【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ6【道雪】 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2017/01/01(日) 10:06:37.96ID:fnHRKQTW忠義剛勇鎮西一、西国無双など様々な異名を持つ
戦国のサラブレット・立花宗茂を語りましょう。
立花家、高橋家、妻の立花ァ千代や九州一帯の諸説など、関係ある話題もおkです。
まとめみたいなテンプレは>>2-10に。
■過去スレ
【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・ァ千代】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152224537/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ2【道雪】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216803439/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ3【道雪】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252600855/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ4【道雪】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1294898383/
【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ5【道雪】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1421606914/
■関連リンク
立花宗茂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
立花家十七代が語る立花宗茂と柳川
ttp://www.muneshige.com/index.html
■関連スレ
大友氏について語ろう 3(再)
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1380277017/
0692人間七七四年
2017/12/22(金) 18:01:07.58ID:sM/qUGpv十時摂津は九州征伐で統増を取り返してるから
その辺までやれるといいんだけどね
まあ、統増の奪還は薦野増時に交渉させて返させたって話と
十時摂津が薩摩に忍び込んで助け出したって話の
2つ説があるみたいだけど
0693人間七七四年
2017/12/23(土) 10:19:37.81ID:LFHgond30694人間七七四年
2017/12/23(土) 12:58:24.30ID:ZEfBOMUD勧善懲悪糞改悪しないなら
0695人間七七四年
2017/12/24(日) 11:19:05.50ID:BbZSVZTu葉室麟さん、これからって時に・・・( 。-_-。)
ご冥福をお祈りします。
0696人間七七四年
2017/12/24(日) 11:51:50.99ID:sXLmqMG00697人間七七四年
2017/12/24(日) 12:13:18.08ID:5dy31fMc道はあまり整備されてなくてきつかったけど、本丸からの眺めはなかなかだった。
登山口の小屋にパンフが置いてあるのはいいね。でも、ノートは埋まっていたので19冊目のご用意願います。
出来れば道雪の像くらい欲しかったけど。
あと途中杖にいい枝を拾って助けられたんで帰りに小屋に置いてきた。よければ使いたまえ。
0698人間七七四年
2017/12/24(日) 12:17:04.78ID:c7YXY0P00699人間七七四年
2017/12/24(日) 12:42:21.43ID:ec6wdihC0700人間七七四年
2017/12/24(日) 12:46:58.67ID:LbRZIUkW宗茂が見たであろうクスノキは見たか?
梅岳寺で道雪と薦野増時の墓は見たか?
杖は入り口に沢山挿してあるだろ
まだそこら辺におるならラーメンは名島のたつしか
古賀市の一葉軒が無難だぞ
立花山麓の一蘭トイメンの雷蔵でもいい
0701人間七七四年
2017/12/24(日) 12:48:35.67ID:sXLmqMG00702人間七七四年
2017/12/24(日) 12:49:48.46ID:sXLmqMG0道が整備されてなかった?(ww
あれで整備されていないんなら、鷲ヶ岳城なんかおまいには無理だろうww
0703人間七七四年
2017/12/24(日) 15:39:17.60ID:X7k1IEdf着いたのが夕方だったんで、途中は石垣と井戸しか見てない
>>702
あくまで比較の話ね
このあと月山富田城と吉田郡山城に言ったもんで
そりゃもっとひどい城跡にも登ったことはあるけどさ
0704人間七七四年
2017/12/24(日) 22:26:05.32ID:BbZSVZTu自分はスズメバチとか蛇に出会っても凍り付くので、城跡巡りの出来る人が羨ましい。
0705人間七七四年
2017/12/25(月) 07:05:48.97ID:UgeLE95O0706人間七七四年
2017/12/25(月) 07:06:22.72ID:UgeLE95O0707人間七七四年
2017/12/25(月) 20:27:35.78ID:twfpu8xO0708人間七七四年
2017/12/25(月) 21:19:24.05ID:UgeLE95O0709人間七七四年
2017/12/31(日) 02:14:21.79ID:R8OCKHGT米多比鎮久が使ってたという鉄砲の大虎・小虎が虎の歯と展示されてたのが
逸話を知ってるので印象深く感じた。
0712人間七七四年
2018/01/02(火) 03:32:34.13ID:AK6KxGKL2018年1月3日(水) 22時00分〜23時00分
関が原で西軍についた大名の復活劇←立花宗茂かも?
テレ朝の君の名をとどっち見ようか考え中
0713人間七七四年
2018/01/02(火) 11:50:21.82ID:jyp6Z6600714人間七七四年
2018/01/02(火) 13:06:41.82ID:pOW5kae90715人間七七四年
2018/01/02(火) 15:16:44.68ID:ccr5JPTBタイトルからこの前やってたNHKの知恵なんとかいうやつと同じ切り口っぽいな
目新しさはなさそう
0716人間七七四年
2018/01/02(火) 17:36:13.00ID:jQEZttF8「きっちりと礼儀も技能も厳しく鍛え上げられた文武両道の実力を備えた育ちも良い人物が
奢ること無く、人を私怨にとらわれず義理を通し誰からも一目置かれる生き方さえしておけば
万が一人生の分岐点で大きな判断ミスをおかしてなお人に媚びずただ真っ直ぐに自らを鍛えつつ生きたとしても
必ず今までの人の縁と実績と実力で新しい環境でも必ず返り咲けます」
…参考になんねえよ…
0717人間七七四年
2018/01/02(火) 21:19:19.52ID:AK6KxGKL今じゃクソ真面目に生きるとバカを見るからな
人を信じて騙されて借金背負わされて
最後はフジの樹海
0719人間七七四年
2018/01/02(火) 23:36:20.90ID:+j4KV2/f立花宗茂はファンタジー
0720人間七七四年
2018/01/02(火) 23:43:37.57ID:96Tunqvnこの前の宗茂単独のやつより昔にやった
負けたのによく生き残った!戦国武将特集みたいな感じだろうな
あれも今川氏真、小田氏治、立花宗茂だったし
0721人間七七四年
2018/01/03(水) 03:05:54.97ID:88a7eguUここが重要。それらを兼ね備えている奴らは多いが、残念ながらこれができていないw
0722人間七七四年
2018/01/03(水) 09:54:23.08ID:NTa5/my5「豊臣秀吉朱印状」
>これがなぜ申年なのかは、お察し下さい。
強引すぎんだろ。
0724人間七七四年
2018/01/03(水) 22:31:21.95ID:XyEyQ5BZさすがにもうやらんか
ごめんNHKwww
0725人間七七四年
2018/01/03(水) 22:57:36.94ID:NTa5/my50726人間七七四年
2018/01/04(木) 00:06:51.10ID:GbJoLKfyにしても解説が雑だったわ米五郎左の跡取りって事位話してやれよw
0727人間七七四年
2018/01/04(木) 01:46:22.63ID:4SvJRKxo「殆どが1〜2万石ですが、10万700石で復活したのが丹羽長重です」
「すごーい!ほぼ以前の所領と同額!」
とかいう説明だったが、宗茂ファンからすると
「ハァ?(゚Д゚)」
だよな。
0730人間七七四年
2018/01/04(木) 23:19:10.91ID:GSk1xkcg目の前に前田がいたから
家康の命で前田を監視してたのに、前田が家康に降ると上杉征伐では前田が北陸の主将になったからね(当たり前だけど)
それまでの経緯からただでさえ険悪な雰囲気だったのに、前田の高圧的な態度から侵略されるのではと疑心暗鬼になって衝突したんじゃなかったかな
0731人間七七四年
2018/01/05(金) 04:19:32.08ID:ActQlMyS0734人間七七四年
2018/01/06(土) 22:41:58.12ID:ydygZbKQ0735人間七七四年
2018/01/06(土) 23:47:12.95ID:0y4k+GZQ立花宗茂 ―将軍相伴衆としての後半生― 岡 宏憲 2018/1/16
第一章 武将としての事績
第二章 宗茂の茶の湯の先行研究
第三章 宗茂と大徳寺
第四章 京都商人富士谷家
第五章 徳川秀忠・家光の御伽衆
第六章 細川忠興との親交
第七章 宗茂の茶道具
面白そうな切り口だ
0737人間七七四年
2018/02/16(金) 20:34:57.85ID:gWjtY7lS0739人間七七四年
2018/02/16(金) 23:06:39.78ID:km54bpnx0740人間七七四年
2018/02/17(土) 20:13:14.94ID:v0LhE84mこれ目当てでかったが良かった
0741人間七七四年
2018/03/09(金) 21:48:53.03ID:/J7dFos7立花宗茂が大徳寺で造らせたという碧玉庵も紹介されてるんだね
碧玉庵は明治の初めに廃仏毀釈かなんかで無くなったらしいんだけど、
残ってればもうちょっと文化人という面でも有名になってたんだろうか?
0742人間七七四年
2018/03/12(月) 12:24:19.78ID:VviGnPLC0743人間七七四年
2018/03/12(月) 18:07:51.92ID:AIDlViJG最終的に老中格にまでなって幕政に参加してたんだけどね
まあ、島津斉彬が死んでからの話だけど
0744人間七七四年
2018/03/12(月) 18:27:07.59ID:A3SODfMe0745人間七七四年
2018/03/12(月) 18:56:56.95ID:tC4jSc8h0746人間七七四年
2018/03/12(月) 19:14:18.62ID:AIDlViJG伯耆守の官位を得た藩主もいる
0747人間七七四年
2018/03/12(月) 20:37:11.24ID:A3SODfMe0748人間七七四年
2018/03/13(火) 00:22:23.58ID:Sp5oDjnQwikiによると、国持大名は従四位下侍従となるが、準国主の立花は従五位下・朝散大夫任官の後、家督後に従四位下・侍従となる、と書いてある。
左近将監や飛騨守は、官位と言うより慣例的な名乗りってことかもね。
左近将監は秀吉に貰ったから、ってことなんだろうけど、飛騨守はどんな経緯で?
弓の名人だったことから、飛将李広になぞらえてってことなのか?
0749人間七七四年
2018/03/13(火) 01:15:54.66ID:mEPsPj9h左近将監というのは大友氏の初代大友能直や、立花氏の初代貞載以降
代々立花氏が名乗っていた官名なんで、1582年の立花姓に名字許しされた際に名乗ったと思われる
で、宗茂の養子の忠茂が元服した際に左近将監を名乗らせたんで自分は飛騨守を名乗ったらしいけど
理由は不明、左近将監の時立左って略したりしてたから立飛で語感が良いからかもしれんね
0750人間七七四年
2018/03/13(火) 07:24:17.04ID:Sp5oDjnQ代々自称だったのを、宗茂が秀吉から正式に任官してもらったって感じなのかな。
0751人間七七四年
2018/03/14(水) 00:10:11.89ID:qtl5N95R0752人間七七四年
2018/03/14(水) 17:14:48.96ID:125gl0/S別板に貼られていたんだけど
大友一門としてではなさそうだし豪華すぎるメンバーだし
秀吉猶子秀家を除けば一番若く場違いな感じがする
秀吉のお気に入りなら他にも何人かいたはずで
何故宗茂が末席に座っているのか?
相当なお気に入りだったのか?だから西軍?
0753人間七七四年
2018/03/14(水) 17:34:20.53ID:2sWfdMFu0754人間七七四年
2018/03/14(水) 17:42:39.01ID:+HCTm/8h0755人間七七四年
2018/03/14(水) 20:11:13.61ID:qtl5N95Rどういう別れ方?
0757人間七七四年
2018/03/14(水) 23:15:33.63ID:qtl5N95R一段上の関白秀吉・聖護院・菊亭右大臣・内大臣信雄は別として、
グループA
勧修寺晴豊・大納言徳川家康・豊臣秀長・中山親綱・日野輝資・中納言豊臣秀次・宰相宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元・籐右衛門督高倉永孝
グループB
侍従蜂屋頼隆・細川忠興・小早川隆景・島津義弘・吉川広家
グループC
侍従龍造寺政家・立花統虎
上着の色だけで分けるなら、グループA+BとグループCの二つに分かれるけど。
あと、向かって右側はキチキチに座ってるけど、左側がスカスカなのは何?
右側は大名家の当主が座ってるってこと?
0758人間七七四年
2018/03/15(木) 03:20:05.60ID:CRdN9Sadなんで島津が選ばれたのかは知らんけど
毛利一門を接待する席ならば左右に分けないだろう
またこの中で守護大名は島津だけで名門でもある
忠興ではなく幽斎がいたら島津の代わりに左に配置されたかもしれない
そして島津の位置を見ると同じ服装の侍従隆景広家と同じで
龍造寺政家と宗茂より上座であると推測される
まあ適当に思いついたことを書いてみたが宗茂だけ場違い感があるのは否めない
0759人間七七四年
2018/03/15(木) 11:40:22.27ID:OCIoZ8HC0762人間七七四年
2018/03/15(木) 22:07:29.03ID:L4v89cnf驚くほどでもないのもしれん
0763人間七七四年
2018/03/15(木) 23:02:05.70ID:XtW6Qfc2家光はどこに行くにも宗茂を相伴させてたみたいだし、
政宗、忠興、清正、義弘・忠恒親子ほか、多数の大名家と親交があるし。
そりゃいろんなとこに列席することになるわな。
0764人間七七四年
2018/03/15(木) 23:24:01.03ID:V+lj/Tz+コミュ力の権現だったのだろうな
0765人間七七四年
2018/03/16(金) 00:55:15.19ID:Y51sWFD/欠点なさ過ぎ
0766人間七七四年
2018/03/16(金) 16:47:12.20ID:EtdYK+pk0767人間七七四年
2018/03/17(土) 18:48:16.27ID:Bsh23g3h0768人間七七四年
2018/03/17(土) 19:18:13.38ID:yr0aIoZyなんとなく遺恨を残したまま江戸時代を過ごしていたのかな
0769人間七七四年
2018/03/18(日) 19:59:02.28ID:wxEfcAzC鶴田文書でそもそも大坂から帰る際に宋雲院といっしょに島津家の婦人達も救出してたのが判明したから
ばったりではなかったりする
0770人間七七四年
2018/03/19(月) 14:21:49.65ID:bIwiQI5nこれ以降だと思ってた。
0771人間七七四年
2018/03/19(月) 15:11:16.94ID:m4vKHqTw0772人間七七四年
2018/03/19(月) 19:50:35.17ID:WjN5uUTR関ヶ原で親の仇がどうこう
0773人間七七四年
2018/03/19(月) 20:14:58.26ID:ZNp4hHY1慶長の固城在番の頃の書状だとかなり親密になってた印象があるな
庄内の乱の時に忠恒を擁護したのも、島津側に好印象だったようだし
0774人間七七四年
2018/03/19(月) 22:30:43.00ID:9wYHfEH50776人間七七四年
2018/03/23(金) 08:40:47.23ID:iTHoCk+H柳川立花藩全体が島津憎し鍋島憎しではないが、そういう感情を抱いても仕方の無い人が一部にはいただろう、ってのは理解出来るって話。
宗茂みたいに個人的な感情をさらりと水に流せる人間は少ないと思うよ。
0777人間七七四年
2018/03/23(金) 14:31:05.37ID:CU/sIt+/督戦していたのは島津の大兵団だったとしてもさ
関ヶ原時に高橋紹運遺臣がどれくらいいたか知らんけど
高橋家家臣団は立花家より弟の高橋直次の方に多く従っていただろう
それなのに島津殺せと立花家臣が言うかね?
戸次氏視点だと秋月の方を殺したいだろうし
立花山付近の土豪薦野米多比らは高橋氏と縁もゆかりも余りないし
吉弘系の武士がそんな女々しいことを軽々しく言うとは思えんし
あの逸話は創作だと思うけどね
0778人間七七四年
2018/03/23(金) 19:04:45.31ID:997Pa3Q90779人間七七四年
2018/03/23(金) 20:50:00.60ID:7zLHloNm「紹運殿の仇の島津が敗走してますな、…殿、どうなさりますか?」
宗茂「訊くな…わかっておろう。我らはいかなる時でも窮する味方を見捨てはせぬ。」
立花モブ兵「ワーワー流石殿だーワーワー」
雪下「やれやれ、全くお人が良すぎる(嬉しそう)」
ベタだけどそういう方向性で微妙な改変でやってほしい
立花の兵には仲間となった旧敵が弱ったからって手のひら返すような事を言うてほしくないじゃないですか
0780人間七七四年
2018/03/23(金) 22:13:28.67ID:997Pa3Q90781人間七七四年
2018/03/24(土) 08:34:43.38ID:zUny/RuM上井覚兼日記だと逆で合力した他国軍は包囲だけで、島津軍が主力で攻めてきた
で、岩屋城は落とせたけど島津の武将の多くが石とかを食らって負傷して立花城まで攻めるのが難しくなった
そこを秋月が立花城攻めは自分に任せてくれって申し出たんで筑前筑後の軍に立花城攻めを任せて
島津の主力が撤退したって感じだったな
0782人間七七四年
2018/03/24(土) 09:45:06.64ID:kp8Tf5pUそういうこと考えると岩屋城に押し寄せた敵って二週間防衛するのにそう無理のある数でもないのでは
0783人間七七四年
2018/03/24(土) 11:53:02.22ID:zUny/RuM宗茂と一緒に高橋家から来た世戸口十兵衛と太田久作(久作は慶長の役で戦死してたかな)
大友家改易で立花家に来た旧大友家臣
あと高橋統増とは一緒に帰国してただろうから、その家臣達
まあ、島津といっしょに行動するのに不満がある人はけっこう多かったと思う
0784人間七七四年
2018/03/24(土) 14:23:15.23ID:l4q4uBT60785人間七七四年
2018/03/24(土) 14:52:11.78ID:zUny/RuMその際に宗茂の方に仕えることを希望した旧高橋家臣が何人かいて全部は雇いきれなかったんで、
大牟田の横須という未開地を浪人の身分で開発したうえで柳川藩士になったらしいね
0786人間七七四年
2018/03/24(土) 18:05:25.93ID:FTFmDbtkそれをやっていたらどうなっていたか?
0787人間七七四年
2018/03/25(日) 01:50:30.16ID:LxqDXC1M0788人間七七四年
2018/03/25(日) 11:47:33.58ID:mEFGFQ5L0790人間七七四年
2018/03/25(日) 13:56:50.70ID:LxqDXC1M0791人間七七四年
2018/03/25(日) 15:58:02.21ID:L/EZsqwX近畿の小大名が思ったより簡単に恭順して表面上上手くいって天下分け目っぽく見えるだけで
肝心の豊臣本家と豊臣恩顧にそっぽ向かれてる根本的には大失敗クーデターやし
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