石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net
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2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?
語り合いましょう!
0729人間七七四年
2016/06/27(月) 22:14:27.20ID:NpLyb5wp父が筑阿弥(秀吉義父)の兄弟だったという異説もある、という程度。
父系は、おぼろげな情報しかない。
秀吉も、秀吉の母も、父親(夫)のことは言いたがらなかったので、資料は乏しい。
が、とんでもない事例でうっかり出てしまっている。
というのは、秀吉の「兄弟」であると自称する男が出てきたからだ。秀吉は気乗りしなかったが、
母親が本当に息子であるかどうか、確認したがったので、(当時、秀吉はすでに天下人である)
その男を、秀吉と母の前に、連れ出してきて、面会した。が、母親は「こんな男は知らない」と
言い放ったので、
(つまり、母はかつてのつきあってた彼氏?との間に男児を産んでたようで、その彼とは結婚は
してなく子とも別れたことを暗示している。だから確認したがった)
秀吉は即座にその自称、弟の首をはねて殺害している。
さらに後日、今度は秀吉の「妹」だという女があらわれた。これは母に確認することもなく、
処刑した。母には秀吉や秀長以外にも男児がいた。
0731人間七七四年
2016/06/27(月) 23:01:53.15ID:UqLBhIduどうも、秀吉は私生児だったんじゃないかって説があるな
父親の身分うんぬん以前に。
そうなると、実父が今川だったか織田だったかの足軽説も怪しくなってくる
0732人間七七四年
2016/06/27(月) 23:15:54.27ID:kNPM79fm今川の人質時代、鷹狩りをしていたら「人質のくせに生意気な」
と言われた恨みを忘れず
後に再会したら殺した家康が可愛く思えるエピソードだな
0733人間七七四年
2016/06/28(火) 01:58:44.57ID:+0fZs+LE>>732 中村で秀吉をいじめた少年は、「仁王」という名前だった。
ネット上ではここにあるが、だいぶ誇張された情報になってるがね。
http://sengoku.gflag.biz/?eid=1547357
孕石主水の逸話は面白い?ねえ。家康の復讐劇だ。
0734人間七七四年
2016/06/28(火) 02:53:21.67ID:SNvnlTW4まあ始皇帝も、少年時代を過ごした邯鄲を落とした時に、恨みの有る人達を処刑したって
普通に史記に書いて有りますからね。
執念深いってのは、天下を取る人に多い性格なんでしょうね。
本当は始皇帝の報恩のエピソードも有ったはずなんですが、司馬遷が採用しなかった
と思います。
0735人間七七四年
2016/06/28(火) 07:32:13.58ID:+0fZs+LE(松下嘉兵衛←上司のように見えるが同じ年齢。亡年も同じ。実際は松下嘉兵衛の父が
秀吉を雇った。長篠の戦いで奉行だった秀吉隊の前衛として100人の部下あり)
血縁や地縁にもさほど頼った様子でもない。血縁関係では、妻や母からの口添え推薦があったときは
別だがな。
わりと能力主義で採用しているのは、信長の影響だと思う。
0736人間七七四年
2016/06/28(火) 07:44:09.38ID:+0fZs+LE寺で勉学を身につけることができたのは、賢い子供で学問の成績が優れていたのだろう。
太田牛一も父の存在が秘匿されてて名前すらわからないが、でも記憶力が良かった。
武士といえども多くの文書を書いたり読んだりする能力があるのは、当時は貴重だったから。
大久保彦左衛門の三河物語や、秀吉の自筆文書は当て字がひどい。
0737人間七七四年
2016/06/28(火) 07:55:07.80ID:tM1j/jLF0738人間七七四年
2016/06/28(火) 09:44:48.55ID:+0fZs+LE三河物語を見比べると当て字というか文字をあまり知らなくて、
大久保彦左衛門の学問の無さが酷いよ。
0739人間七七四年
2016/06/28(火) 09:48:49.81ID:+0fZs+LE本来の意味だろうけど、
大久保彦左衛門の三河物語や秀吉の自筆文書は、漢字そのものを知らなくて
かわりにひらがなだの簡単な漢字をあてて書いたというレベルだから。
でも江戸時代のような学問が盛んな時代でなく戦国時代のことだから、当時の日本人の中では
上流の知識階級だったろうけどね。石田三成は最上級クラスになろう。
0740人間七七四年
2016/06/28(火) 10:00:02.77ID:B8g3gQ5R0741人間七七四年
2016/06/28(火) 10:15:27.53ID:+0fZs+LE0742人間七七四年
2016/06/28(火) 10:23:31.44ID:tM1j/jLF0743人間七七四年
2016/06/28(火) 10:40:29.01ID:lHkcY4xS一見適当な漢字をあてはめてるだけに見える
当て字にも法則や決まりがあって
それで教養の多寡がわかるってこと?
0744人間七七四年
2016/06/28(火) 10:42:37.45ID:B8g3gQ5Rいいか馬鹿、当時の最上級の知識階級というのは、字の美しさを「学習」していることも必須なんだよ。
0745人間七七四年
2016/06/28(火) 11:21:50.12ID:+0fZs+LEという意味だよ。つまんねえ揚げ足とるなバカが
0746人間七七四年
2016/06/28(火) 11:34:06.87ID:+0fZs+LE三河物語 第一(上)
去程ニ、内前ハ、敵味方に見知ラレンタメ、銀(かぶと)ヲヌイデ取ツテカラリト捨、
清康ト内前ト、敵之中え懸入/\、下知ヲナシ給ヱバ、何れモ是に勢ヒテ、塘(つつみ)
ヱ懸上、鑓ヲ互に投ゲ入ルより、其儘突キクヅシテ、河ヱ追イハメケリ。
信長公記
既に信長公御座所本能寺取り巻き、勢衆、四方より乱れ入るなり。信長も御小姓衆も、
当座の喧嘩を下々の者共仕出し候と思食され候の処、一向さはなく、ときの声を上げ、
御殿へ鉄炮を打入れ候。 是れは謀叛歟、如何なる者の企てぞと御諚の処に、森乱申す
様に、明智が者と見え申候と言上候へば、是非に及ばずと上意候。
太田牛一は立派だ。大久保彦左衛門の文章は当て字がどうこうのレベルではない。
0747人間七七四年
2016/06/28(火) 11:41:21.37ID:tM1j/jLFというか元の主張からずれてスレに関係ない牛一ageをしちゃう人って……
0748人間七七四年
2016/06/28(火) 12:28:39.48ID:wFtaLX1O0749人間七七四年
2016/06/28(火) 20:08:40.29ID:SNvnlTW4言ってはならない」ですからね。
実際にやってる事は、最早秀頼を主君とは認める気は無いとしか思えないけど、反対派
を豊臣家に対する謀反の言いがかりで潰そうとしてるし。
家康一人の判断で論功行賞やれば、実質豊臣家の蔵入り地を山分けしてるのと同じ
ですしね。
0750人間七七四年
2016/06/28(火) 22:31:28.51ID:8KYbt6VX反対派を豊臣家に対する謀反の言いがかりで潰そうとしてるのも
やっていたのは三成だよ
関白を謀反の言いがかりで殺したり、偽講和で豊臣を異国の家臣へと貶めたり
挙句は筆頭大老を殺害しようと豊臣の許可もなく武装蜂起をするなど
豊臣への敵対行為を繰り返していた
0751人間七七四年
2016/06/29(水) 15:57:55.15ID:qoi3zA0E0752人間七七四年
2016/06/29(水) 18:11:31.60ID:iGQwvepJそれとこれとは、話が別だろ
第二第三の奸臣は出てくる。
そうなるように秀吉が仕組んだんだから。
0753人間七七四年
2016/06/29(水) 19:12:08.55ID:lXKZLAQOあのさあ、鍋島直茂みたいな食えないと言えばこれ程食えない奴は無いって言われた男が
西軍だったりするんですよ?
真田の親父だって、自分の働きで西軍勝利に持っていけるって思ってた訳ですしね。
どんな名人だって、野戦は博奕なのは変わらないんですからね。
結講微妙だったと思いますよ。
例えば当日の天気とか、大砲の弾で指揮官が戦死するとか、不確定の要素は大きいと
思うんですけどね?
0754人間七七四年
2016/06/29(水) 19:30:28.64ID:WRjHLfsI家康に尾張で調達した兵糧を献上し息子を東軍に寝返らせているけど
0755人間七七四年
2016/06/29(水) 19:39:05.28ID:zIJbp/neそもそも上杉征伐?に出陣した時点では、敵は上杉景勝だけだし、10万の軍勢を従えていた。
この時点では遠征すれば、留守にした京で何か起こるとは思ったろうが、いざ連絡が
入ったのは、石田三成と大谷が謀反の打ち合わせをしている、といった程度の報告。
それ自体はたいしたことではない。
でも、毛利を総大将にかつぎあげたことで、上杉征伐に向かう後続部隊は大阪あたりで、
毛利の威光によってほとんど全てが西軍に強制的に組み込まれて10万人にも膨れ上がってしまう。
石田三成に入れ知恵した僧のやり方が功をなしたわけだけど、三成の謀議?はきっかけにすぎず、
家康への反対勢力というものが、潜在的に大きな力としてすでに存在していたわけだ。朝鮮出兵で
西国の大名たちはかなりの損失と不満を溜め込んでいたし。朝鮮の領地取れなかったしな。元寇
のあとの御家人たちの不満によって鎌倉幕府が倒れたのとちょっと似てる。
0756人間七七四年
2016/06/29(水) 19:47:55.42ID:zIJbp/ne大きな戦いはほとんど無かったことを思うと、
領地分配は不満が起きないように
公正に信賞必罰したようだ。この采配は、三成以上に家康の部下の本多正信?が
うまく仕切ったのだろう。
豊臣系の大名でも手柄をちゃんと評価して領地を与えてる。
ソースは、原哲夫の「影武者 徳川家康 上下」スマソ
0759人間七七四年
2016/06/29(水) 20:07:11.18ID:WRjHLfsI1、大坂にいる諸大名の人質をこちらで確保して上杉遠征軍から離脱させる
2、帰ってきた諸大名を尾張で留めて秀頼に忠誠を誓わせる
3、年末から来年の初めに西国の軍勢を率いて(上杉が牽制してるであろう)関東に攻め込む
というものだったそうだけど1からしてうまくいってないし2も3も失敗して
結果として豊臣家の没落を招いたわけだから暴挙と見られるのも仕方がない
後知恵だからなんとでも言えるというのもあるが
0760人間七七四年
2016/06/29(水) 23:32:44.08ID:PxzuTryq朝鮮出兵で西国の大名たちがかなりの損失と不満を溜め込んでいたとしても
家康が朝鮮出兵を始めたわけでもなんでもなくまったくの無関係なので
官僚連中以外は家康と命がけの戦いをする動機がないんだよね
三成というはっきりとした不満の矛先を持っていた東軍に比べると
溜め込んだ不満の矛先が敵ではない矛盾を抱えていた西軍は結束力が弱く士気も低かった
0761人間七七四年
2016/06/29(水) 23:53:59.10ID:Gr8f8IAk0762人間七七四年
2016/06/30(木) 02:50:42.69ID:+QV/g6ogこの辺は、狐と狸の化かし合いですよねwwwwww
家康が三成挙兵を読んでたのは事実だと思うけど、近畿の何処かの城で籠城抗戦するのを
予想してたんでしょうね。
三成と一族の所領ではぎりぎり8000だし小西行長なんかの縁の深い大名の兵力を合わせても
10000〜15000ぐらいがせいぜい、20000は無理って予想だと思う。
大阪に行って秀頼を担げば兵力が膨れ上がるけど、大阪には入れない予想だと思いますね。
まあ、お互いに相手を騙してるつもりだったと思う。
0763人間七七四年
2016/06/30(木) 07:21:08.26ID:FKEmH3TI今でいえば漫画やテレビドラマみたいなものだよ。
それを本物の歴史だと思って、現代では歴史資料として学者たちが使ってる。
0764人間七七四年
2016/06/30(木) 08:08:14.85ID:LwB3/+zM毛利が同調するの見越して、黒田経由で吉川広家をコントロールしてたのに
そんな少ない兵数読みのわけねーだろ
0765人間七七四年
2016/06/30(木) 09:06:52.37ID:Zv0FIaKT当時家康に反旗を翻す可能性のある大名なんて、上杉、毛利、宇喜田、石田の
4名しか存在しないわけで。ある程度の予想が出来ないわけがない。
予想出来なかったのは、織田、長宗我部、島津、大谷あたりか。
0766人間七七四年
2016/06/30(木) 09:36:32.82ID:FKEmH3TI100万石の上杉討伐?に向かったときに、
西国でも100万石の毛利(+ 宇喜田・石田)が挙兵すると、
勢力的には五分五分だ。
家康の機動力に比べると、上杉毛利の当主が最前線まで出てこないのが、痛いな。
0767人間七七四年
2016/06/30(木) 11:06:36.12ID:xj8+o2aa三成没後から3年で江戸時代だから、ある程度江戸時代の史料でも止むを得ず、なのでは?
そもそも現代の三成は美化されすぎている。もし問題ない清廉潔白な人物なら、あんなに個人的に三成を恨む大名が出るのが疑問だ。
0768人間七七四年
2016/06/30(木) 11:53:11.44ID:Zv0FIaKT結局、上杉・毛利は豊臣政権の安定化などどうでもよく、
自分のトコが美味しきゃいいのは明白。豊臣家の忠臣なわけがない。
西軍信者の実体だって、要は上杉・島津・石田・真田信者でしょw
実は豊臣家なんてどうでも良いところが符合してて笑えるが。
0769人間七七四年
2016/06/30(木) 12:02:15.68ID:LwB3/+zM美化系の小説でも
大谷が「お前は余計な恨みを買い過ぎる」とたしなめるのがお約束だろ
完全無欠の石田が書かれた小説の実例挙げてみろよ?
0770人間七七四年
2016/06/30(木) 16:54:07.57ID:eChjnCUO0772人間七七四年
2016/06/30(木) 18:10:44.59ID:FKEmH3TIというか日本史上で最も偉大な政治家である、
と思うが、輝元はそこまで良くはなくても、中の上ぐらいではないか。
0773人間七七四年
2016/06/30(木) 19:45:30.66ID:ybOZSR7y0774人間七七四年
2016/06/30(木) 20:55:18.77ID:/CcmycMX暗殺を企んだ相手に生命を預ける真似をするとは
なんという大胆不敵、19万石が250万石と互角に渡り合った!
0776人間七七四年
2016/06/30(木) 21:58:57.48ID:FKEmH3TI蔚山城の戦いの【査定の見直し】
をやっているので、
三成は恨みをかっているところをみると、公正ではなかったのだろう。
朝鮮出兵は負け戦だったから、恩賞を与える土地がなくて難しいのはわかる。
0777人間七七四年
2016/06/30(木) 23:14:58.71ID:brrthLTX派閥舎弟連中の恩賞については後で家康が不公正なものとして取り消しているが
前線で戦っている大名を叩いてそいつの土地を吸い上げて自分たちのものにするやり方が嫌われた原因だよ
0778人間七七四年
2016/07/01(金) 00:27:54.06ID:NmmdWfNTあの時点までの毛利は露骨に日和見ですからね?
毛利が西軍に付き、大阪に入る予想はして無いと思うんだけど?
多分織田の主力が北陸に居た時に挙兵した、松永久秀みたいな感じを予想してたと思う。
後に現実化した挙兵規模だと、少なくみても30%ぐらいは負ける可能性が有るんですよ。
三奉行と、毛利、宇喜多、上杉の三大老が同盟して徳川を討つ形ですしね。
これを予想してるなら、会津征伐はやらない気がしますね。
0779人間七七四年
2016/07/01(金) 01:25:26.93ID:VmcshV1O松永のあれって、上杉がガンガンきてくれるかと思ったらアテが外れて仕方なくの籠城だろ
最初から籠城ありきのクーデターとか自殺行為もいいとこで普通ねぇよ
0781人間七七四年
2016/07/01(金) 05:21:25.43ID:US1hT5t0一気に勝ち馬の方へと寝返ってくるから、
ものすごい大差がついてしまう。5対5→8対2
決戦の時は互角。
0782人間七七四年
2016/07/01(金) 06:52:47.28ID:QtPKeSxb仲良い連中のみに利益誘導とか上杉の年貢持ち逃げ事件を握りつぶすとか
三成もこの手の黒いエピソードには事欠かないのよね。
0783人間七七四年
2016/07/01(金) 07:43:15.45ID:fRdAMIcT黒いと見るか義侠心溢れると見るかは個人差だろ
もっとも三成腐は、そもそも目を逸らしてるだろうけど
0784人間七七四年
2016/07/01(金) 08:35:38.81ID:VONIP2SQ三成も朝鮮で戦って負傷してるって記載みたことあるんだけど(出典不明)
それって嘘?
あと、個人的には
三成が清廉潔白とも思わないけど
あの時代みんな身内びいきしてるんじゃーとは思うわ
まぁ、やり方が下手すぎなんだろーね
0785人間七七四年
2016/07/01(金) 08:54:42.65ID:US1hT5t0http://www.asahi-net.or.jp/~gp3m-andu/kage/hidetada.GIF
0787人間七七四年
2016/07/01(金) 10:09:57.00ID:xL7xmz/t兵を集めるだけで互角だと思ってんのか?
それも所詮は思い通りに動かせないその場しのぎの数が占めてたのに?
0788人間七七四年
2016/07/01(金) 15:30:21.21ID:NmmdWfNTカエサルとポンペイウスのファルサロスの戦いでも、カエサル方、歩兵22000、騎兵1000そして
ポンペイウス方、歩兵47000、騎兵7000です。
ポンペイウスが優勢で、戦う前に分け前で捕らぬ狸の皮算用で争ってたみたいです。
なのに、負けると頼って行ったエジプト王に殺される訳です。
ファルサロスには参戦してた地中海東岸の王侯も、国元に帰るとカエサル方に寝返ったみたいですしね。
カエサルの兵はガリアで激戦を繰り返した精鋭にしろ、指揮能力で保々互角の相手に兵力で約2倍の差を
つけられてたんですよね。
だから、ポンペイウスもまだまだやれるって予想でエジプトに落ちた訳ですけど、現実は残酷ですね。
兵力のソースは、内乱記です。
0789人間七七四年
2016/07/01(金) 19:06:32.45ID:Nrky+oqZ石田三成をカエサルと同等に扱うとは思わなかった。
0790人間七七四年
2016/07/01(金) 21:47:40.50ID:VmcshV1Oヤン ウェンリー
「最初から奇跡をあてにして戦わされては、将兵はたまったものではありません」
0791人間七七四年
2016/07/02(土) 06:23:09.34ID:BADtWmmxその書状の内容は、「(秀吉の)指示に従わない勢力がいるが、指示に従った方がよいか?」と
問い合わせる内容で、官僚の実務的な性格が大変強くて、武将というよりは官僚だという。
0792人間七七四年
2016/07/02(土) 08:47:13.02ID:RtoDoOoVやり方が下手ってもんじゃない。
朝鮮で明軍を撃破した直後の完璧超人に露骨に戦功の取次してやるから
賄賂よこせって言ったくらいだからな。
NGMSや清正への戦功評価が低いのは三成的には平常運転だろうね。
0793人間七七四年
2016/07/02(土) 11:33:16.49ID:aK9CEBuM0795人間七七四年
2016/07/02(土) 14:07:06.66ID:7ns1CPz2碧蹄館は三成は戦いに参加したって言えるほどのことはしてないし
幸州山城の戦いくらいじゃないかな?
0796人間七七四年
2016/07/02(土) 14:12:27.95ID:Z7SQmxOL2chヲタが完璧超人と呼ぶ存在で、朝鮮出兵に参加したのっていえば
ライキリーの養子のことだろ
0798人間七七四年
2016/07/02(土) 16:07:34.96ID:7ns1CPz2徳川家からも評価が高い人物なんだけどな
0799人間七七四年
2016/07/02(土) 19:38:31.21ID:TKlhqX130800人間七七四年
2016/07/02(土) 20:17:55.10ID:7ns1CPz2加増の話があったんだけど、辞退したりしてたんだよなあ
0801人間七七四年
2016/07/02(土) 22:06:52.43ID:132sSgOs0802人間七七四年
2016/07/03(日) 00:58:21.12ID:ntiBthAZ>>793
そう言う意味じゃ無くて、世の中にたまに居る、東軍必勝の客観的情勢みたいな物言いに
文句言ってるんですよ。
後から考えると結果は予想出来る気がしますが、実際そんな事はないから。
大体、今話題のイギリスの離脱だって予測した人は極少数だったじゃないですか?
0804人間七七四年
2016/07/03(日) 01:06:55.93ID:O88hF3D/小早川は最初から裏切っていたし毛利勢とは講話を進めていたのだから、むしろ西軍が追い詰められていたと考えるべき。
0805人間七七四年
2016/07/03(日) 01:10:42.18ID:vn5hGiZT0806人間七七四年
2016/07/03(日) 01:17:16.35ID:Clu4H4aE通せんぼしてる吉川斬り倒してでも参戦しろよとよく思った
0807人間七七四年
2016/07/03(日) 01:53:40.47ID:ntiBthAZ読んだ事は有りませんか?
俺だって勝ち目は薄いと思ってたって、曹操は言ったそうですけど。
東軍が勝利したから、都合の悪い資料は処分されたんじゃないかな?
0808人間七七四年
2016/07/03(日) 02:06:56.83ID:O88hF3D/0809人間七七四年
2016/07/03(日) 05:18:46.67ID:Clu4H4aE三方ヶ原で脱糞男扱いされてねえよ
光圀も大日本史で三成擁護してるつーのに
0810人間七七四年
2016/07/03(日) 08:09:24.95ID:Tolqv0Rx「秀忠の軍は真田に大敗北」なんて大嘘書いている
0812人間七七四年
2016/07/03(日) 10:12:17.47ID:MBOoJTjw0813人間七七四年
2016/07/03(日) 10:37:10.33ID:0o7sgl510814人間七七四年
2016/07/03(日) 11:23:22.72ID:burqts91現在みたいに情報網が発達してるわけでもない
当事者たちにはどっちが勝つか分からんかったりもするだろ
九鬼とか真田みたいに家を2つに割って両方に賭けるのもいたし
前田みたいに東と思わせつつ西にも保険かけとくパターンもいたし
日和見連中も確信が持てなかったから様子見してたわけだし
0816人間七七四年
2016/07/03(日) 11:58:15.36ID:MzyAj+1i諸大名を抑えるのに家康が必要だから筆頭大老にすえたわけで
三成たちが現実の政治を知らず自分で諸大名を統率できると勘違いして
秀吉が危惧していたとおりになっただけ
西軍が勝てたというのは前提条件を捻じ曲げて都合よく語っているに過ぎない
0817人間七七四年
2016/07/03(日) 12:05:08.22ID:gXGH4P4R最初は西国平らげてから関東から動けないはずの家康を討つ予定だったんだろ
0818人間七七四年
2016/07/03(日) 13:01:17.97ID:qz+sapTnその時期に水戸藩じたい存在しない。
0819人間七七四年
2016/07/03(日) 13:11:43.49ID:kPoYlXvL少なくとも、三成が政権を取った後、主家を凌いで天下を支配する野心が
あったことを示す史料は存在しない
つまり、結果はどうであれ、三成の独善・独断にせよ「豊臣家のため」と思って
行動していたことは間違いない
結果論で「忠臣じゃない」と言われるのなら、本多正信も大久保忠隣も
忠臣じゃない
竹島の占有を看過して韓国に媚びへつらってきた自民党なんて反日の
非国民だろ
0820人間七七四年
2016/07/03(日) 13:20:28.46ID:MAwjj2BO光圀さんは犬公方に犬の皮を送りつけたり
三成と同じ文脈で由井正雪を評価しちゃうような
ロックな御仁ですが彼の意見を鵜呑みにしていいの?
0821人間七七四年
2016/07/03(日) 13:24:43.28ID:9UP0YY2r自民は反日だろう
0822人間七七四年
2016/07/03(日) 13:52:45.87ID:1Gw9blSw推定無罪なんてのを、考察の根拠にするようなバカは、一度生まれ直せとしか言いようがない
0823人間七七四年
2016/07/03(日) 14:11:04.37ID:MzyAj+1i仮に三成が「豊臣家のため」と思っていても三成が何をしてもよいという理由にはならない
三成は忠臣というより自分が忠義を口にしたら何をしてもよい特別な存在と思い込んでいる
忠臣のふりをした独裁者だよ
力がないから豊臣に寄生して「豊臣家のため」と誤魔化しているだけで
三成の本性は自分の考えが全ての危険な独裁者だから排除されるのは当然
0824人間七七四年
2016/07/03(日) 14:21:33.15ID:0o7sgl51三成は秀吉の遺言を無視して真っ先に他の大老奉行と私的に誓紙を取り交わした
秀吉が生きている前提で制定されている御掟を持ち出して家康に遺言違反だと難癖をつけた
挙句の果てには権力回復のために挙兵して天下を大乱に巻き込んだ
こんな人間のどこが忠臣なんだ
0825人間七七四年
2016/07/03(日) 16:13:22.49ID:vn5hGiZT0827人間七七四年
2016/07/03(日) 19:01:23.18ID:ntiBthAZたとえば例のイギリス離脱でも、投票締め切りの日本時間午前六時時点でのブックメーカーの
オッズとか、都合良く忘れてる感じですよね?
情報網が発達した現代でもそうなんですよ?
あの時代の野戦なんて、もろに戦場の霧だと思うんですけど?
0828人間七七四年
2016/07/03(日) 19:15:11.90ID:O88hF3D/岐阜で食い止めるはずが早々に落とされ、松尾山は小早川に奪われ関白を餌に寝返り交渉、
南宮山の毛利勢は裏で家康と講和交渉をしてるんだから。
三成がどう考えていたかは知らないが、家康は勝てると思って関ヶ原に望んだとおもうよ。
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