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【早雲】後北条家総合スレッド 其の六【氏直】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2017/04/26(水) 23:13:53.23ID:ES42k+CG
前スレ
【早雲】後北条家総合スレッド 其の五【氏直】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386581460/
0371人間七七四年2018/04/21(土) 15:22:07.82ID:Gu8xwMmS
たぶん「北条氏康の子供たち」じゃないかな
記憶が正しければ「朝比奈泰以娘と思われる」と推定に留まり、
出典も書かれていなかったはずだけどね

遠江朝比奈氏といえば、少し前にツイッターで話題になってた、
伊勢弥次郎朝比奈弥次郎泰熙同一人物説は面白いと思う
0372人間七七四年2018/04/21(土) 18:34:52.52ID:PZF7awDL
少々ズレるけど三郎景虎嫡男のお嫁さん探しは初めてたのかしら?
もし次期当主候補なら元服同時に婚姻じゃない?
謙信自分のことをさておいてお見合いおばちゃんやってたから
そういうの好きそうだ
0373人間七七四年2018/04/22(日) 14:51:28.23ID:m6wl5LcE
氏康の子供、氏政の兄弟は色々と語られる事が多いけど
氏政の子供、氏直の兄弟は語られる事が少ないな
やはり家が滅亡するのはつらいね
0374人間七七四年2018/04/22(日) 16:33:08.37ID:AnY+fxuI
>>370
後北条氏家臣団人名辞典だったキガス
0375人間七七四年2018/04/22(日) 21:17:56.67ID:UfWeV8u8
となると誤植の可能性もあるのかね
どっちかっつーと元史料の誤読じゃないかとも思うけど
『以』って草書体での誤読の常連だってどっかの(全く無関係の)ツイートでボヤかれてた
0376人間七七四年2018/04/22(日) 22:46:48.02ID:lG7tPzSe
>>372
Pixivのオカマ謙信漫画思いだした
0377人間七七四年2018/04/22(日) 23:31:30.09ID:c8/Nz9ux
泰以と泰朝はいずれも左京亮を称してたらしいからそれで混同された可能性も
0378人間七七四年2018/04/23(月) 14:29:59.17ID:ruhVY+sv
まあそのへんだろうね官職名での勘違いか
字体の確認ミスによる誤植
0379人間七七四年2018/04/23(月) 23:59:06.92ID:oXuap4qg
黒田基樹て本当に糞だな
言いたいことに合わせて説(使う史料)ころころ変えすぎだろ
0380人間七七四年2018/04/24(火) 19:27:38.56ID:LyJAv44d
こうして駿相間の密接ぶりをみるにつけ
逆に河東前後のわけのわからなさが際立ってくる
義元はいったい何に激オコ?
0381人間七七四年2018/04/29(日) 18:50:10.74ID:e55mKDXi
戦国北条家一族事典
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/364/
0382人間七七四年2018/04/30(月) 00:49:50.31ID:eHVzv2vr
北条家があまり人気ないのは信長と戦ってないのと関ヶ原の戦いにほぼ関係ないからかもな
0383人間七七四年2018/04/30(月) 21:54:06.22ID:enun5k7X
>>380
今川義元も里見義堯も氏綱が支援されて当主になったのに、
すぐに敵対しやがんのな。
0384人間七七四年2018/04/30(月) 22:08:49.94ID:yadrVkd0
>>383
義堯は小弓に誘われて、これ幸いという感じじゃないの?
あのまま湾を抑え込まれてしまうのは面白くなかっただろうし
0385人間七七四年2018/05/01(火) 10:53:16.14ID:xIwnQBTc
http://hojosoun.com/2018/04/29/北条早雲公顕彰五百年事業キックオフイベント、/

戦国武将・小田原城主北条氏の初代早雲公は1519年に没したと言われており、2019年で500年目の節目を迎えます。

北条氏の正しい姿を多くの人に発信するため、「北条早雲公顕彰五百年事業実行委員会」を設立し、2018年から2カ年に渡り、様々な事業を展開していきます。

既出だったらすみません
0386人間七七四年2018/05/02(水) 05:37:49.48ID:KyVD0wvE
>北条氏の正しい姿を多くの人に発信するため、「北条早雲公顕彰五百年事業実行委員会」を設立し、2018年から2カ年に渡り、様々な事業を展開していきます。

いよいよ大河ドラマ化にむけてロビー活動請け負いましたって意味け?
0387人間七七四年2018/05/02(水) 06:32:30.91ID:ElQ5022N
正しい姿を知られちゃうとむしろ逆効果のような
0388人間七七四年2018/05/02(水) 07:45:07.34ID:8EYAn7gb
小机城のスタンプは北条氏光でした
0389人間七七四年2018/05/02(水) 08:58:16.23ID:ZGTFvJoy
長尾景春じゃないのか
0390人間七七四年2018/05/05(土) 05:58:12.09ID:RYuc+Hvs
大河ドラマ化するのはいいけど、ドラマの締めくくりはどうするのかな・・・
早雲がんばったがんばった。
でも、5代目で滅亡するんだよね。天下に歯向かった逆賊として。
庶流が大阪狭山1万石の大名(城は持てず陣屋住まい)として続いたけど、それって寂しいよね。

早雲1人にスポットライト当てると・・・
この人の功績は、戦国時代の混乱の世の中をさらにグチャグチャにしたこと・・・

うーん、うーん・・・
なんだろう、このグダグダ感は・・・
0391人間七七四年2018/05/05(土) 07:14:26.79ID:SZwLX3AO
関東はとっくにぐちゃぐちゃになってたやん?
立場は逆だけど、武田信長と同じような仕事をして信長よりもさらに領地を拡大したってことでいいんじゃないの?
0392人間七七四年2018/05/05(土) 09:44:22.05ID:C9oHExju
武田信長は姓名判断すると確実に天下を取れたはずなんだが。
0393人間七七四年2018/05/05(土) 12:55:15.26ID:JhSsuVx9
>>390
宗瑞一代記でいいじゃん
氏綱は四方八方に喧嘩売りまくった直後に死んでるし
氏康も上杉台風で大幅に領土削られてるし
0394人間七七四年2018/05/05(土) 14:05:39.41ID:8ou53rKK
https://i.imgur.com/lbs1D85.jpg

久し振りに足柄城へ行ったら堀の一部が砕石で埋め立てられては通路が作られていた
無粋なことをする
0395人間七七四年2018/05/05(土) 14:23:52.56ID:RYuc+Hvs
>>390
最終回の最後は、ナレで
「その人物の存在が後世にどんな影響を与えたか?」
「その人物がいたから今の世の中がある」
というのをやるじゃない?

真田丸では、兄弟が敵味方に分かれて、弟(信繁=幸村)が義を通したおかげで、
兄(信之=信幸)が家を残すことに専念できたばかりか、10万石というけっこう
大きい大名になった。
しかも、藩士から後年に徳川幕府を倒す原動力になった佐久間象山を輩出。

直虎は、井伊家を守り、徳川家康の四天王と言われて大大名になった直政を守り、
今に続く井伊家を守った。

宗瑞は・・・
カオスな戦国をさらにグチャグチャにして、5代目は天下の逆賊として討伐された。
傍系の子孫が1万石の陣屋住みで残ったが、だから何?

戦国成り上がり系だと、斎藤道三だね。
すでに「国盗り物語」やったけど、新説を採り入れたり視点を変えたりすれば良い。
自分の家は孫の代で滅んだけど、後を信長に託して後世の天下統一に影響を与えたの
は、あまりにも大きい。
これには宗瑞は比べるべくもない。
0396人間七七四年2018/05/05(土) 17:15:21.21ID:agQrnHe+
>>395

というか「国盗り物語」とか「花神」とかをリメイクで放送してほしい。


高橋英樹 = 正親町天皇

中村雅俊 = 毛利敬親


などのキャストでどうか。
0397人間七七四年2018/05/05(土) 17:22:24.58ID:8ou53rKK
早雲立志伝と北条竜虎伝と虚の舞いの三連作で一年やってくれれば
0398sage2018/05/05(土) 21:12:53.36ID:LksM3ZUg
>>394
マジか…
なんと酷いことを…
0399人間七七四年2018/05/06(日) 07:40:11.95ID:Bg3YK/2o
>>390
幻庵長綱ナレーションで最後は民政系のオチで
その志は徳川の世に受け継がれ260年の長きにわたって戦の無い世の中になった
とかにすればいいと思う(適当)
0400人間七七四年2018/05/07(月) 18:15:49.22ID:c1Ah+AV1
>>393
一代記だと幕府の命令で下向して今川の禄をはみながら命令通りに鎌倉公方対策で人生終わった地味な人間になるぞ
茶々丸襲撃がピークでな
0401人間七七四年2018/05/07(月) 22:43:08.32ID:CxQCxFQr
三浦をラスボスにすればええねん
0402人間七七四年2018/05/07(月) 23:04:57.18ID:BMG5pURE
北条氏照は庶子で北条氏規が次男
瑞渓院は息子に父・兄と同じ氏親・氏照という名前を付けた
今川義元は寿桂尼の実子ではない
電波ドラマの出来上がり
0403人間七七四年2018/05/07(月) 23:58:23.58ID:voGTrnXY
>>402
とりあえず情報が古すぎるから勉強し直しておいでとしか
0404人間七七四年2018/05/08(火) 00:52:49.94ID:NBXyylxH
ついでに織田信長は庶子ってのも入れよう
0405人間七七四年2018/05/08(火) 02:20:08.47ID:lM7Q9U2q
土田御前は正室だろ?
0406人間七七四年2018/05/08(火) 07:41:35.01ID:62kU3iaZ
>>400

茶々丸は名前が可愛いのに悪人というレアケース。
0407人間七七四年2018/05/08(火) 07:44:29.66ID:62kU3iaZ
>>404

信長も庶子なら、織田信広が織田家を相続しているよ。
0408人間七七四年2018/05/08(火) 17:58:01.36ID:CR50yHqn
>>400
最後に馬泥棒の作り話入れて大団円だな
0409人間七七四年2018/05/08(火) 18:13:19.39ID:6gPbxayG
56歳ニートのまことが、何の上に立って
孤独ギリギリなのであろう
0410人間七七四年2018/05/18(金) 20:54:10.22ID:Cc2xjOtX
黒田先生ってさ、瑞渓院と鳳翔院が同じ日に亡くなってるから両人とも自害したことにしてるけど、
瑞渓院の方は、鳳翔院と違って自害したとはどこにも書かれてないんだよな
瑞渓院が大病を煩い、容体は深刻、持ち直したものの治る見込みはない、というような書状が何通か見つかっていて
そこから死ぬまでの動向がぱったり途絶えていることから、瑞渓院の死因は病死と考えるのが妥当じゃね?
それが小田原役の最中だったこともあって、鳳翔院は、介護から解放されて自身の存在意義を失った虚無感と
将来を悲観して後追い自殺したのだろうと想像できるし、何ひとつ矛盾しないだろ

黒田先生の著書は必ず目を通すようにしてるけど、解釈が強引なとこがあるのがマイナスだわ
0411人間七七四年2018/05/18(金) 22:51:50.34ID:CXdEkNBg
介護するの?北の方が
0412人間七七四年2018/05/19(土) 20:46:04.56ID:fvvRwvCA
「早川殿は今川に嫁に出されてるから瑞渓院の娘!」とかも雑な考証だよな >黒田先生
0413人間七七四年2018/05/20(日) 14:08:12.88ID:yswmV/B7
たしかに自害なら切なすぎる話だわなあ
ふがいねえ男ども!ってなじられてるみたい
0414人間七七四年2018/05/21(月) 15:13:05.81ID:BH2VAuDz
瑞渓院って本読んでるけど、氏忠と氏光の没年がいずれも「誤りであることが明らかになっている」と
あるのみで完全消化不良だわ
詳しく言及してるとこどっかにないかなあ
0415人間七七四年2018/05/21(月) 21:18:40.40ID:u6XqXGMH
問題?の牟礼高橋家文書?じゃないの?
せんせのメシの種だから仕方が無いし
まあその資格は十二分にあるだろう
まあいつか誰かが然るべき機関に寄贈するだろう
いつかは税金で保護しといたほうがいいもんだから
0416人間七七四年2018/05/22(火) 12:22:11.46ID:CQmlKsgC
大岡越前が末裔って聞いたけど、誰の子孫?
0417人間七七四年2018/05/22(火) 18:15:56.90ID:7DsbCrO8
>>416
母親が北条氏重(保科正直の子)の娘
だから血縁関係は無い
0418人間七七四年2018/05/22(火) 20:27:56.20ID:z+s1kPGg
家臣一同でもって藩主弟をごにょごにょて
一体何をやらかしたんだ玉縄家

やっぱし城主自ら城から逃げ出したのを根に持ってた?
0419人間七七四年2018/05/23(水) 00:30:45.82ID:8mPjLYkO
氏勝兄弟は後詰で城主は康長じゃなかった?
0420人間七七四年2018/05/23(水) 23:46:13.32ID:CIvSisA/
玉縄の重臣は伊豆方面に出払ってんのよね
0421人間七七四年2018/05/25(金) 03:41:51.44ID:pAcxmYxh
北条氏照って武蔵国ほぼ支配してたんだろ よく考えると大大名だよなあ
0422人間七七四年2018/05/25(金) 04:44:29.92ID:qPQwtBx/
でも氏照も氏邦も氏政から養子貰ってたんやろ?
氏邦に至っては実子があったのに
なんぞ遠慮でもあったんかしらん
0423クバの化身2018/05/26(土) 07:07:44.53ID:+4bOWvSo
オレ様のように、自演を注意してくれる親切な男もめずらしい
が、ネットヲタクと化したまことの耳には届かなかった
0424人間七七四年2018/05/30(水) 03:38:32.95ID:5Z/odkOj
西除川流域が狭山藩の領地で大阪最大の心霊スポットの滝畑も北条の版図なわけだが
創価学会らしく大勝利だな
0425人間七七四年2018/06/18(月) 15:15:18.16ID:47CE5q4C
>>422
氏照の方は男子がいなかったからじゃなかったかな
氏邦の方は知らない。ただ氏邦は小田原合戦後、前田家に仕えているのに
養子の直定の子は紀州徳川家に仕えているんだよね
0426人間七七四年2018/06/18(月) 20:43:38.05ID:E+FVXh3+
氏邦は男子が4人いたけど、3人は幼名しか伝わってないね
残る1人は氏邦死後に還俗して遺領を継承してる
0427人間七七四年2018/06/18(月) 20:48:09.73ID:F6YxrpME
実際問題200万石を超える大大名が戦もせずに降伏するなんてありえないよね
0428人間七七四年2018/06/18(月) 22:08:02.27ID:fABmsLyI
>>426
通称庄三郎後に改名して釆女だっけ、ただその息子の主殿助あと男子がいなくて
遺された娘に五人扶持が与えられたものの、断絶しているんだよな
0429人間七七四年2018/06/22(金) 02:18:37.48ID:z6UFpe9H
>>>422
氏邦
長男 東国丸 1583年3月死去
次男 亀丸 病気で武将としては難しい
長男死去後の同年ないし1584年に氏政から後継者不在のため貰う
三男 光福丸 1585年誕生

氏照
霊照院が嫁いだ山中大炊助頼元を婿にしなかった理由→わからない
直重が養子に入る 遅くとも1584年以前(氏政の子として1584年で12歳で元服前)
直重が1585年千葉家婿養子に入る→代わりに鶴千代(源蔵)を養子に迎える(1585年で2歳)
0430人間七七四年2018/06/22(金) 18:41:26.83ID:coWRx/Sw
山中頼元は天正5年までには亡くなってるようだから、嫁いで間もなかったんじゃないかな
0431人間七七四年2018/06/22(金) 22:17:27.21ID:nedw0FD8
>>427
慶喜さんお呼びですよ
0432人間七七四年2018/06/24(日) 08:41:47.82ID:yKZx3odY
黒田基樹氏「戦国北条家一族事典」出したかと思えば次はこれか
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/500/
「図説 戦国北条氏と合戦」
はしがき
第一章 伊勢宗瑞           
 1 解明された? 出自と年齢  2 宗瑞が駿河に下向したのはいつか
 3 足利茶々丸を追放し、伊豆を奪取!  4 小田原城を攻略したのはいつか
 5 めまぐるしく変わる諸勢力の動向  6 相模をめぐる名族・三浦氏との戦い
 7 上総へ渡海し、周辺城郭を攻略する 8 宗瑞の政治改革! 「虎の印判」の創出
第二章 北条氏綱
 9 相模国主≠ノなるための寺社造営  10 北条への改姓、相模支配の正当性を得るのが目的
 11 武蔵をめぐる扇谷上杉氏との攻防  12 氏綱包囲網が形成され、苦戦を強いられる
 13 房総諸勢力の内乱に介入し、上杉朝興方勢力を減退させる 14 両上杉氏を蹴散らして、河越城を攻略
 15 富士川を渡り、駿河守護・今川義元と抗争  16 第一次国府台合戦に勝利し、氏綱が関東管領職に就任する異常事態に
 17 東国の守護神・鶴岡八幡宮を造営し、関東八ヶ国の大将軍≠ニなる
第三章 北条氏康
 18 武田信玄・今川義元の侵入を受け、氏康が最初の大きな危機を迎える 19 河越合戦の激闘を制し、扇谷上杉氏を滅亡させる
 20 上野国平井城を攻略、憲政は越後上杉謙信の元へ 21 くせ者の国衆たちを従属させ、上野一国を領国化
 22 古河公方足利義氏を擁立し、氏康自ら関東の実権を握る 23 武田・北条・今川による三国同盟が締結される
 24 北条家所領役帳の作成と氏康隠居の意味
第四章 北条氏政
 25 氏政の登場と代替わりに行われた徳政令  26 深刻な領国の飢饉状態に攻め込んできた上杉謙信
 27 打倒信玄のため、上杉謙信と同盟を結ぶ 28 謙信との同盟を破棄し、武田氏と同盟を結びなおす
 29 東国の重要拠点・関宿を奪い取り、里見氏を追いつめる 30 越後上杉氏の家督争いが勃発し、武田勝頼との関係が悪化する
 31 勝頼に対抗するため、織田信長への従属を表明  32 氏直へ軍事指揮権を譲り渡し、氏政は最高指導者に君臨する
第五章 北条氏直
 33 氏直が家督を継ぎ、信長との関係をますます強化する 34 織田政権から自立し、神流川で滝川一益と戦う
 35 武田遺領をめぐる徳川家康との争い 36 家康の娘・督姫と祝言をあげ、上野国衆の討伐を本格化させる
 37 秀吉へ対抗するため、家康との連携を強化する 38 家康が秀吉のもとへ出仕し、北条氏も従属をよぎなくされる
 39 北条氏邦家臣・猪俣邦憲の思わぬ行動で、秀吉との全面対決へ 40 運命の小田原合戦、氏政・氏照に切腹命令
 41 関東制覇を目前にして北条氏が滅亡、氏直は高野山へ
コラム
 1 早雲寺殿廿一箇条と伊勢宗瑞十七箇条  2 北条氏と伝馬制
 3 玉縄北条氏と玉縄城  4 北条幻庵と箱根権現別当
 5 北条綱成と地黄八幡の旗  6 北条氏と海賊(水軍)
 7 北条氏の支城制  8 北条氏邦と天正壬午の乱
 9 北条氏照と八王子城  10 小田原合戦を生き延びた北条一族
視点1 国衆と国衆領  視点2 戦国大名と外交――指南と小指南
特集 五代当主の人間味あふれる古文書を読む
合戦一覧表
主要参考文献
戦国北条氏略年表
あとがき
0433人間七七四年2018/06/24(日) 19:32:25.27ID:oORHBXAk
>>432

>足利茶々丸

名前はかわいいのに、ひどい人生だったw
0434人間七七四年2018/06/24(日) 23:03:49.96ID:ZJRYeSjT
伝わっていることがすべて事実なら自業自得の人生だけどね
0435人間七七四年2018/06/25(月) 22:50:10.01ID:HrAET73F
解明された!(典拠史料・高橋家過去帳)
0436人間七七四年2018/06/26(火) 22:49:00.39ID:fseztily
高橋氏って鎌倉時代には雲見に土着していたとか、筑後高橋氏出身だとか色々な説があるけど、
どれも信憑性がないんだよね
まず、鎌倉時代云々の根拠となってる源基氏伝帖は偽書だと言われてるし

ここ最近、北条氏に仕えた狩野氏は実は遠江の分家出身ではないかという話が出てるけど、
高橋氏も早雲の遠江侵攻時に従った一族なんじゃないかと思ってる

大蔵姓高橋氏のルーツである城飼郡高橋郷からほど近いところに天ケ谷の城平とも、
高橋ノ城とも言われる城跡があって、室町時代後期に高橋氏が築いたという言い伝えがある
また、今川義元が高橋ノ城の北に位置する竜源寺に宛てた文書に、その地の地頭として高橋左近将監の名前が出てくる
高橋家過去帳に出てくる高橋高種が左近将監を称してるのは偶然とは思えない
堀越六郎・貞朝父子と山木大方の周辺にも高橋郷左衛門なるものが出てくる

伊豆雲見に所領を得たのは伊豆平定後なんじゃないかね
0437人間七七四年2018/06/28(木) 23:59:55.48ID:2PtJSP04
>>435
烏山?牟礼?
0438人間七七四年2018/06/29(金) 15:04:20.23ID:DEvxvkAq
北條氏平

なかなか凄い。
0439人間七七四年2018/07/01(日) 23:14:10.29ID:osDwA4/U
>>437
黒田せんせーがよく引用に使ってるのは、駿河大宅だよ
0440人間七七四年2018/07/04(水) 16:22:44.79ID:Lw0B/TR1
天文〜永禄期の北条氏規について : 本光院殿菩提者となるまで  浅倉直美
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/37899/rsg090-11-asakura.pdf
0441人間七七四年2018/07/10(火) 22:24:32.37ID:NKH4JILf
>>436
北条綱高(元高橋将監)は義元の時代には武蔵・相模にいるから別人でないの?
0442人間七七四年2018/07/10(火) 23:43:39.32ID:A1WwXs++
>>441
ごめん分かりにくかったかな
実際の雲見高橋氏は清水康英の同心に過ぎず、知行役高も10貫文しか
なかったってのはご存知?
その上で、「筑後高橋当主の座を捨てて高種や綱高を輩出し北条一門に列した」と
称している高橋氏のご先祖様は実際は遠江出身で雲見に所領を得たのは
伊豆を平定した後ではないかってことね
0443人間七七四年2018/07/10(火) 23:50:58.97ID:A1WwXs++
で、高橋郷左衛門や、今川義元書状に出てくる高橋将監も
北条氏に仕えた雲見高橋氏と同じ一族じゃないかってことね
0444人間七七四年2018/07/11(水) 14:41:47.58ID:Nl6VhCrl
清水康英期?
10貫て10石〜20石で一族は養えても家臣は養えないレベルじゃない?
いわゆる下級役人てやつ
そんなに低いのか
隠居領かなんかじゃなくて?
0445人間七七四年2018/07/11(水) 14:53:07.06ID:Nl6VhCrl
これけ
http://www.shimodajyou.com/koubouryakunenpu.html
他の文書だと高橋郷左衛門尉か
0446人間七七四年2018/07/12(木) 21:26:56.26ID:+Rdu5qow
「筑後高橋当主の座を捨てて高種や綱高を輩出し北条一門に列した」と称している高橋氏

遠江出身で雲見に所領を得た高橋氏
は無関係じゃないの
0447人間七七四年2018/07/13(金) 01:48:42.01ID:Ggd0wGmo
>>446
高橋家系図には、高橋高種は足利政知に請われて雲見に所領を得て、
北条綱高、高橋氏高兄弟も雲見で生まれたとあるよ
0448人間七七四年2018/07/13(金) 09:00:10.92ID:3OqRO6wF
丹波守・左近父子と郷左衛門・久太郎父子が同一人物なのか別人なのか

830貫取りの大身と10貫の木っ端役人が連名で安国寺恵瓊・脇坂安治から起請文取るって
普通にあるの?なんか違和感がある
0449人間七七四年2018/07/13(金) 17:51:04.31ID:Wlm4EvA8
https://www.sankei.com/region/news/180401/rgn1804010028-n2.html
10貫文だと本人と家臣の二人で参陣なのか
0450人間七七四年2018/07/14(土) 11:01:58.71ID:JLVrI5Uc
>>414
氏光のところにはないが
氏忠のところには
文禄4年(1595年)の時点で安芸草津に在所しているが、その後の動向は不明である。(拙稿小田原落城後の北条氏一族)
とあるからこの論文に何か書いてあるかもね

で 『日本歴史』2013年10月号(785)
【史料散歩】
小田原落城後の北条氏一族…黒田基樹
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n7435.html

同じ内容かどうかはしらん

最もそこにも氏光しかり氏忠しかりこれまで言われていた通説の死去年後の生存が確認できただけかもしれない
(著書瑞渓院にも文禄4年大和奈良に在所が確認とあるし氏光も)
0451人間七七四年2018/07/16(月) 20:22:03.14ID:LzFNWHD8
高橋氏ここにも関係史料が纏まってる
http://kyoudosi.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-0ca8.html

一部鉛筆書きの史料群で北条氏の知られざる事実が明かされるなんて胸が熱いね
0452人間七七四年2018/07/16(月) 21:26:24.00ID:WwHSV/nY
結局氏忠は本当に安芸移住してたのか
佐野氏の同族阿曽沼氏は安芸に傍流がいるけどどこまでツテが生きてるか謎だし
そもそも佐野息女とは離(死?)別したって話じゃなかった?
0453人間七七四年2018/07/17(火) 00:18:58.19ID:YCJLI0EL
「新九郎、奔る!」の単行本は8月9日発売らしい
月刊誌だから2巻以降は来年か?
0454人間七七四年2018/07/18(水) 21:47:22.45ID:0qcrA4uH
立川のジュンク堂へ行ったらやたら北条家関連の本が置いてあるコーナーがあって
「店員さんに北条家ファンがいるから、もしくはこの辺の大名が北条家だからかな」と思ったんだけど
コーナーには小早川秀秋とか真田信繁とか北条家に直接関連しない題材の本も数冊あって、よく見たらコーナーの全部が黒田基樹先生の著書だったw
0455人間七七四年2018/07/18(水) 22:52:54.91ID:J842jJEB
氏康の子供だって
新九郎→名前が氏親とわかる
氏政→生年が1年繰り下がり1539年に
氏照→諸説あった生年も1542年に固定できそう
氏規→五男から四男に浮上
氏邦→諸説あったが生年が繰り下がり1548年で五男に。また庶子にも変化
氏忠→現在は父は氏堯。氏康は義父
景虎→氏秀と同一人物にされたことがある
氏光→氏忠と同じ。こちらが弟
蔵春院→氏康最初の子供で長女とされてきたが、現在では四女へ
七曲殿→長女に昇格
種徳寺殿(小笠原康広室)→現在は為昌の娘
尾崎殿(千葉親胤室)→未だ法名わからず。四女から次女へ
長林院(太田氏資室)→法名、生年共にわからん。五女から三女へ
浄光院(足利義氏室)→瑞渓院は義母に変化
桂林院(武田勝頼正室)
円妙院→過去帳しか名前がないのはかわらず。法名がわからん2人の氏康娘のどちらかと同一人物の可能性も残る

こうも変化するから10年経ったら氏忠、氏光の事績もよりわかるかも
氏忠は北条研究者より毛利研究者が発見するかもね
0456人間七七四年2018/07/19(木) 08:24:48.85ID:gxxBpy37
三郎景虎の生母・側室問題にも決着つかんかね
遠山康光妹と康光室の妹が混同
0457人間七七四年2018/07/19(木) 21:00:53.54ID:n78fM44e
高橋家の過去帳を使ってる某学者って正気なんですかね
0458人間七七四年2018/07/19(木) 21:28:14.02ID:gxxBpy37
某とかいらないんで
事実上黒田さんの占有状態なんだから伏せる意味が無い
とりあえず異議申し立てたいのなら既知の一次史料との矛盾点を丁寧に拾ってけば?
0459人間七七四年2018/07/19(木) 21:47:35.36ID:n78fM44e
高橋氏が北条氏の養子になったという事実(史実)はない
伊勢弥次郎が高橋氏の名跡を継いだというのもこの家だけが言っている
五色備えや×家・××将衆などというのもこの家に伝わる戦記の中だけの話
高橋氏が玉縄(甘縄)城代・江戸城主になった事実もない
一致するところがない
実在した彦四郎・郷左衛門(加賀高橋文書)、丹波・左近(雲見高橋文書)の受給文書を伝える子孫は別に存在する
0460人間七七四年2018/07/19(木) 21:53:40.63ID:n78fM44e
氏康長男の実名や北条一族の没年享年等
狭山等信頼できる北条子孫の家の史料にも残されていないものが
北条家臣としての実態がない高橋氏にのみ伝わることに蓋然性がない
0461人間七七四年2018/07/19(木) 22:14:56.11ID:gxxBpy37
喜連川文書も創作?
それとも偶然の一致?

結局決定的なものが出てこない以上は地道に可能性を潰してくしかないのよ
0462人間七七四年2018/07/19(木) 22:35:31.79ID:gxxBpy37
どっちかいうと新九郎よりも太田源五郎の実名のほうが気になる
無いわけ無いんだよな元服してるんだから
「太田」氏房てのは無いか
0463人間七七四年2018/07/19(木) 22:56:25.29ID:lGnqUj9h
山口博氏の北条氏五代と小田原城 7/30発売と
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b370871.html

昨年下山治久先生亡くなられてるんだよね

あとは則竹雄一氏、浅倉直美氏、長塚孝氏とかかな北条研究者
0464人間七七四年2018/07/21(土) 01:44:03.76ID:9mBmemfV
高橋郷左衛門の名前が出てくる玄庵覚書や氏康書状などの北条氏側の史料は、北条氏の家格向上に伴い
氏康が吉良氏の家臣に直接命令を下すようになった時期以降に成立したものがほとんど
下田城址の解説板に「小田原城からは援将江戸摂津守朝忠と検使高橋郷左衛門尉が派遣され」とあるけど
江戸朝忠は吉良氏の筆頭家老江戸頼忠の子だし、小田原からというよりは、吉良氏が軍役に応じて
その陣代として下田に遣わされたのが実情だと思う
そのような地位にありながら、所領役帳に「拾貫文 雲見」としか記載されていないのは、高橋郷左衛門が
当時食客扱いで諸役を免除されていた吉良氏(なので蒔田領は載ってない)の家臣だったからで、
雲見は北条氏から別に与えられた知行地だと考えれば合点がいく
牟礼に縁があるのも、吉良氏朝が徳川家康に仕えた時に世田谷に移ったからであり、従って高橋氏は
一貫して堀越六郎・貞朝(吉良氏朝)の家臣だったとすれば、何一つ矛盾しない
0465人間七七四年2018/07/21(土) 02:06:57.22ID:9mBmemfV
あと、今川義忠が塩買坂で敗死したときに、案内役を務めていた高橋左近将監が一緒に討たれたという言い伝えが
天ケ谷の城平(別名高橋の城)周辺に残っているそうなので、
高橋氏が遠江今川氏に仕えたのはこの前後ではないかと思う
0466人間七七四年2018/07/22(日) 19:45:00.48ID:9YKHZXl2
上杉綱憲は氏康の女系子孫

A:吉良義定室系
北条氏康→早川殿→吉良義定室→吉良義弥→吉良義冬→吉良義央→上杉綱憲

B:今川範以系
北条氏康→早川殿→今川範以→吉良義弥室→吉良義冬→吉良義央→上杉綱憲
0467人間七七四年2018/07/22(日) 23:02:39.35ID:HOJqxHiB
吉良義央とは今川氏真が仕込んだ上杉への呪いなんじゃないかと思ってる
0468人間七七四年2018/07/23(月) 01:41:17.71ID:yVdFwmJ4
なんで上杉?武田じゃねーのかよ
0469人間七七四年2018/07/23(月) 08:03:40.05ID:+U27DNIn
>>466
吉良義央って、こうしてみると結構重要人物なんだな
ただの忠臣蔵の被害者じゃなかったんだな
0470人間七七四年2018/07/23(月) 22:35:55.69ID:gdW5vf9N
堀越氏旧臣の高橋氏
高橋彦四郎(のち平左衛門か)
高橋平左衛門(所領役帳で本人に72貫400文、寄子に150貫文)
高橋郷左衛門
高橋源七郎(のち郷左衛門か)
高橋久太郎
子孫は受給文書を「加賀高橋文書」として伝える

伊豆雲見の高橋氏
高橋将監
高橋丹波守
高橋左近
子孫は受給文書を「雲見高橋文書」として伝える

雲見高橋氏が伝える歴代(禰宜を世襲した雲見浅間神社の連名帳)
高橋丹波守先祖 円覚院迅証道難入禅定門 1479年8月没
高橋左近 1523年没 明応5(1496)年宗瑞判物の高橋とのか
高橋左近 1534年没 永正16(1519)年宗瑞書状の高橋将監か
高橋左近 1555年没
高橋左近 1597年没 下田城に籠城した丹波守はこの人か
高橋左近 1646年没 下田城に籠城した左近の子か孫か
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