関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©5ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2016/05/27(金) 20:16:23.30ID:npq8C3Hk豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/
0750人間七七四年
2016/08/04(木) 23:51:56.27ID:kEYIh8sm0751人間七七四年
2016/08/05(金) 00:25:28.99ID:f2cZNCd1まぁ親衛隊程度だから仕方ないか
0752人間七七四年
2016/08/05(金) 01:03:09.06ID:5RjviEssてゆうかここのスレってどういうテーマで語るスレなの??
ずっと「三成アンチ」と「徳川アンチ」の罵り合いしかやってないじゃん
0753人間七七四年
2016/08/05(金) 01:22:17.54ID:VQ7H2CjT0754人間七七四年
2016/08/05(金) 03:03:07.60ID:3zHJ5v5l0755人間七七四年
2016/08/05(金) 03:27:39.05ID:nYXpxfbb利家ならまだ分からんくも無いけど
実際徳川支持者以外は屋敷に集まってたし
0756人間七七四年
2016/08/05(金) 06:23:23.94ID:4+7jmA6g相手にどのような利益があるのかを、話すだけでいい。
ベンジャミン・フランクリン
0757人間七七四年
2016/08/05(金) 06:43:25.56ID:VmVz5U800758人間七七四年
2016/08/05(金) 08:26:47.51ID:uCtYoWBB0759人間七七四年
2016/08/05(金) 09:24:42.56ID:mRt5EYIP房総は秀康にやって、家康領は佐竹に。
北九州を毛利、小早川は大和紀伊ぐらい?
小西に肥後一国、島津に日向。
宇喜多も本国中心に加増?
0760人間七七四年
2016/08/05(金) 09:36:19.91ID:Qvvq1fhz徳川を殲滅出来るとでも思ってるのか?
真田と遊んでた徳川主力がいるのに、佐竹もくそもない。
せいぜい、家康秀忠が隠居で秀康他による分割相続が精一杯。
それより西軍方大名が利益分配で揉めてそのままラウンド2だろ
0761人間七七四年
2016/08/05(金) 13:14:42.49ID:0Ol8cPMa0762人間七七四年
2016/08/05(金) 13:42:51.61ID:QSyN2ugEそれより東の街道を封鎖するつもりだったという論も聞いたことあるけど
各城で防備を固めて籠城、東軍を個別に挟撃などで撃破、北陸方面軍が側面から遊撃、
あとまるで役にたたなかった上杉が後方から東軍をおびやかすなどすればまだチャンスあったかもな
まあ上杉は動けなかった、が現実だけど。
0763人間七七四年
2016/08/05(金) 15:55:25.68ID:c+i+UBD9しかも低地にあるので水攻めで無力化されるという本格籠城自体が下策という前提があり
その上に小早川の様子がおかしい、南宮山の毛利隊は引き籠ってやる気が見えない、
毛利本体も出陣に及び腰と難題が山盛り
一方東軍は大垣城に抑えをおくか水攻めすればどこにも行き放題、各個撃破し放題、
もし時間がかかっても秀忠隊が合流して戦力増強と家康の急行が成功した時点で断然有利
さらにそれらを見越した上で速戦志向の家康は赤坂包囲陣ではなく平地を前にした小山に陣取って
野戦バッチ来いの構え
関ヶ原に進出することで家康主導の野戦を回避し思惑を外させ
東軍の進路を阻害出来て、小早川の動きを掣肘出来て、
南宮山への圧力を減じて毛利隊を動きやすく出来て
味方の領地を背にすることで、大津攻城軍と合流しやすいし、大阪城の毛利本隊も後詰に来やすい
高所に陣取れるし、空堀等の防衛施設も完備していたので防衛も万全、
小早川と南宮山毛利さえ動けば家康はまさに袋のネズミと
多くの悪条件を逆転・解消・緩和できる打てる最善手が関ヶ原進出
0764人間七七四年
2016/08/05(金) 15:57:52.38ID:c+i+UBD9IFるならもっと以前から条件変えないとどうしようもないな
0765人間七七四年
2016/08/05(金) 16:02:06.73ID:9bW0VuPS東軍だって決して家康の思い通りに動いてたわけじゃない
思い通りにならないのを前提にどう動くか、三成にはそれが出来なかったんじゃないかな
0766人間七七四年
2016/08/05(金) 16:22:24.07ID:c+i+UBD90767人間七七四年
2016/08/05(金) 16:50:11.69ID:wMgtUK4C0768人間七七四年
2016/08/05(金) 16:53:40.78ID:yxAUW+DWつか関ヶ原まで追い込まれてる事時点で負けも同然だしな
長期戦を嫌った家康と、和睦に持ち込めたら上出来じゃないの
それこそ小牧長久手みたいな感じかな
0769人間七七四年
2016/08/05(金) 20:06:17.10ID:U3D7P9zu最善手かなあ。決戦を急いだ感じの関ヶ原展開に思えるよ
各地での対徳川への蜂起を期待して長期戦に持ち込みたいのが西軍だと思うんだが。
だからもっと大阪城よりでもいいから拠点防衛に徹して徳川の疲弊をまつほうがよかったとは思うんだが。
まあ徳川のほうも時間かせげれば秀忠も到着するし結局西軍がことさら有利になることなんてないよな
0770人間七七四年
2016/08/05(金) 20:11:14.73ID:U3D7P9zu三成ってば秀秋とかに関白だの餌にちらつかせたけど誰が信用したのかね
他の武将も鼻しらんでだだろうなあ
0772人間七七四年
2016/08/05(金) 20:27:54.23ID:kYR4CAsG西軍にとって良かったのか悪かったのか
家康がかなり危うかったことも確かだし
0773人間七七四年
2016/08/05(金) 20:35:37.10ID:0Ol8cPMa0774人間七七四年
2016/08/05(金) 20:35:37.62ID:CLCvwTzt0775人間七七四年
2016/08/05(金) 20:37:54.45ID:0Ol8cPMa0776人間七七四年
2016/08/05(金) 20:37:54.49ID:pGK24o8N0778人間七七四年
2016/08/05(金) 21:26:12.45ID:3pP5I9xJそもそも慶長記に拠れば、西軍が出陣したのは
関ヶ原で決戦するためじゃなくて
松尾山の小早川勢を仕置する為って事になってるね
ところがその西軍の動きを知った家康がすぐさま
東軍に出撃を命じ、結果両軍が関ヶ原でぶつかり決戦に至ったみたいだね
0779人間七七四年
2016/08/05(金) 21:28:07.54ID:kYR4CAsG秀忠軍に主力を全部預けてしまったこと
0781人間七七四年
2016/08/05(金) 21:47:19.89ID:Qvvq1fhzそりゃ結果論だろ
当時、謙信から始まるあの上杉や、ろくでもないことをやるって意味で定評のある名門佐竹が、
あんな腰抜けなんて誰も思わない
本来なら秀忠率いる主力が佐竹、上杉と潰してまわらないといけない筈だったと思うんだが
0782人間七七四年
2016/08/05(金) 21:49:32.38ID:iUCUVNnFそりゃ秀吉が死んだらNo.2の家康以外にも豊臣恩顧の抵抗勢力があるのは当たり前だ。
実際戦ってみないとどうなるか分からないからな。
秀頼も生きていて家康は関ヶ原で勝っても秀頼を担ぐおろか65万石の一大名にしちゃったわけだし。
それに燻っていた怒りが淀や豊臣の残党にあったのも事実だし、関ヶ原のあと家康70歳秀頼20歳で立派になった秀頼に対し潰しておかねばが関ヶ原→大阪の役の最後の決戦に繋がった。
豊臣を根絶やしにしないと戦乱の世は終結しなかった。
0783人間七七四年
2016/08/05(金) 21:52:00.04ID:kYR4CAsGしかし関ヶ原では家康軍はろくに戦ってないんだろ
0786人間七七四年
2016/08/05(金) 21:58:17.82ID:iUCUVNnF0787人間七七四年
2016/08/05(金) 22:02:41.72ID:0Ol8cPMa0788人間七七四年
2016/08/05(金) 22:02:49.42ID:kYR4CAsG家康軍全体から見たらわずかだろ
0791人間七七四年
2016/08/05(金) 22:11:53.75ID:IKFdzjms家康みたいな獅子身中の虫がいたことが豊臣家にとって悲劇だった
家康は関白になったときに殺して置くべきだった
0792人間七七四年
2016/08/05(金) 22:17:07.55ID:L48BAhSK0793人間七七四年
2016/08/05(金) 22:23:27.78ID:kYR4CAsG恩賞の配分後は残りの全ての大名が束になって掛かっても徳川に勝てなくなりそう
0795人間七七四年
2016/08/06(土) 01:56:16.99ID:vLYGO+460796人間七七四年
2016/08/06(土) 02:05:49.16ID:v55Y/DtL関東移封のときに150→240(+結城10)万石じゃなくて200ぐらいに留め、
官位官職は常に利家・輝元と同格か下位にしとけばよかったのにな
0797人間七七四年
2016/08/06(土) 02:30:28.50ID:BUXeDJN+0798人間七七四年
2016/08/06(土) 02:36:20.77ID:SQDYhnPs秀吉が勝てなかった徳川を絶対に敵には回したく無いしな
0799人間七七四年
2016/08/06(土) 03:28:21.13ID:GTwxHCh4改竄が有ったんじゃないかって場合が多いんですよね。
例えば史記はたぶん民間伝承も取り込んでるんでしょうが、良く読むと矛盾してる部分も多いんですよね。
龍且は斉で韓信に切られた事に成ってますが、別の資料だと彭城で別の人に切られたりね。
他にも原因は同姓同名の人の混同や同じ地名の混同だと思うのですが、意味不明の迷走とか突然ワープしたりとか?
呂后の死後に廃された少帝弘は偽劉氏にされて殺されるんですが、流石に変でしょ?
基本歴史は虫食いの古文書の解読みたいな物だと思うんですよね。
逸話の類は完全無視も極端過ぎる解釈だと思います。
0800人間七七四年
2016/08/06(土) 03:32:55.91ID:UdNcUueVそれでも十分多いだろ
ただ全盛期の秀吉でも徳川の勢力を削るのにあの程度しかできなかったんだろうな
やりすぎると言うこと聞かないだろうし。
0801人間七七四年
2016/08/06(土) 04:55:07.30ID:xa1lgzwj律儀に野戦で正々堂々とかさりとてはのモノ
0802人間七七四年
2016/08/06(土) 05:20:10.25ID:3/t7entW石田三成が事実上の総司令官だといまだに信じてるの?
0803人間七七四年
2016/08/06(土) 05:25:55.10ID:71kpyqE4発起人が三成にしろ総大将輝元としたのにまるで動かない命令もださない、でホントになにやってんだかって話
関ヶ原西軍のぐだぐだぶりはなにひとつフォローきかないわ
0804人間七七四年
2016/08/06(土) 05:29:11.36ID:rnfsZFTo0805人間七七四年
2016/08/06(土) 05:35:21.13ID:3/t7entW秀頼を自分の立場に付けたいのなら、家康までは殺しておくべきだろ
可能であれば+輝元、義久まで
秀次を死なして安心してる場合じゃない。
実は、秀吉自身が、秀頼の独裁を望んでなかったとかじゃないの?
秀頼が足利将軍家的存在で家康には上杉の役割を務めて欲しかったとかじゃね
大名共の暴走を抑えるために上杉よりは権力を持たせて
>>796
関東を押し付けたら結果的に石高がああなっただけだろ
上野下野あたりをそのまま、坂東武者共にくれてやるか?
直ぐに鎮圧軍を入れる羽目になると思うがな
徳川を滅ぼすって選択肢を捨てた時点じゃ、関東を押し付けるって選択が一番マシだろ
流石に蝦夷とか朝鮮を切り取り次第なんていったら、即戦争だろうし
0806人間七七四年
2016/08/06(土) 06:06:08.44ID:xa1lgzwj治部は嫌われモノだから
0808人間七七四年
2016/08/06(土) 06:52:33.14ID:71kpyqE4幼年だろうがとっとと自分が存命のうちにそれを果たしておけばよかったのにな
まあそうなったとしても形骸化したただの公家あつかいで終わっただろうが滅ぼされるところまでは行かなかっただろうな
0809人間七七四年
2016/08/06(土) 07:35:35.34ID:mVaU+k7Xしかし茶々ってとんだビッチじゃねえか
0810人間七七四年
2016/08/06(土) 09:11:29.27ID:6aeL25wtしれっと太閤殿下の子で押し通しているのはとんだ性悪女だ
0811人間七七四年
2016/08/06(土) 09:16:27.80ID:VA96U8iW0812人間七七四年
2016/08/06(土) 13:13:34.65ID:HuKo0kWT戦いが長引けば戦えない軍だってことが西軍にばれるかもしれん
0813人間七七四年
2016/08/06(土) 13:24:00.99ID:HuKo0kWT東軍は一回の失敗が致命的すぎる
0814人間七七四年
2016/08/06(土) 13:27:11.89ID:1K0wnKm2豊臣は戦えない軍に勝てなかったんだな
0815人間七七四年
2016/08/06(土) 13:55:14.50ID:3/t7entW望んでなかった証拠だろ
>>809
三成を禽獣に等しいと貶めたい人達の妄言
カラバカでもなけりゃ三成の立場で、秀吉の側室になんか手は出せない
0816人間七七四年
2016/08/06(土) 13:56:27.41ID:3/t7entW書くスレを間違ってるぞ
東軍が勝ったら?的なスレは、ここじゃないぞ
0817人間七七四年
2016/08/06(土) 13:59:06.94ID:yZOW+sO/南宮山に輝元自ら陣を進めればよかったのにな
毛利両川でもいれば西軍勝っていたんだろうが
0818人間七七四年
2016/08/06(土) 14:05:05.51ID:ZyuHtBxK三成が秀頼の父親説については書状等から
淀の受胎時期には三成は博多やら名護屋に居たり朝鮮に居たりでアリバイが有る模様
他に秀頼父候補としては乳兄弟の大野兄弟や大河ドラマでも書かれたような不特定多数説がある
0819人間七七四年
2016/08/06(土) 14:08:21.42ID:3/t7entW隆景健在なら、関ヶ原なんてバカはやれない。
つまり、前提が成り立たない。
それよりは、他の奉行連中から金と兵をカツアゲしてでも、三成単独で家康とぶつかるとこまで吶喊した方が、
東軍諸将が浮き足立って西軍勝ちの目が出るんじゃね
0820人間七七四年
2016/08/06(土) 14:15:43.26ID:BUXeDJN+0821人間七七四年
2016/08/06(土) 14:15:45.24ID:HuKo0kWTそれよりも島津の捨て奸ってあったけどあれ戦闘中にやれば大分戦況変わるだろ
0822人間七七四年
2016/08/06(土) 14:21:32.99ID:9bmblMVP0823人間七七四年
2016/08/06(土) 14:22:22.19ID:9bmblMVP0824人間七七四年
2016/08/06(土) 14:57:53.02ID:yZOW+sO/どのみち野戦やるにしても
近江の瀬田あたりが無難だったのではないか
美濃と摂津ではあまりに遠すぎる
0825人間七七四年
2016/08/06(土) 14:59:12.44ID:71kpyqE4だってそれが原因で問題すら起きてない
0826人間七七四年
2016/08/06(土) 15:00:49.74ID:71kpyqE4望んでたから秀次を関白からおろすためにあんな虐殺したんだろ
そしてゆくゆくは秀頼関白をめざしていた
だが秀頼が幼年すぎて時期を待っていたら秀吉の寿命がきた
0828人間七七四年
2016/08/06(土) 15:41:51.03ID:DVFocSVoそれは微妙じゃないか?秀頼が関白になることよりも、まず秀次から秀頼の命を守るための予防措置じゃないかな
0829人間七七四年
2016/08/06(土) 15:44:27.69ID:4j1kde2t0830人間七七四年
2016/08/06(土) 16:01:08.09ID:GTwxHCh4佐久間信盛を粛清したら、明智光秀に謀反されたみたいな感じですよね。
あの時点でも佐久間は譜代家老で明智より立場は上だから、佐久間を粛清してなければ
本能寺の変は有りえんからね。
まあ、若年の家督争いで信長に味方しただけでも普通は一生もんの貸しだと思うだろう
しね。そりゃあ家中が動揺するよね。
本当に結果を知ってると、豊臣秀次事件は訳わからんよね。
0831人間七七四年
2016/08/06(土) 16:09:22.07ID:IlcYsFNt0832人間七七四年
2016/08/06(土) 16:12:53.92ID:71kpyqE4そこまで身内の信頼を失ってたのかねえ
正直それ以外、恩顧武将やら提携武将のほうがよほど秀頼支持からはずれていくのが危惧されるだろうに。
まあ恨みやら確執は他人より身内ってのも真理だしね
秀吉秀次間にそういう許せないなにかが生まれていたかもしらんわね
0833人間七七四年
2016/08/06(土) 16:15:20.75ID:71kpyqE4三方原、関ヶ原、大坂の陣といくたびもあがるよな家康死亡以後影武者説
ありえなくもないがそうなったときに権力体制の維持は難しいだろうな
そんな自陣の連中をいつまでも騙くらかせるわけがない
0834人間七七四年
2016/08/06(土) 17:16:32.71ID:3/t7entW実は影武者がいて、その正体は岡崎三郎殿だったなんて小説があっても良いと思うんだ
0835人間七七四年
2016/08/06(土) 18:30:15.82ID:H3Xe+f/n攻めの捨てがまりで直政と忠吉を討ち取る
0836人間七七四年
2016/08/06(土) 18:41:51.38ID:nuSQJ5/t0837人間七七四年
2016/08/06(土) 18:48:25.17ID:qPultzCS討ち取ったとかなんという小説?
逆にかわいい甥っ子を討ち取られ数十人程度に減らされているのにな
家康の追撃中止命令がなければ島津軍は壊滅状態だよ
0839人間七七四年
2016/08/06(土) 18:48:40.17ID:PJzDl3ey0840人間七七四年
2016/08/06(土) 21:14:05.97ID:pfZ2bcgV0841人間七七四年
2016/08/06(土) 21:25:16.96ID:BVT6ejOY0842人間七七四年
2016/08/06(土) 22:12:02.66ID:jUtgs+cA知識や通説が十年前ままで止まってたり
小説ソースにしてる奴多すぎだろ
0843人間七七四年
2016/08/06(土) 22:27:50.65ID:TYVplmB9太閤X「呼んだ?」
>>842
別にいいじゃん
どうせここの住人は、じぶんの支持する武将にとって都合がいいか悪いかで
史実か捏造か決めてるだけだし
0844人間七七四年
2016/08/06(土) 22:28:13.61ID:PJzDl3ey簡単に言えば近接射撃法である。外れっこない近距離まで引き付けて斉射し、
最前列を一度に失った相手がひるんだ隙に後銃列が畳み掛けるなり切り込みするなりする戦法である。
比較的狙撃志向の日本ではさほど使われないが、火縄銃の命中精度が悪いヨーロッパでは時たま使われていた戦法である。
島津では敵が目前まで来るまで撃てない恐怖心を克服するために覚悟を決め座り込んで撃つので捨て奸と呼ばれる
島津においても別に捨て石前提の戦術というわけではない。
さて関ヶ原での捨て奸にはいつも省かれる「オチ」があって親子兄弟の屍でも平気で乗り越えてくる坂東武者はそれしきではまったくひるまず、
捨て奸の戦法が通用しない相手とと戦った豊久隊はあわれ踏みつぶされてしまったという。
島津藩の軍学者は繰撃ち(三段撃ちみたいなもの)をして敵兵を減らしてから捨て奸をしなかった豊久の落ち度と推測している
ちなみに義弘が追撃を受けなかったのは井伊隊は敗残兵が間違って本陣に乱入してこないように追い払いに来ただけだったという
0845人間七七四年
2016/08/06(土) 22:33:48.07ID:PJzDl3eyヨーロッパでは装弾したまま銃剣を装着して突撃し相手の眼前で一発ぶっ放してそのままなだれ込む戦法を得意とした有名な変人元帥がいたりしたな
0846人間七七四年
2016/08/06(土) 23:14:49.21ID:VymfemPm0847人間七七四年
2016/08/06(土) 23:43:12.52ID:HuKo0kWTそもそも500人しかいないのに西軍の勝利と島津の戦功第一を達成するには
普通の戦い方では無理だろう
0848人間七七四年
2016/08/06(土) 23:51:54.07ID:M7zk2NuFこの前提がまず間違っていると思うんだが
0849人間七七四年
2016/08/06(土) 23:54:09.38ID:PJzDl3ey■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています