【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その2 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2016/05/22(日) 13:34:21.92ID:C3vTXhJihttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1460994343/(前スレ)
0009人間七七四年
2016/05/22(日) 23:48:35.98ID:EgDFiUeF自害させるつもりで高野山ってのはおかしいって指摘はたしかに一理ある
0010人間七七四年
2016/05/22(日) 23:55:05.50ID:a+Vv+IdU矢部先生が御湯殿上日記を参考に自ら切腹説を唱えてるけど、公家の日記を資料に使うなんて問題外ですよね
0011人間七七四年
2016/05/23(月) 00:28:41.60ID:wiSeYhl5太閤は諸大名にも真相をぼかした手紙を送っている事から事の真相は
政権中枢に居る者しか知りえないと考える
その上で太閤が秀次に切腹命令を出した・出さないは直接知りえぬ立場でも
秀次が腹を切った事ぐらいは伝わってくるだろうし、蟄居命令をだしたの
は太閤なので、太閤によって腹を切らされたようなもんだ、という意味に
過ぎないと思う(切腹命令があったかを指すのではなく、太閤が関白殿を
おいつめ切腹に追い込んだという意味)
だから太閤が切腹命令を出したかどうかを確認するものとして公家日記は
不適当だが、秀次が追い詰められたとはいえ自ら切腹したと読み取る資料
としては十分
だから矢部先生のこの部分はまぁ納得できる
自分が納得できないのは血で汚されて云々の部分
0012人間七七四年
2016/05/23(月) 00:52:18.56ID:wiSeYhl5それだけで一族処断は考えにくい
蟄居命令に反して切腹も立腹はするだろうがそれも理由としてはないだろう
あるとすれば、後見人としていずれ彼を使う考えで、それが秀頼政権を作り秀次も
生かし、一族繁栄になる道としていたのに彼に勝手に自害されてはその目論見
もパァになり、外様に頼らざる得なくなった。この状態は自分の死後、外様に
簒奪され、秀頼どころか最愛の妻も殺されかねない状況なので、激しい怒りに
打ち震えた、というところだろう
秀次一族も太閤の言い分を聞く気もないだろうしこうなったら消すしかあるま
いて 後世の憂いを絶つために
0013人間七七四年
2016/05/23(月) 01:57:14.33ID:uSuPi0d0> でも切腹命令は証拠がなく、
多くの史料が、秀次が秀吉によって切腹させられたことを示唆しているのに、
甫庵の太閤記の日付だけを理由に、全てを否定するのは無理ありすぎ
秀次に先立って切腹に追い込まれた家臣たちは、自発的に集団自殺した
とでも言うのか
そもそも、切腹命令に証拠能力がないなら、自殺なんてそれ以上に何も
証拠がないだろ
本末転倒すぎる
0014人間七七四年
2016/05/23(月) 07:24:31.89ID:NHfrnd5zもしかしたら高野山の僧が襲ったかもしれないし、徳川のニンジャが暗殺したかもしれないよね
もしかしたらつまづいて石に頭ぶつけて死んだのかもしれない
0015人間七七四年
2016/05/23(月) 09:08:10.81ID:EpJu+Cdn>それ以外の記述は存在しないし
公家の日記を否定したら大半の研究は成り立たない
>直接太閤と内密な話ができる人物の日記ならまだしも、さ。
>秀次高野山住山令はあるのに、切腹命令がないのは変とは思わんのかね
思わない。何故なら切腹命令は秀吉が遣わした使者が直接伝えたから
これは書状よりも上位に当たる
>君が書いた人物らも高野山送りになっているが、高野山で切腹した人が
>いるのかね? 知識不足があればいけないので教えてくれ
>先例がない、切腹命令を下した痕跡がない、日記の作者が政権中枢とは言い難い人物に
>よるもの、では定説には疑問符がつくと思うがね
思わない。他の者が助命されたこそ、秀次も生きながらえると思えるのに、切腹命令が下った。
そういうだまし討が前提なのに前例があったら警戒される。
>でも秀次は蟄居命令に反して自害してしまったため、謀反で押し通すしかなかったん
>だろう
いいえ、謀反では説明できないので「たいこうさまくんきのうち」 の様に悪逆説に転換しました
>ちなみに織田信行という先例があってね
殺されたのは清洲城北櫓天主次の間です
御殿の中ではない
>幕府に切腹を命じられ、あるいはその場で幕府の人間に斬り殺されているが?
>君の理屈なら城外で待つ家臣が激怒して城内に押し込むというのだろ?
>家臣らは主君が殿中で刃傷事件を起こしたため捕らえられたり斬られたりしても
>暴動を起こしたという史実はないけど
彼らは加害者であり、一方的に殺されたのではないのですが?
>秀次らが戦の準備をして1万ぐらいの軍勢を率いてやってきたとする資料は何だ?
どこから一万人なんて出てきた?
0016人間七七四年
2016/05/23(月) 11:00:29.47ID:S7/P/+Hp石に頭をぶつけて。
それは都合がいいね。秀吉がわざわざ命令出す必要ないし、秀次は不心得者として貶めれる。
徳川の忍者が襲う。
それがバレたら徳川は全国の大名を敵に回すし、徳川潰しの大義名分ができるから秀吉には好都合だね。それに徳川家康が秀次を殺さなくても失脚は確実なのに殺す理由って?
高野山の僧侶が襲う。
それをするメリットは何? バレてかつての比叡山みたいになっても文句は言えないよな。それに秀次に殉じた僧侶もいるのに何で襲わないといけないのか?
0017人間七七四年
2016/05/23(月) 13:14:52.26ID:3T5U8S2E公家の日記は信頼ならんけど、御腹切らせられ候が載ってる日記だけは信頼出来る、は何故?
日記をソースにするなら他の日記も同様な扱いにしなきゃ
0018人間七七四年
2016/05/23(月) 19:40:25.55ID:uSuPi0d0> だから太閤が切腹命令を出したかどうかを確認するものとして公家日記は
> 不適当だが、秀次が追い詰められたとはいえ自ら切腹したと読み取る資料
> としては十分
切腹命令の確認資料として不適当なら、100%想像の域を出ない自殺を読み取る
資料としてはなおさら不適当でしょ
0019人間七七四年
2016/05/23(月) 20:02:14.55ID:uSuPi0d0シンプルによくまとまっている
奈良工業高等専門学校 研究紀要 第51号(2015)
「関白秀次失脚自刃事件と木食応其上人」 勢田勝郭
http://www.nara-k.ac.jp/nnct-library/publication/pdf/h27kiyo7.pdf
※ページ順が逆にPDF化されているので、一番最後から読むべし
0021人間七七四年
2016/05/23(月) 21:01:15.90ID:ciC+3M5Uこれ見たら結局は秀次は謀反したのが確実だったから切腹させられただけ
家族は当時一般的だった謀反人の親類だから処刑されただけ
むしろ処刑の仕方も残虐性はそんな無かった
ってのが証明されてしまったね
秀吉の闇どころか秀吉の苦悩とかが分かるいい論文だ
0022人間七七四年
2016/05/23(月) 21:07:00.20ID:c2iWrcId0023人間七七四年
2016/05/23(月) 21:09:25.50ID:ciC+3M5Uけど一番筋が通っているんだよなあ
今までの秀吉を悪としたい人が秀吉を殺人鬼にしたがっていた説のほうが無理やりすぎた
この板も秀吉を貶せば通ぶれるところがあるし
0024人間七七四年
2016/05/23(月) 21:30:18.71ID:c2iWrcId謀反の内容はどういうものだったのか
その計画に連座者はどのように関連していたのか
この辺の内容がある程度説明されないと結論有りきの理論構築にしか見えないな
謀反の計画が明らかになったのなら福島池田の両名が秀次に罪状を告げる場面で
仮に仲直りしたとしても今回の遺恨がなくならないから〜というふわっとした話にはならんと思う
もっとはっきりと謀反の罪状を暴く必要があるんじゃないかな
0025人間七七四年
2016/05/23(月) 21:38:27.32ID:EpJu+Cdnそういう彼をマトモな人前提で書いているのは、やはり従前の秀吉解釈だなとは思う
0026人間七七四年
2016/05/23(月) 21:40:35.81ID:wiSeYhl5日記をソースにするなら他の日記も同様な扱いにしなきゃ
公家の日記も女官の日記も書いていることは否定していないよ
当時の彼らからすればそのように書いても何もおかしくはないからだ
秀次高野山住山令により秀次が追い詰められて切腹したら太閤が殺した、と言われても
不思議ではない
ただ、どちらも太閤の切腹命令を確認できる資料としては不適当と言っているだけ
政権中枢にいた人物とはとても考えられないからな
秀次が腹を切ったことがわかる史料としては有力なものだよね
>切腹命令の確認資料として不適当なら、100%想像の域を出ない自殺を読み取る
資料としてはなおさら不適当でしょ
これは違うな
まず秀次が切腹した事ぐらいは伝わってくるだろう、いくらなんでも
そしてこれだけで自殺の意思確認としては十分なんだよ
なぜなら切腹は原則として自分の意思でやるものだからだ
太閤による切腹命令があったのなら腹を切らされた、とも言えるだろうがそれが
確認できないなら自分で腹を切ったと考えるしかないんだが
公家や女官の日記にはたしかに太閤の命令とか、腹を切らされた、とか書いているが
それは切腹命令を意味するものではなく、秀次高野山住山令によって追い詰められて
腹を切らされる目にあった、という事を書いているのだろう 解釈の違いだよ
0027人間七七四年
2016/05/23(月) 21:41:47.51ID:wiSeYhl5何度も言っているが否定なんてしてないよ 彼らの情報網でも秀次が切腹したこと
ぐらいはわかるだろう 秀次高野山住山令があった事もわかるだろうから、その
状況だと太閤が腹を切らせた、と書いてもおかしくない
ただし、それは必ずしも切腹命令があった事を意味するものではない、って事だよ
今の日本語的に言うと、
太閤が命じて腹を切らせた、という文は→太閤が(高野山住山令を)命じて(秀次を追い
詰め自ら)腹を切らせたという意味にも解釈できるので、正直第三者の日記で断言は
できないのさ
切腹は原則として自分の意思でするものなので、太閤に命令されたという明確な
証拠となる資料がないとなんとも
>何故なら切腹命令は秀吉が遣わした使者が直接伝えたから
>これは書状よりも上位に当たる
で、切腹命令が下された、という証拠は?
>他の者が助命されたこそ、秀次も生きながらえると思えるのに、切腹命令が下った。
高野山に追放された連中の中に高野山からも追放され、後に打ち首になっている奴がいる
からだます事にもならない これがまず一つ。
二つ目として切腹命令があった事が明確にわかる史料は存在しない
秀次高野山住山令があるのに切腹命令書がないのはようは切腹命令が最初からなかったから
と言える
>いいえ、謀反では説明できないので「たいこうさまくんきのうち」 の様に悪逆説に転換しました
説明できないって事は予想に反して秀次が腹を切ってしまったからに他ならぬだろ
>殺されたのは清洲城北櫓天主次の間です
枝葉の話に噛み付く暇があるなら切腹命令があったとする史料をだしてくれないか?
正直、御殿だろうが天守だろうがここではどうでもいい話だろ
秀次を殺すなら何が起こるかわからん寺よりも伏見城内で斬ればいい
>彼らは加害者であり、一方的に殺されたのではないのですが?
江戸期の事件も事件の一報を知らされた時は何がなんだか分からぬ状況だろう
わが主君が罪を犯した、とわかるのは時間が経ってからだ
秀次も当時、気の病を患っており太閤に斬りかかってもそれほどの不思議はない
家臣も太閤が秀次を追い詰めている事は理解しているだろうが、それだけで
事件の詳細も分からぬのに抜刀して城内に斬りこみに行くと言うのかね?
>どこから一万人なんて出てきた?
関白の行列だから大勢連れていると君が言っていたのだが
0028人間七七四年
2016/05/23(月) 21:53:36.51ID:KhnBNnNEやっぱこれあいつだよ
0029人間七七四年
2016/05/23(月) 22:06:39.51ID:wiSeYhl5秀吉の高野山への追放命令で秀次が悲観、あるいは抗議の意味で切腹しても
「切腹させられた」で通るからな?
それを切腹命令があったと解釈するのはいかがなものか
0030人間七七四年
2016/05/23(月) 22:09:20.75ID:EpJu+Cdnおかしくないというのはあなたの想像
否定する確かな証拠がない限り、確証があって書いたと見るべき
先ず、通説を否定するならそれを明確に否定する史料がないと、受けいられない
使者が出向いて切腹して命令が出ていないと?
神子田正治については追放後の動向には不明点が多い
おや、謀反が事実なら秀次以外の重臣からも聞き出せるし、では何故に重臣も秀次の前に殺すのか?
そんな事はないし、そもそも殿中で暗殺なんかしたら、他の大名の心象は最悪にある
ほぼ丸腰で出向いて殺されかねない奴の屋敷に出向きたいものがいるか?
だから一万人という数はどこから出てきたの
あなたは通説を否定したいようだが、明確に否定する史料がなければ、価値のある論にはならない
0031人間七七四年
2016/05/23(月) 22:11:23.77ID:NHfrnd5z清水宗治も自害に追い込んでる人が?
そりゃ無いだろw
0032人間七七四年
2016/05/23(月) 22:41:30.61ID:wiSeYhl5切腹命令書があればそれも説得力あるんだろうけど、太閤記が史実と考えられた時代に
通説としてまかり通っていたものが太閤記の中にある切腹命令書でしょ
それが偽書とわかってしまった以上、通説も変わらざるを得ないでしょ
しかし現実はそれが通説だからという権威主義でそれに合うように物事を導いている
実態は無根拠なのに!
だからこそ従一位関白左大臣を高野山という強力な寺院に押し込んで、高野山を詐欺に
かけてまで切腹させるというバカな考えが出るのさ
今の時点の通説はもはや想像の段階でしかないのだよ
通説だから、定説だからというのでは旧石器時代を捏造したゴットハンドと大差ない
>そもそも殿中で暗殺なんかしたら、他の大名の心象は最悪にある
大丈夫 表向きは「関白殿、ご乱心」だから
実際に彼は気の病を患っていたし、荒唐無稽な話ではない
心象が最悪になるのは高野山を騙して切腹させる方法も同じことだろう
騙すことに大義名分すらないようでは同一にはできまい
>あなたは通説を否定したいようだが、明確に否定する史料がなければ、価値のある論にはならない
その前に通説に明確な史料はない事を理解すべし
0033人間七七四年
2016/05/23(月) 22:55:45.05ID:KXxJXpyC0034人間七七四年
2016/05/23(月) 23:00:56.01ID:wiSeYhl5それはあくまで秀次側にとって、だ
「秀勝の例もあやつは知っておるだろうし、秀次はワシの心を察するだろう」
と太閤は考えたのでは
まさか切腹するとは、そこまでは読めなかったのだろうよ
当時は精神医学が発達していない時代だ
0035人間七七四年
2016/05/23(月) 23:05:04.77ID:d40YFGaJ自画自賛おつ
0036人間七七四年
2016/05/23(月) 23:20:53.40ID:KGz7PY3y0037人間七七四年
2016/05/23(月) 23:24:02.35ID:wiSeYhl5気の病だったから
0038人間七七四年
2016/05/23(月) 23:31:23.44ID:wiSeYhl5謀反の証拠とは何ぞやって感じだな
高野山に追放して切腹とかありえない、とか伏見城や家臣屋敷で斬る
というのは自分の主張と似ているが、それ以外は賛同しかねるな
0040人間七七四年
2016/05/24(火) 00:27:48.20ID:vJPy6iNc0041人間七七四年
2016/05/24(火) 00:42:32.06ID:Y45vuMttそんなの当時では理解も乏しいだろ
というより秀次が自害したら太閤が殺したように思われるので
後世の憂いを絶つためにはやむを得まい
>>40
この時代は息子でも嫁でも必要なら斬る時代だ
0042人間七七四年
2016/05/24(火) 00:59:40.93ID:neIR7iT4だからこそ家康を権力を委譲する代わりに秀頼を後見にして命だけでも助けてもらおうと
家康への事実上の降伏を決定することが出来た
秀吉の計算違いは三成や淀が豊臣の権力に執着しすぎて暴走したことだろう
そもそも秀吉が降伏を決定している以上は三成と淀に勝ち目などなかったのに
無駄な悪あがきが秀吉の苦渋の決断を無に帰して豊臣を滅亡に導いた
0043人間七七四年
2016/05/24(火) 01:16:44.58ID:12BfhR8H信長亡き織田家を(信雄が裏切るまでは)見捨てなかった家康なら
秀頼をただちに殺すことはなかろうってわけだ。
0044人間七七四年
2016/05/24(火) 02:59:39.03ID:d5TfIZKe清水宗治「は?」
徳川信康「殺すぞ」
0045人間七七四年
2016/05/24(火) 14:53:42.19ID:d5+lGcfA事の責任をとって、とは考えられないだろうか
秀次が死ぬ前に切腹している家臣はそれで説明できる しかし秀次が自害してしまった為に謀
反ということで押し通した、と
0047人間七七四年
2016/05/24(火) 16:20:54.80ID:kimbQ46O通夜参籠で作った子なんか廃嫡しろ、という実の甥っ子を
女子供まで皆殺し・・・ ちょっと無理がある
0048人間七七四年
2016/05/24(火) 16:21:40.08ID:U1pTIBC4謀反とまではいかなくても、秀吉の死後のことを考えて権力基盤の強化を図っていたとか
それは秀吉からすれば謀反に他ならないわけで
当初は高野山追放で復権の芽も残すつもりだったが、それらしい証拠が本当に出てきてぶちギレたとかね
秀吉が当初から秀次および一族を皆殺しするつもりだったというのはやはり違和感がある
聚楽第落書事件を引き合いに出したとしても、自分の親族である秀次の妻子を皆殺しにして、さらに塚を作るなどというのは比較にならないほどの怒りだと思うのだが
また秀吉は秀次に自害させるつもりがなかったとするのも、初期対応については納得できるが、妻子までというのは、いくら政権の大義名分や、大政所のための寺でというのを考えても行きすぎだろう
かといって、秀吉が1595年時点でおかしくなっていたというのも何の根拠もなく飛躍しすぎなわけだしね
0049人間七七四年
2016/05/24(火) 16:49:36.01ID:wfuIjmbH背景とかをもっと丁寧に書けば歴史系フィクション小説くらいにはなる
まず、謀反がリアルにあってその刑罰というなら
謀反内容を隠蔽する必要なんかないんだから、何をしようとしたかって史実が残存する。
小説が書きたいならそれくらい用意しろ
勝手に切腹したから謀反人だ族滅しろって命令するキチガイ秀吉の方が余程理にかなってる
0050人間七七四年
2016/05/24(火) 19:03:08.93ID:6rpShGgr一族皆殺ししたといっても殺し方はいたって普通の殺し方で磔とかにもしていない
0051人間七七四年
2016/05/24(火) 20:16:40.80ID:BX3ljBhb0053人間七七四年
2016/05/24(火) 21:05:47.35ID:Y45vuMttそして徳川も家康が死ねば大幅減封、下手すればお取り潰し
0054人間七七四年
2016/05/24(火) 21:15:59.57ID:wfuIjmbH>謀反人だと確定
何をどうしたから謀反人なんだ?
それさえ説明出来ないなら妄想以下
小説には到底ならない
小説にするなら、告発者とかは架空の人物でも構わないだろうがな
0056人間七七四年
2016/05/24(火) 22:50:35.10ID:uI+ZBrZB秀頼政権を磐石にするために、身内を強化、後見人とする権力者の王道よりも
外様に力を蓄えさせなければならないと考えた太閤は秀次を殺して外様を増長
させる手をうった 幼君を奉って外様が専横して簒奪するのは秀吉が使った手
だが、それを秀吉はたまたま忘れてしまい、外様は秀頼を殺さないが、秀次は
秀頼を殺してしまうという変わった考えを持ち、先手を打って秀次を殺した
まさに本末転倒の愚策だが、それを秀吉は嬉々として行った
具体的には
秀吉が秀次を消さんがため、既に分断されている秀次と秀次家臣を、神
子田正治という高野山追放の末に落命した前例があるのを無視して「命は助け
る」という詐欺的なメッセージをだすという理由不明の戯言のために秀次高野
山住山令という偽りの命令を出し、自ら帰依している木食応其を騙し、伏見城
で斬ればいいものをわざわざ高野山に向かわせ奪還や逃亡反乱の機会を与え、
木食応其という強い味方を自らの戯言のためだけに敵に回し、わざわざ高野山
の僧集団と一戦交えてでも寺で切腹させるという意味不明な拘りを持ち、一
族も半月かけて家臣屋敷から亀山城、そこから再び家臣屋敷に戻してから三条
河原で斬るという極めて「合理的な」動きで処刑をし、身内の後見人が居なく
なった事を確認して安心した後、「秀頼をお頼み申す」と家康に哀願し、簒奪
を事実上推奨する という変わった事をする天下人だったという事になる
・・・なんというかもう無理やりすぎるんだよね
0057人間七七四年
2016/05/24(火) 22:52:54.69ID:CYoOv9t60058人間七七四年
2016/05/24(火) 23:10:17.53ID:uI+ZBrZB秀次謀反の証拠は薄いからなぁ
0059人間七七四年
2016/05/24(火) 23:32:39.74ID:qaEP8fKa0060人間七七四年
2016/05/24(火) 23:49:27.19ID:neIR7iT4秀吉の義弟で、秀頼の叔母の義父で、秀頼の婚約者の祖父という
これ以上にない身内の後見人がいるのだから問題ない
しかも政治能力がすば抜けて高く、秀頼を抱いて威張り散らすこともせず、関白になることもない
これほど完璧な後見人がいれば秀吉としても心配はなかっただろう
むしろ家康がいれば秀次を許す必要はないと高野山に追放した後に秀吉が気付くのも当然といえる
豊臣が崩壊したのはあくまで権力に執着した三成が後見人たる家康に謀反を起こしたためで
家康に権力を委譲する決断を下した秀吉の行動には何の問題もなかったといえる
0061人間七七四年
2016/05/25(水) 00:01:17.35ID:2WJxhQGH取り合う気もおきん
0063人間七七四年
2016/05/25(水) 00:14:50.18ID:j03cgF5Sあまりにも身内過ぎたら秀頼の代わりに関白になられるだろ
関白にならない適度な身内で実力も高い家康の方が後見人としてふさわしいのは明らか
秀次が勝手に切腹したと君が主張するのは構わないが
秀次がもっとも後見人としてふさわしいなどというのは完全なファンタジーでしかない
0064人間七七四年
2016/05/25(水) 00:19:21.46ID:2WJxhQGH秀次が死んだので家康を頼らざるを得ないのはその通りだと思うが
秀次を殺してまで家康を頼るとか荒唐無稽すぎ
だいたい「身内」ではないしな
0065人間七七四年
2016/05/25(水) 00:42:26.60ID:1VjCyf6B落首で虐殺とか考えると僕には秀吉が気違いだってのが一番筋が通っていると思える。
0066人間七七四年
2016/05/25(水) 00:44:01.83ID:Tpp+rAPI秀次の色好みや領民に慕われていたという史料は残っていても素行が悪いなんて史料は怪しげなフロイス以外ほとんど無いのだが
そもそも落書き程度で町人をランダムで殺したり武士でもない利休に切腹を申し付ける奴の何処がまともなのか
0067人間七七四年
2016/05/25(水) 01:09:24.79ID:2WJxhQGH別に信者でもないが、秀次をsageてもいない
殺生関白などというのは完全にウソだろう
信康(腹いせに僧を殺す)や忠長(手討ちの続発)の素行が悪いというのは
誇張はされていても多少の真実性はあった 本人が弁明や手紙で認めているからな
でも秀次に関してはそれすらない せいぜい越権行為があったくらいのもの
大体素行が悪ければ、秀次の菩提寺に帝や家光が領地を寄進することは
ないだろう
決して無能ではないが、気の病を負うほど精細だったから関白をクビに
されて高野山に蟄居された時、被害妄想に陥り自害したんだろ
0068人間七七四年
2016/05/25(水) 12:58:36.19ID:JdM2yE6P>越権行為
あったなら、謀反人確定だな
どんなのが越権行為だと思うの?
素行が悪いってのは森長可まで行かなくて、手打ちが36人程度の存在を指すくらいだろ
その程度なら、寺で謹慎で当たり前。
越権行為があったなら良くて切腹、悪くすると斬首
0069人間七七四年
2016/05/25(水) 13:10:51.71ID:b7jq3Kaw考えられる越権行為。
大名にかなり低い利息で金貸し。
朝廷に献金。
蒲生氏郷死後の蒲生に対する相続の裁定への相違。
0070人間七七四年
2016/05/25(水) 13:46:08.61ID:JdM2yE6Pそれが越権行為なら、謀反人とされるのは仕方ないな
しかし、関白にもその権限を与えないとなると、秀吉が親政するしか無くなるな
先週のドラマの秀吉は、秀吉の実態を表していたのか
0071人間七七四年
2016/05/25(水) 18:39:53.46ID:xcovsWW1他者(この場合は秀吉の)からの命令の証拠がなければそう看做さざるを
得ないよ
女官や公家衆の日記はどういう意味で切らされた、命令されたと書いているのか
釈然としないのはまぁ事実だな
高野山に蟄居させる命令の証拠は残っているのに、切腹の命令の証拠が
残っていないのは不可解
日記を切腹命令があったはずだ、という前提で考えるからおかしくなる
命令があったというならその証拠がなければはっきり言って想像としか言い
ようがない
通説を否定するならそれを明確に否定する史料がないと、受けいられない
と言っている人がいるが、通説を支えてきた史料が偽物とかただの憶測の
延長線でしかないなら受け入れるとか受け入れないの問題ではない もはや
一仮説に成り下がったという事であり秀次自害説と等価の並の論でしかない
なぜなら裏付けする史料がないんだから
これを定説だからと言い張って相手をねじ伏せようとするのは水戸黄門の
印籠のようなもので、もはや学術でもなんでもないただの宗教
0072人間七七四年
2016/05/25(水) 19:20:33.08ID:6meP8EDD命令文書が無ければ自発的に腹を切ったと言われても上役の陰湿ぶりに
鼻白むばかりで印象もむしろ悪化するんだが
0073人間七七四年
2016/05/25(水) 19:23:32.76ID:hgTU8gyG0075人間七七四年
2016/05/25(水) 19:33:12.99ID:bbMdttO8罰せられてないとおかしい
やはり、秀次は謀反人であったか、秀次を謀反人にしたい秀吉が輝元にそう申告させたかの
どちらかだろう
どちらにせよ、秀次は秀吉に切腹させられたのだ
0076人間七七四年
2016/05/25(水) 19:48:10.80ID:JmqIljXZ0077人間七七四年
2016/05/25(水) 21:05:46.81ID:xcovsWW1人に斬られたものは切腹とはいわん。
でも人に強制されて切腹させられるわけも当然あるわけで秀次の場合も
それに当てはまるのではないか、と言われている
でも秀吉による切腹命令があるとみなせる史料は存在しない
だから秀次が切腹したのならそれは自害の可能性が極大
秀吉のその後の行動(悪逆塚)は秀頼や一族の今後の立場を危うく
した怒りで説明できる
秀吉にとって秀次の自害は秀頼や一族の立場を危うくするだけの
悪行だったわけだ
0078人間七七四年
2016/05/25(水) 21:09:50.06ID:xcovsWW1その点は秀吉は秀次を自害に追い込む気もさらさらなく
ほとぼりが冷めたら少々の権威をつけてから後見役にしようとしたのでは
一度激怒して追放した秀勝のその後も知っているだろうから、ワシの心も
察するだろう、とね
なんせ精神医学が発達していない時代の話だよ
これについては秀吉の不覚以外の何物でもないがね
0079人間七七四年
2016/05/25(水) 21:16:22.86ID:j03cgF5S家康も秀頼を自害に追い込む気もさらさらなく
ほとぼりが冷めたら少々の権威をつけてから大名に復帰させようとした
一度改易した立花のその後も知っているだろうから、ワシの心も察するだろう、とね
やっぱり科学が発達していない時代は意思を伝えるのも難しいね
0081人間七七四年
2016/05/25(水) 21:30:32.36ID:xcovsWW1家康の場合は秀頼がいれば徳川の天下が危うくなりかねないので
完全に抹殺するだけの動機がある
秀吉が秀次を殺すと外様が台頭してきて、簒奪して秀頼や一族を
殺しかねない。秀次を生かすと秀頼の天下となる 仮に秀次が
野心を持っても最低でも羽柴家の天下は続くので外様に天下を取られ
一族皆殺しになるよりはマシ という計算があるだろうし両者は比べられない
>>80
憶測だが、これは当時の武家の価値観などを総合的に勘案してできてきた
ものだ 身内より元敵の赤の他人の他家に天下を嬉々として譲る奴など
いるわけがない
0082人間七七四年
2016/05/25(水) 21:41:12.24ID:cEyNNok/「豊臣を潰す」はずっと前から思い続けた大願だろうけど
「豊臣秀頼を殺す」と本気で思い始めたのは夏の陣開始からじゃねえかなと思う。
母親を人質に出せ、本拠地を離れろ、他の大名と同じく参勤交代をやれ
感情として納得できないとしても豊臣として受け入れがたい条件だとは思えないもの。
0083人間七七四年
2016/05/25(水) 21:52:01.13ID:+ftfuphP千利休切腹の件もあるし秀吉の独裁政治の被害者の一人程度にしか見てないけどスレが立つほどの件なのか
0084人間七七四年
2016/05/25(水) 22:08:50.26ID:cEyNNok/豊臣家の当主がちゃんと居るのだから五大老という政治システム自体が不要になる。
そうなると徳川はあくまで単なる外様大名であり、何かやらかすにしても難易度は一気に上がる。
もしかしたら史実の伊達政宗のように逆転の秘策を仕込んでる間に寿命が尽きるってなってたかもね。
0085人間七七四年
2016/05/25(水) 22:25:57.82ID:fbmBoSHuよくあるお家騒動に過ぎない
0086人間七七四年
2016/05/25(水) 22:41:58.06ID:fbmBoSHu意味わからん
家老を処刑・切腹するまで追い込まれた人物が、天下の後継者の後見役に
なれるはずもなく、ましてや秀頼が急死したところでその代わりになれるわけ
ないだろ
逆に、もし、後見人兼後継者候補になれるほど権力・権威を取り戻すことが
できたのであれば、自分からを権力を奪った原因である秀頼に対して
憎悪と嫉妬はあれど、国家の藩屏として秀頼を守ることも、秀頼に肉親の
愛情など持つはずもない
隙あらな、秀頼から天下を奪い取ろうとするはずだ
そして、秀吉も当然そう見なすだろう
ゆえに、高野山に送られた時点で、秀次は処刑されるか、一生冷や飯食いに
なる運命は決定しており、例え秀吉に殺今ではなかったとしても、
それは秀次を後見人兼後継者候補などという地位につけるために助命する
わけではなく、単に哀れだから生かしておいてやるという程度のものだ
0087人間七七四年
2016/05/25(水) 23:25:34.50ID:xcovsWW1家臣の切腹は秀次に気の病を負わせたこと、秀次の越権行為に対する
監督不行き届き的なもので説明が付く
秀次もたしかに失脚はしたが古典籍を学んだ彼ならそこから復活する
例も多い事も知っているだろうし、恨みに思うような人物ではないとみる
すべては御家の為、だ。彼が生きている限りもし、秀頼が夭折すれば
後継者として出てくるだろう 武家とはそういうもんだ
その理屈なら秀勝も追放されているし秀吉を恨んで帰参なんてしないと
思うが まして江なんて後家を娶るわけもなく
太閤が秀次の簒奪を予見せぬわけもないが、何度も言っているように
秀次は羽柴家の人間であり、簒奪と言っても外様のそれとは次元が異なる
ものだ
0088人間七七四年
2016/05/25(水) 23:38:32.08ID:uPFSScDu徳川信康が切腹を命じられたと見なせる史料もないわけだが、
お前こっちも信康が自発的に切腹したと主張する気か?
0089人間七七四年
2016/05/25(水) 23:54:33.43ID:xcovsWW1秀次は一時期でも従一位関白左大臣という超高位の人物であり
その人物を処分する時も大義名分は大事
だからちゃんと朱印状をだして高野山に追放した
切腹命令があれば残っていてしかるべきじゃないのか
地方一大名の騒動と同列に扱う事はできん
0090人間七七四年
2016/05/26(木) 03:01:11.99ID:mRl+I9px> 監督不行き届き的なもので説明が付く
つかない
> そこから復活する例も多い事も知っているだろうし
織田・豊臣・徳川期を通して、家老切腹級のトラブル出して改易され、元の地位・権威に復活した例は、
政権中枢に遠い小者ならともかく、大大名や政権重職者でそんな例はない
> 恨みに思うような人物ではないとみる
そんな聖人君子じゃない
> 秀頼が夭折すれば後継者として出てくるだろう
出てこない
秀次が生かされていたとしても、関白失脚・領地改易・出家しており、秀頼の後見人にも後継者候補
にもなれない
大坂の陣での秀頼の死後、豊臣家の社稷が高台院のもとに戻り、その養子となった木下利次が
継いだように、秀頼が死んだ場合は、高台院・豊臣吉子が豊臣家の後継者を決定する立場となる
実家の甥たちを可愛がった高台院は、小早川秀秋か木下勝俊を豊臣氏の後継者とするだろう
> その理屈なら秀勝も追放されているし秀吉を恨んで帰参なんてしない
秀勝は、家老が切腹に追い込まれ、高野山に追放されるような状況に陥っていない
丹波亀山没収後も、亀山とその家臣団を引継いだ秀長の手元で庇護、豊臣家の連枝として教育され、
実質的には何不住なく暮らし、豊臣姓もこのお気楽な「浪人」時代に下賜されている
明らかに秀次とは状況が違う
> 簒奪と言っても外様のそれとは次元が異なる
秀長・秀勝・秀保が相次いで死去しても、秀次を滅ぼそうとしたぐらいに秀頼だけが重要だった秀吉が、
自分と秀頼を恨んでいる潜在的簒奪者にわざわざ地位・権力を与えるわけもないし、
ましてや「秀頼が後継者を残さず死ぬリスク」回避のために、「秀頼を殺すかもしれない秀次を
後継者候補として残すリスク」を選ぶはずもない
木下氏・藤原氏(秀吉は藤氏長者も兼ねていた)・福島正則・宇喜多秀家も含めて他にいくらでも
養子候補はいるのに秀次にこだわる必要が全くない
そんなリスクを許容するほど豊臣氏の血が大切なら、秀次切腹後に秀次の幼児たちを
殺すはずないだろ
IF戦国史を考える前に、起きた事実を見ろよ > 矢部さん
0091人間七七四年
2016/05/26(木) 07:56:06.04ID:Y+aJTJO00092人間七七四年
2016/05/26(木) 11:34:39.12ID:tjZNLAFv0093人間七七四年
2016/05/26(木) 11:41:35.02ID:3GVMb7UV実際は矢部さんの論に客観性と合理性を入れた>>19が正しい
家臣も送られたのは謀反の疑いを主家が送られたのだから当然
一緒に切腹させられたのも一族が処刑されたのも謀反人の家臣や一族なんだから当然
0094人間七七四年
2016/05/26(木) 19:53:51.69ID:q9OhA17I「正しい」と決めつけてしまうのもどうなん?
0095人間七七四年
2016/05/26(木) 20:46:09.49ID:nIe3po70謀反など企むだろうか
せつせう関白なんてのはあまりに取って付けた感がつよい
0096人間七七四年
2016/05/26(木) 21:04:33.98ID:3GVMb7UVむしろ秀次=正義の前提が間違っている
0097人間七七四年
2016/05/26(木) 22:38:20.06ID:mRl+I9px秀吉に代わって汗水流して働き、秀吉には京でゆっくり休んでもらうか、
どっちかするよなあ
KYすぎる
0098人間七七四年
2016/05/26(木) 23:37:19.86ID:TB7HsOyG本当に謀反起こそうとしてたか、秀吉がイカれてたかのどっちかよ
0099人間七七四年
2016/05/27(金) 00:24:23.82ID:K/VRgf+s0100人間七七四年
2016/05/27(金) 01:16:55.61ID:Yaznlfl7秀次が豊家世継の立場と権力に拘っていた様子が描かれていたな
謀反の疑いの弁明の際には通説と違い、秀吉と面会したが
その際に「秀次、そちは鈍い、そして遅いわ」と秀次がKYであるように表現
秀次は関白職を返上し、秀吉もそれを了承したが最後に仕事をしたいと言い出して
朝鮮出兵を批判し、国内を疲労させるのは言語道断と発言、秀吉を激怒させ
高野山行きに
それ以前にも
秀吉「秀次、そちには娘がおったの。拾に嫁がせぬか」
秀次「・・・」
秀吉「どうじゃ、秀次、返事をせよ」
秀次「・・・は、若様元服の際には喜んで」
秀吉「・・・元服?秀次、わしはその時いくつになると思うておる?」
こんなやりとりで徐々に関係が悪化していく様子があったけど
史実では表面的には関係は良好だったんでしょたしか
何が予兆になるものもなかったんかね。
0101人間七七四年
2016/05/27(金) 07:42:50.23ID:7e9WUD820102人間七七四年
2016/05/27(金) 08:17:52.26ID:gwgsmtmn謀反を確定させたのは誰?
というが大問題だな
0103人間七七四年
2016/05/27(金) 08:24:31.19ID:7e9WUD82尾張国の頭ごなしの復興も、秀次から見れば統治権の侵害だが、
秀吉は全国への太閤蔵入地設置、裏麦徴収令、荒地没収令を見ても外様に対しても、
そういう事を無視する傾向が強い
これが豊臣家中ともなれば、おまえのものは俺のもの、俺のものは俺のものになる
で、それに対する秀次の反発を理解できず、自身への反抗=謀反となる
0104人間七七四年
2016/05/27(金) 11:22:55.13ID:/T4MmyjF長期化するにつれ秀吉の中で不満が溜まっていったのかもね
奥州仕置では秀次が参陣してるのに唐入りは参陣しないのかよと
秀吉の三国国割構想でも秀次は北京で大陸の関白になるはずであって、やはり自ら何度も参陣を求めるべきだったのではないか
0105人間七七四年
2016/05/27(金) 11:27:31.46ID:/T4MmyjF出陣中の秀秋だって呼び戻されて減封されてるからね
ただその場合は唐入り失敗という明確な理由ができるので、失脚だけで済んだかもしれない
0106人間七七四年
2016/05/27(金) 13:01:17.01ID:N0UJp5co0107人間七七四年
2016/05/27(金) 14:40:17.48ID:hn1TDFGLクロカンがYOU半島に行っちゃいなyoとかほざいたのって、これ狙いの乱世カモーンじゃないの?
秀吉が認めるわけないんだけどね
0108人間七七四年
2016/05/27(金) 15:07:59.68ID:URnVgIWM■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています