関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2016/05/27(金) 20:16:23.30ID:npq8C3Hk豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/
0828人間七七四年
2016/08/06(土) 15:41:51.03ID:DVFocSVoそれは微妙じゃないか?秀頼が関白になることよりも、まず秀次から秀頼の命を守るための予防措置じゃないかな
0829人間七七四年
2016/08/06(土) 15:44:27.69ID:4j1kde2t0830人間七七四年
2016/08/06(土) 16:01:08.09ID:GTwxHCh4佐久間信盛を粛清したら、明智光秀に謀反されたみたいな感じですよね。
あの時点でも佐久間は譜代家老で明智より立場は上だから、佐久間を粛清してなければ
本能寺の変は有りえんからね。
まあ、若年の家督争いで信長に味方しただけでも普通は一生もんの貸しだと思うだろう
しね。そりゃあ家中が動揺するよね。
本当に結果を知ってると、豊臣秀次事件は訳わからんよね。
0831人間七七四年
2016/08/06(土) 16:09:22.07ID:IlcYsFNt0832人間七七四年
2016/08/06(土) 16:12:53.92ID:71kpyqE4そこまで身内の信頼を失ってたのかねえ
正直それ以外、恩顧武将やら提携武将のほうがよほど秀頼支持からはずれていくのが危惧されるだろうに。
まあ恨みやら確執は他人より身内ってのも真理だしね
秀吉秀次間にそういう許せないなにかが生まれていたかもしらんわね
0833人間七七四年
2016/08/06(土) 16:15:20.75ID:71kpyqE4三方原、関ヶ原、大坂の陣といくたびもあがるよな家康死亡以後影武者説
ありえなくもないがそうなったときに権力体制の維持は難しいだろうな
そんな自陣の連中をいつまでも騙くらかせるわけがない
0834人間七七四年
2016/08/06(土) 17:16:32.71ID:3/t7entW実は影武者がいて、その正体は岡崎三郎殿だったなんて小説があっても良いと思うんだ
0835人間七七四年
2016/08/06(土) 18:30:15.82ID:H3Xe+f/n攻めの捨てがまりで直政と忠吉を討ち取る
0836人間七七四年
2016/08/06(土) 18:41:51.38ID:nuSQJ5/t0837人間七七四年
2016/08/06(土) 18:48:25.17ID:qPultzCS討ち取ったとかなんという小説?
逆にかわいい甥っ子を討ち取られ数十人程度に減らされているのにな
家康の追撃中止命令がなければ島津軍は壊滅状態だよ
0839人間七七四年
2016/08/06(土) 18:48:40.17ID:PJzDl3ey0840人間七七四年
2016/08/06(土) 21:14:05.97ID:pfZ2bcgV0841人間七七四年
2016/08/06(土) 21:25:16.96ID:BVT6ejOY0842人間七七四年
2016/08/06(土) 22:12:02.66ID:jUtgs+cA知識や通説が十年前ままで止まってたり
小説ソースにしてる奴多すぎだろ
0843人間七七四年
2016/08/06(土) 22:27:50.65ID:TYVplmB9太閤X「呼んだ?」
>>842
別にいいじゃん
どうせここの住人は、じぶんの支持する武将にとって都合がいいか悪いかで
史実か捏造か決めてるだけだし
0844人間七七四年
2016/08/06(土) 22:28:13.61ID:PJzDl3ey簡単に言えば近接射撃法である。外れっこない近距離まで引き付けて斉射し、
最前列を一度に失った相手がひるんだ隙に後銃列が畳み掛けるなり切り込みするなりする戦法である。
比較的狙撃志向の日本ではさほど使われないが、火縄銃の命中精度が悪いヨーロッパでは時たま使われていた戦法である。
島津では敵が目前まで来るまで撃てない恐怖心を克服するために覚悟を決め座り込んで撃つので捨て奸と呼ばれる
島津においても別に捨て石前提の戦術というわけではない。
さて関ヶ原での捨て奸にはいつも省かれる「オチ」があって親子兄弟の屍でも平気で乗り越えてくる坂東武者はそれしきではまったくひるまず、
捨て奸の戦法が通用しない相手とと戦った豊久隊はあわれ踏みつぶされてしまったという。
島津藩の軍学者は繰撃ち(三段撃ちみたいなもの)をして敵兵を減らしてから捨て奸をしなかった豊久の落ち度と推測している
ちなみに義弘が追撃を受けなかったのは井伊隊は敗残兵が間違って本陣に乱入してこないように追い払いに来ただけだったという
0845人間七七四年
2016/08/06(土) 22:33:48.07ID:PJzDl3eyヨーロッパでは装弾したまま銃剣を装着して突撃し相手の眼前で一発ぶっ放してそのままなだれ込む戦法を得意とした有名な変人元帥がいたりしたな
0846人間七七四年
2016/08/06(土) 23:14:49.21ID:VymfemPm0847人間七七四年
2016/08/06(土) 23:43:12.52ID:HuKo0kWTそもそも500人しかいないのに西軍の勝利と島津の戦功第一を達成するには
普通の戦い方では無理だろう
0848人間七七四年
2016/08/06(土) 23:51:54.07ID:M7zk2NuFこの前提がまず間違っていると思うんだが
0849人間七七四年
2016/08/06(土) 23:54:09.38ID:PJzDl3ey0850人間七七四年
2016/08/07(日) 00:12:37.93ID:JOH6z3mq0852人間七七四年
2016/08/07(日) 01:11:43.25ID:7ep3l79b0854人間七七四年
2016/08/07(日) 01:53:14.31ID:lXnPUbBw0855人間七七四年
2016/08/07(日) 09:45:53.98ID:aGURlHfDキチガイ?
本人が真実だと思ってることを垂れ流したら良いって言ってる奴に一々絡むな
0856人間七七四年
2016/08/08(月) 10:39:08.43ID:qA03O3xE0857人間七七四年
2016/08/08(月) 11:38:31.61ID:tkAxAdlD肝心の奉行連中が現実をまったく理解できていなかったため
西軍のような烏合の衆を作り出してしまった
0858人間七七四年
2016/08/08(月) 12:47:13.06ID:H6U2lUvr招聘と言うより封じ込めでしょ?
合議制の中では大老奉行の一人なんだからね。
実際に、前田や上杉が帰国した途端に謀反の言い掛かり付けてますしね。
現代みたいに通信が発達しててリアルタイムで会議が出来る訳じゃ無いんだから
帰国のルールや議決のルールをあらかじめ決めとくべきでした。
まあ、遺言で10年は帰国禁止ぐらいは決めとくべきだったでしょうね。
遺言で決めた後見人的人物が殺し合うって、歴史上では良く有る話です。
0859人間七七四年
2016/08/08(月) 13:07:56.20ID:DvOdSJze0860人間七七四年
2016/08/08(月) 13:11:56.45ID:NfEhADzu> 実際に、前田や上杉が帰国した途端に謀反の言い掛かり付けてますしね
前田は秀頼に対してすら無断で帰国したんだから謀叛疑われるのが当然。
上杉は帰国ではなく上洛要請を拒絶したのであって、これも中央政府に対する謀叛と考えられて当然。
アレを「言いがかり」というのは、典型的な「豊臣史観」
0861人間七七四年
2016/08/08(月) 13:34:12.06ID:MNH/onY20862人間七七四年
2016/08/08(月) 16:08:54.62ID:/XKlD/3v前田は早々に死ぬし
0863人間七七四年
2016/08/08(月) 16:20:50.44ID:0BROWfyD0864人間七七四年
2016/08/08(月) 16:39:20.30ID:xm0pvFao上杉家の史料「あいつ誰の許可も取らずに帰りやがったぞ」
0865人間七七四年
2016/08/08(月) 16:41:33.76ID:ZMqRUDjU合議制は秀吉が作った制度ではない。
秀吉の考えは政治は家康が見る、秀頼の後見は利家が見るというもの。
家康の立場は初期鎌倉幕府の執権に近い。
それを他の大老や奉行が秀吉死後に異を唱えて合議制に改めさせた。
0866人間七七四年
2016/08/08(月) 17:43:11.98ID:6J+fgQVmつまり坊主達に集団レ○プされて…
0867人間七七四年
2016/08/08(月) 17:44:34.37ID:uyVX36yc「皆さんにはちょっと殺し合いをしてもらいます」
レベルの無茶振りでは
0868人間七七四年
2016/08/08(月) 20:12:25.55ID:fUQN2uuk息子的には立ち位置色々考えるところだったろうな
利家くらいのビッグネームを親にもち、そのうえで家康からプレッシャーかけられまくり、
そりゃ決断に悩むわな
でも家康に傾倒したのは正しい選択
0869人間七七四年
2016/08/08(月) 20:14:39.76ID:fUQN2uuk三成はそれでだめ
まるで役立たず
0870人間七七四年
2016/08/08(月) 20:28:38.54ID:njCaMARFそれな
ヒデが何考えてたのかわからんが、
もしほんとに>>865みたいな事情だったとしても
五大老五奉行制が
家康のワンマンで丸く収まるような制度とは思えない
誰が私心がなくて誰が私欲まみれだったとかそんな問題じゃない
0871人間七七四年
2016/08/08(月) 20:58:07.92ID:j2Dd4V9S0872人間七七四年
2016/08/09(火) 00:52:56.80ID:FzyjejDI単純に領地だけ見ると、前田は徳川の三分の一に見えるけど、姻戚関係を見ると
物凄い大勢力なんですよね。
宇喜多秀家も婿の一人ですしね。その上秀頼の守役の権威まで有ります。
前田利家さえ長生きしてれば、家康もうかつな事は出来ない状況です。
利家死後でも、息子が何と言われようと帰国せず大阪城にいれば家康もどうしよ
うも無かったと思いますね。
0874人間七七四年
2016/08/09(火) 07:10:38.83ID:Uwror1BN輝元は家康に対して兄とも思います、って書状に書いてるし、ずっと徳川派をアピールしてた。
五奉行の浅野・増田や、実務派の大谷吉継等、武断派以外での徳川派と考えられてた大名も多い。
徳川派だけで豊臣政権を回せたはず。
ただ、なぜかそいつらがこぞって三成についちゃった結果、豊臣政権を維持する官僚が全滅しちゃったんだよね。
そのせいで、家康が徳川家の官僚だけで天下の仕置を回さなきゃならなくなった。
0875人間七七四年
2016/08/09(火) 07:32:37.16ID:70RF05pc0876人間七七四年
2016/08/09(火) 07:36:23.12ID:2+2LNeEC毛利…恵瓊対広家の論戦で恵瓊が勝利し西軍大将になるも保身しまくりで西軍敗戦に貢献
大谷…東軍として参戦寸前までいくも三成を見捨てられず西軍へ
浅野…家康暗殺の疑いで蟄居してたが東軍としてバリバリ活躍
増田…関ヶ原戦前まで西軍としてバリバリ活躍するも、三成の動向を家康に知らせたり、
豊臣家の蔵前地収入を三成に融通しなかったりと家康へ内通。
関ヶ原戦後はハゲになって全力土下座、高野山送りになったが命は助かった。
ガチに三成についたと言えるのが一名ほどしかいない件
0879人間七七四年
2016/08/09(火) 07:55:49.62ID:xssGqr7l0880人間七七四年
2016/08/09(火) 08:07:31.95ID:SGUrnDC20881人間七七四年
2016/08/09(火) 08:27:22.71ID:SGUrnDC2長束正家・安国寺恵瓊が大谷とかを南宮山に集めようしてるけど人数が無駄になる
というのを戦意がないと解釈してるなら曲解とかいえんわな
0882人間七七四年
2016/08/09(火) 08:33:04.58ID:3p5bYLUu三成の失脚をむしろ歓迎していたような感じすらあるしな
0883人間七七四年
2016/08/09(火) 08:41:55.00ID:zvFp6t/I> 9月12日付書状
一、今度勢州口より被働条、中国は不及是非、其他長大、大形並御弓鉄砲衆も、長大・安国寺一手被引向様に相見え候間
大人数回り兼候。人数も少々そこつに罷成体に候事
(伊勢方面から進出した毛利勢は話にならない。その他、長束、大谷、弓鉄砲衆も、長束らは安国寺と一手に引きこもって
いるように見え、せっかくの大軍も無駄になっている。軍勢自体も粗忽な状態に見える。)
0884人間七七四年
2016/08/09(火) 09:50:50.02ID:FzyjejDIその時点ではまだ毛利の動向は不明なんですよね。
つまり、小規模な挙兵に成る可能性も有り保険をかけただけでしょ?
相手が奉行だから政治的な宣伝に利用しただけで、似た様な手紙はたぶん他にも
有ったと思います。
途中で因幡の宮部が西軍に寝返ったりしてるし、逆に東軍大名が色々通報した
手紙も有ったと思いますね。
0885人間七七四年
2016/08/09(火) 11:07:26.03ID:FH9wsKMp0886人間七七四年
2016/08/09(火) 11:48:52.32ID:5c8fKwg8これだよな
西軍についた、とか言う以前に西軍って団体になれてないよな
東西でわけてるのがものすごい違和感
親徳川派(東軍)対三成、大谷、あわせて多数の日和見勢力だよな
0887人間七七四年
2016/08/09(火) 12:10:34.16ID:NJqS1jW9三成では人は集まらない
ただの利害関係でついたにしかなく政治力の無いものばかりだからやる気もない
0888人間七七四年
2016/08/09(火) 14:44:55.21ID:TQSArvhn脇坂さんは目の前の藤堂と仲良しだし、朽木さんも京極と姻戚関係だし
東軍に縁あるやつらを小早川への備えに配置するってマズイと思うんですよ
0889人間七七四年
2016/08/09(火) 15:04:41.03ID:xssGqr7l0890人間七七四年
2016/08/09(火) 15:07:39.76ID:/76shOCp0891人間七七四年
2016/08/09(火) 15:43:17.32ID:2+2LNeEC脇坂さんだけ藤堂高虎経由で合戦中裏切る事を確約、実行し所領安堵
残りの三将は事前連絡無しでドサクサに裏切ったので卑劣な便乗野郎として減封とか改易とか
0892人間七七四年
2016/08/09(火) 16:12:03.36ID:rr/JbzP0西軍大名は、纏まりが悪いのは事実ですよね。
1、個人的な恩義や義理で付いた人、宇喜多秀家なんか。
2、反徳川の意味での西軍、上杉景勝とか。
3、徳川が勝てば自分は破滅だと思う人、奉行連中、商業権益と結びついてた小西とか。
4、事が成れば大儲けの博奕打ち、真田とか。
5、ともかく勝ち馬に乗りたい日和見連中。
だから、数は多くても本気で戦う気の大名は意外と少ないですね。
0893人間七七四年
2016/08/09(火) 16:40:12.26ID:2XOHAIQb家康→輝元「如兄弟可申承候」
輝元→家康「成父兄之思」
家康は輝元に対して兄弟の如くと言ってるが、輝元は家康に対し父兄の思いを成すと形式上にせよ一応へりくだってるのが面白いよな。
家康の方が年長だし当然と言えば当然かもだが。
0894sage
2016/08/09(火) 17:52:52.26ID:GXPwJbPq宇喜多が個人的な恩義や義理で西軍についたのって誰に対する?
淀=秀頼は東軍よりだし西軍だけが豊臣じゃないよ
0895sage
2016/08/09(火) 17:57:21.89ID:GXPwJbPq秀吉の威を刈っていたのは宇喜多も三成と同じ
家中も纏められないようじゃな
0896人間七七四年
2016/08/09(火) 18:51:44.86ID:u7uC05XEしかもある意味三成以上にこいつが言うならそうなんだって人抱えてるし
0897人間七七四年
2016/08/09(火) 18:59:21.92ID:iotmA27K通説を信じるとすれば小山評定で西軍を討つぞーと盛り上がった感じだな
0898人間七七四年
2016/08/09(火) 19:46:33.83ID:6cX0J83u家康が1543年生まれで輝元が1553年だから年齢だけなら兄弟表現の方が妥当なんだよな
中々に微妙な関係で面白いな
0899人間七七四年
2016/08/09(火) 19:51:01.33ID:JmimeJw7輝元を徳川派と見なすのはちょっと無理があるんじゃ?
秀就が生まれたころから徐々にすり寄る姿勢を見せてはいるが、
それ以前はお互いの家中自体が没交渉に近かったようだし。
どうも輝元は秀吉死ぬ前後における、政治的パワーゲームでも、
イマイチ首がすわらん印象を受けるんだが、
その後の関ヶ原の動向を見ても、本音じゃ
徳川に阿るよりも自分ら毛利ズが、西国勢の代表として
重きを置かれたかったんだろう
0900人間七七四年
2016/08/09(火) 19:54:19.27ID:JmimeJw7確かに宇喜多は何かでかい地殻変動なしに、あのままでは
ヤバかっただろうね。すでに唐入り後に存在感がなくなってたようだし
0901人間七七四年
2016/08/09(火) 20:19:15.50ID:ZF0Ybm3Vそう思うとやはり説得力のある親方につきたいもんだよね
三成のような理屈ばかりの嫌みな人間では無理なのは当然か
家康も恩賞ちらつかせて味方につけても結構それを反故にしてるけどその後磐石だもんな
豪腕だよな
0902人間七七四年
2016/08/09(火) 20:28:23.94ID:DKi+Ond00903人間七七四年
2016/08/09(火) 20:42:19.90ID:o10IZV510904人間七七四年
2016/08/09(火) 20:45:43.53ID:/76shOCp0905人間七七四年
2016/08/09(火) 20:51:39.28ID:ZF0Ybm3V毛利をまとめてるかのようにしてまるでダメ
三成の手先としての活動もまるでダメ
こんな軍師きどりの僧侶はそりゃ斬首晒し首だわな
0906人間七七四年
2016/08/09(火) 21:27:02.35ID:xssGqr7l他の西軍諸将の処遇を考えると1年くらいどこかに隠れてれば蟄居くらいで済んだんじゃないだろうか。
0907人間七七四年
2016/08/09(火) 21:28:40.16ID:xx+MDbWO秀忠に拾われて以降は「豊臣に恩義?何それ?」っていうくらい
0908人間七七四年
2016/08/09(火) 21:39:40.22ID:0K2mSbHe秀忠も気に入ったのか旧領を回復してやってるし
西軍の中では数少ない勝ち組だよね
0909人間七七四年
2016/08/09(火) 21:40:05.18ID:vdeFlcZsだって三成には恩義はないが豊臣には恩義はある。
だって島津に攻められた時、豊臣に援軍を送ってもらってるから。
しかし夏の陣の時は徳川の恩義もあって完全に東軍についてたな
0910人間七七四年
2016/08/09(火) 21:45:07.75ID:ZF0Ybm3V0912人間七七四年
2016/08/09(火) 22:06:58.33ID:vdeFlcZs多分ね。武士道を勘違いしている。江戸時代中期以降くらいだと葉隠れとか一君主に忠義を尽くすだと思うが
戦国時代だと七君変えて一人前なのが武士なんだな。
家や家臣を守るってのはなりふり構わずなんだよ。
宗茂だけなんだよ。徳川に結局ついたお陰で一度追いやられた柳川に再度復活してるのは
0914人間七七四年
2016/08/09(火) 22:22:58.60ID:vdeFlcZsちょっと勘違いしてたな(笑)
だけど秀頼を神輿に担いでんだからそりゃ三成が嫌いでも最初は西軍だわな。
三成が朝鮮の役の時、戦奉行で宗茂を賄賂で論功行賞を与えようとしたんだがそれ以来大嫌いでそれでも豊臣の恩があったから義の為に西についたんだから
0915人間七七四年
2016/08/09(火) 22:34:04.00ID:3jMndFOm0916人間七七四年
2016/08/09(火) 22:51:41.55ID:DKi+Ond0東軍も「君側の奸を討つ」という名分を掲げているので条件は同じだぞ?
いい加減無理やり宗茂を義人に仕立て上げようとするのはよせ
宗茂は毛利家との縁故で西軍に付いたのを義によるものだと糊塗しただけだ
0917人間七七四年
2016/08/10(水) 00:03:47.52ID:LPaduY5P0919人間七七四年
2016/08/10(水) 03:44:11.81ID:1EB+xRFq例えば佐竹義宣はどんなに頑張っても水戸を取り戻すことは不可能だでた
0920人間七七四年
2016/08/10(水) 04:55:01.14ID:pYLzNfs6まあ西軍に付いたのが義のためってんなら戦後たった3年で徳川に仕えたりしないわな
0921人間七七四年
2016/08/10(水) 06:58:49.91ID:6sARShOI借りは返した、義理は果たしたって当人の中では納得したんじゃないですかね。
まあ、一度家を滅ぼしてるから充分義理立てしてますしね。
それに、勝手に掛川城を家康に献上した奴とかいますからねwwww同時代にさ。
福島正則だって、清須城の兵糧は本来徳川が西進した時に備える為なのにさ。
何の為の清須城主なのかを考えると、本当に酷い事してるんだよね。
戦後のあれこれは、裏切りは嬉しいけど裏切り物は嫌いで説明できます。
0923人間七七四年
2016/08/10(水) 11:38:05.75ID:CSgXU8Fz奇麗事いうから見苦しい
せめて勝ち組がいうならまかりとおるが負けた連中がいうのはただの言い訳
0924人間七七四年
2016/08/10(水) 13:21:47.51ID:LWsuJwAQ@立花城を豊臣家に救ってもらった。
A大友家の陪臣から独立大名にしてもらった。
B義父が落としかった柳川城城主にしてもらった。
C旧主大友義統より上位の官位を授けられた。
結果としてすべてを関ケ原で失った。その処分を下したのは
五大老筆頭徳川家康だが、あくまで豊臣公儀の代表者が、
宗茂を処罰した形だから、その時点で豊臣家への義理は
無くなったという事だろう。
徳川家に仕官したのは、幕府という新公儀と新しい主従関係
を結んだだけで、豊臣家を裏切ったなんて感覚は全くなかった
んだろうな。
だから徳川家としても安心して親衛隊の大番に採用したんだろう。
0925人間七七四年
2016/08/10(水) 14:30:40.70ID:j3c0vt2G0926人間七七四年
2016/08/10(水) 16:13:54.45ID:pYLzNfs6まあ上杉その他にも言えるが、戦国を生き抜いた家の記録は基本ええかっこしいだ
柳川復帰しても宗茂はほとんど江戸にいて活動してるし徳川仕官後は一所懸命だったと思う
今日の水泳で銀メダル取った坂井は柳川出身だった
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