年
2018/12/10(月) 23:21:50.98ID:06KKklUyその辺言い出すとそもそも秀吉が朝廷から官位もらえたのは
まぎれもなく織田家の力がなきゃ不可能だしなあ
少なくとも筑前守の位は織田家の力なきゃ無理だし
そのスタートが無ければ官位をもらうのは相当難しいだろう(要は織田家臣にならなければ)
0526人間七七四年
2018/12/10(月) 23:33:10.49ID:khYpt7zxそうだよ、秀吉とて信長の引き立てがなければああはならなかった
しかし家康ほどではない
実際に天下は統一されてないし、自力でやらないといけないことがたくさんあった
おんぶに抱っこの家康とは違う
0527人間七七四年
2018/12/10(月) 23:42:10.42ID:GYRNEo2u羽柴政権自体が秀吉個人の独裁政権だからな
官僚層の育成どころかそういう制度の構築をしようとした形跡すらない
秀頼に関しては最後の責任云々もそうだが
領地をまともに運営していたと判断できるものがない
やたらと祈祷はしてるがな
0528人間七七四年
2018/12/11(火) 01:54:24.93ID:Z/P6vlsj0529人間七七四年
2018/12/11(火) 05:18:17.79ID:e2Kn1M5Cこんなの天下人としてなんて話にならん、城主としての務めすら果たせてないぞ
よくifで謙信を召還したらとかハンニバルが指揮をとってたらとかスレがあったけど、そんな絵空事の前に
千姫との間に子供作るほうが先だわ、妾相手に励んでいる場合じゃないんだわ
0530人間七七四年
2018/12/11(火) 06:51:24.32ID:QH9xqttY秀吉は独力ではスタートラインにすら立てないよって話をしてるんだが
それなら一応は独力でスタートラインに立てる家康の方がマシじゃね?
少なくとも三河守は家康独力といってよかろう
朝廷の力云々ならそれこそ秀吉もその力借りてるしな
0531人間七七四年
2018/12/11(火) 08:09:49.47ID:o3Dpqka6彼がいなければ朝鮮の役なんて浪費はできない
0532人間七七四年
2018/12/11(火) 08:15:16.37ID:8l/b/TTDここでも秀吉or家康のほうが綺麗をやりだすの?
0533人間七七四年
2018/12/11(火) 09:55:51.25ID:Lvxo+VcI各スレで秀吉は織田が天下統一してない、滅ぼしてないというだけで
全面擁護し家康は異様に不義不忠のクズ呼ばわりする
ID:khYpt7zxみたいバカ(一人だろうが)が粘着しまくってるからな
0534人間七七四年
2018/12/11(火) 11:00:58.88ID:5/mkzLuz殺されたのも大阪の陣を2度も起こしたからで秀頼が現実を見るチャンスは何度もあった
そこで思い直していれば秀吉が織田に対して行った処置より、もっと好条件で生き残れただろう
2代や3代、それ以降がどうするかはわからないがね
だいたい自領の統治すらまともにできずに、年貢の徴収に関しても幕府経由で役人借りてる
これほかの家なら改易されてもおかしくない
0536人間七七四年
2018/12/11(火) 12:32:09.74ID:hausJ7f/帰ってくる割合が断然違うから
秀吉も簒奪はしたが、家康のような卑劣なまねはしてない
0537人間七七四年
2018/12/11(火) 12:47:58.14ID:hausJ7f/秀頼が殺されたのは徳川家の安泰の為という極めて私的な理由に過ぎないけどね
0539人間七七四年
2018/12/11(火) 13:16:51.19ID:axE6HDOe0542人間七七四年
2018/12/11(火) 14:21:53.22ID:FIuNH+dP0544人間七七四年
2018/12/11(火) 16:14:09.88ID:qIjifVrs古臭い歴史観のままなのはなんでやろなぁ
0545人間七七四年
2018/12/11(火) 16:17:39.42ID:o3Dpqka6それ以後で豊臣の権威を利用したかな?
0546人間七七四年
2018/12/11(火) 17:02:51.51ID:rP2ny2dKベター 野戦に出て壮絶な討ち死に、今の真田幸村の立ち位置となり歴史に派手に名を残す
グッド 自分の首の代わりに臣下の命を救うよう申し出る
バッド 蔵に追い詰められて命乞い
0549人間七七四年
2018/12/11(火) 20:24:04.27ID:o3Dpqka6江戸城普請は奉行の連署に豊臣家臣の名が載っており、禁中普請にも参加している
これは奉行職として江戸城普請に参加したんじゃない
尤も以後の豊臣家を見る限り、どちらかというと奉行としての経験を積ませるための
幕府側の好意とすら思えるが
0550人間七七四年
2018/12/11(火) 21:58:08.71ID:tvupQTtKそれは采配側としての参加なんだし
ま、秀吉の朱印状を元に諸大名の負担割合を決めている時点で豊臣を否定しようがないわけだし、秀頼らの寺社仏閣の修復も秀頼の名で諸大名に命じて行わせているのに徳川は特にクレームをつけてない 諸大名に命じる権利を認めるってのは公儀性を認めているのと同じだがね
0551人間七七四年
2018/12/11(火) 21:59:23.99ID:vpbKLprYもう面倒なんで君の思う秀吉より家康が卑劣な点を
具体的な事例を挙げて言ってくれないか
0552人間七七四年
2018/12/11(火) 22:03:21.61ID:o3Dpqka6采配側といっても数千石級の旗本の仕事だし
継続していないから江戸城普請で使ってみたけど、
全く役に立たなかったとか
大坂の港湾を使うので参加させたが役に立たないので、
板倉勝重による間接支配に変更したのでしょう
0553人間七七四年
2018/12/12(水) 00:19:43.57ID:aCyylg+X0554人間七七四年
2018/12/12(水) 04:16:33.77ID:VtEm1Szs(そもそも勝てる戦ではない)
淀は開戦前はどうだか知らないが開戦後は現実理解して和平派だろ
本当に秀頼が淀の言うこと聴くようなマザコン息子なら豊臣は滅亡しとらんでしょ
0558人間七七四年
2018/12/12(水) 13:22:17.38ID:p13Kldzh実力はともかく名目上、秀頼は家康の主君
0560人間七七四年
2018/12/12(水) 14:25:47.34ID:vjbOZY1jまた慶長13年頃から臣下から主人へしか出されない儀礼である年頭礼が秀頼から家康へ出されてるとも
朱印状は申請があれば家康名で出す予定があったともある
異論があるならこの回答者にぶつけたら?
いろんな史料を読み込んでる相当な猛者みたいだけど
豊臣家の関白世襲が「叡慮次第」、つまり天皇の意向次第であり豊臣政権の基盤が
決して盤石なものではなかったこともこの人の回答で初めて知った
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13199615103
0561人間七七四年
2018/12/12(水) 14:33:30.44ID:EZpKv2e2豊臣が名目上の主君でしかないのにド無礼かまして、挙げ句取次追放して喧嘩売ったからやしな
主君だろうがなんだろうがここまで舐めた態度取っておいてつつがなしで済む訳ねーし
つーか、それでもなお冬の陣で甘々に済まそうとしてるのにその講話条件すらまともに守れてないからあんな結末になっとるわけでな
豊臣徳川どっちが主従?の問題じゃなく、最後まで他人舐め腐ってたのは豊臣ってだけでしょ
0562人間七七四年
2018/12/12(水) 15:45:43.18ID:RZM+MFsF当時の家康は知行宛行状を支配の根拠とは見なしていない
相手が欲しければ交付するとしている
関東領国時代から知行宛行状は数千石の旗本までしか出していない
0563人間七七四年
2018/12/12(水) 15:57:09.70ID:MK4FBgMo冬の陣の講和条件でもあった牢人の処遇で泣きついた時も
大坂城から退去してくれれば牢人は幕府で処理すると激甘対応してるしな
結局大坂方による講和条件の一方的な破棄で夏の陣開戦という救いようのなさ
0564人間七七四年
2018/12/12(水) 21:31:12.54ID:64gQ9p6x相手が欲しければ交付するとしている
欲しがった相手にも出す出すといって結局出してない
家康が根拠と看做していたかは関係ない
それはあくまで家康の感覚にすぎないので
一般的な大名にまでその感覚が普遍のものだとしたら所領安堵状を求めること自体が
おかしいってことになる
年頭のあいさつもあくまでも義祖父に対しての物とも解釈できる
何より秀吉の朱印状を元に家康は大名を動かしているのでこれは豊臣をあくまで上と
している事になる 実際、二条城の会見も秀頼の御成りの扱いだった
>>561の人のいうように現実として名目上の主君にすぎないよ秀頼は
だけど家康を反逆者呼ばわりする材料としてはそれだけあれば十分なのさ
0565人間七七四年
2018/12/12(水) 21:35:10.27ID:64gQ9p6xこれは頑として動かない
殺伐とするのも好きじゃないのでこれでやめておくが、史観は人それぞれ
なんで強制はしない 家康ヲタが根拠のないものを信じるのもまた自由だしね
こちらも書きたいときに遠慮なく書く
誰にも止められない
0566人間七七四年
2018/12/12(水) 21:49:56.97ID:64gQ9p6xだから秀頼はあくまで名目上の主君にすぎない
家康側から見れば秀頼の無礼によって大坂の陣が起きたと考えるのも無理はない
秀頼の対応が柔軟性に欠けるものであるのもわかる
年頭の挨拶は秀頼本人がやっているわけでもないし、秀忠は相手にされてないが
家康が秀頼が臣従したと思いたがるのもわかる
しかし家康は不義不忠の反逆者
言いたいのはそれだけ
0567人間七七四年
2018/12/12(水) 21:51:09.84ID:64gQ9p6x家康が秀頼が臣従したと思いたがるのもわかる
〇年頭の挨拶は秀頼本人がやっているわけでもないし、秀忠は相手にされてないが
秀頼が徳川に臣従したと思いたがるのもわかる
0569人間七七四年
2018/12/12(水) 21:57:47.98ID:IE8aUSc00570人間七七四年
2018/12/12(水) 22:03:43.75ID:64gQ9p6x二重公儀の解消のための大坂の陣が一番しっくりくるからな
家康の力の源泉は秀吉の引き上げによるものだからこれが動かない限り
家康の下克上、謀反の評価は逃れられないよ
0571人間七七四年
2018/12/12(水) 22:56:01.07ID:bWxUwFQs0573人間七七四年
2018/12/13(木) 10:24:19.37ID:uSOn8i+Lむしろ徳川家に自領の年貢徴集のヘルプまでしてもらってる状態で
公儀として行わなければいけない最低限の義務すらこなせてない
本当に朱印にお情けで名前出してもらってた程度くらいの権威でしかない
まぁそれでも名目上の主君だって言い張るならあれだけど、織田も豊臣もおんなじ簒奪行ってるし
最大限譲歩してるだけこの中じゃ温情ある処置してるけどな、受け手が全部蹴っ飛ばしてご破算にしただけで
この手の権力移行は、元権力者側がバカだとこじれるってだけの話よな
0574人間七七四年
2018/12/13(木) 10:29:51.88ID:Nlb9Wqge解釈はゲルニカと言うより君主が馬鹿だとこうなりますよという戒めにしか見えん
0575人間七七四年
2018/12/13(木) 21:07:11.22ID:eXZKgFyc豊臣秀頼ではそれは無理な話
0576人間七七四年
2018/12/13(木) 21:20:35.78ID:7X5nMkWF0577人間七七四年
2018/12/13(木) 23:31:45.11ID:iXqUm51V0578人間七七四年
2018/12/14(金) 09:37:59.56ID:2RBwX9SV信長に出された三職推任でも関白太政大臣と並んで示された征夷大将軍に任じられた時点で
朝廷から天下人として公認された(豊臣家からではなく朝廷から政権を任された)わけで
その時点で豊臣家の武家関白制は事実上廃止されたと見るべきだと思うんだがな
朝廷の権威と豊臣家の権威とどちらが上かって言えばそりゃ朝廷のほうでしょう
0579人間七七四年
2018/12/15(土) 05:03:06.64ID:wQFQDqX2絶対それ自分たちじゃコントロールできないじゃん
統治できず浪人もコントロールできずに幕府に泣きつくのが目に見えてる
0580人間七七四年
2018/12/24(月) 22:06:26.30ID:zR07V92w秀吉だって大坂城建築始める前に、修築した安土城から三法師と信雄追出しているわけだし
0581人間七七四年
2018/12/25(火) 08:44:08.61ID:HBYyqiyyこの時点では右大臣徳川家康 内大臣豊臣秀頼だからどっちが上かと言われると微妙なんだよな
官位の上では家康が上だけど、秀頼は年齢考えたら出世速度ヤバイし
しかも家康が1605年に右大臣を辞めた後、後任が豊臣秀頼で、1605年には右大臣豊臣秀頼、内大臣徳川秀忠と
また豊臣徳川の官位が逆転してる。1608年には左大臣の任官もあったらしいし
公的権威では豊臣が上、武的権力では徳川が上という歪な状態は続いていたと思う
0582人間七七四年
2018/12/26(水) 23:58:21.54ID:BkNctwHrこの5つだと思う。
主君の没後1年で主家の人間を殺しまくって主家を横領し乗っ取った不義不忠の簒奪者が豊臣の本質だが、
関白任命と豊臣賜姓、聚楽第行幸で正当化され、武家関白制が成立していった。
けど1592年に聚楽第行幸で公認された関白左大臣内覧豊臣長者を一家虐殺したことで武家関白制は崩壊し、
豊臣の公儀性は失われたと考えるべき。
秀吉が乱発していた契約書や、泣きつくようなみじめな遺言に公儀性はない。
聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である帝からたくされた公儀は、内大臣に引き継がれたと見るべきだろう。
豊臣は主家簒奪の家柄で、豊臣秀頼は関白左大臣内覧豊臣長者を殺した正当性のない存在だ。
そして1601年に関白が任命され、1603年に右大臣征夷大将軍が任命された時点で、
600年の伝統をもつ関白五摂家持ち回り制と、400年の伝統を持つ征夷大将軍制に戻ったと考えるべき。
1614年の関白左大臣は鷹司信尚、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠、内大臣は西園寺実益だ。豊臣秀頼にはなんの大義もない
ただの謀反人だ。征夷大将軍に征伐されるのも当然といえる
0583人間七七四年
2018/12/26(水) 23:59:20.37ID:BkNctwHrこの5つだと思う。
訂正
0584人間七七四年
2018/12/27(木) 19:45:56.67ID:fuQD2Fka0586人間七七四年
2018/12/27(木) 22:04:01.95ID:w7aFe/E4聚楽第行幸で家康をはじめとする諸大名は天皇を主君として臣下の礼をとり、
関白左大臣内覧豊臣長者を、帝はわざわざ聚楽第に行幸し公認していた。
これを殺したのが豊臣なわけで、秀頼は正当性のない存在といえる。
0587人間七七四年
2019/01/07(月) 17:14:32.73ID:ePEqQNrP惣無事と聚楽第行幸の意味を勉強してきな。誰が誰に臣下の礼を取ったのかわかるから。
この2つが理解出来ていないと、関白左大臣内覧豊臣長者一家皆殺し事件の重大さも理解できない。
0588人間七七四年
2019/01/07(月) 18:47:11.47ID:drN6O2K6まあ、おいそれと手出しできないからかなり家康に気をつかってるようだけどさ
てか、秀吉に頭下げたのがそんなに気に入らないのかね
最終的に天下を獲ったんだからどうでもいいことだと思うけどな
0589人間七七四年
2019/01/07(月) 19:33:36.79ID:5sF/abIaまあ、おいそれと手出しできないからかなり秀頼に気をつかってるようだけどさ
てか、家康に頭下げるのがそんなに気に入らないのかね
最終的に豊臣を残せるのならどうでもいいことだと思うけどな
0590人間七七四年
2019/01/07(月) 19:39:34.43ID:ePEqQNrP天皇を主君として頭を下げ、私闘をやめよとやったのが関白の惣無事になる。家康はこれに従ったので、家康の主君は天皇になる。
主君である天皇に臣下の礼を取り、主君の天皇が関白に実務をゆだねるから指揮に従うようにと天下にしめしたのが2度の聚楽第行幸。
関白左大臣内覧豊臣長者の秀次は、主君の天皇から実務を任された重要人物だった。
その重要人物を一家皆殺しにして血を根絶やしにし、聚楽第を破壊してやりたい放題やったのが秀吉と秀頼だ。
主家を簒奪した豊臣にとって、惣無事と聚楽第行幸はきわめて重要。関白左大臣内覧豊臣長者一家を皆殺しにしたのも重要
0591人間七七四年
2019/01/10(木) 19:26:15.40ID:YmyXnYPM降ってないってバカなんだろうか?
0592人間七七四年
2019/01/10(木) 19:46:44.87ID:Xsoz55yR託されてはいないけども
家康は秀吉に誓詞まで出しといて
それを一方的に破るのだから
はるかに簒奪度や裏切度やひどいよな。
誓詞出した時には忠誠誓っていたが
その後の状況で簒奪せざるを得なかった
なんて言い訳も聞かないような早業ってことは
誓詞だした時から「ウソだっぴょん」と思ってたわけで
ウソツキ度、腹黒度、では日本チャンピオンではあるな。
0593人間七七四年
2019/01/10(木) 21:58:42.84ID:/5HzzGwb/\ ⌒ヽ ペタン
/ /⌒)ノ ペタン
∧∧\ (( ∧_∧
(´Д)^) ))(・∀・;)
/ ⌒ノ(⌒ヽ⊂⌒ヽ徳川
( ノ ) ̄ ̄(0_ )
))_) (___) (_(
織田 清洲同盟
織田がつき、
徳川こねし天下もち、
奪い喰らうは、忘恩ネズミ
1582年〜1592年
/ ̄\ まだ一周忌たってないけど
| | 信長の側室と孫娘と息子と妹は殺しとこかー
ハゲネズミ  ̄\主家の織田領地はぜーんぶわてのものや
/・ ・ヽ |帝もわてを認めた。わては関白様やでぇ。信長とは違うんや
/ |__/餅うめぇええww あ、織田家は改易流罪や
ミ●ミ ノ ほれみい、
> < (⌒ 天皇も聚楽第行幸してわてを公認しとるでぇ
(ノ関白L)_)
n」 Ln
 ̄ ̄ ̄ ̄ 三
1592年〜1598年
/ ̄\ / ̄\
| || |
\ ∠_\ /
/ ヽ
| ● ●|
| 三(_●_)三 太閤さまに逆らう関白・左大臣・内覧・豊臣長者は邪魔やな
人 |UШ \
/ __ ヽノ/> ) 一家皆殺ししとこかー。聚楽第? そんなもん打ちこわしや
(___) /(_/
| / 女も子供も根絶やしやー。太閤様はえらいんや
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
ネズミ「かえすがえすも秀頼の事お頼み申します五人の衆なにとぞ頼みます。」
家康「だが断る」
0594人間七七四年
2019/01/10(木) 22:09:12.93ID:/5HzzGwbといわれるほどのデブで、
「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」
という疱瘡をわずらいアバタ顔だった
まんまこれ
+ + 。
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 , _____
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::::::\〜
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵> ハァハァ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
`i、-- '´ |ソ:
↑ ↑
想像上の秀頼 現実の秀頼
0595人間七七四年
2019/01/12(土) 07:27:14.79ID:mO6vZL+v天海やらチンギスハンのなか
秀頼はデブで大酒のみでよく暴れる働かないやつがいるが、どうも秀頼らしいって話で実にロマンがなく悲しい
0596人間七七四年
2019/01/12(土) 07:41:02.01ID:c9MQzAWO20過ぎて幼児並みに自分の意思がなかったら恐ろしいわ
0597人間七七四年
2019/01/12(土) 10:30:54.36ID:LxFVdb/T秀吉も家康も、三成があれほど大規模な謀反を実行するとは夢にも思わなかったのだから仕方がない
そもそも奉行が大規模な謀反を簡単に企てられる豊臣の体制に問題があるから
どうみても完全に秀吉側の責任だろう
三成みたいな人間を奉行に置かれたら家康だってどうしようもない
0598人間七七四年
2019/01/12(土) 14:05:02.35ID:3JRFBt/t鬼のような真田、までがひとくくりのイメージ戦略なんだろうな
まあ真田もかなり盛ってるからもう適当もいいとこ
0599人間七七四年
2019/01/12(土) 16:14:10.43ID:seppuPi6体制に問題があっても
家康の意思が無かったら簒奪は起きないでしょう。
どんな体制でもそれを支えるのが忠臣
という言い方だって出来るし
体制の問題にするのは少し論理のすり替えだと
思うよ。
別に家康を非難したり論理的にどうとか
言うわけじゃなくて、やったこと自体はあくまで
家康の判断で秀吉との比較だとなかなか
エグいなぁという話。
0600人間七七四年
2019/01/12(土) 16:27:30.25ID:KChho8O5問題は主家側が天下を支える器量も人材もないのに高待遇での臣従すら蹴っ飛ばして喧嘩ふっかけた挙げ句ご破産にしたことな訳で
0602人間七七四年
2019/01/12(土) 17:31:43.57ID:DwW7goEK信長がアメリカみたいなもので、上洛朝倉征伐姉川三方ヶ原と義理をはたし、苦境でも裏切らなかった。
秀吉が関白になり天皇に従えとやると、君位の略奪を非難し、主家簒奪の逆臣と戦っていたが矛をおさめ天皇に従った。
外征で三成の讒言で豊臣の手足といえる加藤や小早川が切り捨てられそうになると豊臣体制の維持につとめて救い
関白左大臣内覧豊臣長者一家を虐殺したときは最上の娘を助命嘆願したりしている。秩序を保とうと努力している。
石田三成が暗殺を企てたり七将に襲撃されても、中立的な裁きに徹して秩序の維持につとめたし
1600年の関ヶ原では帝の下賜と、太政大臣家の物資援助を受けておこなっている。
徳川が征夷大将軍になれば豊臣も武家な以上、家康が関白に従ったように従うのが筋だが、
年寄りなのに14年も時間をかけて協調につとめて天下の安定を考えている。
秀吉の場合なら、喪中に殺しまくり1周忌で簒奪をほぼ完了している。
家康は保守的で筋をとおす人間だよ。
0603人間七七四年
2019/01/12(土) 18:51:28.01ID:2RbiR7yX秀頼を手元に置いておけという政宗の勧めを用いなかったのは豊臣の力を恐れていたのかな?
それとも火種として利用価値があると認識していたんかな?
0604人間七七四年
2019/01/12(土) 19:10:00.98ID:y+LYz1V50605人間七七四年
2019/01/12(土) 19:18:49.34ID:DwW7goEK主家を簒奪した逆臣に主君の没後たった3年で前例を無視して下賎な人間に関白の位を渡したせいで
任官妨害がおこなわれて公家が大臣になれなくなり朝政の維持も困難になった。
内大臣が流罪にされ、右大臣が流罪にされ、関白差大臣内覧は一家皆殺しにされるようになった。
猪熊事件がおこるとおおぜいの公家が反対するなか天皇は法を無視して皆殺しにしろと叫び続けた。
皆殺しにすれば大混乱がおこることが確実視されおり、幕府は法を遵守して捌きをおこなった。
こういうのが重なれば、公家諸法度って話にもなる。紫衣事件も法を無視した天皇が引き起こした。
法治主義の徳川が法にもとづいた公正な政治をおこなおうとしているのに暴走しているのが天皇。
体制を守るためにも法による統治を考えるのは保守だよ
0606人間七七四年
2019/01/12(土) 19:21:59.24ID:DwW7goEKこの歴史がありながら豊臣をふたたび関白にしようとしていた話もあるしな。
戦乱を引き起こしているのは天皇であり朝廷だってことになれば、滅ぼしてしまえとなる可能性もある
0607人間七七四年
2019/01/12(土) 19:37:32.61ID:KChho8O5いつ連れてくの
当たり前だけど幼君勝手に連れてくとかよほど主家蔑ろにした行為で、そもそもやる必要がない
ある種秀頼を江戸へ連れて行かなかった事こそ家康が豊臣家立ててた証拠と言えるよ
0608人間七七四年
2019/01/12(土) 19:46:30.47ID:y+LYz1V5あえてそれをしなかったってことになるな
0609人間七七四年
2019/01/12(土) 19:56:28.43ID:DwW7goEK聚楽第行幸で公認さえていた「関白・左大臣・内覧・豊臣長者」を殺して利益を得た人間に正義はないし正当性もない
0610人間七七四年
2019/01/12(土) 20:02:44.34ID:mO6vZL+v同じく2代目の秀忠のほうが秀頼のボンクラっぷりは許せなかったんじゃないか
だって秀頼、自分の領地すらまともに統治できてない
その上、大坂の陣を2度も起こすとかありえん
0612人間七七四年
2019/01/12(土) 20:51:33.15ID:KChho8O5うん、だから可能がどうかでいえば政宗が提言してるように恐らく可能だよ?
ただそれをやるという事は豊臣家を敗者として扱うわけで、主家を立てるという観点から家康はやらなかったの
ぶっちゃけかなり筋金入りに忠義を尽くしてると思うよ
0613人間七七四年
2019/01/14(月) 12:45:50.53ID:ctPQkVTi思うけどなんか違うのか?
最初は千姫嫁に出したりはしてたが
その後の状況で豊臣家なんか邪魔で
不必要になったという推移はあるだろうけど。
千姫婚礼を、主家を残そうした、という解釈で
そこだけを主張してるってことなのかな。
0614人間七七四年
2019/01/14(月) 15:45:49.90ID:GwwxmGcA御掟を遺言だと言ってるのならそれが違うよ?
0616人間七七四年
2019/01/14(月) 17:00:56.44ID:4ey5iXAs関白殺しのときにつくった御掟は、上様の許可なく結婚しちゃいけないってもの。
つまり
秀吉の死後は、徳川前田が結婚の許可をだし、前田が死んだあとは徳川が許可を出すってのが秀吉の掟であり遺言
遺言にそむいているのは石田
0617人間七七四年
2019/01/14(月) 17:26:54.00ID:nVxM+Xf1通説では、家康が勝手に大名同士と結婚していると
責められなかったっけ?
遺言なのか分からないが、大坂城にて秀頼のお守りを前田利家に
伏見城にて政治ごとは家康に託したんじゃなかった?
0618人間七七四年
2019/01/14(月) 17:46:35.82ID:GwwxmGcAそれは遺言ではなく秀吉存命前提の時に書かれた御掟の内容
もしこの内容が秀吉没後も有効なら奉行は勝手に誓紙交わすなって御掟の内容を秀吉没後11日で破ってることになる
0619人間七七四年
2019/01/14(月) 17:49:25.74ID:Fz/ueHvBえぇ…
0620人間七七四年
2019/01/14(月) 17:59:46.81ID:nVxM+Xf1秀吉存命中の掟とはいえ、勝手に結婚して親族関係を構築するのは
豊臣家にとって、脅威とならないのか?
だから、責められたんでしょ
三法師が幼いこといいことに、清洲会議の内容なんて
すぐさま破っているでしょ
秀吉も、自分の遺言なんて守られないことくらい、十分承知していたと思うけど
0621人間七七四年
2019/01/14(月) 18:38:28.21ID:7jCzMP4Yそれとも時代が少し下って関白を継いだ秀頼vs秀忠で起きたりするのだろうか?
0622人間七七四年
2019/01/14(月) 18:47:09.45ID:ctPQkVTi大老同士の婚姻は奨励した。
このあたりが細かくて2ちゃんとかの
会話ではごちゃごちゃする。
遺言に背く、というのは、616の言うように
徳川に後を託したのに石田が逆らうから
それで七将事件が起こった、という話と615の言うように
秀頼のお守りとある。
直後の石田の話とかじゃなく
秀頼のお守りまかされたのに臣従させるは
抹殺するわ、このあたりははっきり臨終前の
誓詞破りというのは普通の話だと思うが。
婚姻の話は、直後に奉行たちにせめられて
家康はとぼけたりしてるから
このあたりもそれなりに違約とは思うけどね。
いつものことだが、部分の話と全体の話がごっちゃになるから
エンドレスになる。秀頼のお守りまかされて誓詞も交わしたのに
それを守らなかった、という点に関しては
自分は家康を高く評価するけども
ちょっとアレだなぁという感じ。
存命の時の御掟が死後も有効か、とかは
また別の話と思うが、豊臣に臣従する立場からすれば
普通は死後も順守するものじゃないかな。
存命前提、とかまたも話がそれてる気がするし。
そんな、存命前提の御掟、なんてあまり聞かない話だしね。
それを明記した秀吉の「御掟」なんてあるのかな。
生きてる時に書いたものだから死後は別だろ
とかそういう論にはついていけないけども。
0623人間七七四年
2019/01/14(月) 19:27:34.76ID:GwwxmGcA遺言自体秀吉が死後想定しきれてない事態がごまんと出てるから正直破るのはしょうがない面があると思う
政敵が破ってるのに片側だけ破らず政争しなさいってのも無理ある話だし
あと婚姻問題の際すっとぼけたどころか、奉行にあらかじめ伝えたのにこれを問題とされるのははなはだ不本意
これ以上問題にするなら兵を出すのも辞さないというかなり強固な態度とってる
秀頼のお守りに関してもしゃーないんじゃないかなぁ 天下人って権利である前に義務もあるわけで
その義務はこなせないよ、というか大坂統治する人材足りてないから徳川の役人派遣してもらってるよ、でも大坂は専有したまま徳川よりも上位の存在として居続けるよ、は通らないと思う
というか年頭礼を出して実際臣従は滞りなく済んだうえで、2家同士に緊張が走った際も屈辱どころかかなり厚遇した条件を出して、それ蹴られて2度も戦闘になってもなんとか秀頼の命だけは救おうと奔走してるんで
起きた結果だけじゃなく、その間何をしていたのかまで見ればやはり忠義尽くしてると思う
正直あれはかなり豊臣家がぱっぱらぱーなことしてる
あとまぁ御掟が有効だったとしたら上の人もいくらか言及してるけど、今度は誰が許可を下す上様やねんってことになるんで
0624人間七七四年
2019/01/14(月) 21:07:21.50ID:4ey5iXAs豊臣は主家を簒奪し、関白任官と惣無事と聚楽第行幸で主家簒奪を正当化して成立した政権。
なのに、聚楽第行幸で公認されていた関白・左大臣・内覧・豊臣長者を一家皆殺しにしてその座を奪ったのが
秀吉であり秀頼なわけだから。公儀の正当性すらも疑われる状態だ。
外征を2度失敗したのも普通の王朝だったら滅亡する条件といえる。
豊臣ってのは、豊臣に忠誠心なんてものを持たない戦国大名を、帝を使ってまとめているだけの連合政権なわけだから。
まあ、遺言御掟が有効だとしても、御掟は上様に許可を取れ、遺言は徳川前田に政治をたくすなので、
秀吉の死後に徳川前田が結婚を許可を出すのは当然だし、前田なきあとに徳川が許可を出すのも当然だろう。
そして遺言では奉行は徳川前田に従えとあったはずなので、石田が徳川に従うのが道理。
あと徳川は秀頼が成人するまで後見って約束を家康は守っている。でも秀頼は自分の体重管理すら出来ないデブだからな。
社会情勢すら理解できず、義父である右大臣征夷大将軍に呪いでテロをおこなう愚か者なら滅ぼすしかないだろう。
0625人間七七四年
2019/01/14(月) 21:15:33.51ID:4ey5iXAs民主主義で首相を殺して選挙をせず前首相が息子を首相にしようとして、法律や憲法を乱発して出てきたその息子に正当性はあるのかって話だ。
0626人間七七四年
2019/01/15(火) 07:41:43.69ID:ykTP4dc7秀次を降ろしておきながら秀頼の後見を有力な大名に頼んでる時点で豊臣による政権維持はほぼ絶望じゃん
変に正当性とかを訴えるとかえって胡散臭いわさ
本当はアンチ徳川なんじゃないか?
0627人間七七四年
2019/01/15(火) 08:21:04.94ID:swiRJEH2人質を2人も送られたので帝に臣従した立場の人間だからな。伊達政宗も同じだ。
聚楽第行幸をおこない、秀吉の支配体制の確認、天皇が主君であるというセレモニーを2度おこなってもいるけど、家康の主君は天皇だ。
主君から内大臣に任命され、主君に下賜されて送り出されて会津征伐をおこない関ヶ原をおこない、主君に征夷大将軍に任命されて幕府をひらき
武家政治をおこなった。
きわめて道理にかなっている
0628人間七七四年
2019/01/15(火) 17:42:04.98ID:UhDLx+xN0629人間七七四年
2019/01/15(火) 18:03:35.03ID:ykTP4dc70630人間七七四年
2019/01/15(火) 18:08:43.63ID:Tqzjj9Qb0631人間七七四年
2019/01/15(火) 18:21:48.67ID:UhDLx+xN0632人間七七四年
2019/01/15(火) 19:30:53.77ID:ykTP4dc70633人間七七四年
2019/01/15(火) 21:06:14.53ID:Tqzjj9Qbそんなの居るんだww
0634人間七七四年
2019/01/15(火) 21:34:16.38ID:RHhgNrJA魔法使いになりたいとか言い出して山ごもり始めて暗殺されたほぼ天下人もいるし
0635人間七七四年
2019/01/15(火) 21:55:37.36ID:ykTP4dc7最上義光だよ
何歳の時だったか忘れたけど、置き手紙をして城を抜け出したものの、途中で見つかって連れ戻された逸話をもってる
武者修行で鎌倉辺りまで行ったって逸話もあるし、H天皇によって創られた狡猾な謀将ってイメージは最近薄れてきたね
0636人間七七四年
2019/01/16(水) 21:12:56.82ID:8jzvtFSW0637人間七七四年
2019/01/18(金) 22:09:16.56ID:iZr28Hd40639人間七七四年
2019/01/21(月) 14:54:16.93ID:/T4vbOnN秀頼が整形外科で顔面の整形手術受け、脂肪除去手術をすれば勝てたんじゃないのかな
16歳「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」当代記
20歳「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」セバスチャン・ヴィスカイノ(1612年面会)
22歳「世になきお太り」長澤聞書 長澤九郎兵衛
+ + 。
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 , _____
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::::::\〜
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵> ハァハァ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
`i、-- '´ |ソ:
↑ ↑
想像上の秀頼 現実の秀頼
豊臣秀頼
身長196cm
体重161キロ (明良洪範)
BMI41.91
適正体重84.52kg
適正体重より+76.48kgオーバー
BMI 体型イメージ
http://pbs.twimg.com/media/CBy3u20UsAEefCo.jpg
疱瘡(天然痘)の顔 塩田三郎
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Saburo_Shioda.jpg
0640人間七七四年
2019/01/27(日) 20:50:04.80ID:m8eiftyY0641人間七七四年
2019/03/02(土) 23:34:24.99ID:fXVzaEZL生き残れた可能性が高いんだけどね
0642人間七七四年
2019/03/07(木) 01:44:41.69ID:IMQhOPaK0643人間七七四年
2019/03/07(木) 01:54:23.96ID:R0nIzvZy義父と母親を秀吉の織田家乗っ取りで失っているんだよ。
なのにその怨敵のハゲネズミの老人に股をひらいて犯され、子供が出来ないからと乱交までしている。
秀吉がクソで豊臣がゴミとなったら、何のために謀反人と馬の骨に股を開いたのかって話になる
0645人間七七四年
2019/03/24(日) 16:33:21.95ID:w/za8CA+最初は野戦を選んで、その中で形勢が不利になってしまってから
籠城に移る案を、何で頑と推し進めなかったのだろう?
例えば(よく有る手だけど)川の岸に布陣すれば、
渡って来る徳川方は寒さで士気が落ちているから結構有利だったろうし
それに籠城では、野戦とは違って寝返りが起きても活かせられないし
「淀と取り巻きが」とよく言うけれど、
例え夏の陣も乗り越えられたととしてもまた来襲するのに
本気で耐えられると思ったのかなぁ・・・・?
0646人間七七四年
2019/03/24(日) 16:47:36.37ID:rThLYE3I0647人間七七四年
2019/03/24(日) 18:10:25.09ID:8uGEhx3H出撃しなくても最悪大坂城と運命を共にしていれば俺らに豚だの土蔵で命乞いだの
馬鹿にされることもなかっただろ
真田幸村だって歯抜け髪抜けだけど最後が華々しいから誰も馬鹿にせずかっこよく書かれてるだろ
0648人間七七四年
2019/03/24(日) 18:22:27.25ID:s3GDN/X8??
そもそも夏の陣は大坂方の講和条件の一方的破棄により起こってるので
また来襲するってのは何が言いたいかよくわからんな
0649人間七七四年
2019/03/24(日) 22:01:12.53ID:bcYi35gl慌ててかき集めたばかりで訓練もままならない軍団に長距離で野戦させる勇気は普通でない
しかもその指揮官ですら万単位の軍勢を率いた経験の有るものがいない
一見愚策に見えてもそれ以外に取れる手段が無いならそうするしか無いのだ
冬に出撃を主張した真田は夏には近場の八尾でさえ道に迷って遅参して後藤を死なせている
たいへん残念ながら籠城を選んだのは妥当と思われる
0650人間七七四年
2019/03/25(月) 10:59:16.15ID:NImJWHD80652人間七七四年
2019/03/25(月) 17:15:37.35ID:/HqKtv0U0653人間七七四年
2019/03/25(月) 17:52:40.51ID:aaCtZ1V5いまさら徳川とことを構えたくはないでしょ
0654人間七七四年
2019/03/25(月) 18:06:42.50ID:/HqKtv0U0655人間七七四年
2019/03/25(月) 18:47:40.64ID:6sKCNRYZ小牧戦役で別働隊にあたる池田・森、さらに海路からの滝川・九鬼にも信雄は応戦している
徳川家の史料では織田信雄が船の先頭に立ち、敵の船を潰して多数打ち捕らえたという記述が残る
秀吉は家康に損害を与えられるまでに信雄を武力で屈服させることは出来なかった
それと信雄が秀頼を助けるかどうかは別の話だが
0656人間七七四年
2019/03/25(月) 19:33:03.30ID:aIuZqC8nそれを大坂城のオーナーを前にして言うの?
万単位の軍勢を率いた経験なんかありませんけど敵も似たような状態ですからイチかバチかやらせてくんなましって
じっとしとけって言われるのは当たり前じゃないか?
しかもある程度の実戦と組織化がされた後の夏の戦で道に迷うような程度の能力の人だよ相手
講談の虚飾を取り除いたら、真田らの献策をしりぞけるのはまともな判断じゃないですかね?
0657人間七七四年
2019/03/28(木) 23:22:22.65ID:pwPxogz+0658人間七七四年
2019/03/29(金) 09:27:06.31ID:rM6rPBEY濃霧で遅参が正しいんだろうけど、肝心要の戦いでこれやらかすヤツに瀬田での戦いを任せるのは無謀だよ
0660人間七七四年
2019/03/29(金) 12:49:19.31ID:z8Eg8wfc秀忠は遅参じゃなくて予定通りだぞガイジ
松尾山が秀秋に制圧されて西軍が奪い返すために動いたのが東軍に追撃されて
西軍が挟まれて瞬殺されたから短期に終結しただけで
秀忠は家康の命令通りに動いてる
0661人間七七四年
2019/03/29(金) 13:13:38.11ID:fyC+rWZsしかも二回も
0662人間七七四年
2019/03/29(金) 13:46:34.91ID:j80D7CQH0663人間七七四年
2019/03/29(金) 14:40:50.10ID:6am8je6V言ってる事が支離滅裂
刻々と変わる状況や連絡の遅れが原因なので必ずしも秀忠の責任ではないと言うなら分かるが、
決戦時に到着していないのが予定通りの行動な訳がないし、家康の叱責を受けるはずもない
>>661
関ヶ原が予定通りならば大阪で大急ぎする理由がないので
余程トラウマになったのだろう
0664人間七七四年
2019/03/29(金) 15:09:37.60ID:GjM9VnK+真田は間に合うはずの距離だから
そもそも比較対象にならんのでは
0666人間七七四年
2019/03/29(金) 15:46:23.58ID:R5PNiSh8刈田と小競り合い程度で本格的な城攻めが始まる前に合流命令を受けて
最低限の抑えを残して撤収
>>664の言う通りそもそも間に合う距離じゃない
0667人間七七四年
2019/03/29(金) 21:49:25.58ID:2R65QaU9というか、キレてたっけ?気分がすぐれなくて会えないって話だったような
ほんとに切れてたかもわからんし、キレてる内容が遅参だったかも疑わないとダメなような
0670人間七七四年
2019/03/29(金) 22:42:35.03ID:2R65QaU9>>669
どうもありがとうございます
キレてた対象も違いそうだし、そもそも外聞のために一度期間空けただけって感じですか
やはり家康がこれで怒ってたとか言われるの
信康がいればなぁみたいなことを言ったとされてる逸話からなんですかね
あの逸話出典はどこなんでしょうね
0672人間七七四年
2019/03/30(土) 10:23:23.64ID:BpnyI4wU0673人間七七四年
2019/03/30(土) 10:51:13.91ID:prUvfd7g知識レベルが違いすぎて知恵遅れ扱いされるぞ
0674人間七七四年
2019/03/30(土) 16:01:42.58ID:tjZPfbS30676人間七七四年
2019/03/30(土) 18:29:26.49ID:wW5Xi3Ni0677人間七七四年
2019/04/01(月) 22:09:11.21ID:iZl5RwFE0678人間七七四年
2019/04/07(日) 23:19:13.78ID:y/LEE+pr1601〜1614年方広寺事件直前の14年まで豊臣家は保たれた
工夫次第で残っていた可能性はある
0679人間七七四年
2019/04/08(月) 07:35:18.33ID:ZyW76zP9秀頼の息子は殺害し
娘すら、当初殺害予定だったのを孫娘に言われて
仕方なく尼寺に入れた位なのに
残すつもりなら、娘を取り込んでるわ
0680人間七七四年
2019/04/08(月) 08:17:33.09ID:KkOWGWruそれは秀頼が蜂起した結果でしょ
大人しくしていたら転封くらいですんだ可能性はあると思う
>>678が戦後のことを言ってるんだったらありえないけど
0681人間七七四年
2019/04/08(月) 10:37:25.28ID:eU6gIIS1残す前提だからかなり緩い和睦条件を結んだら調子乗ってもっかい兵起こすわ
ベリーイージーモードだったのに勝手に滅びに向かって一直線し始めただけだしなぁ
秀頼のオツムが並の戦国大名程度あれば普通に生き残れてる
0682人間七七四年
2019/04/08(月) 13:41:49.04ID:Y8rV/C2q生き残れはしてもそのうち改易されるんじゃなかろうか
0683人間七七四年
2019/04/08(月) 18:02:45.03ID:KkOWGWru0684人間七七四年
2019/04/08(月) 21:15:24.92ID:/cEoez1x0685人間七七四年
2019/04/08(月) 21:30:10.50ID:w1Wm2FmM記録にない家康を動かす何かがあったとか
淀の意向通り会見拒否してたらどうなったんだろう
0686人間七七四年
2019/04/08(月) 22:10:25.02ID:Y8rV/C2q0687人間七七四年
2019/04/08(月) 22:23:13.67ID:eU6gIIS1マジで史料を基にしない妄想を恥ずかし気もなく出してこないでほしい
最低限の恥を知ってほしい
0688人間七七四年
2019/04/09(火) 19:29:31.12ID:Jx2HgmrW0689人間七七四年
2019/04/11(木) 19:23:58.21ID:yZOF5zAE0690人間七七四年
2019/04/11(木) 20:39:11.74ID:djeBKEum家臣側から主君側へ年の初めに挨拶を出す年頭礼ってのがあるけれど
慶長8年に徳川から豊臣への年頭礼が終わり
逆に慶長13年から豊臣から徳川へ年頭礼を始めてる
ゆるやかに主従関係は逆転し、豊臣もそれを認識して年頭礼出してる
0691人間七七四年
2019/04/11(木) 20:53:02.47ID:8YHuJtNz豊臣が取次の追放という宣戦布告かましたのには変わりないですからね
それでもなんとか滅びないよう立ち回って和睦という形をとりなしたのに、今度は和睦条件も守れてないまままた取次攻撃してるし
豊臣のやらかしを徳川がフォローしてるのにそれ振り切って破滅に突っ走ってるから、マジでどうしようもない
0692人間七七四年
2019/04/11(木) 21:04:16.05ID:nqS+iTe5公家や寺社の年頭令は秀頼よりも京都所司代に対して優先して行われてる
0693人間七七四年
2019/04/12(金) 05:38:20.29ID:RDPaA0v20694人間七七四年
2019/04/12(金) 08:19:10.95ID:KaKsi9ob0695人間七七四年
2019/04/12(金) 17:44:31.24ID:ebA3nfzl0696人間七七四年
2019/04/12(金) 18:29:31.64ID:NnEfjOOOあの時豊臣家が明確にどちらかの肩をもって勝たせていれば権威の低下も最小限で済んだだろうけど
どちらも秀頼公の為を掲げたからむしろ主体性のない幼主の存在が戦乱を呼び起こしたという構図になってしまった
0697人間七七四年
2019/04/13(土) 16:29:21.32ID:rPafWgu6落城前ではまだ
所謂、当選確実の報が出たくらい
只、マスコミが報道する当選確実の報より確度高い
っていうか100%でもいいだろ感すらあるけど
あくまで家康側が気にしたのは大義名分
あまりに大義名分無しだと、今度は徳川幕府が狙われる立場になるから
なんとか大義名分があるんですよと、理由をこじつけた
まぁ、260年後、徳川幕府も又滅ぶんだけど
これも一応、大政奉還で滅んだ事には成らんのだろうな
世の中、大義名分は大切
0698人間七七四年
2019/04/13(土) 16:35:38.78ID:rPafWgu6いくら戦国時代とはいえ無理だろうな
故に、簒奪する方は仕掛ける訳だし
恩賞の権限が豊臣家から徳川家に移ったんだし
もう誰も言う事聞かなくても不思議はないよ
まぁ、運があるなら、成人して後、その権限を取り返すんだろうけど
運も無ければ、従ってくれる家臣も無いに等しかった
0699人間七七四年
2019/04/13(土) 16:50:39.99ID:kt54Axqcそれなのに関白一家を皆殺しにしたわけだから、この時点で豊臣に公儀性はないよ。武家関白制は終了している。
1601年の関白任命、1603年の征夷大将軍任命、1605年の征夷大将軍と関白任命、1606年の関白任命、1609年の関白任命、1612年の関白任命で
武家関白制は完全終了しているのだと秀頼のバカが気づくべきだった。なのに中世という時代に呪いで要人暗殺テロをしたあげく征夷大将軍の命令に逆らい、
自分から外交窓口を壊したあげく浪人を集めて挙兵じゃ征伐されて当然。
0700人間七七四年
2019/04/13(土) 16:54:43.90ID:4NNFX7lB0701人間七七四年
2019/04/14(日) 06:35:34.83ID:wkup/fx9関白を殺し外征に失敗し内部分裂をしていたので、秀吉の主君、織田信長の同盟者だった戦国大名に滅ぼされた。
0702人間七七四年
2019/04/14(日) 16:35:08.19ID:7Bu0OvPNギリまで豊臣こそ天下人という認識だったんじゃね
逃げてる人たち大坂市街のお金持ちばかりなんだろ
0703人間七七四年
2019/04/14(日) 17:35:14.94ID:xU2Em5kf幕府方はいつまでも残ってる連中は大坂方に与する者たちだと認識していた
そもそも当時の戦地の住民の避難は自己責任で両軍共に避難勧告をした形跡はない
まあいくつか理由は挙げられるな
天下人と認識して云々なんてのは創作だけ
0704人間七七四年
2019/04/14(日) 18:05:08.10ID:IAfl7lvcであるから普通ならああいう状況になる前に、城主が腹を切る代わりに城兵領民の安全保障を取り付けるんだよ
それが最後まで一緒に行動してくれた兵や領民への最低限のお返しだよ
ところが秀頼は最後までそれやらないどころか大野に腹切らすから俺たち親子は許して、とか言ってるわけで
大阪の住人は完全に秀頼の無責任さの巻き添え食らったのよ
0705人間七七四年
2019/04/16(火) 20:48:46.29ID:lXTwsaF/あれで徳川アンチ家康アンチは増大したと思う
黒田長政GJ!
0706人間七七四年
2019/04/16(火) 21:20:43.19ID:8CrVeCPzありゃ戦は負けるとこうなるんだよ説の方が正しいと思うわ
0707人間七七四年
2019/04/16(火) 21:32:37.53ID:o60CTG8d夏の陣屏風絵は現代でいえばイスラム国掃討の写真みたいなものでしょ
異常な狂信者を掃討してめでたしめでたしという意味でしかない
0708人間七七四年
2019/04/16(火) 23:04:04.11ID:kCQgvUAN0709人間七七四年
2019/04/18(木) 19:04:07.53ID:ZeuV2BHd大阪の人間は南無阿弥陀仏を連呼しながら死ねば天国にいけると信じていた狂信者で
秀吉の恩知らずな主家乗っ取りに万歳してて
大阪城は主君が殺されて一年後に主君のお方様や孫姫様をはりつけにしながら建てだした城だしね
同情の余地無し。因果応報、勧善懲悪だわな
0710人間七七四年
2019/04/22(月) 01:52:54.38ID:inhnwby9誤解してる人もいるが当時から狼藉は「悪」とみなされてたわけで
そもそも黒田長政は羽柴チルドレンど真ん中
0711人間七七四年
2019/04/22(月) 02:03:57.54ID:x36BkDMnましてや学術定義もない訳のわからん羽柴チルドレンとかいう新用語出してこられても失笑もんですよ
0712人間七七四年
2019/04/22(月) 06:51:37.68ID:Vdxf2ahC0713人間七七四年
2019/04/22(月) 08:29:53.71ID:YWio8ctU0714人間七七四年
2019/04/22(月) 08:43:36.87ID:Isz5uWiPそんなに家康好きなんだww
0715人間七七四年
2019/04/22(月) 08:50:19.65ID:mPJGj0cx家康を悪し様に言うなら理屈で説き伏せないと
豊臣アンチは理屈でここがダメと言ってるでしょ?
0716人間七七四年
2019/04/22(月) 09:23:34.82ID:96oXeFlS近年の研究でこれまでの徳川=悪い簒奪者というレッテルが剥がされ
三成こそ忠臣でもなんでもないただの野心家
関ヶ原後の豊臣家は自業自得で滅びた
ということが理論的に実証されつつあるからな
古くさい講談知識で凝り固まったアンチ家康はそれが受け入れられないから
ダブスタで苦しい秀吉擁護と家康への感情的な罵倒を繰り返すという
みっともない醜態をさらすしかないわけだよ
0717人間七七四年
2019/04/22(月) 11:38:35.44ID:YWio8ctU一般的にもそういうのは珍しい方じゃないの
0718人間七七四年
2019/04/22(月) 12:05:59.05ID:9pvNOVdI未だに信康殺害は信長指示だの
正妻の軟禁後惨殺も信長指示だと言ってる
軟禁は今川から戻った直後だってのを未だに理解出来ないし認めようとしない
何か家康好きと、光秀好きは
不味いことがあると、すぐに誰かのせいにするね
主家簒奪とか言うと、こんな感じでww
0719人間七七四年
2019/04/22(月) 12:35:33.30ID:96oXeFlS史学的にそう言われていたとかそういう話じゃなくて
従来のアンチ家康の簒奪=悪というレッテル貼りが実証的な研究により
根拠薄弱な決めつけに過ぎなかったことが明らかになりつつあるということ
>>718
山岡荘八の家康像が一般人のものだなどそれこそアンチ家康お得意の決めつけだな
それを言うならアンチ家康の代表的作家である司馬遼太郎の影響力のほうがはるかに強いだろう
大体秀吉死後大坂の陣までのことを言ってるのに信康だの築山殿だの
関係ないことを持ち出して話のすり替えしてるんだから語るに落ちるとはこのこと
アンチ家康っていつもそうやって現実逃避して悦に入ってるんだから救いようがないね
0720人間七七四年
2019/04/22(月) 12:37:37.15ID:x36BkDMnいまだに高卒認定用のテキストにすら10年以上は前の俗説である鐘銘事件を契機に大坂の陣が起こったなんて記述されてますし
レッテル張りをする前に自省してほしいもんすね
0721人間七七四年
2019/04/22(月) 12:40:17.33ID:9pvNOVdIそういう意味では現実を知ってんだなww
戦国武将のイメージなんて大概小説だよ
学会の発表を元にするヤツなんて稀
別にそこは何も不思議ないけど、そんな事まで難癖付けるんだww
0722人間七七四年
2019/04/22(月) 12:49:32.65ID:96oXeFlSだから信康と築山殿を家康の指示で除いたのが事実だから、なんだと言うの?
さっきから言ってること意味不明なんだけど
戦国武将のイメージが大概小説というなら、家康を犯罪者呼ばわりまでした
アンチ家康の代表的作家司馬遼太郎の影響力は無視しないでくださいよ
0723人間七七四年
2019/04/22(月) 12:52:39.38ID:x36BkDMnしかも誰も築山殿の話もしてないのに勝手に嫌がってると思って悦に入ってるし
真面目にあんた頭大丈夫か?ちょっと発言見ててもキチガイの域に入ってるぞ?
0724人間七七四年
2019/04/22(月) 12:58:11.98ID:9pvNOVdIワシの家康様を悪く言うでねぇーって感じで
屏風の話しが元だけど、狼藉が主題だろ
それは個人の価値観だろとか言い出してるww
何が言いたいかといえば、家康批判するな
○○が悪いんだと家康好き
それの説明例として、築山殿とか分かりやすいじゃん
まぁ、困るみたいだから止めとくよww
0725人間七七四年
2019/04/22(月) 13:09:35.97ID:x36BkDMnましてや他人にレッテル張りして悦に入ってるなんて論外
屏風の話だって、絵で解釈なんて非常に難しいのに個人の主観でしかないものを根拠もなしに一般化しようとしてるし
築山殿の話に至っては誰も話題にも出してないし、なんなら認めてるのに勝手にそれでしてやったりみたいな発言してるし
私秀吉好きだけどあんたみたいなのが秀吉好きとか言われてひとくくりにされると考えるとゾッとするよ、主観と感情だけで学問の解釈を否定するなよ恥ずかしい
0726人間七七四年
2019/04/22(月) 13:15:57.28ID:9pvNOVdIここ5chだよ
5ch合わないみたいだから、大好きな家康研究に没頭してた方がいいよ
0727人間七七四年
2019/04/22(月) 13:18:29.89ID:x36BkDMnクレヨン持っておうちの画用紙にでも書いてて頂戴
0729人間七七四年
2019/04/22(月) 16:25:31.18ID:HsOEM1EI主張も何故か昭和あたりの化石のような知識で止まってるし
0730人間七七四年
2019/04/22(月) 16:33:44.70ID:YWio8ctUどちらも政権を担って時代を作ってきた家だから、お互いを非難しないと気がすまない人が多いんだろうなあ
0731人間七七四年
2019/04/22(月) 17:19:34.52ID:AZZy9wCe検索かけても、諸行無常みたいな感じのしか出てこない
あと、ここは2chだから、自由にレス書いてOKだよ
個人の見解も書けない2chなんて絶対に嫌だろ
なんで、細かい言葉に食ってかかるのかも分からん
面白くないのかな?屏風絵の話が
ならスルーしろとかし言えん
大阪の陣の話だから、スレ違いとも思えないし
0732人間七七四年
2019/04/22(月) 17:22:43.89ID:10EQUDe/いやお前、ネット情報なんて周回遅れもいいところなんだから、通史でもいいから最低限近年の歴史書を読んで勉強しろよ。
0733人間七七四年
2019/04/22(月) 17:23:51.97ID:AZZy9wCe気の毒に
ソース貼ればいいじゃんよ
その武威ですっていう研究結果をさ
0734人間七七四年
2019/04/22(月) 17:45:07.37ID:P0dDGDj+冷水ぶっかけられるように次々異説をぶつけられて不快になり意固地になったのは確かだろうね、>>705は
そもそもさぁ、大坂夏の陣図屏風からアンチ徳川を強くしたなんてのがバイアスかかりすぎなんだよね
攻城戦で民衆にも凄惨な被害が及んだのは豊臣家が意固地を張った結果とも言えるわけで
その意味で民衆視点で非難するとしたら徳川も豊臣も全く同じ
どちらかだけが一方的に悪いなんてことはない
0735人間七七四年
2019/04/22(月) 17:54:21.74ID:10EQUDe/ソースも何もお前何にも知らないじゃん。何も知らないやつはまず基礎の基礎の読み書き算盤を身につけてくれないと話にならん。
「あいうえお」や「1+1」レベルをきちんと身につけないとその先には行けないでしょ?そういう事をこっちは善意で言ってあげているわけで
0736人間七七四年
2019/04/22(月) 17:54:37.17ID:oP+YTmf+黙認した例は多々あるし、乱取り自体は数えられらない位あったろうけど
それでも、やった方より、やらせてしまった方が悪いとか
喧嘩両成敗みたいな話しには成らん
成ると思うならかなり偏ってる思考としか言えない
家康は乱取りしない設定なのかな
それだと気の毒に
0737人間七七四年
2019/04/22(月) 17:55:49.98ID:oP+YTmf+邪馬台国スレでも居るな
歳取ると何故か自分の妄想が現実の研究結果だと思う人達が
年取るってそういうもんなのかな?
年取りたくないな
0738人間七七四年
2019/04/22(月) 18:03:33.84ID:10EQUDe/真っ赤っ赤に成っているんだろうけど。
0739人間七七四年
2019/04/22(月) 18:03:50.71ID:iBpIZUEl0740人間七七四年
2019/04/22(月) 18:06:38.44ID:YWio8ctU0741人間七七四年
2019/04/22(月) 18:15:50.97ID:x36BkDMn0742人間七七四年
2019/04/22(月) 18:23:18.28ID:YWio8ctU0743人間七七四年
2019/04/22(月) 18:36:41.11ID:HsOEM1EI0744人間七七四年
2019/04/23(火) 12:57:07.15ID:sMnCQFJsアンチ家康お得意の決めつけがここでも出てるな
戦国時代で乱妨取りが悪とされてたなんて聞いたことがないわ
雑兵足軽の士気を上げるために期限を限って乱妨取りを認めるのは信玄も信長もやってるしその書状も残っている
まして郊外の野戦とは違い市街地の中での攻城戦では直接住民に被害が及ぶのは避けられぬこと
そもそもそんなところで浪人どもをかき集めて篭城戦に及んだのは豊臣家のほうだ
本当に住民のことを思うなら大坂城を出て人気のない場所で心行くまで戦えばよかっただけのこと
それを一方的に徳川非難の材料に使ってるのがいかにもアンチ家康の恣意的決めつけだと言うのだ
それに喧嘩両成敗は適用できないと言うなら、幕末の薩長兵が会津若松攻城戦で市民を殺戮
強姦しまくったことも薩長軍は悪で、君はアンチ薩長なんだろうね?
自分はそのことに関しては市街地中で篭城した会津藩側にも責任はあったと考えてる
0745人間七七四年
2019/04/23(火) 13:09:52.29ID:sMnCQFJs民衆視点で言えば徳川も豊臣も同罪と言ってる
0746人間七七四年
2019/04/25(木) 17:52:01.56ID:5+Js6UN5でも戦国のゲルニカと名付けた人は凄い、キャッチーで頭に残る
0747人間七七四年
2019/04/26(金) 08:09:46.17ID:v7LUKzjnhttp://i.imgur.com/XD3KduN.jpg
http://i.imgur.com/aNNjUl5.jpg
http://i.imgur.com/k7ZUw5E.jpg
http://i.imgur.com/fXx40yR.jpg
http://i.imgur.com/l8N0lc5.jpg
http://i.imgur.com/jVtNO3U.jpg
http://i.imgur.com/N8YyQdR.jpg
0748人間七七四年
2019/04/26(金) 18:50:15.95ID:KXT2LqRmその時点で悪
0749人間七七四年
2019/04/26(金) 19:01:55.00ID:NmHABQ6M0750人間七七四年
2019/04/26(金) 22:19:22.50ID:nR3PWEfp0751人間七七四年
2019/04/28(日) 09:53:57.68ID:Ic83ERmK0752人間七七四年
2019/04/28(日) 12:18:24.23ID:f2qyHwUE0753人間七七四年
2019/04/28(日) 16:45:28.74ID:o1E4EaQ5一言だけ書いてどっかいく連中がはびこってんのか
0754人間七七四年
2019/04/29(月) 13:29:09.70ID:bCrobJXY大坂の陣発生は家康の勝手な話
大坂夏の陣屏風の民衆虐げる悲惨な光景は家康のせいとしか
0756人間七七四年
2019/04/29(月) 14:51:45.43ID:NeArHkKU秀頼の自爆でしかねーって話を散々されてたのにろくに読んでもないのか
ほんとろくでもねーな、文字も読めないとは
0757人間七七四年
2019/04/29(月) 15:16:25.20ID:2PlRH1knならば秀頼も同じ理屈だよな
時勢が読めずイキリ倒して自滅した豊臣
0758人間七七四年
2019/04/29(月) 16:19:44.05ID:Ot7kZl7i北条が大人しく従っていれば、徳川家みたいな扱いをしてくれたのかしら?
徳川家みたいな扱いをしてくれたとしたら、関ヶ原の合戦がもっと面白くなったかもね。
0759人間七七四年
2019/04/29(月) 18:43:09.70ID:K8o4UgFX0760人間七七四年
2019/04/29(月) 19:36:47.82ID:gYDwPytM北条が素直に従ったらって前提なら、残した方が、対徳川を考えるなら良かった
とはいえ、弟のとこも断絶させてるし
秀吉の行動って、オマエ本当は徳川幕府成立させたいんじゃないかってくらいに
対徳川の行動は悪手
0761人間七七四年
2019/04/29(月) 19:45:56.21ID:K8o4UgFX0763人間七七四年
2019/04/29(月) 20:03:44.09ID:gYDwPytM本当に徳川を意識した大名配置とやらで、包囲網が機能すると思ってたんだろうか?
秀頼を家康に託す事といいアホ過ぎ
0764人間七七四年
2019/04/29(月) 20:35:44.07ID:upupY8r8唐入りのために旧北条領の統治と奥州の仕置を丸投げする必要があり
それを出来る人物が徳川しかいなかっただけ
0765人間七七四年
2019/04/29(月) 20:42:59.50ID:NeArHkKU秀吉存命時から家康って豊臣政権になくてはならない存在だぞ
ぶっちゃけ秀長より信頼されてるしそれだけの仕事任せてる
0766人間七七四年
2019/04/29(月) 20:58:23.77ID:h0gf0pxsいちはやく臣従してたらむしろ徳川よりも厚遇されててもおかしくない
秀吉は空気読んで従ってくれたらいちいち攻めなくすむからあまり悪いようにはしない
ただあとから領地替えなどでどんどん力をそいでいくだろうけど
0767人間七七四年
2019/04/29(月) 21:02:31.59ID:gYDwPytMその次は半分位の石高
そして、5大老職
いつでも乗っ取ってねっていうようなもんだ
あと、人の組織になくてはならない存在なんてない
会社人間が自分が居なきゃと言ってるのと同様
大概なんとかなるもんだ
豊臣の場合は秀次殺して、国力と大権がある家康が居たのが問題
実際に徳川幕府自体も両方を与えてはいないし
そもそも250万石も与えないか
0768人間七七四年
2019/04/29(月) 21:29:49.96ID:NeArHkKU東北・関東の抑えと仕置きできるだけのノウハウ持った上に、後継者が長じてるおかげでフリーハンドで畿内で政務補佐できる人材なんてあの時点で家康しかおらんぞ真面目に
豊臣政権の人材のなさくらい確認して物言おうや
0769人間七七四年
2019/04/29(月) 22:12:34.11ID:PmNHg56Fそのおかげで豊臣は建て直されつつあった
それを三成が権力欲に支配されて謀反を起こしたおかげで水の泡になっただけ
家康が豊臣の建て直しに匙を投げて新政権樹立に舵を切るのは仕方がない
0770人間七七四年
2019/04/30(火) 09:07:32.34ID:IrIrEyD0もっとも秀頼は秀次の傀儡になり、成人後に豊臣家の実権は握れずに、淀VS秀次版の関ヶ原になったような気がする。
0771人間七七四年
2019/04/30(火) 11:39:07.87ID:2lI/WG8d0772人間七七四年
2019/04/30(火) 11:44:48.24ID:Z21r2OrZとはいえ、あの人材のなかでは家康が一番マシな選択なのでは
家康もある時点までは、豊臣家の掌握はともかく徳川の天下にすることなんて考えていなかったはず
自分から関白一族殺してシステムぶっ壊してるんだから自業自得なのは変わりないけど
0773人間七七四年
2019/04/30(火) 11:48:07.07ID:uXRSUjPx0774人間七七四年
2019/04/30(火) 12:00:11.75ID:sP9qVZRM翌年に家康を諸侯最高の内大臣に推挙していることからも
秀吉が秀次粛清を契機に徳川家を一門化し政権の首班に据えようとしていた
つまり家康と徳川家の能力を見込んで豊臣政権そのものにしようとしていたことは明らか
その後徳川家が見事に長期安泰政権を作り上げたところからも秀吉の見立ては非常に正確だったことがわかる
三成が秀吉の構想を全てぶち壊した
ただ家康も関ヶ原で他の大諸侯を一気に整理できなければあそこまで強固な政権をつくれなかっただろうけど
0775人間七七四年
2019/04/30(火) 13:05:50.17ID:32afArHK豊臣信者は頭がおかしいからね。
主家簒奪の逆臣が、聚楽第行幸で公認されていた武家関白制の関白豊臣長者を一家皆殺しにして当主の座を奪い、
征夷大将軍がいて、公家関白がつぎつぎ任命されているのに、豊臣に大儀がある。義将石田三成、武家関白制は続いているとか、とんちんかんなことを言う人たちだから。
武家関白制の関白豊臣長者は秀吉秀頼親子が殺したでしょう?征夷大将軍も関白もつぎつぎ任命されているでしょう?っていっても理解できない
0776人間七七四年
2019/04/30(火) 16:20:07.74ID:2lI/WG8d秀吉が狙っていたのは家康と徳川家を後ろ楯にした秀頼政権でしょ?
さすがに禅譲を前提とした構想を持ってはいなかったと思う
0777人間七七四年
2019/04/30(火) 16:49:20.81ID:7GDBcIjN政権運営は徳川に任せて君主は豊臣のままって話でしょ?
強いて言うなら豊徳合体
0778人間七七四年
2019/04/30(火) 17:46:25.49ID:ecuQZAxW徳川からの娘が嫡男生んで
元服するまで秀吉が生きれるなら、可能かもしれないけど
死亡時61歳、難しいかもな
何か晩年は呆けてるし
0779人間七七四年
2019/04/30(火) 17:58:34.81ID:ecuQZAxW他家を信じたらアウトだよ
それは徳川だろうが、前田、毛利だろうが一緒
能力とか関係ない
0780人間七七四年
2019/04/30(火) 18:22:53.49ID:bCIB8p6V0781人間七七四年
2019/04/30(火) 19:30:45.28ID:ecuQZAxW250万石与えて、他は最大でも半分以下
秀頼の正室に入ってる
これ以上優遇しようがないけどな
0782人間七七四年
2019/04/30(火) 19:36:01.69ID:7GDBcIjN0783人間七七四年
2019/04/30(火) 19:39:44.28ID:y2NO9rB7大あり
家中にロクな人材がおらんから一門衆とはいえ徳川に頼らざるを得なかったわけで
まあただでさえ少ない一門を粛清したり
独裁政権であるが故に官僚層を充実させるつもりが一切なかった
秀吉自身が招いた部分も大きいがな
0784人間七七四年
2019/04/30(火) 19:47:16.41ID:ecuQZAxW何ですぐに他人のせいにしたがるのかが不思議
0785人間七七四年
2019/04/30(火) 19:52:58.73ID:A6aNSDd20786人間七七四年
2019/04/30(火) 19:53:15.49ID:y2NO9rB7そんなクソ陰謀論を主張するド低能はおらんよ
0787人間七七四年
2019/04/30(火) 19:57:41.36ID:ecuQZAxWすこしこの版から離れた方がいいよ
通常の日常生活を送る事をお勧めする
0788人間七七四年
2019/04/30(火) 20:01:02.97ID:7GDBcIjN私は感情で歴史について語りますって宣言してる訳だし
すこぶる史学に向いてないから、語らん方がええよ
最低限度の史学に対する知識をまずつけて、自分がどんだけ恥ずかしいこと言ってるのか理解してからもっかい来た方がええよ
0789人間七七四年
2019/04/30(火) 21:43:48.13ID:rex7clND0791人間七七四年
2019/05/10(金) 14:24:50.54ID:IVpCt1ly0792人間七七四年
2019/05/11(土) 11:43:45.40ID:hvyvlgo/三成の暴発が家康の独自政権樹立をアシストしたことは間違いない
0793人間七七四年
2019/05/11(土) 19:18:51.14ID:ggwwNySy0794人間七七四年
2019/05/13(月) 16:15:23.52ID:YRejsc2kその方が時間的には早いかも?
前田が屈し、上杉攻め、次は毛利か宇喜多だろう
地理的に考えると宇喜多かな
そして、4家が滅ぶか屈したら、豊臣攻め
0795人間七七四年
2019/05/13(月) 18:10:09.43ID:ptfOvIRw0796人間七七四年
2019/05/13(月) 18:13:55.62ID:Y/geajd50797人間七七四年
2019/05/19(日) 17:40:49.71ID:Gs9o2mcG0798人間七七四年
2019/05/19(日) 17:51:27.20ID:mGAVjTxZ0800人間七七四年
2019/05/19(日) 18:05:23.94ID:clAVyQnWあと命乞いのためとはいえ千姫を解放してくれた
0801人間七七四年
2019/05/20(月) 10:40:16.91ID:D8V9dFAK0802人間七七四年
2019/06/05(水) 21:56:14.98ID:oiRMhocA福田とか自筆の字から、褒めてなかったっけ?
0803人間七七四年
2019/06/07(金) 01:18:53.50ID:10ri9+or0804人間七七四年
2019/06/07(金) 08:16:43.13ID:Qy1n96tV0805人間七七四年
2019/06/07(金) 23:09:24.76ID:hiyV9DK00806人間七七四年
2019/06/08(土) 14:16:51.01ID:shkvTOXJ0807人間七七四年
2019/06/10(月) 20:33:41.43ID:CmDJlUbU仮に家康が死んだとしても暴れそうなのは政宗くらいだろ
0808人間七七四年
2019/06/12(水) 21:50:22.99ID:p8FRtJITましてや公儀の運営なんて絶対無理。だから二重公儀論とか
阿呆くさいと想うんだよな
0810人間七七四年
2019/06/13(木) 12:18:18.23ID:NI8KpUYy0811人間七七四年
2019/06/13(木) 12:19:10.33ID:XqofKIG8最低限家臣の手綱くらい握ってるからこその大名ですから
0812人間七七四年
2019/06/13(木) 12:43:18.11ID:vDPsXPNc将来の関白としての公家教育しか受けてなかったのなら所領をまともに統治することができなかったのも当たり前
秀吉が失敗したのはこういうところにも現れていて、やはりもともと武家出身でないだけに
武家政権でありながらトップが公家の関白というチグハグさに気づかなかったんだろう
こんな体制が長続きするはずがない
0813人間七七四年
2019/06/13(木) 12:49:48.80ID:Shx7F8GP0814人間七七四年
2019/06/13(木) 13:08:48.68ID:XqofKIG8ていうか、公家だろうが武家だろうが部下への裁定下せてないのはどこでもアウトでしょ
結局のところ武士だって公家の一種なんだし、公家だったからーで片付けるのは乱暴に過ぎる
0815人間七七四年
2019/06/13(木) 20:39:19.62ID:nTHES9E4今更なんですが、豊臣が自領の経営が出来ず、徳川に任せていたと言う史料、
もしくは研究者の論説が読める本なり、サイトってありますか
0817人間七七四年
2019/06/14(金) 06:10:27.95ID:A5xZpajX基盤の脆弱さがわかるだけかな
0818人間七七四年
2019/06/25(火) 13:01:09.41ID:dJfl395Iそう言えば小出の方は秀政の死後、豊臣と縁切れたみたいなのは、何故だろう?
0819人間七七四年
2019/06/25(火) 14:34:46.33ID:I6zVOnas例外は秀忠と利長位
0820人間七七四年
2019/06/25(火) 14:54:48.40ID:8ClvHuCXやってたようなもんだ。
0821人間七七四年
2019/07/07(日) 05:38:52.40ID:f1Y7gK/o結局何一つ自分で決めれなかったのは
無能としか
0822人間七七四年
2019/07/07(日) 10:39:43.24ID:dV6nah1v二人とも政治的な教育無し有力な家臣もあてになる実家もないから仕方ない的なフォローはあったが
それならなおさら身の程をわきまえて一大名になればよかったのに
0823人間七七四年
2019/07/07(日) 21:35:16.37ID:cDQTXSrB0824人間七七四年
2019/07/07(日) 21:42:54.81ID:fbp/tjJdそれさえなきゃまだ冬の陣終わった時点で完全に制御不能になることはなかったろうに
0825人間七七四年
2019/07/08(月) 19:26:33.52ID:V71HxqoHもっとも、さっさと両手あげて降伏したほうが史実よりマシな結果なんだけどさ
0826人間七七四年
2019/07/08(月) 19:56:13.44ID:PXSxQdAi浪人制御不能で自分で出した降伏条件すら守れず暴走
やっぱ浪人入れたのが悪いよ浪人がー
0827人間七七四年
2019/07/08(月) 21:37:06.24ID:V71HxqoH一応和睦だよ
最良の選択は浪人どうこうじゃなくて、ホットウォーになる前にさっさと幕府に組み込まれてイチ大名の立場を保証してもらうこと
0828人間七七四年
2019/07/08(月) 21:39:01.35ID:MIlI6quw0829人間七七四年
2019/07/08(月) 21:47:27.42ID:PXSxQdAiというかまぁ状況だけ見ても普通に外の拠点全部潰されて唯一真田丸が残ったってだけなんで、あれで和睦というのはちょっと無理あるかと
0830人間七七四年
2019/07/09(火) 09:40:07.36ID:r4eSv3e40831人間七七四年
2019/07/09(火) 11:48:45.41ID:f4hP1HV3と提案があったんだから、それを受け入れていれば良かったのでは
0833人間七七四年
2019/07/09(火) 12:02:53.74ID:0PpH8yMY0834人間七七四年
2019/07/09(火) 13:17:46.25ID:g8iQtRaOあそこは地元バンピーにそう宣伝せざる得ないだけで、紀要とか見ると
「豊臣政権アカン」という史料と論考を結構出している
0835人間七七四年
2019/07/09(火) 14:52:16.62ID:zc8ExMA00836人間七七四年
2019/07/09(火) 15:24:49.26ID:uCgOquQsああ、去年ぐらいに大阪人の狂信者どもが豊臣史観を吹聴していて迷惑しているって大量のコピペがあちこちに貼られていましたな
関係者の方でしたか
0837人間七七四年
2019/07/09(火) 17:49:19.85ID:JVGMEEHZこいつさえ影響力を持たなければ。
0838人間七七四年
2019/07/09(火) 20:36:08.21ID:9kMmRNde当時の諸大名ですらそう思わないから、
東西講和になっても誰も大坂城へ伺候しない
0840人間七七四年
2019/07/09(火) 22:48:35.93ID:z41w9+aK当時の宣教師が豊臣の勝ちって書いてあるから、冬の陣は豊臣の勝ちって主張なら読んだことあるなぁ
0841人間七七四年
2019/07/09(火) 23:47:24.90ID:bwK7A3P1ろくに状況知らないで大坂なりにいる人からしたらVやねん豊臣軍に見えるかもしらんね
どこの人でも判官びいきというか弱い側が奇跡の勝利とか、そういうドラマチックさ好きだし
0842人間七七四年
2019/07/10(水) 00:14:38.39ID:ttTZzIzd真田信繁の本で
0843人間七七四年
2019/07/10(水) 07:54:08.97ID:YtowGtrC秀吉はじめ当時の人間はとんでもないマザコンだった。
頭がおかしいとて母君を座敷牢に幽閉するなんてできようか。
老母を人質の取られたら、なんでもいうことを聞くのは、いまの感覚では信じられない。
嫡子ならわかる。
0844人間七七四年
2019/07/10(水) 09:14:02.88ID:62rgvJbm豊臣:大阪城をなんとか守り抜いたが有利な講和は結べなかった
徳川:大阪城を落とす事は出来なかったが、結果的には大阪城を無力化した
また諸大名は全て徳川に味方する事が証明された
0845人間七七四年
2019/07/10(水) 10:50:54.51ID:z0aJ6vQDそれが全くない
0846人間七七四年
2019/07/10(水) 11:31:01.47ID:hhZmKEnW発端が豊臣が暴走始めて徳川との交渉勝手に打ち切りして、って話なんで
ごめんなさい言う事聞きますって豊臣が言った時点で徳川の目的達成なのよ
戦国前期ならよくある国衆相手に大名が兵出して攻めて、言う事聞くから降伏しますで合戦終了したのを国衆側の勝利とは言わんしょ
元主家なことで遠慮して降伏時の条件がべらぼうに甘かった事と、結局豊臣が自分の暴走止められずやっぱ言う事聞けませんわテヘペローしたせいでややこしい訳だけれども
0847人間七七四年
2019/07/10(水) 13:59:55.14ID:7IBQQ9lkせっかく和睦ってかたちにしてもらったのにそれさえいかせない、秀頼はホントのバカだよ
0848人間七七四年
2019/07/10(水) 14:04:28.76ID:z0aJ6vQD0849人間七七四年
2019/07/10(水) 18:21:55.07ID:7IBQQ9lk0850人間七七四年
2019/07/10(水) 18:29:17.86ID:ywKdLozE0851人間七七四年
2019/07/10(水) 18:41:35.10ID:AtuWWzHJマツケムシを退治するには菰を巻いておいてマツケムシが集まってきたところを
菰共々まとめて焼却するのがいちばん効率が良い
大坂城という菰があったからこそバラバラに散らばってた不逞浪人共をまとめて一掃・処分できたわけよ
0852人間七七四年
2019/07/10(水) 18:56:05.44ID:txMoZn0l堀の埋め立て云々の講和条件についても、上層部は浪人たちには黙ってたんだろう。だからこそ後に「徳川の騙し討」
みたいな話が言われたんだろうな。情報を与えられていない浪人たちの主観からすればそういう事に見えたんだろう。
0854人間七七四年
2019/07/10(水) 20:34:18.39ID:7IBQQ9lk負けました残念でした降伏に近いけど一応和睦ということにしてもらいました
浪人にしてみれば、こんなの認めたら自分たちの都合が悪すぎるからね。耳と目をくいしばって徹底抗戦を叫ぶしかないよ
0855人間七七四年
2019/07/11(木) 21:10:57.27ID:bgC41CMAや猪名川町あたりに大量の金銀を隠しております。
豊臣家の金銀は隠した金銀を合わせて現代の金額に直して40兆円ほど
大坂の陣で使用をしたのはわずか5パーセントほどだったそうです。
0856人間七七四年
2019/07/11(木) 21:14:48.51ID:dTj9lLQI0858人間七七四年
2019/07/17(水) 10:58:36.10ID:az1E2DhDhttps://www.youtube.com/watch?v=q73gJXfJMMo
いっそのこと、メタボで馬も乗れない秀頼ではなく
「御母公御在陣」の幟でも立てて
彼女が出撃した方がよかったのでは?
0859人間七七四年
2019/07/17(水) 12:44:50.38ID:sE/Ud5E60860人間七七四年
2019/07/22(月) 04:55:39.21ID:g4b+PZN30861人間七七四年
2019/07/24(水) 02:54:06.35ID:w13Ikm/S0862人間七七四年
2019/08/05(月) 09:55:54.30ID:ZIeEOyS50863人間七七四年
2019/08/05(月) 11:35:16.21ID:EVtozHmbていうか腐っても地方でそれなりに大きな大名だった浪人連中よりも治長のが官位上なんすね
0864人間七七四年
2019/08/05(月) 12:17:45.16ID:bU0wRhel0865人間七七四年
2019/08/05(月) 13:36:31.32ID:DutI4qyg0866人間七七四年
2019/08/07(水) 01:26:16.32ID:97fM+9eg従五位下なら大したもんやな
0867人間七七四年
2019/08/07(水) 05:24:32.76ID:KyK2oqVv0868人間七七四年
2019/08/07(水) 07:11:26.45ID:nVEEl/o1仲を物語る史料はない
0869人間七七四年
2019/08/07(水) 07:54:26.57ID:KyK2oqVv0870人間七七四年
2019/08/07(水) 08:13:55.34ID:nVEEl/o1縁を結んだからといって個人の関係までは判断できん
信繁正室は大谷の娘ではなく養女とも姪ともいわれているし
そもそも大谷に謎が多すぎてよくわからない
石田は信之には愚痴のような書状を送っているので
関係が悪かったわけではないっぽい?
0871人間七七四年
2019/08/23(金) 18:34:57.64ID:M+Ah3D1i0872人間七七四年
2019/08/26(月) 11:32:30.19ID:LtqGoZPz実際、冬夏ともに負けているし。一部豊臣贔屓の研究者で冬は勝ったっていう人もいるけど
0873人間七七四年
2019/08/26(月) 19:05:39.46ID:q1zRVlMv0874人間七七四年
2019/08/28(水) 00:04:54.68ID:h/wHeanp文禄の役の時に石田・大谷・小西・増田・宇喜多の5人で国王に次ぐ大都督の官位をよこせ・秀次より上の扱いをしろと明に要求しているから
ドラマみたいな友情はともかく石田と大谷に一緒に豊臣を牛耳る野心が互いにあったことは間違いない
0875人間七七四年
2019/08/28(水) 12:05:47.27ID:e4c13K450876人間七七四年
2019/08/28(水) 21:04:43.82ID:pp4cnr840877人間七七四年
2019/08/28(水) 21:36:52.21ID:e4c13K450878人間七七四年
2019/08/28(水) 22:04:05.45ID:x2oLlQ00ところが出来なくて幕府に「牢人の解散無理だから領地増やしてくれ。」と泣きつくというw
0879人間七七四年
2019/08/28(水) 22:13:30.41ID:1ZCXpkdSせめて和議がまとまる前に泣きつけばいいものを
0880人間七七四年
2019/08/28(水) 22:50:08.52ID:CPmBwzyaにもかかわらずその講和条件をクリア出来ず泣きつくわ
とりあえず大坂城を出れば牢人は幕府方で始末してやるという
クッソ激甘な提案をされてるのに講和を一方的に破棄して挙兵するという…
0882人間七七四年
2019/08/29(木) 06:54:26.59ID:F9DOBZAJ大野治房隊に接戦に持ち込まれてる
そこでの負傷はあったなら明かされるとまずい
もう一つは第二次上田城戦か
0883人間七七四年
2019/08/29(木) 07:33:12.38ID:OZYDlWEF岡山の戦いで被害のあった秀忠の旗本は、先手の前田と二番手の井伊・藤堂の間に進出した大番1組と書院番2組
個人的には大坂冬の陣において前線の物見をした際に、流れ弾が当たったと見ている
0884人間七七四年
2019/08/29(木) 15:08:27.02ID:QGDxtsvQそんとき流れ弾が当たったんだよきっと
0885人間七七四年
2019/08/29(木) 17:17:57.15ID:WiVFMD/g0886人間七七四年
2019/08/31(土) 16:58:26.73ID:AcigRL58御母公が戦死してりゃ
残った秀頼も助命工作なんて
みっともない真似をせずに
有終の美を飾れたのにな
0887人間七七四年
2019/09/18(水) 20:11:25.73ID:LVb0vQ25普通に秀頼が大阪城から出て行けば良かっただけだし
いまだに俗説に沿った徳川陰謀論で語る奴も多くて
大坂の陣は困るな
0888人間七七四年
2019/09/19(木) 01:04:01.48ID:44dU/U1l相手が攻めてきてから降伏してもたしかに遅いわな
0889人間七七四年
2019/09/19(木) 01:10:05.70ID:KfDzYQf0幕府への圧力に成るとでも思ったのか。
0890人間七七四年
2019/09/19(木) 07:45:46.82ID:44dU/U1l力関係が逆転してるのが明白でもそれでも家臣の徳川にいいようにやられて我慢ならなかった、って話で。
まあそれは自滅まっしぐらなわけだが。
0891人間七七四年
2019/09/19(木) 09:08:28.99ID:FqXnx1IR一度目に攻められたとき
大坂冬の陣和睦の段階で高速土下座してれば間に合ったのにな
幕府が浪人の処理もしてくれるって甘甘な条件も提示してる
勘違いして浪人集めちゃったのは若気の至りとし仕方ないにしても、不利な和睦で現実見るべきで
2度目は流石に許されないよね
0892人間七七四年
2019/09/19(木) 09:52:40.35ID:o47naIgGいったいどこで洗脳されてきたの?
0893人間七七四年
2019/09/19(木) 11:01:52.04ID:FqXnx1IR秀頼があまりにも時代の空気や立場が読めなさ過ぎた、WW2の日本首脳並です
国替え後に大名として残れるかは豊臣の運営能力次第、秀忠は政治に厳しい人だから(でも評価は平等)
最悪高家としては残してくれると思う
淀が元凶で〜ってのもドラマだけの話です
0894人間七七四年
2019/09/19(木) 11:33:14.71ID:o47naIgG豊国神社を完全に破却する?
秀頼一人の命くらい江戸城中の一室に監禁するだけで済むのに惨殺する?
0895人間七七四年
2019/09/19(木) 11:34:24.91ID:o47naIgG高橋弘二のライフスペース信者かよおまえらwww
0896人間七七四年
2019/09/19(木) 11:51:36.61ID:8+7qW2aD完全に滅んだ家のためにある神社なんてどんな禍津神になるか
それなら本来の意向通りに大仏の鎮守にしようという話
方広寺にある秀吉の墳墓としての石塔は、現存するのに意図的に
歪曲されて馬塚なんて名前になっている
後、自分で戦争始めた癖に、家臣は皆死んで、城は焼け落ちたのにも関わらず、
なお生き延びて命乞いするなんて、武士かと上に立つもの以前に、もう人としてダメでしょう
自害させたのは、それこそ武士の情けだと思うのだが
0897人間七七四年
2019/09/19(木) 11:59:00.76ID:o47naIgG仏に罪は無いと考えるんだよ。
平将門しかり菅原道真しかり城井鎮房しかりだ。
物凄く大事にされてる。帝にすら逆らって新皇名乗っても
反抗して主人の家が滅ぼされる一歩手前まで行ってもだ。
ましてや旧主の神社を完全破却なんて日本史的に前代未聞だろ。
0899人間七七四年
2019/09/19(木) 12:51:41.47ID:UAbQNf5r0901人間七七四年
2019/09/19(木) 13:37:06.18ID:UAbQNf5rなんだとこのヤロー!
当方(大河内)の力作にケチつけんじゃねーぞ!
文句があんなら読むな!
雑魚やろーが!
0902人間七七四年
2019/09/19(木) 13:40:35.60ID:o47naIgG>なんとか大坂の陣を回避し豊臣秀頼を助命しようとする家康」「皇室尊崇の念の篤い家康」は
>「狸親父家康」のイメージを改善するのに大きく貢献した
>韓国では「大望」という題名で出版され、ベストセラーとなった他、中国でも2007年秋の刊行以来
>全13巻計200万部を売るベストセラーになっており、高い評価を得ている。
まんまこのスレの徳川信者でワロタw 山岡真理教患者だったんだね
0904人間七七四年
2019/09/19(木) 14:32:47.88ID:KfDzYQf0京都の豊国神社は大坂の陣後、大阪牢人が一種の精神的拠点として周辺に潜んでいたことが当時の記録に見える。
豊国神社を廃却したのは一種の治安措置といえる。
0905人間七七四年
2019/09/19(木) 14:38:56.89ID:a/sh7iqzしかも秀頼の幼子の国松まで殺したのは豊臣根絶やしの意図に他ならない。責任者の秀頼は捕まったら、石田三成同様打ち首、もしくは切腹は免れないだろうが、根絶やしの意図がないなら三成の嫡男の石田重家のように助命しても良かったのではないか?
0906人間七七四年
2019/09/19(木) 14:45:18.21ID:o47naIgGそんな事実を突きつけたら徳川真理教患者が発狂しちゃうよ
0907人間七七四年
2019/09/19(木) 14:47:19.34ID:HHyLgAMl起きた事象の違いも理解せずに比較を使うのはナンセンス
豊臣の場合、一度かなり降伏に近い和睦してその和睦条件を履行出来ず、もう一度乱を起こしている
精々関ヶ原で降伏した毛利の代わりに全責任おっかぶる事になった石田と比較できるものではない
0909人間七七四年
2019/09/19(木) 14:50:26.74ID:KfDzYQf0根絶やしも何も敵対して降伏もしなかった者が滅んだら、その大将の長男を殺すのも頼朝以来の武家の習いだぞ。
なにを特殊例のように言ってるんだ。むしろ三成のほうが特殊例だ。あれは三成が首謀者であっても「大将」とは認識されて
いなかったためだろう。あと娘は殺してない。娘も平然と殺してた信長秀吉に比べると非常に穏当だな。
あと家康は「豊臣」をまったく根絶やしにしてないからな。木下系豊臣氏は幕末まで大名として存続してる。
0910人間七七四年
2019/09/19(木) 14:53:04.79ID:a/sh7iqzでも徳川は豊臣を滅ぼしたくないんだよね。だったら仏門に放り込むなりすれば済む話。戦国の世では子供であっても根絶やしのために殺されるのは当たり前と知ってるが、徳川との約定については国松は何ら関与してないだろう。
根絶やしが目的なら矛盾はない。
0911人間七七四年
2019/09/19(木) 14:54:41.29ID:KfDzYQf0それで自分は間違っていないと耳をふさいで殻に閉じこもるの、いくらなんでも人として惨めすぎないか?
0913人間七七四年
2019/09/19(木) 14:56:26.00ID:a/sh7iqz殺すのは当然とはならない。
0915人間七七四年
2019/09/19(木) 14:57:10.80ID:QNMsrtyx滅ぼしたくないからその状況にならないよう手を回したけれど
なってしまった以上武家政権として公平に裁いた、ってこと
0917人間七七四年
2019/09/19(木) 14:58:01.21ID:a/sh7iqz0918人間七七四年
2019/09/19(木) 14:58:46.88ID:QNMsrtyx徳川がやった徳川がやったとしか言わないのは反論とは言わない
0921人間七七四年
2019/09/19(木) 15:01:54.15ID:KfDzYQf00922人間七七四年
2019/09/19(木) 15:03:31.80ID:QNMsrtyxそうだよ?
初手乱起こすわ講和条件も守らずもう一度乱起こした
このレベルの事やられてるのに秀吉との約束がどうとかってレベルじゃねーよ
お前は乱を起こすを待ち合わせに遅刻した程度にでも思ってるのか
0923人間七七四年
2019/09/19(木) 15:03:57.38ID:a/sh7iqz一般的には家康が豊臣を叩く決断をしたのは二条城での秀頼との会談後だそうだ。それまでは滅ぼすつもりはなかったかも知れんが。
0924人間七七四年
2019/09/19(木) 15:05:43.75ID:a/sh7iqz0925人間七七四年
2019/09/19(木) 15:05:46.38ID:QNMsrtyx一般的にじゃないんだよ娯楽としてその方が面白いからそういう作品が多いだけ
創作物と史学の区別つけられませんって宣言始めるのやめろ
0927人間七七四年
2019/09/19(木) 15:07:47.17ID:QNMsrtyx取次の無断追放は宣戦布告と取れる行為と丸島氏も指摘してる
0928人間七七四年
2019/09/19(木) 15:13:21.72ID:mj73v0kE構ってもらえて嬉しそうだな
0929人間七七四年
2019/09/19(木) 15:23:51.89ID:ivJfE4zb何故こんな質問してるのは自分だけと思い込める?
0931人間七七四年
2019/09/19(木) 17:28:17.79ID:a/sh7iqzあんたのいう徳川家康の豊臣を滅ぼすつもりはなかった説は歴史学者100人いたらどのくらい指示される説なんか教えてくれ。有力な説なのか珍説なのかあんたのいうことを鵜呑みにはできん。あんた自身は信じて止まないらしいが。
0932人間七七四年
2019/09/19(木) 17:28:46.59ID:a/sh7iqz0933人間七七四年
2019/09/19(木) 17:30:31.89ID:KfDzYQf0おまえホント自分で勉強する気ゼロだな。恥を知っているなら最低でも自分で昨今の大坂の陣に関する歴史書くらい読んできてからものを言えよ。
0934人間七七四年
2019/09/19(木) 17:33:59.28ID:a/sh7iqzまあそんなに支持されてたらとっくに一般化してると思うが。
0936人間七七四年
2019/09/19(木) 17:36:08.79ID:a/sh7iqz0937人間七七四年
2019/09/19(木) 17:38:05.50ID:a/sh7iqz0938人間七七四年
2019/09/19(木) 17:56:08.51ID:ScES17ea0939人間七七四年
2019/09/19(木) 18:04:21.30ID:aDPwSadM多くの人が支持してるイコール正しいとはならんぞ
0940人間七七四年
2019/09/19(木) 18:08:04.17ID:o47naIgGレイプで起訴されておきながら
「相手が抵抗しなかったらレイプはする気はなかった」
「叫んだから慌ててレイプした」
「そもそも扇情的な格好をしてた彼女が悪い」と言い訳重ねるようなもんだよな。
おまえはレイプしたんだよ。嫌がる相手を殴り倒して強制的にな
0941人間七七四年
2019/09/19(木) 18:08:26.89ID:bTycuEkdアレルギーは気の持ちようだから根性で食えば治るしになるが
どんだけ頓珍漢な事言ってるか自覚してるんだろか
0942人間七七四年
2019/09/19(木) 18:10:45.07ID:bTycuEkd当時の人たちみんな大量殺人鬼で軒並み豚箱入りなんだけど
学問である以上、当時の認識を重要視しないと意味なくね
0943人間七七四年
2019/09/19(木) 18:21:39.40ID:a/sh7iqzだから当時のことに見識のある研究者のうちどの程度豊臣を滅ぼすつもりなかった説が支持されてるか知りたいわけ。
0945人間七七四年
2019/09/19(木) 18:24:25.32ID:bTycuEkd逆に不当だった派は自分は福田氏ぐらいしか知らんなぁ
0947人間七七四年
2019/09/19(木) 18:28:01.24ID:a/sh7iqz誰もマイナスイオンの話なんかしてない。そういう事を言うということはそんな説を支持してる研究者も少数派ということで差し支えなさそうだな。
自信満々に発表されて取り下げられたstap細胞なんて例もある。結局検証された結果どこの研究機関からも支持されなかったわけで、その道のプロである研究者に支持され広く認められなければなければただの珍説に過ぎない。そうだろうなと思ってた。
0949人間七七四年
2019/09/19(木) 18:29:04.78ID:o47naIgG神社から何から全部燃やしてやった」
0951人間七七四年
2019/09/19(木) 18:30:39.59ID:HiqQl+WB頼りないっていうか家康がビッグすぎたので秀忠がスモールにみえるだけなんだがな
まあちゃんとレールしかれた後とはいえ秀忠は武家をまとめきって家光に完全体として幕府をつなげたのだから無能ではないよ
甘い仕置きをして日本が荒れるようでは秀吉の不完全統治の再来になるのだから徹頭徹尾やった徳川家のやりかたのが正解
0952人間七七四年
2019/09/19(木) 18:33:05.85ID:o47naIgG逆に毛利と薩摩は何が何でも因縁を吹っ掛けてかならず家を取り潰すべきだった。
やることがチグハグだ。
0953人間七七四年
2019/09/19(木) 18:34:39.25ID:HiqQl+WB大阪の陣にいたってはそうだろ
殺さないともう終わらない
それを許せばまた別の火種がさわぎをおこす
それくらい秀頼はやらかした、自滅とかわらん
0954人間七七四年
2019/09/19(木) 18:36:04.27ID:a/sh7iqz0955人間七七四年
2019/09/19(木) 18:37:22.92ID:bTycuEkd悪魔の証明させる気?
それやらせるつもりなら、俺も聞くよ
豊臣氏が滅んだのは不当だと主張してる研究者の名前全部挙げてよ、わかるから聞いたんだよね
ついでに、我々の主張は豊臣家が当時として明らかに不当な行為を繰り返した結果、幕府としては公正に処罰する意味で滅ぼす形になったなので、まるで言い分を理解できてないね
0956人間七七四年
2019/09/19(木) 18:39:20.49ID:o47naIgGという言い分は無理がありすぎだろ。
0957人間七七四年
2019/09/19(木) 18:44:45.78ID:bTycuEkd狂犬病にかかった犬を殺す時に、最後まで手術なり投薬で治せないか模索した上でどうしようもなく殺さざるを得なくなったのを、殺したかったって主張してるレベルだけど
0958人間七七四年
2019/09/19(木) 18:45:17.57ID:a/sh7iqzそれが目的ならはなから豊臣家を時代の生けにえとして利用しようとしていたわけで殺そうとしていたで間違いないね。また秀忠は家康に比べて求心力がないので豊臣と白黒はっきりつけさせ天下に徳川家の力を見せつけて逆らう者をなくす狙いもあった。
徳川幕府としては豊臣の対応が不味かったというより豊臣家の存在を消し去りたかった。豊臣と徳川の2つの公儀が並び立つという状態を無くしたかったんだと思う。
0960人間七七四年
2019/09/19(木) 18:51:58.24ID:o47naIgG「彼女が泣き叫ぶから抱いて慰めるしかなかった」とか
「扇情的な格好をしてきたから抱くしかなかった」としきりと裁判で主張してるけど
それとどこが違うの?
0961人間七七四年
2019/09/19(木) 18:54:21.90ID:a/sh7iqz大御所なら鶴の一声で、国松ぐらい
は救うことができたはずだから。
助命の前例はあるんだから担ぎ上
げられる可能性があるとはいえ、
たかが7歳やそこらの子供を必ずし
も殺す必要ははない。仏門に帰依
させれば良かった。それはできた
はず。やらないという事は助命す
るつもりはなかったということに
なる。だいたい責任者を殺さなけ
ればならないというなら、嫁いで
豊臣の人間になった千姫を何故殺
さなかった。ご都合主義で戦国の
しきたりを持ち出すのはいかがな
ものか。
0962人間七七四年
2019/09/19(木) 18:57:07.50ID:bTycuEkd0965人間七七四年
2019/09/19(木) 19:01:37.28ID:bTycuEkd罪人は、公儀として公正に裁かなければならない、ゆえに裁く前に散々それこそ大御所の力で手を回して裁かれる状況にならないよう回避を手伝う旨を伝え続けてたのにそれ全部蹴っ飛ばしたのが豊臣
0967人間七七四年
2019/09/19(木) 19:03:34.97ID:bTycuEkd本来和睦案として総堀の埋め立てを言い出したのは豊臣家で、それを履行されなきゃいけなかったのにまるで履行されないから結果幕府がやる事になった
まさしく豊臣家が和睦条件を守れてない物の一つだね
0969人間七七四年
2019/09/19(木) 19:04:46.79ID:bTycuEkd簡単な話だよ、何も見てないし調べてないからそう見えないだけ
だからずっと他の人たちからも調べなさい、って言われてるの
0970人間七七四年
2019/09/19(木) 19:05:22.03ID:ScES17eaID:a/sh7iqz
ID:bTycuEkd
この>>955質問にはいつになったら答えてくれるんだ?
0971人間七七四年
2019/09/19(木) 19:07:24.71ID:bTycuEkd豊臣秀頼及び淀は組織の長、やらかした失態を償わないといけない立場
0972人間七七四年
2019/09/19(木) 19:07:34.15ID:a/sh7iqzごまかすな。その件については徳川が約束以上の埋め立てをやってる。それは事実だろ。どっかの誰かが浪人たちを納得させるため、豊臣上層部が嘘をついたとか変なこといってたけど。
0974人間七七四年
2019/09/19(木) 19:08:24.46ID:o47naIgG裁判長がそんなの受け入れると思う?「家康は最上位の上級国民だから受け入れるよ」と言われてしまえば
それまでなんだがw
0976人間七七四年
2019/09/19(木) 19:10:04.55ID:bTycuEkdいいや?そのどっかの誰かっての誰かわからんけどその人の言うとおりだよ
笠谷氏の指摘で先に挙げた丸島氏他研究家もそれに同意見だよ
誤魔化してると思うのならそれこそ調べなさいよ
0977人間七七四年
2019/09/19(木) 19:10:48.78ID:a/sh7iqzあとね、国松にどんな責任がついて言ってる。千姫は豊臣のやり方に従ってるから自害するなり離縁するなりしなかったのだろう。
0979人間七七四年
2019/09/19(木) 19:12:20.58ID:bTycuEkd秀頼嫡男のことを言ってるの?
それなら上で指摘してる人がいた通り組織の長の息子だから、だね
思う、ではなく何度も言うけど当時の常識、慣習を理解しなさいよ
0980人間七七四年
2019/09/19(木) 19:12:53.25ID:a/sh7iqz0982人間七七四年
2019/09/19(木) 19:15:33.51ID:a/sh7iqzそんなこというなら
家康は西軍総大将毛利輝元その人を助命してるんだがな。あれで示しつくのか。総責任者だろうが。
0983人間七七四年
2019/09/19(木) 19:15:58.64ID:a/sh7iqz0984人間七七四年
2019/09/19(木) 19:16:38.35ID:bTycuEkd裁かれないよう回避の為に手を尽くしたけど、一度裁く事が決定したからには公正にやらないといけないというだけ
まさしく言ってるだけな君が何を言ってるの?
せっかく2人の名前まで挙げさせて、なんで自分の目で確認をしないの?
0985人間七七四年
2019/09/19(木) 19:17:27.48ID:o47naIgG0986人間七七四年
2019/09/19(木) 19:18:13.19ID:bTycuEkdもしかして一度も研究書を読んだことがないの?
0987人間七七四年
2019/09/19(木) 19:18:29.11ID:aDPwSadMあんたの妄想や世間一般とかいうあやふやな代物よりは信用してるよ
そもそも大多数が支持してるから正しいってかなり危険な理論だよ
歴史ってのは学問であって多数決じゃないんだから
多数の人間が支持していれば正しいなんてのがまかり通るなら
中国政府の公式見解が一番正しい歴史になってしまう、そんな馬鹿な話はない
0988人間七七四年
2019/09/19(木) 19:20:01.65ID:o47naIgG根拠もないのにセンセーションに訴える逆張り親父たちだったと思うが。
武田家の研究をしてる人だよね?
0989人間七七四年
2019/09/19(木) 19:21:12.36ID:dqJu6zsP0991人間七七四年
2019/09/19(木) 19:22:16.50ID:o47naIgG他人の説に乗っかりおじさんだったはず。
0992人間七七四年
2019/09/19(木) 19:23:00.00ID:dqJu6zsPその根拠が薄い場合があるにせよ挙げないで主張なんて恥知らずなことはしていない
0993人間七七四年
2019/09/19(木) 19:23:59.34ID:a/sh7iqzともすればstap細胞みたいなパチもんもあって新しければそれが正しいなんて危険極まりない。
0995人間七七四年
2019/09/19(木) 19:24:42.20ID:o47naIgGセンセーショナルな逆張り屋さんという意味では違いは無い。
0996人間七七四年
2019/09/19(木) 19:25:11.82ID:a/sh7iqz0997人間七七四年
2019/09/19(木) 19:25:15.21ID:dqJu6zsPいま、彼は一切根拠を示さず文句として笠谷、丸島両氏を侮辱したよね
それに対して調べもせずにそんなことだろうと思ったと乗っかったよね
そうじゃなく確認しなさい、調べなさいと言われてるのはその点
0998人間七七四年
2019/09/19(木) 19:25:38.48ID:a/sh7iqz0999人間七七四年
2019/09/19(木) 19:25:58.03ID:o47naIgG実に荒唐無稽なことばかり言う人たちだった
1000人間七七四年
2019/09/19(木) 19:26:49.68ID:a/sh7iqz相当無理がある。
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