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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/07/22(金) 12:31:33.67ID:ll1Lqb8/
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/
0002人間七七四年2016/07/22(金) 12:32:06.93ID:ll1Lqb8/
明石全登
幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。

毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。

大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。

後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。

木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。
0003人間七七四年2016/07/22(金) 12:32:28.63ID:ll1Lqb8/
冬の陣(鴫野の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Battle_of_shigino_ja.png

冬の陣(今福の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Battle_of_Imafuku_ja.png

大坂冬の陣布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png

夏の陣(小松山の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Battle_of_Domyoji_1of2_ja.png

夏の陣(誉田の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Battle_of_Domyoji_2of2_ja.png

夏の陣(八尾・若江の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Battle_of_YaoWakae_ja.png

夏の陣(天王寺・岡山の戦い)布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Osaka_no_eki_summer.png
0004人間七七四年2016/07/22(金) 12:33:03.85ID:ll1Lqb8/
慶長5年(1600年)、家康は豊臣家の蔵入地220万石を、摂津・河内・和泉の約65万石を残し、東軍諸将に配分。

慶長6年(1601)、福井城が諸大名により普請。藤堂高虎が膳所城普請。池田輝政が姫路城普請。浅野幸長が和歌山城普請。

慶長7年(1602)、本多忠勝が加納城、高虎が二条城を普請。

慶長8年(1603年)、2月、家康は伏見城で征夷大将軍に就任、江戸幕府を開く。江戸城普請。
同年7月、徳川秀忠の娘である千姫が、秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入。

慶長7年(1604年)、京極高次、藤堂高虎らにより、彦根城普請。

慶長10年(1605年)、正月に家康が、つづいて2月に秀忠が伊達政宗ら奥羽の大名を加え10万以上の大軍を率いて上洛。
同年4月、家康は将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲る。秀頼は右大臣。

慶長11年(1606年)、諸大名により江戸城増築。

慶長12年(1607年)、結城秀康死去。
同年12月、駿府城失火。池田輝政、加藤嘉明らが普請。

慶長13年(1608年)、高虎が伊勢・伊賀22万石に移封、安濃津城普請。
片桐且元が、秀頼による85件にものぼる寺社普請の1つ、方広寺再建を命じられる。

慶長14年(1609年)、高虎が亀山城を普請。

慶長15年(1610年)、大久保長安、加藤清正ら諸大名により名古屋城普請。

慶長16年(1611年)3月、後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して家康が上洛。
二条城で秀頼が、反対もあったが、加藤清正や浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり家康と会見。
同4月、家康は在京諸大名に、幕府の命令に背かないという誓詞を提出させる。ただし、秀頼からは誓詞を提出させていない。
高虎が伊賀上野城を拡張。
浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正、死去。

慶長17年(1612年)、3月、岡本大八事件採決。本多正純一派は一時その勢力が衰退。一方で旗本に棄教令。
東国諸大名に誓紙を提出させる。

慶長18年(1613年)、2月、金地院崇伝がバテレン追放の文を起草。全国的な教会打ち壊しや主だった教徒の国外追放の開始。
大久保長安「金の棺」事件。正純一派が復権し、長安一派を粛清。
片桐且元が家康の命により、秀頼の領地より1万石の加増。
池田輝政・浅野幸長死去。

慶長19年(1614年)、4月、且元が、南禅寺長老の文英清韓に銘文を選定させた半鐘が完成。
同5月、前田利長死去。
且元が使者に立ち、方広寺の大仏開眼日を家康に具申。
同6月、イギリス・オランダに大砲、硝煙、鉛を注文。国友鍛冶に大鉄砲・大筒・石火矢の鋳造を命じる。
同7月、大坂城内にて織田信包が吐血死。
板倉勝重の報告により、家康が方広寺開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期を命じる。
同8月、家康が南禅寺以下五山の僧及び林羅山に鐘銘文の見解を出させる。且元、大蔵局が別個に釈明。
同9月、家康が西国の大名から誓詞を提出させる。織田信雄、石川貞政が大坂城退去。
同10月1日、同日、家康が板倉勝重からの通報により出兵を命じる。片桐且元退去及び茨木城篭城。
同2日、秀頼が檄を飛ばし、諸大名の大坂蔵米を接収。
同7日、勝重大坂封鎖。長宗我部盛親は突破して入城。高山右近が長崎からマニラへ追放。
同9日、真田幸村・幸昌父子が、九度山脱出。
同11日、家康出陣。
同12日、大坂方が堺から鉄砲などを接収。
同16日、伊達政宗が江戸到着、秀忠軍先鋒を命じられる。
同19日、家康が西国諸大名に参陣命令。
同22日、家康二条城到着。
同11月4日、薄田兼相が平野焼討。
同11日、秀忠が伏見城到着。
同15日、家康・秀忠父子が京都を発ち、大坂へ着陣。
0005人間七七四年2016/07/22(金) 13:55:44.12ID:hCaHUFnh
>>1
家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった説を主張しているといえば、自分の知っているところだと
相川司の「大坂の陣 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か」(河出文庫)や
渡邊大門「大坂落城 戦国終焉の舞台」(角川選書)があるけど
他に主張している研究家や著作ってあるかな
0006人間七七四年2016/07/22(金) 13:55:56.05ID:1eVj6Y3j
>>1
豊臣信者がよく主張するのは
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している

このあたりかな
0007人間七七四年2016/07/22(金) 16:47:19.31ID:PU+2dXjL
だいたいそんな感じだよな
豊臣信者の主張

ぶっちゃけ豊臣側の無茶無体ぶりを完全無視してるんだけどね
0008人間七七四年2016/07/22(金) 16:55:54.88ID:PU+2dXjL
徳川支持派の反論としては

関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された(恩顧武将がはなれたので合算された石高が減っただけ)
秀頼は主君で家康は反逆者(秀吉に臣下の礼はとったが秀頼にはそうでもない)
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった(むしろ家康の寿命が尽きる)
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた(実際やりかたが間違っていたのだから当然)
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした(片桐且元は徳川臣下なんだから当たり前)
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから(宣教師は鎖国徳川嫌いだからね)
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた(以前の書き込みにて既出)
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした(テロリスト豊臣側が暴発しただけ)
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した(講談の話で真田をもちあげるためだけの創作)
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした(降伏とは名ばかりの交渉をする豊臣側、徳川の温情が知れる)
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した(豊臣という旗印はもうこうなっては第2第3の秀頼をうむ、禍根はたつのも責任者の仕置き)
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している

こんなかんじだな
0009人間七七四年2016/07/22(金) 18:27:14.73ID:hCaHUFnh
長沢聞書だと豊臣方の死者は一万八千くらいじゃなかったかな
0010人間七七四年2016/07/22(金) 19:48:45.62ID:1eVj6Y3j
>>5
『真田信繁』を読んだ感じだと、平山優も
家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった派に
転んだ感じに思えたね
0011人間七七四年2016/07/22(金) 22:32:04.02ID:74Q5G0gf
>>1
おつ
0012人間七七四年2016/07/22(金) 22:57:31.60ID:74Q5G0gf
>>8
>豊国神社を破壊した
もともと豊臣家の援助がなければ廃墟になるだけだから(北政所の願いで残された社殿は実際に廃墟になったという)、
本社の方広寺に吸収再編させるのは何も間違ったことじゃない。ある意味政権の義務を遂行しただけ
そもそも秀吉が国家事業として別用途で作っていた方広寺の一部を秀吉が死んだからって勝手に流用した所縁のない寺社だからね
0013人間七七四年2016/07/22(金) 23:28:35.37ID:XpGr8YIi
関白を妻子もろとも殺して畜生塚に埋めたうえに聚楽第を粉々になるまで破壊したり
奉行が謀反を起こして秀吉の遺城である伏見城を破壊するような豊臣において
豊国神社が壊れたくらいで騒ぐ方がおかしい
0014人間七七四年2016/07/22(金) 23:34:59.11ID:nW2KeJ+J
ほんと秀次事件は秀吉の最大級の汚点だわ
0015人間七七四年2016/07/22(金) 23:47:04.11ID:VyMMLeHY
秀頼が生まれてしまった以上しかたないんじゃないかな?
0016人間七七四年2016/07/23(土) 00:06:25.89ID:GdwowNHd
>>15
仕方なくないだろ
斬首して畜生塚、しかも妻子もろともとか
自分の子供が可愛いということは、秀次も自分の息子達は同じように可愛く思ってる、というのは人の子として解るはず
だから当人は斬首でも幼い子供は殺さないことも多い、しかし秀吉は一族皆殺しですから

鬼畜の所業としか言いようがない
0017人間七七四年2016/07/23(土) 00:13:21.03ID:f81FCBQ0
研究者「謀反ってことにしましたから族滅はしなきゃならないんです!仕方ないんです!」

氏直「助命された俺はなんだったのか」
家康「それな(天秀尼助命」
0018人間七七四年2016/07/23(土) 00:20:30.42ID:bIdrIW5Z
>>16
秀吉の拡大自殺みたいなもんじゃないの。
あの時代に累代の有形無形資産や人脈縁故のない成功者の家が
関白や武家の棟梁やっていくのは所詮無理があったんだよ。
0019人間七七四年2016/07/23(土) 00:36:55.63ID:GdwowNHd
>>18
あれが豊臣の限界だったんかな

秀吉にしろ秀頼にしろ、お家存続という考えが全くないからな
0020人間七七四年2016/07/23(土) 03:50:50.50ID:bIdrIW5Z
秀頼は自身苦労知らずで生まれながらに親父の遺産に浴していたけど、
親父がそれを築き上げるまでの苦労みていないし、
かといって累代が存続させてここ迄きたって有り難みや責任も持てなかったろうから、
プライドだけがあって自分が今いるポジションの重みが解ってなかった。

故に護りぬくという覚悟がなく、お城の外の世界も知らず希望的観測で無茶して、
またダメだったときに簡単に投げ出しちゃったとかかな。

自分が踊ってやらかした存亡かけた戦に勝ちの見込みがなくなったときに
城内の民や家臣護るために自分の命差し出して投降という武門の当主なら当たり前にやるだろってことの真逆を走って
女房と叔母さんに助命嘆願させた日には、親父よりも筋目を通すことに重きを置く秀忠はそら激おこですわ。
0021人間七七四年2016/07/23(土) 04:48:48.52ID:gg9PB/Wm
堀うめられててよくもまあ夏の陣起こされないと思って浪人衆残してたもんだよな
たたいてくださいと言わんばかりに。

つか真田とか大野とかさ、こういう集り連中が寄りついてきたのが運の尽きだったかもな
0022152016/07/23(土) 07:59:48.57ID:71JzZXff
>>16
生かしておくと後の災いの種になると危惧したんじゃないの?
あるいは単純に怒りに任せたか

どっちにしろ秀吉の行為を肯定するつもりはないけどね
0023人間七七四年2016/07/23(土) 10:45:05.46ID:ElxACoTE
>>22
傀儡政権のつもりだったろうが予想外に言うこと聞かなかったんだろうなあとは思う
それこそ秀次関白、秀頼征夷大将軍というような構想を作れなかったのかねえ
まあ格でいうなら征夷大将軍は格下だろうけど。
0024人間七七四年2016/07/23(土) 11:07:38.49ID:j2Yl0Aiu
>>23
室町幕府では、
将軍>関白
だっった。

太政大臣の秀吉自身が将軍に任官し、将軍の権威を関白の上に戻しておけば良かった。
0025人間七七四年2016/07/23(土) 12:48:15.25ID:ElxACoTE
>>24
完全に秀吉は選択をあやまったよね
そこまで秀次を憎む理由があったのかね
殺生関白とか悪名つけて弾劾するあたり相当なもんだ
0026人間七七四年2016/07/23(土) 13:23:27.44ID:p4eCyooi
【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その3 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1466125461/
0027人間七七四年2016/07/23(土) 13:23:37.19ID:vhjK5CUF
>>10
『真田信繁』平山優

あの本難しくなかった?
0028人間七七四年2016/07/23(土) 13:46:40.34ID:ULstmrhQ
ちゃんと言うこと聞いてたら滅亡はなかったろうな
0029人間七七四年2016/07/23(土) 16:48:53.29ID:V8jQOXVb
秀次事件は対策があれでも中途半端だった。
一番危険な義兄(正室の兄)、池田輝政を叱責、謹慎のみに留めている。
池田輝政は秀次のナンバーツーで、生かしておくと必ず秀次の仇を
取りにかかることは目に見えており、石田三成、増田長盛とも秀頼の
後顧の憂いを除くために、池田家の族滅を強く主張している。

事実、池田輝政は秀吉の死後、秀頼と事あるごとに激しく敵対している。
0030人間七七四年2016/07/23(土) 16:50:11.30ID:V8jQOXVb
>>25
秀次を除く気でいるなら、秀次のナンバーツーの池田輝政と徳川家康の
縁談は絶対にしてはならなかった。秀次事件でこれが原因で池田輝政を
除くのに失敗している。
0031人間七七四年2016/07/23(土) 16:56:42.18ID:V8jQOXVb
秀吉の最低最悪の失敗、池田輝政と徳川家康の娘の縁組だが、成立させた側は
いずれも信じられないような腐った理屈で動いている。

石田三成 ---- 秀次を除く際に、池田輝政(族滅)に連座させ、徳川家康を弱体化させる
豊臣秀吉 ---- 深く考えずに、秀次のナンバーツーに後ろ盾をつけている。
若御前 ---- 池田家が族滅する際に、徳川家を巻き込み、恨で豊臣家を不安定化させる。

結局、全員誤算だらけ。強いて言えば刑死した若御前の意図が一番当たり。
ただ、若御前も死ぬ間際まで池田家が助かることは計算外だったらしい。
0032人間七七四年2016/07/23(土) 16:57:56.48ID:V8jQOXVb
なお、増田長盛は石田三成と若御前の腐った意図を見抜き、池田家と徳川家の
縁組に激しく反対した。
0033人間七七四年2016/07/23(土) 17:41:09.16ID:CyfSxpKt
最低最悪の失敗、という言葉を見ると、説そのものがもう怪しさ満点
0034人間七七四年2016/07/23(土) 20:15:09.71ID:OKpPnY7R
>>27
読んだけどこの手の研究本はだいたいあんな感じじゃないかな
光成準治の関ヶ原前夜みたいに書状とかの現代語訳を
わざわざ付けてくれる方が珍しいんじゃないかな
内容的には宣教師の報告真に受けて冬の陣は豊臣方の勝ちとか
所々首を傾げるところもあるけど、まあ内容的にはそう問題ないかな
逆に>>5の二冊読んだ事ないけど、内容的に評価できるものなの?
0035人間七七四年2016/07/24(日) 00:27:27.33ID:/jmJO33g
家康の幕府への思いが死後更に強大な念を纏い、幸村の抹殺だけが目的の豚人形と化し追撃の構えを見せた。
瞬きすら許されない薄く細い時間の切れ目に確かに盛親は聞いた
幸村(大丈夫。痛くないよ強がりじゃない。少しだけ嬉しい。やっと光成と同じになれた・・・あの時の)
長宗我部盛親(幸村・・・)
幸村「泰平の時代はやるよ。お前ももうおやすみ・・・じゃんけん」
的なことやるのかなN○kは
0036人間七七四年2016/07/24(日) 00:48:41.14ID:NbCVMOc5
>>34
相川司のは古いけど読む価値ある。渡邊大門も悪くない。
0037人間七七四年2016/07/24(日) 14:03:54.42ID:LtBu1tc/
関ヶ原後の外様大名の生き残り処世術が面白いよなあ。
島津→再三なる家康の呼び出しのらりくらりかわして無視。逆に薩摩籠城防衛を強化する。
結局明国との貿易を盾にお家安泰家康が折れる。
毛利→大幅領地没収も財政を盛り返し、夏の陣じゃ東軍で戦功を上げる。
伊達→徳川時代もずっと謀反を疑われるも徳川にたいして忠義を尽くす。
家康が死ぬ間際、秀忠を頼むと信頼を勝ち得る。
家光の時代まで政宗は将軍に仕える。
0038人間七七四年2016/07/24(日) 15:31:34.37ID:/jcR8D05
伊達は、戊辰戦争でも頑張ったな。
官軍に寝返った井伊、尾張徳川よりも忠節を尽くした。
0039人間七七四年2016/07/24(日) 16:42:41.29ID:4VOfvy33
>>38
伊達は伊達騒動の際、幕府の温情で取り潰しを免れたが、それが祟って
五代将軍綱吉時代に過酷なお手伝い普請でひどい目に遭うも、綱吉の死
後は、幕府から優遇されたから忠犬化したんだろう。
0040人間七七四年2016/07/24(日) 20:34:34.66ID:bvixtRFM
脇坂家のほうがすごい

脇坂安治:ガチ豊臣譜代。しかも西軍、しかも裏切り。韓国ドラマでは李舜臣最大の敵、名将扱い。

脇坂安元:大坂の陣で豊臣軍を痛めつけ、家光の側近堀田正盛から養子をもらって媚びを売る。

脇坂安政:外様から徳川譜代に成り上がる。
0041人間七七四年2016/07/24(日) 22:05:08.60ID:WAXFwwXe
徳川家の採用基準が分からんな
戸川家も家康様を織田家に売った家とか
言われてるはずなのに、大久保彦佐が
嫉妬するくらいの扱い受けてるしな
0042人間七七四年2016/07/24(日) 23:00:58.61ID:4VOfvy33
>>41
徳川家採用基準
1.一度の裏切りまでは許す。(本多正信や奥平等が好例)
2.一度は裏切った者でも、その後しっかり働けば過去は問わない。(例:戸田家)
3.カルト信者は忠義者で重用しても、絶対信用しない。(例:法華カルトの大久保家)
4.クレーマーでも有能なら即採用。(例:曲渕)
5.正直者なら少々、粗忽者でも即採用(村越茂助、横田甚右衛門など)
6.刃物を持った狂人を独りで捕らようとする馬鹿者は採用しません。
7.一度やめた者でも、何時でも徳川家はウェルカム採用(シリアルキラー水野、狂戦士本多三也等)
8・口の悪い者でも気にせず採用(三河武士一同、代表格は本多作佐)
これぐらいかな。
0043人間七七四年2016/07/24(日) 23:18:04.16ID:iGCBPaW5
徳川家って良い企業だな( ;∀;)
0044人間七七四年2016/07/25(月) 04:45:57.32ID:kJwfnoPL
江戸時代は災害が多いけど、徳川家はなんやかんや言って(特に中小規模の)藩の復興財政を助けたりしてるからな
大藩には普請を命じたりしてるが、それも復興のためだし
宝永地震→富士山噴火や天明飢饉なんてよく乗り切ったもんだと思う
0045人間七七四年2016/07/25(月) 23:09:30.05ID:Rbt9KpP+
>>42
徳川を持ち上げすぎるような気がするな
自分の政権批判する、落首書いたら皆殺しの
豊臣政権よりは少しはマシな程度だろう
0046人間七七四年2016/07/26(火) 05:08:12.72ID:Af/PGj4y
政治って、前よりはマシってのが大きいと思うの
人間は懐古するから
0047人間七七四年2016/07/26(火) 13:47:20.47ID:Ud6Lox9w
>>45
家康が天下取った後は10年以上戦争無しというのは、大きな差かと
0048人間七七四年2016/07/26(火) 14:02:08.93ID:pIhcStOg
時代がもとめてた施政者にしてもその後250年盤石だったのはさすがだな
もちろん弱者すべてを救済できていたわけでもないが、そんなことは誰でも無理だしな
0049人間七七四年2016/07/26(火) 17:14:53.47ID:r/gZJ7ip
>>45
徳川=ブラック企業仮説証明のため事例を
集めた結果が>>42だったのよw
0050人間七七四年2016/07/26(火) 19:33:18.02ID:zw7tQbc/
62 : 日本@名無史さん2014/03/20(木) 03:09:09.46
縄文人の墓からは、犬と人間が同一の扱いで、きれいに埋葬されて発掘されたが、
半島人と同じルーツの西日本の弥生人の遺跡からは、犬の骨は食べ物のゴミ捨て場から発見されていて、縄文人は犬を仲間として扱い、弥生人は食い物として扱っていたことが学術的に明らかになっているんだよなあ。
弥生人(朝鮮)=関西人、
縄文人(アイヌ)=東日本東北 に遺伝的形質がつよい。
とされているから、犬鍋をよく食べて来た遺伝子が強い人が、無理矢理東北に半島の野蛮な風習を押し付けて、因縁つけてるようにしか見えない(笑)。


>近畿朝鮮人弱いけどね

家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)

番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生…
0051人間七七四年2016/07/26(火) 20:49:05.46ID:yigwodJa
>>49
豊臣の場合ヘッドハンティングまでして人材集め急成長したが、
引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、
その体制を崩壊させて、頼りになる重役に後見させようとしたが
その重役は独立してしまい、しかも社員もそちらの会社に移籍してしまい
プライドだけは高い凡庸な二代目は何かとつっかった挙げ句、
問題があって無職だった連中を集め、結局自壊したって感じか
0052人間七七四年2016/07/26(火) 20:58:45.17ID:hr/vDooJ
>>42
天下人になるべくしてなったんだな。。
0053人間七七四年2016/07/26(火) 22:08:27.86ID:jDIr8AZV
>>51
それだな
0054人間七七四年2016/07/26(火) 22:08:39.69ID:T7HsvhgG
>>51
> 引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、

企業に例えてるのにここだけ世紀末すぎるだろw
0055人間七七四年2016/07/26(火) 23:28:14.34ID:fPo8uA7W
ハニトラで失脚にしよう
0056人間七七四年2016/07/27(水) 20:43:02.58ID:Btx1n2JW
>>51
信長政権もそうだが結局トップの個人能力に頼り切りの組織は脆いよな
その点家康は将軍の能力の有無に大きく左右されない組織を造ったのが大きいよな
0057人間七七四年2016/07/27(水) 20:49:27.93ID:i7ETk1lH
作ったのは秀忠だがまあいいか
0058人間七七四年2016/07/27(水) 21:20:01.40ID:tSu0kEZu
まあ江戸幕府の基礎は家康が作り上げた分厚い中小役人層だ。アレが有ったから上が多少変でも機構が運営できた
0059人間七七四年2016/07/27(水) 22:09:41.70ID:8+AxVJzn
江戸幕府は武士が小役人に変貌した組織
0060人間七七四年2016/07/27(水) 22:19:05.07ID:tSu0kEZu
>>59
武士の歴史を知れば、それがどれだけ大変なことかわかると思うぞ
0061人間七七四年2016/07/27(水) 23:14:33.48ID:KDHu6+PV
武士がほとんど文官化してしまったんだからな。
0062人間七七四年2016/07/28(木) 01:19:10.04ID:/BN1k7Hb
大量の無役もしくはどっかの部屋に詰めるだけで
新人が来たらいびるだけが仕事みたいな無駄飯
ぐらいを作っちゃったのが幕末での敗因
0063人間七七四年2016/07/28(木) 05:58:35.86ID:Mf6McI0R
>>62みたいなのの反動が、無条件に江戸時代は素晴らしいって言い出すバカを生むんだろうな
徳川の官僚制度がそんなに腐ってたら、東京は明治大正を乗り越えてない。
0064人間七七四年2016/07/28(木) 07:41:23.77ID:sY3nVbz1
そもそも東京帝大とか出来てそこから官僚が供給されるようになるまで、明治新政府の実務を担っていたのは
旧幕府出身の役人だからな。
0065人間七七四年2016/07/28(木) 08:23:48.41ID:hgBNZ9pH
明治の警官、教師も士族が多かったな。
読み書きは叩き込まれてたし、警官ならサーベル持てたし、師範学校は只だから貧乏士族にちょうど良かった。
0066人間七七四年2016/07/28(木) 09:25:52.87ID:U/gwoNap
江戸自体の武士は、兵士というよりは
特権階級というか、知識層だからな。官僚および江戸幕府の公務員といったところか。
明治になれば、警官、教師は適職だと思う。
0067人間七七四年2016/07/28(木) 23:25:18.13ID:9qOElRsH
>>6
相も変わらず関ヶ原後の秀頼の影響力を過大評価してる研究家はいるけどね
例えば江戸などの天下普請は豊臣家は免除されてるどころか、普請奉行に
秀頼の家臣が派遣されてるとか
西国の大名は総べて豊臣系で固められており、徳川の影響力が低いとか
0068人間七七四年2016/07/29(金) 06:02:07.30ID:Vamro+N3
明らかに秀吉没から秀頼の株なんて暴落してみじんも上向いてないのにな
大阪浪人くらいしか担ぐ気の起きない御輿

関ヶ原後なんて本来徳川の顔色伺いながらおとぎ衆になるべきだった
0069人間七七四年2016/07/29(金) 14:13:34.27ID:snyGqSdZ
>>67
西国は豊臣系大名で固められているとは言っても、池田は家康の娘婿だし細川、藤堂、黒田とか親徳川の大名もいるわけで
0070人間七七四年2016/07/29(金) 14:22:15.42ID:mXIkhx0i
そもそも関ヶ原の結果、西国に接収する土地が多く出来たことによる結果論にすぎないからな。
0071人間七七四年2016/07/29(金) 16:28:25.54ID:Ue24aPu0
徳川家として先ず、江戸-京間を勢力下に収めるのが最大目的だったし
0072人間七七四年2016/07/29(金) 23:12:06.80ID:b4Ly/qh4
豊臣を持ち上げたい研究家にしてみれば
あくまでも家康は秀頼の権威を恐れていた事にしたいんだろう
0073人間七七四年2016/07/30(土) 06:57:44.76ID:iuD3R/Av
>>72みたいな勇者なんて、現実社会にはいないだろ
せいぜい、引きこもりの一部に見受けられるくらいだろ

大阪の陣なんて起こさずに、淀君を江戸に押し込んで、身は大和でも摂津でも、仮に壱岐対馬でさえも藩主として生き残ってれば、
三代将軍の義兄弟として政治的に軽視出来ない存在になるのは誰だってわかる。
関ヶ原で毛利上杉を穏便に削ってたにしても、外様を糾合して跡目争いに介入された日には目もあてられないことになる
0074人間七七四年2016/07/30(土) 07:06:14.27ID:dj3xR0pC
家康と秀頼だったら家康の方が格上だけど
秀忠と秀頼だったら秀頼の方が格上になるからねえ
だから家康が生きてるうちに上下関係ハッキリさせる必要があった
0075人間七七四年2016/07/30(土) 08:23:37.01ID:iuD3R/Av
ころしたかったの間違いだろ?
0076人間七七四年2016/07/30(土) 08:36:06.81ID:e1XwGdjL
秀忠のほうが官位は上じゃなかったっけ?
0077人間七七四年2016/07/30(土) 10:04:09.68ID:TgFJZTTL
>>73
はい、史料だして?
0078人間七七四年2016/07/30(土) 10:23:32.63ID:b028s1hC
>>76
秀忠の官歴は、秀頼の後追いだが、秀頼の最終的官位が正二位前右大臣だったのに対し、秀忠は、慶長19年(1614)に従一位右大臣(兼征夷大将軍)なので、この時点で秀忠の方が上のはず。
婿なんだし、秀忠に頭下げれば良かったんだ。
0079人間七七四年2016/07/30(土) 10:31:12.71ID:iuD3R/Av
>>77
え〜?
>>72が引きこもりだって資料出すの?
そりゃ無理だな
ごめんなさいしとく
0080人間七七四年2016/07/30(土) 11:04:38.96ID:yyu6I7k4
秀忠にしてみれば自分の将軍就任時をはじめ、ほとんど無視されているような状況だからな
舅に対する礼儀も知らないのかと腹を立ててても不思議ではないよね
0081人間七七四年2016/07/30(土) 11:34:50.20ID:dj3xR0pC
>>76
この時点では官位は同じ
秀頼は元職で秀忠は現職だけどね
先に同官位に上がった秀頼の方が一応、格上
0082人間七七四年2016/07/30(土) 11:57:47.62ID:b028s1hC
>>81
それは位階が同じなのが前提。官職が同じなら位階が上の方が格上。
0083人間七七四年2016/07/30(土) 12:07:43.26ID:Iw3m/xRN
>>73
それをうまくやった伊達という見本もあるよね
0084人間七七四年2016/07/30(土) 12:10:56.80ID:iuD3R/Av
>>83
成功例もあるのか
0085人間七七四年2016/07/30(土) 13:19:06.91ID:e5W5mMLC
>>84
将軍家の親類縁者となって、表向きは忠節をつくし、将軍家にたてつくもんは伊達家が相手じゃと家康秀忠家光にこびまくり

天下の副将軍として伊達政宗は伊達家安泰の基礎をかためた
0086人間七七四年2016/07/30(土) 16:01:00.69ID:J3bUa81G
家康江戸を建てるって小説は面白かったなあ。
まあ家康が江戸に留まった理由は開墾さえしちまえば土地は広大だし東北の睨みもきく。
西国は秀頼云々というよりも豊臣の影響力が強くてダメだ。
0087人間七七四年2016/07/31(日) 09:24:44.87ID:9RvVlEGb
>>80
まあ家康に比べて秀忠の方が豊臣家及び豊臣系大名に
冷淡かつ強硬だよな
0088人間七七四年2016/07/31(日) 10:42:56.20ID:SM/3HQiu
それが上に立つ者の覚悟のあらわれ
なあなあにしていたり、優柔不断では話にならない
秀忠は家康をひきたてるためにどうしても貧乏くじをひくが落ち度らしい落ち度は実はない
0089人間七七四年2016/07/31(日) 12:42:59.76ID:Cnj7Rbqt
>>88
ないねえ。大体、家康が駿府に隠居しつつも秀忠は操り人形だったが忠実に二大体制を守って間違いを起こさなかったってことが偉い。
自分の器量を推し量って天命を知ることも才能だよ。
まあ、家康も陰で操りつつも2代目も立ててただろうから頭がいい人だったんだろうがね
0090人間七七四年2016/07/31(日) 13:48:00.18ID:yOXoaPXU
>>74
将軍は令外の官
秀忠が将軍である以上秀頼より秀忠の方が上だよ
ちなみに将軍と関白の上下関係はその時代と共に変動する
幕府が政権を執った江戸時代は幕末までは関白より将軍の方が上位とされた
0091人間七七四年2016/07/31(日) 21:38:20.08ID:/kJloSKm
>>90
そういうスレがあるから出てくるな
0092人間七七四年2016/07/31(日) 21:45:13.08ID:oEqrU8OF
0093人間七七四年2016/08/01(月) 21:59:46.79ID:pl87Djm0
鐘銘の件や冬の陣での惣堀埋め立ての件など
本来家康の腹黒い謀略と言われていた話が否定されてきているからな
家康は極悪人、秀頼をはじめ豊臣方はそれに翻弄された被害者、
そう理論展開したい豊臣信者にすればあくまで豊臣は徳川の上だという
展開に持って行きたいんだろう
0094人間七七四年2016/08/01(月) 22:37:45.53ID:cXiW/11/
豊臣秀頼がただの無能なだけだった、そんだけなんだよな
0095人間七七四年2016/08/01(月) 23:49:06.87ID:gkXuD3Jv
>>90
秀忠は朝廷より政権を委任された、いわゆる将軍宣下された時点で秀頼より上の地位になったんだよな
形式的に言えば大坂の陣は秀頼による幕府(朝廷より政権、軍権を預かっている)への「謀反」だからね
0096人間七七四年2016/08/02(火) 01:06:51.62ID:HG6zFwnC
テロ集団大阪城豊臣ってことだわな
0097人間七七四年2016/08/02(火) 07:59:31.87ID:GVRnQ8o+
摂関家の摂津豊臣氏を清華家の武蔵徳川氏が襲撃し、その領地・財産・権威を奪った単なる政治闘争でしょ
0098人間七七四年2016/08/02(火) 08:08:07.21ID:tBl21u3N
>>97
関白を横領した逆賊豊臣秀吉から始まる賊徒豊臣家を、将軍が滅亡させただけだろ
そもそも秀吉に関白就任の正当性がないだろ
なんで、その子供が摂関家になるんだ?
秀吉が近衛の猶子になったとは聞いたこともあるが、養子になったとは聞いたことがない。
0099人間七七四年2016/08/02(火) 08:28:35.50ID:SzBJHqY+
そもそも関白は無理矢理簒奪した秀吉一代限りだったのにな
0100人間七七四年2016/08/02(火) 08:31:23.90ID:SzBJHqY+
それに秀忠は豊臣政権時代の清華家ではなく、徳川政権時代の摂関家を凌ぐ徳川将軍家なんだが
0101人間七七四年2016/08/02(火) 09:48:57.85ID:8NBW+fye
朝廷は豊臣よりだったとほざく奴がいるが、関白を奪われ、昇進を停滞させられた怨念を、
忘れる程彼らはお目出度くない
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