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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/07/22(金) 12:31:33.67ID:ll1Lqb8/
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/

前スレ
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/

大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/
0002人間七七四年2016/07/22(金) 12:32:06.93ID:ll1Lqb8/
明石全登
幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。

毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。

大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。

後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。

木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。
0003人間七七四年2016/07/22(金) 12:32:28.63ID:ll1Lqb8/
冬の陣(鴫野の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Battle_of_shigino_ja.png

冬の陣(今福の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Battle_of_Imafuku_ja.png

大坂冬の陣布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png

夏の陣(小松山の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Battle_of_Domyoji_1of2_ja.png

夏の陣(誉田の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Battle_of_Domyoji_2of2_ja.png

夏の陣(八尾・若江の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Battle_of_YaoWakae_ja.png

夏の陣(天王寺・岡山の戦い)布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Osaka_no_eki_summer.png
0004人間七七四年2016/07/22(金) 12:33:03.85ID:ll1Lqb8/
慶長5年(1600年)、家康は豊臣家の蔵入地220万石を、摂津・河内・和泉の約65万石を残し、東軍諸将に配分。

慶長6年(1601)、福井城が諸大名により普請。藤堂高虎が膳所城普請。池田輝政が姫路城普請。浅野幸長が和歌山城普請。

慶長7年(1602)、本多忠勝が加納城、高虎が二条城を普請。

慶長8年(1603年)、2月、家康は伏見城で征夷大将軍に就任、江戸幕府を開く。江戸城普請。
同年7月、徳川秀忠の娘である千姫が、秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入。

慶長7年(1604年)、京極高次、藤堂高虎らにより、彦根城普請。

慶長10年(1605年)、正月に家康が、つづいて2月に秀忠が伊達政宗ら奥羽の大名を加え10万以上の大軍を率いて上洛。
同年4月、家康は将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲る。秀頼は右大臣。

慶長11年(1606年)、諸大名により江戸城増築。

慶長12年(1607年)、結城秀康死去。
同年12月、駿府城失火。池田輝政、加藤嘉明らが普請。

慶長13年(1608年)、高虎が伊勢・伊賀22万石に移封、安濃津城普請。
片桐且元が、秀頼による85件にものぼる寺社普請の1つ、方広寺再建を命じられる。

慶長14年(1609年)、高虎が亀山城を普請。

慶長15年(1610年)、大久保長安、加藤清正ら諸大名により名古屋城普請。

慶長16年(1611年)3月、後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して家康が上洛。
二条城で秀頼が、反対もあったが、加藤清正や浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり家康と会見。
同4月、家康は在京諸大名に、幕府の命令に背かないという誓詞を提出させる。ただし、秀頼からは誓詞を提出させていない。
高虎が伊賀上野城を拡張。
浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正、死去。

慶長17年(1612年)、3月、岡本大八事件採決。本多正純一派は一時その勢力が衰退。一方で旗本に棄教令。
東国諸大名に誓紙を提出させる。

慶長18年(1613年)、2月、金地院崇伝がバテレン追放の文を起草。全国的な教会打ち壊しや主だった教徒の国外追放の開始。
大久保長安「金の棺」事件。正純一派が復権し、長安一派を粛清。
片桐且元が家康の命により、秀頼の領地より1万石の加増。
池田輝政・浅野幸長死去。

慶長19年(1614年)、4月、且元が、南禅寺長老の文英清韓に銘文を選定させた半鐘が完成。
同5月、前田利長死去。
且元が使者に立ち、方広寺の大仏開眼日を家康に具申。
同6月、イギリス・オランダに大砲、硝煙、鉛を注文。国友鍛冶に大鉄砲・大筒・石火矢の鋳造を命じる。
同7月、大坂城内にて織田信包が吐血死。
板倉勝重の報告により、家康が方広寺開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期を命じる。
同8月、家康が南禅寺以下五山の僧及び林羅山に鐘銘文の見解を出させる。且元、大蔵局が別個に釈明。
同9月、家康が西国の大名から誓詞を提出させる。織田信雄、石川貞政が大坂城退去。
同10月1日、同日、家康が板倉勝重からの通報により出兵を命じる。片桐且元退去及び茨木城篭城。
同2日、秀頼が檄を飛ばし、諸大名の大坂蔵米を接収。
同7日、勝重大坂封鎖。長宗我部盛親は突破して入城。高山右近が長崎からマニラへ追放。
同9日、真田幸村・幸昌父子が、九度山脱出。
同11日、家康出陣。
同12日、大坂方が堺から鉄砲などを接収。
同16日、伊達政宗が江戸到着、秀忠軍先鋒を命じられる。
同19日、家康が西国諸大名に参陣命令。
同22日、家康二条城到着。
同11月4日、薄田兼相が平野焼討。
同11日、秀忠が伏見城到着。
同15日、家康・秀忠父子が京都を発ち、大坂へ着陣。
0005人間七七四年2016/07/22(金) 13:55:44.12ID:hCaHUFnh
>>1
家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった説を主張しているといえば、自分の知っているところだと
相川司の「大坂の陣 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か」(河出文庫)や
渡邊大門「大坂落城 戦国終焉の舞台」(角川選書)があるけど
他に主張している研究家や著作ってあるかな
0006人間七七四年2016/07/22(金) 13:55:56.05ID:1eVj6Y3j
>>1
豊臣信者がよく主張するのは
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している

このあたりかな
0007人間七七四年2016/07/22(金) 16:47:19.31ID:PU+2dXjL
だいたいそんな感じだよな
豊臣信者の主張

ぶっちゃけ豊臣側の無茶無体ぶりを完全無視してるんだけどね
0008人間七七四年2016/07/22(金) 16:55:54.88ID:PU+2dXjL
徳川支持派の反論としては

関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された(恩顧武将がはなれたので合算された石高が減っただけ)
秀頼は主君で家康は反逆者(秀吉に臣下の礼はとったが秀頼にはそうでもない)
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった(むしろ家康の寿命が尽きる)
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた(実際やりかたが間違っていたのだから当然)
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした(片桐且元は徳川臣下なんだから当たり前)
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから(宣教師は鎖国徳川嫌いだからね)
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた(以前の書き込みにて既出)
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした(テロリスト豊臣側が暴発しただけ)
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した(講談の話で真田をもちあげるためだけの創作)
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした(降伏とは名ばかりの交渉をする豊臣側、徳川の温情が知れる)
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した(豊臣という旗印はもうこうなっては第2第3の秀頼をうむ、禍根はたつのも責任者の仕置き)
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している

こんなかんじだな
0009人間七七四年2016/07/22(金) 18:27:14.73ID:hCaHUFnh
長沢聞書だと豊臣方の死者は一万八千くらいじゃなかったかな
0010人間七七四年2016/07/22(金) 19:48:45.62ID:1eVj6Y3j
>>5
『真田信繁』を読んだ感じだと、平山優も
家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった派に
転んだ感じに思えたね
0011人間七七四年2016/07/22(金) 22:32:04.02ID:74Q5G0gf
>>1
おつ
0012人間七七四年2016/07/22(金) 22:57:31.60ID:74Q5G0gf
>>8
>豊国神社を破壊した
もともと豊臣家の援助がなければ廃墟になるだけだから(北政所の願いで残された社殿は実際に廃墟になったという)、
本社の方広寺に吸収再編させるのは何も間違ったことじゃない。ある意味政権の義務を遂行しただけ
そもそも秀吉が国家事業として別用途で作っていた方広寺の一部を秀吉が死んだからって勝手に流用した所縁のない寺社だからね
0013人間七七四年2016/07/22(金) 23:28:35.37ID:XpGr8YIi
関白を妻子もろとも殺して畜生塚に埋めたうえに聚楽第を粉々になるまで破壊したり
奉行が謀反を起こして秀吉の遺城である伏見城を破壊するような豊臣において
豊国神社が壊れたくらいで騒ぐ方がおかしい
0014人間七七四年2016/07/22(金) 23:34:59.11ID:nW2KeJ+J
ほんと秀次事件は秀吉の最大級の汚点だわ
0015人間七七四年2016/07/22(金) 23:47:04.11ID:VyMMLeHY
秀頼が生まれてしまった以上しかたないんじゃないかな?
0016人間七七四年2016/07/23(土) 00:06:25.89ID:GdwowNHd
>>15
仕方なくないだろ
斬首して畜生塚、しかも妻子もろともとか
自分の子供が可愛いということは、秀次も自分の息子達は同じように可愛く思ってる、というのは人の子として解るはず
だから当人は斬首でも幼い子供は殺さないことも多い、しかし秀吉は一族皆殺しですから

鬼畜の所業としか言いようがない
0017人間七七四年2016/07/23(土) 00:13:21.03ID:f81FCBQ0
研究者「謀反ってことにしましたから族滅はしなきゃならないんです!仕方ないんです!」

氏直「助命された俺はなんだったのか」
家康「それな(天秀尼助命」
0018人間七七四年2016/07/23(土) 00:20:30.42ID:bIdrIW5Z
>>16
秀吉の拡大自殺みたいなもんじゃないの。
あの時代に累代の有形無形資産や人脈縁故のない成功者の家が
関白や武家の棟梁やっていくのは所詮無理があったんだよ。
0019人間七七四年2016/07/23(土) 00:36:55.63ID:GdwowNHd
>>18
あれが豊臣の限界だったんかな

秀吉にしろ秀頼にしろ、お家存続という考えが全くないからな
0020人間七七四年2016/07/23(土) 03:50:50.50ID:bIdrIW5Z
秀頼は自身苦労知らずで生まれながらに親父の遺産に浴していたけど、
親父がそれを築き上げるまでの苦労みていないし、
かといって累代が存続させてここ迄きたって有り難みや責任も持てなかったろうから、
プライドだけがあって自分が今いるポジションの重みが解ってなかった。

故に護りぬくという覚悟がなく、お城の外の世界も知らず希望的観測で無茶して、
またダメだったときに簡単に投げ出しちゃったとかかな。

自分が踊ってやらかした存亡かけた戦に勝ちの見込みがなくなったときに
城内の民や家臣護るために自分の命差し出して投降という武門の当主なら当たり前にやるだろってことの真逆を走って
女房と叔母さんに助命嘆願させた日には、親父よりも筋目を通すことに重きを置く秀忠はそら激おこですわ。
0021人間七七四年2016/07/23(土) 04:48:48.52ID:gg9PB/Wm
堀うめられててよくもまあ夏の陣起こされないと思って浪人衆残してたもんだよな
たたいてくださいと言わんばかりに。

つか真田とか大野とかさ、こういう集り連中が寄りついてきたのが運の尽きだったかもな
0022152016/07/23(土) 07:59:48.57ID:71JzZXff
>>16
生かしておくと後の災いの種になると危惧したんじゃないの?
あるいは単純に怒りに任せたか

どっちにしろ秀吉の行為を肯定するつもりはないけどね
0023人間七七四年2016/07/23(土) 10:45:05.46ID:ElxACoTE
>>22
傀儡政権のつもりだったろうが予想外に言うこと聞かなかったんだろうなあとは思う
それこそ秀次関白、秀頼征夷大将軍というような構想を作れなかったのかねえ
まあ格でいうなら征夷大将軍は格下だろうけど。
0024人間七七四年2016/07/23(土) 11:07:38.49ID:j2Yl0Aiu
>>23
室町幕府では、
将軍>関白
だっった。

太政大臣の秀吉自身が将軍に任官し、将軍の権威を関白の上に戻しておけば良かった。
0025人間七七四年2016/07/23(土) 12:48:15.25ID:ElxACoTE
>>24
完全に秀吉は選択をあやまったよね
そこまで秀次を憎む理由があったのかね
殺生関白とか悪名つけて弾劾するあたり相当なもんだ
0026人間七七四年2016/07/23(土) 13:23:27.44ID:p4eCyooi
【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その3 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1466125461/
0027人間七七四年2016/07/23(土) 13:23:37.19ID:vhjK5CUF
>>10
『真田信繁』平山優

あの本難しくなかった?
0028人間七七四年2016/07/23(土) 13:46:40.34ID:ULstmrhQ
ちゃんと言うこと聞いてたら滅亡はなかったろうな
0029人間七七四年2016/07/23(土) 16:48:53.29ID:V8jQOXVb
秀次事件は対策があれでも中途半端だった。
一番危険な義兄(正室の兄)、池田輝政を叱責、謹慎のみに留めている。
池田輝政は秀次のナンバーツーで、生かしておくと必ず秀次の仇を
取りにかかることは目に見えており、石田三成、増田長盛とも秀頼の
後顧の憂いを除くために、池田家の族滅を強く主張している。

事実、池田輝政は秀吉の死後、秀頼と事あるごとに激しく敵対している。
0030人間七七四年2016/07/23(土) 16:50:11.30ID:V8jQOXVb
>>25
秀次を除く気でいるなら、秀次のナンバーツーの池田輝政と徳川家康の
縁談は絶対にしてはならなかった。秀次事件でこれが原因で池田輝政を
除くのに失敗している。
0031人間七七四年2016/07/23(土) 16:56:42.18ID:V8jQOXVb
秀吉の最低最悪の失敗、池田輝政と徳川家康の娘の縁組だが、成立させた側は
いずれも信じられないような腐った理屈で動いている。

石田三成 ---- 秀次を除く際に、池田輝政(族滅)に連座させ、徳川家康を弱体化させる
豊臣秀吉 ---- 深く考えずに、秀次のナンバーツーに後ろ盾をつけている。
若御前 ---- 池田家が族滅する際に、徳川家を巻き込み、恨で豊臣家を不安定化させる。

結局、全員誤算だらけ。強いて言えば刑死した若御前の意図が一番当たり。
ただ、若御前も死ぬ間際まで池田家が助かることは計算外だったらしい。
0032人間七七四年2016/07/23(土) 16:57:56.48ID:V8jQOXVb
なお、増田長盛は石田三成と若御前の腐った意図を見抜き、池田家と徳川家の
縁組に激しく反対した。
0033人間七七四年2016/07/23(土) 17:41:09.16ID:CyfSxpKt
最低最悪の失敗、という言葉を見ると、説そのものがもう怪しさ満点
0034人間七七四年2016/07/23(土) 20:15:09.71ID:OKpPnY7R
>>27
読んだけどこの手の研究本はだいたいあんな感じじゃないかな
光成準治の関ヶ原前夜みたいに書状とかの現代語訳を
わざわざ付けてくれる方が珍しいんじゃないかな
内容的には宣教師の報告真に受けて冬の陣は豊臣方の勝ちとか
所々首を傾げるところもあるけど、まあ内容的にはそう問題ないかな
逆に>>5の二冊読んだ事ないけど、内容的に評価できるものなの?
0035人間七七四年2016/07/24(日) 00:27:27.33ID:/jmJO33g
家康の幕府への思いが死後更に強大な念を纏い、幸村の抹殺だけが目的の豚人形と化し追撃の構えを見せた。
瞬きすら許されない薄く細い時間の切れ目に確かに盛親は聞いた
幸村(大丈夫。痛くないよ強がりじゃない。少しだけ嬉しい。やっと光成と同じになれた・・・あの時の)
長宗我部盛親(幸村・・・)
幸村「泰平の時代はやるよ。お前ももうおやすみ・・・じゃんけん」
的なことやるのかなN○kは
0036人間七七四年2016/07/24(日) 00:48:41.14ID:NbCVMOc5
>>34
相川司のは古いけど読む価値ある。渡邊大門も悪くない。
0037人間七七四年2016/07/24(日) 14:03:54.42ID:LtBu1tc/
関ヶ原後の外様大名の生き残り処世術が面白いよなあ。
島津→再三なる家康の呼び出しのらりくらりかわして無視。逆に薩摩籠城防衛を強化する。
結局明国との貿易を盾にお家安泰家康が折れる。
毛利→大幅領地没収も財政を盛り返し、夏の陣じゃ東軍で戦功を上げる。
伊達→徳川時代もずっと謀反を疑われるも徳川にたいして忠義を尽くす。
家康が死ぬ間際、秀忠を頼むと信頼を勝ち得る。
家光の時代まで政宗は将軍に仕える。
0038人間七七四年2016/07/24(日) 15:31:34.37ID:/jcR8D05
伊達は、戊辰戦争でも頑張ったな。
官軍に寝返った井伊、尾張徳川よりも忠節を尽くした。
0039人間七七四年2016/07/24(日) 16:42:41.29ID:4VOfvy33
>>38
伊達は伊達騒動の際、幕府の温情で取り潰しを免れたが、それが祟って
五代将軍綱吉時代に過酷なお手伝い普請でひどい目に遭うも、綱吉の死
後は、幕府から優遇されたから忠犬化したんだろう。
0040人間七七四年2016/07/24(日) 20:34:34.66ID:bvixtRFM
脇坂家のほうがすごい

脇坂安治:ガチ豊臣譜代。しかも西軍、しかも裏切り。韓国ドラマでは李舜臣最大の敵、名将扱い。

脇坂安元:大坂の陣で豊臣軍を痛めつけ、家光の側近堀田正盛から養子をもらって媚びを売る。

脇坂安政:外様から徳川譜代に成り上がる。
0041人間七七四年2016/07/24(日) 22:05:08.60ID:WAXFwwXe
徳川家の採用基準が分からんな
戸川家も家康様を織田家に売った家とか
言われてるはずなのに、大久保彦佐が
嫉妬するくらいの扱い受けてるしな
0042人間七七四年2016/07/24(日) 23:00:58.61ID:4VOfvy33
>>41
徳川家採用基準
1.一度の裏切りまでは許す。(本多正信や奥平等が好例)
2.一度は裏切った者でも、その後しっかり働けば過去は問わない。(例:戸田家)
3.カルト信者は忠義者で重用しても、絶対信用しない。(例:法華カルトの大久保家)
4.クレーマーでも有能なら即採用。(例:曲渕)
5.正直者なら少々、粗忽者でも即採用(村越茂助、横田甚右衛門など)
6.刃物を持った狂人を独りで捕らようとする馬鹿者は採用しません。
7.一度やめた者でも、何時でも徳川家はウェルカム採用(シリアルキラー水野、狂戦士本多三也等)
8・口の悪い者でも気にせず採用(三河武士一同、代表格は本多作佐)
これぐらいかな。
0043人間七七四年2016/07/24(日) 23:18:04.16ID:iGCBPaW5
徳川家って良い企業だな( ;∀;)
0044人間七七四年2016/07/25(月) 04:45:57.32ID:kJwfnoPL
江戸時代は災害が多いけど、徳川家はなんやかんや言って(特に中小規模の)藩の復興財政を助けたりしてるからな
大藩には普請を命じたりしてるが、それも復興のためだし
宝永地震→富士山噴火や天明飢饉なんてよく乗り切ったもんだと思う
0045人間七七四年2016/07/25(月) 23:09:30.05ID:Rbt9KpP+
>>42
徳川を持ち上げすぎるような気がするな
自分の政権批判する、落首書いたら皆殺しの
豊臣政権よりは少しはマシな程度だろう
0046人間七七四年2016/07/26(火) 05:08:12.72ID:Af/PGj4y
政治って、前よりはマシってのが大きいと思うの
人間は懐古するから
0047人間七七四年2016/07/26(火) 13:47:20.47ID:Ud6Lox9w
>>45
家康が天下取った後は10年以上戦争無しというのは、大きな差かと
0048人間七七四年2016/07/26(火) 14:02:08.93ID:pIhcStOg
時代がもとめてた施政者にしてもその後250年盤石だったのはさすがだな
もちろん弱者すべてを救済できていたわけでもないが、そんなことは誰でも無理だしな
0049人間七七四年2016/07/26(火) 17:14:53.47ID:r/gZJ7ip
>>45
徳川=ブラック企業仮説証明のため事例を
集めた結果が>>42だったのよw
0050人間七七四年2016/07/26(火) 19:33:18.02ID:zw7tQbc/
62 : 日本@名無史さん2014/03/20(木) 03:09:09.46
縄文人の墓からは、犬と人間が同一の扱いで、きれいに埋葬されて発掘されたが、
半島人と同じルーツの西日本の弥生人の遺跡からは、犬の骨は食べ物のゴミ捨て場から発見されていて、縄文人は犬を仲間として扱い、弥生人は食い物として扱っていたことが学術的に明らかになっているんだよなあ。
弥生人(朝鮮)=関西人、
縄文人(アイヌ)=東日本東北 に遺伝的形質がつよい。
とされているから、犬鍋をよく食べて来た遺伝子が強い人が、無理矢理東北に半島の野蛮な風習を押し付けて、因縁つけてるようにしか見えない(笑)。


>近畿朝鮮人弱いけどね

家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)

番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生…
0051人間七七四年2016/07/26(火) 20:49:05.46ID:yigwodJa
>>49
豊臣の場合ヘッドハンティングまでして人材集め急成長したが、
引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、
その体制を崩壊させて、頼りになる重役に後見させようとしたが
その重役は独立してしまい、しかも社員もそちらの会社に移籍してしまい
プライドだけは高い凡庸な二代目は何かとつっかった挙げ句、
問題があって無職だった連中を集め、結局自壊したって感じか
0052人間七七四年2016/07/26(火) 20:58:45.17ID:hr/vDooJ
>>42
天下人になるべくしてなったんだな。。
0053人間七七四年2016/07/26(火) 22:08:27.86ID:jDIr8AZV
>>51
それだな
0054人間七七四年2016/07/26(火) 22:08:39.69ID:T7HsvhgG
>>51
> 引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、

企業に例えてるのにここだけ世紀末すぎるだろw
0055人間七七四年2016/07/26(火) 23:28:14.34ID:fPo8uA7W
ハニトラで失脚にしよう
0056人間七七四年2016/07/27(水) 20:43:02.58ID:Btx1n2JW
>>51
信長政権もそうだが結局トップの個人能力に頼り切りの組織は脆いよな
その点家康は将軍の能力の有無に大きく左右されない組織を造ったのが大きいよな
0057人間七七四年2016/07/27(水) 20:49:27.93ID:i7ETk1lH
作ったのは秀忠だがまあいいか
0058人間七七四年2016/07/27(水) 21:20:01.40ID:tSu0kEZu
まあ江戸幕府の基礎は家康が作り上げた分厚い中小役人層だ。アレが有ったから上が多少変でも機構が運営できた
0059人間七七四年2016/07/27(水) 22:09:41.70ID:8+AxVJzn
江戸幕府は武士が小役人に変貌した組織
0060人間七七四年2016/07/27(水) 22:19:05.07ID:tSu0kEZu
>>59
武士の歴史を知れば、それがどれだけ大変なことかわかると思うぞ
0061人間七七四年2016/07/27(水) 23:14:33.48ID:KDHu6+PV
武士がほとんど文官化してしまったんだからな。
0062人間七七四年2016/07/28(木) 01:19:10.04ID:/BN1k7Hb
大量の無役もしくはどっかの部屋に詰めるだけで
新人が来たらいびるだけが仕事みたいな無駄飯
ぐらいを作っちゃったのが幕末での敗因
0063人間七七四年2016/07/28(木) 05:58:35.86ID:Mf6McI0R
>>62みたいなのの反動が、無条件に江戸時代は素晴らしいって言い出すバカを生むんだろうな
徳川の官僚制度がそんなに腐ってたら、東京は明治大正を乗り越えてない。
0064人間七七四年2016/07/28(木) 07:41:23.77ID:sY3nVbz1
そもそも東京帝大とか出来てそこから官僚が供給されるようになるまで、明治新政府の実務を担っていたのは
旧幕府出身の役人だからな。
0065人間七七四年2016/07/28(木) 08:23:48.41ID:hgBNZ9pH
明治の警官、教師も士族が多かったな。
読み書きは叩き込まれてたし、警官ならサーベル持てたし、師範学校は只だから貧乏士族にちょうど良かった。
0066人間七七四年2016/07/28(木) 09:25:52.87ID:U/gwoNap
江戸自体の武士は、兵士というよりは
特権階級というか、知識層だからな。官僚および江戸幕府の公務員といったところか。
明治になれば、警官、教師は適職だと思う。
0067人間七七四年2016/07/28(木) 23:25:18.13ID:9qOElRsH
>>6
相も変わらず関ヶ原後の秀頼の影響力を過大評価してる研究家はいるけどね
例えば江戸などの天下普請は豊臣家は免除されてるどころか、普請奉行に
秀頼の家臣が派遣されてるとか
西国の大名は総べて豊臣系で固められており、徳川の影響力が低いとか
0068人間七七四年2016/07/29(金) 06:02:07.30ID:Vamro+N3
明らかに秀吉没から秀頼の株なんて暴落してみじんも上向いてないのにな
大阪浪人くらいしか担ぐ気の起きない御輿

関ヶ原後なんて本来徳川の顔色伺いながらおとぎ衆になるべきだった
0069人間七七四年2016/07/29(金) 14:13:34.27ID:snyGqSdZ
>>67
西国は豊臣系大名で固められているとは言っても、池田は家康の娘婿だし細川、藤堂、黒田とか親徳川の大名もいるわけで
0070人間七七四年2016/07/29(金) 14:22:15.42ID:mXIkhx0i
そもそも関ヶ原の結果、西国に接収する土地が多く出来たことによる結果論にすぎないからな。
0071人間七七四年2016/07/29(金) 16:28:25.54ID:Ue24aPu0
徳川家として先ず、江戸-京間を勢力下に収めるのが最大目的だったし
0072人間七七四年2016/07/29(金) 23:12:06.80ID:b4Ly/qh4
豊臣を持ち上げたい研究家にしてみれば
あくまでも家康は秀頼の権威を恐れていた事にしたいんだろう
0073人間七七四年2016/07/30(土) 06:57:44.76ID:iuD3R/Av
>>72みたいな勇者なんて、現実社会にはいないだろ
せいぜい、引きこもりの一部に見受けられるくらいだろ

大阪の陣なんて起こさずに、淀君を江戸に押し込んで、身は大和でも摂津でも、仮に壱岐対馬でさえも藩主として生き残ってれば、
三代将軍の義兄弟として政治的に軽視出来ない存在になるのは誰だってわかる。
関ヶ原で毛利上杉を穏便に削ってたにしても、外様を糾合して跡目争いに介入された日には目もあてられないことになる
0074人間七七四年2016/07/30(土) 07:06:14.27ID:dj3xR0pC
家康と秀頼だったら家康の方が格上だけど
秀忠と秀頼だったら秀頼の方が格上になるからねえ
だから家康が生きてるうちに上下関係ハッキリさせる必要があった
0075人間七七四年2016/07/30(土) 08:23:37.01ID:iuD3R/Av
ころしたかったの間違いだろ?
0076人間七七四年2016/07/30(土) 08:36:06.81ID:e1XwGdjL
秀忠のほうが官位は上じゃなかったっけ?
0077人間七七四年2016/07/30(土) 10:04:09.68ID:TgFJZTTL
>>73
はい、史料だして?
0078人間七七四年2016/07/30(土) 10:23:32.63ID:b028s1hC
>>76
秀忠の官歴は、秀頼の後追いだが、秀頼の最終的官位が正二位前右大臣だったのに対し、秀忠は、慶長19年(1614)に従一位右大臣(兼征夷大将軍)なので、この時点で秀忠の方が上のはず。
婿なんだし、秀忠に頭下げれば良かったんだ。
0079人間七七四年2016/07/30(土) 10:31:12.71ID:iuD3R/Av
>>77
え〜?
>>72が引きこもりだって資料出すの?
そりゃ無理だな
ごめんなさいしとく
0080人間七七四年2016/07/30(土) 11:04:38.96ID:yyu6I7k4
秀忠にしてみれば自分の将軍就任時をはじめ、ほとんど無視されているような状況だからな
舅に対する礼儀も知らないのかと腹を立ててても不思議ではないよね
0081人間七七四年2016/07/30(土) 11:34:50.20ID:dj3xR0pC
>>76
この時点では官位は同じ
秀頼は元職で秀忠は現職だけどね
先に同官位に上がった秀頼の方が一応、格上
0082人間七七四年2016/07/30(土) 11:57:47.62ID:b028s1hC
>>81
それは位階が同じなのが前提。官職が同じなら位階が上の方が格上。
0083人間七七四年2016/07/30(土) 12:07:43.26ID:Iw3m/xRN
>>73
それをうまくやった伊達という見本もあるよね
0084人間七七四年2016/07/30(土) 12:10:56.80ID:iuD3R/Av
>>83
成功例もあるのか
0085人間七七四年2016/07/30(土) 13:19:06.91ID:e5W5mMLC
>>84
将軍家の親類縁者となって、表向きは忠節をつくし、将軍家にたてつくもんは伊達家が相手じゃと家康秀忠家光にこびまくり

天下の副将軍として伊達政宗は伊達家安泰の基礎をかためた
0086人間七七四年2016/07/30(土) 16:01:00.69ID:J3bUa81G
家康江戸を建てるって小説は面白かったなあ。
まあ家康が江戸に留まった理由は開墾さえしちまえば土地は広大だし東北の睨みもきく。
西国は秀頼云々というよりも豊臣の影響力が強くてダメだ。
0087人間七七四年2016/07/31(日) 09:24:44.87ID:9RvVlEGb
>>80
まあ家康に比べて秀忠の方が豊臣家及び豊臣系大名に
冷淡かつ強硬だよな
0088人間七七四年2016/07/31(日) 10:42:56.20ID:SM/3HQiu
それが上に立つ者の覚悟のあらわれ
なあなあにしていたり、優柔不断では話にならない
秀忠は家康をひきたてるためにどうしても貧乏くじをひくが落ち度らしい落ち度は実はない
0089人間七七四年2016/07/31(日) 12:42:59.76ID:Cnj7Rbqt
>>88
ないねえ。大体、家康が駿府に隠居しつつも秀忠は操り人形だったが忠実に二大体制を守って間違いを起こさなかったってことが偉い。
自分の器量を推し量って天命を知ることも才能だよ。
まあ、家康も陰で操りつつも2代目も立ててただろうから頭がいい人だったんだろうがね
0090人間七七四年2016/07/31(日) 13:48:00.18ID:yOXoaPXU
>>74
将軍は令外の官
秀忠が将軍である以上秀頼より秀忠の方が上だよ
ちなみに将軍と関白の上下関係はその時代と共に変動する
幕府が政権を執った江戸時代は幕末までは関白より将軍の方が上位とされた
0091人間七七四年2016/07/31(日) 21:38:20.08ID:/kJloSKm
>>90
そういうスレがあるから出てくるな
0092人間七七四年2016/07/31(日) 21:45:13.08ID:oEqrU8OF
0093人間七七四年2016/08/01(月) 21:59:46.79ID:pl87Djm0
鐘銘の件や冬の陣での惣堀埋め立ての件など
本来家康の腹黒い謀略と言われていた話が否定されてきているからな
家康は極悪人、秀頼をはじめ豊臣方はそれに翻弄された被害者、
そう理論展開したい豊臣信者にすればあくまで豊臣は徳川の上だという
展開に持って行きたいんだろう
0094人間七七四年2016/08/01(月) 22:37:45.53ID:cXiW/11/
豊臣秀頼がただの無能なだけだった、そんだけなんだよな
0095人間七七四年2016/08/01(月) 23:49:06.87ID:gkXuD3Jv
>>90
秀忠は朝廷より政権を委任された、いわゆる将軍宣下された時点で秀頼より上の地位になったんだよな
形式的に言えば大坂の陣は秀頼による幕府(朝廷より政権、軍権を預かっている)への「謀反」だからね
0096人間七七四年2016/08/02(火) 01:06:51.62ID:HG6zFwnC
テロ集団大阪城豊臣ってことだわな
0097人間七七四年2016/08/02(火) 07:59:31.87ID:GVRnQ8o+
摂関家の摂津豊臣氏を清華家の武蔵徳川氏が襲撃し、その領地・財産・権威を奪った単なる政治闘争でしょ
0098人間七七四年2016/08/02(火) 08:08:07.21ID:tBl21u3N
>>97
関白を横領した逆賊豊臣秀吉から始まる賊徒豊臣家を、将軍が滅亡させただけだろ
そもそも秀吉に関白就任の正当性がないだろ
なんで、その子供が摂関家になるんだ?
秀吉が近衛の猶子になったとは聞いたこともあるが、養子になったとは聞いたことがない。
0099人間七七四年2016/08/02(火) 08:28:35.50ID:SzBJHqY+
そもそも関白は無理矢理簒奪した秀吉一代限りだったのにな
0100人間七七四年2016/08/02(火) 08:31:23.90ID:SzBJHqY+
それに秀忠は豊臣政権時代の清華家ではなく、徳川政権時代の摂関家を凌ぐ徳川将軍家なんだが
0101人間七七四年2016/08/02(火) 09:48:57.85ID:8NBW+fye
朝廷は豊臣よりだったとほざく奴がいるが、関白を奪われ、昇進を停滞させられた怨念を、
忘れる程彼らはお目出度くない
0102人間七七四年2016/08/02(火) 10:31:04.97ID:HG6zFwnC
秀頼は関白になった事実すらないからなあ
0103人間七七四年2016/08/02(火) 12:51:59.93ID:3k34+zDw
>>101
帝は豊臣贔屓だったが、廷臣はアンチだったろう。特に摂関家は。
0104人間七七四年2016/08/02(火) 13:13:51.93ID:3enpF6iZ
後陽成天皇って秀吉指定の兄が廃嫡されたから天皇になれたんじゃなかったっけ
0105人間七七四年2016/08/02(火) 13:15:59.87ID:3enpF6iZ
違った。後陽成天皇じゃなくて後水尾天皇だ
0106人間七七四年2016/08/02(火) 14:48:24.08ID:3k34+zDw
後陽成帝は1611年まで在位された。
0107人間七七四年2016/08/02(火) 19:55:59.78ID:8NBW+fye
>>103
後陽成天皇の秀吉への態度は、下賤の者を使ってやろう位の上からの慈悲と考えている
0108人間七七四年2016/08/02(火) 20:06:16.65ID:mn5ryuOE
公家だけど大坂城に入城して夏の陣で討死した持明院基久

何を思って入城したんだろうか。豊臣家に恩でもあったのだろうか?
0109人間七七四年2016/08/02(火) 20:24:46.02ID:unvssqpl
ただのバカだったんじゃねえの
0110人間七七四年2016/08/02(火) 22:06:01.86ID:8NBW+fye
>>108
娘が後陽成天皇の典侍なのだが、二度も後陽成天皇の不興を買い追放されており、
何がしか朝廷への復讐でも考えていたのかもしれない
0111人間七七四年2016/08/02(火) 22:25:57.53ID:4oQer8Jo
>>103
公家でも近衛信尹とか菊亭 晴季とか秀吉恨んでそうだしね
二条昭実とかも徳川に好意的だし秀吉の事面白く無く思ってそう
0112人間七七四年2016/08/03(水) 07:03:45.14ID:fPbUpwo7
>>98
>そもそも秀吉に関白就任の正当性がないだろ

正当性は、近衛前久が菊亭晴季に唆されて作った
秀吉は、近衛家の眷属として関白に就任できるだけの建前上の正当性がある
だから、当時はまだ秀吉に牛耳られていない朝廷もそれを許した
そして、この時点では、その正当性は、あくまで秀吉と近衛前久と約束(信輔に
関白職を譲り、関白は再び五摂家間の持ち回りに戻す)という前提条件が
ついている

>なんで、その子供が摂関家になるんだ?

上記の建前上の正当性の前提条件を反故にできたのは、新姓(豊臣氏)下賜
という新たな建前上の正当性を獲得したから
そして、豊臣家を摂関家として存続させる新たな前提条件として、後陽成天皇の
六宮胡佐丸を猶子とし、将来的には豊臣氏の養子として関白を譲るということを
後陽成天皇に約束することによって、豊臣摂関家を成立させた
さらに、鶴松が生まれたことで、六宮に八条宮家を創設させるということを
前提条件に、実子に関白を継がせることの承認を得た
その権利は、養子の秀次、そして秀頼に引き継がれた

金と軍事力を背景にしたものとは言え、秀吉は前提条件付き正当性を着実に
積み上げることで、建前主義・前例主義の朝廷から権利を獲得していってる


 <権利獲得>                <それを朝廷に納得させる建前・前提条件(交渉相手にチラつかせた利権)>

  関白(一時リリーフ)就任            秀吉は羽柴氏ではなく、近衛家となる
                             関白相論に苦しむ信輔の地位を保全し、彼に関白職を譲る
                             (秀吉ごときに関白を譲るのはあくまで信輔のためッスよ、前久さん! by 菊亭)

  前回の前提条件をチャラにして        豊臣氏の創設
  秀吉の関白恒久化               (でも実子なしだから、事実上は一代限りなんで大丈夫ッス by 菊亭)

  豊臣氏を摂関家として              六宮に豊臣摂関家を譲る 
  関白を豊臣氏の恒久的な権利化      (弟に摂関家の地位を与えるのだから、後陽成さん的にはウレシイですよね? by 菊亭)

  前回の前提条件をチャラにして        六宮に八条宮家を創設させる
  秀吉の子供に豊臣摂関家継承を認める  (藤原さんはともかく、後陽成さん的にはウレシイですよね? by 菊亭)


この着実な権利奪取と、菊亭さんの巧みなサポート
菊亭さんは、保険の勧誘員になれば歩合で大儲けできるはず
0113人間七七四年2016/08/03(水) 07:25:56.69ID:elENUFW9
朝廷を調略
0114人間七七四年2016/08/03(水) 07:35:47.92ID:Kg3JSCq9
>>112
常識的に考えて、眷族が氏長者になれるわけないだろ
藤原氏長者=関白の時代に、相続件の無い藤原の猶子が関白に就任した時点で、保守的な人間からしたら横領以外の何物でもない。
サヨクからしたら革命的行為で賞賛するだろうがな

現代であれば、詐術と恫喝の違法行為で、作成された契約として、成立時に遡って破棄される行為だろ
0115人間七七四年2016/08/03(水) 08:13:38.25ID:WKBYcWM+
>>112
そんな恩のある菊亭を流罪にし、北政所の嘆願を拒否して
その娘を処刑してるんだから、秀吉もひどいよな
0116人間七七四年2016/08/03(水) 11:58:20.09ID:elENUFW9
一の台は出家で勘弁してやれば良かった。それが公家流のやり方。
0117人間七七四年2016/08/03(水) 15:33:49.37ID:3jfZ35Ws
男子は処刑しても、女子は助命するのが普通じゃないか
大坂の陣でも国松は処刑されたけど、奈阿姫は助命されている
0118人間七七四年2016/08/03(水) 18:07:27.54ID:HYQQlo61
千姫も逃がしてもらったしな
0119人間七七四年2016/08/03(水) 18:29:52.94ID:JLUHCuLc
千姫は助命嘆願に差し向けられたんじゃないの?
それで家康はともかく秀忠の印象が余計悪くなったわけで。
0120人間七七四年2016/08/03(水) 18:34:30.82ID:tICbxLYQ
アレほんと話が逆だよなあ。「自分が切腹するから戦姫達は助けて」って徳川方に呼びかけるのがまずは筋だわ
0121人間七七四年2016/08/03(水) 19:43:22.30ID:+e0c9u+x
特に淀なんてその立場だよな
我々責任者は切腹するから子供たちには寛大なるご処置を、ってなるのが当たり前
お市のかたがなんで勝家とともに自害したのかすらわかってねえ
0122人間七七四年2016/08/03(水) 21:54:40.44ID:WKBYcWM+
秀吉は主君であった信長の遺児に自分がしてきた事を棚に上げ
秀頼の庇護を無様に諸大名に嘆願する
茶々は二人に父と母が誇り高く城を枕に自害したにも関わらず
無駄にプライドを振り回した挙げ句、最期には嫁を使って命乞い
秀頼は大坂城にひたすら引きこもり状態、牢人武将達の出馬要請にも
城から出ず、牢人武将達が全滅状態になって漸く城から出たかと思えば
蔵に逃げ込み命乞いと救いようがないな
0123人間七七四年2016/08/03(水) 22:14:41.71ID:7OWqrsN4
秀吉は秀次事件でも容赦なかったしな
最上義光とか不憫すぎ
0124人間七七四年2016/08/04(木) 05:28:19.64ID:AtK76RnR
>>117
一の台は女児じゃなくて一の御台所だから処刑するしかないじゃろ
0125人間七七四年2016/08/04(木) 07:57:28.91ID:JsEv0jwg
池田家出身の若御前は助命されてるが。
0126人間七七四年2016/08/04(木) 10:10:18.21ID:AGJMIcIp
今出川晴季は、今の政界でいえば竹中平蔵・世耕弘成・山本一太あたりか
秀次に関わっても失脚したけど、復帰して右大臣還補だから、まあまあ勝ち組だよね

賭けた勝負で裏目に出まくった負け組の近衛前久とは大違いだ
前久は民主党だな
0127人間七七四年2016/08/04(木) 10:45:47.59ID:JsEv0jwg
前久は、関白、太政大臣、准三宮で位人臣を極めてるし、外孫の後水尾天皇が即位している。
息子の信尹も結局は関白になれた。
公家社会では勝ち組。
0128人間七七四年2016/08/04(木) 13:56:13.71ID:VVItbMXr
>>127
近衛って摂関家だろうが
生まれた時点で公家社会の勝ち組じゃねぇか
0129人間七七四年2016/08/04(木) 21:49:20.39ID:R6nlduyT
>>122
そもそもこの頃の武士は御恩に対しての御奉公であって
秀頼の代になって諸大名に与えたご恩なんて一つもないのに
秀吉時代の旧恩に頼って諸大名が味方すると考えた豊臣方の
考えの甘さは救いようがないし、いまだに秀頼は諸大名達に
強い影響力を持っていて、少なくとも二条城の会見までは
家康は秀頼に遠慮してたと主張する研究家達は何だろうと思う
0130人間七七四年2016/08/04(木) 22:12:09.51ID:wjZpe3JV
>>118
千姫護衛の任に就いた堀内氏久とか南部左門って今風に例えれば、
お先真っ暗なフリーターがたまたま大財閥の令嬢を護衛する機会があって
運よくその財閥に就職できましたって話だしな
ある意味男のロマン
0131人間七七四年2016/08/04(木) 23:59:41.73ID:DMAz7gGu
>>129
家康は一応外様大名にも加増してるもんな(三大都市圏からは遠ざけたが)
0132人間七七四年2016/08/05(金) 01:52:47.94ID:I7rZFDLE
秀頼を悲劇のプリンスに仕立て上げる輩ってなぜか「実父は秀吉ではない」には反発しないよな
0133人間七七四年2016/08/05(金) 09:39:21.86ID:Qvvq1fhz
>>132
実は秀頼は天皇陛下の子供だったとか
0134人間七七四年2016/08/05(金) 11:51:39.02ID:VmVz5U80
淀次第の話だな
0135人間七七四年2016/08/05(金) 16:14:49.32ID:9bW0VuPS
淀さん誰とでも寝る説
0136人間七七四年2016/08/05(金) 16:50:38.54ID:iWBX6g5V
秀頼が何かしらの活躍なり才能の片鱗を見せるなりするかせめて散り際を美しくすれば
さすがは太閤閣下の血は争えんわいってなったんだろうけどそうじゃないからね
0137人間七七四年2016/08/05(金) 19:50:31.51ID:U3D7P9zu
なんにもしない秀頼、御輿として担ぐ連中もバカばかり
0138人間七七四年2016/08/05(金) 21:33:37.00ID:3pP5I9xJ
実際何の実績も残していない秀頼だから
豊臣信者や豊臣贔屓の研究者達は、
一度も発揮された事のない隠れた素質とやらや
いざ実際の決戦の際にはなんの効果のなかった
豊臣系や主に西国大名への影響力を家康が
恐れていた事にしたくてムキになってるんだろう
0139人間七七四年2016/08/06(土) 05:01:20.42ID:Ugms4Veu
秀頼のイケメン化のためには猿顔の秀吉の子供じゃないからwとしといた方がいいんだろうな
0140人間七七四年2016/08/06(土) 05:38:16.36ID:3/t7entW
>>137
御輿は軽い方が良いからアセ
0141人間七七四年2016/08/06(土) 06:13:21.48ID:xa1lgzwj
秀頼公も御運がない

豊臣恩顧の清正・幸長が直前に怪死してるもんなw
0142人間七七四年2016/08/06(土) 07:47:36.63ID:BzcqbrpF
>>125
恩人池田恒興の娘と言えど、例外とはなっていない。
一説によれば秀吉は除名しようとしたが、若御前自身が助命の申し出を拒否し、
処刑されたとされている。
側室が皆殺しになるのに、自分だけが生き残ることはできない、と。
0143人間七七四年2016/08/06(土) 23:55:17.80ID:M7zk2NuF
>141
清正も幸長も二条城の会見の際は
秀頼の御供じゃなくて自分達の婿になる
家康の息子の御供してたけどな
0144人間七七四年2016/08/07(日) 02:13:11.17ID:N0R4quLk
>>143
笠谷和比古「義直と頼宣は秀頼に対する人質だぞ」
0145人間七七四年2016/08/07(日) 09:37:17.87ID:A9pj1UkO
>>143
それは婿のためと秀頼のための両方の意味があるだろ
0146人間七七四年2016/08/07(日) 11:51:09.40ID:d94gCPk/
>>145
ねえよ。細川の記録によると、この二条城会見の後、秀頼は清正の屋敷で休息を取ろうとしたが、
清正は色々理屈をつけて断わり、秀頼を不快にさせたとある。清正は明らかに、秀頼と結びつく事を嫌がっていた。
0147人間七七四年2016/08/07(日) 12:13:06.68ID:nL4b24vk
まぁそんなもんだよね。
0148人間七七四年2016/08/07(日) 13:19:08.46ID:LGe3FMjl
秀頼自体尊大っぽいもんな
0149人間七七四年2016/08/07(日) 16:06:41.83ID:8a9o6MsF
昭君之間とか一応あるらしいが
ショボイんだろうなw 松井佐渡が家政を取り仕切ってたらしいが

加藤トラノスケw
0150人間七七四年2016/08/07(日) 16:18:14.95ID:XLF2GwS+
確か昭君の間って秀頼の為の部屋じゃなかったんじゃないっけ?
0151人間七七四年2016/08/07(日) 16:26:36.08ID:tY8WZKVc
>>150
秀頼に限らず貴人用のゲストルーム
だから普段使いせずいつでも来客対応できるように
綺麗にしておいてた
0152人間七七四年2016/08/07(日) 19:25:29.53ID:YC8ys0Tw
秀頼を迎えるにしても「しょうく゛んの間」は無いよね
0153人間七七四年2016/08/07(日) 19:25:36.65ID:DAHv2pKM
豊臣信者ってなんで史料ですぐ反論される話題を出すんだろう
0154人間七七四年2016/08/07(日) 19:57:58.02ID:tY8WZKVc
>>152
アレはこじつけだよなー

単純にVIP用ゲストルームの内装だと考えれば
「遠方からの旅人」モチーフかつ有名な古典題材で
しかも美女だから絵的にも華やか
中々気の利いた題材選びなんじゃね
0155人間七七四年2016/08/07(日) 21:02:37.49ID:QwWtrlyc
大阪の役の時、キリシタン大名が結構いたと聞く。
0156人間七七四年2016/08/07(日) 22:39:53.33ID:TMJquLBJ
>>146
屋敷の前に船を固定して、金屏風で囲って接待したんだっけ
いくら金屏風で囲ったとはいえ、外のそんな不用心な場所で
本当に大事だと思う相手を、普通は接待しないよな

>>155
だから宣教師の報告は豊臣方に同情的だという意見があるな
0157人間七七四年2016/08/08(月) 08:36:59.50ID:uyVX36yc
>>146
その話の出典が綿考輯録(細川家記、編纂史料)なのか忠興書状なのか
ちょっと気になった
忠興書状だったら平常運転ですなあw
0158人間七七四年2016/08/08(月) 10:28:05.17ID:qA03O3xE
幸長だって秀次事件で流罪にされたりしているし、それほど豊臣家に強い恩義は持ってないんじゃないかね
0159人間七七四年2016/08/09(火) 21:54:11.97ID:0K2mSbHe
と言うか本当に豊臣に強い恩義を感じてて
忠節を尽くした家ってどれだけあるんだ?
0160人間七七四年2016/08/09(火) 21:57:23.45ID:btdLeMF6
>>159
いわゆる譜代衆以外皆無
0161人間七七四年2016/08/10(水) 01:22:58.92ID:jGae0GlH
大坂の陣、道明寺の戦いにおいて後藤基次が孤立し、討死しましたが
その原因は濃霧で後続の軍が遅れたからだけではなく、見殺しにされたという説を拝見しました。

・霧が発生したとはいえ、半日近く経っても後続が到着しないのはいくらなんでも不自然である
・基次は和睦派で主戦派の信繁らと折り合いが良くなかった
・後続隊は本当なら間に合うはずだったが、現地に着いた基次隊からの報告を受けて不利を悟り、穏健派の基次がいなくなるだけならと進軍をさらに遅らせた

と、以上の理由が推測されていましたが信憑性のほどは如何でしょうか?
0162人間七七四年2016/08/10(水) 05:13:25.79ID:pYLzNfs6
島津みたいに「もう豊臣への恩はオワタ今は徳川に恩を受けてるからムリポ」というのがほとんどだったろう
とはいえ、黒田も細川も福島も一族や元家臣が大坂城に入ってるから徳川としてはどこまで忠節尽くしてるのか不安はあったろうな
0163人間七七四年2016/08/10(水) 19:24:13.32ID:Thls700e
◆「得票0に疑義」と提訴 参院選でJAM組合員
http://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html


実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、

豊島区ではなんとゼロ票 

              中央区ではゼロ票。

                        江東区ではゼロ票、

                                   荒川区ではゼロ票 

                                            足立区ではゼロ票 

                                                      通常、こんなことは考えられない。


慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
0164人間七七四年2016/08/10(水) 21:31:34.58ID:4GHw0h0h
>>162
細川興秋なんて今までの忠興の功績を考慮して幕府が赦免してくれたのに、
忠興が許さず切腹させたって説があるくらいだしな
0165人間七七四年2016/08/10(水) 21:59:47.24ID:LWsuJwAQ
>>164
さすが三斉様。切腹させて幕府の信頼度アップをゲットだぜ。
0166人間七七四年2016/08/11(木) 08:06:45.55ID:/W7snC5m
>>158
ないどころか、秀次派だった幸長は秀頼を激しく憎んでいた。
0167人間七七四年2016/08/11(木) 09:52:25.23ID:ySfNlVml
ということは幸長が死んだことは秀頼にとってラッキーだったんだ。
後を継いだ長晟は江戸育ちで、徳川への忠誠心は盤石でも
秀頼スレイヤーの幸長のように「秀頼死すべし、情けはない」とまでの
敵愾心は無かったろうしね。
0168人間七七四年2016/08/11(木) 12:44:40.35ID:NEhpieJU
木村重成はオヤジが秀次派で粛清されたのに
秀頼の片腕となって付き従った。
幸長の器が小さいだけ。
0169人間七七四年2016/08/11(木) 12:59:32.65ID:ySfNlVml
重成どっかに流罪されましたぁぁぁ?
流罪→切腹命令書→妻妾皆殺しの黄金パターンに嵌められた秀次一族の末路
を見た幸長の器がぶっ壊れるのは仕方ないのでは?
0170人間七七四年2016/08/11(木) 13:30:30.43ID:LLkBjW+y
妄想でヒートアップしてる暇があるなら夏休みの宿題でもやってろ
0171人間七七四年2016/08/11(木) 13:33:35.47ID:KFuTaf1U
伊達、毛利、島津とか秀吉さえ来なけりゃ地方の覇者になれていたであろあ大名家って豊臣への恩なんて感じていたんかね?
0172人間七七四年2016/08/11(木) 13:44:24.92ID:hXUUjsDE
物心つく前に秀次事件に巻き込まれた重成と一家の長として連座した幸長じゃ比較の対象としては不適当
さらに重成は秀頼の小姓として成長してるから秀頼に対する心情はまったく違うだろうよ
0173人間七七四年2016/08/11(木) 22:03:46.12ID:Ncxd0e7+
>>167
>後を継いだ長晟は江戸育ち

いや長晟は文禄3年に豊臣秀吉に仕えて3,000石を与えられていて
秀次事件の時は秀頼の小姓頭をやっており、秀忠に仕えたのは
関ヶ原以降っていう話がある
その所為か、逆に大坂の陣での豊臣からの使者の扱いが一番酷かったのが
長晟だったという説もあった気がする
0174人間七七四年2016/08/12(金) 16:11:52.89ID:U7CJHDok
秀次事件に連座した伊達政宗の庶長子の秀宗も最初秀頼に仕えたけど、関ヶ原後江戸で人質になったんだよね
0175人間七七四年2016/08/14(日) 10:50:13.06ID:kA8r/Rdg
>>168
時流に乗らず忠義を尽くしたと言えば聞こえは良いけど
勝つ見込みがない戦を止めもせず犬死にしただけとも言える。
0176人間七七四年2016/08/14(日) 14:48:45.40ID:vsM7g1G4
浅野はずっと領国安堵なんだよな
北政所がやはり・・・
0177人間七七四年2016/08/14(日) 17:39:59.45ID:x5z9UYv7
北政所が領地差配を勝手にやらかした木下勝俊は改易。
0178人間七七四年2016/08/14(日) 19:07:57.11ID:/qpwma2z
>>175
止めもせずどころか重成は誰よりも強硬派だったんだよなあ
あの若さなのに信じられないぐらいのやりたい放題で将来が楽しみな狂犬ぶりである
0179人間七七四年2016/08/14(日) 19:13:54.55ID:orvVQ8bt
>>178
古今東西、若い奴の方が理想主義に走りやすい
0180人間七七四年2016/08/14(日) 19:52:12.93ID:/qpwma2z
>>179
というか当時の大坂方の指揮構造どうなってたのか
若い重成が強権振るってるあたりかなり不穏な感じだよな
0181人間七七四年2016/08/14(日) 19:58:03.02ID:M1FE6jss
>>180
木村重成とか渡辺糺といった「若手将校」が、権力を得るために大野治長なんかと組んでやったのが
片桐且元追放劇だからな
0182人間七七四年2016/08/14(日) 20:02:31.60ID:fcGHISPm
秀頼の意を体して行動してただけじゃないかな
大坂城中の誰よりも秀頼が対徳川強硬派で大野や木村は主の意向に沿って行動していただけとか
通説だとあまりに秀頼の存在感が無さ過ぎる
0183人間七七四年2016/08/14(日) 23:32:15.79ID:a7tPgKyj
「真田丸」で浪人衆が出始めたな
0184人間七七四年2016/08/15(月) 22:56:08.05ID:+LgOmx7B
>>6
>方広寺の鐘銘に難癖をつけた

戦国時代のある時期くらいまでは諱で呼ぶ事が敬意を払う事になってたみたいだけど
書状とか見ると、秀吉政権の末期ころから段々官名とかでまた呼ぶようになってきてるし
この時代寺社の境内とかに憎む相手の名を書いて、仏神の力で罰や災厄を与えようとする
「籠名」って呪詛があったらしいし、豊臣方のやる事は迂闊な事が多いな
0185人間七七四年2016/08/16(火) 11:50:17.90ID:YujcLT5/
最近発売されている小中学生向けの学習漫画では
大坂の陣関係では
国家安康→言い掛かり
内堀の件→だましうち
という解釈がほとんどだな

ただ、この行動は、家康の私利私欲から動いたわけではなく、
天下泰平の世を築くための非情な決断だったという流れになっている
家康の人物像も、従来イメージされている陰険な性格などは強調せずに、
平和な世を作るために律儀な面と非情な面を使い分けながら天下を取る
スケールの大きい人物として描かれている
0186人間七七四年2016/08/16(火) 11:56:14.24ID:IAXzfdNz
子供向けにはそのほうがわかりやすいしな
0187人間七七四年2016/08/17(水) 23:07:08.53ID:ZAShE7Bs
>>184
所詮秀長や秀次が居なければ成り立たない政権だからね仕方ないね
秀吉は天下を取る才能は日本一だが先のビジョンを構想する力は農民以下
0188人間七七四年2016/08/17(水) 23:31:38.21ID:inRaBNcC
徳川家康→悪い人

豊臣秀頼→いい人
0189人間七七四年2016/08/18(木) 06:06:41.52ID:Hx8ef1YF
>>184
豊臣ってその方広寺にまた祀られてんだもんなあ
0190人間七七四年2016/08/20(土) 18:44:45.85ID:Du/Iu+wC
>>168-169
木村重成は木村家ではない。秀次事件で族滅した木村重?の跡を継ぐため
篠原家から木村家に養子として入っただけだ。篠原長房の孫という説が
有力だが、どの篠原家かははっきりしていない。
0191人間七七四年2016/08/20(土) 20:19:21.17ID:+FVB8aym
当時の城って、単体で篭城すること自体が稀で
支城もって防御ネットワーク作るのが普通でしょ
大阪城あるから大丈夫! って発想自体が、戦知らず世代の決定っぽい
0192人間七七四年2016/08/20(土) 20:26:49.94ID:7TW6qEDL
>>155
小西行長が当時西洋で一番有名な日本人だったらしい
処刑されたと聞くやミサが開かれたっていうし
劇も演じられたって
0193人間七七四年2016/08/20(土) 20:35:47.57ID:Du/Iu+wC
>>155
徳川幕府の禁教令(慶長の禁教令)が効いている。
この影響で、豊臣方にキリスト教徒が集まっている。

また、豊臣秀頼の後ろにスペインがあったという説もあるが、流石に現段階では
飛び過ぎか。
0194人間七七四年2016/08/20(土) 20:45:12.13ID:eKeT/cdb
>>190
同族の佐々木からってのはネットで拾ったけど篠原は見つからんかった
本当に有力なの?
0195人間七七四年2016/08/20(土) 20:50:11.58ID:Du/Iu+wC
>>194
重成の弟が大阪の陣後、篠原姓に戻って許されている。
それから、篠原姓は明らか。
0196人間七七四年2016/08/20(土) 20:53:05.35ID:Du/Iu+wC
また、篠原長房の孫が有力な理由は、篠原長房の子が豊臣秀吉の用人として
仕えたといわれることから、その縁と言われている。
0197人間七七四年2016/08/20(土) 21:05:58.99ID:eKeT/cdb
てことは篠原に改姓して落ち延びていたって海東村史は否定されたってことやね
0198人間七七四年2016/08/20(土) 23:40:53.27ID:VK91LeEC
>>193
禁教の元祖は秀吉なんだがな。
0199人間七七四年2016/08/21(日) 01:20:12.63ID:TUO2vYn1
秀吉の禁教令は伴天連を追放してたけど、一般の信者もダメだったの?
0200人間七七四年2016/08/21(日) 05:01:16.40ID:Aosm0mzG
26聖人は聖職者ばかりじゃないぞ。
0201人間七七四年2016/08/21(日) 12:36:37.13ID:Hd4I3dCd
秀吉が伴天連追放令を出した後もキリシタン大名はいっぱいいた
0202人間七七四年2016/08/21(日) 14:56:15.09ID:L+Ps4oQL
宗教は難しいわな
弾圧すると自己陶酔で盛り上がるし放置すれば増殖する
政教分離がいかに大事かわかるわ
0203人間七七四年2016/08/21(日) 22:56:19.01ID:lPgr8b2Y
>>199
そこまで徹底することは出来なかったんだろう
0204人間七七四年2016/08/21(日) 23:37:22.19ID:OSU/Mrta
一向一揆や本願寺との戦いがあったように
宗教勢力は下手な大名よりもよっぽど手強いからな
0205人間七七四年2016/08/24(水) 23:10:03.08ID:h+/XxS+Z
冬の陣は豊臣の勝ちだの大坂の人後徳川は十万人以上虐殺したとかの根拠は宣教師の報告だからなぁ
0206人間七七四年2016/08/25(木) 03:30:11.61ID:PFYq+wbg
明石全登出るのかな例の大河w
0207人間七七四年2016/08/25(木) 10:55:22.59ID:rPvz/Bn/
明石全登とか水野勝成とか出た大河ってあるのかな
勝成なんて本能寺の頃から島原の乱の頃まで出せる主人公にしたら
面白い題材だと思うけど
0208人間七七四年2016/08/25(木) 16:51:07.59ID:qnqW66nB
徳川家康やればいいのにな今度は
大高城兵糧入れから大坂の陣までネタがありすぎる

官兵衛〜幸村とNHKはオシッコ失禁豊臣方か
0209人間七七四年2016/08/25(木) 20:49:25.46ID:KMJN3rIx
>>208
家康のどこに焦点をあてるかだよや
江戸開府とかまでやるとドラマなら三年くらいやらないとな
たまには竹千代時代のみでやってみろや
0210人間七七四年2016/08/25(木) 21:57:09.14ID:Jj3TomLe
つか特定の人物じゃなくてもいいじゃん
関ヶ原とか大坂の陣とか、1つの合戦を焦点に当てれば
この2つは前後の出来事合わせれば1年持つ
0211人間七七四年2016/08/25(木) 22:16:14.22ID:s1OhRGIH
関ヶ原と大坂はもうやりつくされてるんだよな
0212人間七七四年2016/08/27(土) 07:01:56.83ID:1ufl7YGa
>>200
26聖人は特に布教が強引で悪質なフランシスコ会関係だったからな。
禁教令など知ったこっちゃない、という感じ。(イエズス会は一応自粛していた。)
0213人間七七四年2016/08/28(日) 01:49:03.58ID:eNvV8vq6
>>210
関ヶ原大坂で今更特定の人物を大河に押す人は逆に他の人物だとどこが面白くないのか聞きたいよな
0214人間七七四年2016/08/28(日) 02:07:03.46ID:BMJrKiRF
>>213
そうすると中学レベルの知識で大河を見ている大半の層にとって分かりにくいドラマになるんじゃないの?

主人公を立てることで、ご都合主義ではあってもその主人公の視点で共感したり感動したりできる。

ドラマはあくまで万人向けのエンターテイメントで、歴史好きの一部の人を満足させるためには作っていないと思う。
0215人間七七四年2016/08/28(日) 03:54:18.25ID:eNvV8vq6
>>214
その主人公にしてほしい人物がいるというならそいつ以外だとどこがダメなのか一人一人聞きたいんだ
0216人間七七四年2016/08/28(日) 08:55:31.25ID:kxRqSCr0
>>215
それは正解がない以上聞いてもw
0217人間七七四年2016/08/28(日) 21:59:25.07ID:JtoSc8Vr
別に自分が脚本を書くわけでもプロデュースするわけでもないのに、他人がああして欲しい、こうして欲しいと言うことがイチイチ気にさわる人の方が、どんだけナイーブなのかと心配になるよ
0218人間七七四年2016/08/28(日) 22:46:18.24ID:eNvV8vq6
>>217
もはや誰でもいいのに希望するほど面白い人物がいるなら他の人物の名前をあげる人にそいつのつまらない点を教えて本当に面白い人物を勧めるべきだろ
0219人間七七四年2016/08/29(月) 00:07:31.21ID:6u8rbA3E
素人視聴者が考えた僕の大河ドラマ!みたいな書き込みどーでも良いw
0220人間七七四年2016/08/29(月) 00:15:01.53ID:m3Rjc4M0
214で答えは出てるだろう
視聴者が十分な知識を持ち合わせてるわけでは無いんだから
大河で群像劇をやるよりかは登場人物の中の特定の人間か集団にスポットを当てて
話を分かりやすくした方がいいという話
0221人間七七四年2016/08/29(月) 00:20:20.05ID:Jg3Q7nYs
>>218
どこの何者でもないお前の御高説なんざ誰も真面目に聞きゃしねーよ
0222人間七七四年2016/08/29(月) 00:57:10.23ID:qR8tG/9Z
>>220
来年の大河ドラマはキツそうだな
0223人間七七四年2016/08/29(月) 01:47:16.60ID:m3Rjc4M0
>>222
近年の女性主役の大河でハードルは確実に下がってるから
演出次第ではそこそこ受け入れられる可能性もあるとは思う
主役の事跡が少ないことがかなりの不安要素だけども
0224人間七七四年2016/08/29(月) 02:55:14.31ID:TE8R17Nv
質問があるんですが
徳川が天下取ったあと、家康か秀忠か家光か誰か忘れたけど秀吉の死体を掘り起こして
市中引き回しの刑にしたとか誰かが言ってましたがマジですか?
0225人間七七四年2016/08/29(月) 03:15:35.07ID:30G5pelg
嘘です。
0226人間七七四年2016/08/29(月) 04:06:03.85ID:iEr016RF
>>224
そもそも徳川安泰すぎてその段階で秀吉なんてもう忘却の彼方だな
0227人間七七四年2016/08/29(月) 05:33:11.90ID:Zo9z3+ya
一応、親戚みたいなもんだろ
結城秀康はいるわ朝日姫()とかそら非道すぎるわな
0228人間七七四年2016/08/29(月) 08:03:55.05ID:AhrAgWog
>>222
直政、ひいては家康の活躍を陰から見守っていたことにすればええ
0229人間七七四年2016/08/29(月) 10:33:13.26ID:5HtTZPf6
つか来年の大河はどうも、直政が死ぬまでやるっぽいぞ
0230人間七七四年2016/08/29(月) 12:20:19.91ID:TE8R17Nv
>>225>>226>>227
サンクスです
非道じゃなくてよかったです
豊国神社かなんかが壊されたんですよね?荒れ放題だったとか
それと混同したのかも
0231人間七七四年2016/08/29(月) 12:49:32.91ID:qv58D9BA
井伊直虎とか犬NKのアホがネタ切れで無双シリーズ参考にした時
知らない名前があったからこれにしようと決めた感ありありだわ
0232人間七七四年2016/08/29(月) 13:27:44.48ID:+W6PNGKf
女君主って言っても中継ぎ感満点だしな
苦労はしただろうがそれはほかの武将だって同じ。
そして舞台が家康の家臣のひとりの武家ってだけ
スケールちいさい
0233人間七七四年2016/08/29(月) 15:23:31.13ID:39mnkSFz
最下層直参から見た家康さまカッコ良い!なドラマかね。
0234人間七七四年2016/08/29(月) 22:31:42.25ID:/KPNmgmo
大坂に出てこいつを大河にと言われる武将なんて他の時代なら名前も出てこない小物ばかりで女に不満爆発できるほどじゃない
0235人間七七四年2016/08/30(火) 04:09:46.26ID:uJzCFVet
秀頼を外見も性格もイケメンにする人って結局戦場には出ないわ蔵で命乞いするわはどう思ってるんだろ
妄想展開ありきのキャラ付けするならオリジナルでやれよ
0236人間七七四年2016/08/30(火) 06:16:55.97ID:1mSkLC9g
そもそもさあ
大坂の陣のときに本当に秀頼なんて居たのか?
とっくに殺されてたんじゃねえの?
0237人間七七四年2016/08/30(火) 12:36:59.15ID:hPnZzX5A
秀頼はすでに大陸に渡りヌルハチに
0238人間七七四年2016/08/31(水) 06:15:54.34ID:V99qqU9X
>>228
むしろ今までの女主人公の大河を見るに
家康や直政は人が好いだけのアホで、全て直虎が考えて行動した事になる可能性が99%
0239人間七七四年2016/08/31(水) 08:27:40.43ID:+HWW+/kp
女は強い、だのしたたかだのつまらん展開になるかもね
0240人間七七四年2016/08/31(水) 09:25:23.47ID:qjORORjh
テレビは女子供の見るものだから視聴率稼ぎの為女贔屓になるのは仕方ない
0241人間七七四年2016/08/31(水) 13:44:17.24ID:+HWW+/kp
実際すごく苦労した人物なんだろうけどドラマになると途端に安っぽくて安易なべた誉めに走るからな
0242人間七七四年2016/08/31(水) 15:59:54.47ID:4LGUqGSJ
何時の間にやら大河ドラマを語るスレになっているね
0243人間七七四年2016/08/31(水) 16:07:56.31ID:JCxHWAr8
>>232
女君主とは誰のことだと一瞬考え込んでしまった

それを言うなら女地頭だ
0244人間七七四年2016/08/31(水) 16:28:51.28ID:+HWW+/kp
女城主、かな
君主では秀吉やら徳川やら含めて日本全土を支配したみたいだな
地頭役職はあの時点でもう消滅してないか?
0245人間七七四年2016/08/31(水) 16:58:47.81ID:J082zMAk
国人領主の名目としては残っている
0246人間七七四年2016/08/31(水) 18:04:27.68ID:TXHeZFxP
関東管領とかの役職だと上杉だけどあれも秀吉政権下だと存在できてたのかね
割と中央集権化してるイメージで。
0247人間七七四年2016/08/31(水) 18:14:22.85ID:EDtdrw02
あれは室町幕府の役職だから豊臣政権だと何の意味もないんじゃね
0248人間七七四年2016/08/31(水) 18:26:00.55ID:J082zMAk
謙信ですら最後はあまり名乗らなくなった事から察してください
0249人間七七四年2016/08/31(水) 18:32:24.26ID:Itx90Hyt
晩年はその戦略失敗したって感じ出てた
でも後継の景勝は上杉ブランドは大事にしたね
0250人間七七四年2016/08/31(水) 19:53:15.18ID:xuTMwu2Y
だって他にプライドもてるとこないもんな
謙信が築いた強い上杉ってのがあるだけで特に他はなにもない
0251人間七七四年2016/09/02(金) 21:02:39.18ID:FEIQnL9a
実は創作だった通説・俗説でスレ違いと指摘されたのでこっちで質問させてもらいます

方広寺鐘銘事件で家康は且元には面会も許さずに側近らに厳しく詮議させる一方で
大蔵卿局に対しては上機嫌で応対して安心させて
両者の報告を食い違わせることで豊臣家の内部分裂を狙ったと言われてるけど
豊臣家の家老で方広寺再建の責任者である且元と
奥向きの実力者とはいえ淀の側近でしかない大蔵卿局とじゃ
対応が違うのって当たり前じゃないですかね?
この件で大蔵卿局を詮議しても何の回答引き出せないでしょうし
0252人間七七四年2016/09/02(金) 21:19:14.70ID:dKSbma+C
そもそもカツモトが豊臣に滅私奉公してたわけでもなし
落ち目豊臣がわがまま放題ならお話にならないよね
0253人間七七四年2016/09/02(金) 21:30:21.58ID:lNejkM96
>>251
その可能性は十分あるけどそれ以上考察を深められる史料がないのが残念
0254人間七七四年2016/09/02(金) 21:40:14.67ID:yYkUGriY
考察を深める資料はないが豊臣家を陥れるための一連の陰謀の一つとして語られるのでした
0255人間七七四年2016/09/02(金) 21:48:10.46ID:lNejkM96
>>254
ファッキュー徳富
0256人間七七四年2016/09/02(金) 21:58:34.44ID:ftxWEGGq
まあ明治後は関ヶ原にしても大坂の陣にしても
家康の陰謀通りに事が運ばれたみたいな通説が根強いからね
本当にそうだったら家康どれだけ凄いんだよって話になると思うんだけどね
0257人間七七四年2016/09/02(金) 22:16:41.37ID:A+p7zxpH
だからこそ神君なんだろう
0258人間七七四年2016/09/02(金) 22:25:45.37ID:Ln44KRPr
全ての事象は家康の陰謀によるものである
という明治以降の俗説ってそれがガチなら
徳川史観とやらもビックリの超人家康になるからな
そりゃ天下とるよなっていう
0259人間七七四年2016/09/02(金) 23:51:07.73ID:NcgEVwnd
家康を貶めるために作った話が、かえって家康無双にしてるという皮肉
0260人間七七四年2016/09/03(土) 02:10:45.26ID:uUhl+jxn
家康大阪の陣の時今でいうと齢100近いだろ
ギリギリまで秀頼を始末しない方向で調整してるんだよな
最後難癖付けるみたいになったのは自分がこのまま逝ったら確実にまた大乱が起こるのが分かったからだろ
秀忠じゃあ心許ないから自分がケリを付けるしかなかった
0261人間七七四年2016/09/03(土) 02:30:42.50ID:amaxMju7
家康は一番最後(千姫の助命嘆願)でも「秀頼母子の助命?儂はいいと思う」と言って秀忠をガチギレさせてたぞ
0262人間七七四年2016/09/03(土) 03:16:40.24ID:wB+53SAg
>>251
当然の感想やね。役職も権限も責任もない女房衆にどうしろと
0263人間七七四年2016/09/03(土) 05:09:17.13ID:wZJWJjwG
秀康、清正、幸長とかはいざとなれば秀頼のために戦うから徳川に消されたことにされるのに
忠勝、康政、直政みたいな家康より若くて戦になったらいた方がいいに決まってる忠臣が豊臣に暗殺されたという話は出ないな
0264人間七七四年2016/09/03(土) 06:17:07.00ID:hhqhJeRP
>>261
秀忠としても責任もって将軍職を全うしてたのに家康からアマアマなこと言われたら困るよな
0265人間七七四年2016/09/03(土) 07:29:41.39ID:Uhqk52wc
歴史は解釈次第な部分が大きいので「あの行動はこういう意図だ」とか決めつけるとどうしようもなくなる。
大坂の陣の場合、鐘銘の件が発覚する前から法要の日程等で揉めてるんだが、あの辺の解釈が難しい。
0266人間七七四年2016/09/03(土) 08:25:38.17ID:hNhLQoWn
>>261
助命?いいと思うよ。でも一応将軍に伺いを立ててね。
じゃワシ駿府に帰るから

と言って帰ろうとしたけど将軍秀忠に帰してもらえなかったな
0267人間七七四年2016/09/03(土) 08:58:19.17ID:X7HVNdVL
>>264
自分だけ良い人になろうとするのは腹立つわな
でも徳川の人間ってそういう傾向があるのかね
光圀にも似たようなエピソードあるし
0268人間七七四年2016/09/03(土) 09:31:05.61ID:uJjBRNfz
>>266
現役の将軍を差し置いて出しゃばるわけにもいかんし
普通は孫娘は可愛いし
隠居ジジイの身勝手と言われればそうだが
さして非難する事でもあるまい(褒めるもんでもない)
0269人間七七四年2016/09/03(土) 09:53:19.44ID:p76h8wBE
秀頼を生かしておくと年から言って家光の代まで生き残りが見込まれるし
どこか適当な所に軟禁しても逃げ出してまた反乱を起こすかもしれない。
自分(家康)という後ろ盾がなくても収拾出来るのなら助命すれば?
というつもりだったのでは。
0270人間七七四年2016/09/03(土) 10:26:40.16ID:FbT+TYth
なんか秀忠も割りを食ってるよな
嫌な役回りは全て押し付けられている
秀頼の助命なんて出来るわけないのは家康自身が一番分かっているのにこんな事いうなんて狡い
あからさまに「自分は助けようとしたのに秀忠が〜」という責任の押し付け
0271人間七七四年2016/09/03(土) 10:42:13.74ID:amaxMju7
>>270
ぶっちゃけ強硬に大坂の武力討伐にもってった秀忠に対する意趣返しだと思う
0272人間七七四年2016/09/03(土) 10:49:13.47ID:wB+53SAg
駿府記等の一次史料に準じる記録でも秀頼に対してアマアマ。もうあれは地だね
幕府の徳川史観としても同じ将軍の秀忠に割り食わせてもしょうがないし
どうせ嘘つくなら「将軍も大御所も慈悲深く助命をおうさられたが秀頼は恥じ入って死んでしまいました」とでもしとけばいい
「助命したい」「謀反も2度目なれば示しがつきませぬ」なんて話も
理があるのは秀忠で家康はほんとうに隠居ジジイの身勝手ととらえらかねない
0273人間七七四年2016/09/03(土) 11:17:12.91ID:xTCvI6Cq
決定権者2人のうち1人が強硬、もう一人が柔軟なら決定がどちらになろうと決定の理由が明確になる。
それが必要な時も組織や体制には必ずある。
それだけのことだと思う。

良い人ぶってとかそんな次元の話を家康が気にするなら大阪の陣で耳削ぎ塚エピソード発生してないかと。
0274人間七七四年2016/09/03(土) 11:46:04.74ID:M1dNGuH7
あんな大乱起こして助命とかありえんわな、それまでの交渉で大坂退去に応じてないわけだし
秀忠は嫌な役回りをさせられたわけじゃないでしょ、秀忠が決めて滅ぼしたという事実が欲しいわけで
大坂の陣については将軍の意向に従う家康、という格好が出来上がってる
0275人間七七四年2016/09/03(土) 14:35:14.84ID:tnQrrXe/
>>267
叱る役と取りなす役にわかれてるのも落としどころを見つけるのに必要ではあるかもね
まあ家康の発言力が秀忠を遙かにうわまわるのが難点で。
0276人間七七四年2016/09/03(土) 15:20:52.95ID:mnqUWWFj
突然スマンけど皆の意見を聞かせて欲しい

夏の陣の天王寺口での戦いで、家康の首を狙わず「秀忠」の首を狙い
討ち取っていたら状況はどうなってたかな?

歴史にIFってのは厳禁だけど、殆どの場合「狙うは家康1人!」って話
ばっかりで、秀忠の方に狙いを付けて討ち取っていたらどうなっていたかが
何だか気になったんだ

戦況とか戦後処理とかがどんな風に変化したか?についての想像を
(出来れば)聞かせて欲しいのだけど、IFはダメかな?
0277人間七七四年2016/09/03(土) 15:26:17.12ID:C8UO59QV
>>276
秀忠の脇に柳生宗矩が控えて居たんだが。
0278人間七七四年2016/09/03(土) 15:49:57.31ID:hEXPP9Ix
徳川を潰すという観点では秀忠を討ち取った方が遥かに有益だったよな
家康はもう老いぼれだし、実際に翌年には死ぬ
そして子供はたくさんいたけどみんな妾腹
秀忠は家康の後見を受けて、何とか後継者として地位を固める事ができたけど
その秀忠が先に死に、翌年に家康まで死ぬとなると御家騒動は避けられない
家光らが幼少であり秀忠の兄弟が沢山いるという、付け入る隙だらけの状態

もっとも豊臣方としては後の事より今の戦いを勝たなければならない訳で
そうなると秀忠ではなく家康を討ち取る方が重要
従って、結局は史実通りの展開にならざるを得ない
0279人間七七四年2016/09/03(土) 16:05:27.25ID:4TJGxou2
>>276
本陣には立花宗茂隊も控えているんだが
0280人間七七四年2016/09/03(土) 17:22:45.10ID:jZd6xpUY
秀忠を討ち取っても家康が生きていることに変わりはないから妾腹でも秀康をたてるかして後継者問題は家康の辣腕でそれほど揉めなかったでしょ?
というのも家康は松平宗家の嫡男で信玄の兵の結束力を参考にしたりして非常に家臣を大事に扱った。
秀忠→家光あたりは優秀な家臣の御輿に乗っかって治世を行ってたといっても過言でない。
信長は織田分家で殿様になって内紛も多かったりで織田家代々の家臣の結束力という意味じゃ危うい。
秀吉も平民の出だから一代の才で成り上がったがそこも磐石じゃない。
三河衆の結束力って半端ないのよ。
秀忠が死んだら可能性が秀康、忠輝だが家訓みたいなもんで家康のやり方を真似てさえいれば問題ないと思う。
0281人間七七四年2016/09/03(土) 18:01:52.76ID:LZCeZmXK
>>276
万一秀忠の首級あげたらそりゃ大坂方は勢いづくし、徳川側からも離反するのも出てくるよな
ただそれはおそらく一時的なもので立て直された徳川軍が弔い合戦の体で大坂方の殲滅にかかるだろうから結局大坂方の勝ちはない
秀忠家康両方おとせるならまだしも。

大坂方は籠城のうえ救援のみこみがなさすぎる、勝つ要素がほとんどない

IF話なんで否定しないとして、そもそも徳川本陣はおとせないやね
真田がきりこんだ、なんてのもかなり誇張してる話と思うよ
0282人間七七四年2016/09/03(土) 18:02:42.53ID:LZCeZmXK
>>278
大坂の時点で家光は誕生してたっけ
0283人間七七四年2016/09/03(土) 18:20:15.13ID:XP2tndA+
誕生してるだろ
0284人間七七四年2016/09/03(土) 18:55:24.06ID:RRXJd4fI
なら家康としても継嗣問題はなんとかしてから死ぬだろうな
0285人間七七四年2016/09/03(土) 19:32:39.69ID:/fld/gSy
>>280
大坂の陣の頃、秀康はもう死んでるよ
だから息子の忠直が出陣している
0286人間七七四年2016/09/03(土) 20:39:01.80ID:4TJGxou2
大坂方の御宿官兵衛は元結城秀康の家臣。秀康没後、跡取りの忠直を
「戦知らずの馬鹿」と言って出奔し、後に大坂方として戦った。
その戦知らずの忠直が率いる越前兵が、真田幸村を討ち取り、1万以上の
首を刈り取り、大阪城一番乗りを果たす大戦功を上げた。
天晴な猛将の忠直を戦下手って評した御宿が喜んで仕えた秀康は、恐るべき
戦上手ってことだ。もし大坂の陣まで存命していて秀康・忠直の親子で出陣して
たら大坂方はひとたまりもなく粉砕されてるな。
0287人間七七四年2016/09/03(土) 20:48:07.50ID:oMU9BWtZ
主君をバカ呼ばわりするような奴は大概身の程知らずだよな
0288人間七七四年2016/09/03(土) 21:27:10.21ID:IDM1cUCD
徳川家康は悪い奴
0289人間七七四年2016/09/03(土) 21:40:57.77ID:A1dO+bne
>>285
マジか!俺も勉強不足だな(笑)
0290人間七七四年2016/09/03(土) 22:03:12.81ID:nQ9rhYBz
忠直って冬の陣ではまんまと幸村の挑発にのって手酷くやられてなかったっけ?
夏は夏で飲みすぎで出陣すらしなくて怒られてるし
それに1/3の真田に押し破られて突破を許してるじゃん?
幸村の首だってその経緯から忠興に一笑にふされてるし、とても猛将の名に値するとは思えんなあ
0291人間七七四年2016/09/03(土) 22:49:31.68ID:jYQNtOqf
秀頼が大阪夏の陣で自害した翌年に家康も死んでいるが、
もしかしたら、家康は、それ以前に死んでいて影武者だったのか?
豊臣家滅亡したからお役御免で病死したことにしたのか?
0292人間七七四年2016/09/03(土) 23:47:15.87ID:4TJGxou2
>>290
猪突猛進して目の前の敵をぶち殺してるうちに気づいたら
幸村に中央を突破されたってのが真相だろう。
幸村こそ家康本陣に突っ込んだは良いが、忠直軍の脇
をすり抜けて家康本陣を蹂躙した毛利勝永軍が去った
後のもぬけの殻の本陣に殴り込んだだけで虚名を得たが
実利はなし。挙句の果てに退却時、軍が壊乱してたった
一人で戦って戦死する情けなさ。
忠直軍の猛追を軍を乱すことなく、あしらって大阪城に
帰還した毛利勝永と比べると幸村は微妙だな。
0293人間七七四年2016/09/04(日) 00:00:28.85ID:xb3XOOg9
家康本陣を蹂躙したくせに家康を討ち取る前にドヤ顔で帰った勝永って持ち上げる奴とセットで池沼だったの?
0294人間七七四年2016/09/04(日) 00:03:44.46ID:6sihjxMw
1ミリも売れない仮想戦記作家様なんだよ
0295人間七七四年2016/09/04(日) 00:08:24.49ID:PEm3G0hL
>>293
いや勝永軍の猛攻を見た時点で家康は、さっさと逃げ出してる。
逃げ出す際に馬印も旗もおっぽり出して、少しでも時間稼ぎを
しようとしたぐらい切羽詰まっていた。
勝永の軍が攻め込んだ時には、本陣は空っぽだったわけ。
0296人間七七四年2016/09/04(日) 01:51:35.53ID://z2PEWC
時間かせぎするくらいの余裕がある、と思うんだが。
0297人間七七四年2016/09/04(日) 03:01:25.58ID:xb3XOOg9
>>295
攻め込んだ時に空っぽなら蹂躙してないし追わなかったことを正当化できないなら何も言わなくていいよ
0298人間七七四年2016/09/04(日) 05:44:37.94ID:bKZCYK/l
勝永と信繁は最期で考えが違うというしな
蹂躙した云々は眉唾モノだが、彼はもっと評価されて欲しい
信繁の1人よがりに完全に持ってかれたね
0299人間七七四年2016/09/04(日) 06:26:27.88ID:ZVCWTPBO
>>297
何処にいるか分からない上に周りは敵だらけなのに追うって何をどう追うんだw
0300人間七七四年2016/09/04(日) 09:33:18.15ID:MkZEsz3u
本陣に攻め込んだ、もあてにならんな
0301人間七七四年2016/09/04(日) 14:38:56.39ID:6sihjxMw
仮想戦記やからな
0302人間七七四年2016/09/04(日) 17:19:42.15ID:ZVCWTPBO
彦左衛門が嘘をついてまで主君や主家を貶める理由もあるまい
0303人間七七四年2016/09/04(日) 18:11:11.14ID:S4MG7gQ3
超解釈で勝手に彦左衛門が言ったことにするとか、どうなん?
0304人間七七四年2016/09/04(日) 18:30:51.66ID:8R23367m
『三河物語』の合戦時の描写は味方が崩れた際に、混乱で家康が旗奉行とはぐれたとかで、
別に本陣まで斬り込まれたことは記していない
0305人間七七四年2016/09/04(日) 18:54:20.28ID:6sihjxMw
勝永オタは素なのかワザとやってるかもわからんレベル
0306人間七七四年2016/09/04(日) 19:31:25.80ID:YGHv23EY
彦佐は二度の上田合戦を大久保age、鳥居、本多sageに利用しているからねぇ
0307人間七七四年2016/09/04(日) 21:32:34.79ID:52B0Q1UX
>>304
三河物語、甲陽軍艦…都合よく書かれたラノベです
0308人間七七四年2016/09/05(月) 06:56:31.04ID:8hnmVErX
>>304
同じ事だろ
敵が本陣に来ないなら逃げる必要ないし
0309人間七七四年2016/09/05(月) 07:46:51.78ID:cxWk/KwA
>>308
うん、だから逃げていない
戦後の家康と忠教の言い合いで家康が逃げたというのも、忠教が怒鳴り合いの余り口を滑らせた
0310人間七七四年2016/09/05(月) 08:32:17.79ID:LZUzXuOD
>>309
家康が本陣から逃げたのは事実だろ
だから本陣の様子がどうなっていたのか分からず揉めた訳だし
0311人間七七四年2016/09/05(月) 09:01:32.44ID:x7CPspx1
「はぐれた」を「逃げた」に変換するのは無理があり過ぎ。
大坂の陣で旗本に討ち死にでも続出してるならともかく状況証拠すら無いのではどうしようも無いな。
0312人間七七四年2016/09/05(月) 15:11:14.33ID:W2Olmex1
三河物語の話をしているんだろ
家康が逃げたとはっきり書いてある
早々と家康が逃げてしまい誰も居場所が分からず右往左往し
旗奉行は旗を捨てて逃走し、槍衆は槍を折って逃走、更に崩れた見方が雪崩れ込んで散々に踏み荒らして逃げたと
0313人間七七四年2016/09/05(月) 15:18:13.12ID:kgFzjYKh
>>310
逃げてない。本陣ごと移動しただけ
0314人間七七四年2016/09/05(月) 16:09:56.67ID:EB0SSSTT
大坂の陣のあそこらへんの記述は彦左の悪意込みで考えないとなあ
0315人間七七四年2016/09/05(月) 16:10:23.38ID:cxWk/KwA
>>312
何その都合の良い摘出と解釈
0316人間七七四年2016/09/05(月) 19:02:53.36ID:W2Olmex1
>>313
逃げたって書いてあるだろ馬鹿w
0317人間七七四年2016/09/05(月) 19:06:00.33ID:kgFzjYKh
>>316
陣の移動を「逃げた」って表現したんだよ大久保は。阿呆が
0318人間七七四年2016/09/05(月) 19:14:37.10ID:Oo1DZM8E
実際に逃げても家康側の人間はそんなこと書かないよな
特に勝った側がそんなこと書くわけがない
0319人間七七四年2016/09/05(月) 19:32:08.33ID:DqPZ4ybq
片方が逃げたと書かれたことを主張して、もう片方は書かれたことについての解釈を述べているんだから噛み合うわけがない
0320人間七七四年2016/09/05(月) 20:06:11.84ID:i4WPV16P
信繁も本物の方の毛利も結構良い所までいったのは事実だと思うけどな
アイツらは侍としての死に場所を求めて戦ってたのだろうから 関ヶ原の西軍なんかよりそら強いわ
秀頼淀なんかぶっちゃけどうでもいいだろうし
0321人間七七四年2016/09/05(月) 20:16:01.76ID:Yef09BsR
そして毎度のことながらこの手の流れでも将軍自ら槍を持とうとしたくらい押し込めた大野治房はなぜか評価されない
0322人間七七四年2016/09/05(月) 20:51:40.88ID:W2Olmex1
>>317
あの文章読んで本気でそんな解釈してるのなら病院に行くレベルだわ
0323人間七七四年2016/09/05(月) 20:53:28.13ID:kgFzjYKh
>>322
お前は「あの文章」しか読んでないからそういう解釈になるんだよ。
0324人間七七四年2016/09/05(月) 20:54:49.05ID:BfT3h7QR
あの・・・
0325人間七七四年2016/09/05(月) 22:49:53.96ID:4PI8FX3t
家康の秀忠不安論って豊臣を滅ぼすなら自分が死んだ後にしろと指示なかったというムチャクチャな理由で
息子を信用できなかったことにされる家康と親に信用されなかったことにされる秀忠が不憫だわ
0326人間七七四年2016/09/05(月) 22:58:19.81ID:Yef09BsR
死期を悟って自ら後顧の憂いを絶ったという論調が当たり前になってるけど史料上の家康は結構のんきだからな
たぶんそんなこと考えてなかったと思うわ
0327人間七七四年2016/09/05(月) 22:59:57.72ID:Q/0iu7EM
夏の陣で真田が家康に迫った、もう一息だったとか言うが、70過ぎの家康が野戦に出てたのに、城に籠もりっぱなしの秀頼はどうなんだということになる。
0328人間七七四年2016/09/06(火) 00:00:58.41ID:4nzkji1d
と言うか秀頼が天下人の後継者としてまではいかなくても
武将、あるいは政治家として何かしら有能だったって事を
示す史料ってあるのか
何かというと家康は秀頼の権威を恐れていたって研究家がいるけど
武将としても政治家としても歴戦の家康がそんなハリボテの権威を
恐れるかねぇ
0329人間七七四年2016/09/06(火) 00:13:51.14ID:oH5Ag0jy
そういう研究家は秀次のことを生きていたら秀頼が実権持つのは不可能なほど有能で人望も厚い本来理想の後継者とは評さない
0330人間七七四年2016/09/06(火) 00:35:55.46ID:9PdJizV0
>>328
秀頼の能力そのものより天下人秀吉の血を継ぐ人間だったという事が重要だったのでは?
関ヶ原で家康についた豊臣恩顧の大名がもし家康の仕置きに不満を募らせ結集して反抗するならその時に担ぐのは間違いなく秀頼だろう。
豊臣が存在するうちは関ヶ原で味方についたとはいえ、それはその時だけの話。

体制として徳川幕府が全ての大名を従える状態にするには豊臣家があってはならないという考えはおかしくもない。
0331人間七七四年2016/09/06(火) 01:12:29.68ID:CtZ8Rm4G
秀頼公は実戦経験0のボンボン
当時の日の本はリアルヒャッハーの時代にござる リスペクトしてくれと言われても無理にござる
太閤殿下の息子ってだけじゃだめだろ 「舐められない凄味」が必要だった
かまぼこ日本で一番食ってただけだからなあいつ
0332人間七七四年2016/09/06(火) 01:48:56.80ID:0gT9uHUf
大坂の陣の時ですら秀頼に味方した大名はいないんだから
秀頼が優れた資質でも見せない限り豊臣のブランド価値って落ちる一方だよなあ
0333人間七七四年2016/09/06(火) 02:13:28.25ID:rgTK0Xsc
秀吉の晩年政治に難があったと見る傾向もあったろうしな。
0334人間七七四年2016/09/06(火) 04:37:32.25ID:l94y6Cbm
>>320
勝永さんの最期は秀頼たちと同じ場所なんだが・・
0335人間七七四年2016/09/06(火) 05:49:23.22ID:4xNE1sFp
>>331
家光も生まれながらのボンボンだが覚悟があったな
あと臣下にめぐまれた
0336人間七七四年2016/09/06(火) 07:25:47.52ID:vcsocJvK
豊臣家の権威なんてのは関ヶ原で敗れた時点でガタ落ちだったからなぁ
公式なスタンスとしては秀頼は無関係って事で和睦したけど、実際には豊臣家中の中核である奉行衆がこぞって家康を排撃しようとして討滅されてしまったのが実情
0337人間七七四年2016/09/06(火) 08:39:42.63ID:90sKRwNY
>>335
家光は傅役、特に青山忠俊が改易される位に厳しく接したのが大きそう
0338人間七七四年2016/09/06(火) 09:43:49.58ID:63iFA+kC
>>337
青山さんの息子は、許されて大阪城代までやったから、後年、家光も諌言をありがたいと思うようになったんじゃないか。
0339人間七七四年2016/09/06(火) 10:33:35.53ID:90sKRwNY
>>338
忠俊さん再出仕を求められても拒否するという改易されても諫言するマン
0340人間七七四年2016/09/06(火) 11:14:43.92ID:JmMj8gdg
譜代でしかなし得ない関係だな。
秀吉の無茶な朝鮮出兵に奉行総辞職して隠居して子弟に家督譲るくらいの覚悟あったら奉行も豊臣も違った歴史になったかも。
そこまでの関係が築けていないのはハリボテの家臣団と外様の寄り集まりでしからなかったからなんだろうな。
0341人間七七四年2016/09/06(火) 11:38:26.78ID:63iFA+kC
青山さん、三河武士で古参の譜代か。
家康が、秀吉に家臣が宝だと言ったのは誇張じゃないな。
0342人間七七四年2016/09/06(火) 12:43:19.66ID:m0sd8sIP
つうか秀吉があまりにも特殊
大名どころか天下人なのに譜代ゼロとか
それで天下取れた秀吉は完全に一個人の力であって天才としか言いようがないが
逆に言えば豊臣政権とは秀吉そのものであって、秀吉がいなくなれば潰れるのはある意味当然の結果とも言える
0343人間七七四年2016/09/06(火) 13:17:15.08ID:yQcziTAM
あれだけヘッドハンティングしてきてるんだから急拵えでも譜代として育てていくべきだったよな
結局ただのトップダウン組織のうえで胡座かいてただけ
0344人間七七四年2016/09/06(火) 13:25:26.94ID:5WnAvD2+
脆弱な譜代層を秀次に付け、その後処分。
0345人間七七四年2016/09/06(火) 13:26:35.46ID:VckWnpYd
譜代を育てるとか馬鹿かコイツ
0346人間七七四年2016/09/06(火) 13:55:45.23ID:J3lgrzmv
十数年じゃなにをやっても付け焼き刃でしかないわな
0347人間七七四年2016/09/06(火) 15:13:41.10ID:4bJxUMhD
>>343

大辞林 第三版の解説から

ふだい【譜代・譜第】

@何代もその家系が継がれて来ていること。また,その家系を記したもの。系譜。
A代代,同じ主家に仕えていること。また,その臣下の家系。
0348人間七七四年2016/09/06(火) 15:58:37.50ID:DRrgB2zn
代々譜代じゃなくて家中衆譜代のことを言ってるんだろ
0349人間七七四年2016/09/06(火) 17:50:03.17ID:P5Ua1ZsQ
>>347
厳密な言葉の意味ならそうなんだろうけど、
それは秀吉には完全に求めることは出来ない状態だから
せめてそうこうの妻ならぬそうこうの家臣ってことで豊臣家臣団を結束してないといけなかった
それが清正、福島、やらの七本槍だかそれとも三成等の五奉行だが、が該当するかも知れないが明らかに結束してない
それくらいまとめてから逝かないとな
0350人間七七四年2016/09/06(火) 17:53:45.78ID:O1nOKzqj
冬の陣の豊臣方からの最初の提案に御袋様を江戸の人質に送るっていうのがあったよね
これって前田家の例を見るに臣従しますって言っているんじゃないの?
0351人間七七四年2016/09/06(火) 18:16:55.52ID:DRrgB2zn
それには続きがあってねぇ、御袋様やるから浪人衆にやる知行よこせなのよ
幕府に「アホなの?」って蹴られて終わった話
0352人間七七四年2016/09/06(火) 20:43:39.62ID:4bJxUMhD
負けてる側が領地よこせはないよな、宣教師とか豊臣贔屓の公家とかは
豊臣方が優勢だったみたいな記録遺してるけど
勝ってる側が惣堀埋め立てみたいな屈辱的条件のむわけないよね
0353人間七七四年2016/09/06(火) 20:46:14.50ID:Wd2ChJsr
そんな提案あったの?
幕府から江戸に淀か秀頼かどっちか寄越して人質になるかしろ、ってのは知ってるが
0354人間七七四年2016/09/06(火) 20:52:32.96ID:Syx74yLb
浪人を常雇いのための領地なんてとんでもない話だ。金持ってるんだから、手切れ金で暇出せよという話。
0355人間七七四年2016/09/06(火) 21:18:43.42ID:DRrgB2zn
>>352
その後、力の差を認識させるために幕府が大砲つるべ撃ちして
やっとこさ劣勢を悟って惣堀埋め立て飲んだ例の講和という流れ
0356人間七七四年2016/09/07(水) 21:11:47.56ID:WTHXFG9t
>>354
武家の棟梁としての能力が皆無の秀頼や無能な豊臣家家臣達に
牢人どもを従わせる事など出来ないだろう
だから家康は秀頼に大坂城を出ろ、牢人どもの始末はこちらでして
その上で大坂城を返してやるという滅茶苦茶甘い事を提案してるのに
大坂城に異常に固執する秀頼はそれを拒絶した
0357人間七七四年2016/09/07(水) 22:41:02.14ID:BoIrcaSC
>>356
そこら辺までは、徳川がテロリストの浪人排除して秀頼助ける気だったんだろうな。
アフガニスタンがタリバン呼び込んで乗っ取られ、アメリカに攻められたらようなもんだな。
0358人間七七四年2016/09/08(木) 18:22:34.24ID:HpdW3fYe
>>353
林羅山の大坂冬陣記の記述やね
0359人間七七四年2016/09/08(木) 21:05:44.27ID:RdseJz33
何で宇喜多秀家に大阪城に入っていいぞと言わなかったのか?
益田長盛には勧めてたよね。
0360人間七七四年2016/09/09(金) 16:32:53.62ID:1pM8Ym0A
豊臣を持ち上げる人って時折家康を人の寿命まで完全に把握して行動とれた超人にしちゃうよな
0361人間七七四年2016/09/09(金) 21:22:46.82ID:aPtux3xp
そんな人いる?
0362人間七七四年2016/09/09(金) 21:26:49.94ID:zP/Tqzz+
何もかも家康の陰謀にしてるやついくらでもいるだろ。司馬遼太郎とか
0363人間七七四年2016/09/09(金) 21:30:54.62ID:xOK9us/k
加藤浅野といった豊臣恩顧の大名が死んでから家康は豊臣潰したって言う人たちだろう
普通に考えれば彼らより年長の家康の寿命が尽きる方が早いんだから
0364人間七七四年2016/09/09(金) 22:15:13.94ID:aPtux3xp
>>363
あぁ、そういうことか。
0365人間七七四年2016/09/10(土) 14:06:19.49ID:cmEkf+l6
家康があと10年長生きしてたらなんとしても自分が生きてる間に滅ぼさなきゃという輩もいなかったのだろうか
0366人間七七四年2016/09/10(土) 14:40:14.32ID:bsbaLaE3
あてにならん家臣をよりいっそう排斥していったかもな
0367人間七七四年2016/09/10(土) 19:40:53.99ID:nMnnQhTV
前田や伊達あたりじゃないの
0368人間七七四年2016/09/10(土) 19:49:13.84ID:RJihTzU1
>>365
島津一択だろう。
毛利を先鋒にして両者を消耗させ、島津を滅ぼしたら
加増という名目で薩摩、大隅、日向に転封させ、種子島
奄美島、琉球を天領として幕府直轄地とする。
長門周防37万石から薩摩、大隅、日向70万石に大加増
で毛利家も万々歳だろうw
0369人間七七四年2016/09/10(土) 19:50:37.03ID:Nk6DWhRL
ないな
0370人間七七四年2016/09/10(土) 19:59:39.71ID:u8pwoLF1
>>368
西国の地の果て討伐なんて無理。しかも人外島津
0371人間七七四年2016/09/10(土) 20:28:23.06ID:bsbaLaE3
島津買われてるなあ
イメージ的には海外に進出する九州の玄関を荒らし回る南の田舎ものだな島津
黒田もうさんくさい。
九州をおさえてもしかしたら朝鮮出兵も、と
におわせるぶんにはありかもな
徳川は基本的に安定路線だが、外国への出兵もあるように見せかけておくのも国内対策になるわな
0372人間七七四年2016/09/10(土) 20:49:08.74ID:Nk6DWhRL
島津なんか何の脅威でもないからな
0373人間七七四年2016/09/10(土) 20:55:29.02ID:l1/MiHLu
ま、当時の徳川体制が崩れるとしたら後継争いからだろうし
内部粛清引き締めに専念するだろうな
0374人間七七四年2016/09/10(土) 21:25:45.20ID:TnX68Uq0
島津はあの位置じゃなければ滅んでる
0375人間七七四年2016/09/10(土) 21:36:16.89ID:yF8Jf0RW
>>374
ほんまにこれ。少なくとも毛利と同じ運命だったよ。
これほど地の理が生きるとはね
0376人間七七四年2016/09/12(月) 21:45:48.66ID:7uB3hzwD
福島正則が慶長十九年十月半ば頃、豊臣家に諫めの書状を
送った事になってるけど、あれって本当に正則が書いた書状なのかな
0377人間七七四年2016/09/13(火) 08:28:58.21ID:/Djj6FPK
>>376
そら普通祐筆が書くだろ
0378人間七七四年2016/09/14(水) 17:23:59.96ID:ZA4tRSYs
兵糧だけじゃなくて籠城すればよかったのにな
どのみち改易・取り潰しなんだから

村上水軍ばりに兵糧運べないのか安芸の広島だろw
0379人間七七四年2016/09/14(水) 18:21:25.38ID:r134Qqv+
>>378
村上の船って焙烙投げる小型戦艦みたいなもんで、航行の邪魔をしにきた信長型の水軍燃やしまくって石山まで行ったんじゃなかった?
福島の元にも水軍はあっただろうけど、そんなことができる準備できてたのかね?
0380人間七七四年2016/09/15(木) 07:48:51.62ID:MvvSxWJb
この当時って標準語がないから全国から集まって言葉通じないよね?
言葉どうしてたの、言葉。
0381人間七七四年2016/09/15(木) 11:30:21.20ID:M7nuSt45
そんな心配しなくて良い
0382人間七七四年2016/09/15(木) 13:06:50.46ID:HU14gTOR
通じない程の鈍りは北東北と南九州ぐらいだろう
他は聞きなれない単語はあるけど会話できない程ではない
0383人間七七四年2016/09/15(木) 13:21:59.48ID:c7G9Bm9A
だいたい武家が戦国時代まできて標準的な会話もできないなんて田舎侍すぎだろ
0384人間七七四年2016/09/15(木) 14:31:40.39ID:05fSZ7qD
>>383
薩摩は幕末でも
0385人間七七四年2016/09/15(木) 17:51:19.99ID:c7G9Bm9A
>>384
あれはスパイ対策で京都にあがった時はちゃんも標準語でしゃべってただろうよ
0386人間七七四年2016/09/15(木) 18:00:07.01ID:xElO37f2
候口語ばんざいってことで
0387人間七七四年2016/09/15(木) 22:22:37.10ID:Zta31eXD
下剋上だから豊家が亡ぶのも戦国の習いか
0388人間七七四年2016/09/16(金) 04:56:44.04ID:L4biMEDe
そういえば愛知出身のあの辺の武将が天下
取り続けてたら今の標準語もだみゃーとか
言うようになってたんだろか、それはやだな
0389人間七七四年2016/09/16(金) 12:49:04.74ID:c0VIIU7A
>>388
大丈夫、鎌倉以来武家政権の将軍やら秀吉らはみな東日本出身の地方人ばかりだったけど今の標準語。
秀吉〜徳川初期までの間に武家社会の公用語が固まった可能性は高い上に標準語は必ずしも武家社会の言葉である候口調にはならなかった。
山手言葉という都会の人の言葉が基本になって口語がブラッシュアップされていったことを考えても語尾に地方色が残る可能性はとても低い。
0390人間七七四年2016/09/16(金) 14:04:12.76ID:tU8ecOz5
大坂の陣当時、オランダ人の書き残した書簡が沢山発見されたそうだ
0391人間七七四年2016/09/16(金) 16:10:06.49ID:tU8ecOz5
大坂の陣、迫真「戦場ルポ」…オランダ人が記述
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160916-00050090-yom-ent

中身の一部は
・夏の陣前に裏切り者が出て逃げようとしたが捕らえられ、秀頼によって石垣から突き落とされた
・堺の町衆が秀頼によって焼き払われるんじゃないかと心配している
と風聞の類だが、当時の空気を知るには画期的な史料だろう
0392人間七七四年2016/09/16(金) 22:32:03.27ID:rRwFGExP
秀頼はやることが最早イスラム国レベルだな
秀吉晩年のやばいところだけ遺伝しているのだから
豊臣恩顧が嫌がって離反するわけだよ
0393人間七七四年2016/09/17(土) 00:08:30.53ID:BNCKCrPf
大阪城に火をつけようとした連中だからなあ
落とされてもそこまで酷いとは思わないな
0394人間七七四年2016/09/17(土) 10:34:50.87ID:vtQzxiSB
・生まれただけで現役関白を妻子もろとも死に至らしめる
・特に何もしなくても取巻きどもが筆頭大老殺害目的で空前の規模の大乱を引き起こす
・転封か江戸への参勤を命じられたら浪人を大量に集めて立て篭もる
・大坂から逃げようとした人間を石垣から突き落として殺害する
・焦土作戦で堺を焼き討ちにする

秀頼は生まれたこと自体が間違いといえる最悪レベルの存在だろ
判官贔屓で家康に責任転嫁されてるけど秀頼の存在自体が悪だよ
0395人間七七四年2016/09/17(土) 11:06:00.60ID:NLPHzVv7
まるでお前みたいだな
0396人間七七四年2016/09/17(土) 14:10:44.86ID:GeiaOf+E
秀頼がブサイクだったら秀吉もやっぱ宇喜多秀家あたりに
家督を譲ろうとか思ったんじゃないかね?
0397人間七七四年2016/09/17(土) 16:42:12.15ID:Odx3A9ia
だけど本当の秀家もイケメンだったかどうか分からないんだが。
0398人間七七四年2016/09/17(土) 18:07:16.76ID:2iECGhBg
>>391
読売のweb版はえらい端折ってるな
本紙ではもっと具体的なこと書いてあるのに
0399人間七七四年2016/09/17(土) 19:18:14.77ID:TWqaSZFI
>>391
これすげー話なのになんでネットではニュースになってねーの?
0400人間七七四年2016/09/17(土) 20:03:06.63ID:2B5hsjwW
信用できるかどうかわからんのじゃないのか
0401人間七七四年2016/09/17(土) 20:16:01.34ID:Idg7TRpN
1:ちゃんとした研究はこれから
2:大坂の陣は史料はすでに豊富
3:宣教師フィルターめんどくせ

史料が増えるのは喜ばしいが大発見は期待薄
0402人間七七四年2016/09/17(土) 20:52:49.17ID:o4AgKvfp
2022年を目処に公開できればと出てる、507点だしな
読売は今日の朝刊でも編集手帳や文化面で取り上げてるけどスクープ的な扱いなのかな
新事実はともかく、世情は読めると思う
0403人間七七四年2016/09/17(土) 21:38:35.35ID:Qzw5liKk
>>398
もっと読みたかったら本紙買ってねって事じゃないの
0404人間七七四年2016/09/18(日) 21:09:18.77ID:Oy/pR4h7
>>391
実際境の町は焼かれたしな
他に中身どんなのがあったの?
0405人間七七四年2016/09/18(日) 21:24:30.46ID:VO7METlU
507点の内日本語訳されたのは数十点だからな
新事実が出てくる可能性もありそうというか出てほしい
0406人間七七四年2016/09/18(日) 22:16:40.03ID:77rIs/5u
>>404
・オランダは家康を日本の皇帝として扱っている
・皇帝家康のご機嫌を取ろうとオランダは武器をたくさん献上した
・オランダ本国に皇帝陛下が喜んでくれましたと報告した

家康が将軍や日本国王すら飛び越えて皇帝になっているのは日本人からすれば意外な感覚だろうね
0407人間七七四年2016/09/18(日) 22:25:39.55ID:HYVj3OHZ
>>406
つかオランダ人に限らずヨーロッパ人は、戦国大名を「国王」と認識しているのだから、
その「王」たちを束ね支配する人間は間違いなく「皇帝」だろうよ。
0408人間七七四年2016/09/18(日) 22:26:44.64ID:3zbiNTfB
>>407
神聖ローマ帝国のドイツみたいな感覚かな?
0409人間七七四年2016/09/18(日) 22:40:21.45ID:ezdCRMo0
天皇を宗教的皇帝、将軍を世俗的皇帝と見なしていたんじゃなかったか?
0410人間七七四年2016/09/18(日) 22:53:44.92ID:HYVj3OHZ
イエズス会の報告の原文だと天皇は「ヨーロッパの法王みたいな存在」ってはっきり言っているな。出版された報告書ではその部分は削られているが
0411人間七七四年2016/09/18(日) 23:04:34.89ID:VO7METlU
>>404
冬の陣後の書簡で
(秀頼の命で1万5千の家が焼かれて大砲の射程より広い空地ができた)とあったり

夏の陣が近づいたころの書簡にもうすぐ戦争になることと徳川が真田信繁、後藤又兵衛、長宗我部盛親などを
大阪城から退去させようとしていたことが書いてあったそうだ
0412人間七七四年2016/09/19(月) 02:26:34.42ID:UTNPGk2v
外に出したいやつはだいたい主戦派じゃねえのか
逆に考えると秀頼は夏の陣やりたくなかったか
0413人間七七四年2016/09/19(月) 09:12:04.99ID:HyVNziSi
とくがわがだよ
0414人間七七四年2016/09/19(月) 09:46:26.52ID:fNSqAbO4
裸城に大軍で迫れば普通戦う前に降伏すると思うだろうね
当初、西国大名には出陣の支度だけ命じて待機させていたくらいだし
実際に降伏してきたのは味方の牢人連中が全滅したあとだけど
0415人間七七四年2016/09/19(月) 12:23:45.51ID:8HF1Hs71
>>409
将軍職を秀忠に譲って10年経ってるのに家康を皇帝と書いてるのが興味深い
オランダ人は役職よりに現実の権力を見て書いてる気がする
0416人間七七四年2016/09/19(月) 12:58:46.89ID:IFusVVQq
正直外人はピントがずれてると思うけどね
自分が会える範囲内だけで完結してる、そしておべっかばかり
0417人間七七四年2016/09/19(月) 15:29:45.18ID:Ew0Ceos6
>>415
秀忠の時代に李氏朝鮮と国交を修復する書状に将軍を日本国王とするか天皇に遠慮して日本国大君とするか揉めてたような。
で国王と偽造して送っちゃったんだよね
0418人間七七四年2016/09/19(月) 17:23:11.59ID:iAql3lWi
将軍は国王で良いだろう
天皇は国王じゃないし
0419人間七七四年2016/09/19(月) 17:53:15.46ID:lXY/qQ6D
西洋人の記録でコ川将軍家はだいたい皇帝になってる
0420人間七七四年2016/09/19(月) 20:12:56.27ID:xJTRHGk5
タイク−ントクガワ
0421人間七七四年2016/09/21(水) 13:36:37.63ID:N4E+bI8p
もし真田昌幸が大坂の陣まで生きていたらどうなっていましたかね
0422人間七七四年2016/09/21(水) 13:37:46.30ID:tHBPXEBD
息子を止めていたと思います。
0423人間七七四年2016/09/21(水) 13:50:49.70ID:VvvTmJjP
信濃一国を提示された時に寝返っていた
0424人間七七四年2016/09/21(水) 15:12:58.50ID:1k33NGEF
>>423
そこまでいかなくても信之と別で信繁1万石のお家ok!
昌幸には更に別に隠居領5000石で1代限りでもかなりお得だったんだけどな。
有楽斎は最後まで大坂に残って非戦非幕府の立場でそこまでやってもらってるさ。
0425人間七七四年2016/09/21(水) 15:59:51.67ID:NuhV1etL
昌幸生きて大坂むかえても結局惨敗、昌幸討ち取られ、で後世につたわる策士イメージも失墜で無能武将として名が残るだけ
0426人間七七四年2016/09/21(水) 16:12:41.57ID:y/2UdAZb
昌幸なら、幕府に内通して恩賞つり上げて淀と秀頼を売るんじゃないか
0427人間七七四年2016/09/21(水) 17:30:32.86ID:IVjPqlDp
それができるほどの中核には組み込まれないよ
0428人間七七四年2016/09/21(水) 22:04:02.87ID:PROTbITJ
秀頼「大名を城壁から落とす」=大坂夏の陣記述の書簡発見−日文研

大坂夏の陣で、徳川家康に寝返ろうとたくらんだ大名が豊臣秀頼に「城壁から落とされて死んだ」。
国際日本文化研究センター(京都市)のフレデリック・クレインス准教授は21日、長崎駐在の東インド会社職員の書簡などを分析したところ、大坂冬・夏の陣の詳細が記されていたと発表した。
オランダ・ハーグ国立文書館所蔵で、1609〜33年の長崎・平戸のオランダ商館文書の写し524点を、同ライデン大と共同で分析した。
夏の陣が終わった直後の1615年6月11日付で、東インド会社職員が京都滞在中に聞いた話を商館長に報告した書簡には、「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、家康側に寝返るため大坂城に火を付けたが、秀頼によって城壁から落とされて死んだ」と書かれていた。
(2016/09/21-20:24)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092100898&;g=soc
0429人間七七四年2016/09/21(水) 22:07:47.55ID:tHBPXEBD
案の定噂話集くさくなったな
0430人間七七四年2016/09/21(水) 22:22:41.35ID:PROTbITJ
駐日オランダ人が「大坂の陣」を記録 「寝返った大名が秀頼に落とされた」 日文研、オランダの大学と共同調査

徳川家が豊臣家を滅亡させた慶長19〜20(1614〜15)年の「大坂の陣」で「寝返った大名が秀頼に(城壁から)落とされて死んだ」などと記された文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認され21日、国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が発表した。

日文研によると、文書類は当時のオランダ東インド会社の駐在員らが記したもの。同国のライデン大学と日文研が一昨年から共同研究を行い、2021年度を目標に書簡524通を日本語へ翻訳する作業などを進めている。

大坂の陣を記したもののなかには、1615年6月、「秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」などと、
日本側の記録にはない当時の様子が伝えられている。

このほか、1614年11月の書簡では、貿易商人のヤン・ヨーステンが「皇帝(家康)がすべての大砲および鉛を購入することを報告する」と記述。
1615年5月の書簡には、豊臣方につく大名として「真田左衛門(幸村)殿、関東に3万石(の領地)を所有していた」とも書かれていた。

翻訳にかかわっている日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交渉史)は「当時の政治・経済などの状況をどう見ていたか、海外の視点で日本の歴史を補完する重要な資料になる」と指摘。
江戸初期は駐日オランダ人が日本国内を自由に往来できた時代で、書簡にはオランダ人が当時の京都や大坂、堺で見聞きした記録が数多く残っているという。

大阪城天守閣(大阪市)の跡部信主任学芸員は「江戸初期の状況をリアルタイムに記した資料は貴重。外国人の記録は詳しい記述が多く、今後の調査結果に期待したい」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160921/wst1609210084-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160921/wst1609210084-n2.html
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&;id=4204772
0431人間七七四年2016/09/21(水) 23:18:09.36ID:qRrE3noc
これ以外に読売の方に書いてあったのは
冬の陣後に大阪の道沿いの家が壊されたこと
道路を広げた可能性があるらしい
0432人間七七四年2016/09/22(木) 00:01:40.71ID:5LrhgWwX
毎日の記事も出てるね
0433人間七七四年2016/09/22(木) 00:06:31.82ID:KPCsnvMi
毎日や産経は後追いだけど、Yahooでは読売の記事じゃコメント書き込めないからこっちが目立つというねw
0434人間七七四年2016/09/22(木) 04:02:31.80ID:RaIK3aUz
蟄居していた左衛門佐が関東に所領をもっていたのか
0435憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ2016/09/22(木) 09:39:18.29ID:CkKicdhQ
創価学会・公明党wwwww

韓国・慶南大学、池田大作先生に名誉博士号授与
・・秀吉の侵略および併合 による朝鮮救済について謝罪した功績認める  
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1442621407/
  
自民「単独」で320議席(2/3)に満たなかった前回の選挙は、本当は
公明党(在日&韓国)の勝利=自民党(日本)の敗北  
0436憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ2016/09/22(木) 09:48:53.61ID:CkKicdhQ
大阪維新の会wwwww

おおさか維新の会は、日本人に成りすまして秀吉の朝鮮征伐への恨みを晴らしてるつもりなのかな? 
気持ち悪い・・

【橋下市長肝いりの、悪趣味な“韓流”大阪城3D照明ショー】

韓国の照明技術者たちの演出で、豊臣秀吉ゆかりの大阪城天守閣が朝鮮刀で真っ二つ
に叩き切られて炎上し、韓流アイドルBEASTの曲が流れる
http://www.youtube.com/watch?v=wQehAZfmw0w
大阪城を切る刀
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/4/9/49062b58.jpg
朝鮮の刀
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/b/ab5e0bfe.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/b/9/b9cafc82.jpg
真っ二つ
http://japan-attractions.jp/wpxxxxx/wp-content/uploads/2013/10/osakamapping.jpg
大炎上
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/e/b/eb4416be.jpg

「大阪・光の饗宴実行委員会」
委員長 大阪府知事 松井一郎 ←wwwwwww
副委員長 大阪市長 橋下徹  ←wwwwwwww
http://www.hikari-kyoen.com/outline/commission.html /

大阪城天守閣に韓流の波  技術・装備は全て韓国人技術者による作品
http://blog.livedoor.jp/societynews/archives/2723019.html(韓国ソース)/
0437人間七七四年2016/09/23(金) 08:11:01.52ID:yhF7mqob
信之の沼田領を誤認しただけだろう。
0438人間七七四年2016/09/24(土) 01:37:51.71ID:QkX+DpAV
千と千尋の〜と大阪の陣の千姫脱出は似ている
○「千」姫は大阪城から「脱出」
○「千」尋・「千」は旅館から「脱出」
他にも類似点あり
https://youtu.be/WGBCnh-o-FE
0439人間七七四年2016/09/24(土) 10:32:27.18ID:pKOMUzfP
家康の言いなりになって大坂を出て千姫との間に子供が生まれてれば
命だけは助けてくれたかもな
0440人間七七四年2016/09/24(土) 10:39:08.04ID:QL0VPiKq
隠居して、千姫との子に家督を譲り、幕府から付家老を派遣してもらって家政を委ねるとか
0441人間七七四年2016/09/24(土) 12:47:12.82ID:FHLIMqCn
隠居しなくても千姫との間にバカスカ子供を作ればお家安泰だろう。
徳川としては、生まれた子を将軍家や御三家と縁組させて平和裏に
豊臣家を徳川家に組み込めるんだからな。
0442人間七七四年2016/09/25(日) 11:25:38.71ID:lEJqyL5a
双方別の相手とは子供作ってんだから、
千姫に仕込むまでは他の女に手を出さないくらいの勢いで励んでいれば良かったんだよ。
0443人間七七四年2016/09/25(日) 12:15:52.69ID:QUcOA7KR
>>442
年齢差があるから、千姫のお赤飯まではしょうがないが、お赤飯後はがんばるべきだった。
ただ、いとこ同士で幼なじみだから兄妹みたいな感じになっちゃったのかもね。
0444人間七七四年2016/09/25(日) 13:16:30.01ID:qXiFSyku
千姫とはほとんど同い年じゃなかったか秀頼
0445人間七七四年2016/09/25(日) 20:13:41.75ID:i27EhkZi
秀頼が文禄2年(1593年)で千姫が慶長2年(1597年)らしいから
4歳ちがいだな
0446人間七七四年2016/09/25(日) 22:52:24.29ID:JLwP5pM2
秀頼みたいな二世タレントや二世議員がいたらめちゃくちゃ叩かれそうなのに400年前の人間ってだけでフワッとした有能イケメンにしてもらえるもんなんだな
0447人間七七四年2016/09/26(月) 07:51:12.68ID:00aIocgq
いや、寧ろ戦前の感覚が残ってた二、三十年前の地方なら
跡取り以外の新参者の方が「どこの馬の骨とも分からん胡散臭い奴」と叩かれたもんだよ、議員とか会社の二代目とか。
流石に今は地方でもかなり実力主義になりつつあるけど。
まして四百年前なら嫡流に当たる人間の方が、ちょっとボンクラであったとしても持ち上げられがち。
0448人間七七四年2016/09/26(月) 08:23:05.51ID:QxJmBkMK
>>447
今川氏真、織田秀信、「そやな」
0449人間七七四年2016/09/26(月) 11:07:08.54ID:WiCmrNb4
むしろ世襲ってだけで必死に叩く連中は頭がおかしい
よほど家系にコンプレックスを持っている賤民なのだろう
0450人間七七四年2016/09/26(月) 11:18:14.07ID:VxRl0SlP
知能や運動能力のほとんどは遺伝で決まる。
むしろ血が薄くなってきた方が先代、先先代より大きく劣るケースが増えるらしいが。
0451人間七七四年2016/09/26(月) 13:04:42.81ID:ENmrM0Hh
そういえば知能は母親から受け継ぐんだっけか
0452人間七七四年2016/09/26(月) 13:43:58.74ID:98EjxuWT
氏より育ちという言葉もあってだな
0453人間七七四年2016/09/26(月) 21:22:15.61ID:hxvauORy
秀頼は秀吉とは似てないというのが
猿→ゴリラから、猿→イケメンになるのは理解できん
0454人間七七四年2016/09/26(月) 22:45:10.17ID:S3TLn2i+
>>446
秀頼の場合は二世なのが問題なのではなく
二世のくせに微塵も面影がなく父親に似てなさ過ぎるのが問題だからね
むしろもっと秀吉そっくりなって二世らしくならなければいけないくらいだろう
長身イケメンは他の家ならプラス要素だけど
豊臣の場合は二世としての武器を捨て去ってしまうマイナス要素でしかない
だから真田丸みたいなのは秀頼を持ち上げているのではなく失敗作よわばりしているのと同じ
0455人間七七四年2016/09/27(火) 04:15:49.27ID:khN7+48i
(散々既出だけど)秀吉も藤原姓を獲ろうと必死になって実際になったし、
家康も「徳川は得川から来てる」とかで源氏の流れを汲んでいると主張したり
他にも家系図改竄とか、二世とか血筋とかが結構物言う時代とも言える
気もする

ただその反対として、「下克上」を強引に拡大解釈すれば、良い家柄の家を
普通の家が実力で勝って叩き潰す時代とも言えるし・・・・



うーん・・中途半端でスマンが書き込んでて混乱してきた・・・・・・・
0456人間七七四年2016/09/27(火) 05:20:07.53ID:Je0TxK7+
豊臣二代に実際以上の価値を感じる人が不貞の子疑惑を強く否定しない怪
0457人間七七四年2016/09/27(火) 07:06:56.51ID:kBa6cMAD
徳川はそのまま得川名乗ればよかったんじゃねえのか
0458人間七七四年2016/09/27(火) 15:21:30.22ID:KT+qFwri
>>455
下剋上というのは下の者が上の者から奪う構図。

その一方で朝廷には1000年近く続いた官位、家の制度があり家ごとにどんな仕事(職)をどんな位でするかの決まりがあった。
朝廷秩序と有職故実とかね。
権力闘争が収束に向かう段階ではこのルールに沿って大名たちに序列を付け以後はこの序列だ!と決めて守らせた訳だ。

出自がよく分からない者、分かってはいても朝廷とは縁のない家柄出身の者に朝廷の位与える場合にこじつけが必要になった。
だから上で言われているような家系図の拝借や改竄を行って、位をもらえるようにした。

それだけ。
0459人間七七四年2016/09/29(木) 09:03:14.99ID:xu+4jpZG
大坂の陣で輝元、佐野道可大阪城に送ってるけど、どんな思惑があってやったんだろう
戦後幕府が事件と無関係だとした道可の息子二人自害させてるけど
0460人間七七四年2016/09/29(木) 09:50:45.52ID:AwcOrGrn
>>458
字面からすると単純にそういう考えになるけど
単に、上下の関係、というよりは
源氏に対する反抗、みたいな事実上の
意味あいもある。
こちらで解釈したほうがよりこの時代の理解には
正確だろう。
結局は、定義の問題、にはなってしまうけど。
0461人間七七四年2016/09/29(木) 13:46:08.26ID:9TxmgvL5
>>459
単純に保険かけただけじゃないの
他にそんな事した大名いないから
一人だけ姑息に見えるだけで
0462人間七七四年2016/09/29(木) 14:15:48.05ID:RIAQ4JYl
もともとずいぶん前に出奔してて毛利とはほぼ関係ない一介の浪人として大坂に入ったつー説が最近出てきたけど
結局はそんなもんだろ
0463人間七七四年2016/09/29(木) 14:16:04.25ID:MQVmnlar
>>459
>>461
佐野道可は自分でかってに大阪城に入城した可能性が高い。
輝元たちの指示があったって話は大阪の陣からずっと後年、当事者がみんな死んで、浪人していた佐野の子孫が
毛利に「帰参」したいと運動した時突然出てきた話。
0464人間七七四年2016/09/29(木) 20:03:00.99ID:lQaYUmyR
道可事件と似たような話は結構多いよ
多くの大名家から一門や家臣が大坂城に入っているから
そして実は密命を受けて云々という尾ひれが付いている
0465人間七七四年2016/09/30(金) 14:34:56.47ID:gsKsdEM0
真田やふぐすま一族だって大阪に入ってるし
それ言い出したらきりないよ
0466人間七七四年2016/09/30(金) 15:02:28.17ID:XQaghp/Q
まともな武将が誰も味方をしてくれなくて
浪人、犯罪者、指名手配犯等のゴロツキを片っ端から掻き集めたんだから
つつけばいくらでも埃の出るワケアリの胡散臭い連中ばかり
0467人間七七四年2016/09/30(金) 16:10:59.51ID:uSXyf0Tu
そもそも彼らは主君との確執から出奔している訳だから当然に不仲であるし
更に食い詰めて敵方の大坂城に入り、主家は幕府からあらぬ疑いをかけられるハメなっているのだから
「あの野郎!」と旧主が腹を立てるのは当たり前だろう
だから厳しい処罰をされるのも当然
0468人間七七四年2016/09/30(金) 22:51:03.11ID:nki2cnLw
まあ忠興も興秋自害させてるし、信之も信繁に通じた疑いのある家臣とその家族処分してるしね
0469人間七七四年2016/10/01(土) 05:43:14.96ID:cBEoCcdV
南部も一門を惨殺している
0470人間七七四年2016/10/01(土) 09:46:55.12ID:JXXTffnu
>>423
信繁、信尹が十万石の話を持ってきた時
今は秀頼からの恩があるので、そんな話は困るが
和睦が成立してその上でもなお召し抱えてくれるなら
たとえ千石でも奉公を考えてみるとの答えを聞いた正純が
なら信濃一国に条件をつり上げたら、実態のない口だけの話と
ブチ切れて二度と話を受け付けなくなったって話を本の名前は
忘れたけど、読んだ覚えあるな
0471人間七七四年2016/10/02(日) 21:26:17.74ID:FrhMlrF+
>>470
親と弟と対立して徳川に付いた兄貴が十一万五千石なのに
信濃一国とか言われたら信用できないだろうね
0472人間七七四年2016/10/02(日) 23:28:26.93ID:8U+ZKC7o
大河の信尹は昌幸の弟として徳川に入るというおいしいポジションだった割には
徳川に入ったシーンを最後に放置プレイだったな
上記の場面を大河でやったら作中時間で30年ぶりの登場か
信繁はブチ切れ以前にあんた誰?状態だろうな
0473人間七七四年2016/10/02(日) 23:58:28.17ID:aqvXWyXS
真田の次男坊なんて誰それだわ
0474人間七七四年2016/10/04(火) 22:00:34.41ID:OwWF5Qyd
真田の入城を聞いて家康が震えたなんて話は真田家の記録にしか無いわけだし
そもそも昌幸が死んだ時信之が供養の許可を正信を通して願い出てるんだから
いまさら親か子かなんて確認することもないわけで
0475人間七七四年2016/10/04(火) 22:23:57.91ID:7QBaePxS
今更ドヤ顔で
0476人間七七四年2016/10/04(火) 22:27:18.70ID:/PUpRenZ
だいたい真田次男なんて気にもしてないだろ
よほどの陣営そろえる縁故があるならともかく
0477人間七七四年2016/10/06(木) 08:05:53.27ID:bnRyC17q
でも結果的にその侮りが命取りになりはぐった訳で
戦の場合は敵情を出来うる限り掴んで切り崩せるものは切り崩すべきなのだわ
知らなかった事など何の自慢にもならない
0478人間七七四年2016/10/06(木) 09:25:22.75ID:bE3J91Wn
>>470
単に値段をつり上げればいいと本当に思ったならば
やっぱり正純は武将の誇りの機微というものが分かってなかったんだな
0479人間七七四年2016/10/06(木) 10:25:05.11ID:B9i7y7wB
>>478
正信ならどうしたかな。
0480人間七七四年2016/10/06(木) 12:52:35.62ID:c8oKp4Or
>>477
いや真田で困ったなんて創作ですから
0481人間七七四年2016/10/06(木) 13:04:53.98ID:bnRyC17q
>>480
いや、真田に限った話ではない
あれだけ有利な局面で苦戦したのは明らかに敵の力量を見誤っている
0482人間七七四年2016/10/06(木) 13:05:41.85ID:+9zzdGVo
苦戦してないよね
0483人間七七四年2016/10/06(木) 14:36:34.84ID:uM5cLMbs
苦戦はしてない、安定の徳川陣営だったわな
そりゃ全戦線すべて勝利とはいかんよ
でも大坂方が一撃やれたのはせいぜい開幕時に徳川陣営が油断したとこくらいだし。
0484人間七七四年2016/10/06(木) 15:39:27.19ID:bnRyC17q
大名がクラスが討たれて家康が本陣から逃げ出す有り様で苦戦していないとか馬鹿じゃないの
0485人間七七四年2016/10/06(木) 15:52:56.29ID:dFRuoXHC
家康が本陣から逃げ出すって講談の話じゃね?
0486人間七七四年2016/10/06(木) 16:16:52.03ID:MnbliFjV
えらい堂々と講談をソースにしてて草
0487人間七七四年2016/10/06(木) 16:45:39.11ID:0Izjm4uM
苦戦させた翌日に滅亡
0488人間七七四年2016/10/06(木) 16:55:36.27ID:uM5cLMbs
家康は脱糞野郎デナイノ、真田におされて切腹も覚悟したデナイノってやつか

ぶっちゃけ本陣本幕が固定不動のものでもなし、相手の押し引きで移動くらいするよな
そんな移動を家康敗走とばかりに大げさにやるのはまさに講談のやり口、というかそこぐらいを何とか真田のネタにしないとやれなかったのかなと。
冬とちがって夏には真田に見せ場ねえし真田さんの晴れ舞台、最後の見せ場とばかりとして盛って盛って盛りまくってるだけ。

だいたい後藤としめしあわせて突撃するだのの作戦は読まれて後藤撃沈、ってあたりでもう真田含む豊臣に目はなくなってたよな

それを真田にせめこまれた、家康切腹覚悟とかw
戦闘中に大将が切腹だの悠長なことやるわけもなし。そんな暇あるなら誰ぞを犠牲にしてでも逃げるわな。
第四次川中島の信玄謙信が直接打ち合った、ぐらい真田徳川本陣突撃家康覚悟はいかにも演劇、講談の盛り場でしかない
0489人間七七四年2016/10/06(木) 17:26:22.23ID:5/l41REj
真田の事など知らんけど家康の所在が不明で旗奉行は旗を倒して逃走
槍衆は槍を棄てて逃走
崩れてきた前衛がそこを散々踏み荒らして逃走
家康の本陣に限ってはほぼ総崩れ、潰走と言って良いだろう
0490人間七七四年2016/10/06(木) 17:28:05.57ID:+tshQ71p
道明寺の遅刻も後藤の先走りにサれてしまうのだろうか
0491人間七七四年2016/10/06(木) 18:33:47.86ID:+W7b2nrn
>>499
旗奉行は旗を倒していないし、槍も逃げていない
単に陣を後退させる際に混乱して一時的に家康の位置を見失っただけ
0492人間七七四年2016/10/06(木) 19:13:52.79ID:dFRuoXHC
>>489
彦左の証言を信じるとかプークスクス
0493人間七七四年2016/10/06(木) 19:37:01.52ID:uM5cLMbs
本陣総崩れならもっと大事になってるよな
それどころか豊臣家の勝ちくらいに伝わりそうだ
でも現実はそうでもない
0494人間七七四年2016/10/06(木) 19:49:24.28ID:HziMJgVg
むしろ秀忠の方がヤバかったんじゃないのかな。
もしも柳生宗矩がガードしてなかったら。
0495人間七七四年2016/10/06(木) 19:59:23.46ID:+GyB63uf
旗奉行と槍奉行は家康とはぐれてしまったようだが、
馬印は別の武将(小栗?)の担当で、はぐれていないし、
大坂軍と接触もしていない

でも講談の世界では、馬印が倒されたことにされた
0496人間七七四年2016/10/06(木) 19:59:58.66ID:HlWdKe1k
>>494
お前は剣豪小説を史実だと思ってるタイプか
0497人間七七四年2016/10/06(木) 20:01:30.41ID:+W7b2nrn
秀忠の旗本で結構死人が出ているけど、彼らは前田と井伊の間に進出していたから
0498人間七七四年2016/10/06(木) 20:15:00.84ID:uM5cLMbs
前線より、なら被害大きくなるわな
0499人間七七四年2016/10/06(木) 20:28:51.76ID:VxJ7Xwai
外堀埋められたマヌケ一族
0500人間七七四年2016/10/06(木) 22:15:25.63ID:bE3J91Wn
>>489
彦佐は第二次上田合戦でも真田攻めは当初の予定通りの行動だったのに
昌幸の挑発にのり、本多正信が城攻めを勧めたために始められた事にして
本多を貶め大久保を持ち上げるのに利用しているから、記述の信憑性が
怪しいんだよな
0501人間七七四年2016/10/06(木) 23:57:03.40ID:+tshQ71p
家康が死ぬまでのらりくらりとやり過ごせなかったもんかねぇ
0502人間七七四年2016/10/07(金) 02:55:31.13ID:rn89lw8F
立花宗茂と弟の直次が徳川本陣の手前にいたけど
ここまでは敵が攻めて来なかったって二人とも書き残してるな
0503人間七七四年2016/10/07(金) 07:20:57.75ID:7Z/MUsSg
立花兄弟は秀忠本陣
家康本陣の崩れは複数の史料から裏付けられている
家康率いて部隊長クラスが戦死した唯一の戦い
戦死者は幕府軍二万、豊臣軍一万五千
長篠と冬の陣以外なら一番苦戦したんじゃないかな
少なくとも小牧よりは苦戦だったと思う
0504人間七七四年2016/10/07(金) 09:00:04.08ID:QaIsQxcM
>>503
半分は幕府、半分は豊臣の勝利、大崩、逃げた者ありと書いた細川忠興は秀忠と同じ岡山

秀忠・家康双方の旗本が逃げたとし、家康本陣が真田に追い散らされたとする島津の書状は、
「下々取沙汰仕候間書付進之候、」と噂を纏めたもの
0505人間七七四年2016/10/07(金) 09:41:20.45ID:hY7W1JHx
島津は相変わらずの遅陣でその場にいなかったからね
0506人間七七四年2016/10/07(金) 16:19:01.90ID:B6vcLJJ2
幕府側は2万も死んだのか
0507人間七七四年2016/10/07(金) 17:10:48.98ID:hY7W1JHx
死んでないだろ
0508人間七七四年2016/10/07(金) 17:56:47.46ID:/6wDVjPS
>>506
多分疫病とか含めての数字だとは思う
0509人間七七四年2016/10/07(金) 18:15:49.08ID:/6wDVjPS
>>500
彦佐フィルターってのは注意しなけりゃいかんが上田城攻めが当初の予定通りなら附城とかしてじっくり攻める筈だと思うんだよね
それをあんな力攻めして攻め急いだのは第一次で後手をとったリベンジだったのか挑発に乗ったのかはわからんが、想定通りの城攻めでは無かったと思う
正信は関係無いのは同意
0510人間七七四年2016/10/07(金) 18:16:49.79ID:nUNE8OWj
両方で数万人死んでたらその数字も大々的にとりあげられてるよな
戦国時代最後の内戦は死傷者も最大規模デシタ、とかいって。
でも実際はそんなこともない
0511人間七七四年2016/10/07(金) 18:20:49.65ID:QaIsQxcM
>>509
いや、第二次と言われているものは、刈田の際の小競り合いだけで、
はっきり言って第二次上田合戦は存在しない
0512人間七七四年2016/10/08(土) 10:23:29.18ID:kE+/RVpt
第二次上田城攻めはなかったという史実を真田主人公の大河が採用したのは意外だったな
0513人間七七四年2016/10/08(土) 11:06:42.54ID:ECVEMCJD
朝鮮人とマスコミは都合の悪い歴史はなかった事にはしたがるので意外でもなんでもないですわ
むしろ当然の結末
0514人間七七四年2016/10/08(土) 21:45:15.99ID:RYlKAvqi
第二次上田合戦無かったって人は砥石城奪取も無かったと思っているのかな?
秀忠は何のために染谷に布陣してどうして小諸に撤退したの?
西上命令を染谷で受け取ったというなら何もせずに転進したのも分かるが、小諸で受け取っているんだよ
0515人間七七四年2016/10/08(土) 21:56:53.20ID:wNF3QTxd
>>514
砥石城は真田が戦わずに撤退と浅野長政宛秀忠書状に、また上洛命令を受け取ったのは上田と森忠政宛秀忠書状に記してある。
0516人間七七四年2016/10/11(火) 11:07:46.11ID:M8/6Ag2K
>>512
その代わりに、大坂冬の陣は大坂方の勝利とする丸島和洋説を採用するわけだが
0517人間七七四年2016/10/11(火) 18:59:48.52ID:UPJag8bS
さすがに史実の見せ場ゼロ大坂方はやれんだろうからな
0518人間七七四年2016/10/11(火) 23:04:54.14ID:lZmGiUEK
昨今否定された方広寺の鐘銘や惣堀埋め立ては家康の謀略説はやるのかな
0519人間七七四年2016/10/11(火) 23:14:01.54ID:ZeYhyGAc
鐘銘事件は終わった。
清韓の意趣返しって事になってた。
そんな学説あんの?
0520人間七七四年2016/10/11(火) 23:39:16.51ID:xIYiBFN6
>>516
勝利したのに自分の城の堀を埋めて惣構えを破却するのか?
0521人間七七四年2016/10/11(火) 23:52:11.18ID:JrIFI7MX
家康謀略説は今まで通りやるんじゃないの
史実通りのクッソしょうもない大坂方にしてしまうと
大坂にいる講談ヒーローの真田が目立てないし
0522人間七七四年2016/10/12(水) 01:16:57.29ID:CiC3mdaF
しかしまあ、関ヶ原の西軍といい大坂の陣の大坂方といい
何でこうも内部がグダグダなんだろか。
最盛期の秀吉がこのていたらくを見たら、さぞかし呆れて嘆息するだろうな。
0523人間七七四年2016/10/12(水) 02:56:04.69ID:ycVA6q9D
連合軍なんて大体そんなもんだろ
超求心力のある将がいるとごく稀にまとまって大敵を打ち破ったりするが
0524人間七七四年2016/10/12(水) 04:34:00.52ID:8Fe9zrpY
そうだよなあ
連合なんてのはまとまりに欠ける
やっぱ一強がまとめあげてないと。
0525人間七七四年2016/10/12(水) 06:57:03.68ID:bwPpAUsG
連合はあくまで単体で戦える実力を持った勢力が楽に事を進める為にするものだからな
お互い他人の力を当てにしなければならない勢力の集合体はただの烏合の衆
誰だって自分の被害は少なくしたいし、お互いに押し付け合って結局は共倒れになるしかない
0526人間七七四年2016/10/12(水) 09:12:08.55ID:N5qMyl+d
合従連衡
0527人間七七四年2016/10/12(水) 15:22:44.67ID:kHorGJh3
>>519
西大和学園教諭の説を採用したんじゃね?
0528人間七七四年2016/10/12(水) 16:12:58.02ID:f2bZLQEv
>>525
第二次大戦の連合軍ってのもアメリカ頼みだからな
アメリカいなけりゃ、英仏露だけじゃ日本やドイツを止められなかった
中国なんて言わずもがな
0529人間七七四年2016/10/12(水) 21:19:25.13ID:ktSFSVBB
>>516
豊臣方の勝利なんて言っているのは、禁教令や
オランダなどプロテスタント国との貿易を推進する
家康に反発を持っていた宣教師連中の報告書くらいだろうに
0530人間七七四年2016/10/13(木) 21:18:25.77ID:rFaiM0PN
大坂冬の陣 和議成立前日の書状発見
10月13日 12時27分

豊臣と徳川の軍勢が戦った大坂冬の陣で徳川方についた武将が、「近く和議が成立する」などと詳しい状況をつづった書状が見つかり、13日から京都市内で展示されています。
この書状は、徳川方についた武将、片桐且元が、西本願寺のトップの門主に宛てて書いたもので、ことし6月、東京都内の古書店で見つかりました。

慶長19年12月18日付けで、豊臣方が徳川方に謝罪の意向を伝えてきたことや、近く両者の間で和議が成立する見込みであること、また、2代将軍の徳川秀忠が且元の陣地を視察した際、上機嫌だったことなど詳しい状況が記され、実際にその翌日に和議が成立しました。
当時、西本願寺は豊臣方と友好関係にあったとされ、かつては豊臣方に仕え懇意にしていた且元を通じて情報を入手しようとしていたと見られています。

書状を発見した本願寺史料研究所の大喜直彦上級研究員は「まさにそのときの戦況について伝える書状は珍しく、新たな研究につながるのでないか」と話しています。この書状は今月21日まで、京都市の龍谷大学大宮学舎本館で展示されています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161013/k10010728411000.html
0531人間七七四年2016/10/13(木) 21:36:25.48ID:ng9EQxfd
だから冬の陣は和議結んだじゃん
なにもおかしなことはない
0532人間七七四年2016/10/14(金) 21:16:47.35ID:7YwKMQQ6
冬の陣豊臣が勝ったって論の平山や丸島あたりは
書状をどう評価するのかな
0533人間七七四年2016/10/14(金) 21:23:12.76ID:OSTA+alQ
「徳川方についた武将の言うことだから豊臣が謝罪したと捏造するだろう、信用できない部分だ」
0534人間七七四年2016/10/15(土) 12:09:23.18ID:czAC+/yU
ここのスレタイ一覧見ただけでも豊臣贔屓が目につくからな、まあ勝者のオーバーキル的なifは語られないものなんだけど
0535人間七七四年2016/10/15(土) 21:49:01.03ID:/CIxcAxw
「冬の陣で豊臣が勝った」なんて基地外レベルの妄言
0536人間七七四年2016/10/16(日) 06:42:56.90ID:UbfxCJil
>>534
それはないだろ
家康贔屓すぎて目が曇ってるのでは
0537人間七七四年2016/10/16(日) 06:54:18.64ID:RIGa0Dc9
丸島って時代考証のはずなのに史実にない事を主張してる池沼だよね。
0538人間七七四年2016/10/16(日) 10:46:50.88ID:xqwy7YiD
>>536
豊臣や西軍が勝ってたらを乱立させるのが普通だと思ってるんだな
真田ヲタもスレタイが気に入らないからって立て直してたことあるし
0539人間七七四年2016/10/17(月) 21:52:38.89ID:2KFbeORA
昔から講談とかで真田十勇士や岩見重太郎みたいなもの創作してまで
豊臣方を持ち上げる連中は多いからね
0540人間七七四年2016/10/17(月) 23:20:55.19ID:9aUYSU43
そもそも豊臣がアホ政権で外征や粛清で泥沼化したから
家康を筆頭大老として招聘して立て直しを図ったのに
三成ら既存官僚が権力にしがみつこうと暴れてトドメを刺した
豊臣方を持ち上げようとする発想が理解できない
はっきり言って豊臣が一時的にも天下を取ったこと自体が間違いだった
0541人間七七四年2016/10/18(火) 07:35:48.52ID:KmedhJCV
まったく意味不明
病的アンチで気持ち悪い
0542人間七七四年2016/10/19(水) 20:59:29.09ID:0V4bLQVg
>>532
実際に戦場にいた武将と伝聞が主体の公家の日記や
宣教師の報告を比較したらどちらがまだ信憑性があるかと言えば
前者だろうね
0543人間七七四年2016/10/19(水) 21:49:39.34ID:Ebrw6ZZA
いやその武将がどの立場にいたか、次第だろ
0544人間七七四年2016/10/19(水) 22:29:46.48ID:q7BQSVK+
>>541
病的信者には何も言わないの?
0545人間七七四年2016/10/20(木) 07:35:53.89ID:+M4GvJ9m
好きなものは構わんだろ
勝手にやっている分には知ったことじゃない
わざわざ攻撃してまわる奴は脳味噌腐ってるわ
0546人間七七四年2016/10/20(木) 21:15:02.14ID:CZj+BNHd
>>542
長沢聞書だと豊臣方の死者は一万八千三百五十人なのに
それを十万人と宣教師は報告してるしなぁ
0547人間七七四年2016/10/20(木) 21:51:07.66ID:W3hm/yj4
外人がなんの資料でそれ書いたのかもわからんのにな
信頼できるわけがない
0548人間七七四年2016/10/21(金) 07:39:53.87ID:BLWio0+7
嘘とか誤伝というか状況の違いもあるから真偽は多方面からの突き合わせがないと分からない
日記類や軍記類と書状類との数に大きな開きがある事はよくある
例えば数の単位が違う事がある
当時は士分しか数えない事もよくあり、1000騎と書いてあるのにそれを見て別の書物では1000人と表記してしまったり
逆に1000人を1000騎と表記してしまったりする
これでは何倍も数が違う意味になってしまう
他にも戦死者と死者の混同が数の差異に大きく影響している
合戦中での死者と、追撃による死者、更に戦後の落武者狩り等を含めた数ではかなり数に差がでる
知っての通り合戦中での死者はかなり少ない
殆どの場合が勝敗が決してからの被害と言って良く、そして伝聞は当然ながら戦後しばらくしてから伝わるものであり
死者が総数になっている可能性は高い
更に大坂の場合で考えると、城方の非戦闘員(家族や使用人)や一般民衆の死者や行方不明者まで加えていたりすれば10万程度の表記をされても不思議ではない(もちろん実数ではないが)
0549人間七七四年2016/10/24(月) 21:12:28.27ID:1re/Gaw4
>>505
遅参したというか、堅塁を失っているし大軍で迫れば豊臣方も屈服するだろうと当初西国大名に対しては出陣の支度だけ命じ
豊臣と手切れになったら西宮か尼崎に出陣参陣させる方針だったらしく、要するに西国大名には待機を命じていたら
豊臣の抗戦意思が思ったより強く四月中旬なって急遽大坂への参陣を命じたが、落城が早かったため
間に合わなかったり活躍の場が無かった大名が多数いたらしい
譜牒余録や山内家記録、生駒記等に拠るとそういうことになるみたいだね
だから島津は豊臣に同情しわざと遅れたと言う一種の美談は怪しいよな
0550人間七七四年2016/10/25(火) 07:07:40.44ID:XCQUX0Dr
そういや西国大名は本戦に殆ど参加してないもんな
九州の主だった大名で参加したのは黒田ぐらいでは
0551人間七七四年2016/10/25(火) 08:38:04.49ID:z8JXZWPX
>>550
細川
0552人間七七四年2016/10/25(火) 11:37:07.22ID:si38u7k3
細川の本国軍は島津と同時に上阪する予定だったから間に合ってないよ
0553人間七七四年2016/10/25(火) 16:50:29.64ID:VGm/cEi5
黒田もそうかな
黒田だけ兵隊を大量に連れていたとも思えないし
長政や忠興は江戸詰めの藩士だけを連れて家康と共に出陣し、本国の兵と合流する予定だったのか
0554人間七七四年2016/10/25(火) 22:09:44.61ID:fDmKp2m5
毛利の場合、夏の陣ではなかなか出陣命令が出ず、痺れをきらした秀元隊が
本隊より先駆けて豊臣軍相手に戦った事になっているんだっけ
そうなるとこの話も検討がいるかな
0555人間七七四年2016/10/26(水) 06:27:01.35ID:WXgAHU8d
長政は冬の陣のときは正則同様江戸で軟禁状態だった
0556人間七七四年2016/10/29(土) 20:45:39.01ID:+XOz+nvK
冬の陣では無くて夏の陣で西国大名が
どれだけ本戦に参加できたかの話じゃ無いの
0557人間七七四年2016/10/31(月) 11:17:20.16ID:CMkj3O79
真田丸では惣堀埋め立ての話どう描くかな
小山評定や第二次上田合戦、鐘銘問題は
新旧の説織り混ぜてって感じだったけど
0558人間七七四年2016/10/31(月) 12:20:11.89ID:DwkiIJQs
そりゃ豊臣側がだまされたってことにするでしょ
実は双方合意のうえの実質冬陣は豊臣負け戦デシタとはやれない
0559人間七七四年2016/10/31(月) 13:38:48.35ID:GqdgW46y
>>551
興秋はどうやって大阪に入り、軍勢はどれ位だったんだろうな

造反した訳だし、供は数十名位か…
0560人間七七四年2016/10/31(月) 13:44:46.99ID:GqdgW46y
幕府軍は、東国大名と、譜代の大名だけで充分だったんだろ。数も足りるし。

でないと、論功恩賞揉めるだろ。たった65万石だし。
0561人間七七四年2016/10/31(月) 15:16:21.61ID:vh2Ju5YP
>>557
内堀も埋めることが講和条件で内堀は豊臣担当だったが
中々着工せずに有耶無耶にしようとしたんでキレた幕府側が埋めた
とやってしまうとお綺麗な秀頼様に出来ないからな
当然いつも通り騙された豊臣ってことになるだろ
0562人間七七四年2016/10/31(月) 21:51:29.53ID:LKBp0s1p
結局豊臣はバカばっか
0563人間七七四年2016/11/01(火) 13:55:47.77ID:akSTFOKU
現代でもそうだけど1代で成り上がった所は大抵こうなるの多いよな
0564人間七七四年2016/11/01(火) 15:46:14.32ID:dmpzcD6b
秀吉の場合は成り上がりにも程があるしな
ろくに家臣もいないのに数年で天下人になってしまった
殆どが出向社員で構成されていた子会社が独立して8年で100万人規模の巨大企業になったようなもの
99.9%以上が元出向社員、ここ数年内で吸収した企業の社員、ヘッドハンティングした社員で構成されているようなもので
いくらなんでも経営上無理がある
0565人間七七四年2016/11/01(火) 20:07:36.20ID:O+fEiz3a
>>564
しかも親会社の元上司や創業家一族を配下に置いてね。
そりゃ、ライバル会社であり提携してる企業に乗っ取られるわな。
0566人間七七四年2016/11/01(火) 20:30:06.19ID:3movnKsf
>>561
尾張藩の附家老になる成瀬正成と紀州藩の附家老になる安藤直次が
堀の埋め立て工事の監督をしていた時、抗議にきた女中を正成が
からかったっていう俗説は流石にやらないかな
0567人間七七四年2016/11/02(水) 17:39:08.49ID:l3B+C17x
真田主役でもクソデブ秀頼のために戦うんじゃないではいかんのか
0568人間七七四年2016/11/02(水) 18:19:00.06ID:tEBvT7km
義のためという真田と最も縁のない要素を成立させるためには
秀頼は綺麗な秀頼じゃないと都合悪いからな
0569人間七七四年2016/11/02(水) 20:54:26.81ID:foQH8X9O
>>566
抗議によこすのが女中ってってところが
豊臣の人材層の薄さ、組織の構造を物語っているな
0570人間七七四年2016/11/02(水) 20:56:16.14ID:gymOnTOG
>>569
まあ作り話なんだけどな
0571人間七七四年2016/11/02(水) 22:38:47.01ID:U+6VhICP
堀を埋め立てるのは豊臣も合意したことなんだから抗議に来るわけがない
0572人間七七四年2016/11/03(木) 01:56:33.99ID:gZJ8bbdX
埋め立ててでも和議したい豊臣家
完全に負け側なので文句もなにもない
0573人間七七四年2016/11/03(木) 02:03:39.84ID:JOKzNFUA
丸島・平山説では、冬の陣は大坂方の大勝利だぞ
根拠:宣教師が大坂方の勝ちと記録しているから
0574人間七七四年2016/11/03(木) 04:43:13.93ID:elbF1f2O
大坂方大勝利の戦果=大坂城の堀の埋め立て
0575人間七七四年2016/11/03(木) 06:25:25.75ID:TQ3G3Q4r
大坂方大勝利=恩賞なし減封
0576人間七七四年2016/11/03(木) 06:30:20.07ID:ULS8pauf
堀埋め立ても豊臣はちょこっと埋めてそれでOKだと思ってたという説があるけど
大河ではどう取るんだろうね、定番の外堀総掘り説で行くのかな
0577人間七七四年2016/11/03(木) 06:35:54.29ID:TQ3G3Q4r
書面みつかってるからそれはない
堀うめたては徳川がやるのではなく大坂方にもふられていたので徳川が勝手にやったもない
全て取り決め通り
0578人間七七四年2016/11/03(木) 08:50:58.54ID:HJuW/n7h
内堀の担当は豊臣だったのに徳川が埋め立てんで文句言ったくらいはあったかもね
まあ作業が遅い豊臣が悪いんだけど
0579人間七七四年2016/11/03(木) 09:11:35.50ID:pH32On2P
期日とかあったん?
ないなら「そのうち埋めまーす」で放置が正解だが
0580人間七七四年2016/11/03(木) 11:54:50.77ID:HJuW/n7h
期限は知らないけど、埋め立て終わらないと諸大名たち帰国できないんじゃなかったっけ
0581人間七七四年2016/11/03(木) 13:29:05.59ID:acZb0YVt
徳川としちゃ埋めなきゃ許せないよな
0582人間七七四年2016/11/03(木) 15:15:11.29ID:Yr6SdfL/
>>590
ということは諸大名の陣夫も堀の埋め立てに参加したのかな。
そうじゃなきゃ総構えを埋めるのに骨や陶器の残骸、建物の残骸
などが無差別に使われるわけがない。
大坂方がいつまでも埋めないので、徳川も諸大名も切れたんだろうな。
0583人間七七四年2016/11/03(木) 15:37:28.47ID:bhZ7o53+
切れるもなにも期限を定めなかった徳川の落ち度やろ
期限がないなら千年後に埋めても良いわけだし
0584人間七七四年2016/11/03(木) 15:44:21.64ID:9LycuP5d
>>583
そういう屁理屈が社会常識として通用すると思ってるタイプかお前。
現代の裁判でもそんな考え方は負けるぞ
0585人間七七四年2016/11/03(木) 16:34:15.93ID:ULS8pauf
屁理屈通らなかったから強引に埋められた上叩き潰されちゃったんだよな
0586人間七七四年2016/11/03(木) 16:57:29.34ID:BklHTPLm
>>583
いや別に徳川が出張って埋めたのでなく豊臣が埋めたんだってば
0587人間七七四年2016/11/03(木) 21:03:54.08ID:gJzGytZ2
埋め立て工事が終わるまで一ヶ月近く掛かっているのに
俗説だとそれこそ抗議を誤魔化しつつあっという間に
埋め立てたみたいな話になっているしね
0588人間七七四年2016/11/03(木) 22:22:37.08ID:XLcEZQWe
講談を鵜呑みにしたら徳川はブルドーザーやショベルカーを持っていたことになるからなw
0589人間七七四年2016/11/04(金) 04:57:10.76ID:JJCE5gqc
大坂城だだっ広いしね
0590人間七七四年2016/11/04(金) 07:37:00.83ID:LSZQN2mA
>>584
お前はどこの土人だよ
0591人間七七四年2016/11/04(金) 08:25:22.86ID:3k/9OKbx
>>582
惣堀埋め立ての工事奉行は京極忠高が家康によって指名されてるし
毛利は埋め立て工事の際に現場でトラブルを起こさないように法度まで作ってる
基本冬の陣での攻め口がそのまま工事の担当場所に当てられたらしい
0592人間七七四年2016/11/04(金) 09:22:22.79ID:SSNol6I2
>>591
情報感謝。
まあ、それならあの堀の埋め立ての惨状も理解できるな。
冬にいつまでも野陣を張れないし、正月も自国で迎えたいし
幕府に良いとこ見せて心象も良くしたいし、各大名が必死に
埋め立てたんだな。
0593人間七七四年2016/11/04(金) 10:58:50.55ID:T+d4d/w7
何十万人もいたのだから堀埋めるぐらい直ぐにできるわな
0594人間七七四年2016/11/04(金) 12:22:40.63ID:bX2qVguB
わざわざ京極を工事奉行に指名したのは豊臣方の交渉役を務めた常高院の絡みかな
0595人間七七四年2016/11/04(金) 12:35:44.80ID:0Vm1NJA+
地味に夏の陣でも活躍してる京極忠高
0596人間七七四年2016/11/04(金) 20:57:54.68ID:3k/9OKbx
>>594
交渉を纏めた相手の血は繋がっててはいないとは言え息子が
責任者したらスムーズに進むと思ったんじゃないかな
その所為か家康は和議が纏まると早々に京都に引き上げて
その後朝廷の儀式にでも参加したのか、正月三日に
駿府に戻っている
諸大名が帰国したのは自分の担当場所の工事が終わった後で
秀忠が大坂を引き上げたのは埋め立て工事が全て終わったあとだったけど
0597人間七七四年2016/11/05(土) 07:52:37.48ID:XnAIhhTR
豊臣上層部に和議を勧めたのは、
徳川の意を受けた常高院、有楽斎の絡み
0598人間七七四年2016/11/05(土) 21:07:06.74ID:7lc24KNO
>>559
本郷和人「戦国夜話」(新潮新書)
けっこう面白い説を展開してる。
0599人間七七四年2016/11/05(土) 21:23:40.61ID:Yu4zAuDO
>>573
宣教師の報告は採用しても、オランダ人が書いた報告書は無視か
0600人間七七四年2016/11/05(土) 21:30:37.22ID:ruyENevk
外人の記録は全部そのときの弾圧でベタ誉めか反発かの二極だもんな
0601人間七七四年2016/11/06(日) 01:02:23.37ID:Z+hGfOpF
即席の真田丸とかいまでも地形として残っちゃってるのって
ヤバくないっすかね?
地盤とか大丈夫なんだろうか・・・
0602人間七七四年2016/11/06(日) 20:56:43.25ID:nN6JPYdh
>>596
自分だけ早々に引き上げちゃったのか
0603人間七七四年2016/11/06(日) 21:39:42.68ID:uh4e0TN7
形だけでも秀頼が出陣さえしてれば、勝利の可能性もゼロではなかったろうに・・・
0604人間七七四年2016/11/06(日) 22:02:45.27ID:Azswied4
淀が認めるわけないから
それはifで可能性ゼロなんだよな
0605人間七七四年2016/11/06(日) 22:16:28.40ID:N/K/KbMQ
>>603
いや大坂の陣に至っては出陣しようがもう遅すぎ
0606人間七七四年2016/11/06(日) 22:44:23.17ID:heAq2nHy
大坂の陣が起こるまで豊臣家は助けを求めれば大名の内のいくらかは入城してくれると期待していた。
で、結果はどこもガン無視。
次に大坂城の浪人たちは秀頼が出陣さえすれば敵方に動揺がはしると期待した。
上記の件を踏まえて、こっちはその通りになると思う?
ありもしない希望的観測にすがって軍事冒険主義にのりだして破滅しただけだよ。
0607人間七七四年2016/11/06(日) 23:36:17.65ID:6xdl9Ikz
結果論だけど大阪冬の陣はもう少し豊臣が粘れば勝てたのに
0608人間七七四年2016/11/06(日) 23:38:26.34ID:GIjdw9Fw
ホントそんな感じ
豊臣の威光なんてとうに潰えているのに本人らは全く気がついていない
いつまでも足利の世でないのと同じく豊臣も永遠でない
なにより秀吉が照らしていただけで秀頼に光なんてまるでない
0609人間七七四年2016/11/06(日) 23:39:07.51ID:GIjdw9Fw
>>607
勝てないよ
勝てる要素なんてない
それが通るなら北条も負けてない
0610人間七七四年2016/11/06(日) 23:58:53.43ID:heAq2nHy
>>608
たださ、絶望的な現実を見つめるより、コックリさんにでも頼ってる方が気が楽だと、開高健の母ちゃんも言うてるしな。
徳川に頭下げて城から出て現実に生きるより、殺されるその時までパジャマ着て吠えてたほうが良かったんかもね。
0611人間七七四年2016/11/07(月) 03:15:33.91ID:1UJgs52H
>>610
まあいつの世も現実逃避する人間はいるかもね
0612人間七七四年2016/11/07(月) 06:30:34.62ID:H3e5Lnqs
援軍の来ない籠城戦は絶対に勝てない。なら北条も勝っとるよ
0613人間七七四年2016/11/07(月) 07:36:07.64ID:BfNNDaIC
>>612
それネタ戦訓だから本気にしない方が良いぞ。
実際には援軍の問題ではなく、落城まで包囲を続けられるかどうかだ。

例えば謙信が来襲した時は小田原籠城で普通に切り抜けられたからな。

ま、大坂の陣の話に戻すと豊臣方の勝ち目はまったく無いので冬の陣の和睦は上出来の部類だろう。
裸城で夏の陣を引き起こした無謀さはどうしようもない。
0614人間七七四年2016/11/07(月) 09:37:14.05ID:Hm8Xs1zA
>>606
図体が大きいばかりで優れた資質を伺わせる逸話が皆無だからな、秀頼
それでも馬前に出てくれば徳川方に対する影響力は兎も角
豊臣方の士気は上がったろうに、ちょっと説得されたくらいで
取りやめちゃうしなぁ
0615人間七七四年2016/11/07(月) 10:41:09.49ID:VJdsvBOc
最後の最後まで各種ルートで助命嘆願している人間がわざわざ出撃しないわな
秀頼出馬で一発大逆転するかのうせい確率よりも助命嘆願が成功する可能性のほうが高かろう
0616人間七七四年2016/11/07(月) 21:57:37.85ID:3+KsTOTj
>>613
だって謙信はポーズなだけですぐ引き返したんだろ?
兵糧の補給路を確保出来なかったから引き返した。信玄もそう。
0617人間七七四年2016/11/08(火) 02:00:56.45ID:gBlpLK5w
謙信は国をあけてると自領攻められちゃうしな
単に籠城しててもダメだわ
0618人間七七四年2016/11/08(火) 09:49:49.68ID:qQktmJc4
>>615
牢人達が全滅してから命乞いしたってよく言われるが
逆に牢人達がいた所為で降伏したくても出来なかったことはないかな
全滅してくれたおかげで漸く降伏できたとか
まあその場合、豊臣の統率力が問題になるんだけど
0619人間七七四年2016/11/09(水) 08:26:13.38ID:yqt/AJuQ
>>613
裸城だから戦うしかなかったんだろ
徳川としてはもう恐れるものは何もないし、後はもう無理難題ふっかけて潰すだけだし
もう豊臣が生き残る目はゼロ
0620人間七七四年2016/11/10(木) 00:59:53.74ID:Jdm+hWM3
むしろ牢人衆よりやる気あるだろ
大野も木村と兵権持ってる中心人物らがバリバリ主戦派じゃねえか
0621人間七七四年2016/11/10(木) 09:32:51.40ID:loMnc7d8
>>613
実質武田が信濃で動いてるし当地まで援軍にくる必要はないだろ
0622人間七七四年2016/11/10(木) 20:54:01.66ID:vbAGribS
>>618
さすがにそれは秀頼が情けなさ過ぎるだろう
0623人間七七四年2016/11/12(土) 08:29:49.51ID:EahFoBFd
>>549
夏の陣の出陣の際、家康の言葉「鎧兜は無用。腰兵糧も三日分あればよい」って
従来三日もあれば豊臣滅ぼせるって解釈がおおかったけど、大軍で脅せば
降伏させられると考えていたなら、その程度の装備で確かに十分な感じがする
0624人間七七四年2016/11/13(日) 20:58:42.57ID:YM+SKMbr
降伏してれば一大名家としてなら生き残れたかも知れないな
よく豊臣家か必ず断絶されただろうという人の根拠は
福島家や両加藤家の例を挙げるけど、ここ最近の研究だと
徳川の陰謀ではなく自滅しただけって説も出ているみたいだし
実際豊臣恩顧で生き残ってる大名家も多数あるわけだし
0625人間七七四年2016/11/13(日) 22:29:29.35ID:1SM5XlwF
しかし豊臣家は加藤家や福島家よりも中身の質が悪いという
0626人間七七四年2016/11/14(月) 07:39:09.03ID:8onUrIe3
>>624
ちょっと待て。

福島や加藤(会津)の改易について陰謀論を否定された説が提示されたのは
25年も前の話で最近の研究じゃないよ。
0627人間七七四年2016/11/14(月) 08:24:34.77ID:fRTpL3Ra
>>624
生き残れたと言う主張は何の根拠もないけどな
0628人間七七四年2016/11/14(月) 08:54:47.02ID:U9H0NjQS
逆もまたしかり
0629人間七七四年2016/11/14(月) 20:34:33.24ID:WJl37sMn
>>626
そのわりには浸透してないな
0630人間七七四年2016/11/14(月) 20:36:11.84ID:C207vzPJ
>>629
バカは勉強しないからな。
0631人間七七四年2016/11/14(月) 20:44:30.34ID:vfbUXgC/
>>626
笠谷が1995年に発表した論文で言及していたのは
会津ではなく肥後加藤家じゃなかったか
0632人間七七四年2016/11/15(火) 04:55:56.28ID:y2J+noC0
新事実ってのは浸透するまで時間かかるからな
桶狭間の迂回奇襲説だって最近ようやくテレビでも採らなくなった
0633人間七七四年2016/11/15(火) 06:59:34.10ID:6lhC/BZx
旧説もいつまでも唱える人が絶えないから新説も浸透しないよな
0634人間七七四年2016/11/15(火) 08:27:16.73ID:2OH9rg98
ドラマだの小説だので俗説が再生産されるから、なかなか一般まで普及せんからな。
大坂の陣だと「鐘銘事件」の解釈が似たような問題だな。
0635人間七七四年2016/11/15(火) 17:40:19.84ID:9p2FC8MB
>>631
会津加藤家にも触れてはいるがあまり史料が無いようで深くはやってないな
「明成が病気になったから領地返上したいと言って来て、老中が説得しても将軍が隠居でいいじゃんとなだめても聞く耳持たない、
訳わからないけど、意志が固いから改易になった。」という幕府の説明が正確なら調べようもない事件だけど
0636人間七七四年2016/11/15(火) 21:10:29.66ID:JwQzd9ty
>>629
論文なんて普通の人は読まないからね
だから一般書で改めて言及したんだろうけど
歴史関係の本なんて興味ある人しか読まないしなぁ
0637人間七七四年2016/11/15(火) 22:58:07.10ID:auoSTGCV
木村重成って今福の戦いが初陣なのに次の若江の戦いで単独で6000もの兵を任されてるけどこれ滅茶苦茶な人事だよね?
0638人間七七四年2016/11/15(火) 23:24:24.61ID:9p2FC8MB
人材難だからな。
0639人間七七四年2016/11/16(水) 00:03:33.44ID:4nvy42ip
秀頼の乳兄弟だし、重茲の子だとすると元々6000程度を率いる分限の出自とも言える
0640人間七七四年2016/11/16(水) 05:14:48.84ID:iEPskgC9
若武者にありがちな血気に逸った結果案の定討ち死にしちゃってるし格のある抑え役置くべきだと思うんだけど大阪方には何か考えがあったのか?
道明寺方面が濃霧で作戦破綻してたから八尾、若江の敗北の報も大して影響なかったけど、予定通りに行って戦闘進めてたら重成戦犯ってレベルじゃねーぞ
0641人間七七四年2016/11/16(水) 08:27:04.77ID:4nvy42ip
速水守久とか長年秀吉の側近を勤めて戦でも政でも実績があるし十分に一手の大将が勤まったと思うのだがね
0642人間七七四年2016/11/16(水) 08:39:23.78ID:Oz0wAzMJ
七手組ってなんか評価低いよね
青木と伊東以外大坂の陣で討ち死にしているのに
0643人間七七四年2016/11/16(水) 19:57:01.50ID:gENOySKV
豊臣は完全にお公家さん化して馬鹿殿っぽく
振る舞えば生き残れただろうか?まあ大阪から
でるのは必須だろうが
0644人間七七四年2016/11/16(水) 20:43:55.40ID:QBwPk3M7
>>643
家康も今川を保護してるしな
秀頼の出方次第だったろうな
0645人間七七四年2016/11/16(水) 22:09:48.98ID:8Xgcmt9k
遥か昔に没落し、今や何の権力も保持していない地方大名の今川と豊臣では比較しようもないぐらい掛け離れている
0646人間七七四年2016/11/17(木) 09:21:36.82ID:82Ecli9m
>>643
秀吉が秀次を生かしておく確率よりは、まだ秀頼が生き残れる確率のほうが高そうw
0647人間七七四年2016/11/17(木) 10:04:24.63ID:2fJg8O+4
秀頼も千姫との間の子作りに励み、上総、下総当たりに転封し、江戸定府、藩政は幕府派遣の付家老に委任とかなら生き残れたかもな。
0648人間七七四年2016/11/17(木) 10:22:24.16ID:c5VMVvGy
何の根拠もない妄想を垂れ流しても意味はない
0649人間七七四年2016/11/17(木) 12:36:04.11ID:kyStTT/w
今川は高家1000石だからな
秀頼が1000石で我慢できるなら
大坂の陣なんて起きてない
0650人間七七四年2016/11/17(木) 13:30:37.53ID:6A6RQc5D
>>647
さすがに房総に封土はありえないだろ
0651人間七七四年2016/11/17(木) 14:50:41.84ID:0ufkE50C
1000石とか喧嘩うるにもほどがある
0652人間七七四年2016/11/17(木) 16:04:41.72ID:tQ5CwymT
軍事力と直結してるから危険視されるのであって
当主は在京で領地は遠国にという形のほうが当人にとっても安全だろう
領国は幕府が監視しやすく各式で大国の上総はありなんじゃない
0653人間七七四年2016/11/17(木) 16:30:26.06ID:0ufkE50C
親藩譜代以外は関東から徹底的に排除したのに、よりによって一番危ないのを江戸の背後に置くとか意味不明過ぎるだろう
0654人間七七四年2016/11/17(木) 17:19:54.13ID:t52YiZng
大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最期を記す史料発見
11月17日 12時10分

NHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場する武将、後藤又兵衛が大坂夏の陣で討ち死にした場面を記した書面が見つかりました。
ひん死の又兵衛の首を、豊臣秀頼からもらった刀で落としたことなどが記されていて、専門家は、又兵衛の秀頼への忠誠心を示す貴重な史料だとしています。
後藤又兵衛は、その勇猛さから「槍の又兵衛」と称された武将で、大坂夏の陣で豊臣方について、大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁らとともに戦いましたが、伊達政宗の鉄砲隊に撃たれて最期を遂げたとされています。

見つかった書面は横35センチ、縦27.4センチで、又兵衛が討ち死にしたときの様子が13行にわたって記されています。
それによりますと、又兵衛の下で戦っていた武将、金万平右衛門が、ひん死となった又兵衛の首を、秀頼から又兵衛に与えられていた刀で落とし、秀頼に刀を返したと記されています。
また、その際に首を持ち帰ることができなかったため、又兵衛の折れた旗を討ち死にの証拠として秀頼に差し出したなどと記されています。

書面は、京都府内に住む平右衛門の末えいの元に残され、岡山県立博物館の調査で内容が初めて明らかになったということです。

調査に関わった、九州大学基幹教育院の福田千鶴教授は「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げたと言うことができ、又兵衛らの秀頼に対する思いとともに、秀頼が又兵衛を信頼していたことも読み取れる貴重な史料だ」としています。

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
0655人間七七四年2016/11/17(木) 17:31:31.12ID:GH8tybSk
当代記では上総安房を提案したとあるな
0656人間七七四年2016/11/17(木) 17:47:11.21ID:inM14jyr
調査に協力したの福田千鶴かよ……
0657人間七七四年2016/11/17(木) 21:44:09.53ID:SNQtV+Xr
首をおとした、まではわかるがどうやって秀頼に刀を返すかねえ、敗戦してるのに。
0658人間七七四年2016/11/17(木) 23:25:31.33ID:t52YiZng
大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最期を記す史料発見
11月17日 12時10分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161117/k10010772341000.html
0659人間七七四年2016/11/18(金) 04:20:15.05ID:IsziJVFk
>>657
毛利勝永さんに連れて行ってもらったんだよ
0660人間七七四年2016/11/18(金) 11:06:38.19ID:50b7TrFp
>>657
敗戦言うても普通の場合、死者はほんの数%やで
死者の大半は勝敗が決した後の追撃と落武者狩りによるもの
道明寺の場合は後詰めが居て追撃を防いでいるから後藤隊の大半は後詰めに合流して引き揚げた模様
0661人間七七四年2016/11/18(金) 21:09:16.97ID:b/1QhSyr
>>648
豊臣信者はどうやったら関ヶ原で西軍が勝てたとか勝てたらどうなったとか
あるいは大坂の陣で豊臣方が勝てたとか勝ったらどうなったかとか
根拠の無い妄想延々と語ってるじゃ無いか
0662人間七七四年2016/11/19(土) 11:05:27.65ID:/SjFHvAP
関ヶ原→夜襲を却下していなければ、秀頼が出陣していれば
大坂の陣→夜襲を却下していなければ、秀頼が出陣していれば

豊臣信者は根拠の無い妄想を延々と語ってるわりに言うことがいつも同じだからな
0663人間七七四年2016/11/19(土) 14:53:02.95ID:f6iLykeB
負けたことにIFをつけてもはじまらないよね
それが許されるなら東軍にも同じく有利なIFを重ねたらいいだけ
0664人間七七四年2016/11/19(土) 15:23:16.13ID:Y1PdL2Py
大体その手の話になった場合
史実通りに動く相手に対してクソ有利な条件を重ねるだけだからな
全く違う動きをすれば当然相手もそれに対応するだろうに
それは一切許されないというしょうもなさ
0665人間七七四年2016/11/19(土) 16:18:10.23ID:Jty1NjpR
火葬戦記だな。
0666人間七七四年2016/11/19(土) 16:22:11.24ID:J38FUtl2
>>664
そうそう、言い出したらきりがない
歴史ってのは立場による視点の変化こそ議論の楽しさで済ませられるけどもしあのときこうだったら、は歴史そのものを否定してるよね
物語つくってるのと変わらんという。

敗者のロマンくらいは語ってもいいけど悲劇の登場人物がもしも、なんてのは蛇足にすぎる
0667人間七七四年2016/11/20(日) 10:14:33.60ID:vkC5wa5v
面白いからしょうがないってのと、IFを考える際に現実は何ゆえそうなったのかを考えさせてくれるという点で、全くの無益ではないかと。
まぁ、負けた方を過剰に持ち上げて、到底あり得ない経過から気持ちがいいだけの結論にたどり着くのがほとんどだけど。
0668人間七七四年2016/11/20(日) 12:46:33.15ID:g3yAx9hd
可能性をさぐる、という面は否定しないけど、たいがいの「もしも」は自分の好きな展開になるなら、の都合よい解釈ばかりだからねえ
0669人間七七四年2016/11/20(日) 18:31:28.45ID:EnQ9sNov
大坂なら一人寝返ればみんな俺も俺もと言うほど潜在的な豊臣支持者だらけとかな
突発的な寝返りによる混乱はそいつの隊や自軍にも及ぶ、ゲームで赤が青に変わるのとは違うのもわかってない
しかも家康より先に若死にした大名に豊臣派で危険だから暗殺されたと言っておいて残った大名に期待してる
0670人間七七四年2016/11/20(日) 21:10:59.07ID:k1t3pHM7
秀頼は諸大名が従うような素質も実績も見せたこと無いのに
家康が死ねば秀忠は無能だからどうにでもなるってしつこく主張してた奴もいたな
0671人間七七四年2016/11/20(日) 21:28:33.34ID:vkC5wa5v
相手が無能じゃないと勝てませんていう自白だと思おうよ。
0672人間七七四年2016/11/20(日) 21:41:34.57ID:BQMl6UZu
家康の豊臣攻めがなくてもいずれかの武将が攻めてきてただろうな
それくらい秀頼には求心力がない
0673人間七七四年2016/11/20(日) 21:45:13.32ID:6cmrHUnH
そうしたら秀頼を勝手に攻めた大名が家康に滅ぼされるんじゃないかい
0674人間七七四年2016/11/20(日) 21:58:00.98ID:4z6EQoZz
そして攻められた秀頼にも問題ありと難癖つけて石高削減
0675人間七七四年2016/11/20(日) 22:02:18.68ID:BQMl6UZu
>>673
その場合は家康は存在しない、としてだよ
家康がいなくても誰かに攻められてたって話だから
0676人間七七四年2016/11/20(日) 22:02:38.62ID:2gdU/XaE
将軍の娘の千姫が大阪城にある限り、独断で大阪城を攻めるバカはは居らんだろう。
0677人間七七四年2016/11/20(日) 22:02:41.16ID:k1t3pHM7
それを繰り返していけば牢人どもを抱え込むことも出来ず
当初の目的だった豊臣家の臣従も達成出来るんじゃいないか
まあその前に豊臣家が暴発して、秀忠がキレて滅亡されそうだけど
0678人間七七四年2016/11/20(日) 22:43:14.73ID:6cmrHUnH
>>675
でははじめから家康が大坂攻めをしないで死んだ場合と明記しておくれ
どちらにしろ徳川政権下でそんな勝手をできる大名家はないよ
0679人間七七四年2016/11/21(月) 21:40:21.22ID:z6TLnbqg
鎌倉、室町、江戸と幕府政権は三つあるけど
最も安定した政権だからね
統制力の強さは半端ないしね
0680人間七七四年2016/11/21(月) 23:09:33.87ID:KQwGUOJJ
難しい問題は織田と豊臣があらかた引き受けて潰していたからな
ほんと家康の運の良さは異常
0681人間七七四年2016/11/22(火) 02:30:23.63ID:EdLAPH4O
真田丸要塞を攻略することは不可能です
0682人間七七四年2016/11/22(火) 07:14:43.77ID:Eb4R59ML
真田丸なんて単に局地戦のひとつでしかない
0683人間七七四年2016/11/22(火) 08:34:05.05ID:xJ+rx3E/
>>680
アホか。中世の根本的な問題は全部徳川幕府の成立まで先延ばしされてたと言うのに
0684人間七七四年2016/11/22(火) 09:01:52.06ID:Apsnh5bp
今川義元の法治主義の承継だな。
朝廷、武家、寺社統制を明文化。
0685人間七七四年2016/11/22(火) 12:05:12.54ID:NPWx/ZY1
それを実行できる実力を持っていたからこその徳川幕府
0686人間七七四年2016/11/22(火) 20:29:11.42ID:nueiriN4
>>683
どんな問題だよ
むしろ現代まで負の遺産を残しただけだろ
0687人間七七四年2016/11/22(火) 20:46:17.66ID:dYLOCiai
負の遺産(笑)
0688人間七七四年2016/11/22(火) 21:57:38.11ID:oVICYnkz
猿や治部の不始末の尻拭いで苦労したんだ。
0689人間七七四年2016/11/23(水) 03:11:48.81ID:4vKMkTG5
>>687
負の遺産とはおそらく儒教の導入のことを指していると思うがそれを言うなら関白秀次も儒教による豊臣家の支配体制を確立しようとしていた
つまり当時の為政者が儒教を導入したのは秩序回復の道具として適していたからに過ぎず、戦乱の動力となった下克上の風潮を否定するためにその導入は避けられないものだった
少なくとも人臣最高位の官位を傘にまともな基準すら定めない人治主義を行なった奴よりは聡明なやり方だわな
誰とは言わんが

儒教が良いとは微塵も思わんが何でも耳当たりの良い政策を行うのが絶対という風潮は何とかならないのだろうか
それをした筈の欧米でこれまで絶対視されていた民主博愛共存が真っ向から否定されているのを考慮すれば政策なんてその時に応じて変化することなど「猿」でも理解できるだろうに
あっちは思想ではなく移民という取り返しのつかない負の遺産を残したがな
0690人間七七四年2016/11/23(水) 05:46:40.91ID:9OxZgB3/
まあ現代日本で儒教がすたれたのはプラス展開だな
0691人間七七四年2016/11/23(水) 22:15:47.50ID:AApiQqPJ
易姓革命がブームになってくれればブラック企業も減るかもな
0692人間七七四年2016/11/24(木) 06:24:20.29ID:ggGs6uE0
老舗企業がどんどん無くなります
0693人間七七四年2016/11/27(日) 21:04:56.48ID:Yp2goJaU
宮帯出版社から「大坂の陣 豊臣方人物事典」が出るね
阿呆みたいな値段だけど
0694人間七七四年2016/11/27(日) 21:23:47.38ID:TK0HdOO+
大坂の陣豊臣方限定なら7千から1万かなと思ったら倍だったでござる
0695人間七七四年2016/11/27(日) 21:38:55.14ID:LZjb2M+i
松尾山の初戦でゴトウマタベエは敗死したわけだが、はっきりいって信繁やら勝永やらは間に合わないとか言う前にすこしは打ち合わせをちゃんとしとけやと。
布陣もできてないのに戦闘もなにもねえだろ

大阪側はバカばっかだな
0696人間七七四年2016/11/27(日) 21:48:20.31ID:TK0HdOO+
まぁ烏合の衆だし
0697人間七七四年2016/11/27(日) 22:11:23.56ID:Yp2goJaU
ついでに出版社のHPでの本の紹介文

 大坂冬の陣・夏の陣で豊臣方に加勢した家臣、古参・新参の諸士、女房たち千名以上を収録した、豊臣方では初の人物事典。
 大阪城天守閣館長の監修の下、史料に基づき一人ひとりの人物を詳述する。

【内容】
○大坂城五人衆列伝(真田信繁、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親、明石掃部)
○豊臣方人物事典(織田有楽・頼長、大野治長・治房、木村重成、薄田兼相、速水守久、塙団右衛門など、約1,000名)
○豊臣方女房衆事典(大蔵卿局、饗庭局など、約30名)

付録も充実!
・「秀頼御上洛之次第」に記載の全人名リスト
・「慶長十六年禁裏普請帳」における大坂衆
・大坂七組
・大坂籠城中の軍職等
・大坂籠城諸士・女房らの相関図
 裏面には、重要文化財『大坂夏の陣図屏風』(右隻・第3〜4扇、大阪城天守閣 蔵)のカラー拡大図を収録。(A2サイズ相当)

【特徴】
1.大坂の陣で豊臣方に加勢した家臣、古参・新参の諸士、女房たち1,000名以上を収録した初の人物事典。
 今後の大坂の陣研究に欠かせない画期的な資料集。
2.本書に収録した人物の記述はすべて史料に基づくもので、その出典をもれなく明記した。
 また、編年体の記述を基本とし、適宜改行を入れて読みやすさにも配慮した。
3.収録した人物は五十音順に配列。「大坂城五人衆」の有名武将と約30名の女房たちは別の章立てとし、列伝としての読みやすさや、事典としての検索のしやすさを両立させた。
4.開きやすさと堅牢性を兼ね備えた製本方法を採用。当該ページを開いたままにしておける。
5.付録も充実。「秀頼御上洛之次第」記載の全人名リスト(翻刻)を収録したり、豊臣方の主な武将や女房たちの相関図を作成するなど、今後の研究に活用できる資料を多数収録。
0698人間七七四年2016/11/29(火) 09:07:34.04ID:psFWrIAD
大坂の陣の理解って大阪の土地勘がある地元民が圧倒的に有利だと思う。
関東人の俺は大阪の地名出されても繁華街か過疎か高低差や距離感も全くわからんわ。
0699人間七七四年2016/11/29(火) 09:20:42.58ID:psFWrIAD
わかんないのは仕方ないから地図見て覚えるしかないわ
0700人間七七四年2016/11/30(水) 07:11:10.40ID:raUfQms0
それはあるな
と言うか地理を把握していないと何も語れない
一見おかしな戦術や戦略を立てているように見えても実際の地形を見ると納得する事は多い
更に言えば昔と今とでは街道はもちろん地形も大幅に改変されている事が多い
学者ですらその辺りの検証すらなく無能だったからだと安直に断定している人が多いのは嘆かわしい
0701人間七七四年2016/11/30(水) 08:01:03.78ID:vDnxouK3
大阪城のすぐ南の「森ノ宮」にバイクで3年間 毎週通った。
ブラタモリで、「大阪城から南にかけて台地が続いている。」って言ってたけど、あのへんはずっと平地だった気がする。
0702人間七七四年2016/12/03(土) 13:58:58.73ID:1w8YZu3o
島津を取り潰してたら彼らは十数年後大阪に入城して10万の兵を束ねて徳川を攻めただろうから
(島津なら野戦を主張しただろうし、大蔵卿ごときが抗える武将でない)、
島津を無罪放免にした家康の判断は大正解だったな。
0703人間七七四年2016/12/03(土) 14:06:32.58ID:zm7Rtb6u
釣れますか
0704人間七七四年2016/12/03(土) 14:55:16.45ID:R2jG6W21
島津なんて遅刻してくるから城にすら入れないだろう
0705人間七七四年2016/12/03(土) 17:05:28.37ID:tr3g+BXd
>>701
おまえ、台地って何か理解できてる?
0706人間七七四年2016/12/03(土) 18:08:42.34ID:Xft7ti5r
>>702
そのころには秀吉系列の大坂城はもうないんですけど。
0707人間七七四年2016/12/05(月) 00:17:43.69ID:T8ST0ECJ
>>701
地形はもっと広く立体的に見ないとな。
例えば河岸段丘の上を見たら平地が続いてるようにしか見えないからな。
0708人間七七四年2016/12/05(月) 20:21:32.99ID:vgNNyXnO
>>701
釣り乙
0709人間七七四年2016/12/06(火) 22:29:20.49ID:in+vd36y
>>702
島津とかそれこそ自分達の都合が良い史料捏造している連中だろうに
伏見城籠城を元忠に断られたとか直政の死因が島津撤退時の鉄砲傷が原因とか
大坂の陣の遅参の理由が豊臣家への同情とか、参陣していなかったのに
真田をやけに賞賛して、まるでその場にいたかのように装ったりとか
0710人間七七四年2016/12/06(火) 22:43:14.36ID:su3VBhVD
会津人乙
0711人間七七四年2016/12/16(金) 08:58:48.80ID:jOi43H8j
真田丸も終わりが目の前だし、大坂の陣の話も下火になるかな
0712人間七七四年2016/12/16(金) 13:37:40.13ID:T5lkTn6R
ここに来て真田丸の発掘とか誉田の戦いや天王寺の戦いの
新陣地の発掘出てきたり色々おもしろいね
後藤又兵衛は警戒部隊兼誘引部隊だったが遅滞戦闘中に流れ弾で死んだと
でも残った部隊はちゃんと任務果たして伊達隊に川を渡らせて
戦場に誘引成功したとか
茶臼山と岡山の間を陣地化して戦闘してたとか
一部大河にも取り入れてたな
0713人間七七四年2016/12/16(金) 20:29:13.69ID:k4Vvsiom
積極策を採用してたら豊臣方は勝てたのかね?
0714人間七七四年2016/12/16(金) 20:54:32.44ID:01eM/JNL
少なくとも攻めにくかったかもね
だけど積極策のねらいは時間かけてそのうちに家康が亡くなったり徳川軍からの寝返りを期待したり、と割と他力本願
0715人間七七四年2016/12/17(土) 06:57:05.27ID:Gy/5e1nb
豊臣恩顧でも福島正則が兵糧送ったくらいだろw
そのうちみんな改易・取り潰しだろ可哀想に
0716人間七七四年2016/12/17(土) 09:30:05.34ID:G4YMfXiT
夏の陣での豊臣方の作戦はほとんど機能しなかったの?
0717人間七七四年2016/12/17(土) 11:27:34.04ID:i4Hl2V1e
>>711
多分。
戦国板関連でいうなら「真田をやれば大河の人気と視聴率が回復する!」と数年に渡って強固な主張をしていた菅沼遼太が、完全にアテが外れてかなりヘコんでるから、ちょっとはマシになるかも。
真田をやれば武田が誉め称えられると期待してたらしい。真田をやれば賞賛されるのは主人公の真田で、武田の影響なんて無視されるに決まってんのになw
0718人間七七四年2016/12/17(土) 11:42:24.91ID:ntfjelI3
>>716
夏の陣は牢人衆が打ってでる、くらいしかなかったよね
作戦といえるのかどうか。
とにかく家康をつけねらって突撃、ってのは講談のネタにはなってるけど結局ダメだったし。
松尾山布陣だっけ?打ち合わせが悪くてマタベエ無理して突撃するし、ホント少しは自重しろと。
0719人間七七四年2016/12/17(土) 13:54:24.82ID:NNwRFRip
>>717
真田が主役なら目立つはずと皮算用してた水野厨みたいだな
0720人間七七四年2016/12/17(土) 16:50:01.33ID:vbfC6MM5
>>718
逆に言うとやる気満々だったのが不思議
後藤にしろ塙にしろ木村にしろみんな張り切り過ぎて自爆してるし
堀を埋められて最早打つ手無しの状態でも夜逃げするどころか決戦になったことが奇跡
何百年の歴史を持つ名門大名ですら一度傾きだすと譜代や一門でさえ逃げたり寝返ったり散々な有り様で惨めな最期を迎えたけど
豊臣は戦国の最期を飾るに相応しい稀有な大決戦で散れて幸運だったと思うわ
0721人間七七四年2016/12/17(土) 20:21:58.15ID:PHb0HKjc
>>720
ぶっちゃけ自分を過信してたんだろうね
我こそは日本一の兵なり、とw
少しばかり腕におぼえがあるとかそんなもんこれまで弱い相手ばかりだった可能性すらあるわけで。
突撃バカとしか言いようがない
0722人間七七四年2016/12/18(日) 00:17:27.22ID:2ucb1Krd
上杉軍に家康から伝令が走ったが、無言で返事しなかったエピは史実なのか
0723人間七七四年2016/12/18(日) 01:59:44.21ID:qJ295t+8
浪人衆は関が原浪人が多かったようだし
今更城退去してもどこも雇ってくれないしな
0724人間七七四年2016/12/18(日) 04:10:19.61ID:XxBBRIeE
牢人衆は所詮山師だろう、豊臣方が勝てば大名になれるかもしれんし、負けても今より身分が落ちる事は無い。
そんな連中を統制する事なんて至難の業だわな
0725人間七七四年2016/12/18(日) 04:23:18.16ID:zBW5+Hyx
豊臣側にはるしかない負け組ども
義理ガーとか御恩ガーとかいうなら元の雇い主から出奔すんな
0726人間七七四年2016/12/18(日) 22:16:19.83ID:uKsr/JJg
秀頼が出たら勝てると言わせすぎて刷り込みになってる
秀頼なんて出ても介護しないといけないから邪魔なだけと言うドラマはないのか
0727人間七七四年2016/12/18(日) 22:39:33.35ID:PyjcUtzY
>>722
上杉軍が無言なのはいつものことじゃね?

主従ともども大坂城を黙ってにらみつけてて
それを見た家康も「さすが上杉殿じゃ」とべた褒めしたとか。
0728人間七七四年2016/12/18(日) 22:58:10.92ID:USNnfzmf
成果もないのにえらそうな上杉
0729人間七七四年2016/12/20(火) 07:06:06.36ID:YxP02IFC
大坂城の周りって原っぱだったの。城下町があって市街戦みたいの想像してたんだけど。
0730人間七七四年2016/12/22(木) 08:06:09.28ID:YVCIJ9i1
上杉が上洛してりゃ関ヶ原も引いては大坂の陣もなかったのに。
0731人間七七四年2016/12/22(木) 11:28:01.10ID:hBa/UOCV
それだな
上杉が子供じみてた
つっぱらかるのも中途半端だし
0732人間七七四年2016/12/22(木) 16:17:55.08ID:RyiA/GWT
じゃあ直江兼続が悪いんですか?
0733人間七七四年2016/12/22(木) 18:02:43.14ID:hBa/UOCV
そう、ただのバカ兼続
0734人間七七四年2016/12/22(木) 18:57:18.48ID:YVCIJ9i1
>>732
そりゃ、挑発しといて芋引いてりゃ世話ねえよ。
抗いもせず30万石に減封、その上、主家の豊臣の領地まで減らすきっかけを作り、最後には滅亡させている。
しかもその戦い参加してるときちゃもう目も当てらんない。

ならさっさと上洛しときゃ良かったんだよ。
どこが義の人だって話。
0735人間七七四年2016/12/22(木) 19:21:19.43ID:hBa/UOCV
>>734
直江とか真田信繁ってさ
後世の評価ばかりがうなぎ登りなのに実際の人物はバカまるだしのイキガリばかりの間抜けだよな
0736人間七七四年2016/12/22(木) 19:22:35.21ID:aat+3BJy
上杉の「義」って対外的にやらなきゃいけないことなのにする気なかったり、
逆に手を出さないでいいことをやりたい場合の言い訳なだけだから。
0737人間七七四年2016/12/22(木) 19:57:16.11ID:bAG1bvpQ
景勝代の上杉なんて別に義を標榜なんてしちゃいないと思うけどどこでそんなイメージついたんだろう
江戸時代の軍記ベースだと義どころか景虎から家督強奪したことになってるのにw
謙信のイメージとそれを祀ってるところからなのかね
0738人間七七四年2016/12/22(木) 20:06:12.34ID:QWy9c0mH
義の人、直江兼続ってやつでしょ
花の慶次あたりの影響
0739人間七七四年2016/12/22(木) 20:07:53.63ID:6/5feylV
義だの毘だのは後付けであり、奥羽越佐の覇者になる野心があっただけ。
0740人間七七四年2016/12/23(金) 02:38:40.72ID:22DB7Gi2
謙信だって義を標榜してるわけじゃないけどね
特に北陸への侵攻は他の戦国大名と同じ、別段「義」を強調するものはない
0741人間七七四年2016/12/23(金) 05:12:44.23ID:du1/RGZz
謙信は毘沙門天がどうこうとしか言ってなかったかもね
あと関東官領がどうとかの義務感

義将だのなんだのはやはり漫画の影響で直江兼続を称したもので景勝ですらないと思う

とにかく関ヶ原時分の西軍からみはバカばっかり
0742人間七七四年2016/12/23(金) 08:45:17.31ID:RrUxeTTh
>>1
豊臣が滅んだのはヘタレ大坂人になり下がったからWWW
二条でも清洲でも彦根でも大坂以外の土地で居城していたのならば余裕で存続しただろう
徳川は秀忠、家光ともに超ヘタレ
家康は死にかけのヨボ爺、負ける要素はない
せめて近場の黒田や後藤、武蔵がいた作州や播磨に居城していればな、武士が違いすぎて話にならない
大坂には昔から豪傑を輩出した過去もなければ、英傑もいない
現在に至るまで大阪人はゴミしか輩出しない糞人間
0743人間七七四年2016/12/23(金) 14:06:54.73ID:IZNY5mJy
・・・で?
0744人間七七四年2016/12/23(金) 14:40:04.45ID:UpXmC+P6
次は自演します
0745人間七七四年2016/12/23(金) 15:10:27.02ID:qeNH6lJ4
関ヶ原後の直江兼続って上杉じゃ針のむしろだったらしいなw
0746人間七七四年2016/12/23(金) 15:46:55.73ID:GOz7qTJv
>>745
そりゃそうだろ
イキリまくってあげくに主家を危機に陥らせあげく自分は腹切る訳でもない
ただのバカ
0747人間七七四年2016/12/23(金) 16:12:18.47ID:G48s+ghi
毛利家の場合、吉川廣家や福原貞俊は一歩引いたが、上杉家の場合、直江兼継が引き続き重臣筆頭だったんだと。
それにひきかえ、下野国西方で1万3000石を貰った藤田信吉、最上軍に降った下吉忠、幕府旗本になった上条政繁のくらしは、生き生きとして、明るくなったと言う。
0748人間七七四年2016/12/23(金) 21:14:23.43ID:X4gMvA2D
>>741
ゲームだけど無双なんかまさにそう
謙信一人の初代では毘沙門天と宿敵しか言ってなかった
0749人間七七四年2016/12/23(金) 22:13:53.66ID:22DB7Gi2
直江兼続の知名度が今くらいになってしまったのは漫画から始まって大河ドラマのせいだろうが
彼自身への高評価は昔から変わってないようだ
池波正太郎が小説で「世間で言われてるほど評価しない」って書いてる
司馬と違い小説に自分の意見入れることの少ない池波がわざわざ言及するくらい、それは不動だったのだろう
0750人間七七四年2016/12/23(金) 22:19:59.71ID:GOz7qTJv
>>748
謙信と、景勝ははっきり分けて考えるべきだよね
正直謙信もそんなにすごい人間とは思えないけど。
関東の武将は小競り合いばかり
中央に取り残されたイメージだな
0751人間七七四年2016/12/23(金) 23:35:33.73ID:86MJbzL3
直江かぁ

やらかした結果だけ見ると、家康のスパイだったのかと疑いたくなる
0752人間七七四年2016/12/23(金) 23:40:50.21ID:G48s+ghi
そういえば、本多佐州の息子を養子にしていたな
0753人間七七四年2016/12/24(土) 13:47:21.60ID:A4OJFYkw
兼続は本当にこいつ上杉の家臣なんかと思うほど個人の思想や徳川豊臣への感情が出てる作品が多い
0754人間七七四年2016/12/24(土) 16:27:03.73ID:gVw79uzC
結局おもいあがった奴だったんだろうな兼続
0755人間七七四年2016/12/25(日) 00:42:47.16ID:98Nnvm2j
一応、豊臣の家臣という体でもあるよね<直江
秀吉はこういうこと大身の大名相手によくやってるよな
0756人間七七四年2016/12/25(日) 00:55:55.58ID:Bmhp5vR5
よくやったけどプラスになったかは疑わしい政策の一つ
0757人間七七四年2016/12/25(日) 01:26:42.67ID:qlTq1h4s
政宗にケンカを売るエピソードは好きだけどね
作り話かもしれないけど

大坂の陣に、話を戻しますか
0758人間七七四年2016/12/25(日) 02:18:17.69ID:q/PAZn5O
大坂冬の陣では佐竹義宣1500、上杉景勝5000。上杉軍は、佐竹軍を救援し、敵陣を占拠したところで、堀尾山城守と交代せよとの軍令が来たが、これを拒否。
0759人間七七四年2016/12/25(日) 22:34:23.99ID:78gDcP/Z
真田丸では秀頼が出馬するかどうかで大揉めしてたが
出馬直後盛り上がっても、結局何も出来ず醜態さらして
士気下げただけだろうから、出ても出なくても
結果はそう大差なかったんじゃ無いか
実際秀頼が前線に出てきて何かか出来ることがあったのかって話だな
0760人間七七四年2016/12/25(日) 23:07:10.54ID:/uPdH718
「たっちゃん、頑張れ!南、応援してるゾ」
って言ってくれる
皆武者震いの為に鳥肌を立てつつ、歯ぎしりをして戦う様になる
0761人間七七四年2016/12/25(日) 23:36:20.28ID:qlTq1h4s
味方の将兵が在りし日の秀吉の勇姿を思い出し、感激して死に物狂いで戦う

さらに秀吉恩顧の大名が戦意を喪失して中立あるいは豊臣側に寝返る

と思ったのだろう
実際に寝返る武将がいたとは思えないけど

関ヶ原でやらかした秀忠や上杉、毛利は汚名返上とばかりに秀頼を狙いに行ったかも
0762人間七七四年2016/12/25(日) 23:54:13.07ID:/uPdH718
実際は
上杉は京都警備でお留守番w
毛利秀元ギリギリ参加できたレベル(最後の総攻撃に滑り込み
(家康がだーめよサイン出し続けた)
夏の布陣でかろうじて秀頼にムムム反応しそうなのは
片桐から始まって加藤よしあきと黒田位の南東部かなー。
秀忠と家康本体で囲んでじっとそいつらを見るシステムw
0763人間七七四年2016/12/26(月) 00:06:14.84ID:XMOplmRu
夏の陣で秀忠隊が崩れた時に前田利常に裏切りの気配があったとか
0764人間七七四年2016/12/26(月) 01:31:45.24ID:aZpy4QP8
戦国時代を通して合戦中に内応ではなくこっちの方が形勢いいからって寝返りがどんだけあったか
急に部下や兵を纏めて今の今まで敵だった人間と協力なんてそうそう出来ない
0765人間七七四年2016/12/26(月) 01:52:09.52ID:382orbY6
鳥羽伏見の藤堂隊「せやな」
0766人間七七四年2016/12/26(月) 01:56:04.97ID:382orbY6
まぁもし秀頼が城内の予備兵力引き連れて毛利が敵陣突き崩して
真田が家康本陣に突入したタイミングで加勢してれば
幕府軍は大勢立て直すのが難しくなるんじゃねーかな
あくまで真田も毛利も攻勢限界で押し返されたんだから
そこにフレッシュな予備隊を投入できれば戦況は変る
ただ幕府軍は大名が独立的に参加してるので
例えば家康が敗走したからって他の部隊がそれ見て配送する訳じゃ無いのが痛いね
0767人間七七四年2016/12/26(月) 04:17:50.95ID:nieuncED
>>765
あんたら戦国時代から何百年後だよスレチだ引っ込め
0768人間七七四年2016/12/26(月) 06:13:13.84ID:wLu0uVYQ
開戦2日目には最終防衛線まで突破されて城内へ総退避
2日目の深夜には大坂城は陥落し炎上
真田が突撃したとされるのは3日目の秀頼切腹の数時間前
戦の勝敗は既に決してるのに真田に合わせてもどうにもならん
そもそもそんな兵力残ってないし統率できる奴もいない
0769人間七七四年2016/12/26(月) 06:57:20.46ID:p5h7wcBb
大坂側はなにがやりたいのかわからん
迷走しまくり
まとめる人間がいないなら戦争なんてすんな
0770人間七七四年2016/12/27(火) 00:57:18.39ID:uePbq52q
夏の陣の時にそれなりに善戦してるから兵力さの少ない冬で野戦なら首とれたんじゃないかな?
包囲してる分兵力も分散してるし。
0771人間七七四年2016/12/27(火) 01:03:13.80ID:wI3/e6kU
援軍の無い籠城戦はつらいね
小田原城もあっけなかったし
コンスタンチノープルも堕ちた
0772人間七七四年2016/12/27(火) 01:25:01.58ID:3P7fWqCj
出城を悉く落とされてる状況で野戦なんかやったら冬だけで全て終わるな
まあその方が二度手間にならずにすむか
0773人間七七四年2016/12/27(火) 01:26:34.42ID:uKqSdf54
>>769
創作物ですら勝って何がしたいのかは描かれないのが豊臣
秀頼の信者はまさしく神や仏の感覚で秀頼を見てる
0774人間七七四年2016/12/27(火) 01:33:40.06ID:wI3/e6kU
がんばって籠城してれば、ひょっとして家康がポックリ逝って、息子達が兄弟喧嘩を始めて、譜代の重臣たちも仲間割れして、そこに伊達やらが介入して・・・


無理があるな、やっぱり
0775人間七七四年2016/12/27(火) 01:48:33.15ID:cWCHivqq
家康が寿命で死去すれば、伊達政宗、豊臣豊雄、浅野長晟、加藤忠広、福島正則が真っ先に大坂藩について、戦局が変わる可能性大
0776人間七七四年2016/12/27(火) 02:35:55.60ID:wI3/e6kU
伊達と蜂須賀はないでしょ
0777人間七七四年2016/12/27(火) 03:26:32.54ID:iJG/eEK/
伊達もだけど、家康より若い世代は家康より秀忠を信頼していたという話だしな。
0778人間七七四年2016/12/27(火) 03:34:17.53ID:uKqSdf54
加藤忠広とか関ヶ原後に生まれた子供じゃん
0779人間七七四年2016/12/27(火) 06:42:11.41ID:t2Cu77UP
>>773
ほんそれ
豊臣は悲劇の一団みたいな表現多いけど基本的にバカがバカ足る行動してただけだよね
わがまま放題に行動、無計画、統一感のなさ、どれをひろってもバカとしか言えない
豊臣信者はそれすら理解できず敵対組織をあげつらうが、そもそも豊臣のバカを認めないとお話にもならん
0780人間七七四年2016/12/27(火) 06:42:59.31ID:uePbq52q
むしろ生きてる間にやるべきだったな。
0781人間七七四年2016/12/27(火) 06:43:47.33ID:t2Cu77UP
>>775
家康が予想とおり寿命きても大坂側にはつかないでしょ
むしろ東で戦果をあげて発言権を増すように動く
0782人間七七四年2016/12/27(火) 10:17:17.87ID:mYmDRkLn
そうなると幕府の統制力が低下して室町幕府みたいになりそうだなw
0783人間七七四年2016/12/27(火) 11:09:19.13ID:cWCHivqq
家康が高齢により急死したら、毛利、上杉、島津、前田はなんか口実を作って大坂から撤兵しそうな感じ
0784人間七七四年2016/12/27(火) 14:11:09.89ID:iJG/eEK/
実際に大坂の陣のすぐ後に死んでも秀忠の大鉈ふるいに誰も逆らわなかったとこみるとどうかな。
毛利だってえ秀頼が滅んで目出度いなーとかほざいていたわけだし。
0785人間七七四年2016/12/27(火) 22:25:39.10ID:qtSBTehn
秀忠無能説必死に唱えてる奴いるけど
十年間将軍として実績積み重ねてるんだよな
家康の傀儡みたいに言ってる奴は現在の通信手段並みに
連絡できると思っているんじゃ無いか
当時江戸と駿河まで連絡するののどれだけ時間が掛かっていると思っているのか
0786人間七七四年2016/12/27(火) 23:24:15.98ID:TpK/wKue
>>785
秀忠の護衛を依頼された立花宗茂の記録で、秀忠が慶長15年2月20日に江戸を発ち
2月24日に駿府に到着した時、秀忠を送り届た宗茂はすぐに江戸に引き返し
2月27日から江戸城の御留守番を務めたっていう2月29日付の書状があるな
だから、将軍一行として直接行くなら片道約4日、
それなりの身分の家臣に伺いに行かせるなら片道約3日ってとこだろうか
0787人間七七四年2016/12/28(水) 00:04:54.63ID:/ey4OuLc
夏の陣で家康討ち取られた挙句秀忠の本陣も蹂躙されて一時的に大阪平野から撤退とかになれば
幕府のメンツ丸つぶれで求心力低下は避けられんだろうね
第二次長州征伐みたいに出兵拒否する国まで出てきそうだが
0788人間七七四年2016/12/28(水) 00:19:25.96ID:uhFZHh3K
外国人たちには秀忠は「江戸の将軍」という認識、家康は死ぬまで「皇帝」
内政事情はともかく、外から見れば家康>>秀忠という印象は否めない

徳川家は秀忠、天下は家康が采配してるといったところか
傀儡にしてるんじゃなくて、役割が分かれてた感じ
0789人間七七四年2016/12/28(水) 00:24:22.51ID:8xwYM6Lr
>>787
大坂の陣の失敗は事の次第によっては江戸の陣になりかねん
0790人間七七四年2016/12/28(水) 01:28:36.08ID:NY4MG3KT
結局のところ、石田が挙兵した時に、関東にいる家康に
「三成が挙兵したから早く戻って来て」と助けを求めた淀が馬鹿なんだよ
本気で家康が豊臣を盛り立ててくれると考えてたんだよ
結果、豊臣を盛り立ててくれたはずの西軍を滅ぼして
徳川の天下へのアシストしてしまった
その後やっと家康の目論見に気づいたが、時すでに既に遅し
誰も信じられず右往左往して滅亡
0791人間七七四年2016/12/28(水) 01:32:35.30ID:QCMYmDZO
>本気で家康が豊臣を盛り立ててくれると考えてたんだよ
西軍が本気で豊臣を盛り立てる補償もまたどこにもない
特に毛利輝元
0792人間七七四年2016/12/28(水) 01:58:14.51ID:bgy9I52o
家康ほど頼りになる男も他にいなかったしな、親戚関係もあるし
0793人間七七四年2016/12/28(水) 02:33:23.21ID:yiyJhpy9
秀頼、入洛の時、自然発生的に沸き起こった民衆の熱狂的歓迎は、家康に、強い衝撃を与えた。
0794人間七七四年2016/12/28(水) 05:01:17.94ID:XA2Tb3nH
秀吉が落書きで町ごと粛清したり、遊興で民衆が迷惑してたのにぁあ。
0795人間七七四年2016/12/28(水) 06:10:02.22ID:zeJkqwlt
秀頼が日本のトップということになってるだけで満足できて世も勝手に治まってくれるかの持ち上げ方する人がいるんだからほんとに宗教だよ
0796人間七七四年2016/12/28(水) 06:45:17.67ID:jIFmLFYg
>>793
加藤しか迎えにこないのにか
0797人間七七四年2016/12/28(水) 06:52:10.42ID:XQflGPx0
加藤はあくまで娘婿の共だな
秀頼が加藤の京屋敷で休もうとするのを拒否してるし
0798人間七七四年2016/12/28(水) 07:43:49.58ID:pl4aXwZn
つまりは秀頼歓迎なんて有り得ない
0799人間七七四年2016/12/28(水) 20:36:11.24ID:ZJi07Z+/
京の庶民が喜んだのは戦争にならずに済んだと思ったからで、秀頼なんかどうなろうと知ったこっちゃない。
400年後にも焼討丸みたいなのが居るぐらいだから、京の人にとっては今、そこにある恐怖だよ
0800人間七七四年2016/12/28(水) 20:51:17.81ID:lEtNTcS1
現代の京都で放火による大火ってあったっけ
0801人間七七四年2016/12/29(木) 09:25:49.56ID:6t4276Uj
熊本城の昭君の間も秀頼のための部屋じゃないしw
0802人間七七四年2017/01/01(日) 22:02:54.74ID:ubRKYdKn
>>797
結局屏風で囲ったとは言え屋形船に招待したんだっけ
いざという時はお好きなようにとしか思え無いんだけど
0803人間七七四年2017/01/05(木) 23:32:47.43ID:6F/yLEN+
>>802
豪華の饗応はしたらしいが、徳川と秀頼とでは
どちらにより気を遣っているか分かりやすいな
0804人間七七四年2017/01/06(金) 23:54:01.13ID:lRGCuicI
加藤清正とか浅野幸長とか早死にした分過大評価されてるところがるよね
福島正則とか家康死後も生きてた分、割喰っているけど
ただ福島や両加藤の改易に対しての幕府陰謀説に対しては
否定する論文も出てきているみたいだけど
0805人間七七四年2017/01/07(土) 00:04:41.79ID:Dog+uzwF
>>804
元々どこが陰謀だってとこはあるよね。
豊臣自体もそうだけど、一代目が成り上がって興した家は
累代の家にはある代々培ってきた有形無形の基盤がない分、
二代目が継承するまでに基盤をある程度は形にできてないとポシャる。
0806人間七七四年2017/01/07(土) 09:26:24.11ID:iSJFjlRv
補佐役(家老)に恵まれなかったということか
0807人間七七四年2017/01/07(土) 09:54:49.25ID:gAySJ9NV
家康は、松平家9代目、元は土豪でもこれだけ続くと普代家臣も豊富。新参者もその中に組み込める。
0808人間七七四年2017/01/07(土) 09:55:09.02ID:kRm+Sm8W
織田家とか見てると譜代が居ても大して変わらん結果だけどね。
当主と重臣(もしくは従属勢力)が対立したあげく、当主が敗れるという割とありがちな結果になっただけだな。
0809人間七七四年2017/01/07(土) 10:45:26.99ID:iSJFjlRv
織田家の場合は譜代も新参も利益で釣る手法が顕著だった
0810人間七七四年2017/01/07(土) 11:45:31.21ID:YfwA/qnd
徳川も松平、今川、武田の家臣が居て一枚岩でもないだろw
0811人間七七四年2017/01/07(土) 13:09:37.22ID:kCzwwGX8
結局は頼りになる家長かどうかだな
0812人間七七四年2017/01/07(土) 14:52:19.98ID:Dog+uzwF
>>810
利権で一枚岩でなくても、その利権を確保するためには、
まずは当主を盛り立てて安定させていくのが一番という目的意識の統一ができていたんだろう。
あと各々が得意分野を弁えていて、それ以外は他人に任せることができるかってのも大きいかも。

家臣家来の中で「俺が俺が」意識の肥大したやつの声が大きくてヤバくなったのが豊臣って気がする。
0813人間七七四年2017/01/07(土) 14:57:41.41ID:iSJFjlRv
結局は頼りになる植村家長
0814人間七七四年2017/01/07(土) 19:56:21.04ID:BRDL1xo0
最上はどうなんのさ・・・
0815人間七七四年2017/01/07(土) 20:07:49.80ID:IeiKYke2
最上は野心もってたけどまわりを強豪に占められてなすすべなしって感じか
0816人間七七四年2017/01/07(土) 21:59:00.55ID:+WhRSniy
>>804
福島正則は仕方がない。大阪の陣で豊臣方に加わることを明言したため
江戸屋敷に幽閉され、その直後の改易だからな。
自業自得だし、ある意味最後まで筋を通したともいえる。

加藤(清正→忠広)はどうだろうね。
豊臣への助力が原因なら、福島と同じくもっと早く潰されそうな気がするが。
加藤忠広は中央集権を急いで、重臣と対立し、政局が混乱していたから、
普通にそっちが原因だと思う。
0817人間七七四年2017/01/08(日) 04:05:25.67ID:2CsgZY6Q
嘉明は家康死後に加増されてるし文禄の役まで2万5千石も無かったのにそんだけ残って何を怪しめばいいのやら
0818人間七七四年2017/01/08(日) 04:57:26.80ID:t+YjsFVY
加藤嘉明(というか明成)の改易は会津騒動の顛末見れば当然の判断だろ、譜代でも改易モンだわ
0819人間七七四年2017/01/08(日) 07:37:34.68ID:rIYw6dYU
山田風太郎の影響で加藤明成のイメージが悪くなった
0820人間七七四年2017/01/08(日) 07:40:37.89ID:6srbTGG2
長七郎江戸日記の影響で明成の印象はますます悪くなった
0821人間七七四年2017/01/08(日) 22:24:58.10ID:FXSGHdSp
>>816
正則の改易は城の修復を事後申告で行った上、その修復場所を
破却すれば許すと言われたのに別の場所を破却して誤魔化そうとしたことが
秀忠の逆鱗に触れて改易されたんじゃ無かったか?
忠広の方は光広の出したと言われる密書について親子二人に問いただしたところ
二人とも密書に関しては認めたが、幕府の方で密書の方は一笑に付す態度で
家督不届きが理由で改易したんじゃなかったっけ?
お取潰しが密書が理由なら改易どころではすまなかったはずだし
0822人間七七四年2017/01/09(月) 00:21:37.74ID:KFeFHZCQ
福島正則は、広島城修復の法度違反嫌疑で一度は不問にしてもらったのに度重ねて不誠実な態度を示したため
加藤明成は、幕府が何度も世話焼いてもお家騒動が収まらなかったため
加藤忠広は、嫡男光広の謀反ごっこに連座。直接関与してない忠広は減刑との声もあったが
調べてるうちに幕府に無断で末っ子を国元に連れ帰ったなど違反が見つかり家光の逆鱗に触れ同罪に
清正以来加藤家が大っ嫌いな細川忠興などは親子ともども死罪が妥当なのに上様は慈悲深いと書状の中で冷たく言い放ってる事件
0823人間七七四年2017/01/09(月) 07:44:56.53ID:ww6897NB
>>821
福島正則のそれは完全な口実だって。大阪の陣で豊臣方につこうとしたからだよ。
だから、家康は江戸屋敷に福島正則を監禁した。
こんな状態で改易にならない方がどうかしている。

ただ、それを改易理由にすると、一部で不穏な動きになるから、
適当な理由をつけただけ。

加藤忠広も密書はあるが、これも口実だろうね。実態は家臣団を統率できず
領国を混乱させたこと(これを理由にすると、他の大名に深刻な悪影響を与える)、
駿河大納言と関係が深かったこと(同上)など、より深刻な理由を隠すためとも
考えられる。
0824人間七七四年2017/01/09(月) 11:58:24.14ID:xsNnjhdT
>>823
堂々と大坂方につきたいから行かせてくれと
懇願した平野長秦とかいたような
0825人間七七四年2017/01/09(月) 17:41:46.30ID:EEoAAHei
冬の陣では(戦術レベルで)豊臣方勝ってたとも言えたのに
和議ってのがなぁ・・・・
0826人間七七四年2017/01/09(月) 17:55:20.80ID:YJVOgkza
勝ってた(真田丸以外全砦陥落)
0827人間七七四年2017/01/09(月) 18:06:08.50ID:vV4GThVF
惣構は一箇所も破られてないんだけどな
まぁ後詰なき籠城戦だからどっちにしろ勝ち目はない
徳川方の兵糧が尽きかけてたみたいな話もあるが
当時の幕府が兵糧切れで負けるってのは流石に考えられんし
結局大坂方が「武門の意地は見せた。これで和議して後は命脈保てればいい」
くらいの安易な気持ちで外堀埋めるのまでは認めたんだろう
誤算は浪人衆が使い捨てに応じなかったこと
0828人間七七四年2017/01/09(月) 18:12:53.84ID:G30LqWJT
>>825
戦略レベルでは、大名の大阪方参戦なしだから、しょうがない。
0829人間七七四年2017/01/09(月) 18:18:43.55ID:T6CL3e8d
城攻めって別に時間制限があるとか一度仕掛けた以上は陥落させないと負けなんて競技ではないのにな
0830人間七七四年2017/01/09(月) 18:31:47.04ID:8zpe3N5u
>>826
勝ってた(真田丸も前田に多少損害を与えた後は対応されて膠着)
0831人間七七四年2017/01/09(月) 19:31:18.75ID:NnMbvd3i
※825
連戦連敗で周辺の砦を全部攻略されたあげく、主城に追い込まれたのに
戦術的勝利ってのは無理があると思うんだ。
0832人間七七四年2017/01/09(月) 19:34:01.85ID:D8vXaIxM
ふぅ、どうやら致命傷で済んだぜ

という感じかな
0833人間七七四年2017/01/09(月) 19:57:13.03ID:EEC58f9H
>>830
膠着したと事実を捏造してうれしい?
0834人間七七四年2017/01/09(月) 20:04:55.49ID:q0mEGJiG
>>832
ワロタ

あとはあれか
真田丸「まわりの砦がすべておちたか」
真田丸「やつらは暗黒大坂衆のなかでは最弱」
真田丸「出丸の私ひとりいれば大坂城なぞもはや無用」
0835人間七七四年2017/01/09(月) 20:08:09.10ID:2E6cKUXk
>>833
0836人間七七四年2017/01/09(月) 20:18:10.77ID:q0mEGJiG
そう長い期間押し引きがあったわけじゃないから膠着いうのは大坂側に随分甘い判定だよな
着実にまわりを押さえる幕府軍、大坂側に手があるかといったらせめて秀頼出陣で誰か寝返ってクダサーイ、ってことか、唐突に家康が老衰で亡くなりました、くらいしかない
兵粮がつきるだろ、もあと何日とか決まってる話でもない

幕府軍としては無理攻めして被害が増えるくらいなら講和して大坂側が牢人排斥してくれたらそれである程度おさめられただろうにな
0837人間七七四年2017/01/09(月) 20:21:13.30ID:EEC58f9H
真田丸の戦いは徳川方の大敗が史実
事実として大坂城どころか真田丸にも
一兵も入れなかったやん
0838人間七七四年2017/01/09(月) 20:26:05.02ID:WGyH/E/u
まぁ結果からするとだから何という程度のことだよね
0839人間七七四年2017/01/09(月) 20:57:51.23ID:5cfN7G7k
>>837
大坂城の本丸に弾が入っただろ
豊臣がそれにびびって堀を埋め立ててもかまわないから講和してくださいと言った
0840人間七七四年2017/01/09(月) 21:14:52.40ID:q0mEGJiG
>>837
真田丸が大坂城をおおうくらいの規模ならその成果はまあ大勝利って言えるかもね

ただ、実際は城の南側の一部だけの話ですから
0841人間七七四年2017/01/09(月) 21:19:36.95ID:NnMbvd3i
講和条件は「籠城衆への処罰なし」「秀頼の知行安堵」「淀殿の江戸下向は無用」「大坂城本丸以外の破却」「豊臣家家老から人質を出す」で決着した訳だから
これで豊臣大勝利とか言ったらギャグだよなぁ
0842人間七七四年2017/01/09(月) 22:01:26.36ID:X20EdWzt
>>822
福島正則の城無断改修及び事後報告の上、誤魔化し工作の為改易された事や
加藤光広の密書騒動が事実な上、家中が纏められない事を理由に改易は
笠谷和比古が主張している論だっけ?
>>823
それは口実に過ぎないってなんて研究者の主張している論なの?
0843人間七七四年2017/01/09(月) 22:14:11.57ID:bGwAztAX
>>823
別に家中統制出来ずに改易なんてよくあることなのに、なんで加藤忠広だけ隠さなきゃいけないのさ
忠長との関係も俗説の域だが、なにか確実な証拠あんの?
0844人間七七四年2017/01/10(火) 00:32:54.09ID:ZefmIt1s
そもそも功臣の卑属に家中統制出来ない役立たずと難癖を付けて大減俸するのは秀吉の得意技だろ
特に丹羽家と蒲生家
結局この大大名家を改易寸前まで削ったせいで関ヶ原でしっぺ返し喰らう羽目になったが
0845人間七七四年2017/01/10(火) 00:53:15.18ID:9Zoa2r0T
返す返すも淀が大野治長と密通して秀頼作ったのが全てだよな
あのまま秀次政権で行ってれば家康も命運尽きてたのに
0846人間七七四年2017/01/11(水) 04:14:00.90ID:XwbC6oa/
改易されてない家でも秀忠が個人的恨みから改易しようと謀略巡らしてたなんて俗説でもない小説ネタが信じられるくらいだから
実際改易された家はもちろん豊臣家本体や家康より早死にした武将への陰謀論もやりたい放題なんだろうな
0847人間七七四年2017/01/11(水) 14:38:00.80ID:bBUiw/h9
まぁ福島と同じことを井伊直孝がやったら改易されるかって話だわな
福島はその辺りの自分の立ち位置を理解してなかったってだけの話で
0848人間七七四年2017/01/11(水) 21:37:36.62ID:XIvh3Q8j
秀忠なら容赦なく改易しそう
0849人間七七四年2017/01/11(水) 22:08:46.83ID:JXo5ixzE
井伊直孝がやったなら、秀忠はむしろ最初の報告だけで改易するだろ。福島のは激甘裁定だぞ。
0850人間七七四年2017/01/11(水) 22:39:43.70ID:vqzTyuGy
井伊直勝系の掛川藩では当主が発狂して35000石は除封改易。
しかしながら新地20000石を与え与板藩に移封するという温情措置が取られた
0851人間七七四年2017/01/11(水) 23:19:35.08ID:pSF1IhQk
秀忠は譜代や身内には厳しい印象。
そこで身内に甘々裁定したら、政権安定しないくなるからだろう。
0852人間七七四年2017/01/12(木) 04:17:54.04ID:CSSTZH3a
秀忠は秀吉の政治を知っている
0853人間七七四年2017/01/12(木) 04:50:17.71ID:uHh69gch
反面教師として活かしたかな
0854人間七七四年2017/01/16(月) 13:20:36.68ID:oadctkoX
秀忠は甥だけじゃなく、弟や息子も処罰しているしなぁ
0855人間七七四年2017/01/16(月) 13:46:10.70ID:Ncz3+dl2
秀吉と違うとこは処罰基準の一定しないとこや、自分都合の難癖で処罰して不信感増大させないとこだな。
0856人間七七四年2017/01/16(月) 18:35:58.10ID:RxAjQ3XR
秀吉は人心掌握に長けていた、なんてのは幻想だとよくわかるな
ただのわがままなおっさんが側近の助けでなんとかなってた、が事実か
0857人間七七四年2017/01/16(月) 20:18:25.05ID:VrMSh1CI
人心掌握に長けていないと農民から天下人になれないと思う
0858人間七七四年2017/01/16(月) 20:56:20.03ID:8uuOVW9Q
たまたま
0859人間七七四年2017/01/16(月) 22:03:22.09ID:HE26hFs7
秀吉は頭脳陣が有能すぎる

半兵衛、官兵衛からはじまり
三成、大谷、増田、長束と奉行衆も優秀
0860人間七七四年2017/01/16(月) 22:26:58.55ID:BIa4LiCe
家臣の多様性なら家康だって負けてないだろう
武闘派代表の四天王の中にも交渉力に長けた直政や
能筆家の康政もいるし、参謀としては本多親子がいて
町奉行なら板倉親子、彦坂元正、長谷川長綱とかがいるし、
治水方面なら伊奈忠次、水軍なら小浜親子や向井親子をはじめとした三崎四人衆
宗教関係なら天海、崇伝や元佶とかその他諸々を含めて多士済々だ
0861人間七七四年2017/01/17(火) 01:11:35.13ID:VbJ12EaP
大久保長安・忠隣もよろしく
0862人間七七四年2017/01/17(火) 21:31:34.02ID:qFS8LNYf
仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛と言われた岡崎三奉行もいるな
実際岡崎の奉行は三人だけじゃ無かったみたいだけど
0863人間七七四年2017/01/17(火) 23:27:15.44ID:1PZE5FW0
留守居という名目で酒井正親、久松俊勝ら遠縁吏寮グループも控えておる
0864人間七七四年2017/01/17(火) 23:35:44.28ID:We+QTvPT
久松は異父弟だから近親者じゃない。家康は於大を大切にしてたし。
0865人間七七四年2017/01/18(水) 14:51:18.81ID:tXASdy4L
最近の研究では三奉行でも本多以外はこれという実績がないとされてる
0866人間七七四年2017/01/18(水) 22:25:42.71ID:cpQ54MMp
日々の実務無難にこなしていれば
記録されるような実績なんか
逆に残しにくいんじゃ無いかな
0867人間七七四年2017/01/19(木) 00:57:09.06ID:dPNZUQNK
それなのに三奉行という肩書きは残るという摩訶不思議
0868人間七七四年2017/01/20(金) 12:13:33.24ID:YPDfdXkd
実態は無いのに肩書きだけは残り続ける
日本社会ではよくある事
0869人間七七四年2017/01/20(金) 12:56:07.50ID:VEkFoe9t
奉行連中がまわせていた、のも秀吉存命のうちだよな
結局豊臣政権はシステムとして成り立っていなかった
単なるトップダウンのワンマン経営
トップの秀吉がいなくなれば瓦解するのみ
0870人間七七四年2017/01/20(金) 19:48:23.03ID:tZuFtVyA
家康の死を待って蜂起する計画もあったようだが、大坂城を出ない限り、家康は生きてるうちに大坂を滅ぼす計画だったことに、変わりはない
0871人間七七四年2017/01/20(金) 20:03:05.57ID:PEzbUAa6
結局豊臣は民衆の支持から大きくはずれる下等政権だったわけだ
天下のご政道を豊臣万歳とはき違えていたのだから当然の帰結だわな
0872人間七七四年2017/01/21(土) 00:01:05.66ID:DhdnqCBM
家康のゴリ押しで豊国社破却後も民衆が樹下社と称して引き続き信仰していた
件について
0873人間七七四年2017/01/21(土) 08:35:42.67ID:at9Rzp+e
>>872
その手の豊国社関連の逸話は、胡散臭いものばかり
馬塚が良い例
0874人間七七四年2017/01/22(日) 22:29:06.84ID:C4fe8Si1
家康が天下を取る前から民衆が豊国社をきちんと信仰していれば豊臣の天下を保てたのにねw
実際は秀吉の晩年から関ヶ原まで民衆の人気などまったくないから家康が天下を取れた
江戸幕府ができて天下が東に移ってから関西人が豊国社を信仰し始めたが
文字通り後の祭りだった
0875人間七七四年2017/01/23(月) 20:49:05.50ID:vuRwEpq6
梵舜あたりが維持の為頑張っていたんだっけ
0876人間七七四年2017/01/23(月) 20:57:36.88ID:MFjQRsQY
>>874
江戸時代になって首都機能が東に持ってかれてふてくされ、
明治時代になって帰ってくると思ったら、逆に天皇まで東に持ってかれて発狂

関西人の東京コンプは根深いな
0877人間七七四年2017/01/24(火) 21:42:11.60ID:Liw29FpC
>>860
康政は能筆家って言われてるけど、素人なんで判断できないが
残ってる書状とかみたらやっぱり字は上手いのかな?
0878人間七七四年2017/01/24(火) 22:01:52.56ID:+QVJePwa
あれは陣中僧に書いて貰った檄文を康政の名前で高札を立てただけに過ぎない。
0879人間七七四年2017/01/25(水) 22:31:00.57ID:NqgeGJ/v
>>878
それってまさか司馬の小説がソースとかは無いよね
0880人間七七四年2017/01/25(水) 23:42:44.85ID:Tlse5CvA
自領で道に迷うアホ揃いの大阪方が何しようと無駄w
0881人間七七四年2017/01/28(土) 21:50:56.09ID:pFWNFoh+
>>878
陣中僧に書かせたと言うのは、どの史料にあるのですか
0882人間七七四年2017/01/29(日) 13:38:31.01ID:BqvXU/VS
>>873
康政は、徳川が弱小だった三河統一時期に家康の祐筆をやっていたとの話がある
そのころから毒舌家で皮肉屋の一面があり、嫌みな文章を書かせたら彦三なんぞ
足元にも及ばないレベルだったらしい。
0883人間七七四年2017/02/02(木) 20:57:20.59ID:XZsuf9ZS
>>860
徳川水軍っていまいち影が薄いよな
小牧・長久手の戦いや小田原攻めとかにも
参加しているのに
隆慶一郎の小説が完結していれば
もう少し有名になれたかなぁ
0884人間七七四年2017/02/04(土) 21:55:16.90ID:ADii1Oc5
「見知らぬ海へ」面白いんだけど関ヶ原直前、アダムスが出てきて
いよいよこれから盛り上がるってところで終わっちゃうからなぁ
原哲夫あたりが良い脚本家見つけて漫画化してくれないかな
0885人間七七四年2017/02/05(日) 12:27:55.72ID:H68MTmkn
また秀吉は成り上がりやから、昔からの家臣がいないのがなあ

子飼いだけじゃあ秀吉いなくかったらそら裏切りますよ
0886人間七七四年2017/02/05(日) 13:26:31.40ID:W2w3TmPE
松平家9代目の家康との差だな。
松平は、元は山賊や林業やってた土豪で蜂須賀みたいな感じだったんだろうが、9代続けばそれなりに名門化し譜代家臣団もできた。
0887人間七七四年2017/02/20(月) 12:12:24.32ID:LxVryfso
主家が9代続けば、家臣もそれだけ代が重なるからね
親から「うちがこれだけ続いたのも主家のおかげ」と教育されるから自然と忠誠心が育つ
0888人間七七四年2017/03/03(金) 22:28:06.37ID:l4csmyHO
秀吉の競争させることにより家臣を育てるって方法は
短期的に見れば効果は高いかも知れないけど
弊害が多すぎるしな
0889人間七七四年2017/03/13(月) 21:20:24.92ID:Ot1ZCfwf
秀吉が家臣競争させたって言うけど
加藤と小西以外だとどんな組合わせがあるかな
福島、石田あたりは畑が違う感じがするし
0890人間七七四年2017/03/14(火) 08:13:11.27ID:n9g9GLI9
家臣競争は秀吉というより信長の方針だろ
秀吉はそれを引き継いだというか、なあなあにしたというか
0891人間七七四年2017/03/14(火) 14:20:44.10ID:PISSZqhM
>>816
加藤忠広の改易の原因は清正だけどな。
清正は地方の領主に強力な権限を与えて、それを清正が統率するという、時代と逆行した統治を行っていた(朝鮮出兵とかあったからしゃーないが)
これは戦時は上手く機能したが、平時となると上手くいかない。

更に肥後南部は小西行長が徹底した神仏破壊を行っており、その復旧に大変な金と人が必要となった。

次第に地方領主の不満が高まる悪循環
0892人間七七四年2017/03/14(火) 16:25:04.86ID:HxyWWJko
藤堂高虎って幕府の命で加藤、蒲生など、あちこちの大名の国政顧問やっているのな
加藤家処分は変な手紙を偽造して幕府に見つかったからでは
0893人間七七四年2017/03/20(月) 22:08:37.93ID:IGumENNi
密書については忠興の書状を見ると忠広も光広も認めてるみたいだしね
しかも伊達、前田、島津、上杉、佐竹にその密書を確認させてるくらいだし
0894人間七七四年2017/03/21(火) 02:15:38.43ID:vIGFRhFK
清正に関しては結構独断専行なやらかし癖があって更に問題を後代に残す政策を採ってる
親肥後の家は潰れても仕方ない
0895人間七七四年2017/03/21(火) 08:05:19.55ID:UuzaRP9A
色々と問題児みたく扱われてる福島の方が
改易後の家臣達の対応とか見ると家中が纏まってた気がするな
福島家は大名としては改易されたけど、旗本として復興許されてるし
0896人間七七四年2017/03/21(火) 09:37:05.75ID:8SgieNux
信濃川中島での晩年を描いた動画があがっていて福島正則役は宇津井健だった
0897人間七七四年2017/03/22(水) 21:19:07.59ID:0dj9n2Tm
>>895
大名では無くなったけど旗本で二千石クラスで
小姓組番頭や御書院番などを勤めるくらいだから
扱いとしては悪くない方なんじゃ無いかな
わざわざ嗣子が無くて旗本としても断絶したのを
再興させたくらいなんだし
0898人間七七四年2017/03/24(金) 23:30:38.75ID:/kuzn2A7
秀次の世になり、豊臣の天下が続いていれば福島家は30万石ぐらいかな
糞康にだまされて家を衰退させるとは情けない
0899人間七七四年2017/03/25(土) 01:47:58.22ID:Gj/ZiSyT
だますもなにも落ち目豊臣
0900人間七七四年2017/03/25(土) 07:13:56.58ID:5AiEZmF9
福島が裏切らなかったらどうなってたんべね
0901人間七七四年2017/03/25(土) 12:25:55.60ID:63eynVor
福島ごと潰されただけじゃね?
0902人間七七四年2017/04/06(木) 10:34:15.20ID:CwIenUw4
福島が裏切らなければ
家康は江戸から動けない
そうすると日和見してる連中がもう少し動く
0903人間七七四年2017/04/06(木) 10:37:35.41ID:D5kpVFAQ
動けないってより福島が先走ったから
動かざるを得なかったんだろうが。
0904人間七七四年2017/04/06(木) 13:19:34.37ID:Sgo0dqCQ
むしろ福島加藤がもたもたしてただろ
0905人間七七四年2017/04/07(金) 12:52:11.06ID:B/0W/0cb
夏の陣で真田幸村が突撃してきた時、家康は切腹しようとしたらしいけど、もし家臣が止めてくれなかったらどうしたのだろう?
たぶん家臣が止めてくれるのを期待して待っていたんだと思う。
0906人間七七四年2017/04/07(金) 13:08:25.37ID:D1fqJLWP
しようとしてませんので無問題
0907人間七七四年2017/04/07(金) 14:25:10.41ID:1FpV8pn6
追い詰められたことにしたい講談の作り話だからなあ
0908人間七七四年2017/04/07(金) 21:25:38.60ID:C4VaosvG
>>898
その秀次が三成の讒言で殺されたことで
いずれ自分も三成に殺されると警戒して三成排除に動いたわけだから
福島ら武断派は裏切ったわけでも騙されたわけでもないだろ
三成を打倒したことによって福島ら武断派は殺されずに済んだのだから
確実に利益を享受できたのは間違いない
0909人間七七四年2017/04/07(金) 23:51:55.40ID:Au5gH9q8
家康の死ぬ死ぬ詐欺は大坂の陣に限った話ではないけど
家康の馬印が倒される恥ずべき事態に陥ったのは事実だな
0910人間七七四年2017/04/08(土) 00:06:21.52ID:kwGtCCRA
>>909
どこにそんな事実が?いまどき大久保彦左衛門の与太話を信じてるクチかおまえ
0911人間七七四年2017/04/08(土) 01:46:39.11ID:4QDaZ8um
全部小説の話なんだよな
0912人間七七四年2017/04/08(土) 02:41:56.62ID:FoLN12r2
仮に本当に真実だったとしても、本来恥ずべき事態で面子潰れなのに、
そんなこと物ともしないくらいに権威が強くなったってことなんじゃ?
0913人間七七四年2017/04/08(土) 04:06:54.90ID:NzCL7EpV
三河物語は家康に関する最も信頼できる二次史料といわれています
0914人間七七四年2017/04/08(土) 05:41:31.00ID:FoLN12r2
>>913
「諸記録や伝聞をもとにしての編述であり、その出典は挙げられていないため信憑性は定かではないとされる」宮本義己
0915人間七七四年2017/04/08(土) 08:27:19.82ID:6Ww5enk4
三河物語は戦後の家康との激しい遣り取り(家康が杖をドンドン突く位)で、ぽろりと出してしまった感がある
0916人間七七四年2017/04/09(日) 00:03:15.84ID:r0bq6NU5
家康の恥ずかしい話は全て小説 

これが家康信者のクオリティw
0917人間七七四年2017/04/09(日) 05:58:28.58ID:ZzdmqAnM
じゃあお前が事実と認めてる徳川のカッコイい話と豊臣のカッコ悪い話って何?
0918人間七七四年2017/04/09(日) 06:25:32.33ID:Fd0pFjz0
豊臣厨はホント、徳川にコンプレックス持ちすぎ
負け犬豊臣は言えば言うほど言い訳くさい
0919人間七七四年2017/04/09(日) 07:30:40.06ID:ZCILt1rD
豊臣のカッコ悪い話→
  恩のあるはずの大名が誰も味方してくれない状況も読めず開戦状態までいき、
  味方になった有象無象すら治めきれず、
  城主として自分の命を引き換えにした家中の命乞いとしう武家の当主なら当然のこともせず、見限られて自滅したこと。
  それをまた複数の関連大名に「みっともない秀頼滅んで目立たいわ」と書き残されちゃったこと。

徳川のカッコいい話→
  世界に冠たる二百数十年の大戦のない平和な治世としてのパクス・トクガワーナを築き上げたこと。
0920人間七七四年2017/04/09(日) 11:47:21.07ID:TfgWXWVf
>>918
厨はどっちもどっちやぞ
0921人間七七四年2017/04/09(日) 13:11:15.39ID:PXry2dbu
厨はどっちもどっちだけど現在徳川スレで変なAA連投したり
ろくに議論に参加せずに一言貶して去っていく奴がいる一方で
豊臣スレには変なのいないからなあ
最終的な勝者である分徳川の方が余裕があるように見える
0922人間七七四年2017/04/09(日) 14:35:53.60ID:5uiqENyP
結局短期政権だった豊臣家については語るところも多くはないもんな
人材を語るのが歴史を楽しむひとつの方法だけど豊臣からみは1600年までで大体消えてるから。
0923人間七七四年2017/04/11(火) 23:24:29.94ID:rP4h/ETF
あの時点では素直に幸村たちの上奏を受け入れて野戦するしかなかっただろ
野戦だったら将軍の秀忠を討てたかもしれない
秀忠が死んだら幕府は次の後継者を決めるため撤退せざるを得ないから
もうそれに賭けるしかない
0924人間七七四年2017/04/12(水) 01:57:54.87ID:f7e7yIy0
攻め手が統率されていない連中の集まりの大坂側ではなにやっても同じ
0925人間七七四年2017/04/12(水) 08:47:28.73ID:rsB9CVYO
>>895
実際
正則は広島配置後
土豪たち地方知行制限してるけど
0926人間七七四年2017/04/12(水) 08:51:06.69ID:rsB9CVYO
清正はどうだったんだろう
当時はまだ戦国の気風で
有力家臣達に大きな権限あったのは知ってるけど
0927人間七七四年2017/04/12(水) 10:03:27.04ID:tjYDdSPk
近年の加藤清正研究では、朝鮮出兵に対応するために作られた動員・徴税体制や重臣達を支城主にして大きな権限を与える仕組みが百姓に重みになってのしかかり、
更に関ヶ原の戦いやその後の天下普請などに備えるためにこの体制が解消されることなく継承され、農村の疲弊や重臣達の権力争いの原因となったことなど、
清正治世の問題点も指摘し始めている。

山田貴司「加藤清正論の現在地」(山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』
0928人間七七四年2017/04/12(水) 10:38:52.35ID:5lqv4Zb3
毛利勝永、真田、後藤の3隊が、家康の首と獲るためだけに同時に家康本陣に突撃していたら、家康の首を獲れたかなぁと思ってしまう。
0929人間七七四年2017/04/12(水) 13:25:53.95ID:apE7AgBK
そんな大掛かりに動いたら当然家康側もそのように布陣するよね
兵士が一瞬に出現するわけもなし
0930人間七七四年2017/04/12(水) 16:09:46.32ID:0rKZ0exD
家康の後退を防ぐ手段も兵力も地形も無いので、期待薄かと
0931人間七七四年2017/04/12(水) 16:37:13.52ID:NWY/xobN
連携獲れずに各個撃破がデフォの大坂方に同時突撃は荷が重い
0932人間七七四年2017/04/12(水) 17:32:19.04ID:kPvohAZD
ほんとにそれだわ
ゴトウマタベエ軍が壊滅したのも連携の無さ、そしてまあいいや突っ込めとやる頭の弱さ
戦国時代の講談話で過大評価されてる一番の男は真田信繁、ついで島左近、んで後藤又兵衛だろうな
そんなのが二人もいたらそりゃ負けるわ

まあ後詰めもなく野戦を強いられたとか言うのもわからんでもないが、そもそもそんな状況におちいってる時点で負けを認めないのがバカ
0933人間七七四年2017/04/12(水) 17:34:37.25ID:kPvohAZD
そりゃ負けるわ、じゃねえな
そもそも勝ち目なんてひとつもない
万一これとこれとこれとこれがうまくいったら勝てるかも、とやってただけのバカどもだからなあ
まあやれたとして、信繁は降伏のふりしてなんとか家康の近くに寄るなりしてその後数ヶ月信用させるのに努力、そのうえで伊達くらい尽くしたうえで裏切るくらいやらないと知将と呼べない
0934人間七七四年2017/04/12(水) 17:46:04.07ID:uE937Gp/
牢人衆はカネ、または死に場所を求めて集った連中であり、統制がとれなかった
大野治長は、豊臣家は、牢人衆を養う為に、戦をしておるのでない、と喝破していた。
0935人間七七四年2017/04/12(水) 19:08:01.04ID:AUGFtS43
死に場所論はないみたいだよ
それまでにいくらでも散る機会はあれどくすぶってた連中だし
豊臣家の勃興のため、なんてのはあくまで高報酬につられた、ことのとりつくろい
0936人間七七四年2017/05/25(木) 11:39:51.87ID:dlWLzsPu
家康と秀忠の本陣狙ったのも勝つ為で死ぬ為じゃなかっただろうなぁ
無謀過ぎて当然の如く失敗して、判官贔屓で美談になったけど
0937人間七七四年2017/05/25(木) 12:14:06.68ID:GDG5nlkW
真田のくせに本気で突っ込んだら死ぬわな
突っ込んだふり作戦しかやってこなかったくせに
0938人間七七四年2017/05/26(金) 19:59:04.11ID:l6xI2Cl+
「真田幸村は大将に似合わぬ働きをした。それは前日の道明寺の戦いで伊達政宗軍と戦った際、8千挺の鉄砲に打ちすくめられ屈強の兵士を多く失ったことだ。そのために翌日の戦いではあまり活躍できなかったのだ」


爺嫉妬wwwwwwwwww
0939人間七七四年2017/05/26(金) 20:02:19.92ID:Ag3Rha45
真田信繁は結局たいしたことやってない
0940人間七七四年2017/05/26(金) 21:21:03.77ID:5DCtGYBM
本多正信
菅 貫 太 郎
━━━━━━━
ナレーター
寺 田 農
0941人間七七四年2017/05/30(火) 14:53:12.63ID:0RIZiuGI
そもそも真田が徳川に二度勝ったって主張するけど、どちらも家康不在の徳川軍だしなぁ
0942人間七七四年2017/05/30(火) 15:34:12.06ID:9cgYaTYP
ものは言いよう
0943人間七七四年2017/05/30(火) 16:35:33.13ID:0ZpDvoTb
家康不在の徳川軍相手なら諏訪も木曽も勝ってる。真田でなくとも精強信濃武士なら造作もないこと
0944 ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄2017/05/30(火) 17:05:28.29ID:Kw16qnLa
    ∧_∧
   (´Д⊂ヽ
   ⊂  ノ
   人 Y
  し (_)
0945人間七七四年2017/05/30(火) 17:27:40.92ID:Z7nrMTKH
幸村の突撃が失敗したのは前例として桶狭間の戦いなどがあったから
研究熱心の家康にあの程度の奇襲が通用することはまずありえない
0946人間七七四年2017/05/31(水) 13:09:51.10ID:fzwEQb4O
発想の飛躍
0947人間七七四年2017/05/31(水) 13:13:03.84ID:TQEprZcL
豊臣秀頼の1日あたりの摂取カロリーは?
0948人間七七四年2017/06/02(金) 03:39:53.66ID:T553d5tR
大阪人で幸村に影響されたような奴いてるだろ?

幸村みたいに賢くてまっすぐで無謀みたいな

なんか真田幸村の子孫かって思ったりするけど違うか?w
0949人間七七四年2017/06/02(金) 04:39:34.02ID:GocwdFOH
幸村とか言う時点で創作大好きだろうねえ
信繁が浸透した今更に。
昌幸、信之は賢いけど、信繁はダメだろ
老獪というか昌幸を継いで知恵者を気取るなら家康だましてつぶす作戦くらいとらないと。
無闇な対決で自滅した間抜けだわな
0950人間七七四年2017/06/03(土) 12:52:41.68ID:bpCtbDco
「惜しいかな後世、真田語るも毛利語らず」
大坂方の武将、毛利勝永は真田幸村に勝るとも劣らない活躍したのに・・・
0951人間七七四年2017/06/03(土) 13:17:12.95ID:JTApWHDw
たまたま取り上げられた真田が売れただけだよな
下手すりゃ名無しの権兵衛の活躍でも反徳川なら売れた、そんだけの話
0952人間七七四年2017/06/04(日) 04:49:15.45ID:2tVxKtJz
>>945
家康は鉄砲の玉を跳ね返す西洋の甲冑ってやつを身にまとってたからな
それがなければまじで討ち取ってたかもしれないんだってw
0953人間七七四年2017/06/04(日) 05:11:57.00ID:9NJanIbR
突撃してるだけで奇襲ですらない
単なる特攻
力押ししてるだけの無能信繁
0954人間七七四年2017/06/04(日) 08:24:55.18ID:gQE88tpH
ドラマとかで幸村の戦い見てるとつい、「こんなこと俺にだってできる」と
思っちゃう。ところができないんだなw
0955人間七七四年2017/06/04(日) 09:15:32.10ID:mRCX80F2
>>951
でも毛利信者は「真田は虚構だけど毛利は本物の戦国最強の英雄」って態度じゃん
0956人間七七四年2017/06/04(日) 09:45:13.95ID:vBETMDiL
毛利は苗字で損をしているな
元の森のままの方がよかった
0957人間七七四年2017/06/04(日) 12:03:18.20ID:+33PtSob
毛利信者がいたとして発言してるのを聞いたことがないからなあ
真田の信者は単なる歴史しらずだし。

後藤信者もなかなか聞かないね
やっぱり出奔するようなやつは出身地贔屓も発生しにくいかな
0958人間七七四年2017/06/04(日) 15:50:55.87ID:gQE88tpH
どこの板にもいますわ、みんなの人気者とか高評価のものをとりあえず
叩いとけみたいなそういう浅い心根を見抜かれてるとも知らずに平然としてる奴。
0959人間七七四年2017/06/06(火) 03:58:56.61ID:Sn8wBslC
荒れに荒れた戦国時代を終わらせた英雄の子供を滅ぼすなんて
数百年後に客観的に見られるようになれば鬼畜の所業として叩かれるのが道理
0960人間七七四年2017/06/06(火) 08:39:45.23ID:AeqpwHlC
国内から国外に転嫁させただけだし、しかも失敗に終わる
0961人間七七四年2017/06/06(火) 11:02:10.86ID:AMTqNBlj
豊臣秀吉は権力の正統性が今一つだったため、諸武将の打算を満たすことで権力の階段を昇った、
中華帝国征伐の暁には後陽成帝を北京に動座願い、北京周辺数十ヶ国を寄進し、秀次を北京関白、宇喜多秀家または羽柴秀勝を内地の関白にし
加藤清正をおらんかい国主にすると
0962人間七七四年2017/06/06(火) 17:17:25.32ID:jBAeo4U8
>>959
英雄の子は身体不可侵とかいささか血統主義すぎない?
0963人間七七四年2017/06/06(火) 17:38:54.67ID:EBZuDnxm
秀吉は織田のしあげをしただけで統一とかおこがましいよな
あげく天下人となってからは暴政しいて馬脚をあらわした
結局なりあがりは知恵がない
0964人間七七四年2017/06/06(火) 19:23:42.93ID:bgEdZuwa
>>959
そもそも戦国時代の終結がいつなのかという事については
学者等の間でもまだ確定的な結論が出てないのだが。
確かに秀吉による小田原征伐も候補ではあるが
家康による関ヶ原や大坂の陣も候補だし、島原の乱を区切りにしてる人もいるらしい。
本当かは知らんが信長が足利義昭を追放した時点で終わったとした人もいるとかいないとか。
0965人間七七四年2017/06/06(火) 19:47:22.42ID:+0Iz6E7l
せっかく終わった戦乱を外征で乱す秀吉のクソさ
0966人間七七四年2017/06/18(日) 12:11:04.28ID:HkFdgcAR
秀吉は成り上がりだけど、昔からの家臣はいたよ
後年に暴君化して、昔からの家臣を殺したから皆の心が離れただけ
0967人間七七四年2017/06/18(日) 12:12:35.88ID:HkFdgcAR
>>887
それは平和になった江戸時代に生まれた考えで、戦国時代は違ったよ
「侍は渡り者」って考えがメジャー
0968人間七七四年2017/06/19(月) 21:53:14.24ID:e0FcCZdP
御恩と奉公の関係で言えば、明征伐は御恩以上の奉公を要求された形だしね
0969人間七七四年2017/06/19(月) 23:59:39.99ID:9t4Z9S7d
>>959
戦国時代を終わらせたのは家康だから
英雄の子供というと秀忠のことなのかな?
0970人間七七四年2017/06/20(火) 01:19:12.62ID:Nn35krkm
>>969
家康は私利私欲で戦国をぶり返して世の中をねじ曲げただけだろ
まともに擁護できないのが悔しいからってキチガイのふりして支離滅裂なこと言うのはやめとけ
0971人間七七四年2017/06/20(火) 01:34:15.66ID:apxSXrcf
アホな戦争大好き秀吉によってグダグダになった日本をたてなおした家康
0972人間七七四年2017/06/20(火) 20:29:49.12ID:bjawAst3
>>970
>>964
0973人間七七四年2017/06/21(水) 14:57:42.51ID:obrPPliG
物は言いよう
0974人間七七四年2017/06/21(水) 22:12:30.32ID:xfcz38Hr
>>972
秀吉が平和な時代にしたのに、家康が戦乱の時代に戻したというのが正しいな。
0975人間七七四年2017/06/21(水) 22:39:01.27ID:83zyfVP0
1590年から1600年まで10年間大きな戦はなくなってたしな
0976人間七七四年2017/06/21(水) 22:44:23.77ID:yIdAUacF
秀吉は戦争ばっかりしてたから平和とは程遠い
0977人間七七四年2017/06/21(水) 22:52:00.00ID:JUwFeLtK
秀吉は戦の場所を海外に移しただけで平和でもなんでもないな
その理屈で平和が成立するなら太平洋戦争だって中盤までは日本が平和な時代だったことになる
0978人間七七四年2017/06/22(木) 06:05:00.52ID:PQ3NccxN
戦争を国外に移すことで国内を平和にするんだよ。
0979人間七七四年2017/06/22(木) 07:04:42.35ID:D8qmJYcG
戦争にかり出されてるのだから平和なわけがない
0980人間七七四年2017/06/22(木) 07:05:54.00ID:D8qmJYcG
だいたい豊臣マンセーな連中は戦争屋ばかり
浪人がまとわりついて秀頼が破滅したのも秀吉の戦争好きが原因
0981人間七七四年2017/06/22(木) 10:09:09.92ID:xyc39bd2
そも、戦争というか武断的な空気を変化させるのってすごく大変だよ。
大坂の陣の後の江戸幕府だってこの雰囲気を変えるのにすごい苦労してる。
一般庶民が本当に太平の世が来たことをを自覚したのが徳川綱吉のころだったと聞いたことがあるし。
秀吉の場合ずっと戦時中の状態だったわけでそれで平和ってのは無理があるよ。
たとえ海外派兵でも参加してるのは自国民なのだから、心理的に平和な日常なんて意識には絶対ならんよ。
0982人間七七四年2017/06/22(木) 18:27:22.48ID:BwLDWajZ
綱吉の"子ども棄てるな!"が浸透して少し前までの日本人の気風ができたんだっけか
0983人間七七四年2017/06/22(木) 22:08:53.37ID:jX5E59U8
>>979
国境線を遠くにする事で国内を平和にするんだよ。
紛争に携わるのは軍人である武士だけ。

>>981
今も海外派兵している国がほとんどなんだけど?日本も含めてね。
海の外での戦争でなんか影響あるかね?
0984人間七七四年2017/06/22(木) 22:23:31.89ID:oQCkjD/W
>>983
軍人だけで済むわけないでしょ。農民だって兵士として駆り出されてるんだから。
海外派兵って……軍人だけで済んでるから平和を認識してるんでしょうが。
普通の市民まで駆り出されるような事態になれば平和だなんて誰も思わなくなるよ。
大坂の陣や島原の乱を経て、一般庶民が戦争に駆り出される事がなくなり、
その状態が長く続く事によって、ようやく戦乱の時代が終わったんだなってなったの。
戦後直後もそうなんだけど、戦争終わった、はい平和なんて事には絶対ならない。
人々が太平を認識するのはどうしたって時間がかかる。一年、二年じゃとてもとても……。
まあ、数十年は見ないとだめだと思うわ。
0985人間七七四年2017/06/22(木) 22:37:26.11ID:rqIwkflk
>>983
戦場を大坂に閉じ込めて軍人である武士が世を乱すテロリスト浪人どもを始末する
大坂の陣は日本を平和にする最高の戦いだった
0986人間七七四年2017/06/23(金) 01:50:30.49ID:pBXMtinn
>>983
こいつは戦争はゲームしか知らない奴だな
0987人間七七四年2017/06/23(金) 12:17:06.60ID:kBJboiWe
そろそろ次スレだけど、これどこまでがテンプレなんだ?
0988人間七七四年2017/06/23(金) 12:23:50.94ID:N1E5vt71
>>983
軍人のみが外で戦っているのは、一般市民にとってはテレビドラマと同じくらいどうでもいいこと
たとえ戦死者がでて反戦デモなどが起きても、大多数の一般人は平和そのもの
0989人間七七四年2017/06/23(金) 12:27:11.56ID:CXyN49Uv
>>988
家族がかり出されてる人はそんな訳ない
やりなおし
0990人間七七四年2017/06/23(金) 13:27:16.72ID:NihGQPXX
>>988
これマジ?
こいつをソマリア送りにしよう(提案)
0991人間七七四年2017/06/23(金) 20:17:58.01ID:yPoQZsoe
次スレ

【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498216606/
0992人間七七四年2017/06/24(土) 08:11:18.73ID:iHvU6c/W
>>984
その為の兵農分離。嫌なら武士やめて帰農すればいい。

>>989
武家にとって戦にいくのは名誉な事。
その心構えがないなら、武士やめて帰農すればいい。

闘うのは嫌だけど武士やって農民の税金で暮らしたい、とか思っているクズは死ねばいいと思うよ。
0993人間七七四年2017/06/24(土) 08:55:58.55ID:kAlshoZH
>>992
兵農分離ってのは江戸時代になるまでまともな形では出来てませんよ。
それと江戸時代に徳川がやった事が平和につながったの。
要は戦う事に重きをおいてた武士を、領地を守り維持するためのお役人にするって事。
早い話が公務員だな。それこそが江戸の太平の世につながったわけで。
まあ幕末はそれが進みすぎたせいで幕府が倒れてしまったってのはまあその通りだと思う。
ただしそれは幕府の制度疲労が進み、その歴史的役割を終えたと表現するべきだろう。
どんな政権も始まりがあれば終わりがある。幕末にその時がやってきたというだけの話。
だから江戸幕府に関しては後世の人々は『お疲れさまでした』とでも言ってやればいいだろう。
0994人間七七四年2017/06/24(土) 10:19:58.16ID:iHvU6c/W
>>993
闘う事をやめて庶民から搾取して胡坐をかいている人間を生み出したのが江戸時代だよ。
そんな奴らはいらないし、存在してはいけないものだ。
国民を守り、外敵を打ち払い、領土を得る為に戦っていたのが本来の武士というものだ。

ちなみに兵農分離は豊臣政権では達成しているよ、地方の大名では不十分だった藩があっただけ。
0995人間七七四年2017/06/24(土) 10:28:46.53ID:iHvU6c/W
ちなみに役人とか言っているが、奈良かどっかの部落の役人みたいに、
出勤はしないが給料はもらうみたいな役人ばっかりだったのが江戸時代だぞ?
江戸時代なんて何か新しい事をするわけではないから、一部の高禄の連中以外は仕事なんてない。
本来は武具や馬をもって鍛錬しなければならないはずだが、
そんなこともやっておらず、武具も馬も持たない武士(笑)が庶民から搾取した金だけもらっていた時代が江戸時代。

制度疲労?そもそも最初から間違った制度を作ったのが江戸時代というものだ。
そんな連中は帰農させればよい。武士として命を懸けられない人間はいらない。
0996人間七七四年2017/06/24(土) 10:35:17.34ID:iDQyreQ9
>>994
じゃあそれこそ無意味な外征して結果的に領土を寸土も得られなかった
豊臣政権はいらんな。そんなもん必要ないから終わっていい。
ちなみに外敵は幕末になるまで別に来なかったろ。
ペリーまではのらりくらりとかわしてたんだから別に問題ないよ。
まあ19世紀初頭位でうまく開国させるのはアリだったかもしれんが
200年近く先の事を家康のせいにされてもねえ。
そもそも武士の時代ってのは内乱の時代だからな。戦争なんてむやみに続けん方がいい。
秀吉はせっかく一度は天下を統一したのだからそこで軍事行動をやめて
内政にリソースを全振りすべきだった。そうすれば政権崩壊の可能性は大幅に減少しただろう。
外征をどうしてもやりたければその後でいい。
0997人間七七四年2017/06/24(土) 10:43:42.32ID:GUwA6PBi
荻生物徂徠は武士も鍬をとるべきことを主張した
0998人間七七四年2017/06/24(土) 10:55:58.02ID:iHvU6c/W
>>996
何を言っているんだ外征をしてもっと領土を獲得するべきだったんだよ。
せっかく順調に勝っていたのに、退却しやがった。そりゃ武断派も切れるわ。
獲得した領土を失う事になったからな。

つか日本が惰眠をむさぼっている間に、満州族は明朝鮮チベットウイグルモンゴルまで占領し、
ロシアはシベリアまできて、スペインはフィリピン、ベトナムはフランス、インドネシアはオランダ、
天竺は英国、マラッカはポルトガルから英国がとった。

日本が引き籠っている間に世界が動かないと思っているのかよw
0999人間七七四年2017/06/24(土) 11:07:23.66ID:jtI4KwVI
そもそも戦う事がって言ってる時点で武士を理解していない。
武士の本分。それは御家を守ることだ。戦争をむやみにする事じゃない。
わかりやすい例が関ヶ原後の毛利や上杉だ。こいつらこそ武士としてかくあるべき姿だ。
徳川に頭を下げ、謝罪する事で御家の安泰を願う彼らこそ、武士の鑑だ。
周りからバカにされてもただグッとこらえて、先代から受け継いだ家を
次世代に受け継がせる。これこそが家というものを背負った本当の武士だ。
秀頼のように無意味に暴れるような奴は武士を理解していないただの愚か者だ。
だからむやみに戦えって言ってる奴はもうその時点で駄目って事。
1000人間七七四年2017/06/24(土) 11:08:52.39ID:iHvU6c/W
>>999
なら家康は秀頼に一生頭下げて生きりゃよかっただろw
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