五奉行で19万石程度の三成が五家老で255万石の家康に戦いを挑む流れ自体がおかしいってのは今更聞くまでもないか

でも実際、世間一般のイメージである「豊臣家を護るために発起した三成」という構図を認めるには明らかに三成の行動は豊臣家のためになっていないのよ
・豊臣家臣はほとんどが東軍に味方している。西軍武将のほとんどは豊臣譜代ではなく元々独立していた外様大名
・こんな状態では仮に西軍が勝ったとて大半の豊臣家臣を処罰し豊臣が弱体化する一方で元独立大名ばかりが力をつけてしまう
・そもそも家康が遺言を破って大名同士の婚姻をしたというけど、秀吉から豊臣の全権を任された家康に背いたこと自体が遺言違反
 関ヶ原の戦いのせいで豊臣家臣が分裂する事態になったことも考えると、西軍の発起は秀吉が望んだ行動と言えるのだろうか

結局関ヶ原で西軍が勝って一番得するのも地方大名だしな