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関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/05/27(金) 20:16:23.30ID:npq8C3Hk
1600年9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。

前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/
0002人間七七四年2016/05/27(金) 20:28:10.98ID:itnL1gb5
>>1
さっき、気が付かなかったものでm(_ _)m
0003人間七七四年2016/05/27(金) 20:34:49.91ID:p55hEUBv
新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い
白峰 旬 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4863669283

関ヶ原合戦にはよく知られたおなじみのエピソードが多い。
しかしそれを歴史的に検証するとどうなのか?
本書では一次史料を用い、小早川秀秋への「問鉄砲」はフィクションであり、
小早川秀秋は開戦と同時に裏切り石田三成方は瞬時に敗北したこと、
家康の小山評定は歴史的事実とは言えないことなどが、次々に検証されていく。
生駒利豊書状の真に迫る白兵戦のすさまじい描写、細川忠隆の首注文史料の数字が語る実戦の具体性も
本書の見どころである。

【序章】関ヶ原合戦はどう語られてきたのか―江戸時代に誕生した関ヶ原合戦像?
【第一章】関ヶ原合戦当日の虚像を剥ぐ?【第二章】関ヶ原合戦以前の通説を正す
【第三章】小早川秀秋を裏切らせた「問鉄砲」はフィクションである
【第四章】『日本戦史』の布陣図に歴史的根拠はない?【終 章】すりかえられた天下取りの戦い
0004人間七七四年2016/05/28(土) 01:17:04.70ID:yZxWpHTm
白峰の西軍公儀の論拠とそれに対する反論のレス

石田・毛利連合政権成立の論拠
【1】豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼を直接推戴した
【2】毛利輝元が公儀の城郭である大坂城に入城して豊臣秀頼を直接補佐した
【3】自らを「公儀」と称した
【4】政権の所在地である大坂を中心とした上方を完全に掌握していた
【5】大名(細川忠興)を改易にして、近隣の諸大名に城受け取りを命じた
【6】大名に所領(知行)を与えた

1に関しては秀頼を直接推戴したって言うけど、家康みたいに出陣前秀頼や朝廷から使者が来たわけでもないし、

2は単純に実力をもって西の丸を徳川方から奪い取っただけでしょう。

3は論外だし、4、5、6は戦における自勢力圏の確保と敵と味方に関しての当たり前の行動にしか思えないんだけど。

しかも5が達成できたのは関ヶ原の決戦の二日前の有様だし。

1、2は別に批判するほどの根拠では無いな。家康とて大坂には実力で入城したし、輝元も豊臣家の中核たる奉行衆から請われて入城してる。

3は白峰氏の主張に無理がある。公儀を名乗る事が出来たというのは確かに大事な要素ではあるが、それによる影響をキチンと調べないと意味が無い。

4は上方周辺の諸侯を動員できてるから妥当。ただし畿内すら掌握できておらず、完全からはほど遠い。

5は城を受け取れず、戦になった時点で面目丸潰れでしかも杵築は接収にも失敗した。むしろ蜂須賀、生駒を改易にして城を受け取った点を評価するべきだろう。

6は近江の家康所領などを与えてはいるが、もともと豊臣家の代官が把握してた所領。その他は切り取り次第の状況で公儀性を発揮してるとは言い難い。
0005人間七七四年2016/05/28(土) 12:33:21.54ID:KviYH+Pr
>>1

>>4の後半はいらなかったんじゃないかな
0006人間七七四年2016/05/29(日) 21:09:44.83ID:xNW8RP4Q
自らを「公儀」と称したことこそ西軍の最大の敗因だろうな
形式上は豊臣公儀の主体はあくまで秀頼であって大老・奉行はそれを補佐しているだけ
家康もこの形式を守って重要な政治決定は全て秀頼に事前報告して許可を取る手続きを守っていた
ところが西軍は秀頼をないがしろにして自らを公儀そのものであるという
事実上はそうだけど絶対に表面化させてはいけない禁句を口にした
当時の家康ですら遠慮してやらないことを三成たちがやれば
西軍の士気が崩壊し内通者が続出するのは必然の結果だった
0007人間七七四年2016/05/30(月) 10:50:13.51ID:B24+mf7V
徳川史観を否定するって主張する人達って、否定する事に
拘り過ぎてかえって視野が狭くなっている気がする
0008人間七七四年2016/05/30(月) 10:58:12.20ID:aQgtK5Nf
「徳川史観」っていう呼称がもうバイアスを含んでますって言ってるようなもの
0009人間七七四年2016/05/30(月) 21:56:05.22ID:omjuyLuX
逆に、新政府史観に貶められた徳川幕府を再評価する、って息巻いてる人もいるし、どっちもどっちだと思う。
0010人間七七四年2016/05/30(月) 22:42:05.17ID:WiemMqfX
>>7>>9
否定派の代表だと白峰、矢部、山本、平山あたりがすぐ出てくるけど
再評価派だと代表的なのは誰?
0011人間七七四年2016/05/30(月) 23:21:31.25ID:46vVciYF
>>7
名称は同じでも主張は千差万別だけどね。
バイアスを取り除く為に二次史料ではなく一次史料を中心に組み立てようと言うもっともなものから、幕府は捏造したに決まってるから徳川全否定しとこうまで
0012人間七七四年2016/05/31(火) 11:56:37.03ID:2uKzvybp
徳川は権力安泰あわよくば天下、毛利は第2の徳川、
近しい前田はやる気無し、宇喜多は自滅、
上杉はただの数合わせ

どうしたって無理という
0013人間七七四年2016/05/31(火) 21:11:41.77ID:gNXIOrLE
>>4
そもそも格下の石田が格上の毛利の前に来る連合政権なんて成立しないんじゃない
よくて毛利・石田連合政権とかならわかるが
0014人間七七四年2016/05/31(火) 22:49:04.66ID:c5uXobdR
毛利からすれば自分より官位も石高も兵力も圧倒的に低いうえに
現場とトラブルを起こして奉行をクビになった石田と連合する理由がない
最初は自分が大将で三成も自分に服従するものだと期待していたが
石田が言うことを聞かない、むしろ毛利がこっちの言うこと聞いて戦えという態度だから
毛利の方がやる気をなくすのも仕方がないことだった
0015人間七七四年2016/05/31(火) 23:20:14.32ID:sngdBgdZ
毛利は実際は不適な程にやる気満々だったのに、三成の足引っ張った無能みたいに言われて気の毒
0016人間七七四年2016/06/01(水) 01:06:20.56ID:H3WExdZl
関東方の進軍速度を見て「この蜂起はもうダメだな」と判断、生き残り外交へ切り替えたように見える。
英断だと誉めるべきか、全身代を賭ける覚悟もなしにこんな事やるなと突っ込むべきか悩ましいが
0017人間七七四年2016/06/01(水) 08:01:30.38ID:MI4i+eFM
>>16
いう程速いか?
勿論、前提に
上杉と連動してて、上杉が徳川を消耗させる
東海道に配置された諸大名が一斉蜂起して徳川を消耗させる

ってのがあったなら、計算外の速さだろうけどな

普通、無いだろ


ていうか、石田三成と、テルモとって利害が一致してないんじゃね?
テルモって、最終防衛ラインを大阪城にする気だったんじゃないかと思う。
その間に四国九州の領土を確定して和解を狙ったのかなと
でなければ、倍以上にでかい徳川とやり合うのに、四国九州にチョッカイは出せんだろ
0018人間七七四年2016/06/01(水) 08:45:30.43ID:wS6iDXxL
輝元秀包小早川足したら170万石位だから徳川と倍も差はない
0019人間七七四年2016/06/01(水) 11:01:24.73ID:YTtoAc7I
>>15
足引っ張ったこと自体は事実だからねえ
あっちこっちに色気だし過ぎて肝心の濃尾方面への侵攻がおざなりになったし
0020人間七七四年2016/06/01(水) 17:50:30.28ID:tLFYiVuP
中国四国侵攻が狙いなら、濃尾方面侵攻がおざなりになるのは当然。
いずれ和解するつもりの相手とガチで衝突して損耗するなどアホのすること。
0021人間七七四年2016/06/01(水) 18:06:09.90ID:avCVmX9M
石田くんのノープラン挙兵嫌いじゃないよ
0022人間七七四年2016/06/01(水) 18:13:28.12ID:ECdDQFtB
関ヶ原があそこまで早く終わるとは思ってなかったんじゃないの
とりあえず美濃あたりで足止めさせといて西国の東軍方をある程度押し込んで背後の安全を確保してから動くつもりだったとか
正規の手続きで大坂城にいるわけではないから大坂城(秀頼)をきちんと押さえておく必要があるわけだし
0023人間七七四年2016/06/01(水) 18:35:11.37ID:HTnNm0RN
みっちゃん『家康が留守なら政権奪還は容易。そう思っていた時期が僕にもありました』
0024人間七七四年2016/06/01(水) 19:28:04.76ID:jCvS0qYf
石田三成って関ヶ原の戦いで勝ってたらその後どうするつもりだったの?
0025人間七七四年2016/06/01(水) 21:04:14.24ID:MI4i+eFM
いい加減、石田三成主導という通説に疑いをもつべきだと思う。
奉行でもない、江南全てを領有してるわけでもない、大族の末裔でもない
単なる秀吉の飼い犬に何が出来たんだろう?

キャンキャン五月蠅い座敷犬に、関ヶ原後の安寧の為に、よってたかって責任を被せただけじゃないのか
0026人間七七四年2016/06/01(水) 21:22:28.02ID:tLFYiVuP
五奉行の一人として、秀吉をバックに国政に参画し、一定の権力を有し、
一流どころの外様大名と個人的なパイプがあった。
そんな三成が、家康主導の政権をひっくり返そうとした事に何の違和感もない。
0027人間七七四年2016/06/01(水) 21:52:03.11ID:R5iCJJKG
何より政権に居座ることに異常な執着があったからな
日本一の大大名と戦うなら何より重要なのは権力のために命をかける執念だからね
輝元側には権力を欲してもそのために命まで懸ける執念がない
だから西軍は文治派だけが盛り上がって他は白けている二極化になってしまったわけだが
0028人間七七四年2016/06/01(水) 22:17:38.80ID:1B50yWuf
そもそも「文治派」「武功派」とか「集権派」「分権派」みたいなくくりが全部間違い
0029人間七七四年2016/06/02(木) 07:49:37.19ID:p/cGU2N4
>>27
政権に居座ることに異常な執着があったなんて資料合ったっけ?
文治派とか武断派とかは明治の頃の後付けじゃなかったっけ?
0030人間七七四年2016/06/02(木) 07:53:26.51ID:LdDq3P4s
地方に飛ばされるのを酷く嫌がったことは、筑後転封の拒否で明らかだな
0031人間七七四年2016/06/02(木) 07:55:37.18ID:NY0RNBwW
単純に秀吉の晩年期に畿内の近くに領地貰ってたか地方に領地貰ってたかの違いでしかないからねえ
早いうちに功績上げてた奴らは九州とかに領地貰ってたから自然と朝鮮出兵のお鉢が回ってきただけのこと
0032人間七七四年2016/06/02(木) 10:15:32.97ID:G1EnwyoV
三成が国政に関心ないのなら、そのまま隠居してればよいだけの話。
世の中の小説が言うように、私心なく豊臣家への忠義で挙兵したのなら、
戦後その影響が豊臣家にどう働くかも予見出来ない無能で確定。
関ヶ原は、東西どちらが勝利しようと、豊臣家には悪影響しかない。
0033人間七七四年2016/06/02(木) 12:02:41.57ID:p/cGU2N4
>>32
忠義の人とか国政に関係ないから隠居しろとか

近江の小領主が生き残りをかけて、反徳川に乗ることは、そんなに不思議か?
0034人間七七四年2016/06/02(木) 13:12:33.14ID:ld02u5Qu
生き残りが目的ならそれこそ隠居していれば良かったろう
家康は三成の息子の出仕認めてたんだから
0035人間七七四年2016/06/02(木) 13:28:40.03ID:YYI5bt3R
石田家が大名家として生き残る事はできても、三成個人の再起の芽はほぼ無いって所だろうな
0036人間七七四年2016/06/02(木) 13:43:10.33ID:NY0RNBwW
家康の周囲に福島はじめ三成アンチが集まってたから三成的にはやられる前にやれな感じだったんだろう
ぶっちゃけ関ヶ原の前後の時期だと家康本人よりも家康を御輿に担ごうとする武将連中の方が厄介だったからねえ
ある意味では家康もそうした連中への対処の方が西軍相手にするよりも苦しかった
領地たっぷりあげて縁戚深くしていい感じに飼いならせるようになった頃合いでこぞって代替わりしてくれたので良かったけど
0037人間七七四年2016/06/02(木) 21:05:17.59ID:ccXh3A1a
いや。
そもそも家康を御輿に担いだの、秀吉なんだけど。
三成アンチとか関係なく、政権安定を考えるなら三成支持は有り得ないから。

秀吉が、家康を政権から遠ざけようとしていた形跡は全くないし。
三成が秀吉の方針に逆らい続けただけの話。
0038人間七七四年2016/06/02(木) 21:08:09.45ID:7CmWcB4t
>>33
乗る?
反徳川で決起したのは三成自身だろ
状況がまったく違うぞ
0039人間七七四年2016/06/02(木) 21:55:15.08ID:h/aZSA5E
秀吉が持ち上げた家康政権に乗り損ねた奴等が西軍一派?
0040人間七七四年2016/06/02(木) 22:01:34.17ID:hQsKJ92U
>>39
乗り遅れ、群雄割拠の再来と読み違え、(感情的に)家康の下に付くのがイヤ
のいずれかに該当する連中の寄せ集め
0041人間七七四年2016/06/02(木) 23:51:38.60ID:/StuOipD
島津、毛利、宇喜多か?
0042人間七七四年2016/06/03(金) 13:23:04.75ID:G/lIWgvy
宇喜多は家康にお家騒動取りなして貰ったザマだから、
今後の事考えればヤケでもなんでも決起しなきゃいけなかったんじゃないかな
0043人間七七四年2016/06/03(金) 21:39:40.11ID:RSl5KE6Y
>>34
其の儘隠居していれば石田家としては生き残れていたかもしれないが、
秀吉の側近として権力を振るってた時代の快感が忘れられなかったんだろう
開戦した頃の書状の浮かれ具合をみても調子に乗りやすい性格みたいだし
夢よもう一度、と思って立ち上がったはいいが、結局夢のままで終わったってことだな
0044人間七七四年2016/06/03(金) 23:28:33.30ID:t6KqEmuf
開戦した頃のはしゃぎまくってる書状と
その後の書状のみるみるテンション落ちていく様はもはやギャグ
0045人間七七四年2016/06/04(土) 07:56:15.02ID:XPcqMxJp
家康が、秀頼を摂津大坂から尾張、美濃、近江、大和、越前のいずれかに60〜70万石で
移していれば、逆に豊臣家は生き残れたはず
0046人間七七四年2016/06/04(土) 09:40:26.72ID:9I0gqf0U
>>45
そうしていれば家康も逆賊とか逆臣とか後々の世まで言われずにすんだのにね
0047人間七七四年2016/06/04(土) 09:49:44.82ID:HAuKOGu0
それを淀と秀頼が拒否して浪人を集めて武装を始めているのだから
家康にはどうしようもない
そもそも淀と秀頼は自分たちが天下人にならない限り納得しない時代錯誤状態だから
最初から交渉も何も不可能だった
0048人間七七四年2016/06/04(土) 10:12:42.50ID:kOZnpjPF
>>43
最初の頃は家康は会津の戦で動けないし、
もし西上してきても尾張三河で討ち果たすから
上杉や佐竹、真田は袴穿いたままで関東に乱入できますよ
なんて言ってたくらいだからな、自己や情勢対する認識や
情報取集能力に欠けているんだろうな
0049人間七七四年2016/06/04(土) 10:48:09.35ID:BsrrIFud
>>44
戦直前の増田宛の書状なんて、本当に三成が書いたのかって思うくらい愚痴満載だからなぁ
0050人間七七四年2016/06/05(日) 19:41:57.53ID:mSVYX5xA
三成の戦場での情報収集能力の低さは異様だよな
0051人間七七四年2016/06/05(日) 20:21:28.51ID:SSSj8tVm
逆に家康の高さは異常
0052人間七七四年2016/06/05(日) 20:46:10.54ID:MYZapA82
家康の場合、自分で作り上げた諜報陣の優秀さもあるだろうけど、
勝手に情報を集めて注進してくる連中も多かっただろうからなぁ
0053人間七七四年2016/06/05(日) 22:59:11.21ID:uRfp4+2t
家康は西軍の動向をほぼ正確に把握していて、三成は東軍どころか自分たち西軍側の動向すら把握できていない。
こんなの戦う以前の問題だわ。
0054人間七七四年2016/06/06(月) 20:52:30.07ID:B5eQ1t+r
>>50 >>53
こういった事を考えると三成の参謀と言われる島左近の
後世の評価がいかに過大だったか分かるな
0055人間七七四年2016/06/06(月) 20:54:12.19ID:7AzekRUN
>>54
島左近って実在したの?
0056人間七七四年2016/06/07(火) 13:34:50.42ID:brjxZWNl
結局秀忠の遅刻の真実は何かね?
家康の意図?不運の災害?
でも戦後激しく怒ったのも事実らしいし
0057人間七七四年2016/06/07(火) 13:48:40.39ID:xoWFPLVd
>>56
事実らしいってちゃんと1次資料認識して言ってるのか?
0058人間七七四年2016/06/07(火) 16:37:39.99ID:+e3q7dfE
>>56
純粋に天災等の事情による情報伝達の遅れ
けれどもそんな事情は周囲にとっちゃ知ったこっちゃないから
ポーズだけでも怒ってみせる必要があった
まあ、当初の段取り通りにいかなくて苛立った家康の八つ当たり成分も多分に含まれるだろうけど
0059人間七七四年2016/06/07(火) 17:41:25.34ID:UK73I689
遅参は承知の上で、無理な行軍をして陣列を乱し、将兵を疲労困憊にさせたから
そして同じことを大坂の陣でも行う秀忠でした
0060人間七七四年2016/06/07(火) 18:51:18.20ID:1xtUHnSs
家康「おかげで豊臣との交渉が台無しだわたわけうつけまぬけ!」
秀忠「計 画 通 り」
0061人間七七四年2016/06/07(火) 21:30:50.73ID:UNFLJxrn
真田丸で島左近は誰がやるん?
0062人間七七四年2016/06/07(火) 21:49:42.58ID:QkMl3laq
>>58
上田攻略はどうだったの?
秀忠の任務は当初信濃攻略だったが、諸大名が予想以上に早く岐阜入ったから早く来るよう命令したが、天災で遅れましたって感じか?
あまり真田の手柄では無いって認識してるけど
0063人間七七四年2016/06/07(火) 22:41:48.26ID:UK73I689
>>62
刈田に伴う小競り合いしかしておらず、本腰入れて攻略する前に転進命令が届き、上田から撤退
つまり真田の功績は全く無い
ちなみに天災で遅れた事実もなく、この辺は江戸から上田までどれだけの日数を要するかの検討が必要
0064人間七七四年2016/06/08(水) 02:49:29.45ID:mrEuZqdb
そんなたいしたことない小競り合いで秀忠は銃撃されたんか
0065人間七七四年2016/06/08(水) 03:51:59.73ID:Bo4V1Yfg
大将が銃撃されるような陣構えならそりゃ怒られるわな
0066人間七七四年2016/06/08(水) 06:39:40.58ID:5pNScFKW
「骨に届くような銃創」を負ったのがこの時なら、関ヶ原から強行軍できるわけがねえと思うんだけど。
0067人間七七四年2016/06/08(水) 08:41:30.19ID:Zyy4d6aN
たいしたことない小競り合いに死傷者出し過ぎたのは失態としか言いようがないね
0068人間七七四年2016/06/08(水) 09:16:53.14ID:Obe9P6ry
死傷者が出まくったのって史実だっけ?
0069人間七七四年2016/06/08(水) 19:53:01.83ID:CmxE+Ops
>>68
0070人間七七四年2016/06/08(水) 21:01:10.84ID:r6q/YRqy
>>53
武田、北条、豊臣など基本自分達より強大な勢力と戦ってきた家康と
豊臣と言う巨大勢力の下でしか戦ってきた経験のない三成とじゃ勝負にならないだろう

>>66
銃創を負ったとしたら、大坂の陣で本陣に突撃されたときなんじゃないの
0071人間七七四年2016/06/08(水) 21:04:34.91ID:CmxE+Ops
>>70
大坂の陣で本陣に突撃されたというのも作り話
0072人間七七四年2016/06/08(水) 22:25:12.07ID:mrEuZqdb
じゃあ、死後に撃ち込まれたんかな
0073人間七七四年2016/06/08(水) 22:36:18.16ID:uA+rEIcA
物見に出て遠距離から撃たれたとかはありそう
0074人間七七四年2016/06/09(木) 01:20:42.23ID:0ICzcDpE
あるとしたら大坂の陣の岡山の戦いくらいかな
0075人間七七四年2016/06/09(木) 08:19:32.91ID:x/3zjkQw
西の丸の掘りの鴨を狙ったはずの国松の銃がなぜか命中
0076人間七七四年2016/06/09(木) 09:00:07.81ID:c7mr2FKg
まぁ通説のほとんどは講談レベルの伝承を追認しただけだからな
0077人間七七四年2016/06/09(木) 11:29:05.09ID:WhuxB23e
そもそも秀忠の怪我が戦闘中とは限らん。鷹狩の最中かもしれないし、鉄砲の練習中の暴発かもしれん
0078人間七七四年2016/06/09(木) 17:41:38.91ID:kFydvLsw
徳川さんに不都合なエピソードをすべて嘘認定していくここのスタイル
嫌いじゃないよ♪
0079人間七七四年2016/06/09(木) 19:03:01.45ID:WhuxB23e
>>78
はいはいソースがないのは徳川の隠蔽ですよねー存在したことの痕跡すら消し去ったんですよねー酷いですねー

どんだけの超権力なんだよ徳川幕府はwそんな事を信じられるお前の頭の中身が不安だわw
0080人間七七四年2016/06/09(木) 19:32:54.57ID:kFydvLsw
まあ超権力は無かったと思うけどw
長男と対立しての息子殺しを全部信長のせいにしたのは上手いことやったなーと思います(小波)
0081人間七七四年2016/06/09(木) 19:52:03.73ID:cM+gPeAs
家康の責任とする記述も徳川の元で書かれているけどね
0082人間七七四年2016/06/10(金) 00:03:51.05ID:dM8xRkqy
秀吉なんて秀次が勝手に自殺したと秀吉自身も主張していないことを言い張って擁護する信者を未だに抱えているから
それに比べれば公平な方だろう
0083人間七七四年2016/06/11(土) 08:15:17.82ID:omJFf25X
>>81
直接的には書いてないけどね。
人目を憚って察してくれやみたいな感じの。
0084人間七七四年2016/06/11(土) 21:00:41.32ID:8DmO6lhc
>>54
関ヶ原や長谷堂の戦いをみると島左近とか直江兼続とかの軍事能力は
明らかに過大評価だよな
0085人間七七四年2016/06/12(日) 00:23:43.17ID:vdbr9mIT
>>84
直江何とかは実在してたらしいが
島左近て実在したの?
0086人間七七四年2016/06/12(日) 00:33:12.98ID:vCOUOdQI
直江は当時の飛地の多い上杉の配置を考慮するべきなんだけど無視して語られがち
0087人間七七四年2016/06/12(日) 11:34:05.44ID:UT2EDyZW
上杉120万石つっても会津は実質の実入りが少ないし
実入りの多い庄内と佐渡は飛び地で切り離されてるし
仮想敵の伊達の旧領で一から領国経営始めなきゃいけなかったし
実質の国力は半分あったかどうか怪しいぐらいだな
0088人間七七四年2016/06/12(日) 20:03:36.79ID:CXWfZRB2
旧臣抱え込みといい
単に火事場泥棒狙っただけなのに
天下二分の計とかアッバレな過大評価
0089人間七七四年2016/06/12(日) 20:51:08.75ID:D+VexT2N
>>84
上杉景勝自体、天正壬午の乱では川中島四郡押さえたくらいだし
新発田重家には随分手を焼いてるし、養父の遺光が無ければ
それ程のことはないんじゃないか
0090人間七七四年2016/06/12(日) 21:11:30.81ID:LaDegFpK
0091人間七七四年2016/06/12(日) 22:18:52.49ID:2HoiElGj
>>85
徳川家康は実在していなかったw
0092人間七七四年2016/06/13(月) 05:47:13.09ID:gnlLAF+L
>>91
父親と祖父の名前が記録に残ってて、自身の履歴が織田と今川によって証明されてる徳川家康と
筒井から来たことになってるのに、筒井に明確な記録の無い島左近を同列にする神経が理解出来ない
精神異常者か?
0093人間七七四年2016/06/13(月) 08:22:43.42ID:HOj6zu4J
徳川家康=世良田次郎三郎
松平元康は消された
0094人間七七四年2016/06/13(月) 11:32:09.84ID:gSX/Beby
>>93
はいはいその情報を完全に隠蔽しなおかつ家中機構に全く動揺を与えず更に成長路線をとれた
徳川家は戦国どころか世界史上でも最強ですねわかります。
0095人間七七四年2016/06/13(月) 21:25:16.86ID:KAWhQaF8
>>94
俺、宮崎あおいと二階堂ふみの見分けがつかないんだけど・・・
0096人間七七四年2016/06/13(月) 23:49:36.21ID:qi15WwO/
>>91
秀吉も実在していないんじゃないかw
百姓上がりの猿が天下人とか作り話だろw
0097人間七七四年2016/06/13(月) 23:53:41.12ID:4QGqeoWX
>>93
西田敏行でやってたドラマは良かったな
特に良かったのが高橋英樹の島左近
0098人間七七四年2016/06/14(火) 10:52:02.13ID:ZKPHKVmZ
>>96
百姓あがりの猿なんて存在したら怖いだろうな
生物学的にも発見だろうよ
0099人間七七四年2016/06/14(火) 13:57:07.35ID:VNKDWIVh
>>96
実際はそこそこの出だったとは思われるけどね
全くの土民出身だと教養みにつける金も機会もないし
0100人間七七四年2016/06/14(火) 15:03:29.01ID:PCN7pXGO
秀吉は百姓でも裕福な土地持ち本百姓出という説もある
0101人間七七四年2016/06/14(火) 17:03:35.51ID:7Aj6rSIp
秀吉の母は中納言の娘で、父は天皇だよ。
秀吉がそう言ってるんだから間違いない。
真田昌幸の妻は清華家をドラマに採用するなら、
秀吉が天皇の落としだね説を一度くらいは採用してやれよ
0102人間七七四年2016/06/14(火) 19:38:39.03ID:ZKPHKVmZ
>>101
無理
雄略天皇だっけか?それだけでも厄介なのに
近世にまで残虐な皇族の存在なんて唱えられる筈が無いだろ

自分の親の菩提寺で甥を切腹させて
なんか気に入らんから首だけ別に持って行って、甥の嫁と子供は死体が流れてくるような不浄の河原で斬首して
甥の首と一緒に畜生塚って
そんなのが皇族なんて言ったら右翼に火を付けられるぞ
0103人間七七四年2016/06/14(火) 20:58:12.53ID:M8B5oBeJ
>>101
そう言えば平清盛も帝の落としだねやったな
0104人間七七四年2016/06/14(火) 21:25:16.73ID:7Aj6rSIp
>>102
皇族じゃないから問題ない
>>103のいうように、皇族という概念はないから
清盛でわざわざ「王家」という言葉を使ったのは
そういう概念がないから
天皇「家」は、天皇と皇太子以外はあまり価値の無い人間たちの集合
だから清盛が悪逆でもかまわない

雄略天皇みたいに天皇になった本人がDQNなのがまずいだけ
いや、でも後白河天皇みたいなのも有りだから問題ない
0105人間七七四年2016/06/14(火) 21:27:59.59ID:dzuNT2ui
>>104
おまえまともに歴史の勉強したことないだろ
0106人間七七四年2016/06/14(火) 22:12:54.45ID:ZKPHKVmZ
>>104
皇族の概念が無いなら源氏も平氏も存在しないだろうが
ついでに、平清盛に関しても秀吉よりはマシなだけで、与太話扱いだろ


ともあれ、そんな歴史ヲタの心配じゃなく、
あんなのを天皇の息子なんて言ったら、半島系右翼とか、絶滅系右翼とかが騒ぎ立てるって話だ
0107人間七七四年2016/06/15(水) 00:22:38.03ID:Woyn85Pv
>>106
源平は臣下であって、皇族ではない
0108人間七七四年2016/06/15(水) 00:24:55.38ID:Woyn85Pv
清盛の場合は、本当に平氏の子孫なのかということも、疑問視されてるしな
源平の武士で田舎に行って100年もたつと誰が誰だかわからなくなり
詐称もしたい放題になるという
0109人間七七四年2016/06/15(水) 00:45:07.53ID:0Q9E5mRm
>>108
アホか
0110人間七七四年2016/06/15(水) 02:54:41.30ID:Woyn85Pv
なんか予想外の反応。
伊勢平氏の系図の怪しさは「平家の群像」で安田元久にも指摘されてるが。
清盛の祖父とその上のつながりが怪しいらしい。
京都に戻ってきても怪しいからって、死体置き場の隣の六波羅にしか
居住地をおけなかった平清盛の祖父。
0111人間七七四年2016/06/15(水) 08:26:21.17ID:FHpEJYOd
>>107
ホームラン級のバカだな
皇族の概念があるから、親王の子孫を臣籍に降したんだろ
0112人間七七四年2016/06/15(水) 08:39:09.27ID:BF+ZmETL
>>100
本当の最下層出身だと武家で大勢する上で最低限の知識にもことかくだろうからねえ。
信長が上洛した際に京の政務を他の重臣と共同で任されるぐらいだし
その頃には既にそれなりの知識・教養は身につけていただろうからねえ。
0113人間七七四年2016/06/15(水) 14:30:55.55ID:Woyn85Pv
>>111
おまえが馬鹿だよ
無知すぎるし

>>112
清盛の頃は武家は警備員みたいなものだから
知識とかいらない
0114人間七七四年2016/06/15(水) 14:35:16.08ID:Woyn85Pv
天皇の血筋の卑しい妻とかに産ませた息子や孫と余ったのを親王宣下せず、
源平にして臣下にしただけで、その間には皇族という概念はない
そもそも「皇族」なんて概念ができたのは明治以降

だから天皇と皇太子以外の「天皇の子孫」は、藤原公家よりも宮中席次が低い
明治より前は
0115人間七七四年2016/06/15(水) 15:35:55.76ID:FHpEJYOd
>>113
ホームラン級じゃなく場外ホームラン級のバカだな
連枝だからといって役職が上なんて、いつの世でも無いわ、カス
0116人間七七四年2016/06/15(水) 18:35:09.79ID:Woyn85Pv
戦国オタとかネトウヨにありがちな誤解

「皇族は藤原貴族より上」
0117人間七七四年2016/06/15(水) 18:37:02.05ID:Woyn85Pv
>>115
あれれ、無知がばれたからって話そらしかよ
まあ、知的障害っぽいので放置だね、君
0118人間七七四年2016/06/15(水) 19:10:27.19ID:0Q9E5mRm
>>117
いやお前の馬鹿さかげんにみんな呆れているだけだから
0119人間七七四年2016/06/15(水) 19:19:19.99ID:zjbILIkJ
単語がない=概念もない

武田駿河スレにいた補給線くん?
0120人間七七四年2016/06/15(水) 22:20:33.65ID:4rmJ1/Gz
いい加減、関ヶ原の話しろよ
どっちも荒らしだアホ
0121人間七七四年2016/06/16(木) 00:13:55.11ID:4oFSbpDx
「みんな」w
0122人間七七四年2016/06/16(木) 09:08:20.48ID:YwsdPXWp
主語を勝手に大きくする奴はアホ
0123人間七七四年2016/06/16(木) 09:32:42.69ID:owSKgU79
蜂須賀は史料もあるのに、三成襲撃の七将から良く名前が外されるな
関ヶ原でもいまいち影が薄いし
0124人間七七四年2016/06/16(木) 14:32:26.40ID:vjNOr/JF
関ヶ原はしょうがないだろ
0125人間七七四年2016/06/16(木) 14:55:17.36ID:9lMkQFNt
蜂須賀は山賊の親玉イメージを大事にしてほしかった
二代三代とどんどん影が薄くなっている
それでも子孫は明治天皇相手に泥棒やらかしたし血は争えないというべきか
0126人間七七四年2016/06/16(木) 15:07:08.09ID:w72sm8Ic
蜂須賀茂韶の事を言ってるのなら彼の父は徳川から養子入りしたから蜂須賀の血は一滴も入っておらず
むしろ明治天皇の方に蜂須賀の血が入ってるそうな
0127人間七七四年2016/06/16(木) 16:43:21.40ID:9lMkQFNt
そうなんか
濡れ衣着せてすまんかったなハッチ―
0128人間七七四年2016/06/16(木) 17:49:16.95ID:tgPUMQtj
そもそも、蜂須賀はれっきとした国衆で山賊崩れじゃないとかいう話なかったっけ
0129人間七七四年2016/06/16(木) 20:59:54.61ID:kDJ+FdMB
>>87
> 仮想敵の伊達の旧領で一から領国経営始めなきゃいけなかったし

「蒲生・上杉は伊達の押さえ」と一般的にいうけど、
上杉景勝自身は伊達政宗とは仲は悪くない
惣無事令までは、むしろ協力関係にあった

政宗にとっては
「敵(最上)の敵(上杉傘下の大宝寺氏・本庄氏)は味方」
だったし、景勝にとっても
「敵(新発田重家)の味方(最上義光)の敵(伊達政宗)は味方」
という関係だった


  上 <−−−叛乱−−−新発田重家 <==支援== 最
  杉                                   上
  景                                   義
  勝 ==支援==>大宝寺氏・本庄氏 <−−侵略−− 光
                    | |               /| |
                    | |              / | |          
                    友   __敵対__/   友  大  相
                    好  /             好  崎  馬
                    | | /              | |   | |  | |
                    | |/               | |   | |  | |
                  伊達政宗<−敵対−>佐竹・岩城・石川・二階堂・蘆名連合 
0130人間七七四年2016/06/16(木) 21:08:37.35ID:kDJ+FdMB
>>123
その七将襲撃事件に加わった蜂須賀家政は、仮病を使って
家康の上杉征伐に帯同せず、むしろ西軍に潜り込もうとして、
「親徳川派だ」と村八分にされ高野山へ追放されている
関が原の戦いに参加した息子の至鎮としては、西と東、どっちが
優勢かが明らかになるまで目立つわけにはいかんだろ
0131人間七七四年2016/06/16(木) 21:15:57.23ID:79pQ/t5c
>>127
まあ、明治大帝ですらお間違え遊ばしたからな。

て、わざとだろー、てめー
0132人間七七四年2016/06/17(金) 06:09:02.87ID:WAiRaMNX
>>129
会津移封以前ならそうだろうけどね
伊達からしてみれば先祖伝来の伊達・米沢を領してる奴は誰だろうと邪魔ものだろうし
上杉にしたって同様に越後に新しく入った掘にさんざん嫌がらせしまくったし
0133人間七七四年2016/06/18(土) 16:16:28.40ID:yEyCqXq2
小判を自慢していたら「汚らわしい」と意味不明なイチャモンをつけられたり
廊下ですれ違っても挨拶しない、注意したら「戦場で後ろ姿しか見たことないからわからなかった」とか子供の言い訳を返されたり
政宗も直江兼続のことは絶対嫌ってそう
0134人間七七四年2016/06/21(火) 14:38:48.21ID:z8dkf7XE
伊達ってのは究極の日和見主義者ってか
0135人間七七四年2016/06/21(火) 16:26:35.45ID:KdoiE9mG
無能対日和見の闘いだったんだな
0136人間七七四年2016/06/22(水) 08:09:45.79ID:RnsDGDE+
兼続が煽動した一揆勢も早々に鎮圧されているし、無能ではないにしろ言われている程有能かは怪しいな
0137人間七七四年2016/06/22(水) 09:24:52.98ID:XI08o9OK
こういう基本的な知識でまちがう人物が歴史記事書くとかおそろしいね。

>氏政は(中略)元亀3(1573)年に勃発した三方ヶ原の戦いにおいては織田・徳川連合軍に勝利するという、輝かしい武功もあるほどの人物であった。

http://news.aol.jp/2016/06/21/sanadamaru/
0138人間七七四年2016/06/26(日) 12:24:13.85ID:mZqZUoHZ
あなた、お酒やめますか?

それとも人間やめますか?

  (´∀`)9 ビシッ!


  関ヶ原の小早川秀秋、肝疾患で「寝返り」遅れ?
  http://www.yomiuri.co.jp/science/20160625-OYT1T50018.html
 
0139人間七七四年2016/06/27(月) 23:10:06.44ID:Vfs6Ra9a
>>138
肝疾患だの鬱病だの秀秋も色々大変だな
0140人間七七四年2016/06/28(火) 07:50:15.02ID:PVW0Y3Tq
今だと西軍は家康の策で関ヶ原に誘い出されたんじゃなくて、
秀秋を伐つ為に出陣したのを東軍に気付かれて決戦になったって事なんだっけ?
0141人間七七四年2016/06/28(火) 08:47:16.93ID:B8g3gQ5R
西軍は関ヶ原本戦も含めて、「敵が連携して戦う」という事を理解してないフシがある
0142人間七七四年2016/06/28(火) 09:18:24.85ID:c+1juEHI
そもそも小早川は関ヶ原当日の最初から裏切ってたって白峰様がいっておる
0143人間七七四年2016/06/28(火) 15:49:19.15ID:tsliyFnQ
白峰様って嫌みか、矢部や白峰、渡邊あたりは扱いが微妙だろ
0144人間七七四年2016/06/28(火) 16:34:33.33ID:ZXS1efn+
嫌みだろ
0145人間七七四年2016/06/29(水) 18:33:48.71ID:BiQaoSCm
笠谷あたりは小山評定フィクション説を否定しているな
まあ笠谷も二重公儀制にこだわり過ぎてると思うけど
0146人間七七四年2016/06/30(木) 19:55:38.60ID:vojRHde7
>>145
笠谷は何を根拠に小山評定虚構説を否定しているの?
0147人間七七四年2016/07/04(月) 23:29:16.09ID:zW1FFZ1t
>>146
浅野幸長の書状で七月二十五日前後に小山に
武将達が集まっていることが確認できる
七月二十九日の家康のすでに西上している武将達への
書状の中の「重て」の文字からそれ以前に戦略会議が
あったことが確認できる
例えば掛川城は山内一豊から松平康重に浜松城は堀尾忠氏から
保科正光に岡崎城は田中吉政から松平忠頼になど
七月末から東海道筋の豊臣系武将の持ち城が明け渡され
徳川家の武将が代わりに配属されていること
武功のなかった山内一豊が戦後土佐一国の国持ち大名になったこと
根拠に上げてたのはこのあたりだったかな
0148人間七七四年2016/07/05(火) 22:37:10.26ID:FeomaEEG
>>147
当たり前みたいな事しか書いてないけど、
白峰達小山評定は無かった派は
こう言った意見にどう反論してるの
0149人間七七四年2016/07/06(水) 00:15:19.47ID:mpKRx0gd
>>148
自分で浅野幸長の書状をよんでみな
まったくはっきりしない文面だから
0150人間七七四年2016/07/06(水) 01:30:28.70ID:isKXWEFJ
また白峰厨に釣られてるの
0151人間七七四年2016/07/06(水) 06:26:30.11ID:2QfhkKKc
白峰は関ヶ原以外の研究結果はないのか
0152人間七七四年2016/07/06(水) 07:37:45.65ID:Q3uwf0OB
>>141
西軍が連携して戦えないだけで、東軍は普通じゃね?
鶴翼って包囲するもんだろ?
右翼だっけ?片側は弁当食って遊んでたんだろ?
0153人間七七四年2016/07/06(水) 08:26:18.22ID:5+PduBLo
白峰は擬古派
0154人間七七四年2016/07/06(水) 09:08:37.76ID:zmyCV8QC
>>152
「鶴翼の陣」も後世のつくり話だぞ
0155人間七七四年2016/07/06(水) 10:05:18.05ID:a7NNEr5a
よく出る布陣図自体が想像の産物
わかってるのは三成、小早川、家康、毛利関係の本陣ぐらいであとは絵巻物の鵜呑み
0156人間七七四年2016/07/06(水) 10:39:43.44ID:zmyCV8QC
>>155
家康本陣の場所もおそらく間違い
0157人間七七四年2016/07/06(水) 10:43:47.57ID:isKXWEFJ
初期軍記類とも矛盾してるから見直しは必要やね
0158人間七七四年2016/07/06(水) 11:26:01.34ID:5+PduBLo
参謀本部のは行軍順を戦闘配置と勘違いしたから
0159人間七七四年2016/07/06(水) 16:43:32.68ID:55wXx5Qx
信長公記を書いた太田牛一が、
関ヶ原合戦のことを書いているぞ。
「関ヶ原御合戦双紙」
ただ、この資料は、あまり使われていないので、
内容が何か怪しいらしい。

『笹尾山陣地では、敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、
天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、
しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』

という文面をよく見かけるけれど、日中も暗夜となり、という表現が誇大ではないか。
0160人間七七四年2016/07/06(水) 17:34:32.90ID:5+PduBLo
当時は黒色火薬だから発射煙が殆ど煙幕と化す

後、太田牛一のは刊本されていないので使い難い
一部引用はされているけど
0161人間七七四年2016/07/07(木) 18:51:54.67ID:5wBRlol4
もしかしたら同じ疑問が何度もあったかもしれないけどちょっと気になったから質問
関ヶ原の首謀者が実は三成じゃなくて飾りの総大将とされた輝元か他大名で
三成はスケープゴートとして首謀者の責を押し付けられて処刑されたって可能性はあるの?

実際三成が首謀者とするには不自然な点もいくつかあって
0162人間七七四年2016/07/07(木) 18:58:29.36ID:3Z6jNwbu
>>161
>不自然な点
是非、発表を
説としては辟易する程聞いたし
そのくせ、そういう小説もみない
史実は別にしてでも、論理的な仮説を是非
0163人間七七四年2016/07/07(木) 19:28:44.54ID:w0Q7Terw
関が原の合戦に勝利した家康が、直後に伊達政宗に宛てた書状では、西軍について『宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、石田三成』の順で
言っている。少なくともこの段階では家康は、三成は西軍の中心メンバーの一人ではあるがリーダーとは考えていない、と言える。
0164人間七七四年2016/07/07(木) 20:05:33.75ID:4jVWPfce
ただの官位順やろ
0165人間七七四年2016/07/07(木) 20:25:11.01ID:/TZdjyQZ
関ヶ原だけでみても三成と毛利は最低でも同格だから主導権争いは起きる
0166人間七七四年2016/07/07(木) 20:52:20.14ID:AHUtaUJ7
当時の日記には「徳川勢と宇喜多勢が関ヶ原で戦った」と書かれていたような
0167人間七七四年2016/07/07(木) 21:16:04.76ID:dit28NAO
この手の話って漫画やドラマに出てくる「首謀者」をイメージしてる気がする
0168人間七七四年2016/07/07(木) 21:25:24.19ID:o1Adejuq
関ヶ原直後、処刑されたのは三成、行長、恵瓊の三人だけど
吉継が戦場で自刃せず捕らえられたり、または秀家が逃亡に
失敗してすぐに捕らえられてたリしたら、処刑されていたのかな?
0169人間七七四年2016/07/07(木) 21:48:56.97ID:8Fz8RNw1
そんな仮定自体が成り立たない。

合戦の現場で大名が討ち死にするのはもともと数少ないので、
捕らえられたりだの処刑だの、そんな状況はなりにくい。
0170人間七七四年2016/07/07(木) 22:22:54.50ID:5wBRlol4
>>164
その官位順を考えれば秀家が関ヶ原本隊で一番高い立場にいるのも
輝元が総大将になる流れも当たり前なんだよね

吉継が「三成は嫌われ者だから他に総大将を立てろ」なんて逸話もあるけど明らかに後世の作り話
普通に考えてわざわざ当たり前のことを指摘する必要はない
0171人間七七四年2016/07/07(木) 22:31:41.42ID:5wBRlol4
五奉行で19万石程度の三成が五家老で255万石の家康に戦いを挑む流れ自体がおかしいってのは今更聞くまでもないか

でも実際、世間一般のイメージである「豊臣家を護るために発起した三成」という構図を認めるには明らかに三成の行動は豊臣家のためになっていないのよ
・豊臣家臣はほとんどが東軍に味方している。西軍武将のほとんどは豊臣譜代ではなく元々独立していた外様大名
・こんな状態では仮に西軍が勝ったとて大半の豊臣家臣を処罰し豊臣が弱体化する一方で元独立大名ばかりが力をつけてしまう
・そもそも家康が遺言を破って大名同士の婚姻をしたというけど、秀吉から豊臣の全権を任された家康に背いたこと自体が遺言違反
 関ヶ原の戦いのせいで豊臣家臣が分裂する事態になったことも考えると、西軍の発起は秀吉が望んだ行動と言えるのだろうか

結局関ヶ原で西軍が勝って一番得するのも地方大名だしな
0172人間七七四年2016/07/07(木) 22:34:09.04ID:5wBRlol4
まあ本能寺の変で一番得したのが秀吉だから黒幕は秀吉だ!って言い出すレベルの陰謀論だってのもわかってる
0173人間七七四年2016/07/07(木) 22:41:55.77ID:5wBRlol4
寝る前に最後妄想染みた仮説を貼るけど、
関ヶ原の戦いは豊臣家の天下統一システムをそのまま引き継ごうとした家康に対し
天下統一というシステム自体に反発した勢力が三成のような豊臣での居場所を失った武将を利用して
豊臣・家康に対して反旗を示した戦いなのではって感じもするんだ
0174人間七七四年2016/07/07(木) 22:57:47.65ID:3Z6jNwbu
>>171
まさかと思うが
三成様は、豊家の恩に報いる為に命を懸ける義のお方
そんなお方が豊家の為にならないことなんてするわけがない
って思い込みが論拠じゃないだろうな
0175人間七七四年2016/07/07(木) 23:04:07.29ID:5wBRlol4
>>174
いや、そういうわけじゃない
似たようなスレを前にも見かけたが、
そこじゃ単に三成信者が三成を擁護するだけで荒れてたからここで持論を唱えただけ

そもそも三成が豊家の恩に報いる義のお方って評価自体三成が西軍の発起人であり首謀者であるって見解が前提だろ?
0176人間七七四年2016/07/07(木) 23:06:29.91ID:7m3BWFLR
西軍の挙兵を義挙と見るから問題なのであって三成は政治的な死亡状態からの回復を目論み
毛利は戦乱による勢力拡大を当て込んで計画に同調したと見れば別に問題ないと思うけど
その為の大義名分が秀頼様の為ということで
0177人間七七四年2016/07/07(木) 23:12:34.45ID:ylpxpWW5
>>171
江戸時代でも少禄の譜代が大大名を統制していたわけですが?
0178人間七七四年2016/07/07(木) 23:15:27.22ID:w0Q7Terw
>>177
アホか。江戸幕府の老中がその老中個人の権威や組織で統制していたわけじゃない。
0179人間七七四年2016/07/07(木) 23:31:18.65ID:i84TrX+d
>>178
だから三成も豊臣を立てて豊臣を利用したわけだろ
0180人間七七四年2016/07/07(木) 23:41:44.38ID:2EluL/S8
石田・小西・大谷・宇喜田・増田は明に大都督の官位を要求して受領している
関白を粛清することは文禄の途中で秀頼が生まれたことから決まっていたも同然だから
明の権威で日本国王と大都督の地位もって諸大名を押さえ込む算段だった

日本国王は秀吉が怒って破談になったが上の5人は大都督は受領したままにしていたから
日本大都督たちが家康と戦うことにして自分たちの行動を正当化する気だった
0181人間七七四年2016/07/07(木) 23:54:23.87ID:w0Q7Terw
>>180
三成たちが明と連携したって証拠がないとただの妄想だぞ
0182人間七七四年2016/07/08(金) 07:39:01.30ID:C9XaJWcd
>>176
義挙なり保身なりもちろん三成に反家康感情はあっただろうが、
だから三成が首魁となったというよりそこを利用された気がする
あいつは豊臣を乗っ取ろうとしてるぞ、みたいに

そうでなくても三成は東軍に反発して西軍に属したっていうのは発起人首謀者云々とは別問題じゃない?
0183人間七七四年2016/07/08(金) 07:47:04.28ID:C9XaJWcd
肝心なのは東西に所属した大名からして西軍が勝っても豊臣にメリットがないことなんだよな

特に西側で圧倒的に力が強い毛利を味方につけても後で家康と同じことしないって保証がどこにあるのか
毛利が東軍に付こうが西軍に付こうが豊臣にはデメリットしかないのは当時の情勢を省みても明らかだし
三成がそのことわからないほど阿呆なら誰も豊臣を守るって名目信じんし味方せんよ

まあ三成が最初に挙兵を思い付き、無意味にも毛利を抱き込もうとしたためにそこで輝元が三成の利用を目論んだかもしれないが
これだと三成が非常識なレベルで馬鹿よ?
0184人間七七四年2016/07/08(金) 07:54:47.07ID:5oKif10y
>>183
西軍が勝ったとして、毛利が徳川の代わりになるってのが、とんでもない間違い
西軍が勝つとしたら、間違いなく、毛利、宇喜多、上杉の対立が起こる

毛利は、それを理解して主力を引っ張ってきた上で温存した可能性だって疑う気になりゃ疑える
0185人間七七四年2016/07/08(金) 08:32:49.50ID:4dH1lyn9
>>182
三成の実兄の石田正澄が近江の愛知川に関を設けて上杉征伐に参加する諸将を留めたのが7月12日だけど
それが三成以外の首謀者の指示によるものだとする根拠とかあるの?
0186人間七七四年2016/07/08(金) 09:12:32.85ID:C9XaJWcd
>>184
どの道豊臣ボロボロじゃないですか

>>185
それは首謀者じゃなくて協力者の範疇でもよくない?
そら三成以外が首謀者って証拠はないけど数々の不自然な点を考慮しても
三成がただ利用されたわけじゃなく計画者首謀者だという絶対的な証拠はあるのか?
0187人間七七四年2016/07/08(金) 09:45:20.18ID:4dH1lyn9
>>186
通説の時系列だと
三成が重家従軍のために訪れた大谷吉継に七月の初めに決意を打ち明けて
再度佐和山城に参集した安国寺らと11日に謀議して12日に正澄を愛知川に派遣
安国寺は輝元に総大将就任要請して輝元は17日に大坂入城
三奉行は同じく17日付けで内府違ひの条々を連名で出しているという流れだけど
三成以外に首謀者がいるというならこの流れ以前に
西軍決起の動きがどこかで窺えるのか教えて欲しいというだけの話だけど
0188人間七七四年2016/07/08(金) 10:01:30.71ID:D3g97XD5
>>186
結局、恩義に厚い家康を頼り、家康にすべてを託すのが最善だったということになる
実際、秀吉はそうして死んでいった
0189人間七七四年2016/07/08(金) 10:19:32.68ID:4dH1lyn9
>>186
絶対的な証拠といえるかどうかは分からないけど
佐和山城での会議に参加した増田長盛が家康にも会議の内容を密告していて
その報告だと首謀者は三成ということになってるんじゃなかったっけ
0190人間七七四年2016/07/08(金) 11:50:08.47ID:5oKif10y
>>188
各大名家は、豊臣の奴隷じゃないだろ
現在の派遣労働者程、脆弱な存在なわけ無いと思うんだが。
徳川を中心としてまとまってしまったら、破産必至の連中が一か八かで仕掛けたと取る方が、
義のトリオ、テルヒデカゲより自然だろ
0191人間七七四年2016/07/08(金) 12:01:49.78ID:zoQfGi4o
>>183
馬鹿というより、家康を排除して復権するためには他に方法がなかっただけだろ
0192人間七七四年2016/07/08(金) 12:10:14.17ID:C9XaJWcd
>>187 >>189
とりあえず一般的に三成が計画者とされているのは、明確な記録の上で最初に行動したのが三成だからって考えりゃいいのかね?
まあ確かにそれだと物的証拠は存在するわけで、逆に俺がいくら不自然を指摘しようが状況証拠でしかないからなあ


>>188
実際豊臣への忠義を唱えるなら他家老などの力を強めて家康の独裁を防ぐだけでいいし、
遺言に背いて家康を引きずり下ろす必要ないよな
少なくとも三成は色々と思慮が浅すぎる
0193人間七七四年2016/07/08(金) 12:23:21.35ID:C9XaJWcd
もしくは逆に三成が首謀者だけど豊臣への忠義は欠片もなく自信の地位を取り返すことしか頭になかった
そのためには上杉宇喜多毛利が力をつけて豊臣が弱体化しようが構わなかったって線も考えられるかな
0194人間七七四年2016/07/08(金) 13:46:40.76ID:5oKif10y
>>193
なんで、そうなる?
ドングリ状態の有力5大名の調停者として傀儡秀頼が活躍する余地が出来ると思うんだが?
幼君秀頼を支える奉行衆、その筆頭石田三成なんてことになったら、
徳川、前田を除く大老、奉行、豊臣みなwinwinじゃないか

正義の味方ジブ様ぁからいい加減離れろよ
0195人間七七四年2016/07/08(金) 14:43:50.60ID:W0E1y8Pw
盛り上がってるのう、そうでなくちゃ
0196人間七七四年2016/07/08(金) 16:17:08.99ID:eVs+Krws
>>193で正義の味方になるんか?
0197人間七七四年2016/07/08(金) 17:05:13.64ID:aOa++CsB
>>196
水戸光圀が「アレは忠義の挙兵だ」って言ったから
0198人間七七四年2016/07/08(金) 17:29:37.22ID:95IqfIee
>>194
うーん、俺はただ和気あいあいと色んな意見を交わして議論したいだけだからあまり煽るような発言したくないんだが、
>>193を見て三成マンセーに見えるようならガチで読解力を疑うからお前の書き込みスルーしていいか?

あと一応反論するなら、いくら秀頼を持ち上げようが外部大名じゃなくてちゃんとした豊臣譜代の有力家臣を用意しないとまた同じことの繰り返しなんだぞ
0199人間七七四年2016/07/08(金) 17:38:00.80ID:F5rsKdHq
ま、>194はオレサマの主張への異論反論は一切認めないタイプだな。
0200人間七七四年2016/07/08(金) 17:47:48.09ID:4dH1lyn9
>>193
秀吉在世中の経験から毛利宇喜多上杉(前田もか)相手なら自分が操縦できると確信していた
自分が豊臣政権を運営するのが一番良くてそれこそが忠義だと確信していたといったところじゃない
三成は家康の下した蟄居処分を何とかしないと身動き取れないわけだから
家康に許されるまで大人しくしているか家康の処分なんて無効だと反旗を翻すかの二択で
前者は自分に同情的な上杉が滅びるか無力化され家康の突出状態が更に酷くなるから取れない
となると反旗を翻すしかないからその後の見通しとか自己評価がつい甘くなってしまうのは
しょうがない
0201人間七七四年2016/07/08(金) 18:19:32.38ID:iufuCxtK
あれだ、
日本が太平洋戦争に突入する際に、「これより後では勝ち目がない」という名目で戦争始めたが、
実際ははるか以前に勝ち目なんてとっくに無かったのと同じ話
0202人間七七四年2016/07/08(金) 20:47:09.60ID:oAyzuEul
三成がさっさと負けたからすぐ収束したけれど、応仁の乱や南北朝みたいに長引く可能性を考えると、
豊臣政権の弱体化は既定路線ではないかな?
0203人間七七四年2016/07/08(金) 20:52:24.24ID:fa9bsjJf
>>194
基本的に、徳川家康って勢力強大過ぎるのが居るから問題なんで有って、西軍勝利なら
大大名が互いに牽制し合う未来が見えるよね。
意外と上手く行きそうでも有るんですけど?
0204人間七七四年2016/07/08(金) 21:05:09.63ID:iufuCxtK
>>203
それはよくて室町幕府だから、早晩に戦乱の世に逆戻りかと
0205人間七七四年2016/07/08(金) 21:11:43.44ID:oAyzuEul
あのまま時間が経てば徳川を弱体化させても、瀬戸内を毛利が支配し大阪城と秀頼を抑えているわけで、豊臣政権は安泰ではないよね
0206人間七七四年2016/07/08(金) 22:09:29.77ID:5oKif10y
>>205
盤石で無いなら、形ばかりの豊臣体制よりは、徳川独裁の方が、豊臣にとって幸せって思える脳が理解出来ないんだが?
徳川独裁体制において、かつて始祖徳川家康を支配した秀吉の遺児の存在なんて、抹消すべき害悪厄災以外の何物でもないだろ
0207人間七七四年2016/07/08(金) 22:14:13.49ID:aOa++CsB
>>206
別に。家康も徳川幕府も織田家の連中に何もしてないし
0208人間七七四年2016/07/08(金) 22:20:44.55ID:5oKif10y
>>207
意味がわからん
織田は今川だの武田だの睨まれてる時の救済者だろうに
なんで豊臣と同じ扱いなんだ?
0209人間七七四年2016/07/08(金) 22:23:08.20ID:aOa++CsB
>>208
お前の基準がわからん。家康を支配したかどうかが問題なんじゃないのか?
だから家康も徳川幕府も、かつて家康を支配した織田にもそれこそ今川にもなんら気にしておらん。
0210人間七七四年2016/07/08(金) 22:26:54.35ID:eVs+Krws
旧主を優遇、冷遇は過去にどちらでもあるしなあ
その辺は政権の判断しだいでしょ
0211人間七七四年2016/07/08(金) 22:41:09.16ID:oAyzuEul
>>206
秀吉独裁が終わって秀吉に屈服した大名達が好き勝手し始めているんだから,
三成が復権できたとしても以前のような強力な政権にはなれないんじゃないかな。
西軍の大将の毛利は四国や九州に手を出して、瀬戸内を制覇するつもりだろうし、
なにより大阪城と秀頼を抑えているのだから、家康以上の大勢力になるのは確実でしょ?
0212人間七七四年2016/07/09(土) 01:45:32.82ID:WLcZiRnl
西軍が勝ってたら、
大大名たちは独立国家みたいになりそう
勝手に中国や朝鮮やヨーロッパとの貿易を始め、
「○○国国王」とか名乗りそう
0213人間七七四年2016/07/09(土) 02:37:06.74ID:CySRTtsN
>>188
こういう家康至上史観だいきらい
西国大名連中にしたら、秀吉が死んで、お門違いの東国人の
家康にあれこれ仕切られたり指図されるなんて真っ平ごめんだろ
0214人間七七四年2016/07/09(土) 04:10:26.33ID:eJxSWiJb
>>213
家康ってさ、考え様によっちゃ今川にも織田にも恩義が有るんよね。
人質の苦労って言っても、本来敵対勢力との最前線なんだから当主が幼少の理由で
取り潰しでもおかしい話じゃないんだよね。
織田信長が死ぬと甲信に当然みたいに攻め込んでたりするし、過去の恩義とかで動く
人では無いですよね。
本能寺の変がなかった場合に、素直に織田の傘下で納まったかね?
0215人間七七四年2016/07/09(土) 07:22:19.04ID:oJiCgMjk
>>213
まさか関ヶ原を本当に東西対決だと思っているのか?
東軍西軍と便宜上読んでいるだけなのに、本当に東西に分かれて戦ったと思ってるの?
0216人間七七四年2016/07/09(土) 08:31:57.53ID:SfQHSapC
>>214
なお織田家筆頭家老は
勝家「信長様の死後甲信に攻め込んだ北条を蹴散らした家康殿の忠烈さをどこぞの猿に見習ってほしい」
と言っていた模様
0217人間七七四年2016/07/09(土) 09:53:58.68ID:tQE0okqT
>>213
秀吉死亡時に武家と公家を含めた日本で唯一の大臣にして
秀吉の義弟・秀頼の叔母の義父・秀頼の婚約者の祖父が仕切るのは当然だろ
むしろ秀吉が死んだのに未だに秀吉の権威を振りかざす奉行連中に仕切られる方がお門違いだよ
0218人間七七四年2016/07/09(土) 10:47:56.69ID:8jUb83AI
誰が正統とか正義とかそういうのはどうでもいいんですよ
0219人間七七四年2016/07/09(土) 12:06:02.39ID:oS0BGihY
クーデター失敗した側は、そう言うだろうな。
0220人間七七四年2016/07/09(土) 13:24:33.60ID:8jUb83AI
400年も経って失敗した側とか言ってるキチガイw
0221人間七七四年2016/07/09(土) 13:25:07.35ID:8jUb83AI
そうか朝鮮人は1000年恨むんだっけか?w
0222人間七七四年2016/07/09(土) 15:34:57.99ID:GGx5yPiG
>>213
奴隷根性もそこまで行くと清々しいが
その奴隷根性からしたら、最終的に官位領地を秀頼に返上しなかった家康って奴隷の風上にも置けないな
0223人間七七四年2016/07/09(土) 15:38:07.09ID:GGx5yPiG
>>215
大阪以西の人間で東軍についたのは黒田だけじゃね?
そして広く全国から参集した西軍(笑)
0224人間七七四年2016/07/09(土) 15:50:33.56ID:JLMWPPvZ
つ藤堂高虎・加藤嘉明
0225人間七七四年2016/07/09(土) 16:22:38.92ID:dqH+j05b
欧州中東じゃいまだに十字軍だジハードだ言ってるし1000年恨んでもおかしくはないわな
0226人間七七四年2016/07/09(土) 16:38:52.52ID:MXVhQdyi
>>223
っ清正、竹中、秀秋、脇坂などなども
0227人間七七四年2016/07/09(土) 17:00:15.12ID:rdfzID31
会津征伐に参加するつもりで来たら西軍に取り込まれたのも多いしな
0228人間七七四年2016/07/09(土) 17:05:06.47ID:GGx5yPiG
>>224>>226
そいつら尾張や近江の人間だろ?
大阪より東だろ?
0229人間七七四年2016/07/09(土) 17:07:12.03ID:GGx5yPiG
>>227
その辺は負けたからの言い訳もあるだろ

そういや、鍋島は東なんだっけ?
0230人間七七四年2016/07/09(土) 17:31:05.10ID:qoV6K8hb
有馬とか伊東なら満足か
0231人間七七四年2016/07/09(土) 17:37:44.66ID:A4tDOly7
というか、毛利、宇喜多、小西らぐらい以外はどっちが本当の豊臣軍か分からないまま連れ回されていたろ。
どっちかというと、豊臣政権主宰をしていた実力者の家康寄りでは?
0232人間七七四年2016/07/09(土) 17:46:58.49ID:JLMWPPvZ
>>228
藤堂高虎・加藤嘉明は四国
加藤清正・小早川秀秋は九州
脇坂安治は淡路
0233人間七七四年2016/07/09(土) 18:44:19.11ID:zj2drtQ4
そりゃ西国では毛利の威光と大軍がいるから、
西軍に属するしかないだろ。
そんな中でも毛利と西軍に戦いを仕掛けるというのは
勇気が必要だね。中にはそんな奴も居るにはいたが。
0234名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 07:00:11.74ID:Lz2seTS9
亀井、細川も西国東軍かな。
0235名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 13:40:24.39ID:dkkdp/Ld
>>232
勝手に淡路の田舎者にすんな、儂は近江のシティーボーイで藤原の末裔じゃボケ>脇阪
0236名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 14:28:43.93ID:XVJeDwE+
>>235みたいなのは本気で言ってるのかね
0237人間七七四年2016/07/10(日) 23:43:32.80ID:+QMs6cxv
冗談と妄想と脅迫で言ってるだけ。
0238人間七七四年2016/07/10(日) 23:45:09.83ID:+UVNqdAX
脇阪て近江出身じゃないの?
0239人間七七四年2016/07/11(月) 00:50:19.33ID:GLKH7+XQ
出身か領国かで擦り合わせる気がないんだから噛み合うはずがない
まあ、こういうのは領国で語るのが無難だと思うが
0240人間七七四年2016/07/11(月) 16:11:00.11ID:L2oxoNn/
4444
0241人間七七四年2016/07/11(月) 21:38:27.42ID:LXV/fHFC
蜂須賀至鎮、生駒一正、寺沢広高も領国が西国の大名だな
話は変わるが本郷和人の戦国夜話読んだら、芳春院は親豊臣派で
親徳川派路線は利長が打ち出したものって論を展開してたけど
実際はどうだろう
0242人間七七四年2016/07/11(月) 22:13:24.72ID:jB33rLC1
本郷和人だから信用ならんな
0243人間七七四年2016/07/11(月) 22:17:32.49ID:K7vw0omF
本郷和人の妄想に付き合うのは時間の無駄
0244人間七七四年2016/07/11(月) 22:56:04.57ID:c7/Arcse
本郷和人くらい史料を無視したり恣意的に使う研究者もちょっと居ないわ。史料編纂所の職員のくせに
0245人間七七四年2016/07/12(火) 04:27:10.12ID:o/2t5UCV
三流大のおまいらが東大教授様をディスっても見苦しいだけだぞw
0246人間七七四年2016/07/12(火) 08:07:25.10ID:Poe8qw0x
今どきの東大なんて有り難みがあるんだろうか
0247人間七七四年2016/07/12(火) 10:53:23.29ID:QKOHsu7r
>>245
大学のネームバリューがあるからこそ、アレはどうよと
思うんじゃないのw
0248人間七七四年2016/07/12(火) 16:02:36.62ID:OOtrzmUn
肩書きに惑わされる>>245が哀れ
0249人間七七四年2016/07/12(火) 16:35:16.53ID:lT48lOE8
ポン大こと日本大学医学部より医師の国家試験に合格する学生の数が少ない東京大学が何だって?
0250人間七七四年2016/07/12(火) 18:57:36.39ID:AGTgVl9C
学歴バカがわいとんな
0251人間七七四年2016/07/14(木) 08:22:52.28ID:OIAZF/pr
>徳川家康の家臣である本多正信と本多忠勝の親子

どうしてこういう基本的なこと間違うアホが歴史絡みの記事書くかねぇ

http://dailynewsonline.jp/article/1162756/
0252人間七七四年2016/07/14(木) 08:23:30.21ID:OIAZF/pr
>137といい、ほんとお寒いことだ
0253人間七七四年2016/07/14(木) 23:06:56.78ID:JuhIgieA
家康アンチは小説程度の知識でどや顔で語るからタチが悪い
他スレでの話だが宇喜多騒動は政治能力不足の秀家が
自分の家中を纏めきれなくて起こったものなのに
家康を無理矢理悪役にしようとするからおかしな話になる
家中騒動を自分で処理できなかった秀家の無能さを
本来問題にすべきだろうに、家康が謀略で宇喜多家を
弱小化させたとか言い出すからな
0254人間七七四年2016/07/15(金) 16:28:01.32ID:YOdj5gDc
>>253
司馬遼太郎読んだ直後なんだろ
0255人間七七四年2016/07/15(金) 18:12:06.44ID:We/XbOA8
本郷和人って、史料から全く的外れな結論を導き出す変な人と感じてたのだが、
やっぱり学者とは言い難い詐欺師だったか
0256人間七七四年2016/07/15(金) 22:41:23.06ID:6UM8xRa2
>>253
正直家康に比べて秀吉人を見る目がないよな
優秀な人材も勿論いるけど、徳川家臣団に
比べると、いまいち見劣りがする
秀家とか思い切り優遇されてるがあの様だし
三成も秀吉死後散々掻き回した挙げ句
豊臣の世を終わらせた感じだし
0257人間七七四年2016/07/15(金) 22:50:20.17ID:NehxSyC8
秀吉は有能な人を集めれても、組織は創れなかったからね
0258人間七七四年2016/07/15(金) 23:09:35.46ID:wNqh77gK
秀吉は晩年がひどすぎる。厳罰による恐怖政治やってたろ。
そんなやり方では組織が回らないよ。
会社でも同じだが、物事の改善ができなくなってしまう。
0259人間七七四年2016/07/15(金) 23:11:08.82ID:DhniC09N
そら何代も続いてきた松平家の跡取りだった人と一代で成り上がった人間じゃ周りに蓄積してた人やモノが違い過ぎる
同じ成り上がりでも早雲は名門伊勢氏の出身だし道三は父親の代からだし
本当秀吉は突然変異に近い存在
0260人間七七四年2016/07/16(土) 07:38:36.02ID:N6YqAR/9
>>259
通説通りとしたら、確かに秀吉って異常だな。
今みたいに、業界として人材派遣が確立されてる時代ならまだしも、
旗揚げとなれば、百姓だろうが親族衆というのが大なり小なり協力しそうなもんだが
0261人間七七四年2016/07/16(土) 07:45:25.73ID:SVpJ0Ya7
秀吉の場合父方の親族の存在感の無さがよく言われるるな
尤も後年兄弟を名乗り出てきた連中を皆殺しにしたって逸話もあるけど
0262人間七七四年2016/07/16(土) 07:58:48.51ID:N6YqAR/9
>>261
そりゃあ、立場が出来た後年にノコノコ現れりゃ、どう処分されるかわかったもんじゃないくらい、常識だろ

父方に限らず母方にしたって秀吉旗揚げメンバーに叔父伯父従兄弟っていないだろ?
ひょっとして秀吉ってまじどっかの、ご落胤?
0263人間七七四年2016/07/16(土) 08:01:40.15ID:tMIgvJ5F
秀吉は、地元中村や兄弟を名乗り出てきた連中を憎んでいたからな。父方も憎む。
親族衆が薄くなるわな。
大なり小なり協力するどころか足を引っ張る存在。そんな親や親戚や知り合いというのもいるものだ。
0264人間七七四年2016/07/16(土) 08:04:02.91ID:Ye84lYp4
秀吉の初期から与力だった木下祐久一族の立ち位置が不明過ぎる
本家筋だったかも
0265人間七七四年2016/07/16(土) 08:06:31.76ID:tMIgvJ5F
>>262 秀吉旗揚げメンバーに叔父伯父従兄弟っていない。
シングルマザーで育って不幸な家庭だったんだよ秀吉は。

家出してムシロ一枚で夜はかぶって寝ていたという極貧生活。これを自分で後年、大名たちに
語っている。三河か遠江で雇って助けてくれた小領主には、後年、手厚く恩義を返している。
幼い秀吉をいじめた悪童には、後年さがしだして耳そぎ鼻そぎ竹のこぎり轢きの仕返し!(をやるつもりだった)
0266人間七七四年2016/07/16(土) 08:14:04.58ID:tMIgvJ5F
家康はそんな底辺生活も庶民の暮らしには無縁で関わりがない、
と思いきや、じつは家康は、底辺の庶民の暮らしもよく知っていた。

というのは鷹狩りするだろ、予定外の農民の敷地とか、田畑の様子、貧しい庶民の実際の生活
というのが、鷹狩りで獲物を追っていくときに見えてしまうんだ。
そういう観察というのもじつは鷹狩りの目的だったりもする。趣味が一番の理由だと思うが。
0267人間七七四年2016/07/16(土) 08:22:39.05ID:woQdE5KQ
>>261
服部英雄とかが主に主張してる説だっけ?
服部英雄の秀頼非実子説に福田千鶴が自著で
必死になって反論しているのが面白かったが
0268人間七七四年2016/07/16(土) 08:48:04.85ID:tMIgvJ5F
>>267 秀吉がじつは高貴な生まれだったとか、そんなのありえるわけないだろ。

ただ、羽柴という姓は、丹羽と柴田からとったといわれるが、それはやや不自然だという。
「はしば=端 斯波」ではないか?という指摘がある。
尾張の前の尾張守護である、斯波家(しば)の端っこの存在、という意味を含めて付けた
のではないか?という指摘がある。
0269人間七七四年2016/07/16(土) 08:56:58.67ID:JqWN26tH
高貴ってことはないと思うが武士として成り上がるのに最低限度の教養を身に着ける機会はある階層の出ではあっただろうねえ。
信長が上洛したときにはその直後に交代制で京の政務任されてるぐらいだし。
本当に最下層の土民の出ではそうはいかんだろうし。
0270人間七七四年2016/07/16(土) 09:20:02.99ID:tMIgvJ5F
>>269 最下層の土民の出ではないよね。
0271人間七七四年2016/07/16(土) 09:23:12.55ID:upNnu35H
>>265
衛青のおうちみたいに
母親はいるけど、兄弟の父親はよくわからないって感じの
身の上だったんだろうか
父方の一族が一切不明って事は
0272人間七七四年2016/07/16(土) 09:30:06.05ID:tMIgvJ5F
フーテンの寅さんみたいな立場だったわけ。秀吉は。針売りにしてもね。
元の頭の回転は早くて頭は良いが、家庭の育ちがよくなくて、農民というよりは
興行みたいな家だった。

家康に話を戻すと、徳川の先祖というのは、じつは同じようなフーテンの男から始まる。
群馬県の新田郡からやってきた風来坊の男が、三河に来て、それが松平家の家康の先祖だという。
そのフーテンはじつは天皇の落胤・・・という想像で補完して、家系をでっちあげているが
落胤はでっちあげでもフーテンの男から始まったというのは徳川家の始祖としてこれは無視
できなかった事実らしい。
0273人間七七四年2016/07/16(土) 09:38:52.49ID:tMIgvJ5F
>>271 秀吉の父親として、足軽だったが早く亡くなった父と、母が再婚して新しい父と
その父とはおりあいが悪くて秀吉は家出した、
ということになっているが、その2人の父親もじつははっきりしない。その2人でさえ創作では
ないのか?という指摘があるくらいだ。父親すら不明なんだから父方の一族も一切不明。
秀長や妹(あさひ)がいるのだから、わかりそうなものだが。
0274人間七七四年2016/07/16(土) 12:15:23.82ID:N6YqAR/9
>>265
今の時代なら、いざ知らず
当時、厳密に見よりの無い女が子供を三人も養えるか?
父親が不明でも、口減らしをせずに育てられるべく母方の一門の援助はあっただろう
また、リアルに保証人もいない人間が、どうやって武家に就職したんだ?

どう考えても経歴ロンダリングをやったとしか思えないだろ
0275人間七七四年2016/07/16(土) 12:21:00.41ID:Hb/VgSIH
そろそろ秀吉スレでやれば?
0276人間七七四年2016/07/16(土) 12:23:23.10ID:Hb/VgSIH
言ったものの秀吉スレ無かったでござる
0277人間七七四年2016/07/16(土) 12:52:07.45ID:+yA5tnN5
関連スレはあるけど本スレと言えるものが本当になかった
0278人間七七四年2016/07/16(土) 18:23:02.56ID:W7dTTjtm
豊臣政権は組織がスカスカやったのがあかん
例えば、こんなふうに幕府並みに機構を作り上げておけば、家康もさすがに政権奪取しにくかったやろう
当面は、前哨戦としての派閥抗争に時間を取られることになったはず


大老: 重大事には奉行を上回る承認権をもっているが、通常時の役務は地方の申次・探題がメイン
 ◎徳川家康(関東)、前田利家(畿内・北信越)、宇喜多秀家(中国)、上杉景勝(陸奥・出羽)、毛利輝元(九州・四国)

中老: 大老と年寄の仲裁役 
 ◎堀尾吉晴、生駒親正、中村一氏

年寄: 平常時の実務権限は大老を上回る実際の政権運営役。二組が半年交代で京都・大坂で勤務
 ◎毛利勝信(行政)、浅野長政(行政補佐)、小西行長(財務)、富田一白(司法)、前田玄以(寺社)、福島正則(土木)
 ◎石田三成(行政)、増田長盛(行政補佐)、長束正家(財務)、蜂須賀家政(司法)、山中長俊(寺社)、加藤清正(土木)

奉行: 年寄の下役・補佐として実務を担当。二組が半年交代で京都・大坂で勤務
 ◎小野木重勝、石田正継、岡本宗憲、垣見一直、河尻秀長、木下重堅、熊谷直盛
 ◎福原長堯、松浦久信、石川貞清、氏家行広、駒井重勝、服部正栄、早川長政

家宰: 豊臣政権ではなく豊臣家の家老。奥向き管理役。二組が半年交代で大坂城で勤務
 ◎山口正弘、織田信包、杉原長房
 ◎青木一矩、小出吉政、片桐且元

大番頭: 豊臣政権ではなく豊臣家の家老。警護・軍役担当。二組が半年交代で大坂城で勤務
 ◎平塚為広(戦奉行)、原長頼(侍大将)、小川祐忠(水軍大将)、糟屋武則(足軽大将)
 ◎戸田勝成(戦奉行)、谷衛友(侍大将)、仙石秀久(水軍大将)、平野長泰(足軽大将)

七手組: 豊臣家の旗本取締役。大坂城常勤・常駐
 ◎速水守久、青木一重、伊東長実、堀田盛高、中島氏種、真野助宗、野々村幸成
0279人間七七四年2016/07/16(土) 18:30:26.61ID:Ye84lYp4
>>278
そんなのを創ったら、秀吉が好き勝手できなくなるじゃないですかw
0280人間七七四年2016/07/16(土) 18:37:11.00ID:woQdE5KQ
>>275-277
【秀吉】豊臣家総合スレ【秀頼】
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1468660860/
無い無い文句言うだけ何で立てました
0281人間七七四年2016/07/16(土) 19:09:45.50ID:DvWsO2p5
取り敢えず、徳川領は島津みたいに分割しとくべきだったよね。
家康領、秀忠領、秀康領、四天王領で七分割ぐらいに。
0282人間七七四年2016/07/16(土) 19:58:51.57ID:U7aq+4Td
>>279
好き勝手出来なくて
自分でぶっ壊す結末しか見えんよなw
0283人間七七四年2016/07/16(土) 20:08:27.78ID:Jpwe4HAH
>>281
東北の監視のために関東に徳川移したのに自ら解体してどうすんのと
0284人間七七四年2016/07/16(土) 20:09:37.06ID:woQdE5KQ
>>281
今川が松平家の権力機構を解体して直接三河国人を支配しようとしたが
松平家の権力機構が思いの外強固だったため解体から利用に切り替えた説があるくらいだからな
あのボロボロ状態の時解体できなかった徳川家の家臣達への権力機構を
分割が可能なのかな
0285人間七七四年2016/07/16(土) 20:30:43.50ID:9GRNj/lZ
>>281
無理無理、今川に植民地支配されてた時代に少年期を過ごした連中が
四天王やその他幹部なんだから、仮に分割なんかしても家康が号令かけ
れば一致結束するよ。
0286人間七七四年2016/07/16(土) 21:26:44.24ID:gWLWBCiN
平野さんの説か。 平野さんの前にも新行さん煎本さんと先行研究も
あるし割と松平徳川ファンにも周知の話かと思ったけどまだまだ通説が強いなw
0287人間七七四年2016/07/16(土) 21:27:28.34ID:0vs69yTI
分割するような権力が秀吉にあったとも思えない
関東に横滑りさせただけでもたいしたもんだろ
0288人間七七四年2016/07/16(土) 22:43:43.74ID:W7dTTjtm
小早川隆景などの毛利一族だって、秀吉からの直接拝領は断り、
毛利本家を経由して、あくまで輝元からの加増として受けた
家康・秀忠に200、松平忠吉に30、武田信吉に20という指定は
できても、受け取る方は家康からの分知として扱うだけだろうな
仲間割れはしない

ただ、徳川一族には大領を与えつつ、本家の領土をある程度限定する
ことはできるかもね
そうなると、井伊直政や本多忠勝ら家臣に与えられる領地=兵の
動員力が減る
忠吉・信吉の領土を家臣に分け与えるには、直臣を松平家や
武田家の陪臣(附家老)に落さないといけない
0289人間七七四年2016/07/16(土) 23:26:57.66ID:EYu9mrmt
>>288
徳川家中はあのへんの戦国大名の中でも極端に宗家の求心力が高く、かつ主君の旗本部隊が強大なのだから、
秀吉でもそうかんたんにあの構造を崩せないでしょ。
まあ関東に入って徳川家の旗本は、制度改革で更に強大化したのだけれど。
0290人間七七四年2016/07/16(土) 23:50:36.59ID:jYpMRC/i
>>253
状況証拠として宇喜多騒動の反乱者側の人達が、関ケ原の時に東軍に付いて旧主と
戦ったりしてませんか?
確かに宇喜多家中に火種が有ったのは事実でしょうが、そもそも成人した当主が居る
のに大阪で市街戦をやりかねない状況って変だと思いますね。
普通に謀反人扱いされても不思議じゃないですよ?
内紛が大きく成るように裏工作したと考えた方が自然じゃないですかね?
勿論、裏工作でなんとか成る状況自体が問題って考えも可能ですけども。
0291人間七七四年2016/07/17(日) 00:04:31.85ID:vJp+rgH5
>>290
宇喜多家はそういう、謀反だどうだ言えるような宗家の求心力がなかった、ってこと。
はっきりいえば宇喜多宗家は同じような規模の国衆や親族の連合体の盟主に過ぎなかった。
秀吉の時代に成ってもその内実は一切変わっていなかった。
0292人間七七四年2016/07/17(日) 00:16:00.79ID:5XUXJ+O9
>>290
宇喜多騒動は、キリスト凶vs法華狂という宗教戦争の一面がある。
本来、禁止されている耶蘇教を家中に広めようとした秀家に対して
法華経に基づき、討ち取った連中の供養を毎年行っていた坂崎が
反抗したのが発端で、これに反長船派の連中が合流し、秀家には
長船派と耶蘇教徒の家臣が残り、騒動が勃発した。
家康の謀略などありえない。
0293人間七七四年2016/07/17(日) 00:17:09.26ID:kD55K/RN
状況証拠が関ヶ原で東軍側って、家康の謀略じゃなかったらそいつらは西軍についてたはずって言いたいの?
0294人間七七四年2016/07/17(日) 00:57:44.56ID:eWZ+I0ni
家康がなんでも謀略めぐらした、みたいな論調はいい加減飽きた
同時期には島津の伊集院騒動もあり、秀吉の死去で不満が噴出したと見れないかね
0295人間七七四年2016/07/17(日) 01:09:59.81ID:bDX5MeSo
>>293
秀家に楯突いた時点で、関ヶ原を秀家と同じ陣営で戦うという選択肢はまず無くなるよな
0296人間七七四年2016/07/17(日) 01:30:08.90ID:HQmwGqpy
宇喜多は事実トラブルメーカーだったみたいだし
そもそも家中の構造もかなり特殊でねじれてるし
何があってもおかしくはないわな

ただ、そこに本人が望む望まないはともかく、家康が介入してきたら、
そら宇喜多側は何か違うと思うんじゃまいか
0297人間七七四年2016/07/17(日) 01:45:59.74ID:9cDU+13r
あんな騒動があったら関係者の追放だけでは済まず当主自身の統治能力の問題にできるのに
何の処罰もないんだから家康は秀家にはかなり甘い態度を取ったといえるだろうね
宇喜多家を弱体化させるのが目的なら統治能力不足を理由に領地の没収だってできただろうに
0298人間七七四年2016/07/17(日) 02:00:07.80ID:KjGezvHf
そんなことすりゃ、さすがに家康、オマエ何様レベルだろw
0299人間七七四年2016/07/17(日) 02:02:28.80ID:kD55K/RN
>>296
諸事仕置は家康の担当なんだからそら家康が介入するだろう
伊集院騒動への家康の介入もおかしいと?
0300人間七七四年2016/07/17(日) 02:27:25.79ID:zQVKGN1r
>>297
実際に大阪で市街戦をやってたら、取り潰しでも誰も文句を言わない状況ですよね。
でもだからこそ、板埼らの行動が不可解だと思いませんか?
幾ら上司や同僚に不満が有るとしても、会社潰れるような事するのかね?
0301人間七七四年2016/07/17(日) 04:02:25.27ID:9cDU+13r
>>300
面目>主家になってしまったのならありうるでしょ
武士の名折れは本人や家族や家臣のその後にも影響するから
一度張った意地は容易く引っ込めることはできない
0302人間七七四年2016/07/17(日) 04:32:45.42ID:eWZ+I0ni
なんか江戸時代中後期の主従関係と同じように考えてるのがいるな・・
関ヶ原の後でもいろんな家で似たような騒動あるから調べなよ
主君絶対じゃないのがわかるから
0303人間七七四年2016/07/17(日) 07:06:19.78ID:tpXgXZ3V
>>290
・大友宗麟のキリスト教押し付けに一萬田鑑相や小原鑑元が叛乱を起こしている
 あの家康だって、一向一揆で家臣に叛かれた
 なお、法華宗は仏教の中ではもともと異教徒・他宗派に戦闘的な宗派であり、
 細川晴元は一向門徒平定に、法華宗徒をたきつけて戦わしたりしている

・首謀者の坂崎直盛が偏執的な特異な人物であったことは、後の千姫事件や
 宇喜多左門事件(直盛の家臣を殺した宇喜多左門を富田信高が匿っていると
 この引き渡しを求めて執拗に家康や秀忠に訴え、さらには武力攻撃に及ぼうとした)
 をみれば明らか

「内紛が大きく成るように裏工作」する必要はなく、単に状況を利用しただけじゃないかな
0304人間七七四年2016/07/17(日) 09:57:54.18ID:bDX5MeSo
坂崎っても、この頃は宇喜多詮家だったわけで、
秀吉の猶子であらせられる秀家の従兄弟なわけだから、
おいそれと厳罰を与えるわけにもいくまい
0305人間七七四年2016/07/17(日) 11:39:38.56ID:Wm/h9Zwb
>>304
秀吉の猶子に逆らったんだから族滅が相当だろ
直家系統を残せたら御の字だろ
0306人間七七四年2016/07/17(日) 12:06:20.35ID:76y+KLX7
>>296
渡邊大門氏が言ってたけど
他の大名より早くから秀吉と関係結んでたせいか
宇喜多家臣の中には陪臣だけど個人的に秀吉と親しい奴もいて
秀家がその家臣を処罰しようにも
秀吉の取りなしで不問にする事案もあったらしい
0307人間七七四年2016/07/17(日) 14:57:18.69ID:vp4DCTQC
>>299
むしろ当時の豊臣政権は家康が頑張ってあちこちに介入して押さえつけないと
とても支配体制を維持できる状況ではなかった
ドラマだと家康が天下を狙ってやったように描かれるけど
逆に家康なりに豊臣政権の統治秩序を守ろうとしてやった行為と考える方が正しい

三成たちは政権返り咲きのため家康の介入は全て悪で一切の介入などするべきではないと主張したが
そんな主張に魅力を感じて集まる連中はむしろ三成の言うことなんて真面目に聞いて戦うわけがない
0308人間七七四年2016/07/17(日) 17:59:25.53ID:U8T0ryaO
三河もんの忠義なんて作られたイメージでは?
何人か忠義に篤い人が居たかもしれないけど、他と競べて特別多いわけではないのでは?
0309人間七七四年2016/07/17(日) 18:53:33.14ID:5XUXJ+O9
>>308
三河一向一揆が三河忠義者伝説の源だよ。

現代に例えればISに洗脳された殺人狂のテロリストが、テロを実行中なのにオバマ大統領の姿を見たとたん
戦意喪失してAK47や自爆用爆弾、ロケット砲を投げ捨てて逃げ出すような光景が三河一向では随所に目撃
された。家康がいない戦線では有利に戦闘を進めた一揆衆が家康が戦線に参加したとたんに背中を見せて
逃げ出したり、「家康様には逆らえん。地獄に落ちても良いわ」といって一揆側から家康側に寝返える。
こんな光景は他家ではまず見られない。しかも宗教戦争絡みでだぞ。
0310人間七七四年2016/07/17(日) 18:57:41.91ID:vJp+rgH5
>>308
三河物の忠義というのは、家康直属の親衛隊である旗本の忠義であって、主君に対して直接の忠誠義務を追う
旗本部隊が、家康の所は異常なくらい充実させていて、全軍隊の半分くらいは旗本だった。
0311人間七七四年2016/07/17(日) 19:08:07.77ID:W9j3NcTq
忠義ってのは主君個人に対する忠義じゃなくて
主家と代々ズブズブにやってきた利権構造に対する忠義
利権を子孫に残すためなら自分の命も惜しまない
そんな種類のもの
0312人間七七四年2016/07/17(日) 19:31:16.23ID:5XUXJ+O9
>>311
その忠義の定義では敵が利権構造を保証したら主家でも裏切るんじゃない。
それは忠義というより御恩と奉公の範疇に入るのではないか?
0313人間七七四年2016/07/17(日) 19:51:24.78ID:MgNoXaid
家康と敵対したり同盟相手の織田と敵対するのは、三河武士の本貫たる西三河を危険にさらす、
それ故に彼らは家康に従い続け、その内に家康に従うことが目的になった
0314人間七七四年2016/07/17(日) 19:51:44.59ID:W9j3NcTq
>敵が利権構造を保証したら

そこらへんは信用性の問題
今までなんの付き合いもなかった奴からあんたの利権は保証しますよ言われても
はいそうですかとは即答できかねる
即答した結果のポイ捨てなんて事例はザラだしな
0315人間七七四年2016/07/17(日) 21:31:24.96ID:Wm/h9Zwb
>>308
人国記の三河ageの結果だろ
0316人間七七四年2016/07/18(月) 06:31:22.46ID:F6yXEaQX
>>308
徳川が覇者になったから、徳川ageの逸話が残った
武田家や上杉家が覇者になっていれば、甲斐者や越後者の忠義が語り継がれただろうね
0317人間七七四年2016/07/18(月) 06:40:42.39ID:RN6OgP0d
ぶっちゃけ二代続けて家臣に殺されてるから三河侍の忠義なんてアテにならない。
家康はむしろ自分の代で臣下になった外様の方を信頼してた気がする。
0318人間七七四年2016/07/18(月) 07:46:43.96ID:PIdiDZXV
広忠は病死説が有力
0319人間七七四年2016/07/18(月) 09:05:23.27ID:i5gYemG/
広忠が家臣に殺されたなんて話は小説で有名になっただけで逸話としてはドマイナーもいいとこ
岩松八弥は佐久間氏の刺客だという説の方が支持されてるはずだぞ
0320人間七七四年2016/07/18(月) 09:24:47.91ID:6MWbwDoP
>>317
出頭人政治は出世者にありがちな体制ですからね。
0321人間七七四年2016/07/18(月) 12:15:56.50ID:gLqAPFLK
>>320
三河一向一揆やら信康事件やらで
それまでの重臣がずいぶん
ふるいにかけられたって聞いたがホントかな
確かにそれ以前の三河の権力構造がいまいちハッキリわからんのだが

酒井ですら
晩年は干されてたんじゃね?って後世指摘されるくらいだし
0322人間七七四年2016/07/18(月) 12:27:08.94ID:KbqAmPA/
>>321
関東の領地に隠居なら干されたというのも納得だが、隠棲したのが京都だから干されたというのは疑問だな。
むしろ隠居の地位を利用した情報収集や徳川家の人脈作りに奔走したんじゃないかな。
70過ぎの爺が、縁故のない京都に隠棲するってのが不自然極まりないと思う。
0323人間七七四年2016/07/18(月) 15:14:49.88ID:0ndk4fZU
>>321
そもそも家康の血筋は本当に松平の本家なのか?って疑問も有りますよね。
松平家忠の日記では、主君と言うよりも一族の旗頭みたいな感じだと思うし?
0324人間七七四年2016/07/18(月) 16:13:18.96ID:YGfRs1Yd
>>323
何を今更と思うのは俺だけ?
家康って清康の孫ってだけで、清康は流れ者だろ?

松平自体は由緒正しいから、源氏の僭称なんて無理だろ
0325人間七七四年2016/07/18(月) 16:24:04.51ID:MTCAvQpS
家康は庶流でしょ
0326人間七七四年2016/07/18(月) 17:16:43.04ID:smVtlRxu
流れ者は親氏だろ。得川の始祖
0327人間七七四年2016/07/18(月) 17:55:08.74ID:i5gYemG/
清康が流れものなんていうやつ始めて見た
0328人間七七四年2016/07/18(月) 18:21:48.24ID:BVwlwLw8
流れてきた自称得川氏の乞食坊主を婿に取ったのが、清康の先祖の松平氏。
清康はその婿の家柄を根拠に源氏を名乗った。
家康は爺ちゃんの主張を踏襲して源氏を名乗った。
0329人間七七四年2016/07/18(月) 21:18:54.36ID:PbqKYFUG
ここは関ヶ原のスレなんで、続きはこっちでやってくれないか

【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303368850/
0330人間七七四年2016/07/18(月) 21:25:32.04ID:smVtlRxu
どこに書き込もうがオイラの勝手。
関ヶ原で勝った結果として、
松平家は前例を踏襲して元々いた?東国に幕府を開いたんだろ。
0331人間七七四年2016/07/18(月) 21:41:03.49ID:RVuEHrAS
「西軍は悪」「豊臣の滅亡は因果応報、自業自得」を語りたくない奴が話題を逸らす
0332人間七七四年2016/07/18(月) 21:55:40.00ID:qGeMIeZc
>>316
上杉は十分、ageの逸話が残ってるとおもうがw
江戸時代を生き抜いた家は多かれ少なかれ先祖持ち上げ、滅亡した家を悪者にするもの。
死人に口なし、だからな。
0333人間七七四年2016/07/18(月) 22:23:01.64ID:gLqAPFLK
>>331
ここはお前さんの自論について語るスレでもないと思うぞ
0334人間七七四年2016/07/19(火) 00:23:21.45ID:4vuzG24v
>>332
まあ資料至上主義の人は、その辺の事を無視してますよね。
事実関係を無視して書く事は、公的な記録や正史では難しいです。でも、自分達に都合の良い解釈に
誘導する事は可能です。
だから、もっと裏読みをすべきだと思うんですけどね?
漢の高祖は、無名の頃から自分は龍の子だ自分は赤龍の子だって自称してたらしいですが、これは不倫
の子の婉曲表現じゃないですかね、赤龍の正体は間男だと思うしね。
後、夜盗の親分なんじゃって解釈出来る場所も史記に有ります、地元ではやってないみたいだけど。
更に、隋の最後の皇帝はまだ少年なのに禅譲のすぐ後に病死してます。
唐の最後の皇帝は朱全忠に殺されてます。
唐は300年続いたんで、王朝の御用史家が病死って粉飾したんでしょうね。年齢や死亡した月日なんかは
流石に誤魔化すのは無理でも死因の粉飾はできます。
後梁は15年くらいの短命王朝なんで、ずばり殺したって記録されてますがね。
0335人間七七四年2016/07/19(火) 00:29:20.46ID:3J5jqoBW
そもそも大一大万大吉なんて旗印が綺麗事で甘い。
それで人望があるならまだいいが、人望のない三成に合ってない
0336人間七七四年2016/07/19(火) 14:51:48.41ID:/Tmkvui+
西軍なんて反面教師としてしか使えないのが真実
0337人間七七四年2016/07/19(火) 19:54:18.05ID:5cEF5mbg
家康打倒なら相手が出兵で留守にするところを追撃とかするより
大阪にいるうちに暗殺したほうがよかっただろうに。
0338人間七七四年2016/07/19(火) 20:11:06.20ID:QFg/ztwm
>>337
大谷吉継かお前は
0339人間七七四年2016/07/19(火) 20:22:42.41ID:imRs734z
豊織期以降は大名クラスの暗殺はほとんどないよな
それ以前は結構あったみたいなのになんでかね?
0340人間七七四年2016/07/19(火) 20:33:00.89ID:sfMSuJmj
失職しそうな忍者屋さんをカウンターテロ対策顧問みたいな感じで雇ったんじゃね?
知らんけど
0341人間七七四年2016/07/19(火) 20:47:56.43ID:oxQL0YkH
>>309
宗教絡みの一揆や暴動はほとんど自滅イコール連中のなかでは勝利という騙され具合で扇動者大勝利なのに
三河一向一揆は家康大勝利なんだよな

恵まれてるよな家康さん
0342人間七七四年2016/07/19(火) 21:00:06.46ID:ZRr98WKD
>>337
左近もそう言ってた

ある晩に三成がどこぞに出かけての帰り、もの凄い霧が出ていてこれは!と思うもそのまま
屋敷に帰ってきて左近に何で秀頼の命ということで兵を出して家康の屋敷を取り囲まなんだかと
嘆かれている
0343人間七七四年2016/07/19(火) 21:07:00.13ID:sfMSuJmj
どうせ負けるなら島津の夜襲案に乗ってやっても良かったのにな
0344人間七七四年2016/07/19(火) 21:15:39.74ID:imRs734z
ひとつ豊織期以降の大名クラス暗殺例を思い出した
黒田長政による宇都宮鎮房の謀殺
こんなのしか思い出さないぐらいだからほんと少ないんだろうな
0345人間七七四年2016/07/20(水) 00:39:24.72ID:/hSzTfxo
>>341
寺は元道理って条件で和陸したのに、いざ和陸するとお寺を破壊したんですよね。
後年の、大阪冬の陣の時の堀埋め立てを連想しますよね...
色々調べると、若い時から謀略の才能が有るのは確かですけど嫌な人だよな。
0346人間七七四年2016/07/20(水) 00:44:13.27ID:Umrd7RNt
>>345
寺の件は彦左3歳の時の話で実際の話かどうか怪しいし、
堀埋め立ての件は最初から埋める約束だったので連想するもクソもない
0347人間七七四年2016/07/20(水) 05:23:33.37ID:DxO3dWdx
大坂城の話はそうだよな
いつまでもだまされた説がつづくのはちょっと。
0348人間七七四年2016/07/20(水) 06:04:03.27ID:/hSzTfxo
>>346
天正11年まで、三河では浄土真宗は禁止状態だったみたいですよ?
後、他にも似たようなエピソードは多いと思うんですけど?
城の外堀と内堀じゃ同じ埋めるでも全然意味が違うと思うんですけども。
家康は、人間心理を良く読んだ謀略ってのが得意ですよね。
本当に聞こえる嘘ってのが実に上手いし、相手の恨みが別の人物に向く様な
裏工作も実に上手なんですよね。
例えば福島正則に芸備を与えれば、最初から騙すつもりだったって毛利が思う
のも無理無いんですよね。
0349人間七七四年2016/07/20(水) 06:36:31.69ID:Iw+QyieV
>>348
挙兵して置いて敵に騙された、とか甘えもいいところだろ
それとも家康の敵は馬鹿ぞろいなのか?
0350人間七七四年2016/07/20(水) 06:46:03.72ID:kx+LiMYo
そもそも内堀まで埋めるのが和睦条件なのに
意味が違うも糞もないわ
0351人間七七四年2016/07/20(水) 07:30:39.59ID:8nWllyAy
外堀は徳川、内堀は豊臣が埋める約束で、豊臣がちんたら工事してたら「手伝うよ」って徳川が埋めちゃったんじゃなかったっけ?
0352人間七七四年2016/07/20(水) 07:47:25.87ID:uZcpRxGN
従来は、堀を埋めたことと城郭の一部の破壊については、
外周の外堀だけを埋める約束であったものを、幕府方は「惣」の文字を「すべて」の意味に曲解し、
強硬的に内堀まで埋め立てるという卑劣な手段を使ったとされてきたが、

この逸話は後代に記された書物にしか記載されておらず、当時の第一次史料の中には確認できないものである。

さらに、この工事に関係した伊達政宗・細川忠利ら諸大名の往復書状などを見ても、
埋め立て工事をめぐって、大坂方との間で何らかの揉め事が発生しているような形跡を認めることができないことから
「惣構の周囲をめぐる外堀のみならず、二の丸と三の丸を埋め立て、これらの地を壊平するというのは、
大坂方も納得していた、幕府と大坂方との当初からの合意に基づくものであったといえる。
0353人間七七四年2016/07/20(水) 08:12:01.51ID:Gh41KMSN
堀を埋めたら、もう無防備同然なのに、よくそんな和平条件をのんだな。
つまり冬の陣ではそんな約束をしなければならないほど、不利だったのだろう。
0354人間七七四年2016/07/20(水) 08:14:32.49ID:KMnZ5jp6
常識的に考えたら降伏条件そのものだからな
0355人間七七四年2016/07/20(水) 08:52:35.12ID:qh94jUgZ
>>353
あれやこれや理由つけて不履行にもつれこむ算段だった
徳川がふざけんなとブチ切れて強制執行とあいなった
0356人間七七四年2016/07/20(水) 09:00:32.51ID:vQSLDDkh
大坂の陣の豊臣家はどうしてこう、やることなすこと小物臭いのだろう
0357人間七七四年2016/07/20(水) 09:30:26.44ID:Umrd7RNt
>>348
諸資料の三河一向一揆の寺破壊のエピソードは三河物語の孫引きだから、
彦左が信用ならないならこのエピソードの史実性は崩壊する
堀の件に関しては他の人がいっている通り
毛利の件は近衛前久書状によれば「公には安堵と言っているけど毛利の所領半減は毛利も内々に納得済み」とされている

はい、お前のいう「家康はうそつき」というのは全て虚構だと証明されました
0358人間七七四年2016/07/20(水) 12:50:47.30ID:/hSzTfxo
>>353
一応総構えの中には敵軍を入れて無いんですよね?
本丸を大砲で狙ったんで、淀殿がヒステリーを起こしたって言われてるけど?
正直、包囲軍の方も兵糧が不足してたって言われてるし、そこまで不利な条件を
受ける必要性が有るとも思えないですよね。
そもそもそんな条件を受けるなら、国替えでも良い訳ですし。
なんかローマがカルタゴに出した条件みたいですよ?
武器の類を全部引き渡したら、海岸から○○キロ離れろとかwwwww
0359人間七七四年2016/07/20(水) 13:07:43.27ID:vQSLDDkh
>>358
幕府方の兵糧不足は一時的なものだが、籠城側の火薬不足は深刻
更に、砲撃は惣構にも行われ、相当数の櫓・塀が倒壊した
0360人間七七四年2016/07/20(水) 13:30:02.72ID:0mR1Lmfe
>>358
まがりなりにも武人たる後北条でさえ、耐え切れなかったのに、バカと腰抜けと素人しかいない大阪の陣の豊臣方がもつわけない
0361人間七七四年2016/07/20(水) 13:53:45.48ID:nMsEvtnS
講和前提の蜂起やからそりゃ講和するだろ。
へっぽこすぎて講和の条件上がっても飲んで講和するしかない
0362人間七七四年2016/07/20(水) 13:56:09.75ID:cmrrwemI
>>349
ほんそれ
甘いよな

そもそも毛利あたりに裏工作したにしろ、時をみて寝返ることをしたわけでなく単に静観しただけで厚遇されるわけもない
0363人間七七四年2016/07/20(水) 13:57:36.40ID:cmrrwemI
>>352
一次資料には内堀の埋め立ては豊臣方がやります、とあるのにどうして徳川がだましたとなるのか不思議でならんよ
これもすべて講談の影響か
0364人間七七四年2016/07/20(水) 14:35:46.47ID:uZcpRxGN
>>358
国替えつーか、本領安堵は豊臣側の要求だろ
秀頼アンド淀の江戸出頭拒絶も許諾してやってるしカルタゴに比べたら全然マシだぞ
0365人間七七四年2016/07/20(水) 15:12:40.85ID:qNPRwEBb
成田 横堀鉄塔への行き方

https://www.youtube.com/user/mogusaen/videos
0366人間七七四年2016/07/20(水) 18:58:40.10ID:xWnTRWLa
>>348
また小説の受け売りかよ
0367人間七七四年2016/07/21(木) 01:37:58.98ID:/GNfg+Yq
>>359
この時代の大砲は巨大な砲弾が飛ぶだけですよ?
城壁を大砲だけで崩せるような物じゃないし、本丸の命中弾はしれた物だった
らしい。
講和の交渉中も砲撃してたみたいだし、相手の心を折りに来てますよね。
でも、高価な火薬を馬鹿みたいに使う砲撃って何時まで続けられたんでしょうね。
侍女が八人死亡したって言われてますが、逆に言うとその程度の効果です。
あのまま堀を埋めずに攻め落とせたんでしょうか?
0368人間七七四年2016/07/21(木) 01:52:03.90ID:/ovi+LEh
反論されたら話題変えていってるけど、お前の意見1つも賛同されてないんだからまず謝罪してから転換したら?
0369人間七七四年2016/07/21(木) 04:02:15.82ID:X9dNYoqS
豊臣はすごい、ただしい、きれい!徳川はへぼい、おかしい、きたない!と言いたいだけたからな
0370人間七七四年2016/07/21(木) 05:23:14.82ID:M+VnAEcL
基本的に豊臣、真田、石田の信者は狭量だよね
歴史なんてそんな見方しててもつまらんのに。
0371人間七七四年2016/07/21(木) 05:52:24.15ID:kJcKpmBX
小田原城だってまだまだ粘れたらしいが、一夜城作られたり、支城落とされまくったりで心理戦でやられた
そういうのも込みで攻城戦なんであって、「心理戦的に負けただけなんで実質負けて無い!」って
強がるのは阿保過ぎだろ
0372人間七七四年2016/07/21(木) 05:56:33.95ID:tBa6rRhV
小田原城以外の支城は、全て落城してる。(忍城のぞく)
それを聞かされたら、さすがに本城だってヤル気を無くす。
0373人間七七四年2016/07/21(木) 06:01:35.62ID:tBa6rRhV
>>367
当時の大砲の弾は、鉄の固まり。炸裂弾は幕末になってから。
鉄のままの弾だから、関ヶ原のような野戦は不向きだが、
舟や、お城の建物、塀などを打ち崩すのに
大砲を使う。
0374人間七七四年2016/07/21(木) 06:11:10.70ID:5qpBr61U
中国地方を攻め落とした兵糧攻めの件も知れ渡ってただろうしな
堅城小田原といきがるのも時間の問題だったわな
0375人間七七四年2016/07/21(木) 08:00:01.19ID:ttE4Q6P/
>>348
そのうち方広寺の鍾銘問題を家康の謀略とか言い出しそうだな
0376人間七七四年2016/07/21(木) 08:56:34.87ID:dhMSU3nu
>>367
数百門もあったから相当数は崩せるし、西洋砲は土塁を数メートル単位で破壊できる
無垢弾の過小評価はいけない
0377人間七七四年2016/07/21(木) 12:58:05.48ID:upnweEys
>>369
なお、秀長や利休、秀次の存在はなかったことになる模様
この3人のことを語るとそれだけ秀吉側が悪人になるから仕方ないね
0378人間七七四年2016/07/21(木) 13:13:43.67ID:/GNfg+Yq
>>375
スレ違いかも知れないけど、方広寺の鍾銘問題を言い掛かり、謀略以外に解釈出来るのかね?
まず漢文の読み方として有り得ない話です。当時の有名な学者に解読させたんですよね。
資料至上主義の人は疑問に思わないんでしょうが、現代なら東大の教授に煙草は無害で寧ろ
喫煙する方が寿命が延びるとか証言させたような物です。
又、二人の豊臣家の使者に正反対の態度を取り城方に疑心暗鬼を起こさせる手口とか
謀略のお手本、教科書に乗せてもおかしく無い話です。
余りに見事で家康の恐ろしさを感じさせる手口ですが、謀略は謀略でしょ?
それとも、林羅山や五山の僧が証言したから問題無いと本気で思ってるのかね。
0379人間七七四年2016/07/21(木) 13:22:27.31ID:/GNfg+Yq
>>371
後、家康って人を若い時から調べると、情勢不利な時に寧ろ強気に出る癖が有るような
気がするんですよね。
関ケ原の時に本陣を移動させた事とか、大阪伏見の対立の時に大津城に来るように誘われた
時に断った話とかね。
寧ろ、家康もそれなりに焦ってた風に見えるんだけどな。
0380人間七七四年2016/07/21(木) 13:57:03.79ID:qW3Qtzb/
鐘銘に関しては豊臣方の釈明を受け入れてるはずだけど?
0381人間七七四年2016/07/21(木) 14:38:42.96ID:/ovi+LEh
昭和40年代の歴史認識で語ってるから話は通じないよ
0382人間七七四年2016/07/21(木) 15:37:41.70ID:UMm4UteF
小説とか講談をソースにする間抜けだからな
0383人間七七四年2016/07/21(木) 15:44:55.15ID:ttE4Q6P/
まさか本当に謀略と言い出すとは思わなかったが、そもそも方広寺の鍾銘問題は
家康の諱が使われていること事態が当時の慣習から見ても不敬であり、問題になったんだけど
0384人間七七四年2016/07/21(木) 17:08:27.68ID:M+VnAEcL
>>378
鐘銘についてはもうその時点で豊臣に信頼おけなかったから、という取り方もあるよな
浪人衆をかかえこみいつ暴発するかわからない状態で放置はできない
でもやはりお題目は必要

ただやはりこの鐘銘ネタもやや創作くさいんだってね
使者疑心暗鬼がどうこういうのも豊臣方の疑心暗鬼だしさ
0385人間七七四年2016/07/21(木) 17:10:03.26ID:M+VnAEcL
使者疑心暗鬼の件は豊臣方のひとり相撲だしさ、と訂正
0386人間七七四年2016/07/21(木) 17:19:18.69ID:lL8LrS2k
文章を書いた僧自身が家康と豊臣を勝手に使ったと認めていたはず
0387人間七七四年2016/07/21(木) 17:43:40.10ID:dhMSU3nu
他にも方広寺の大仏は開眼・大仏殿供養の期日や席次の上下問題があった
0388人間七七四年2016/07/21(木) 18:01:32.94ID:tBa6rRhV
>>384 鐘銘ネタもやや創作くさい

鐘銘ネタは超有名だけど、後世の創作なら大変なことだな。
鐘銘は何しろそのまま現存しているのだから、当時は何事もなかったってか。
0389人間七七四年2016/07/21(木) 18:20:31.32ID:/CmxYHDR
都合の悪いことは全部創作くさいで逃げるやつおるなw
0390人間七七四年2016/07/21(木) 19:27:53.75ID:k4uRf8qV
>>369
基本的にここのスレって、
徳川はすごい、ただしい、きれい!豊臣はへぼい、おかしい、きたない!
って事にしたい連中もいるし、どっちもどっちやろ
0391人間七七四年2016/07/21(木) 19:28:53.91ID:M+VnAEcL
>>388
鐘銘の落成に異議が唱えられたことはあったろうよ
ただそれを徳川の謀略ガーとかいってる奴は江戸時代の講談でだいぶ脚色はいってるのを信じ込んでるんだろうな
0392人間七七四年2016/07/21(木) 19:32:07.41ID:M+VnAEcL
>>390
徳川も家康はすごい、実力ある、と信者めいたやつもおおいが基本的に江戸末期に長州藩にやりこめられたことはまあ歴史の流れとして受け入れている奴も多い
豊臣のほうも全盛期の秀吉なら徳川家康信者もたいがいみとめてるよ

晩年秀吉、そして無能秀頼だけは徳川家康信者は猛烈にバカにしてるけどな
そして豊臣信者はその晩年秀吉、無能秀頼からはたいがい目をそむける
成長できてないんだよな
0393人間七七四年2016/07/21(木) 20:13:43.54ID:pBbeF20u
心理攻めで相手を参らせ、講和に持ち込んで、城を裸にして誘き出すってのは、見事な城攻めの技術じゃないのかね
司馬遼太郎は城攻めが苦手だから、講和で誘き出した卑怯な手みたいに言ってたけど
0394人間七七四年2016/07/21(木) 22:11:54.02ID:Z507XjRf
城攻めが苦手というより、ケチっていうかガメツいってタイプじゃね?
0395人間七七四年2016/07/21(木) 22:31:18.11ID:oeM5MNtq
>>393
つか「家康が城攻めが苦手」って話自体、司馬の創作したキャラ設定だぞ
0396人間七七四年2016/07/21(木) 22:35:58.34ID:5rrgbdl8
他のスレでも言われてるが、西三河の小領主から
甲信駿遠三も領主になるまでの間、どれだけの
城や砦を陥としたと思っているのか
城攻めが苦手とか、それこそ大坂の陣を元にした
創作話なんじゃないのかな
0397人間七七四年2016/07/21(木) 22:40:43.96ID:oeM5MNtq
司馬は秀吉を『城攻めの名人」というキャラにし、それに対比する形で家康を「野戦の名人だが城攻めが苦手」なキャラとした。

こんなもの信じてると頭が弱いと言われても仕方ないぞ。
0398人間七七四年2016/07/21(木) 22:58:37.54ID:GScjpG6V
>>397
いや、それ事実だし
家康は猪突猛進のアホ侍
0399人間七七四年2016/07/21(木) 23:01:30.51ID:4lQExyZr
>>398
史料はよ
0400人間七七四年2016/07/21(木) 23:04:32.90ID:oeM5MNtq
>>398
そのアホに負けた秀吉は救いようがないな
0401人間七七四年2016/07/22(金) 08:23:04.72ID:hCaHUFnh
豊臣信者は小説や講談を鵜呑みして語るから馬鹿にされるんだよね
0402人間七七四年2016/07/22(金) 11:46:13.43ID:7OjTS6lB
そもそも城攻めって基本、物量で勝る攻め手側が守備側をじわじわと押しつぶすもんだから
あんま上手い下手とか測りにくいもんだよね 勝っても当然と言われ負ければプギャーされるだけという
守備側はどんな形だろうと攻め落とされさえしなければ大勝利と喧伝できる 真田とか特に
おおよそ家康の城攻め下手のイメージは真田のせいだと思う。
0403人間七七四年2016/07/22(金) 12:12:26.28ID:74Q5G0gf
戦った事無いだろ
0404人間七七四年2016/07/22(金) 12:32:04.69ID:PU+2dXjL
フツー誰も攻めやったことないからな
説得力に欠ける
0405人間七七四年2016/07/22(金) 13:15:23.67ID:BDcWbXhG
>>402
まず豊臣家の所領は65万石なんだから、例え城を落としても大激戦をやると論功行賞で
大赤字なんですよね。
かと言って、論功行賞に不満を持たせると元寇の後の鎌倉幕府みたいに成り幕府に対する
不平不満が溜まります。
どう考えても家康の理想は、相手が野戦に出て来たりせず「秀頼が陣頭に立つとまずい」籠城
のみで、尚且つ裏切りとかで簡単に城が落ちる事です。
ともかく、後ろめたいって気持ちの大名が多いのは、城内で鮭が出回ってた逸話でも想像出来
ます。
この状況で長期の攻城戦をやるのは、家康にもリスクが大きいと思うんですよね?
小田原の例を出してる人がいましたが、小田原攻めの大名は別に後ろめたくないので全然違う
と思います。
0406人間七七四年2016/07/22(金) 13:40:39.52ID:majIGOi/
大阪の役での徳川方諸大名は、論功行賞で加増なんてのは
元より考えてなくて、所領安堵が目的でしょ。
0407人間七七四年2016/07/22(金) 14:07:07.49ID:7OjTS6lB
まあ65万石は後世の俗説らしいけどね
ソース元が江戸後期の資料やし
実際は100万石以上はあったみたいだけどどこにどんだけ蔵入地があったかは
豊臣も徳川もろくに把握できていなかったという
徳川についた旧豊臣系大名の思惑としては時勢が既に決していたことも大きいけど
豊臣滅べばうちの領地にある蔵入地、名実ともに自分のものにできるやんという打算もなくはなかったかと
0408人間七七四年2016/07/22(金) 16:06:11.49ID:IxT2gG9E
後ろめたいとかどこから出てきたんだよ
脳内の妄想をソースにするな
0409人間七七四年2016/07/22(金) 17:04:23.46ID:NrFJRadf
普通に考えて人の感情なんて分かるわけないわな
小説の受け売りだから当然のように決めつけるんだな
0410人間七七四年2016/07/22(金) 18:07:56.02ID:MV0MvU1K
>>405
その時点で後ろめたいとかでサボがばれたら即改易で、分配の対象にされる
関ヶ原でさえ、豊臣を見限った奴らにそんな度胸は無い
0411人間七七四年2016/07/22(金) 19:04:40.64ID:6AzqCK9/
>>406
関ヶ原でもたいして増えてないもんな
0412人間七七四年2016/07/22(金) 19:09:45.88ID:6AzqCK9/
>>407
あれだけ検地のなされた時分の話だから不明瞭な蔵入地とかそこまでぼけた話はないだろ
豊臣65万石ってのは明らかに譜代の武将が離れてスカスカになってる様子をしめすよな
伊達領なみ、しかも治世力もない
0413人間七七四年2016/07/22(金) 20:09:15.57ID:UM7OoflJ
大阪は、コメの生産地というよりは、商業取り引きの場だよ。
石高で判断するのはよくない。
0414人間七七四年2016/07/22(金) 20:19:07.94ID:K9tpSmt2
>>412
いや検地もわりといい加減なとこあったしないより蔵入地について
取り仕切ってた奴らが軒並み関ヶ原で死んだor失脚だから
ほんとマジでワケわかんねえことになってたのよ
これ幸いに自分のモノにしちゃっていいよねな大名も当然いたけど
律儀に豊臣に年貢納め続けたとこもそれなりには存在してた
だから関ヶ原後の豊臣は65万石よりは実際はだいぶ多かったよ
マジで65万石相当の力しかなかったら徳川もスルーしてた
0415人間七七四年2016/07/22(金) 21:41:25.36ID:NclKiKGl
よく言われる秀頼が戦場に出ていればっていうのは秀頼の見苦しい最期に対する愚痴みたいなもんで
篭城方の士気が上がるのは間違いないが攻め手が大将首にハッスルするということもあるから
秀頼が戦場に立ったところで戦況が変るかっていうと微妙なんだよなあ
上杉や佐竹なんかは大坂の冬の陣では関ヶ原での負い目からか奮闘してるし
後ろめたさを感じるような大名がいるとすれば江戸にいる福島正則ぐらいじゃないか
0416人間七七四年2016/07/22(金) 21:44:22.88ID:OnFDB5Hf
それくらい秀頼がひっこんで出てこない情けない戦だったんだよな
0417人間七七四年2016/07/22(金) 21:49:55.27ID:1eVj6Y3j
島津とか豊臣への同情があったんで大坂の陣に遅れていったみたいな説があるけど
家康が西国の諸大名には豊臣と手切れになったら出陣するように申し入れてたから
それで手切れの情報が入ってから出陣したんで、間に合わなかっただけなんだよな
0418人間七七四年2016/07/22(金) 21:54:30.73ID:IxT2gG9E
もはや関ヶ原関係なくなっとるやんけ
0419人間七七四年2016/07/22(金) 21:56:57.78ID:oG4z3SM+
蔵入地の代官たちは、関ヶ原の戦いで新領主になった大名の支配下に
暗黙のうちに組み入れられていったし、徳川政権もそれを奨励・公認した

しかし、山城・近江・大和・紀伊の代官の中にはそれを拒んで
豊臣家に蔵入地の収益を納品つづけた者もそれなりにいたため、
豊臣家には摂津・河内・和泉以上の収入があった

例えば紀伊国には、新領主の浅野氏に従わず、豊臣家に従い続ける
代官もおり、浅野氏も親族でもある秀頼への遠慮から強制・懲罰・
免職まではしなかったことが裏目に出て、大野治長の扇動により
山口兵内のように親豊臣系代官が紀州一揆の首謀者になった

また、関ヶ原後も大和国には国持ち級の有力大名が配置されなかったため、
小大名や旗本たちの所領の合間に存在した蔵入地の一部の代官は
大名による押領を受けることなく、引き続き豊臣氏に従っていた
0420人間七七四年2016/07/22(金) 23:03:18.81ID:UM7OoflJ
家康は関ヶ原でも大阪の陣でも、最前線まで出てきているよな。
それにひきかえ、毛利や秀頼の頼りなさといったら。
0421人間七七四年2016/07/22(金) 23:22:49.67ID:nW2KeJ+J
そう考えれば勝つべき人が勝って、負けるべき人が負けたということか
0422人間七七四年2016/07/22(金) 23:27:11.28ID:9YYB7Q9Q
武人たるべき姿を示していたのも家康に政権が移った要因なのかもなあ
0423人間七七四年2016/07/22(金) 23:36:56.42ID:nW2KeJ+J
若き頃の脱糞も良い思い出だな
0424人間七七四年2016/07/22(金) 23:41:24.18ID:jKkJp27B
また家康完璧超人&それに同調しない連中は
ただの馬鹿みたいな流れに持ってこうとしてる
その流れも飽
0425人間七七四年2016/07/22(金) 23:48:21.47ID:nW2KeJ+J
家康が超人だとは思わないが、他がだらしなさすぎるんだよ

結局家康が一枚も二枚も上手だったのは間違いない
0426人間七七四年2016/07/22(金) 23:55:25.42ID:9YYB7Q9Q
>>423
忠佐のホラだって言ってんだろ!
0427人間七七四年2016/07/23(土) 00:01:19.50ID:GdwowNHd
>>426
知ってるけど人間一つくらい弱みがあったほうが魅力的だから良いじゃないか、脱糞超人ということで
0428人間七七四年2016/07/23(土) 00:06:57.07ID:f81FCBQ0
>>427
創作物ならいざ知らず、あの話を史実面で語る奴は処刑
0429人間七七四年2016/07/23(土) 00:12:36.65ID:HEm3SjgO
>>101
真田の話は嘘がばれたぞ
0430人間七七四年2016/07/23(土) 00:40:48.72ID:2QPHAvLH
>>408
籠城中なのに、何故か生の鮭が出回ってたってちゃんと説明してるじゃないですか?
ともかく全部読んでから批判してください。
関係者の間では、秀頼の好物として有名だったらしいです。
籠城中の相手に好物を贈るって、毎日悪夢にうなされ寝不足になるくらいの後ろめた
さだと思いますよ。
0431人間七七四年2016/07/23(土) 02:08:03.64ID:p4eCyooi
家康の上杉征伐の日程が、源頼朝の奥州征伐と被るのは偶然なのかな
奥州征伐が前九年の役を意識してるというし
西軍の挙兵なかったらどう進んでたのか
0432人間七七四年2016/07/23(土) 02:50:23.19ID:lsykCtQZ
まぁ緊急出兵でも無い限り気候やなんやら考慮するとその時期ってことになるんじゃねの
0433人間七七四年2016/07/23(土) 04:49:07.10ID:vWr08OFt
>>430
鮭は産地的に最上じゃね?
駒姫の悲劇の意趣返し半分、秀頼への同情半分ぐらいの気持ちで
0434人間七七四年2016/07/23(土) 04:57:04.58ID:gg9PB/Wm
ところでなんで直江状なんだろうね。
直江なんて別にそこまでの地位でもあるまい
景勝が自分の名義で書状かえすのが当たり前じゃないのかね
それとも格下の直江が返信するからこそ気概をしめしたとなるのか

もしくは負けたさいにあれは直江が勝手にやったことだから少しは情状酌量してくださいっていう保険みたいな考え方があったのか
0435人間七七四年2016/07/23(土) 05:14:05.28ID:cZCEikzS
>>430
そうだったんですね流石に後ろめたかったのですね
とても気になるのでそれが明確に記されてる一次史料が何なのか教えてください
逸話とか講談はクソどうでもいいので一次史料でお願いします
0436人間七七四年2016/07/23(土) 05:14:32.26ID:vWr08OFt
>>434
小牧長久手の時の、秀吉断罪の檄文も康政が書いてるしそういうもんなんだろ
0437人間七七四年2016/07/23(土) 05:28:53.48ID:5KgG3uZh
悪口なんてのは部下の仕事で大名が出るまでもない、という感覚だったのかな
0438人間七七四年2016/07/23(土) 05:47:08.64ID:ElxACoTE
>>436
ああ、なるほど

とは思ったけど榊原康正のあれは高札とか檄文であって上洛要請に対する返信としては直江なんて出る幕じゃないと思っちゃうなあ
0439人間七七四年2016/07/23(土) 07:25:32.73ID:Yklevkyu
>>438
wiki見た限りじゃ代表権を持った副社長くらいの立場には見えるが?
官位も主君の従四位に対して従五位下だし。
後世でいう城代家老クラスと見るのが普通だろ
0440人間七七四年2016/07/23(土) 10:21:57.48ID:+9pywUgB
やばくなったら直江のせいにして逃げるためだろ
景勝の名義にしたら戦後に上杉を消滅させなくてはいけない
0441人間七七四年2016/07/23(土) 10:46:59.26ID:ElxACoTE
>>439
榊原康政と酒井は別格かねえ
0442人間七七四年2016/07/23(土) 10:57:33.61ID:CyfSxpKt
>>434 偉い人になると、直接に書いたり直接名指ししたりしない。

一段身分の低い人あてに宛先になってたりして、
この場合は「これは、・・・・という内容の手紙ですので、上司に説明してください」
という伝令の手紙となる。
ちとやばい内容のときは、大名本人の名前はでない。
0443人間七七四年2016/07/23(土) 11:07:41.14ID:8AWLwWDf
>>434
外交の窓口役の家老が、他の大名とやりとりするのはむしろ当たり前
0444人間七七四年2016/07/23(土) 12:15:14.42ID:ipBppkjv
兼続宛に来た書状に兼続が返書しただけやで。せめて読もうや
0445人間七七四年2016/07/23(土) 12:51:32.23ID:ElxACoTE
そうでしたか。不勉強でした。またそのあたり研究書物をよく読んでみますわ
0446人間七七四年2016/07/23(土) 19:06:13.05ID:TEIcS8hE
そもそも直江状は偽作説が根強いしなぁ
0447人間七七四年2016/07/23(土) 19:08:22.19ID:AbZL+SLs
いわゆる直江状より酷い事が書いてあった可能性もなきにしもあらず
0448人間七七四年2016/07/23(土) 19:53:23.44ID:Y9kXA4je
直江状自体は残ってないんだってね
やっぱり創作かねえ
0449人間七七四年2016/07/23(土) 20:32:09.52ID:OKpPnY7R
宮本義巳によると書状内に書かれている日付が、どう考えてもおかしいらしいし
字句や文言に不審な点が多いらしいから、偽書の可能性が高いんじゃないかな
0450人間七七四年2016/07/23(土) 21:13:55.61ID:vWr08OFt
鹿苑日録の記載からすると「家康宛の直江の書状」なるものが有ったのは確からしい

写本作成時に部分加筆説を個人的に支持
0451人間七七四年2016/07/23(土) 21:26:58.01ID:ipBppkjv
内容は他の史料と合致していて直江状原本を見たか当時の上杉徳川双方の内情に詳しい人物じゃないと書けないもの
積極的に偽書とする根拠はなくなったもののさてとり手が加わったのは確かだろうから相変わらず一次史料に準するものとしては使えない
現状宙ぶらりんの状態の直江状
0452人間七七四年2016/07/23(土) 21:46:01.20ID:CyfSxpKt
>>451
元の文書を直接読んだことはあるけど家に帰ってから思い出しながら、その文書を再現してみた、
ってことかなあ。だからあやふやな点がある、ということだろう。
0453人間七七四年2016/07/23(土) 22:01:20.65ID:SpyJUtA0
家康は破り捨てたか
0454人間七七四年2016/07/23(土) 23:08:06.97ID:CyfSxpKt
謀反の疑いがあるという手紙を昨日13日に読みました。
一、我が越後についていろいろと不穏な噂が上がっているそうですね。内府様(家康)
は越後の国が謀反を起こすと思ってるみたいですけど、それは違う!。隣同士の京と伏
見くらいの距離でも噂は立つもの。ましてやここはさらに遠い越後です。景勝を弱輩と
言って、言いたいように言ってるのでしょう。そのような噂に耳を貸すんじゃありません。
一、景勝の上洛を不審だというが、一昨年に国替えして上洛し、去年九月に帰国した。正
月も上洛するのでは、時間が無くて何もできないじゃないですか。越後は雪国だから10
月から3月は何もできません。越後の案内者に冬の様子を聞いてみてください。それでも
なお景勝に逆心ありと言うのですか?
一、景勝に謀反の心などありませんし、起請文を持ってこいなど、去年から数回出してい
る起請文は意味のないものだというんですか
一、太閤は景勝を律儀の人と言った。それは今も変わりません。世の中の朝令暮改とは違
うんですよ
一、景勝は謀反など考えていないが、謀反を企てているというガセネタを流しているやつ
がいるのです。そういうやつの言葉を信じて、ちゃんと調べないというのであれば、内府
様の方こそ表裏がある人間ということです
0455人間七七四年2016/07/23(土) 23:09:15.08ID:CyfSxpKt
一、前田利長殿に出した命令。さすが、ご威光は浅くないですね。
一、増田長盛・大谷吉継が出頭したそうですね。珍重に思います。自然と用があればその
二人に言います。榊原康政は表向きの景勝の取次ぎですが、どうして景勝に謀反の疑いが
あるなどと言うのでしょう。いちおう意見を聞いてこそ武士の筋目であり、榊原がちゃん
とした情報を内府様に届ければ誤解は招かなかった。密告者である堀秀治のウソを鵜呑み
にされた。どうして榊原が取次ぎなのか
一、だいいち噂は上洛を断っているから起きるだけですよ
一、武具を集めていることを不審に思っているそうですが、上方の武士は今焼・炭取・ヒ
ョウタンなど人たらしな物を集めるが、田舎武士は鉄砲や弓の道具を集めます。それぞれ
の国の風習であり、不審なことはありません。景勝に似合わないものを集めているわけで
はない。そんなことを気にするのは天下人っぽくないですよ
一、道路を作り、船や橋を渡して交通を整備するのは国を持つものとして当然です。前国
主の堀直政が何もやってなかったから大変ですよ。本国の久太郎(堀秀治)を踏みつぶす
のは造作もないことです。景勝が会津に行った事業は言うに及ばず、上野・下野・岩城・
相馬・正宗領・最上・由利・仙北に道をつなぎました。土地の者も何とも言ってません。
しかし、堀直政だけが道を作るのを恐れ、色々言ってくる。武道を知らないから慌ててい
るのだろう。本当に逆心があるというなら、道を作ったりしないで封鎖するでしょう。
不審な点があれば、使者をください。全てを見せて合点いかせます
0456人間七七四年2016/07/23(土) 23:10:18.37ID:CyfSxpKt
一、景勝は、3月に謙信を追悼するために暫く時間を空け、夏に上洛する気でした。在国
中に国の情勢を整えるつもりでした。増田、大谷から使者が来て言うには、景勝に逆心の
噂あり。違うなら上洛してそう申せと言うことだ。逆心が無ければ上洛せよなど、乳飲み
子の考えで是非に及ばず。昨日まで謀反を企てるものも、世の中の流れが変われば知らん
顔で上洛する。そういうのは景勝には似合いません。景勝家中の藤田能登守という者が、
家をでて上洛したことがありました。景勝を攻めるより、密告者を処罰してください。
景勝が裏切り者か、内府様に表裏があるのか、世間が判断してくれるでしょう。
一、どれだけ言っても耳に入りませんよね。景勝に逆心はありません。内府様が物事を分
別できるようになったら上洛します。もしこのまま在国したら太閤様の意志に背き、数通
の起請文に背くことになります。幼い秀頼様を見放すことになりますが、仕方なしです。
こちらから戦を仕掛けると悪人の名は逃れられませんし、末代までの恥となりますので、
やりません。しかし、不義だと言われては、誓言も堅約もありません
一、隣国で堀が景勝逆心と唱えているのは既に知ってます。会津が動くと言いまわって、
人や兵糧を支度してるそうですが、無分別者の仕事です。耳を貸さないでください
一、内府様へ使者を送って話をしようと思ってましたが、隣国では堀が騒ぎ、家中からは
藤田能登守が同様のありさまです。裏表のあるものばかりで意志が通じません。
一、何事も遠いので、推測するしかありません。言うまでもないと思いますが、世間は白
黒を知っています。事実を教えてください。気ままに思うままに書きました。文章に考慮せ
ずに書きました。

慶長五年 四月十四日
豊光寺
直江 山城守 兼続
0457人間七七四年2016/07/24(日) 11:47:45.74ID:AIH+VKwt
会津に移されたくせに越後が欲しいと一揆を扇動したから謀反が疑われたのに
越後が自分のもののように書いている時点で謀反を認めているのと同じだから
受け取った家康が即刻謀反認定して会津征伐になるのは当たり前であり
家康が天下を取りたいと考えていることとは別次元の話なんだよね
0458人間七七四年2016/07/24(日) 13:56:06.23ID:oGkThim7
反徳川の武将は正直わがままなだけ
0459人間七七四年2016/07/24(日) 14:36:08.09ID:1oTgaLb0
家康は人を欺く天才
こんな腹黒い狸が天下を支配するようになった関ヶ原以降、日本から正義が消えた
0460人間七七四年2016/07/24(日) 16:48:58.42ID:4VOfvy33
>>459
禿藁
秀吉が信長の葬儀を行った日に、日本から正義は消えたんだよ。
0461人間七七四年2016/07/24(日) 20:10:33.93ID:bvixtRFM
力こそ正義

勝ったものが正義
0462人間七七四年2016/07/24(日) 21:47:30.54ID:WAXFwwXe
大坂の陣スレに豊臣信者の主張の纏め見たいのがあったけど
豊臣信者って徳富蘇峰や司馬遼太郎あたりの知識で語るから
始末に悪いんだよな
0463人間七七四年2016/07/24(日) 22:46:16.97ID:AIH+VKwt
>>459
人を欺く天才は三成だろ
朝鮮では偽講和をでっちあげたり豊臣股肱の臣たちが秀吉の命に背いたようにでっちあげたり
日本に帰れば関白の謀反をでっちあげるなど秀吉を騙し続けた
家康にクビにされた後もおとなしく辞めるように騙して謀反の準備を進めるなど
秀吉や家康を欺いて日本を混乱の渦に陥れた
0464人間七七四年2016/07/24(日) 23:50:13.16ID:pew5MPH1
>>459
アレですか、隆慶一郎みたく「江戸時代始まるまで日本に差別は無かった」
なんて馬鹿げた主張を信じてる口ですか?
0465人間七七四年2016/07/25(月) 00:09:53.02ID:MLbqc+1/
不思議なんですけど、今回のトルコのクーデターとの関連で関ケ原を語る人は何故か
居ないんですね。
大統領が明らかに計画を知ってたみたいな所とか、共通点が多そうな気がしますけど?
まあ、関ケ原はあんな見事な返り討ちじゃ無くて、危うく負ける所だった気がします
けどね。
0466人間七七四年2016/07/25(月) 00:12:50.01ID:JZ2D5XOT
トルコのクーデターと関ヶ原は関係ないし
0467人間七七四年2016/07/25(月) 00:21:31.32ID:fR3UrLTs
関ヶ原にとらわれすぎ
0468人間七七四年2016/07/25(月) 00:37:28.69ID:kJwfnoPL
昭和40年台の小説マニアらしい発想
0469人間七七四年2016/07/25(月) 01:41:10.38ID:gc9/Xvl+
なんでもかんでも関ヶ原とかない
少しは頭を使うべき
0470人間七七四年2016/07/25(月) 02:44:47.91ID:GzkAY3qp
小説の知識が全てになるとこんなこじつけするようになるのか
0471人間七七四年2016/07/25(月) 04:34:20.32ID:kJwfnoPL
まあこいつは次のレスじゃ違う話題に首突っ込むから反省することはないのだろう
0472人間七七四年2016/07/25(月) 05:39:48.44ID:b0BuTqWK
トルコのクーデターと関ヶ原をこじつける間抜けがいると聞いて
0473人間七七四年2016/07/25(月) 15:33:31.84ID:/XHI8KHW
>>392
おまえアホだろ
秀頼の達筆な書を見たことないのかよ
5歳であれは弘法大師なみだぞ
諸大名たちもみんな秀頼の書を欲しがった
0474人間七七四年2016/07/25(月) 16:21:06.21ID:MLbqc+1/
>>471
いやだから、ある程度お互いの腹が読めてる状態での騙し合いとか謀略の駆け引きとかの
話題を振りたかったんです。
勿論、状況証拠での話に成るから直ぐに一次資料がって言う人から見ると論外でしょう
けどね。
0475人間七七四年2016/07/25(月) 17:05:51.17ID:2/FwoBR9
少しでも一次資料より西軍に都合いい妄想をするのは日本の歴史が気に入らないと言っているようなものだから日本から去って納得できる歴史を歩んでる国に行け
0476人間七七四年2016/07/25(月) 17:12:41.87ID:YPLVdUb2
一次資料より東軍に都合いい妄想もおなじだけどな
0477人間七七四年2016/07/25(月) 18:02:38.19ID:Fd6Av/uj
>>464
本当にバカだな
戸籍だって整理出来てない状態で出自による差別ってどうやってやるんだ?
応仁の乱から始まった戦国時代の内戦であらかた資料が無い状態なのに、そんなもんが残ってる筈ないだろ空馬鹿
明治以降の新平民に代表される全ての差別は江戸時代に整備された資料によるしかないくらい、余程のバカでも無いくらいわかるだろ
家康を嫌うのは、家康の整備した国体により差別を固定化された連中の末裔だ
0478人間七七四年2016/07/25(月) 19:28:25.63ID:JZ2D5XOT
河原者とかそのへんは差別対象になってはいなかったの?
0479人間七七四年2016/07/25(月) 19:52:54.41ID:YjoNGSHY
>>477
おまえ中世社会史一ミリも勉強したことないだろ
0480人間七七四年2016/07/25(月) 20:52:27.03ID:H1HZuI+H
>>474
小説そのものじゃん
0481人間七七四年2016/07/25(月) 21:32:17.69ID:FfaM1JTP
>>473
おバカをおだてていただけ
0482人間七七四年2016/07/25(月) 21:42:26.98ID:YvFzqUJF
やっぱりバカがフルボッコになってたw
0483人間七七四年2016/07/25(月) 22:29:44.77ID:D/wl+NGN
久しぶりに見に来たけどやっぱ大学とかでちゃんと史学やってないとだめだな。何がおかしいかも理解できてない
0484人間七七四年2016/07/25(月) 23:01:20.94ID:Rbt9KpP+
こいつ大坂城の堀の埋め立てや方広寺の鐘銘問題を
徳川の謀略とか小説を鵜呑みにした知識でムキになってた奴か
0485人間七七四年2016/07/26(火) 05:29:18.02ID:yVKChrJi
>>483
いや別に専門教育を受けてなくても
小説と自分の妄想をごっちゃにしてドヤ顔で語るとか
フィクションと現実の区別がついてる人なら
恥ずかしすぎて普通やらないから
0486人間七七四年2016/07/26(火) 07:54:06.17ID:FKI7u+Za
>>478
河原者であることをどうやって証明するんだ?
河原者に戸籍を与えてそういった階層として管理しない限り、永続的な差別なんて不可能だろう
0487人間七七四年2016/07/26(火) 07:54:40.33ID:FKI7u+Za
>>479
だから、お前はバカなんだ
0488人間七七四年2016/07/26(火) 08:01:27.59ID:fPo8uA7W
戦国時代にはまったく戸籍が存在しなかったって主張してるの?
0489人間七七四年2016/07/26(火) 09:00:30.49ID:I4E7S5xh
シリア内戦みたいな状態だろ。
避難民やら破壊やらで、混乱状態。
当時の戸籍は寺が管理していたんだろうな。
0490人間七七四年2016/07/26(火) 15:27:37.20ID:yigwodJa
トルコのクーデターに絡めて関ヶ原家康謀略論やりたかったけど失敗したから
今度は戸籍とか、また急に話題を変えて逃げだのか
0491人間七七四年2016/07/26(火) 17:57:23.66ID:FY6HVLyV
同和教育などで「部落は近世に作られた」とされてきたが、
藤沢靖介によると、「織豊政権または江戸幕府が、まったく新たに被差別身分を作り出した」という学説を唱えた研究者は未だかつて一人もいない。

近年、中世以前に被差別民が集住した河原などの「無縁」の地と、近世において被差別民の居住地と定められた地、
すなわち近現代の被差別部落に直接つながる土地とが互いに重なる事例が多く報告され、中世の被差別民と近世の被差別民の歴史的連続性が注目されるようになってきた。
検地帳などにより「穢多」層の源流には、中世の賤民の系譜にあるもの、一向一揆を含めて戦国期の敗残者の系譜にあるものなどの存在も明らかにされている。

また、被差別部落の人口比率が高いのは、京都、兵庫、奈良、和歌山、愛媛の順(1908年調査)であり、東京(江戸)には少ないことから、江戸幕府が作ったものとするのは不自然である。
室町時代には既に、村人が穢多に対する差別意識を記した史料が現れている。

かつての近世起源説に見られた、近世権力が無から突然被差別身分を作り出したかのような論説は近年は姿を消しつつあるが、歴史教科書などにおいては未だにこの論調が多い。
0492人間七七四年2016/07/27(水) 06:06:13.61ID:19Flgrcb
だいたい差別ってものは人間の感情から生まれるものでしょ?
戸籍が無ければ差別が出来ないなんて事はなく、既に差別行動が起きていて
戸籍はそのような扱いを定着させるってほうが実態に近くないかね。
0493人間七七四年2016/07/27(水) 08:43:08.89ID:73ir8vfx
>>489
戦国時代には、寺も戦争にフル参戦してる
寺を焼いて虐殺するのは信長しかいないって思ってる空馬鹿も世の中にはいるみたいだが
現実は浄土真宗同士で皆殺しとかもやってる。
そんな状態で戸籍が残るわけないだろ
0494人間七七四年2016/07/27(水) 08:43:48.16ID:73ir8vfx
>>488>>490
わかったかバカ
0495人間七七四年2016/07/27(水) 08:49:14.34ID:73ir8vfx
>>492
差別の話と被差別部落の話を混同するな解同
個人をその地域その階層だと規定する物が無くなってる時に、
その人が部落かそうでないかなんて誰がわかるんだ?
わかったかマヌケ

現実見ろキチガイ
0496人間七七四年2016/07/27(水) 10:58:23.79ID:bE5MZinV
関が原と関係ない話すんなよ
クズども
0497人間七七四年2016/07/27(水) 11:44:14.95ID:Bf9ytf7l
>>493
人別張とか残ってるやん
0498人間七七四年2016/07/27(水) 11:59:35.04ID:rHfEqucb
>>490は否定しないのか
0499人間七七四年2016/07/27(水) 12:40:43.25ID:F4cGuHqN
>>492
そもそも戸籍って徴税(徴兵含む)のためだろ
「差別を固定化するために戸籍ができた!
差別を無くすため戸籍を廃止しよう!」
とか言い出す輩がいたら指差して基地外と罵っていいレベルでは
0500人間七七四年2016/07/27(水) 12:51:58.08ID:bE5MZinV
戸籍すれでも立てろよw
0501人間七七四年2016/07/27(水) 17:13:48.25ID:IDD1pYsU
戸籍によって差別の固定化とかどんな論理でそうなるんだろ
俺がそう思うから、ってことか?
0502人間七七四年2016/07/27(水) 18:33:45.31ID:/mbMV65r
目的と結果が逆になってない?
0503人間七七四年2016/07/27(水) 20:39:42.22ID:Btx1n2JW
>>463
まあ三成は秀秋を味方に誘う際の条件の一つに関白代行なんて条件を出してるしな
おまえにそんな権限無いだろうに
そもそも三成は関ヶ原決戦に至るまでの間に出した書状を見るに、情報収集能力が
徹底的に欠け、豊臣の子飼い連中に嫌われまくってる事を考えると、人心掌握能力にも
問題があるのに、なぜか自信だけは人並み以上にあるから始末が悪い
0504人間七七四年2016/07/27(水) 21:04:36.75ID:+qUycVE9
エサをまくのは常套手段にしても関白にするからー、なんて見抜かれても仕方ない大言壮語
三成の中身がたかが知れる内容だよな

そりゃ負けるわ関ヶ原
0505人間七七四年2016/07/27(水) 22:57:41.57ID:gUjv0dA6
そもそも兄貴が関白を押し付けられた挙句死んだのに関白になりたいと思うか普通
0506人間七七四年2016/07/27(水) 23:23:49.05ID:Taa3aJJo
>>503
そもそも三成が蜂起してから出した書状を見ると、どれだけ自分にとって
都合の良い状況しか妄想してないんだよって、言いたくなるほど見通しが甘いからな
0507人間七七四年2016/07/27(水) 23:35:01.02ID:F4cGuHqN
>>503
その辺は秀吉とか
大体セットで仕事してる増田あたりが
フォローしてたんだろうな
後ろ盾や周囲の協力あっての成功を
自分独力での成功と勘違いしちゃった系
0508人間七七四年2016/07/28(木) 00:01:27.30ID:y7jaTyQu
>>505
ほんとうに関白になれたとしても秀頼が成人するまでの繋ぎ役でしかなくて
まだ19歳だから関白辞めた後の人生のほうが長い見積もりになっちゃうもんな。
かといって辞めるまでに権力基盤固めようとしたら秀頼とその派閥を始末するしかなくて
それはつまり今起こってる関ヶ原の争いと同じ…要するに問題の先送りにしかならないんよね。
秀秋は秀頼に天下を渡したら用済みだからさっさと隠居しろって?それこそ馬鹿げてるだろう。

以上から関ヶ原に繋がる一連の乱は三成らが自分の権勢ほしさに暴走してたとしか思えないのよね。
0509人間七七四年2016/07/28(木) 00:13:40.29ID:nV3k1xEz
>>504
それを言ったら家康だって、日本国を二つ手に入れるつもりらしい...とか
皮肉られてますよ?
約束をもし守ったら、日本全土でも足らないじゃんって意味です。
まあ三成は、上杉を放置しての反転西上を予想して無かったんでしょうね。
ともかく清洲城の兵糧は、手に入れるか焼き払うべきでした。
0510人間七七四年2016/07/28(木) 00:17:32.75ID:+Ln03boE
家康の強さの源は情報収集力だと思う
0511人間七七四年2016/07/28(木) 00:17:57.43ID:EEmFArg8
そもそも三成の挙兵は「五奉行たちは不心得者がでたとしても武力で消そうとするな」
という秀吉の遺言に思いっきり背いている
0512人間七七四年2016/07/28(木) 00:20:42.14ID:+Ln03boE
秀吉の遺言とかどうでも良いでしょ
もう死んでるんだから
0513人間七七四年2016/07/28(木) 00:23:40.85ID:EEmFArg8
三成「家康は太閤殿下の遺言をたくさん破ってるからぶっ殺しまーす!」というのが挙兵理由なんだからよくないでしょ
なお内府違いの条々とかいう難癖
0514人間七七四年2016/07/28(木) 00:27:57.15ID:+Ln03boE
難癖でもつけなきゃ挙兵できないからね
三成の立場じゃ
仕方も無かろうよ
0515人間七七四年2016/07/28(木) 01:59:20.33ID:OEneQ4CN
三成の不足ぶりがよくわかるなあ
0516人間七七四年2016/07/28(木) 07:39:07.60ID:sY3nVbz1
>>509
秀吉なんてまだ信長の配下にすぎない中国攻めの真っ最中、小早川隆景の家臣の乃美氏に、「寝返ったら安芸・長門・周防の三ヶ国与える」
なんて言ってるぞ
0517人間七七四年2016/07/28(木) 08:30:55.33ID:Y3kpnFfs
三成も左近を家臣にしたり諸侯を西軍に引き入れる為に私財を投げ打たなければならなかったのに
それが質素な生活だなんだと美談で語られる司馬の巧妙
0518人間七七四年2016/07/28(木) 10:59:13.89ID:+Ln03boE
私財があるなら実際質素なんでしょ
つか家康も質素だよね
0519人間七七四年2016/07/28(木) 11:19:25.71ID:rx8wYT7U
三成は自分も秀吉になりたかったのかもしれない
0520人間七七四年2016/07/28(木) 15:56:22.10ID:EtqPdO6S
大河は三成挙兵は昌幸の入れ知恵ぐらいの設定してきそう
0521人間七七四年2016/07/28(木) 16:27:54.44ID:BzE55qut
さすがにそれはやらんだろ
「昌幸さん挙兵のこと相談もしないでごめんねごめんね〜」って書状あるし
0522人間七七四年2016/07/28(木) 22:40:33.62ID:SQFajSlK
>>508
秀頼に関白を譲ったら将軍位でももらえば
0523人間七七四年2016/07/28(木) 23:15:49.00ID:9qOElRsH
>>506
三成の関ヶ原至るまでの見通しを幾つか挙げれば
上杉、佐竹を敵にまわした状態で、三、四万の兵力しかおらず
しかもその大部分は領国の十五城の防御に当てねばばならず
残りの兵力で二十日の道のりをかけて上方に来られるか

家康に従っている東海道筋の大名達も家康に懇意にしているとはいえ
それは一年くらいで、秀吉の二十年来のご恩とは比べものにならないし
秀頼に不届きな態度をとれるわけが無い、まして人質になっている
妻子を見捨てる事は出来ないだろう

分別も無い者が一万くらい家康に荷担しても、尾張や美濃のあたりで
討ち取れるだろうし、それを承知で家康が上方に進軍してくれば
上杉、佐竹、真田は関東に袴を着けたまま乱入できる

堀や丹羽なども味方になるといってきており十二月か来年の春くらいまでには
家康討伐のため関東に向かうなどなど

こんな情報を送られてしかもそれを信じ込んだ西軍方の人間は哀れだな 
0524人間七七四年2016/07/29(金) 03:19:04.17ID:XmHLeGAL
西軍が勝っても日本はまとまらなかっただろうな。
少なくとももう一波乱起きそうに思うな。
0525人間七七四年2016/07/29(金) 06:17:04.15ID:Vamro+N3
>>523
そもそも恩義とかいう精神論から違うんじゃないの
戦国時代はそこまで武士道だの二君にまみえずとかの忠義を第一とする精神論はないよ
あれはもっと後の話

自分に利するものに仕える、自分を庇護してくれるものに仕える、時代だから徳川がそれにみあえばそれはそうなるよ
0526人間七七四年2016/07/29(金) 06:51:56.78ID:Mlv6t2pu
>>525
ま、それを時代とともに一代で体現したのが
藤堂高虎かなーと思うな。
0527人間七七四年2016/07/29(金) 07:24:15.58ID:snyGqSdZ
>>523
前期の頃の真田宛や佐竹宛ての自信満々の書状や、逆に開戦直前の増田宛ての
愚痴に溢れた書状とか或は偽作かと思えるくらい両極端なんだよな
0528人間七七四年2016/07/29(金) 07:51:33.02ID:Ue24aPu0
>>527
あれは単純に岐阜城の戦い前後だから
それでも心が折れていないのは大したものだが
0529人間七七四年2016/07/29(金) 09:36:27.69ID:y5esxr8k
>>526
でも高虎って言う程不義理は働いてないんだよな
0530人間七七四年2016/07/29(金) 12:38:06.44ID:mQ42xYGV
>>524
いくつかの国に別れて安定する可能性も
0531人間七七四年2016/07/29(金) 13:02:50.51ID:MkUkogZU
九州勢が島津、中国勢が毛利、四国が長宗我部、どれも仲良くしなさそうだな
0532人間七七四年2016/07/29(金) 17:05:16.67ID:liAowYq5
>>525
基本は自分の領地を守る為の忠義ですからね。東海道の豊臣恩顧大名にしてみれば
籠城抗戦しても大阪からの援軍は間に合う訳が無く、確実に死亡ですからね。
伏見城の鳥居元忠みたいに敗亡必死でも籠城する根性の有る人は居なかったって
事です。
逆に言うと、大阪からの援軍が間に合うかも?って状況ならかなり違うって事です。
すぐさま尾張方面に主力を向かわせるべきですよね。
まあ、家康も九月まで主力を動かして無いし、八月中に東海道に西軍の主力が出てくる
と如何なるのか?ってのは疑問です?
0533人間七七四年2016/07/29(金) 21:03:02.57ID:2FTjqpYo
大阪から援軍くるから、って言う信頼関係すら結べてないからな、大阪方。
0534人間七七四年2016/07/29(金) 21:14:38.00ID:y5esxr8k
ガラシャ焼き殺してる暇有ったら、とっとと東進してりゃいいのに陰険無能集団西軍はこれだから
そのくせ正則たち先発隊が清洲に来ただけで、大垣に逃げ帰って好き放題暴れられるチキンだし
0535人間七七四年2016/07/29(金) 21:21:04.90ID:kJa1MEJ5
西軍こそが恐怖や利益で人を支配しようとした
0536人間七七四年2016/07/29(金) 23:17:34.27ID:b4Ly/qh4
家康側は利益は示せても、在陣している豊臣系の大名を恐怖で脅せる材料持ってなかったしな
内府ちがいの条々を重視している研究家にすれば、三奉行達が三成に荷担した時点で
家康の軍事行動の公儀性は失われた事になるらしいし
0537人間七七四年2016/07/29(金) 23:38:12.86ID:uol4Kkq2
歴ヲタに掛かると西軍派はぐうの音も出ない感じだなw
0538人間七七四年2016/07/29(金) 23:53:31.50ID:R3MK7B0K
>>533
『援軍やるからおめぇんとこの城と城にある全物資を差し出したまえ』
みたいな上からの物言い感満載だったのがいけない。
京極が土壇場でぶちきれて離反したのはそのせいだし。
0539人間七七四年2016/07/29(金) 23:59:15.02ID:ZAMv57sB
>>537
てゆうかこのスレって西軍派なんているのか?
東軍こそ史上で西軍なんて存在することすらおこがましいと力説してる
徳川ヲタが井戸の中でデカい声出してるだけに見えるぞ
0540人間七七四年2016/07/30(土) 00:01:46.15ID:pimjMslO
>>539
自分、西軍派でしょ?
0541人間七七四年2016/07/30(土) 00:06:14.06ID:jNDWbe8O
日和って裏切り者ばかりのチキン集団である西軍推しは
正論に対して反論出来ないから逃げているだけ
0542人間七七四年2016/07/30(土) 00:18:30.96ID:BsEhMbgF
家康一強状態に頑張って対抗しようとした点は普通に評価できるのに
それ以上に変な美化するから否定される
0543人間七七四年2016/07/30(土) 00:47:14.13ID:+LergD7R
「内府違ひの条々」の言っていることは正論
0544人間七七四年2016/07/30(土) 01:03:35.56ID:8hRQ6vOR
>>531
関ヶ原で西軍が勝ってもなにもしてない毛利が躍進することは無さそうだし
中国地方統一が関の山だな
0545人間七七四年2016/07/30(土) 02:26:34.05ID:kbf79bHe
>>543
でも幾ら正論でも、東海道に領地が有る大名にすれば徳川に攻められた時に本当に
援軍が来るんだろうか?って事に成るんだよなあ。
そういう人間心理に疎い所が三成に有るんだよね。
小山の軍議のポイントは、すぐさま反転西上を主張した事だと思うんです。
西軍に付けば、直ぐに徳川軍が攻めて来るって暗黙の脅しは強力でしょうしね。
0546人間七七四年2016/07/30(土) 04:52:17.02ID:fSv3HDrs
>>544
伊予は貰ってるだろう
0547人間七七四年2016/07/30(土) 06:24:09.28ID:+R+7/Gux
>>545
東海道は元々徳川の支配地域だったから地理を知り尽くされてもんな。
場所によっては現地に住んでるのはズバリ元徳川領民でコネもある。
元領民達を煽ってゲリラ工作なんて嫌がらせもしてくるかもしれない。
そういうのも含めると「大軍がただちに助けて来れる」って安心感がないと
東海道沿いの大名は西軍には行きづらいよね。
0548人間七七四年2016/07/30(土) 06:42:17.21ID:AU+qS74u
>>543
正論というか豊臣が絶対という価値観においての主張だからな
時代はすでに徳川に流れていたのだから尊守すべきことではなくなっていたな
周辺武将もとっくに秀頼なんて信用してないしそのさらにつかいっぱしりの三成なんてなおさら。
0549人間七七四年2016/07/30(土) 08:31:24.24ID:iuD3R/Av
そんしゅって言葉を使うのって、うちの会社のコネ入社常務だけだと思ってた
0550人間七七四年2016/07/30(土) 10:25:18.27ID:uoIBi1L1
>>543
最後の条は自分の管轄地域の寺社を庇護して何が悪いんだ?
流石に難癖だろ
秀吉が八幡宮潰してとって代わる意図があったとでも言うならまあ
0551人間七七四年2016/07/30(土) 10:58:15.70ID:gUX9F1+B
>>550
あれは義直を産んだ側室お亀の方が、石清水八幡宮の祀官家・田中氏の分家である
京都正法寺・志水宗清の娘だから無理やりぶっこんだんでしょう
0552人間七七四年2016/07/30(土) 12:13:12.07ID:Iw3m/xRN
>>549
ごめん遵守だな
0553人間七七四年2016/07/30(土) 16:15:53.17ID:8hRQ6vOR
>>551
足利義満の母も同じ家だっけか
0554人間七七四年2016/07/30(土) 16:57:20.96ID:gwK7IjDC
>>543
その正論によって朝鮮やら秀次事件やらで大勢の大名が処罰されてきたわけで
これまではそんなことお構いなしに秀吉に正論とやらを言うだけでよかっただろうが
今回はその正論を訴える相手が処罰を受けてきた大名たちだからね
こうなると三成の言う正論とやらは危険思想でしかなくなる
0555人間七七四年2016/07/30(土) 17:02:02.91ID:xW6obWzm
内府違いの条々は正論じゃなくて「一方的主張」に過ぎないからなあ。
しかもその西軍側の主張に賛同者が少なかったからこそ勢力に広がりを欠いたわけで。
0556人間七七四年2016/07/30(土) 17:25:05.58ID:uoIBi1L1
>>551
一代前の大友と宇佐八幡宮的な関係になってたら
それはそれで大問題な気がするんだが
側室との関連性かそれは気づかなかった
教えてくれてありがとう
0557人間七七四年2016/07/30(土) 18:17:07.85ID:d02ZMkCa
>>>555
内府ちがひの条々、大雑把に十三条の内容を言えば

一、十人衆の間で相互信頼の誓詞をしたのに、まもなく二人の奉行を逼塞させた
一、五大老の1人利家の子、利長を討伐すると言って人質を取り逼塞させた
一、上杉景勝には何の罪科もないのに太閤の遺命に背いて、征伐の出兵をした
一、知行方をすべて自分の下に取込み、秀頼成人まで知行を行わないと言う誓詞に背いて、忠節なき者に知行を宛てた
一、伏見城から太閤の定めた留守居のものを追い出して、自分の手兵を置いた
一、十人衆のほかには誓紙のやり取りを禁じているのに数多くの大名と誓詞のやりとりをしている
一、政所様の御座所である大坂城西の丸に居住している
一、家康のいる西の丸にも、御本丸と同じように天守を設けた
一、諸将の妻子は人質なのに、自分の党派の妻女達を国許へ帰した
一、大名間の許可無き婚姻は厳禁であるのに、家康は数知れぬほど私婚を行った
一、若い衆を教唆先導して、徒党をたてさせた
一、十人衆が連署で行うべき政務を家康一人で専断している
一、家康の側室の内縁で石清水八幡宮の検地を免除した

拙い意訳で申し訳ないが、結構おまえがそれを言うかって内容なんだよな
0558人間七七四年2016/07/30(土) 19:05:27.41ID:zyNvVcXR
>>557
4条目って忠興の事だと言われてるよな
そら一家ぐるみで敵に回しますわ
0559人間七七四年2016/07/30(土) 19:07:48.29ID:TgFJZTTL
>一、十人衆のほかには誓紙のやり取りを禁じているのに数多くの大名と誓詞のやりとりをしている

これ、「お前がいうな」にも程があるよなあ
0560人間七七四年2016/07/30(土) 19:12:50.89ID:pjvsbVRh
先にやったのは家康。だから西軍も同じことやっても許される
いや後手な分若干過激になってもしょうがない。
ちゅう弾劾状というより自己弁護状やな
0561人間七七四年2016/07/30(土) 19:24:49.84ID:+R+7/Gux
>>560
まぁ、徒党を組む件に限ればガチで三成のが先にやってたりするのだが
0562人間七七四年2016/07/30(土) 19:31:40.74ID:q7Z0m0mV
そんなに秀吉が生きているようにしたいなら秀吉を生き返らせろよ、と
0563人間七七四年2016/07/30(土) 19:32:50.72ID:xW6obWzm
つか秀吉が死んだ直後に、即座に毛利輝元と誓書交わしたのは三成だからなw
0564人間七七四年2016/07/30(土) 20:01:07.73ID:LfHWXHQr
秀頼は象徴化で十人衆制を続けるのも秀頼が成人したら秀吉と同等の権力を持たせるのも日本のためにはならなかった
0565人間七七四年2016/07/30(土) 21:02:57.26ID:FFltueJj
三成が当時全然支持されてないことから正当性のかけらもないのがまるわかりなんだよな
0566人間七七四年2016/07/30(土) 21:21:10.43ID:dHyVKmbT
西軍勝利なら東軍の主力を釘付けにした真田が最大戦功?
立花宗茂が途中で到着すれば立花?
0567人間七七四年2016/07/30(土) 21:36:17.09ID:EHvHS3lH
あの大事な時期に、宗茂に一万五千も兵付けて大津に送り出すバカ采配
0568人間七七四年2016/07/30(土) 21:43:45.88ID:yqeG5oKR
宗茂はやる気マンマンだったが総大将の毛利がやる気0。
勝てるわけないわな
0569人間七七四年2016/07/30(土) 22:43:09.12ID:d02ZMkCa
>>566
秀忠軍は当初から真田攻めが目的で真田勢の挑発に
引っかかって上田攻めを始めた訳では無い
予定の通り上田攻めを始めた途端、家康から急遽合流しろとの
命令が来たので慌てて城攻めを中止して西上しただけ
初戦で秀忠軍にある程度の犠牲が出たみたいだが
砥石城は陥落しており、上杉勢は最上攻めに掛かり切り
三成軍は周知の通りの有様で完全に大軍医囲まれた孤立状態、
じっくり秀忠軍が腰を据えて、兵糧攻めなど攻城戦で戦っていたら
結果はどうなったか分からない、軍記物が伝える奇襲などは何度も使える策では無い
0570人間七七四年2016/07/30(土) 23:15:23.98ID:8hRQ6vOR
実際にそれがどう評価されるのかはわからんな
真田は「俺のおかげで西軍は勝てたから信濃と甲斐と上野よこせ」と主張するだろうが
0571人間七七四年2016/07/30(土) 23:16:00.35ID:8hRQ6vOR
確実なのは西軍が勝っても豊臣家の領土は60万石に削減されるってこと
0572人間七七四年2016/07/30(土) 23:24:01.80ID:BsEhMbgF
>557
>秀頼成人まで知行を行わないと言う誓詞に背いて
忠義の西軍が勝った場合はここ守るのかな
0573人間七七四年2016/07/30(土) 23:31:03.91ID:TgFJZTTL
長政や三成を除いたことを法度違反だと詰るなら家康の追放も法度違反じゃないのかな
0574人間七七四年2016/07/31(日) 00:18:30.25ID:n2hWGyyP
>>571
???
西軍勝利なら、少なく見ても徳川の250万石と東軍大名の没収所領で400〜500万石は
新領地が浮きませんかね?
十分功績の有る大名を満足させられる論功行賞が可能だと思うんだけど?
まあ、大大名が牽制し合う微妙な連立政権になる可能性が高いとは思うけどね。
0575人間七七四年2016/07/31(日) 01:05:59.90ID:8Gyi9HTd
>>572
守ったら戦乱でしょw
0576人間七七四年2016/07/31(日) 04:01:16.60ID:yDycVigA
>>574
関東の徳川領が空いたら上杉がここぞとばかりに出張るだろうな
西国武将はまた甘い汁を吸えずに鬱憤をためる
でまた反乱。
真田あたりは豊臣を見捨てて上杉と結託して甲信および江戸から伊達領あたりをうかがうんじゃねえか

で、豊臣はまた滅亡
0577人間七七四年2016/07/31(日) 04:38:25.22ID:h6vT1s3F
徳川厨の妄想すごいなw
0578人間七七四年2016/07/31(日) 04:59:45.69ID:8Gyi9HTd
関ヶ原の最中も、毛利も島津も三成の意図とは違う行動とってたわけで
戦後は言わずもがな
0579人間七七四年2016/07/31(日) 05:03:33.61ID:SEop8uId
西国の毛利と東国の上杉に最低でも200万石以上の領土は与えることになるとして
それらが暴走した時に牽制出来るように島津立花長宗我部宇喜多佐竹真田らにも4、50万石以上は必要
小早川と織田にも二カ国与える約束してるし石田大谷と奉行連中にもそれなりの領地を与えないとまずいし
徳川領は全部ボッシュートできても前田からは関係性考えると全部は取り上げられないだろうし
親兄弟で東西に分かれてた家の加増は少なめでいいとしても豊臣家からの持ち出しはかなりありそうだね
0580人間七七四年2016/07/31(日) 05:35:44.60ID:O2AHeFfV
ほぼ群雄割拠状態だな
0581人間七七四年2016/07/31(日) 06:03:42.64ID:umMOL6X8
最低でも二百万とか五十万以上とか結論から言いすぎじゃね
ない袖は振れない
誰がどういう理由で知行を割り振るのか知らないけど、名目は秀頼君の名前で、それに不服を唱えれば秀頼君への反逆な訳で
文句言える立場の人間がどれだけいるのやら
0582人間七七四年2016/07/31(日) 06:05:34.21ID:SM/3HQiu
>>577
だってなあ
豊臣は結局支配力がない
西国武将はトロい連中ばかり

徳川いなくなってもうだつのあがらなさは変化しないよ
0583人間七七四年2016/07/31(日) 06:07:28.18ID:SM/3HQiu
>>581
つーか御輿かついでるように見えて豊臣恩顧なんてまるでいないよな
0584人間七七四年2016/07/31(日) 06:38:56.76ID:MP6KwxVM
そもそも西軍勝利とかいう
しょうもない架空戦記を妄想するスレじゃないわけだが
0585人間七七四年2016/07/31(日) 07:02:55.73ID:Cnj7Rbqt
明治維新が薩長で成し遂げたと言えるなら東軍が負けたなら明治維新みたいなものが300年早まってどちらかの軍事政権が樹立していたかも知れないね。
まあ、でも戦乱の世に逆戻りで毛利、島津、上杉、伊達の四つ巴じゃないかなあ?
0586人間七七四年2016/07/31(日) 08:26:04.51ID:4XxXI7+r
>>577
SM/3HQiufは連投しまくって、何がそんな必死なんw
0587人間七七四年2016/07/31(日) 08:52:39.12ID:4t3NJ0l+
>>585
伊達か、実際上杉との戦事態は最上の方がずっと貢献度が高いと思うんだが
伊達家の記録や孫の代で改易されたから評価低いけど
0588人間七七四年2016/07/31(日) 09:26:29.03ID:/kJloSKm
>>587
伊達政宗が戦争が苦手なだけで、家の大きさで考えたら本来奥羽の覇者は伊達で当たり前だろ
口が上手いだけの能無しが政宗だとしてもな
0589人間七七四年2016/07/31(日) 09:34:13.57ID:e9BoL/KC
>>585
揃って地方大名だから厳しい
0590人間七七四年2016/07/31(日) 09:41:58.84ID:SEop8uId
>>581
その理屈だとそもそも名目的には秀頼の為に働いていた家康に逆らうことすらできなくなりそうだが
もともと挙兵の正当性が怪しいのに恩賞で不満を抱かせたらまずいだろう
0591人間七七四年2016/07/31(日) 09:48:27.20ID:7ooKe3XY
西軍ヲタというか徳川アンチ?が
反論出来ずに煽りででしか抗うことが出来ない件について
0592人間七七四年2016/07/31(日) 10:47:10.07ID:SM/3HQiu
>>583
ごめん、恩顧は居たな
豊臣秀吉にひきたてられてたのは全員恩顧だわ
秀吉没後誰一人忠義者が居なかっただけ
0593人間七七四年2016/07/31(日) 11:37:07.53ID:Y5jPMBMj
>>588
政宗が能無しなら
それにボコられた上杉家はもっと無能になるぞ
0594人間七七四年2016/07/31(日) 11:51:14.93ID:m/IzbaZo
ぼこられたって…
0595人間七七四年2016/07/31(日) 12:04:17.66ID:/kJloSKm
龍だか虎だか威勢の良いことほざいて出羽の鮭好きの狐に勝てなかったんだから
片目龍よりは無能だろ
0596人間七七四年2016/07/31(日) 12:43:14.99ID:aRdZjsDv
>>587
当時の景勝や兼続の書状とか
そのあたり考察してる論文読めばわかるけど
普通に対上杉戦での政宗の功績は大きいぞ

上杉勢が旧伊達領の廃城で地下人一揆鎮圧してる間に最前線の白石城奪われて
長谷堂戦いにしても通説と違って畑谷城落城の三日後には最上氏への援軍派遣を決め
景勝も政宗がどう出てくるかどうかで防戦の対応が変わってくるから
当初山形方面に送るはずだった武器や兵を仙道に振り分けたり
福島城攻撃に関しても福島方面の情報つかめないまま
上杉方多くの首取られて伊達勢の勝ち逃げ状態のまま撤退されて
政宗出てきたら無二の一戦とげたいと望んでた景勝・兼続にとっては相当屈辱だったと思う
0597人間七七四年2016/07/31(日) 14:39:50.44ID:SM/3HQiu
上杉って正直そんなに強くないよな
最強呼ばれた謙信なんて武田に押され気味
関東武将をおさえにいっては争乱再発
北条をせめきれない
家臣団は長尾でも上杉でも団結できないさせられない
景勝にいたっては直江の暴走もとめられない
政敵景虎の暴発もとめられない

クソだな
0598人間七七四年2016/07/31(日) 15:17:15.39ID:oK5UrQ3H
国替えあったりで上杉もね
越後勢が強かったワケでw
0599人間七七四年2016/07/31(日) 15:28:31.79ID:i2CcVXgv
上杉は義の将ってどこを取ったらそうなった?
0600人間七七四年2016/07/31(日) 15:32:00.58ID:oK5UrQ3H
それにしても関東出兵の費用はどこから捻出してたのか
関東管領とはいえ北前船に佐渡金山あたりか
0601人間七七四年2016/07/31(日) 17:20:14.33ID:KrAtop60
佐渡が上杉支配下になったのは景勝時代で
佐渡金山が発見されたのは関ヶ原の後に徳川支配下になってから
0602人間七七四年2016/07/31(日) 17:38:51.41ID:wgXpfedZ
>>580
とはいえ、それぞれの領国の中は戦国時代よりはだいぶん安定しそうじゃね
しかもそれぞれがベルギーくらいの面積は有りそう
0603人間七七四年2016/07/31(日) 18:17:29.24ID:7K3RxHSd
青苧を近畿に輸出する収益がでかかったはず
0604人間七七四年2016/07/31(日) 20:00:33.68ID:cO0Xp5U8
関ヶ原って徳川の天下になるかそうでないかであって、豊臣の為に戦ってる人間なんていないでしょ
豊臣なんてただの戦の口実素材
例えば信長が足利幕府の為に動いてたか?って話よ
0605人間七七四年2016/07/31(日) 20:12:33.86ID:/ZmvlDGq
>>604
動いてたよ? >信長が足利幕府の為に動いてたか?
0606人間七七四年2016/07/31(日) 20:18:26.13ID:+wklXEgD
No.2として働いてたら首切りされたから倒すしかなくなった
0607人間七七四年2016/07/31(日) 20:59:21.94ID:pce9uqlO
義昭をたててはいたが信長自体は朝廷おしだよな
0608人間七七四年2016/07/31(日) 21:11:52.67ID:kYssPtdm
信長は急激に地位を上昇させてたから朝廷もそのうち廃止しそう
0609人間七七四年2016/07/31(日) 21:12:47.82ID:oEqrU8OF
未だにそんなこと言うやつおるのかw笑える
0610人間七七四年2016/07/31(日) 21:47:44.69ID:7rvYkYkE
>>607
信長って律儀だよね。あの信長が何されても決して義昭をないがしろにしなかった。
0611人間七七四年2016/07/31(日) 22:33:21.06ID:ffZNA0Lb
朝廷への献金も欠かさないしな
ノブはまさに国士
0612人間七七四年2016/07/31(日) 22:54:05.51ID:va49ZvVv
>>604
信長も家康も足利・豊臣に楯突く連中を成敗していただけなのに
足利・豊臣が勝手に逆ギレして自滅していったのは似ているな
0613人間七七四年2016/07/31(日) 23:21:36.93ID:ffZNA0Lb
足利は自分というものが見えてなかったよな
義輝にしろ義昭にしろ
人気落ちたのにいつまでもアイドルきどりのオバサンって感じだわ足利14
0614人間七七四年2016/08/01(月) 00:26:54.68ID:Sn+jpYhj
>>612
それは違うんじゃないのかな?
応仁の乱の後の幕府は、名は将軍家でも実質は管領細川家の勢力だし細川も内紛で
ぐちゃぐちゃに成って家老の三好の勢力になってますよね。
信長の時代には実質的な幕府領なんて何処にも無い訳ですからね。
豊臣家の場合は、まだ勢力を纏める後見人的な人が居れば充分家康に対抗できた
はずです。
でも、なんで豊臣秀次を粛正したんだろうね。
沢山居る秀次の娘の一人を秀頼の正室にするとかで、話を纏める事は可能に思え
るのにね。
0615人間七七四年2016/08/01(月) 07:18:54.12ID:EUedSONa
>>614
>勢力をまとめる後見人
後北条(伊勢)、(本物の)斎藤がいる土岐、今川、こんなに足利贔屓がいる。
0616人間七七四年2016/08/01(月) 07:55:55.32ID:BIff3my1
>>614
>>612は対抗できるできないの話ではないだろ
0617人間七七四年2016/08/01(月) 15:52:19.48ID:LQuv8fmx
話が繋がらない
昭和40年代小説ファンさんは根本的にオツムが弱い模様
0618人間七七四年2016/08/01(月) 19:10:43.11ID:X+75Rrxg
まあ以前からかなり怪しい日本語だったからなぁ
致命的に頭が悪いのか或いは日本人じゃないか
0619人間七七四年2016/08/01(月) 19:22:18.50ID:vacn4H9Z
一つのレスの中で話が飛躍してるよな
0620人間七七四年2016/08/01(月) 23:24:08.25ID:mV0k2JvZ
三成というのは結局、こんなにも正しいことをしている自分に味方しない連中は馬鹿か自己利益しか求めない無節操な連中ってことなんだろう
自分のことは棚にあげて
0621人間七七四年2016/08/02(火) 01:05:35.14ID:HG6zFwnC
一時期のただの無能バカってイメージからすこしは見直されてきた忠義者三成、だったと思うのだが

結局ただのわがまま、無鉄砲のバカでした
0622人間七七四年2016/08/02(火) 01:13:18.18ID:HJbqDjOs
三成個人の復帰復権の為の動きとして関ヶ原以上の機会は無いから正しい
豊臣家の為の動きとしては評価できない
0623人間七七四年2016/08/02(火) 06:12:13.12ID:/ZvwiqNV
善政は敷いてたんだけどね。
あれは島左近の手柄かなあ?
同僚からはめっちゃ嫌われてた
0624人間七七四年2016/08/02(火) 08:00:30.44ID:Xw4PgqOL
というか、悪政敷いてた大名って誰?
そんなにいないと思うんだけど。
0625人間七七四年2016/08/02(火) 08:02:00.04ID:tBl21u3N
>>623
善政の具体例ってあるの?
0626人間七七四年2016/08/02(火) 09:58:08.80ID:3enpF6iZ
善政(6公4民)
0627人間七七四年2016/08/02(火) 10:19:49.61ID:N/V5fvXy
石田三成が領民から慕われていた、なんてのは昭和、しかも戦後のつくり話だぞ。
0628人間七七四年2016/08/02(火) 10:21:46.19ID:tBl21u3N
>>626
ああ田中角栄的善政というか、大衆迎合に特化した善政(笑)ってやつか
0629人間七七四年2016/08/02(火) 10:34:42.66ID:HG6zFwnC
自領で善政なんてそんな難しい話じゃないよな
0630人間七七四年2016/08/02(火) 12:44:41.99ID:oyoANvVX
光秀さんの悪口はそこまでだ
0631人間七七四年2016/08/02(火) 15:37:35.43ID:tLpU3bcR
民衆に慕われてたとか、善政で持ち上げられるけど、勝家、正則、秀秋みたいな武人でも出来る事じゃろ
領地は三成よりもデカいし
0632人間七七四年2016/08/02(火) 15:48:47.74ID:FE0KmT2v
清正の方が圧倒的に慕われてるな
三成ザコじゃん
0633人間七七四年2016/08/02(火) 17:11:20.14ID:UHqyxIS4
あれだけ徳川時代が長かったにもかかわらず、畿内では明治になるとすぐに豊国神社があちこちに再建されたし、三成を祀る神社も彦根にはできたしな。
よほど慕われていたということだ。
それに比べて徳川はw( ´,_ゝ`)プッ
0634人間七七四年2016/08/02(火) 17:55:15.50ID:C3Zd0WeT
>>633
残念ながらそれは明治新政府のプロパカンダなw
0635人間七七四年2016/08/02(火) 18:17:15.17ID:jb5VjJCx
徳川アンチは豊臣の醜聞はすぐ勝者によって作られた歴史というけど
明治政府が自己正当化のために200年以上前の出来事まで口を出して歪めたことの方が絶対大きい
0636人間七七四年2016/08/02(火) 18:22:48.21ID:tBl21u3N
また、部○差○の話を始めるのか?
0637人間七七四年2016/08/02(火) 20:12:01.24ID:unvssqpl
>>631
ほんそれ
自分の領国で善政なんて当たり前
悪政ふるうなんて漫画のなかの悪役領主だけだわ
0638人間七七四年2016/08/02(火) 20:28:12.64ID:qYGcZrFv
清正も優秀、三成もまた優秀と言いたかっただけだわ。
0639人間七七四年2016/08/02(火) 20:32:25.92ID:w3a+eRPV
>>627
なんでも都合の悪い事は作り話にするんですね。
旧領主の人気が高くて井伊が苦労したとか言われてますが、これも捏造なんですか?
実は佐和山城主だった時代は意外と短いんで、寧ろこれは井伊が嫌われてたんでしょうけどね。
0640人間七七四年2016/08/02(火) 20:39:33.28ID:Gz4pfgf/
三成くんには地方領主の才はあったけれど天下を取り仕切る能力には欠けていたと言いたいのかな?
0641人間七七四年2016/08/02(火) 20:41:54.91ID:3enpF6iZ
>>639
まずは「井伊が苦労した」という話のソースを提示するべきでは?
0642人間七七四年2016/08/02(火) 20:42:26.17ID:5IvdPiMN
捏造なんですか?
とかアホな事書いてる暇があったら
それが記されてる史料を出せばええやん
ほらはよ
0643人間七七四年2016/08/02(火) 20:58:40.22ID:NN/iQT1a
秀吉の影響が色濃くてしかも西軍の首謀者であった三成の遺領だったからそういう意味で苦労したというのはあるかもだが
三成が善政を布いていて人気が高かったから苦労したなんて話はなんの小説ですか?
更には佐和山領主時代が短いから井伊直政が嫌われていたという妄執と発想力に脱帽だわ
ただの寿命だろうに
0644人間七七四年2016/08/02(火) 21:02:58.50ID:ZcVXcoga
そもそも三成が佐和山の領主だったのは文禄4年(1595)から慶長5年(1600)までのたった5年だぞ。
領主と領民の間にさほどの関係性すら成立しとらんわ。
0645人間七七四年2016/08/02(火) 21:48:48.47ID:UHqyxIS4
>>634
はあ?
おまえアホ?
大阪、京都、滋賀、名古屋とあちこちに豊国神社は再建されてるで
徳川贔屓はサラッとウソつくから強いわw
0646人間七七四年2016/08/02(火) 21:50:32.30ID:Y1wbppF7
清正は戦時体制を取りやすいように地方領主の力を強くして清正のリーダーシップで統率し上手く国を廻した。
しかし、清正だから統制出来たわけで戦時の終わった江戸時代では寧ろこの国の体制は非常に効率が悪く、
地方領主の力が強い中、強権を行使しずらく、加藤家は家中の統制に失敗し改易に繋がるのである
0647人間七七四年2016/08/02(火) 21:52:49.64ID:3enpF6iZ
>>645
豊国神社の再興が明治政府の後ろ盾によって行われたってことだろ?
0648人間七七四年2016/08/02(火) 22:05:03.36ID:FE0KmT2v
まあ豊国神社どんだけ建てようが日光東照宮1つに敵わないんですけどねw
0649人間七七四年2016/08/02(火) 22:30:45.65ID:oPI1/ZZl
>>645
それ全部秀吉ゆかりの地じゃん
0650人間七七四年2016/08/02(火) 23:15:00.16ID:UkgsfD4W
徳川は鼻塚や畜生塚など豊臣の建造物の多くを保護している
豊国神社なんてどうでもいいものだけを取り上げてプロパカンダに使うのは馬鹿げている
0651人間七七四年2016/08/02(火) 23:27:33.55ID:R5g7Esuc
>>645
肝心要の豊臣家は再興されないけどな
0652人間七七四年2016/08/03(水) 00:11:39.14ID:fm7/tuqj
政権奪取するきっかけを作ってくれたアメリカに敗戦することになったのは自国の歴史を否定して豊臣や石田を過大評価した罰だ
0653人間七七四年2016/08/03(水) 00:14:09.53ID:MHapHTtH
>>643
当時の近江は先進地帯で、領主の三成は商業の事も良く分かる人だと思うんですよね。
そこにガチガチの重農主義の人が転封されたら反発は大きいんじゃないかな?
三成が善政と言うより、新領主が不人気だと思います。
0654人間七七四年2016/08/03(水) 00:23:14.27ID:LMgrW2m3
>>653
井伊が重農主義って何て小説の設定?
0655人間七七四年2016/08/03(水) 00:25:52.12ID:7OWqrsN4
昭和の小説じゃ井伊直政ほとんど目立たないからって偏見と無知晒しすぎワロタ
0656人間七七四年2016/08/03(水) 00:35:03.86ID:ZHc5gIiM
> 領主の三成は商業の事も良く分かる人だと思うんですよね。

ただの願望で笑っちまったわ
0657人間七七四年2016/08/03(水) 01:31:59.28ID:t2mo1P2Q
>>反発は大きいんじゃないかな?

三成じゃなくてどこで反発されていたって?
重農主義っつうのもわからんし
三成可愛さに意味不明な新領主叩きしはじめてわろえるんだが
0658人間七七四年2016/08/03(水) 01:49:23.91ID:ZlDtxtQi
三成信者ってこんなんばっかりなん?
0659人間七七四年2016/08/03(水) 01:55:07.73ID:lGuFJHSd
領国の収入は農業だけとは限らないしな
海に面しているなら通商も大いにありうる
0660人間七七四年2016/08/03(水) 02:06:52.80ID:t2mo1P2Q
>>658
こんなんばっかりです
0661人間七七四年2016/08/03(水) 05:57:47.43ID:DnEhHVTD
この戦いの大義名分は西にあったと思う
0662人間七七四年2016/08/03(水) 06:21:11.50ID:oXUU5mnp
大義名分か?ただの自己弁護だろ
0663人間七七四年2016/08/03(水) 06:37:17.38ID:a2/CJXYH
仮に加藤清正が西軍で三成ポジションだったら東軍に勝てたかな?
0664人間七七四年2016/08/03(水) 07:22:37.44ID:Kg3JSCq9
>>663
どうあがいても仮定が成立しない。
アカの他人の毛利上杉と連んで、秀吉遺児や秀吉遺族が困窮に陥る可能性が生じないと確信出来るほど、加藤清正がバカなら
修羅道の亡者しかいない肥後を維持できる筈がない
0665人間七七四年2016/08/03(水) 07:49:42.52ID:WKBYcWM+
>>661
そう思う根拠は?
0666人間七七四年2016/08/03(水) 08:29:26.99ID:4ldhcgyz
>>653
最初から最後まで捏造願望で乾いた笑いしか出ない
井伊直政に関しては戦後処理に忙しく所領の佐和山に居た期間は
温泉治療を除いた病気療養のための半年に満たない

>>663
加藤清正なら豊臣の為にならないそんな馬鹿なことはしないので
仮定そのものが成り立たない
0667人間七七四年2016/08/03(水) 08:32:45.86ID:K3LoHVJa
大儀とかどうでもいいし、大儀に根拠は?とかもっとアホくさいw
0668人間七七四年2016/08/03(水) 09:00:14.14ID:KRnnfRjq
そうね。
西軍のクーデターである事は明らかなのに、無理矢理西軍に筋を持たせようとして
始まった議論でしかないからな。

西軍のクーデター失敗で全て収まる。
0669人間七七四年2016/08/03(水) 09:22:27.09ID:I9celmD3
クーデターとか概念のない時代にクーデターという用語を当てはめても意味が無い
それにクーデターかどうかと勝敗は全く関係ない
0670人間七七四年2016/08/03(水) 09:27:54.83ID:KhE31c/Q
小早川隆景が生きていればなあ
0671人間七七四年2016/08/03(水) 09:30:07.76ID:2OSoOhoy
ただの権力争いに正義だ忠義だ言うからおかしくなるんだろ?
0672人間七七四年2016/08/03(水) 10:31:55.68ID:KRnnfRjq
>>669
クーデターという言葉がないだけで、概念はあるんだが。
0673人間七七四年2016/08/03(水) 11:40:26.34ID:B6u458xj
滋賀とか和歌山にも東照宮あるけど、すげー寂れててワロタ
0674人間七七四年2016/08/03(水) 11:59:51.65ID:P8toNXwh
だけどさあ。小牧長久手だって建前上は家康が信長の為に織田信雄と組んで逆臣秀吉をということでしょう?
勝てば官軍なだけで三成に大義名分がないなんてことは言えないんじゃ?
0675人間七七四年2016/08/03(水) 12:12:28.00ID:MmId6rgI
問題はその名分が家康に劣っていたことだろ
ただでさえ実力で負けてるのに正当性ですら勝てないとなると
戦意に乏しい奴らの働きは更に期待できなくなる
0676人間七七四年2016/08/03(水) 13:03:01.77ID:B6u458xj
長いものにまかれろの打算的なやつばかりの中で、石田三成こそが本物の忠臣だよ
0677人間七七四年2016/08/03(水) 13:13:54.02ID:oXUU5mnp
>>669
おいおい謀叛全否定かよ
単純に三成が権力を取り戻そうと必死になったゆえの反乱、そんだけの話で

立派にクーデターだわ
0678人間七七四年2016/08/03(水) 13:15:51.42ID:oXUU5mnp
>>676
自身の利のため、がほとんど
お題目だけの豊臣担ぎでしかない
徳川よりは豊臣家に忠義を示しているだろうがそんなもんクソだ
0679人間七七四年2016/08/03(水) 13:18:26.26ID:2OSoOhoy
徳川に対抗するために毛利に便宜を図る忠臣三成ww
0680人間七七四年2016/08/03(水) 13:21:49.46ID:KfKIJg2F
三成が具体的に豊臣家の為に何やったの?
徳川家の方が豊臣の為に動いてるように見えるよ
0681人間七七四年2016/08/03(水) 13:23:17.84ID:5jqGVltQ
>>674
建前じゃなくて、小牧役の本質は信長の跡目を信雄と秀吉で争った戦争だろ?
家康は信雄方に付いた一武将。
0682人間七七四年2016/08/03(水) 13:45:00.12ID:y/WWUlLO
>>645
自分の書き込みが相手を利するところが分からんとこを見るとやっぱりのにわか知識を披露したいただの馬鹿だったか
0683人間七七四年2016/08/03(水) 13:48:03.48ID:oXUU5mnp
>>680
秀吉に重用された官僚ってだけだよね
自分の就職先が没落していくのを無能な二代目社長を操り人形にして利権を取り戻そうとしただけ
二代目社長をもり立てる、つもりですらない
言葉だけの忠義
0684人間七七四年2016/08/03(水) 13:57:55.99ID:3jfZ35Ws
三成は西軍の巻き返しにどれだけの勝算があって関ヶ原から逃げたのかね
仮に大坂城まで逃げたとしても、それこそ家康との交渉の材料にされるとか考えなかったのか
凡庸な輝元だけど、大坂の陣後の行動とか見ると、その程度の狡猾さは持っているだろうし
0685人間七七四年2016/08/03(水) 15:22:20.00ID:6wYHIiiA
三成には後ろ盾が無さすぎる
あげくに個人の人望もない
なにごとか為す人間性じゃなかったな
0686人間七七四年2016/08/03(水) 15:47:06.22ID:lZXSuGFA
岐阜城陥落の時点で毛利にも見捨てられてるしな
0687人間七七四年2016/08/03(水) 16:08:45.03ID:7OWqrsN4
>>684
柿のエピソードみたいに諦めたらそこで試合終了ですよ的な考えだったんじゃね
0688人間七七四年2016/08/03(水) 18:10:22.54ID:+e0c9u+x
それもただの負け惜しみだよな
救いにくる人間がいるほどの人望もなし
自力脱出するならそんなこと言わずに早くしろ
徳川の温情に期待するならもっとしおらしくするか弁舌でも聾せよ

そも秀頼の身を案じろよ
0689人間七七四年2016/08/03(水) 18:10:54.20ID:HYQQlo61
>>669
クーデターの日本語訳は謀反でいいんじゃね?
0690人間七七四年2016/08/03(水) 18:15:40.00ID:K3LoHVJa
クーと謀反は似て非なるもの
どう違うかはよく勉強しなおせ
0691人間七七四年2016/08/03(水) 18:15:47.02ID:+e0c9u+x
政権転覆がクーデター
主君に反旗をひるがえすのが謀反
0692人間七七四年2016/08/03(水) 18:32:59.83ID:tICbxLYQ
つかまあ、柿の話も後世のつくり話だしなあ。三成は捕まってから死ぬまでの記録らしい記録が一切ない。
0693人間七七四年2016/08/03(水) 18:36:01.89ID:Kg3JSCq9
>>691
それなら石田三成の行為はまさにクーデターだろ
0694人間七七四年2016/08/03(水) 18:38:27.87ID:VUwolcql
>>669
普通「クーデター」を使うのは現代の視点で見た場合だろ
他の現代の概念を当て嵌めるのも同じ
当時にその概念があったかどうかは全く関係ない
0695人間七七四年2016/08/03(水) 19:29:52.18ID:0istJcN/
>>669は、クーデターの意味も使い方も知らないんだから、もう許してやってくれ。
そもそも『概念』が何かもわかってないっぽいが。
0696人間七七四年2016/08/03(水) 19:47:49.40ID:+e0c9u+x
禁門の変までいくと完全にクーデターだよなあ
0697人間七七四年2016/08/03(水) 21:24:21.86ID:PILALB2G
毛利は将軍狙ってそう
0698人間七七四年2016/08/03(水) 21:37:39.46ID:WKBYcWM+
>>684
文官らしく命惜しさに逃亡しただけの行動を
豊臣、西軍贔屓の連中が美化しただけだろう
0699人間七七四年2016/08/03(水) 23:33:35.71ID:XkfUcWxB
三成たち奉行は家康が招聘される10年以上前から政権中枢にいたのに
そもそも奉行連中が10年以上も豊臣を守らなかったから家康が招聘された
家康が役に立たない三成たちをリストラするのは当たり前なのに
クビにされたことを恨んで武装蜂起などクーデターどころか謀反ですらない
はっきり言って三成の行為はただ世の中を混乱させようとするテロ行為でしかない
0700人間七七四年2016/08/04(木) 00:47:25.23ID:xFB73N+H
>>684
宇喜多と一緒に大阪城まで戻れていればまだ再起の芽があった…かなぁ。
三成単身で帰ったらそのまま切り捨てくらうだろうね。
0701人間七七四年2016/08/04(木) 01:16:09.54ID:HAfRZb9U
>>681
家康は信雄方の一武将って建前だから、単独講和で家康が窮地に陥ったんでしょ?
まあ、実質は家康対秀吉でも建前が建前ですからね。
家康が勝ったら、又物凄く嫌らしく汚い手口で信雄を消したんでしょうね。
まあ、秀頼を消すよりは簡単でしょうしね。
0702人間七七四年2016/08/04(木) 01:51:24.55ID:VMwh28Pc
>>699
一、二行目の意味がさっぱり分かんない
妄想史観やめて
0703人間七七四年2016/08/04(木) 02:22:36.84ID:nz9Yc5C5
小説でも家康が信雄方の一武将という表現はないと思うが
単なる無知からくるアンチ家康という立場を鮮明にしたな
0704人間七七四年2016/08/04(木) 04:54:18.33ID:GBl9Gk6g
石田大好きアンチ家康な無知なんて最初から明らかだったでし
0705人間七七四年2016/08/04(木) 06:15:50.55ID:7GIPj80d
本来三成なんて小西行長程度の扱いで十分だよな
0706人間七七四年2016/08/04(木) 06:20:33.68ID:s4IHNsxs
秀吉の時に兵糧奉行から始まって戦奉行まで歴任してるんだから官僚としては優秀じゃないか
0707人間七七四年2016/08/04(木) 06:23:05.90ID:PSLJq9Mc
家康sageの意見は受け入れるんだな
0708人間七七四年2016/08/04(木) 06:32:43.63ID:7GIPj80d
>>706
役職にはついているけど後々軋轢をうむ仕事ぶりだったあたり優秀と言い切れるかどうか怪しいもんだな
0709人間七七四年2016/08/04(木) 06:36:15.26ID:SAmNgHDi
相変わらず願望まみれで痛々しいなぁ
しかし何だって石田厨ってのはこんなのばかりなのか
0710人間七七四年2016/08/04(木) 07:16:53.06ID:YFmx4qn+
いくらここが学問板じゃなくて趣味板でも
小説から得た知識()と自分の妄想まみれの長文をしつこく垂れ流したら
馬鹿にされてボコボコに叩かれるのが分からんのかね
石田厨は巣から出てくるなよ
0711人間七七四年2016/08/04(木) 07:27:39.78ID:kfD42Jl/
石田三成の頭蓋骨
http://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/7742a4f067dd65073bfb183399a9c19b
近年まで残っていたのに、管理不良で散逸してしまった
0712人間七七四年2016/08/04(木) 09:04:07.32ID:KChegI4N
歴史を見るのに下げも上げも無いと思うが
事実が問題なだけでどっちが正義とか意味が無い
0713人間七七四年2016/08/04(木) 12:02:44.33ID:cpjAZtFo
外様大名を利用した石田のクーデターが失敗しただけだな。

それを、根拠薄弱な『忠』やら『義』で西軍に正当性を持たせようとした輩の無駄な試み。
0714人間七七四年2016/08/04(木) 13:33:07.32ID:zBKXNLfM
「直江状」の言っていることは正論
0715人間七七四年2016/08/04(木) 13:37:29.16ID:VYj16vrs
自分が越後の一揆を煽ってるのを棚上げしてるんだよなあ
0716人間七七四年2016/08/04(木) 13:37:42.02ID:HAfRZb9U
>>703
武将と言う表現は確かに言い過ぎですが、信雄が旗印で大義名分ってのは事実
でしょ。
だから単独講和で窮地に陥ったんだし。
信雄は秀吉に臣従するのが嫌で戦ったんだから、家康が勝った場合に如何なるか
疑問ですね。
なんか物凄く甘い考えの人だから、自分の方が家康より目上って自然に考えて
そうですしね。
0717人間七七四年2016/08/04(木) 13:47:30.45ID:DVCRrvAk
さっさと秀吉と単独和睦してしまった信雄
西軍に全力加担しなきゃヤバいのに、どっちが勝ってもいいように保険を打った淀

結果的に不幸になった人数が少ない信雄の勝ち
0718人間七七四年2016/08/04(木) 14:55:33.62ID:etxiG25a
三成は当時は無能ですらない無力な秀頼を軟禁しておいて旗印にしたつもりだった
0719人間七七四年2016/08/04(木) 15:03:32.41ID:KZkHTTh2
>>714
片一方においての正論だな
0720人間七七四年2016/08/04(木) 15:08:58.28ID:VYj16vrs
>西軍に全力加担しなきゃヤバいのに、どっちが勝ってもいいように保険を打った淀

多分西軍が勝った場合「西軍に加担したせいで豊臣を滅ぼしたアホ女」って呼ばれたと思う
0721人間七七四年2016/08/04(木) 15:28:48.55ID:Fu8qLapK
こんな政権の構図(構想)だろ?

信長─秀吉他
├家康
└長政


信雄─一益他
├家康
└成政
0722人間七七四年2016/08/04(木) 15:30:14.22ID:Fu8qLapK
>>721
一益は間違いだな。誰かに差し替えといてくれ。
0723人間七七四年2016/08/04(木) 15:35:34.72ID:nz9Yc5C5
>>716
一武将は言い過ぎというレベルじゃなくて全くの嘘だから
あと信雄の単独講和で家康は別に窮地に立ってはいないな、窮地に立った家康をみすみす逃がしたんですかね秀吉

小説マニアはなんか物凄く浅はかな考えの人だから、自分の意見が誰より正しいって自然に考えて
そうですね。
0724人間七七四年2016/08/04(木) 16:23:19.65ID:PSLJq9Mc
信雄の単独講和で家康が困りこそすれ、窮地に陥った小説ってあったっけ?
是非読んでみたい
0725人間七七四年2016/08/04(木) 16:24:02.19ID:DVCRrvAk
>>720
まあ、七将襲撃みたいな事件を起こしちゃう人だから
毛利とか制御出来るわけないしな
0726人間七七四年2016/08/04(木) 16:29:04.91ID:LD49M5l7
>>710
では、てめえは何から得た知識なんだよ?
家康信者はキチガイだなw
0727人間七七四年2016/08/04(木) 16:29:11.46ID:PSLJq9Mc
>>720
あの時点で西軍に荷担するのは秀頼の最大の後ろ楯を排除することだからな
0728人間七七四年2016/08/04(木) 17:06:58.83ID:m9KKEzhw
官位で見ても信雄と家康では比べ物にならない。
信雄が講和したあとは攻勢に出ることがなくなりも戦線も縮小。
0729人間七七四年2016/08/04(木) 18:05:32.77ID:b+CQeygi
>>726
論文とか書状とか軍記物とか
適切に検索すれば大学やサイトや国会図書館の
デジタル資料とかでネット上でも見れるし
論文集や書状集も対象となる人によっては博物館(特に関連展示のある時)で買えるよ
実例を挙げると黒田家文書とか
あなたは博物館にも図書館にもデジタルアーカイブにもアクセスしないで
徳川信者はクソだって
0730人間七七四年2016/08/04(木) 18:06:59.92ID:b+CQeygi
>>729
断言するんだねえ
途中送信ごめんね
石田厨はクソだね
0731人間七七四年2016/08/04(木) 18:08:40.09ID:KZkHTTh2
>>722
本能寺起きなきゃ一益はいいとこいってたと思うよ
勝家が織田の旧臣の象徴みたいに思えるが関東方面軍を任されるだけの立ち位置は確保してたわけだし。
丹羽長秀よりその後の身の振り方が下手ではあったが。
0732人間七七四年2016/08/04(木) 18:32:54.22ID:DVCRrvAk
>>728
そらパワーバランスの問題より
「信雄の為の戦い」って大義名分が喪失したからだろ、攻勢に出ない云々は
0733人間七七四年2016/08/04(木) 18:48:43.03ID:Ovys8QIF
西軍がかてば豊臣家は残りそう
0734人間七七四年2016/08/04(木) 19:09:27.70ID:saPpOccF
毛利家がそのまま徳川家ポジになる可能性は有るけど
史実の徳川一強状態と違って毛利家一強状態にはならないだろうから
確率は高くなるか

で豊臣家が残ると後世にどんなメリットがあるの
0735人間七七四年2016/08/04(木) 19:11:03.38ID:qreLLTpQ
長曽我部ってどうかなあ?でも四国だと海に囲まれてるから無理か
0736人間七七四年2016/08/04(木) 19:13:10.60ID:xh3uUYIk
兄ちゃん殺さなければ土佐半国の大名で残ってただろうな
0737人間七七四年2016/08/04(木) 19:45:39.47ID:6PVUA1b7
>>734
毛利は周りが鍋島黒田細川島津が近くにいるからな、地理的要因にも厳しい
0738人間七七四年2016/08/04(木) 19:57:59.30ID:Fu8qLapK
つか、西軍が勝ったら誰を関東に入れるの?
大大名化するのはどの家?
0739人間七七四年2016/08/04(木) 19:58:15.23ID:KwyOIVUK
豊臣家が残ればいいだけならどちらが勝っても可能性はあるだろ?
秀頼が家の存続より政権奪還を狙わなければ、徳川の世でも生きていけただろうさ。
0740人間七七四年2016/08/04(木) 20:12:03.25ID:MtsN6iG6
>>734
毛利が「関ヶ原の前の」徳川と同じくらいの勢力になるかや
0741人間七七四年2016/08/04(木) 21:13:45.17ID:PSLJq9Mc
毛利の天下になった直後に秀頼が死ねば小早川秀秋が豊臣の後継者になるかもしれない
なお毛利の得意技は養子を送り込んでの乗っ取り・・・
0742人間七七四年2016/08/04(木) 21:16:09.32ID:MtsN6iG6
毛利が豊臣にとって代われないのは、
豊臣が天皇にとって代われないのと同じ
とって代わりたいなら抜きん出た存在にならないと無理
0743人間七七四年2016/08/04(木) 21:18:47.75ID:DVCRrvAk
秀吉を出し抜くのは無理だろうが
淀とか三成ならどうにでもなりそうだがな
0744人間七七四年2016/08/04(木) 21:27:37.26ID:MtsN6iG6
秀吉が王になるという噂はあったみたいだが
本人の真意は不明
0745人間七七四年2016/08/04(木) 21:39:27.12ID:HYtSFSoj
>>741
秀秋には兄弟沢山いるんだから毛利に乗っ取られることはないんじゃないか
仮に跡継ぎを残さずに死んだとしても木下家から兄弟かその子を迎える方が綺麗に収まる
0746人間七七四年2016/08/04(木) 22:38:40.77ID:MtsN6iG6
関ヶ原から大坂冬の陣までの
徳川軍の弱体化は酷そう

20代の奴は一回も戦争経験無いはず
0747人間七七四年2016/08/04(木) 23:00:44.49ID:nz9Yc5C5
大坂方だって若いのは戦争経験ないだろ
0748人間七七四年2016/08/04(木) 23:11:51.60ID:MtsN6iG6
>>738
徳川家は関東だけはまもるかも
0749人間七七四年2016/08/04(木) 23:30:24.35ID:SAmNgHDi
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1426434880/
毎度思うが専用スレあるのに何故ここでやるのか
その逞しい妄想力で過疎スレを盛り上げてやれ
0750人間七七四年2016/08/04(木) 23:51:56.27ID:kEYIh8sm
大阪方は指揮官の無能化が酷かったからなぁ
0751人間七七四年2016/08/05(金) 00:25:28.99ID:f2cZNCd1
七手組ってほんとしょうもないよね
まぁ親衛隊程度だから仕方ないか
0752人間七七四年2016/08/05(金) 01:03:09.06ID:5RjviEss
>>749
てゆうかここのスレってどういうテーマで語るスレなの??
ずっと「三成アンチ」と「徳川アンチ」の罵り合いしかやってないじゃん
0753人間七七四年2016/08/05(金) 01:22:17.54ID:VQ7H2CjT
秀忠が到着してたらどうなってたか
0754人間七七四年2016/08/05(金) 03:03:07.60ID:3zHJ5v5l
混雑した
0755人間七七四年2016/08/05(金) 03:27:39.05ID:nYXpxfbb
家康が良い悪い以前の問題で、輝元なんて頼ってたら馬鹿だろ
利家ならまだ分からんくも無いけど
実際徳川支持者以外は屋敷に集まってたし
0756人間七七四年2016/08/05(金) 06:23:23.94ID:4+7jmA6g
相手を説得するために正論など持ち出してはいけない。
相手にどのような利益があるのかを、話すだけでいい。

ベンジャミン・フランクリン
0757人間七七四年2016/08/05(金) 06:43:25.56ID:VmVz5U80
利家は他界してるだろ
0758人間七七四年2016/08/05(金) 08:26:47.51ID:uCtYoWBB
アスペ
0759人間七七四年2016/08/05(金) 09:24:42.56ID:mRt5EYIP
西軍が勝ったら上杉は旧領を加増?
房総は秀康にやって、家康領は佐竹に。
北九州を毛利、小早川は大和紀伊ぐらい?
小西に肥後一国、島津に日向。
宇喜多も本国中心に加増?
0760人間七七四年2016/08/05(金) 09:36:19.91ID:Qvvq1fhz
>>759
徳川を殲滅出来るとでも思ってるのか?
真田と遊んでた徳川主力がいるのに、佐竹もくそもない。

せいぜい、家康秀忠が隠居で秀康他による分割相続が精一杯。
それより西軍方大名が利益分配で揉めてそのままラウンド2だろ
0761人間七七四年2016/08/05(金) 13:14:42.49ID:0Ol8cPMa
そもそもどうすれば西軍が勝てたんだろうか。調べれば調べるほど西軍は負けるべくして負けたとしか言いようが無い。
0762人間七七四年2016/08/05(金) 13:42:51.61ID:QSyN2ugE
西軍はなんで関ヶ原に出たかね
それより東の街道を封鎖するつもりだったという論も聞いたことあるけど
各城で防備を固めて籠城、東軍を個別に挟撃などで撃破、北陸方面軍が側面から遊撃、
あとまるで役にたたなかった上杉が後方から東軍をおびやかすなどすればまだチャンスあったかもな
まあ上杉は動けなかった、が現実だけど。
0763人間七七四年2016/08/05(金) 15:55:25.68ID:c+i+UBD9
まず大垣城が中規模な城で大軍の籠城には向かない、
しかも低地にあるので水攻めで無力化されるという本格籠城自体が下策という前提があり
その上に小早川の様子がおかしい、南宮山の毛利隊は引き籠ってやる気が見えない、
毛利本体も出陣に及び腰と難題が山盛り
一方東軍は大垣城に抑えをおくか水攻めすればどこにも行き放題、各個撃破し放題、
もし時間がかかっても秀忠隊が合流して戦力増強と家康の急行が成功した時点で断然有利
さらにそれらを見越した上で速戦志向の家康は赤坂包囲陣ではなく平地を前にした小山に陣取って
野戦バッチ来いの構え

関ヶ原に進出することで家康主導の野戦を回避し思惑を外させ
東軍の進路を阻害出来て、小早川の動きを掣肘出来て、
南宮山への圧力を減じて毛利隊を動きやすく出来て
味方の領地を背にすることで、大津攻城軍と合流しやすいし、大阪城の毛利本隊も後詰に来やすい
高所に陣取れるし、空堀等の防衛施設も完備していたので防衛も万全、
小早川と南宮山毛利さえ動けば家康はまさに袋のネズミと
多くの悪条件を逆転・解消・緩和できる打てる最善手が関ヶ原進出
0764人間七七四年2016/08/05(金) 15:57:52.38ID:c+i+UBD9
ぐだぐだ長文を書いたが最善手打って負けるということは家康の赤坂進出を察知できなかった時点でもう詰み
IFるならもっと以前から条件変えないとどうしようもないな
0765人間七七四年2016/08/05(金) 16:02:06.73ID:9bW0VuPS
信長包囲網にも言えるけど、大名の連合が統率されて動くというのは難しい。みんな自分とこを優先するからな
東軍だって決して家康の思い通りに動いてたわけじゃない
思い通りにならないのを前提にどう動くか、三成にはそれが出来なかったんじゃないかな
0766人間七七四年2016/08/05(金) 16:22:24.07ID:c+i+UBD9
思い通りに動かないには朝鮮で経験済みだろうけど、当事者の毛利がヒヨるとは思うめぇ
0767人間七七四年2016/08/05(金) 16:50:11.69ID:wMgtUK4C
家康の話って、なんもおもんないやんね
0768人間七七四年2016/08/05(金) 16:53:40.78ID:yxAUW+DW
関ヶ原で負けても別に諸大名の軍勢だし、実質先鋒部隊なもんだろ
つか関ヶ原まで追い込まれてる事時点で負けも同然だしな
長期戦を嫌った家康と、和睦に持ち込めたら上出来じゃないの
それこそ小牧長久手みたいな感じかな
0769人間七七四年2016/08/05(金) 20:06:17.10ID:U3D7P9zu
>>764
最善手かなあ。決戦を急いだ感じの関ヶ原展開に思えるよ
各地での対徳川への蜂起を期待して長期戦に持ち込みたいのが西軍だと思うんだが。
だからもっと大阪城よりでもいいから拠点防衛に徹して徳川の疲弊をまつほうがよかったとは思うんだが。

まあ徳川のほうも時間かせげれば秀忠も到着するし結局西軍がことさら有利になることなんてないよな
0770人間七七四年2016/08/05(金) 20:11:14.73ID:U3D7P9zu
対徳川の蜂起といっても徳川からうまみを与えられないようなカスばかりだったわけでそんな連中待っても無駄か。
三成ってば秀秋とかに関白だの餌にちらつかせたけど誰が信用したのかね
他の武将も鼻しらんでだだろうなあ
0771人間七七四年2016/08/05(金) 20:27:22.84ID:x9yRXQz5
>>769
チンタラやってたから京極寝返って立花と兵一万五千を派遣する事態になったのでは?
0772人間七七四年2016/08/05(金) 20:27:54.23ID:kYR4CAsG
短期決戦の一発勝負にもちこめたのは
西軍にとって良かったのか悪かったのか
家康がかなり危うかったことも確かだし
0773人間七七四年2016/08/05(金) 20:35:37.10ID:0Ol8cPMa
岐阜城陥落の後、毛利は保身に方針転換してるし、東軍への内応や寝返り、脱落が続出してるから、過去スレで誰かが言ってた通り西軍諸将の共通認識として、岐阜城が落されたら負けというのがあったんじゃないだろうか。
0774人間七七四年2016/08/05(金) 20:35:37.62ID:CLCvwTzt
秀頼の身柄を確保してるから寝返りが出る事を最初は期待してたのかもな
0775人間七七四年2016/08/05(金) 20:37:54.45ID:0Ol8cPMa
西軍は家康の西の丸は占拠したけど、秀頼の身柄は確保出来てたのか?
0776人間七七四年2016/08/05(金) 20:37:54.49ID:pGK24o8N
少なくとも関ヶ原本戦に関しては、家康派完全に勝利を確信してるぞ
0777人間七七四年2016/08/05(金) 21:05:03.57ID:EAInzhq2
>>772
関ヶ原で家康危機なんてあったっけ
0778人間七七四年2016/08/05(金) 21:26:12.45ID:3pP5I9xJ
>>762
そもそも慶長記に拠れば、西軍が出陣したのは
関ヶ原で決戦するためじゃなくて
松尾山の小早川勢を仕置する為って事になってるね
ところがその西軍の動きを知った家康がすぐさま
東軍に出撃を命じ、結果両軍が関ヶ原でぶつかり決戦に至ったみたいだね
0779人間七七四年2016/08/05(金) 21:28:07.54ID:kYR4CAsG
>>777
秀忠軍に主力を全部預けてしまったこと
0780人間七七四年2016/08/05(金) 21:44:37.62ID:pGK24o8N
>>779
ピンチと違う
0781人間七七四年2016/08/05(金) 21:47:19.89ID:Qvvq1fhz
>>779
そりゃ結果論だろ
当時、謙信から始まるあの上杉や、ろくでもないことをやるって意味で定評のある名門佐竹が、
あんな腰抜けなんて誰も思わない
本来なら秀忠率いる主力が佐竹、上杉と潰してまわらないといけない筈だったと思うんだが
0782人間七七四年2016/08/05(金) 21:49:32.38ID:iUCUVNnF
>>778
そりゃ秀吉が死んだらNo.2の家康以外にも豊臣恩顧の抵抗勢力があるのは当たり前だ。
実際戦ってみないとどうなるか分からないからな。
秀頼も生きていて家康は関ヶ原で勝っても秀頼を担ぐおろか65万石の一大名にしちゃったわけだし。
それに燻っていた怒りが淀や豊臣の残党にあったのも事実だし、関ヶ原のあと家康70歳秀頼20歳で立派になった秀頼に対し潰しておかねばが関ヶ原→大阪の役の最後の決戦に繋がった。
豊臣を根絶やしにしないと戦乱の世は終結しなかった。
0783人間七七四年2016/08/05(金) 21:52:00.04ID:kYR4CAsG
>>780
しかし関ヶ原では家康軍はろくに戦ってないんだろ
0784人間七七四年2016/08/05(金) 21:54:35.13ID:pGK24o8N
>>783
井伊隊とか本多隊の戦い知らんのか
0785人間七七四年2016/08/05(金) 21:58:08.84ID:Cgdszu3x
>>782
日本語でOK?
0786人間七七四年2016/08/05(金) 21:58:17.82ID:iUCUVNnF
三成軍は烏合の衆だったからなあ。これ結束力が高ければどうなってたか分かりまへんで
0787人間七七四年2016/08/05(金) 22:02:41.72ID:0Ol8cPMa
その烏合の衆の結束力を高める方法があれば三成も当然やってただろうな
0788人間七七四年2016/08/05(金) 22:02:49.42ID:kYR4CAsG
>>784
家康軍全体から見たらわずかだろ
0789人間七七四年2016/08/05(金) 22:06:42.61ID:pGK24o8N
>>788
お前は何を言っているのか。
もしかして司馬遼太郎とか信じているタイプか?
0790人間七七四年2016/08/05(金) 22:08:07.01ID:DOKz6Q/W
>>779
主力とかいうとまたどっちが本隊かって話になるぞw
0791人間七七四年2016/08/05(金) 22:11:53.75ID:IKFdzjms
>>782
家康みたいな獅子身中の虫がいたことが豊臣家にとって悲劇だった
家康は関白になったときに殺して置くべきだった
0792人間七七四年2016/08/05(金) 22:17:07.55ID:L48BAhSK
確かに西軍に都合のいいタラレバ並べればどうなるかわからんわな
0793人間七七四年2016/08/05(金) 22:23:27.78ID:kYR4CAsG
秀忠軍が到着していたら
恩賞の配分後は残りの全ての大名が束になって掛かっても徳川に勝てなくなりそう
0794人間七七四年2016/08/05(金) 22:48:21.34ID:x9yRXQz5
>>791
そしたら別の奴に豊臣滅ぼされてただけだろ
徳川じゃなきゃ出来ない事でもないだろ
買い被るな
0795人間七七四年2016/08/06(土) 01:56:16.99ID:vLYGO+46
獅子身中の虫と言うか、秀吉が徳川を取り込めていたこと自体幻想
0796人間七七四年2016/08/06(土) 02:05:49.16ID:v55Y/DtL
>>791
関東移封のときに150→240(+結城10)万石じゃなくて200ぐらいに留め、
官位官職は常に利家・輝元と同格か下位にしとけばよかったのにな
0797人間七七四年2016/08/06(土) 02:30:28.50ID:BUXeDJN+
徳川を滅ぼすとか弱体化させるとか、簡単に出来るなら秀吉がやってただろうな
0798人間七七四年2016/08/06(土) 02:36:20.77ID:SQDYhnPs
小田原合戦では次々に北条の支城を攻略していった徳川におんぶに抱っこ状態だったんだからそういう訳にはいかんだろ
秀吉が勝てなかった徳川を絶対に敵には回したく無いしな
0799人間七七四年2016/08/06(土) 03:28:21.13ID:GTwxHCh4
ひたすら一次資料が無いで論破したつもりの人がいますけど、問題はその資料に相互に矛盾や誤記誤植
改竄が有ったんじゃないかって場合が多いんですよね。
例えば史記はたぶん民間伝承も取り込んでるんでしょうが、良く読むと矛盾してる部分も多いんですよね。

龍且は斉で韓信に切られた事に成ってますが、別の資料だと彭城で別の人に切られたりね。
他にも原因は同姓同名の人の混同や同じ地名の混同だと思うのですが、意味不明の迷走とか突然ワープしたりとか?
呂后の死後に廃された少帝弘は偽劉氏にされて殺されるんですが、流石に変でしょ?
基本歴史は虫食いの古文書の解読みたいな物だと思うんですよね。
逸話の類は完全無視も極端過ぎる解釈だと思います。
0800人間七七四年2016/08/06(土) 03:32:55.91ID:UdNcUueV
>>796
それでも十分多いだろ

ただ全盛期の秀吉でも徳川の勢力を削るのにあの程度しかできなかったんだろうな
やりすぎると言うこと聞かないだろうし。
0801人間七七四年2016/08/06(土) 04:55:07.30ID:xa1lgzwj
海内無双の大阪城で籠城すればよかったのにな石田佐吉
律儀に野戦で正々堂々とかさりとてはのモノ
0802人間七七四年2016/08/06(土) 05:20:10.25ID:3/t7entW
>>801
石田三成が事実上の総司令官だといまだに信じてるの?
0803人間七七四年2016/08/06(土) 05:25:55.10ID:71kpyqE4
誰もいうこと聞かせられない奴が総司令とかないよね
発起人が三成にしろ総大将輝元としたのにまるで動かない命令もださない、でホントになにやってんだかって話
関ヶ原西軍のぐだぐだぶりはなにひとつフォローきかないわ
0804人間七七四年2016/08/06(土) 05:29:11.36ID:rnfsZFTo
戦国板なんだから間違えてほしくはないな<大坂
0805人間七七四年2016/08/06(土) 05:35:21.13ID:3/t7entW
>>794
秀頼を自分の立場に付けたいのなら、家康までは殺しておくべきだろ
可能であれば+輝元、義久まで
秀次を死なして安心してる場合じゃない。

実は、秀吉自身が、秀頼の独裁を望んでなかったとかじゃないの?
秀頼が足利将軍家的存在で家康には上杉の役割を務めて欲しかったとかじゃね
大名共の暴走を抑えるために上杉よりは権力を持たせて
>>796
関東を押し付けたら結果的に石高がああなっただけだろ
上野下野あたりをそのまま、坂東武者共にくれてやるか?
直ぐに鎮圧軍を入れる羽目になると思うがな
徳川を滅ぼすって選択肢を捨てた時点じゃ、関東を押し付けるって選択が一番マシだろ
流石に蝦夷とか朝鮮を切り取り次第なんていったら、即戦争だろうし
0806人間七七四年2016/08/06(土) 06:06:08.44ID:xa1lgzwj
天正の楠のほうは九州で籠城して維新斎だかを苦しめたらしいが
治部は嫌われモノだから
0807人間七七四年2016/08/06(土) 06:49:29.68ID:71kpyqE4
>>804
まあ通じればいいんじゃないの
0808人間七七四年2016/08/06(土) 06:52:33.14ID:71kpyqE4
秀吉は関白秀頼を望んでただろうな
幼年だろうがとっとと自分が存命のうちにそれを果たしておけばよかったのにな
まあそうなったとしても形骸化したただの公家あつかいで終わっただろうが滅ぼされるところまでは行かなかっただろうな
0809人間七七四年2016/08/06(土) 07:35:35.34ID:mVaU+k7X
しかし秀頼が三成の子というのは本当なのか?だとしたら三成も血気盛んになるわねえ。
しかし茶々ってとんだビッチじゃねえか
0810人間七七四年2016/08/06(土) 09:11:29.27ID:6aeL25wt
ビッチはそれほど驚かないが、
しれっと太閤殿下の子で押し通しているのはとんだ性悪女だ
0811人間七七四年2016/08/06(土) 09:16:27.80ID:VA96U8iW
乱交パーティーwith茶々のメンバーは皆殺しにしてるだろ…
0812人間七七四年2016/08/06(土) 13:13:34.65ID:HuKo0kWT
家康が主力を連れてきてなくてほとんど戦わなかったとのことだが
戦いが長引けば戦えない軍だってことが西軍にばれるかもしれん
0813人間七七四年2016/08/06(土) 13:24:00.99ID:HuKo0kWT
失敗は西軍の方がはるかに多そうだが、
東軍は一回の失敗が致命的すぎる
0814人間七七四年2016/08/06(土) 13:27:11.89ID:1K0wnKm2
また妄想かよ
豊臣は戦えない軍に勝てなかったんだな
0815人間七七四年2016/08/06(土) 13:55:14.50ID:3/t7entW
>>808
望んでなかった証拠だろ
>>809
三成を禽獣に等しいと貶めたい人達の妄言
カラバカでもなけりゃ三成の立場で、秀吉の側室になんか手は出せない
0816人間七七四年2016/08/06(土) 13:56:27.41ID:3/t7entW
>>813
書くスレを間違ってるぞ
東軍が勝ったら?的なスレは、ここじゃないぞ
0817人間七七四年2016/08/06(土) 13:59:06.94ID:yZOW+sO/
治部が先陣なら
南宮山に輝元自ら陣を進めればよかったのにな

毛利両川でもいれば西軍勝っていたんだろうが
0818人間七七四年2016/08/06(土) 14:05:05.51ID:ZyuHtBxK
>>809
三成が秀頼の父親説については書状等から
淀の受胎時期には三成は博多やら名護屋に居たり朝鮮に居たりでアリバイが有る模様
他に秀頼父候補としては乳兄弟の大野兄弟や大河ドラマでも書かれたような不特定多数説がある
0819人間七七四年2016/08/06(土) 14:08:21.42ID:3/t7entW
>>817
隆景健在なら、関ヶ原なんてバカはやれない。
つまり、前提が成り立たない。

それよりは、他の奉行連中から金と兵をカツアゲしてでも、三成単独で家康とぶつかるとこまで吶喊した方が、
東軍諸将が浮き足立って西軍勝ちの目が出るんじゃね
0820人間七七四年2016/08/06(土) 14:15:43.26ID:BUXeDJN+
三奉行も職務上上方に在駐してたから西軍に取り込まれただけで、本当は関与したく無かったんじゃないだろうか
0821人間七七四年2016/08/06(土) 14:15:45.24ID:HuKo0kWT
>>817
それよりも島津の捨て奸ってあったけどあれ戦闘中にやれば大分戦況変わるだろ
0822人間七七四年2016/08/06(土) 14:21:32.99ID:9bmblMVP
捨てがまりって撤退戦で大将を無事に逃がす為の味方犠牲戦法だぜ?
0823人間七七四年2016/08/06(土) 14:22:22.19ID:9bmblMVP
大劣勢じゃなきゃやらない戦法だ
0824人間七七四年2016/08/06(土) 14:57:53.02ID:yZOW+sO/
本拠地で籠城戦は織田右府もやってないもんな
どのみち野戦やるにしても

近江の瀬田あたりが無難だったのではないか
美濃と摂津ではあまりに遠すぎる
0825人間七七四年2016/08/06(土) 14:59:12.44ID:71kpyqE4
徳川のは失敗とは言えない
だってそれが原因で問題すら起きてない
0826人間七七四年2016/08/06(土) 15:00:49.74ID:71kpyqE4
>>815
望んでたから秀次を関白からおろすためにあんな虐殺したんだろ
そしてゆくゆくは秀頼関白をめざしていた
だが秀頼が幼年すぎて時期を待っていたら秀吉の寿命がきた
0827人間七七四年2016/08/06(土) 15:02:45.86ID:71kpyqE4
>>821
もう書き込まれてるけど、大将にがすための捨て身部隊戦法やってなにが変わるんだよ
0828人間七七四年2016/08/06(土) 15:41:51.03ID:DVFocSVo
>>826
それは微妙じゃないか?秀頼が関白になることよりも、まず秀次から秀頼の命を守るための予防措置じゃないかな
0829人間七七四年2016/08/06(土) 15:44:27.69ID:4j1kde2t
疑心暗鬼で無駄なヘイトばら撒きまくっただけだよな
0830人間七七四年2016/08/06(土) 16:01:08.09ID:GTwxHCh4
>>329
佐久間信盛を粛清したら、明智光秀に謀反されたみたいな感じですよね。
あの時点でも佐久間は譜代家老で明智より立場は上だから、佐久間を粛清してなければ
本能寺の変は有りえんからね。
まあ、若年の家督争いで信長に味方しただけでも普通は一生もんの貸しだと思うだろう
しね。そりゃあ家中が動揺するよね。
本当に結果を知ってると、豊臣秀次事件は訳わからんよね。
0831人間七七四年2016/08/06(土) 16:09:22.07ID:IlcYsFNt
実際の話として家康は関ヶ原で殺されていたんだよ
0832人間七七四年2016/08/06(土) 16:12:53.92ID:71kpyqE4
>>828
そこまで身内の信頼を失ってたのかねえ
正直それ以外、恩顧武将やら提携武将のほうがよほど秀頼支持からはずれていくのが危惧されるだろうに。

まあ恨みやら確執は他人より身内ってのも真理だしね
秀吉秀次間にそういう許せないなにかが生まれていたかもしらんわね
0833人間七七四年2016/08/06(土) 16:15:20.75ID:71kpyqE4
>>831
三方原、関ヶ原、大坂の陣といくたびもあがるよな家康死亡以後影武者説

ありえなくもないがそうなったときに権力体制の維持は難しいだろうな
そんな自陣の連中をいつまでも騙くらかせるわけがない
0834人間七七四年2016/08/06(土) 17:16:32.71ID:3/t7entW
>>833
実は影武者がいて、その正体は岡崎三郎殿だったなんて小説があっても良いと思うんだ
0835人間七七四年2016/08/06(土) 18:30:15.82ID:H3Xe+f/n
>>827
攻めの捨てがまりで直政と忠吉を討ち取る
0836人間七七四年2016/08/06(土) 18:41:51.38ID:nuSQJ5/t
何度も討ち取られて影武者と入れ替わってるのに天下取る家康ってすげー
0837人間七七四年2016/08/06(土) 18:48:25.17ID:qPultzCS
>>835
討ち取ったとかなんという小説?
逆にかわいい甥っ子を討ち取られ数十人程度に減らされているのにな
家康の追撃中止命令がなければ島津軍は壊滅状態だよ
0838人間七七四年2016/08/06(土) 18:48:28.91ID:t+CMpuxo
>>835
いいからお前は「捨てがまり」を検索して調べろ
0839人間七七四年2016/08/06(土) 18:48:40.17ID:PJzDl3ey
家康「私はたぶん3人目だと思うから。」
0840人間七七四年2016/08/06(土) 21:14:05.97ID:pfZ2bcgV
攻めの捨てがまりとは一体
0841人間七七四年2016/08/06(土) 21:25:16.96ID:BVT6ejOY
敗北確定なんだよなすてがまり
0842人間七七四年2016/08/06(土) 22:12:02.66ID:jUtgs+cA
このスレ
知識や通説が十年前ままで止まってたり
小説ソースにしてる奴多すぎだろ
0843人間七七四年2016/08/06(土) 22:27:50.65ID:TYVplmB9
>>834
太閤X「呼んだ?」

>>842
別にいいじゃん
どうせここの住人は、じぶんの支持する武将にとって都合がいいか悪いかで
史実か捏造か決めてるだけだし
0844人間七七四年2016/08/06(土) 22:28:13.61ID:PJzDl3ey
すてがまりとは
簡単に言えば近接射撃法である。外れっこない近距離まで引き付けて斉射し、
最前列を一度に失った相手がひるんだ隙に後銃列が畳み掛けるなり切り込みするなりする戦法である。
比較的狙撃志向の日本ではさほど使われないが、火縄銃の命中精度が悪いヨーロッパでは時たま使われていた戦法である。
島津では敵が目前まで来るまで撃てない恐怖心を克服するために覚悟を決め座り込んで撃つので捨て奸と呼ばれる
島津においても別に捨て石前提の戦術というわけではない。
さて関ヶ原での捨て奸にはいつも省かれる「オチ」があって親子兄弟の屍でも平気で乗り越えてくる坂東武者はそれしきではまったくひるまず、
捨て奸の戦法が通用しない相手とと戦った豊久隊はあわれ踏みつぶされてしまったという。
島津藩の軍学者は繰撃ち(三段撃ちみたいなもの)をして敵兵を減らしてから捨て奸をしなかった豊久の落ち度と推測している
ちなみに義弘が追撃を受けなかったのは井伊隊は敗残兵が間違って本陣に乱入してこないように追い払いに来ただけだったという
0845人間七七四年2016/08/06(土) 22:33:48.07ID:PJzDl3ey
攻めの捨てがまりというと後の時代だけど
ヨーロッパでは装弾したまま銃剣を装着して突撃し相手の眼前で一発ぶっ放してそのままなだれ込む戦法を得意とした有名な変人元帥がいたりしたな
0846人間七七四年2016/08/06(土) 23:14:49.21ID:VymfemPm
という明治期の陸軍が教本にする為に作った島津の架空戦術の名称
0847人間七七四年2016/08/06(土) 23:43:12.52ID:HuKo0kWT
消力だって守りの消力と攻めの消力があるぞ
そもそも500人しかいないのに西軍の勝利と島津の戦功第一を達成するには
普通の戦い方では無理だろう
0848人間七七四年2016/08/06(土) 23:51:54.07ID:M7zk2NuF
>そもそも500人しかいないのに西軍の勝利と島津の戦功第一を達成する

この前提がまず間違っていると思うんだが
0849人間七七四年2016/08/06(土) 23:54:09.38ID:PJzDl3ey
頭弱い子だからそっとしといてあげて
0850人間七七四年2016/08/07(日) 00:12:37.93ID:JOH6z3mq
捨てがまり?お前は左曲がり。
0851人間七七四年2016/08/07(日) 01:06:13.04ID:nlSV9Y78
>>847
あれ、板垣の創作だぞ
0852人間七七四年2016/08/07(日) 01:11:43.25ID:7ep3l79b
島津は1500人はいたはずだよな
0853人間七七四年2016/08/07(日) 01:46:51.71ID:J+6j9EIi
>>843
じゃあ史実はどうなのかお前が断言しろよ
0854人間七七四年2016/08/07(日) 01:53:14.31ID:lXnPUbBw
本人に聞いたもん勝ちということで勝ちたい人は首でも吊ってみるかね
0855人間七七四年2016/08/07(日) 09:45:53.98ID:aGURlHfD
>>853
キチガイ?
本人が真実だと思ってることを垂れ流したら良いって言ってる奴に一々絡むな
0856人間七七四年2016/08/08(月) 10:39:08.43ID:qA03O3xE
決戦直前に三成だ増田に出した書状見ると、西軍はもう統制がとれてなくて、詰んでたしな
0857人間七七四年2016/08/08(月) 11:38:31.61ID:tkAxAdlD
秀吉だって家康がいないと統制できないと分かっていたから筆頭大老として招聘したのに
肝心の奉行連中が現実をまったく理解できていなかったため
西軍のような烏合の衆を作り出してしまった
0858人間七七四年2016/08/08(月) 12:47:13.06ID:H6U2lUvr
>>857
招聘と言うより封じ込めでしょ?
合議制の中では大老奉行の一人なんだからね。
実際に、前田や上杉が帰国した途端に謀反の言い掛かり付けてますしね。
現代みたいに通信が発達しててリアルタイムで会議が出来る訳じゃ無いんだから
帰国のルールや議決のルールをあらかじめ決めとくべきでした。
まあ、遺言で10年は帰国禁止ぐらいは決めとくべきだったでしょうね。
遺言で決めた後見人的人物が殺し合うって、歴史上では良く有る話です。
0859人間七七四年2016/08/08(月) 13:07:56.20ID:DvOdSJze
自民党だって安部に対しての石破みたいな反対派もいる
0860人間七七四年2016/08/08(月) 13:11:56.45ID:NfEhADzu
>>858
> 実際に、前田や上杉が帰国した途端に謀反の言い掛かり付けてますしね
前田は秀頼に対してすら無断で帰国したんだから謀叛疑われるのが当然。
上杉は帰国ではなく上洛要請を拒絶したのであって、これも中央政府に対する謀叛と考えられて当然。

アレを「言いがかり」というのは、典型的な「豊臣史観」
0861人間七七四年2016/08/08(月) 13:34:12.06ID:MNH/onY2
家康が律儀にとりしまってただけだわな
0862人間七七四年2016/08/08(月) 16:08:54.62ID:/XKlD/3v
家康は大変だったろうな
前田は早々に死ぬし
0863人間七七四年2016/08/08(月) 16:20:50.44ID:0BROWfyD
前田って無断帰国したんだ?
0864人間七七四年2016/08/08(月) 16:39:20.30ID:xm0pvFao
前田家の史料「家康が帰れって言ったから帰ったんですけど!」
上杉家の史料「あいつ誰の許可も取らずに帰りやがったぞ」
0865人間七七四年2016/08/08(月) 16:41:33.76ID:ZMqRUDjU
>>858
合議制は秀吉が作った制度ではない。
秀吉の考えは政治は家康が見る、秀頼の後見は利家が見るというもの。
家康の立場は初期鎌倉幕府の執権に近い。
それを他の大老や奉行が秀吉死後に異を唱えて合議制に改めさせた。
0866人間七七四年2016/08/08(月) 17:43:11.98ID:6J+fgQVm
秀頼は茶々が授かり寺に詣でてできた子なんだろ?
つまり坊主達に集団レ○プされて…
0867人間七七四年2016/08/08(月) 17:44:34.37ID:uyVX36yc
今の国連見てても外様(に近い)大老5人制度とか
「皆さんにはちょっと殺し合いをしてもらいます」
レベルの無茶振りでは
0868人間七七四年2016/08/08(月) 20:12:25.55ID:fUQN2uuk
>>863
息子的には立ち位置色々考えるところだったろうな
利家くらいのビッグネームを親にもち、そのうえで家康からプレッシャーかけられまくり、
そりゃ決断に悩むわな
でも家康に傾倒したのは正しい選択
0869人間七七四年2016/08/08(月) 20:14:39.76ID:fUQN2uuk
五奉行はともかく、五大老あたりからしたら政局はっきりせえよ、頼りない書生どもなんてあてにならんわ、っておもうわな

三成はそれでだめ
まるで役立たず
0870人間七七四年2016/08/08(月) 20:28:38.54ID:njCaMARF
>>867
それな
ヒデが何考えてたのかわからんが、
もしほんとに>>865みたいな事情だったとしても
五大老五奉行制が
家康のワンマンで丸く収まるような制度とは思えない
誰が私心がなくて誰が私欲まみれだったとかそんな問題じゃない
0871人間七七四年2016/08/08(月) 20:58:07.92ID:j2Dd4V9S
有力大名に頼らないと立ちいかない所は室町幕府と同じだしな
0872人間七七四年2016/08/09(火) 00:52:56.80ID:FzyjejDI
>>867
単純に領地だけ見ると、前田は徳川の三分の一に見えるけど、姻戚関係を見ると
物凄い大勢力なんですよね。
宇喜多秀家も婿の一人ですしね。その上秀頼の守役の権威まで有ります。
前田利家さえ長生きしてれば、家康もうかつな事は出来ない状況です。
利家死後でも、息子が何と言われようと帰国せず大阪城にいれば家康もどうしよ
うも無かったと思いますね。
0873人間七七四年2016/08/09(火) 04:14:05.81ID:xx+MDbWO
>>871
幕末も似たような仕組みに陥ったな
0874人間七七四年2016/08/09(火) 07:10:38.83ID:Uwror1BN
>>867
輝元は家康に対して兄とも思います、って書状に書いてるし、ずっと徳川派をアピールしてた。
五奉行の浅野・増田や、実務派の大谷吉継等、武断派以外での徳川派と考えられてた大名も多い。
徳川派だけで豊臣政権を回せたはず。

ただ、なぜかそいつらがこぞって三成についちゃった結果、豊臣政権を維持する官僚が全滅しちゃったんだよね。
そのせいで、家康が徳川家の官僚だけで天下の仕置を回さなきゃならなくなった。
0875人間七七四年2016/08/09(火) 07:32:37.16ID:70RF05pc
真に恐るべきは、徳川の官僚だけで天下を采配できた点だよね
0876人間七七四年2016/08/09(火) 07:36:23.12ID:2+2LNeEC
>>874
毛利…恵瓊対広家の論戦で恵瓊が勝利し西軍大将になるも保身しまくりで西軍敗戦に貢献
大谷…東軍として参戦寸前までいくも三成を見捨てられず西軍へ
浅野…家康暗殺の疑いで蟄居してたが東軍としてバリバリ活躍
増田…関ヶ原戦前まで西軍としてバリバリ活躍するも、三成の動向を家康に知らせたり、
豊臣家の蔵前地収入を三成に融通しなかったりと家康へ内通。
関ヶ原戦後はハゲになって全力土下座、高野山送りになったが命は助かった。



ガチに三成についたと言えるのが一名ほどしかいない件
0877人間七七四年2016/08/09(火) 07:40:27.00ID:zvFp6t/I
>>876
ちなみに三成は、関ヶ原直前に大谷吉継を「戦意がない。」と徳川への内通を疑っている。
0878人間七七四年2016/08/09(火) 07:52:43.22ID:2+2LNeEC
>>877
ひでぇw
0879人間七七四年2016/08/09(火) 07:55:49.62ID:xssGqr7l
三成と吉継の仲良しエピソードの殆どは創作だしな
0880人間七七四年2016/08/09(火) 08:07:31.95ID:SGUrnDC2
増田が三成の決起を通報したとされる書状の日付は7月12日ね
0881人間七七四年2016/08/09(火) 08:27:22.71ID:SGUrnDC2
そもそも9月12日付書状に大谷の戦意がないとかいう記述あったかな
長束正家・安国寺恵瓊が大谷とかを南宮山に集めようしてるけど人数が無駄になる
というのを戦意がないと解釈してるなら曲解とかいえんわな
0882人間七七四年2016/08/09(火) 08:33:04.58ID:3p5bYLUu
大谷が西軍についたのは三成なんか関係無いよ
三成の失脚をむしろ歓迎していたような感じすらあるしな
0883人間七七四年2016/08/09(火) 08:41:55.00ID:zvFp6t/I
>>881
> 9月12日付書状
一、今度勢州口より被働条、中国は不及是非、其他長大、大形並御弓鉄砲衆も、長大・安国寺一手被引向様に相見え候間
  大人数回り兼候。人数も少々そこつに罷成体に候事
(伊勢方面から進出した毛利勢は話にならない。その他、長束、大谷、弓鉄砲衆も、長束らは安国寺と一手に引きこもって
いるように見え、せっかくの大軍も無駄になっている。軍勢自体も粗忽な状態に見える。)
0884人間七七四年2016/08/09(火) 09:50:50.02ID:FzyjejDI
>>880
その時点ではまだ毛利の動向は不明なんですよね。
つまり、小規模な挙兵に成る可能性も有り保険をかけただけでしょ?
相手が奉行だから政治的な宣伝に利用しただけで、似た様な手紙はたぶん他にも
有ったと思います。
途中で因幡の宮部が西軍に寝返ったりしてるし、逆に東軍大名が色々通報した
手紙も有ったと思いますね。
0885人間七七四年2016/08/09(火) 11:07:26.03ID:FH9wsKMp
知ったかどもが湧き上がってるなw
0886人間七七四年2016/08/09(火) 11:48:52.32ID:5c8fKwg8
>>876
これだよな
西軍についた、とか言う以前に西軍って団体になれてないよな
東西でわけてるのがものすごい違和感

親徳川派(東軍)対三成、大谷、あわせて多数の日和見勢力だよな
0887人間七七四年2016/08/09(火) 12:10:34.16ID:NJqS1jW9
ガチで三成についたのは0人だよ
三成では人は集まらない
ただの利害関係でついたにしかなく政治力の無いものばかりだからやる気もない
0888人間七七四年2016/08/09(火) 14:44:55.21ID:TQSArvhn
小早川裏切るかも、で抑えに置かれた弱小四隊(脇坂朽木小川赤なんとかさん達)も最初から東軍側に付くつもりだったのかな
脇坂さんは目の前の藤堂と仲良しだし、朽木さんも京極と姻戚関係だし
東軍に縁あるやつらを小早川への備えに配置するってマズイと思うんですよ
0889人間七七四年2016/08/09(火) 15:04:41.03ID:xssGqr7l
元々会津征伐に行くつもりで来たんだろ
0890人間七七四年2016/08/09(火) 15:07:39.76ID:/76shOCp
脇坂らは小早川の抑えでは無い
0891人間七七四年2016/08/09(火) 15:43:17.32ID:2+2LNeEC
>>888
脇坂さんだけ藤堂高虎経由で合戦中裏切る事を確約、実行し所領安堵

残りの三将は事前連絡無しでドサクサに裏切ったので卑劣な便乗野郎として減封とか改易とか
0892人間七七四年2016/08/09(火) 16:12:03.36ID:rr/JbzP0
>>886
西軍大名は、纏まりが悪いのは事実ですよね。
1、個人的な恩義や義理で付いた人、宇喜多秀家なんか。
2、反徳川の意味での西軍、上杉景勝とか。
3、徳川が勝てば自分は破滅だと思う人、奉行連中、商業権益と結びついてた小西とか。
4、事が成れば大儲けの博奕打ち、真田とか。
5、ともかく勝ち馬に乗りたい日和見連中。
だから、数は多くても本気で戦う気の大名は意外と少ないですね。
0893人間七七四年2016/08/09(火) 16:40:12.26ID:2XOHAIQb
>>874
家康→輝元「如兄弟可申承候」
輝元→家康「成父兄之思」

家康は輝元に対して兄弟の如くと言ってるが、輝元は家康に対し父兄の思いを成すと形式上にせよ一応へりくだってるのが面白いよな。
家康の方が年長だし当然と言えば当然かもだが。
0894sage2016/08/09(火) 17:52:52.26ID:GXPwJbPq
>>892
宇喜多が個人的な恩義や義理で西軍についたのって誰に対する?
淀=秀頼は東軍よりだし西軍だけが豊臣じゃないよ
0895sage2016/08/09(火) 17:57:21.89ID:GXPwJbPq
宇喜多も家康が勝てば居場所が無いからだと思うけどね
秀吉の威を刈っていたのは宇喜多も三成と同じ
家中も纏められないようじゃな
0896人間七七四年2016/08/09(火) 18:51:44.86ID:u7uC05XE
宗茂も秀吉への恩義ということになってるな
しかもある意味三成以上にこいつが言うならそうなんだって人抱えてるし
0897人間七七四年2016/08/09(火) 18:59:21.92ID:iotmA27K
東軍もけっして纏まりが良いとはいえないが、
通説を信じるとすれば小山評定で西軍を討つぞーと盛り上がった感じだな
0898人間七七四年2016/08/09(火) 19:46:33.83ID:6cX0J83u
>893
家康が1543年生まれで輝元が1553年だから年齢だけなら兄弟表現の方が妥当なんだよな
中々に微妙な関係で面白いな
0899人間七七四年2016/08/09(火) 19:51:01.33ID:JmimeJw7
>>874
輝元を徳川派と見なすのはちょっと無理があるんじゃ?
秀就が生まれたころから徐々にすり寄る姿勢を見せてはいるが、
それ以前はお互いの家中自体が没交渉に近かったようだし。

どうも輝元は秀吉死ぬ前後における、政治的パワーゲームでも、
イマイチ首がすわらん印象を受けるんだが、
その後の関ヶ原の動向を見ても、本音じゃ
徳川に阿るよりも自分ら毛利ズが、西国勢の代表として
重きを置かれたかったんだろう
0900人間七七四年2016/08/09(火) 19:54:19.27ID:JmimeJw7
>>895
確かに宇喜多は何かでかい地殻変動なしに、あのままでは
ヤバかっただろうね。すでに唐入り後に存在感がなくなってたようだし
0901人間七七四年2016/08/09(火) 20:19:15.50ID:ZF0Ybm3V
>>892
そう思うとやはり説得力のある親方につきたいもんだよね
三成のような理屈ばかりの嫌みな人間では無理なのは当然か
家康も恩賞ちらつかせて味方につけても結構それを反故にしてるけどその後磐石だもんな
豪腕だよな
0902人間七七四年2016/08/09(火) 20:28:23.94ID:DKi+Ond0
宗茂は小早川秀包と義兄弟なんだからそら西軍よ
0903人間七七四年2016/08/09(火) 20:42:19.90ID:o10IZV51
宗茂って双子のマラソンランナーか?
0904人間七七四年2016/08/09(火) 20:45:43.53ID:/76shOCp
宗茂は仲良い連中がみんな西軍だからな。派閥ちゅうやつよ
0905人間七七四年2016/08/09(火) 20:51:39.28ID:ZF0Ybm3V
それにしてもアンコクジエイケイのだめっぷりが決め手だよなあ
毛利をまとめてるかのようにしてまるでダメ
三成の手先としての活動もまるでダメ

こんな軍師きどりの僧侶はそりゃ斬首晒し首だわな
0906人間七七四年2016/08/09(火) 21:27:02.35ID:xssGqr7l
首謀者の三成と輝元の代わりに毛利参戦の責任を押し付けられた恵瓊の斬首はまあわかるが、小西行長はついでに斬首された気がしてならない。
他の西軍諸将の処遇を考えると1年くらいどこかに隠れてれば蟄居くらいで済んだんじゃないだろうか。
0907人間七七四年2016/08/09(火) 21:28:40.16ID:xx+MDbWO
宗茂は改易になっても御曹司気質は抜けなかった天然ちゃんだからな
秀忠に拾われて以降は「豊臣に恩義?何それ?」っていうくらい
0908人間七七四年2016/08/09(火) 21:39:40.22ID:0K2mSbHe
実際秀忠には大坂の陣とかでも忠節を尽くしてるしな
秀忠も気に入ったのか旧領を回復してやってるし
西軍の中では数少ない勝ち組だよね
0909人間七七四年2016/08/09(火) 21:40:05.18ID:vdeFlcZs
>>896
だって三成には恩義はないが豊臣には恩義はある。
だって島津に攻められた時、豊臣に援軍を送ってもらってるから。
しかし夏の陣の時は徳川の恩義もあって完全に東軍についてたな
0910人間七七四年2016/08/09(火) 21:45:07.75ID:ZF0Ybm3V
どいつもこいつも秀頼なんてどうでもいい
0911人間七七四年2016/08/09(火) 21:52:36.85ID:DKi+Ond0
>>909
豊臣に恩義があるのを理由にするなら東軍に付くべきでは?
0912人間七七四年2016/08/09(火) 22:06:58.33ID:vdeFlcZs
>>911
多分ね。武士道を勘違いしている。江戸時代中期以降くらいだと葉隠れとか一君主に忠義を尽くすだと思うが
戦国時代だと七君変えて一人前なのが武士なんだな。
家や家臣を守るってのはなりふり構わずなんだよ。
宗茂だけなんだよ。徳川に結局ついたお陰で一度追いやられた柳川に再度復活してるのは
0913人間七七四年2016/08/09(火) 22:10:00.43ID:DKi+Ond0
>>912
俺は「西軍=豊臣じゃねーぞ」といいたいだけなのだが……
0914人間七七四年2016/08/09(火) 22:22:58.60ID:vdeFlcZs
>>913
ちょっと勘違いしてたな(笑)
だけど秀頼を神輿に担いでんだからそりゃ三成が嫌いでも最初は西軍だわな。
三成が朝鮮の役の時、戦奉行で宗茂を賄賂で論功行賞を与えようとしたんだがそれ以来大嫌いでそれでも豊臣の恩があったから義の為に西についたんだから
0915人間七七四年2016/08/09(火) 22:34:04.00ID:3jMndFOm
豊臣一門は宇喜多以外は東軍だよ
0916人間七七四年2016/08/09(火) 22:51:41.55ID:DKi+Ond0
>>914
東軍も「君側の奸を討つ」という名分を掲げているので条件は同じだぞ?
いい加減無理やり宗茂を義人に仕立て上げようとするのはよせ
宗茂は毛利家との縁故で西軍に付いたのを義によるものだと糊塗しただけだ
0917人間七七四年2016/08/10(水) 00:03:47.52ID:LPaduY5P
宗茂オタは夢の世界で生きてるからそっとしといてあげて
0918人間七七四年2016/08/10(水) 02:24:31.43ID:tGxe+kQ1
>>904
宇喜多とは仲悪くて
東軍でも清正&忠興とは仲良かったはず
0919人間七七四年2016/08/10(水) 03:44:11.81ID:1EB+xRFq
宗茂の旧領復帰は比較的どうでもいい場所がたまたま空かなきゃやりようがなかったし結局関ヶ原前からは回復しきってない
例えば佐竹義宣はどんなに頑張っても水戸を取り戻すことは不可能だでた
0920人間七七四年2016/08/10(水) 04:55:01.14ID:pYLzNfs6
たしかに偶然のめぐり合わせだが、元の領地に戻れるというのは凄いことだろう
まあ西軍に付いたのが義のためってんなら戦後たった3年で徳川に仕えたりしないわな
0921人間七七四年2016/08/10(水) 06:58:49.91ID:6sARShOI
>>920
借りは返した、義理は果たしたって当人の中では納得したんじゃないですかね。
まあ、一度家を滅ぼしてるから充分義理立てしてますしね。
それに、勝手に掛川城を家康に献上した奴とかいますからねwwww同時代にさ。
福島正則だって、清須城の兵糧は本来徳川が西進した時に備える為なのにさ。
何の為の清須城主なのかを考えると、本当に酷い事してるんだよね。
戦後のあれこれは、裏切りは嬉しいけど裏切り物は嫌いで説明できます。
0922人間七七四年2016/08/10(水) 08:13:32.57ID:tGxe+kQ1
>>916
むしろ縁故で西軍(つか毛利方)に付いて何が悪いんだろう
0923人間七七四年2016/08/10(水) 11:38:05.75ID:CSgXU8Fz
上杉も三成も義だのなんだの言うけど実際ただの私利私欲
奇麗事いうから見苦しい
せめて勝ち組がいうならまかりとおるが負けた連中がいうのはただの言い訳
0924人間七七四年2016/08/10(水) 13:21:47.51ID:LWsuJwAQ
宗茂視点で見れば豊臣家への義理を果たした根拠は
@立花城を豊臣家に救ってもらった。
A大友家の陪臣から独立大名にしてもらった。
B義父が落としかった柳川城城主にしてもらった。
C旧主大友義統より上位の官位を授けられた。
結果としてすべてを関ケ原で失った。その処分を下したのは
五大老筆頭徳川家康だが、あくまで豊臣公儀の代表者が、
宗茂を処罰した形だから、その時点で豊臣家への義理は
無くなったという事だろう。
徳川家に仕官したのは、幕府という新公儀と新しい主従関係
を結んだだけで、豊臣家を裏切ったなんて感覚は全くなかった
んだろうな。
だから徳川家としても安心して親衛隊の大番に採用したんだろう。
0925人間七七四年2016/08/10(水) 14:30:40.70ID:j3c0vt2G
だから、「宗茂は豊臣への義理を果たすために西軍に参加した」ってのが宗茂の方便なんだっての
0926人間七七四年2016/08/10(水) 16:13:54.45ID:pYLzNfs6
大坂の陣前に豊臣方からの誘いを断るための方便でもあるかな
まあ上杉その他にも言えるが、戦国を生き抜いた家の記録は基本ええかっこしいだ
柳川復帰しても宗茂はほとんど江戸にいて活動してるし徳川仕官後は一所懸命だったと思う

今日の水泳で銀メダル取った坂井は柳川出身だった
0927人間七七四年2016/08/10(水) 16:18:47.67ID:G7AYuHIj
>>924
特に役職には就いていない
0928人間七七四年2016/08/10(水) 16:50:30.00ID:LWsuJwAQ
>>926
私は、宗茂が義のために立ったとは言ってませんよ。
関ケ原敗戦で豊臣公儀=豊臣家に処罰されて、豊臣家から与えられた全てを
失って、豊臣家との契約関係がチャラになったと言いたいだけですよ。

>>927
>>特に役職にはついていない。 
はぁ?
大番というのは私の間違いですがWikipediaによると御書院番頭(5000石)=親衛隊隊長職
を1604年に拝命しているんですが、御書院番頭は幕府の役職ではないと言いたいんですか?
0929人間七七四年2016/08/10(水) 17:47:41.67ID:G7AYuHIj
>>928
書院番は1605年創設です
0930人間七七四年2016/08/10(水) 20:11:38.23ID:03VyI8Qs
>>925
豊臣家から貰った物は、関ケ原の敗戦で失ったから主従関係は消えたの928の説明で
普通の人は納得すると思うけどね。
もしかして貴方の本名は山内さんだったりしてねwwww
しかし、宗茂を非難する人は珍しいと思うんだけどね?
0931人間七七四年2016/08/10(水) 20:34:43.06ID:ejXaGE8F
すべてを失ってなお主君に忠義を尽くすのが真の忠義ではないの?
お前の定義に乗ると、お家再興のために働く家臣は忠義ではなくなるぞ?
0932人間七七四年2016/08/10(水) 20:41:47.68ID:gAUNc+H4
>>931
その解釈だと山内鹿之助くらいが該当するばかり
誰ひとりそんな忠義ものはいないよ
なにより家臣をくわせていけない主君が悪いということにいきつく
0933人間七七四年2016/08/10(水) 20:41:56.27ID:SvbCoOzm
毛利の領地が縮小された時も宗茂が浪人になった時も家臣たちはついていったからな。
0934人間七七四年2016/08/10(水) 21:16:15.91ID:LWsuJwAQ
>>931
それは朱子学に汚染された江戸時代の武士道思想だよ。
戦国期から安土桃山時代の標準武士道は、主君がすべてを失ったら
部下が離散するのが普通。だから山中鹿之助や立花主従の逸話が
当時としては珍しいから現代まで残ってるんだよ。
0935人間七七四年2016/08/10(水) 21:18:54.84ID:j3c0vt2G
>>930
だって宗茂が豊臣のために戦うなら東軍につかなきゃおかしいもの
0936人間七七四年2016/08/10(水) 21:20:04.74ID:j3c0vt2G
未だに西軍=豊臣で東軍=徳川と考えてる奴が存在することにうんざりする
0937人間七七四年2016/08/10(水) 21:28:40.01ID:pYLzNfs6
なんでID何度も変えてまで自説主張するんだろうな。小細工増えたな小説マニア

世間的には宗茂で通ってるけどこれは徳川に仕えた後の通り名
特に関ヶ原敗戦から徳川で収入が安定するまでに何度も名前変えてるよな、改易以降色々考えるところあっただろう
豊臣との契約がチャラになった、なんて達観してたとは思わない
神格化されやすいが彼も人間、非難というか評価下がるとこは言って然るべき
0938人間七七四年2016/08/10(水) 21:42:45.32ID:LWsuJwAQ
>>936
禿同。
豊臣家大老間の権勢争いが関ケ原の本質だよね。
宗茂は、大老毛利家の配下だから招集に応じるのは当然だし、毛利が徳川を討つのが
豊臣家の為だといったら信じるしかないからな。
だから関ケ原敗戦後、毛利に大坂城籠城を主張したんだろう。
0939人間七七四年2016/08/10(水) 21:57:38.90ID:UrsOkQ4d
毛利のグダグダぶりがな
なにがしたかったのやら
0940人間七七四年2016/08/10(水) 22:22:46.58ID:G7AYuHIj
瀬戸内海を毛利の風呂桶にすること
0941人間七七四年2016/08/10(水) 22:24:45.58ID:RX/7QNyZ
秀吉「毛利家を骨抜きにしなきゃ」→関ヶ原でまるで機能しない
ギャグやん
0942人間七七四年2016/08/10(水) 22:44:47.06ID:OECZ20Nr
>>937
小説マニアが誰を指してて、誰がID変えてるのか素でわかんねえ
落ち着けよw
0943人間七七四年2016/08/10(水) 22:46:40.61ID:XnNF7OfD
秀吉の遺志は家康が秀頼の代行をすることなんだから
家康を排除しようとした毛利が機能しないのはむしろ狙い通りでは
0944人間七七四年2016/08/10(水) 23:21:35.88ID:gCl8FvMr
>>938
毛利にとって籠城は下っ端のすることであって自分がすることじゃないからね
輝元が自分で籠城して命を懸けることなんてありえない
高松城の清水みたいに下っ端に任せて死んでもらうだけのこと
立花が大坂城籠城を主張すれば立花が清水みたいに死んでくれると思い
輝元が大坂城を出て行くのは当然の行動だった
0945人間七七四年2016/08/11(木) 00:05:36.03ID:ZBwrP2oU
また珍説
0946人間七七四年2016/08/11(木) 00:15:13.97ID:IemHq/2c
豊臣公儀の家康に処罰された奴が「俺だってあの時は豊臣のために戦った」と言ったって「お前は何が豊臣かもわからないアホだった」で終了
0947人間七七四年2016/08/11(木) 01:15:28.18ID:seUSbx9n
なんか強烈な宗茂アンチがいるけど
発狂するたびに無知を晒すだけなんだから黙っていればいいのにw
0948人間七七四年2016/08/11(木) 01:42:56.49ID:wTLHS/bX
いやあ、別にアンチではないと思うぞ。アンチ名乗るほど知識もないだろ
ただ、ここのスレ、西軍憎しのあまり、ことあるごとに西軍諸将を
ひたすらにこきおろす奴が粘着してて
もはや関ヶ原について語るスレですらなくなってる、最近はホントに酷い
0949人間七七四年2016/08/11(木) 05:45:24.63ID:ZpP6iK0R
西軍にくし、というか西軍うかつものだらけって誰でも思うわな、って感じ
0950人間七七四年2016/08/11(木) 07:12:52.97ID:C6Z8RTMa
柳川に戻った後の立花はあらゆる方面で鍋島に完敗したのを加藤に助命された形
0951人間七七四年2016/08/11(木) 07:16:31.35ID:JWux0dmE
小説知識で語る西軍厨と最新研究で妄想する東軍厨の争いだろ?
立派に関ヶ原してるじゃないw
0952人間七七四年2016/08/11(木) 07:37:50.89ID:BNCzwPF5
負けた西軍を憎んでる奴なんているの?
単に敗者だからこき下ろしてる、でいいのに余計なこと付け加えて自爆してるよw
0953人間七七四年2016/08/11(木) 08:33:07.79ID:xEVPZ6W2
西軍は義のために戦った素晴らしい人達
東軍は豊臣を滅ぼした逆賊家康についた卑怯もの
で西軍マンセーだからどっちもどっち
0954人間七七四年2016/08/11(木) 09:21:41.88ID:SOmljQMZ
>>953
こういった小説での間違った認識が元凶なんだよな
0955人間七七四年2016/08/11(木) 10:11:48.55ID:xweAkpXW
>>873
幕末は親戚間のいざこざで崩壊したから少し違う
0956人間七七四年2016/08/11(木) 10:14:43.88ID:rnBlGimh
「知識がない」というのなら是非とも宗茂に関して史料を交えて語ってほしいところですなあ
0957人間七七四年2016/08/11(木) 10:36:58.93ID:V+6vWaSJ
>>952
なんか思うんだけど、ひたすら家康礼賛とか美化してる人が居るけど関係者とか
なんでしょうか?
もしかして本当に、本名松平さんとか藤堂さんとか黒田さんとか山内さんとかが
書き込みしてるんかね?
宗茂アンチの人も先祖の評判が悪いから妬んでるとか...まさかね?
0958人間七七四年2016/08/11(木) 10:54:18.69ID:Y0xGzVtU
>>957
当時の史料を読むとそう判断できるから
0959人間七七四年2016/08/11(木) 11:05:36.30ID:rnBlGimh
結局知識がないとか言っている彼らの知識は小説由来なんでしょうねって
0960人間七七四年2016/08/11(木) 11:07:42.78ID:8SXyTy7F
むしろ西軍が正当だ東軍が卑怯だと言いたがる人こそ負け犬連中の末裔か何かですかって言いたくなるのだが
0961人間七七四年2016/08/11(木) 11:17:36.99ID:rnBlGimh
必死に宗茂ageしてる人らはきっと立花の一族か家臣の末裔なんでしょうなあ(ほっこり
0962人間七七四年2016/08/11(木) 11:25:37.77ID:fsoR3R+f
ただでさえ信者のいる立花の話題に、小説君が乗っかってグダグダになっとる
0963人間七七四年2016/08/11(木) 11:59:07.19ID:xEVPZ6W2
鍋島さんが必死だったからな
汚名返上すべく
そこに悪乗りする官兵衛さん
嫌いじゃないぜ
0964人間七七四年2016/08/11(木) 13:55:50.76ID:wTLHS/bX
>>951
ほんとこれにつきる
>>957
具体的に誰とは言わないけど、いわゆる徳川クラスタの連中だろうな
「権現様は完璧超人」という前提をもとに史料を都合よく解釈して
徳川史観を憎んでいるといいつつ、独自の徳川史観を造りだしてる信者たち。
たぶんこのスレはそういう連中の吹き溜まりになってる。
0965人間七七四年2016/08/11(木) 13:59:38.52ID:SWBCwrbl
史実や正史だなんていったって皆、一族方の都合よく書かれたもんなんだからいつの時代も誰も真実なんて分からないもんだろう。
一方の見方も事実だし他一方の見方もまた事実じゃねーか?
0966人間七七四年2016/08/11(木) 14:09:17.43ID:Ku7z1cN8
>>964
>>951は三成を始めとした西軍厨の小説脳をdisってるんだが
だから西軍が大大敗w
0967人間七七四年2016/08/11(木) 14:30:23.29ID:/UOtic25
立花宗茂は後ろめたいこともなく徳川にも詫び入れたいなら大坂から逃げないでいりゃよかった
0968人間七七四年2016/08/11(木) 15:30:24.35ID:ZpP6iK0R
>>964
家康スーパースターなんて思ってる徳川シンパはいないよ
あの時代のベストが徳川だった、そんだけの話
他がクソすぎ
0969人間七七四年2016/08/11(木) 15:45:56.13ID:KTUofX4k
>>964
徳川厨が史料を都合よく解釈している
具体的な例を教えてくれ
ちょっと気になった
0970人間七七四年2016/08/11(木) 15:54:03.57ID:04gyolFN
>>969
そんなのねーわ
西軍厨は小説と創作、東軍徳川厨は史料を基に語っている時点で
関ヶ原の如く勝敗は明らかだ
0971人間七七四年2016/08/11(木) 16:40:46.62ID:GUvS+MdO
小説知識で石田礼賛する石田厨のアホが
関係者なんですか?とか言ってるのはギャグのつもりなんです?
0972人間七七四年2016/08/11(木) 16:43:41.16ID:wTaInY4z
>>969
浅野書簡はきわめてあいまいなのにこれを証拠に小山評定があったって言い張るところとかじゃね?
0973人間七七四年2016/08/11(木) 16:58:18.09ID:H889YEn5
あからさまな対立煽りに反応するやつは
徳川厨石田厨関係なくあほだとおもう
0974人間七七四年2016/08/11(木) 17:02:12.56ID:04gyolFN
>>972
小山評定が無かったとして何か東軍に都合悪いことが有るのかな?
何も無い気がするがな
0975人間七七四年2016/08/11(木) 17:04:24.23ID:04gyolFN
あと小山評定が無かったとする根拠も極めて曖昧じゃないか?
0976人間七七四年2016/08/11(木) 17:05:40.19ID:Y0xGzVtU
>>972
そも白峰が「通説の小山評定を示す史料が無いので小山評定は存在しない」という擬古派したら、
浅野幸長書状に小山評定があったと言える記述が見つかって、白峰が吹き上がっている最中なのだが
0977人間七七四年2016/08/11(木) 17:05:42.75ID:n+tpfWIn
「家康に仕方なくついていった」と主張したい人は小山評定が無かった方が都合が良いのだろう
0978人間七七四年2016/08/11(木) 19:04:27.07ID:ZBwrP2oU
小山評定無かったら、一堂に会して意思統一せずとも雑多な軍が統一されてた。
なぜなら意思統一が不必要なほどの共通認識、いわゆる大義が東軍にあったから。ちゅうより東軍びいきの流れになるがよろしいかw
0979人間七七四年2016/08/11(木) 19:54:42.90ID:e6RjpXYh
どっちひいきの流れとか関係ないやん
あった証拠が薄いんだからそれはそれでうけとめないと
0980人間七七四年2016/08/11(木) 19:59:54.91ID:iOkckZ+J
>>979
何に対して言ってるの?
0981人間七七四年2016/08/11(木) 20:23:05.50ID:iSb5NY8F
ところでそろそろ次スレじゃないか
0982人間七七四年2016/08/11(木) 20:24:11.21ID:ySfNlVml
小山評定はなかったってことは、東軍諸将は家康を実質秀吉の後継者=天下様とみていたとなるがよろしいか?
0983人間七七四年2016/08/11(木) 20:28:55.50ID:Ncxd0e7+
次スレ立てられるか試してみるか
0984人間七七四年2016/08/11(木) 20:30:05.90ID:9ddeo7KK
少なくとも三成が勝手に武装蜂起して妻子を人質にしながら命を狙っていい存在とは思っていないことは間違いない
0985人間七七四年2016/08/11(木) 20:31:53.09ID:Y0xGzVtU
あないな統制取れた西上が、会議無しで可能とは物事の段取りを理解していないとしか思えん
0986人間七七四年2016/08/11(木) 20:33:54.76ID:bbYSASCL
小山評定無しに、一豊や正則がホイホイ城を貸し出してくれるとか
家康の人望が有り過ぎィ!!
0987人間七七四年2016/08/11(木) 20:36:11.10ID:iOkckZ+J
>>986
そうなるわな
0988人間七七四年2016/08/11(木) 20:38:57.21ID:Ncxd0e7+
次スレ立てました

関ヶ原合戦の真実 Part4

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1470915006/
0989人間七七四年2016/08/11(木) 20:55:49.45ID:ZBwrP2oU
>>988
おつ
0990人間七七四年2016/08/11(木) 21:20:34.36ID:BNCzwPF5
結論は出てる
次スレでも真実探しというより西軍信者をただ淡々と馬鹿にしていくだけの流れになるだろう
やつらは単に徳川が憎いだけの無知
0991人間七七四年2016/08/11(木) 21:24:45.89ID:9d6Pn6FG
小山評定がなくても武将から連絡通知みたいな感じで
書状が回ったとかも考えられるよね
0992人間七七四年2016/08/11(木) 21:32:41.73ID:Y0xGzVtU
>>991
そうであるならば、書状が残っているはず

小山評定に関する書状が乏しいのは、つまりは殆どの大名が小山に集結し、
そうでない者の多くも、小山に集まった者から後で結果を聞いたのであろう
0993人間七七四年2016/08/11(木) 22:41:56.97ID:wTLHS/bX
>>990
基本的にここの東軍派という名の徳川厨は
「家康凄い」言ってるだけならまだしも
「それにひきかえ〇〇(豊臣、三成など)は糞」って
相対的に誰かをクサすことを絶対に忘れないからよくない
そんな喧嘩腰じゃ、そらよそで話も聞いてもらえんし相手にされないわ
せいぜい巣で噴き上がってろよw
0994人間七七四年2016/08/11(木) 22:43:59.75ID:ItuPmMMu
>>993
> 「それにひきかえ〇〇(豊臣、三成など)は糞」って
> 相対的に誰かをクサすことを絶対に忘れないからよくない

そのあたり(豊臣、三成はクソ)に、理論的に反論した例を俺は知らない
0995人間七七四年2016/08/11(木) 22:45:48.08ID:vOQh7ixm
好き勝手バラバラで方針の統一もされてない西軍と、ビッグリーダー家康のもと一丸となった東軍
結果はなるべくしてなった、だな
0996人間七七四年2016/08/11(木) 22:48:13.60ID:vOQh7ixm
>>993
三成クソだしな
0997人間七七四年2016/08/11(木) 22:58:42.69ID:V6yK2uwO
実際に糞だから反論出来ない
したとしても小説知識でフルボッコに
0998人間七七四年2016/08/11(木) 23:02:46.16ID:wTLHS/bX
史料知識を盾にして他人にレッテル貼って攻撃してるだけじゃ
菅沼君と変わらない存在だね
そこんとこわかってんの?
0999人間七七四年2016/08/11(木) 23:04:01.05ID:GUvS+MdO
うめ
1000人間七七四年2016/08/11(木) 23:04:24.88ID:GUvS+MdO
うめ
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