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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0085人間七七四年2016/04/11(月) 18:21:56.82ID:Q1AzYL25
>>77
ざっと思いつくだけで内政方面だけでも関わった仕事は
兵站業務・検地・取次(佐竹・島津・相良など)・対明交渉・軍監の統括・蔵入り地の管理・博多の復興とかか
全部一人でやってるわけじゃないにしろ人並み外れた働き者なのは間違いないな

成功してる(博多復興や検地)のも
失敗してる(対明交渉・島津や相良の取次)のもあるけど
秀吉が命じた仕事だろうし失敗してるのは誰がやっても難しかったろうから仕方ない

ただ理由はどうあれ家康を排除すべく行動を起こした結果
結局自分で状況をコントロールできず大爆死したんだからやっぱり評価は下がるなあ
無能だとは思わないけど策士策に溺れた感
0086人間七七四年2016/04/11(月) 19:15:25.96ID:Ji5PEkzU
こいつが家康の挑発にのらなければ
秀頼はスクスク成長して親父なきあとの秀忠をひざまずかせてただろう
0087人間七七四年2016/04/11(月) 20:28:39.02ID:Z2R6D0WM
別に家康は煽っても無いだろ
将軍になるまでは家の事だけで、天下自体考えて無かったと思う
そんな家康にたかが政権争いの為に、名目で豊臣を担いで大戦吹っ掛けた三成がイカれてる

60近いジジイ、刺激せず適当に余生満喫させてりゃ良かった
0088人間七七四年2016/04/11(月) 21:46:40.98ID:9ODn4jx5
当時の豊臣の喫緊の課題は朝鮮出兵による不満の解決であり
速やかな撤収の決断に加えて現場とトラブルを繰り返した官僚のリストラを進め
少し間をおいた後に新しい地方遠征事業によって諸大名の記憶をリセットさせる必要があった

また豊臣の長期的な課題は安定体制の樹立にあり
豊臣と徳川の合体を勧めて毛利・上杉といった地方の大大名の領地を削る必要があった

こうしてみると家康は短期的にも長期的にも豊臣を立て直す改革を完璧に進めていた
三成が己の地位保全に固執して謀反を起こして豊臣の改革をぶっ潰しただけであり
家康が非難されるいわれはまったくないといえる
0089人間七七四年2016/04/12(火) 00:18:44.49ID:3PkPCG4K
>>84
その関ヶ原の中心人物だから大物という考え方は三成の問題よりも戦国ブームと言いつつ関ヶ原大坂ブームになってた影響かなあ
家康は関ヶ原無しで将軍にならずとも十分大物だった
0090人間七七四年2016/04/12(火) 04:11:13.00ID:GE1/wcB3
豊臣政権下で三成のアイデアとして立案されたものがどれくらいあるのか
秀吉の失策の多くを三成の責任にされてたところあったけどだったら成功した政策にどれだけ関わってたのかと
0091人間七七四年2016/04/12(火) 06:51:05.37ID:o3mVKeXr
実際には家康の存在自体がトラブルのもとだったけどな
利家が生きてて勢力が均衡してる間は安定してた
0092人間七七四年2016/04/12(火) 08:04:09.56ID:E6bdAyU5
家康いないと秀吉生前でも豊臣政権回らないし
0093人間七七四年2016/04/12(火) 08:51:08.20ID:XYTxPFkI
トラブルの原因こそ三成だろ
朝鮮で非戦闘の身分で、秀吉のお気に入りを利用して、嫌いな大名を上に讒言し左遷しまくって家中の争いを作った
思えば関ヶ原で豊臣を担ごうとしたのも、そういう面があったんだろうな
朝鮮でだって家臣同士のいさかいを、上の名前借りて優位に話を進めてた奴だし
まあもっと原因を辿るなら朝鮮出兵なんてした秀吉なんだが
0094人間七七四年2016/04/12(火) 11:25:35.92ID:5DVrxhlZ
酒井雅楽が嫌われ者だったのかと

そもそも石田三成って本当に融通の利かない嫌われ者なのかと
佐竹や眞田とは昵懇、伊達からは浅野との仲裁を頼まれてる。また本多忠勝とも交流があったらしい
関ヶ原に至る過程でも、福島正則を説得することは可能と踏んでいたことが書状から読める
なお福島正則が東軍として好戦的にふるまったのは、向背不分明を自覚していたからだろう、この点で三法師殿は反対側の陣営でそれを自覚していたため、三成の目付にいいところを見せようとはやった可能性が高い
0095人間七七四年2016/04/12(火) 12:38:57.40ID:S5kHWBEA
主君以外にさしたる庇護者を持たないがゆえに自分の派閥を作る為に
親族や友人知人を厚遇してそれ以外の人間に蛇蝎のごとく嫌われる
出頭人によくあるパターンだけど身贔屓をしすぎたんだろうね
0096人間七七四年2016/04/12(火) 13:20:43.10ID:MwNR/jpx
石田三成って讒言して他人陥れたのは真実なのかな?
よく三成ファンは徳川による貶め、情報操作とか言ってるが。
0097人間七七四年2016/04/12(火) 13:38:29.27ID:D4z+FZKC
左遷、圧迫は千宗易ぐらいじゃね?
狸が勝手に婚姻政策やり出すから怒るのも当然 遺言違反 そら怒るわ 彼こそ豊臣の忠臣
0098人間七七四年2016/04/12(火) 13:48:03.59ID:oLYkpmN9
三成が忠臣かどうかはともかく
家康のやり方に不満を持ってたのは三成だけじゃないわな
0099人間七七四年2016/04/12(火) 14:13:46.19ID:l4Cz8lAI
>>97
「婚姻は秀吉の許可を取れ」って法度をどう守れと
0100人間七七四年2016/04/12(火) 14:18:04.20ID:BQQz+Qk1
そもそもあの婚姻問題の柱は、秀吉死後の大名間の婚姻許認可権が家康に在るか否か、であり、
それについての反対派の中心だった前田利家も、最終的には家康の言い分を認め和解している。
0101人間七七四年2016/04/12(火) 14:28:13.27ID:bu7qi/Fk
>>98
宇喜多とかそうだよな
まあ政治は利益というパイの切り分けが仕事だし
そのへんは政治家の宿命だろ
0102人間七七四年2016/04/12(火) 14:45:15.87ID:oLYkpmN9
婚姻許認可権が家康にあるにしても
自分だけ有力大名と関係を結べば
反発されるのは仕方ないわな
0103人間七七四年2016/04/12(火) 14:48:17.81ID:Qpj8eYEM
三成はそれはさておき、自分が家康に勝てると本気で思っていたのかな? 織田信長存命中に徳川家康が決戦挑むようなくらい格や実力が違う。重ねてきた苦労も違いすぎる。

あの場は何が何でも隠忍自重するべきで、好機が来るのを待つのが得策なのに。
0104人間七七四年2016/04/12(火) 14:55:20.44ID:BQQz+Qk1
というか昨今の研究で、上杉が実は対徳川との戦いを考えてなかった、上杉征伐軍が来たら土下座する
つもりだった、という説が出てきてて(関ヶ原当時の上杉領内で、上杉征伐軍を防ぐための防御施設等の遺構が
一切発見できないらしい)
だとすると三成は、上杉征伐を成功させて家康がさらに強大化するのを防ぐためにあのタイミングで挙兵した
可能性がある。
0105人間七七四年2016/04/12(火) 15:15:47.87ID:Qpj8eYEM
>>104
遺構は破壊したのでは?
井伊直政も家康の命令で石田三成につながるものは破壊している。
会津藩は徳川親藩と縁戚ばかりが入ったから壊し尽くした可能性もあると思う。
0106人間七七四年2016/04/12(火) 15:18:07.67ID:l4Cz8lAI
>井伊直政も家康の命令で石田三成につながるものは破壊している。
後世の創作なんだよなあそれ
0107人間七七四年2016/04/12(火) 15:23:57.00ID:BQQz+Qk1
>>105
破壊しても発掘すれば痕跡は出てくる。昨今の考古学的な調査で、関ヶ原の時の上杉軍の遺構と
思われていたのが、実は江戸時代や明治の戊辰戦争の時のものだと判明したそうな。
0108人間七七四年2016/04/12(火) 15:50:23.31ID:26ga59wv
徳川家最大の縁戚先が豊臣家な訳で。
しかも養子ではなく直系で。
他大名と勝手に婚姻施策を進めようと、正直些細な話としか思えん。
むしろ三成等の方が揚げ足とりに見える構図だな。
0109人間七七四年2016/04/12(火) 15:56:57.47ID:qA9/dLzR
武家政権の今までの歴史を考えれば、徳川家が子々孫々まで安泰とは考えにくく、家康が自分が生きてるうちになるべく他氏排斥に動くのはむしろ当然
豊臣家の臣下とはいえ、もともとは秀吉に一から取り立てられた大名でもないしな

少なくとも執権北条氏のようなポジション、あわよくば簒奪してやろうくらいは最初から普通に考えてたんじゃないかな

執権北条氏が頼朝の死後に次々と政敵を倒していったように、家康もチャンスが来たとばかりに潰しにかかったんだろう
もし家康がやらなければ何十年後かに徳川が潰されるかもしれなかったから
0110人間七七四年2016/04/12(火) 16:34:40.95ID:BQQz+Qk1
つか関ヶ原後に設立された家康の「公儀」は、豊臣家公儀の組織や仕組みを奪ったものではなく、
完全に徳川独自の政権だからなあ。だからこそ二重公儀論なんてものも出てくるわけで。
当初の徳川幕府はそれこそ初期鎌倉幕府のようなもので、鎌倉幕府が朝廷と併存していたように、
豊臣政権との併存も十分可能だと考えていただろうよ。
0111人間七七四年2016/04/12(火) 17:04:43.19ID:d6PxLfRL
家康は東鏡マニアだから、執権北条氏を目指したのはありそう
0112人間七七四年2016/04/12(火) 17:12:59.43ID:BQQz+Qk1
>>111
家康が吾妻鑑マニアってのも後世の創作だけどな
0113人間七七四年2016/04/12(火) 17:45:45.80ID:pJ57+r1G
『板坂卜斎覚書』に愛読書とあるし、収集活動を行い伏見版で開版したから史実だよ
0114人間七七四年2016/04/12(火) 18:08:54.89ID:BQQz+Qk1
>>113
愛読書なんて一言も書いてないぞ
0115人間七七四年2016/04/12(火) 20:38:11.27ID:pJ57+r1G
根本、詩作、歌、連歌ハ御嫌ひにて、論語、中庸、史記、漢書、六韜、三略、貞観政要、和本ハ延喜式、東鑑也
0116人間七七四年2016/04/12(火) 21:09:04.57ID:Qpj8eYEM
>>114
書いてるじゃないか。
0117人間七七四年2016/04/12(火) 21:12:49.63ID:BQQz+Qk1
>>116
いやだからその他多くの本の中の一つじゃん。出版もその他多くと一緒にだし、
家康が特に吾妻鑑を愛好した証拠なんて一切ないっつーの。
0118人間七七四年2016/04/12(火) 22:05:13.13ID:pJ57+r1G
>>117
愛読書が一つだけという人はあまり聞かないけど
0119人間七七四年2016/04/12(火) 22:18:20.57ID:BQQz+Qk1
>>118
そもそも>>115に出ているのは当時の基礎教養の書籍で、端的に言えば「読書好きだよ」と言っているに過ぎない。
そして、例えば家康は四書五経の講義は何回も受けているが、吾妻鑑については1,2回程度しか記録がない。
こういったこと以外でも、家康が殊更に、他の書籍以上に吾妻鑑を重視したという記録や出来事は一切存在しない。
よて家康が吾妻鑑マニアだったというのは後世の創作である。
0120人間七七四年2016/04/12(火) 22:42:21.49ID:pJ57+r1G
>>119
記録も何も家康が刊行させた東鑑の奥書の家康が好んだとあるけど
0121人間七七四年2016/04/12(火) 23:16:25.40ID:BQQz+Qk1
>>120
そりゃ吾妻鑑の権威を上げようとして書いたもんだろ。事実として家康が吾妻鑑愛好家だったという記録はない。
0122人間七七四年2016/04/12(火) 23:34:05.12ID:F413IrA/
そりゃ屁理屈だw
0123人間七七四年2016/04/12(火) 23:40:07.89ID:bu7qi/Fk
>>120
本の帯にある作家や芸能人の推薦文みたいなもんか
0124人間七七四年2016/04/13(水) 00:16:05.18ID:3ZrcVuSd
>>98
そうかな?
三成以外で家康の政務に強い不満があったのはそれこそ三成の派閥舎弟連中くらいじゃないか?
真田は家康の大老としての政務とは別の次元で仲が悪いだけだし
輝元は言うことやることが支離滅裂なだけなので参考外だろう
そもそも三成と派閥舎弟以外に本当に不満がある奴が少ないから西軍があっさり消滅したわけだしな
0125人間七七四年2016/04/13(水) 00:19:25.44ID:LLY9mGOS
三成はアスペ
間違いない
0126人間七七四年2016/04/13(水) 01:32:50.64ID:ExN0EGKG
>>124
不満がなきゃ家康暗殺の風聞が流れたりしないし
西軍にあそこまで加わらないわな
0127人間七七四年2016/04/13(水) 02:15:19.96ID:5Bvo0o9n
西軍って大体は関所封鎖で無理やり組み込まれた人たちなんだけど
0128人間七七四年2016/04/13(水) 02:56:29.85ID:MSi0sYwL
>>125
アスペは書き込むの禁止な
0129人間七七四年2016/04/13(水) 07:28:40.57ID:ExN0EGKG
>>127
三成天才すぎだろ
0130人間七七四年2016/04/13(水) 07:37:06.46ID:MsJ/Lpq1
>>129
三成が天才って。
確かに事務処理能力は誰よりも天才だったでしょうが。
0131人間七七四年2016/04/13(水) 10:05:58.48ID:Iim7BD1h
やるだけのことはやった 忠臣と呼んでいいと思う
0132人間七七四年2016/04/13(水) 10:23:14.30ID:Z75VxOOV
>>103
頭のいい人間は何もしないでいるということができない
0133人間七七四年2016/04/13(水) 10:53:46.85ID:MsJ/Lpq1
>>131
その忠臣が結果的に政権を徳川家に献上したんだよなあ。
0134人間七七四年2016/04/13(水) 11:25:41.53ID:fNW2lhLk
あの時家康と戦わなければもっと早く徳川の天下になって豊臣が滅ぼされたのでもなければ負けたけど豊臣のためにやるだけのことはやったとはならない
0135人間七七四年2016/04/13(水) 11:33:45.73ID:JhGQGyIk
三成が決起しなくても徳川の天下は変わらなかったと思うが
上杉征伐あとは毛利征伐だな
その段階になって決起しても関ヶ原よりいい勝負にはならなかったと思う
0136人間七七四年2016/04/13(水) 11:38:12.67ID:Iim7BD1h
前田利家が生きてるうちにどうにかできてたらなあ
でも前田幕府が生まれてやっぱり豊臣は滅亡したかもしれん
0137人間七七四年2016/04/13(水) 11:52:03.43ID:TEtUCr4u
三成が失脚したままだと徳川幕府は親豊臣大名に手をやいて300年たたずに崩壊してただろう
0138人間七七四年2016/04/13(水) 11:52:52.68ID:MsJ/Lpq1
>>135
毛利征伐なら目があったと思います。
上杉征伐なら仮に畿内が敵になっても関東とは繋がっているから増援も補給も撤退も思いのまま。

毛利征伐だと、畿内で挙兵されたら関東と全てが絶たれて孤立する。
0139人間七七四年2016/04/13(水) 12:09:49.66ID:c5sgw5v+
毛利や上杉が勝っても、豊臣の世が復活するわけではない。
三成にコントロール出来るわけもない。
0140人間七七四年2016/04/13(水) 12:12:40.15ID:grosEoIz
上杉征伐の代わりに毛利征伐ならそうだけど
前田も上杉も屈服した状況で毛利に味方した大名がいたかな?
家康は関東との連絡を断たれないために前田と上杉を標的に選んだんだろうね
0141人間七七四年2016/04/13(水) 12:18:46.59ID:h83A5Nov
>>138
関ヶ原は毛利が味方についたからなんとか挙兵できたのに、毛利の軍勢無しでどうやって挙兵するのよ?
0142人間七七四年2016/04/13(水) 12:39:00.02ID:grosEoIz
上杉が征伐されれば家康を止められなくなると判断しての挙兵だろうな
本当は前田が屈服する前に決起すべきだった
0143人間七七四年2016/04/13(水) 12:51:02.99ID:MsJ/Lpq1
というか一か八かで、家康暗殺をしたらよかった。失敗しても自身の責任で。
0144人間七七四年2016/04/13(水) 12:56:19.50ID:TEtUCr4u
上杉は出社拒否して俺の悪口いうなって駄々こねてるどうしようもない重役みたいなものだから懲らしめられ当たり前の状況
これを放置してたら別の意味で豊臣政権は崩壊してただろう
社長側から旅費までもらって上杉の様子をみてこいと頼まれた家康に出勤停止処分されたはずの三成がなぐりかかってきたのだから負けて当たり前だわな
0145人間七七四年2016/04/13(水) 13:37:37.86ID:f3S+Uy4A
西軍が勝っても今度は毛利が徳川化するだけだから
先代の成り上がりで、幼年の子供が当主の豊臣に本当に尽くす大名なんていないよ
織田がそうだった様にね
三成だって豊臣家の実権が欲しかっただけよ
0146人間七七四年2016/04/13(水) 13:41:06.46ID:5Bvo0o9n
>>143
三成は何度も家康暗殺を計画してる件
というか襲撃事件はこれが原因の一つな節もある
0147人間七七四年2016/04/13(水) 19:13:56.42ID:tYjnbVZ7
>>142
その状況でも、あの前田ならいつの間にか家康側になってそうw
0148人間七七四年2016/04/13(水) 19:13:59.70ID:DvsNhEZy
三成評価は二択しかない。
@外様大名を利用して国政復帰を狙った野心家
➁挙兵による豊臣家へのリスクが読めないバカな忠臣
0149人間七七四年2016/04/13(水) 20:10:08.44ID:SvhT7s6Q
徳川派vs前田派。これを見て気づかないか?
織田の旧臣は利家嫌いなのな。親戚の細川以外、みんな家康についている。

徳川邸

福島正則、黒田孝高・黒田長政父子、池田輝政、蜂須賀家政、藤堂高虎、
山内一豊、有馬則頼・有馬豊氏父子、京極高次・京極高知兄弟、脇坂安治、
伊達政宗、新庄直頼・新庄直忠兄弟、大谷吉継、森忠政、堀秀治、金森長近、
最上義光、田中吉政

前田邸

毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、加藤清正、織田秀信、織田秀雄、増田長盛、
細川忠興、加藤嘉明、浅野幸長、長束正家、前田玄以、佐竹義宣、小西行長、
長宗我部盛親、立花宗茂、鍋島直茂、有馬晴信、松浦鎮信
0150人間七七四年2016/04/13(水) 20:16:30.48ID:SvhT7s6Q
>>149は秀吉死後、利家と家康が揉めた時に、前田邸と徳川邸それぞれに
集まったメンバーね。前田邸に集まったのって、完全な外様大名か、
秀吉子飼いメンバーばかりで織田家の同僚は少ない。
0151人間七七四年2016/04/13(水) 20:26:13.67ID:9iw9dGpA
そりゃあ柴田勝家を土壇場で裏切って今の地位を築いた人間だものなあ。
0152人間七七四年2016/04/13(水) 20:39:34.36ID:SvhT7s6Q
外様大名=利家の本性を知らない
秀信・秀雄=若すぎて利家の本性を知らない
子飼い=秀吉の友達=上司なので偉くなってからの利家しか知らない
0153人間七七四年2016/04/13(水) 23:23:18.30ID:7CFQa8jM
>>149
この面子の関ヶ原見たいね
分が悪そうだから家康は和睦したんだが
0154人間七七四年2016/04/13(水) 23:41:07.92ID:CQR2lj6a
三成はなんで会津で上杉と徳川の戦端が開いてから
挙兵しなかったのかと
0155人間七七四年2016/04/14(木) 00:02:22.19ID:j0Rw9MSN
>>154
挙兵タイミングが遅いと大阪城に駐屯してる勢力は対上杉の前線に行ってしまい
なし崩しに自陣営へ取り込むってのは出来なくなるからそっちを嫌ったんだろうかね。
結果論でしかないが、その手口で無理矢理取り込んだ小早川に裏切られて負けるんだから皮肉なもんだ。
0156人間七七四年2016/04/14(木) 00:49:01.49ID:ntDJ4Eas
>>153
これは家康が好き勝手なことをやってるときに集まったメンバーだからね
それでも織田の旧臣は利家につかないくらい利家嫌いってことがわかっただろ
0157人間七七四年2016/04/14(木) 02:09:42.94ID:cVZCTSkR
いや織田の旧臣ってほどの武将はどちらにもいないだろ
0158人間七七四年2016/04/14(木) 09:48:37.87ID:UiiI4fvw
石田三成は何が何でも我慢すべきだった。少なくとも秀頼が成人するまでは。それまで家康が何をしてきても、目をつぶって豊臣の公儀を護るしか手はない。
0159人間七七四年2016/04/14(木) 10:08:23.73ID:ruyoj+48
豊臣家のためには我慢すべきだろうけど、
三成が表舞台に復帰するためには、このタイミングしかない。
0160人間七七四年2016/04/14(木) 12:49:11.79ID:ntDJ4Eas
>>157
織田の旧臣ってほかだと丹羽とか蒲生とか?
丹羽は前田嫌いで有名だし、蒲生は家康の婿だから徳川派だろ
0161人間七七四年2016/04/14(木) 12:55:16.22ID:LMPINA7c
格下同各とみなしてた同僚の出世なんて面白いものでもないしね
たとえ利家が善良な人であろうと旧同僚からしたら味方にはつきにくいだろう
現在でも日本人労働者の同僚の学歴と仕事の出来への嫉妬心は他の先進国のなかでは群をぬいてるとのことだしw
0162人間七七四年2016/04/14(木) 13:09:40.67ID:ntDJ4Eas
利家は賤ヶ岳の裏切りだから織田家中では善良な人なんて思われてないだろ
金森なんて江戸時代の家譜で利家の裏切りをディスってる
利家は、利家夜話で自分マンセーにしてる痛い人だから
蒲生が利家を持ち上げてる話も利家夜話がソースだしな
0163人間七七四年2016/04/14(木) 13:44:08.82ID:ntDJ4Eas
利家といえば、秀次事件での受益も酷いな
山内とかの秀次の元家老らが利家嫌いなのはそのせいらしい
(秀次事件で害を被った外様の伊達最上あたりもそれで利家嫌いなんだろう)
利家は、秀次旧領の尾張美濃が欲しいとごねてたし、
結局それが手に入らないとすねてた
結局秀次の豪華な伏見屋敷と金銀財産をもらったのは利家だし秀頼の傅役としてさらに立場をあげた

嫌われる要員が大量にあるよな
0164人間七七四年2016/04/14(木) 14:00:07.18ID:NptKD+TL
>>148
そんな撞着した二択は拒否する

>>156
そのなかでの織田の旧臣とは?

黒田? 別所の別流であって織田の旧臣ではないね
池田輝政? 蜂須賀? 山内?
池田なんてのは洛中流れの子、ほかはもと敵対勢力
山内や蜂須賀が「旧臣」になるのなら
浅野はもっとそうだね

ところで「織田秀信」というのは旧臣どころか織田家嫡子ではないの?
あれ、同姓同名の別人なのかな?
0165人間七七四年2016/04/14(木) 14:05:29.18ID:ntDJ4Eas
>>164
織田秀信は関ヶ原のときようやく20歳なんだから賤ヶ岳の裏切り時も3歳。
何も知らないよ。

なんか子供みたいな揚げ足取りしてるみたいだけど、織田の旧臣の以前の居場所なんか関係ないよ
本能寺の段階で織田家の家臣なら織田家の旧臣だ
それらはみんな織田家の旧臣だし、堀とか森とか金森とかもみんな織田家の旧臣だよ
0166人間七七四年2016/04/14(木) 14:08:09.84ID:ntDJ4Eas
利家は織田家中ではランキングが低かったし、
「なんで小物で裏切り者のあいつの風下につかなきゃいけないんだよ」
って意識が織田旧臣になかったとはいえないな
0167人間七七四年2016/04/14(木) 14:23:29.48ID:ntDJ4Eas
織田家の旧臣というのは、秀吉政権になってるからこその言葉。
そういう言い方を歴史学でもするだろ。

浅野は織田家では低い身分で信長の直臣じゃないから、織田家臣というより、秀吉子飼いに近い。
0168人間七七四年2016/04/14(木) 14:49:17.03ID:P0brLGAC
>>158
いくら三成が秀頼成人まで我慢しても
家康がとことん手を打ってくるでしょう
前田を挑発したが、腰抜けの前田は母を人質で戦にはならなかったが
すぐに今度は上杉挑発、ここで上杉が戦う姿勢見せた
こんな展開なら次は毛利宇喜田と誰もが思うし、だから毛利宇喜田は立ち上がった

もしも上杉征伐の時に三成らが我慢したとして
秀吉がやった四国→九州→関東みたいな個別攻撃をし
秀頼成人の時は、関ヶ原後に近い状況になっていたんでは?
こんな状況では三成も手も足も出ず
関ヶ原後の加藤清正のような、なんとか秀頼を守りぬく事しかできない
石田と加藤が秀頼守護のため、電撃的和解という新たな歴史ができるのかもしれんが
0169人間七七四年2016/04/14(木) 15:06:38.03ID:P0brLGAC
もしも上杉征伐で三成らが挙兵せず、次に家康は毛利宇喜田征伐していたら?
このIFは意見分かれると思うが、色んな想像ができると思う

・まず毛利らは前田のように戦わず降参したかどうか?
・上杉を成敗したので東日本は家康の天下
 西日本にも家康派はかなりおり、西のどの大名が徳川に付くか?毛利に付くか?
・家康は大阪城を拠点に毛利攻めするか?それとも一端江戸に戻り討伐軍を西へか?
・この状況で毛利に付く西国大名はかなり少ない気がするが
 さすがに石田は毛利に付くと思いたいが
 元々家康派の大谷は徳川方かな?
 小西の水軍が魅力で家康も小西に近づていたと聞くし
 四国勢で毛利に付く大名はあるか?
 立花はどうであろうか?毛利に付くかな?
 鍋島は徳川かな?島津がようわからん
0170人間七七四年2016/04/14(木) 15:13:17.66ID:NptKD+TL
>>165
自分の意見だと思いこんでるなにかのために無理してないか?
健在の織田秀信が鮮明にした旗幟を無視して「織田旧臣」を語る理由は?
0171人間七七四年2016/04/14(木) 16:13:26.02ID:XnpdtYJe
少なくとも豊臣滅亡前に家康の寿命は尽きてただろうな
0172人間七七四年2016/04/14(木) 16:18:02.76ID:srovA3gt
>>168
いや、秀吉は家康に政権の運営を託してるんだけど、。
三成が秀頼を守り抜くつもりでいたのなら、とんだ勘違い野郎としか言えないな。
0173人間七七四年2016/04/14(木) 17:39:52.05ID:PNBdQule
>>168
本当にバカだな
秀頼成人時に、史実の関ケ原後状態なら豊臣的には大成功だろ

突き抜けたバカなんだから歴史のifで遊んでないでゲームでもやってろ
0174人間七七四年2016/04/14(木) 17:50:29.88ID:ntDJ4Eas
>>170
そもそも秀信は織田の「旧臣」ではないから
0175人間七七四年2016/04/14(木) 18:53:37.79ID:KRZ9RmTA
>>173
横で申し訳ないが何が言いたいのかわからないな
0176人間七七四年2016/04/14(木) 19:35:15.48ID:Ky1N1Z+C
なんか日米開戦不可避論と同じ匂いがするな…
0177人間七七四年2016/04/14(木) 20:33:34.75ID:TjJX1NZg
>>172
家康も三成が暴走して関ヶ原を起こすまでは秀頼を立てて守っているからな
家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らす真似もしていないし
重要な政治決定は常に秀頼に事前報告する手続きを遵守していた
むしろ三成の方が秀頼の立場を軽視して事前報告を怠り
自分が豊臣の全てを決められるかのような態度を取って関ヶ原を起こした
0178人間七七四年2016/04/14(木) 20:42:19.86ID:m39qy8y9
公的には関ヶ原時点で毛利は家康に屈服済みだと指摘した方がいい?
0179人間七七四年2016/04/14(木) 20:44:39.99ID:UiiI4fvw
>>178
というか毛利は吉川広家ラインと安国寺恵瓊ラインで分裂抗争。
0180人間七七四年2016/04/14(木) 21:14:48.74ID:11m1/jYY
家康が少なくとも形式的に秀頼をないがしろにしていないのは分かるんだが、西の丸天守閣はどういう位置付けになるんだろう?
0181人間七七四年2016/04/14(木) 21:53:20.42ID:PNBdQule
>>175
バカが歴史のifなんて考えるなってこと
あなたも同じ
0182人間七七四年2016/04/14(木) 22:14:40.64ID:KjDyWEyq
>>180
単に豊臣公儀の家老である事を示唆したんじゃね?
秀頼がいる本丸天守よりは意図的に小さくしたようだし遠慮はあったんだろう。
0183人間七七四年2016/04/14(木) 22:16:36.42ID:z/ytgw9Q
>>176
三成忠臣論は主家を大義名分にするから質が悪い
0184人間七七四年2016/04/14(木) 22:21:18.34ID:XnpdtYJe
会津征伐までは、家康も家康で豊臣の事を考えた一人だったけど
三成挙兵に加えて毛利が加入、更に豊臣の意向という名目で来たから、
そんなんするなら開き直って返り討ちにして天下も取ったろって感じだろ
家康の性格や動き的には
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