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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0007人間七七四年2016/04/03(日) 06:11:40.27ID:FaubWXix
三成って関ヶ原で、負けなくても
若死にして、次の代でお家騒動かなにかで改易、取り潰しそうな気がする
0008人間七七四年2016/04/03(日) 07:44:15.12ID:3ENGYBlG
あれだけ周りから嫌われたのは、やはり何らかの問題があったからではないの?
0009人間七七四年2016/04/03(日) 11:22:43.85ID:osjpoRzc
好きと嫌いだけで普通がないな…
0010人間七七四年2016/04/03(日) 12:17:00.71ID:A7zbebrJ
三成は忠臣というより狂信者といった方が正しい
自分が豊臣のためだと言えば何をしてもいい
勝手に武装蜂起して日本中を大混乱に陥らせても自分が忠義だと言えば構わないと本気で考える人間だ
イスラム国の連中がアラーのためだと言えば何をしてもいいと考えているのと同じで
むしろ豊臣にとって最も危険な人間といえる
0011人間七七四年2016/04/03(日) 18:59:14.94ID:QY3TIhsN
>>10
まちがえて別スレに書いちまったが
↓ってことだ

534 人間七七四年 sage 2016/04/03(日) 18:54:12.26 ID:QY3TIhsN
景時は狂信的だったわけではない
御家人の弾劾にさらされても弁明すらなかった
その御家人たちは最後は北条に挑発され各個撃破されてる
大族三浦氏など一門からでた侍所筆頭の和田を義時の挑発で破滅させられたあげく、本家も滅ぼされて最後は北条の家人にされてる

大族ではないが豊臣子飼いの分断と内府支持に決定的な役割を果たした愚かな福島正則の末路は、三浦氏の末路とやや似てる
とはいえ鵺のごとき相手にまったく吸収された福島正則の末とは違い、三浦の裔は北条氏蕩滅に蜂起した新田の苦境を救って北条全滅を強くアシストしてるが
0012人間七七四年2016/04/03(日) 22:10:01.28ID:A7zbebrJ
北条はあくまで鎌倉政権のもとで権力を集中させていただけだし
家康も関ヶ原前まではあくまで北条のように豊臣政権下での権力掌握を目指していたに過ぎない
それを三成が狂信的な自爆テロで豊臣を粉微塵に破壊したから新政権での統治に切り替えただけ
結果的に家康が江戸幕府を作ったから三成は正しいという奴がいるけど
それは太平洋戦争後にアメリカが日本を支配したから太平洋戦争を開戦したことは正しいというのと同じくらい無茶苦茶な主張だ
三成は忠義をはきちがえて豊臣を滅ぼした異常者であることは間違いない
0013人間七七四年2016/04/03(日) 22:17:33.71ID:QY3TIhsN
「狂信的なテロ」とは?
石田治部少輔を殺害しようとした
いわゆる七人組ならば
「テロリスト」と呼んでも差し支えなかろうが
0014人間七七四年2016/04/03(日) 22:20:54.50ID:anlInAEt
石田も家康も忠義どうこうではなく、豊臣政権内の権力争いをやってただけだろう
0015人間七七四年2016/04/03(日) 23:02:46.91ID:A7zbebrJ
>>13
三成が忠義と思い込んで豊臣を破壊する騒乱を引き起こそうとしているのだから
七人組が三成の鎮圧に向かうのは当たり前だろ
いわば公安が過激派テロリストを逮捕しようとしたのと同じで
なんで七人組の方がテロリストになる?君はイスラム国にでも住んでいるのか?
0016人間七七四年2016/04/03(日) 23:09:17.56ID:QY3TIhsN
>>15
「三成が忠義と思い込んで豊臣を破壊する騒乱を引き起こそうとしている」と思いこんでるように見えるが、違うのかな

感情表現は俺もするし無論かまわぬが、感情を事実そのもののように書くべきではない
0017人間七七四年2016/04/03(日) 23:14:27.27ID:PsRaFaxk
忠臣かどうかは知らんが無能なのは間違いない
徳川幕府成立の最大の功労者だからな
0018人間七七四年2016/04/04(月) 00:55:04.88ID:+3bjjJsO
三成が忠臣という根拠がよくわからない
具体的に秀頼のために何かやったの?
0019人間七七四年2016/04/04(月) 01:32:16.06ID:Jn2SGg1z
秀頼の器量では荷が重い天下人の座から解放する道筋を作ったことじゃね
0020人間七七四年2016/04/04(月) 06:10:48.53ID:0vtsVl1b
>>19
秀頼は未完の大器。
あのまま生きてれば、70歳になっても未完の大器だと言われ続けたままやがて死んだだろう。
生まれながらの未完の大器で、死ぬまで未完の大器、それが秀頼!
0021人間七七四年2016/04/04(月) 19:33:45.09ID:6hJeqKSs
http://i.imgur.com/xotVKRq.jpg
http://i.imgur.com/hOexu9G.jpg
http://i.imgur.com/1e0qTc4.jpg
0022人間七七四年2016/04/04(月) 21:58:02.34ID:25jVAc8L
>>18
秀次一族が関白を独占しないように殺しまくっただろ
0023人間七七四年2016/04/05(火) 12:50:23.97ID:MSmmTFJu
三成が忠臣。
え?
0024人間七七四年2016/04/05(火) 13:26:04.60ID:7SVElSWB
>>2
石田三成奸臣説なんて無いし、
石田三成奸臣説は江戸幕府の情報操作とする説もない
0025人間七七四年2016/04/05(火) 20:05:13.02ID:Zy2QWX0d
西軍連中の豊臣家のために〜はどうあがいても一方通行
0026人間七七四年2016/04/05(火) 23:59:25.14ID:6KiClv1Q
三成は忠臣ではなくてストーカーと言った方が正しい
クビにしたのに豊臣家にしつこく付きまとい
自分が豊臣家のために行動していると一方的に思い込んで豊臣家に迷惑をかけ続ける
ストーカーとしての暴走の果てが関ヶ原となり豊臣家を滅ぼした
0027人間七七四年2016/04/08(金) 12:03:18.60ID:ozSFSE+0
最近は石田三成忠臣がよく言われているが、忠臣ならばなぜ秀吉を諌めなかった、と言いたい。
0028人間七七四年2016/04/08(金) 12:37:25.04ID:dXFIRb8L
上司になんでも諫言できることが忠臣の定義にもなるまい
0029人間七七四年2016/04/08(金) 17:19:02.34ID:kcY73S+k
主君である秀吉のご機嫌が何よりも重要
秀吉を喜ばすためなら、唐入りの戦況報告をも捻じ曲げる

こういうのは佞臣という
奸臣でもなければ忠臣でもない
当然、諫言するような性質の者ではないし、むしろ諫言する義臣の対極に位置する

>>2が言っていることがトンチンカンなのは、
佞臣と奸臣の区別がつかず、用語を取り違えているからだと思われる
0030人間七七四年2016/04/08(金) 20:00:22.79ID:lUkrW5FW
あの時期に秀次を除くなんて明らかに間違ってるのにそう指摘したが最後。
前野長康のように秀吉が大名になる以前からの家臣でも殺されるのに
損得抜きで忠誠を尽くせる者なんているわけがない。
秀次事件で豊臣にとっての忠臣は消えたんだよ。
0031人間七七四年2016/04/09(土) 11:32:12.44ID:DUOX0F7T
三成は奉行をクビになってから唐突に忠臣面を始めて
豊臣のためだと言い張って奉行返り咲きを画策していた
三成のあまりにも調子のよすぎる態度には武断派でなくても怒りを感じて当然だろう
0032人間七七四年2016/04/09(土) 16:04:31.03ID:MzfSwCI+
猿ってどこら辺からマジボケしてたんやろな…
0033人間七七四年2016/04/09(土) 16:30:11.01ID:iZ86vAl3
>>32
やはり秀長が死去した頃じゃないかな。
あの時期に前後して妹、母親、鶴松と家族の死去が相次いだからな。

三好長慶も弟、息子の相次ぐ死去でおかしくなったし。
0034人間七七四年2016/04/09(土) 17:24:51.42ID:QI0QBJQ6
はあ?
秀長の生前から残虐性を露わにしてましたが?
ボケたのではなく、最初からサイコパスで、
権力が強まるに従って衝動を抑えなくても通るようになっただけでしょ
0035人間七七四年2016/04/09(土) 20:01:38.56ID:oZtl3Gp3
石田三成襲撃事件から家康の都合がいいようにいろんな事が連続で起こるからどうにもならん
家康が最初から裏で弾いていたように見える
0036人間七七四年2016/04/09(土) 20:19:44.57ID:F+VCf6hT
秀吉が生きてる時から家康には都合よく進んでるけどな。
0037人間七七四年2016/04/09(土) 23:58:30.83ID:DUOX0F7T
別に家康は関白を殺せとも朝鮮を攻めろとも言っていないよ
三成たちがあまりにも無能であるため関白継承や海外遠征で失敗を繰り返しただけ
だから秀吉は仕方なく建て直しのため家康を筆頭大老として政権に招聘した
招聘された家康が失敗を繰り返した無能奉行たちをリストラするのは当たり前であり
家康に天下の野心があるかどうかなんて次元以前の問題だろう
関ヶ原なんて単にリストラされた無能官僚が地位にしがみつこうとして
慌てて忠臣気取りを始めて起こした謀反でしかない
0038人間七七四年2016/04/10(日) 10:57:43.91ID:7Pvyqyt4
三成が豊臣一族だったら失敗を繰り返しても豊臣に居座る権利を主張できるけど
三成は単なる雇われ官僚でしかないからな
兵站も講和交渉も失敗して現場からの評価も最悪ならリストラされるのは必然といっていい
それなのにリストラが気に食わないからとやったこともない忠臣のふりをして武力で返り咲きを企てるのだから
三成こそ豊臣を腐敗させる病原菌であるのは間違いない
0039人間七七四年2016/04/10(日) 11:15:59.22ID:PRHDyCCe
家康が結局豊臣家を滅ぼしたんだから
その結果だけを見れば忠臣だわな
少なくとも福島正則よりは
0040人間七七四年2016/04/10(日) 11:34:31.70ID:5cTRIzID
???
A.家康が豊臣家を滅ぼしたという結果
B.三成が豊臣家にとっての忠臣が否か

AとBとの間には何の関係もありませんが
0041人間七七四年2016/04/10(日) 11:49:12.82ID:PRHDyCCe
東西両軍とも豊臣家のためという大義名分で戦った

勝った家康はその後豊臣家を滅ぼした

その結果から遡れば家康を打倒しようとした三成は忠臣

一般的にはこういう見方が多いでしょって話ね
三成も野心があったかもしれないし、三成が挙兵しなければ家康が天下を狙うこともなかったかもしれないけど

逆に家康がその後豊臣家を盛り立てていれば、三成が忠臣という評価はなかっただろうなと
単なる謀反人扱いだっただろう
0042人間七七四年2016/04/10(日) 12:17:44.44ID:7Pvyqyt4
そもそも忠臣というのは上から制御できるのが大前提だろう
自分で勝手に豊臣家のためとか言って暴れだすのは忠臣でもなんでもなくただの謀反人
末期の三成に対して豊臣が制御を失っているのは明らかであり
三成に対して忠臣だと評価しているのは忠臣の意味を正しく理解していない人間だよ
0043人間七七四年2016/04/10(日) 13:40:36.44ID:+kk93xBH
豊臣家を盛り立てる、って具体的に何をするの?
秀頼が行政権を持って、政権を運営する事なんか不可能だろ。
結局お飾りになるんだから、政権を安定させられるのは誰かという話。
三成の挙兵は明らかに豊臣家の地位を下げた。

家康に後事を託した秀吉の判断は正しい。
0044人間七七四年2016/04/10(日) 13:51:29.83ID:jY3T7igS
東軍の中では、三成の目的は何であるということになってたんでしょうか
0045人間七七四年2016/04/10(日) 14:04:02.39ID:+kk93xBH
政権に対する謀反。

三成信者の根は、秀吉死亡からスタートし豊臣家滅亡という結果論で導かれる。
秀吉生前の対家康方針は全く無視する。
秀吉生前の動きを踏まえて遺言状を読めば、その意図するところはアホでもわかる。
遺言状だけを切り取って、大老奉行制を解釈しようとするから無理が生じる。

まぁ、昨今は西軍贔屓しないと本が売れないからねぇ(笑
0046人間七七四年2016/04/10(日) 14:43:01.09ID:7Pvyqyt4
>>43
豊臣家を盛り立てるという意味で言えば西軍蜂起前の状況こそ理想だったんだよな
家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らしたこともなければ大坂の豊臣の人質を勝手に自分の管理物にしたこともない
むしろ会津征伐を含めて重要な政治決定は全て事前に秀頼に報告して許可を貰うという形式を守っていた
この時点の豊臣は文治派が騒ぎを起こす以外は政権誕生以来の最も安定した状況で秀頼の立場も尊重されていた
よく三成信者が言うような家康が一人で好き勝手にやりたい放題をやっていたわけではなったのに
それを三成たちが自分の地位が守られないからと武装蜂起して豊臣の安定体制を破壊してしまった

家康がその後豊臣家を盛り立てていればと書いている人がいるけど
家康が豊臣家を盛り立てていた体制を無に返したのが三成なわけで
結果論から忠臣だと評価することさえも問題だろう
0047人間七七四年2016/04/10(日) 14:57:24.56ID:BmbO3Q92
三成は忠臣というなら、秀吉生前に秀吉をもっと支えて諫言すべきだった。
0048人間七七四年2016/04/10(日) 15:20:22.26ID:A6+DuLDd
>>46
然り、然り
まあ、関ケ原以前の家康の政権構想は、豊臣関白家下の徳川執権体制くらいが
せいぜいだったろうに。リストラ官僚の三成と外様の毛利たちが騒乱を起こしたおかげ
で天下を取ったのはいいが、天下統治のヴジョンが無かったので、幕府システムによる
統治を思いつくのに3年もかかった上に、武家諸法度や公家諸法度を発布するのに15年
以上も時間を費やした事実を見ても、小説でよく関ケ原以前から政権奪取の構想があった
みたいに家康を持ち上げられてるが噴飯物の話だな。
0049人間七七四年2016/04/10(日) 15:30:26.94ID:jY3T7igS
>>45
とはいえ、「三成は秀頼様を殺害しようとしている」という主張は誰もしては無いですよね?
0050人間七七四年2016/04/10(日) 16:21:12.04ID:+kk93xBH
>>49
謀反の意味をよく調べてみるといい。
三成の挙兵は、当時の法・制度に照らして謀反に該当する。
蜂須賀書状や、松井書状でも、これを謀反とみなしている。
実際、豊臣家も三成挙兵に正当性を持たせていない。
0051人間七七四年2016/04/10(日) 16:47:26.65ID:aqjY4KvB
家康が実権持ってることを弾劾するなら秀頼が成人してからだったのに
三成のせいで後に秀頼自身が主張しても「はぁ?お前何言ってんの?」「こいつだめだ…」という政情になってしまった
0052人間七七四年2016/04/10(日) 18:27:05.16ID:A6+DuLDd
>>51
同意
幼君(7歳)秀頼補佐=司馬懿ポジションの家康を弾劾するのは無理筋
成人(15歳)秀頼補佐=曹丕ポジションの家康なら弾劾できたのにね。
たった8年が待てなかった三成に豊臣家忠臣と名乗る資格はない。
0053人間七七四年2016/04/10(日) 18:43:17.34ID:+kk93xBH
三成が優秀な人材である事は、まぁ間違いないと思われるので。
政権の構造と、挙兵による豊臣家へのマイナス効果が予見出来ないはずがないんだよね。

忠義で挙兵したのなら、実は恐ろしくバカという事。
関ヶ原の三成において、忠義と有能は並立しない。
0054人間七七四年2016/04/10(日) 19:07:50.99ID:NWbo9MtS
ま、少なくとも家康は結果的に主筋を攻め滅ぼしたんだし忠臣ではないわな。
徳川史観においてはなぜか関が原で謀反人を懲らしめた忠臣扱いされているんだが
失笑せざるをえんw
0055人間七七四年2016/04/10(日) 20:51:52.62ID:NnD5xHsJ
こいつの告げ口出世はほんとムカつく。
0056人間七七四年2016/04/10(日) 20:52:41.53ID:c5tkL/OI
ここが認識のズレなんだろうねぇ。

家康は長らく独立した戦国大名だったわけで。
豊臣家とは敵国として争った過去があり、家臣だった期間も短い。
豊臣家の忠臣であるべき理由が全くないわな。

全国の大名、一家残らず不忠という事でw
0057人間七七四年2016/04/10(日) 20:59:27.21ID:A6+DuLDd
>>54
それは結果論だろ。
仮に家康没後に大坂の陣が勃発して秀忠が秀頼を滅ぼしたら
関ケ原の家康は、官渡の戦い後の曹操や五丈原後の司馬懿と同じポジション
だから豊臣家の大忠臣と称賛されてるよ。
阿保の大阪が、家康が死ぬまで我慢できずに開戦したおかげで晩節を汚された
家康こそ、いい面の皮で気の毒だよ。
まあ、おかげで秀忠が簒奪者の汚名を被らなかったわけで、大坂様様だろうね。
0058人間七七四年2016/04/10(日) 21:51:31.13ID:2Hf/dPxE
結局心情的に豊臣よりか徳川よりかで変わるわな
0059人間七七四年2016/04/10(日) 21:51:48.47ID:7Pvyqyt4
>>53
三成が優秀な人材というのも怪しいな
三成は現場と協調して仕事するタイプではなく秀吉の権威を振りかざして押さえつけるタイプなので
秀吉から海の彼方に離れた朝鮮や秀吉死後の関ヶ原だとトラブルまみれで組織を空中分解させてしまう
三成が優秀でいられるのは絶対的なパトロンがすぐ近くで全面的に支援してくれる特殊な状況下だけだ

豊臣政権が誕生した当初は秀吉の権威を諸大名に叩き込む必要があるので
1580年代までなら三成のような人材は必要悪といえなくもないが
1590年代に入ると三成は優秀どころか単なる問題児でしかなくなる
まして秀吉死後だったら三成なんて真っ先にリストラしなければいけない足枷だよ
三成がとても優秀な人材とは呼べないことは間違いないだろう
0060人間七七四年2016/04/10(日) 21:59:37.08ID:MpXx0guv
仮に三成が挙兵しなかったとして、家康はどうしていただろう?

とりあえず上杉は潰す
前田は屈服済み
残るは毛利と宇喜多

三成の考えとしては、上杉と同じように順番に倒されていくと考えて
それなら今のうちに勝負をかけようとして決起した
三成を忠臣と考える人もおそらくそうだろう
もちろん結果的にはむしろ邪魔物を一度に弱体化できて、徳川が天下を狙う助けになったわけだけど


逆に徳川よりに考えると、三成が決起したから天下を狙えそうになって、だからそもそも豊臣の家臣ではないことでもあるので、豊臣も滅ぼして天下をとっただけ
三成が決起しなければ、豊臣政権下で徳川が実権を握る形になっていただろうから、三成こそ不忠という考えか
0061人間七七四年2016/04/10(日) 22:11:12.97ID:RN9xGnsG
徳川よりに考えるならば
徳川家の存続のためには政治の主導権を握るしかなかった
なぜなら徳川家は豊臣政権で突出しており
足利政権で六分の一殿と呼ばれた山名氏が粛清されたように粛清される
あるいは蒲生や丹羽のように家康亡き後大幅に勢力削減される可能性もある

秀吉存命中は個人的な関係で良かったけど、秀頼成人後や豊臣官僚が実権を握った状態だとどうなるか分からない

あくまで自衛のためにやってきた結果、豊臣家を滅ぼせる状態になって
それなら死ぬ前に滅ぼしておこうと判断したのだろう
0062人間七七四年2016/04/10(日) 22:17:44.63ID:4mUbjDeJ
結果論だが秀忠が関ヶ原に到着していた方が秀頼にとっては良かった
部下にはされるだろうが
天皇家にとっては到着してくれなくて良かった
0063人間七七四年2016/04/10(日) 23:11:40.81ID:jIumv0kP
>>60
そもそも既に三成は隠居してるので、国政に口出そうとするのはお門違い。

屈服した前田は国政への発言権を失ったが、減封など経済的なペナルティは一切受けていない。
列強(大老)が並立するより、徳川一強の方が政権運営が安定するのは当たり前。
実際、西軍のまとまりのなさは史実が証明している。

家康が私腹を肥やしていない事もあり、天下安寧の見地に立てば、
家康による他大老の弱体化は正しい。
0064人間七七四年2016/04/10(日) 23:13:09.66ID:2SNGH85W
安定しすぎて豊臣政権そのものが滅んだけどな
0065人間七七四年2016/04/10(日) 23:16:54.38ID:jIumv0kP
関ヶ原前の一強と、関ヶ原後の一強は、質が全く異なるよ。
言わなくてもわかると思うけど。
0066人間七七四年2016/04/10(日) 23:18:25.71ID:BmbO3Q92
関ヶ原後に挙兵したから忠臣とよくいわれるが、なぜ秀吉存命中に諌めたりしなかったか、と言いたい。ただ単に主君の命令に従って意見もせず忠実にこなすのが忠臣なのか?
0067人間七七四年2016/04/10(日) 23:39:45.09ID:NWbo9MtS
>>61
だからこそ良心の呵責とかいったものから逃れるためなのか
主筋を攻め潰す事の是非を学者に諮問したりしたのだろう

秀忠が豊臣家を攻め潰す事はたぶんできない。
家康が死ぬと急速に徳川家の力は衰えるだろうし、秀頼の天下になると
いう落首もあるがおそらくそうなると家康は考えたと思う。

秀忠個人も12歳の時、豊臣家に人質に来た際、秀吉夫妻に可愛がられて
いるのもあり、家康のような決断はできるかどうか疑問がある。
史実でも秀忠は上洛の際にはまず京都新城にいた高台院を訪ねているし。
0068人間七七四年2016/04/10(日) 23:57:45.17ID:ZNtSBhwa
むしろ豊臣滅ぼす決断をしたのは家康じゃなくて秀忠だろ
0069人間七七四年2016/04/11(月) 00:03:53.40ID:fsfzbRz3
>>67
秀忠は政治的判断を行う際は非情に徹するタイプだぞ。
それに高台院に思い入れはあっても淀に思い入れはないだろう。
千姫に対しても家康の命で輿入れした時点で、娘ではなく豊臣の
嫁って切り捨ててるくらいだし・・・・・
家康没後、徳川弱体化説は神君神話に過ぎないんじゃないかな。
むしろ諸大名の秀忠の発言に対する信頼感は家康以上だし、
やすやすと徳川が弱体化するとは思えないな。
秀忠にとっての平八郎とも言うべき西国無双がいるのを忘れたら
いかんでしょう。
0070人間七七四年2016/04/11(月) 00:11:29.83ID:fsfzbRz3
補足すると
西国無双のコミュ力だけで黒田、細川、島津、伊達、加藤が徳川に付く可能性がある。
これらの連中が徳川に付いたら毛利、福島、前田が大坂方につく可能性は皆無。
その西国無双を忠犬として使いこなした秀忠をあまり馬鹿にしない方が良いと思うよ。
0071人間七七四年2016/04/11(月) 00:18:41.65ID:84y0fQb1
当時の民衆というか世論は家康が死ねば秀頼の天下になると考えられていた。
そういう狂歌がでたのはいわば秀忠の器量や人望に疑問符があった事の裏返し
まぁ遠因は関が原遅参なんだろうけど。
家康が死んでも秀忠が政権を維持できたのは一番害になる主家を滅ぼしたからだと
思うわ。
0072人間七七四年2016/04/11(月) 00:34:13.54ID:IzUsD3El
秀吉没の時点で家康は幕府開いてそのうち豊臣を滅ぼす気だった
家康は秀忠に不安があるから自分が生きてる内に豊臣を滅ぼした
この2つどちらか1つなのに三成派と秀頼派が指摘し合わないのがズルい
0073人間七七四年2016/04/11(月) 00:56:58.56ID:5rExa2St
>>72
意味わかんね
0074人間七七四年2016/04/11(月) 02:26:58.53ID:orRjJrnd
さわっちゃだめな人w
0075人間七七四年2016/04/11(月) 03:27:43.12ID:IzUsD3El
どこがそんなにおかしいんだ?
三成を正当化する人は前者を、秀頼を悲劇の二世扱いする人は後者みたいなことをよく言うけどこの2つは両立するの?
広義の豊臣信者だからって相容れない存在を無視するのは卑怯だろ
0076人間七七四年2016/04/11(月) 05:17:01.48ID:I64mVVBd
そろそろ三成の実績を冷静に再考したいんだが
良くも悪くもここのところの腐人気を面白く思わない層がアンチ三成のようになってしまって同じ議論の堂堂巡りしちゃってるな
0077人間七七四年2016/04/11(月) 05:22:48.65ID:I64mVVBd
どんな性格だったとか嫌われてたとか人望がなかったって議論を一度外して考えて欲しいわ
そんなもん誰にだって敵がいるんだから意味ないよ
0078人間七七四年2016/04/11(月) 08:06:49.41ID:95yWDLmK
豊臣の兵站が大したことない疑念があるので、奉行の戦争の役割も大幅減退している
0079人間七七四年2016/04/11(月) 09:26:58.47ID:cBXtU/bu
徳川で言う本多正信みたいなもんだろ
手柄は無いが主君に気に入られて、周りからは嫌われてる文官のリーダー
しかし決定的な違いは、こいつは引くべき所は引くという判断が出来なかった
領地や重職を固辞するとか
だから身も主家も滅ぼした
0080人間七七四年2016/04/11(月) 11:30:42.08ID:TjX538K8
>>79
本多正信より息子の正純がしっくり来ますわ。
0081人間七七四年2016/04/11(月) 15:31:17.94ID:TjX538K8
石田三成って秀吉の側近だが、秀次事件や千利休切腹にはどれだけ関与していたのかな?
0082人間七七四年2016/04/11(月) 15:46:10.46ID:TaDf9Q5R
もろちん忠臣さ。滋賀県が言ってるんだから間違い無い

石田三成CM<第一弾>
https://www.youtube.com/watch?v=Bp_JCOWYorA
石田三成CM<第二弾・総集編>
https://youtu.be/yAaNoci3_FQ
0083人間七七四年2016/04/11(月) 16:13:01.33ID:TjX538K8
>>82
それは、そう言わないと売れないからでは? 誰が奸臣だと言われた奴のもの買います?
0084人間七七四年2016/04/11(月) 18:05:44.05ID:gkFbQgWX
商品なのか?w
まあそろそろ再評価されてもいいかもな
関ヶ原の主役の一人なんだから小物なわけないだろうに
0085人間七七四年2016/04/11(月) 18:21:56.82ID:Q1AzYL25
>>77
ざっと思いつくだけで内政方面だけでも関わった仕事は
兵站業務・検地・取次(佐竹・島津・相良など)・対明交渉・軍監の統括・蔵入り地の管理・博多の復興とかか
全部一人でやってるわけじゃないにしろ人並み外れた働き者なのは間違いないな

成功してる(博多復興や検地)のも
失敗してる(対明交渉・島津や相良の取次)のもあるけど
秀吉が命じた仕事だろうし失敗してるのは誰がやっても難しかったろうから仕方ない

ただ理由はどうあれ家康を排除すべく行動を起こした結果
結局自分で状況をコントロールできず大爆死したんだからやっぱり評価は下がるなあ
無能だとは思わないけど策士策に溺れた感
0086人間七七四年2016/04/11(月) 19:15:25.96ID:Ji5PEkzU
こいつが家康の挑発にのらなければ
秀頼はスクスク成長して親父なきあとの秀忠をひざまずかせてただろう
0087人間七七四年2016/04/11(月) 20:28:39.02ID:Z2R6D0WM
別に家康は煽っても無いだろ
将軍になるまでは家の事だけで、天下自体考えて無かったと思う
そんな家康にたかが政権争いの為に、名目で豊臣を担いで大戦吹っ掛けた三成がイカれてる

60近いジジイ、刺激せず適当に余生満喫させてりゃ良かった
0088人間七七四年2016/04/11(月) 21:46:40.98ID:9ODn4jx5
当時の豊臣の喫緊の課題は朝鮮出兵による不満の解決であり
速やかな撤収の決断に加えて現場とトラブルを繰り返した官僚のリストラを進め
少し間をおいた後に新しい地方遠征事業によって諸大名の記憶をリセットさせる必要があった

また豊臣の長期的な課題は安定体制の樹立にあり
豊臣と徳川の合体を勧めて毛利・上杉といった地方の大大名の領地を削る必要があった

こうしてみると家康は短期的にも長期的にも豊臣を立て直す改革を完璧に進めていた
三成が己の地位保全に固執して謀反を起こして豊臣の改革をぶっ潰しただけであり
家康が非難されるいわれはまったくないといえる
0089人間七七四年2016/04/12(火) 00:18:44.49ID:3PkPCG4K
>>84
その関ヶ原の中心人物だから大物という考え方は三成の問題よりも戦国ブームと言いつつ関ヶ原大坂ブームになってた影響かなあ
家康は関ヶ原無しで将軍にならずとも十分大物だった
0090人間七七四年2016/04/12(火) 04:11:13.00ID:GE1/wcB3
豊臣政権下で三成のアイデアとして立案されたものがどれくらいあるのか
秀吉の失策の多くを三成の責任にされてたところあったけどだったら成功した政策にどれだけ関わってたのかと
0091人間七七四年2016/04/12(火) 06:51:05.37ID:o3mVKeXr
実際には家康の存在自体がトラブルのもとだったけどな
利家が生きてて勢力が均衡してる間は安定してた
0092人間七七四年2016/04/12(火) 08:04:09.56ID:E6bdAyU5
家康いないと秀吉生前でも豊臣政権回らないし
0093人間七七四年2016/04/12(火) 08:51:08.20ID:XYTxPFkI
トラブルの原因こそ三成だろ
朝鮮で非戦闘の身分で、秀吉のお気に入りを利用して、嫌いな大名を上に讒言し左遷しまくって家中の争いを作った
思えば関ヶ原で豊臣を担ごうとしたのも、そういう面があったんだろうな
朝鮮でだって家臣同士のいさかいを、上の名前借りて優位に話を進めてた奴だし
まあもっと原因を辿るなら朝鮮出兵なんてした秀吉なんだが
0094人間七七四年2016/04/12(火) 11:25:35.92ID:5DVrxhlZ
酒井雅楽が嫌われ者だったのかと

そもそも石田三成って本当に融通の利かない嫌われ者なのかと
佐竹や眞田とは昵懇、伊達からは浅野との仲裁を頼まれてる。また本多忠勝とも交流があったらしい
関ヶ原に至る過程でも、福島正則を説得することは可能と踏んでいたことが書状から読める
なお福島正則が東軍として好戦的にふるまったのは、向背不分明を自覚していたからだろう、この点で三法師殿は反対側の陣営でそれを自覚していたため、三成の目付にいいところを見せようとはやった可能性が高い
0095人間七七四年2016/04/12(火) 12:38:57.40ID:S5kHWBEA
主君以外にさしたる庇護者を持たないがゆえに自分の派閥を作る為に
親族や友人知人を厚遇してそれ以外の人間に蛇蝎のごとく嫌われる
出頭人によくあるパターンだけど身贔屓をしすぎたんだろうね
0096人間七七四年2016/04/12(火) 13:20:43.10ID:MwNR/jpx
石田三成って讒言して他人陥れたのは真実なのかな?
よく三成ファンは徳川による貶め、情報操作とか言ってるが。
0097人間七七四年2016/04/12(火) 13:38:29.27ID:D4z+FZKC
左遷、圧迫は千宗易ぐらいじゃね?
狸が勝手に婚姻政策やり出すから怒るのも当然 遺言違反 そら怒るわ 彼こそ豊臣の忠臣
0098人間七七四年2016/04/12(火) 13:48:03.59ID:oLYkpmN9
三成が忠臣かどうかはともかく
家康のやり方に不満を持ってたのは三成だけじゃないわな
0099人間七七四年2016/04/12(火) 14:13:46.19ID:l4Cz8lAI
>>97
「婚姻は秀吉の許可を取れ」って法度をどう守れと
0100人間七七四年2016/04/12(火) 14:18:04.20ID:BQQz+Qk1
そもそもあの婚姻問題の柱は、秀吉死後の大名間の婚姻許認可権が家康に在るか否か、であり、
それについての反対派の中心だった前田利家も、最終的には家康の言い分を認め和解している。
0101人間七七四年2016/04/12(火) 14:28:13.27ID:bu7qi/Fk
>>98
宇喜多とかそうだよな
まあ政治は利益というパイの切り分けが仕事だし
そのへんは政治家の宿命だろ
0102人間七七四年2016/04/12(火) 14:45:15.87ID:oLYkpmN9
婚姻許認可権が家康にあるにしても
自分だけ有力大名と関係を結べば
反発されるのは仕方ないわな
0103人間七七四年2016/04/12(火) 14:48:17.81ID:Qpj8eYEM
三成はそれはさておき、自分が家康に勝てると本気で思っていたのかな? 織田信長存命中に徳川家康が決戦挑むようなくらい格や実力が違う。重ねてきた苦労も違いすぎる。

あの場は何が何でも隠忍自重するべきで、好機が来るのを待つのが得策なのに。
0104人間七七四年2016/04/12(火) 14:55:20.44ID:BQQz+Qk1
というか昨今の研究で、上杉が実は対徳川との戦いを考えてなかった、上杉征伐軍が来たら土下座する
つもりだった、という説が出てきてて(関ヶ原当時の上杉領内で、上杉征伐軍を防ぐための防御施設等の遺構が
一切発見できないらしい)
だとすると三成は、上杉征伐を成功させて家康がさらに強大化するのを防ぐためにあのタイミングで挙兵した
可能性がある。
0105人間七七四年2016/04/12(火) 15:15:47.87ID:Qpj8eYEM
>>104
遺構は破壊したのでは?
井伊直政も家康の命令で石田三成につながるものは破壊している。
会津藩は徳川親藩と縁戚ばかりが入ったから壊し尽くした可能性もあると思う。
0106人間七七四年2016/04/12(火) 15:18:07.67ID:l4Cz8lAI
>井伊直政も家康の命令で石田三成につながるものは破壊している。
後世の創作なんだよなあそれ
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