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関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/05/27(金) 20:16:23.30ID:npq8C3Hk
1600年9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。

前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/
0069人間七七四年2016/06/08(水) 19:53:01.83ID:CmxE+Ops
>>68
0070人間七七四年2016/06/08(水) 21:01:10.84ID:r6q/YRqy
>>53
武田、北条、豊臣など基本自分達より強大な勢力と戦ってきた家康と
豊臣と言う巨大勢力の下でしか戦ってきた経験のない三成とじゃ勝負にならないだろう

>>66
銃創を負ったとしたら、大坂の陣で本陣に突撃されたときなんじゃないの
0071人間七七四年2016/06/08(水) 21:04:34.91ID:CmxE+Ops
>>70
大坂の陣で本陣に突撃されたというのも作り話
0072人間七七四年2016/06/08(水) 22:25:12.07ID:mrEuZqdb
じゃあ、死後に撃ち込まれたんかな
0073人間七七四年2016/06/08(水) 22:36:18.16ID:uA+rEIcA
物見に出て遠距離から撃たれたとかはありそう
0074人間七七四年2016/06/09(木) 01:20:42.23ID:0ICzcDpE
あるとしたら大坂の陣の岡山の戦いくらいかな
0075人間七七四年2016/06/09(木) 08:19:32.91ID:x/3zjkQw
西の丸の掘りの鴨を狙ったはずの国松の銃がなぜか命中
0076人間七七四年2016/06/09(木) 09:00:07.81ID:c7mr2FKg
まぁ通説のほとんどは講談レベルの伝承を追認しただけだからな
0077人間七七四年2016/06/09(木) 11:29:05.09ID:WhuxB23e
そもそも秀忠の怪我が戦闘中とは限らん。鷹狩の最中かもしれないし、鉄砲の練習中の暴発かもしれん
0078人間七七四年2016/06/09(木) 17:41:38.91ID:kFydvLsw
徳川さんに不都合なエピソードをすべて嘘認定していくここのスタイル
嫌いじゃないよ♪
0079人間七七四年2016/06/09(木) 19:03:01.45ID:WhuxB23e
>>78
はいはいソースがないのは徳川の隠蔽ですよねー存在したことの痕跡すら消し去ったんですよねー酷いですねー

どんだけの超権力なんだよ徳川幕府はwそんな事を信じられるお前の頭の中身が不安だわw
0080人間七七四年2016/06/09(木) 19:32:54.57ID:kFydvLsw
まあ超権力は無かったと思うけどw
長男と対立しての息子殺しを全部信長のせいにしたのは上手いことやったなーと思います(小波)
0081人間七七四年2016/06/09(木) 19:52:03.73ID:cM+gPeAs
家康の責任とする記述も徳川の元で書かれているけどね
0082人間七七四年2016/06/10(金) 00:03:51.05ID:dM8xRkqy
秀吉なんて秀次が勝手に自殺したと秀吉自身も主張していないことを言い張って擁護する信者を未だに抱えているから
それに比べれば公平な方だろう
0083人間七七四年2016/06/11(土) 08:15:17.82ID:omJFf25X
>>81
直接的には書いてないけどね。
人目を憚って察してくれやみたいな感じの。
0084人間七七四年2016/06/11(土) 21:00:41.32ID:8DmO6lhc
>>54
関ヶ原や長谷堂の戦いをみると島左近とか直江兼続とかの軍事能力は
明らかに過大評価だよな
0085人間七七四年2016/06/12(日) 00:23:43.17ID:vdbr9mIT
>>84
直江何とかは実在してたらしいが
島左近て実在したの?
0086人間七七四年2016/06/12(日) 00:33:12.98ID:vCOUOdQI
直江は当時の飛地の多い上杉の配置を考慮するべきなんだけど無視して語られがち
0087人間七七四年2016/06/12(日) 11:34:05.44ID:UT2EDyZW
上杉120万石つっても会津は実質の実入りが少ないし
実入りの多い庄内と佐渡は飛び地で切り離されてるし
仮想敵の伊達の旧領で一から領国経営始めなきゃいけなかったし
実質の国力は半分あったかどうか怪しいぐらいだな
0088人間七七四年2016/06/12(日) 20:03:36.79ID:CXWfZRB2
旧臣抱え込みといい
単に火事場泥棒狙っただけなのに
天下二分の計とかアッバレな過大評価
0089人間七七四年2016/06/12(日) 20:51:08.75ID:D+VexT2N
>>84
上杉景勝自体、天正壬午の乱では川中島四郡押さえたくらいだし
新発田重家には随分手を焼いてるし、養父の遺光が無ければ
それ程のことはないんじゃないか
0090人間七七四年2016/06/12(日) 21:11:30.81ID:LaDegFpK
0091人間七七四年2016/06/12(日) 22:18:52.49ID:2HoiElGj
>>85
徳川家康は実在していなかったw
0092人間七七四年2016/06/13(月) 05:47:13.09ID:gnlLAF+L
>>91
父親と祖父の名前が記録に残ってて、自身の履歴が織田と今川によって証明されてる徳川家康と
筒井から来たことになってるのに、筒井に明確な記録の無い島左近を同列にする神経が理解出来ない
精神異常者か?
0093人間七七四年2016/06/13(月) 08:22:43.42ID:HOj6zu4J
徳川家康=世良田次郎三郎
松平元康は消された
0094人間七七四年2016/06/13(月) 11:32:09.84ID:gSX/Beby
>>93
はいはいその情報を完全に隠蔽しなおかつ家中機構に全く動揺を与えず更に成長路線をとれた
徳川家は戦国どころか世界史上でも最強ですねわかります。
0095人間七七四年2016/06/13(月) 21:25:16.86ID:KAWhQaF8
>>94
俺、宮崎あおいと二階堂ふみの見分けがつかないんだけど・・・
0096人間七七四年2016/06/13(月) 23:49:36.21ID:qi15WwO/
>>91
秀吉も実在していないんじゃないかw
百姓上がりの猿が天下人とか作り話だろw
0097人間七七四年2016/06/13(月) 23:53:41.12ID:4QGqeoWX
>>93
西田敏行でやってたドラマは良かったな
特に良かったのが高橋英樹の島左近
0098人間七七四年2016/06/14(火) 10:52:02.13ID:ZKPHKVmZ
>>96
百姓あがりの猿なんて存在したら怖いだろうな
生物学的にも発見だろうよ
0099人間七七四年2016/06/14(火) 13:57:07.35ID:VNKDWIVh
>>96
実際はそこそこの出だったとは思われるけどね
全くの土民出身だと教養みにつける金も機会もないし
0100人間七七四年2016/06/14(火) 15:03:29.01ID:PCN7pXGO
秀吉は百姓でも裕福な土地持ち本百姓出という説もある
0101人間七七四年2016/06/14(火) 17:03:35.51ID:7Aj6rSIp
秀吉の母は中納言の娘で、父は天皇だよ。
秀吉がそう言ってるんだから間違いない。
真田昌幸の妻は清華家をドラマに採用するなら、
秀吉が天皇の落としだね説を一度くらいは採用してやれよ
0102人間七七四年2016/06/14(火) 19:38:39.03ID:ZKPHKVmZ
>>101
無理
雄略天皇だっけか?それだけでも厄介なのに
近世にまで残虐な皇族の存在なんて唱えられる筈が無いだろ

自分の親の菩提寺で甥を切腹させて
なんか気に入らんから首だけ別に持って行って、甥の嫁と子供は死体が流れてくるような不浄の河原で斬首して
甥の首と一緒に畜生塚って
そんなのが皇族なんて言ったら右翼に火を付けられるぞ
0103人間七七四年2016/06/14(火) 20:58:12.53ID:M8B5oBeJ
>>101
そう言えば平清盛も帝の落としだねやったな
0104人間七七四年2016/06/14(火) 21:25:16.73ID:7Aj6rSIp
>>102
皇族じゃないから問題ない
>>103のいうように、皇族という概念はないから
清盛でわざわざ「王家」という言葉を使ったのは
そういう概念がないから
天皇「家」は、天皇と皇太子以外はあまり価値の無い人間たちの集合
だから清盛が悪逆でもかまわない

雄略天皇みたいに天皇になった本人がDQNなのがまずいだけ
いや、でも後白河天皇みたいなのも有りだから問題ない
0105人間七七四年2016/06/14(火) 21:27:59.59ID:dzuNT2ui
>>104
おまえまともに歴史の勉強したことないだろ
0106人間七七四年2016/06/14(火) 22:12:54.45ID:ZKPHKVmZ
>>104
皇族の概念が無いなら源氏も平氏も存在しないだろうが
ついでに、平清盛に関しても秀吉よりはマシなだけで、与太話扱いだろ


ともあれ、そんな歴史ヲタの心配じゃなく、
あんなのを天皇の息子なんて言ったら、半島系右翼とか、絶滅系右翼とかが騒ぎ立てるって話だ
0107人間七七四年2016/06/15(水) 00:22:38.03ID:Woyn85Pv
>>106
源平は臣下であって、皇族ではない
0108人間七七四年2016/06/15(水) 00:24:55.38ID:Woyn85Pv
清盛の場合は、本当に平氏の子孫なのかということも、疑問視されてるしな
源平の武士で田舎に行って100年もたつと誰が誰だかわからなくなり
詐称もしたい放題になるという
0109人間七七四年2016/06/15(水) 00:45:07.53ID:0Q9E5mRm
>>108
アホか
0110人間七七四年2016/06/15(水) 02:54:41.30ID:Woyn85Pv
なんか予想外の反応。
伊勢平氏の系図の怪しさは「平家の群像」で安田元久にも指摘されてるが。
清盛の祖父とその上のつながりが怪しいらしい。
京都に戻ってきても怪しいからって、死体置き場の隣の六波羅にしか
居住地をおけなかった平清盛の祖父。
0111人間七七四年2016/06/15(水) 08:26:21.17ID:FHpEJYOd
>>107
ホームラン級のバカだな
皇族の概念があるから、親王の子孫を臣籍に降したんだろ
0112人間七七四年2016/06/15(水) 08:39:09.27ID:BF+ZmETL
>>100
本当の最下層出身だと武家で大勢する上で最低限の知識にもことかくだろうからねえ。
信長が上洛した際に京の政務を他の重臣と共同で任されるぐらいだし
その頃には既にそれなりの知識・教養は身につけていただろうからねえ。
0113人間七七四年2016/06/15(水) 14:30:55.55ID:Woyn85Pv
>>111
おまえが馬鹿だよ
無知すぎるし

>>112
清盛の頃は武家は警備員みたいなものだから
知識とかいらない
0114人間七七四年2016/06/15(水) 14:35:16.08ID:Woyn85Pv
天皇の血筋の卑しい妻とかに産ませた息子や孫と余ったのを親王宣下せず、
源平にして臣下にしただけで、その間には皇族という概念はない
そもそも「皇族」なんて概念ができたのは明治以降

だから天皇と皇太子以外の「天皇の子孫」は、藤原公家よりも宮中席次が低い
明治より前は
0115人間七七四年2016/06/15(水) 15:35:55.76ID:FHpEJYOd
>>113
ホームラン級じゃなく場外ホームラン級のバカだな
連枝だからといって役職が上なんて、いつの世でも無いわ、カス
0116人間七七四年2016/06/15(水) 18:35:09.79ID:Woyn85Pv
戦国オタとかネトウヨにありがちな誤解

「皇族は藤原貴族より上」
0117人間七七四年2016/06/15(水) 18:37:02.05ID:Woyn85Pv
>>115
あれれ、無知がばれたからって話そらしかよ
まあ、知的障害っぽいので放置だね、君
0118人間七七四年2016/06/15(水) 19:10:27.19ID:0Q9E5mRm
>>117
いやお前の馬鹿さかげんにみんな呆れているだけだから
0119人間七七四年2016/06/15(水) 19:19:19.99ID:zjbILIkJ
単語がない=概念もない

武田駿河スレにいた補給線くん?
0120人間七七四年2016/06/15(水) 22:20:33.65ID:4rmJ1/Gz
いい加減、関ヶ原の話しろよ
どっちも荒らしだアホ
0121人間七七四年2016/06/16(木) 00:13:55.11ID:4oFSbpDx
「みんな」w
0122人間七七四年2016/06/16(木) 09:08:20.48ID:YwsdPXWp
主語を勝手に大きくする奴はアホ
0123人間七七四年2016/06/16(木) 09:32:42.69ID:owSKgU79
蜂須賀は史料もあるのに、三成襲撃の七将から良く名前が外されるな
関ヶ原でもいまいち影が薄いし
0124人間七七四年2016/06/16(木) 14:32:26.40ID:vjNOr/JF
関ヶ原はしょうがないだろ
0125人間七七四年2016/06/16(木) 14:55:17.36ID:9lMkQFNt
蜂須賀は山賊の親玉イメージを大事にしてほしかった
二代三代とどんどん影が薄くなっている
それでも子孫は明治天皇相手に泥棒やらかしたし血は争えないというべきか
0126人間七七四年2016/06/16(木) 15:07:08.09ID:w72sm8Ic
蜂須賀茂韶の事を言ってるのなら彼の父は徳川から養子入りしたから蜂須賀の血は一滴も入っておらず
むしろ明治天皇の方に蜂須賀の血が入ってるそうな
0127人間七七四年2016/06/16(木) 16:43:21.40ID:9lMkQFNt
そうなんか
濡れ衣着せてすまんかったなハッチ―
0128人間七七四年2016/06/16(木) 17:49:16.95ID:tgPUMQtj
そもそも、蜂須賀はれっきとした国衆で山賊崩れじゃないとかいう話なかったっけ
0129人間七七四年2016/06/16(木) 20:59:54.61ID:kDJ+FdMB
>>87
> 仮想敵の伊達の旧領で一から領国経営始めなきゃいけなかったし

「蒲生・上杉は伊達の押さえ」と一般的にいうけど、
上杉景勝自身は伊達政宗とは仲は悪くない
惣無事令までは、むしろ協力関係にあった

政宗にとっては
「敵(最上)の敵(上杉傘下の大宝寺氏・本庄氏)は味方」
だったし、景勝にとっても
「敵(新発田重家)の味方(最上義光)の敵(伊達政宗)は味方」
という関係だった


  上 <−−−叛乱−−−新発田重家 <==支援== 最
  杉                                   上
  景                                   義
  勝 ==支援==>大宝寺氏・本庄氏 <−−侵略−− 光
                    | |               /| |
                    | |              / | |          
                    友   __敵対__/   友  大  相
                    好  /             好  崎  馬
                    | | /              | |   | |  | |
                    | |/               | |   | |  | |
                  伊達政宗<−敵対−>佐竹・岩城・石川・二階堂・蘆名連合 
0130人間七七四年2016/06/16(木) 21:08:37.35ID:kDJ+FdMB
>>123
その七将襲撃事件に加わった蜂須賀家政は、仮病を使って
家康の上杉征伐に帯同せず、むしろ西軍に潜り込もうとして、
「親徳川派だ」と村八分にされ高野山へ追放されている
関が原の戦いに参加した息子の至鎮としては、西と東、どっちが
優勢かが明らかになるまで目立つわけにはいかんだろ
0131人間七七四年2016/06/16(木) 21:15:57.23ID:79pQ/t5c
>>127
まあ、明治大帝ですらお間違え遊ばしたからな。

て、わざとだろー、てめー
0132人間七七四年2016/06/17(金) 06:09:02.87ID:WAiRaMNX
>>129
会津移封以前ならそうだろうけどね
伊達からしてみれば先祖伝来の伊達・米沢を領してる奴は誰だろうと邪魔ものだろうし
上杉にしたって同様に越後に新しく入った掘にさんざん嫌がらせしまくったし
0133人間七七四年2016/06/18(土) 16:16:28.40ID:yEyCqXq2
小判を自慢していたら「汚らわしい」と意味不明なイチャモンをつけられたり
廊下ですれ違っても挨拶しない、注意したら「戦場で後ろ姿しか見たことないからわからなかった」とか子供の言い訳を返されたり
政宗も直江兼続のことは絶対嫌ってそう
0134人間七七四年2016/06/21(火) 14:38:48.21ID:z8dkf7XE
伊達ってのは究極の日和見主義者ってか
0135人間七七四年2016/06/21(火) 16:26:35.45ID:KdoiE9mG
無能対日和見の闘いだったんだな
0136人間七七四年2016/06/22(水) 08:09:45.79ID:RnsDGDE+
兼続が煽動した一揆勢も早々に鎮圧されているし、無能ではないにしろ言われている程有能かは怪しいな
0137人間七七四年2016/06/22(水) 09:24:52.98ID:XI08o9OK
こういう基本的な知識でまちがう人物が歴史記事書くとかおそろしいね。

>氏政は(中略)元亀3(1573)年に勃発した三方ヶ原の戦いにおいては織田・徳川連合軍に勝利するという、輝かしい武功もあるほどの人物であった。

http://news.aol.jp/2016/06/21/sanadamaru/
0138人間七七四年2016/06/26(日) 12:24:13.85ID:mZqZUoHZ
あなた、お酒やめますか?

それとも人間やめますか?

  (´∀`)9 ビシッ!


  関ヶ原の小早川秀秋、肝疾患で「寝返り」遅れ?
  http://www.yomiuri.co.jp/science/20160625-OYT1T50018.html
 
0139人間七七四年2016/06/27(月) 23:10:06.44ID:Vfs6Ra9a
>>138
肝疾患だの鬱病だの秀秋も色々大変だな
0140人間七七四年2016/06/28(火) 07:50:15.02ID:PVW0Y3Tq
今だと西軍は家康の策で関ヶ原に誘い出されたんじゃなくて、
秀秋を伐つ為に出陣したのを東軍に気付かれて決戦になったって事なんだっけ?
0141人間七七四年2016/06/28(火) 08:47:16.93ID:B8g3gQ5R
西軍は関ヶ原本戦も含めて、「敵が連携して戦う」という事を理解してないフシがある
0142人間七七四年2016/06/28(火) 09:18:24.85ID:c+1juEHI
そもそも小早川は関ヶ原当日の最初から裏切ってたって白峰様がいっておる
0143人間七七四年2016/06/28(火) 15:49:19.15ID:tsliyFnQ
白峰様って嫌みか、矢部や白峰、渡邊あたりは扱いが微妙だろ
0144人間七七四年2016/06/28(火) 16:34:33.33ID:ZXS1efn+
嫌みだろ
0145人間七七四年2016/06/29(水) 18:33:48.71ID:BiQaoSCm
笠谷あたりは小山評定フィクション説を否定しているな
まあ笠谷も二重公儀制にこだわり過ぎてると思うけど
0146人間七七四年2016/06/30(木) 19:55:38.60ID:vojRHde7
>>145
笠谷は何を根拠に小山評定虚構説を否定しているの?
0147人間七七四年2016/07/04(月) 23:29:16.09ID:zW1FFZ1t
>>146
浅野幸長の書状で七月二十五日前後に小山に
武将達が集まっていることが確認できる
七月二十九日の家康のすでに西上している武将達への
書状の中の「重て」の文字からそれ以前に戦略会議が
あったことが確認できる
例えば掛川城は山内一豊から松平康重に浜松城は堀尾忠氏から
保科正光に岡崎城は田中吉政から松平忠頼になど
七月末から東海道筋の豊臣系武将の持ち城が明け渡され
徳川家の武将が代わりに配属されていること
武功のなかった山内一豊が戦後土佐一国の国持ち大名になったこと
根拠に上げてたのはこのあたりだったかな
0148人間七七四年2016/07/05(火) 22:37:10.26ID:FeomaEEG
>>147
当たり前みたいな事しか書いてないけど、
白峰達小山評定は無かった派は
こう言った意見にどう反論してるの
0149人間七七四年2016/07/06(水) 00:15:19.47ID:mpKRx0gd
>>148
自分で浅野幸長の書状をよんでみな
まったくはっきりしない文面だから
0150人間七七四年2016/07/06(水) 01:30:28.70ID:isKXWEFJ
また白峰厨に釣られてるの
0151人間七七四年2016/07/06(水) 06:26:30.11ID:2QfhkKKc
白峰は関ヶ原以外の研究結果はないのか
0152人間七七四年2016/07/06(水) 07:37:45.65ID:Q3uwf0OB
>>141
西軍が連携して戦えないだけで、東軍は普通じゃね?
鶴翼って包囲するもんだろ?
右翼だっけ?片側は弁当食って遊んでたんだろ?
0153人間七七四年2016/07/06(水) 08:26:18.22ID:5+PduBLo
白峰は擬古派
0154人間七七四年2016/07/06(水) 09:08:37.76ID:zmyCV8QC
>>152
「鶴翼の陣」も後世のつくり話だぞ
0155人間七七四年2016/07/06(水) 10:05:18.05ID:a7NNEr5a
よく出る布陣図自体が想像の産物
わかってるのは三成、小早川、家康、毛利関係の本陣ぐらいであとは絵巻物の鵜呑み
0156人間七七四年2016/07/06(水) 10:39:43.44ID:zmyCV8QC
>>155
家康本陣の場所もおそらく間違い
0157人間七七四年2016/07/06(水) 10:43:47.57ID:isKXWEFJ
初期軍記類とも矛盾してるから見直しは必要やね
0158人間七七四年2016/07/06(水) 11:26:01.34ID:5+PduBLo
参謀本部のは行軍順を戦闘配置と勘違いしたから
0159人間七七四年2016/07/06(水) 16:43:32.68ID:55wXx5Qx
信長公記を書いた太田牛一が、
関ヶ原合戦のことを書いているぞ。
「関ヶ原御合戦双紙」
ただ、この資料は、あまり使われていないので、
内容が何か怪しいらしい。

『笹尾山陣地では、敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、
天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、
しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』

という文面をよく見かけるけれど、日中も暗夜となり、という表現が誇大ではないか。
0160人間七七四年2016/07/06(水) 17:34:32.90ID:5+PduBLo
当時は黒色火薬だから発射煙が殆ど煙幕と化す

後、太田牛一のは刊本されていないので使い難い
一部引用はされているけど
0161人間七七四年2016/07/07(木) 18:51:54.67ID:5wBRlol4
もしかしたら同じ疑問が何度もあったかもしれないけどちょっと気になったから質問
関ヶ原の首謀者が実は三成じゃなくて飾りの総大将とされた輝元か他大名で
三成はスケープゴートとして首謀者の責を押し付けられて処刑されたって可能性はあるの?

実際三成が首謀者とするには不自然な点もいくつかあって
0162人間七七四年2016/07/07(木) 18:58:29.36ID:3Z6jNwbu
>>161
>不自然な点
是非、発表を
説としては辟易する程聞いたし
そのくせ、そういう小説もみない
史実は別にしてでも、論理的な仮説を是非
0163人間七七四年2016/07/07(木) 19:28:44.54ID:w0Q7Terw
関が原の合戦に勝利した家康が、直後に伊達政宗に宛てた書状では、西軍について『宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、石田三成』の順で
言っている。少なくともこの段階では家康は、三成は西軍の中心メンバーの一人ではあるがリーダーとは考えていない、と言える。
0164人間七七四年2016/07/07(木) 20:05:33.75ID:4jVWPfce
ただの官位順やろ
0165人間七七四年2016/07/07(木) 20:25:11.01ID:/TZdjyQZ
関ヶ原だけでみても三成と毛利は最低でも同格だから主導権争いは起きる
0166人間七七四年2016/07/07(木) 20:52:20.14ID:AHUtaUJ7
当時の日記には「徳川勢と宇喜多勢が関ヶ原で戦った」と書かれていたような
0167人間七七四年2016/07/07(木) 21:16:04.76ID:dit28NAO
この手の話って漫画やドラマに出てくる「首謀者」をイメージしてる気がする
0168人間七七四年2016/07/07(木) 21:25:24.19ID:o1Adejuq
関ヶ原直後、処刑されたのは三成、行長、恵瓊の三人だけど
吉継が戦場で自刃せず捕らえられたり、または秀家が逃亡に
失敗してすぐに捕らえられてたリしたら、処刑されていたのかな?
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