石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net
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2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?
語り合いましょう!
0654人間七七四年
2016/06/23(木) 20:28:58.30ID:aNEHkkzr天智天皇も大海人(天武天皇)にそう言ったよね
0655人間七七四年
2016/06/23(木) 21:58:44.94ID:YkbV23xZ0656人間七七四年
2016/06/23(木) 22:29:00.83ID:xmw4k53h幼い息子の行く末は、普通に実力No.1に託すだろ。
No.1を警戒して、No.2以下に期待するとか普通ないから。
それなら最初から、No.1にならないように手をうつ。
史実は全く逆で、さらにパワーアップさせてたからな。
0657人間七七四年
2016/06/24(金) 01:43:49.95ID:tv/42sY/実際には、前田利家に家康を封じ込めさせる計画だと思うんだけど?
宇喜多秀家の正室の豪姫は、秀吉の養女で有ると同時に利家の娘です。
つまり、秀吉と利家の婿なんですよね。
前田を中心に姻戚関係を見ると、充分徳川に対抗出来る勢力ですよ?
上杉景勝も徳川嫌いで有名な人だし、利家にあと10年寿命があれば家康は
何も出来ない気がします。
後、秀頼の傅役ですし、本当に信用してるのは前田利家だと思うけどな?
寧ろ、もし野望が有るなら乗っ取っても良いよ、友情に熱い利家なら秀頼の身が
立つようにしてくれるだろうからって思ってそう。
利家に野望が有るなら、家康より簡単に出来る立場なんですよね。
0658人間七七四年
2016/06/24(金) 04:44:30.04ID:QQWEHze50659人間七七四年
2016/06/24(金) 06:08:54.10ID:hsEcosBG意外なことに第一が石田三成。あと淀君。
0660人間七七四年
2016/06/24(金) 06:30:03.73ID:hsEcosBG劣っていると判断していたのが実情だからな。
だから、織田信長も幼少の頃より連れ歩いた前田利家には柴田勝家の与力どまり。
前田家への石高は、秀吉が与えたわけだけど、出世は秀吉の方が早かったし。
一方家康となると年下なのに、軍の実力も大名間からの信望も、利家以上。あと、
致命的なのは、秀吉が亡くなったときは利家も病んでいて、その後の利家vs家康
の交渉では、利家はすでに死相が出ていたことだ。精力みなぎる家康にかなうわけがない。
0661人間七七四年
2016/06/24(金) 06:37:51.81ID:0V7bYYaH0662人間七七四年
2016/06/24(金) 06:57:40.29ID:SDawq+EU本人としては辞めた後に無理矢理引っ張り出された形なんだからわざわざ天下人なんてやりたくもなかろうよ。
ていうかそんな気骨があるんなら元気な頃からとっくにやってるがな。
0663人間七七四年
2016/06/24(金) 09:23:06.20ID:hsEcosBGオイラの個人的経験からいっても臨終まぎわに頼まれると(そして実際に死なれてしまうと)
これは相当こたえる。死んだ人はもう無力だけど、こっちが気にしてしまうんだよな。
強力だから、オマイらも死ぬときは
若者に頼み事をするといい。
0664人間七七四年
2016/06/24(金) 14:18:06.78ID:2Yi+2z/R0665人間七七四年
2016/06/24(金) 14:30:19.69ID:nSMobREL0666人間七七四年
2016/06/24(金) 15:48:48.86ID:hsEcosBG家康から見れば「小僧め」としか見えない。せめて勝頼みたいな勝ち気ならよかったのだが。
二台目はバカと相場は決まっている。例外はいるが。
0667人間七七四年
2016/06/24(金) 17:24:44.21ID:7FPycykM0668人間七七四年
2016/06/24(金) 18:25:16.41ID:hZLXpnD1言いたいことは分かる。託される人間の思考、行動を縛ることあるわな。
スピリチュアルな意味でない言霊だわ。家康もそうだったから豊臣滅亡まで15年かけたのかねぇ。
0669人間七七四年
2016/06/24(金) 20:03:41.97ID:au0U0Uwl0670人間七七四年
2016/06/24(金) 21:13:56.10ID:/ByOY38N隠居してある程度時間も立場も自由な利家に秀頼の扶育を
それぞれ任せたと考えると普通に妥当な役割分担じゃね?
0671人間七七四年
2016/06/24(金) 22:06:50.48ID:tv/42sY/家康は下手に大老から外すと危険だから取り込む、本当に危険な動きをしたら利家に
討たせるって事じゃないかな。
実際に家康が私的な婚姻しようとして、大阪、伏見の対立に成ったじゃないですか?
あそこで利家が健康なら、徳川討伐の陣ぶれを出して徳川、前田の戦だと思う。
結局問題は、利長がうっかり国元に帰った事だと思う。
大阪に居れば、傅役に謀反の言い掛かりを付けるのは無理に近いです。
そして役目がら、5000かそこらの兵力を大阪に置いても大丈夫でしょう。
多分、何と言われようと俺は秀頼様を守るで帰国しなければ良いだけです。
0672人間七七四年
2016/06/24(金) 22:39:39.88ID:IxcTAlXJ利家は死病に取りつかれていたから、昔の傾奇者に戻ったんじゃないのW
従来の利家なら計算高く強者に鞍替えするはずで、秀吉が秀頼の扶育を頼まれても
家康に尻尾振って、秀頼の扶育をお任せしますと家康に秀頼を差し出しかねない。
しかし死病に取りつかれて、欲の皮が剥がれたんだろう。
それで、はるか昔の傾奇者だったころの自分に戻ったのかもな。
0673人間七七四年
2016/06/24(金) 23:04:11.37ID:SrqavXuK0675人間七七四年
2016/06/25(土) 00:59:13.46ID:vJXN9gmRそもそも家康信者とそれにかみつく奴らの罵り合いだから
ここのみんな自分に都合のいい言い分しか引き合いに出してない
0676人間七七四年
2016/06/25(土) 02:20:59.92ID:7Kl95pnR0677人間七七四年
2016/06/25(土) 03:18:49.39ID:6GQJmV/00678人間七七四年
2016/06/25(土) 06:15:46.56ID:4BmHuAcyでも資料第一主義に成ると、明らかに変な言い分を信じるしか無い事に成るんだよね?
中国の史書でも、それは幾ら何でも変だろうって話は多いですし?
徳川は250年も続いたから、色々無茶苦茶な正当化が有る訳でしてね。
魏の曹操でも生きてる内は後漢を滅ぼして無いです。
孫娘を送って大阪を囲んだ訳だから評判悪く成る訳です。
0681人間七七四年
2016/06/25(土) 09:10:22.23ID:jY/+OKYgえーと家康と秀頼の事にふれた人間が処刑されてた気が
当時は秀吉はともかく秀頼に触れるのはタブー
0683人間七七四年
2016/06/25(土) 11:28:53.11ID:jEPoyi8mあるとすれば秀頼が無能であることを隠したい、秀頼が死んだことを重大なことにしたいという
豊臣信者の脳内だけだろう
0684人間七七四年
2016/06/25(土) 11:56:32.36ID:N8VlfWyS豊臣ファンの間ではいつまでも無垢な君主であり続けるのさ。
0685人間七七四年
2016/06/25(土) 12:48:28.86ID:jEPoyi8m0686人間七七四年
2016/06/25(土) 15:38:42.16ID:2N6/s2xM武士として華やかに散った平敦盛>>>最後まで逃げ続けた豊臣秀頼
これだけは言える
0687人間七七四年
2016/06/25(土) 16:08:24.61ID:FAXtnVy90688人間七七四年
2016/06/25(土) 16:42:42.26ID:bGIC1ExQ敵の挑発に乗って引き返したら討ち取られましたってだけだよね
0689人間七七四年
2016/06/25(土) 17:03:16.56ID:WO4a8shJ0690人間七七四年
2016/06/25(土) 17:21:45.68ID:4BmHuAcy訳ですからね。
しかもこんな場合の常道の、一族の内紛と言う事にして名目上の主君を建てる事すら
やってないです。
姜斉を乗っ取り、史書に主君を殺したって書かれてる田常ですら事後に名目上の主君を
建ててますからね。
まあ、秀忠に大阪攻めをする根性が無いと思われたんでしょうね。
0692人間七七四年
2016/06/26(日) 00:02:35.34ID:eDhNx4tS牛一は、秀吉からも信頼されているね。
なお、秀吉のことを「猿」とか「六つ」とかは一言も書いてない。書けない。
0693人間七七四年
2016/06/26(日) 00:08:47.58ID:eDhNx4tS申告したとしても却下されただろ。伊達政宗と家康の結びつきが強まることについて
他の大老たちがウンとうなづくわけもない。
でも、伊達家から持ち込まれたこんな良い話を、家康が断るのは変だ。他の大老たちは
足を引っ張るだけだろ。相談しても無駄。無許可だとかいうが、
家康の子供たちには、各地の大名たちから良い縁談が次々に持ち込まれているのが現状だったからな。
0694人間七七四年
2016/06/26(日) 00:17:54.61ID:eDhNx4tS思うよ。
というのは、やられた家康も自分が臨終間際には、政宗の手を取って頼み込んでいるからだ。
「秀忠を頼む」との遺言を、政宗は家康から受けた。家康は秀吉と同じことをやってる。
つまり効いたわけよ。(秀頼を滅ぼしたけどさ。でもそうなるまでに充分譲歩してる)
0695人間七七四年
2016/06/26(日) 01:06:31.83ID:1EFK9ZIS秀吉の臨終にそっくりの場面が、約20年前に有るんだよね。
備前の極悪人で有名な宇喜多直家が、息子の秀家の事を秀吉に頼む場面がね。
一代成り上がりで主家の天神山浦上を乗っ取った大名だから、家中に元同僚や上司の
大封を持つ重臣だらけなんよ。
完全に豊臣家を小型にした感じですね。
勿論秀吉は約束を守り、だから臨終の場面に宇喜多秀家がいた訳ですけど。
0696人間七七四年
2016/06/26(日) 01:12:10.83ID:vqLZoPOQでも婚姻の件って利家や奉行連中が私婚だ私婚だとはいってるけど
結局どうすれば私婚じゃないのかあいつら全く言ってないんだよな
0697人間七七四年
2016/06/26(日) 01:20:42.19ID:He0t8spt0698人間七七四年
2016/06/26(日) 07:28:12.06ID:u+6mzsdu豊臣には三成をはじめとした何をするか分からない奸臣が大勢いるし
母親の淀も狂った落城マニアだし
約束を守ることなど家康の意思以前に不可能な状態だった
0699人間七七四年
2016/06/26(日) 08:52:50.29ID:eDhNx4tS以下コピペ。脚色はあるにしても元ネタの史実はあるのだろう。まだ確認とれてないが。
第2回目の遭遇シーンは、直家が病床に伏し余命を悟ったとき、直家は秀吉に備前沼城への
来城を願い出た。なにせ、謀略冷血漢で有名な直家のこと、どんな仕掛けがあるかも知れぬ
岡山城へ、のこのこと出かけることはあり得ない話である。黒田官兵衛は反対したが、秀吉
は出かけた。おそらく、第1回目の遭遇シーンで、好色秀吉と妖艶おふくの間に、なんらか
の以心伝心の確かな感触があったのかも知れない。秀吉は、直家の願いを聞き入れ、人質の
八郎を伴い備前沼城へ行き、直家の枕元で八郎の元服式を行い、「秀吉」の「秀」の字を
とって「秀家」と名付けた。秀吉は秀家のいわば「親代わり」となったのである。NHK大河
ドラマ黒田官兵衛では、この時、直家が「わしが死んだら側女にしてやってくれないか」と
秀吉に、すべてを託すシーンになっている。
0700人間七七四年
2016/06/26(日) 09:12:37.61ID:eDhNx4tShttp://ameblo.jp/bukenotoryo1118/entry-11886562919.html
直家の妻の美女も、直家の死亡のあとは秀吉の側室になった。
秀吉は宇喜多直家のやり方を真似したんだね。
秀吉は自分の死を迎える直前に、家康へ秀頼を頼むと同時に、淀君を家康の側室になるよう遺言。
家康も承知した。
しかし!、淀君が断固拒絶して、全てをぶちこわしてしまう。家康はますます怒る。
0701人間七七四年
2016/06/26(日) 09:39:44.58ID:LR78p6eCほとんど禅譲やんかー!!
0702人間七七四年
2016/06/26(日) 09:51:39.16ID:NeTpV+9+だからこそ、自分に匹敵する家康にしか後を託せないと判断した
もうちっとその辺を周知徹底するべきではあった
言っちゃあ悪いが遺言は中途半端過ぎる
0703人間七七四年
2016/06/26(日) 10:58:01.02ID:eDhNx4tSいくという筋道を、三成が家康を排除しようとして戦いにしてしまったというか。
そんな過激派の三成をうまく使っていた秀吉も凄いが。
とはいえ、関ヶ原で10万vs10万の大兵力の拮抗となったように、家康が秀頼を維持しつつも内政を
していくことにあたって、ものすごい反対派の大勢力がいたわけだ。秀吉の晩年の失政が原因だがな。
0704人間七七四年
2016/06/26(日) 11:18:30.55ID:eDhNx4tS秀吉から遺言もあって大阪城で内政を摂っていたのに、
五大老のうちじつに三人もが敵に回ってしまう。五奉行も同様。
突出した抜群の石高を持っていても、この窮地だもんな。大バクチの勝負に勝って、
日本の過半数の石高を取ったり入れ替えたりできて盤石の体制を築くことができたものの、
まったくきわどすぎる。
0705人間七七四年
2016/06/26(日) 11:56:34.43ID:u+6mzsdu大老・奉行だって本気で反対して戦ったのは三成と秀家の二人しかいないし
その二人もやばくなったら逃げたわけで
真剣に反対しているわけでもないのに西軍なんてものを結成してなんとなく感覚で自滅した間抜けが大半だった
0706人間七七四年
2016/06/26(日) 12:10:31.79ID:Rq+3sCd0期待していたんだろ。そんな動きだ。
家康による安定政権なんぞ望んでいない。
0707人間七七四年
2016/06/26(日) 12:19:33.77ID:NeTpV+9+全国津々浦々で天下統一が良いと思うのは家康の天下になってから
0708人間七七四年
2016/06/26(日) 12:31:35.14ID:u+6mzsduヒャッハーの時代が再び来ると期待するというのは
裏を返せば自分で家康を倒す気はないということだからね
自分で家康を倒せばそのまま自分が天下人になれるわけで
大半の大名が自分以外の誰かが戦って家康を倒してくれたらとリスク放棄に走った結果が西軍の惨敗に繋がった
0709人間七七四年
2016/06/26(日) 13:14:44.64ID:qdOlnPq1それがなければ関ケ原にはさらに数万の勢力が集まっていたはずだ」
0711人間七七四年
2016/06/26(日) 15:12:53.73ID:u+6mzsdu担ぐ御輿を変えても組織の一員として戦うことに慣れているのに対し
西軍は少し前まで独立大名だったという連中が多い
秀吉の力にやむなく従ったがその前は自分だけで戦っていたような連中だ
抑えていた秀吉が死んだのにみんなで一致団結して戦おうなんて西軍にはありえない可能性だった
0713人間七七四年
2016/06/26(日) 16:20:25.24ID:Aqi+iyOd地方には出先機関があってそれぞれが別個に機能するのが普通
0714人間七七四年
2016/06/26(日) 21:25:41.84ID:Rq+3sCd0地方で勝手にやりたい外様大名の利益が一致したわけだろ。
秀吉遺言通りに家康主導で政権が安定してしまったら困るわな。
0715人間七七四年
2016/06/26(日) 21:50:40.22ID:u+6mzsdu関ヶ原で三成一派と一蓮托生して真剣に戦おうなんて気はまったくない
家康との戦いは三成一派だけで頑張ってというのが本音だからね
0716人間七七四年
2016/06/27(月) 05:43:15.79ID:K7/niCsA真剣じゃないにしては、新三本の矢が勢揃いした毛利って、金も人間も余りまくりの状態だったとでも?
0717人間七七四年
2016/06/27(月) 05:47:11.43ID:NpLyb5wp京への近さは有利。
情報や他の大名への根回しを思えば、地方の100万石にも匹敵するだろう。
大谷吉継は敦賀の5万石ほどだが、これも石高はたいしたことなくても、京への日本海貿易の
重要拠点であり、コメの生産よりも貿易の方がはるかに価値ある拠点だから、5万石どころでは
ないそれ以上の力がある。
0718人間七七四年
2016/06/27(月) 05:51:15.54ID:NpLyb5wp実態は兵を各地に侵攻させて、しかも前もって準備のうえで三成の書状がくるやいなや
兵を進めている。上杉景勝以上に好戦的だ。家康に対しては二枚舌で、それが関ヶ原のあとでは
バレて、120万石から30万石に減らされたのは、妥当かつ公正な判断。
0719人間七七四年
2016/06/27(月) 12:15:43.89ID:Ic1PXPxr0720人間七七四年
2016/06/27(月) 12:31:18.77ID:+3OaR9P8自分が生き残る道を見い出せたはず
0721人間七七四年
2016/06/27(月) 15:23:09.40ID:LiC9AaeN氏真がそれにムキになって武田や徳川に徹底抗戦して殺されても、アホという評価にしかならない
最初から赤の他人だった氏政すら最近まではあれだった訳だし
織田と秀吉の関係もそうだし、強い者に従うは自然の流れだわい
徳川にとって従った豊臣を殺すメリットは、殺すデメリット程無いんやから
0722人間七七四年
2016/06/27(月) 15:42:13.94ID:NpLyb5wpもっと温和に政権運営できないのだろうか。
物の言い方も上から目線だったようだし。
0723人間七七四年
2016/06/27(月) 17:56:03.74ID:F3QZf94M政権運営じたい不可能。
それは秀吉時代の朝鮮出兵での徹底した誤魔化しと不正で実証されています。
0724人間七七四年
2016/06/27(月) 18:47:33.45ID:UuqGxzYW普通に隙が有れば減封するつもりじゃなかったのかな?
丹羽長秀や蒲生氏郷死後の減封を見ればね。
会津に反徳川の大名を置いて、東海道に豊臣恩顧の大名を置いてるのは何時でも
攻め込める形ですしね。
もし豊臣秀次が生きてる状況だと、逆に虐められるの徳川の方ですよね。
会津の城普請を徳川の費用持ちでやれくらい言われそう。
家康だって名古屋城のお手伝い普請を外様大名にさせてますからね。
まあ、本当はなんか言い掛かりつけて減封するつもりだったと思う。
豊臣秀次事件で全てが狂ったんでしょう。
0725人間七七四年
2016/06/27(月) 19:45:26.73ID:NpLyb5wp秀吉の子種が無いことは、家康のせいではないし、秀次事件もこれまた家康のせいでもない。
残り少ない秀吉の親類関係は、次々に死んでしまった。
なにしろ、秀吉は、妻の親類関係や母親の親類はいるけれど、
【秀吉は、父親の親類がいない】
という特徴がある。弥右衛門だか竹阿弥だか、どっちにしても母子家庭みたいにして
育った家庭であって、父親を憎んでいるから、父方の親類から大名に取り立てた者はいない。
0726人間七七四年
2016/06/27(月) 19:51:43.47ID:NpLyb5wp秀吉は、血縁関係の乏しさは仕方なかったにしても、地縁関係から取り立てた者は
一応、石田三成とか、尾張国愛智郡中村出身の加藤清正とかはいるが、
秀吉は、故郷である中村への愛着は、あまり無い。幼少のころ、いじめられたので、
秀吉はえらくなってから、たまたま中村を通ったとき、かつて秀吉をいじめた奴を思い出して、
処刑しようとした。既に死んだと言われたので殺せなかったが。
0728人間七七四年
2016/06/27(月) 20:41:46.42ID:UuqGxzYW転封前は同族の領地の総計が30万石くらい、しかも一等地だから家康と言えど
一族の意向を無視するのは厳しい。
それが変わらず、家康の蔵入り地が行き成り100万石くらいに成った訳だから
一種のクーデターだと思います。
なんか家康って、妙に冷めてる人なんだよな。
0729人間七七四年
2016/06/27(月) 22:14:27.20ID:NpLyb5wp父が筑阿弥(秀吉義父)の兄弟だったという異説もある、という程度。
父系は、おぼろげな情報しかない。
秀吉も、秀吉の母も、父親(夫)のことは言いたがらなかったので、資料は乏しい。
が、とんでもない事例でうっかり出てしまっている。
というのは、秀吉の「兄弟」であると自称する男が出てきたからだ。秀吉は気乗りしなかったが、
母親が本当に息子であるかどうか、確認したがったので、(当時、秀吉はすでに天下人である)
その男を、秀吉と母の前に、連れ出してきて、面会した。が、母親は「こんな男は知らない」と
言い放ったので、
(つまり、母はかつてのつきあってた彼氏?との間に男児を産んでたようで、その彼とは結婚は
してなく子とも別れたことを暗示している。だから確認したがった)
秀吉は即座にその自称、弟の首をはねて殺害している。
さらに後日、今度は秀吉の「妹」だという女があらわれた。これは母に確認することもなく、
処刑した。母には秀吉や秀長以外にも男児がいた。
0731人間七七四年
2016/06/27(月) 23:01:53.15ID:UqLBhIduどうも、秀吉は私生児だったんじゃないかって説があるな
父親の身分うんぬん以前に。
そうなると、実父が今川だったか織田だったかの足軽説も怪しくなってくる
0732人間七七四年
2016/06/27(月) 23:15:54.27ID:kNPM79fm今川の人質時代、鷹狩りをしていたら「人質のくせに生意気な」
と言われた恨みを忘れず
後に再会したら殺した家康が可愛く思えるエピソードだな
0733人間七七四年
2016/06/28(火) 01:58:44.57ID:+0fZs+LE>>732 中村で秀吉をいじめた少年は、「仁王」という名前だった。
ネット上ではここにあるが、だいぶ誇張された情報になってるがね。
http://sengoku.gflag.biz/?eid=1547357
孕石主水の逸話は面白い?ねえ。家康の復讐劇だ。
0734人間七七四年
2016/06/28(火) 02:53:21.67ID:SNvnlTW4まあ始皇帝も、少年時代を過ごした邯鄲を落とした時に、恨みの有る人達を処刑したって
普通に史記に書いて有りますからね。
執念深いってのは、天下を取る人に多い性格なんでしょうね。
本当は始皇帝の報恩のエピソードも有ったはずなんですが、司馬遷が採用しなかった
と思います。
0735人間七七四年
2016/06/28(火) 07:32:13.58ID:+0fZs+LE(松下嘉兵衛←上司のように見えるが同じ年齢。亡年も同じ。実際は松下嘉兵衛の父が
秀吉を雇った。長篠の戦いで奉行だった秀吉隊の前衛として100人の部下あり)
血縁や地縁にもさほど頼った様子でもない。血縁関係では、妻や母からの口添え推薦があったときは
別だがな。
わりと能力主義で採用しているのは、信長の影響だと思う。
0736人間七七四年
2016/06/28(火) 07:44:09.38ID:+0fZs+LE寺で勉学を身につけることができたのは、賢い子供で学問の成績が優れていたのだろう。
太田牛一も父の存在が秘匿されてて名前すらわからないが、でも記憶力が良かった。
武士といえども多くの文書を書いたり読んだりする能力があるのは、当時は貴重だったから。
大久保彦左衛門の三河物語や、秀吉の自筆文書は当て字がひどい。
0737人間七七四年
2016/06/28(火) 07:55:07.80ID:tM1j/jLF0738人間七七四年
2016/06/28(火) 09:44:48.55ID:+0fZs+LE三河物語を見比べると当て字というか文字をあまり知らなくて、
大久保彦左衛門の学問の無さが酷いよ。
0739人間七七四年
2016/06/28(火) 09:48:49.81ID:+0fZs+LE本来の意味だろうけど、
大久保彦左衛門の三河物語や秀吉の自筆文書は、漢字そのものを知らなくて
かわりにひらがなだの簡単な漢字をあてて書いたというレベルだから。
でも江戸時代のような学問が盛んな時代でなく戦国時代のことだから、当時の日本人の中では
上流の知識階級だったろうけどね。石田三成は最上級クラスになろう。
0740人間七七四年
2016/06/28(火) 10:00:02.77ID:B8g3gQ5R0741人間七七四年
2016/06/28(火) 10:15:27.53ID:+0fZs+LE0742人間七七四年
2016/06/28(火) 10:23:31.44ID:tM1j/jLF0743人間七七四年
2016/06/28(火) 10:40:29.01ID:lHkcY4xS一見適当な漢字をあてはめてるだけに見える
当て字にも法則や決まりがあって
それで教養の多寡がわかるってこと?
0744人間七七四年
2016/06/28(火) 10:42:37.45ID:B8g3gQ5Rいいか馬鹿、当時の最上級の知識階級というのは、字の美しさを「学習」していることも必須なんだよ。
0745人間七七四年
2016/06/28(火) 11:21:50.12ID:+0fZs+LEという意味だよ。つまんねえ揚げ足とるなバカが
0746人間七七四年
2016/06/28(火) 11:34:06.87ID:+0fZs+LE三河物語 第一(上)
去程ニ、内前ハ、敵味方に見知ラレンタメ、銀(かぶと)ヲヌイデ取ツテカラリト捨、
清康ト内前ト、敵之中え懸入/\、下知ヲナシ給ヱバ、何れモ是に勢ヒテ、塘(つつみ)
ヱ懸上、鑓ヲ互に投ゲ入ルより、其儘突キクヅシテ、河ヱ追イハメケリ。
信長公記
既に信長公御座所本能寺取り巻き、勢衆、四方より乱れ入るなり。信長も御小姓衆も、
当座の喧嘩を下々の者共仕出し候と思食され候の処、一向さはなく、ときの声を上げ、
御殿へ鉄炮を打入れ候。 是れは謀叛歟、如何なる者の企てぞと御諚の処に、森乱申す
様に、明智が者と見え申候と言上候へば、是非に及ばずと上意候。
太田牛一は立派だ。大久保彦左衛門の文章は当て字がどうこうのレベルではない。
0747人間七七四年
2016/06/28(火) 11:41:21.37ID:tM1j/jLFというか元の主張からずれてスレに関係ない牛一ageをしちゃう人って……
0748人間七七四年
2016/06/28(火) 12:28:39.48ID:wFtaLX1O0749人間七七四年
2016/06/28(火) 20:08:40.29ID:SNvnlTW4言ってはならない」ですからね。
実際にやってる事は、最早秀頼を主君とは認める気は無いとしか思えないけど、反対派
を豊臣家に対する謀反の言いがかりで潰そうとしてるし。
家康一人の判断で論功行賞やれば、実質豊臣家の蔵入り地を山分けしてるのと同じ
ですしね。
0750人間七七四年
2016/06/28(火) 22:31:28.51ID:8KYbt6VX反対派を豊臣家に対する謀反の言いがかりで潰そうとしてるのも
やっていたのは三成だよ
関白を謀反の言いがかりで殺したり、偽講和で豊臣を異国の家臣へと貶めたり
挙句は筆頭大老を殺害しようと豊臣の許可もなく武装蜂起をするなど
豊臣への敵対行為を繰り返していた
0751人間七七四年
2016/06/29(水) 15:57:55.15ID:qoi3zA0E0752人間七七四年
2016/06/29(水) 18:11:31.60ID:iGQwvepJそれとこれとは、話が別だろ
第二第三の奸臣は出てくる。
そうなるように秀吉が仕組んだんだから。
0753人間七七四年
2016/06/29(水) 19:12:08.55ID:lXKZLAQOあのさあ、鍋島直茂みたいな食えないと言えばこれ程食えない奴は無いって言われた男が
西軍だったりするんですよ?
真田の親父だって、自分の働きで西軍勝利に持っていけるって思ってた訳ですしね。
どんな名人だって、野戦は博奕なのは変わらないんですからね。
結講微妙だったと思いますよ。
例えば当日の天気とか、大砲の弾で指揮官が戦死するとか、不確定の要素は大きいと
思うんですけどね?
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