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【早雲】後北条家総合スレッド 其の六【氏直】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2017/04/26(水) 23:13:53.23ID:ES42k+CG
前スレ
【早雲】後北条家総合スレッド 其の五【氏直】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386581460/
0438人間七七四年2018/06/29(金) 15:04:20.23ID:DEvxvkAq
北條氏平

なかなか凄い。
0439人間七七四年2018/07/01(日) 23:14:10.29ID:osDwA4/U
>>437
黒田せんせーがよく引用に使ってるのは、駿河大宅だよ
0440人間七七四年2018/07/04(水) 16:22:44.79ID:Lw0B/TR1
天文〜永禄期の北条氏規について : 本光院殿菩提者となるまで  浅倉直美
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/37899/rsg090-11-asakura.pdf
0441人間七七四年2018/07/10(火) 22:24:32.37ID:NKH4JILf
>>436
北条綱高(元高橋将監)は義元の時代には武蔵・相模にいるから別人でないの?
0442人間七七四年2018/07/10(火) 23:43:39.32ID:A1WwXs++
>>441
ごめん分かりにくかったかな
実際の雲見高橋氏は清水康英の同心に過ぎず、知行役高も10貫文しか
なかったってのはご存知?
その上で、「筑後高橋当主の座を捨てて高種や綱高を輩出し北条一門に列した」と
称している高橋氏のご先祖様は実際は遠江出身で雲見に所領を得たのは
伊豆を平定した後ではないかってことね
0443人間七七四年2018/07/10(火) 23:50:58.97ID:A1WwXs++
で、高橋郷左衛門や、今川義元書状に出てくる高橋将監も
北条氏に仕えた雲見高橋氏と同じ一族じゃないかってことね
0444人間七七四年2018/07/11(水) 14:41:47.58ID:Nl6VhCrl
清水康英期?
10貫て10石〜20石で一族は養えても家臣は養えないレベルじゃない?
いわゆる下級役人てやつ
そんなに低いのか
隠居領かなんかじゃなくて?
0445人間七七四年2018/07/11(水) 14:53:07.06ID:Nl6VhCrl
これけ
http://www.shimodajyou.com/koubouryakunenpu.html
他の文書だと高橋郷左衛門尉か
0446人間七七四年2018/07/12(木) 21:26:56.26ID:+Rdu5qow
「筑後高橋当主の座を捨てて高種や綱高を輩出し北条一門に列した」と称している高橋氏

遠江出身で雲見に所領を得た高橋氏
は無関係じゃないの
0447人間七七四年2018/07/13(金) 01:48:42.01ID:Ggd0wGmo
>>446
高橋家系図には、高橋高種は足利政知に請われて雲見に所領を得て、
北条綱高、高橋氏高兄弟も雲見で生まれたとあるよ
0448人間七七四年2018/07/13(金) 09:00:10.92ID:3OqRO6wF
丹波守・左近父子と郷左衛門・久太郎父子が同一人物なのか別人なのか

830貫取りの大身と10貫の木っ端役人が連名で安国寺恵瓊・脇坂安治から起請文取るって
普通にあるの?なんか違和感がある
0449人間七七四年2018/07/13(金) 17:51:04.31ID:Wlm4EvA8
https://www.sankei.com/region/news/180401/rgn1804010028-n2.html
10貫文だと本人と家臣の二人で参陣なのか
0450人間七七四年2018/07/14(土) 11:01:58.71ID:JLVrI5Uc
>>414
氏光のところにはないが
氏忠のところには
文禄4年(1595年)の時点で安芸草津に在所しているが、その後の動向は不明である。(拙稿小田原落城後の北条氏一族)
とあるからこの論文に何か書いてあるかもね

で 『日本歴史』2013年10月号(785)
【史料散歩】
小田原落城後の北条氏一族…黒田基樹
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n7435.html

同じ内容かどうかはしらん

最もそこにも氏光しかり氏忠しかりこれまで言われていた通説の死去年後の生存が確認できただけかもしれない
(著書瑞渓院にも文禄4年大和奈良に在所が確認とあるし氏光も)
0451人間七七四年2018/07/16(月) 20:22:03.14ID:LzFNWHD8
高橋氏ここにも関係史料が纏まってる
http://kyoudosi.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-0ca8.html

一部鉛筆書きの史料群で北条氏の知られざる事実が明かされるなんて胸が熱いね
0452人間七七四年2018/07/16(月) 21:26:24.00ID:WwHSV/nY
結局氏忠は本当に安芸移住してたのか
佐野氏の同族阿曽沼氏は安芸に傍流がいるけどどこまでツテが生きてるか謎だし
そもそも佐野息女とは離(死?)別したって話じゃなかった?
0453人間七七四年2018/07/17(火) 00:18:58.19ID:YCJLI0EL
「新九郎、奔る!」の単行本は8月9日発売らしい
月刊誌だから2巻以降は来年か?
0454人間七七四年2018/07/18(水) 21:47:22.45ID:0qcrA4uH
立川のジュンク堂へ行ったらやたら北条家関連の本が置いてあるコーナーがあって
「店員さんに北条家ファンがいるから、もしくはこの辺の大名が北条家だからかな」と思ったんだけど
コーナーには小早川秀秋とか真田信繁とか北条家に直接関連しない題材の本も数冊あって、よく見たらコーナーの全部が黒田基樹先生の著書だったw
0455人間七七四年2018/07/18(水) 22:52:54.91ID:J842jJEB
氏康の子供だって
新九郎→名前が氏親とわかる
氏政→生年が1年繰り下がり1539年に
氏照→諸説あった生年も1542年に固定できそう
氏規→五男から四男に浮上
氏邦→諸説あったが生年が繰り下がり1548年で五男に。また庶子にも変化
氏忠→現在は父は氏堯。氏康は義父
景虎→氏秀と同一人物にされたことがある
氏光→氏忠と同じ。こちらが弟
蔵春院→氏康最初の子供で長女とされてきたが、現在では四女へ
七曲殿→長女に昇格
種徳寺殿(小笠原康広室)→現在は為昌の娘
尾崎殿(千葉親胤室)→未だ法名わからず。四女から次女へ
長林院(太田氏資室)→法名、生年共にわからん。五女から三女へ
浄光院(足利義氏室)→瑞渓院は義母に変化
桂林院(武田勝頼正室)
円妙院→過去帳しか名前がないのはかわらず。法名がわからん2人の氏康娘のどちらかと同一人物の可能性も残る

こうも変化するから10年経ったら氏忠、氏光の事績もよりわかるかも
氏忠は北条研究者より毛利研究者が発見するかもね
0456人間七七四年2018/07/19(木) 08:24:48.85ID:gxxBpy37
三郎景虎の生母・側室問題にも決着つかんかね
遠山康光妹と康光室の妹が混同
0457人間七七四年2018/07/19(木) 21:00:53.54ID:n78fM44e
高橋家の過去帳を使ってる某学者って正気なんですかね
0458人間七七四年2018/07/19(木) 21:28:14.02ID:gxxBpy37
某とかいらないんで
事実上黒田さんの占有状態なんだから伏せる意味が無い
とりあえず異議申し立てたいのなら既知の一次史料との矛盾点を丁寧に拾ってけば?
0459人間七七四年2018/07/19(木) 21:47:35.36ID:n78fM44e
高橋氏が北条氏の養子になったという事実(史実)はない
伊勢弥次郎が高橋氏の名跡を継いだというのもこの家だけが言っている
五色備えや×家・××将衆などというのもこの家に伝わる戦記の中だけの話
高橋氏が玉縄(甘縄)城代・江戸城主になった事実もない
一致するところがない
実在した彦四郎・郷左衛門(加賀高橋文書)、丹波・左近(雲見高橋文書)の受給文書を伝える子孫は別に存在する
0460人間七七四年2018/07/19(木) 21:53:40.63ID:n78fM44e
氏康長男の実名や北条一族の没年享年等
狭山等信頼できる北条子孫の家の史料にも残されていないものが
北条家臣としての実態がない高橋氏にのみ伝わることに蓋然性がない
0461人間七七四年2018/07/19(木) 22:14:56.11ID:gxxBpy37
喜連川文書も創作?
それとも偶然の一致?

結局決定的なものが出てこない以上は地道に可能性を潰してくしかないのよ
0462人間七七四年2018/07/19(木) 22:35:31.79ID:gxxBpy37
どっちかいうと新九郎よりも太田源五郎の実名のほうが気になる
無いわけ無いんだよな元服してるんだから
「太田」氏房てのは無いか
0463人間七七四年2018/07/19(木) 22:56:25.29ID:lGnqUj9h
山口博氏の北条氏五代と小田原城 7/30発売と
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b370871.html

昨年下山治久先生亡くなられてるんだよね

あとは則竹雄一氏、浅倉直美氏、長塚孝氏とかかな北条研究者
0464人間七七四年2018/07/21(土) 01:44:03.76ID:9mBmemfV
高橋郷左衛門の名前が出てくる玄庵覚書や氏康書状などの北条氏側の史料は、北条氏の家格向上に伴い
氏康が吉良氏の家臣に直接命令を下すようになった時期以降に成立したものがほとんど
下田城址の解説板に「小田原城からは援将江戸摂津守朝忠と検使高橋郷左衛門尉が派遣され」とあるけど
江戸朝忠は吉良氏の筆頭家老江戸頼忠の子だし、小田原からというよりは、吉良氏が軍役に応じて
その陣代として下田に遣わされたのが実情だと思う
そのような地位にありながら、所領役帳に「拾貫文 雲見」としか記載されていないのは、高橋郷左衛門が
当時食客扱いで諸役を免除されていた吉良氏(なので蒔田領は載ってない)の家臣だったからで、
雲見は北条氏から別に与えられた知行地だと考えれば合点がいく
牟礼に縁があるのも、吉良氏朝が徳川家康に仕えた時に世田谷に移ったからであり、従って高橋氏は
一貫して堀越六郎・貞朝(吉良氏朝)の家臣だったとすれば、何一つ矛盾しない
0465人間七七四年2018/07/21(土) 02:06:57.22ID:9mBmemfV
あと、今川義忠が塩買坂で敗死したときに、案内役を務めていた高橋左近将監が一緒に討たれたという言い伝えが
天ケ谷の城平(別名高橋の城)周辺に残っているそうなので、
高橋氏が遠江今川氏に仕えたのはこの前後ではないかと思う
0466人間七七四年2018/07/22(日) 19:45:00.48ID:9YKHZXl2
上杉綱憲は氏康の女系子孫

A:吉良義定室系
北条氏康→早川殿→吉良義定室→吉良義弥→吉良義冬→吉良義央→上杉綱憲

B:今川範以系
北条氏康→早川殿→今川範以→吉良義弥室→吉良義冬→吉良義央→上杉綱憲
0467人間七七四年2018/07/22(日) 23:02:39.35ID:HOJqxHiB
吉良義央とは今川氏真が仕込んだ上杉への呪いなんじゃないかと思ってる
0468人間七七四年2018/07/23(月) 01:41:17.71ID:yVdFwmJ4
なんで上杉?武田じゃねーのかよ
0469人間七七四年2018/07/23(月) 08:03:40.05ID:+U27DNIn
>>466
吉良義央って、こうしてみると結構重要人物なんだな
ただの忠臣蔵の被害者じゃなかったんだな
0470人間七七四年2018/07/23(月) 22:35:55.69ID:gdW5vf9N
堀越氏旧臣の高橋氏
高橋彦四郎(のち平左衛門か)
高橋平左衛門(所領役帳で本人に72貫400文、寄子に150貫文)
高橋郷左衛門
高橋源七郎(のち郷左衛門か)
高橋久太郎
子孫は受給文書を「加賀高橋文書」として伝える

伊豆雲見の高橋氏
高橋将監
高橋丹波守
高橋左近
子孫は受給文書を「雲見高橋文書」として伝える

雲見高橋氏が伝える歴代(禰宜を世襲した雲見浅間神社の連名帳)
高橋丹波守先祖 円覚院迅証道難入禅定門 1479年8月没
高橋左近 1523年没 明応5(1496)年宗瑞判物の高橋とのか
高橋左近 1534年没 永正16(1519)年宗瑞書状の高橋将監か
高橋左近 1555年没
高橋左近 1597年没 下田城に籠城した丹波守はこの人か
高橋左近 1646年没 下田城に籠城した左近の子か孫か
0471人間七七四年2018/07/30(月) 19:49:25.03ID:6WrzRaXZ
正室である小笠原備前守の娘の可能性が高いと言われる南陽院殿、
伝心庵過去帳には後御前と注記されているらしいけど、この「後」って
どういう意味で付けられたのかな?
0472人間七七四年2018/07/30(月) 19:53:59.52ID:KLq7KEGS
のちのごぜん、で普通によくない?
その後氏綱公の正室になりますよ、ってあたり?
0473人間七七四年2018/07/30(月) 21:32:28.30ID:LumFf9Ny
>>444
一応言っておくと

後北条氏の場合
税収10貫は
総石高に換算すると
地域によるから一概には言えないけど
50石〜100石くらい

http://hitosugi.web.fc2.com/2021.pdf
ここでは一例として60貫が240石とあるけど
所領役帳の数字は総貫高ではないから
もっと石高は多くなる

https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/digital_archives/rekishibunken55/pdf/043odawarashushoryouyakuchou.pdf
5貫につき動員兵力1人とあるけど
戦国時代の動員兵力は100石で数人というのが基本
10貫〜20貫で100石
0474人間七七四年2018/07/30(月) 21:56:54.08ID:d8M1Ri1B
南陽院って氏綱じゃなくて宗瑞の正室じゃなかったか
それに戒名の注記にその解釈は合わないような
後室とかって解釈で良くないかな?
0475人間七七四年2018/08/01(水) 21:40:12.43ID:Fvm9BAm7
小田原合戦で下田に籠城した雲見の高橋氏の兵力は
丹波・左近父子と一族(同名)の六郎左衛門・縫殿助・助三郎の5人
丹波・左近は妻子を小田原に差し出して下田に籠った
0476人間七七四年2018/08/01(水) 21:55:15.58ID:MiPdFzqw
5人なら所領の石高は100石超えてるだろうね
0477人間七七四年2018/08/04(土) 22:09:50.32ID:kFUybZMh
>>474
後室って意味だと小笠原娘と南陽院殿が同一人物だった場合、
その前に先妻がいたって事になり、それは誰だって話しになるし
別人物だった場合先妻の小笠原娘が亡くなった後、南陽院殿が
後室に入った事になり、それじゃ南陽院殿は誰なんだって話になって
ややこしい事にならないか
0478人間七七四年2018/08/05(日) 00:05:11.89ID:IjdfymLC
>>477
どう考えても前者じゃね
兄貞興の動向もほとんど記録に残ってないというし、備中時代なんてそんなもんじゃないの
0479人間七七四年2018/08/10(金) 22:00:40.24ID:25jc2a3F
ゆうきまさみの単行本買ってみたが、案外面白かったな
0480人間七七四年2018/08/11(土) 00:09:19.20ID:VPUnMWAI
見忘れた

高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?
http://www.bs-tbs.co.jp/culture/kura/
8月10日放送
#13 2時間スペシャル「東京郊外…戦国末期、豊臣秀吉との戦いに敗れたものの
生き延びた一族が…商家として成功し築いた豪邸には…新撰組の手紙!?…謎の英文書!?
…驚きの家宝が続々登場」 よる9:00〜10:54放送

高島礼子が日本全国の蔵へ!埋もれた家宝捜索の旅。今回の捜索の舞台は…東京郊外。
かつて都心部へ材木や薪炭を提供して栄えた町には、今も多くの蔵が残っている。
訪れた旧家は、敷地内に蔵がいくつも建つほどの豪邸。江戸時代以降、材木商として
成功した家だというが、その歴史は古い。そもそもは、戦国末期、秀吉の小田原攻めで
敗北した北条家臣で、命からがらたどり着いたこの地に住み着き、名前を変えて生き延びた
一族だという。
0481人間七七四年2018/08/13(月) 19:52:28.57ID:8y6qp/zr
再放送待とう
0482人間七七四年2018/08/16(木) 22:10:28.01ID:1AJ9KYhH
>>479
面白かったけど、歴史好き以外には受けなさそうなマンガだな
0483人間七七四年2018/08/16(木) 22:30:55.29ID:BpNVJ631
似たような名前が多いし台詞も説明だらけだし、普通の読者はついていけなくなりそうだ。
0484人間七七四年2018/08/18(土) 07:49:21.81ID:7YhJfOTJ
氏直の墓と言われるのがある海蔵寺って広島の西の要所たる
草津城(城主児玉氏)近辺の行者山なのよね
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Gaikan_Hiroshima-shishi_map-01.jpg
かつて引き潮の時は広島まで歩いて渡れたらしい

そういう重要拠点を縁も薄そうな氏忠が自由に出入りできたのかしら
0485人間七七四年2018/08/20(月) 15:17:06.61ID:5YMRjRsK
へえ、氏直のはかって広島にあったんだなあ 不思議 勉強になった
山中鹿之助の娘もかくまったとあるなその寺 すげえ なんかかっこいい
0486人間七七四年2018/08/22(水) 21:19:24.88ID:baML9NDe
正直氏直墓は信じてなかったが
氏忠終の棲家が言われていた伊豆ではなく広島ってなら
信じざるを得ない

とりあえず乗讃院の正体が判明せんだろうか?
0487人間七七四年2018/08/27(月) 21:46:35.26ID:hPpGzj0M
なんで氏綱は「時」を通字にしなかったんだろう
偶然にも父親の名前に入ってたのに
0488人間七七四年2018/08/27(月) 23:20:34.31ID:e0vI7qmi
>>487
弟に氏時がいるじゃん
断絶しなければ玉縄北条氏の通字として続いてたかもな
0489人間七七四年2018/08/28(火) 01:11:49.11ID:UpfWLVVf
>>488
いや、北条名乗るんだから氏じゃなくて時を通字に変えてもよかったんじゃない?と思って
0490人間七七四年2018/08/28(火) 06:13:01.01ID:cQEGQKbj
弟は氏時やね
『綱』は誰かから貰ったのかしら?
0491人間七七四年2018/08/28(火) 12:51:42.34ID:pB6b4wUL
>>489
「氏」は氏親から貰ったものじゃん
それを捨てて形だけの「時」を使うことになんの意味があんの?
0492人間七七四年2018/08/28(火) 22:13:21.79ID:2+zHLFO6
>>479
これ面白かった。
アマゾンとかだとキャラが現代語を喋っていて変とか言う批判もあったけど作者は読みやすさ分かりやすさを重視したんだろうなと思った。
ただでさえ歴史に興味ない人には取っ付きにくい題材だし
0493人間七七四年2018/08/28(火) 22:16:31.43ID:rU/ocRc+
そういう人は風雲児たちなんかに対しても同じ批判をするのだろうか
0494人間七七四年2018/08/28(火) 23:53:08.96ID:s3PGNmUS
氏親から貰ったてソースは何?
0495人間七七四年2018/08/29(水) 00:06:14.97ID:TXv8v/sB
>>494
氏綱氏康が元服した時はまだ今川氏の家臣だったんだから、氏親からの偏諱じゃなきゃおかしいでしょ
ってなことが黒田氏のどれかの本に書いてあった

あと氏政以降の氏はまた違うらしい
0496人間七七四年2018/08/29(水) 10:15:23.44ID:vDpNMkve
氏政から一門には「氏」を蒔いていくスタンスに変更したから
他家からの貰いものではないという自負があったのでは

ただ氏直からは止めちゃうんだけど
これはよくわからん
0497人間七七四年2018/08/30(木) 22:24:49.94ID:6iDiuQtE
意味がわからない
0498人間七七四年2018/08/31(金) 00:03:27.79ID:tjyG+vks
NHKの知恵泉、次回は氏綱・氏康親子じゃなかった?
0499人間七七四年2018/08/31(金) 12:54:38.82ID:lD2bTDwF
今川客将だった早雲期(氏時)を除いて北条氏が当主以外が『氏』を諱としたのって
氏堯が最初なんだけど、これは河東の相駿断絶に関わってるんじゃないかと思う

さらに氏政期に入ってからは傍系の久野家玉縄家にわざわざ改名させて『氏』を与えてる
これも政治的になんらかの意図があるのは間違いない
これが氏直期に入ると氏房氏隆を最後に止めてしまい直重直定など『直』を与えるようになった
おそらく本能寺後の政治情勢を受けて当主権限強化を形として打ち出したのではないかと思う


んでその推論が当たってるとなると北条『氏』資は非常に怪しいのよね
何らかの褒賞があったなら兎も角、いきなり元服時に与えられたというのならば極めてイレギュラーな形になる
はい「尻働き」とか言うの禁止w
0500人間七七四年2018/08/31(金) 16:32:12.98ID:yZCNRV9b
河東の乱以降、当主以外が氏を使うようになったのって
義元に対する対抗心から来てるんだと思うわ
氏親、氏照は今川氏の歴代当主に同じ読みの人がいるし、氏真を小田原に
招き入れた時に、氏直を養子にさせたりと今川氏当主の座に固執してるように見える
側室の子である義元を認めず、北条氏であると同時に今川氏当主としての
正統性を示していたのではないかと思う
0501人間七七四年2018/08/31(金) 21:13:22.41ID:cu6oHOMS
氏親・氏照・氏規が今川にゆかりのある名前を使用っていうのは研究者からも指摘されてるけど、
でも氏政だけピンポイントで今川家に関係ない名前なのが気にかかる
0502人間七七四年2018/08/31(金) 21:28:44.87ID:SkTSWPZF
北条氏高
0503人間七七四年2018/08/31(金) 22:55:14.24ID:lD2bTDwF
うん高橋氏高の存在は高橋氏が筑後高橋氏出身ではなく
遠江高橋氏出身である傍証だと思う

政治的には今川外戚北条氏の縁者として一門格に連ねたが
あくまで今川家中として「氏」の書き出しを受けた
具体的には葛山氏広に近いイメージ
0504人間七七四年2018/09/01(土) 00:31:45.82ID:tDAHi0Ig
そもそも一次史料に北条氏高なんて出てきたっけ?
0505人間七七四年2018/09/01(土) 02:14:44.95ID:Fn64jS96
黒田先生に聞いて
0506人間七七四年2018/09/01(土) 02:18:04.31ID:TpSTbC7f
黒田先生は北条氏高についてはノータッチだったと思うけど
0507人間七七四年2018/09/01(土) 19:51:45.98ID:dJPMIIs0
氏綱は養子に北条氏高って名前を与えている
0508人間七七四年2018/09/01(土) 21:56:33.05ID:TpSTbC7f
>>507
だからそのソースは?って聞いてんのよ
0509人間七七四年2018/09/03(月) 12:11:21.92ID:ek8S7z3D
九州の高橋が伊豆にまで行ってたのか すごいなあ
0510人間七七四年2018/09/03(月) 20:59:24.36ID:J+wFTJQ7
高橋家の史料を使う研究者は馬鹿
研究者失格
0511人間七七四年2018/09/03(月) 22:56:05.08ID:kCFKJ2N6
今度の知恵泉は氏綱を取り上げる模様
0512人間七七四年2018/09/04(火) 05:34:09.82ID:D7UqDEVp
ぜんぜん知らんかった 勉強になるわ〜〜 マイナー武将の発見たのしい
0513人間七七四年2018/09/04(火) 22:46:29.00ID:64d2mX/+
知恵泉見た
河越夜戦で氏康の臆病が活きたってのは少し無理がある構成に感じられたが...w
0514人間七七四年2018/09/07(金) 18:36:13.19ID:64KBsXph
子どもの石合戦で数が少ないほうが勝つと“予言”して神童ぶりを発揮した家康が
晩年大坂の陣で豊臣を寡兵と侮り危うく討ちとられそうになったり、
三献茶で心細やかな気づかいっぷりが気に入られ秀吉に召し抱えられた三成が、
同僚の武将を気づかえずことごとく敵に回し関ケ原で敗れ、
今度は臆病で家臣からもバカにされてたのを、氏綱の計らいで算術を施され自信を
つけさせてもらって立派な武将に成長した氏康が、我が子には「おまえは飯にかける汁の
加減も分からんのかたわけ、北条もわしの代で終わりや!」とか罵倒するとは・・
親にそんなこと面と向かって言われたら凹んでやる気失せるわな。
なぜ武将は子どものころ、若い頃の経験や素質が持続しないのか?
0515人間七七四年2018/09/07(金) 19:11:32.90ID:IilkBYGF
>>514
そういった逸話は後世の創作や他の人の逸話からの流用だから辻褄が合わなくて当然
0516人間七七四年2018/09/09(日) 12:21:27.74ID:xeeTn+LD
ゆうきまさみの漫画を読んで疑問に思ったのだが
北条と幕府朝廷の付き合いってどんな感じだったんだろう
0517人間七七四年2018/09/11(火) 05:12:59.97ID:RoZuhfL7
パトレイバーがか
0518人間七七四年2018/09/13(木) 15:13:37.00ID:KRMbl2Ol
>>516

普通に儀礼的なつきあいをして、たまに献金していたのではないかな?
0519人間七七四年2018/09/18(火) 22:42:56.44ID:9aG9hCHf
遂にセンゴクで北条編が始まりましたな!
0520人間七七四年2018/09/23(日) 23:10:23.53ID:CmkYfeLH
>>516
近衛尚通の日記『後法成寺関白記』大永3年9月13日条によると、尚道が詞書を書いた酒呑童子絵巻を北条氏綱にプレゼントした
氏綱は礼銭を送ってる、取り次いだのは幕府同朋衆の相阿弥だった
それが今でも重要文化財として残ってる
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=626
近衛尚道とは親交が続くようでこの後もお互い贈答しあってる

現在確認できる「北条」の最古の記録はまさに大永3年9月13日条のこの部分
「酒呑童子絵詞、去年書遣間、為其礼北条千疋進上之、相阿弥執次也、」(去年酒呑童子絵巻を送ったので、お礼として北条から10貫文進上してきた、取次役は相阿弥である)
0521人間七七四年2018/09/24(月) 13:10:31.19ID:gC7O6TJW
近衛尚通は後の氏綱舅となる
つまり氏堯は関白太政大臣の孫であり
更に紀伊家頼宣水戸家頼房は玄孫という設定ということになるわけだ

ほんとかよ
0522人間七七四年2018/09/24(月) 15:23:30.50ID:jzHe24tv
>>520

> 氏綱は礼銭を送ってる


この時代。小田原から京都までまとまった金銭を輸送するってのは難しくなかったのかな?
0523人間七七四年2018/09/24(月) 16:26:10.80ID:Xq/FykkF
なんで大河ドラマにならないんだ、関東だから推進団体とかないのか
0524人間七七四年2018/09/24(月) 17:39:18.10ID:ttdSTp7s
>>523

後北条五代か長宗我部三代をドラマ化しろという声は昔からあるのだが、なかなか実現しない。
0525人間七七四年2018/09/24(月) 17:43:51.61ID:ttdSTp7s
後北条五代を大河ドラマ化すると


早雲の死  5月上旬


(二代目は視聴率が取れないので大幅にカット)


謙信が小田原城に攻めてきた    8月下旬

信玄が小田原城に攻めてきた    10月下旬

氏康の死       11月下旬



(これ以降は視聴率が取れそうにないので大幅にカットして)


滅亡        最終回
0526人間七七四年2018/09/25(火) 11:54:33.46ID:Bj1ZQ7Up
北条も大局観があったなら東の毛利として生き残れたかもしれんのになあ

秀吉と徳川挟撃していれば
0527人間七七四年2018/09/26(水) 03:30:48.52ID:ng5PtLXD
北条の意向なんか関係なく潰されてたと思うけどな
しっぽ振ったところで
0528人間七七四年2018/09/27(木) 02:17:25.51ID:dG0dcKSo
>>523
俺下手に北条主人公だと悲惨な脚本家監督にあたるの怖いから、里見とか佐竹とか宇都宮主役にして敵としての怖い北条を見せてほしいわ
0529人間七七四年2018/09/27(木) 12:45:32.53ID:NlIkQUrm
>>522
10貫文程度だからそこまで難しくなかったと思う
ただ物価や相場を考証するのも大変だし、どんな感じで売買等をやり取りしてたか実態が復元できているわけじゃない
おそらく地域ごとに違う可能性もあるしね
だからある程度想像や妄想の自由があるかもしれない

10貫文(1000疋=10000文)について暇があったらこれを見てほしい
旅行の帳簿
真ん中あたりからは解説で具体的に内容に触れてるから参考になると思う
https://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/kensokuchou.html

>上りの総支出(「国々逗留ノ間并ノホリノ路銭分」) 七貫六一〇文
>下りの総支出(「下リ路銭分」)        三貫八二八文

>旅籠賃については、最初にも述べたように、近江から越後までほぼ一泊二食が四八文(一人二四文)で一貫しており、それ以外もだいたいこれに近い値段である場合が多い。
>長期的に追跡できる価格について、ここで紹介できるものとしては、大工の工賃があり、早くからそれが一日一〇〇文であることなどが指摘されている

このあたりの解説で10貫文というのがどの程度の金額かは想像しやすいと思う
金銭や換金可能なものを直接輸送したわけではなく別の方法を取った可能性も否定はしないけど、酒呑童子絵巻は実際に小田原に届いている事もあるし、上のような帳簿はもちろんいくつかの旅行記も残っている
なので例えば盗賊等の想像も思いつかないことはないけど、金品を持って遠隔地に移動する事自体は普通に行われていたと自分は考える
要するに、可能ではある(けど簡単とは言ってない)くらい、少なくとも難しいとは言い切れないかな・・・
0530人間七七四年2018/09/27(木) 16:04:38.63ID:/EP2O2h8
>>529

なるほど。

当時は地方大名が官位もらっても、礼金を京都に送金するのがしんどかったイメージがあるが、
意外とそうでもないのかな。
0531人間七七四年2018/09/28(金) 01:17:49.85ID:sciDIWWj
>>523
やっぱあの件がネックなんじゃない?
宣伝に利用されかねないから
0532人間七七四年2018/09/28(金) 05:37:42.79ID:En963y2Z
宣伝なんて今更
昔からさんざんっぱらやってる

真逆やねん
有名な事件があってそのスケープゴートにされたのよ
0533人間七七四年2018/09/28(金) 06:22:05.54ID:h5imjvbO
真面目な話、どこにクライマックスを持ってきたら良いのか分からないし盛り上がらない。
0534人間七七四年2018/09/28(金) 11:37:54.54ID:ZU2rvnAl
北条好きだから見たいけど早雲氏綱以外はバットエンド確定だもんな
氏康は認知症、氏政は切腹、氏直は病死
0535人間七七四年2018/09/28(金) 19:01:10.80ID:5QhqgRV/
武田滅ぼしたあと、信長は関東統一したとみなされて、朝廷が将軍いいよとなったらしい
つまり、武田滅ぼしたとき、北条は完全に織田の家臣になると表明してた
本能寺で助かったというけど、逆にアレで滅びちゃったのかねえ 
あれがなけりゃ織田家臣として関東200万石の大大名
0536人間七七四年2018/09/28(金) 21:47:04.04ID:amUqXEPh
>>534
家康との伝手を活かして氏規、氏盛親子で家を再興EDとかは
>>535
武田滅亡後の北条に対する信長の態度を見ると本領全て安堵は難しそうな気がする
0537人間七七四年2018/09/29(土) 21:02:26.02ID:M8PLZok3
>>535
50万石は信長に貰ったん?
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