徳川史観を見直すといって近年家康の豊臣政権での立ち位置等が見直されているよね。
五大老筆頭ではない、そもそも五大老なんてなかった、防備の薄い伏見城に家康を釘付けにして大阪城には利家をいれた、などなど。
家康は大したことないんだといっているんだろうけれど、むしろ徳川が生き残るためには家康も
必死にあれこれやらざるを得なかったのではないかと思えてくるんだよね。