秀次派だった池田輝政が西の播磨姫路、浅野幸長が南の紀伊若山を与えられ、これに北には篠山城、亀山城の築城がされ、東は二条城、伊賀上野城の築城がされ、豊臣氏は完全に包囲された。
かつまた、大坂冬の陣では徳川方総大将に池田輝政が擬せられていたが、病により輝政も幸長も他界したため、池田利隆、池田忠雄、浅野長晟が大坂城にせめかかることになった