【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 4 【徳川】 [無断転載禁止]©5ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2016/07/22(金) 12:31:33.67ID:ll1Lqb8/この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。
大坂の陣歴史検定 公式サイト
http://www.kentei-uketsuke.com/osakanojin/
大阪城歴史トークライブ《大坂冬の陣》
http://www.mbs1179.com/fuyunojin/
前スレ
【秀頼】 大坂の陣総合スレッド 3 【家康】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1438522749/
【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1337983344/
【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233143817/
大坂の陣への軍事考察
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1233315874/
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/
0002人間七七四年
2016/07/22(金) 12:32:06.93ID:ll1Lqb8/幕府に依る激烈な禁教令下に集まったキリシタン部隊の中心人物。
鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後執拗な明石狩りが行われた。
長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。
大野治長
事実上の総大将。兄弟治房・治胤が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。
真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決められる際に宇治川−瀬田川ラインでの野戦主張などをしていたが実際それが有効かは未知数。
道明寺の戦いでは伊達政宗と戦い、天王寺口の戦いでは家康本陣を崩した。
毛利勝永
父は豊臣古参大名の勝信。
関ヶ原では伏見城の戦いにおいて、格別の働きにより首脳たちより感状を受けている。
天王寺口の戦いでは、次々と敵陣を突破して家康を追い詰め、
大坂城への生還を最後に果たす。
大野治房
治長の弟。主戦派の中心人物。本町橋の夜襲戦を成功させる。
大部隊の指揮は未熟だったが、岡山口の戦いでは秀忠に奇襲を仕掛け、
豊臣勝利寸前の処にまで持ち込む。
生死不明で幕府は長く探索を行った。
後藤基次
軍功豊富な事実上の参謀長。
大野治房を戦術面で補佐し、遊撃部隊としても活躍した。
道明寺の戦いでは先鋒を務め、進軍に不慣れな後続が遅れる中で、
幕府軍の先鋒大将水野勝成の大軍と長時間渡り合った。
木村重成
秀頼の元小姓。開戦論に関わった一人。遊撃部隊を率いる。
基次と共に今福の戦いでは佐竹を破り、真田丸の戦いにも加わった。
若江の戦いで叔父宗明と共に藤堂、井伊に大打撃を加えた。
木村・後藤の残存兵が、天王寺口の戦いで、勝永・幸村に道を開いている。
0003人間七七四年
2016/07/22(金) 12:32:28.63ID:ll1Lqb8/http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bc/Battle_of_shigino_ja.png
冬の陣(今福の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Battle_of_Imafuku_ja.png
大坂冬の陣布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png
夏の陣(小松山の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Battle_of_Domyoji_1of2_ja.png
夏の陣(誉田の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Battle_of_Domyoji_2of2_ja.png
夏の陣(八尾・若江の戦い)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Battle_of_YaoWakae_ja.png
夏の陣(天王寺・岡山の戦い)布陣図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Osaka_no_eki_summer.png
0004人間七七四年
2016/07/22(金) 12:33:03.85ID:ll1Lqb8/慶長6年(1601)、福井城が諸大名により普請。藤堂高虎が膳所城普請。池田輝政が姫路城普請。浅野幸長が和歌山城普請。
慶長7年(1602)、本多忠勝が加納城、高虎が二条城を普請。
慶長8年(1603年)、2月、家康は伏見城で征夷大将軍に就任、江戸幕府を開く。江戸城普請。
同年7月、徳川秀忠の娘である千姫が、秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入。
慶長7年(1604年)、京極高次、藤堂高虎らにより、彦根城普請。
慶長10年(1605年)、正月に家康が、つづいて2月に秀忠が伊達政宗ら奥羽の大名を加え10万以上の大軍を率いて上洛。
同年4月、家康は将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲る。秀頼は右大臣。
慶長11年(1606年)、諸大名により江戸城増築。
慶長12年(1607年)、結城秀康死去。
同年12月、駿府城失火。池田輝政、加藤嘉明らが普請。
慶長13年(1608年)、高虎が伊勢・伊賀22万石に移封、安濃津城普請。
片桐且元が、秀頼による85件にものぼる寺社普請の1つ、方広寺再建を命じられる。
慶長14年(1609年)、高虎が亀山城を普請。
慶長15年(1610年)、大久保長安、加藤清正ら諸大名により名古屋城普請。
慶長16年(1611年)3月、後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して家康が上洛。
二条城で秀頼が、反対もあったが、加藤清正や浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり家康と会見。
同4月、家康は在京諸大名に、幕府の命令に背かないという誓詞を提出させる。ただし、秀頼からは誓詞を提出させていない。
高虎が伊賀上野城を拡張。
浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正、死去。
慶長17年(1612年)、3月、岡本大八事件採決。本多正純一派は一時その勢力が衰退。一方で旗本に棄教令。
東国諸大名に誓紙を提出させる。
慶長18年(1613年)、2月、金地院崇伝がバテレン追放の文を起草。全国的な教会打ち壊しや主だった教徒の国外追放の開始。
大久保長安「金の棺」事件。正純一派が復権し、長安一派を粛清。
片桐且元が家康の命により、秀頼の領地より1万石の加増。
池田輝政・浅野幸長死去。
慶長19年(1614年)、4月、且元が、南禅寺長老の文英清韓に銘文を選定させた半鐘が完成。
同5月、前田利長死去。
且元が使者に立ち、方広寺の大仏開眼日を家康に具申。
同6月、イギリス・オランダに大砲、硝煙、鉛を注文。国友鍛冶に大鉄砲・大筒・石火矢の鋳造を命じる。
同7月、大坂城内にて織田信包が吐血死。
板倉勝重の報告により、家康が方広寺開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期を命じる。
同8月、家康が南禅寺以下五山の僧及び林羅山に鐘銘文の見解を出させる。且元、大蔵局が別個に釈明。
同9月、家康が西国の大名から誓詞を提出させる。織田信雄、石川貞政が大坂城退去。
同10月1日、同日、家康が板倉勝重からの通報により出兵を命じる。片桐且元退去及び茨木城篭城。
同2日、秀頼が檄を飛ばし、諸大名の大坂蔵米を接収。
同7日、勝重大坂封鎖。長宗我部盛親は突破して入城。高山右近が長崎からマニラへ追放。
同9日、真田幸村・幸昌父子が、九度山脱出。
同11日、家康出陣。
同12日、大坂方が堺から鉄砲などを接収。
同16日、伊達政宗が江戸到着、秀忠軍先鋒を命じられる。
同19日、家康が西国諸大名に参陣命令。
同22日、家康二条城到着。
同11月4日、薄田兼相が平野焼討。
同11日、秀忠が伏見城到着。
同15日、家康・秀忠父子が京都を発ち、大坂へ着陣。
0005人間七七四年
2016/07/22(金) 13:55:44.12ID:hCaHUFnh家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった説を主張しているといえば、自分の知っているところだと
相川司の「大坂の陣 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か」(河出文庫)や
渡邊大門「大坂落城 戦国終焉の舞台」(角川選書)があるけど
他に主張している研究家や著作ってあるかな
0006人間七七四年
2016/07/22(金) 13:55:56.05ID:1eVj6Y3j豊臣信者がよく主張するのは
関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された
秀頼は主君で家康は反逆者
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
このあたりかな
0007人間七七四年
2016/07/22(金) 16:47:19.31ID:PU+2dXjL豊臣信者の主張
ぶっちゃけ豊臣側の無茶無体ぶりを完全無視してるんだけどね
0008人間七七四年
2016/07/22(金) 16:55:54.88ID:PU+2dXjL関ヶ原後豊臣家は三カ国六十五万石に減封された(恩顧武将がはなれたので合算された石高が減っただけ)
秀頼は主君で家康は反逆者(秀吉に臣下の礼はとったが秀頼にはそうでもない)
関白継承権を持つ秀頼を邪魔に思っていた
豊臣家を滅ぼすため、清正など豊臣恩顧の武将の死を待つなど
じっくり時間掛けながら謀略を行い豊臣家の力を削いでいった(むしろ家康の寿命が尽きる)
されでも開戦の名目がないので方広寺の鐘銘に難癖をつけた(実際やりかたが間違っていたのだから当然)
秀頼が家臣の且元を仕置しようとした事に口出しして冬の陣を起こした(片桐且元は徳川臣下なんだから当たり前)
冬の陣は豊臣方の勝ち、だって宣教師がそう報告してるから(宣教師は鎖国徳川嫌いだからね)
城攻めの苦手な家康は豊臣を騙して、大坂城の堀を総べて埋めた(以前の書き込みにて既出)
豊臣家を滅ぼしたい家康は豊臣の飲めない無理な条件を出し
わざと拒絶させる事により夏の陣を起こした(テロリスト豊臣側が暴発しただけ)
真田信繁に本陣に攻め込まれた家康は無様に逃げた、もしくは戦死した(講談の話で真田をもちあげるためだけの創作)
助命する気もない癖に豊臣の降伏の使者である米村の前で、赦免できないか
秀忠と相談するなんて小芝居をした(降伏とは名ばかりの交渉をする豊臣側、徳川の温情が知れる)
八歳の国松は処刑され天秀尼は東慶寺に入れる事により、豊臣家の血脈を絶った
豊国神社を破壊した(豊臣という旗印はもうこうなっては第2第3の秀頼をうむ、禍根はたつのも責任者の仕置き)
戦後十万人以上を虐殺した、やっぱり宣教師がそう報告している
こんなかんじだな
0009人間七七四年
2016/07/22(金) 18:27:14.73ID:hCaHUFnh0010人間七七四年
2016/07/22(金) 19:48:45.62ID:1eVj6Y3j『真田信繁』を読んだ感じだと、平山優も
家康は豊臣家を滅ぼす気はなかった派に
転んだ感じに思えたね
0012人間七七四年
2016/07/22(金) 22:57:31.60ID:74Q5G0gf>豊国神社を破壊した
もともと豊臣家の援助がなければ廃墟になるだけだから(北政所の願いで残された社殿は実際に廃墟になったという)、
本社の方広寺に吸収再編させるのは何も間違ったことじゃない。ある意味政権の義務を遂行しただけ
そもそも秀吉が国家事業として別用途で作っていた方広寺の一部を秀吉が死んだからって勝手に流用した所縁のない寺社だからね
0013人間七七四年
2016/07/22(金) 23:28:35.37ID:XpGr8YIi奉行が謀反を起こして秀吉の遺城である伏見城を破壊するような豊臣において
豊国神社が壊れたくらいで騒ぐ方がおかしい
0014人間七七四年
2016/07/22(金) 23:34:59.11ID:nW2KeJ+J0015人間七七四年
2016/07/22(金) 23:47:04.11ID:VyMMLeHY0016人間七七四年
2016/07/23(土) 00:06:25.89ID:GdwowNHd仕方なくないだろ
斬首して畜生塚、しかも妻子もろともとか
自分の子供が可愛いということは、秀次も自分の息子達は同じように可愛く思ってる、というのは人の子として解るはず
だから当人は斬首でも幼い子供は殺さないことも多い、しかし秀吉は一族皆殺しですから
鬼畜の所業としか言いようがない
0017人間七七四年
2016/07/23(土) 00:13:21.03ID:f81FCBQ0氏直「助命された俺はなんだったのか」
家康「それな(天秀尼助命」
0018人間七七四年
2016/07/23(土) 00:20:30.42ID:bIdrIW5Z秀吉の拡大自殺みたいなもんじゃないの。
あの時代に累代の有形無形資産や人脈縁故のない成功者の家が
関白や武家の棟梁やっていくのは所詮無理があったんだよ。
0020人間七七四年
2016/07/23(土) 03:50:50.50ID:bIdrIW5Z親父がそれを築き上げるまでの苦労みていないし、
かといって累代が存続させてここ迄きたって有り難みや責任も持てなかったろうから、
プライドだけがあって自分が今いるポジションの重みが解ってなかった。
故に護りぬくという覚悟がなく、お城の外の世界も知らず希望的観測で無茶して、
またダメだったときに簡単に投げ出しちゃったとかかな。
自分が踊ってやらかした存亡かけた戦に勝ちの見込みがなくなったときに
城内の民や家臣護るために自分の命差し出して投降という武門の当主なら当たり前にやるだろってことの真逆を走って
女房と叔母さんに助命嘆願させた日には、親父よりも筋目を通すことに重きを置く秀忠はそら激おこですわ。
0021人間七七四年
2016/07/23(土) 04:48:48.52ID:gg9PB/Wmたたいてくださいと言わんばかりに。
つか真田とか大野とかさ、こういう集り連中が寄りついてきたのが運の尽きだったかもな
002215
2016/07/23(土) 07:59:48.57ID:71JzZXff生かしておくと後の災いの種になると危惧したんじゃないの?
あるいは単純に怒りに任せたか
どっちにしろ秀吉の行為を肯定するつもりはないけどね
0023人間七七四年
2016/07/23(土) 10:45:05.46ID:ElxACoTE傀儡政権のつもりだったろうが予想外に言うこと聞かなかったんだろうなあとは思う
それこそ秀次関白、秀頼征夷大将軍というような構想を作れなかったのかねえ
まあ格でいうなら征夷大将軍は格下だろうけど。
0024人間七七四年
2016/07/23(土) 11:07:38.49ID:j2Yl0Aiu室町幕府では、
将軍>関白
だっった。
太政大臣の秀吉自身が将軍に任官し、将軍の権威を関白の上に戻しておけば良かった。
0025人間七七四年
2016/07/23(土) 12:48:15.25ID:ElxACoTE完全に秀吉は選択をあやまったよね
そこまで秀次を憎む理由があったのかね
殺生関白とか悪名つけて弾劾するあたり相当なもんだ
0026人間七七四年
2016/07/23(土) 13:23:27.44ID:p4eCyooihttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1466125461/
0027人間七七四年
2016/07/23(土) 13:23:37.19ID:vhjK5CUF『真田信繁』平山優
あの本難しくなかった?
0028人間七七四年
2016/07/23(土) 13:46:40.34ID:ULstmrhQ0029人間七七四年
2016/07/23(土) 16:48:53.29ID:V8jQOXVb一番危険な義兄(正室の兄)、池田輝政を叱責、謹慎のみに留めている。
池田輝政は秀次のナンバーツーで、生かしておくと必ず秀次の仇を
取りにかかることは目に見えており、石田三成、増田長盛とも秀頼の
後顧の憂いを除くために、池田家の族滅を強く主張している。
事実、池田輝政は秀吉の死後、秀頼と事あるごとに激しく敵対している。
0030人間七七四年
2016/07/23(土) 16:50:11.30ID:V8jQOXVb秀次を除く気でいるなら、秀次のナンバーツーの池田輝政と徳川家康の
縁談は絶対にしてはならなかった。秀次事件でこれが原因で池田輝政を
除くのに失敗している。
0031人間七七四年
2016/07/23(土) 16:56:42.18ID:V8jQOXVbいずれも信じられないような腐った理屈で動いている。
石田三成 ---- 秀次を除く際に、池田輝政(族滅)に連座させ、徳川家康を弱体化させる
豊臣秀吉 ---- 深く考えずに、秀次のナンバーツーに後ろ盾をつけている。
若御前 ---- 池田家が族滅する際に、徳川家を巻き込み、恨で豊臣家を不安定化させる。
結局、全員誤算だらけ。強いて言えば刑死した若御前の意図が一番当たり。
ただ、若御前も死ぬ間際まで池田家が助かることは計算外だったらしい。
0032人間七七四年
2016/07/23(土) 16:57:56.48ID:V8jQOXVb縁組に激しく反対した。
0033人間七七四年
2016/07/23(土) 17:41:09.16ID:CyfSxpKt0034人間七七四年
2016/07/23(土) 20:15:09.71ID:OKpPnY7R読んだけどこの手の研究本はだいたいあんな感じじゃないかな
光成準治の関ヶ原前夜みたいに書状とかの現代語訳を
わざわざ付けてくれる方が珍しいんじゃないかな
内容的には宣教師の報告真に受けて冬の陣は豊臣方の勝ちとか
所々首を傾げるところもあるけど、まあ内容的にはそう問題ないかな
逆に>>5の二冊読んだ事ないけど、内容的に評価できるものなの?
0035人間七七四年
2016/07/24(日) 00:27:27.33ID:/jmJO33g瞬きすら許されない薄く細い時間の切れ目に確かに盛親は聞いた
幸村(大丈夫。痛くないよ強がりじゃない。少しだけ嬉しい。やっと光成と同じになれた・・・あの時の)
長宗我部盛親(幸村・・・)
幸村「泰平の時代はやるよ。お前ももうおやすみ・・・じゃんけん」
的なことやるのかなN○kは
0037人間七七四年
2016/07/24(日) 14:03:54.42ID:LtBu1tc/島津→再三なる家康の呼び出しのらりくらりかわして無視。逆に薩摩籠城防衛を強化する。
結局明国との貿易を盾にお家安泰家康が折れる。
毛利→大幅領地没収も財政を盛り返し、夏の陣じゃ東軍で戦功を上げる。
伊達→徳川時代もずっと謀反を疑われるも徳川にたいして忠義を尽くす。
家康が死ぬ間際、秀忠を頼むと信頼を勝ち得る。
家光の時代まで政宗は将軍に仕える。
0038人間七七四年
2016/07/24(日) 15:31:34.37ID:/jcR8D05官軍に寝返った井伊、尾張徳川よりも忠節を尽くした。
0039人間七七四年
2016/07/24(日) 16:42:41.29ID:4VOfvy33伊達は伊達騒動の際、幕府の温情で取り潰しを免れたが、それが祟って
五代将軍綱吉時代に過酷なお手伝い普請でひどい目に遭うも、綱吉の死
後は、幕府から優遇されたから忠犬化したんだろう。
0040人間七七四年
2016/07/24(日) 20:34:34.66ID:bvixtRFM脇坂安治:ガチ豊臣譜代。しかも西軍、しかも裏切り。韓国ドラマでは李舜臣最大の敵、名将扱い。
脇坂安元:大坂の陣で豊臣軍を痛めつけ、家光の側近堀田正盛から養子をもらって媚びを売る。
脇坂安政:外様から徳川譜代に成り上がる。
0041人間七七四年
2016/07/24(日) 22:05:08.60ID:WAXFwwXe戸川家も家康様を織田家に売った家とか
言われてるはずなのに、大久保彦佐が
嫉妬するくらいの扱い受けてるしな
0042人間七七四年
2016/07/24(日) 23:00:58.61ID:4VOfvy33徳川家採用基準
1.一度の裏切りまでは許す。(本多正信や奥平等が好例)
2.一度は裏切った者でも、その後しっかり働けば過去は問わない。(例:戸田家)
3.カルト信者は忠義者で重用しても、絶対信用しない。(例:法華カルトの大久保家)
4.クレーマーでも有能なら即採用。(例:曲渕)
5.正直者なら少々、粗忽者でも即採用(村越茂助、横田甚右衛門など)
6.刃物を持った狂人を独りで捕らようとする馬鹿者は採用しません。
7.一度やめた者でも、何時でも徳川家はウェルカム採用(シリアルキラー水野、狂戦士本多三也等)
8・口の悪い者でも気にせず採用(三河武士一同、代表格は本多作佐)
これぐらいかな。
0043人間七七四年
2016/07/24(日) 23:18:04.16ID:iGCBPaW50044人間七七四年
2016/07/25(月) 04:45:57.32ID:kJwfnoPL大藩には普請を命じたりしてるが、それも復興のためだし
宝永地震→富士山噴火や天明飢饉なんてよく乗り切ったもんだと思う
0045人間七七四年
2016/07/25(月) 23:09:30.05ID:Rbt9KpP+徳川を持ち上げすぎるような気がするな
自分の政権批判する、落首書いたら皆殺しの
豊臣政権よりは少しはマシな程度だろう
0046人間七七四年
2016/07/26(火) 05:08:12.72ID:Af/PGj4y人間は懐古するから
0048人間七七四年
2016/07/26(火) 14:02:08.93ID:pIhcStOgもちろん弱者すべてを救済できていたわけでもないが、そんなことは誰でも無理だしな
0050人間七七四年
2016/07/26(火) 19:33:18.02ID:zw7tQbc/縄文人の墓からは、犬と人間が同一の扱いで、きれいに埋葬されて発掘されたが、
半島人と同じルーツの西日本の弥生人の遺跡からは、犬の骨は食べ物のゴミ捨て場から発見されていて、縄文人は犬を仲間として扱い、弥生人は食い物として扱っていたことが学術的に明らかになっているんだよなあ。
弥生人(朝鮮)=関西人、
縄文人(アイヌ)=東日本東北 に遺伝的形質がつよい。
とされているから、犬鍋をよく食べて来た遺伝子が強い人が、無理矢理東北に半島の野蛮な風習を押し付けて、因縁つけてるようにしか見えない(笑)。
>近畿朝鮮人弱いけどね
家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)
番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生…
0051人間七七四年
2016/07/26(火) 20:49:05.46ID:yigwodJa豊臣の場合ヘッドハンティングまでして人材集め急成長したが、
引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、
その体制を崩壊させて、頼りになる重役に後見させようとしたが
その重役は独立してしまい、しかも社員もそちらの会社に移籍してしまい
プライドだけは高い凡庸な二代目は何かとつっかった挙げ句、
問題があって無職だった連中を集め、結局自壊したって感じか
0054人間七七四年
2016/07/26(火) 22:08:39.69ID:T7HsvhgG> 引退した会長が、急に生まれた息子のために新社長を殺し、
企業に例えてるのにここだけ世紀末すぎるだろw
0055人間七七四年
2016/07/26(火) 23:28:14.34ID:fPo8uA7W0056人間七七四年
2016/07/27(水) 20:43:02.58ID:Btx1n2JW信長政権もそうだが結局トップの個人能力に頼り切りの組織は脆いよな
その点家康は将軍の能力の有無に大きく左右されない組織を造ったのが大きいよな
0057人間七七四年
2016/07/27(水) 20:49:27.93ID:i7ETk1lH0058人間七七四年
2016/07/27(水) 21:20:01.40ID:tSu0kEZu0059人間七七四年
2016/07/27(水) 22:09:41.70ID:8+AxVJzn0061人間七七四年
2016/07/27(水) 23:14:33.48ID:KDHu6+PV0062人間七七四年
2016/07/28(木) 01:19:10.04ID:/BN1k7Hb新人が来たらいびるだけが仕事みたいな無駄飯
ぐらいを作っちゃったのが幕末での敗因
0063人間七七四年
2016/07/28(木) 05:58:35.86ID:Mf6McI0R徳川の官僚制度がそんなに腐ってたら、東京は明治大正を乗り越えてない。
0064人間七七四年
2016/07/28(木) 07:41:23.77ID:sY3nVbz1旧幕府出身の役人だからな。
0065人間七七四年
2016/07/28(木) 08:23:48.41ID:hgBNZ9pH読み書きは叩き込まれてたし、警官ならサーベル持てたし、師範学校は只だから貧乏士族にちょうど良かった。
0066人間七七四年
2016/07/28(木) 09:25:52.87ID:U/gwoNap特権階級というか、知識層だからな。官僚および江戸幕府の公務員といったところか。
明治になれば、警官、教師は適職だと思う。
0067人間七七四年
2016/07/28(木) 23:25:18.13ID:9qOElRsH相も変わらず関ヶ原後の秀頼の影響力を過大評価してる研究家はいるけどね
例えば江戸などの天下普請は豊臣家は免除されてるどころか、普請奉行に
秀頼の家臣が派遣されてるとか
西国の大名は総べて豊臣系で固められており、徳川の影響力が低いとか
0068人間七七四年
2016/07/29(金) 06:02:07.30ID:Vamro+N3大阪浪人くらいしか担ぐ気の起きない御輿
関ヶ原後なんて本来徳川の顔色伺いながらおとぎ衆になるべきだった
0069人間七七四年
2016/07/29(金) 14:13:34.27ID:snyGqSdZ西国は豊臣系大名で固められているとは言っても、池田は家康の娘婿だし細川、藤堂、黒田とか親徳川の大名もいるわけで
0070人間七七四年
2016/07/29(金) 14:22:15.42ID:mXIkhx0i0071人間七七四年
2016/07/29(金) 16:28:25.54ID:Ue24aPu00072人間七七四年
2016/07/29(金) 23:12:06.80ID:b4Ly/qh4あくまでも家康は秀頼の権威を恐れていた事にしたいんだろう
0073人間七七四年
2016/07/30(土) 06:57:44.76ID:iuD3R/Avせいぜい、引きこもりの一部に見受けられるくらいだろ
大阪の陣なんて起こさずに、淀君を江戸に押し込んで、身は大和でも摂津でも、仮に壱岐対馬でさえも藩主として生き残ってれば、
三代将軍の義兄弟として政治的に軽視出来ない存在になるのは誰だってわかる。
関ヶ原で毛利上杉を穏便に削ってたにしても、外様を糾合して跡目争いに介入された日には目もあてられないことになる
0074人間七七四年
2016/07/30(土) 07:06:14.27ID:dj3xR0pC秀忠と秀頼だったら秀頼の方が格上になるからねえ
だから家康が生きてるうちに上下関係ハッキリさせる必要があった
0075人間七七四年
2016/07/30(土) 08:23:37.01ID:iuD3R/Av0076人間七七四年
2016/07/30(土) 08:36:06.81ID:e1XwGdjL0078人間七七四年
2016/07/30(土) 10:23:32.63ID:b028s1hC秀忠の官歴は、秀頼の後追いだが、秀頼の最終的官位が正二位前右大臣だったのに対し、秀忠は、慶長19年(1614)に従一位右大臣(兼征夷大将軍)なので、この時点で秀忠の方が上のはず。
婿なんだし、秀忠に頭下げれば良かったんだ。
0080人間七七四年
2016/07/30(土) 11:04:38.96ID:yyu6I7k4舅に対する礼儀も知らないのかと腹を立ててても不思議ではないよね
0081人間七七四年
2016/07/30(土) 11:34:50.20ID:dj3xR0pCこの時点では官位は同じ
秀頼は元職で秀忠は現職だけどね
先に同官位に上がった秀頼の方が一応、格上
0082人間七七四年
2016/07/30(土) 11:57:47.62ID:b028s1hCそれは位階が同じなのが前提。官職が同じなら位階が上の方が格上。
0085人間七七四年
2016/07/30(土) 13:19:06.91ID:e5W5mMLC将軍家の親類縁者となって、表向きは忠節をつくし、将軍家にたてつくもんは伊達家が相手じゃと家康秀忠家光にこびまくり
天下の副将軍として伊達政宗は伊達家安泰の基礎をかためた
0086人間七七四年
2016/07/30(土) 16:01:00.69ID:J3bUa81Gまあ家康が江戸に留まった理由は開墾さえしちまえば土地は広大だし東北の睨みもきく。
西国は秀頼云々というよりも豊臣の影響力が強くてダメだ。
0087人間七七四年
2016/07/31(日) 09:24:44.87ID:9RvVlEGbまあ家康に比べて秀忠の方が豊臣家及び豊臣系大名に
冷淡かつ強硬だよな
0088人間七七四年
2016/07/31(日) 10:42:56.20ID:SM/3HQiuなあなあにしていたり、優柔不断では話にならない
秀忠は家康をひきたてるためにどうしても貧乏くじをひくが落ち度らしい落ち度は実はない
0089人間七七四年
2016/07/31(日) 12:42:59.76ID:Cnj7Rbqtないねえ。大体、家康が駿府に隠居しつつも秀忠は操り人形だったが忠実に二大体制を守って間違いを起こさなかったってことが偉い。
自分の器量を推し量って天命を知ることも才能だよ。
まあ、家康も陰で操りつつも2代目も立ててただろうから頭がいい人だったんだろうがね
0090人間七七四年
2016/07/31(日) 13:48:00.18ID:yOXoaPXU将軍は令外の官
秀忠が将軍である以上秀頼より秀忠の方が上だよ
ちなみに将軍と関白の上下関係はその時代と共に変動する
幕府が政権を執った江戸時代は幕末までは関白より将軍の方が上位とされた
0091人間七七四年
2016/07/31(日) 21:38:20.08ID:/kJloSKmそういうスレがあるから出てくるな
0092人間七七四年
2016/07/31(日) 21:45:13.08ID:oEqrU8OF0093人間七七四年
2016/08/01(月) 21:59:46.79ID:pl87Djm0本来家康の腹黒い謀略と言われていた話が否定されてきているからな
家康は極悪人、秀頼をはじめ豊臣方はそれに翻弄された被害者、
そう理論展開したい豊臣信者にすればあくまで豊臣は徳川の上だという
展開に持って行きたいんだろう
0094人間七七四年
2016/08/01(月) 22:37:45.53ID:cXiW/11/0095人間七七四年
2016/08/01(月) 23:49:06.87ID:gkXuD3Jv秀忠は朝廷より政権を委任された、いわゆる将軍宣下された時点で秀頼より上の地位になったんだよな
形式的に言えば大坂の陣は秀頼による幕府(朝廷より政権、軍権を預かっている)への「謀反」だからね
0096人間七七四年
2016/08/02(火) 01:06:51.62ID:HG6zFwnC0097人間七七四年
2016/08/02(火) 07:59:31.87ID:GVRnQ8o+0098人間七七四年
2016/08/02(火) 08:08:07.21ID:tBl21u3N関白を横領した逆賊豊臣秀吉から始まる賊徒豊臣家を、将軍が滅亡させただけだろ
そもそも秀吉に関白就任の正当性がないだろ
なんで、その子供が摂関家になるんだ?
秀吉が近衛の猶子になったとは聞いたこともあるが、養子になったとは聞いたことがない。
0099人間七七四年
2016/08/02(火) 08:28:35.50ID:SzBJHqY+0100人間七七四年
2016/08/02(火) 08:31:23.90ID:SzBJHqY+0101人間七七四年
2016/08/02(火) 09:48:57.85ID:8NBW+fye忘れる程彼らはお目出度くない
0102人間七七四年
2016/08/02(火) 10:31:04.97ID:HG6zFwnC0103人間七七四年
2016/08/02(火) 12:51:59.93ID:3k34+zDw帝は豊臣贔屓だったが、廷臣はアンチだったろう。特に摂関家は。
0104人間七七四年
2016/08/02(火) 13:13:51.93ID:3enpF6iZ0105人間七七四年
2016/08/02(火) 13:15:59.87ID:3enpF6iZ0106人間七七四年
2016/08/02(火) 14:48:24.08ID:3k34+zDw0108人間七七四年
2016/08/02(火) 20:06:16.65ID:mn5ryuOE何を思って入城したんだろうか。豊臣家に恩でもあったのだろうか?
0109人間七七四年
2016/08/02(火) 20:24:46.02ID:unvssqpl0110人間七七四年
2016/08/02(火) 22:06:01.86ID:8NBW+fye娘が後陽成天皇の典侍なのだが、二度も後陽成天皇の不興を買い追放されており、
何がしか朝廷への復讐でも考えていたのかもしれない
0111人間七七四年
2016/08/02(火) 22:25:57.53ID:4oQer8Jo公家でも近衛信尹とか菊亭 晴季とか秀吉恨んでそうだしね
二条昭実とかも徳川に好意的だし秀吉の事面白く無く思ってそう
0112人間七七四年
2016/08/03(水) 07:03:45.14ID:fPbUpwo7>そもそも秀吉に関白就任の正当性がないだろ
正当性は、近衛前久が菊亭晴季に唆されて作った
秀吉は、近衛家の眷属として関白に就任できるだけの建前上の正当性がある
だから、当時はまだ秀吉に牛耳られていない朝廷もそれを許した
そして、この時点では、その正当性は、あくまで秀吉と近衛前久と約束(信輔に
関白職を譲り、関白は再び五摂家間の持ち回りに戻す)という前提条件が
ついている
>なんで、その子供が摂関家になるんだ?
上記の建前上の正当性の前提条件を反故にできたのは、新姓(豊臣氏)下賜
という新たな建前上の正当性を獲得したから
そして、豊臣家を摂関家として存続させる新たな前提条件として、後陽成天皇の
六宮胡佐丸を猶子とし、将来的には豊臣氏の養子として関白を譲るということを
後陽成天皇に約束することによって、豊臣摂関家を成立させた
さらに、鶴松が生まれたことで、六宮に八条宮家を創設させるということを
前提条件に、実子に関白を継がせることの承認を得た
その権利は、養子の秀次、そして秀頼に引き継がれた
金と軍事力を背景にしたものとは言え、秀吉は前提条件付き正当性を着実に
積み上げることで、建前主義・前例主義の朝廷から権利を獲得していってる
<権利獲得> <それを朝廷に納得させる建前・前提条件(交渉相手にチラつかせた利権)>
関白(一時リリーフ)就任 秀吉は羽柴氏ではなく、近衛家となる
関白相論に苦しむ信輔の地位を保全し、彼に関白職を譲る
(秀吉ごときに関白を譲るのはあくまで信輔のためッスよ、前久さん! by 菊亭)
前回の前提条件をチャラにして 豊臣氏の創設
秀吉の関白恒久化 (でも実子なしだから、事実上は一代限りなんで大丈夫ッス by 菊亭)
豊臣氏を摂関家として 六宮に豊臣摂関家を譲る
関白を豊臣氏の恒久的な権利化 (弟に摂関家の地位を与えるのだから、後陽成さん的にはウレシイですよね? by 菊亭)
前回の前提条件をチャラにして 六宮に八条宮家を創設させる
秀吉の子供に豊臣摂関家継承を認める (藤原さんはともかく、後陽成さん的にはウレシイですよね? by 菊亭)
この着実な権利奪取と、菊亭さんの巧みなサポート
菊亭さんは、保険の勧誘員になれば歩合で大儲けできるはず
0113人間七七四年
2016/08/03(水) 07:25:56.69ID:elENUFW90114人間七七四年
2016/08/03(水) 07:35:47.92ID:Kg3JSCq9常識的に考えて、眷族が氏長者になれるわけないだろ
藤原氏長者=関白の時代に、相続件の無い藤原の猶子が関白に就任した時点で、保守的な人間からしたら横領以外の何物でもない。
サヨクからしたら革命的行為で賞賛するだろうがな
現代であれば、詐術と恫喝の違法行為で、作成された契約として、成立時に遡って破棄される行為だろ
0115人間七七四年
2016/08/03(水) 08:13:38.25ID:WKBYcWM+そんな恩のある菊亭を流罪にし、北政所の嘆願を拒否して
その娘を処刑してるんだから、秀吉もひどいよな
0116人間七七四年
2016/08/03(水) 11:58:20.09ID:elENUFW90117人間七七四年
2016/08/03(水) 15:33:49.37ID:3jfZ35Ws大坂の陣でも国松は処刑されたけど、奈阿姫は助命されている
0118人間七七四年
2016/08/03(水) 18:07:27.54ID:HYQQlo610119人間七七四年
2016/08/03(水) 18:29:52.94ID:JLUHCuLcそれで家康はともかく秀忠の印象が余計悪くなったわけで。
0120人間七七四年
2016/08/03(水) 18:34:30.82ID:tICbxLYQ0121人間七七四年
2016/08/03(水) 19:43:22.30ID:+e0c9u+x我々責任者は切腹するから子供たちには寛大なるご処置を、ってなるのが当たり前
お市のかたがなんで勝家とともに自害したのかすらわかってねえ
0122人間七七四年
2016/08/03(水) 21:54:40.44ID:WKBYcWM+秀頼の庇護を無様に諸大名に嘆願する
茶々は二人に父と母が誇り高く城を枕に自害したにも関わらず
無駄にプライドを振り回した挙げ句、最期には嫁を使って命乞い
秀頼は大坂城にひたすら引きこもり状態、牢人武将達の出馬要請にも
城から出ず、牢人武将達が全滅状態になって漸く城から出たかと思えば
蔵に逃げ込み命乞いと救いようがないな
0123人間七七四年
2016/08/03(水) 22:14:41.71ID:7OWqrsN4最上義光とか不憫すぎ
0125人間七七四年
2016/08/04(木) 07:57:28.91ID:JsEv0jwg0126人間七七四年
2016/08/04(木) 10:10:18.21ID:AGJMIcIp秀次に関わっても失脚したけど、復帰して右大臣還補だから、まあまあ勝ち組だよね
賭けた勝負で裏目に出まくった負け組の近衛前久とは大違いだ
前久は民主党だな
0127人間七七四年
2016/08/04(木) 10:45:47.59ID:JsEv0jwg息子の信尹も結局は関白になれた。
公家社会では勝ち組。
0128人間七七四年
2016/08/04(木) 13:56:13.71ID:VVItbMXr近衛って摂関家だろうが
生まれた時点で公家社会の勝ち組じゃねぇか
0129人間七七四年
2016/08/04(木) 21:49:20.39ID:R6nlduyTそもそもこの頃の武士は御恩に対しての御奉公であって
秀頼の代になって諸大名に与えたご恩なんて一つもないのに
秀吉時代の旧恩に頼って諸大名が味方すると考えた豊臣方の
考えの甘さは救いようがないし、いまだに秀頼は諸大名達に
強い影響力を持っていて、少なくとも二条城の会見までは
家康は秀頼に遠慮してたと主張する研究家達は何だろうと思う
0130人間七七四年
2016/08/04(木) 22:12:09.51ID:wjZpe3JV千姫護衛の任に就いた堀内氏久とか南部左門って今風に例えれば、
お先真っ暗なフリーターがたまたま大財閥の令嬢を護衛する機会があって
運よくその財閥に就職できましたって話だしな
ある意味男のロマン
0132人間七七四年
2016/08/05(金) 01:52:47.94ID:I7rZFDLE0133人間七七四年
2016/08/05(金) 09:39:21.86ID:Qvvq1fhz実は秀頼は天皇陛下の子供だったとか
0134人間七七四年
2016/08/05(金) 11:51:39.02ID:VmVz5U800135人間七七四年
2016/08/05(金) 16:14:49.32ID:9bW0VuPS0136人間七七四年
2016/08/05(金) 16:50:38.54ID:iWBX6g5Vさすがは太閤閣下の血は争えんわいってなったんだろうけどそうじゃないからね
0137人間七七四年
2016/08/05(金) 19:50:31.51ID:U3D7P9zu0138人間七七四年
2016/08/05(金) 21:33:37.00ID:3pP5I9xJ豊臣信者や豊臣贔屓の研究者達は、
一度も発揮された事のない隠れた素質とやらや
いざ実際の決戦の際にはなんの効果のなかった
豊臣系や主に西国大名への影響力を家康が
恐れていた事にしたくてムキになってるんだろう
0139人間七七四年
2016/08/06(土) 05:01:20.42ID:Ugms4Veu0140人間七七四年
2016/08/06(土) 05:38:16.36ID:3/t7entW御輿は軽い方が良いからアセ
0141人間七七四年
2016/08/06(土) 06:13:21.48ID:xa1lgzwj豊臣恩顧の清正・幸長が直前に怪死してるもんなw
0142人間七七四年
2016/08/06(土) 07:47:36.63ID:BzcqbrpF恩人池田恒興の娘と言えど、例外とはなっていない。
一説によれば秀吉は除名しようとしたが、若御前自身が助命の申し出を拒否し、
処刑されたとされている。
側室が皆殺しになるのに、自分だけが生き残ることはできない、と。
0143人間七七四年
2016/08/06(土) 23:55:17.80ID:M7zk2NuF清正も幸長も二条城の会見の際は
秀頼の御供じゃなくて自分達の婿になる
家康の息子の御供してたけどな
0146人間七七四年
2016/08/07(日) 11:51:09.40ID:d94gCPk/ねえよ。細川の記録によると、この二条城会見の後、秀頼は清正の屋敷で休息を取ろうとしたが、
清正は色々理屈をつけて断わり、秀頼を不快にさせたとある。清正は明らかに、秀頼と結びつく事を嫌がっていた。
0147人間七七四年
2016/08/07(日) 12:13:06.68ID:nL4b24vk0148人間七七四年
2016/08/07(日) 13:19:08.46ID:LGe3FMjl0149人間七七四年
2016/08/07(日) 16:06:41.83ID:8a9o6MsFショボイんだろうなw 松井佐渡が家政を取り仕切ってたらしいが
加藤トラノスケw
0150人間七七四年
2016/08/07(日) 16:18:14.95ID:XLF2GwS+0151人間七七四年
2016/08/07(日) 16:26:36.08ID:tY8WZKVc秀頼に限らず貴人用のゲストルーム
だから普段使いせずいつでも来客対応できるように
綺麗にしておいてた
0152人間七七四年
2016/08/07(日) 19:25:29.53ID:YC8ys0Tw0153人間七七四年
2016/08/07(日) 19:25:36.65ID:DAHv2pKM0154人間七七四年
2016/08/07(日) 19:57:58.02ID:tY8WZKVcアレはこじつけだよなー
単純にVIP用ゲストルームの内装だと考えれば
「遠方からの旅人」モチーフかつ有名な古典題材で
しかも美女だから絵的にも華やか
中々気の利いた題材選びなんじゃね
0155人間七七四年
2016/08/07(日) 21:02:37.49ID:QwWtrlyc0156人間七七四年
2016/08/07(日) 22:39:53.33ID:TMJquLBJ屋敷の前に船を固定して、金屏風で囲って接待したんだっけ
いくら金屏風で囲ったとはいえ、外のそんな不用心な場所で
本当に大事だと思う相手を、普通は接待しないよな
>>155
だから宣教師の報告は豊臣方に同情的だという意見があるな
0157人間七七四年
2016/08/08(月) 08:36:59.50ID:uyVX36ycその話の出典が綿考輯録(細川家記、編纂史料)なのか忠興書状なのか
ちょっと気になった
忠興書状だったら平常運転ですなあw
0158人間七七四年
2016/08/08(月) 10:28:05.17ID:qA03O3xE0159人間七七四年
2016/08/09(火) 21:54:11.97ID:0K2mSbHe忠節を尽くした家ってどれだけあるんだ?
0161人間七七四年
2016/08/10(水) 01:22:58.92ID:jGae0GlHその原因は濃霧で後続の軍が遅れたからだけではなく、見殺しにされたという説を拝見しました。
・霧が発生したとはいえ、半日近く経っても後続が到着しないのはいくらなんでも不自然である
・基次は和睦派で主戦派の信繁らと折り合いが良くなかった
・後続隊は本当なら間に合うはずだったが、現地に着いた基次隊からの報告を受けて不利を悟り、穏健派の基次がいなくなるだけならと進軍をさらに遅らせた
と、以上の理由が推測されていましたが信憑性のほどは如何でしょうか?
0162人間七七四年
2016/08/10(水) 05:13:25.79ID:pYLzNfs6とはいえ、黒田も細川も福島も一族や元家臣が大坂城に入ってるから徳川としてはどこまで忠節尽くしてるのか不安はあったろうな
0163人間七七四年
2016/08/10(水) 19:24:13.32ID:Thls700ehttp://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、
豊島区ではなんとゼロ票
中央区ではゼロ票。
江東区ではゼロ票、
荒川区ではゼロ票
足立区ではゼロ票
通常、こんなことは考えられない。
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
0164人間七七四年
2016/08/10(水) 21:31:34.58ID:4GHw0h0h細川興秋なんて今までの忠興の功績を考慮して幕府が赦免してくれたのに、
忠興が許さず切腹させたって説があるくらいだしな
0166人間七七四年
2016/08/11(木) 08:06:45.55ID:/W7snC5mないどころか、秀次派だった幸長は秀頼を激しく憎んでいた。
0167人間七七四年
2016/08/11(木) 09:52:25.23ID:ySfNlVml後を継いだ長晟は江戸育ちで、徳川への忠誠心は盤石でも
秀頼スレイヤーの幸長のように「秀頼死すべし、情けはない」とまでの
敵愾心は無かったろうしね。
0168人間七七四年
2016/08/11(木) 12:44:40.35ID:NEhpieJU秀頼の片腕となって付き従った。
幸長の器が小さいだけ。
0169人間七七四年
2016/08/11(木) 12:59:32.65ID:ySfNlVml流罪→切腹命令書→妻妾皆殺しの黄金パターンに嵌められた秀次一族の末路
を見た幸長の器がぶっ壊れるのは仕方ないのでは?
0170人間七七四年
2016/08/11(木) 13:30:30.43ID:LLkBjW+y0171人間七七四年
2016/08/11(木) 13:33:35.47ID:KFuTaf1U0172人間七七四年
2016/08/11(木) 13:44:24.92ID:hXUUjsDEさらに重成は秀頼の小姓として成長してるから秀頼に対する心情はまったく違うだろうよ
0173人間七七四年
2016/08/11(木) 22:03:46.12ID:Ncxd0e7+>後を継いだ長晟は江戸育ち
いや長晟は文禄3年に豊臣秀吉に仕えて3,000石を与えられていて
秀次事件の時は秀頼の小姓頭をやっており、秀忠に仕えたのは
関ヶ原以降っていう話がある
その所為か、逆に大坂の陣での豊臣からの使者の扱いが一番酷かったのが
長晟だったという説もあった気がする
0174人間七七四年
2016/08/12(金) 16:11:52.89ID:U7CJHDok0175人間七七四年
2016/08/14(日) 10:50:13.06ID:kA8r/Rdg時流に乗らず忠義を尽くしたと言えば聞こえは良いけど
勝つ見込みがない戦を止めもせず犬死にしただけとも言える。
0176人間七七四年
2016/08/14(日) 14:48:45.40ID:vsM7g1G4北政所がやはり・・・
0177人間七七四年
2016/08/14(日) 17:39:59.45ID:x5z9UYv70178人間七七四年
2016/08/14(日) 19:07:57.11ID:/qpwma2z止めもせずどころか重成は誰よりも強硬派だったんだよなあ
あの若さなのに信じられないぐらいのやりたい放題で将来が楽しみな狂犬ぶりである
0180人間七七四年
2016/08/14(日) 19:52:12.93ID:/qpwma2zというか当時の大坂方の指揮構造どうなってたのか
若い重成が強権振るってるあたりかなり不穏な感じだよな
0181人間七七四年
2016/08/14(日) 19:58:03.02ID:M1FE6jss木村重成とか渡辺糺といった「若手将校」が、権力を得るために大野治長なんかと組んでやったのが
片桐且元追放劇だからな
0182人間七七四年
2016/08/14(日) 20:02:31.60ID:fcGHISPm大坂城中の誰よりも秀頼が対徳川強硬派で大野や木村は主の意向に沿って行動していただけとか
通説だとあまりに秀頼の存在感が無さ過ぎる
0183人間七七四年
2016/08/14(日) 23:32:15.79ID:a7tPgKyj0184人間七七四年
2016/08/15(月) 22:56:08.05ID:+LgOmx7B>方広寺の鐘銘に難癖をつけた
戦国時代のある時期くらいまでは諱で呼ぶ事が敬意を払う事になってたみたいだけど
書状とか見ると、秀吉政権の末期ころから段々官名とかでまた呼ぶようになってきてるし
この時代寺社の境内とかに憎む相手の名を書いて、仏神の力で罰や災厄を与えようとする
「籠名」って呪詛があったらしいし、豊臣方のやる事は迂闊な事が多いな
0185人間七七四年
2016/08/16(火) 11:50:17.90ID:YujcLT5/大坂の陣関係では
国家安康→言い掛かり
内堀の件→だましうち
という解釈がほとんどだな
ただ、この行動は、家康の私利私欲から動いたわけではなく、
天下泰平の世を築くための非情な決断だったという流れになっている
家康の人物像も、従来イメージされている陰険な性格などは強調せずに、
平和な世を作るために律儀な面と非情な面を使い分けながら天下を取る
スケールの大きい人物として描かれている
0186人間七七四年
2016/08/16(火) 11:56:14.24ID:IAXzfdNz0187人間七七四年
2016/08/17(水) 23:07:08.53ID:ZAShE7Bs所詮秀長や秀次が居なければ成り立たない政権だからね仕方ないね
秀吉は天下を取る才能は日本一だが先のビジョンを構想する力は農民以下
0188人間七七四年
2016/08/17(水) 23:31:38.21ID:inRaBNcC豊臣秀頼→いい人
0190人間七七四年
2016/08/20(土) 18:44:45.85ID:Du/Iu+wC木村重成は木村家ではない。秀次事件で族滅した木村重?の跡を継ぐため
篠原家から木村家に養子として入っただけだ。篠原長房の孫という説が
有力だが、どの篠原家かははっきりしていない。
0191人間七七四年
2016/08/20(土) 20:19:21.17ID:+FVB8aym支城もって防御ネットワーク作るのが普通でしょ
大阪城あるから大丈夫! って発想自体が、戦知らず世代の決定っぽい
0192人間七七四年
2016/08/20(土) 20:26:49.94ID:7TW6qEDL小西行長が当時西洋で一番有名な日本人だったらしい
処刑されたと聞くやミサが開かれたっていうし
劇も演じられたって
0193人間七七四年
2016/08/20(土) 20:35:47.57ID:Du/Iu+wC徳川幕府の禁教令(慶長の禁教令)が効いている。
この影響で、豊臣方にキリスト教徒が集まっている。
また、豊臣秀頼の後ろにスペインがあったという説もあるが、流石に現段階では
飛び過ぎか。
0195人間七七四年
2016/08/20(土) 20:50:11.58ID:Du/Iu+wC重成の弟が大阪の陣後、篠原姓に戻って許されている。
それから、篠原姓は明らか。
0196人間七七四年
2016/08/20(土) 20:53:05.35ID:Du/Iu+wC仕えたといわれることから、その縁と言われている。
0197人間七七四年
2016/08/20(土) 21:05:58.99ID:eKeT/cdb0198人間七七四年
2016/08/20(土) 23:40:53.27ID:VK91LeEC禁教の元祖は秀吉なんだがな。
0199人間七七四年
2016/08/21(日) 01:20:12.63ID:TUO2vYn10200人間七七四年
2016/08/21(日) 05:01:16.40ID:Aosm0mzG0201人間七七四年
2016/08/21(日) 12:36:37.13ID:Hd4I3dCd0202人間七七四年
2016/08/21(日) 14:56:15.09ID:L+Ps4oQL弾圧すると自己陶酔で盛り上がるし放置すれば増殖する
政教分離がいかに大事かわかるわ
0204人間七七四年
2016/08/21(日) 23:37:22.19ID:OSU/Mrta宗教勢力は下手な大名よりもよっぽど手強いからな
0205人間七七四年
2016/08/24(水) 23:10:03.08ID:h+/XxS+Z0206人間七七四年
2016/08/25(木) 03:30:11.61ID:PFYq+wbg0207人間七七四年
2016/08/25(木) 10:55:22.59ID:rPvz/Bn/勝成なんて本能寺の頃から島原の乱の頃まで出せる主人公にしたら
面白い題材だと思うけど
0208人間七七四年
2016/08/25(木) 16:51:07.59ID:qnqW66nB大高城兵糧入れから大坂の陣までネタがありすぎる
官兵衛〜幸村とNHKはオシッコ失禁豊臣方か
0209人間七七四年
2016/08/25(木) 20:49:25.46ID:KMJN3rIx家康のどこに焦点をあてるかだよや
江戸開府とかまでやるとドラマなら三年くらいやらないとな
たまには竹千代時代のみでやってみろや
0210人間七七四年
2016/08/25(木) 21:57:09.14ID:Jj3TomLe関ヶ原とか大坂の陣とか、1つの合戦を焦点に当てれば
この2つは前後の出来事合わせれば1年持つ
0211人間七七四年
2016/08/25(木) 22:16:14.22ID:s1OhRGIH0212人間七七四年
2016/08/27(土) 07:01:56.83ID:1ufl7YGa26聖人は特に布教が強引で悪質なフランシスコ会関係だったからな。
禁教令など知ったこっちゃない、という感じ。(イエズス会は一応自粛していた。)
0214人間七七四年
2016/08/28(日) 02:07:03.46ID:BMJrKiRFそうすると中学レベルの知識で大河を見ている大半の層にとって分かりにくいドラマになるんじゃないの?
主人公を立てることで、ご都合主義ではあってもその主人公の視点で共感したり感動したりできる。
ドラマはあくまで万人向けのエンターテイメントで、歴史好きの一部の人を満足させるためには作っていないと思う。
0216人間七七四年
2016/08/28(日) 08:55:31.25ID:kxRqSCr0それは正解がない以上聞いてもw
0217人間七七四年
2016/08/28(日) 21:59:25.07ID:JtoSc8Vr0218人間七七四年
2016/08/28(日) 22:46:18.24ID:eNvV8vq6もはや誰でもいいのに希望するほど面白い人物がいるなら他の人物の名前をあげる人にそいつのつまらない点を教えて本当に面白い人物を勧めるべきだろ
0219人間七七四年
2016/08/29(月) 00:07:31.21ID:6u8rbA3E0220人間七七四年
2016/08/29(月) 00:15:01.53ID:m3Rjc4M0視聴者が十分な知識を持ち合わせてるわけでは無いんだから
大河で群像劇をやるよりかは登場人物の中の特定の人間か集団にスポットを当てて
話を分かりやすくした方がいいという話
0223人間七七四年
2016/08/29(月) 01:47:16.60ID:m3Rjc4M0近年の女性主役の大河でハードルは確実に下がってるから
演出次第ではそこそこ受け入れられる可能性もあるとは思う
主役の事跡が少ないことがかなりの不安要素だけども
0224人間七七四年
2016/08/29(月) 02:55:14.31ID:TE8R17Nv徳川が天下取ったあと、家康か秀忠か家光か誰か忘れたけど秀吉の死体を掘り起こして
市中引き回しの刑にしたとか誰かが言ってましたがマジですか?
0225人間七七四年
2016/08/29(月) 03:15:35.07ID:30G5pelg0227人間七七四年
2016/08/29(月) 05:33:11.90ID:Zo9z3+ya結城秀康はいるわ朝日姫()とかそら非道すぎるわな
0229人間七七四年
2016/08/29(月) 10:33:13.26ID:5HtTZPf60230人間七七四年
2016/08/29(月) 12:20:19.91ID:TE8R17Nvサンクスです
非道じゃなくてよかったです
豊国神社かなんかが壊されたんですよね?荒れ放題だったとか
それと混同したのかも
0231人間七七四年
2016/08/29(月) 12:49:32.91ID:qv58D9BA知らない名前があったからこれにしようと決めた感ありありだわ
0232人間七七四年
2016/08/29(月) 13:27:44.48ID:+W6PNGKf苦労はしただろうがそれはほかの武将だって同じ。
そして舞台が家康の家臣のひとりの武家ってだけ
スケールちいさい
0233人間七七四年
2016/08/29(月) 15:23:31.13ID:39mnkSFz0234人間七七四年
2016/08/29(月) 22:31:42.25ID:/KPNmgmo0235人間七七四年
2016/08/30(火) 04:09:46.26ID:uJzCFVet妄想展開ありきのキャラ付けするならオリジナルでやれよ
0236人間七七四年
2016/08/30(火) 06:16:55.97ID:1mSkLC9g大坂の陣のときに本当に秀頼なんて居たのか?
とっくに殺されてたんじゃねえの?
0237人間七七四年
2016/08/30(火) 12:36:59.15ID:hPnZzX5A0238人間七七四年
2016/08/31(水) 06:15:54.34ID:V99qqU9Xむしろ今までの女主人公の大河を見るに
家康や直政は人が好いだけのアホで、全て直虎が考えて行動した事になる可能性が99%
0239人間七七四年
2016/08/31(水) 08:27:40.43ID:+HWW+/kp0240人間七七四年
2016/08/31(水) 09:25:23.47ID:qjORORjh0241人間七七四年
2016/08/31(水) 13:44:17.24ID:+HWW+/kp0242人間七七四年
2016/08/31(水) 15:59:54.47ID:4LGUqGSJ0244人間七七四年
2016/08/31(水) 16:28:51.28ID:+HWW+/kp君主では秀吉やら徳川やら含めて日本全土を支配したみたいだな
地頭役職はあの時点でもう消滅してないか?
0245人間七七四年
2016/08/31(水) 16:58:47.81ID:J082zMAk0246人間七七四年
2016/08/31(水) 18:04:27.68ID:TXHeZFxP割と中央集権化してるイメージで。
0247人間七七四年
2016/08/31(水) 18:14:22.85ID:EDtdrw020248人間七七四年
2016/08/31(水) 18:26:00.55ID:J082zMAk0249人間七七四年
2016/08/31(水) 18:32:24.26ID:Itx90Hytでも後継の景勝は上杉ブランドは大事にしたね
0250人間七七四年
2016/08/31(水) 19:53:15.18ID:xuTMwu2Y謙信が築いた強い上杉ってのがあるだけで特に他はなにもない
0251人間七七四年
2016/09/02(金) 21:02:39.18ID:FEIQnL9a方広寺鐘銘事件で家康は且元には面会も許さずに側近らに厳しく詮議させる一方で
大蔵卿局に対しては上機嫌で応対して安心させて
両者の報告を食い違わせることで豊臣家の内部分裂を狙ったと言われてるけど
豊臣家の家老で方広寺再建の責任者である且元と
奥向きの実力者とはいえ淀の側近でしかない大蔵卿局とじゃ
対応が違うのって当たり前じゃないですかね?
この件で大蔵卿局を詮議しても何の回答引き出せないでしょうし
0252人間七七四年
2016/09/02(金) 21:19:14.70ID:dKSbma+C落ち目豊臣がわがまま放題ならお話にならないよね
0254人間七七四年
2016/09/02(金) 21:40:14.67ID:yYkUGriY0256人間七七四年
2016/09/02(金) 21:58:34.44ID:ftxWEGGq家康の陰謀通りに事が運ばれたみたいな通説が根強いからね
本当にそうだったら家康どれだけ凄いんだよって話になると思うんだけどね
0257人間七七四年
2016/09/02(金) 22:16:41.37ID:A+p7zxpH0258人間七七四年
2016/09/02(金) 22:25:45.37ID:Ln44KRPrという明治以降の俗説ってそれがガチなら
徳川史観とやらもビックリの超人家康になるからな
そりゃ天下とるよなっていう
0259人間七七四年
2016/09/02(金) 23:51:07.73ID:NcgEVwnd0260人間七七四年
2016/09/03(土) 02:10:45.26ID:uUhl+jxnギリギリまで秀頼を始末しない方向で調整してるんだよな
最後難癖付けるみたいになったのは自分がこのまま逝ったら確実にまた大乱が起こるのが分かったからだろ
秀忠じゃあ心許ないから自分がケリを付けるしかなかった
0261人間七七四年
2016/09/03(土) 02:30:42.50ID:amaxMju70263人間七七四年
2016/09/03(土) 05:09:17.13ID:wZJWJjwG忠勝、康政、直政みたいな家康より若くて戦になったらいた方がいいに決まってる忠臣が豊臣に暗殺されたという話は出ないな
0265人間七七四年
2016/09/03(土) 07:29:41.39ID:Uhqk52wc大坂の陣の場合、鐘銘の件が発覚する前から法要の日程等で揉めてるんだが、あの辺の解釈が難しい。
0266人間七七四年
2016/09/03(土) 08:25:38.17ID:hNhLQoWn助命?いいと思うよ。でも一応将軍に伺いを立ててね。
じゃワシ駿府に帰るから
と言って帰ろうとしたけど将軍秀忠に帰してもらえなかったな
0267人間七七四年
2016/09/03(土) 08:58:19.17ID:X7HVNdVL自分だけ良い人になろうとするのは腹立つわな
でも徳川の人間ってそういう傾向があるのかね
光圀にも似たようなエピソードあるし
0268人間七七四年
2016/09/03(土) 09:31:05.61ID:uJjBRNfz現役の将軍を差し置いて出しゃばるわけにもいかんし
普通は孫娘は可愛いし
隠居ジジイの身勝手と言われればそうだが
さして非難する事でもあるまい(褒めるもんでもない)
0269人間七七四年
2016/09/03(土) 09:53:19.44ID:p76h8wBEどこか適当な所に軟禁しても逃げ出してまた反乱を起こすかもしれない。
自分(家康)という後ろ盾がなくても収拾出来るのなら助命すれば?
というつもりだったのでは。
0270人間七七四年
2016/09/03(土) 10:26:40.16ID:FbT+TYth嫌な役回りは全て押し付けられている
秀頼の助命なんて出来るわけないのは家康自身が一番分かっているのにこんな事いうなんて狡い
あからさまに「自分は助けようとしたのに秀忠が〜」という責任の押し付け
0272人間七七四年
2016/09/03(土) 10:49:13.47ID:wB+53SAg幕府の徳川史観としても同じ将軍の秀忠に割り食わせてもしょうがないし
どうせ嘘つくなら「将軍も大御所も慈悲深く助命をおうさられたが秀頼は恥じ入って死んでしまいました」とでもしとけばいい
「助命したい」「謀反も2度目なれば示しがつきませぬ」なんて話も
理があるのは秀忠で家康はほんとうに隠居ジジイの身勝手ととらえらかねない
0273人間七七四年
2016/09/03(土) 11:17:12.91ID:xTCvI6Cqそれが必要な時も組織や体制には必ずある。
それだけのことだと思う。
良い人ぶってとかそんな次元の話を家康が気にするなら大阪の陣で耳削ぎ塚エピソード発生してないかと。
0274人間七七四年
2016/09/03(土) 11:46:04.74ID:M1dNGuH7秀忠は嫌な役回りをさせられたわけじゃないでしょ、秀忠が決めて滅ぼしたという事実が欲しいわけで
大坂の陣については将軍の意向に従う家康、という格好が出来上がってる
0275人間七七四年
2016/09/03(土) 14:35:14.84ID:tnQrrXe/叱る役と取りなす役にわかれてるのも落としどころを見つけるのに必要ではあるかもね
まあ家康の発言力が秀忠を遙かにうわまわるのが難点で。
0276人間七七四年
2016/09/03(土) 15:20:52.95ID:mnqUWWFj夏の陣の天王寺口での戦いで、家康の首を狙わず「秀忠」の首を狙い
討ち取っていたら状況はどうなってたかな?
歴史にIFってのは厳禁だけど、殆どの場合「狙うは家康1人!」って話
ばっかりで、秀忠の方に狙いを付けて討ち取っていたらどうなっていたかが
何だか気になったんだ
戦況とか戦後処理とかがどんな風に変化したか?についての想像を
(出来れば)聞かせて欲しいのだけど、IFはダメかな?
0277人間七七四年
2016/09/03(土) 15:26:17.12ID:C8UO59QV秀忠の脇に柳生宗矩が控えて居たんだが。
0278人間七七四年
2016/09/03(土) 15:49:57.31ID:hEXPP9Ix家康はもう老いぼれだし、実際に翌年には死ぬ
そして子供はたくさんいたけどみんな妾腹
秀忠は家康の後見を受けて、何とか後継者として地位を固める事ができたけど
その秀忠が先に死に、翌年に家康まで死ぬとなると御家騒動は避けられない
家光らが幼少であり秀忠の兄弟が沢山いるという、付け入る隙だらけの状態
もっとも豊臣方としては後の事より今の戦いを勝たなければならない訳で
そうなると秀忠ではなく家康を討ち取る方が重要
従って、結局は史実通りの展開にならざるを得ない
0280人間七七四年
2016/09/03(土) 17:22:45.10ID:jZd6xpUYというのも家康は松平宗家の嫡男で信玄の兵の結束力を参考にしたりして非常に家臣を大事に扱った。
秀忠→家光あたりは優秀な家臣の御輿に乗っかって治世を行ってたといっても過言でない。
信長は織田分家で殿様になって内紛も多かったりで織田家代々の家臣の結束力という意味じゃ危うい。
秀吉も平民の出だから一代の才で成り上がったがそこも磐石じゃない。
三河衆の結束力って半端ないのよ。
秀忠が死んだら可能性が秀康、忠輝だが家訓みたいなもんで家康のやり方を真似てさえいれば問題ないと思う。
0281人間七七四年
2016/09/03(土) 18:01:52.76ID:LZCeZmXK万一秀忠の首級あげたらそりゃ大坂方は勢いづくし、徳川側からも離反するのも出てくるよな
ただそれはおそらく一時的なもので立て直された徳川軍が弔い合戦の体で大坂方の殲滅にかかるだろうから結局大坂方の勝ちはない
秀忠家康両方おとせるならまだしも。
大坂方は籠城のうえ救援のみこみがなさすぎる、勝つ要素がほとんどない
IF話なんで否定しないとして、そもそも徳川本陣はおとせないやね
真田がきりこんだ、なんてのもかなり誇張してる話と思うよ
0283人間七七四年
2016/09/03(土) 18:20:15.13ID:XP2tndA+0284人間七七四年
2016/09/03(土) 18:55:24.06ID:RRXJd4fI0285人間七七四年
2016/09/03(土) 19:32:39.69ID:/fld/gSy大坂の陣の頃、秀康はもう死んでるよ
だから息子の忠直が出陣している
0286人間七七四年
2016/09/03(土) 20:39:01.80ID:4TJGxou2「戦知らずの馬鹿」と言って出奔し、後に大坂方として戦った。
その戦知らずの忠直が率いる越前兵が、真田幸村を討ち取り、1万以上の
首を刈り取り、大阪城一番乗りを果たす大戦功を上げた。
天晴な猛将の忠直を戦下手って評した御宿が喜んで仕えた秀康は、恐るべき
戦上手ってことだ。もし大坂の陣まで存命していて秀康・忠直の親子で出陣して
たら大坂方はひとたまりもなく粉砕されてるな。
0287人間七七四年
2016/09/03(土) 20:48:07.50ID:oMU9BWtZ0288人間七七四年
2016/09/03(土) 21:27:10.21ID:IDM1cUCD0290人間七七四年
2016/09/03(土) 22:03:12.81ID:nQ9rhYBz夏は夏で飲みすぎで出陣すらしなくて怒られてるし
それに1/3の真田に押し破られて突破を許してるじゃん?
幸村の首だってその経緯から忠興に一笑にふされてるし、とても猛将の名に値するとは思えんなあ
0291人間七七四年
2016/09/03(土) 22:49:31.68ID:jYQNtOqfもしかしたら、家康は、それ以前に死んでいて影武者だったのか?
豊臣家滅亡したからお役御免で病死したことにしたのか?
0292人間七七四年
2016/09/03(土) 23:47:15.87ID:4TJGxou2猪突猛進して目の前の敵をぶち殺してるうちに気づいたら
幸村に中央を突破されたってのが真相だろう。
幸村こそ家康本陣に突っ込んだは良いが、忠直軍の脇
をすり抜けて家康本陣を蹂躙した毛利勝永軍が去った
後のもぬけの殻の本陣に殴り込んだだけで虚名を得たが
実利はなし。挙句の果てに退却時、軍が壊乱してたった
一人で戦って戦死する情けなさ。
忠直軍の猛追を軍を乱すことなく、あしらって大阪城に
帰還した毛利勝永と比べると幸村は微妙だな。
0293人間七七四年
2016/09/04(日) 00:00:28.85ID:xb3XOOg90294人間七七四年
2016/09/04(日) 00:03:44.46ID:6sihjxMw0295人間七七四年
2016/09/04(日) 00:08:24.49ID:PEm3G0hLいや勝永軍の猛攻を見た時点で家康は、さっさと逃げ出してる。
逃げ出す際に馬印も旗もおっぽり出して、少しでも時間稼ぎを
しようとしたぐらい切羽詰まっていた。
勝永の軍が攻め込んだ時には、本陣は空っぽだったわけ。
0296人間七七四年
2016/09/04(日) 01:51:35.53ID://z2PEWC0297人間七七四年
2016/09/04(日) 03:01:25.58ID:xb3XOOg9攻め込んだ時に空っぽなら蹂躙してないし追わなかったことを正当化できないなら何も言わなくていいよ
0298人間七七四年
2016/09/04(日) 05:44:37.94ID:bKZCYK/l蹂躙した云々は眉唾モノだが、彼はもっと評価されて欲しい
信繁の1人よがりに完全に持ってかれたね
0300人間七七四年
2016/09/04(日) 09:33:18.15ID:MkZEsz3u0301人間七七四年
2016/09/04(日) 14:38:56.39ID:6sihjxMw0302人間七七四年
2016/09/04(日) 17:19:42.15ID:ZVCWTPBO0303人間七七四年
2016/09/04(日) 18:11:11.14ID:S4MG7gQ30304人間七七四年
2016/09/04(日) 18:30:51.66ID:8R23367m別に本陣まで斬り込まれたことは記していない
0305人間七七四年
2016/09/04(日) 18:54:20.28ID:6sihjxMw0306人間七七四年
2016/09/04(日) 19:31:25.80ID:YGHv23EY0309人間七七四年
2016/09/05(月) 07:46:51.78ID:cxWk/KwAうん、だから逃げていない
戦後の家康と忠教の言い合いで家康が逃げたというのも、忠教が怒鳴り合いの余り口を滑らせた
0311人間七七四年
2016/09/05(月) 09:01:32.44ID:x7CPspx1大坂の陣で旗本に討ち死にでも続出してるならともかく状況証拠すら無いのではどうしようも無いな。
0312人間七七四年
2016/09/05(月) 15:11:14.33ID:W2Olmex1家康が逃げたとはっきり書いてある
早々と家康が逃げてしまい誰も居場所が分からず右往左往し
旗奉行は旗を捨てて逃走し、槍衆は槍を折って逃走、更に崩れた見方が雪崩れ込んで散々に踏み荒らして逃げたと
0314人間七七四年
2016/09/05(月) 16:09:56.67ID:EB0SSSTT0318人間七七四年
2016/09/05(月) 19:14:37.10ID:Oo1DZM8E特に勝った側がそんなこと書くわけがない
0319人間七七四年
2016/09/05(月) 19:32:08.33ID:DqPZ4ybq0320人間七七四年
2016/09/05(月) 20:06:11.84ID:i4WPV16Pアイツらは侍としての死に場所を求めて戦ってたのだろうから 関ヶ原の西軍なんかよりそら強いわ
秀頼淀なんかぶっちゃけどうでもいいだろうし
0321人間七七四年
2016/09/05(月) 20:16:01.76ID:Yef09BsR0324人間七七四年
2016/09/05(月) 20:54:49.05ID:BfT3h7QR0325人間七七四年
2016/09/05(月) 22:49:53.96ID:4PI8FX3t息子を信用できなかったことにされる家康と親に信用されなかったことにされる秀忠が不憫だわ
0326人間七七四年
2016/09/05(月) 22:58:19.81ID:Yef09BsRたぶんそんなこと考えてなかったと思うわ
0327人間七七四年
2016/09/05(月) 22:59:57.72ID:Q/0iu7EM0328人間七七四年
2016/09/06(火) 00:00:58.41ID:4nzkji1d武将、あるいは政治家として何かしら有能だったって事を
示す史料ってあるのか
何かというと家康は秀頼の権威を恐れていたって研究家がいるけど
武将としても政治家としても歴戦の家康がそんなハリボテの権威を
恐れるかねぇ
0329人間七七四年
2016/09/06(火) 00:13:51.14ID:oH5Ag0jy0330人間七七四年
2016/09/06(火) 00:35:55.46ID:9PdJizV0秀頼の能力そのものより天下人秀吉の血を継ぐ人間だったという事が重要だったのでは?
関ヶ原で家康についた豊臣恩顧の大名がもし家康の仕置きに不満を募らせ結集して反抗するならその時に担ぐのは間違いなく秀頼だろう。
豊臣が存在するうちは関ヶ原で味方についたとはいえ、それはその時だけの話。
体制として徳川幕府が全ての大名を従える状態にするには豊臣家があってはならないという考えはおかしくもない。
0331人間七七四年
2016/09/06(火) 01:12:29.68ID:CtZ8Rm4G当時の日の本はリアルヒャッハーの時代にござる リスペクトしてくれと言われても無理にござる
太閤殿下の息子ってだけじゃだめだろ 「舐められない凄味」が必要だった
かまぼこ日本で一番食ってただけだからなあいつ
0332人間七七四年
2016/09/06(火) 01:48:56.80ID:0gT9uHUf秀頼が優れた資質でも見せない限り豊臣のブランド価値って落ちる一方だよなあ
0333人間七七四年
2016/09/06(火) 02:13:28.25ID:rgTK0Xsc0336人間七七四年
2016/09/06(火) 07:25:47.52ID:vcsocJvK公式なスタンスとしては秀頼は無関係って事で和睦したけど、実際には豊臣家中の中核である奉行衆がこぞって家康を排撃しようとして討滅されてしまったのが実情
0338人間七七四年
2016/09/06(火) 09:43:49.58ID:63iFA+kC青山さんの息子は、許されて大阪城代までやったから、後年、家光も諌言をありがたいと思うようになったんじゃないか。
0340人間七七四年
2016/09/06(火) 11:14:43.92ID:JmMj8gdg秀吉の無茶な朝鮮出兵に奉行総辞職して隠居して子弟に家督譲るくらいの覚悟あったら奉行も豊臣も違った歴史になったかも。
そこまでの関係が築けていないのはハリボテの家臣団と外様の寄り集まりでしからなかったからなんだろうな。
0341人間七七四年
2016/09/06(火) 11:38:26.78ID:63iFA+kC家康が、秀吉に家臣が宝だと言ったのは誇張じゃないな。
0342人間七七四年
2016/09/06(火) 12:43:19.66ID:m0sd8sIP大名どころか天下人なのに譜代ゼロとか
それで天下取れた秀吉は完全に一個人の力であって天才としか言いようがないが
逆に言えば豊臣政権とは秀吉そのものであって、秀吉がいなくなれば潰れるのはある意味当然の結果とも言える
0343人間七七四年
2016/09/06(火) 13:17:15.08ID:yQcziTAM結局ただのトップダウン組織のうえで胡座かいてただけ
0344人間七七四年
2016/09/06(火) 13:25:26.94ID:5WnAvD2+0345人間七七四年
2016/09/06(火) 13:26:35.46ID:VckWnpYd0346人間七七四年
2016/09/06(火) 13:55:45.23ID:J3lgrzmv0347人間七七四年
2016/09/06(火) 15:13:41.10ID:4bJxUMhD大辞林 第三版の解説から
ふだい【譜代・譜第】
@何代もその家系が継がれて来ていること。また,その家系を記したもの。系譜。
A代代,同じ主家に仕えていること。また,その臣下の家系。
0348人間七七四年
2016/09/06(火) 15:58:37.50ID:DRrgB2zn0349人間七七四年
2016/09/06(火) 17:50:03.17ID:P5Ua1ZsQ厳密な言葉の意味ならそうなんだろうけど、
それは秀吉には完全に求めることは出来ない状態だから
せめてそうこうの妻ならぬそうこうの家臣ってことで豊臣家臣団を結束してないといけなかった
それが清正、福島、やらの七本槍だかそれとも三成等の五奉行だが、が該当するかも知れないが明らかに結束してない
それくらいまとめてから逝かないとな
0350人間七七四年
2016/09/06(火) 17:53:45.78ID:O1nOKzqjこれって前田家の例を見るに臣従しますって言っているんじゃないの?
0351人間七七四年
2016/09/06(火) 18:16:55.52ID:DRrgB2zn幕府に「アホなの?」って蹴られて終わった話
0352人間七七四年
2016/09/06(火) 20:43:39.62ID:4bJxUMhD豊臣方が優勢だったみたいな記録遺してるけど
勝ってる側が惣堀埋め立てみたいな屈辱的条件のむわけないよね
0353人間七七四年
2016/09/06(火) 20:46:14.50ID:Wd2ChJsr幕府から江戸に淀か秀頼かどっちか寄越して人質になるかしろ、ってのは知ってるが
0354人間七七四年
2016/09/06(火) 20:52:32.96ID:Syx74yLb0355人間七七四年
2016/09/06(火) 21:18:43.42ID:DRrgB2znその後、力の差を認識させるために幕府が大砲つるべ撃ちして
やっとこさ劣勢を悟って惣堀埋め立て飲んだ例の講和という流れ
0356人間七七四年
2016/09/07(水) 21:11:47.56ID:WTHXFG9t武家の棟梁としての能力が皆無の秀頼や無能な豊臣家家臣達に
牢人どもを従わせる事など出来ないだろう
だから家康は秀頼に大坂城を出ろ、牢人どもの始末はこちらでして
その上で大坂城を返してやるという滅茶苦茶甘い事を提案してるのに
大坂城に異常に固執する秀頼はそれを拒絶した
0357人間七七四年
2016/09/07(水) 22:41:02.14ID:BoIrcaSCそこら辺までは、徳川がテロリストの浪人排除して秀頼助ける気だったんだろうな。
アフガニスタンがタリバン呼び込んで乗っ取られ、アメリカに攻められたらようなもんだな。
0359人間七七四年
2016/09/08(木) 21:05:44.27ID:RdseJz33益田長盛には勧めてたよね。
0360人間七七四年
2016/09/09(金) 16:32:53.62ID:1pM8Ym0A0361人間七七四年
2016/09/09(金) 21:22:46.82ID:aPtux3xp0362人間七七四年
2016/09/09(金) 21:26:49.94ID:zP/Tqzz+0363人間七七四年
2016/09/09(金) 21:30:54.62ID:xOK9us/k普通に考えれば彼らより年長の家康の寿命が尽きる方が早いんだから
0364人間七七四年
2016/09/09(金) 22:15:13.94ID:aPtux3xpあぁ、そういうことか。
0365人間七七四年
2016/09/10(土) 14:06:19.49ID:cmEkf+l60366人間七七四年
2016/09/10(土) 14:40:14.32ID:bsbaLaE30367人間七七四年
2016/09/10(土) 19:40:53.99ID:nMnnQhTV0368人間七七四年
2016/09/10(土) 19:49:13.84ID:RJihTzU1島津一択だろう。
毛利を先鋒にして両者を消耗させ、島津を滅ぼしたら
加増という名目で薩摩、大隅、日向に転封させ、種子島
奄美島、琉球を天領として幕府直轄地とする。
長門周防37万石から薩摩、大隅、日向70万石に大加増
で毛利家も万々歳だろうw
0369人間七七四年
2016/09/10(土) 19:50:37.03ID:Nk6DWhRL0370人間七七四年
2016/09/10(土) 19:59:39.71ID:u8pwoLF1西国の地の果て討伐なんて無理。しかも人外島津
0371人間七七四年
2016/09/10(土) 20:28:23.06ID:bsbaLaE3イメージ的には海外に進出する九州の玄関を荒らし回る南の田舎ものだな島津
黒田もうさんくさい。
九州をおさえてもしかしたら朝鮮出兵も、と
におわせるぶんにはありかもな
徳川は基本的に安定路線だが、外国への出兵もあるように見せかけておくのも国内対策になるわな
0372人間七七四年
2016/09/10(土) 20:49:08.74ID:Nk6DWhRL0373人間七七四年
2016/09/10(土) 20:55:29.02ID:l1/MiHLu内部粛清引き締めに専念するだろうな
0374人間七七四年
2016/09/10(土) 21:25:45.20ID:TnX68Uq00376人間七七四年
2016/09/12(月) 21:45:48.66ID:7uB3hzwD送った事になってるけど、あれって本当に正則が書いた書状なのかな
0378人間七七四年
2016/09/14(水) 17:23:59.96ID:ZA4tRSYsどのみち改易・取り潰しなんだから
村上水軍ばりに兵糧運べないのか安芸の広島だろw
0379人間七七四年
2016/09/14(水) 18:21:25.38ID:r134Qqv+村上の船って焙烙投げる小型戦艦みたいなもんで、航行の邪魔をしにきた信長型の水軍燃やしまくって石山まで行ったんじゃなかった?
福島の元にも水軍はあっただろうけど、そんなことができる準備できてたのかね?
0380人間七七四年
2016/09/15(木) 07:48:51.62ID:MvvSxWJb言葉どうしてたの、言葉。
0381人間七七四年
2016/09/15(木) 11:30:21.20ID:M7nuSt450382人間七七四年
2016/09/15(木) 13:06:50.46ID:HU14gTOR他は聞きなれない単語はあるけど会話できない程ではない
0383人間七七四年
2016/09/15(木) 13:21:59.48ID:c7G9Bm9A0384人間七七四年
2016/09/15(木) 14:31:40.39ID:05fSZ7qD薩摩は幕末でも
0386人間七七四年
2016/09/15(木) 18:00:07.01ID:xElO37f20387人間七七四年
2016/09/15(木) 22:22:37.10ID:Zta31eXD0388人間七七四年
2016/09/16(金) 04:56:44.04ID:L4biMEDe取り続けてたら今の標準語もだみゃーとか
言うようになってたんだろか、それはやだな
0389人間七七四年
2016/09/16(金) 12:49:04.74ID:c0VIIU7A大丈夫、鎌倉以来武家政権の将軍やら秀吉らはみな東日本出身の地方人ばかりだったけど今の標準語。
秀吉〜徳川初期までの間に武家社会の公用語が固まった可能性は高い上に標準語は必ずしも武家社会の言葉である候口調にはならなかった。
山手言葉という都会の人の言葉が基本になって口語がブラッシュアップされていったことを考えても語尾に地方色が残る可能性はとても低い。
0390人間七七四年
2016/09/16(金) 14:04:12.76ID:tU8ecOz50391人間七七四年
2016/09/16(金) 16:10:06.49ID:tU8ecOz5ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160916-00050090-yom-ent
中身の一部は
・夏の陣前に裏切り者が出て逃げようとしたが捕らえられ、秀頼によって石垣から突き落とされた
・堺の町衆が秀頼によって焼き払われるんじゃないかと心配している
と風聞の類だが、当時の空気を知るには画期的な史料だろう
0392人間七七四年
2016/09/16(金) 22:32:03.27ID:rRwFGExP秀吉晩年のやばいところだけ遺伝しているのだから
豊臣恩顧が嫌がって離反するわけだよ
0393人間七七四年
2016/09/17(土) 00:08:30.53ID:BNCKCrPf落とされてもそこまで酷いとは思わないな
0394人間七七四年
2016/09/17(土) 10:34:50.87ID:vtQzxiSB・特に何もしなくても取巻きどもが筆頭大老殺害目的で空前の規模の大乱を引き起こす
・転封か江戸への参勤を命じられたら浪人を大量に集めて立て篭もる
・大坂から逃げようとした人間を石垣から突き落として殺害する
・焦土作戦で堺を焼き討ちにする
秀頼は生まれたこと自体が間違いといえる最悪レベルの存在だろ
判官贔屓で家康に責任転嫁されてるけど秀頼の存在自体が悪だよ
0395人間七七四年
2016/09/17(土) 11:06:00.60ID:NLPHzVv70396人間七七四年
2016/09/17(土) 14:10:44.86ID:GeiaOf+E家督を譲ろうとか思ったんじゃないかね?
0397人間七七四年
2016/09/17(土) 16:42:12.15ID:Odx3A9ia0398人間七七四年
2016/09/17(土) 18:07:16.76ID:2iECGhBg読売のweb版はえらい端折ってるな
本紙ではもっと具体的なこと書いてあるのに
0400人間七七四年
2016/09/17(土) 20:03:06.63ID:2B5hsjwW0401人間七七四年
2016/09/17(土) 20:16:01.34ID:Idg7TRpN2:大坂の陣は史料はすでに豊富
3:宣教師フィルターめんどくせ
史料が増えるのは喜ばしいが大発見は期待薄
0402人間七七四年
2016/09/17(土) 20:52:49.17ID:o4AgKvfp読売は今日の朝刊でも編集手帳や文化面で取り上げてるけどスクープ的な扱いなのかな
新事実はともかく、世情は読めると思う
0403人間七七四年
2016/09/17(土) 21:38:35.35ID:Qzw5liKkもっと読みたかったら本紙買ってねって事じゃないの
0404人間七七四年
2016/09/18(日) 21:09:18.77ID:Oy/pR4h7実際境の町は焼かれたしな
他に中身どんなのがあったの?
0405人間七七四年
2016/09/18(日) 21:24:30.46ID:VO7METlU新事実が出てくる可能性もありそうというか出てほしい
0406人間七七四年
2016/09/18(日) 22:16:40.03ID:77rIs/5u・オランダは家康を日本の皇帝として扱っている
・皇帝家康のご機嫌を取ろうとオランダは武器をたくさん献上した
・オランダ本国に皇帝陛下が喜んでくれましたと報告した
家康が将軍や日本国王すら飛び越えて皇帝になっているのは日本人からすれば意外な感覚だろうね
0407人間七七四年
2016/09/18(日) 22:25:39.55ID:HYVj3OHZつかオランダ人に限らずヨーロッパ人は、戦国大名を「国王」と認識しているのだから、
その「王」たちを束ね支配する人間は間違いなく「皇帝」だろうよ。
0409人間七七四年
2016/09/18(日) 22:40:21.45ID:ezdCRMo00410人間七七四年
2016/09/18(日) 22:53:44.92ID:HYVj3OHZ0411人間七七四年
2016/09/18(日) 23:04:34.89ID:VO7METlU冬の陣後の書簡で
(秀頼の命で1万5千の家が焼かれて大砲の射程より広い空地ができた)とあったり
夏の陣が近づいたころの書簡にもうすぐ戦争になることと徳川が真田信繁、後藤又兵衛、長宗我部盛親などを
大阪城から退去させようとしていたことが書いてあったそうだ
0412人間七七四年
2016/09/19(月) 02:26:34.42ID:UTNPGk2v逆に考えると秀頼は夏の陣やりたくなかったか
0413人間七七四年
2016/09/19(月) 09:12:04.99ID:HyVNziSi0414人間七七四年
2016/09/19(月) 09:46:26.52ID:fNSqAbO4当初、西国大名には出陣の支度だけ命じて待機させていたくらいだし
実際に降伏してきたのは味方の牢人連中が全滅したあとだけど
0415人間七七四年
2016/09/19(月) 12:23:45.51ID:8HF1Hs71将軍職を秀忠に譲って10年経ってるのに家康を皇帝と書いてるのが興味深い
オランダ人は役職よりに現実の権力を見て書いてる気がする
0416人間七七四年
2016/09/19(月) 12:58:46.89ID:IFusVVQq自分が会える範囲内だけで完結してる、そしておべっかばかり
0417人間七七四年
2016/09/19(月) 15:29:45.18ID:Ew0Ceos6秀忠の時代に李氏朝鮮と国交を修復する書状に将軍を日本国王とするか天皇に遠慮して日本国大君とするか揉めてたような。
で国王と偽造して送っちゃったんだよね
0418人間七七四年
2016/09/19(月) 17:23:11.59ID:iAql3lWi天皇は国王じゃないし
0419人間七七四年
2016/09/19(月) 17:53:15.46ID:lXY/qQ6D0420人間七七四年
2016/09/19(月) 20:12:56.27ID:xJTRHGk50421人間七七四年
2016/09/21(水) 13:36:37.63ID:N4E+bI8p0422人間七七四年
2016/09/21(水) 13:37:46.30ID:tHBPXEBD0423人間七七四年
2016/09/21(水) 13:50:49.70ID:VvvTmJjP0424人間七七四年
2016/09/21(水) 15:12:58.50ID:1k33NGEFそこまでいかなくても信之と別で信繁1万石のお家ok!
昌幸には更に別に隠居領5000石で1代限りでもかなりお得だったんだけどな。
有楽斎は最後まで大坂に残って非戦非幕府の立場でそこまでやってもらってるさ。
0425人間七七四年
2016/09/21(水) 15:59:51.67ID:NuhV1etL0426人間七七四年
2016/09/21(水) 16:12:41.57ID:y/2UdAZb0427人間七七四年
2016/09/21(水) 17:30:32.86ID:IVjPqlDp0428人間七七四年
2016/09/21(水) 22:04:02.87ID:PROTbITJ大坂夏の陣で、徳川家康に寝返ろうとたくらんだ大名が豊臣秀頼に「城壁から落とされて死んだ」。
国際日本文化研究センター(京都市)のフレデリック・クレインス准教授は21日、長崎駐在の東インド会社職員の書簡などを分析したところ、大坂冬・夏の陣の詳細が記されていたと発表した。
オランダ・ハーグ国立文書館所蔵で、1609〜33年の長崎・平戸のオランダ商館文書の写し524点を、同ライデン大と共同で分析した。
夏の陣が終わった直後の1615年6月11日付で、東インド会社職員が京都滞在中に聞いた話を商館長に報告した書簡には、「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、家康側に寝返るため大坂城に火を付けたが、秀頼によって城壁から落とされて死んだ」と書かれていた。
(2016/09/21-20:24)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092100898&g=soc
0429人間七七四年
2016/09/21(水) 22:07:47.55ID:tHBPXEBD0430人間七七四年
2016/09/21(水) 22:22:41.35ID:PROTbITJ徳川家が豊臣家を滅亡させた慶長19〜20(1614〜15)年の「大坂の陣」で「寝返った大名が秀頼に(城壁から)落とされて死んだ」などと記された文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認され21日、国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が発表した。
日文研によると、文書類は当時のオランダ東インド会社の駐在員らが記したもの。同国のライデン大学と日文研が一昨年から共同研究を行い、2021年度を目標に書簡524通を日本語へ翻訳する作業などを進めている。
大坂の陣を記したもののなかには、1615年6月、「秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ」などと、
日本側の記録にはない当時の様子が伝えられている。
このほか、1614年11月の書簡では、貿易商人のヤン・ヨーステンが「皇帝(家康)がすべての大砲および鉛を購入することを報告する」と記述。
1615年5月の書簡には、豊臣方につく大名として「真田左衛門(幸村)殿、関東に3万石(の領地)を所有していた」とも書かれていた。
翻訳にかかわっている日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交渉史)は「当時の政治・経済などの状況をどう見ていたか、海外の視点で日本の歴史を補完する重要な資料になる」と指摘。
江戸初期は駐日オランダ人が日本国内を自由に往来できた時代で、書簡にはオランダ人が当時の京都や大坂、堺で見聞きした記録が数多く残っているという。
大阪城天守閣(大阪市)の跡部信主任学芸員は「江戸初期の状況をリアルタイムに記した資料は貴重。外国人の記録は詳しい記述が多く、今後の調査結果に期待したい」と話している。
http://www.sankei.com/west/news/160921/wst1609210084-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160921/wst1609210084-n2.html
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&id=4204772
0431人間七七四年
2016/09/21(水) 23:18:09.36ID:qRrE3noc冬の陣後に大阪の道沿いの家が壊されたこと
道路を広げた可能性があるらしい
0432人間七七四年
2016/09/22(木) 00:01:40.71ID:5LrhgWwX0433人間七七四年
2016/09/22(木) 00:06:31.82ID:KPCsnvMi0434人間七七四年
2016/09/22(木) 04:02:31.80ID:RaIK3aUz0435憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ
2016/09/22(木) 09:39:18.29ID:CkKicdhQ韓国・慶南大学、池田大作先生に名誉博士号授与
・・秀吉の侵略および併合 による朝鮮救済について謝罪した功績認める
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1442621407/
自民「単独」で320議席(2/3)に満たなかった前回の選挙は、本当は
公明党(在日&韓国)の勝利=自民党(日本)の敗北
0436憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ
2016/09/22(木) 09:48:53.61ID:CkKicdhQおおさか維新の会は、日本人に成りすまして秀吉の朝鮮征伐への恨みを晴らしてるつもりなのかな?
気持ち悪い・・
【橋下市長肝いりの、悪趣味な“韓流”大阪城3D照明ショー】
韓国の照明技術者たちの演出で、豊臣秀吉ゆかりの大阪城天守閣が朝鮮刀で真っ二つ
に叩き切られて炎上し、韓流アイドルBEASTの曲が流れる
http://www.youtube.com/watch?v=wQehAZfmw0w
大阪城を切る刀
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/4/9/49062b58.jpg
朝鮮の刀
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/a/b/ab5e0bfe.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/b/9/b9cafc82.jpg
真っ二つ
http://japan-attractions.jp/wpxxxxx/wp-content/uploads/2013/10/osakamapping.jpg
大炎上
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/e/b/eb4416be.jpg
「大阪・光の饗宴実行委員会」
委員長 大阪府知事 松井一郎 ←wwwwwww
副委員長 大阪市長 橋下徹 ←wwwwwwww
http://www.hikari-kyoen.com/outline/commission.html /
大阪城天守閣に韓流の波 技術・装備は全て韓国人技術者による作品
http://blog.livedoor.jp/societynews/archives/2723019.html(韓国ソース)/
0437人間七七四年
2016/09/23(金) 08:11:01.52ID:yhF7mqob0438人間七七四年
2016/09/24(土) 01:37:51.71ID:QkX+DpAV○「千」姫は大阪城から「脱出」
○「千」尋・「千」は旅館から「脱出」
他にも類似点あり
https://youtu.be/WGBCnh-o-FE
0439人間七七四年
2016/09/24(土) 10:32:27.18ID:pKOMUzfP命だけは助けてくれたかもな
0440人間七七四年
2016/09/24(土) 10:39:08.04ID:QL0VPiKq0441人間七七四年
2016/09/24(土) 12:47:12.82ID:FHLIMqCn徳川としては、生まれた子を将軍家や御三家と縁組させて平和裏に
豊臣家を徳川家に組み込めるんだからな。
0442人間七七四年
2016/09/25(日) 11:25:38.71ID:lEJqyL5a千姫に仕込むまでは他の女に手を出さないくらいの勢いで励んでいれば良かったんだよ。
0443人間七七四年
2016/09/25(日) 12:15:52.69ID:QUcOA7KR年齢差があるから、千姫のお赤飯まではしょうがないが、お赤飯後はがんばるべきだった。
ただ、いとこ同士で幼なじみだから兄妹みたいな感じになっちゃったのかもね。
0444人間七七四年
2016/09/25(日) 13:16:30.01ID:qXiFSyku0445人間七七四年
2016/09/25(日) 20:13:41.75ID:i27EhkZi4歳ちがいだな
0446人間七七四年
2016/09/25(日) 22:52:24.29ID:JLwP5pM20447人間七七四年
2016/09/26(月) 07:51:12.68ID:00aIocgq跡取り以外の新参者の方が「どこの馬の骨とも分からん胡散臭い奴」と叩かれたもんだよ、議員とか会社の二代目とか。
流石に今は地方でもかなり実力主義になりつつあるけど。
まして四百年前なら嫡流に当たる人間の方が、ちょっとボンクラであったとしても持ち上げられがち。
0448人間七七四年
2016/09/26(月) 08:23:05.51ID:QxJmBkMK今川氏真、織田秀信、「そやな」
0449人間七七四年
2016/09/26(月) 11:07:08.54ID:WiCmrNb4よほど家系にコンプレックスを持っている賤民なのだろう
0450人間七七四年
2016/09/26(月) 11:18:14.07ID:VxRl0SlPむしろ血が薄くなってきた方が先代、先先代より大きく劣るケースが増えるらしいが。
0451人間七七四年
2016/09/26(月) 13:04:42.81ID:ENmrM0Hh0452人間七七四年
2016/09/26(月) 13:43:58.74ID:98EjxuWT0453人間七七四年
2016/09/26(月) 21:22:15.61ID:hxvauORy猿→ゴリラから、猿→イケメンになるのは理解できん
0454人間七七四年
2016/09/26(月) 22:45:10.17ID:S3TLn2i+秀頼の場合は二世なのが問題なのではなく
二世のくせに微塵も面影がなく父親に似てなさ過ぎるのが問題だからね
むしろもっと秀吉そっくりなって二世らしくならなければいけないくらいだろう
長身イケメンは他の家ならプラス要素だけど
豊臣の場合は二世としての武器を捨て去ってしまうマイナス要素でしかない
だから真田丸みたいなのは秀頼を持ち上げているのではなく失敗作よわばりしているのと同じ
0455人間七七四年
2016/09/27(火) 04:15:49.27ID:khN7+48i家康も「徳川は得川から来てる」とかで源氏の流れを汲んでいると主張したり
他にも家系図改竄とか、二世とか血筋とかが結構物言う時代とも言える
気もする
ただその反対として、「下克上」を強引に拡大解釈すれば、良い家柄の家を
普通の家が実力で勝って叩き潰す時代とも言えるし・・・・
うーん・・中途半端でスマンが書き込んでて混乱してきた・・・・・・・
0456人間七七四年
2016/09/27(火) 05:20:07.53ID:Je0TxK7+0457人間七七四年
2016/09/27(火) 07:06:56.51ID:kBa6cMAD0458人間七七四年
2016/09/27(火) 15:21:30.22ID:KT+qFwri下剋上というのは下の者が上の者から奪う構図。
その一方で朝廷には1000年近く続いた官位、家の制度があり家ごとにどんな仕事(職)をどんな位でするかの決まりがあった。
朝廷秩序と有職故実とかね。
権力闘争が収束に向かう段階ではこのルールに沿って大名たちに序列を付け以後はこの序列だ!と決めて守らせた訳だ。
出自がよく分からない者、分かってはいても朝廷とは縁のない家柄出身の者に朝廷の位与える場合にこじつけが必要になった。
だから上で言われているような家系図の拝借や改竄を行って、位をもらえるようにした。
それだけ。
0459人間七七四年
2016/09/29(木) 09:03:14.99ID:xu+4jpZG戦後幕府が事件と無関係だとした道可の息子二人自害させてるけど
0460人間七七四年
2016/09/29(木) 09:50:45.52ID:AwcOrGrn字面からすると単純にそういう考えになるけど
単に、上下の関係、というよりは
源氏に対する反抗、みたいな事実上の
意味あいもある。
こちらで解釈したほうがよりこの時代の理解には
正確だろう。
結局は、定義の問題、にはなってしまうけど。
0461人間七七四年
2016/09/29(木) 13:46:08.26ID:9TxmgvL5単純に保険かけただけじゃないの
他にそんな事した大名いないから
一人だけ姑息に見えるだけで
0462人間七七四年
2016/09/29(木) 14:15:48.05ID:RIAQ4JYl結局はそんなもんだろ
0463人間七七四年
2016/09/29(木) 14:16:04.25ID:MQVmnlar>>461
佐野道可は自分でかってに大阪城に入城した可能性が高い。
輝元たちの指示があったって話は大阪の陣からずっと後年、当事者がみんな死んで、浪人していた佐野の子孫が
毛利に「帰参」したいと運動した時突然出てきた話。
0464人間七七四年
2016/09/29(木) 20:03:00.99ID:lQaYUmyR多くの大名家から一門や家臣が大坂城に入っているから
そして実は密命を受けて云々という尾ひれが付いている
0465人間七七四年
2016/09/30(金) 14:34:56.47ID:gsKsdEM0それ言い出したらきりないよ
0466人間七七四年
2016/09/30(金) 15:02:28.17ID:XQaghp/Q浪人、犯罪者、指名手配犯等のゴロツキを片っ端から掻き集めたんだから
つつけばいくらでも埃の出るワケアリの胡散臭い連中ばかり
0467人間七七四年
2016/09/30(金) 16:10:59.51ID:uSXyf0Tu更に食い詰めて敵方の大坂城に入り、主家は幕府からあらぬ疑いをかけられるハメなっているのだから
「あの野郎!」と旧主が腹を立てるのは当たり前だろう
だから厳しい処罰をされるのも当然
0468人間七七四年
2016/09/30(金) 22:51:03.11ID:nki2cnLw0469人間七七四年
2016/10/01(土) 05:43:14.96ID:cBEoCcdV0470人間七七四年
2016/10/01(土) 09:46:55.12ID:JXXTffnu信繁、信尹が十万石の話を持ってきた時
今は秀頼からの恩があるので、そんな話は困るが
和睦が成立してその上でもなお召し抱えてくれるなら
たとえ千石でも奉公を考えてみるとの答えを聞いた正純が
なら信濃一国に条件をつり上げたら、実態のない口だけの話と
ブチ切れて二度と話を受け付けなくなったって話を本の名前は
忘れたけど、読んだ覚えあるな
0471人間七七四年
2016/10/02(日) 21:26:17.74ID:FrhMlrF+親と弟と対立して徳川に付いた兄貴が十一万五千石なのに
信濃一国とか言われたら信用できないだろうね
0472人間七七四年
2016/10/02(日) 23:28:26.93ID:8U+ZKC7o徳川に入ったシーンを最後に放置プレイだったな
上記の場面を大河でやったら作中時間で30年ぶりの登場か
信繁はブチ切れ以前にあんた誰?状態だろうな
0473人間七七四年
2016/10/02(日) 23:58:28.17ID:aqvXWyXS0474人間七七四年
2016/10/04(火) 22:00:34.41ID:OwWF5Qydそもそも昌幸が死んだ時信之が供養の許可を正信を通して願い出てるんだから
いまさら親か子かなんて確認することもないわけで
0475人間七七四年
2016/10/04(火) 22:23:57.91ID:7QBaePxS0476人間七七四年
2016/10/04(火) 22:27:18.70ID:/PUpRenZよほどの陣営そろえる縁故があるならともかく
0477人間七七四年
2016/10/06(木) 08:05:53.27ID:bnRyC17q戦の場合は敵情を出来うる限り掴んで切り崩せるものは切り崩すべきなのだわ
知らなかった事など何の自慢にもならない
0478人間七七四年
2016/10/06(木) 09:25:22.75ID:bE3J91Wn単に値段をつり上げればいいと本当に思ったならば
やっぱり正純は武将の誇りの機微というものが分かってなかったんだな
0479人間七七四年
2016/10/06(木) 10:25:05.11ID:B9i7y7wB正信ならどうしたかな。
0482人間七七四年
2016/10/06(木) 13:05:41.85ID:+9zzdGVo0483人間七七四年
2016/10/06(木) 14:36:34.84ID:uM5cLMbsそりゃ全戦線すべて勝利とはいかんよ
でも大坂方が一撃やれたのはせいぜい開幕時に徳川陣営が油断したとこくらいだし。
0484人間七七四年
2016/10/06(木) 15:39:27.19ID:bnRyC17q0485人間七七四年
2016/10/06(木) 15:52:56.29ID:dFRuoXHC0486人間七七四年
2016/10/06(木) 16:16:52.03ID:MnbliFjV0487人間七七四年
2016/10/06(木) 16:45:39.11ID:0Izjm4uM0488人間七七四年
2016/10/06(木) 16:55:36.27ID:uM5cLMbsぶっちゃけ本陣本幕が固定不動のものでもなし、相手の押し引きで移動くらいするよな
そんな移動を家康敗走とばかりに大げさにやるのはまさに講談のやり口、というかそこぐらいを何とか真田のネタにしないとやれなかったのかなと。
冬とちがって夏には真田に見せ場ねえし真田さんの晴れ舞台、最後の見せ場とばかりとして盛って盛って盛りまくってるだけ。
だいたい後藤としめしあわせて突撃するだのの作戦は読まれて後藤撃沈、ってあたりでもう真田含む豊臣に目はなくなってたよな
それを真田にせめこまれた、家康切腹覚悟とかw
戦闘中に大将が切腹だの悠長なことやるわけもなし。そんな暇あるなら誰ぞを犠牲にしてでも逃げるわな。
第四次川中島の信玄謙信が直接打ち合った、ぐらい真田徳川本陣突撃家康覚悟はいかにも演劇、講談の盛り場でしかない
0489人間七七四年
2016/10/06(木) 17:26:22.23ID:5/l41REj槍衆は槍を棄てて逃走
崩れてきた前衛がそこを散々踏み荒らして逃走
家康の本陣に限ってはほぼ総崩れ、潰走と言って良いだろう
0490人間七七四年
2016/10/06(木) 17:28:05.57ID:+tshQ71p0491人間七七四年
2016/10/06(木) 18:33:47.86ID:+W7b2nrn旗奉行は旗を倒していないし、槍も逃げていない
単に陣を後退させる際に混乱して一時的に家康の位置を見失っただけ
0493人間七七四年
2016/10/06(木) 19:37:01.52ID:uM5cLMbsそれどころか豊臣家の勝ちくらいに伝わりそうだ
でも現実はそうでもない
0494人間七七四年
2016/10/06(木) 19:49:24.28ID:HziMJgVgもしも柳生宗矩がガードしてなかったら。
0495人間七七四年
2016/10/06(木) 19:59:23.46ID:+GyB63uf馬印は別の武将(小栗?)の担当で、はぐれていないし、
大坂軍と接触もしていない
でも講談の世界では、馬印が倒されたことにされた
0497人間七七四年
2016/10/06(木) 20:01:30.41ID:+W7b2nrn0498人間七七四年
2016/10/06(木) 20:15:00.84ID:uM5cLMbs0499人間七七四年
2016/10/06(木) 20:28:51.76ID:VxJ7Xwai0500人間七七四年
2016/10/06(木) 22:15:25.63ID:bE3J91Wn彦佐は第二次上田合戦でも真田攻めは当初の予定通りの行動だったのに
昌幸の挑発にのり、本多正信が城攻めを勧めたために始められた事にして
本多を貶め大久保を持ち上げるのに利用しているから、記述の信憑性が
怪しいんだよな
0501人間七七四年
2016/10/06(木) 23:57:03.40ID:+tshQ71p0502人間七七四年
2016/10/07(金) 02:55:31.13ID:rn89lw8Fここまでは敵が攻めて来なかったって二人とも書き残してるな
0503人間七七四年
2016/10/07(金) 07:20:57.75ID:7Z/MUsSg家康本陣の崩れは複数の史料から裏付けられている
家康率いて部隊長クラスが戦死した唯一の戦い
戦死者は幕府軍二万、豊臣軍一万五千
長篠と冬の陣以外なら一番苦戦したんじゃないかな
少なくとも小牧よりは苦戦だったと思う
0504人間七七四年
2016/10/07(金) 09:00:04.08ID:QaIsQxcM半分は幕府、半分は豊臣の勝利、大崩、逃げた者ありと書いた細川忠興は秀忠と同じ岡山
秀忠・家康双方の旗本が逃げたとし、家康本陣が真田に追い散らされたとする島津の書状は、
「下々取沙汰仕候間書付進之候、」と噂を纏めたもの
0505人間七七四年
2016/10/07(金) 09:41:20.45ID:hY7W1JHx0506人間七七四年
2016/10/07(金) 16:19:01.90ID:B6vcLJJ20507人間七七四年
2016/10/07(金) 17:10:48.98ID:hY7W1JHx0508人間七七四年
2016/10/07(金) 17:56:47.46ID:/6wDVjPS多分疫病とか含めての数字だとは思う
0509人間七七四年
2016/10/07(金) 18:15:49.08ID:/6wDVjPS彦佐フィルターってのは注意しなけりゃいかんが上田城攻めが当初の予定通りなら附城とかしてじっくり攻める筈だと思うんだよね
それをあんな力攻めして攻め急いだのは第一次で後手をとったリベンジだったのか挑発に乗ったのかはわからんが、想定通りの城攻めでは無かったと思う
正信は関係無いのは同意
0510人間七七四年
2016/10/07(金) 18:16:49.79ID:nUNE8OWj戦国時代最後の内戦は死傷者も最大規模デシタ、とかいって。
でも実際はそんなこともない
0511人間七七四年
2016/10/07(金) 18:20:49.65ID:QaIsQxcMいや、第二次と言われているものは、刈田の際の小競り合いだけで、
はっきり言って第二次上田合戦は存在しない
0512人間七七四年
2016/10/08(土) 10:23:29.18ID:kE+/RVpt0513人間七七四年
2016/10/08(土) 11:06:42.54ID:ECVEMCJDむしろ当然の結末
0514人間七七四年
2016/10/08(土) 21:45:15.99ID:RYlKAvqi秀忠は何のために染谷に布陣してどうして小諸に撤退したの?
西上命令を染谷で受け取ったというなら何もせずに転進したのも分かるが、小諸で受け取っているんだよ
0515人間七七四年
2016/10/08(土) 21:56:53.20ID:wNF3QTxd砥石城は真田が戦わずに撤退と浅野長政宛秀忠書状に、また上洛命令を受け取ったのは上田と森忠政宛秀忠書状に記してある。
0517人間七七四年
2016/10/11(火) 18:59:48.52ID:UPJag8bS0518人間七七四年
2016/10/11(火) 23:04:54.14ID:lZmGiUEK0519人間七七四年
2016/10/11(火) 23:14:01.54ID:ZeYhyGAc清韓の意趣返しって事になってた。
そんな学説あんの?
0521人間七七四年
2016/10/11(火) 23:52:11.18ID:JrIFI7MX史実通りのクッソしょうもない大坂方にしてしまうと
大坂にいる講談ヒーローの真田が目立てないし
0522人間七七四年
2016/10/12(水) 01:16:57.29ID:CiC3mdaF何でこうも内部がグダグダなんだろか。
最盛期の秀吉がこのていたらくを見たら、さぞかし呆れて嘆息するだろうな。
0523人間七七四年
2016/10/12(水) 02:56:04.69ID:ycVA6q9D超求心力のある将がいるとごく稀にまとまって大敵を打ち破ったりするが
0524人間七七四年
2016/10/12(水) 04:34:00.52ID:8Fe9zrpY連合なんてのはまとまりに欠ける
やっぱ一強がまとめあげてないと。
0525人間七七四年
2016/10/12(水) 06:57:03.68ID:bwPpAUsGお互い他人の力を当てにしなければならない勢力の集合体はただの烏合の衆
誰だって自分の被害は少なくしたいし、お互いに押し付け合って結局は共倒れになるしかない
0526人間七七四年
2016/10/12(水) 09:12:08.55ID:N5qMyl+d0528人間七七四年
2016/10/12(水) 16:12:58.02ID:f2bZLQEv第二次大戦の連合軍ってのもアメリカ頼みだからな
アメリカいなけりゃ、英仏露だけじゃ日本やドイツを止められなかった
中国なんて言わずもがな
0529人間七七四年
2016/10/12(水) 21:19:25.13ID:ktSFSVBB豊臣方の勝利なんて言っているのは、禁教令や
オランダなどプロテスタント国との貿易を推進する
家康に反発を持っていた宣教師連中の報告書くらいだろうに
0530人間七七四年
2016/10/13(木) 21:18:25.77ID:rFaiM0PN10月13日 12時27分
豊臣と徳川の軍勢が戦った大坂冬の陣で徳川方についた武将が、「近く和議が成立する」などと詳しい状況をつづった書状が見つかり、13日から京都市内で展示されています。
この書状は、徳川方についた武将、片桐且元が、西本願寺のトップの門主に宛てて書いたもので、ことし6月、東京都内の古書店で見つかりました。
慶長19年12月18日付けで、豊臣方が徳川方に謝罪の意向を伝えてきたことや、近く両者の間で和議が成立する見込みであること、また、2代将軍の徳川秀忠が且元の陣地を視察した際、上機嫌だったことなど詳しい状況が記され、実際にその翌日に和議が成立しました。
当時、西本願寺は豊臣方と友好関係にあったとされ、かつては豊臣方に仕え懇意にしていた且元を通じて情報を入手しようとしていたと見られています。
書状を発見した本願寺史料研究所の大喜直彦上級研究員は「まさにそのときの戦況について伝える書状は珍しく、新たな研究につながるのでないか」と話しています。この書状は今月21日まで、京都市の龍谷大学大宮学舎本館で展示されています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161013/k10010728411000.html
0531人間七七四年
2016/10/13(木) 21:36:25.48ID:ng9EQxfdなにもおかしなことはない
0532人間七七四年
2016/10/14(金) 21:16:47.35ID:7YwKMQQ6書状をどう評価するのかな
0533人間七七四年
2016/10/14(金) 21:23:12.76ID:OSTA+alQ0534人間七七四年
2016/10/15(土) 12:09:23.18ID:czAC+/yU0535人間七七四年
2016/10/15(土) 21:49:01.03ID:/CIxcAxw0537人間七七四年
2016/10/16(日) 06:54:18.64ID:RIGa0Dc90538人間七七四年
2016/10/16(日) 10:46:50.88ID:xqwy7YiD豊臣や西軍が勝ってたらを乱立させるのが普通だと思ってるんだな
真田ヲタもスレタイが気に入らないからって立て直してたことあるし
0539人間七七四年
2016/10/17(月) 21:52:38.89ID:2KFbeORA豊臣方を持ち上げる連中は多いからね
0540人間七七四年
2016/10/17(月) 23:20:55.19ID:9aUYSU43家康を筆頭大老として招聘して立て直しを図ったのに
三成ら既存官僚が権力にしがみつこうと暴れてトドメを刺した
豊臣方を持ち上げようとする発想が理解できない
はっきり言って豊臣が一時的にも天下を取ったこと自体が間違いだった
0541人間七七四年
2016/10/18(火) 07:35:48.52ID:KmedhJCV病的アンチで気持ち悪い
0542人間七七四年
2016/10/19(水) 20:59:29.09ID:0V4bLQVg実際に戦場にいた武将と伝聞が主体の公家の日記や
宣教師の報告を比較したらどちらがまだ信憑性があるかと言えば
前者だろうね
0543人間七七四年
2016/10/19(水) 21:49:39.34ID:Ebrw6ZZA0545人間七七四年
2016/10/20(木) 07:35:53.89ID:+M4GvJ9m勝手にやっている分には知ったことじゃない
わざわざ攻撃してまわる奴は脳味噌腐ってるわ
0546人間七七四年
2016/10/20(木) 21:15:02.14ID:CZj+BNHd長沢聞書だと豊臣方の死者は一万八千三百五十人なのに
それを十万人と宣教師は報告してるしなぁ
0547人間七七四年
2016/10/20(木) 21:51:07.66ID:W3hm/yj4信頼できるわけがない
0548人間七七四年
2016/10/21(金) 07:39:53.87ID:BLWio0+7日記類や軍記類と書状類との数に大きな開きがある事はよくある
例えば数の単位が違う事がある
当時は士分しか数えない事もよくあり、1000騎と書いてあるのにそれを見て別の書物では1000人と表記してしまったり
逆に1000人を1000騎と表記してしまったりする
これでは何倍も数が違う意味になってしまう
他にも戦死者と死者の混同が数の差異に大きく影響している
合戦中での死者と、追撃による死者、更に戦後の落武者狩り等を含めた数ではかなり数に差がでる
知っての通り合戦中での死者はかなり少ない
殆どの場合が勝敗が決してからの被害と言って良く、そして伝聞は当然ながら戦後しばらくしてから伝わるものであり
死者が総数になっている可能性は高い
更に大坂の場合で考えると、城方の非戦闘員(家族や使用人)や一般民衆の死者や行方不明者まで加えていたりすれば10万程度の表記をされても不思議ではない(もちろん実数ではないが)
0549人間七七四年
2016/10/24(月) 21:12:28.27ID:1re/Gaw4遅参したというか、堅塁を失っているし大軍で迫れば豊臣方も屈服するだろうと当初西国大名に対しては出陣の支度だけ命じ
豊臣と手切れになったら西宮か尼崎に出陣参陣させる方針だったらしく、要するに西国大名には待機を命じていたら
豊臣の抗戦意思が思ったより強く四月中旬なって急遽大坂への参陣を命じたが、落城が早かったため
間に合わなかったり活躍の場が無かった大名が多数いたらしい
譜牒余録や山内家記録、生駒記等に拠るとそういうことになるみたいだね
だから島津は豊臣に同情しわざと遅れたと言う一種の美談は怪しいよな
0550人間七七四年
2016/10/25(火) 07:07:40.44ID:XCQUX0Dr九州の主だった大名で参加したのは黒田ぐらいでは
0552人間七七四年
2016/10/25(火) 11:37:07.22ID:si38u7k30553人間七七四年
2016/10/25(火) 16:50:29.64ID:VGm/cEi5黒田だけ兵隊を大量に連れていたとも思えないし
長政や忠興は江戸詰めの藩士だけを連れて家康と共に出陣し、本国の兵と合流する予定だったのか
0554人間七七四年
2016/10/25(火) 22:09:44.61ID:fDmKp2m5本隊より先駆けて豊臣軍相手に戦った事になっているんだっけ
そうなるとこの話も検討がいるかな
0555人間七七四年
2016/10/26(水) 06:27:01.35ID:WXgAHU8d0556人間七七四年
2016/10/29(土) 20:45:39.01ID:+XOz+nvKどれだけ本戦に参加できたかの話じゃ無いの
0557人間七七四年
2016/10/31(月) 11:17:20.16ID:CMkj3O79小山評定や第二次上田合戦、鐘銘問題は
新旧の説織り混ぜてって感じだったけど
0558人間七七四年
2016/10/31(月) 12:20:11.89ID:DwkiIJQs実は双方合意のうえの実質冬陣は豊臣負け戦デシタとはやれない
0559人間七七四年
2016/10/31(月) 13:38:48.35ID:GqdgW46y興秋はどうやって大阪に入り、軍勢はどれ位だったんだろうな
造反した訳だし、供は数十名位か…
0560人間七七四年
2016/10/31(月) 13:44:46.99ID:GqdgW46yでないと、論功恩賞揉めるだろ。たった65万石だし。
0561人間七七四年
2016/10/31(月) 15:16:21.61ID:vh2Ju5YP内堀も埋めることが講和条件で内堀は豊臣担当だったが
中々着工せずに有耶無耶にしようとしたんでキレた幕府側が埋めた
とやってしまうとお綺麗な秀頼様に出来ないからな
当然いつも通り騙された豊臣ってことになるだろ
0562人間七七四年
2016/10/31(月) 21:51:29.53ID:LKBp0s1p0563人間七七四年
2016/11/01(火) 13:55:47.77ID:akSTFOKU0564人間七七四年
2016/11/01(火) 15:46:14.32ID:dmpzcD6bろくに家臣もいないのに数年で天下人になってしまった
殆どが出向社員で構成されていた子会社が独立して8年で100万人規模の巨大企業になったようなもの
99.9%以上が元出向社員、ここ数年内で吸収した企業の社員、ヘッドハンティングした社員で構成されているようなもので
いくらなんでも経営上無理がある
0565人間七七四年
2016/11/01(火) 20:07:36.20ID:O+fEiz3aしかも親会社の元上司や創業家一族を配下に置いてね。
そりゃ、ライバル会社であり提携してる企業に乗っ取られるわな。
0566人間七七四年
2016/11/01(火) 20:30:06.19ID:3movnKsf尾張藩の附家老になる成瀬正成と紀州藩の附家老になる安藤直次が
堀の埋め立て工事の監督をしていた時、抗議にきた女中を正成が
からかったっていう俗説は流石にやらないかな
0567人間七七四年
2016/11/02(水) 17:39:08.49ID:l3B+C17x0568人間七七四年
2016/11/02(水) 18:19:00.06ID:tEBvT7km秀頼は綺麗な秀頼じゃないと都合悪いからな
0569人間七七四年
2016/11/02(水) 20:54:26.81ID:foQH8X9O抗議によこすのが女中ってってところが
豊臣の人材層の薄さ、組織の構造を物語っているな
0571人間七七四年
2016/11/02(水) 22:38:47.01ID:U+6VhICP0572人間七七四年
2016/11/03(木) 01:56:33.99ID:gZJ8bbdX完全に負け側なので文句もなにもない
0573人間七七四年
2016/11/03(木) 02:03:39.84ID:JOKzNFUA根拠:宣教師が大坂方の勝ちと記録しているから
0574人間七七四年
2016/11/03(木) 04:43:13.93ID:elbF1f2O0575人間七七四年
2016/11/03(木) 06:25:25.75ID:TQ3G3Q4r0576人間七七四年
2016/11/03(木) 06:30:20.07ID:ULS8pauf大河ではどう取るんだろうね、定番の外堀総掘り説で行くのかな
0577人間七七四年
2016/11/03(木) 06:35:54.29ID:TQ3G3Q4r堀うめたては徳川がやるのではなく大坂方にもふられていたので徳川が勝手にやったもない
全て取り決め通り
0578人間七七四年
2016/11/03(木) 08:50:58.54ID:HJuW/n7hまあ作業が遅い豊臣が悪いんだけど
0579人間七七四年
2016/11/03(木) 09:11:35.50ID:pH32On2Pないなら「そのうち埋めまーす」で放置が正解だが
0580人間七七四年
2016/11/03(木) 11:54:50.77ID:HJuW/n7h0581人間七七四年
2016/11/03(木) 13:29:05.59ID:acZb0YVt0582人間七七四年
2016/11/03(木) 15:15:11.29ID:Yr6SdfL/ということは諸大名の陣夫も堀の埋め立てに参加したのかな。
そうじゃなきゃ総構えを埋めるのに骨や陶器の残骸、建物の残骸
などが無差別に使われるわけがない。
大坂方がいつまでも埋めないので、徳川も諸大名も切れたんだろうな。
0583人間七七四年
2016/11/03(木) 15:37:28.47ID:bhZ7o53+期限がないなら千年後に埋めても良いわけだし
0584人間七七四年
2016/11/03(木) 15:44:21.64ID:9LycuP5dそういう屁理屈が社会常識として通用すると思ってるタイプかお前。
現代の裁判でもそんな考え方は負けるぞ
0585人間七七四年
2016/11/03(木) 16:34:15.93ID:ULS8pauf0587人間七七四年
2016/11/03(木) 21:03:54.08ID:gJzGytZ2俗説だとそれこそ抗議を誤魔化しつつあっという間に
埋め立てたみたいな話になっているしね
0588人間七七四年
2016/11/03(木) 22:22:37.08ID:XLcEZQWe0589人間七七四年
2016/11/04(金) 04:57:10.76ID:JJCE5gqc0591人間七七四年
2016/11/04(金) 08:25:22.86ID:3k/9OKbx惣堀埋め立ての工事奉行は京極忠高が家康によって指名されてるし
毛利は埋め立て工事の際に現場でトラブルを起こさないように法度まで作ってる
基本冬の陣での攻め口がそのまま工事の担当場所に当てられたらしい
0592人間七七四年
2016/11/04(金) 09:22:22.79ID:SSNol6I2情報感謝。
まあ、それならあの堀の埋め立ての惨状も理解できるな。
冬にいつまでも野陣を張れないし、正月も自国で迎えたいし
幕府に良いとこ見せて心象も良くしたいし、各大名が必死に
埋め立てたんだな。
0593人間七七四年
2016/11/04(金) 10:58:50.55ID:T+d4d/w70594人間七七四年
2016/11/04(金) 12:22:40.63ID:bX2qVguB0595人間七七四年
2016/11/04(金) 12:35:44.80ID:0Vm1NJA+0596人間七七四年
2016/11/04(金) 20:57:54.68ID:3k/9OKbx交渉を纏めた相手の血は繋がっててはいないとは言え息子が
責任者したらスムーズに進むと思ったんじゃないかな
その所為か家康は和議が纏まると早々に京都に引き上げて
その後朝廷の儀式にでも参加したのか、正月三日に
駿府に戻っている
諸大名が帰国したのは自分の担当場所の工事が終わった後で
秀忠が大坂を引き上げたのは埋め立て工事が全て終わったあとだったけど
0597人間七七四年
2016/11/05(土) 07:52:37.48ID:XnAIhhTR徳川の意を受けた常高院、有楽斎の絡み
0598人間七七四年
2016/11/05(土) 21:07:06.74ID:7lc24KNO本郷和人「戦国夜話」(新潮新書)
けっこう面白い説を展開してる。
0599人間七七四年
2016/11/05(土) 21:23:40.61ID:Yu4zAuDO宣教師の報告は採用しても、オランダ人が書いた報告書は無視か
0600人間七七四年
2016/11/05(土) 21:30:37.22ID:ruyENevk0601人間七七四年
2016/11/06(日) 01:02:23.37ID:Z+hGfOpFヤバくないっすかね?
地盤とか大丈夫なんだろうか・・・
0602人間七七四年
2016/11/06(日) 20:56:43.25ID:nN6JPYdh自分だけ早々に引き上げちゃったのか
0603人間七七四年
2016/11/06(日) 21:39:42.68ID:uh4e0TN70604人間七七四年
2016/11/06(日) 22:02:45.27ID:Azswied4それはifで可能性ゼロなんだよな
0606人間七七四年
2016/11/06(日) 22:44:23.17ID:heAq2nHyで、結果はどこもガン無視。
次に大坂城の浪人たちは秀頼が出陣さえすれば敵方に動揺がはしると期待した。
上記の件を踏まえて、こっちはその通りになると思う?
ありもしない希望的観測にすがって軍事冒険主義にのりだして破滅しただけだよ。
0607人間七七四年
2016/11/06(日) 23:36:17.65ID:6xdl9Ikz0608人間七七四年
2016/11/06(日) 23:38:26.34ID:GIjdw9Fw豊臣の威光なんてとうに潰えているのに本人らは全く気がついていない
いつまでも足利の世でないのと同じく豊臣も永遠でない
なにより秀吉が照らしていただけで秀頼に光なんてまるでない
0610人間七七四年
2016/11/06(日) 23:58:53.43ID:heAq2nHyたださ、絶望的な現実を見つめるより、コックリさんにでも頼ってる方が気が楽だと、開高健の母ちゃんも言うてるしな。
徳川に頭下げて城から出て現実に生きるより、殺されるその時までパジャマ着て吠えてたほうが良かったんかもね。
0612人間七七四年
2016/11/07(月) 06:30:34.62ID:H3e5Lnqs0613人間七七四年
2016/11/07(月) 07:36:07.64ID:BfNNDaICそれネタ戦訓だから本気にしない方が良いぞ。
実際には援軍の問題ではなく、落城まで包囲を続けられるかどうかだ。
例えば謙信が来襲した時は小田原籠城で普通に切り抜けられたからな。
ま、大坂の陣の話に戻すと豊臣方の勝ち目はまったく無いので冬の陣の和睦は上出来の部類だろう。
裸城で夏の陣を引き起こした無謀さはどうしようもない。
0614人間七七四年
2016/11/07(月) 09:37:14.05ID:Hm8Xs1zA図体が大きいばかりで優れた資質を伺わせる逸話が皆無だからな、秀頼
それでも馬前に出てくれば徳川方に対する影響力は兎も角
豊臣方の士気は上がったろうに、ちょっと説得されたくらいで
取りやめちゃうしなぁ
0615人間七七四年
2016/11/07(月) 10:41:09.49ID:VJdsvBOc秀頼出馬で一発大逆転するかのうせい確率よりも助命嘆願が成功する可能性のほうが高かろう
0616人間七七四年
2016/11/07(月) 21:57:37.85ID:3+KsTOTjだって謙信はポーズなだけですぐ引き返したんだろ?
兵糧の補給路を確保出来なかったから引き返した。信玄もそう。
0617人間七七四年
2016/11/08(火) 02:00:56.45ID:gBlpLK5w単に籠城しててもダメだわ
0618人間七七四年
2016/11/08(火) 09:49:49.68ID:qQktmJc4牢人達が全滅してから命乞いしたってよく言われるが
逆に牢人達がいた所為で降伏したくても出来なかったことはないかな
全滅してくれたおかげで漸く降伏できたとか
まあその場合、豊臣の統率力が問題になるんだけど
0619人間七七四年
2016/11/09(水) 08:26:13.38ID:yqt/AJuQ裸城だから戦うしかなかったんだろ
徳川としてはもう恐れるものは何もないし、後はもう無理難題ふっかけて潰すだけだし
もう豊臣が生き残る目はゼロ
0620人間七七四年
2016/11/10(木) 00:59:53.74ID:Jdm+hWM3大野も木村と兵権持ってる中心人物らがバリバリ主戦派じゃねえか
0622人間七七四年
2016/11/10(木) 20:54:01.66ID:vbAGribSさすがにそれは秀頼が情けなさ過ぎるだろう
0623人間七七四年
2016/11/12(土) 08:29:49.51ID:EahFoBFd夏の陣の出陣の際、家康の言葉「鎧兜は無用。腰兵糧も三日分あればよい」って
従来三日もあれば豊臣滅ぼせるって解釈がおおかったけど、大軍で脅せば
降伏させられると考えていたなら、その程度の装備で確かに十分な感じがする
0624人間七七四年
2016/11/13(日) 20:58:42.57ID:YM+SKMbrよく豊臣家か必ず断絶されただろうという人の根拠は
福島家や両加藤家の例を挙げるけど、ここ最近の研究だと
徳川の陰謀ではなく自滅しただけって説も出ているみたいだし
実際豊臣恩顧で生き残ってる大名家も多数あるわけだし
0625人間七七四年
2016/11/13(日) 22:29:29.35ID:1SM5XlwF0626人間七七四年
2016/11/14(月) 07:39:09.03ID:8onUrIe3ちょっと待て。
福島や加藤(会津)の改易について陰謀論を否定された説が提示されたのは
25年も前の話で最近の研究じゃないよ。
0628人間七七四年
2016/11/14(月) 08:54:47.02ID:U9H0NjQS0629人間七七四年
2016/11/14(月) 20:34:33.24ID:WJl37sMnそのわりには浸透してないな
0631人間七七四年
2016/11/14(月) 20:44:30.34ID:vfbUXgC/笠谷が1995年に発表した論文で言及していたのは
会津ではなく肥後加藤家じゃなかったか
0632人間七七四年
2016/11/15(火) 04:55:56.28ID:y2J+noC0桶狭間の迂回奇襲説だって最近ようやくテレビでも採らなくなった
0633人間七七四年
2016/11/15(火) 06:59:34.10ID:6lhC/BZx0634人間七七四年
2016/11/15(火) 08:27:16.73ID:2OH9rg98大坂の陣だと「鐘銘事件」の解釈が似たような問題だな。
0635人間七七四年
2016/11/15(火) 17:40:19.84ID:9p2FC8MB会津加藤家にも触れてはいるがあまり史料が無いようで深くはやってないな
「明成が病気になったから領地返上したいと言って来て、老中が説得しても将軍が隠居でいいじゃんとなだめても聞く耳持たない、
訳わからないけど、意志が固いから改易になった。」という幕府の説明が正確なら調べようもない事件だけど
0636人間七七四年
2016/11/15(火) 21:10:29.66ID:JwQzd9ty論文なんて普通の人は読まないからね
だから一般書で改めて言及したんだろうけど
歴史関係の本なんて興味ある人しか読まないしなぁ
0637人間七七四年
2016/11/15(火) 22:58:07.10ID:auoSTGCV0638人間七七四年
2016/11/15(火) 23:24:24.61ID:9p2FC8MB0639人間七七四年
2016/11/16(水) 00:03:33.44ID:4nvy42ip0640人間七七四年
2016/11/16(水) 05:14:48.84ID:iEPskgC9道明寺方面が濃霧で作戦破綻してたから八尾、若江の敗北の報も大して影響なかったけど、予定通りに行って戦闘進めてたら重成戦犯ってレベルじゃねーぞ
0641人間七七四年
2016/11/16(水) 08:27:04.77ID:4nvy42ip0642人間七七四年
2016/11/16(水) 08:39:23.78ID:Oz0wAzMJ青木と伊東以外大坂の陣で討ち死にしているのに
0643人間七七四年
2016/11/16(水) 19:57:01.50ID:gENOySKV振る舞えば生き残れただろうか?まあ大阪から
でるのは必須だろうが
0645人間七七四年
2016/11/16(水) 22:09:48.98ID:8Xgcmt9k0647人間七七四年
2016/11/17(木) 10:04:24.63ID:2fJg8O+40648人間七七四年
2016/11/17(木) 10:22:24.16ID:c5VMVvGy0649人間七七四年
2016/11/17(木) 12:36:04.11ID:kyStTT/w秀頼が1000石で我慢できるなら
大坂の陣なんて起きてない
0651人間七七四年
2016/11/17(木) 14:50:41.84ID:0ufkE50C0652人間七七四年
2016/11/17(木) 16:04:41.72ID:tQ5CwymT当主は在京で領地は遠国にという形のほうが当人にとっても安全だろう
領国は幕府が監視しやすく各式で大国の上総はありなんじゃない
0653人間七七四年
2016/11/17(木) 16:30:26.06ID:0ufkE50C0654人間七七四年
2016/11/17(木) 17:19:54.13ID:t52YiZng11月17日 12時10分
NHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場する武将、後藤又兵衛が大坂夏の陣で討ち死にした場面を記した書面が見つかりました。
ひん死の又兵衛の首を、豊臣秀頼からもらった刀で落としたことなどが記されていて、専門家は、又兵衛の秀頼への忠誠心を示す貴重な史料だとしています。
後藤又兵衛は、その勇猛さから「槍の又兵衛」と称された武将で、大坂夏の陣で豊臣方について、大河ドラマ「真田丸」の主人公、真田信繁らとともに戦いましたが、伊達政宗の鉄砲隊に撃たれて最期を遂げたとされています。
見つかった書面は横35センチ、縦27.4センチで、又兵衛が討ち死にしたときの様子が13行にわたって記されています。
それによりますと、又兵衛の下で戦っていた武将、金万平右衛門が、ひん死となった又兵衛の首を、秀頼から又兵衛に与えられていた刀で落とし、秀頼に刀を返したと記されています。
また、その際に首を持ち帰ることができなかったため、又兵衛の折れた旗を討ち死にの証拠として秀頼に差し出したなどと記されています。
書面は、京都府内に住む平右衛門の末えいの元に残され、岡山県立博物館の調査で内容が初めて明らかになったということです。
調査に関わった、九州大学基幹教育院の福田千鶴教授は「秀頼からもらった大切な刀で最期の奉公を遂げたと言うことができ、又兵衛らの秀頼に対する思いとともに、秀頼が又兵衛を信頼していたことも読み取れる貴重な史料だ」としています。
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
0655人間七七四年
2016/11/17(木) 17:31:31.12ID:GH8tybSk0656人間七七四年
2016/11/17(木) 17:47:11.21ID:inM14jyr0657人間七七四年
2016/11/17(木) 21:44:09.53ID:SNQtV+Xr0658人間七七四年
2016/11/17(木) 23:25:31.33ID:t52YiZng11月17日 12時10分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161117/k10010772341000.html
0659人間七七四年
2016/11/18(金) 04:20:15.05ID:IsziJVFk毛利勝永さんに連れて行ってもらったんだよ
0660人間七七四年
2016/11/18(金) 11:06:38.19ID:50b7TrFp敗戦言うても普通の場合、死者はほんの数%やで
死者の大半は勝敗が決した後の追撃と落武者狩りによるもの
道明寺の場合は後詰めが居て追撃を防いでいるから後藤隊の大半は後詰めに合流して引き揚げた模様
0661人間七七四年
2016/11/18(金) 21:09:16.97ID:b/1QhSyr豊臣信者はどうやったら関ヶ原で西軍が勝てたとか勝てたらどうなったとか
あるいは大坂の陣で豊臣方が勝てたとか勝ったらどうなったかとか
根拠の無い妄想延々と語ってるじゃ無いか
0662人間七七四年
2016/11/19(土) 11:05:27.65ID:/SjFHvAP大坂の陣→夜襲を却下していなければ、秀頼が出陣していれば
豊臣信者は根拠の無い妄想を延々と語ってるわりに言うことがいつも同じだからな
0663人間七七四年
2016/11/19(土) 14:53:02.95ID:f6iLykeBそれが許されるなら東軍にも同じく有利なIFを重ねたらいいだけ
0664人間七七四年
2016/11/19(土) 15:23:16.13ID:Y1PdL2Py史実通りに動く相手に対してクソ有利な条件を重ねるだけだからな
全く違う動きをすれば当然相手もそれに対応するだろうに
それは一切許されないというしょうもなさ
0665人間七七四年
2016/11/19(土) 16:18:10.23ID:Jty1NjpR0666人間七七四年
2016/11/19(土) 16:22:11.24ID:J38FUtl2そうそう、言い出したらきりがない
歴史ってのは立場による視点の変化こそ議論の楽しさで済ませられるけどもしあのときこうだったら、は歴史そのものを否定してるよね
物語つくってるのと変わらんという。
敗者のロマンくらいは語ってもいいけど悲劇の登場人物がもしも、なんてのは蛇足にすぎる
0667人間七七四年
2016/11/20(日) 10:14:33.60ID:vkC5wa5vまぁ、負けた方を過剰に持ち上げて、到底あり得ない経過から気持ちがいいだけの結論にたどり着くのがほとんどだけど。
0668人間七七四年
2016/11/20(日) 12:46:33.15ID:g3yAx9hd0669人間七七四年
2016/11/20(日) 18:31:28.45ID:EnQ9sNov突発的な寝返りによる混乱はそいつの隊や自軍にも及ぶ、ゲームで赤が青に変わるのとは違うのもわかってない
しかも家康より先に若死にした大名に豊臣派で危険だから暗殺されたと言っておいて残った大名に期待してる
0670人間七七四年
2016/11/20(日) 21:10:59.07ID:k1t3pHM7家康が死ねば秀忠は無能だからどうにでもなるってしつこく主張してた奴もいたな
0671人間七七四年
2016/11/20(日) 21:28:33.34ID:vkC5wa5v0672人間七七四年
2016/11/20(日) 21:41:34.57ID:BQMl6UZuそれくらい秀頼には求心力がない
0673人間七七四年
2016/11/20(日) 21:45:13.32ID:6cmrHUnH0674人間七七四年
2016/11/20(日) 21:58:00.98ID:4z6EQoZz0676人間七七四年
2016/11/20(日) 22:02:38.62ID:2gdU/XaE0677人間七七四年
2016/11/20(日) 22:02:41.16ID:k1t3pHM7当初の目的だった豊臣家の臣従も達成出来るんじゃいないか
まあその前に豊臣家が暴発して、秀忠がキレて滅亡されそうだけど
0678人間七七四年
2016/11/20(日) 22:43:14.73ID:6cmrHUnHでははじめから家康が大坂攻めをしないで死んだ場合と明記しておくれ
どちらにしろ徳川政権下でそんな勝手をできる大名家はないよ
0679人間七七四年
2016/11/21(月) 21:40:21.22ID:z6TLnbqg最も安定した政権だからね
統制力の強さは半端ないしね
0680人間七七四年
2016/11/21(月) 23:09:33.87ID:KQwGUOJJほんと家康の運の良さは異常
0681人間七七四年
2016/11/22(火) 02:30:23.63ID:EdLAPH4O0682人間七七四年
2016/11/22(火) 07:14:43.77ID:Eb4R59ML0684人間七七四年
2016/11/22(火) 09:01:52.06ID:Apsnh5bp朝廷、武家、寺社統制を明文化。
0685人間七七四年
2016/11/22(火) 12:05:12.54ID:NPWx/ZY10687人間七七四年
2016/11/22(火) 20:46:17.66ID:dYLOCiai0688人間七七四年
2016/11/22(火) 21:57:38.11ID:oVICYnkz0689人間七七四年
2016/11/23(水) 03:11:48.81ID:4vKMkTG5負の遺産とはおそらく儒教の導入のことを指していると思うがそれを言うなら関白秀次も儒教による豊臣家の支配体制を確立しようとしていた
つまり当時の為政者が儒教を導入したのは秩序回復の道具として適していたからに過ぎず、戦乱の動力となった下克上の風潮を否定するためにその導入は避けられないものだった
少なくとも人臣最高位の官位を傘にまともな基準すら定めない人治主義を行なった奴よりは聡明なやり方だわな
誰とは言わんが
儒教が良いとは微塵も思わんが何でも耳当たりの良い政策を行うのが絶対という風潮は何とかならないのだろうか
それをした筈の欧米でこれまで絶対視されていた民主博愛共存が真っ向から否定されているのを考慮すれば政策なんてその時に応じて変化することなど「猿」でも理解できるだろうに
あっちは思想ではなく移民という取り返しのつかない負の遺産を残したがな
0690人間七七四年
2016/11/23(水) 05:46:40.91ID:9OxZgB3/0691人間七七四年
2016/11/23(水) 22:15:47.50ID:AApiQqPJ0692人間七七四年
2016/11/24(木) 06:24:20.29ID:ggGs6uE00693人間七七四年
2016/11/27(日) 21:04:56.48ID:Yp2goJaU阿呆みたいな値段だけど
0694人間七七四年
2016/11/27(日) 21:23:47.38ID:TK0HdOO+0695人間七七四年
2016/11/27(日) 21:38:55.14ID:LZjb2M+i布陣もできてないのに戦闘もなにもねえだろ
大阪側はバカばっかだな
0696人間七七四年
2016/11/27(日) 21:48:20.31ID:TK0HdOO+0697人間七七四年
2016/11/27(日) 22:11:23.56ID:Yp2goJaU大坂冬の陣・夏の陣で豊臣方に加勢した家臣、古参・新参の諸士、女房たち千名以上を収録した、豊臣方では初の人物事典。
大阪城天守閣館長の監修の下、史料に基づき一人ひとりの人物を詳述する。
【内容】
○大坂城五人衆列伝(真田信繁、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親、明石掃部)
○豊臣方人物事典(織田有楽・頼長、大野治長・治房、木村重成、薄田兼相、速水守久、塙団右衛門など、約1,000名)
○豊臣方女房衆事典(大蔵卿局、饗庭局など、約30名)
付録も充実!
・「秀頼御上洛之次第」に記載の全人名リスト
・「慶長十六年禁裏普請帳」における大坂衆
・大坂七組
・大坂籠城中の軍職等
・大坂籠城諸士・女房らの相関図
裏面には、重要文化財『大坂夏の陣図屏風』(右隻・第3〜4扇、大阪城天守閣 蔵)のカラー拡大図を収録。(A2サイズ相当)
【特徴】
1.大坂の陣で豊臣方に加勢した家臣、古参・新参の諸士、女房たち1,000名以上を収録した初の人物事典。
今後の大坂の陣研究に欠かせない画期的な資料集。
2.本書に収録した人物の記述はすべて史料に基づくもので、その出典をもれなく明記した。
また、編年体の記述を基本とし、適宜改行を入れて読みやすさにも配慮した。
3.収録した人物は五十音順に配列。「大坂城五人衆」の有名武将と約30名の女房たちは別の章立てとし、列伝としての読みやすさや、事典としての検索のしやすさを両立させた。
4.開きやすさと堅牢性を兼ね備えた製本方法を採用。当該ページを開いたままにしておける。
5.付録も充実。「秀頼御上洛之次第」記載の全人名リスト(翻刻)を収録したり、豊臣方の主な武将や女房たちの相関図を作成するなど、今後の研究に活用できる資料を多数収録。
0698人間七七四年
2016/11/29(火) 09:07:34.04ID:psFWrIAD関東人の俺は大阪の地名出されても繁華街か過疎か高低差や距離感も全くわからんわ。
0699人間七七四年
2016/11/29(火) 09:20:42.58ID:psFWrIAD0700人間七七四年
2016/11/30(水) 07:11:10.40ID:raUfQms0と言うか地理を把握していないと何も語れない
一見おかしな戦術や戦略を立てているように見えても実際の地形を見ると納得する事は多い
更に言えば昔と今とでは街道はもちろん地形も大幅に改変されている事が多い
学者ですらその辺りの検証すらなく無能だったからだと安直に断定している人が多いのは嘆かわしい
0701人間七七四年
2016/11/30(水) 08:01:03.78ID:vDnxouK3ブラタモリで、「大阪城から南にかけて台地が続いている。」って言ってたけど、あのへんはずっと平地だった気がする。
0702人間七七四年
2016/12/03(土) 13:58:58.73ID:1w8YZu3o(島津なら野戦を主張しただろうし、大蔵卿ごときが抗える武将でない)、
島津を無罪放免にした家康の判断は大正解だったな。
0703人間七七四年
2016/12/03(土) 14:06:32.58ID:zm7Rtb6u0704人間七七四年
2016/12/03(土) 14:55:16.45ID:R2jG6W210707人間七七四年
2016/12/05(月) 00:17:43.69ID:T8ST0ECJ地形はもっと広く立体的に見ないとな。
例えば河岸段丘の上を見たら平地が続いてるようにしか見えないからな。
0709人間七七四年
2016/12/06(火) 22:29:20.49ID:in+vd36y島津とかそれこそ自分達の都合が良い史料捏造している連中だろうに
伏見城籠城を元忠に断られたとか直政の死因が島津撤退時の鉄砲傷が原因とか
大坂の陣の遅参の理由が豊臣家への同情とか、参陣していなかったのに
真田をやけに賞賛して、まるでその場にいたかのように装ったりとか
0710人間七七四年
2016/12/06(火) 22:43:14.36ID:su3VBhVD0711人間七七四年
2016/12/16(金) 08:58:48.80ID:jOi43H8j0712人間七七四年
2016/12/16(金) 13:37:40.13ID:T5lkTn6R新陣地の発掘出てきたり色々おもしろいね
後藤又兵衛は警戒部隊兼誘引部隊だったが遅滞戦闘中に流れ弾で死んだと
でも残った部隊はちゃんと任務果たして伊達隊に川を渡らせて
戦場に誘引成功したとか
茶臼山と岡山の間を陣地化して戦闘してたとか
一部大河にも取り入れてたな
0713人間七七四年
2016/12/16(金) 20:29:13.69ID:k4Vvsiom0714人間七七四年
2016/12/16(金) 20:54:32.44ID:01eM/JNLだけど積極策のねらいは時間かけてそのうちに家康が亡くなったり徳川軍からの寝返りを期待したり、と割と他力本願
0715人間七七四年
2016/12/17(土) 06:57:05.27ID:Gy/5e1nbそのうちみんな改易・取り潰しだろ可哀想に
0716人間七七四年
2016/12/17(土) 09:30:05.34ID:G4YMfXiT0717人間七七四年
2016/12/17(土) 11:27:34.04ID:i4Hl2V1e多分。
戦国板関連でいうなら「真田をやれば大河の人気と視聴率が回復する!」と数年に渡って強固な主張をしていた菅沼遼太が、完全にアテが外れてかなりヘコんでるから、ちょっとはマシになるかも。
真田をやれば武田が誉め称えられると期待してたらしい。真田をやれば賞賛されるのは主人公の真田で、武田の影響なんて無視されるに決まってんのになw
0718人間七七四年
2016/12/17(土) 11:42:24.91ID:ntfjelI3夏の陣は牢人衆が打ってでる、くらいしかなかったよね
作戦といえるのかどうか。
とにかく家康をつけねらって突撃、ってのは講談のネタにはなってるけど結局ダメだったし。
松尾山布陣だっけ?打ち合わせが悪くてマタベエ無理して突撃するし、ホント少しは自重しろと。
0720人間七七四年
2016/12/17(土) 16:50:01.33ID:vbfC6MM5逆に言うとやる気満々だったのが不思議
後藤にしろ塙にしろ木村にしろみんな張り切り過ぎて自爆してるし
堀を埋められて最早打つ手無しの状態でも夜逃げするどころか決戦になったことが奇跡
何百年の歴史を持つ名門大名ですら一度傾きだすと譜代や一門でさえ逃げたり寝返ったり散々な有り様で惨めな最期を迎えたけど
豊臣は戦国の最期を飾るに相応しい稀有な大決戦で散れて幸運だったと思うわ
0721人間七七四年
2016/12/17(土) 20:21:58.15ID:PHb0HKjcぶっちゃけ自分を過信してたんだろうね
我こそは日本一の兵なり、とw
少しばかり腕におぼえがあるとかそんなもんこれまで弱い相手ばかりだった可能性すらあるわけで。
突撃バカとしか言いようがない
0722人間七七四年
2016/12/18(日) 00:17:27.22ID:2ucb1Krd0723人間七七四年
2016/12/18(日) 01:59:44.21ID:qJ295t+8今更城退去してもどこも雇ってくれないしな
0724人間七七四年
2016/12/18(日) 04:10:19.61ID:XxBBRIeEそんな連中を統制する事なんて至難の業だわな
0725人間七七四年
2016/12/18(日) 04:23:18.16ID:zBW5+Hyx義理ガーとか御恩ガーとかいうなら元の雇い主から出奔すんな
0726人間七七四年
2016/12/18(日) 22:16:19.83ID:uKsr/JJg秀頼なんて出ても介護しないといけないから邪魔なだけと言うドラマはないのか
0727人間七七四年
2016/12/18(日) 22:39:33.35ID:PyjcUtzY上杉軍が無言なのはいつものことじゃね?
主従ともども大坂城を黙ってにらみつけてて
それを見た家康も「さすが上杉殿じゃ」とべた褒めしたとか。
0728人間七七四年
2016/12/18(日) 22:58:10.92ID:USNnfzmf0729人間七七四年
2016/12/20(火) 07:06:06.36ID:YxP02IFC0730人間七七四年
2016/12/22(木) 08:06:09.28ID:YVCIJ9i10731人間七七四年
2016/12/22(木) 11:28:01.10ID:hBa/UOCV上杉が子供じみてた
つっぱらかるのも中途半端だし
0732人間七七四年
2016/12/22(木) 16:17:55.08ID:RyiA/GWT0733人間七七四年
2016/12/22(木) 18:02:43.14ID:hBa/UOCV0734人間七七四年
2016/12/22(木) 18:57:18.48ID:YVCIJ9i1そりゃ、挑発しといて芋引いてりゃ世話ねえよ。
抗いもせず30万石に減封、その上、主家の豊臣の領地まで減らすきっかけを作り、最後には滅亡させている。
しかもその戦い参加してるときちゃもう目も当てらんない。
ならさっさと上洛しときゃ良かったんだよ。
どこが義の人だって話。
0735人間七七四年
2016/12/22(木) 19:21:19.43ID:hBa/UOCV直江とか真田信繁ってさ
後世の評価ばかりがうなぎ登りなのに実際の人物はバカまるだしのイキガリばかりの間抜けだよな
0736人間七七四年
2016/12/22(木) 19:22:35.21ID:aat+3BJy逆に手を出さないでいいことをやりたい場合の言い訳なだけだから。
0737人間七七四年
2016/12/22(木) 19:57:16.11ID:bAG1bvpQ江戸時代の軍記ベースだと義どころか景虎から家督強奪したことになってるのにw
謙信のイメージとそれを祀ってるところからなのかね
0738人間七七四年
2016/12/22(木) 20:06:12.34ID:QWy9c0mH花の慶次あたりの影響
0739人間七七四年
2016/12/22(木) 20:07:53.63ID:6/5feylV0740人間七七四年
2016/12/23(金) 02:38:40.72ID:22DB7Gi2特に北陸への侵攻は他の戦国大名と同じ、別段「義」を強調するものはない
0741人間七七四年
2016/12/23(金) 05:12:44.23ID:du1/RGZzあと関東官領がどうとかの義務感
義将だのなんだのはやはり漫画の影響で直江兼続を称したもので景勝ですらないと思う
とにかく関ヶ原時分の西軍からみはバカばっかり
0742人間七七四年
2016/12/23(金) 08:45:17.31ID:RrUxeTTh豊臣が滅んだのはヘタレ大坂人になり下がったからWWW
二条でも清洲でも彦根でも大坂以外の土地で居城していたのならば余裕で存続しただろう
徳川は秀忠、家光ともに超ヘタレ
家康は死にかけのヨボ爺、負ける要素はない
せめて近場の黒田や後藤、武蔵がいた作州や播磨に居城していればな、武士が違いすぎて話にならない
大坂には昔から豪傑を輩出した過去もなければ、英傑もいない
現在に至るまで大阪人はゴミしか輩出しない糞人間
0743人間七七四年
2016/12/23(金) 14:06:54.73ID:IZNY5mJy0744人間七七四年
2016/12/23(金) 14:40:04.45ID:UpXmC+P60745人間七七四年
2016/12/23(金) 15:10:27.02ID:qeNH6lJ40746人間七七四年
2016/12/23(金) 15:46:55.73ID:GOz7qTJvそりゃそうだろ
イキリまくってあげくに主家を危機に陥らせあげく自分は腹切る訳でもない
ただのバカ
0747人間七七四年
2016/12/23(金) 16:12:18.47ID:G48s+ghiそれにひきかえ、下野国西方で1万3000石を貰った藤田信吉、最上軍に降った下吉忠、幕府旗本になった上条政繁のくらしは、生き生きとして、明るくなったと言う。
0749人間七七四年
2016/12/23(金) 22:13:53.66ID:22DB7Gi2彼自身への高評価は昔から変わってないようだ
池波正太郎が小説で「世間で言われてるほど評価しない」って書いてる
司馬と違い小説に自分の意見入れることの少ない池波がわざわざ言及するくらい、それは不動だったのだろう
0750人間七七四年
2016/12/23(金) 22:19:59.71ID:GOz7qTJv謙信と、景勝ははっきり分けて考えるべきだよね
正直謙信もそんなにすごい人間とは思えないけど。
関東の武将は小競り合いばかり
中央に取り残されたイメージだな
0751人間七七四年
2016/12/23(金) 23:35:33.73ID:86MJbzL3やらかした結果だけ見ると、家康のスパイだったのかと疑いたくなる
0752人間七七四年
2016/12/23(金) 23:40:50.21ID:G48s+ghi0753人間七七四年
2016/12/24(土) 13:47:21.60ID:A4OJFYkw0754人間七七四年
2016/12/24(土) 16:27:03.73ID:gVw79uzC0755人間七七四年
2016/12/25(日) 00:42:47.16ID:98Nnvm2j秀吉はこういうこと大身の大名相手によくやってるよな
0756人間七七四年
2016/12/25(日) 00:55:55.58ID:Bmhp5vR50757人間七七四年
2016/12/25(日) 01:26:42.67ID:qlTq1h4s作り話かもしれないけど
大坂の陣に、話を戻しますか
0758人間七七四年
2016/12/25(日) 02:18:17.69ID:q/PAZn5O0759人間七七四年
2016/12/25(日) 22:34:23.99ID:78gDcP/Z出馬直後盛り上がっても、結局何も出来ず醜態さらして
士気下げただけだろうから、出ても出なくても
結果はそう大差なかったんじゃ無いか
実際秀頼が前線に出てきて何かか出来ることがあったのかって話だな
0760人間七七四年
2016/12/25(日) 23:07:10.54ID:/uPdH718って言ってくれる
皆武者震いの為に鳥肌を立てつつ、歯ぎしりをして戦う様になる
0761人間七七四年
2016/12/25(日) 23:36:20.28ID:qlTq1h4sさらに秀吉恩顧の大名が戦意を喪失して中立あるいは豊臣側に寝返る
と思ったのだろう
実際に寝返る武将がいたとは思えないけど
関ヶ原でやらかした秀忠や上杉、毛利は汚名返上とばかりに秀頼を狙いに行ったかも
0762人間七七四年
2016/12/25(日) 23:54:13.07ID:/uPdH718上杉は京都警備でお留守番w
毛利秀元ギリギリ参加できたレベル(最後の総攻撃に滑り込み
(家康がだーめよサイン出し続けた)
夏の布陣でかろうじて秀頼にムムム反応しそうなのは
片桐から始まって加藤よしあきと黒田位の南東部かなー。
秀忠と家康本体で囲んでじっとそいつらを見るシステムw
0763人間七七四年
2016/12/26(月) 00:06:14.84ID:XMOplmRu0764人間七七四年
2016/12/26(月) 01:31:45.24ID:aZpy4QP8急に部下や兵を纏めて今の今まで敵だった人間と協力なんてそうそう出来ない
0765人間七七四年
2016/12/26(月) 01:52:09.52ID:382orbY60766人間七七四年
2016/12/26(月) 01:56:04.97ID:382orbY6真田が家康本陣に突入したタイミングで加勢してれば
幕府軍は大勢立て直すのが難しくなるんじゃねーかな
あくまで真田も毛利も攻勢限界で押し返されたんだから
そこにフレッシュな予備隊を投入できれば戦況は変る
ただ幕府軍は大名が独立的に参加してるので
例えば家康が敗走したからって他の部隊がそれ見て配送する訳じゃ無いのが痛いね
0768人間七七四年
2016/12/26(月) 06:13:13.84ID:wLu0uVYQ2日目の深夜には大坂城は陥落し炎上
真田が突撃したとされるのは3日目の秀頼切腹の数時間前
戦の勝敗は既に決してるのに真田に合わせてもどうにもならん
そもそもそんな兵力残ってないし統率できる奴もいない
0769人間七七四年
2016/12/26(月) 06:57:20.46ID:p5h7wcBb迷走しまくり
まとめる人間がいないなら戦争なんてすんな
0770人間七七四年
2016/12/27(火) 00:57:18.39ID:uePbq52q包囲してる分兵力も分散してるし。
0771人間七七四年
2016/12/27(火) 01:03:13.80ID:wI3/e6kU小田原城もあっけなかったし
コンスタンチノープルも堕ちた
0772人間七七四年
2016/12/27(火) 01:25:01.58ID:3P7fWqCjまあその方が二度手間にならずにすむか
0773人間七七四年
2016/12/27(火) 01:26:34.42ID:uKqSdf54創作物ですら勝って何がしたいのかは描かれないのが豊臣
秀頼の信者はまさしく神や仏の感覚で秀頼を見てる
0774人間七七四年
2016/12/27(火) 01:33:40.06ID:wI3/e6kU無理があるな、やっぱり
0775人間七七四年
2016/12/27(火) 01:48:33.15ID:cWCHivqq0776人間七七四年
2016/12/27(火) 02:35:55.60ID:wI3/e6kU0777人間七七四年
2016/12/27(火) 03:26:32.54ID:iJG/eEK/0778人間七七四年
2016/12/27(火) 03:34:17.53ID:uKqSdf540779人間七七四年
2016/12/27(火) 06:42:11.41ID:t2Cu77UPほんそれ
豊臣は悲劇の一団みたいな表現多いけど基本的にバカがバカ足る行動してただけだよね
わがまま放題に行動、無計画、統一感のなさ、どれをひろってもバカとしか言えない
豊臣信者はそれすら理解できず敵対組織をあげつらうが、そもそも豊臣のバカを認めないとお話にもならん
0780人間七七四年
2016/12/27(火) 06:42:59.31ID:uePbq52q0781人間七七四年
2016/12/27(火) 06:43:47.33ID:t2Cu77UP家康が予想とおり寿命きても大坂側にはつかないでしょ
むしろ東で戦果をあげて発言権を増すように動く
0782人間七七四年
2016/12/27(火) 10:17:17.87ID:mYmDRkLn0783人間七七四年
2016/12/27(火) 11:09:19.13ID:cWCHivqq0784人間七七四年
2016/12/27(火) 14:11:09.89ID:iJG/eEK/毛利だってえ秀頼が滅んで目出度いなーとかほざいていたわけだし。
0785人間七七四年
2016/12/27(火) 22:25:39.10ID:qtSBTehn十年間将軍として実績積み重ねてるんだよな
家康の傀儡みたいに言ってる奴は現在の通信手段並みに
連絡できると思っているんじゃ無いか
当時江戸と駿河まで連絡するののどれだけ時間が掛かっていると思っているのか
0786人間七七四年
2016/12/27(火) 23:24:15.98ID:TpK/wKue秀忠の護衛を依頼された立花宗茂の記録で、秀忠が慶長15年2月20日に江戸を発ち
2月24日に駿府に到着した時、秀忠を送り届た宗茂はすぐに江戸に引き返し
2月27日から江戸城の御留守番を務めたっていう2月29日付の書状があるな
だから、将軍一行として直接行くなら片道約4日、
それなりの身分の家臣に伺いに行かせるなら片道約3日ってとこだろうか
0787人間七七四年
2016/12/28(水) 00:04:54.63ID:/ey4OuLc幕府のメンツ丸つぶれで求心力低下は避けられんだろうね
第二次長州征伐みたいに出兵拒否する国まで出てきそうだが
0788人間七七四年
2016/12/28(水) 00:19:25.96ID:uhFZHh3K内政事情はともかく、外から見れば家康>>秀忠という印象は否めない
徳川家は秀忠、天下は家康が采配してるといったところか
傀儡にしてるんじゃなくて、役割が分かれてた感じ
0790人間七七四年
2016/12/28(水) 01:28:36.08ID:NY4MG3KT「三成が挙兵したから早く戻って来て」と助けを求めた淀が馬鹿なんだよ
本気で家康が豊臣を盛り立ててくれると考えてたんだよ
結果、豊臣を盛り立ててくれたはずの西軍を滅ぼして
徳川の天下へのアシストしてしまった
その後やっと家康の目論見に気づいたが、時すでに既に遅し
誰も信じられず右往左往して滅亡
0791人間七七四年
2016/12/28(水) 01:32:35.30ID:QCMYmDZO西軍が本気で豊臣を盛り立てる補償もまたどこにもない
特に毛利輝元
0792人間七七四年
2016/12/28(水) 01:58:14.51ID:bgy9I52o0793人間七七四年
2016/12/28(水) 02:33:23.21ID:yiyJhpy90794人間七七四年
2016/12/28(水) 05:01:17.94ID:XA2Tb3nH0795人間七七四年
2016/12/28(水) 06:10:02.22ID:zeJkqwlt0797人間七七四年
2016/12/28(水) 06:52:10.42ID:XQflGPx0秀頼が加藤の京屋敷で休もうとするのを拒否してるし
0798人間七七四年
2016/12/28(水) 07:43:49.58ID:pl4aXwZn0799人間七七四年
2016/12/28(水) 20:36:11.24ID:ZJi07Z+/400年後にも焼討丸みたいなのが居るぐらいだから、京の人にとっては今、そこにある恐怖だよ
0800人間七七四年
2016/12/28(水) 20:51:17.81ID:lEtNTcS10801人間七七四年
2016/12/29(木) 09:25:49.56ID:6t4276Uj0802人間七七四年
2017/01/01(日) 22:02:54.74ID:ubRKYdKn結局屏風で囲ったとは言え屋形船に招待したんだっけ
いざという時はお好きなようにとしか思え無いんだけど
0803人間七七四年
2017/01/05(木) 23:32:47.43ID:6F/yLEN+豪華の饗応はしたらしいが、徳川と秀頼とでは
どちらにより気を遣っているか分かりやすいな
0804人間七七四年
2017/01/06(金) 23:54:01.13ID:lRGCuicI福島正則とか家康死後も生きてた分、割喰っているけど
ただ福島や両加藤の改易に対しての幕府陰謀説に対しては
否定する論文も出てきているみたいだけど
0805人間七七四年
2017/01/07(土) 00:04:41.79ID:Dog+uzwF元々どこが陰謀だってとこはあるよね。
豊臣自体もそうだけど、一代目が成り上がって興した家は
累代の家にはある代々培ってきた有形無形の基盤がない分、
二代目が継承するまでに基盤をある程度は形にできてないとポシャる。
0806人間七七四年
2017/01/07(土) 09:26:24.11ID:iSJFjlRv0807人間七七四年
2017/01/07(土) 09:54:49.25ID:gAySJ9NV0808人間七七四年
2017/01/07(土) 09:55:09.02ID:kRm+Sm8W当主と重臣(もしくは従属勢力)が対立したあげく、当主が敗れるという割とありがちな結果になっただけだな。
0809人間七七四年
2017/01/07(土) 10:45:26.99ID:iSJFjlRv0810人間七七四年
2017/01/07(土) 11:45:31.21ID:YfwA/qnd0811人間七七四年
2017/01/07(土) 13:09:37.22ID:kCzwwGX80812人間七七四年
2017/01/07(土) 14:52:19.98ID:Dog+uzwF利権で一枚岩でなくても、その利権を確保するためには、
まずは当主を盛り立てて安定させていくのが一番という目的意識の統一ができていたんだろう。
あと各々が得意分野を弁えていて、それ以外は他人に任せることができるかってのも大きいかも。
家臣家来の中で「俺が俺が」意識の肥大したやつの声が大きくてヤバくなったのが豊臣って気がする。
0813人間七七四年
2017/01/07(土) 14:57:41.41ID:iSJFjlRv0814人間七七四年
2017/01/07(土) 19:56:21.04ID:BRDL1xo00815人間七七四年
2017/01/07(土) 20:07:49.80ID:IeiKYke20816人間七七四年
2017/01/07(土) 21:59:00.55ID:+WhRSniy福島正則は仕方がない。大阪の陣で豊臣方に加わることを明言したため
江戸屋敷に幽閉され、その直後の改易だからな。
自業自得だし、ある意味最後まで筋を通したともいえる。
加藤(清正→忠広)はどうだろうね。
豊臣への助力が原因なら、福島と同じくもっと早く潰されそうな気がするが。
加藤忠広は中央集権を急いで、重臣と対立し、政局が混乱していたから、
普通にそっちが原因だと思う。
0817人間七七四年
2017/01/08(日) 04:05:25.67ID:2CsgZY6Q0818人間七七四年
2017/01/08(日) 04:57:26.80ID:t+YjsFVY0819人間七七四年
2017/01/08(日) 07:37:34.68ID:rIYw6dYU0820人間七七四年
2017/01/08(日) 07:40:37.89ID:6srbTGG20821人間七七四年
2017/01/08(日) 22:24:58.10ID:FXSGHdSp正則の改易は城の修復を事後申告で行った上、その修復場所を
破却すれば許すと言われたのに別の場所を破却して誤魔化そうとしたことが
秀忠の逆鱗に触れて改易されたんじゃ無かったか?
忠広の方は光広の出したと言われる密書について親子二人に問いただしたところ
二人とも密書に関しては認めたが、幕府の方で密書の方は一笑に付す態度で
家督不届きが理由で改易したんじゃなかったっけ?
お取潰しが密書が理由なら改易どころではすまなかったはずだし
0822人間七七四年
2017/01/09(月) 00:21:37.74ID:KFeFHZCQ加藤明成は、幕府が何度も世話焼いてもお家騒動が収まらなかったため
加藤忠広は、嫡男光広の謀反ごっこに連座。直接関与してない忠広は減刑との声もあったが
調べてるうちに幕府に無断で末っ子を国元に連れ帰ったなど違反が見つかり家光の逆鱗に触れ同罪に
清正以来加藤家が大っ嫌いな細川忠興などは親子ともども死罪が妥当なのに上様は慈悲深いと書状の中で冷たく言い放ってる事件
0823人間七七四年
2017/01/09(月) 07:44:56.53ID:ww6897NB福島正則のそれは完全な口実だって。大阪の陣で豊臣方につこうとしたからだよ。
だから、家康は江戸屋敷に福島正則を監禁した。
こんな状態で改易にならない方がどうかしている。
ただ、それを改易理由にすると、一部で不穏な動きになるから、
適当な理由をつけただけ。
加藤忠広も密書はあるが、これも口実だろうね。実態は家臣団を統率できず
領国を混乱させたこと(これを理由にすると、他の大名に深刻な悪影響を与える)、
駿河大納言と関係が深かったこと(同上)など、より深刻な理由を隠すためとも
考えられる。
0824人間七七四年
2017/01/09(月) 11:58:24.14ID:xsNnjhdT堂々と大坂方につきたいから行かせてくれと
懇願した平野長秦とかいたような
0825人間七七四年
2017/01/09(月) 17:41:46.30ID:EEoAAHei和議ってのがなぁ・・・・
0826人間七七四年
2017/01/09(月) 17:55:20.80ID:YJVOgkza0827人間七七四年
2017/01/09(月) 18:06:08.50ID:vV4GThVFまぁ後詰なき籠城戦だからどっちにしろ勝ち目はない
徳川方の兵糧が尽きかけてたみたいな話もあるが
当時の幕府が兵糧切れで負けるってのは流石に考えられんし
結局大坂方が「武門の意地は見せた。これで和議して後は命脈保てればいい」
くらいの安易な気持ちで外堀埋めるのまでは認めたんだろう
誤算は浪人衆が使い捨てに応じなかったこと
0828人間七七四年
2017/01/09(月) 18:12:53.84ID:G30LqWJT戦略レベルでは、大名の大阪方参戦なしだから、しょうがない。
0829人間七七四年
2017/01/09(月) 18:18:43.55ID:T6CL3e8d0831人間七七四年
2017/01/09(月) 19:31:18.75ID:NnMbvd3i連戦連敗で周辺の砦を全部攻略されたあげく、主城に追い込まれたのに
戦術的勝利ってのは無理があると思うんだ。
0832人間七七四年
2017/01/09(月) 19:34:01.85ID:D8vXaIxMという感じかな
0833人間七七四年
2017/01/09(月) 19:57:13.03ID:EEC58f9H膠着したと事実を捏造してうれしい?
0834人間七七四年
2017/01/09(月) 20:04:55.49ID:q0mEGJiGワロタ
あとはあれか
真田丸「まわりの砦がすべておちたか」
真田丸「やつらは暗黒大坂衆のなかでは最弱」
真田丸「出丸の私ひとりいれば大坂城なぞもはや無用」
0836人間七七四年
2017/01/09(月) 20:18:10.77ID:q0mEGJiG着実にまわりを押さえる幕府軍、大坂側に手があるかといったらせめて秀頼出陣で誰か寝返ってクダサーイ、ってことか、唐突に家康が老衰で亡くなりました、くらいしかない
兵粮がつきるだろ、もあと何日とか決まってる話でもない
幕府軍としては無理攻めして被害が増えるくらいなら講和して大坂側が牢人排斥してくれたらそれである程度おさめられただろうにな
0837人間七七四年
2017/01/09(月) 20:21:13.30ID:EEC58f9H事実として大坂城どころか真田丸にも
一兵も入れなかったやん
0838人間七七四年
2017/01/09(月) 20:26:05.02ID:WGyH/E/u0839人間七七四年
2017/01/09(月) 20:57:51.23ID:5cfN7G7k大坂城の本丸に弾が入っただろ
豊臣がそれにびびって堀を埋め立ててもかまわないから講和してくださいと言った
0840人間七七四年
2017/01/09(月) 21:14:52.40ID:q0mEGJiG真田丸が大坂城をおおうくらいの規模ならその成果はまあ大勝利って言えるかもね
ただ、実際は城の南側の一部だけの話ですから
0841人間七七四年
2017/01/09(月) 21:19:36.95ID:NnMbvd3iこれで豊臣大勝利とか言ったらギャグだよなぁ
0842人間七七四年
2017/01/09(月) 22:01:26.36ID:X20EdWzt福島正則の城無断改修及び事後報告の上、誤魔化し工作の為改易された事や
加藤光広の密書騒動が事実な上、家中が纏められない事を理由に改易は
笠谷和比古が主張している論だっけ?
>>823
それは口実に過ぎないってなんて研究者の主張している論なの?
0843人間七七四年
2017/01/09(月) 22:14:11.57ID:bGwAztAX別に家中統制出来ずに改易なんてよくあることなのに、なんで加藤忠広だけ隠さなきゃいけないのさ
忠長との関係も俗説の域だが、なにか確実な証拠あんの?
0844人間七七四年
2017/01/10(火) 00:32:54.09ID:ZefmIt1s特に丹羽家と蒲生家
結局この大大名家を改易寸前まで削ったせいで関ヶ原でしっぺ返し喰らう羽目になったが
0845人間七七四年
2017/01/10(火) 00:53:15.18ID:9Zoa2r0Tあのまま秀次政権で行ってれば家康も命運尽きてたのに
0846人間七七四年
2017/01/11(水) 04:14:00.90ID:XwbC6oa/実際改易された家はもちろん豊臣家本体や家康より早死にした武将への陰謀論もやりたい放題なんだろうな
0847人間七七四年
2017/01/11(水) 14:38:00.80ID:bBUiw/h9福島はその辺りの自分の立ち位置を理解してなかったってだけの話で
0848人間七七四年
2017/01/11(水) 21:37:36.62ID:XIvh3Q8j0849人間七七四年
2017/01/11(水) 22:08:46.83ID:JXo5ixzE0850人間七七四年
2017/01/11(水) 22:39:43.70ID:vqzTyuGyしかしながら新地20000石を与え与板藩に移封するという温情措置が取られた
0851人間七七四年
2017/01/11(水) 23:19:35.08ID:pSF1IhQkそこで身内に甘々裁定したら、政権安定しないくなるからだろう。
0852人間七七四年
2017/01/12(木) 04:17:54.04ID:CSSTZH3a0853人間七七四年
2017/01/12(木) 04:50:17.71ID:uHh69gch0854人間七七四年
2017/01/16(月) 13:20:36.68ID:oadctkoX0855人間七七四年
2017/01/16(月) 13:46:10.70ID:Ncz3+dl20856人間七七四年
2017/01/16(月) 18:35:58.10ID:RxAjQ3XRただのわがままなおっさんが側近の助けでなんとかなってた、が事実か
0857人間七七四年
2017/01/16(月) 20:18:25.05ID:VrMSh1CI0858人間七七四年
2017/01/16(月) 20:56:20.03ID:8uuOVW9Q0859人間七七四年
2017/01/16(月) 22:03:22.09ID:HE26hFs7半兵衛、官兵衛からはじまり
三成、大谷、増田、長束と奉行衆も優秀
0860人間七七四年
2017/01/16(月) 22:26:58.55ID:BIa4LiCe武闘派代表の四天王の中にも交渉力に長けた直政や
能筆家の康政もいるし、参謀としては本多親子がいて
町奉行なら板倉親子、彦坂元正、長谷川長綱とかがいるし、
治水方面なら伊奈忠次、水軍なら小浜親子や向井親子をはじめとした三崎四人衆
宗教関係なら天海、崇伝や元佶とかその他諸々を含めて多士済々だ
0861人間七七四年
2017/01/17(火) 01:11:35.13ID:VbJ12EaP0862人間七七四年
2017/01/17(火) 21:31:34.02ID:qFS8LNYf実際岡崎の奉行は三人だけじゃ無かったみたいだけど
0863人間七七四年
2017/01/17(火) 23:27:15.44ID:1PZE5FW00864人間七七四年
2017/01/17(火) 23:35:44.28ID:We+QTvPT0865人間七七四年
2017/01/18(水) 14:51:18.81ID:tXASdy4L0866人間七七四年
2017/01/18(水) 22:25:42.71ID:cpQ54MMp記録されるような実績なんか
逆に残しにくいんじゃ無いかな
0867人間七七四年
2017/01/19(木) 00:57:09.06ID:dPNZUQNK0868人間七七四年
2017/01/20(金) 12:13:33.24ID:YPDfdXkd日本社会ではよくある事
0869人間七七四年
2017/01/20(金) 12:56:07.50ID:VEkFoe9t結局豊臣政権はシステムとして成り立っていなかった
単なるトップダウンのワンマン経営
トップの秀吉がいなくなれば瓦解するのみ
0870人間七七四年
2017/01/20(金) 19:48:23.03ID:tZuFtVyA0871人間七七四年
2017/01/20(金) 20:03:05.57ID:PEzbUAa6天下のご政道を豊臣万歳とはき違えていたのだから当然の帰結だわな
0872人間七七四年
2017/01/21(土) 00:01:05.66ID:DhdnqCBM件について
0874人間七七四年
2017/01/22(日) 22:29:06.84ID:C4fe8Si1実際は秀吉の晩年から関ヶ原まで民衆の人気などまったくないから家康が天下を取れた
江戸幕府ができて天下が東に移ってから関西人が豊国社を信仰し始めたが
文字通り後の祭りだった
0875人間七七四年
2017/01/23(月) 20:49:05.50ID:vuRwEpq60876人間七七四年
2017/01/23(月) 20:57:36.88ID:MFjQRsQY江戸時代になって首都機能が東に持ってかれてふてくされ、
明治時代になって帰ってくると思ったら、逆に天皇まで東に持ってかれて発狂
関西人の東京コンプは根深いな
0877人間七七四年
2017/01/24(火) 21:42:11.60ID:Liw29FpC康政は能筆家って言われてるけど、素人なんで判断できないが
残ってる書状とかみたらやっぱり字は上手いのかな?
0878人間七七四年
2017/01/24(火) 22:01:52.56ID:+QVJePwa0879人間七七四年
2017/01/25(水) 22:31:00.57ID:NqgeGJ/vそれってまさか司馬の小説がソースとかは無いよね
0880人間七七四年
2017/01/25(水) 23:42:44.85ID:Tlse5CvA0881人間七七四年
2017/01/28(土) 21:50:56.09ID:pFWNFoh+陣中僧に書かせたと言うのは、どの史料にあるのですか
0882人間七七四年
2017/01/29(日) 13:38:31.01ID:BqvXU/VS康政は、徳川が弱小だった三河統一時期に家康の祐筆をやっていたとの話がある
そのころから毒舌家で皮肉屋の一面があり、嫌みな文章を書かせたら彦三なんぞ
足元にも及ばないレベルだったらしい。
0883人間七七四年
2017/02/02(木) 20:57:20.59ID:XZsuf9ZS徳川水軍っていまいち影が薄いよな
小牧・長久手の戦いや小田原攻めとかにも
参加しているのに
隆慶一郎の小説が完結していれば
もう少し有名になれたかなぁ
0884人間七七四年
2017/02/04(土) 21:55:16.90ID:ADii1Oc5いよいよこれから盛り上がるってところで終わっちゃうからなぁ
原哲夫あたりが良い脚本家見つけて漫画化してくれないかな
0885人間七七四年
2017/02/05(日) 12:27:55.72ID:H68MTmkn子飼いだけじゃあ秀吉いなくかったらそら裏切りますよ
0886人間七七四年
2017/02/05(日) 13:26:31.40ID:W2w3TmPE松平は、元は山賊や林業やってた土豪で蜂須賀みたいな感じだったんだろうが、9代続けばそれなりに名門化し譜代家臣団もできた。
0887人間七七四年
2017/02/20(月) 12:12:24.32ID:LxVryfso親から「うちがこれだけ続いたのも主家のおかげ」と教育されるから自然と忠誠心が育つ
0888人間七七四年
2017/03/03(金) 22:28:06.37ID:l4csmyHO短期的に見れば効果は高いかも知れないけど
弊害が多すぎるしな
0889人間七七四年
2017/03/13(月) 21:20:24.92ID:Ot1ZCfwf加藤と小西以外だとどんな組合わせがあるかな
福島、石田あたりは畑が違う感じがするし
0890人間七七四年
2017/03/14(火) 08:13:11.27ID:n9g9GLI9秀吉はそれを引き継いだというか、なあなあにしたというか
0891人間七七四年
2017/03/14(火) 14:20:44.10ID:PISSZqhM加藤忠広の改易の原因は清正だけどな。
清正は地方の領主に強力な権限を与えて、それを清正が統率するという、時代と逆行した統治を行っていた(朝鮮出兵とかあったからしゃーないが)
これは戦時は上手く機能したが、平時となると上手くいかない。
更に肥後南部は小西行長が徹底した神仏破壊を行っており、その復旧に大変な金と人が必要となった。
次第に地方領主の不満が高まる悪循環
0892人間七七四年
2017/03/14(火) 16:25:04.86ID:HxyWWJko加藤家処分は変な手紙を偽造して幕府に見つかったからでは
0893人間七七四年
2017/03/20(月) 22:08:37.93ID:IGumENNiしかも伊達、前田、島津、上杉、佐竹にその密書を確認させてるくらいだし
0894人間七七四年
2017/03/21(火) 02:15:38.43ID:vIGFRhFK親肥後の家は潰れても仕方ない
0895人間七七四年
2017/03/21(火) 08:05:19.55ID:UuzaRP9A改易後の家臣達の対応とか見ると家中が纏まってた気がするな
福島家は大名としては改易されたけど、旗本として復興許されてるし
0896人間七七四年
2017/03/21(火) 09:37:05.75ID:8SgieNux0897人間七七四年
2017/03/22(水) 21:19:07.59ID:0dj9n2Tm大名では無くなったけど旗本で二千石クラスで
小姓組番頭や御書院番などを勤めるくらいだから
扱いとしては悪くない方なんじゃ無いかな
わざわざ嗣子が無くて旗本としても断絶したのを
再興させたくらいなんだし
0898人間七七四年
2017/03/24(金) 23:30:38.75ID:/kuzn2A7糞康にだまされて家を衰退させるとは情けない
0899人間七七四年
2017/03/25(土) 01:47:58.22ID:Gj/ZiSyT0900人間七七四年
2017/03/25(土) 07:13:56.58ID:5AiEZmF90901人間七七四年
2017/03/25(土) 12:25:55.60ID:63eynVor0902人間七七四年
2017/04/06(木) 10:34:15.20ID:CwIenUw4家康は江戸から動けない
そうすると日和見してる連中がもう少し動く
0903人間七七四年
2017/04/06(木) 10:37:35.41ID:D5kpVFAQ動かざるを得なかったんだろうが。
0904人間七七四年
2017/04/06(木) 13:19:34.37ID:Sgo0dqCQ0905人間七七四年
2017/04/07(金) 12:52:11.06ID:B/0W/0cbたぶん家臣が止めてくれるのを期待して待っていたんだと思う。
0906人間七七四年
2017/04/07(金) 13:08:25.37ID:D1fqJLWP0907人間七七四年
2017/04/07(金) 14:25:10.41ID:1FpV8pn60908人間七七四年
2017/04/07(金) 21:25:38.60ID:C4VaosvGその秀次が三成の讒言で殺されたことで
いずれ自分も三成に殺されると警戒して三成排除に動いたわけだから
福島ら武断派は裏切ったわけでも騙されたわけでもないだろ
三成を打倒したことによって福島ら武断派は殺されずに済んだのだから
確実に利益を享受できたのは間違いない
0909人間七七四年
2017/04/07(金) 23:51:55.40ID:Au5gH9q8家康の馬印が倒される恥ずべき事態に陥ったのは事実だな
0911人間七七四年
2017/04/08(土) 01:46:39.11ID:4QDaZ8um0912人間七七四年
2017/04/08(土) 02:41:56.62ID:FoLN12r2そんなこと物ともしないくらいに権威が強くなったってことなんじゃ?
0913人間七七四年
2017/04/08(土) 04:06:54.90ID:NzCL7EpV0914人間七七四年
2017/04/08(土) 05:41:31.00ID:FoLN12r2「諸記録や伝聞をもとにしての編述であり、その出典は挙げられていないため信憑性は定かではないとされる」宮本義己
0915人間七七四年
2017/04/08(土) 08:27:19.82ID:6Ww5enk40916人間七七四年
2017/04/09(日) 00:03:15.84ID:r0bq6NU5これが家康信者のクオリティw
0917人間七七四年
2017/04/09(日) 05:58:28.58ID:ZzdmqAnM0918人間七七四年
2017/04/09(日) 06:25:32.33ID:Fd0pFjz0負け犬豊臣は言えば言うほど言い訳くさい
0919人間七七四年
2017/04/09(日) 07:30:40.06ID:ZCILt1rD恩のあるはずの大名が誰も味方してくれない状況も読めず開戦状態までいき、
味方になった有象無象すら治めきれず、
城主として自分の命を引き換えにした家中の命乞いとしう武家の当主なら当然のこともせず、見限られて自滅したこと。
それをまた複数の関連大名に「みっともない秀頼滅んで目立たいわ」と書き残されちゃったこと。
徳川のカッコいい話→
世界に冠たる二百数十年の大戦のない平和な治世としてのパクス・トクガワーナを築き上げたこと。
0921人間七七四年
2017/04/09(日) 13:11:15.39ID:PXry2dbuろくに議論に参加せずに一言貶して去っていく奴がいる一方で
豊臣スレには変なのいないからなあ
最終的な勝者である分徳川の方が余裕があるように見える
0922人間七七四年
2017/04/09(日) 14:35:53.60ID:5uiqENyP人材を語るのが歴史を楽しむひとつの方法だけど豊臣からみは1600年までで大体消えてるから。
0923人間七七四年
2017/04/11(火) 23:24:29.94ID:rP4h/ETF野戦だったら将軍の秀忠を討てたかもしれない
秀忠が死んだら幕府は次の後継者を決めるため撤退せざるを得ないから
もうそれに賭けるしかない
0924人間七七四年
2017/04/12(水) 01:57:54.87ID:f7e7yIy00926人間七七四年
2017/04/12(水) 08:51:06.69ID:rsB9CVYO当時はまだ戦国の気風で
有力家臣達に大きな権限あったのは知ってるけど
0927人間七七四年
2017/04/12(水) 10:03:27.04ID:tjYDdSPk更に関ヶ原の戦いやその後の天下普請などに備えるためにこの体制が解消されることなく継承され、農村の疲弊や重臣達の権力争いの原因となったことなど、
清正治世の問題点も指摘し始めている。
山田貴司「加藤清正論の現在地」(山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』
0928人間七七四年
2017/04/12(水) 10:38:52.35ID:5lqv4Zb30929人間七七四年
2017/04/12(水) 13:25:53.95ID:apE7AgBK兵士が一瞬に出現するわけもなし
0930人間七七四年
2017/04/12(水) 16:09:46.32ID:0rKZ0exD0931人間七七四年
2017/04/12(水) 16:37:13.52ID:NWY/xobN0932人間七七四年
2017/04/12(水) 17:32:19.04ID:kPvohAZDゴトウマタベエ軍が壊滅したのも連携の無さ、そしてまあいいや突っ込めとやる頭の弱さ
戦国時代の講談話で過大評価されてる一番の男は真田信繁、ついで島左近、んで後藤又兵衛だろうな
そんなのが二人もいたらそりゃ負けるわ
まあ後詰めもなく野戦を強いられたとか言うのもわからんでもないが、そもそもそんな状況におちいってる時点で負けを認めないのがバカ
0933人間七七四年
2017/04/12(水) 17:34:37.25ID:kPvohAZDそもそも勝ち目なんてひとつもない
万一これとこれとこれとこれがうまくいったら勝てるかも、とやってただけのバカどもだからなあ
まあやれたとして、信繁は降伏のふりしてなんとか家康の近くに寄るなりしてその後数ヶ月信用させるのに努力、そのうえで伊達くらい尽くしたうえで裏切るくらいやらないと知将と呼べない
0934人間七七四年
2017/04/12(水) 17:46:04.07ID:uE937Gp/大野治長は、豊臣家は、牢人衆を養う為に、戦をしておるのでない、と喝破していた。
0935人間七七四年
2017/04/12(水) 19:08:01.04ID:AUGFtS43それまでにいくらでも散る機会はあれどくすぶってた連中だし
豊臣家の勃興のため、なんてのはあくまで高報酬につられた、ことのとりつくろい
0936人間七七四年
2017/05/25(木) 11:39:51.87ID:dlWLzsPu無謀過ぎて当然の如く失敗して、判官贔屓で美談になったけど
0937人間七七四年
2017/05/25(木) 12:14:06.68ID:GDG5nlkW突っ込んだふり作戦しかやってこなかったくせに
0938人間七七四年
2017/05/26(金) 19:59:04.11ID:l6xI2Cl+爺嫉妬wwwwwwwwww
0939人間七七四年
2017/05/26(金) 20:02:19.92ID:Ag3Rha450940人間七七四年
2017/05/26(金) 21:21:03.77ID:5DCtGYBM菅 貫 太 郎
━━━━━━━
ナレーター
寺 田 農
0941人間七七四年
2017/05/30(火) 14:53:12.63ID:0RIZiuGI0942人間七七四年
2017/05/30(火) 15:34:12.06ID:9cgYaTYP0943人間七七四年
2017/05/30(火) 16:35:33.13ID:0ZpDvoTb0944 ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄
2017/05/30(火) 17:05:28.29ID:Kw16qnLa(´Д⊂ヽ
⊂ ノ
人 Y
し (_)
0945人間七七四年
2017/05/30(火) 17:27:40.92ID:Z7nrMTKH研究熱心の家康にあの程度の奇襲が通用することはまずありえない
0946人間七七四年
2017/05/31(水) 13:09:51.10ID:fzwEQb4O0947人間七七四年
2017/05/31(水) 13:13:03.84ID:TQEprZcL0948人間七七四年
2017/06/02(金) 03:39:53.66ID:T553d5tR幸村みたいに賢くてまっすぐで無謀みたいな
なんか真田幸村の子孫かって思ったりするけど違うか?w
0949人間七七四年
2017/06/02(金) 04:39:34.02ID:GocwdFOH信繁が浸透した今更に。
昌幸、信之は賢いけど、信繁はダメだろ
老獪というか昌幸を継いで知恵者を気取るなら家康だましてつぶす作戦くらいとらないと。
無闇な対決で自滅した間抜けだわな
0950人間七七四年
2017/06/03(土) 12:52:41.68ID:bpCtbDco大坂方の武将、毛利勝永は真田幸村に勝るとも劣らない活躍したのに・・・
0951人間七七四年
2017/06/03(土) 13:17:12.95ID:JTApWHDw下手すりゃ名無しの権兵衛の活躍でも反徳川なら売れた、そんだけの話
0952人間七七四年
2017/06/04(日) 04:49:15.45ID:2tVxKtJz家康は鉄砲の玉を跳ね返す西洋の甲冑ってやつを身にまとってたからな
それがなければまじで討ち取ってたかもしれないんだってw
0953人間七七四年
2017/06/04(日) 05:11:57.00ID:9NJanIbR単なる特攻
力押ししてるだけの無能信繁
0954人間七七四年
2017/06/04(日) 08:24:55.18ID:gQE88tpH思っちゃう。ところができないんだなw
0956人間七七四年
2017/06/04(日) 09:45:13.95ID:vBETMDiL元の森のままの方がよかった
0957人間七七四年
2017/06/04(日) 12:03:18.20ID:+33PtSob真田の信者は単なる歴史しらずだし。
後藤信者もなかなか聞かないね
やっぱり出奔するようなやつは出身地贔屓も発生しにくいかな
0958人間七七四年
2017/06/04(日) 15:50:55.87ID:gQE88tpH叩いとけみたいなそういう浅い心根を見抜かれてるとも知らずに平然としてる奴。
0959人間七七四年
2017/06/06(火) 03:58:56.61ID:Sn8wBslC数百年後に客観的に見られるようになれば鬼畜の所業として叩かれるのが道理
0960人間七七四年
2017/06/06(火) 08:39:45.23ID:AeqpwHlC0961人間七七四年
2017/06/06(火) 11:02:10.86ID:AMTqNBlj中華帝国征伐の暁には後陽成帝を北京に動座願い、北京周辺数十ヶ国を寄進し、秀次を北京関白、宇喜多秀家または羽柴秀勝を内地の関白にし
加藤清正をおらんかい国主にすると
0963人間七七四年
2017/06/06(火) 17:38:54.67ID:EBZuDnxmあげく天下人となってからは暴政しいて馬脚をあらわした
結局なりあがりは知恵がない
0964人間七七四年
2017/06/06(火) 19:23:42.93ID:bgEdZuwaそもそも戦国時代の終結がいつなのかという事については
学者等の間でもまだ確定的な結論が出てないのだが。
確かに秀吉による小田原征伐も候補ではあるが
家康による関ヶ原や大坂の陣も候補だし、島原の乱を区切りにしてる人もいるらしい。
本当かは知らんが信長が足利義昭を追放した時点で終わったとした人もいるとかいないとか。
0965人間七七四年
2017/06/06(火) 19:47:22.42ID:+0Iz6E7l0966人間七七四年
2017/06/18(日) 12:11:04.28ID:HkFdgcAR後年に暴君化して、昔からの家臣を殺したから皆の心が離れただけ
0967人間七七四年
2017/06/18(日) 12:12:35.88ID:HkFdgcARそれは平和になった江戸時代に生まれた考えで、戦国時代は違ったよ
「侍は渡り者」って考えがメジャー
0968人間七七四年
2017/06/19(月) 21:53:14.24ID:e0FcCZdP0970人間七七四年
2017/06/20(火) 01:19:12.62ID:Nn35krkm家康は私利私欲で戦国をぶり返して世の中をねじ曲げただけだろ
まともに擁護できないのが悔しいからってキチガイのふりして支離滅裂なこと言うのはやめとけ
0971人間七七四年
2017/06/20(火) 01:34:15.66ID:apxSXrcf0973人間七七四年
2017/06/21(水) 14:57:42.51ID:obrPPliG0975人間七七四年
2017/06/21(水) 22:39:01.27ID:83zyfVP00976人間七七四年
2017/06/21(水) 22:44:23.77ID:yIdAUacF0977人間七七四年
2017/06/21(水) 22:52:00.00ID:JUwFeLtKその理屈で平和が成立するなら太平洋戦争だって中盤までは日本が平和な時代だったことになる
0978人間七七四年
2017/06/22(木) 06:05:00.52ID:PQ3NccxN0979人間七七四年
2017/06/22(木) 07:04:42.35ID:D8qmJYcG0980人間七七四年
2017/06/22(木) 07:05:54.00ID:D8qmJYcG浪人がまとわりついて秀頼が破滅したのも秀吉の戦争好きが原因
0981人間七七四年
2017/06/22(木) 10:09:09.92ID:xyc39bd2大坂の陣の後の江戸幕府だってこの雰囲気を変えるのにすごい苦労してる。
一般庶民が本当に太平の世が来たことをを自覚したのが徳川綱吉のころだったと聞いたことがあるし。
秀吉の場合ずっと戦時中の状態だったわけでそれで平和ってのは無理があるよ。
たとえ海外派兵でも参加してるのは自国民なのだから、心理的に平和な日常なんて意識には絶対ならんよ。
0982人間七七四年
2017/06/22(木) 18:27:22.48ID:BwLDWajZ0983人間七七四年
2017/06/22(木) 22:08:53.37ID:jX5E59U8国境線を遠くにする事で国内を平和にするんだよ。
紛争に携わるのは軍人である武士だけ。
>>981
今も海外派兵している国がほとんどなんだけど?日本も含めてね。
海の外での戦争でなんか影響あるかね?
0984人間七七四年
2017/06/22(木) 22:23:31.89ID:oQCkjD/W軍人だけで済むわけないでしょ。農民だって兵士として駆り出されてるんだから。
海外派兵って……軍人だけで済んでるから平和を認識してるんでしょうが。
普通の市民まで駆り出されるような事態になれば平和だなんて誰も思わなくなるよ。
大坂の陣や島原の乱を経て、一般庶民が戦争に駆り出される事がなくなり、
その状態が長く続く事によって、ようやく戦乱の時代が終わったんだなってなったの。
戦後直後もそうなんだけど、戦争終わった、はい平和なんて事には絶対ならない。
人々が太平を認識するのはどうしたって時間がかかる。一年、二年じゃとてもとても……。
まあ、数十年は見ないとだめだと思うわ。
0985人間七七四年
2017/06/22(木) 22:37:26.11ID:rqIwkflk戦場を大坂に閉じ込めて軍人である武士が世を乱すテロリスト浪人どもを始末する
大坂の陣は日本を平和にする最高の戦いだった
0987人間七七四年
2017/06/23(金) 12:17:06.60ID:kBJboiWe0988人間七七四年
2017/06/23(金) 12:23:50.94ID:N1E5vt71軍人のみが外で戦っているのは、一般市民にとってはテレビドラマと同じくらいどうでもいいこと
たとえ戦死者がでて反戦デモなどが起きても、大多数の一般人は平和そのもの
0991人間七七四年
2017/06/23(金) 20:17:58.01ID:yPoQZsoe【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498216606/
0992人間七七四年
2017/06/24(土) 08:11:18.73ID:iHvU6c/Wその為の兵農分離。嫌なら武士やめて帰農すればいい。
>>989
武家にとって戦にいくのは名誉な事。
その心構えがないなら、武士やめて帰農すればいい。
闘うのは嫌だけど武士やって農民の税金で暮らしたい、とか思っているクズは死ねばいいと思うよ。
0993人間七七四年
2017/06/24(土) 08:55:58.55ID:kAlshoZH兵農分離ってのは江戸時代になるまでまともな形では出来てませんよ。
それと江戸時代に徳川がやった事が平和につながったの。
要は戦う事に重きをおいてた武士を、領地を守り維持するためのお役人にするって事。
早い話が公務員だな。それこそが江戸の太平の世につながったわけで。
まあ幕末はそれが進みすぎたせいで幕府が倒れてしまったってのはまあその通りだと思う。
ただしそれは幕府の制度疲労が進み、その歴史的役割を終えたと表現するべきだろう。
どんな政権も始まりがあれば終わりがある。幕末にその時がやってきたというだけの話。
だから江戸幕府に関しては後世の人々は『お疲れさまでした』とでも言ってやればいいだろう。
0994人間七七四年
2017/06/24(土) 10:19:58.16ID:iHvU6c/W闘う事をやめて庶民から搾取して胡坐をかいている人間を生み出したのが江戸時代だよ。
そんな奴らはいらないし、存在してはいけないものだ。
国民を守り、外敵を打ち払い、領土を得る為に戦っていたのが本来の武士というものだ。
ちなみに兵農分離は豊臣政権では達成しているよ、地方の大名では不十分だった藩があっただけ。
0995人間七七四年
2017/06/24(土) 10:28:46.53ID:iHvU6c/W出勤はしないが給料はもらうみたいな役人ばっかりだったのが江戸時代だぞ?
江戸時代なんて何か新しい事をするわけではないから、一部の高禄の連中以外は仕事なんてない。
本来は武具や馬をもって鍛錬しなければならないはずだが、
そんなこともやっておらず、武具も馬も持たない武士(笑)が庶民から搾取した金だけもらっていた時代が江戸時代。
制度疲労?そもそも最初から間違った制度を作ったのが江戸時代というものだ。
そんな連中は帰農させればよい。武士として命を懸けられない人間はいらない。
0996人間七七四年
2017/06/24(土) 10:35:17.34ID:iDQyreQ9じゃあそれこそ無意味な外征して結果的に領土を寸土も得られなかった
豊臣政権はいらんな。そんなもん必要ないから終わっていい。
ちなみに外敵は幕末になるまで別に来なかったろ。
ペリーまではのらりくらりとかわしてたんだから別に問題ないよ。
まあ19世紀初頭位でうまく開国させるのはアリだったかもしれんが
200年近く先の事を家康のせいにされてもねえ。
そもそも武士の時代ってのは内乱の時代だからな。戦争なんてむやみに続けん方がいい。
秀吉はせっかく一度は天下を統一したのだからそこで軍事行動をやめて
内政にリソースを全振りすべきだった。そうすれば政権崩壊の可能性は大幅に減少しただろう。
外征をどうしてもやりたければその後でいい。
0997人間七七四年
2017/06/24(土) 10:43:42.32ID:GUwA6PBi0998人間七七四年
2017/06/24(土) 10:55:58.02ID:iHvU6c/W何を言っているんだ外征をしてもっと領土を獲得するべきだったんだよ。
せっかく順調に勝っていたのに、退却しやがった。そりゃ武断派も切れるわ。
獲得した領土を失う事になったからな。
つか日本が惰眠をむさぼっている間に、満州族は明朝鮮チベットウイグルモンゴルまで占領し、
ロシアはシベリアまできて、スペインはフィリピン、ベトナムはフランス、インドネシアはオランダ、
天竺は英国、マラッカはポルトガルから英国がとった。
日本が引き籠っている間に世界が動かないと思っているのかよw
0999人間七七四年
2017/06/24(土) 11:07:23.66ID:jtI4KwVI武士の本分。それは御家を守ることだ。戦争をむやみにする事じゃない。
わかりやすい例が関ヶ原後の毛利や上杉だ。こいつらこそ武士としてかくあるべき姿だ。
徳川に頭を下げ、謝罪する事で御家の安泰を願う彼らこそ、武士の鑑だ。
周りからバカにされてもただグッとこらえて、先代から受け継いだ家を
次世代に受け継がせる。これこそが家というものを背負った本当の武士だ。
秀頼のように無意味に暴れるような奴は武士を理解していないただの愚か者だ。
だからむやみに戦えって言ってる奴はもうその時点で駄目って事。
1000人間七七四年
2017/06/24(土) 11:08:52.39ID:iHvU6c/Wなら家康は秀頼に一生頭下げて生きりゃよかっただろw
10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l http://hobby9.2ch.net/sengoku/
life time: 336日 22時間 37分 19秒
10021002
Over 1000Thread運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 2ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 2ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.2ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.2ch.net/login.php
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。