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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/06/23(金) 20:16:46.14ID:yPoQZsoe
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1469158293/
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/
0002人間七七四年2017/06/23(金) 20:17:11.44ID:yPoQZsoe
明石全登
幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。

毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。

大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。

後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。

木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。
0003人間七七四年2017/06/23(金) 20:22:48.60ID:53ixmBS+
本多正信
菅 貫太郎
━━━━━
ナレーター
寺 田 農
0004人間七七四年2017/06/24(土) 08:54:26.18ID:d5y1rfrJ
豊臣信者の主張
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
0005人間七七四年2017/06/24(土) 11:32:04.38ID:/bM1ss07
三成が豊臣に謀反を起こして破壊したということが明白になったな
0006人間七七四年2017/06/24(土) 11:39:11.89ID:ubXSnwj2
前スレ1000へ
関ヶ原が起きちゃったからね、しょうがないね。
あれは西軍が家康に喧嘩売った形だし。
しかも東軍が倒せるレベルの反乱でしかなかったからね。
恨むんなら奉行衆と総大将引き受けた輝元だね。
家康を恨むのは筋違い。
0007人間七七四年2017/06/24(土) 13:54:20.70ID:uRsO9JwE
三成がなんとかしたいなら武力蜂起ではなくて主君秀頼への嘆願だわな
家康を台頭させてはお家の危機、ぜひ御一考をと。
まあ秀頼は傀儡すぎて役にたたんかも知れんが。
0008人間七七四年2017/06/24(土) 14:14:57.93ID:GUwA6PBi
幼年の秀頼がそんな話理解できるわけねえだろうが
0009人間七七四年2017/06/24(土) 14:29:01.85ID:l3MQIsQ9
年齢考えれば三成や秀頼の方が若いのに家康が死ぬのを待てなかった時点でなあ……
正直三成がいくら豊臣御為を口にしたってあのタイミングじゃ
「単に自分が政権復帰したいだけだろ」って思われてしまうわな。
0010人間七七四年2017/06/24(土) 19:11:18.27ID:uRsO9JwE
>>8
家光は生まれながらの将軍宣言を幼少のときにしてる
要はまわりの教育次第
0011人間七七四年2017/06/24(土) 19:47:11.83ID:iId+K2yq
家光なんて家臣に全部まかせて何もしていないと言われているのに。
0012人間七七四年2017/06/24(土) 20:30:49.75ID:qZZpHfNe
>>11
別にそれでいいじゃん。それで徳川政権が無事回ったんだし。
いらん事して御家が滅亡するより余程マシだ。
0013人間七七四年2017/06/24(土) 20:48:44.33ID:uRsO9JwE
>>11
それでなんとかしてしまうのが実力
なんにもできない秀頼の無能とはここがちがう
0014人間七七四年2017/06/24(土) 21:13:18.13ID:/niKo9mC
家光はいろいろやってるな
0015人間七七四年2017/06/24(土) 22:14:07.82ID:d5y1rfrJ
昔、と言っても司馬、山岡全盛の頃くらいだが
秀忠凡君、家光名君って感じだったと思うけど
二人の評価が逆転したのっていつくらいだろう
大河の葵三代の頃かな
0016人間七七四年2017/06/24(土) 22:34:17.34ID:r7h5IFzK
秀頼の不幸は、朝廷の重臣菊亭晴季、隣国の池田輝政、浅野幸長に
徹底的に嫌われていたこと。いずれも秀次事件で厳罰を食らい、
池田を除く2人は秀吉が死ぬまで遠流となったし、浅野を除く2人は肉親を
連座で処刑され、高札で罪状を晒された。

だから、徹底的に秀頼を憎んでいた。池田は重病にもかかわらず、
大阪攻めの総大将を望んで任ぜられ、死ぬまで手放そうとしなかった。
どれだけ大阪城を潰したかったかが判る。また、菊亭は左大臣として
朝廷を牛耳り、朝廷と豊臣家と距離を置かせた。
0017人間七七四年2017/06/24(土) 22:39:33.27ID:GUwA6PBi
関ヶ原合戦後、大阪のすぐそば、南紀に浅野を、播州に池田を配した。
0018人間七七四年2017/06/24(土) 22:40:46.68ID:cvoDYsWS
>>16
菊亭は右大臣。
秀吉の死後、家康の計らいで復帰。
0019人間七七四年2017/06/24(土) 23:16:59.07ID:r7h5IFzK
>>17
家康がやったとしたら嫌がらせ目的だろうね。
豊臣政権が西と結んで何かをしようとしても、間違いなく池田が妨害してくれる。
それを見込んでやった。
0020人間七七四年2017/06/24(土) 23:25:22.10ID:Y7cTVxCl
まあ、徳川政権に対して臣下の礼をとってないからね。
どういう決着をつけるにせよ、一定レベルの警戒は当然。
むしろ警戒しない方がおかしい。
0021人間七七四年2017/06/25(日) 21:08:59.86ID:Syfe2MY7
>>4
連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させたと
日本が海外に雄飛する機会を奪い
江戸時代という閉鎖的な暗黒時代を創ったが抜けてるな
まあ4の主張も含めて突っ込みどころ満載の内容だが
0022人間七七四年2017/06/25(日) 21:12:54.29ID:Syfe2MY7
書き込んだ後思い出した。皇室や公家を蔑ろにしたと言うのもあったな
0023人間七七四年2017/06/25(日) 21:23:36.29ID:l6iU7Mot
別の時空からのレスのようです
0024人間七七四年2017/06/25(日) 23:21:45.52ID:HhtSNfSK
連勝してるとか妄想がすぎる
0025人間七七四年2017/06/26(月) 04:44:40.73ID:7FqPRylb
勝ってはいたでしょ
ただそれが費用に見合った勝利かというとまぁ…
0026人間七七四年2017/06/26(月) 05:14:41.70ID:+f7hEryk
>>25
途中経過では勝ったと言わない
0027人間七七四年2017/06/26(月) 16:15:00.83ID:7FqPRylb
>>26
>>21の連戦連勝には殆ど間違いはないと言いたかっただけだが?
0028人間七七四年2017/06/26(月) 20:59:55.12ID:pgtsNenr
>>25
まあ勝ってたとしても、結果を見る限り
ピュロスの勝利って奴でしかないと思うわ。
0029人間七七四年2017/06/26(月) 21:14:51.57ID:iuwPtOdJ
最終的に、ってのが大事だよな
0030人間七七四年2017/06/30(金) 21:35:49.42ID:mcAmhH2k
>>4加筆版
豊臣信者の主張
連戦連勝してたのに朝鮮から兵を撤退させ、日本が海外に雄飛する機会を奪った
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
それでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
且元と大蔵卿局とで全く別の対応をすることにより、疑心を煽った
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
禁中公家諸法度で朝廷や公家を統制し、政治的に蔑ろにした
江戸時代という閉鎖的で発展性の無い暗黒時代を創った
0031人間七七四年2017/07/01(土) 02:58:22.84ID:37thDGEl
読んでないけど、よくもまぁこんな阿呆な長文書き込めたもんだな
他にする事はないのですか
0032人間七七四年2017/07/01(土) 21:12:54.34ID:pM7W/zIW
読みもしないのに阿呆な内容ってよく分かるね
、戦国坂には長文レス何と珍しくないのに
やっぱり豊臣信者ってすぐ分かる嘘ツキの馬鹿しかいないのかな
0033人間七七四年2017/07/01(土) 21:19:49.86ID:FxMn96Hj
>>31
内容に批判があるなら、レッテル貼りでは無く
きちんと反論すれば良いんじゃ無いかな
>>32
句読点、改行くらいちゃんとやれ
0034人間七七四年2017/07/05(水) 23:19:16.32ID:S7xl+wXP
まあ何にせよ、秀頼を筆頭に豊臣、及びそれに味方した面々が無能だった事実は変わらないし
0035人間七七四年2017/07/09(日) 08:42:06.79ID:DYYFCykP
豊臣も立ち上がるなら、もっと早い時期にすればいいのに
0036人間七七四年2017/07/09(日) 10:53:23.23ID:IMg5PVdp
>>35
家康が死ぬのを待ってたんじゃね
ところがどっこい、なかなか家康は健康でwww

やがて徳川の体制が盤石になり、喧嘩を徳川の方からふっかけられてしまったw
0037人間七七四年2017/07/09(日) 18:40:40.51ID:JP2krSZy
七手組青木、伊藤以外の五人は落城と共に討ち死にもしくは自害
速水なんて秀頼介錯した説まであるのに影薄いな
司馬の小説だと全員徳川と内通しているかの如くの扱いだったし
0038人間七七四年2017/07/11(火) 21:07:58.07ID:IAzgwql7
秀忠の軍事的才能の欠如を理由に家康が死ねば
諸大名は徳川を見限るって主張する豊臣好きをみるが
秀頼は元服しても母親離れが出来ない乳飲み子程度の評価しか
諸大名の間では無いのに、どうしてその事信じられるんだろう
0039人間七七四年2017/07/11(火) 21:40:01.01ID:jRFyE56O
家康が死んだとたんに離反する連中ばかりでもないのにね
まあ確かに伊達とか怪しいもんだが。
0040人間七七四年2017/07/13(木) 17:24:53.50ID:YPOlWqUs
>>36
喧嘩をふっかけたってなに言ってんだ?
戦国時代の呪術というのは現代で言う科学に相当するんだぞ?

現代に置き換えるなら、

学識者で政府閣僚の林羅山が科学的捜査で物的証拠をあげて
豊臣は化学テロを行ったと強硬に主張し、首相の家康が五大学の学長に聞いたら容疑を大筋で認め
実行犯の文英清韓容疑者が、意図的にやりました。祝意ですと意味不明の供述をしている状態だ。
秀頼に政府への出頭を求めるのは当然だし、本人がだめなら母親を送れ、それがだめなら犯罪組織の疑いのある大阪から国替えすることと
命令するのは政府からしたら当然の処置だよ

豊臣には政府に対するテロの疑いがかかっているわけだから
0041人間七七四年2017/07/13(木) 17:45:33.66ID:LpXRSdzU
あれって豊臣のやらかしには違いないけど、呪いではなく上下関係に関わってくる儀礼の問題だと思う
(諱を勝手に使っていいのは主君だけ)
0042人間七七四年2017/07/13(木) 21:18:00.53ID:0eFjm6RG
>>40
ワロタwwwwwwwwwwwwww

でも、最近の大阪の陣の本では、本当に>>40に近いことを書いているからな。
大阪の「国家安康」がいかに問題のある鐘銘かを説明している。
0043人間七七四年2017/07/13(木) 21:36:35.73ID:9TT8eXc2
戦国時代では諱で書くことがむしろを敬意を表していると主張している奴もいたな
一時期そういう傾向があったときもあるらしいけど、豊臣政権後期の書状とか見ると
宛名官途名で書かれているし、実際関ヶ原の時三成が真田に送った書状でも
宛名昌幸や信繁じゃ無く安房守、左衛門佐になってるし、やっぱり諱を書くのは
不敬って事になったんだろうね
0044人間七七四年2017/07/13(木) 21:39:45.41ID:YPOlWqUs
>>42
>大阪の陣の本では

そうなのか?
個人的な意見で自分と同じ事を言っている人は見たことないのだが
何か本を読んで受け売りしたわけでもないし、学者でも同じ感想の人がいるのか
0045人間七七四年2017/07/13(木) 21:50:13.15ID:MaMLj6Pi
現代に置き換えるなら連帯保証人に勝手に親戚のおじさんの名前を使った位のやらかしだと思う
0046人間七七四年2017/07/13(木) 22:15:32.19ID:iaHVnxwu
政宗なんかは庶民からも政宗とか書かれていたんだっけか
0047人間七七四年2017/07/13(木) 22:52:32.58ID:VZKe6oET
諱の名指し合いは俺たちマブダチだよと最高級の信愛を表す場合があり書札礼の最上位となることもあるが
実際に用いた秀吉クラスならともかく清韓が勝手にやっていいもんじゃない
政宗は「うふ、政宗って呼んで(はーと)。」って本人が言っまわってるから仕方ない
0048人間七七四年2017/07/13(木) 23:13:54.24ID:V2ZxRbcT
>>46
ある程度以上のビッグネームは敵味方関係なく諱呼びが多い。
家康とか景勝も書状によく残ってる。
0049人間七七四年2017/07/13(木) 23:49:45.16ID:YPOlWqUs
五山の意見と、テロ実行犯の清韓容疑者の供述

東福寺
名前の二字の間に安の字を入れたことは、何よりも悪いことと考える。
国家安康の言葉については、日本・中国共に天子の諱を避ける事は古くからのしきたりである。
日本の庶民の諱についてはこのしきたりが無いことがあると言えども、
天子・執政・将軍の諱は避けるべきで、見逃してそのままにはできない。

天龍寺
家康の名前を考えなく書くこと、特に銘文の言葉が諱に触れることは、承知できることではない。
ただし遠慮して避けるのが道理かは、自分は忘れた。

南禅寺
銘文中に大臣(家康)の名前の二字を分けて書いたことは、過去・現在に例は無い。
その上同じ官位であっても、天子に次ぐ大臣と同じ位置に並ぶことはあってはならない
何よりも大臣の諱の二字を、四言詩に分けて書くことは前代未聞である。
仮に二字を続けたとしても、文章の詞の内に記載することは、全く無い。

相国寺
銘文中に家康の諱を書いたことは、好ましいことではないと考える。
ただし武家のしきたりは知らないが、五山においてはある人物について書く時に、その人の諱を除いて書くしきたりは無い。

建仁寺
銘文の国家安康で前征夷大将軍の諱を侵したことは、好ましいことではない。

文英清韓容疑者
国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也
0050人間七七四年2017/07/14(金) 16:17:45.54ID:4s4ZgKDl
縦読みで「家康死ね!」って書いてあるも同然
0051人間七七四年2017/07/14(金) 18:41:32.40ID:FwTLQldu
呪詛は否定されてるやん?
0052人間七七四年2017/07/14(金) 18:42:12.17ID:CmF4DN15
秀頼も分割して入れておけばよかったのに
眉目秀麗 放蕩無頼
0053人間七七四年2017/07/14(金) 18:50:35.53ID:/p+xswkD
「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、
自由に身体を動かすこと能わず」
セバスチャン・ヴィスカイノ

イスパニア(スペイン)使節として秀頼に面会したときの感想
0054人間七七四年2017/07/14(金) 19:48:54.89ID:dybiE4E0
秀頼がクソすぎて豊臣滅亡した
0055人間七七四年2017/07/14(金) 20:16:37.99ID:/p+xswkD
親が親ならってやつだよ。

返しきれない恩のある主君が秀吉に呼ばれて備中に途中で死んだのに、死後1年で信長の妻や子など家族を殺しまくり主家を横領し、
近衛家を騙して関白になり、武家関白制にして関白を世襲にしたと思ったら、その関白を殺し
北条家を倒して天皇家の権威のもと諸大名が天皇に忠誠を誓い、日本が平和になったと思ったら外征をはじめて2度も苦戦させた
そして秀吉が九州にいたときに、畿内にいた淀が妊娠して出来た子供が秀頼だ
秀頼もやけ食いしたくなるだろう
0056人間七七四年2017/07/14(金) 20:39:07.67ID:dybiE4E0
秀吉が支配を急いだのはな、年齢的にしかたない
うまく豊臣の世にするのはものすごく難しい話だったろう
でもまあそれは年齢的に仕方ない

秀頼はただのクソ
なんにもやれない、なんにも活かせない
ほんとに秀吉の遺産をまるで活かせないクソでしかなかった
家康じゃなくても秀頼ではあっという間にさらわれていくしかない天下でしかなかったわな
0057人間七七四年2017/07/14(金) 20:51:23.92ID:hd6jhmgI
家康は秀頼を助命する機会を度々与えているが
秀忠とか徳川家臣団は秀頼の徳川への無礼に怒り満々だしな
0058人間七七四年2017/07/14(金) 20:52:57.93ID:dybiE4E0
>>57
そりゃまあ序列ってもんがあるからな
結局秀頼豊臣ってもんが家康家臣からしたら大したブランドじゃなかったって糊塗だよな
0059人間七七四年2017/07/14(金) 22:35:51.09ID:KbRS4qLE
>>58
秀吉は、信長に仕える前に浜松の松下家の小物をしてたが、徳川家にはその頃の秀吉を知っていてバカにしてたのが多かったそうだ。
0060人間七七四年2017/07/16(日) 12:19:25.48ID:0/rbj99Q
秀吉は信長がいなけりゃ大名になれるわけない人間だからな
その信長を備中高松に呼び寄せて死ぬきっかけを作り
死後10ヶ月で妻や子や孫娘や妹を殺して織田家をことごとく横領して
関白職をだましとって世襲にしたと思ったらその関白を殺しているのだから
豊臣には大義というものがない。
結局豊臣は滅びる運命だったんだよ
大坂城は主君の家族を殺し、主家横領中だった1583年に建てられはじめた簒奪の城で
秀頼は帝から任命された公儀に逆らった謀叛人だ

徳川から見れば、むかし小者でちょろちょろしていた人間が悪行に悪行を重ねて
よくもまぁ関白なんぞになれたものだという感じだろう。関東に左遷されて、湿地帯で葦の生い茂る江戸に住めとか指定して
嫌がらせされているしな
0061人間七七四年2017/07/16(日) 14:37:11.21ID:U4UOx/rt
>>41
豊臣家としては秀頼を主君、家康を家臣と思ってたんじゃないの?
0062人間七七四年2017/07/16(日) 15:19:41.76ID:0/rbj99Q
会社は株主のものなのに
社長が自分のものだと勘違いするのはよくあること。
与えられた権限や会社の財産を自分のものと勘違いするのを横領という。

秀吉も中国方面軍司令官を任されて、中国地方は俺のものと勘違いした
もし信長が生きていたら、中国地方攻略ご苦労であった、褒美をつかわすと1国与えるくらいだろう
だけど秀吉は信長の死をいいことに全部自分のものにして、主家の織田家すら横領した。

そして豊臣公儀は、天皇を主君としておしたて、諸大名を天皇に服属させることで、代理の関白である豊臣が采配をふるう体制だったが
これも自分の力だと勘違いして関白を殺すという暴挙にでて、契約書を書かせることで正当化しようとした。

そして主君の帝が関白と征夷大将軍を任命してもまだ自分に命令権があると勘違いしていた。
日本の君主は天皇であり、豊臣公儀は諸大名を天皇に服属させることで大義名分をえて、第一の臣下として差配していただけなのにな
秀吉が自ら宣言していたことだ。秀頼らはそれが分かっていない
0063人間七七四年2017/07/16(日) 15:36:15.90ID:0/rbj99Q
1600年に朝臣最高位の徳川家康が差配するのは武家関白制において当然の道理だし
1601年に関白が任命され
1603年に征夷大将軍が任命されて大政奉還まで続く大権が委ねられて幕府が開かれた以上、
豊臣が何をいおうと、従わないなら謀叛人になる。

そして呪術が科学と同等の価値をもつ社会で、政府に対して呪いというテロを仕掛け
政府閣僚で学識者の林羅山が豊臣がテロをしたことを強く主張し、
五山が容疑を大筋で認めていて犯罪性を非難し、実行犯の清韓容疑者が意図的にやりましたと供述している以上
政府が本人が出頭するか、本人が来られないなら母親をよこすか、犯罪組織大阪から出るように求めるのは当然だし
従わず反乱をおこせば、軍を派遣して鎮圧し、国家反逆罪の首謀者は死刑にするのは当然になる。

まぁ、秀頼は国家反逆罪のテロリストってことだわな。死んで当然
0064人間七七四年2017/07/16(日) 15:39:38.30ID:f0SvHTkV
株式会社に例えるのはおかしいだろ
0065人間七七四年2017/07/16(日) 16:33:40.22ID:0/rbj99Q
いやおかしくない。

織田株式会社
株主織田
社長信長
副社長信忠
専務信雄
常務兼四国事業部信孝
取締役兼北陸事業部柴田
関東事業部滝川一益
四国事業部丹羽長秀
中国事業部羽柴秀吉

この構図を社長と副社長の死をいいことに、社長の一族をころしまくって、幹部を排除し

織田株式会社
株主織田
社長三法師
副社長秀吉

この構図で織田の財産を横領していった秀吉は

天皇株式会社
株主天皇
社長秀吉

この形にすることで、三法師の上位にたち、織田家の財産を横領したことを正当化して
全国の諸大名を天皇株式会社にM&Aしていくことで、社長の自分に従わせていったわけだからな。

秀吉の死後、

株主の天皇は関白を九条、征夷大将軍を家康にしたわけで
0066人間七七四年2017/07/16(日) 17:00:09.06ID:9xZfIm2K
>>62
株主は意見する権利があるだけで所有者とは言わないよ
もちろん過半数を所持してたらほぼオーナーではあるけど。
ただそれはもともとの経営者が自社株としてほぼ持ってるわけだからなかなか有り得ないけど。
もちろん戦国日本のオーナーは天皇陛下だよ
0067人間七七四年2017/07/17(月) 18:20:29.35ID:kkeJTL6X
鐘銘の件は豊臣側の故意だろうね
頼将(頼宣)や頼房に秀頼の諱を犯された事への意趣返しかも
0068人間七七四年2017/07/17(月) 18:57:39.67ID:AS4efva3
その2人の「頼」は源頼朝の頼だと思う。
俺の諱が〜とか勘違いしたのか? 秀頼みたいなデブの名前を誰が欲しがるのかね
0069人間七七四年2017/07/18(火) 08:09:13.93ID:bBZSZcgg
>>68
そりゃ源氏の頼の字なんだろうが
片諱で無い限り貴人の諱を避ける慣例から
豊臣側からしたら秀頼に対して遠慮が無いと思ったんじゃね?
0070人間七七四年2017/07/18(火) 08:16:51.39ID:bBZSZcgg
間違えた
片諱で無い限り→偏諱で無い限り
0071人間七七四年2017/07/18(火) 08:44:53.79ID:cVXy7taI
>>70
その件で豊臣家が抗議したっていう文書とかはあるの?
0072人間七七四年2017/07/18(火) 09:17:28.82ID:OuLu5kyu
>>69
そんな慣習はないぞ。
そして諱で侮辱するなら相手の上の字を自分の下につける。
0073人間七七四年2017/07/18(火) 12:34:43.34ID:EVA5BnC6
名前についちゃ勝手に使えないだろ
一字もらうのに貢いだり懇願したりと苦労して頂くもんだ
0074人間七七四年2017/07/18(火) 12:52:35.56ID:byhI+OnH
でも頼朝は故人だしこれといった子孫もいないし許可のもらいようがないよね
0075人間七七四年2017/07/18(火) 13:59:47.98ID:EVA5BnC6
>>74
まあ確かに
それにいまさら源将軍家にあやかるのも微妙でもあるよなあ
0076人間七七四年2017/07/18(火) 21:26:19.88ID:lSWWwmN0
>>67
だろうねも何も、書いた清韓が意図して諱を入れましたって言っているのに
今更何を
ただ家康自体は不快に思っていても、堪忍したみたいだけど
秀忠や徳川家の家臣達は頭にきてたみたいなんだよな
0077人間七七四年2017/07/18(火) 21:37:43.70ID:Hi5j/0tq
徳川義直の義
徳川頼宣の頼
徳川頼房の頼

清和源氏の諱は義と頼
源が頼で
足利が義
0078人間七七四年2017/07/18(火) 21:55:44.62ID:rWuTcK5R
菅沼の荒らし方はワンパターンすぎるよ
0079人間七七四年2017/07/19(水) 21:15:38.79ID:3BuHabdN
>>77
源も頼は頼朝以降でしかも頼家と摂関将軍くらいで
基本はやっぱり義じゃないか
家康の家は義家の家からきてるって言われてるくらいだし
あと源だと義朝や為朝、頼朝、実朝など朝の字も結構使われてるけど
家康は朝の字は使おうとは思わなかったのかな
0080人間七七四年2017/07/19(水) 22:09:08.72ID:QbL8CBzm
義直の義は八幡太郎義家の義
頼宣、頼房の頼は太政大臣家の平家を滅ぼして幕府を開いた源頼朝の頼で

義直は義を直すとも読める。関白を殺したりする豊臣に奪われた大義を直す。
征夷大将軍としての決意表明に思える。そして

頼宣は、頼朝の頼に、宣で、宣にはすみずみまで広めるとか、帝の命令みことのりという意味があって、
幕府を開いた頼朝の意志を広めるという意味

頼房は頼朝の頼に、房は沢山群がってながく付いたもの、
さまざまな大名を、頼朝の、征夷大将軍の意志で束ねるという意味があるのではあるまいか
0081人間七七四年2017/07/19(水) 22:58:15.94ID:PTyFtPRC
征夷大将軍じゃない人間が名前で決意を表明するの?
てか義直って名乗ったの秀頼を殺したあとじゃなかったっけ?
0082人間七七四年2017/07/20(木) 04:02:17.50ID:IXBsupo8
>>79
頼信、頼光、頼義がいるように、源氏の頼は義以上に古い通字だよ
0083人間七七四年2017/07/20(木) 21:29:10.32ID:XCQny41a
あえて頼の字を使ったのは豊臣家(秀頼)への挑発の目的もあるだろう
0084人間七七四年2017/07/20(木) 22:00:24.53ID:UxLbfTjH
秀の字なら兎も角、秀頼の下の字を自分の息子の諱の上の字に使うというのは
むしろ遜っている感じだし、逆に家康としては友好の証のつもりだったんじゃ無いか
頼宣が元服したのは秀忠上洛時、会見を豊臣方が拒否した一年後のことだし
秀忠や彦右に代表される家臣連中はどう思ったか知らないが
0085人間七七四年2017/07/20(木) 22:36:32.33ID:eEsKW/+g
むしろ秀頼の「頼」はどこからきたんだろう
0086人間七七四年2017/07/20(木) 22:37:25.80ID:zL/9cM5l
秀吉は頼を秀の下にしてるから、豊臣>頼朝と言う思惑が明確だな
頼は豊臣家伝統のものでも徳川家伝統のものでもないから
どっちが上下、挑発行為という議論は無意味では
侮辱するつもりなら諱を尻にしく命名するよ
秀吉がしたようにね
0087人間七七四年2017/07/20(木) 22:56:13.06ID:ML52vbFW
征夷大将軍の子に源頼朝の諱である頼をつけて
征夷大将軍になれる資格をもつ御三家にしたという事実の意図は明確だ牢。

家康は豊臣秀吉を平清盛に見立て、自分を源頼朝に見立てている。
頼朝は子供に頼家と名付けているので、頼は源氏の頭領の諱だ。
頼宣、頼房と源氏の頭領の諱を付けるのは征夷大将軍家として当然なのだろう
0088人間七七四年2017/07/20(木) 23:15:47.06ID:vJshN0R8
>>87
明確な答えがあるわけじゃないんだから、正否どちらにでも都合よく取れるわな
0089人間七七四年2017/07/21(金) 01:03:38.15ID:jh+Aiyc2
関ヶ原以前では頼を偏諱でもないのに使うのは無理だったろうな
徳川家としてはもう秀頼は主君では無いという意思表示だったのかもしれない
花山院家には気を使って家忠の名を取りやめたのに(結果家光になった)

>>87
御三家といえど頼房の水戸家は将軍になれない
そもそも水戸家は忠長の駿府家よりも格下だったし
幕府初期は将軍家、尾張家、紀州家が御三家だったわけで
0090人間七七四年2017/07/21(金) 16:53:41.01ID:HfMzctTw
秀頼の頼が源氏由来なのは鶴松の通称が八幡太郎だったことからも明らかだろう
0091人間七七四年2017/07/21(金) 21:33:19.78ID:UGvfQ540
通称や受領名って元服してから使うものかと思っていたんだが違うのか
鶴松の通称が八幡太郎だったって根拠の史料は何?
0092人間七七四年2017/07/22(土) 10:27:25.36ID:U20euouB
小早川秀秋・福島正則・井伊直政あたりなんかを見ると
この時代は幼名と通称の区別があいまいになってきてたように見える
0093人間七七四年2017/07/22(土) 12:11:19.71ID:QReGglxv
通称と幼名を混同してるだけやろ
0094人間七七四年2017/07/25(火) 21:22:02.39ID:jf24Rsn/
羽柴家崩壊
茶々と片桐且元の懊悩

http://www.heibonsha.co.jp/book/b288085.html


【目 次】   
第1章 関ヶ原合戦以前の茶々と且元 茶々の呼称について/秀吉の妻になるまで/秀吉の妻から秀頼の母へ/秀吉時代の片桐且元/
茶々・秀頼から且元への文書群/茶々・秀頼からの七通の文書/文書を伝えた片桐家の思惑

第2章 関ヶ原合戦後の茶々・秀頼の立場 徳川家康の政権執政への復帰/合戦後の茶々の行動/政権運営の在り方の変化/家康、領知宛行権を掌握/羽柴家譜代大名にとっての秀頼の立場/
「公儀」と羽柴家の分離/家康、官位執奏権を掌握/家康、羽柴家と距離をおく/家康、政権本拠を伏見に移す/伊達政宗の観測/家康、将軍任官を計画/家康、敵対大名を降参させる

第3章 且元を頼りにする茶々茶々の「気鬱」/茶々から且元への消息──消息@/年代の推定──消息@/茶々、且元の身上を心配する/茶々、且元に秀頼の親代わりを頼む/
対応の遅い茶々/茶々から且元への消息──消息A/年代の推定──消息A/家康への取り成しを願う/「難儀」の「申し事」/且元への信頼/再び茶々の気鬱/その後の秀頼/羽柴家の存在をどうみるか

第4章 茶々・秀頼と且元の対立 大坂の陣の引き金/且元が示した三ヶ条の衝撃 9月18日/且元成敗の意見 9月18〜19日/且元に対抗する大野治長/且元、家中に奉書を出す 9月20日/
織田常真から連絡届く 9月23日未明/且元襲撃を懸念する常真/且元、出仕を取り止める 9月23日/織田頼長、幕府との抗戦を望む/信頼と疑念に揺れる茶々と秀頼 9月23〜25日/茶々の発言力、家臣の本音   

第5章 茶々・秀頼から且元への説得 秀頼から且元への書状──文書B 9月25日/茶々から且元への消息──文書D 9月25日(日付は26日付け)/茶々から且元への起請文──文書E 9月25日(日付は26日付け)/
且元からの返事、武装する片桐・織田家臣 9月25日夜/秀頼、二度目の書状──文書C 9月25日夜/家臣の疑問再び。茶々の政治的力量/且元への警戒拡大。双方とも軍勢引かず 9月26日深夜/
秀頼の有力家臣、片桐貞隆/抗戦姿勢を見せる且元側 9月26日/茶々の怒り。軍勢退去へ 9月27日/茶々から且元への条書──文書F 9月27日/茶々と且元、それぞれの真意   

第6章 茶々・秀頼と且元の決裂 且元、城外の下屋敷に退去する 9月27日/絶大だった且元の権力/織田有楽・大野治長からの人質/織田常真の大坂退去 9月27日払暁/茶々・秀頼を見捨てる織田家一族/
有力家臣らにも見限られる羽柴家/開戦必至。秀頼、弁明を試みる 9月28日/家康激怒。幕府方の判断は「戦争になる」 9月25日〜10月1日/大坂城の武装開始 9月29日頃/高台院寧々の想いは空しく 9月29日/
且元・貞隆の大坂退去 10月1日/幕府方へ弁明する織田有楽/家康、且元に大坂城攻めを伝える 10月1〜5日/茶々と且元の訣別/茶々・秀頼そして且元の死去 慶長20年5月
0095人間七七四年2017/07/26(水) 06:49:48.79ID:vGYVxdl1
黒田基樹も色々と手を拡げてきて、渡邊大門や小和田哲男ぽくなってきたな
0096人間七七四年2017/07/26(水) 09:41:44.67ID:waKHA1St
織田豊臣やってやっと一人前とかいう業界の風潮があるらしいからな
それに文句言ってたグループなのに結局やるんかいという
0097人間七七四年2017/07/26(水) 09:58:41.05ID:74N9QTw2
黒田氏は豊臣氏ではなく羽柴家を多用する傾向があるように見えるけど
何可こだわりでもあるのかな
0098人間七七四年2017/07/26(水) 21:05:26.19ID:DAVjE6nX
名字と氏を明確に区別するためじゃない?
0099人間七七四年2017/07/26(水) 21:35:04.88ID:waKHA1St
そうなんだろうけど無意味な行為だ
0100人間七七四年2017/07/26(水) 21:50:02.31ID:DAVjE6nX
無意味かどうかを判断するのはお前じゃないんやで
0101人間七七四年2017/07/26(水) 22:59:39.19ID:waKHA1St
意味わからん
0102人間七七四年2017/07/27(木) 07:14:25.88ID:JhNbERKn
>>94
で、この本の
0103人間七七四年2017/07/27(木) 07:15:48.42ID:JhNbERKn
途中で送信してしまった
>>94
で、この本の出来はどうなの?
0104人間七七四年2017/09/02(土) 21:06:23.28ID:mJ7gK6Y0
>>103
思ってたより且元の羽柴家での権力が大きくて面白かった
0105人間七七四年2017/09/04(月) 22:15:32.30ID:+iozTLc4
秀頼の発給文書181通のうち取次が見える131通のうち100通を且元が取次を務めている
大坂城の門の番所は七カ所でそのうち五カ所を且元が管轄、残りは弟の貞隆と織田有楽が
一カ所ずつ管轄していて、こう言った点からも且元の権力の大きさが分かるって話だね
0106人間七七四年2017/09/04(月) 22:25:34.30ID:st50f2Xp
且元ただ一人ってのは結構昔から言われてたが
そこまでいくと大坂の陣は片桐に対するクーデターくらいの話かもしれんw
0107人間七七四年2017/09/05(火) 01:33:43.04ID:CqA71ojc
>>106
事の発端と大坂方の主観では本当にそのつもりじゃないかな
それが幕府への最終的な回答と受け止められるなんて、思いもしなかったかな
0108人間七七四年2017/09/05(火) 11:36:56.42ID:l4UzR+lL
>>105
大野治長や織田頼長あたりは嫉妬しててもおかしくないな
0109人間七七四年2017/09/09(土) 22:04:18.67ID:giCsT3vo
治長や頼長にしたら四十代のある意味男盛りの時期
もう六十近い男にいまだに大坂城の大部分の実権を握られているのは
面白くは無かっただろうね
0110人間七七四年2017/09/18(月) 22:24:23.78ID:P5X24paE
大野治長や織田頼長あたりは秀吉の時の豊臣全盛時代を知っているから
余計に変な夢でも思い描いていたのかな
0111人間七七四年2017/09/18(月) 23:27:44.64ID:gtKRsMo1
>>110
つか織田頼長に至っては秀頼も追い出して、織田信雄を大将にして戦うとか言ってたんだぞ。
豊臣どころか織田政権復活かよ
0112人間七七四年2017/09/18(月) 23:44:16.62ID:rKujC/4X
まあ豊臣がトップである必要もないしな
0113人間七七四年2017/09/24(日) 20:17:55.95ID:eimyIy9m
>>111
一応織田信雄は織田宗家だしなぁ
0114人間七七四年2017/09/24(日) 20:57:58.04ID:YTISZ1f7
信雄は評判悪いようにみえて頭いいしな
0115人間七七四年2017/09/25(月) 22:11:44.85ID:SVc7IQLl
>>113
織田嫡流は秀信だけど、秀吉と丹羽長秀が
秀信手放さない秀孝にに対抗して
信雄を宗家に立てたんだっけ
0116人間七七四年2017/09/28(木) 09:41:51.80ID:ERokUJT/
信雄が織田宗家になったのって
尾下、黒田、平山あたりの研究者が
言っているんだっけ
0117人間七七四年2017/09/28(木) 13:00:03.69ID:hprxhZ3H
>>116
官位もそうだけど、秀吉政権下の織田家の主な大名の中で、豊臣ではなく「平」姓を使っていたのは信雄だけ。つか当時全ての公家成大名の中で豊臣姓じゃなかったのは
信雄だけ。特例中の特例。
0118人間七七四年2017/09/28(木) 13:45:39.06ID:DzocZYUC
秀信もじゃね
0119人間七七四年2017/09/28(木) 17:08:25.71ID:OSm9IKw0
             ,z――==---- 、
          , <  -  、 `゙ヽ ,.><~~ >-、
       __ //       \   .i,.ム,-<二`>
      ,-Y/!/   |        マ ゙i ト.._K___}<
     ,!イト/    .|    i.     マ -、/ ヽ_ノ
     .{`゙ / ./ /  i    ト、    l  .ム~~ .ム
     `~l .|  |  ll    l \ 、  l   ム  トム
      .l .l  .|  lマ、__ム,...マヽ、ミl   i l   i゙.i| 、
      |.! マ !.!,..--、ヾ ´ xzt==x,.l   ト,l  .l ! `ヽ
      |.lマ マミ ,ィ==x   /.弋xリ/  .l./l ,./     \       テスコ
      ,メ'マ  iムヾヘxリ       //  //'./--- 、   ',ム
     / ',. \ l', l>、  、    ノ/,  /r' ,/      ヽ、 l .ム
    /     >マ ,.ヽ   r_,   /'i ./ .{          マ l ム
   /     ./ ヾ、 >- _  イ! |/ヾ``         リ   l
  /      /    ヽ _/{ lノ  //-,\       ./    .|
  .l     ./   /´ ̄',|K,. マ., //.)/ ../ミヽ、  ../     /
  l   !  /   /ト, r-, .マ ーマ/<゙:ノ /r-,  )::ム/       {
 .|    ', .l   l ', ,r--、r'"/ ,>- ,/:マ`ヽ_ノ::/         , '
  \  \!   .l ', | ゙__゙ ー-エェ--- ,::i__ノ::/       > '"
   `<  `゙ -' 、 | | |      |  |:::::/    , - '"
      `゙ <  ム~| | |      |  |/  .>:'":|
         l:ヽ,i ヾ~ヽ      _/__  /:::::::::::|~゙i
        ./::::::{    ヽ   /   ,イX:::::::::::::::::| .|
       /::::::ト'ヽ、   `゙マー-、,...ノ:--、::::::::::::|  |
       |:::::::ヾjjメ'ー ..、 マ,::::::::::',:::::::::::::::::::::::::|  |
       i::::::::::::::::::llー--ヽ. ll:::::::::::::',::::::::::::::::::::::l /
0120人間七七四年2017/09/28(木) 19:25:37.06ID:ERokUJT/
>>118
秀信の方は羽柴岐阜主従や羽柴美濃守の署名があるから
豊臣姓、羽柴苗字をうけているんで違うだろう
信雄が平姓、織田苗字で通したのとは扱いがやはり異なる
0121人間七七四年2017/09/28(木) 19:50:42.23ID:DzocZYUC
信包は?
0122人間七七四年2017/09/28(木) 20:03:47.27ID:DzocZYUC
羽柴岐阜侍従って池田輝政じゃね?羽柴美濃守って秀長じゃね?
秀信も名乗ってたの?
0123人間七七四年2017/09/28(木) 21:04:36.22ID:ERokUJT/
>>122
黒田の「羽柴を名乗った人々」を見ると
文禄二年に羽柴岐阜侍従と書かれた文書が見え、
慶長五年に羽美濃守秀信と署名した書状あるらしい
0124人間七七四年2017/09/28(木) 21:15:01.31ID:DzocZYUC
ありがとう
0125人間七七四年2017/10/05(木) 20:39:38.60ID:nc3XlVVU
>>111
結局豊臣家のためというより、片桐を追い出し自分が
大坂城での主導権を握りたいが為の行動が
予想以上に物事が大事になりすぎて、手に負えなくなり
結局逃げ出したり、自滅したりする羽目になっただけなんだよな
0126人間七七四年2017/10/05(木) 20:44:44.60ID:M9tZ+Eat
大坂夏の陣が終わって約400年です
0127人間七七四年2017/10/05(木) 21:02:40.73ID:/IXJAzNK
豊臣の統治力の無さ
0128人間七七四年2017/10/07(土) 20:21:58.29ID:70w1UfW/
>>125
信雄はさっさと逃げ出したけど有楽はよく冬の陣
大将引き受けたな
なにか成算でもあったのかね
0129人間七七四年2017/10/08(日) 19:55:27.76ID:bYYCUaDR
そら反片桐のあまりに大坂の陣起こした主犯の片割れだものしょうがない
0130人間七七四年2017/10/08(日) 20:32:16.59ID:GLFlS0Dm
その有楽親子も冬の陣の後、結局逃げたしなぁ
0131人間七七四年2017/10/09(月) 20:22:04.98ID:EeNHAO5g
頼長に至っては
自分を総大将にしろ、

みんな反対

じゃあ大坂城を出るだもんな
0132人間七七四年2017/10/09(月) 21:08:40.78ID:ktIwFUgu
頼長は死にたくなかったから(勝ち目がないから)わざと無理難題を言って大坂城を出たかっただけだろ
0133人間七七四年2017/10/09(月) 22:34:17.83ID:uZtTgWts
そりゃ大野やらが許さないのは明白だもんな
0134人間七七四年2017/10/10(火) 08:11:54.91ID:Xrx2FDxv
関ヶ原のように総大将を別人にしておくのは保険にもなるのにな
輝元が総大将は三成だったと態度を翻して助命を狙ったように
頼長が総大将にしてやつが勝手にやったことですと言って秀頼の助命を狙えばよかったのにね
0135人間七七四年2017/10/10(火) 08:45:31.04ID:iCBkvDOR
そんな詭弁は通じない
0136人間七七四年2017/10/13(金) 15:21:49.97ID:USPSHDJa
結果論から言えば片桐且元は大野治長のように失敗した人だった訳だけど
方広寺事件直前までは豊臣政権の一切合切を取り仕切り
徳川から守ってたんでしょう、それなりに有能だったんじゃないの
徳川としても加藤清正が怖かったから、清正が病死するまでは
なかなか豊臣に強気に出れなかったし
片桐且元と加藤清正の二人がいたから関ヶ原から大坂の陣まで15年もかかったと思ってる
0137人間七七四年2017/10/13(金) 18:19:21.34ID:lsPI6bHJ
治長を襲撃したのは治胤で間違いない?
0138人間七七四年2017/10/13(金) 22:50:07.53ID:USPSHDJa
残念ながらそれはわからない
けど、結果的に冬の陣を起こしてしまった責任も大野にもあり(無論、「大野だけじゃないが
そのうえ好戦的な牢人としては戦略的に重要だった外堀・内堀を埋める等してしまったので
豊臣側、牢人側など各方面から恨まれてしまった可能性は強い
0139人間七七四年2017/10/14(土) 13:18:13.46ID:XeJn+qRX
最近になって大野治長と真田信繁は仲良かったのではという説が出てきたね
0140人間七七四年2017/10/14(土) 15:44:08.97ID:UBmJUBJY
>>136
>>徳川としても加藤清正が怖かったから、清正が病死するまでは
>>なかなか豊臣に強気に出れなかったし
加藤清正なんてすごく従順だとおもうけど、福島正則も死んでたらこういわれてたんだろうなぁ

大坂の陣は織田有楽親子と大野治長の反片桐が行き過ぎて引き起こされた豊臣の自壊でしょ
0141人間七七四年2017/10/14(土) 15:48:40.34ID:tduuqTGd
>>139
仲良いのに真田の献策はことごとく羽田するの?
0142人間七七四年2017/10/14(土) 15:51:17.62ID:tduuqTGd
反対するの?、です

なんにしてもあの時点の大坂方って人材足りなすぎだよな
めだつ家臣が大野ファミリーしかいねえし
牢人だらけだし
話にならん
0143人間七七四年2017/10/14(土) 17:20:40.61ID:sbazirqI
>>140
福島加藤といった豊臣恩顧武将も片桐且元も秀頼に対しては
もはや豊臣の世ではないという事実を認識させようとしかしてないから
家康に対して豊臣の盾になったというより秀頼を抑えようとしていただけだよね
彼らがいなくなった途端あの始末だから
0144人間七七四年2017/10/14(土) 18:07:59.87ID:xHhOPife
そこなんだよな
秀吉に対して恩や義理のある連中ですら秀頼を御輿にして豊臣の世ふたたび、なんて思ってない現実とその行動。
徳川が力を増すなか大坂にはもうまともな人材がいない
徳川の威勢や権力、財力もさることながら豊臣の人望のなさはひどすぎる
0145人間七七四年2017/10/14(土) 20:22:51.42ID:VQMD7mSH
大老の中に清洲会議までに秀吉に仕えた連中は誰もいないからな
その後で敵対して秀吉に自分を高く買わせた連中が地位も石高も思うがままという状況だ
秀吉に対して恩や義理のある連中だって大半は豊臣政権で出世不可能なんだからやる気もない
豊臣自身に取り立てる気がないのに秀頼を御輿にして豊臣の世を再びなんてする意味がないわけ
そんなことをするのはせいぜい浪人連中くらいだろ
0146人間七七四年2017/10/15(日) 01:13:34.79ID:gZE48d2J
仮に加藤清正が生存していて大坂の陣起きたら
九州で黒田や島津と組むだろうし
蜂須賀や前田も福島も豊臣につく「加藤いるし」ってなる
というか、豊臣命で最強の武将の加藤清正いたらあんな合戦起きない
0147人間七七四年2017/10/15(日) 07:49:07.84ID:AWSnTZqD
釣り針がデカすぎる
0148人間七七四年2017/10/15(日) 08:15:40.21ID:zDDDQ0Rl
清正とか氏郷とか輝政とか過大評価武将の代表格みたいなものだろう
0149人間七七四年2017/10/15(日) 09:24:32.06ID:BFYwSxFF
>>148
一応池田輝政だけ弁護すると、関白秀次のナンバーツーとして
政務、軍事とも大きな功績を残している。だから、池田が天下を
狙えたというのは、実績からすれば必ずしも過大評価とは言い切れない。

ただ、池田輝政は秀次の死とともに事実上失脚し、秀次の仇討ちには
かなりご執心だったが、2度と第1線には出てこなかった。
0150人間七七四年2017/10/15(日) 10:04:46.16ID:qjtL7Rh3
清正の虎殺しとか豊臣家のなかだけで盛り上がってた話
部下に箔をつけるためだけに七本槍とか無理矢理つける豊臣家だもんな
0151人間七七四年2017/10/15(日) 21:35:37.03ID:BU/Otc4x
真田からして過大評価だしね。笠谷によれば第二次上田合戦も
秀忠達上層部は兵の損耗を防ぐため包囲戦を展開していたところ
一部の軍勢が軍令違反を犯し、城攻めを始め、外郭を落とし
本城へと迫っていたところ、本多正信が軍令違反を怒って
兵を撤兵させたらしい
実際真田の被害も大きく、展開は五分と言ってよく
兵の損耗を考えず本城を攻め続けていれば
落ちたのでは無いかと笠谷は見ているね
0152人間七七四年2017/10/18(水) 23:39:58.19ID:eSYaAXRh
江戸初期の大名で信之が突出してたから家族もすげぇんじゃね?っつ誇張されていったんでしょ
0153人間七七四年2017/10/19(木) 00:07:08.18ID:Ra2fnrtC
なんだそれ
0154人間七七四年2017/10/20(金) 14:50:43.09ID:adDl5wDW
徳川家康からしたら豊臣家は何が何でも倒さなければいけない相手だった
結局、関ヶ原から冬の陣開戦まで14年もかかってしまったのは
豊臣にとって最大の守護者であった加藤清正の存在が大きいと思う
福島正則と同列にしてはだめだ
>>150
七本槍や虎退治は清正ファンからしたらそれこそどうでもいい話
0155人間七七四年2017/10/20(金) 15:13:54.93ID:F2UUSB8V
>>154
> 川家康からしたら豊臣家は何が何でも倒さなければいけない相手だった

一行目から既に昨今の通説から完全に乖離しててワラタ
0156人間七七四年2017/10/20(金) 16:21:03.93ID:wiGz4UTk
> 豊臣にとって最大の守護者であった加藤清正

何の小説の話しとるんだ
0157人間七七四年2017/10/20(金) 16:34:01.61ID:F2UUSB8V
加藤清正は関ヶ原後は完全に、家康の息子の舅の立場の方を重視しているし、
例の二条城会見の後、「清正の屋敷で休息したい」と言い出した秀頼の要求を断固拒否し、屋敷の中には一歩も入れなかった「忠臣」
0158人間七七四年2017/10/20(金) 18:59:26.73ID:s0JRYWGw
>>154
まあ清正には熊本城やら名古屋城の名城普請があるわな
0159人間七七四年2017/10/20(金) 19:01:13.05ID:s0JRYWGw
あと家康がはばかったのは清正ひとりではないわな
関ヶ原の時点で豊臣に弓引くのは日本全体を敵に回す可能性もあった
なんだかんだで封建的だからな日本
0160人間七七四年2017/10/21(土) 09:52:44.37ID:Alo7vXHJ
わざとだろうけど論点ズラしてるな
清正は豊臣家を残すため自分がどう思われようとありとあらゆる事を豊臣のためにした訳で
>>157なんかは最善の努力に見える
徳川に刺激を与えず、豊臣を守るため戦争にならないように戦った

>>155
「現在の通説」ならば方広寺クレーム、片桐追放の前
1614年2月に徳川が大砲購入した件についてどうぞ
0161人間七七四年2017/10/21(土) 11:44:53.27ID:tDVc/3tj
>>160
大砲は大坂城に限らず、関ヶ原後の全国的な新規築城、
スペイン・ポルトガルが売らなかった最新兵器を、オランダ・イギリスが
売るようになったから
0162人間七七四年2017/10/21(土) 16:51:42.53ID:piPWCEv7
> 清正は豊臣家を残すため自分がどう思われようとありとあらゆる事を豊臣のためにした訳で
クッソ都合のいい妄想まみれで草
0163人間七七四年2017/10/21(土) 17:30:06.84ID:/SYNHHfT
秀頼のおともしたのは清正だけなんだよな
まあそれは忠誠としてありだが、そんなんで徳川を威圧できんわな
本気で秀頼守りたいならもっとまわりを固めろよと。
0164人間七七四年2017/10/21(土) 17:36:05.40ID:NhJ2xGNj
清正だけ?
0165人間七七四年2017/10/21(土) 19:27:10.49ID:/SYNHHfT
他の連中は秀頼につき従いはしなかった
0166人間七七四年2017/10/21(土) 19:32:50.76ID:NhJ2xGNj
浅野もだろ
0167人間七七四年2017/10/21(土) 20:07:57.38ID:KrKkyoMz
1613年に前田家が秀頼からの対徳川戦時の協力要請を拒否して幕府に報告がいってるから
事態を緊迫させているのは秀頼の方だよなあ
0168人間七七四年2017/10/21(土) 21:07:10.46ID:/SYNHHfT
実力もないのにいきがる秀頼はアホまるだしだな
0169人間七七四年2017/10/21(土) 22:13:39.41ID:0LaglIC8
>>166
幸長も婿になる義直の御供をしてただろう
弟で家を継いだ長晟にしたって秀忠の小姓になる前は
秀頼の小姓頭をやってたくらいなのに、大坂の陣では
あの戦いっぷりだし
0170人間七七四年2017/10/21(土) 22:26:54.89ID:NhJ2xGNj
清正も頼宣の御供だろ
0171人間七七四年2017/10/21(土) 22:46:20.33ID:DDCVkMSI
>>166
浅野幸長は秀頼を「護衛」した。(内実は明白な秀頼に対する嫌がらせ。
そりゃ、秀次派で秀次事件で厳罰を食らった人間が、「護衛」なんて
あり得ないからね。)

だから、護衛中は加藤清正と一触即発の状態だった。
0172人間七七四年2017/10/21(土) 22:54:35.76ID:NhJ2xGNj
はぁ
0173名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 13:22:42.89ID:tBhMQf5M
はじまりは寺作りまくれ命令、そして決定的なのは二条城会見の強制
完全に徳川から豊臣への煽り
1607年亡くなった“豊臣恩顧”結城秀康は晩年に義兄弟秀頼の今後を心配していた
徳川と豊臣はその頃から緊張状態だったという事
二条城会見と方広寺の間に豊臣が前田に接触したという事は
徳川から豊臣に対して方広寺に近いよっぽどな圧があったんだろう
前田に裏切られたのは想定外だったようだが、まつが人質に取られていたからな
0174人間七七四年2017/10/23(月) 10:11:14.75ID:sej5AJyw
釣り針が大きすぎるだろ
0175人間七七四年2017/10/23(月) 21:03:30.90ID:J3hFdKgf
徳富蘇峰の頃の知識くらいしか無いんじゃないのか
0176人間七七四年2017/10/24(火) 10:55:32.47ID:/zez5NxR
言い返せなくなると釣り針とかで逃げてんな。
いつもの事だが。
0177人間七七四年2017/10/24(火) 11:13:40.65ID:xHYw5XJL
妄想は程々にな
0178人間七七四年2017/10/24(火) 20:40:03.46ID:ZkVQV9iU
>>173
家康が豊臣家に寺社の再建を命令した史料は無い
当代記では茶々の意思によるものだとしている
秀康が秀頼を心配していたのも俗説で
関ヶ原後、秀康は家康や秀忠に羽柴姓を称するのをやめている
前田は関ヶ原前から家康に従っており、新恩として領地を
貰っており、しかも跡継ぎの利常は秀忠の娘を妻に迎えており
裏切られたなど、勝手な豊臣の思い込み
0179人間七七四年2017/10/24(火) 21:41:13.26ID:ry/NWqMB
徳富蘇峰の頃よりも最近のほうが劣化してるけどな。
新説というより珍説ばかりでどうしようもない。
0180人間七七四年2017/10/24(火) 22:47:31.14ID:7r9vHdhw
秀頼は外界から遮断されて秀吉に自分が日本の天下人だと教えられて育ち
秀吉の死後も淀から自分が日本の天下人だと引き続き植えつけられながら大人になったのだから
現実を理解できずにおかしくなってしまうのは仕方がないだろう
0181人間七七四年2017/10/25(水) 13:38:28.43ID:eb1vnMMB
>>178
利長は保身最優先だからね。関ヶ原の時も利政や秀家の助命の為に奔走したのはまつで利長は動いていない。そんな利長が豊臣の為に動くわけないよな
>>179
反論できないから、昔より今の説の方がおかしいって、さすがに阿呆過ぎるだろう
0182人間七七四年2017/10/25(水) 14:54:03.27ID:/ku+Pez3
今の新説は大半が合戦翌年に書かれた『太田和泉守記』を無視しないと成立しない
0183人間七七四年2017/10/25(水) 15:01:38.14ID:XZ1bvybZ
太田和泉守記って牛一の書いた関ヶ原に関する文献じゃないの
0184人間七七四年2017/10/25(水) 15:21:46.46ID:/ku+Pez3
スレチでした失礼
0185人間七七四年2017/10/25(水) 15:44:17.92ID:XU6RL0Xk
家康は関ヶ原前に前田征伐企画してる
慌てた前田が江戸にまつを人質に送ってる、家康は前田征伐する気はなく
前田を抑えるのが狙い、将来的に豊臣倒すため
前田からしたらまつに何かされるよりは豊臣を捨て徳川につく
秀頼からの密書もすぐ徳川に送る
大坂の陣はイヤイヤ戦った
加賀には太閤様を祀る神社があるがそれは幕府に極秘で
0186人間七七四年2017/10/25(水) 17:01:42.24ID:/ku+Pez3
大坂の陣は、当然だが豊臣方の史料が殆ど無いからなぁ
片桐の記録や豊臣が各所に蒔いた書状位しかない

奇跡的に天王寺・岡山合戦直前の作戦を記した大野治長書状
があるけど
0187人間七七四年2017/10/25(水) 17:27:00.19ID:LazB9Fnf
それ大野治房の書状じゃないの
真田・毛利とよく談合して軽々しく出撃するなって内容の
0188人間七七四年2017/10/25(水) 17:33:38.53ID:JdGcsNkk
>>185
こういうブラフといい、家康のかけひき上手は他の追随を許さないな
天下とれるわけだわ
0189人間七七四年2017/10/25(水) 17:37:18.46ID:CcjnGyV8
仮にあそこで前田が折れてなかったら上杉や三成って蜂起したかね?
0190人間七七四年2017/10/25(水) 20:51:41.03ID:d1Yna+qI
>>189
そりゃ徳川包囲網をみんなでやれるからそう焦りはしなかっただろうなあ
0191人間七七四年2017/10/26(木) 15:18:10.97ID:yC7wS/9A
豊臣家が前田と同じように茶々を江戸に送っていればどうなっていたか。
0192人間七七四年2017/10/27(金) 02:39:23.98ID:SzoC/WFB
茶々が秀忠の子を懐妊
江と大揉めからの徳川家内紛、崩壊で豊臣安泰
0193人間七七四年2017/10/27(金) 07:58:07.12ID:B//DC/1M
高台院こそ人質じゃなかったの?

片桐追放騒動、牢人招集による秀頼謀反!で、
徳川が豊臣に対して高台院に何かするぞみたいな話はなかったのか不思議。
0194人間七七四年2017/10/27(金) 10:11:27.17ID:DIIqD2Av
そもそも人質じゃないし、大坂に対しては人質としての価値もあまり無いし人質扱いしたら豊臣恩顧の反感買うだけでマイナスだろ
0195人間七七四年2017/10/27(金) 12:23:48.74ID:RVYZUzci
人質をだしてるというのは外交してるってことだからマイナスではない
0196人間七七四年2017/10/29(日) 20:39:17.86ID:fSxGvEnK
木下利房とか高台院を監視していた功で大名に復帰しているみたいだしな
影響力を幕府が全く無視していたわけではないようだ
0197人間七七四年2017/10/31(火) 14:13:04.77ID:cJqfMgj/
>>163
清正って、比較的早く見限ってる感じでも有るんだよなあ?
関ケ原でも、九州で傍観してたとも見えるし。
完全に豊臣が消されるのは困るって考えてても、秀頼を主君って考えてたのか疑問?
只、あまり徳川に媚びても評判落ちるしね?
中途半端なんだよね?
福島は馬鹿だから騙されたで説明付くけど、清正はちゃんと理解して徳川に媚びてる感じ?
0198人間七七四年2017/10/31(火) 18:31:55.29ID:dUuhWPru
まあ二条城会見の場合徳川にしても暗殺騒ぎが起きるのはよろしくないから加藤を護衛につけたりするのもおかしくないわな
0199人間七七四年2017/10/31(火) 21:25:24.25ID:bHMcsx7M
清正は高台院に近い考えだったんじゃないかな
徳川幕府下で(かつての豊臣政権内の織田家のように)
落ちぶれてもいいから豊臣家が残ればと
0200人間七七四年2017/10/31(火) 21:27:06.42ID:bHMcsx7M
連投失礼
関ヶ原で徳川方勝った時点で豊臣としてはどうしようもなかった
加藤清正だろうが高台院だろうが
0201人間七七四年2017/10/31(火) 21:51:34.20ID:cJqfMgj/
>>200
その関ケ原の勝利自体が清正の傍観が関係してる感じだしね?
幾ら小西と険悪でも、西軍に付く事が不可能だとまでは思わんからね。
まあでも、既に60近い家康が本気で豊臣を完全に滅ぼすって予想しなかったんでしょうね。
実際、関ケ原後大阪攻めの為の繋ぎ城って解釈出来る築城しまくりだし。
簡単に大阪攻めが不可能だったのも事実。
0202人間七七四年2017/10/31(火) 22:07:37.52ID:MMDH2yBi
清正って大坂の陣の時にもし生きてたら徳川方の先鋒になってそうだがなあ。
『もうどうにもならないというのであれば、せめて自分の手で終わらせる!』
とか言って、見苦しい生より名誉ある死を秀頼にさせようとするんじゃないかと。
そっちの方がよっぽど『清正』らしい感じがする。
0203人間七七四年2017/10/31(火) 22:12:00.68ID:yq99boWX
そもそも清正って豊臣と距離置いてるからな
0204人間七七四年2017/10/31(火) 22:15:43.30ID:Pv2fghGJ
いやーそこまで豊臣さま豊臣さまでもないだろ加藤
積極的に滅ぼす気まではないにしろ
0205人間七七四年2017/11/01(水) 07:16:23.84ID:k3s1Xc/k
福島正則も大坂の陣が起こるまえに死んでたらもっと清正みたいに持ち上げられてたのに(;_;)
0206人間七七四年2017/11/01(水) 14:54:39.92ID:a5H4rkRD
いや福島さんは大坂方に兵糧輸送の協力はしているし、親族が数名そっちについている
同じく超豊臣恩顧である竹中、黒田、前田、蜂須賀、加藤「嘉明」のように直接大坂城に攻め込んでもいない
お咎め無しだったのは関ヶ原の最大の功労者だったからであろう
福島隊が西軍主力の宇喜多秀家隊を壊滅させていなかったら東軍は勝ってなかった可能性もある
0207人間七七四年2017/11/01(水) 14:55:55.65ID:a5H4rkRD
>>202
大坂の陣の陣形記録見ればわかるけど
家康はあえて豊臣恩顧を最前線に配置している
0208人間七七四年2017/11/01(水) 20:24:52.70ID:XrHiY4rV
>>207
別に疑わしいのを最前線に出すのって普通だと思うけどね?
仮に関ケ原だって、後少し挙兵が遅れれば、豊臣恩顧を上杉にぶつけてたでしょ。
別に全滅したって痛く無いんだから。
近代でも、朝鮮戦争で中国共産党が同じ事してる。
寝返った旧国民党系部隊を最前線に出してるんよ。

まあ、いまさら豊臣方に寝返る根性無いだろうって事でやり放題だねwwwwwww
0209人間七七四年2017/11/02(木) 08:48:17.33ID:NAHSGHQV
>>203
他の大名みたいに蔵入地を横領せず
律儀に毎年3万石の蔵入地収入を豊臣に納入しているあたり
少なからず思うところはあったんじゃないかな?
0210まこと2017/11/02(木) 09:44:36.94ID:mUO5o81t
俺に会いたかったら立教大に来な
0211人間七七四年2017/11/02(木) 09:45:58.26ID:ADOzo4l4
>>210

( ´,_ゝ`)y―-~~.フハハハ!!
0212人間七七四年2017/11/02(木) 10:24:42.10ID:j17J6I/M
>>209
蔵入地は清正に限らず部分的に残っている。
0213人間七七四年2017/11/02(木) 14:04:19.48ID:ijEV35gf
加藤は尾張中村以来の秀吉の血縁だから他の恩顧とは全然違う
関ヶ原の石田三成・大谷吉継・真田昌幸のようにリスクを負ってまで家康に挑んだ可能性もある
0214人間七七四年2017/11/02(木) 18:29:32.07ID:fl6S0A1b
>>213
肥後半国25万石貰う前は、3000石なり5000石なりの旗本だったらしいからね。
武功うんぬんより、一門枠で領地貰ってる感じだしなあ。

でも良く、奉行衆と険悪だから西軍付けないって言う人居るけど逆でしょうに。
それが有名な分、加藤が西軍に付くと士気高揚効果が大きいと思うんだよね。
加藤が参陣するくらいだから、西軍はどんどん膨れ上がるぞ!って印象が強く成るからね。
0215人間七七四年2017/11/02(木) 19:14:03.82ID:xk69A5sO
清正ってもともと前線指揮より官僚として期待されていたんだっけ?
0216人間七七四年2017/11/02(木) 23:30:00.91ID:W38WojW/
>>214
せやな更にいえば徳川家康が西軍につけば勝利間違いなしだな!
0217人間七七四年2017/11/03(金) 10:21:58.74ID:AMHJ2deV
関ヶ原は前田利家生きてたら起きなかった
大坂の陣は加藤清正生きてたら起きなかった
0218人間七七四年2017/11/03(金) 11:56:44.68ID:oKUYIerc
>>216
その場合、上杉と徳川に挟まれた東軍はかなり苦しいな・・・
0219人間七七四年2017/11/05(日) 20:33:48.95ID:Lkmq8t4R
>>206
浅野が抜けているな
0220人間七七四年2017/11/05(日) 22:07:22.95ID:FqavUd7v
池田は?
0221人間七七四年2017/11/06(月) 00:20:26.43ID:JTv0Rx3c
浅野家は親族だから入るか
池田家は清洲会議以降だから微妙かな
本能寺以前から秀吉の下だったメンツが深いった豊臣恩顧だと思う
前田は藤吉郎の頃からの友達だったので
0222人間七七四年2017/11/07(火) 10:04:50.03ID:/kYMqfnA
山内や仙石も本能寺前から秀吉の下だと思ったんだが
0223人間七七四年2017/11/07(火) 10:40:14.55ID:UsIUJZYm
本能寺以前から秀吉の下だった古参恩顧は大多数が東軍であることから
家康が豊臣を仕切ることは古参恩顧も受け入れていた問題ないことだった
それでは甘い汁が据えない新参連中が外様大名と結託して権力を握ろうとしたのが西軍であり
豊臣を守る忠義とかはまったく関係ないことだよ
0224人間七七四年2017/11/12(日) 21:52:59.63ID:PtW0FRFa
>>222
山内と言えば忠義と毛利勝永は衆道関係だったらしいな
0225人間七七四年2017/11/20(月) 22:53:17.02ID:KUWelewJ
戦国時代は今みたいに標準語がテレビやラジオで聞けた訳じゃないので言葉どうしてたんですか?言葉。方言同士で喋ってて通じたんですか?
0226人間七七四年2017/11/20(月) 23:18:18.80ID:w1LAZNDY
候文(公式書類用の文語)が標準語代わりになったらしい
0227人間七七四年2017/11/22(水) 03:37:42.38ID:IxIdixJH
徳川方は大将同士で喋ればいいだけだけど豊臣方は全国各地から大坂城に牢人たちが集まってる訳だからそうはいかない。
本当に書き言葉で喋って意思疎通してたのかね?
それって何か変だな。
0228人間七七四年2017/11/22(水) 05:10:06.08ID:XwtCWla6
まったく通じないわけでもない、だろ
突然現れた宇宙人でもないわけで。
0229人間七七四年2017/12/03(日) 20:23:41.24ID:sGIZDPih
幕末の話になるけど慶喜が回顧談で
薩摩人は小松や吉井以外何を話してるか
分からなくて困ったと言ってるのを考えると
通じない場合もやはり有ったんじゃないかな
0230人間七七四年2017/12/12(火) 11:35:50.41ID:5+lAbZSJ
>>12
将軍家は必要な時は口を出すが、そうでない時は、老中などの幕閣による合議制を敷いたから長続きした。
将軍家独裁だったら長続きしなかったろ幕府は。
0231人間七七四年2017/12/12(火) 11:39:17.06ID:5+lAbZSJ
>>218
それなら関ヶ原は起きんだろ
何を言ってんだ馬鹿
ほれ、バツとして尻の穴を皆に出せ
0232人間七七四年2017/12/16(土) 22:17:22.28ID:UFSrU1Hu
>>219
浅野長晟は秀忠の小姓になる前は秀頼の小姓頭をやっていたっていう話もあるから
それだけにかえって奮戦したのかな
やっぱり秀頼の小姓だった政宗の庶長子の秀宗も頑張ったのか伊予宇和島十万石貰ってるし
0233人間七七四年2017/12/20(水) 04:17:05.35ID:KRi5VyEC
>>232
しかし黒田長政と加藤嘉明は大坂夏の陣に参戦してるし、
蜂須賀家政はとっくに隠居済みだし前田利長は病死してるし元コメ滅茶苦茶だなw
0234人間七七四年2017/12/25(月) 16:43:04.99ID:5iFSWVBU
>>217
大坂の陣は、どのみち起きている。
0235人間七七四年2017/12/27(水) 02:59:03.31ID:0nnCqthK
秀吉の遺産だけで70万石そこそこの豊臣が、徳川とその他大名相手に一度退けてるってのは凄いよな
秀吉の残した大阪城と、莫大な財産が大き過ぎたか
0236人間七七四年2017/12/27(水) 06:51:44.22ID:SKMgLxHf
その財産で何万人の牢人集めたと思ってるんだよ
0237人間七七四年2017/12/27(水) 10:58:13.51ID:je7+Ujw9
秀吉の凄さが際立つな
0238人間七七四年2017/12/27(水) 12:08:55.68ID:neubxvCz
真田昌幸が生きていればね
家康より若いのにさ

戦歴のある将がいなかったのが大きな敗因の一つでしょ
0239人間七七四年2017/12/27(水) 12:11:30.60ID:48g6AE0y
大坂の陣開戦までの経過に関心があり調べてるんだが、大坂の対徳川外交
できずいた点として、家康には年賀の使者を送ったり、他にも二条城対面
で縁のあった義利、頼将にも祝儀の使者等送ったりとそれなりに礼を尽くしているが。
舅の将軍秀忠には全くの没交渉ではないかと思われることがあった(見落としている
資料があるか現在まで伝わっていない可能性はあるが)
秀頼13歳の時の上洛拒否は若年ということもあり仕方ないとしても、
秀頼と千姫の夫婦も淀と江の姉妹の仲もよかったようなのに(千姫
鬢削ぎ、九条家の縁組、大坂陣後の供養などから)やや異常ではないだろうか、
これでは家康には過去の経歴官位等から1代限りの敬意を表するが
2代目秀忠には頭を下げる気なしと
みなされ開戦の遠因の1つとなったのではないだろうか。
0240人間七七四年2017/12/27(水) 12:25:11.02ID:jzBTQ2oN
>>239
秀頼は、家康の寿命が尽きるのを待ってたんだろうね。ミエミエ。
だから、秀忠は豊臣に強硬だったんだろう。
0241人間七七四年2017/12/27(水) 15:13:18.24ID:FpfskaT2
秀忠は義父だけどな。
0242人間七七四年2017/12/27(水) 15:52:31.79ID:jzBTQ2oN
家康が、豊臣家に気を使って、秀忠の官位昇進を秀頼の後にしたのが良くなかったな。
家康が内大臣から右大臣(兼征夷大将軍)に昇進し、空いた内大臣に秀頼昇進(秀忠は大納言)
家康が右大臣辞任した後任に秀頼昇進、秀頼の後任の内大臣に秀忠就任(兼征夷大将軍)
0243人間七七四年2017/12/27(水) 20:14:31.99ID:48g6AE0y
そうなんだよな、家康の豊臣家への対処は当時の常識としては
相当微温的で家康の立場に信長、信玄、
秀吉、元就などがあったとしたら早期に大阪城明け渡し要求か秀頼の
江戸伺候要求。謀略で家臣の執拗な切り崩し、最悪の場合は秀頼暗殺なども
あったと思う。
方広寺の事件も清韓が独自にしたこととはいえ豊臣側が家康の韓を犯すという
暴挙と直前に家康の官位執奉権を無視して朝廷に働きかけ豊臣家臣の官位を上げる
、更に2年前から徳川公儀発布のキリシタン禁教令を無視してキリシタン
信者を領内に受け入れけているなど挑発と取られても仕方がない事
もしている。
0244人間七七四年2017/12/27(水) 20:36:57.63ID:wrgcg9vs
前田利長に対徳川の戦争協力を要請する使者を送ったのも
家康に豊臣家を滅ぼす気があるなら一発でアウトになってもおかしくない行為
0245人間七七四年2017/12/28(木) 16:01:25.51ID:loGpXiKl
豊臣の65万石って幕末に書かれた廃絶禄が根拠なんだよな?
これって関ヶ原後も伊勢、大和、讃岐、播磨、肥後に残ってた蔵入地や給人領地も含んでるのかね?
0246人間七七四年2017/12/28(木) 17:41:06.82ID:lceCB9oL
表高表記だから入ってないだろ
0247人間七七四年2017/12/30(土) 11:26:18.22ID:V8tSUHcC
前田利栄に全然加増してないのが良くなかった。
あと1か国くらいやるべきだったよ
子飼い武将たちには10万、20万石と与えてるのに
利栄には最初に安堵したた土地から全然増やしてない
それで秀頼のこと頼むって言ったって
なんでぇこいつってことになるっしょ
0248人間七七四年2017/12/30(土) 12:17:15.91ID:TXCHK8Qu
>>247
利栄?
0249人間七七四年2017/12/30(土) 12:57:58.67ID:e1W52IJC
利家のことだろ、だがそうしていたところで秀吉の翌年には病没
なのでどうにもならなそうだ。
0250人間七七四年2017/12/30(土) 18:18:31.71ID:wFes6LCv
釣れるかね?
0251人間七七四年2017/12/30(土) 19:17:52.53ID:RFNCvXsA
秀吉は織田家臣時代の同僚が大嫌いだからな
特に清洲会議までに自分になびいてきた織田家臣連中は心の底から軽蔑している
だからこいつらを重用しようとか大老にしようなんて欠片も思っていない
利家の場合は、隆景が死んで家康に次ぐ地位がいなくなったのと
清洲会議の時点ではまだなびいてこなかったからギリギリOKで大老に取り立てただけ
0252人間七七四年2017/12/31(日) 16:46:47.11ID:tDWuefhE
大嫌いというか内心見下されてるのがわかっていたからでしょう
0253人間七七四年2017/12/31(日) 16:54:53.95ID:wA/Hpl4h
それだな。自分がひきたてた奴はまだなんとか陰口もなかっただろうが織田家中ではやっかみも含め相当白眼視されてただろうし
0254人間七七四年2018/01/01(月) 00:20:51.75ID:MV0lDFl/
そう考えると家康は織田家中の人間ではないので秀吉の織田時代に積もり積もった恨みとは無関係だが
毛利や上杉のような完全外様ではないので良い思い出を語りたい時は話が通じる特殊な存在なんだよな
小牧では戦ったけど秀吉から家康への怨恨や憎悪はドラマで描かれるほどにはなかったのだろう
家康の方からどう思っていたかはまた別だけど
0255人間七七四年2018/01/07(日) 21:37:28.01ID:WjoWy69H
秀頼方は認識が甘いところが多々あるな
片桐罰しようとして、その事に家康が立腹していると知ったら
慌てて言い訳の使者送ってどうにかしようとしたりとか
本丸も墜ちて、落城寸前になって漸く降伏するとか
0256人間七七四年2018/01/07(日) 21:42:57.24ID:dA26FfF7
>>254
姉川、金ケ崎は一緒に戦ってるしな
0257人間七七四年2018/01/08(月) 05:00:58.00ID:YbkhuSD9
秀頼の周りが過激派
0258人間七七四年2018/01/09(火) 21:58:29.43ID:RiFK76iU
>>257
池田輝政が秀頼に嫌がらせの限りを尽くしたからな。
池田が秀次の元ナンバーツーで秀頼に極めて敵対的にも関わらず
隣国の姫路に置いたのは家康だし。

その繰り返しで大坂も我慢できなくなったのが正しいかもね。
最も、義弟(主君)と妹と姪を秀次事件で失った輝政の恨みも判るが。
0259人間七七四年2018/01/11(木) 21:42:45.14ID:xa9tuC+4
池田って関ヶ原後も長い間、羽柴苗字名乗ってなかったっけ?
0260人間七七四年2018/01/12(金) 15:16:25.17ID:oyuHbARO
抵抗する実力も我慢する勇気も無ければ滅ぼされるのが当たり前
屈辱に耐えるなんて誰でも当たり前にやってることなのに
0261人間七七四年2018/01/12(金) 17:57:54.86ID:sWQEs/Ka
当たり前ではない
0262人間七七四年2018/01/12(金) 18:26:45.88ID:lU7ekC0F
いや歴史に名を残した王は敗戦やら征服された屈辱をバネにして逆転する話が多い
0263人間七七四年2018/01/12(金) 19:32:14.48ID:p5mVExfa
臥薪嘗胆
0264人間七七四年2018/01/12(金) 22:12:44.44ID:iteCsvd5
>>262
なぜそう言った人たちが名を残せるかと言うと
敗戦や征服と言う屈辱から立ち直るケースが
珍しいからである
0265人間七七四年2018/01/12(金) 23:17:36.26ID:oyuHbARO
>>261
我慢なんて誰でもしてんだよ、当たり前にな
なんで自分だけストレスフリーで生きていけると思ってんだあのデブ、て話しよ
0266人間七七四年2018/01/13(土) 00:23:06.10ID:WnXeB/LE
>>258
池田輝政が豊臣姓を僭称し続けた理由だが、非業の死を遂げた秀次の
遺志を継ぐことを天下に示した。これは同時に、秀頼にお前は正統な
後継者ではないと、宣言したに等しい。

なお、池田輝政は1588年に豊臣姓を与えられたが、秀次事件で剥奪
されている。だから、それ以降池田家が豊臣姓を名乗っているのは
僭称である。
0267人間七七四年2018/01/13(土) 00:27:26.60ID:WnXeB/LE
失礼、アンカミス
誤) >>258
正) >>259

池田輝政が豊臣姓を僭称したのも秀頼に対する嫌がらせだ。
当然家康も輝政の意図を判り切っていたので、完全放置している。
0268人間七七四年2018/01/13(土) 01:36:04.44ID:qKzy0I34
>>264
まさにそのとおりではあるが、王たるものはそれぐらいのしぶとさが欲しいものだなあ
0269人間七七四年2018/01/13(土) 03:43:10.09ID:Hghdd5Vh
>>265
秀吉の育て方だね
気に入らない侍女がいたら縛り付けておきなさい罰してあげるからなんて手紙書いてたんでしょ
我慢なんてしたこともないんだろ
0270人間七七四年2018/01/13(土) 08:24:22.37ID:ISSwZWF6
好き放題やって信長にも懲らしめてやるから言いなさいとかねね宛に書かれてるんだっけか
生まれついてなんだろうな
0271人間七七四年2018/01/13(土) 08:37:14.30ID:7hg3m67Z
よくそれで下層から成り上がれたもんだな
0272人間七七四年2018/01/13(土) 11:41:30.39ID:SuEGRRwC
いわゆる親バカなんだろうけどな
美談にはほど遠い
0273人間七七四年2018/01/14(日) 10:40:01.63ID:8dSodStN
播磨は木下家定領(2万5000石)を除けばほぼ豊臣蔵入地
紀伊は桑山の4万石、堀内の2万8000石以外はほぼ豊臣蔵入地

関ヶ原での池田と浅野への加増だけで豊臣は所領を80万石程度減らしてる(浅野や池田の元領土、甲斐と三河吉田は徳川領に)
他にも半分くらい蔵入地だった尾張と近江、大和もこちらは丸々徳川(親藩、譜代含む)の所領に
0274人間七七四年2018/01/15(月) 22:21:37.42ID:UeBuhzh+
年取ってからの子供は殊更可愛いってことだな
0275人間七七四年2018/01/26(金) 04:04:26.89ID:6xroojkN
孫みたいな年齢
0276人間七七四年2018/01/26(金) 08:57:38.14ID:UE1MLnLR
>>268
オーストリアの女帝、マリアテレジア何かが典型的かね。
即位直後にウィーン在住の外交官が、只の我儘なお嬢様とか、只のお腹が大きい「当時妊娠中」女とか
本国に報告してた。
幾らハプスブルク家が欧州最大の王家でも、周辺諸国全部的に回す馬鹿な外交しちゃねwwwww

所が彼女は心底危機に追い詰められてから覚醒するんだよね、ラノベの主人公みたいに。
何と、彼女は名目上はハンガリー女王だけど、実質敵国のハンガリーの議会に押し掛けて援軍を
出してくれる様に頼むんよ。
勿論、生き無しそんな事すればヤジで悲惨な事に成るんよ。それでも諦めず、土下座同然の立場で
ひたすら頼むの。
半年近くかかったけど、ハンガリーの議会は援軍を了承、ハンガリー軍の助けで各地の戦線が
一息つける様に成るんよね。
結局、戦乱は20年以上も続んだけど、皮肉な事にハンガリー騎兵の部隊こそが女王にもっとも忠実で
頼りに成るって皮肉な結末に成る。
0277人間七七四年2018/01/26(金) 17:02:09.72ID:Xqk6+Vkk
【親米ポチ一匹自殺】西部邁「小沢一郎はゴロツキ」
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/asia/1516880628/l50
0278人間七七四年2018/01/30(火) 20:25:35.66ID:z9+4066p
>>266
豊臣姓を剥奪されたって根拠ある?
0279人間七七四年2018/01/30(火) 21:55:57.51ID:7JuNmf3l
大阪の陣が終わったあとの後藤又兵衛に関する黒田長政の報告書には輝政は羽柴三佐衛門で登場してるんだっけか
0280人間七七四年2018/02/17(土) 22:39:41.03ID:I3FBLP6q
京極高知とか福島親子、堀秀家、稲葉典通、森忠政、宗義成とか池田以外でも
少なくとも大坂の陣までは羽柴苗字を使用していた大名は結構いたみたいだね
0281人間七七四年2018/04/04(水) 14:45:33.00ID:ykSLlMFG
https://mainichi.jp/articles/20180404/k00/00e/040/315000c
「大坂の陣」巨大陣図が見つかる 最古級・最大級

大阪歴史博物館によると、描き方の特徴や記された地名から作製時期は江戸前期の17世紀後半と推定され、二つの戦いを描いた絵図としては最古。親藩または譜代大名のお抱え絵師「絵図方(えずかた)」が、幕府に提出する公式な記録として描いた可能性があるという。
0282人間七七四年2018/04/15(日) 10:24:39.47ID:mFrKc3PZ
総大将が無能では、どんな陣地を張ろうが戦には勝てないな
0283人間七七四年2018/06/17(日) 15:01:43.49ID:LsVFDjz5
加藤清正が生きてたらどうなってただろうか
0284人間七七四年2018/06/17(日) 17:22:48.72ID:7Mlu6lx0
>>283
清正はもろ親徳川というか縁戚
二条城会見だって次女の夫である徳川頼宣の護衛務めてる

二条城会見って豊臣に近しい人たちみんな徳川と縁戚結びましてん、穏やかに臣従してーなくらいの意味だったんじゃないかなー
0285人間七七四年2018/06/18(月) 21:55:45.89ID:fABmsLyI
もう1人俗説では秀頼の御供をしたと言われる幸長も義直の御供をしてたし
その弟の長晟は関ヶ原後秀忠の小姓になる前は伊達秀宗と共に秀頼に
仕えていたと言われるけど、逆にその所為か大坂の陣ではむしろ豊臣攻めに
積極的だったし
0286人間七七四年2018/06/19(火) 00:55:41.01ID:t6LTjBa3
清正は豊臣家に恩はあるけど心中はしたくないから浪漫も何もない
正則みたく出来る範囲での支援はするかも知れないけど大勢への影響は微妙
0287人間七七四年2018/06/19(火) 01:42:01.71ID:ikldi7m5
支援というなら二条城会見で引きあわせてるのが最大の支援といえば支援ですよね
徳川との関係悪くなりそうなのを会見セッティングで穏便に頭下げさせようとしてるんだから

それなのに会見後にあんだけやらかしまくられちゃ浮かばれんわ
0288人間七七四年2018/06/19(火) 09:28:05.27ID:anlPo6dr
加藤清正が生きていたとしても江戸留守居役
なにもできんよ
0289人間七七四年2018/06/19(火) 12:41:18.05ID:I6pkVRcg
恩顧というか秀吉の親戚で尾張中村の同郷
名古屋城つくる合間に中村に秀吉の神社作った

家康が関ケ原、征夷大将軍についてから
豊臣へ強気になるまで10年以上もかかったのは
豊臣守護者としての加藤清正の存在が大きい

前田利長はまつ人質の時点でコントロール可能だったのだから
0290人間七七四年2018/06/19(火) 13:22:03.02ID:i0FL4KjH
>>289
おめー、名古屋の豊国神社は明治の創建だぞ
0291人間七七四年2018/06/19(火) 21:51:41.03ID:I6pkVRcg
>>290

常泉寺は、愛知県名古屋市中村区にある日蓮宗の寺院。
山号は太閤山。豊臣秀吉の生誕地と伝えられている。

創建年 1606年(慶長11年)
開基 加藤清正

豊国大明神の廟堂として、加藤清正・開山圓住院日誦上人とで創建された。
寺号は秀吉の誕生当時、近郷に類のない清水の溢れる井戸(現在の産湯の井戸)があったことから定められたという。
境内には、豊太閤産湯の井戸や1547年(天文16年)御手植えの柊などがあり、
寺宝として秀吉の肖像画や加藤清正が大坂城から持ってきたとされる秀吉の木像のほか、
秀吉所持と伝えられる采配・茶釜・硯などが所蔵されている。

ttp://www.jousenji.or.jp/index.html
0292人間七七四年2018/06/20(水) 08:11:39.44ID:WqG+q2iN
>>291
慶長11年は名古屋城作る前だが

後、尾張名所図会では元和9年としている
こちらは清正は死亡、豊臣氏は滅亡後
0293人間七七四年2018/06/21(木) 21:13:51.32ID:WYT8xipd
争点は加藤清正生存してたら方広寺クレームから大坂の陣起きてたかだろ
俺は起きてなかったと思う

それより清正含め、
池田輝政、浅野長政、織田信包、前田利長と
親豊臣の有能が続けざまになくなったのが怪しすぎる
みんな徳川方ニンジャの暗殺なんじゃねーのか
0294人間七七四年2018/06/23(土) 11:41:22.07ID:NE+s3jWP
>>293
史実でも方広寺の件で大坂の陣が起きた訳ではないのですが……
0295人間七七四年2018/06/26(火) 22:00:34.80ID:9yw7gC6e
片桐且元への処罰が理由だったっけ?
且元は思ってた以上に大坂城では権力者だったみたいだけど
0296人間七七四年2018/06/26(火) 22:15:18.74ID:Mu3+YkNT
方広寺は実は大坂の陣の始まりには何も関係ないのに
大坂の陣の原因のように扱われることが未だに続いているよな
0297人間七七四年2018/06/27(水) 01:57:27.86ID:EZqiTCr5
片桐且元配下の旗下、浅井一政の戦功覚書によると
片桐暗殺疑惑が出て片桐と秀頼との間に緊張が走ってたものの、一旦解決しそうになったところで大坂城に大野治長が浪人連れて立てこもりなどでご破算になってるようね
交渉中淀殿が秀頼と違う判断と思える命令を下したり治長の行動しかりと、この時点ですでに豊臣は主君の意思を万全に通せる状態ではなくなってるぽいね
0298人間七七四年2018/06/30(土) 01:02:23.78ID:xNsUEubH
>>297
こんな状態の一方が勝利しなくて良かった
0299人間七七四年2018/06/30(土) 12:35:21.48ID:e6gKFJYp
豊臣政権の「松永久秀」は誰だ

1589
 豊臣秀長
 豊臣秀次
 豊臣秀勝 ○越前敦賀5万石へ転封
 羽柴秀保
 豊臣鶴松 ☆誕生
1590
 豊臣秀長
 豊臣秀次 
 豊臣秀勝 ○甲斐府中23万石へ転封
 羽柴秀保
 豊臣鶴松
1591
 豊臣秀長 ●病死(1540-1591/01/22)、享年52
 豊臣秀次 ○尾張清州100万石へ転封、関白就任、豊臣氏の氏長者
 豊臣秀勝 ○美濃岐阜30万石へ転封
 豊臣秀保 ○大和郡山50万石、従四位下参議近衛権中将、豊臣姓下賜
 豊臣鶴松 ●死去(1589-1591/08/05)
1592
 豊臣秀次 ○左大臣補任、叙従一位
 豊臣秀勝 ●病死(1569-1592/10/14)、享年24
 豊臣秀保
1593
 豊臣秀次
 豊臣秀保
 豊臣秀頼 ☆誕生
1594
 豊臣秀次
 豊臣秀保
 豊臣秀頼
1595
 豊臣秀次 ●切腹(1568-1595/07/15)、享年28、三条河原で晒し首、妻子も処刑
 豊臣秀保 ●病死(1579-1595/04/16)、享年17
 豊臣秀頼
1596
 豊臣秀頼 初めて上洛、豊臣朝臣藤吉郎秀頼と称す
0300人間七七四年2018/07/29(日) 07:18:40.02ID:SEqmQina
天野に拠れば久秀は三好、特に長慶には忠節だったらしいが
まあ豊臣政権はワンマン社長が亡くなったら、とたんに駄目になった企業の典型みたいなものだし
0301人間七七四年2018/07/29(日) 14:14:46.27ID:TCE12/XX
っというか久秀ってそんな悪人でもないでしょ
悪人度で言えば宇喜多直家の方が相当陰湿な悪やぞ
0302人間七七四年2018/07/29(日) 17:11:54.89ID:uuTqPwMb
軍記では謀略マンの直家も戦争で勝って領土増やした面が大きくそれほど謀略には頼ってなかったらしい
0303人間七七四年2018/07/29(日) 17:59:33.92ID:HoAIsghX
方広寺の直後から浪人問題とか徳川は
持ち出してるから、始まりには何の関係もなかった
というのも狭い解釈じゃないかな。
鐘の話は徳川が作ったものじゃないとは
もちろん知ってるけど。
0304人間七七四年2018/07/31(火) 14:27:29.83ID:DMefykvR
いや関係あるかと。
0305人間七七四年2018/08/02(木) 01:27:57.62ID:i+mmDYD+
松永も宇喜多も生き延びて勢力拡大のための手段に過ぎなかったらね
謀略や裏切りそのものが目的じゃないから悪人とは言い切れないんだよなぁ
0306人間七七四年2018/08/02(木) 03:29:06.95ID:z8bOpYWu
>>303
これこれ一つの理由で徳川が動いた、というのではなくどちらかというと複数の理由で豊臣氏が徳川に対して不興を買って、ついに堪忍袋の緒が切れたのが片桐追い出しの件って感じがしますよね
0307人間七七四年2018/08/02(木) 03:46:43.26ID:yVMZVXBv
前田に使者出した件とかで以前から警戒はされてただろうからね
交渉役の家臣を潰したら相手との関係悪化は避けられないし場合によっちゃ戦争の口実になりうる
信雄なんかはそれで秀吉に攻められたんだから忠告したれよと思うけど
且元に警戒を呼びかけて個人的な逃げ道を作るくらいが関の山だったんだろうなあ
0308人間七七四年2018/08/02(木) 22:36:29.74ID:2q+nTu1/
>>307
記録に残らなかっただけで流石に忠告はしたんじゃなかろうか…どうなんだろ…
0309人間七七四年2018/08/03(金) 03:46:17.94ID:CpzHJkRR
明らかにアカン方向に向かい始めた豊臣家中で、総大将にまでされそうになったらそりゃ逃げるよね

そう考えると有楽ほんと頑張ってたんだなって、誰も下知聞かんしもう無理って発言が哀愁漂う
0310人間七七四年2018/08/04(土) 22:04:31.78ID:kFUybZMh
息子に引っ張られたのか何なのか、よく総大将引き受けたもんだ
その息子も途中退場しているけど
0311人間七七四年2018/08/06(月) 07:02:35.89ID:kmxg2xe5
>>308
記録に残ってるでしょ。
0312ナレーター・小松方正2018/08/06(月) 09:42:56.77ID:F+FXSDoZ
真田丸周辺には、越前・松平忠直、仙台・伊達政宗、彦根・井伊直孝、伊勢・藤堂高虎ら、14藩数万の大軍が布陣していたが、その中から、加賀・前田利常が、
0313人間七七四年2018/08/06(月) 16:04:23.62ID:sXlKU21S
裸踊りした
0314人間七七四年2018/08/07(火) 14:16:07.42ID:wvgwYZ+F
これが江戸時代に名高い100万石の腹おどりの起源である
0315人間七七四年2018/08/08(水) 01:37:24.36ID:FzU/QGpI
>>301
宇喜多直家は、祖父の代まで備前砥石城主ですから、普通に数万石程度の領地が有った家の
子孫ですね。
一度没落して、親父は縁の有る商人の居候してたそうで。

こういう産まれだから、御家再興の野望に燃えてって部分が有りそう。
ただね、初期の頃から後の宇喜多四家老がいたりするし、食えないのに旧臣が集まって来た
んだろうなあ。
悪人の癖に、譜代家臣には意外と優しい人。
0316人間七七四年2018/08/08(水) 13:56:16.08ID:t4KURYKj
非情なだけで悪人ではないと思うが
0317人間七七四年2018/08/11(土) 02:08:32.03ID:MyALZq/H
悪人の定義とは?
0318人間七七四年2018/08/11(土) 06:42:06.86ID:JvR0zsZH
正直戦国武将に悪人というカテゴリーはないよな
0319人間七七四年2018/08/16(木) 21:43:28.19ID:1AJ9KYhH
>>312
前田家の軍勢の指揮を執ったのが本多政重だっけ
正重と政重の叔父甥はそれぞれの兄達と違いが大きくて面白いな
0320人間七七四年2018/08/17(金) 07:15:44.25ID:AhcQkdyJ
>>307
信雄が且元暗殺謀議の内容を且元に知らせたのは、よく似た立場であった
かっての自身の三家老と且元がオーバーラップして、贖罪意識のような
ものがあったのかな?
0321人間七七四年2018/08/17(金) 08:15:50.48ID:g3i+Xb7x
>>320
徳川との繋がり確保だけかもよ
0322人間七七四年2018/08/17(金) 17:19:29.16ID:KKqTjQJu
信雄の来歴だと豊臣より徳川の方に親近感があってもおかしくはないんだよな
0323人間七七四年2018/08/17(金) 17:47:57.16ID:UcugmvKe
総大将頼みますと言われた信雄としては、
――俺なんかに総大将頼むって、こいつら気は確かかよ…
と感じつつ、ドーンとおまかせください、といい、
ソッコーで逐電。京都に逃れ板倉勝重に保護を求めた…
0324人間七七四年2018/08/18(土) 16:11:19.79ID:r40XReSG
そもそもなんで信雄が総大将なんだろう
関が原当時じゃあるまいし、成人した秀頼が総大将なのが当たり前だろうに
こういうところが武家らしくない公家的な長袖者流という感じがする
自分たち(淀と秀頼)は超然として、家臣(と思ってる)信雄を総大将にして家臣(と思ってる)徳川と戦わせ
勝てばその勝利に乗っかり、負ければ総大将の信雄に全責任おっかぶせて自分たちだけは助かろうとしてたんじゃないか
と邪推したくなる
0325人間七七四年2018/08/19(日) 23:27:55.58ID:vQ9IvdCB
そりゃまぁここまで表に秀頼が出て来なければ
秀頼乳飲み子也、お袋専制也なんて言われたみたいな逸話も出るよね

なんというか異常に戦国時代の常識からずれてる行動を秀頼が取り続けたが故に
大坂の陣はきっと徳川の陰謀なんだ的な色眼鏡で見られる要因の一つになってそう
0326人間七七四年2018/08/24(金) 18:40:22.90ID:qfnbv300
豊臣家には皇室のような価値は無いってなんで気付かなかったんだろうな
足利家や執権北条家が無くなっても誰も困らなかったように、豊臣家が無くなっても誰も困らないって、そこに座ってる織田信雄や有楽斎見て気付かんもんかね?
0327人間七七四年2018/08/29(水) 22:46:42.13ID:FzBwK+vg
ほんにそれ、二条城対面の後に諸大名が徳川に差し出した誓詞を豊家も
自主的に提出を申し出たり、江戸と駿府に豊臣家の屋敷を下賜してもらい
秀頼、淀が交代で詰めるか、そこまでしないのであれば淀殿は妹との対面、秀頼は
千姫を伴って富士山見物、秀忠、御台と千の親子対面を名目に下向するなど
すれば徳川には臣従となっても諸大名よりは上位の別格扱いの待遇は
受けれたのではないかと思う。
0328人間七七四年2018/08/30(木) 00:53:26.45ID:q+aExjoA
ぶっちゃけ普通にやれば豊臣は勝てていた
上層部が無能だから負けた

江戸幕府の統治の仕組みは、東の親藩の武力で西の外様に圧力を掛けて抑え込む仕組みだったわけ
今の大河を見ればよく分かりよ

つまり、大阪の陣の頃は、まだこの仕組みが完成していなかった
当たり前で大阪で豊臣が健在だったから
幕末に豊臣みたいな大名が大阪にいてみ?幕府は最初から勝負にならんかったで
0329人間七七四年2018/08/30(木) 00:58:55.39ID:1MfNZhgf
はなほじ
0330人間七七四年2018/08/30(木) 01:52:12.90ID:ChkDDv1y
(´▽`;) '`'`
0331人間七七四年2018/09/09(日) 14:19:04.76ID:4EPCWZNX
>>323
大坂からの転封を拒否した豊臣が、かつて転封を拒否して秀吉に改易された信雄を総大将にして、関東への転封をあっさりと承諾した徳川に戦を挑もうしたのは皮肉だな
0332人間七七四年2018/09/10(月) 20:50:00.01ID:H8D1uBsr
誰を名目上の総大将にしたところで、実質上の秀頼が無能なんだから
勝ってこない
0333人間七七四年2018/09/11(火) 02:46:29.45ID:WxeIvL6P
0334人間七七四年2018/09/12(水) 08:29:38.12ID:sRN3X0jW
>>331
淀君はどこまでも織田の姫さんのつもりだからこういうことを考える
0335人間七七四年2018/09/15(土) 20:25:11.40ID:1EsiYPPb
能力は兎も角信雄は織田宗家を継いでるし、豊臣政権下では
家康以外で内大臣になっているから、それなりの権威はあるんだよな
0336人間七七四年2018/09/17(月) 07:14:48.23ID:GL9fZ4Q9
信雄って織田宗家継いでたっけ?
0337人間七七四年2018/09/17(月) 10:24:25.10ID:GaA2L3Ux
信孝が三法師抱えて秀吉と対立してた時に信雄が宗家って事になってる
0338人間七七四年2018/09/23(日) 13:59:49.03ID:2urWlKaf
>>335
過去の権威に頼る豊臣らしいといえば言えるなぁ
かつて豊臣の主君だった織田宗家の信雄が今は自分たちに臣従している点には気が廻らないけど
0339人間七七四年2018/09/23(日) 20:18:31.94ID:hNPNOafU
信雄は能力もそれなりくらいはあるよ
頭が悪いだけで
0340人間七七四年2018/09/24(月) 00:00:19.95ID:LW3gEGsF
権威じゃなくて親族として頼ってたんじゃないんかね
0341人間七七四年2018/09/24(月) 03:22:46.09ID:3kMu/pfS
>>339
ハンターハンターの頭はいいがバカなのが玉にキズを思い出した
0342人間七七四年2018/09/25(火) 00:13:14.64ID:ASdzOrQs
>>338
信雄が目の前いるのにホントそこがすごい不思議なんだよな
0343人間七七四年2018/09/25(火) 13:32:38.54ID:Ir0au090
目の前いる信雄になりたくな〜いと必死の反抗
0344.2018/09/26(水) 22:07:39.80ID:6zaIy6DH
秀頼が四国とかに転封に応じたとして、大坂の大坂城はどうするつもりだったのだろう?
将軍家の直轄か?
0345人間七七四年2018/09/26(水) 22:17:00.82ID:4ITDOSQO
忠輝や紀伊頼宣ではまずすぎるわけで、松平忠明の入封により、駿河大納言忠長卿の忘れ形見である。
0346.2018/09/26(水) 22:26:58.67ID:6zaIy6DH
天下人の巨大な城を一大名に与えるとかあるのかね
0347人間七七四年2018/09/27(木) 15:13:30.02ID:5HFlLOrg
幕府直轄で代官をおくぐらいちゃう?
0348人間七七四年2018/09/28(金) 13:25:49.98ID:7eRjpSdW
大坂奉行所若しくは大坂所司代設置して高級旗本か譜代の大名を長官で置くとか
0349人間七七四年2018/09/28(金) 16:57:16.24ID:/oYLwxQn
史実より早く伏見城破却と、大坂城への城代・在番・在番・城番移転かと
0350人間七七四年2018/09/29(土) 00:26:12.63ID:yVUz9WwZ
史実でもたとえば伏見城だが、関ケ原の戦い後の再建においても豊臣の家紋が
使われ、あくまで豊臣の城というアピールが行われた(それも諸大名を欺く工作に過ぎなかった
わけだが)
大坂の陣以後は豊国社も破壊し、大坂城も破壊、伏見城も家光の代で放棄したわけだがそれ
は秀頼を亡き者にできたから可能だったこと


大坂城を退去したとしてもは豊臣家は残るわけで、そうなったなら理由もなく壊す事は余計な反感を
買うだけだからやらないかぁとも思うけど、大坂城天守などは豊臣の紋が象徴的に使われているの
でこれを残す事は不都合だし、火事と称して焼く可能性はあるなぁ
0351人間七七四年2018/09/29(土) 07:23:19.51ID:OJOHapxn
>>350
家康は桐紋も用いたけど
それに瓦は大量に用いるから流用は普通に行われる
0352人間七七四年2018/09/29(土) 09:50:26.49ID:0WXWfUq0
>>351
数少ない場面しか用いてないよ
少なくとも建物にはない
0353人間七七四年2018/09/29(土) 09:57:46.10ID:0WXWfUq0
>>351
徳川氏の城で太閤紋などが使われた形跡がある例を教えてくれ
自分が知らないだけかもしれんので

あと炎上した建物の瓦は基本使われる事はないぞ?
0354人間七七四年2018/09/29(土) 10:45:48.65ID:OJOHapxn
>>353
城では無いが富士山本宮浅間大社は葵紋以外に菊紋・桐紋がある
後、関ヶ原合戦後の伏見城再建は大和郡山城等からの移築だから、そのまま流用したかと
0355人間七七四年2018/09/29(土) 23:18:59.99ID:LZ7e+6RZ
横だが流用したってのはそのまま豊臣の象徴を使ったことと同義では
0356人間七七四年2018/09/30(日) 08:33:18.70ID:YEcut9/z
もっと即物的な話で可及的速やかに復興する必要があるので、
使えるものは何でも流用しないと
0357人間七七四年2018/10/01(月) 08:45:40.66ID:stJqnByA
というか豊臣の象徴流用してもたいしたことないと徳川はおもってたんじゃ?
関ヶ原後で幕府樹立だって十分見えてたろうし本当に影響あるなら避けるでしょ
0358人間七七四年2018/10/01(月) 14:45:09.55ID:Rho8LSx/
>>305
そりゃあんたが目的があればどんな事しても許されると思ってる同質の悪人だからだよw
普通の人は何でもありは許されないと思うからあんたたちみたいなのは悪に映る、そこの人間性の違いってだけの話
何かを評する時は己の価値観が反映されるってのは理の当然
0359人間七七四年2018/10/01(月) 20:49:11.13ID:MII85Olq
>>357
大したことないどころじゃないでしょ、豊臣家の威光で家康は力をつけたのだから
権威と正当性の根拠が「太閤殿下の遺命」なら避ける理由ないだけ
0360人間七七四年2018/10/01(月) 21:31:14.67ID:p+FM8AlX
関ヶ原後の伏見城再建は慶長7年(1602)だから、朝廷によって豊臣政権に代わる
公儀を認められた征夷大将軍就任前で、立場的にはまだ豊臣政権の大老だからな

それにそもそも桐紋ってもともと豊臣家の専売特許でもなくて室町幕府や皇室も
用いていたんだから「汎用天下人の紋」みたいなもんだ
その桐紋のある再建伏見城で征夷大将軍宣下を受けたわけだから、
「汎用天下人の紋がある城で新たな天下人として朝廷の公認を受けた」ことになる
ここで二条城ではなく桐紋のある伏見城で宣下を受けた辺りに家康の意図を感じなくもない
伏見城は前天下人の秀吉が建てた天下人の城であり、そこで「太閤殿下の遺命」をも
塗り替える朝廷からの将軍宣下を受けることで
伏見城を徳川氏の城とし、
豊臣政権を継承しかつ取って代わる新たな公儀の誕生を象徴させようとしたんじゃないか
0361人間七七四年2018/10/01(月) 23:57:32.19ID:cHzhPGXw
征夷大将軍になっても豊臣家と決別を宣言せず、大老筆頭の立場を否定しない
所もまたずる賢いところ
否定しないって所は豊臣家家臣であることの宣言でもあるから工作にはちょうどいいよね
0362人間七七四年2018/10/02(火) 00:43:59.32ID:im33293k
>>361
だからこそ家康の行為は下克上なり謀反と評される
0363人間七七四年2018/10/02(火) 05:41:37.20ID:cR9gnb0c
>>361
そういや秀吉が織田家重臣の立場を否定したのはいつなのかな
0364人間七七四年2018/10/02(火) 16:40:17.32ID:sAycvBNN
>>363
小牧長久手で、織田信雄と和睦して信雄から人質をとって領土を割譲させた時だと思います。
0365人間七七四年2018/10/02(火) 19:49:22.99ID:7YgTkLRq
>>363
後陽成天皇の聚楽第行幸の際に諸大名に天皇と豊臣家に忠誠を誓わせているけど、この時
に秀信も豊臣家に臣下の礼をとっているのでこの時に名実ともに主従逆転となる
0366人間七七四年2018/10/03(水) 06:31:10.91ID:GHkXWM+/
秀頼も諦めて臣下の礼とれば良かったのにな、目の前に信雄いたのに
0367人間七七四年2018/10/03(水) 20:57:55.84ID:4kbD7bNC
家康が天下統一したわけでもないから従う理由なかっただろ
自らの家の枠内で権力伸ばした奴に従うわけはない

まだ秀信の時は天下が定まってなかった
0368人間七七四年2018/10/04(木) 21:08:09.13ID:AMAUMq1S
大坂の陣とはちょっと違うかも知れないがこんな本が出るね

大阪城全史: 歴史と構造の謎を解く (ちくま新書 1359) 中村 博司 (著)

大坂本願寺に始まり、豊臣秀吉、徳川家康・秀忠ら歴代の権力者が本拠地として整備した枢要の地、
大坂城の全てを石垣や当時の詳細な資料を手掛かりに読み解く
0369人間七七四年2018/10/06(土) 12:15:29.30ID:jE7f+Lhz
方広寺の碑文を「国家安康」「君臣豊楽」
でなく「国秀安頼」「君川徳楽」にしとけばよかった。
「自らを貶め徳川の天下安泰を願うものだ」
と感激のあまり涙を流しただろう。
0370人間七七四年2018/10/06(土) 15:41:00.88ID:slfArWMu
徳川を逆さ釣りにして殺して楽にするとかまたすうでんあたりが難癖つけるさ
0371人間七七四年2018/10/06(土) 16:07:52.23ID:5pK9cqDh
年頭礼出してるのに臣下じゃないってのが無理がある
0372人間七七四年2018/10/06(土) 21:18:28.12ID:kc/yObwP
家康が年頭礼に行ってたのは征夷大将軍就任前までで
それ以降は地位が逆転したので行ってないだろう
莫迦と言われてる信雄だって秀吉と地位が逆転して以降
臣従しているのに
0373人間七七四年2018/10/06(土) 21:32:03.62ID:5pK9cqDh
>>372
ああ言葉足らずで失礼
途中で逆転して豊臣から徳川へ年頭礼行ってるのに臣下じゃないってのは無理がある
と、言いたかった
0374人間七七四年2018/10/09(火) 12:02:06.75ID:pFvxDufM
>>373
秀頼が挨拶に行っているのであればまだしもね
家康が諸大名の領地安堵を秀頼側に追認求めているのでその理屈こそ無理がある
0375人間七七四年2018/10/09(火) 13:59:28.89ID:QJM7c6yJ
豊臣の臣下にしろ、陪臣くらいのもんなわけで。
徳川に言うこと聞いてもらうが無理矢理聞かせるのは難しい
0376人間七七四年2018/10/09(火) 15:59:27.06ID:pFvxDufM
陪臣?
大坂衆の扱いは一般大名と同じ扱いだぞ?
大名の家臣とは扱いが違う
豊臣家が公儀的性質をもっていたからこそだが
0377人間七七四年2018/10/09(火) 19:33:57.14ID:iTxDiNna
>>376
徳川が陪臣くらいの扱いでみたらどうなんだって話
どこまでいっても徳川は豊臣の家に仕えてるわけじゃない
有力な武将ではある。が豊臣になにもかも放り出して仕える立場でもない

豊臣甘えすぎだろ
0378人間七七四年2018/10/10(水) 21:51:33.82ID:J4cuwOZe
まあ領地経営すらまともに出来なくて徳川に頼る連中だからなぁ
0379人間七七四年2018/10/10(水) 22:40:12.52ID:WQnlKPSg
そうせざるを得なかったかもしれないが、当時の豊臣家は家康に一時天下の采配を
任すという立場だったからおんぶにだっこだったというのはどうかと思うが
こういうのこそ徳川史観っぽいぜ
0380人間七七四年2018/10/10(水) 23:55:59.82ID:4oWWTTcO
>>379
まあ豊臣の頭の中ではそうだったかもしれないけど…
0381人間七七四年2018/10/11(木) 00:24:20.36ID:PyIIMV0T
豊臣の頭の中だけ、ってのはその後の歴史を知る我々が言っていることにすぎない

且元らが豊臣家直轄の都市や鉱山の引継ぎを家康に行ったのは家康が天下の御家老
だったからだし、家康に豊臣家が「処罰」されているという自覚はないだろう
関ケ原以後も徳川家の医師や諸大名の書簡でも家康は御家老という認識であった
そして家康も将軍になって以降もこの事を一切否定していない
秀忠の「秀」の文字返上もしていない
諸大名への領地安堵に関し家康名で行えなかったのはこの事がある上、且元を通じて秀頼の追認を得ていた
御家老が主家の政務をみることは普通のことで、これを「頼る」などというのは一面的ではないかね
我々は後の歴史を知っているからこそ家康が**に加増した、家康が**の許可を与えた
などと言っているけど、当時は秀頼の代理人という認識がある程度残っている事を
考慮すべき
0382人間七七四年2018/10/11(木) 00:58:14.41ID:lvj6Loer
諸侯がこぞって徳川のとこに屋敷立てて挨拶しに行ってるのに
いや豊臣の代理人だとみんな認識していたってのはちょっと無理あるんじゃないかなぁ
0383人間七七四年2018/10/11(木) 12:24:41.43ID:cdDW2q85
>>382
史料上はそうなってるからそうとるしかない
0384人間七七四年2018/10/11(木) 13:13:16.80ID:EKtPxvBj
まあ、史料には建前上そう書いてあるのかもしれんしね
当時の武将や公家の日記みたいな物には本音も書かれてるんじゃない
0385人間七七四年2018/10/12(金) 13:45:26.00ID:wttM9jzD
秀忠が秀の字やめたら家忠になるんか?
0386人間七七四年2018/10/12(金) 16:38:22.84ID:6ESBSyGO
まあ建前でいったらみんな天皇の臣下だからな
0387人間七七四年2018/10/12(金) 19:28:11.36ID:jKUYxlaZ
足利も源もそれなりに権威だった
実益も実力もないけど
0388人間七七四年2018/10/13(土) 00:41:47.73ID:CrQxqWb3
>>325
実は秀頼は存在してなかった、とか
0389人間七七四年2018/10/21(日) 07:03:40.00ID:vaUgSjZH
>>382
将軍に就任した時点で徳川が豊臣の家老ってのは無理があるよな
官位だって家康の方が秀頼上回っているわけだし
0390人間七七四年2018/10/21(日) 08:03:34.79ID:ptOD4bXP
>>389
それは将軍職を誤解した現代の人間の考え
官位は個人レベルの話で家格を無視できないし
だいたい諸大名の所領安堵を家康の名前でできないってのは致命的なんだわ
0391人間七七四年2018/10/21(日) 08:18:38.95ID:Y3l9Xl73
諸大名の所領安堵を家康の名前でできないというのは
裏を返せば、秀頼の気まぐれで諸大名の領地が否定されるリスクがあるということだからね
旧西軍連中はともかく、当時の日本の大多数を支配する東軍大名にとっては
秀頼は自分たちの財産の所有権を危うくする危険因子ということになる
大坂の陣は徳川の個人的都合というよりも、諸大名の大多数意思によるものと言う方が正しいね

どの大名も豊臣に味方しなかったのは、徳川との実力差という要素もあるけど
秀頼が特に東軍大名にとって厄介な存在であり、徳川への臣従か死ぬかしてもらわないと困るというのが本音だろう
0392人間七七四年2018/10/21(日) 08:44:44.06ID:ptOD4bXP
諸大名には秀吉からもらった朱印状を一旦提出させてそれを追認し、秀吉からの朱印状を返却し、新規発行のそれも与える形態を取った、ただし家康の個人名は入れないままで
そして且元を通して秀頼の了承を得た
豊臣から独立した行為ができてないってのはそもそも幕府としての独自性に疑問符がつくわけだ
0393人間七七四年2018/10/21(日) 13:37:12.76ID:vaUgSjZH
家康の名前で領地朱印状が出せなかったのは関ヶ原直後の話で、その頃の家康と秀頼の立場を大坂の陣の頃と同じように考えるのは無理があるだろう
0394人間七七四年2018/10/21(日) 14:17:45.46ID:lUDb0u4K
>>393
>家康の名前で領地朱印状が出せなかったのは関ヶ原直後の話で

いんや、結局豊臣家滅亡までだしてないよ
0395人間七七四年2018/10/21(日) 16:59:57.73ID:XebmRQbh
武家の棟梁としての実力が皆無なのに、権威だけ残ってる豊臣家など
実質的な天下人となった徳川家からしたら統治上邪魔どころか危険なだけ
権威だけってことは軽い神輿ということで天下の不安定要素でもあるし伊達政宗も
秀頼を大坂城に放置しておくことの危険を指摘している
領地宛行状の発給が豊臣家の独占であるというなら、家として何の実力もない
豊臣家がそういう権威を持ち続けることは逆にどんな勢力に担がれるかわからないということ
現実の力にそぐわない権威だけの家なんて天皇家だけでも厄介なのに
そりゃ豊臣家は滅びて当然だという感想しかないな
0396人間七七四年2018/10/21(日) 20:32:43.64ID:8TQZMAuN
豊臣の名前でしか命令だせないのは仕方ない
ルールまもってる証拠
むしろそれを徳川まかせにしてる豊臣の形骸化について豊臣が危機感もって対応しないとな
危機感もちつつなんにもできないんじゃホント傀儡政権そのものだ
0397人間七七四年2018/10/25(木) 18:24:48.89ID:Q8rXdvfo
関が原で西軍が負けてから家康の傀儡でしょ
もっとも、東軍が負けても、誰かの傀儡になったかもしれんが
只、歴史上でも傀儡から復権ってのも無い事はないから
それに賭けてはいたんだろ
もっとも、傀儡からの復権って、本人の能力の他に能力の高い有力な家臣が必要なんだよね
まぁ、もう無理ぽい
0398人間七七四年2018/10/27(土) 21:28:25.36ID:lDj/gyKC
関ヶ原の合戦後の論功行賞で家康は安堵状を発給せず口頭で大名たちに伝えたというのは本当なの
0399人間七七四年2018/10/27(土) 21:31:01.33ID:m+ijhzCz
>>398
それじゃあの時代の人間には通じないんじゃないか
感状が名誉になるくらいなわけだし
0400人間七七四年2018/10/27(土) 21:40:23.13ID:lDj/gyKC
>>399
ここに書いてあったんだけど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14155640164
この本にも書いてあった
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76192-3
0401人間七七四年2018/10/27(土) 21:42:25.91ID:GhVBTIii
本当
0402人間七七四年2018/10/27(土) 21:58:32.35ID:N7ov20LQ
だけど大坂の陣で大名が豊臣からの誘いを断っている理由が
お袋専制、秀頼乳飲み子だけじゃ無く、関ヶ原の新恩を上げている家もあるから
大名達の意識としてはやはり徳川家康から安堵された領地だったんじゃないのかな
0403人間七七四年2018/10/27(土) 21:58:45.13ID:OagYNnB6
そもそも関東移封時代も家康の知行安堵状は万石以下が主なはず
家康としては立場の弱い小領主へのお墨付きという認識かと
0404人間七七四年2018/10/28(日) 00:22:37.88ID:BTvFl9XN
大名の意識とか現代の我々が関知するところじゃない
秀頼に与えてもらった領地だが家康が怖いから秀頼には加担しない、という
考えもあるだろうし

下手にこういう事を決めつけていると教科書のように関ケ原の戦いを豊臣家VS徳川家
というような間抜けな結論をつけてしまう
0405人間七七四年2018/10/28(日) 00:36:00.59ID:UyduURIa
結局ほとんどの大名が秀頼の求めに応じなかったことが全て
0406人間七七四年2018/10/28(日) 00:47:21.28ID:BTvFl9XN
わが国には長い物には巻かれろという言葉もある
諸大名にとっては無難な方につくのは生き残りのため仕方ないこと
中には徳川家を出奔してまで秀頼に加担したり、認知はなくとも家康の子
と認識されていた武将が秀頼側につくという事もあったみたいだが
0407人間七七四年2018/10/28(日) 00:59:04.18ID:UyduURIa
寄らば大樹の陰という言葉もあるしな
長くもなければ大樹というわけでもないのに張り合った秀頼の状況判断が悪いという
その辺は前田に協力を断られた時点で察するべきだった
0408人間七七四年2018/10/28(日) 01:26:48.65ID:BTvFl9XN
現代の我々から見たら確定的な事がいえるけどな

前田家も利長は隠居の自分なら老兵でも手勢を率いて味方できる、などと慎重
な言い方をしている
島津家は秀頼の要請を断ったものの、普段付き合いのない大名に恥をしのんで
まで頼み込み、上方の情勢を慎重に分析している
そして「佐野道可」の件だけでなく、いくつか出奔と称して家臣団を送り込んだ
疑惑の大名もあるから最後の最後まで分からなかったのだろう
0409人間七七四年2018/10/28(日) 01:33:22.53ID:UyduURIa
情勢がわからなかったといえるのは精々冬の陣までで
最後の最後までわからなかったのは秀頼だけだろう
0410人間七七四年2018/10/28(日) 01:35:31.80ID:UyduURIa
対徳川ということでは最大の協力が期待できる前田すら言葉を濁す時点で
それ以下の大名に期待しても望み薄だってことはわかるからな
0411人間七七四年2018/10/28(日) 01:40:42.17ID:r/TuRltn
秀頼の自分が他人に気をかけてもらって当たり前という態度が駄目なんだよな
そういう裸の王様として育てられたのだから仕方がない部分もあるけど
諸大名はお前のパパじゃないんだよ、我が子のように気をかける義理はないんだよ、ということだ
0412人間七七四年2018/10/28(日) 08:07:42.55ID:wUwOqnLY
>>408
堀智博によると佐野道可の逸話は信憑性に欠けるらしいがな
0413人間七七四年2018/10/28(日) 08:20:56.57ID:c05zGVe+
>>412
あの手の話は最初から秘密裏にやるもんだから史料が残るわけもなく見かけ上の信憑性が低くなるのは当たり前よ
だが火のない所に煙は立たぬ、からな
0414人間七七四年2018/10/28(日) 08:56:27.69ID:0gTca7Eo
佐野の件などは、関ヶ原以来の毛利の日和見(どちらが勝っても生き残れるようにする)だろう
大坂の陣が徳川方の圧勝に終わると輝元は幕府にビビって佐野の息子を自刃させてあっさり切り捨ててるし
毛利とすればとにかく家を存続させることが最優先で、家を賭してまで豊臣に忠義を尽くそうとしたわけじゃない
それは前田など他の大名も同じで、豊臣との主従関係なんてその程度のもの
0415人間七七四年2018/10/28(日) 21:24:57.98ID:kK/jxzqD
保険だとして佐野程度で釣り合うんか?
0416人間七七四年2018/10/28(日) 21:43:52.22ID:2mCGXISe
合わんやろ
毛利内の出奔してたはねっかえりが大坂入城したのを吉川が仲の悪い秀元を攻撃するネタにした程度の話だろ
0417人間七七四年2018/10/28(日) 22:19:30.58ID:u3xDWwPD
佐野は一応毛利一族の末席くらいの位置
0418人間七七四年2018/10/28(日) 23:24:33.81ID:7upL2NNA
幕府に対して出奔で体裁を取り繕える程度じゃ焼け石に水じゃないの
それこそ楠家くらいの覚悟で大坂に味方する家がいくつも出ないと
0419人間七七四年2018/10/29(月) 00:48:39.12ID:sId7kNJd
個人的に豊臣に恩義を感じたりする人間は少なからず居たのだろう
浪人身分ならまだしも、それなりの知行と家臣を持つ者にもいたようで、この
手の武将は福島正鎮、正守らがいた
増田盛次などは冬の陣では徳川方として参戦してるが、夏の陣直前に
尾張徳川家を出奔してまで豊臣についている

彼らは豊臣恩顧の大名の子息だが、彼ら自身は秀吉から直接恩顧を受け
たわけではないのに豊臣についている
家康が怖いから不本意ながら徳川についている者がいるという事を強く予
感させるな
0420人間七七四年2018/10/29(月) 10:41:19.77ID:wE8uTWfC
大勢に何の影響もない個人的な恩義の小物ばかりじゃん
秀吉の天下統一前から独立勢力だった大名が家ごと豊臣方に参陣するくらいでないと
そういう大名を味方にできなかったというのがもはや豊臣家が天下人ではなく単に時代に
取り残された反逆者に過ぎなかったという証拠
0421人間七七四年2018/10/29(月) 10:53:23.97ID:wE8uTWfC
徳川幕府も幕末には譜代や親藩まで新政府軍に鞍替えしてるくらいなんだから
武家の主従関係は本来あくまで功利的で、恩義や名目でどうこうできるほど甘くはなく
こっちについたほうが得だとどれだけの武家に思わせるかが勝負の非情でドライなもの
源平の昔からその繰り返しでしょ
0422人間七七四年2018/10/29(月) 11:59:21.54ID:sQBxV3W5
別段武家に限った話しじゃない
冬になればコートを着るし春になればそれを脱ぐ。それだけの話し
ただ稀に春になろうと夏が来ようとコートを脱がない変わり者がいて、それをながめて愚かだなぁと思いつつ感動したりもする
0423人間七七四年2018/11/02(金) 18:11:57.92ID:oaC82Izg
茶々から見ると秀吉がとりたててやった
西側武将から攻められるとは
やっぱり納得いかんかったろうな。
0424人間七七四年2018/11/14(水) 22:09:18.97ID:5jZaHvQH
大名にすれば所領を安堵してくれる力の無い奴に従っても仕方が無いからな
0425人間七七四年2018/11/18(日) 05:48:12.49ID:jhYn69MD
そもそも親衛隊の七手組すら約半分が徳川に内通してるって笑える話し
0426人間七七四年2018/11/18(日) 07:49:49.48ID:dw6N4ZS2
それ特に根拠のない推測
0427人間七七四年2018/11/18(日) 11:20:36.37ID:NkksKTrX
>>424
まあこれに尽きるよな
秀頼は大名に徳川から守ってくれではなく徳川から守ってやるって言わなきゃいけない
0428人間七七四年2018/11/19(月) 20:36:57.15ID:fJFGdinI
家康は夏の陣で戦死している説を大真面目に堺市はとりあげてる
後藤に討ち取られたという話は雑兵や平武者が槍をつけたのをそれでは家康が不憫ということで後からあって名将に討ち取られたという話にしたらしい
豊臣は滅ぼしたが自分も滅びた、ではさすがに笑える話し
0429人間七七四年2018/11/19(月) 21:42:30.82ID:s7VF+vXu
今の鳩山由紀夫は宇宙人と入れ替わってる、くらいくだらん話だな
0430人間七七四年2018/11/19(月) 22:09:36.05ID:fJFGdinI
寺の人は寺の話として残っているものを話したまでです、とのこと
昭和のはじめに家正氏が訪れ、徳川としては積極的に否定もしないし、かといって肯定もしないスタンスでいるとのことだった
0431人間七七四年2018/11/20(火) 02:32:58.08ID:jGIfBsi3
淀と大野を追放して幸村が総指揮をとって秀頼が前に出れば勝てたとか言ってるやつ見ると
アホかと思う
信長の野望じゃないんだから
0432人間七七四年2018/11/20(火) 06:15:34.69ID:8AWj253Q
真田なんてどこの馬の骨かわからんので信用ならんが人手が少なくてはどうにもならんから迎え入れた奴だもんな
0433人間七七四年2018/11/20(火) 21:11:39.50ID:4i34Ri6I
堺での家康討死説は今更真相はわかるはずもない

ただ、幕末や昭和の徳川家の動きからはそれなりの信憑性は伺えて興味深い
0434人間七七四年2018/11/20(火) 23:16:30.00ID:KAhh748a
幕末や昭和まで正しい歴史が極秘に伝承されてるわけねえだろ
0435人間七七四年2018/11/20(火) 23:36:51.30ID:YcpJrCys
そもそも幕末と昭和でもかなりの開きがあるのに
そこに限定して信憑性とかギャグか何か?
0436人間七七四年2018/11/20(火) 23:49:09.74ID:vf0Eu1/L
IDコロコロ君はいつもIDが違う
しかし言っていることはいつも似ている
0437人間七七四年2018/11/21(水) 02:14:49.75ID:Ca7F2Nos
司馬史観やらはよく取り沙汰されるけど、それ以上に観光史観も厄介よなぁ
経済効果があるから町ぐるみで大真面目に信憑性訴えるし
0438人間七七四年2018/11/21(水) 07:55:22.03ID:EC2cf5Si
>>437
おまえのバカ妄想よりましだから別にいいだろアホか
0439人間七七四年2018/11/21(水) 09:36:45.25ID:Ca7F2Nos
なんやこの基地外は
0440人間七七四年2018/11/21(水) 12:47:20.74ID:K0XvbbRX
65万石の一大名の豊臣家に従う大名なんていないだろ
0441人間七七四年2018/11/21(水) 12:58:21.65ID:uauCPIWm
観光の為に捏造したものは史観ですらなく、ただのでっち上げ
家康は怖い権力者なのにお上を茶化して当時の堺の人達に何の得がある
観光史観ではなく、傍証がいくつかある異説
だからあくまでも例の墓は「伝徳川家康の墓」
0442人間七七四年2018/11/21(水) 13:20:43.98ID:aN5NxH0K
江戸時代の歴史捏造なんてよくあることじゃん
0443人間七七四年2018/11/21(水) 13:34:34.94ID:zn8BrtZN
観光史観ってローカルな分先鋭化してて
ある意味司馬史観よりも厄介だと思う
0444人間七七四年2018/11/21(水) 14:21:41.00ID:2BStEIrN
家正は大人の対応したわな、当時の徳川家でもそんな伝承検証のしようがないし
下手に否定して子供の喧嘩みたいになるより肯定も否定もしないでおくのが
元天下人として余裕ある態度というもの
所詮秀頼が薩摩で生き延びていたってのと同レベルのだからどうした説だし
0445人間七七四年2018/11/21(水) 18:57:26.32ID:TLin2nqr
1万石前後の大名が大野はるながはじめ織田有楽、福島正則、毛利輝元の家臣内藤
、細川忠興の次男ぐらいだな
0446人間七七四年2018/11/21(水) 19:33:08.54ID:dpUYMaVm
大坂の陣のあと南宗寺に秀忠が来てその翌月に家光が来ている証拠は残っているという
そして幕末に慶喜の意向を受けた山岡鉄舟が来たが、本来は慶喜が来て家康の墓と
認めるという趣旨の石板を納めようとしたが、あんたがやるのはまずいでしょう、という
ことで山岡鉄舟が代参して墓を家康の墓と認めるという内容の石板を納めたということ
これは今でも残っているし、実際見てきた
そして昭和に家正氏が訪れ参拝したものの墓を本物であるかどうかは曖昧な態度をとった

寺が拝観客に紹介しているのは家康が槍で突かれて一行がここに逃げ込んだ時には
家康は事切れていた、というものだが別説もあり、南宗寺の古田織部作の庭と伝わる
庭石が家康最後の場所だったともあり、どちらにせよ、開山堂の床下に一旦仮埋葬
したというのは共通しているそうだ
開山堂は米軍の空爆によって焼けてしまい、仮の墓石がでてきて現在に至る
0447人間七七四年2018/11/21(水) 19:59:04.45ID:IdSl01lf
>>446
単に眺めが良いから来ただけ
0448人間七七四年2018/11/21(水) 20:14:29.90ID:bc0vJ2sI
>>447
それは表向きの理由だと
当たり前だが、討死説が本当でも家康の墓参りに来ましたなんて公的に書くわけがない
0449人間七七四年2018/11/21(水) 20:25:45.58ID:i44S1Bj6
当時の国家指導者の死亡をそう簡単に隠せるわけねーだろ
0450人間七七四年2018/11/21(水) 20:43:26.89ID:IdSl01lf
>>448
無いね、大坂の陣後にどれだけの人が家康と面会したか
0451人間七七四年2018/11/21(水) 20:45:16.59ID:i44S1Bj6
というか調べてみれば元和九年7月10日に秀忠が参詣したことになってるけど、
実際の秀忠はその日名古屋にいて参詣できるわけがないという
0452人間七七四年2018/11/21(水) 20:46:01.37ID:bc0vJ2sI
これは通説とは違う異説に過ぎない
真相は確かめようもない

ただな、堺の人達が権力者を下手にイジるようなネタをわざわざ残すのも不自然なんだよね
こういうのは名前を変えて伝え残すのが通例
信繁を幸村などと変えたように
0453人間七七四年2018/11/21(水) 21:07:55.18ID:IdSl01lf
そもそも当時の南宗寺は堺焼き討ちで灰燼に帰したはず
0454人間七七四年2018/11/21(水) 21:14:00.68ID:zn8BrtZN
家光からいきなり慶喜まで飛んでて草
0455人間七七四年2018/11/21(水) 21:17:07.44ID:Ca7F2Nos
その石版なりなんなりが普通に偽書である可能性は十分にあるしな
まぁX線なり筆跡検査したのか知らないからいつ誰が記述されたのかは同定できないけども

ガス抜きにここで家康公実は死んでましてんみたいなのは十分に楽しいやろうし
0456人間七七四年2018/11/21(水) 21:25:54.22ID:ucCeN/Yq
>>452
ハイハイ不自然不自然お前のお気持ちなんぞ知るか
0457人間七七四年2018/11/21(水) 22:03:25.45ID:V8vqgxTK
お宮の松みたいなものじゃないのか
0458人間七七四年2018/11/21(水) 22:20:24.00ID:bc0vJ2sI
お前の意向に合うようなカキコをしろとでも?
頭大丈夫か
0459人間七七四年2018/11/22(木) 09:10:31.49ID:P/ns+foL
百歩譲って家康が死んでいたとしてもなぁ
別に歴史の評価が変わるわけでもなく
関ヶ原時ならまだしも家康の子孫が250年政権を保ったのは事実だし
最後まで総大将として敵前に姿を見せず
引きこもりのまま命乞いしながら爆死した秀頼に比べて
執念で戦国を終わらせた英雄らしい壮烈な死に様とも言えて笑うなんて思いもよらないけどな

まあどこにでもある郷土ナショナリズムによる平和なひま話だね
真相がどちらであろうと毒にも薬にもならないという意味でそれこそ微笑ましい
0460人間七七四年2018/11/22(木) 11:33:04.46ID:mloP++9l
ただのルサンチマンって見方もできるし
脱糞とか食い逃げとかの真偽の定かではない逸話も普通に残されている事を考えると
落書で憤怒したあのお方に比べりゃ度量の違いで済みそうな話ではある
0461人間七七四年2018/11/22(木) 12:55:01.87ID:DEIcZBrQ
食い逃げエピのババア大好き
0462人間七七四年2018/11/22(木) 15:42:25.47ID:cctoGlGZ
まあ脱糞も食い逃げも明治以降に出来た逸話なんですけどね
0463人間七七四年2018/11/22(木) 18:31:43.08ID:YMOiic5V
昭和に首が見つかったとされる秀頼だが、あれも豊臣大坂城の三の丸の場所で山里丸で自害したとされる史料とも食い違いがあり、多分違う
通説では自害した事になっているが、これも絶対ではないから歴史探索は楽しい
0464人間七七四年2018/11/22(木) 18:36:36.80ID:pH6Wr3SE
IDコロコロは2chの地縛霊
0465人間七七四年2018/11/25(日) 07:39:08.48ID:5O+qoUf/
>>462
そもそも三方原の戦いって深夜に行われたって説あるしな
0466人間七七四年2018/11/28(水) 22:47:12.41ID:Qs+eD4+y
>>462
時代劇に出てくるような民営の茶屋が出来るのは
江戸時代入ってからだしね
0467人間七七四年2018/11/29(木) 00:39:31.49ID:qdesJhil
江戸時代のような茶屋じゃなくても当然店はあるわけ
食い逃げをそこまでムキになって否定しなくてもいいと思うけど
0468人間七七四年2018/11/29(木) 08:17:19.59ID:7qZG1o6J
>>467
真面目に聞くけどあったという史料あるの?
0469人間七七四年2018/11/29(木) 12:18:23.49ID:cnrE5m6d
>>468
の脳内では資料にないものは存在しないらしい
0470人間七七四年2018/11/29(木) 12:24:18.54ID:U1kCJTG0
>>469
お前はマッハババアが実在すると思ってるのか
大坂の陣で家康が討ち死にしたと言ってた知的障害者と同一人物か?
0471人間七七四年2018/11/29(木) 14:15:42.36ID:7qZG1o6J
>>469
当時の交通と流通と治安と経済状況から、
その手の店が成立するか否かを考察することは、
非常に困難な研究課題だと思う
0472人間七七四年2018/11/29(木) 15:03:43.74ID:5Y5sb9dP
>>469
小説等で得た知識が根拠ってか
0473人間七七四年2018/11/29(木) 15:38:09.58ID:NgvzKf6B
駿遠三の古老は情けない家康をお助けしたって逸話を捏造して
自分たちの地元ageするあさましい連中だからな
0474人間七七四年2018/11/29(木) 16:17:57.57ID:YcSVH1b2
徳川という大樹によっかかるのが安定の早道だし仕方ない
0475人間七七四年2018/11/29(木) 20:22:15.35ID:L2UXcAzc
歴史は勝者がつくるもの
食い逃げも脱糞も討ち死にも一つの説として気楽に考えたらいいのさ
0476人間七七四年2018/11/29(木) 21:27:23.99ID:ANEzzbJ3
じゃターボじじいも。
0477人間七七四年2018/11/30(金) 01:09:32.05ID:0NKXXodQ
限度ってものがあることを知ってほしい
0478人間七七四年2018/11/30(金) 17:29:43.04ID:QFlxY7Pt
まああの時代は食い逃げどころか全財産やら命とられそうだけどなw
0479人間七七四年2018/11/30(金) 18:21:14.90ID:3q31zNSf
服まで剥がされても命があるだけマシな時代だからな
0480人間七七四年2018/11/30(金) 20:13:54.79ID:/0hasfET
藤堂高虎も食い逃げ説があったりする
0481人間七七四年2018/11/30(金) 21:24:51.08ID:fdXIJldi
現役の大名が誰一人として味方につかない時点で勝負は決まってたんよ
65万石で妥協しときゃ良かった
秀吉がノブの息子に行った仕打ちと比べりゃ温情あるほうなんだから
0482人間七七四年2018/12/02(日) 07:40:07.70ID:SHTyQAmc
臣従するのがどうしても嫌だったんだろう
なら最期の最期で蔵に逃げ込んで命乞いするなとは思うが
仮に助命されていたらどういう待遇を要求したんだろう
0483人間七七四年2018/12/02(日) 08:02:13.95ID:ojF4qNr4
秀頼は史実の行動が甘やかされたニートよな
0484人間七七四年2018/12/02(日) 09:11:19.39ID:3qnBxtK2
>>481
たぶん65万石では赦してくれないと思う
0485人間七七四年2018/12/02(日) 16:26:56.60ID:FBKxZ8+3
>>482
大坂城出るから約束通り大和国くれとかかな
0486人間七七四年2018/12/05(水) 20:25:16.55ID:1aah1fdm
五摂家に准ずる公卿として2000石を与えるか、もしくは豊臣松平家として親藩格長浜1万石、尾張中村1万石計2万石を与えるか
0487人間七七四年2018/12/05(水) 20:31:03.50ID:lgOdEjVb
土倉まで惨めに追い詰められて助命されてもそれはないだろ
八丈島追放でよくない?
徳川の領域を通らずに秀頼を連れ出すのは無理だろうし
0488人間七七四年2018/12/06(木) 02:14:35.42ID:r19RlIEo
やってしまったことに対する認識が甘いよなプライドが高い割りに
大坂城に2回も10万集めて負けた結果今更助命だなんて
大野が腹を切る代わりに2人の助命を求めたらしいけど、やっぱこいつが父親なのか
この3人が親子なら、下手に天下など目指さず公家化して静かに暮らしたほうが幸せだったろう
0489人間七七四年2018/12/07(金) 21:31:55.35ID:GWYQin0z
…なんでそこまで偉そうなんだ?
上から目線杉
0490人間七七四年2018/12/07(金) 21:51:52.32ID:9w69zDL8
>>489
だって史実の秀頼がどうしようもなく頭おかしいし
あまりにもやってることがちぐはぐで実は大坂の陣の秀頼は7歳から成長してないのでは、と思うくらい異常だし
0491人間七七四年2018/12/07(金) 22:56:07.07ID:IUaO9DjI
武家の棟梁らしくないわな
やってることも好戦的に見えるが、いざってときにひ弱だし
出てきたところで戦局に影響は大してないだろうが、最後まで引きこもってたのもなんだか
0492人間七七四年2018/12/08(土) 01:34:44.77ID:3srGw1mx
そもそも秀頼の城にみんなで攻めに来てるのだから出陣したらエサが飛び出てきたようにしか見えないわな
0493人間七七四年2018/12/08(土) 04:19:34.13ID:+q272X8g
偉い人には偉い人なりの責任があってそれなりの身の処し方があるのに
それができなかったもんだからあれこれ言われてしまうのは仕方ない
0494人間七七四年2018/12/08(土) 10:59:41.57ID:BPBJK6ik
ストレスに耐えられなくなって自爆的に開戦を決断しちゃったけど、興奮がさめたら自分のしでかした事が恐ろしくなって、どうにか命だけは助からないものかと考えたあげく、自分が出陣さえしなければギリギリ釈明できると考えた
こんなとこじゃないかな
0495人間七七四年2018/12/09(日) 00:23:06.62ID:tcS6n+Ow
まぁ一方的な講釈垂れて畏れ入る
0496人間七七四年2018/12/09(日) 00:29:01.51ID:axhByck6
>>495
言いたいことがあるなら語っていけよ小僧
ここは歴史板だぜ?
0497人間七七四年2018/12/09(日) 14:31:14.47ID:Hs1CnjDF
豊臣擁護したいんだろうけど、擁護出来る要素がないからな
0498人間七七四年2018/12/09(日) 20:41:51.98ID:69/xAi7Y
まだ日本はやさしいよ
中国なんて政治犯にされたら女子供関係なく親戚含めて一族皆殺しだからね
0499人間七七四年2018/12/09(日) 21:43:33.65ID:IiilXhw3
>>497
擁護も何も家康の行為に擁護できる点とかないけど?
0500人間七七四年2018/12/09(日) 21:46:40.83ID:Yp8zrb3Z
むしろ家康を肯定するしかないだろ
0501人間七七四年2018/12/09(日) 21:52:55.89ID:IiilXhw3
歴史の見方、史観なんてそれぞれなんだから互いに信じるものでいればいいじゃん
0502人間七七四年2018/12/09(日) 22:52:15.28ID:lNR4Pq/+
>>499
秀吉に請われて招聘されたのに、豊臣の許可を取った遠征事業しただけで元奉行を刺客として差し向けられたし
自分を呪詛する鐘を作られたうえに怪しい牢人連中を何万人も集めて武装蜂起したり
家康は豊臣の暴走に振り回された被害者だよ
0503人間七七四年2018/12/09(日) 22:56:19.79ID:Hs1CnjDF
家康が求めていたものは豊臣の滅亡じゃなくて臣従だと言われて久しいじゃないか
そのため秀頼の官位を進めて顔を立てると共に遺言通り千姫を秀頼と縁組みさせ
秀忠と秀頼の間に父子関係を作り軟着陸出来るよう努めている
それなのに豊臣は方広寺の鐘銘のような無礼をした
鐘銘の問題は俗説が言うような呪詛ではなく五山の僧の解答を見て分かるように
家康の諱を用いたばかりかそれを二つに分ける無礼をはたらいた事
呪詛ではなく豊臣が無礼をはたらいた証拠なのだから、腹立たしくはあっても
残していて置くのが普通、なのに豊臣好きは呪詛の文を残しておくのはおかしいと
騒ぎ立てる。
0504人間七七四年2018/12/09(日) 23:23:45.22ID:69/xAi7Y
普通に家康は豊臣を潰す方針だよ
浅野と加藤が家康を抑えていたから徳川と豊臣の関係が続いていただけ
家康もこの二人は無視できない
大義名分作りにこのふたりが邪魔だった
すべて潰してしまうからね
0505人間七七四年2018/12/09(日) 23:42:01.90ID:aM6daWYX
既に秀吉の庇護下にない加藤や浅野を全国の大名達が恐れなければならない理由って何ですか
0506人間七七四年2018/12/09(日) 23:54:22.31ID:dTHNojbO
お頼み申すが秀頼を天下人にしてくれって頼みなら多くを求めすぎだ
自分が織田にしたことを忘れたのか
おとなしく公家として生きてれば、そこそこの地位は約束されてただろうに
身の程を知らずに大阪に篭るから悪い
0507人間七七四年2018/12/10(月) 12:27:44.61ID:NxOblEK0
家康が秀吉に引き立てられた以上は何を言ってもむなしいもんよ
己の力で諸大名を斬り従えたならまだわかるけどさ
0508人間七七四年2018/12/10(月) 12:35:08.93ID:wZ5675Sm
では信長に引き立てられた秀吉はどうなるんだって話になると思うけど
0509人間七七四年2018/12/10(月) 12:54:05.27ID:NxOblEK0
>>508
秀吉は織田家を滅ぼしてない
それに清洲会議以降はほぼ自力でやってる
0510人間七七四年2018/12/10(月) 13:31:58.92ID:G0eSVqUs
>>509
はい次の秀吉信者
0511人間七七四年2018/12/10(月) 15:36:23.90ID:DU/UAvxj
また駄々こねることしか出来んのが来たのかw
0512人間七七四年2018/12/10(月) 16:14:10.93ID:CnwyCLp9
>>509
秀頼は自業自得じゃないの?

まあ秀吉が織田家中で権力を掌握して織田を下に置いたのは事実だし、徳川に同じことをやられても仕方ないと思うけどな
0513人間七七四年2018/12/10(月) 16:51:25.16ID:t4Mtvy72
差を挙げれば、家康は秀吉よりも甘かったので秀頼が調子こいた、となる
10万石で長浜に置く位で秀信と同格だな
0514人間七七四年2018/12/10(月) 20:49:01.81ID:khYpt7zx
秀吉の行動は清洲会議以降は実力でやっており、朝廷の力は借りたがそれだけ、織田政権の枠組は使ってない 天下統一してないのだから使いようがない
家康の行動は天下統一している豊臣公儀の中でやっている話
幕府成立後も秀頼後見役の権威をフルに活用
秀吉は独立してやったこと
家康はがん細胞のように徐々に己の政権に置き換えた
甘いも何も寄生虫風情が秀頼をどうこうする資格があるわけもなく
0515人間七七四年2018/12/10(月) 21:15:42.39ID:t4Mtvy72
>>514
朝鮮の役と秀吉の死でその統一も崩壊したが
それを収拾して再統一したのが家康
崩壊が一年にも満たないから、崩壊していないと勘違いしているだけ
0516人間七七四年2018/12/10(月) 21:45:58.44ID:khYpt7zx
>>515
>朝鮮の役と秀吉の死でその統一も崩壊したが
それを収拾して再統一したのが家康

そもそもこんな史実があるかは別にしても
家康が豊臣の権威を使ったことに対しての反論になってないわけだが
0517人間七七四年2018/12/10(月) 21:51:26.86ID:G0eSVqUs
関白じゃないただの秀頼に権威なんかあるか?
0518人間七七四年2018/12/10(月) 22:04:30.25ID:khYpt7zx
>>517
摂関家
0519人間七七四年2018/12/10(月) 22:13:24.04ID:ldA590QC
>>518
オリジナル摂関家があるのに?
0520人間七七四年2018/12/10(月) 22:21:04.59ID:khYpt7zx
>>519
武家摂関家だし
既成事実として家康が豊臣の権威を使ったのだから後世のヲタがどうこう言ってもしゃーないやろ
0521人間七七四年2018/12/10(月) 22:35:31.14ID:G0eSVqUs
豊臣の関白職は秀次粛清で失われたんだよ
あとは太閤秀吉の個人権威政権に過ぎん
だから秀吉が死んだ後毛利も宇喜田も奉行衆も乱を起こした
0522人間七七四年2018/12/10(月) 22:51:58.24ID:ldA590QC
>>520
豊臣の権威を排したから源氏で将軍に任官したんだろアホか
0523人間七七四年2018/12/10(月) 22:55:52.59ID:WwFGYJ+8
無能でもトップに立てる制度作れなかった秀吉に問題があるわ
作りかけていた秀次の関白体制だって自分で壊すし
それだって室町幕府程度の完成度じゃないか、いやそれ以下か
息子は息子で責任も取れないくせに暴れるし
普通は自分の命で家臣の命をとやるところを、蔵に追い込まれて命乞いとか当主としてやることじゃない
0524人間七七四年2018/12/10(月) 22:57:05.17ID:khYpt7zx
>>522
その将軍になるまでの官位官職はだれの推挙よ?誰が与えた領地よ
下地がなければ将軍などになれる道理ないわアホ

まして江戸城普請ですら秀頼側に采配者の派遣を頼んだり、諸大名の天下普請の負担割合を秀吉の朱印状を元に算出してるのにどこが否定になってるのよ
0525人間七七四年2018/12/10(月) 23:21:50.98ID:06KKklUy
>>524
その辺言い出すとそもそも秀吉が朝廷から官位もらえたのは
まぎれもなく織田家の力がなきゃ不可能だしなあ
少なくとも筑前守の位は織田家の力なきゃ無理だし
そのスタートが無ければ官位をもらうのは相当難しいだろう(要は織田家臣にならなければ)
0526人間七七四年2018/12/10(月) 23:33:10.49ID:khYpt7zx
>>525
そうだよ、秀吉とて信長の引き立てがなければああはならなかった
しかし家康ほどではない
実際に天下は統一されてないし、自力でやらないといけないことがたくさんあった
おんぶに抱っこの家康とは違う
0527人間七七四年2018/12/10(月) 23:42:10.42ID:GYRNEo2u
>>523
羽柴政権自体が秀吉個人の独裁政権だからな
官僚層の育成どころかそういう制度の構築をしようとした形跡すらない
秀頼に関しては最後の責任云々もそうだが
領地をまともに運営していたと判断できるものがない
やたらと祈祷はしてるがな
0528人間七七四年2018/12/11(火) 01:54:24.93ID:Z/P6vlsj
家康を推挙しておだてていなきゃならなかった秀吉さんの立場の苦しさをわかってやれよ
0529人間七七四年2018/12/11(火) 05:18:17.79ID:e2Kn1M5C
出陣しなかったのも、失敗したら浪人達が勝手にやったこと私に責任はないで逃げ切るつもりだったからだろ
こんなの天下人としてなんて話にならん、城主としての務めすら果たせてないぞ
よくifで謙信を召還したらとかハンニバルが指揮をとってたらとかスレがあったけど、そんな絵空事の前に
千姫との間に子供作るほうが先だわ、妾相手に励んでいる場合じゃないんだわ
0530人間七七四年2018/12/11(火) 06:51:24.32ID:QH9xqttY
>>526
秀吉は独力ではスタートラインにすら立てないよって話をしてるんだが
それなら一応は独力でスタートラインに立てる家康の方がマシじゃね?
少なくとも三河守は家康独力といってよかろう
朝廷の力云々ならそれこそ秀吉もその力借りてるしな
0531人間七七四年2018/12/11(火) 08:09:49.47ID:o3Dpqka6
豊臣政権だって、家康に東国の面倒見て貰っているから
彼がいなければ朝鮮の役なんて浪費はできない
0532人間七七四年2018/12/11(火) 08:15:16.37ID:8l/b/TTD
やったことはどっちもおんなじじゃん
ここでも秀吉or家康のほうが綺麗をやりだすの?
0533人間七七四年2018/12/11(火) 09:55:51.25ID:Lvxo+VcI
どっちもおんなじなんだけど

各スレで秀吉は織田が天下統一してない、滅ぼしてないというだけで
全面擁護し家康は異様に不義不忠のクズ呼ばわりする
ID:khYpt7zxみたいバカ(一人だろうが)が粘着しまくってるからな
0534人間七七四年2018/12/11(火) 11:00:58.88ID:5/mkzLuz
家康に言う文句は秀吉自身に直接ブーメランで返ってくるから
殺されたのも大阪の陣を2度も起こしたからで秀頼が現実を見るチャンスは何度もあった
そこで思い直していれば秀吉が織田に対して行った処置より、もっと好条件で生き残れただろう
2代や3代、それ以降がどうするかはわからないがね
だいたい自領の統治すらまともにできずに、年貢の徴収に関しても幕府経由で役人借りてる
これほかの家なら改易されてもおかしくない
0535人間七七四年2018/12/11(火) 11:23:37.65ID:Z/P6vlsj
>>529
直属の大野とかがあんだけやる気まんまんだったのに浪人のせい、は通らないよね
0536人間七七四年2018/12/11(火) 12:32:09.74ID:hausJ7f/
>家康に言う文句は秀吉自身に直接ブーメランで返ってくるから

帰ってくる割合が断然違うから
秀吉も簒奪はしたが、家康のような卑劣なまねはしてない
0537人間七七四年2018/12/11(火) 12:47:58.14ID:hausJ7f/
>大阪の陣を2度も起こしたから

秀頼が殺されたのは徳川家の安泰の為という極めて私的な理由に過ぎないけどね
0538人間七七四年2018/12/11(火) 13:08:28.38ID:o3Dpqka6
>>536
>>537
全部あなたの主観です
0539人間七七四年2018/12/11(火) 13:16:51.19ID:axE6HDOe
ここまで頭が悪いと家康アンチにも同意を得られないぞ
0540人間七七四年2018/12/11(火) 13:37:01.55ID:hausJ7f/
>>538
そのままお返しします
0541人間七七四年2018/12/11(火) 13:51:38.82ID:hausJ7f/
>>539
頭悪いのは家康ヲタだろう
勝者の理屈だけ見てたら歴史の研究なんてするいみないし
0542人間七七四年2018/12/11(火) 14:21:53.22ID:FIuNH+dP
歴史は基本的に勝者があって積み重ねられてるんだが。
0543人間七七四年2018/12/11(火) 14:36:51.55ID:FZMlO/Sw
>>541
いい加減にして引き下がったら?
自分のIDにもハウス!て言われてんじゃん
0544人間七七四年2018/12/11(火) 16:14:09.88ID:qIjifVrs
勝者の歴史ガーとか思考停止する奴に限って
古臭い歴史観のままなのはなんでやろなぁ
0545人間七七四年2018/12/11(火) 16:17:39.42ID:o3Dpqka6
家康が豊臣の権威を用いたのは関ヶ原前までの政権大老としてであって、
それ以後で豊臣の権威を利用したかな?
0546人間七七四年2018/12/11(火) 17:02:51.51ID:rP2ny2dK
ベスト さっさと臣従する
ベター 野戦に出て壮絶な討ち死に、今の真田幸村の立ち位置となり歴史に派手に名を残す
グッド 自分の首の代わりに臣下の命を救うよう申し出る
バッド 蔵に追い詰められて命乞い
0547人間七七四年2018/12/11(火) 19:11:05.99ID:tvupQTtK
>>545
>>524をなんで読まないの?
0548人間七七四年2018/12/11(火) 19:36:28.99ID:axE6HDOe
>>547
なんでガイジの書いた文を読まなアカンねん
0549人間七七四年2018/12/11(火) 20:24:04.27ID:o3Dpqka6
>>547
江戸城普請は奉行の連署に豊臣家臣の名が載っており、禁中普請にも参加している
これは奉行職として江戸城普請に参加したんじゃない

尤も以後の豊臣家を見る限り、どちらかというと奉行としての経験を積ませるための
幕府側の好意とすら思えるが
0550人間七七四年2018/12/11(火) 21:58:08.71ID:tvupQTtK
>>549
それは采配側としての参加なんだし

ま、秀吉の朱印状を元に諸大名の負担割合を決めている時点で豊臣を否定しようがないわけだし、秀頼らの寺社仏閣の修復も秀頼の名で諸大名に命じて行わせているのに徳川は特にクレームをつけてない 諸大名に命じる権利を認めるってのは公儀性を認めているのと同じだがね
0551人間七七四年2018/12/11(火) 21:59:23.99ID:vpbKLprY
>>536
もう面倒なんで君の思う秀吉より家康が卑劣な点を
具体的な事例を挙げて言ってくれないか
0552人間七七四年2018/12/11(火) 22:03:21.61ID:o3Dpqka6
>>550
采配側といっても数千石級の旗本の仕事だし

継続していないから江戸城普請で使ってみたけど、
全く役に立たなかったとか

大坂の港湾を使うので参加させたが役に立たないので、
板倉勝重による間接支配に変更したのでしょう
0553人間七七四年2018/12/12(水) 00:19:43.57ID:aCyylg+X
豊臣の権威を利用したというよりとりあえず旧主に気を使ってみた程度なんかね
0554人間七七四年2018/12/12(水) 04:16:33.77ID:VtEm1Szs
司馬遼によると淀殿がヒステリー起こしたために勝てる戦が講和になってしまったらしいが
(そもそも勝てる戦ではない)
淀は開戦前はどうだか知らないが開戦後は現実理解して和平派だろ
本当に秀頼が淀の言うこと聴くようなマザコン息子なら豊臣は滅亡しとらんでしょ
0555人間七七四年2018/12/12(水) 12:57:40.49ID:p13Kldzh
>>553
ものはいいようだね
そもそも旧主じゃなくて主君だしな
0556人間七七四年2018/12/12(水) 13:01:16.58ID:RZM+MFsF
>>555
主君の資格は関ヶ原合戦で消滅した
0557人間七七四年2018/12/12(水) 13:05:04.29ID:p13Kldzh
>>556
それ、後世の人間が勝手に言ってるだけだし
0558人間七七四年2018/12/12(水) 13:22:17.38ID:p13Kldzh
諸大名への領地安堵の朱印状を幕府成立以降も家康個人名で出せてない以上、暗黙に領地安堵を行う主人は家康ではなく、秀頼ってことになる
実力はともかく名目上、秀頼は家康の主君
0559人間七七四年2018/12/12(水) 13:33:47.92ID:IE8aUSc0
>>557
ようガイジ
また来たのか
0560人間七七四年2018/12/12(水) 14:25:47.34ID:vjbOZY1j
この回答によると関ヶ原後に徳川家と豊臣家で「御恩と奉公」の主従関係が発生したとあるな
また慶長13年頃から臣下から主人へしか出されない儀礼である年頭礼が秀頼から家康へ出されてるとも
朱印状は申請があれば家康名で出す予定があったともある

異論があるならこの回答者にぶつけたら?
いろんな史料を読み込んでる相当な猛者みたいだけど
豊臣家の関白世襲が「叡慮次第」、つまり天皇の意向次第であり豊臣政権の基盤が
決して盤石なものではなかったこともこの人の回答で初めて知った

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13199615103
0561人間七七四年2018/12/12(水) 14:33:30.44ID:EZpKv2e2
そもそも合戦の発端は
豊臣が名目上の主君でしかないのにド無礼かまして、挙げ句取次追放して喧嘩売ったからやしな

主君だろうがなんだろうがここまで舐めた態度取っておいてつつがなしで済む訳ねーし
つーか、それでもなお冬の陣で甘々に済まそうとしてるのにその講話条件すらまともに守れてないからあんな結末になっとるわけでな

豊臣徳川どっちが主従?の問題じゃなく、最後まで他人舐め腐ってたのは豊臣ってだけでしょ
0562人間七七四年2018/12/12(水) 15:45:43.18ID:RZM+MFsF
>>558
当時の家康は知行宛行状を支配の根拠とは見なしていない
相手が欲しければ交付するとしている
関東領国時代から知行宛行状は数千石の旗本までしか出していない
0563人間七七四年2018/12/12(水) 15:57:09.70ID:MK4FBgMo
>>561
冬の陣の講和条件でもあった牢人の処遇で泣きついた時も
大坂城から退去してくれれば牢人は幕府で処理すると激甘対応してるしな
結局大坂方による講和条件の一方的な破棄で夏の陣開戦という救いようのなさ
0564人間七七四年2018/12/12(水) 21:31:12.54ID:64gQ9p6x
>当時の家康は知行宛行状を支配の根拠とは見なしていない
相手が欲しければ交付するとしている

欲しがった相手にも出す出すといって結局出してない
家康が根拠と看做していたかは関係ない
それはあくまで家康の感覚にすぎないので
一般的な大名にまでその感覚が普遍のものだとしたら所領安堵状を求めること自体が
おかしいってことになる

年頭のあいさつもあくまでも義祖父に対しての物とも解釈できる
何より秀吉の朱印状を元に家康は大名を動かしているのでこれは豊臣をあくまで上と
している事になる 実際、二条城の会見も秀頼の御成りの扱いだった

>>561の人のいうように現実として名目上の主君にすぎないよ秀頼は
だけど家康を反逆者呼ばわりする材料としてはそれだけあれば十分なのさ
0565人間七七四年2018/12/12(水) 21:35:10.27ID:64gQ9p6x
家康は反逆者

これは頑として動かない

殺伐とするのも好きじゃないのでこれでやめておくが、史観は人それぞれ
なんで強制はしない 家康ヲタが根拠のないものを信じるのもまた自由だしね
こちらも書きたいときに遠慮なく書く
誰にも止められない
0566人間七七四年2018/12/12(水) 21:49:56.97ID:64gQ9p6x
実際は政権を預けていたので家康が実力が上なのは当然の話
だから秀頼はあくまで名目上の主君にすぎない

家康側から見れば秀頼の無礼によって大坂の陣が起きたと考えるのも無理はない
秀頼の対応が柔軟性に欠けるものであるのもわかる
年頭の挨拶は秀頼本人がやっているわけでもないし、秀忠は相手にされてないが
家康が秀頼が臣従したと思いたがるのもわかる

しかし家康は不義不忠の反逆者
言いたいのはそれだけ
0567人間七七四年2018/12/12(水) 21:51:09.84ID:64gQ9p6x
×年頭の挨拶は秀頼本人がやっているわけでもないし、秀忠は相手にされてないが
家康が秀頼が臣従したと思いたがるのもわかる

〇年頭の挨拶は秀頼本人がやっているわけでもないし、秀忠は相手にされてないが
秀頼が徳川に臣従したと思いたがるのもわかる
0568人間七七四年2018/12/12(水) 21:56:22.27ID:RZM+MFsF
>>566
あなたは言いたいことがを持論の前提としているね
なら結論が決まっている人に何を言っても無駄か
0569人間七七四年2018/12/12(水) 21:57:47.98ID:IE8aUSc0
ガイジがまた来たぞ
0570人間七七四年2018/12/12(水) 22:03:43.75ID:64gQ9p6x
>>568
二重公儀の解消のための大坂の陣が一番しっくりくるからな
家康の力の源泉は秀吉の引き上げによるものだからこれが動かない限り
家康の下克上、謀反の評価は逃れられないよ
0571人間七七四年2018/12/12(水) 22:56:01.07ID:bWxUwFQs
まあ織田家の内訌につけこんで主従関係逆転させた豊臣家がどうこう言える話じゃないわな
0572人間七七四年2018/12/13(木) 07:41:35.65ID:A6mrViW6
>>570
二重公儀論も牽強付会
0573人間七七四年2018/12/13(木) 10:24:19.37ID:uSOn8i+L
豊臣は公儀と言えるほどの事も出来てないしなぁ
むしろ徳川家に自領の年貢徴集のヘルプまでしてもらってる状態で
公儀として行わなければいけない最低限の義務すらこなせてない

本当に朱印にお情けで名前出してもらってた程度くらいの権威でしかない

まぁそれでも名目上の主君だって言い張るならあれだけど、織田も豊臣もおんなじ簒奪行ってるし
最大限譲歩してるだけこの中じゃ温情ある処置してるけどな、受け手が全部蹴っ飛ばしてご破算にしただけで

この手の権力移行は、元権力者側がバカだとこじれるってだけの話よな
0574人間七七四年2018/12/13(木) 10:29:51.88ID:Nlb9Wqge
夏の陣図屏風が戦国のゲルニカとか言われてたけど
解釈はゲルニカと言うより君主が馬鹿だとこうなりますよという戒めにしか見えん
0575人間七七四年2018/12/13(木) 21:07:11.22ID:eXZKgFyc
公儀いうならちゃんと公家やら朝廷と話ができてないとな
豊臣秀頼ではそれは無理な話
0576人間七七四年2018/12/13(木) 21:20:35.78ID:7X5nMkWF
そもそも傀儡の秀頼に実権など無かったわけだが
0577人間七七四年2018/12/13(木) 23:31:45.11ID:iXqUm51V
傀儡という形で権威を借りるなら朝廷だけで足りてしまうんだよな
0578人間七七四年2018/12/14(金) 09:37:59.56ID:2RBwX9SV
普通に考えれば
信長に出された三職推任でも関白太政大臣と並んで示された征夷大将軍に任じられた時点で
朝廷から天下人として公認された(豊臣家からではなく朝廷から政権を任された)わけで
その時点で豊臣家の武家関白制は事実上廃止されたと見るべきだと思うんだがな
朝廷の権威と豊臣家の権威とどちらが上かって言えばそりゃ朝廷のほうでしょう
0579人間七七四年2018/12/15(土) 05:03:06.64ID:wQFQDqX2
豊臣側の要求を100%叶えたとして、浪人分を加増?
絶対それ自分たちじゃコントロールできないじゃん
統治できず浪人もコントロールできずに幕府に泣きつくのが目に見えてる
0580人間七七四年2018/12/24(月) 22:06:26.30ID:zR07V92w
結局豊臣連中が大坂城からさっさと出て行けばここまで問題はこじれなかったんだよ
秀吉だって大坂城建築始める前に、修築した安土城から三法師と信雄追出しているわけだし
0581人間七七四年2018/12/25(火) 08:44:08.61ID:HBYyqiyy
>>578
この時点では右大臣徳川家康 内大臣豊臣秀頼だからどっちが上かと言われると微妙なんだよな
官位の上では家康が上だけど、秀頼は年齢考えたら出世速度ヤバイし
しかも家康が1605年に右大臣を辞めた後、後任が豊臣秀頼で、1605年には右大臣豊臣秀頼、内大臣徳川秀忠と
また豊臣徳川の官位が逆転してる。1608年には左大臣の任官もあったらしいし

公的権威では豊臣が上、武的権力では徳川が上という歪な状態は続いていたと思う
0582人間七七四年2018/12/26(水) 23:58:21.54ID:BkNctwHr
豊臣で重要なのは「主家簒奪」「関白任命」「惣無事政策」「豊臣賜姓」「関白太政大臣内覧豊臣長者一家皆殺し」
この5つだと思う。

主君の没後1年で主家の人間を殺しまくって主家を横領し乗っ取った不義不忠の簒奪者が豊臣の本質だが、
関白任命と豊臣賜姓、聚楽第行幸で正当化され、武家関白制が成立していった。
けど1592年に聚楽第行幸で公認された関白左大臣内覧豊臣長者を一家虐殺したことで武家関白制は崩壊し、
豊臣の公儀性は失われたと考えるべき。

秀吉が乱発していた契約書や、泣きつくようなみじめな遺言に公儀性はない。
聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である帝からたくされた公儀は、内大臣に引き継がれたと見るべきだろう。
豊臣は主家簒奪の家柄で、豊臣秀頼は関白左大臣内覧豊臣長者を殺した正当性のない存在だ。

そして1601年に関白が任命され、1603年に右大臣征夷大将軍が任命された時点で、
600年の伝統をもつ関白五摂家持ち回り制と、400年の伝統を持つ征夷大将軍制に戻ったと考えるべき。

1614年の関白左大臣は鷹司信尚、右大臣征夷大将軍は徳川秀忠、内大臣は西園寺実益だ。豊臣秀頼にはなんの大義もない
ただの謀反人だ。征夷大将軍に征伐されるのも当然といえる
0583人間七七四年2018/12/26(水) 23:59:20.37ID:BkNctwHr
豊臣で重要なのは「主家簒奪」「関白任命」「惣無事政策」「豊臣賜姓」「関白左大臣内覧豊臣長者一家皆殺し」
この5つだと思う。

訂正
0584人間七七四年2018/12/27(木) 19:45:56.67ID:fuQD2Fka
家康も結果的に簒奪したけどな
0585人間七七四年2018/12/27(木) 19:52:52.10ID:DjJrzXRi
>>584
0586人間七七四年2018/12/27(木) 22:04:01.95ID:w7aFe/E4
聚楽第行幸も重要。

聚楽第行幸で家康をはじめとする諸大名は天皇を主君として臣下の礼をとり、
関白左大臣内覧豊臣長者を、帝はわざわざ聚楽第に行幸し公認していた。
これを殺したのが豊臣なわけで、秀頼は正当性のない存在といえる。
0587人間七七四年2019/01/07(月) 17:14:32.73ID:ePEqQNrP
>>584
惣無事と聚楽第行幸の意味を勉強してきな。誰が誰に臣下の礼を取ったのかわかるから。
この2つが理解出来ていないと、関白左大臣内覧豊臣長者一家皆殺し事件の重大さも理解できない。
0588人間七七四年2019/01/07(月) 18:47:11.47ID:drN6O2K6
誰がどうみても秀吉に降ってると思うけどね
まあ、おいそれと手出しできないからかなり家康に気をつかってるようだけどさ

てか、秀吉に頭下げたのがそんなに気に入らないのかね
最終的に天下を獲ったんだからどうでもいいことだと思うけどな
0589人間七七四年2019/01/07(月) 19:33:36.79ID:5sF/abIa
誰がどうみても家康に降ってると思うけどね
まあ、おいそれと手出しできないからかなり秀頼に気をつかってるようだけどさ

てか、家康に頭下げるのがそんなに気に入らないのかね
最終的に豊臣を残せるのならどうでもいいことだと思うけどな
0590人間七七四年2019/01/07(月) 19:39:34.43ID:ePEqQNrP
前提として、主家を乗っ取り君位を簒奪した正当性のない家が豊臣だが、

天皇を主君として頭を下げ、私闘をやめよとやったのが関白の惣無事になる。家康はこれに従ったので、家康の主君は天皇になる。
主君である天皇に臣下の礼を取り、主君の天皇が関白に実務をゆだねるから指揮に従うようにと天下にしめしたのが2度の聚楽第行幸。

関白左大臣内覧豊臣長者の秀次は、主君の天皇から実務を任された重要人物だった。
その重要人物を一家皆殺しにして血を根絶やしにし、聚楽第を破壊してやりたい放題やったのが秀吉と秀頼だ。

主家を簒奪した豊臣にとって、惣無事と聚楽第行幸はきわめて重要。関白左大臣内覧豊臣長者一家を皆殺しにしたのも重要
0591人間七七四年2019/01/10(木) 19:26:15.40ID:YmyXnYPM
自分で指揮に従うようにと書いていて
降ってないってバカなんだろうか?
0592人間七七四年2019/01/10(木) 19:46:44.87ID:Xsoz55yR
秀吉は信長から信忠たちの将来を
託されてはいないけども
家康は秀吉に誓詞まで出しといて
それを一方的に破るのだから
はるかに簒奪度や裏切度やひどいよな。

誓詞出した時には忠誠誓っていたが
その後の状況で簒奪せざるを得なかった
なんて言い訳も聞かないような早業ってことは
誓詞だした時から「ウソだっぴょん」と思ってたわけで
ウソツキ度、腹黒度、では日本チャンピオンではあるな。
0593人間七七四年2019/01/10(木) 21:58:42.84ID:/5HzzGwb
1562年〜1582年
   /\ ⌒ヽ ペタン
  / /⌒)ノ ペタン
  ∧∧\ (( ∧_∧
 (´Д)^) ))(・∀・;)
 / ⌒ノ(⌒ヽ⊂⌒ヽ徳川
(  ノ ) ̄ ̄(0_ )
 ))_) (___) (_(
 織田 清洲同盟 

織田がつき、
徳川こねし天下もち、
奪い喰らうは、忘恩ネズミ

1582年〜1592年
    / ̄\ まだ一周忌たってないけど
   |  | 信長の側室と孫娘と息子と妹は殺しとこかー
 ハゲネズミ  ̄\主家の織田領地はぜーんぶわてのものや
  /・  ・ヽ  |帝もわてを認めた。わては関白様やでぇ。信長とは違うんや
 /    |__/餅うめぇええww あ、織田家は改易流罪や
ミ●ミ  ノ   ほれみい、
  > < (⌒  天皇も聚楽第行幸してわてを公認しとるでぇ
  (ノ関白L)_)
  n」  Ln
   ̄ ̄ ̄ ̄ 三

1592年〜1598年
  / ̄\ / ̄\
 |  ||  |
  \ ∠_\ /
  /     ヽ
  | ●  ●|
  | 三(_●_)三 太閤さまに逆らう関白・左大臣・内覧・豊臣長者は邪魔やな
  人  |UШ \
 / __ ヽノ/> ) 一家皆殺ししとこかー。聚楽第? そんなもん打ちこわしや
(___)  /(_/
  |    /    女も子供も根絶やしやー。太閤様はえらいんや
  | /\ \
  | /  ) )
  ∪  ( \
     \_)

ネズミ「かえすがえすも秀頼の事お頼み申します五人の衆なにとぞ頼みます。」

家康「だが断る」
0594人間七七四年2019/01/10(木) 22:09:12.93ID:/5HzzGwb
「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」
といわれるほどのデブで、

「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」
という疱瘡をわずらいアバタ顔だった


まんまこれ
+          +  。
 *  、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,         _____
  _-'"         `;ミ、      /:::::::::::::::::::::::::\〜
 _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ    /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
 >ミ/         'γ、` ミ   |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
 了| "~`、  "~"`   {,',; ;} 。  |;;;;;;;;;;ノ∪  \,) ,,/ ヽ〜
 "7 `⌒`   ⌒   }ミ:. {   |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
  '|   /       レリ*    |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜
+  i  (       }ィ'     |∪< ∵∵   3 ∵> ハァハァ
   `  ー---    /|` +     \       ⌒ ノ
    ヽ  ̄    / |__        \_____/
     `i、-- '´   |ソ:
      ↑               ↑
   想像上の秀頼         現実の秀頼
0595人間七七四年2019/01/12(土) 07:27:14.79ID:mO6vZL+v
よくある○○は実は生きていたってのでも
天海やらチンギスハンのなか
秀頼はデブで大酒のみでよく暴れる働かないやつがいるが、どうも秀頼らしいって話で実にロマンがなく悲しい
0596人間七七四年2019/01/12(土) 07:41:02.01ID:c9MQzAWO
花のような秀頼様とかいう関ヶ原のイメージで止まってる唄
20過ぎて幼児並みに自分の意思がなかったら恐ろしいわ
0597人間七七四年2019/01/12(土) 10:30:54.36ID:LxFVdb/T
>>592
秀吉も家康も、三成があれほど大規模な謀反を実行するとは夢にも思わなかったのだから仕方がない
そもそも奉行が大規模な謀反を簡単に企てられる豊臣の体制に問題があるから
どうみても完全に秀吉側の責任だろう
三成みたいな人間を奉行に置かれたら家康だってどうしようもない
0598人間七七四年2019/01/12(土) 14:05:02.35ID:3JRFBt/t
>>596
鬼のような真田、までがひとくくりのイメージ戦略なんだろうな
まあ真田もかなり盛ってるからもう適当もいいとこ
0599人間七七四年2019/01/12(土) 16:14:10.43ID:seppuPi6
>>597
体制に問題があっても
家康の意思が無かったら簒奪は起きないでしょう。
どんな体制でもそれを支えるのが忠臣
という言い方だって出来るし
体制の問題にするのは少し論理のすり替えだと
思うよ。
別に家康を非難したり論理的にどうとか
言うわけじゃなくて、やったこと自体はあくまで
家康の判断で秀吉との比較だとなかなか
エグいなぁという話。
0600人間七七四年2019/01/12(土) 16:27:30.25ID:KChho8O5
あんだけやられて主家残そうとしてるのはかなり忠臣だと思うけど
問題は主家側が天下を支える器量も人材もないのに高待遇での臣従すら蹴っ飛ばして喧嘩ふっかけた挙げ句ご破産にしたことな訳で
0601人間七七四年2019/01/12(土) 17:19:09.38ID:c9MQzAWO
>>599
はい次の簒奪猿信者
0602人間七七四年2019/01/12(土) 17:31:43.57ID:DwW7goEK
家康は秩序を保とうとする人間だからな。行動が日本と似ている。
信長がアメリカみたいなもので、上洛朝倉征伐姉川三方ヶ原と義理をはたし、苦境でも裏切らなかった。
秀吉が関白になり天皇に従えとやると、君位の略奪を非難し、主家簒奪の逆臣と戦っていたが矛をおさめ天皇に従った。
外征で三成の讒言で豊臣の手足といえる加藤や小早川が切り捨てられそうになると豊臣体制の維持につとめて救い
関白左大臣内覧豊臣長者一家を虐殺したときは最上の娘を助命嘆願したりしている。秩序を保とうと努力している。
石田三成が暗殺を企てたり七将に襲撃されても、中立的な裁きに徹して秩序の維持につとめたし
1600年の関ヶ原では帝の下賜と、太政大臣家の物資援助を受けておこなっている。
徳川が征夷大将軍になれば豊臣も武家な以上、家康が関白に従ったように従うのが筋だが、
年寄りなのに14年も時間をかけて協調につとめて天下の安定を考えている。
秀吉の場合なら、喪中に殺しまくり1周忌で簒奪をほぼ完了している。
家康は保守的で筋をとおす人間だよ。
0603人間七七四年2019/01/12(土) 18:51:28.01ID:2RbiR7yX
朝廷も好きに弄っていたようだし保守なんかね

秀頼を手元に置いておけという政宗の勧めを用いなかったのは豊臣の力を恐れていたのかな?
それとも火種として利用価値があると認識していたんかな?
0604人間七七四年2019/01/12(土) 19:10:00.98ID:y+LYz1V5
武家による朝廷への介入なんて豊臣政権時に比べれば屁みたいなものだろ
0605人間七七四年2019/01/12(土) 19:18:49.34ID:DwW7goEK
朝廷のやってきたことを考えりゃわかる

主家を簒奪した逆臣に主君の没後たった3年で前例を無視して下賎な人間に関白の位を渡したせいで
任官妨害がおこなわれて公家が大臣になれなくなり朝政の維持も困難になった。
内大臣が流罪にされ、右大臣が流罪にされ、関白差大臣内覧は一家皆殺しにされるようになった。

猪熊事件がおこるとおおぜいの公家が反対するなか天皇は法を無視して皆殺しにしろと叫び続けた。
皆殺しにすれば大混乱がおこることが確実視されおり、幕府は法を遵守して捌きをおこなった。

こういうのが重なれば、公家諸法度って話にもなる。紫衣事件も法を無視した天皇が引き起こした。

法治主義の徳川が法にもとづいた公正な政治をおこなおうとしているのに暴走しているのが天皇。
体制を守るためにも法による統治を考えるのは保守だよ
0606人間七七四年2019/01/12(土) 19:21:59.24ID:DwW7goEK
内大臣織田が流罪、左大臣の近衛が流罪、右大臣の菊亭が流罪、関白左大臣内覧一家は皆殺し。

この歴史がありながら豊臣をふたたび関白にしようとしていた話もあるしな。
戦乱を引き起こしているのは天皇であり朝廷だってことになれば、滅ぼしてしまえとなる可能性もある
0607人間七七四年2019/01/12(土) 19:37:32.61ID:KChho8O5
>>603
いつ連れてくの
当たり前だけど幼君勝手に連れてくとかよほど主家蔑ろにした行為で、そもそもやる必要がない
ある種秀頼を江戸へ連れて行かなかった事こそ家康が豊臣家立ててた証拠と言えるよ
0608人間七七四年2019/01/12(土) 19:46:30.47ID:y+LYz1V5
政宗の認識だと家康は既に秀吉の遺言(秀頼は大坂城)を反故にできる状況でありながら
あえてそれをしなかったってことになるな
0609人間七七四年2019/01/12(土) 19:56:28.43ID:DwW7goEK
そもそも豊臣は武力で天下を統一したのではなく、帝の権威で諸大名を帝に臣従させることで外交的に天下を統一した政権だからな
聚楽第行幸で公認さえていた「関白・左大臣・内覧・豊臣長者」を殺して利益を得た人間に正義はないし正当性もない
0610人間七七四年2019/01/12(土) 20:02:44.34ID:mO6vZL+v
家康は甘いよ
同じく2代目の秀忠のほうが秀頼のボンクラっぷりは許せなかったんじゃないか
だって秀頼、自分の領地すらまともに統治できてない
その上、大坂の陣を2度も起こすとかありえん
0611人間七七四年2019/01/12(土) 20:18:09.55ID:2RbiR7yX
>>607
関ヶ原で利用されかけたんだし、関ヶ原後は絶好のチャンスだったと思うけどね
0612人間七七四年2019/01/12(土) 20:51:33.15ID:KChho8O5
>>611
うん、だから可能がどうかでいえば政宗が提言してるように恐らく可能だよ?
ただそれをやるという事は豊臣家を敗者として扱うわけで、主家を立てるという観点から家康はやらなかったの

ぶっちゃけかなり筋金入りに忠義を尽くしてると思うよ
0613人間七七四年2019/01/14(月) 12:45:50.53ID:ctPQkVTi
家康が秀吉の遺言に背いたことは史実だと
思うけどなんか違うのか?
最初は千姫嫁に出したりはしてたが
その後の状況で豊臣家なんか邪魔で
不必要になったという推移はあるだろうけど。
千姫婚礼を、主家を残そうした、という解釈で
そこだけを主張してるってことなのかな。
0614人間七七四年2019/01/14(月) 15:45:49.90ID:GwwxmGcA
家康に背かれた秀吉の遺言ってのは、どれのことを言ってるの?
御掟を遺言だと言ってるのならそれが違うよ?
0615人間七七四年2019/01/14(月) 15:47:58.22ID:nVxM+Xf1
>>614
秀頼のお守りじゃないの?
0616人間七七四年2019/01/14(月) 17:00:56.44ID:4ey5iXAs
秀吉の遺言は、秀吉の死後は徳川と前田に政治をたくし、奉行どもはこの2人に相談して物事をきめなさいってものだな。
関白殺しのときにつくった御掟は、上様の許可なく結婚しちゃいけないってもの。
つまり
秀吉の死後は、徳川前田が結婚の許可をだし、前田が死んだあとは徳川が許可を出すってのが秀吉の掟であり遺言

遺言にそむいているのは石田
0617人間七七四年2019/01/14(月) 17:26:54.00ID:nVxM+Xf1
調べてないのであれだけど
通説では、家康が勝手に大名同士と結婚していると
責められなかったっけ?

遺言なのか分からないが、大坂城にて秀頼のお守りを前田利家に
伏見城にて政治ごとは家康に託したんじゃなかった?
0618人間七七四年2019/01/14(月) 17:46:35.82ID:GwwxmGcA
その婚姻云々を責めてるのが筋違いって話
それは遺言ではなく秀吉存命前提の時に書かれた御掟の内容
もしこの内容が秀吉没後も有効なら奉行は勝手に誓紙交わすなって御掟の内容を秀吉没後11日で破ってることになる
0619人間七七四年2019/01/14(月) 17:49:25.74ID:Fz/ueHvB
> 調べてないのであれだけど
えぇ…
0620人間七七四年2019/01/14(月) 17:59:46.81ID:nVxM+Xf1
まあ、厳密には遺言の話してるんだろうけど
秀吉存命中の掟とはいえ、勝手に結婚して親族関係を構築するのは
豊臣家にとって、脅威とならないのか?
だから、責められたんでしょ

三法師が幼いこといいことに、清洲会議の内容なんて
すぐさま破っているでしょ

秀吉も、自分の遺言なんて守られないことくらい、十分承知していたと思うけど
0621人間七七四年2019/01/14(月) 18:38:28.21ID:7jCzMP4Y
秀次を降ろさなければ、大坂の陣は起きてなかったかな?
それとも時代が少し下って関白を継いだ秀頼vs秀忠で起きたりするのだろうか?
0622人間七七四年2019/01/14(月) 18:47:09.45ID:ctPQkVTi
普通の大名同士の私婚は禁止したけど
大老同士の婚姻は奨励した。
このあたりが細かくて2ちゃんとかの
会話ではごちゃごちゃする。

遺言に背く、というのは、616の言うように
徳川に後を託したのに石田が逆らうから
それで七将事件が起こった、という話と615の言うように
秀頼のお守りとある。

直後の石田の話とかじゃなく
秀頼のお守りまかされたのに臣従させるは
抹殺するわ、このあたりははっきり臨終前の
誓詞破りというのは普通の話だと思うが。

婚姻の話は、直後に奉行たちにせめられて
家康はとぼけたりしてるから
このあたりもそれなりに違約とは思うけどね。

いつものことだが、部分の話と全体の話がごっちゃになるから
エンドレスになる。秀頼のお守りまかされて誓詞も交わしたのに
それを守らなかった、という点に関しては
自分は家康を高く評価するけども
ちょっとアレだなぁという感じ。

存命の時の御掟が死後も有効か、とかは
また別の話と思うが、豊臣に臣従する立場からすれば
普通は死後も順守するものじゃないかな。
存命前提、とかまたも話がそれてる気がするし。
そんな、存命前提の御掟、なんてあまり聞かない話だしね。
それを明記した秀吉の「御掟」なんてあるのかな。
生きてる時に書いたものだから死後は別だろ
とかそういう論にはついていけないけども。
0623人間七七四年2019/01/14(月) 19:27:34.76ID:GwwxmGcA
遺言破りを即忠実ではないと評価してるのね
遺言自体秀吉が死後想定しきれてない事態がごまんと出てるから正直破るのはしょうがない面があると思う
政敵が破ってるのに片側だけ破らず政争しなさいってのも無理ある話だし
あと婚姻問題の際すっとぼけたどころか、奉行にあらかじめ伝えたのにこれを問題とされるのははなはだ不本意
これ以上問題にするなら兵を出すのも辞さないというかなり強固な態度とってる

秀頼のお守りに関してもしゃーないんじゃないかなぁ 天下人って権利である前に義務もあるわけで
その義務はこなせないよ、というか大坂統治する人材足りてないから徳川の役人派遣してもらってるよ、でも大坂は専有したまま徳川よりも上位の存在として居続けるよ、は通らないと思う
というか年頭礼を出して実際臣従は滞りなく済んだうえで、2家同士に緊張が走った際も屈辱どころかかなり厚遇した条件を出して、それ蹴られて2度も戦闘になってもなんとか秀頼の命だけは救おうと奔走してるんで
起きた結果だけじゃなく、その間何をしていたのかまで見ればやはり忠義尽くしてると思う
正直あれはかなり豊臣家がぱっぱらぱーなことしてる

あとまぁ御掟が有効だったとしたら上の人もいくらか言及してるけど、今度は誰が許可を下す上様やねんってことになるんで
0624人間七七四年2019/01/14(月) 21:07:21.50ID:4ey5iXAs
御掟や遺言が有効か無効かって話をするなら、豊臣の存在自体が無効なんだと思うよ。

豊臣は主家を簒奪し、関白任官と惣無事と聚楽第行幸で主家簒奪を正当化して成立した政権。
なのに、聚楽第行幸で公認されていた関白・左大臣・内覧・豊臣長者を一家皆殺しにしてその座を奪ったのが
秀吉であり秀頼なわけだから。公儀の正当性すらも疑われる状態だ。

外征を2度失敗したのも普通の王朝だったら滅亡する条件といえる。
豊臣ってのは、豊臣に忠誠心なんてものを持たない戦国大名を、帝を使ってまとめているだけの連合政権なわけだから。

まあ、遺言御掟が有効だとしても、御掟は上様に許可を取れ、遺言は徳川前田に政治をたくすなので、
秀吉の死後に徳川前田が結婚を許可を出すのは当然だし、前田なきあとに徳川が許可を出すのも当然だろう。
そして遺言では奉行は徳川前田に従えとあったはずなので、石田が徳川に従うのが道理。
あと徳川は秀頼が成人するまで後見って約束を家康は守っている。でも秀頼は自分の体重管理すら出来ないデブだからな。

社会情勢すら理解できず、義父である右大臣征夷大将軍に呪いでテロをおこなう愚か者なら滅ぼすしかないだろう。
0625人間七七四年2019/01/14(月) 21:15:33.51ID:4ey5iXAs
やはり、武家関白制の関白豊臣長者を一家皆殺しにした時点で豊臣に公儀としての正当性があったのかが問題だな。
民主主義で首相を殺して選挙をせず前首相が息子を首相にしようとして、法律や憲法を乱発して出てきたその息子に正当性はあるのかって話だ。
0626人間七七四年2019/01/15(火) 07:41:43.69ID:ykTP4dc7
徳川が豊臣から権力を奪って何が悪い?
秀次を降ろしておきながら秀頼の後見を有力な大名に頼んでる時点で豊臣による政権維持はほぼ絶望じゃん
変に正当性とかを訴えるとかえって胡散臭いわさ

本当はアンチ徳川なんじゃないか?
0627人間七七四年2019/01/15(火) 08:21:04.94ID:swiRJEH2
家康は秀吉が主張した私戦をやめて帝に臣従しろという惣無事に答え、
人質を2人も送られたので帝に臣従した立場の人間だからな。伊達政宗も同じだ。
聚楽第行幸をおこない、秀吉の支配体制の確認、天皇が主君であるというセレモニーを2度おこなってもいるけど、家康の主君は天皇だ。

主君から内大臣に任命され、主君に下賜されて送り出されて会津征伐をおこない関ヶ原をおこない、主君に征夷大将軍に任命されて幕府をひらき
武家政治をおこなった。

きわめて道理にかなっている
0628人間七七四年2019/01/15(火) 17:42:04.98ID:UhDLx+xN
秀吉は圧力で他の武家を制圧しただけで人気もなにもないからなあ
0629人間七七四年2019/01/15(火) 18:03:35.03ID:ykTP4dc7
主として戴いたわりには権力を握ったあとに帝や公家にたいしてずいぶんと制約加えてないかい?
0630人間七七四年2019/01/15(火) 18:08:43.63ID:Tqzjj9Qb
他家に人気のある武家ってあんの?
0631人間七七四年2019/01/15(火) 18:21:48.67ID:UhDLx+xN
上杉謙信
0632人間七七四年2019/01/15(火) 19:30:53.77ID:ykTP4dc7
家中ではどうか知らないけど、世嗣ぎが軍神と闘ってみたいと家出をかました所があったねw
0633人間七七四年2019/01/15(火) 21:06:14.53ID:Tqzjj9Qb
ゲームじゃあるまいし
そんなの居るんだww
0634人間七七四年2019/01/15(火) 21:34:16.38ID:RHhgNrJA
どこまでほんとかわからんしスレチだけど
魔法使いになりたいとか言い出して山ごもり始めて暗殺されたほぼ天下人もいるし
0635人間七七四年2019/01/15(火) 21:55:37.36ID:ykTP4dc7
>>633
最上義光だよ
何歳の時だったか忘れたけど、置き手紙をして城を抜け出したものの、途中で見つかって連れ戻された逸話をもってる
武者修行で鎌倉辺りまで行ったって逸話もあるし、H天皇によって創られた狡猾な謀将ってイメージは最近薄れてきたね
0636人間七七四年2019/01/16(水) 21:12:56.82ID:8jzvtFSW
反動で変なキャラ付けされて、最近ではヲタが実に鬱陶しいけどね
0637人間七七四年2019/01/18(金) 22:09:16.56ID:iZr28Hd4
勢い余って家康に天下を取らせた扱いまでされてるしね
0638人間七七四年2019/01/18(金) 23:04:52.45ID:tU14Epxw
>>634
彼の問題は魔法使いよりも三人も養子取って後継者を定めなかったこと
0639人間七七四年2019/01/21(月) 14:54:16.93ID:/T4vbOnN
まぁ理性的に大阪の陣を考えるなら、
秀頼が整形外科で顔面の整形手術受け、脂肪除去手術をすれば勝てたんじゃないのかな


16歳「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」当代記
20歳「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」セバスチャン・ヴィスカイノ(1612年面会)
22歳「世になきお太り」長澤聞書 長澤九郎兵衛

+          +  。
 *  、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,         _____
  _-'"         `;ミ、      /:::::::::::::::::::::::::\〜
 _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ    /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
 >ミ/         'γ、` ミ   |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
 了| "~`、  "~"`   {,',; ;} 。  |;;;;;;;;;;ノ∪  \,) ,,/ ヽ〜
 "7 `⌒`   ⌒   }ミ:. {   |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
  '|   /       レリ*    |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜
+  i  (       }ィ'     |∪< ∵∵   3 ∵> ハァハァ
   `  ー---    /|` +     \       ⌒ ノ
    ヽ  ̄    / |__        \_____/
     `i、-- '´   |ソ:
      ↑               ↑
   想像上の秀頼         現実の秀頼

豊臣秀頼
身長196cm
体重161キロ (明良洪範)
BMI41.91
適正体重84.52kg
適正体重より+76.48kgオーバー

BMI 体型イメージ
http://pbs.twimg.com/media/CBy3u20UsAEefCo.jpg

疱瘡(天然痘)の顔 塩田三郎
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Saburo_Shioda.jpg
0640人間七七四年2019/01/27(日) 20:50:04.80ID:m8eiftyY
ぬぅ!
0641人間七七四年2019/03/02(土) 23:34:24.99ID:fXVzaEZL
素直に臣従していれば織田家くらいの扱いか高家程度の扱いで
生き残れた可能性が高いんだけどね
0642人間七七四年2019/03/07(木) 01:44:41.69ID:IMQhOPaK
淀をさっさと暗殺しとくべきだったな、いつまでも太閤殿下の〜とかほざくバカ女
0643人間七七四年2019/03/07(木) 01:54:23.96ID:R0nIzvZy
淀はさ、祖父と祖母と父親を秀吉の京極丸攻略で失い、
義父と母親を秀吉の織田家乗っ取りで失っているんだよ。

なのにその怨敵のハゲネズミの老人に股をひらいて犯され、子供が出来ないからと乱交までしている。
秀吉がクソで豊臣がゴミとなったら、何のために謀反人と馬の骨に股を開いたのかって話になる
0644人間七七四年2019/03/08(金) 12:08:27.75ID:3PVQ2oAv
>>643
だからこそ翻意するわけがないから
暗殺なりするしかない
0645人間七七四年2019/03/24(日) 16:33:21.95ID:w/za8CA+
大坂冬の陣の事で(豊臣方が)散々言われて居る事だけど、
最初は野戦を選んで、その中で形勢が不利になってしまってから
籠城に移る案を、何で頑と推し進めなかったのだろう?

例えば(よく有る手だけど)川の岸に布陣すれば、
渡って来る徳川方は寒さで士気が落ちているから結構有利だったろうし
それに籠城では、野戦とは違って寝返りが起きても活かせられないし

「淀と取り巻きが」とよく言うけれど、
例え夏の陣も乗り越えられたととしてもまた来襲するのに
本気で耐えられると思ったのかなぁ・・・・?
0646人間七七四年2019/03/24(日) 16:47:36.37ID:rThLYE3I
そこまで両御所を苦しめれば、豊臣秀頼という大名も、もって瞑すべしでありましょうな?
0647人間七七四年2019/03/24(日) 18:10:25.09ID:8uGEhx3H
仮にも天下の主を称するならせめて武士として死ねよな
出撃しなくても最悪大坂城と運命を共にしていれば俺らに豚だの土蔵で命乞いだの
馬鹿にされることもなかっただろ
真田幸村だって歯抜け髪抜けだけど最後が華々しいから誰も馬鹿にせずかっこよく書かれてるだろ
0648人間七七四年2019/03/24(日) 18:22:27.25ID:s3GDN/X8
> 例え夏の陣も乗り越えられたととしてもまた来襲するのに

??
そもそも夏の陣は大坂方の講和条件の一方的破棄により起こってるので
また来襲するってのは何が言いたいかよくわからんな
0649人間七七四年2019/03/24(日) 22:01:12.53ID:bcYi35gl
>>645
慌ててかき集めたばかりで訓練もままならない軍団に長距離で野戦させる勇気は普通でない
しかもその指揮官ですら万単位の軍勢を率いた経験の有るものがいない
一見愚策に見えてもそれ以外に取れる手段が無いならそうするしか無いのだ
冬に出撃を主張した真田は夏には近場の八尾でさえ道に迷って遅参して後藤を死なせている
たいへん残念ながら籠城を選んだのは妥当と思われる
0650人間七七四年2019/03/25(月) 10:59:16.15ID:NImJWHD8
万単位の軍指揮したことある戦国大名が、そもそもそんなにいないんじゃないかな
0651人間七七四年2019/03/25(月) 17:04:16.30ID:VJ79k1j/
>>650
冬の陣直前なら信雄がいなかったっけ
0652人間七七四年2019/03/25(月) 17:15:37.35ID:/HqKtv0U
信雄では心服しますまい。かといって大坂退去の口実のため、総大将にしろ、とわざわざごねてみせた織田長政でもダメですわな
0653人間七七四年2019/03/25(月) 17:52:40.51ID:aaCtZ1V5
信雄自身が総大将とか固辞したんじゃなかったか
いまさら徳川とことを構えたくはないでしょ
0654人間七七四年2019/03/25(月) 18:06:42.50ID:/HqKtv0U
常真入道信雄は、大坂密議の内容を所司代板倉にバラし、自らは京都の寺に避難したとか聞きました
0655人間七七四年2019/03/25(月) 18:47:40.64ID:6sKCNRYZ
信雄は実は防衛戦は強いんだけどな
小牧戦役で別働隊にあたる池田・森、さらに海路からの滝川・九鬼にも信雄は応戦している
徳川家の史料では織田信雄が船の先頭に立ち、敵の船を潰して多数打ち捕らえたという記述が残る
秀吉は家康に損害を与えられるまでに信雄を武力で屈服させることは出来なかった
それと信雄が秀頼を助けるかどうかは別の話だが
0656人間七七四年2019/03/25(月) 19:33:03.30ID:aIuZqC8n
>>650
それを大坂城のオーナーを前にして言うの?
万単位の軍勢を率いた経験なんかありませんけど敵も似たような状態ですからイチかバチかやらせてくんなましって
じっとしとけって言われるのは当たり前じゃないか?
しかもある程度の実戦と組織化がされた後の夏の戦で道に迷うような程度の能力の人だよ相手
講談の虚飾を取り除いたら、真田らの献策をしりぞけるのはまともな判断じゃないですかね?
0657人間七七四年2019/03/28(木) 23:22:22.65ID:pwPxogz+
濃霧のために道に迷ったとか何とか
0658人間七七四年2019/03/29(金) 09:27:06.31ID:rM6rPBEY
あそこ伊勢街道通ってるから迷いはしないんだよ
濃霧で遅参が正しいんだろうけど、肝心要の戦いでこれやらかすヤツに瀬田での戦いを任せるのは無謀だよ
0659人間七七四年2019/03/29(金) 12:23:05.43ID:6am8je6V
>>658
>肝心要の戦いでこれやらかすヤツ
二代将軍の悪口はやめてあげて
0660人間七七四年2019/03/29(金) 12:49:19.31ID:z8Eg8wfc
>>659
秀忠は遅参じゃなくて予定通りだぞガイジ
松尾山が秀秋に制圧されて西軍が奪い返すために動いたのが東軍に追撃されて
西軍が挟まれて瞬殺されたから短期に終結しただけで
秀忠は家康の命令通りに動いてる
0661人間七七四年2019/03/29(金) 13:13:38.11ID:fyC+rWZs
むしろ急ぎ過ぎて叱られている
しかも二回も
0662人間七七四年2019/03/29(金) 13:46:34.91ID:j80D7CQH
唐入りで遅参して大坂へは二回とも間に合わなかった人たちがいましたね
0663人間七七四年2019/03/29(金) 14:40:50.10ID:6am8je6V
>>660
言ってる事が支離滅裂

刻々と変わる状況や連絡の遅れが原因なので必ずしも秀忠の責任ではないと言うなら分かるが、
決戦時に到着していないのが予定通りの行動な訳がないし、家康の叱責を受けるはずもない

>>661
関ヶ原が予定通りならば大阪で大急ぎする理由がないので
余程トラウマになったのだろう
0664人間七七四年2019/03/29(金) 15:09:37.60ID:GjM9VnK+
秀忠は間に合うはずのない距離だけど
真田は間に合うはずの距離だから
そもそも比較対象にならんのでは
0665人間七七四年2019/03/29(金) 15:15:19.01ID:fyC+rWZs
>>663
分かっているけど止められない
0666人間七七四年2019/03/29(金) 15:46:23.58ID:R5PNiSh8
秀忠隊の任務は真田仕置なので予定通り
刈田と小競り合い程度で本格的な城攻めが始まる前に合流命令を受けて
最低限の抑えを残して撤収
>>664の言う通りそもそも間に合う距離じゃない
0667人間七七四年2019/03/29(金) 21:49:25.58ID:2R65QaU9
それでキレてたとしたらキレた家康側に問題あると思われる
というか、キレてたっけ?気分がすぐれなくて会えないって話だったような

ほんとに切れてたかもわからんし、キレてる内容が遅参だったかも疑わないとダメなような
0668人間七七四年2019/03/29(金) 22:00:50.27ID:fyC+rWZs
>>667
無理して上洛したので相当数の兵が落伍して戦闘に直ぐに投入できない
状態にしたことを怒った
0669人間七七四年2019/03/29(金) 22:08:16.82ID:GjM9VnK+
>>667
外聞もあるので少し期間をあけてから対面したってだけでしょ
遅参に関しては誰も処罰を受けてない
0670人間七七四年2019/03/29(金) 22:42:35.03ID:2R65QaU9
>>668
>>669
どうもありがとうございます
キレてた対象も違いそうだし、そもそも外聞のために一度期間空けただけって感じですか

やはり家康がこれで怒ってたとか言われるの
信康がいればなぁみたいなことを言ったとされてる逸話からなんですかね
あの逸話出典はどこなんでしょうね
0671人間七七四年2019/03/30(土) 09:06:31.82ID:Nq4LWst3
>>663
あのタイミングでの決戦がそもそも予定外
0672人間七七四年2019/03/30(土) 10:23:23.64ID:BpnyI4wU
関ヶ原スレでやってくれ
0673人間七七四年2019/03/30(土) 10:51:13.91ID:prUvfd7g
関ヶ原スレは秀忠が遅参したなんて低レベルな話してないからな
知識レベルが違いすぎて知恵遅れ扱いされるぞ
0674人間七七四年2019/03/30(土) 16:01:42.58ID:tjZPfbS3
まあ、あのスレは基本史料ありきだしなぁ
0675人間七七四年2019/03/30(土) 16:11:26.10ID:0WrG+shF
>>674
資料コピペだけで90レス消費する模様
0676人間七七四年2019/03/30(土) 18:29:26.49ID:wW5Xi3Ni
大坂の陣なんて大日本史料を無料ネット閲覧できるのだから、むしろ先ずそれ見てこいとなる
0677人間七七四年2019/04/01(月) 22:09:11.21ID:iZl5RwFE
まあ史料に拠らない主張など、どこかの作家さんと同じ様な妄説に過ぎないからなぁ
0678人間七七四年2019/04/07(日) 23:19:13.78ID:y/LEE+pr
家康が天下取った関ヶ原のあと
1601〜1614年方広寺事件直前の14年まで豊臣家は保たれた
工夫次第で残っていた可能性はある
0679人間七七四年2019/04/08(月) 07:35:18.33ID:ZyW76zP9
ある訳ないだろ
秀頼の息子は殺害し
娘すら、当初殺害予定だったのを孫娘に言われて
仕方なく尼寺に入れた位なのに
残すつもりなら、娘を取り込んでるわ
0680人間七七四年2019/04/08(月) 08:17:33.09ID:KkOWGWru
>>679
それは秀頼が蜂起した結果でしょ
大人しくしていたら転封くらいですんだ可能性はあると思う
>>678が戦後のことを言ってるんだったらありえないけど
0681人間七七四年2019/04/08(月) 10:37:25.28ID:eU6gIIS1
完全に徳川が残す前提で動いてるのに発作的に喧嘩売って来るわ
残す前提だからかなり緩い和睦条件を結んだら調子乗ってもっかい兵起こすわ

ベリーイージーモードだったのに勝手に滅びに向かって一直線し始めただけだしなぁ
秀頼のオツムが並の戦国大名程度あれば普通に生き残れてる
0682人間七七四年2019/04/08(月) 13:41:49.04ID:Y8rV/C2q
まあ大坂の運営を見るに全く統治出来ていないので
生き残れはしてもそのうち改易されるんじゃなかろうか
0683人間七七四年2019/04/08(月) 18:02:45.03ID:KkOWGWru
一代でのしあがってしまったうえに家臣団の育成をする時間をろくに持てなかったのが秀吉にとっては痛かったか
0684人間七七四年2019/04/08(月) 21:15:24.92ID:/cEoez1x
秀頼は今川氏真を見習うべきだった
0685人間七七四年2019/04/08(月) 21:30:10.50ID:w1Wm2FmM
1611年秀頼家康の二条城会見がマズかったんだろうな
記録にない家康を動かす何かがあったとか
淀の意向通り会見拒否してたらどうなったんだろう
0686人間七七四年2019/04/08(月) 22:10:25.02ID:Y8rV/C2q
そういう陰謀論はいらないんだよなぁ
0687人間七七四年2019/04/08(月) 22:23:13.67ID:eU6gIIS1
井沢某も散々呉座先生に批判されてるけど
マジで史料を基にしない妄想を恥ずかし気もなく出してこないでほしい
最低限の恥を知ってほしい
0688人間七七四年2019/04/09(火) 19:29:31.12ID:Jx2HgmrW
豊臣側の史料が少なすぎる
0689人間七七四年2019/04/11(木) 19:23:58.21ID:yZOF5zAE
そもそも、臣下が残す前提とか言ってんのが笑えるな
0690人間七七四年2019/04/11(木) 20:39:11.74ID:djeBKEum
豊臣と徳川の主従関係は逆転してるよ
家臣側から主君側へ年の初めに挨拶を出す年頭礼ってのがあるけれど
慶長8年に徳川から豊臣への年頭礼が終わり
逆に慶長13年から豊臣から徳川へ年頭礼を始めてる
ゆるやかに主従関係は逆転し、豊臣もそれを認識して年頭礼出してる
0691人間七七四年2019/04/11(木) 20:53:02.47ID:8YHuJtNz
ていうかたとえ主従逆転してなくても
豊臣が取次の追放という宣戦布告かましたのには変わりないですからね
それでもなんとか滅びないよう立ち回って和睦という形をとりなしたのに、今度は和睦条件も守れてないまままた取次攻撃してるし

豊臣のやらかしを徳川がフォローしてるのにそれ振り切って破滅に突っ走ってるから、マジでどうしようもない
0692人間七七四年2019/04/11(木) 21:04:16.05ID:nqS+iTe5
秀頼が駿府へ年頭挨拶の使者を送り始める数年前から
公家や寺社の年頭令は秀頼よりも京都所司代に対して優先して行われてる
0693人間七七四年2019/04/12(金) 05:38:20.29ID:RDPaA0v2
関ヶ原以降の世間の人たちは徳川>豊臣という認識だったのかな
0694人間七七四年2019/04/12(金) 08:19:10.95ID:KaKsi9ob
秀吉が死んだあとは家康が首班だったし、関ヶ原で政権の移動は確定って感じじゃなかったのかな
0695人間七七四年2019/04/12(金) 17:44:31.24ID:ebA3nfzl
やっぱり関ヶ原で何もしなかった(出来なかった)のはでかいんだろうな
0696人間七七四年2019/04/12(金) 18:29:31.64ID:NnEfjOOO
我関せずだと勝者が自力で事態を収拾した事になるからね
あの時豊臣家が明確にどちらかの肩をもって勝たせていれば権威の低下も最小限で済んだだろうけど
どちらも秀頼公の為を掲げたからむしろ主体性のない幼主の存在が戦乱を呼び起こしたという構図になってしまった
0697人間七七四年2019/04/13(土) 16:29:21.32ID:rPafWgu6
あくまで、確定は大阪城落城後だよ
落城前ではまだ
所謂、当選確実の報が出たくらい
只、マスコミが報道する当選確実の報より確度高い
っていうか100%でもいいだろ感すらあるけど

あくまで家康側が気にしたのは大義名分
あまりに大義名分無しだと、今度は徳川幕府が狙われる立場になるから
なんとか大義名分があるんですよと、理由をこじつけた

まぁ、260年後、徳川幕府も又滅ぶんだけど
これも一応、大政奉還で滅んだ事には成らんのだろうな

世の中、大義名分は大切
0698人間七七四年2019/04/13(土) 16:35:38.78ID:rPafWgu6
関が原の時だと7歳だしな
いくら戦国時代とはいえ無理だろうな
故に、簒奪する方は仕掛ける訳だし
恩賞の権限が豊臣家から徳川家に移ったんだし
もう誰も言う事聞かなくても不思議はないよ

まぁ、運があるなら、成人して後、その権限を取り返すんだろうけど
運も無ければ、従ってくれる家臣も無いに等しかった
0699人間七七四年2019/04/13(土) 16:50:39.99ID:kt54Axqc
豊臣の公儀性は関白任命と聚楽第行幸の2つで担保されていた。
それなのに関白一家を皆殺しにしたわけだから、この時点で豊臣に公儀性はないよ。武家関白制は終了している。
1601年の関白任命、1603年の征夷大将軍任命、1605年の征夷大将軍と関白任命、1606年の関白任命、1609年の関白任命、1612年の関白任命で
武家関白制は完全終了しているのだと秀頼のバカが気づくべきだった。なのに中世という時代に呪いで要人暗殺テロをしたあげく征夷大将軍の命令に逆らい、
自分から外交窓口を壊したあげく浪人を集めて挙兵じゃ征伐されて当然。
0700人間七七四年2019/04/13(土) 16:54:43.90ID:4NNFX7lB
聚楽第ガイジ生きとったんかワレ!
0701人間七七四年2019/04/14(日) 06:35:34.83ID:wkup/fx9
けっきょく豊臣家は天皇の威光で戦国大名に支えられた主家乗っ取りの織田家家臣にすぎなかったってことだ
関白を殺し外征に失敗し内部分裂をしていたので、秀吉の主君、織田信長の同盟者だった戦国大名に滅ぼされた。
0702人間七七四年2019/04/14(日) 16:35:08.19ID:7Bu0OvPN
夏の陣屏風で逃げる人たちとか見ると
ギリまで豊臣こそ天下人という認識だったんじゃね
逃げてる人たち大坂市街のお金持ちばかりなんだろ
0703人間七七四年2019/04/14(日) 17:35:14.94ID:xU2Em5kf
一般人の避難場所になる寺社は大坂方が焼き払ってるので避難場所がない
幕府方はいつまでも残ってる連中は大坂方に与する者たちだと認識していた
そもそも当時の戦地の住民の避難は自己責任で両軍共に避難勧告をした形跡はない
まあいくつか理由は挙げられるな
天下人と認識して云々なんてのは創作だけ
0704人間七七四年2019/04/14(日) 18:05:08.10ID:IAfl7lvc
城下町の場合どうしても逃げる場所はその城になるし、かばいの制札を攻め手側にもらうのも非常に難しい
であるから普通ならああいう状況になる前に、城主が腹を切る代わりに城兵領民の安全保障を取り付けるんだよ
それが最後まで一緒に行動してくれた兵や領民への最低限のお返しだよ
ところが秀頼は最後までそれやらないどころか大野に腹切らすから俺たち親子は許して、とか言ってるわけで

大阪の住人は完全に秀頼の無責任さの巻き添え食らったのよ
0705人間七七四年2019/04/16(火) 20:48:46.29ID:lXTwsaF/
ガキの頃に見た夏の陣屏風絵は衝撃だったわ
あれで徳川アンチ家康アンチは増大したと思う
黒田長政GJ!
0706人間七七四年2019/04/16(火) 21:20:43.19ID:8CrVeCPz
大坂方は大坂方で堺焼き払ったりしてるからな
ありゃ戦は負けるとこうなるんだよ説の方が正しいと思うわ
0707人間七七四年2019/04/16(火) 21:32:37.53ID:o60CTG8d
>>705
夏の陣屏風絵は現代でいえばイスラム国掃討の写真みたいなものでしょ
異常な狂信者を掃討してめでたしめでたしという意味でしかない
0708人間七七四年2019/04/16(火) 23:04:04.11ID:kCQgvUAN
あの画は自分たちの武威を示すために残したというのが有力
0709人間七七四年2019/04/18(木) 19:04:07.53ID:ZeuV2BHd
>>707
大阪の人間は南無阿弥陀仏を連呼しながら死ねば天国にいけると信じていた狂信者で
秀吉の恩知らずな主家乗っ取りに万歳してて

大阪城は主君が殺されて一年後に主君のお方様や孫姫様をはりつけにしながら建てだした城だしね
同情の余地無し。因果応報、勧善懲悪だわな
0710人間七七四年2019/04/22(月) 01:52:54.38ID:inhnwby9
どう見ても徳川軍の狼藉行為が主題の屏風だし黒田長政はそれを主張してる
誤解してる人もいるが当時から狼藉は「悪」とみなされてたわけで

そもそも黒田長政は羽柴チルドレンど真ん中
0711人間七七四年2019/04/22(月) 02:03:57.54ID:x36BkDMn
どう見てもとか言われても、あんさんの一面的な見方押し付けられても困るわとしか
ましてや学術定義もない訳のわからん羽柴チルドレンとかいう新用語出してこられても失笑もんですよ
0712人間七七四年2019/04/22(月) 06:51:37.68ID:Vdxf2ahC
違う見解が出る時点で「どう見ても」ではない
0713人間七七四年2019/04/22(月) 08:29:53.71ID:YWio8ctU
家康か秀忠かは知らんけど、各大名にどんな人間をどこで何人取ったか提出させてるんでしょ
0714人間七七四年2019/04/22(月) 08:43:36.87ID:Isz5uWiP
家康好きはちょっとでも、家康を批判されると現るのが面白い
そんなに家康好きなんだww
0715人間七七四年2019/04/22(月) 08:50:19.65ID:mPJGj0cx
家康アンチは論理的思考が出来ないのが困る
家康を悪し様に言うなら理屈で説き伏せないと
豊臣アンチは理屈でここがダメと言ってるでしょ?
0716人間七七四年2019/04/22(月) 09:23:34.82ID:96oXeFlS
関ヶ原にしても大坂の陣にしても
近年の研究でこれまでの徳川=悪い簒奪者というレッテルが剥がされ
三成こそ忠臣でもなんでもないただの野心家
関ヶ原後の豊臣家は自業自得で滅びた
ということが理論的に実証されつつあるからな

古くさい講談知識で凝り固まったアンチ家康はそれが受け入れられないから
ダブスタで苦しい秀吉擁護と家康への感情的な罵倒を繰り返すという
みっともない醜態をさらすしかないわけだよ
0717人間七七四年2019/04/22(月) 11:38:35.44ID:YWio8ctU
史学的に家康の簒奪=悪って時期はあったの?
一般的にもそういうのは珍しい方じゃないの
0718人間七七四年2019/04/22(月) 12:05:59.05ID:9pvNOVdI
一般人の徳川家康像って、山岡荘八が書いた小説の徳川家康が元じゃね?
未だに信康殺害は信長指示だの
正妻の軟禁後惨殺も信長指示だと言ってる
軟禁は今川から戻った直後だってのを未だに理解出来ないし認めようとしない

何か家康好きと、光秀好きは
不味いことがあると、すぐに誰かのせいにするね

主家簒奪とか言うと、こんな感じでww
0719人間七七四年2019/04/22(月) 12:35:33.30ID:96oXeFlS
>>717
史学的にそう言われていたとかそういう話じゃなくて
従来のアンチ家康の簒奪=悪というレッテル貼りが実証的な研究により
根拠薄弱な決めつけに過ぎなかったことが明らかになりつつあるということ

>>718
山岡荘八の家康像が一般人のものだなどそれこそアンチ家康お得意の決めつけだな
それを言うならアンチ家康の代表的作家である司馬遼太郎の影響力のほうがはるかに強いだろう
大体秀吉死後大坂の陣までのことを言ってるのに信康だの築山殿だの
関係ないことを持ち出して話のすり替えしてるんだから語るに落ちるとはこのこと

アンチ家康っていつもそうやって現実逃避して悦に入ってるんだから救いようがないね
0720人間七七四年2019/04/22(月) 12:37:37.15ID:x36BkDMn
山岡荘八イメージの家康像持ってる人は少ないでしょうね
いまだに高卒認定用のテキストにすら10年以上は前の俗説である鐘銘事件を契機に大坂の陣が起こったなんて記述されてますし

レッテル張りをする前に自省してほしいもんすね
0721人間七七四年2019/04/22(月) 12:40:17.33ID:9pvNOVdI
よっぼど、信康と築山殿の話は不味いんだ
そういう意味では現実を知ってんだなww

戦国武将のイメージなんて大概小説だよ
学会の発表を元にするヤツなんて稀

別にそこは何も不思議ないけど、そんな事まで難癖付けるんだww
0722人間七七四年2019/04/22(月) 12:49:32.65ID:96oXeFlS
>>721
だから信康と築山殿を家康の指示で除いたのが事実だから、なんだと言うの?
さっきから言ってること意味不明なんだけど

戦国武将のイメージが大概小説というなら、家康を犯罪者呼ばわりまでした
アンチ家康の代表的作家司馬遼太郎の影響力は無視しないでくださいよ
0723人間七七四年2019/04/22(月) 12:52:39.38ID:x36BkDMn
だから、小説のイメージだと山岡荘八よりもよほど司馬遼太郎のがよほどイメージとして大きいし、小説も読まないような層でも教科書のようなテキストに載ってることから認識するしって話で

しかも誰も築山殿の話もしてないのに勝手に嫌がってると思って悦に入ってるし

真面目にあんた頭大丈夫か?ちょっと発言見ててもキチガイの域に入ってるぞ?
0724人間七七四年2019/04/22(月) 12:58:11.98ID:9pvNOVdI
家康好きは、些細な批判も許さんから困るよww
ワシの家康様を悪く言うでねぇーって感じで

屏風の話しが元だけど、狼藉が主題だろ
それは個人の価値観だろとか言い出してるww

何が言いたいかといえば、家康批判するな
○○が悪いんだと家康好き

それの説明例として、築山殿とか分かりやすいじゃん
まぁ、困るみたいだから止めとくよww
0725人間七七四年2019/04/22(月) 13:09:35.97ID:x36BkDMn
批判じゃないんだよ君の、批判っていうならせめて論理的整合性持たせなさい
ましてや他人にレッテル張りして悦に入ってるなんて論外
屏風の話だって、絵で解釈なんて非常に難しいのに個人の主観でしかないものを根拠もなしに一般化しようとしてるし
築山殿の話に至っては誰も話題にも出してないし、なんなら認めてるのに勝手にそれでしてやったりみたいな発言してるし

私秀吉好きだけどあんたみたいなのが秀吉好きとか言われてひとくくりにされると考えるとゾッとするよ、主観と感情だけで学問の解釈を否定するなよ恥ずかしい
0726人間七七四年2019/04/22(月) 13:15:57.28ID:9pvNOVdI
年寄は5chで学問とか言い始めるとこがなんとも
ここ5chだよ
5ch合わないみたいだから、大好きな家康研究に没頭してた方がいいよ
0727人間七七四年2019/04/22(月) 13:18:29.89ID:x36BkDMn
専門板に来てまで落書き書きに来る方がよほどお門違いだよ
クレヨン持っておうちの画用紙にでも書いてて頂戴
0728人間七七四年2019/04/22(月) 14:32:12.21ID:Vdxf2ahC
>>726
きみはちょっと幼稚すぎるよ
0729人間七七四年2019/04/22(月) 16:25:31.18ID:HsOEM1EI
必死こいて草生やしてるあたりが一昔前のおっさんのそれなんだよなぁ
主張も何故か昭和あたりの化石のような知識で止まってるし
0730人間七七四年2019/04/22(月) 16:33:44.70ID:YWio8ctU
どうしてもこの二家のスレは荒れるねえ
どちらも政権を担って時代を作ってきた家だから、お互いを非難しないと気がすまない人が多いんだろうなあ
0731人間七七四年2019/04/22(月) 17:19:34.52ID:AZZy9wCe
夏の陣屏風絵が自分達の武威とか初耳だし
検索かけても、諸行無常みたいな感じのしか出てこない
あと、ここは2chだから、自由にレス書いてOKだよ
個人の見解も書けない2chなんて絶対に嫌だろ

なんで、細かい言葉に食ってかかるのかも分からん
面白くないのかな?屏風絵の話が
ならスルーしろとかし言えん
大阪の陣の話だから、スレ違いとも思えないし
0732人間七七四年2019/04/22(月) 17:22:43.89ID:10EQUDe/
>>731
いやお前、ネット情報なんて周回遅れもいいところなんだから、通史でもいいから最低限近年の歴史書を読んで勉強しろよ。
0733人間七七四年2019/04/22(月) 17:23:51.97ID:AZZy9wCe
具体的な事は何も書けません
気の毒に
ソース貼ればいいじゃんよ
その武威ですっていう研究結果をさ
0734人間七七四年2019/04/22(月) 17:45:07.37ID:P0dDGDj+
まあ、個人的な感想で個人的なアンチ家康をアピールしてるだけなのに
冷水ぶっかけられるように次々異説をぶつけられて不快になり意固地になったのは確かだろうね、>>705

そもそもさぁ、大坂夏の陣図屏風からアンチ徳川を強くしたなんてのがバイアスかかりすぎなんだよね
攻城戦で民衆にも凄惨な被害が及んだのは豊臣家が意固地を張った結果とも言えるわけで
その意味で民衆視点で非難するとしたら徳川も豊臣も全く同じ
どちらかだけが一方的に悪いなんてことはない
0735人間七七四年2019/04/22(月) 17:54:21.74ID:10EQUDe/
>>733
ソースも何もお前何にも知らないじゃん。何も知らないやつはまず基礎の基礎の読み書き算盤を身につけてくれないと話にならん。
「あいうえお」や「1+1」レベルをきちんと身につけないとその先には行けないでしょ?そういう事をこっちは善意で言ってあげているわけで
0736人間七七四年2019/04/22(月) 17:54:37.17ID:oP+YTmf+
戦国時代でも乱取りは悪だよ
黙認した例は多々あるし、乱取り自体は数えられらない位あったろうけど
それでも、やった方より、やらせてしまった方が悪いとか
喧嘩両成敗みたいな話しには成らん
成ると思うならかなり偏ってる思考としか言えない
家康は乱取りしない設定なのかな
それだと気の毒に
0737人間七七四年2019/04/22(月) 17:55:49.98ID:oP+YTmf+
やっぱりソースは貼れなかったか
邪馬台国スレでも居るな
歳取ると何故か自分の妄想が現実の研究結果だと思う人達が
年取るってそういうもんなのかな?
年取りたくないな
0738人間七七四年2019/04/22(月) 18:03:33.84ID:10EQUDe/
どうでもいいけど、ID変えるならせめてキャラを変えて出てこい。もう自作自演する余裕もないくらい
真っ赤っ赤に成っているんだろうけど。
0739人間七七四年2019/04/22(月) 18:03:50.71ID:iBpIZUEl
IDチェンジくんは元気だなぁ
0740人間七七四年2019/04/22(月) 18:06:38.44ID:YWio8ctU
そろそろメアドでも交換して個人間でやらん?
0741人間七七四年2019/04/22(月) 18:15:50.97ID:x36BkDMn
気持ちの悪いのが居着いちゃったなぁ
0742人間七七四年2019/04/22(月) 18:23:18.28ID:YWio8ctU
豊臣・徳川関連のスレは定期的にこんな感じで荒れてるけどね
0743人間七七四年2019/04/22(月) 18:36:41.11ID:HsOEM1EI
同じ奴が荒らしてるだけなんだよなあ
0744人間七七四年2019/04/23(火) 12:57:07.15ID:sMnCQFJs
>>736
アンチ家康お得意の決めつけがここでも出てるな
戦国時代で乱妨取りが悪とされてたなんて聞いたことがないわ
雑兵足軽の士気を上げるために期限を限って乱妨取りを認めるのは信玄も信長もやってるしその書状も残っている
まして郊外の野戦とは違い市街地の中での攻城戦では直接住民に被害が及ぶのは避けられぬこと
そもそもそんなところで浪人どもをかき集めて篭城戦に及んだのは豊臣家のほうだ
本当に住民のことを思うなら大坂城を出て人気のない場所で心行くまで戦えばよかっただけのこと
それを一方的に徳川非難の材料に使ってるのがいかにもアンチ家康の恣意的決めつけだと言うのだ

それに喧嘩両成敗は適用できないと言うなら、幕末の薩長兵が会津若松攻城戦で市民を殺戮
強姦しまくったことも薩長軍は悪で、君はアンチ薩長なんだろうね?
自分はそのことに関しては市街地中で篭城した会津藩側にも責任はあったと考えてる
0745人間七七四年2019/04/23(火) 13:09:52.29ID:sMnCQFJs
あと、やった方よりやらせた方が悪いなどとは一言も言ってないぞ?
民衆視点で言えば徳川も豊臣も同罪と言ってる
0746人間七七四年2019/04/25(木) 17:52:01.56ID:5+Js6UN5
戦国のゲルニカとか言われてるけど、ゲルニカとはちょっと違うよ意図が
でも戦国のゲルニカと名付けた人は凄い、キャッチーで頭に残る
0747人間七七四年2019/04/26(金) 08:09:46.17ID:v7LUKzjn
http://i.imgur.com/0VhDMVf.jpg
http://i.imgur.com/XD3KduN.jpg
http://i.imgur.com/aNNjUl5.jpg
http://i.imgur.com/k7ZUw5E.jpg
http://i.imgur.com/fXx40yR.jpg
http://i.imgur.com/l8N0lc5.jpg
http://i.imgur.com/jVtNO3U.jpg
http://i.imgur.com/N8YyQdR.jpg
0748人間七七四年2019/04/26(金) 18:50:15.95ID:KXT2LqRm
家康秀忠は狼藉発生を予期していた
その時点で悪
0749人間七七四年2019/04/26(金) 19:01:55.00ID:NmHABQ6M
釣り針でかすぎる
0750人間七七四年2019/04/26(金) 22:19:22.50ID:nR3PWEfp
秀吉ボケすぎ
0751人間七七四年2019/04/28(日) 09:53:57.68ID:Ic83ERmK
屏風の黒田長政公は悲しそうな表情してるし
0752人間七七四年2019/04/28(日) 12:18:24.23ID:f2qyHwUE
徳川家康は卑劣な簒奪犯であることはかわらんけどな
0753人間七七四年2019/04/28(日) 16:45:28.74ID:o1E4EaQ5
またろくに反論もできないし感情だけでしか物言えないから
一言だけ書いてどっかいく連中がはびこってんのか
0754人間七七四年2019/04/29(月) 13:29:09.70ID:bCrobJXY
秀頼は徳川煽ったり江戸を攻めようとしなかったし
大坂の陣発生は家康の勝手な話
大坂夏の陣屏風の民衆虐げる悲惨な光景は家康のせいとしか
0755人間七七四年2019/04/29(月) 14:22:29.07ID:eCp+6Csd
>>754
頭悪すぎて草
0756人間七七四年2019/04/29(月) 14:51:45.43ID:NeArHkKU
秀頼思いっきり徳川のこと煽り倒してたよな
秀頼の自爆でしかねーって話を散々されてたのにろくに読んでもないのか
ほんとろくでもねーな、文字も読めないとは
0757人間七七四年2019/04/29(月) 15:16:25.20ID:2PlRH1kn
後北条がイキリ倒して自滅したのは皆が認めるところ
ならば秀頼も同じ理屈だよな
時勢が読めずイキリ倒して自滅した豊臣
0758人間七七四年2019/04/29(月) 16:19:44.05ID:Ot7kZl7i
>>757
北条が大人しく従っていれば、徳川家みたいな扱いをしてくれたのかしら?
徳川家みたいな扱いをしてくれたとしたら、関ヶ原の合戦がもっと面白くなったかもね。
0759人間七七四年2019/04/29(月) 18:43:09.70ID:K8o4UgFX
徳川家並の扱いを要求して断られてごねまくってるうちに秀吉が切れて小田原の陣
0760人間七七四年2019/04/29(月) 19:36:47.82ID:gYDwPytM
結果論ではあるけど、徳川の関東移転は悪手だったし
北条が素直に従ったらって前提なら、残した方が、対徳川を考えるなら良かった

とはいえ、弟のとこも断絶させてるし
秀吉の行動って、オマエ本当は徳川幕府成立させたいんじゃないかってくらいに
対徳川の行動は悪手
0761人間七七四年2019/04/29(月) 19:45:56.21ID:K8o4UgFX
東海道中山道に居座られてるよりはぜんぜんまし関東は地政学的には隅っこだから
0762人間七七四年2019/04/29(月) 19:49:46.05ID:RoS+mbCg
>>759
官位ないのに上洛できるかよ
0763人間七七四年2019/04/29(月) 20:03:44.09ID:gYDwPytM
包囲網なんて機能しないのは、信長配下だった秀吉が一番理解してそうなもんだけど
本当に徳川を意識した大名配置とやらで、包囲網が機能すると思ってたんだろうか?
秀頼を家康に託す事といいアホ過ぎ
0764人間七七四年2019/04/29(月) 20:35:44.07ID:upupY8r8
そもそも包囲網なんて形成してない
唐入りのために旧北条領の統治と奥州の仕置を丸投げする必要があり
それを出来る人物が徳川しかいなかっただけ
0765人間七七四年2019/04/29(月) 20:42:59.50ID:NeArHkKU
新聞やらでもいまだに包囲網がなんちゃらなんてアホなこと言ってるから勘違いする人多いけど
秀吉存命時から家康って豊臣政権になくてはならない存在だぞ
ぶっちゃけ秀長より信頼されてるしそれだけの仕事任せてる
0766人間七七四年2019/04/29(月) 20:58:23.77ID:h0gf0pxs
>>758
いちはやく臣従してたらむしろ徳川よりも厚遇されててもおかしくない
秀吉は空気読んで従ってくれたらいちいち攻めなくすむからあまり悪いようにはしない
ただあとから領地替えなどでどんどん力をそいでいくだろうけど
0767人間七七四年2019/04/29(月) 21:02:31.59ID:gYDwPytM
豊臣を除いた石高で250万石与えて
その次は半分位の石高
そして、5大老職
いつでも乗っ取ってねっていうようなもんだ

あと、人の組織になくてはならない存在なんてない
会社人間が自分が居なきゃと言ってるのと同様
大概なんとかなるもんだ

豊臣の場合は秀次殺して、国力と大権がある家康が居たのが問題
実際に徳川幕府自体も両方を与えてはいないし
そもそも250万石も与えないか
0768人間七七四年2019/04/29(月) 21:29:49.96ID:NeArHkKU
ならんぞ、何言ってんだこいつ
東北・関東の抑えと仕置きできるだけのノウハウ持った上に、後継者が長じてるおかげでフリーハンドで畿内で政務補佐できる人材なんてあの時点で家康しかおらんぞ真面目に

豊臣政権の人材のなさくらい確認して物言おうや
0769人間七七四年2019/04/29(月) 22:12:34.11ID:PmNHg56F
そもそも家康は朝鮮からの撤退を実現したり、現場とトラブルを繰り返す悪質奉行を解任するなど改革を進めていた
そのおかげで豊臣は建て直されつつあった
それを三成が権力欲に支配されて謀反を起こしたおかげで水の泡になっただけ
家康が豊臣の建て直しに匙を投げて新政権樹立に舵を切るのは仕方がない
0770人間七七四年2019/04/30(火) 09:07:32.34ID:IrIrEyD0
秀次事件さえ無ければ徳川家の躍進は無かったろうね。
もっとも秀頼は秀次の傀儡になり、成人後に豊臣家の実権は握れずに、淀VS秀次版の関ヶ原になったような気がする。
0771人間七七四年2019/04/30(火) 11:39:07.87ID:2lI/WG8d
そうなったときに家康はどちらにつくだろうかね
0772人間七七四年2019/04/30(火) 11:44:48.24ID:Z21r2OrZ
>秀頼を家康に託す事といいアホ過ぎ

とはいえ、あの人材のなかでは家康が一番マシな選択なのでは
家康もある時点までは、豊臣家の掌握はともかく徳川の天下にすることなんて考えていなかったはず
自分から関白一族殺してシステムぶっ壊してるんだから自業自得なのは変わりないけど
0773人間七七四年2019/04/30(火) 11:48:07.07ID:uXRSUjPx
家康と利家じゃなきゃテルにでも託すのか恐ろしいこと言うなぁ
0774人間七七四年2019/04/30(火) 12:00:11.75ID:sP9qVZRM
秀次を粛清した直後に秀頼の叔母お江を秀忠に嫁がせ羽柴の名字を与え
翌年に家康を諸侯最高の内大臣に推挙していることからも
秀吉が秀次粛清を契機に徳川家を一門化し政権の首班に据えようとしていた
つまり家康と徳川家の能力を見込んで豊臣政権そのものにしようとしていたことは明らか
その後徳川家が見事に長期安泰政権を作り上げたところからも秀吉の見立ては非常に正確だったことがわかる
三成が秀吉の構想を全てぶち壊した
ただ家康も関ヶ原で他の大諸侯を一気に整理できなければあそこまで強固な政権をつくれなかっただろうけど
0775人間七七四年2019/04/30(火) 13:05:50.17ID:32afArHK
>>715
豊臣信者は頭がおかしいからね。

主家簒奪の逆臣が、聚楽第行幸で公認されていた武家関白制の関白豊臣長者を一家皆殺しにして当主の座を奪い、
征夷大将軍がいて、公家関白がつぎつぎ任命されているのに、豊臣に大儀がある。義将石田三成、武家関白制は続いているとか、とんちんかんなことを言う人たちだから。

武家関白制の関白豊臣長者は秀吉秀頼親子が殺したでしょう?征夷大将軍も関白もつぎつぎ任命されているでしょう?っていっても理解できない
0776人間七七四年2019/04/30(火) 16:20:07.74ID:2lI/WG8d
>>774
秀吉が狙っていたのは家康と徳川家を後ろ楯にした秀頼政権でしょ?
さすがに禅譲を前提とした構想を持ってはいなかったと思う
0777人間七七四年2019/04/30(火) 16:49:20.81ID:7GDBcIjN
別にその説明禅譲じゃなくね?
政権運営は徳川に任せて君主は豊臣のままって話でしょ?
強いて言うなら豊徳合体
0778人間七七四年2019/04/30(火) 17:46:25.49ID:ecuQZAxW
>>776
徳川からの娘が嫡男生んで
元服するまで秀吉が生きれるなら、可能かもしれないけど
死亡時61歳、難しいかもな
何か晩年は呆けてるし
0779人間七七四年2019/04/30(火) 17:58:34.81ID:ecuQZAxW
秀吉自身が幼君ならどうするかってのをやってるのに
他家を信じたらアウトだよ
それは徳川だろうが、前田、毛利だろうが一緒
能力とか関係ない
0780人間七七四年2019/04/30(火) 18:22:53.49ID:bCIB8p6V
豊臣としては徳川を厚遇する形で臣従させとけば有能だし、敵対してるよりよほど豊臣政権を、おびやかしたりしないだろうしな
0781人間七七四年2019/04/30(火) 19:30:45.28ID:ecuQZAxW
5大老職筆頭もしくはNo2で
250万石与えて、他は最大でも半分以下
秀頼の正室に入ってる
これ以上優遇しようがないけどな
0782人間七七四年2019/04/30(火) 19:36:01.69ID:7GDBcIjN
だから三成らが秀吉のこさえた構想全部ぶっ壊したせいでおじゃんになったって話を上でしてたんでしょ
0783人間七七四年2019/04/30(火) 19:39:44.28ID:y2NO9rB7
> 能力とか関係ない
大あり
家中にロクな人材がおらんから一門衆とはいえ徳川に頼らざるを得なかったわけで
まあただでさえ少ない一門を粛清したり
独裁政権であるが故に官僚層を充実させるつもりが一切なかった
秀吉自身が招いた部分も大きいがな
0784人間七七四年2019/04/30(火) 19:47:16.41ID:ecuQZAxW
天下が欲しかったでいいと思うのだけど
何ですぐに他人のせいにしたがるのかが不思議
0785人間七七四年2019/04/30(火) 19:52:58.73ID:A6aNSDd2
天下が欲しかった、にしちゃ仕事が随分雑だからな
0786人間七七四年2019/04/30(火) 19:53:15.49ID:y2NO9rB7
天下が欲しかったと実証できる史料が皆無なんだから
そんなクソ陰謀論を主張するド低能はおらんよ
0787人間七七四年2019/04/30(火) 19:57:41.36ID:ecuQZAxW
マジレスするとキミ
すこしこの版から離れた方がいいよ
通常の日常生活を送る事をお勧めする
0788人間七七四年2019/04/30(火) 20:01:02.97ID:7GDBcIjN
解釈の話をしてるのに人のせいにする云々と感情論に持っていくの
私は感情で歴史について語りますって宣言してる訳だし
すこぶる史学に向いてないから、語らん方がええよ

最低限度の史学に対する知識をまずつけて、自分がどんだけ恥ずかしいこと言ってるのか理解してからもっかい来た方がええよ
0789人間七七四年2019/04/30(火) 21:43:48.13ID:rex7clND
長文は家康を嫌わすためわざとやってんのかな
0790人間七七四年2019/04/30(火) 21:45:26.65ID:xuJOPtEq
>>773
景勝とか第二の家康臭がする
力量云々は置いといて
0791人間七七四年2019/05/10(金) 14:24:50.54ID:IVpCt1ly
いい仕事してますねぇ
0792人間七七四年2019/05/11(土) 11:43:45.40ID:hvyvlgo/
関ヶ原後に朝廷から征夷大将軍就任の打診があったことからも
三成の暴発が家康の独自政権樹立をアシストしたことは間違いない
0793人間七七四年2019/05/11(土) 19:18:51.14ID:ggwwNySy
創作だと政権を樹立できたのは三成のおかげと家康に言わせることが多い気がする
0794人間七七四年2019/05/13(月) 16:15:23.52ID:YRejsc2k
三成居ない場合は、残りの大老を各個撃破してくだけだろうから
その方が時間的には早いかも?
前田が屈し、上杉攻め、次は毛利か宇喜多だろう
地理的に考えると宇喜多かな
そして、4家が滅ぶか屈したら、豊臣攻め
0795人間七七四年2019/05/13(月) 18:10:09.43ID:ptfOvIRw
各個に潰していくほうが時間はかかると思うけど
0796人間七七四年2019/05/13(月) 18:13:55.62ID:Y/geajd5
ここはいつから関ヶ原スレになったのだ?
0797人間七七四年2019/05/19(日) 17:40:49.71ID:Gs9o2mcG
秀頼のこと有能って言うやつ時々いるけど何をもって有能って言ってんだ?
0798人間七七四年2019/05/19(日) 17:51:27.20ID:mGAVjTxZ
自分で決断したかはわからないが、二条城に出向き、家康は、秀頼の体躯に圧倒されたことくらいしかない
0799人間七七四年2019/05/19(日) 17:57:18.00ID:FXTj6D3c
>>798
それすら半分以上妄想じゃないか
0800人間七七四年2019/05/19(日) 18:05:23.94ID:clAVyQnW
馬鹿な不穏分子を道連れにして徳川250年の平和に協力してくれたことかな
あと命乞いのためとはいえ千姫を解放してくれた
0801人間七七四年2019/05/20(月) 10:40:16.91ID:D8V9dFAK
有能というかただの恵体
0802人間七七四年2019/06/05(水) 21:56:14.98ID:oiRMhocA
>>797
福田とか自筆の字から、褒めてなかったっけ?
0803人間七七四年2019/06/07(金) 01:18:53.50ID:10ri9+or
秀頼が有能なら劉禅も有能だろう
0804人間七七四年2019/06/07(金) 08:16:43.13ID:Qy1n96tV
秀頼が劉禅だったら暴走して国割りそう
0805人間七七四年2019/06/07(金) 23:09:24.76ID:hiyV9DK0
そう言えば昔秀頼と劉禅を比較したスレがあったなぁ
0806人間七七四年2019/06/08(土) 14:16:51.01ID:shkvTOXJ
秀頼が実権握ってたとしたら無能だし実権握ってないとしてもそれはそれで無能なんだよな
0807人間七七四年2019/06/10(月) 20:33:41.43ID:CmDJlUbU
この頃にはもう能力ある大名残ってないからな
仮に家康が死んだとしても暴れそうなのは政宗くらいだろ
0808人間七七四年2019/06/12(水) 21:50:22.99ID:p8FRtJIT
自分の領地の経営すら出来ない時点で無能すぎるだろう
ましてや公儀の運営なんて絶対無理。だから二重公儀論とか
阿呆くさいと想うんだよな
0809人間七七四年2019/06/13(木) 12:16:25.56ID:Ic8c37xC
>>806
実権にぎっていないなら無能なのは周りだろ
0810人間七七四年2019/06/13(木) 12:18:18.23ID:NI8KpUYy
実権を握れないことも無能の証明なのでは
0811人間七七四年2019/06/13(木) 12:19:10.33ID:XqofKIG8
当主なのにろくに実権握れてないのは無能だとしか
最低限家臣の手綱くらい握ってるからこその大名ですから
0812人間七七四年2019/06/13(木) 12:43:18.11ID:vDPsXPNc
だから大名というか武家として教育を受けていたのかそもそも疑問なんだよ
将来の関白としての公家教育しか受けてなかったのなら所領をまともに統治することができなかったのも当たり前
秀吉が失敗したのはこういうところにも現れていて、やはりもともと武家出身でないだけに
武家政権でありながらトップが公家の関白というチグハグさに気づかなかったんだろう
こんな体制が長続きするはずがない
0813人間七七四年2019/06/13(木) 12:49:48.80ID:Shx7F8GP
20過ぎて実権握れないのは、ね
0814人間七七四年2019/06/13(木) 13:08:48.68ID:XqofKIG8
教育に関しては詳しくないけれど、勝手に公家教育しか受けてなかったって断定するのはどうなの
ていうか、公家だろうが武家だろうが部下への裁定下せてないのはどこでもアウトでしょ
結局のところ武士だって公家の一種なんだし、公家だったからーで片付けるのは乱暴に過ぎる
0815人間七七四年2019/06/13(木) 20:39:19.62ID:nTHES9E4
>>808
今更なんですが、豊臣が自領の経営が出来ず、徳川に任せていたと言う史料、
もしくは研究者の論説が読める本なり、サイトってありますか
0816人間七七四年2019/06/13(木) 20:43:56.78ID:YCVSRUgS
>>815
所蔵者の大阪城天守閣の紀要か図録くらいしか思いつかない
0817人間七七四年2019/06/14(金) 06:10:27.95ID:A5xZpajX
落日の豊臣政権とか羽柴家崩壊はどうだったかな
基盤の脆弱さがわかるだけかな
0818人間七七四年2019/06/25(火) 13:01:09.41ID:dJfl395I
落日の方は分からんけど、崩壊の方は片桐メインだったな
そう言えば小出の方は秀政の死後、豊臣と縁切れたみたいなのは、何故だろう?
0819人間七七四年2019/06/25(火) 14:34:46.33ID:I6zVOnas
且元もそうだけど基本的に秀吉の遺言は一代に限る
例外は秀忠と利長位
0820人間七七四年2019/06/25(火) 14:54:48.40ID:8ClvHuCX
まあ豊臣家の家老であることのメリットって殆どないからな。片桐も自己犠牲の持ち出して
やってたようなもんだ。
0821人間七七四年2019/07/07(日) 05:38:52.40ID:f1Y7gK/o
まあそうだな
結局何一つ自分で決めれなかったのは
無能としか
0822人間七七四年2019/07/07(日) 10:39:43.24ID:dV6nah1v
羽柴家崩壊だと大野と有楽・頼長が片桐且元から権力を奪いたかっただけでそれに巻き込まれて事態を収集できなかった淀と秀頼が無能すぎて悲しい
二人とも政治的な教育無し有力な家臣もあてになる実家もないから仕方ない的なフォローはあったが
それならなおさら身の程をわきまえて一大名になればよかったのに
0823人間七七四年2019/07/07(日) 21:35:16.37ID:cDQTXSrB
秀頼淀の身の丈を知らないのもそうだけど、豊臣家臣も足ひっぱってるよね
0824人間七七四年2019/07/07(日) 21:42:54.81ID:fbp/tjJd
浪人雇いましょうって言いだしたのは誰だったんだろうなぁ
それさえなきゃまだ冬の陣終わった時点で完全に制御不能になることはなかったろうに
0825人間七七四年2019/07/08(月) 19:26:33.52ID:V71HxqoH
浪人がいないと冬の陣さえ戦えないんじゃないかな
もっとも、さっさと両手あげて降伏したほうが史実よりマシな結果なんだけどさ
0826人間七七四年2019/07/08(月) 19:56:13.44ID:PXSxQdAi
冬の陣で両手上げて降伏したから許されたのに
浪人制御不能で自分で出した降伏条件すら守れず暴走

やっぱ浪人入れたのが悪いよ浪人がー
0827人間七七四年2019/07/08(月) 21:37:06.24ID:V71HxqoH
あげてない
一応和睦だよ
最良の選択は浪人どうこうじゃなくて、ホットウォーになる前にさっさと幕府に組み込まれてイチ大名の立場を保証してもらうこと
0828人間七七四年2019/07/08(月) 21:39:01.35ID:MIlI6quw
堀櫓の破却を受け入れて「和睦」はなかろう。少なくとも実質的には降伏。
0829人間七七四年2019/07/08(月) 21:47:27.42ID:PXSxQdAi
自分たちで防御施設破壊しますって条件出してるんで、かんっぺきに降伏だなぁあれは
というかまぁ状況だけ見ても普通に外の拠点全部潰されて唯一真田丸が残ったってだけなんで、あれで和睦というのはちょっと無理あるかと
0830人間七七四年2019/07/09(火) 09:40:07.36ID:r4eSv3e4
最近は冬の陣は大坂方の勝利だとする研究者もいるからなぁ
0831人間七七四年2019/07/09(火) 11:48:45.41ID:f4hP1HV3
幕府から無理なら浪人はこっちで処分するよ
と提案があったんだから、それを受け入れていれば良かったのでは
0832人間七七四年2019/07/09(火) 11:54:59.60ID:FQNR+QUH
>>830
それはどなたが?
0833人間七七四年2019/07/09(火) 12:02:53.74ID:0PpH8yMY
どうせ大阪城天守閣周りの連中だろ?豊臣史観の権化。
0834人間七七四年2019/07/09(火) 13:17:46.25ID:g8iQtRaO
>>833
あそこは地元バンピーにそう宣伝せざる得ないだけで、紀要とか見ると
「豊臣政権アカン」という史料と論考を結構出している
0835人間七七四年2019/07/09(火) 14:52:16.62ID:zc8ExMA0
冬の陣が終わって夏の陣までに、マンションみたいな形の天守閣に建てかえたって真実ですか?
0836人間七七四年2019/07/09(火) 15:24:49.26ID:uCgOquQs
>>833
ああ、去年ぐらいに大阪人の狂信者どもが豊臣史観を吹聴していて迷惑しているって大量のコピペがあちこちに貼られていましたな
関係者の方でしたか
0837人間七七四年2019/07/09(火) 17:49:19.85ID:JVGMEEHZ
関ケ原の前に、淀君を座敷牢か何かに押し込めることはできなかったのかな。
こいつさえ影響力を持たなければ。
0838人間七七四年2019/07/09(火) 20:36:08.21ID:9kMmRNde
>>830
当時の諸大名ですらそう思わないから、
東西講和になっても誰も大坂城へ伺候しない
0839人間七七四年2019/07/09(火) 21:07:26.66ID:wP3EUDRo
>>837
20歳過ぎても母親の影響力を排除できないのはヤバすぎない?
0840人間七七四年2019/07/09(火) 22:48:35.93ID:z41w9+aK
>>830
当時の宣教師が豊臣の勝ちって書いてあるから、冬の陣は豊臣の勝ちって主張なら読んだことあるなぁ
0841人間七七四年2019/07/09(火) 23:47:24.90ID:bwK7A3P1
まー、片側は日本ほぼすべて掌握する軍でもう片側が精々摂河泉という圧倒的な差なのに滅亡でなく講和による決着がついたの見たら
ろくに状況知らないで大坂なりにいる人からしたらVやねん豊臣軍に見えるかもしらんね
どこの人でも判官びいきというか弱い側が奇跡の勝利とか、そういうドラマチックさ好きだし
0842人間七七四年2019/07/10(水) 00:14:38.39ID:ttTZzIzd
豊臣の勝ちって言ってたのは平山優だったかな
真田信繁の本で
0843人間七七四年2019/07/10(水) 07:54:08.97ID:YtowGtrC
>>839
秀吉はじめ当時の人間はとんでもないマザコンだった。
頭がおかしいとて母君を座敷牢に幽閉するなんてできようか。
老母を人質の取られたら、なんでもいうことを聞くのは、いまの感覚では信じられない。
嫡子ならわかる。
0844人間七七四年2019/07/10(水) 09:14:02.88ID:62rgvJbm
それぞれが戦略目標を達成出来たかじゃない?
豊臣:大阪城をなんとか守り抜いたが有利な講和は結べなかった

徳川:大阪城を落とす事は出来なかったが、結果的には大阪城を無力化した
また諸大名は全て徳川に味方する事が証明された
0845人間七七四年2019/07/10(水) 10:50:54.51ID:z0aJ6vQD
豊臣の勝利だとしたら、大名連中にもっと動きがあるはず
それが全くない
0846人間七七四年2019/07/10(水) 11:31:01.47ID:hhZmKEnW
徳川方は別段大坂城落とすの目的じゃないからなぁ、どこの合戦もそうだけど城落とすのは手段であって目的じゃない
発端が豊臣が暴走始めて徳川との交渉勝手に打ち切りして、って話なんで
ごめんなさい言う事聞きますって豊臣が言った時点で徳川の目的達成なのよ

戦国前期ならよくある国衆相手に大名が兵出して攻めて、言う事聞くから降伏しますで合戦終了したのを国衆側の勝利とは言わんしょ

元主家なことで遠慮して降伏時の条件がべらぼうに甘かった事と、結局豊臣が自分の暴走止められずやっぱ言う事聞けませんわテヘペローしたせいでややこしい訳だけれども
0847人間七七四年2019/07/10(水) 13:59:55.14ID:7IBQQ9lk
負けであっても降伏ではないからな
せっかく和睦ってかたちにしてもらったのにそれさえいかせない、秀頼はホントのバカだよ
0848人間七七四年2019/07/10(水) 14:04:28.76ID:z0aJ6vQD
とりあえず浪人追い出さないとな
0849人間七七四年2019/07/10(水) 18:21:55.07ID:7IBQQ9lk
追い出せないんなら、いっそ秀頼が逃げるしかないかな
0850人間七七四年2019/07/10(水) 18:29:17.86ID:ywKdLozE
浪人衆をやしなう金銀がござらぬ!
0851人間七七四年2019/07/10(水) 18:41:35.10ID:AtuWWzHJ
大坂城は菰巻きみたいなもんだ
マツケムシを退治するには菰を巻いておいてマツケムシが集まってきたところを
菰共々まとめて焼却するのがいちばん効率が良い
大坂城という菰があったからこそバラバラに散らばってた不逞浪人共をまとめて一掃・処分できたわけよ
0852人間七七四年2019/07/10(水) 18:56:05.44ID:txMoZn0l
つか冬の陣の講和の時、豊臣家上層部の側が浪人たち刺激しないために「こっちは勝ってる」って騙したんだろうな。
堀の埋め立て云々の講和条件についても、上層部は浪人たちには黙ってたんだろう。だからこそ後に「徳川の騙し討」
みたいな話が言われたんだろうな。情報を与えられていない浪人たちの主観からすればそういう事に見えたんだろう。
0853人間七七四年2019/07/10(水) 19:50:26.73ID:hhZmKEnW
>>852
丸島和洋さんはその考えでしたね
0854人間七七四年2019/07/10(水) 20:34:18.39ID:7IBQQ9lk
与えられていようがいなかろうが、
負けました残念でした降伏に近いけど一応和睦ということにしてもらいました
浪人にしてみれば、こんなの認めたら自分たちの都合が悪すぎるからね。耳と目をくいしばって徹底抗戦を叫ぶしかないよ
0855人間七七四年2019/07/11(木) 21:10:57.27ID:bgC41CMA
豊臣家が負けた時に徳川方に没収をされるのを恐れて現在の六甲山
や猪名川町あたりに大量の金銀を隠しております。
豊臣家の金銀は隠した金銀を合わせて現代の金額に直して40兆円ほど
大坂の陣で使用をしたのはわずか5パーセントほどだったそうです。
0856人間七七四年2019/07/11(木) 21:14:48.51ID:dTj9lLQI
耳目を食いしばるとは如何なる意味かなあ
0857人間七七四年2019/07/11(木) 22:47:53.70ID:N82R3ik9
>>856
最近なにかと評判の悪いケロロ軍曹のネタだよ
0858人間七七四年2019/07/17(水) 10:58:36.10ID:az1E2DhD
ザ・今夜はヒストリー(1615年)大坂夏の陣1 3
https://www.youtube.com/watch?v=q73gJXfJMMo

いっそのこと、メタボで馬も乗れない秀頼ではなく
「御母公御在陣」の幟でも立てて
彼女が出撃した方がよかったのでは?
0859人間七七四年2019/07/17(水) 12:44:50.38ID:sE/Ud5E6
アマ将軍茶々丸
0860人間七七四年2019/07/22(月) 04:55:39.21ID:g4b+PZN3
秀頼が実子じゃないのは当時から明白だったわけで浮気女の家来になど誰もなりたくなかった
0861人間七七四年2019/07/24(水) 02:54:06.35ID:w13Ikm/S
実績もほとんど無い大野一族に従えってのがまず無理がある
0862人間七七四年2019/08/05(月) 09:55:54.30ID:ZIeEOyS5
官位で言えば、勝永、信繁、盛親とかよりは治長の方が上だったはず
0863人間七七四年2019/08/05(月) 11:35:16.21ID:EVtozHmb
官位上でも実績がないって話じゃないの?
ていうか腐っても地方でそれなりに大きな大名だった浪人連中よりも治長のが官位上なんすね
0864人間七七四年2019/08/05(月) 12:17:45.16ID:bU0wRhel
真田は親が評価されてるだけで信繁なんてがっかりもんだわな
0865人間七七四年2019/08/05(月) 13:36:31.32ID:DutI4qyg
治長が従四位下で信繁達が従五位下だったかな
0866人間七七四年2019/08/07(水) 01:26:16.32ID:97fM+9eg
信繁は豊臣家の軍事官僚だったって書いてる本があったな
従五位下なら大したもんやな
0867人間七七四年2019/08/07(水) 05:24:32.76ID:KyK2oqVv
縁を結んでいるように大谷や石田とは仲がよかったようだけど、人質時代の信繁って豊臣家とは親密だったのかな?
0868人間七七四年2019/08/07(水) 07:11:26.45ID:nVEEl/o1
大谷と石田が仲良かったってのは後世の創作
仲を物語る史料はない
0869人間七七四年2019/08/07(水) 07:54:26.57ID:KyK2oqVv
いや、真田か大谷や石田とってこと
0870人間七七四年2019/08/07(水) 08:13:55.34ID:nVEEl/o1
ああそっちか失敬
縁を結んだからといって個人の関係までは判断できん
信繁正室は大谷の娘ではなく養女とも姪ともいわれているし
そもそも大谷に謎が多すぎてよくわからない
石田は信之には愚痴のような書状を送っているので
関係が悪かったわけではないっぽい?
0871人間七七四年2019/08/23(金) 18:34:57.64ID:M+Ah3D1i
藤林丈司
0872人間七七四年2019/08/26(月) 11:32:30.19ID:LtqGoZPz
自分の領地すらまともに治められない大将の下に、仮に優秀な武将が集まっても勝てないよな
実際、冬夏ともに負けているし。一部豊臣贔屓の研究者で冬は勝ったっていう人もいるけど
0873人間七七四年2019/08/26(月) 19:05:39.46ID:q1zRVlMv
講和したからといって夏にまた攻められているのでは勝ちとは言えないよなあ
0874人間七七四年2019/08/28(水) 00:04:54.68ID:h/wHeanp
>>868
文禄の役の時に石田・大谷・小西・増田・宇喜多の5人で国王に次ぐ大都督の官位をよこせ・秀次より上の扱いをしろと明に要求しているから
ドラマみたいな友情はともかく石田と大谷に一緒に豊臣を牛耳る野心が互いにあったことは間違いない
0875人間七七四年2019/08/28(水) 12:05:47.27ID:e4c13K45
高橋陽介の関ヶ原本読む限り石田より大谷が野心的だった感じ
0876人間七七四年2019/08/28(水) 21:04:43.82ID:pp4cnr84
関ヶ原本ばかりではなく、大坂の陣本ももっと出て欲しいなぁ
0877人間七七四年2019/08/28(水) 21:36:52.21ID:e4c13K45
将軍秀忠が銃弾を数発受けた時期って夏の陣の可能性が高いんだな
0878人間七七四年2019/08/28(水) 22:04:05.45ID:x2oLlQ00
冬の陣の講和条件では、牢人衆も豊臣家の責任で解散させる、ということに成ってたらしいな。(一時金を出した上で)
ところが出来なくて幕府に「牢人の解散無理だから領地増やしてくれ。」と泣きつくというw
0879人間七七四年2019/08/28(水) 22:13:30.41ID:1ZCXpkdS
殆ど負けみたいな状態で講和して、挙句その状態から講和条件翻した上で領地増やしてってとんでもない発言だなぁ
せめて和議がまとまる前に泣きつけばいいものを
0880人間七七四年2019/08/28(水) 22:50:08.52ID:CPmBwzya
総攻撃前にギリギリでやっと結んだ講和だからな
にもかかわらずその講和条件をクリア出来ず泣きつくわ
とりあえず大坂城を出れば牢人は幕府方で始末してやるという
クッソ激甘な提案をされてるのに講和を一方的に破棄して挙兵するという…
0881人間七七四年2019/08/29(木) 05:27:13.91ID:DdOeGT9Y
>>877
ソースは?
ないなら暗殺未遂とか言いたい放題言えるやんけ
0882人間七七四年2019/08/29(木) 06:54:26.59ID:F9DOBZAJ
>>881
大野治房隊に接戦に持ち込まれてる
そこでの負傷はあったなら明かされるとまずい
もう一つは第二次上田城戦か
0883人間七七四年2019/08/29(木) 07:33:12.38ID:OZYDlWEF
>>882
岡山の戦いで被害のあった秀忠の旗本は、先手の前田と二番手の井伊・藤堂の間に進出した大番1組と書院番2組

個人的には大坂冬の陣において前線の物見をした際に、流れ弾が当たったと見ている
0884人間七七四年2019/08/29(木) 15:08:27.02ID:QGDxtsvQ
徳川忠長が江戸城で鴨を鉄砲で撃ち取って秀忠が激怒した事件あっただろ
そんとき流れ弾が当たったんだよきっと
0885人間七七四年2019/08/29(木) 17:17:57.15ID:WiVFMD/g
駿河大納言忠長卿の忘れ形見である。
0886人間七七四年2019/08/31(土) 16:58:26.73ID:AcigRL58
>>858
御母公が戦死してりゃ
残った秀頼も助命工作なんて
みっともない真似をせずに
有終の美を飾れたのにな
0887人間七七四年2019/09/18(水) 20:11:25.73ID:LVb0vQ25
茶々は和睦論者だしなぁ。戦になる前に
普通に秀頼が大阪城から出て行けば良かっただけだし
いまだに俗説に沿った徳川陰謀論で語る奴も多くて
大坂の陣は困るな
0888人間七七四年2019/09/19(木) 01:04:01.48ID:44dU/U1l
秀頼が家康を信用しきれなかったのは不幸だが
相手が攻めてきてから降伏してもたしかに遅いわな
0889人間七七四年2019/09/19(木) 01:10:05.70ID:KfDzYQf0
そも方広寺大仏殿が問題に成った時に何を考えて牢人を集めだしたのか。
幕府への圧力に成るとでも思ったのか。
0890人間七七四年2019/09/19(木) 07:45:46.82ID:44dU/U1l
主家としてのプライドでしょ
力関係が逆転してるのが明白でもそれでも家臣の徳川にいいようにやられて我慢ならなかった、って話で。
まあそれは自滅まっしぐらなわけだが。
0891人間七七四年2019/09/19(木) 09:08:28.99ID:FqXnx1IR
>>888
一度目に攻められたとき
大坂冬の陣和睦の段階で高速土下座してれば間に合ったのにな
幕府が浪人の処理もしてくれるって甘甘な条件も提示してる
勘違いして浪人集めちゃったのは若気の至りとし仕方ないにしても、不利な和睦で現実見るべきで
2度目は流石に許されないよね
0892人間七七四年2019/09/19(木) 09:52:40.35ID:o47naIgG
おまえら「家康は絶対にと豊臣家を滅ぼす気など毛頭なかった」信者は
いったいどこで洗脳されてきたの?
0893人間七七四年2019/09/19(木) 11:01:52.04ID:FqXnx1IR
書状や同時代の記録を見れば、家康に滅ぼす気はなかったのが分かる、それが今の定説だし
秀頼があまりにも時代の空気や立場が読めなさ過ぎた、WW2の日本首脳並です
国替え後に大名として残れるかは豊臣の運営能力次第、秀忠は政治に厳しい人だから(でも評価は平等)
最悪高家としては残してくれると思う
淀が元凶で〜ってのもドラマだけの話です
0894人間七七四年2019/09/19(木) 11:33:14.71ID:o47naIgG
そんなに豊臣家を滅ぼしたくなくて愛してやまなかった癖に
豊国神社を完全に破却する? 
秀頼一人の命くらい江戸城中の一室に監禁するだけで済むのに惨殺する?
0895人間七七四年2019/09/19(木) 11:34:24.91ID:o47naIgG
「今の定説」というのが洗脳されてきた証拠だよな
高橋弘二のライフスペース信者かよおまえらwww
0896人間七七四年2019/09/19(木) 11:51:36.61ID:8+7qW2aD
>>894
完全に滅んだ家のためにある神社なんてどんな禍津神になるか
それなら本来の意向通りに大仏の鎮守にしようという話

方広寺にある秀吉の墳墓としての石塔は、現存するのに意図的に
歪曲されて馬塚なんて名前になっている


後、自分で戦争始めた癖に、家臣は皆死んで、城は焼け落ちたのにも関わらず、
なお生き延びて命乞いするなんて、武士かと上に立つもの以前に、もう人としてダメでしょう

自害させたのは、それこそ武士の情けだと思うのだが
0897人間七七四年2019/09/19(木) 11:59:00.76ID:o47naIgG
普通は神様に一度なった人はもう殺さないし
仏に罪は無いと考えるんだよ。
平将門しかり菅原道真しかり城井鎮房しかりだ。
物凄く大事にされてる。帝にすら逆らって新皇名乗っても
反抗して主人の家が滅ぼされる一歩手前まで行ってもだ。
ましてや旧主の神社を完全破却なんて日本史的に前代未聞だろ。
0898人間七七四年2019/09/19(木) 12:04:39.82ID:bUoHNp/T
>>897
菅沼信者は頭が悪いな
0899人間七七四年2019/09/19(木) 12:51:41.47ID:UAbQNf5r
真田、私だ。越前兵がきた本丸に。脱出した。予定を変更。私を福島で載せてくれ。こうなったら無差別攻撃だ
0900人間七七四年2019/09/19(木) 13:01:43.60ID:t8NVVKIL
>>899
荒らしはやめろ偽菅沼
0901人間七七四年2019/09/19(木) 13:37:06.18ID:UAbQNf5r
>>900
なんだとこのヤロー!
当方(大河内)の力作にケチつけんじゃねーぞ!
文句があんなら読むな!
雑魚やろーが!
0902人間七七四年2019/09/19(木) 13:40:35.60ID:o47naIgG
徳川家康 (山岡荘八) wikiより

>なんとか大坂の陣を回避し豊臣秀頼を助命しようとする家康」「皇室尊崇の念の篤い家康」は
>「狸親父家康」のイメージを改善するのに大きく貢献した

>韓国では「大望」という題名で出版され、ベストセラーとなった他、中国でも2007年秋の刊行以来
>全13巻計200万部を売るベストセラーになっており、高い評価を得ている。


まんまこのスレの徳川信者でワロタw 山岡真理教患者だったんだね
0903人間七七四年2019/09/19(木) 14:20:45.83ID:a/sh7iqz
>>891
いわゆるスライディング土下座wwww
0904人間七七四年2019/09/19(木) 14:32:47.88ID:KfDzYQf0
>>894
京都の豊国神社は大坂の陣後、大阪牢人が一種の精神的拠点として周辺に潜んでいたことが当時の記録に見える。
豊国神社を廃却したのは一種の治安措置といえる。
0905人間七七四年2019/09/19(木) 14:38:56.89ID:a/sh7iqz
>>894
しかも秀頼の幼子の国松まで殺したのは豊臣根絶やしの意図に他ならない。責任者の秀頼は捕まったら、石田三成同様打ち首、もしくは切腹は免れないだろうが、根絶やしの意図がないなら三成の嫡男の石田重家のように助命しても良かったのではないか?
0906人間七七四年2019/09/19(木) 14:45:18.21ID:o47naIgG
>>905
そんな事実を突きつけたら徳川真理教患者が発狂しちゃうよ
0907人間七七四年2019/09/19(木) 14:47:19.34ID:HHyLgAMl
>>905
起きた事象の違いも理解せずに比較を使うのはナンセンス
豊臣の場合、一度かなり降伏に近い和睦してその和睦条件を履行出来ず、もう一度乱を起こしている
精々関ヶ原で降伏した毛利の代わりに全責任おっかぶる事になった石田と比較できるものではない
0908人間七七四年2019/09/19(木) 14:48:37.26ID:ScES17ea
>>906
それお前の副アカだろ
0909人間七七四年2019/09/19(木) 14:50:26.74ID:KfDzYQf0
>>905
根絶やしも何も敵対して降伏もしなかった者が滅んだら、その大将の長男を殺すのも頼朝以来の武家の習いだぞ。
なにを特殊例のように言ってるんだ。むしろ三成のほうが特殊例だ。あれは三成が首謀者であっても「大将」とは認識されて
いなかったためだろう。あと娘は殺してない。娘も平然と殺してた信長秀吉に比べると非常に穏当だな。

あと家康は「豊臣」をまったく根絶やしにしてないからな。木下系豊臣氏は幕末まで大名として存続してる。
0910人間七七四年2019/09/19(木) 14:53:04.79ID:a/sh7iqz
>>907
でも徳川は豊臣を滅ぼしたくないんだよね。だったら仏門に放り込むなりすれば済む話。戦国の世では子供であっても根絶やしのために殺されるのは当たり前と知ってるが、徳川との約定については国松は何ら関与してないだろう。
根絶やしが目的なら矛盾はない。
0911人間七七四年2019/09/19(木) 14:54:41.29ID:KfDzYQf0
つか自分への反論に対して、全く実証的に再反論する事もできないくせに、相手を「徳川信者」とレッテル貼って
それで自分は間違っていないと耳をふさいで殻に閉じこもるの、いくらなんでも人として惨めすぎないか?
0912人間七七四年2019/09/19(木) 14:55:29.17ID:KfDzYQf0
>>910
「豊臣」は滅んでないっつーの。藩翰譜でも読め
0913人間七七四年2019/09/19(木) 14:56:26.00ID:a/sh7iqz
また家康は秀吉の存命中秀頼を頼むとの願いを承ったはず。
殺すのは当然とはならない。
0914人間七七四年2019/09/19(木) 14:56:44.68ID:a/sh7iqz
>>912
ただの屁理屈
0915人間七七四年2019/09/19(木) 14:57:10.80ID:QNMsrtyx
ちょっとID変わってしまってる
滅ぼしたくないからその状況にならないよう手を回したけれど
なってしまった以上武家政権として公平に裁いた、ってこと
0916人間七七四年2019/09/19(木) 14:57:27.52ID:KfDzYQf0
>>914
はいはい反論できないのね
0917人間七七四年2019/09/19(木) 14:58:01.21ID:a/sh7iqz
にもかかわらず豊臣に手をかけた家康は不忠者と評価されても仕方ない。
0918人間七七四年2019/09/19(木) 14:58:46.88ID:QNMsrtyx
豊臣がどれだけやらかしたのか、また当時の慣習ってのを一切棚に上げて
徳川がやった徳川がやったとしか言わないのは反論とは言わない
0919人間七七四年2019/09/19(木) 14:59:46.93ID:KfDzYQf0
>>917
それはお前のお気持ちの問題でしか無い。
0920人間七七四年2019/09/19(木) 15:00:41.48ID:a/sh7iqz
>>918
秀吉との約束を反古にするほどの事か。しかも孫娘の千姫の嫁ぎ先でもあり、冷酷という他ない。
0921人間七七四年2019/09/19(木) 15:01:54.15ID:KfDzYQf0
おいおい小説の世界の話しし始めたぞ。
0922人間七七四年2019/09/19(木) 15:03:31.80ID:QNMsrtyx
>>920
そうだよ?
初手乱起こすわ講和条件も守らずもう一度乱起こした
このレベルの事やられてるのに秀吉との約束がどうとかってレベルじゃねーよ

お前は乱を起こすを待ち合わせに遅刻した程度にでも思ってるのか
0923人間七七四年2019/09/19(木) 15:03:57.38ID:a/sh7iqz
大方、頼りのない秀忠の威信を高めるため、生きてるうちに禍根をたつために無理やり豊臣を攻めたのが真相だろう。
一般的には家康が豊臣を叩く決断をしたのは二条城での秀頼との会談後だそうだ。それまでは滅ぼすつもりはなかったかも知れんが。
0924人間七七四年2019/09/19(木) 15:05:43.75ID:a/sh7iqz
あと攻め手は徳川方であり豊臣は迎えうった形。江戸に攻撃を仕掛けたなら話もわかるが。
0925人間七七四年2019/09/19(木) 15:05:46.38ID:QNMsrtyx
妄想開陳する前に、ちゃんと調べろ
一般的にじゃないんだよ娯楽としてその方が面白いからそういう作品が多いだけ

創作物と史学の区別つけられませんって宣言始めるのやめろ
0926人間七七四年2019/09/19(木) 15:07:37.61ID:KfDzYQf0
>>924
「徳川大名」である片桐且元を武力を用いて攻めたから攻撃されたんだっつーの
0927人間七七四年2019/09/19(木) 15:07:47.17ID:QNMsrtyx
出兵の発端は取次であった片桐の追放
取次の無断追放は宣戦布告と取れる行為と丸島氏も指摘してる
0928人間七七四年2019/09/19(木) 15:13:21.72ID:mj73v0kE
レス乞食菅沼
構ってもらえて嬉しそうだな
0929人間七七四年2019/09/19(木) 15:23:51.89ID:ivJfE4zb
数パートも前から同じ質問が何度も出て、それに対する答えも何度も出されてるのになぜ見ない?
何故こんな質問してるのは自分だけと思い込める?
0930人間七七四年2019/09/19(木) 17:23:43.34ID:a/sh7iqz
>>11
徳川って一部を除いて後世になるほど家臣任せになるね。
0931人間七七四年2019/09/19(木) 17:28:17.79ID:a/sh7iqz
>>926
あんたのいう徳川家康の豊臣を滅ぼすつもりはなかった説は歴史学者100人いたらどのくらい指示される説なんか教えてくれ。有力な説なのか珍説なのかあんたのいうことを鵜呑みにはできん。あんた自身は信じて止まないらしいが。
0932人間七七四年2019/09/19(木) 17:28:46.59ID:a/sh7iqz
指示ではなく支持
0933人間七七四年2019/09/19(木) 17:30:31.89ID:KfDzYQf0
>>931
おまえホント自分で勉強する気ゼロだな。恥を知っているなら最低でも自分で昨今の大坂の陣に関する歴史書くらい読んできてからものを言えよ。
0934人間七七四年2019/09/19(木) 17:33:59.28ID:a/sh7iqz
徳川の豊臣滅ぼすつもりなし説は100人大坂の陣の研究をしてる大学教授なりの研究者がいたとしてほぼ全員に受け入れられるほどので定説なのかそれとも一部の研究者がいってるだけなのか素人の自分には判断つかん。この人以外に詳しい人いたら教えてください。
まあそんなに支持されてたらとっくに一般化してると思うが。
0935人間七七四年2019/09/19(木) 17:34:39.62ID:a/sh7iqz
>>933
そうか割合を答えたら都合が悪いんだな。それはわかった。
0936人間七七四年2019/09/19(木) 17:36:08.79ID:a/sh7iqz
あんたの答えから一部の学者が唱えてる新説ないし、そんな事も考えられるレベルな事はわかった。その程度でよく偉そうにできるな。利いた風な口を聞くな。
0937人間七七四年2019/09/19(木) 17:38:05.50ID:a/sh7iqz
知ってて当たり前というなら学者の間ではほとんどそれが常識と言えるだろうが。つまり100人いたら90人以上は支持されるくらい。素人じゃなく研究者の支持だよ。
0938人間七七四年2019/09/19(木) 17:56:08.51ID:ScES17ea
障害者手帳持ちが発狂してら
0939人間七七四年2019/09/19(木) 18:04:21.30ID:aDPwSadM
歴史ってのは学問であって多数決じゃないからなあ
多くの人が支持してるイコール正しいとはならんぞ
0940人間七七四年2019/09/19(木) 18:08:04.17ID:o47naIgG
家康は決して豊臣家を滅ぼす気は無かったというのは
レイプで起訴されておきながら
「相手が抵抗しなかったらレイプはする気はなかった」
「叫んだから慌ててレイプした」
「そもそも扇情的な格好をしてた彼女が悪い」と言い訳重ねるようなもんだよな。

おまえはレイプしたんだよ。嫌がる相手を殴り倒して強制的にな
0941人間七七四年2019/09/19(木) 18:08:26.89ID:bTycuEkd
人数によって説の正しさが決まるで行ったらそれこそマイナスイオンは実際に家電から出ててみんなを健康にするし
アレルギーは気の持ちようだから根性で食えば治るしになるが
どんだけ頓珍漢な事言ってるか自覚してるんだろか
0942人間七七四年2019/09/19(木) 18:10:45.07ID:bTycuEkd
当時の常識や慣習を無視していいなら
当時の人たちみんな大量殺人鬼で軒並み豚箱入りなんだけど

学問である以上、当時の認識を重要視しないと意味なくね
0943人間七七四年2019/09/19(木) 18:21:39.40ID:a/sh7iqz
>>942
だから当時のことに見識のある研究者のうちどの程度豊臣を滅ぼすつもりなかった説が支持されてるか知りたいわけ。
0944人間七七四年2019/09/19(木) 18:22:57.69ID:ScES17ea
>>943
でもお前知的障害者だから人の話聞けないじゃん
0945人間七七四年2019/09/19(木) 18:24:25.32ID:bTycuEkd
有名どころだと丸島氏、黒田氏、笠谷氏、渡邉氏くらいか?
逆に不当だった派は自分は福田氏ぐらいしか知らんなぁ
0946人間七七四年2019/09/19(木) 18:26:05.65ID:HiqQl+WB
>>905
いや普通殺すよな、敵認定したなら徹底的にやるべき
0947人間七七四年2019/09/19(木) 18:28:01.24ID:a/sh7iqz
>>941
誰もマイナスイオンの話なんかしてない。そういう事を言うということはそんな説を支持してる研究者も少数派ということで差し支えなさそうだな。
自信満々に発表されて取り下げられたstap細胞なんて例もある。結局検証された結果どこの研究機関からも支持されなかったわけで、その道のプロである研究者に支持され広く認められなければなければただの珍説に過ぎない。そうだろうなと思ってた。
0948人間七七四年2019/09/19(木) 18:28:52.53ID:a/sh7iqz
>>945
その五人しか研究してないわけじゃないよね。
0949人間七七四年2019/09/19(木) 18:29:04.78ID:o47naIgG
おまえらの言い分「秀頼の分際で正当防衛しやがったからぶっ殺して族滅させ
神社から何から全部燃やしてやった」
0950人間七七四年2019/09/19(木) 18:29:49.69ID:a/sh7iqz
>>946
つまり殺意をもって殺そうとしてたわけだ。救おうなんて考えは当然ない。
0951人間七七四年2019/09/19(木) 18:30:39.59ID:HiqQl+WB
>>923
頼りないっていうか家康がビッグすぎたので秀忠がスモールにみえるだけなんだがな
まあちゃんとレールしかれた後とはいえ秀忠は武家をまとめきって家光に完全体として幕府をつなげたのだから無能ではないよ
甘い仕置きをして日本が荒れるようでは秀吉の不完全統治の再来になるのだから徹頭徹尾やった徳川家のやりかたのが正解
0952人間七七四年2019/09/19(木) 18:33:05.85ID:o47naIgG
むしろ秀頼くらいは江戸城中で一部屋与えて飼っておいた方が徳川政権の正統性を示すのに都合よかったけどな。
逆に毛利と薩摩は何が何でも因縁を吹っ掛けてかならず家を取り潰すべきだった。
やることがチグハグだ。
0953人間七七四年2019/09/19(木) 18:34:39.25ID:HiqQl+WB
>>950
大阪の陣にいたってはそうだろ
殺さないともう終わらない
それを許せばまた別の火種がさわぎをおこす
それくらい秀頼はやらかした、自滅とかわらん
0954人間七七四年2019/09/19(木) 18:36:04.27ID:a/sh7iqz
丸島さんて真田丸の時代公証をした人か。真田丸では徳川家康は悪の親玉みたいに扱われてたな。
0955人間七七四年2019/09/19(木) 18:37:22.92ID:bTycuEkd
>>948
悪魔の証明させる気?
それやらせるつもりなら、俺も聞くよ
豊臣氏が滅んだのは不当だと主張してる研究者の名前全部挙げてよ、わかるから聞いたんだよね

ついでに、我々の主張は豊臣家が当時として明らかに不当な行為を繰り返した結果、幕府としては公正に処罰する意味で滅ぼす形になったなので、まるで言い分を理解できてないね
0956人間七七四年2019/09/19(木) 18:39:20.49ID:o47naIgG
いや、殺害しといて「殺害する気はなかった。相手が抵抗したからいたしかたなく子供も含めて皆殺しにしてやった」
という言い分は無理がありすぎだろ。
0957人間七七四年2019/09/19(木) 18:44:45.78ID:bTycuEkd
滅びないよう最後まで手をかけ続けた部分をどうして意図的に省いて歪んだ認識をするの?

狂犬病にかかった犬を殺す時に、最後まで手術なり投薬で治せないか模索した上でどうしようもなく殺さざるを得なくなったのを、殺したかったって主張してるレベルだけど
0958人間七七四年2019/09/19(木) 18:45:17.57ID:a/sh7iqz
>>951
それが目的ならはなから豊臣家を時代の生けにえとして利用しようとしていたわけで殺そうとしていたで間違いないね。また秀忠は家康に比べて求心力がないので豊臣と白黒はっきりつけさせ天下に徳川家の力を見せつけて逆らう者をなくす狙いもあった。
徳川幕府としては豊臣の対応が不味かったというより豊臣家の存在を消し去りたかった。豊臣と徳川の2つの公儀が並び立つという状態を無くしたかったんだと思う。
0959人間七七四年2019/09/19(木) 18:45:49.91ID:ScES17ea
>>956
言い訳するな
0960人間七七四年2019/09/19(木) 18:51:58.24ID:o47naIgG
山口敬という人が
「彼女が泣き叫ぶから抱いて慰めるしかなかった」とか
「扇情的な格好をしてきたから抱くしかなかった」としきりと裁判で主張してるけど
それとどこが違うの?
0961人間七七四年2019/09/19(木) 18:54:21.90ID:a/sh7iqz
>>957
大御所なら鶴の一声で、国松ぐらい
は救うことができたはずだから。
助命の前例はあるんだから担ぎ上
げられる可能性があるとはいえ、
たかが7歳やそこらの子供を必ずし
も殺す必要ははない。仏門に帰依
させれば良かった。それはできた
はず。やらないという事は助命す
るつもりはなかったということに
なる。だいたい責任者を殺さなけ
ればならないというなら、嫁いで
豊臣の人間になった千姫を何故殺
さなかった。ご都合主義で戦国の
しきたりを持ち出すのはいかがな
ものか。
0962人間七七四年2019/09/19(木) 18:57:07.50ID:bTycuEkd
何が違うかって?被害にあった女性はなにもしてないけどと豊臣家は取次攻撃するわ和睦条件守らないわ、とか時代、組織かどうかまでなにもかも違うけど本当に違いわからないで言ってるの?
0963人間七七四年2019/09/19(木) 18:58:54.69ID:a/sh7iqz
>>952
とくに毛利は西軍の総大将だからね。これを許してるくせに戦国のしきたりっておかしくないか。
0964人間七七四年2019/09/19(木) 19:00:28.55ID:a/sh7iqz
>>962
堀の埋め立ても条件違ってるけどな
0965人間七七四年2019/09/19(木) 19:01:37.28ID:bTycuEkd
大御所ならって、それこそご都合主義じゃん
罪人は、公儀として公正に裁かなければならない、ゆえに裁く前に散々それこそ大御所の力で手を回して裁かれる状況にならないよう回避を手伝う旨を伝え続けてたのにそれ全部蹴っ飛ばしたのが豊臣
0966人間七七四年2019/09/19(木) 19:02:31.39ID:a/sh7iqz
>>965
でも豊臣を救いたかったんだよな。そうは見えん。
0967人間七七四年2019/09/19(木) 19:03:34.97ID:bTycuEkd
堀の埋め立てもそうだね
本来和睦案として総堀の埋め立てを言い出したのは豊臣家で、それを履行されなきゃいけなかったのにまるで履行されないから結果幕府がやる事になった
まさしく豊臣家が和睦条件を守れてない物の一つだね
0968人間七七四年2019/09/19(木) 19:04:35.83ID:a/sh7iqz
>>965
千姫を殺さなかったのは身内だから。
そんな考えなら豊臣だって身内だっただろうに。
0969人間七七四年2019/09/19(木) 19:04:46.79ID:bTycuEkd
>>966
簡単な話だよ、何も見てないし調べてないからそう見えないだけ
だからずっと他の人たちからも調べなさい、って言われてるの
0970人間七七四年2019/09/19(木) 19:05:22.03ID:ScES17ea
おい障害者ども
ID:a/sh7iqz
ID:bTycuEkd

この>>955質問にはいつになったら答えてくれるんだ?
0971人間七七四年2019/09/19(木) 19:07:24.71ID:bTycuEkd
千姫とその他豊臣の人間はまるで立場が違うってわからない?
豊臣秀頼及び淀は組織の長、やらかした失態を償わないといけない立場
0972人間七七四年2019/09/19(木) 19:07:34.15ID:a/sh7iqz
>>967
ごまかすな。その件については徳川が約束以上の埋め立てをやってる。それは事実だろ。どっかの誰かが浪人たちを納得させるため、豊臣上層部が嘘をついたとか変なこといってたけど。
0973人間七七四年2019/09/19(木) 19:08:16.45ID:a/sh7iqz
>>971
何も知らない子供よりは裁かれるべき立場だと思うが。
0974人間七七四年2019/09/19(木) 19:08:24.46ID:o47naIgG
いや実際に嬲り殺した犯人が「いいや俺は殺す気は全くなかった」と主張したとして
裁判長がそんなの受け入れると思う?「家康は最上位の上級国民だから受け入れるよ」と言われてしまえば
それまでなんだがw
0975人間七七四年2019/09/19(木) 19:09:01.94ID:ScES17ea
>>972
お前が誤魔化すな
>>955に答えろ
0976人間七七四年2019/09/19(木) 19:10:04.55ID:bTycuEkd
>>972
いいや?そのどっかの誰かっての誰かわからんけどその人の言うとおりだよ
笠谷氏の指摘で先に挙げた丸島氏他研究家もそれに同意見だよ
誤魔化してると思うのならそれこそ調べなさいよ
0977人間七七四年2019/09/19(木) 19:10:48.78ID:a/sh7iqz
>>971
あとね、国松にどんな責任がついて言ってる。千姫は豊臣のやり方に従ってるから自害するなり離縁するなりしなかったのだろう。
0978人間七七四年2019/09/19(木) 19:12:08.17ID:a/sh7iqz
>>976
その二人の説は正しいのか?証明できるのか?いってるだけじゃないのか?
0979人間七七四年2019/09/19(木) 19:12:20.58ID:bTycuEkd
>>973
秀頼嫡男のことを言ってるの?
それなら上で指摘してる人がいた通り組織の長の息子だから、だね
思う、ではなく何度も言うけど当時の常識、慣習を理解しなさいよ
0980人間七七四年2019/09/19(木) 19:12:53.25ID:a/sh7iqz
調べたところでそう言ってるということしかわからんだろうが。
0981人間七七四年2019/09/19(木) 19:13:38.50ID:a/sh7iqz
>>979
助命の前例はあるぞ。打首にしたやつの息子。
0982人間七七四年2019/09/19(木) 19:15:33.51ID:a/sh7iqz
>>979
そんなこというなら
家康は西軍総大将毛利輝元その人を助命してるんだがな。あれで示しつくのか。総責任者だろうが。
0983人間七七四年2019/09/19(木) 19:15:58.64ID:a/sh7iqz
戦国の世の習いだろ。
0984人間七七四年2019/09/19(木) 19:16:38.35ID:bTycuEkd
国松の場合は降伏しなかった当主の嫡男だから
裁かれないよう回避の為に手を尽くしたけど、一度裁く事が決定したからには公正にやらないといけないというだけ
まさしく言ってるだけな君が何を言ってるの?
せっかく2人の名前まで挙げさせて、なんで自分の目で確認をしないの?
0985人間七七四年2019/09/19(木) 19:17:27.48ID:o47naIgG
丸島と笠谷ってたしか真田丸でヘンリクリンな自説を色々と突き通した人じゃなかったっけ?
0986人間七七四年2019/09/19(木) 19:18:13.19ID:bTycuEkd
何故そう主張できるのかまでを説明してあるから調べなさいと言ってるんだけど
もしかして一度も研究書を読んだことがないの?
0987人間七七四年2019/09/19(木) 19:18:29.11ID:aDPwSadM
>>978
あんたの妄想や世間一般とかいうあやふやな代物よりは信用してるよ
そもそも大多数が支持してるから正しいってかなり危険な理論だよ
歴史ってのは学問であって多数決じゃないんだから
多数の人間が支持していれば正しいなんてのがまかり通るなら
中国政府の公式見解が一番正しい歴史になってしまう、そんな馬鹿な話はない
0988人間七七四年2019/09/19(木) 19:20:01.65ID:o47naIgG
俺の記憶が確かなら丸島とか笠谷って「今までの説は間違ってる!!」とか
根拠もないのにセンセーションに訴える逆張り親父たちだったと思うが。
武田家の研究をしてる人だよね?
0989人間七七四年2019/09/19(木) 19:21:12.36ID:dqJu6zsP
丸島氏は武田氏研究されてるが笠谷氏はしてないはずだけど
0990人間七七四年2019/09/19(木) 19:22:16.02ID:a/sh7iqz
>>988
そんなことだろうと思った。
0991人間七七四年2019/09/19(木) 19:22:16.50ID:o47naIgG
笠谷はさらに自分が何か言うのではなく
他人の説に乗っかりおじさんだったはず。
0992人間七七四年2019/09/19(木) 19:23:00.00ID:dqJu6zsP
丸島氏も笠谷氏氏も双方、必ず根拠を挙げた上で主張なさってるよ
その根拠が薄い場合があるにせよ挙げないで主張なんて恥知らずなことはしていない
0993人間七七四年2019/09/19(木) 19:23:59.34ID:a/sh7iqz
最新の説というのは聞こえがいいけど
ともすればstap細胞みたいなパチもんもあって新しければそれが正しいなんて危険極まりない。
0994人間七七四年2019/09/19(木) 19:24:22.28ID:a/sh7iqz
>>992
相当薄そうだな。
0995人間七七四年2019/09/19(木) 19:24:42.20ID:o47naIgG
井沢とか司馬と比べたら一応学者であり歴史学会にも顔を出してるからマシと言えるけど
センセーショナルな逆張り屋さんという意味では違いは無い。
0996人間七七四年2019/09/19(木) 19:25:11.82ID:a/sh7iqz
だいたい真田丸の時代公証ってどうよ。あんなふざけた大河
0997人間七七四年2019/09/19(木) 19:25:15.21ID:dqJu6zsP
まさしく今のそれが問題だと言われてる点だよね
いま、彼は一切根拠を示さず文句として笠谷、丸島両氏を侮辱したよね
それに対して調べもせずにそんなことだろうと思ったと乗っかったよね

そうじゃなく確認しなさい、調べなさいと言われてるのはその点
0998人間七七四年2019/09/19(木) 19:25:38.48ID:a/sh7iqz
あんなんでちゃんとした時代公証できてんのかよ。
0999人間七七四年2019/09/19(木) 19:25:58.03ID:o47naIgG
いやいや、真田丸スレで散々彼らの主張は読んだよ
実に荒唐無稽なことばかり言う人たちだった
1000人間七七四年2019/09/19(木) 19:26:49.68ID:a/sh7iqz
秀次殺すつもりがなかったのにその他全員虐殺だからな。
相当無理がある。
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