【秀吉の闇】関白秀次切腹事件について その2 [無断転載禁止]©5ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2016/05/22(日) 13:34:21.92ID:C3vTXhJihttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1460994343/(前スレ)
0002人間七七四年
2016/05/22(日) 15:53:32.26ID:9yAFDspL0003人間七七四年
2016/05/22(日) 16:15:39.03ID:lOHyAhnh0004人間七七四年
2016/05/22(日) 21:26:12.99ID:/REOC8XM>高野山が相場
誰か前例がいたっけ?
>>999
信長家老、佐久間信盛、佐久間信栄
秀吉の古参武将、神子田正治、仙石秀久
小田原の陣の北条氏直、北条氏規
0005人間七七四年
2016/05/22(日) 22:30:16.49ID:S/7cRyds追放はな
でも君らは切腹をさせたと言うのだろ?
こちらも高野山に蟄居を命じられている事は否定していないよ
でも切腹命令は証拠がなく、状況から考えてもあり得ないと
言っているんだ
また、格というが秀次は謀反人の扱いで処罰されるのだから、そ
んな考慮は普通はされないよ 斬罪や磔相当の意味ってそういうことだし
でも謀反人なのに切腹という不自然さは辻褄あわせ、と考えたら説明つく
でしょ
>家臣がいて殺せないと何度も指摘
伏見城なら城内に入れる人数は限られているだろ
表向きは太閤に弁明するのだからな
ならば家臣団の大半は外で待つ事になる
後世の例だが赤穂事件でも稲葉正休の刃傷事件でも主君が捕らえられたり
斬られたりしても外の家臣団が抜刀して城内に押し入ろうとすることはな
かった
>根拠ゼロ
太閤に謀反の企てなどない、風説であると弁明しに行くのに武装して大人数を
軍勢として伏見城に向かうなんてそれこそ謀反するぞ、と言っている様なもん
だろ 秀次はそれほどバカかね?
>上記の事実故にで不可能
何度も反論しているだろ 上記にも書いた
> 殺されそうになったら自衛するに決まっている
伏見城内で秀次を斬った後、外にいる家臣団に「関白殿、ご乱心により太閤殿下に
斬りかかった為、やむを得ずこれを討ち果たした 各々方はとりあえず帰られ、沙汰を
待つように」あるいは「関白殿下は弁明のあまりお腹を召された、各々方はとりあえ
ず帰り、沙汰を待つように」と言えばよろしい
別に外にいる家臣団に斬りかかる必要はない 斬りかからないなら家臣団も勝ち目も
大義名分もない戦いを仕掛ける理由がない
0006人間七七四年
2016/05/22(日) 22:30:50.91ID:y5I4pyEK全部推測じゃないか
まさか悪魔の証明しろってわけじゃないよね?
0007人間七七四年
2016/05/22(日) 22:44:57.63ID:/REOC8XM>追放はな
>でも君らは切腹をさせたと言うのだろ?
>こちらも高野山に蟄居を命じられている事は否定していないよ
>でも切腹命令は証拠がなく、状況から考えてもあり得ないと
>言っているんだ
自分は公家の日記で十分と判断する
それ以外の記述は存在しないし
>また、格というが秀次は謀反人の扱いで処罰されるのだから、そ
>んな考慮は普通はされないよ 斬罪や磔相当の意味ってそういうことだし
>でも謀反人なのに切腹という不自然さは辻褄あわせ、と考えたら説明つく
>でしょ
謀反の疑いと言っても証拠が無いもの
>伏見城なら城内に入れる人数は限られているだろ
>表向きは太閤に弁明するのだからな
>ならば家臣団の大半は外で待つ事になる
殿中で殺すなんて先ずしないね
してもそれを聞き残った家臣が暴発する可能性は高い
>後世の例だが赤穂事件でも稲葉正休の刃傷事件でも主君が捕らえられたり
>斬られたりしても外の家臣団が抜刀して城内に押し入ろうとすることはな
>かった
別に彼らは幕府が殺した訳ではない
>太閤に謀反の企てなどない、風説であると弁明しに行くのに武装して大人数を
>軍勢として伏見城に向かうなんてそれこそ謀反するぞ、と言っている様なもん
>だろ 秀次はそれほどバカかね?
あなたが否定しても史料にはそうある
>伏見城内で秀次を斬った後、外にいる家臣団に「関白殿、ご乱心により太閤殿下に
>斬りかかった為、やむを得ずこれを討ち果たした 各々方はとりあえず帰られ、沙汰を
>待つように」あるいは「関白殿下は弁明のあまりお腹を召された、各々方はとりあえ
>ず帰り、沙汰を待つように」と言えばよろしい
そんな方便通用すると?
0008人間七七四年
2016/05/22(日) 23:35:00.10ID:S/7cRydsそれ以外の記述は存在しないし
直接太閤と内密な話ができる人物の日記ならまだしも、さ。
秀次高野山住山令はあるのに、切腹命令がないのは変とは思わんのかね
君が書いた人物らも高野山送りになっているが、高野山で切腹した人が
いるのかね? 知識不足があればいけないので教えてくれ
先例がない、切腹命令を下した痕跡がない、日記の作者が政権中枢とは言い難い人物に
よるもの、では定説には疑問符がつくと思うがね
>謀反の疑いと言っても証拠が無いもの
でも秀次は蟄居命令に反して自害してしまったため、謀反で押し通すしかなかったん
だろう
>殿中で殺すなんて先ずしないね
ちなみに織田信行という先例があってね
>別に彼らは幕府が殺した訳ではない
>そんな方便通用すると?
幕府に切腹を命じられ、あるいはその場で幕府の人間に斬り殺されているが?
君の理屈なら城外で待つ家臣が激怒して城内に押し込むというのだろ?
家臣らは主君が殿中で刃傷事件を起こしたため捕らえられたり斬られたりしても
暴動を起こしたという史実はないけど
>あなたが否定しても史料にはそうある
秀次らが戦の準備をして1万ぐらいの軍勢を率いてやってきたとする資料は何だ?
0009人間七七四年
2016/05/22(日) 23:48:35.98ID:EgDFiUeF自害させるつもりで高野山ってのはおかしいって指摘はたしかに一理ある
0010人間七七四年
2016/05/22(日) 23:55:05.50ID:a+Vv+IdU矢部先生が御湯殿上日記を参考に自ら切腹説を唱えてるけど、公家の日記を資料に使うなんて問題外ですよね
0011人間七七四年
2016/05/23(月) 00:28:41.60ID:wiSeYhl5太閤は諸大名にも真相をぼかした手紙を送っている事から事の真相は
政権中枢に居る者しか知りえないと考える
その上で太閤が秀次に切腹命令を出した・出さないは直接知りえぬ立場でも
秀次が腹を切った事ぐらいは伝わってくるだろうし、蟄居命令をだしたの
は太閤なので、太閤によって腹を切らされたようなもんだ、という意味に
過ぎないと思う(切腹命令があったかを指すのではなく、太閤が関白殿を
おいつめ切腹に追い込んだという意味)
だから太閤が切腹命令を出したかどうかを確認するものとして公家日記は
不適当だが、秀次が追い詰められたとはいえ自ら切腹したと読み取る資料
としては十分
だから矢部先生のこの部分はまぁ納得できる
自分が納得できないのは血で汚されて云々の部分
0012人間七七四年
2016/05/23(月) 00:52:18.56ID:wiSeYhl5それだけで一族処断は考えにくい
蟄居命令に反して切腹も立腹はするだろうがそれも理由としてはないだろう
あるとすれば、後見人としていずれ彼を使う考えで、それが秀頼政権を作り秀次も
生かし、一族繁栄になる道としていたのに彼に勝手に自害されてはその目論見
もパァになり、外様に頼らざる得なくなった。この状態は自分の死後、外様に
簒奪され、秀頼どころか最愛の妻も殺されかねない状況なので、激しい怒りに
打ち震えた、というところだろう
秀次一族も太閤の言い分を聞く気もないだろうしこうなったら消すしかあるま
いて 後世の憂いを絶つために
0013人間七七四年
2016/05/23(月) 01:57:14.33ID:uSuPi0d0> でも切腹命令は証拠がなく、
多くの史料が、秀次が秀吉によって切腹させられたことを示唆しているのに、
甫庵の太閤記の日付だけを理由に、全てを否定するのは無理ありすぎ
秀次に先立って切腹に追い込まれた家臣たちは、自発的に集団自殺した
とでも言うのか
そもそも、切腹命令に証拠能力がないなら、自殺なんてそれ以上に何も
証拠がないだろ
本末転倒すぎる
0014人間七七四年
2016/05/23(月) 07:24:31.89ID:NHfrnd5zもしかしたら高野山の僧が襲ったかもしれないし、徳川のニンジャが暗殺したかもしれないよね
もしかしたらつまづいて石に頭ぶつけて死んだのかもしれない
0015人間七七四年
2016/05/23(月) 09:08:10.81ID:EpJu+Cdn>それ以外の記述は存在しないし
公家の日記を否定したら大半の研究は成り立たない
>直接太閤と内密な話ができる人物の日記ならまだしも、さ。
>秀次高野山住山令はあるのに、切腹命令がないのは変とは思わんのかね
思わない。何故なら切腹命令は秀吉が遣わした使者が直接伝えたから
これは書状よりも上位に当たる
>君が書いた人物らも高野山送りになっているが、高野山で切腹した人が
>いるのかね? 知識不足があればいけないので教えてくれ
>先例がない、切腹命令を下した痕跡がない、日記の作者が政権中枢とは言い難い人物に
>よるもの、では定説には疑問符がつくと思うがね
思わない。他の者が助命されたこそ、秀次も生きながらえると思えるのに、切腹命令が下った。
そういうだまし討が前提なのに前例があったら警戒される。
>でも秀次は蟄居命令に反して自害してしまったため、謀反で押し通すしかなかったん
>だろう
いいえ、謀反では説明できないので「たいこうさまくんきのうち」 の様に悪逆説に転換しました
>ちなみに織田信行という先例があってね
殺されたのは清洲城北櫓天主次の間です
御殿の中ではない
>幕府に切腹を命じられ、あるいはその場で幕府の人間に斬り殺されているが?
>君の理屈なら城外で待つ家臣が激怒して城内に押し込むというのだろ?
>家臣らは主君が殿中で刃傷事件を起こしたため捕らえられたり斬られたりしても
>暴動を起こしたという史実はないけど
彼らは加害者であり、一方的に殺されたのではないのですが?
>秀次らが戦の準備をして1万ぐらいの軍勢を率いてやってきたとする資料は何だ?
どこから一万人なんて出てきた?
0016人間七七四年
2016/05/23(月) 11:00:29.47ID:S7/P/+Hp石に頭をぶつけて。
それは都合がいいね。秀吉がわざわざ命令出す必要ないし、秀次は不心得者として貶めれる。
徳川の忍者が襲う。
それがバレたら徳川は全国の大名を敵に回すし、徳川潰しの大義名分ができるから秀吉には好都合だね。それに徳川家康が秀次を殺さなくても失脚は確実なのに殺す理由って?
高野山の僧侶が襲う。
それをするメリットは何? バレてかつての比叡山みたいになっても文句は言えないよな。それに秀次に殉じた僧侶もいるのに何で襲わないといけないのか?
0017人間七七四年
2016/05/23(月) 13:14:52.26ID:3T5U8S2E公家の日記は信頼ならんけど、御腹切らせられ候が載ってる日記だけは信頼出来る、は何故?
日記をソースにするなら他の日記も同様な扱いにしなきゃ
0018人間七七四年
2016/05/23(月) 19:40:25.55ID:uSuPi0d0> だから太閤が切腹命令を出したかどうかを確認するものとして公家日記は
> 不適当だが、秀次が追い詰められたとはいえ自ら切腹したと読み取る資料
> としては十分
切腹命令の確認資料として不適当なら、100%想像の域を出ない自殺を読み取る
資料としてはなおさら不適当でしょ
0019人間七七四年
2016/05/23(月) 20:02:14.55ID:uSuPi0d0シンプルによくまとまっている
奈良工業高等専門学校 研究紀要 第51号(2015)
「関白秀次失脚自刃事件と木食応其上人」 勢田勝郭
http://www.nara-k.ac.jp/nnct-library/publication/pdf/h27kiyo7.pdf
※ページ順が逆にPDF化されているので、一番最後から読むべし
0021人間七七四年
2016/05/23(月) 21:01:15.90ID:ciC+3M5Uこれ見たら結局は秀次は謀反したのが確実だったから切腹させられただけ
家族は当時一般的だった謀反人の親類だから処刑されただけ
むしろ処刑の仕方も残虐性はそんな無かった
ってのが証明されてしまったね
秀吉の闇どころか秀吉の苦悩とかが分かるいい論文だ
0022人間七七四年
2016/05/23(月) 21:07:00.20ID:c2iWrcId0023人間七七四年
2016/05/23(月) 21:09:25.50ID:ciC+3M5Uけど一番筋が通っているんだよなあ
今までの秀吉を悪としたい人が秀吉を殺人鬼にしたがっていた説のほうが無理やりすぎた
この板も秀吉を貶せば通ぶれるところがあるし
0024人間七七四年
2016/05/23(月) 21:30:18.71ID:c2iWrcId謀反の内容はどういうものだったのか
その計画に連座者はどのように関連していたのか
この辺の内容がある程度説明されないと結論有りきの理論構築にしか見えないな
謀反の計画が明らかになったのなら福島池田の両名が秀次に罪状を告げる場面で
仮に仲直りしたとしても今回の遺恨がなくならないから〜というふわっとした話にはならんと思う
もっとはっきりと謀反の罪状を暴く必要があるんじゃないかな
0025人間七七四年
2016/05/23(月) 21:38:27.32ID:EpJu+Cdnそういう彼をマトモな人前提で書いているのは、やはり従前の秀吉解釈だなとは思う
0026人間七七四年
2016/05/23(月) 21:40:35.81ID:wiSeYhl5日記をソースにするなら他の日記も同様な扱いにしなきゃ
公家の日記も女官の日記も書いていることは否定していないよ
当時の彼らからすればそのように書いても何もおかしくはないからだ
秀次高野山住山令により秀次が追い詰められて切腹したら太閤が殺した、と言われても
不思議ではない
ただ、どちらも太閤の切腹命令を確認できる資料としては不適当と言っているだけ
政権中枢にいた人物とはとても考えられないからな
秀次が腹を切ったことがわかる史料としては有力なものだよね
>切腹命令の確認資料として不適当なら、100%想像の域を出ない自殺を読み取る
資料としてはなおさら不適当でしょ
これは違うな
まず秀次が切腹した事ぐらいは伝わってくるだろう、いくらなんでも
そしてこれだけで自殺の意思確認としては十分なんだよ
なぜなら切腹は原則として自分の意思でやるものだからだ
太閤による切腹命令があったのなら腹を切らされた、とも言えるだろうがそれが
確認できないなら自分で腹を切ったと考えるしかないんだが
公家や女官の日記にはたしかに太閤の命令とか、腹を切らされた、とか書いているが
それは切腹命令を意味するものではなく、秀次高野山住山令によって追い詰められて
腹を切らされる目にあった、という事を書いているのだろう 解釈の違いだよ
0027人間七七四年
2016/05/23(月) 21:41:47.51ID:wiSeYhl5何度も言っているが否定なんてしてないよ 彼らの情報網でも秀次が切腹したこと
ぐらいはわかるだろう 秀次高野山住山令があった事もわかるだろうから、その
状況だと太閤が腹を切らせた、と書いてもおかしくない
ただし、それは必ずしも切腹命令があった事を意味するものではない、って事だよ
今の日本語的に言うと、
太閤が命じて腹を切らせた、という文は→太閤が(高野山住山令を)命じて(秀次を追い
詰め自ら)腹を切らせたという意味にも解釈できるので、正直第三者の日記で断言は
できないのさ
切腹は原則として自分の意思でするものなので、太閤に命令されたという明確な
証拠となる資料がないとなんとも
>何故なら切腹命令は秀吉が遣わした使者が直接伝えたから
>これは書状よりも上位に当たる
で、切腹命令が下された、という証拠は?
>他の者が助命されたこそ、秀次も生きながらえると思えるのに、切腹命令が下った。
高野山に追放された連中の中に高野山からも追放され、後に打ち首になっている奴がいる
からだます事にもならない これがまず一つ。
二つ目として切腹命令があった事が明確にわかる史料は存在しない
秀次高野山住山令があるのに切腹命令書がないのはようは切腹命令が最初からなかったから
と言える
>いいえ、謀反では説明できないので「たいこうさまくんきのうち」 の様に悪逆説に転換しました
説明できないって事は予想に反して秀次が腹を切ってしまったからに他ならぬだろ
>殺されたのは清洲城北櫓天主次の間です
枝葉の話に噛み付く暇があるなら切腹命令があったとする史料をだしてくれないか?
正直、御殿だろうが天守だろうがここではどうでもいい話だろ
秀次を殺すなら何が起こるかわからん寺よりも伏見城内で斬ればいい
>彼らは加害者であり、一方的に殺されたのではないのですが?
江戸期の事件も事件の一報を知らされた時は何がなんだか分からぬ状況だろう
わが主君が罪を犯した、とわかるのは時間が経ってからだ
秀次も当時、気の病を患っており太閤に斬りかかってもそれほどの不思議はない
家臣も太閤が秀次を追い詰めている事は理解しているだろうが、それだけで
事件の詳細も分からぬのに抜刀して城内に斬りこみに行くと言うのかね?
>どこから一万人なんて出てきた?
関白の行列だから大勢連れていると君が言っていたのだが
0028人間七七四年
2016/05/23(月) 21:53:36.51ID:KhnBNnNEやっぱこれあいつだよ
0029人間七七四年
2016/05/23(月) 22:06:39.51ID:wiSeYhl5秀吉の高野山への追放命令で秀次が悲観、あるいは抗議の意味で切腹しても
「切腹させられた」で通るからな?
それを切腹命令があったと解釈するのはいかがなものか
0030人間七七四年
2016/05/23(月) 22:09:20.75ID:EpJu+Cdnおかしくないというのはあなたの想像
否定する確かな証拠がない限り、確証があって書いたと見るべき
先ず、通説を否定するならそれを明確に否定する史料がないと、受けいられない
使者が出向いて切腹して命令が出ていないと?
神子田正治については追放後の動向には不明点が多い
おや、謀反が事実なら秀次以外の重臣からも聞き出せるし、では何故に重臣も秀次の前に殺すのか?
そんな事はないし、そもそも殿中で暗殺なんかしたら、他の大名の心象は最悪にある
ほぼ丸腰で出向いて殺されかねない奴の屋敷に出向きたいものがいるか?
だから一万人という数はどこから出てきたの
あなたは通説を否定したいようだが、明確に否定する史料がなければ、価値のある論にはならない
0031人間七七四年
2016/05/23(月) 22:11:23.77ID:NHfrnd5z清水宗治も自害に追い込んでる人が?
そりゃ無いだろw
0032人間七七四年
2016/05/23(月) 22:41:30.61ID:wiSeYhl5切腹命令書があればそれも説得力あるんだろうけど、太閤記が史実と考えられた時代に
通説としてまかり通っていたものが太閤記の中にある切腹命令書でしょ
それが偽書とわかってしまった以上、通説も変わらざるを得ないでしょ
しかし現実はそれが通説だからという権威主義でそれに合うように物事を導いている
実態は無根拠なのに!
だからこそ従一位関白左大臣を高野山という強力な寺院に押し込んで、高野山を詐欺に
かけてまで切腹させるというバカな考えが出るのさ
今の時点の通説はもはや想像の段階でしかないのだよ
通説だから、定説だからというのでは旧石器時代を捏造したゴットハンドと大差ない
>そもそも殿中で暗殺なんかしたら、他の大名の心象は最悪にある
大丈夫 表向きは「関白殿、ご乱心」だから
実際に彼は気の病を患っていたし、荒唐無稽な話ではない
心象が最悪になるのは高野山を騙して切腹させる方法も同じことだろう
騙すことに大義名分すらないようでは同一にはできまい
>あなたは通説を否定したいようだが、明確に否定する史料がなければ、価値のある論にはならない
その前に通説に明確な史料はない事を理解すべし
0033人間七七四年
2016/05/23(月) 22:55:45.05ID:KXxJXpyC0034人間七七四年
2016/05/23(月) 23:00:56.01ID:wiSeYhl5それはあくまで秀次側にとって、だ
「秀勝の例もあやつは知っておるだろうし、秀次はワシの心を察するだろう」
と太閤は考えたのでは
まさか切腹するとは、そこまでは読めなかったのだろうよ
当時は精神医学が発達していない時代だ
0035人間七七四年
2016/05/23(月) 23:05:04.77ID:d40YFGaJ自画自賛おつ
0036人間七七四年
2016/05/23(月) 23:20:53.40ID:KGz7PY3y0037人間七七四年
2016/05/23(月) 23:24:02.35ID:wiSeYhl5気の病だったから
0038人間七七四年
2016/05/23(月) 23:31:23.44ID:wiSeYhl5謀反の証拠とは何ぞやって感じだな
高野山に追放して切腹とかありえない、とか伏見城や家臣屋敷で斬る
というのは自分の主張と似ているが、それ以外は賛同しかねるな
0040人間七七四年
2016/05/24(火) 00:27:48.20ID:vJPy6iNc0041人間七七四年
2016/05/24(火) 00:42:32.06ID:Y45vuMttそんなの当時では理解も乏しいだろ
というより秀次が自害したら太閤が殺したように思われるので
後世の憂いを絶つためにはやむを得まい
>>40
この時代は息子でも嫁でも必要なら斬る時代だ
0042人間七七四年
2016/05/24(火) 00:59:40.93ID:neIR7iT4だからこそ家康を権力を委譲する代わりに秀頼を後見にして命だけでも助けてもらおうと
家康への事実上の降伏を決定することが出来た
秀吉の計算違いは三成や淀が豊臣の権力に執着しすぎて暴走したことだろう
そもそも秀吉が降伏を決定している以上は三成と淀に勝ち目などなかったのに
無駄な悪あがきが秀吉の苦渋の決断を無に帰して豊臣を滅亡に導いた
0043人間七七四年
2016/05/24(火) 01:16:44.58ID:12BfhR8H信長亡き織田家を(信雄が裏切るまでは)見捨てなかった家康なら
秀頼をただちに殺すことはなかろうってわけだ。
0044人間七七四年
2016/05/24(火) 02:59:39.03ID:d5TfIZKe清水宗治「は?」
徳川信康「殺すぞ」
0045人間七七四年
2016/05/24(火) 14:53:42.19ID:d5+lGcfA事の責任をとって、とは考えられないだろうか
秀次が死ぬ前に切腹している家臣はそれで説明できる しかし秀次が自害してしまった為に謀
反ということで押し通した、と
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています