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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0632人間七七四年2016/06/20(月) 23:37:23.01ID:61Dgknl/
>>631
うーん。
それだけではな。
本当にそんな記述があるのかわからんし
引用できる?

すまん煽っているわけではなく、でっち上げる奴がよくいるので
0633人間七七四年2016/06/20(月) 23:43:17.85ID:TV1KFZgj
>>632
家康スレ荒らしてるような奴に頼まれても……
0634人間七七四年2016/06/21(火) 00:14:05.40ID:YTIihsME
加賀征伐に関して豊臣家は関係ないだろ
0635人間七七四年2016/06/21(火) 00:15:20.59ID:qBcS+riJ
>>634
あるだろ普通に考えて
0636人間七七四年2016/06/21(火) 00:18:21.26ID:YTIihsME
>>635
加賀征伐って利長の無断帰国が理由じゃなくて家康暗殺計画の噂が原因なんだろ?
0637人間七七四年2016/06/21(火) 00:21:41.06ID:qBcS+riJ
>>636
無断帰国と暗殺計画の二本柱だぞ。
あと噂じゃなくて取り調べの結果証言まで出てる疑惑な。
0638人間七七四年2016/06/21(火) 00:31:32.42ID:YTIihsME
>>637
書状みたいなの残ってるの?
0639人間七七四年2016/06/21(火) 07:54:58.88ID:HkO3JO0A
>>629
奉行職についてたんだろ?
公金横領で莫大な資産を持ってたんじゃね?
そう考えれば、関ヶ原なんてのをやった理由もわかる。
ほっときゃ大久保長安だっけかみたいになるだろ
0640人間七七四年2016/06/21(火) 17:03:40.35ID:w2Opqtes
石田三成って事務処理は得意でも、政策とかはなかったんじゃないか?
0641人間七七四年2016/06/21(火) 23:59:06.52ID:N5Tu3vN6
日本を二分する戦いを主導できるっていうだけでも能力的に凄いことは間違いない
0642人間七七四年2016/06/22(水) 09:01:57.33ID:Lm9uBZ4m
果たして主導したのか?という話があるし
0643人間七七四年2016/06/22(水) 21:47:49.76ID:tL0CnNSJ
毛利が責任を逃れるために三成を首謀者に仕立て上げた説?
関ケ原に総大将がいないという間抜けな状態を見ても
0644人間七七四年2016/06/22(水) 22:04:27.21ID:cUFFAOL9
そもそも関ヶ原はあくまで前線で絵の衝突に過ぎ無かったわけだが。西軍の意図に反して家康が出現したので話が変わっただけで
0645人間七七四年2016/06/22(水) 22:56:57.20ID:Lm9uBZ4m
あれは正しく家康得意の隠密機動戦がなせる技
0646人間七七四年2016/06/23(木) 00:43:12.41ID:f90EKc8Z
秀次政権になったら干される可能性大なので事前につぶす
家康首班政権で干されたから謀反

という事なら分かりやすいんだけど
そんな単純なわけはないよな
0647人間七七四年2016/06/23(木) 04:21:14.49ID:vTvTUg6L
でも、関ケ原直前のあれこれって歴史に詳しいと良く有る乗っ取りのテンプレみたいな
感じですよね。
比較的主君に忠実な重臣に謀反の言い掛かりを付けて討伐し、何故か都が手薄で挙兵を
誘ってるwwwwww
そして反対派にわざとと挙兵させて都に反転、一気に主君を無力化する。
但し、この方法は狐と狸の化かし合いなので、挙兵規模が大きく成りすぎるとあっさり
負ける事も有りって所ですね。
と言うか、家康と同じ事やって滅んだ人も多いですよね。
0648人間七七四年2016/06/23(木) 08:45:34.71ID:Iur1cmQT
>比較的主君に忠実な重臣に謀反の言い掛かりを付けて
堀直政「あ?上杉はクソ野郎だぞ」
0649人間七七四年2016/06/23(木) 08:49:05.15ID:KJFO55Uz
>>647
とはいえ家康も必死だからね
秀頼成人後にとりつぶされるかもしれない
最大領土を持ってるから標的になりやすい
それならチャンスがあるうちに磐石にしておこうと考えたのだろう
0650人間七七四年2016/06/23(木) 09:54:08.24ID:fWTADHYe
江戸幕府で例えるなら、秀吉が死ぬということは将軍と老中と若年寄が全員死んで、
三奉行も半数が死に側用人だけが残るようなもの
0651人間七七四年2016/06/23(木) 15:15:59.94ID:NgPb33JE
「君側の奸を討つ」は古今東西クーデター時の常套句
0652人間七七四年2016/06/23(木) 17:04:25.61ID:jukPoBn1
俺こそ史上最強
https://www.youtube.com/watch?v=n38mMv8TF3M
0653人間七七四年2016/06/23(木) 19:35:58.26ID:PjWNH4er
意外なことに、家康の最大の味方は、秀吉だった。遺言で、家康に天下のことは任せる
とまで言っているのだから。秀頼が成人するまで暫定だけどな。
五大老の中で、実力は家康が突出しているわけだが、では仲間となると、他の4人が反・家康で
ぐるになってしまったから(五奉行もだ)、その中では比較的には中立的なのは、前田家ぐらい。
反・家康で結束したとはいえ、けっこう中身はバラバラだ。

秀吉が家康へ対する信頼ぶりは、ものすごいもので、まず、妹を家康の正妻に出す。
足りなければ、と、今度は、母親を人質同然で家康の元に送り込む。
それらは有名だけど、さらに追い打ちの女攻めがあった。

なんと、秀吉没後の遺言として、淀君を家康の正妻として送り込む、という実話があった。
そこまでするか!。秀吉が毛利家に対する態度とは大違いで、家康をまさに兄弟/家族として
扱っていたことがわかる。毛利家に対しては冷たい。宇喜田家、前田家へも婚姻政策を仕掛けては
いるが、家康には破格の待遇だ。
なお、淀君と家康の結婚話は、多門院日記にも載っていて実話である。ドタキャン破談になったが。
0654人間七七四年2016/06/23(木) 20:28:58.30ID:aNEHkkzr
>>653
天智天皇も大海人(天武天皇)にそう言ったよね
0655人間七七四年2016/06/23(木) 21:58:44.94ID:YkbV23xZ
淀殿は大久保長安に手込めにされたからな(漫画にそう書いてあったし)
0656人間七七四年2016/06/23(木) 22:29:00.83ID:xmw4k53h
普通に父親の立場で考えてみろよ。
幼い息子の行く末は、普通に実力No.1に託すだろ。
No.1を警戒して、No.2以下に期待するとか普通ないから。
それなら最初から、No.1にならないように手をうつ。
史実は全く逆で、さらにパワーアップさせてたからな。
0657人間七七四年2016/06/24(金) 01:43:49.95ID:tv/42sY/
>>653
実際には、前田利家に家康を封じ込めさせる計画だと思うんだけど?
宇喜多秀家の正室の豪姫は、秀吉の養女で有ると同時に利家の娘です。
つまり、秀吉と利家の婿なんですよね。
前田を中心に姻戚関係を見ると、充分徳川に対抗出来る勢力ですよ?
上杉景勝も徳川嫌いで有名な人だし、利家にあと10年寿命があれば家康は
何も出来ない気がします。
後、秀頼の傅役ですし、本当に信用してるのは前田利家だと思うけどな?
寧ろ、もし野望が有るなら乗っ取っても良いよ、友情に熱い利家なら秀頼の身が
立つようにしてくれるだろうからって思ってそう。
利家に野望が有るなら、家康より簡単に出来る立場なんですよね。
0658人間七七四年2016/06/24(金) 04:44:30.04ID:QQWEHze5
秀吉が遺した個人の寿命に左右されるシステム下で人の寿命を待てなかったのが三成
0659人間七七四年2016/06/24(金) 06:08:54.10ID:hsEcosBG
秀吉亡きあとに、戦乱を起こしそうなやっかい者は、
意外なことに第一が石田三成。あと淀君。
0660人間七七四年2016/06/24(金) 06:30:03.73ID:hsEcosBG
前田利家は、100万石で大老には任命したけれども、秀吉は自分自身と比べれば
劣っていると判断していたのが実情だからな。
だから、織田信長も幼少の頃より連れ歩いた前田利家には柴田勝家の与力どまり。
前田家への石高は、秀吉が与えたわけだけど、出世は秀吉の方が早かったし。
一方家康となると年下なのに、軍の実力も大名間からの信望も、利家以上。あと、
致命的なのは、秀吉が亡くなったときは利家も病んでいて、その後の利家vs家康
の交渉では、利家はすでに死相が出ていたことだ。精力みなぎる家康にかなうわけがない。
0661人間七七四年2016/06/24(金) 06:37:51.81ID:0V7bYYaH
あいつ結局風見鶏だし
0662人間七七四年2016/06/24(金) 06:57:40.29ID:SDawq+EU
利家って秀吉が危篤状態になって五大老云々言い出すより前に隠居願い出してなかったっけ。
本人としては辞めた後に無理矢理引っ張り出された形なんだからわざわざ天下人なんてやりたくもなかろうよ。
ていうかそんな気骨があるんなら元気な頃からとっくにやってるがな。
0663人間七七四年2016/06/24(金) 09:23:06.20ID:hsEcosBG
秀吉が死ぬ直前に家康の手をとって「秀頼を頼む」と言ったというのは有名だが、

オイラの個人的経験からいっても臨終まぎわに頼まれると(そして実際に死なれてしまうと)
これは相当こたえる。死んだ人はもう無力だけど、こっちが気にしてしまうんだよな。
強力だから、オマイらも死ぬときは
若者に頼み事をするといい。
0664人間七七四年2016/06/24(金) 14:18:06.78ID:2Yi+2z/R
秀吉が死んだ後で20年近くも生きるとか普通は思わんよな
0665人間七七四年2016/06/24(金) 14:30:19.69ID:nSMobREL
利家が一番信用出来ない事は、秀吉が一番良く知ってるがな。
0666人間七七四年2016/06/24(金) 15:48:48.86ID:hsEcosBG
利家の長男が二代目のボンクラだからだろ。利長が五大老を引き継いだところで、
家康から見れば「小僧め」としか見えない。せめて勝頼みたいな勝ち気ならよかったのだが。
二台目はバカと相場は決まっている。例外はいるが。
0667人間七七四年2016/06/24(金) 17:24:44.21ID:7FPycykM
黒田家の2代目かしら
0668人間七七四年2016/06/24(金) 18:25:16.41ID:hZLXpnD1
>>663
言いたいことは分かる。託される人間の思考、行動を縛ることあるわな。
スピリチュアルな意味でない言霊だわ。家康もそうだったから豊臣滅亡まで15年かけたのかねぇ。
0669人間七七四年2016/06/24(金) 20:03:41.97ID:au0U0Uwl
最初は政権内での主導権争いを勝ち抜いて豊臣政権を牛耳る、くらいは考えて実行していただろうけれど、あんなかたちで滅ぼす事になるとは家康も驚いたんじゃないかな?
0670人間七七四年2016/06/24(金) 21:13:56.10ID:/ByOY38N
現役でバリバリ働いてる家康に政務を
隠居してある程度時間も立場も自由な利家に秀頼の扶育を
それぞれ任せたと考えると普通に妥当な役割分担じゃね?
0671人間七七四年2016/06/24(金) 22:06:50.48ID:tv/42sY/
>>670
家康は下手に大老から外すと危険だから取り込む、本当に危険な動きをしたら利家に
討たせるって事じゃないかな。
実際に家康が私的な婚姻しようとして、大阪、伏見の対立に成ったじゃないですか?
あそこで利家が健康なら、徳川討伐の陣ぶれを出して徳川、前田の戦だと思う。
結局問題は、利長がうっかり国元に帰った事だと思う。
大阪に居れば、傅役に謀反の言い掛かりを付けるのは無理に近いです。
そして役目がら、5000かそこらの兵力を大阪に置いても大丈夫でしょう。
多分、何と言われようと俺は秀頼様を守るで帰国しなければ良いだけです。
0672人間七七四年2016/06/24(金) 22:39:39.88ID:IxcTAlXJ
>>671
利家は死病に取りつかれていたから、昔の傾奇者に戻ったんじゃないのW
従来の利家なら計算高く強者に鞍替えするはずで、秀吉が秀頼の扶育を頼まれても
家康に尻尾振って、秀頼の扶育をお任せしますと家康に秀頼を差し出しかねない。
しかし死病に取りつかれて、欲の皮が剥がれたんだろう。
それで、はるか昔の傾奇者だったころの自分に戻ったのかもな。
0673人間七七四年2016/06/24(金) 23:04:11.37ID:SrqavXuK
何故ここの連中は軍記どころか小説ソースで話を進めているのか。無知なのか
0674人間七七四年2016/06/25(土) 00:15:08.39ID:e827zk5e
>>671
そもそも婚姻問題は利家と奉行衆の難癖だろ
0675人間七七四年2016/06/25(土) 00:59:13.46ID:vJXN9gmR
>>673
そもそも家康信者とそれにかみつく奴らの罵り合いだから
ここのみんな自分に都合のいい言い分しか引き合いに出してない
0676人間七七四年2016/06/25(土) 02:20:59.92ID:7Kl95pnR
でも家康がいないと政権運営できないのも事実。三成が政権運営とか冗談としか思えない。
0677人間七七四年2016/06/25(土) 03:18:49.39ID:6GQJmV/0
三成信者は進退窮まると三成に全権与えなかった秀吉や戦場についていかなかった秀頼が悪いと言い出す
0678人間七七四年2016/06/25(土) 06:15:46.56ID:4BmHuAcy
>>675
でも資料第一主義に成ると、明らかに変な言い分を信じるしか無い事に成るんだよね?
中国の史書でも、それは幾ら何でも変だろうって話は多いですし?
徳川は250年も続いたから、色々無茶苦茶な正当化が有る訳でしてね。
魏の曹操でも生きてる内は後漢を滅ぼして無いです。
孫娘を送って大阪を囲んだ訳だから評判悪く成る訳です。
0679人間七七四年2016/06/25(土) 06:40:43.11ID:MXbV8OFW
>>676
三成みたい人間はスタッフとしては必須だけど権力の頂点に立っちゃいけないよね。
0680人間七七四年2016/06/25(土) 07:37:45.20ID:3Pl+VEsR
>>678
中国みたいな組織的な正史編纂と異説抹殺は行われていない
0681人間七七四年2016/06/25(土) 09:10:22.23ID:jY/+OKYg
>>680
えーと家康と秀頼の事にふれた人間が処刑されてた気が
当時は秀吉はともかく秀頼に触れるのはタブー
0682人間七七四年2016/06/25(土) 09:24:50.99ID:3Pl+VEsR
>>681
具体に示されないと何とも言えない
0683人間七七四年2016/06/25(土) 11:28:53.11ID:jEPoyi8m
秀頼に触れたらタブーだなんて事実はない
あるとすれば秀頼が無能であることを隠したい、秀頼が死んだことを重大なことにしたいという
豊臣信者の脳内だけだろう
0684人間七七四年2016/06/25(土) 11:56:32.36ID:N8VlfWyS
秀頼はタブー視されているよ、未だに御袋様の言いなり史観が幅を利かせているのがその証拠。
豊臣ファンの間ではいつまでも無垢な君主であり続けるのさ。
0685人間七七四年2016/06/25(土) 12:48:28.86ID:jEPoyi8m
タブーと無能な馬鹿評価を混同していないか?
0686人間七七四年2016/06/25(土) 15:38:42.16ID:2N6/s2xM
同じ太政大臣の子孫としてなら
武士として華やかに散った平敦盛>>>最後まで逃げ続けた豊臣秀頼
これだけは言える
0687人間七七四年2016/06/25(土) 16:08:24.61ID:FAXtnVy9
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて」史観
0688人間七七四年2016/06/25(土) 16:42:42.26ID:bGIC1ExQ
敦盛ってなんか美談になってるけど奇襲受けて逃げようとしたところを
敵の挑発に乗って引き返したら討ち取られましたってだけだよね
0689人間七七四年2016/06/25(土) 17:03:16.56ID:WO4a8shJ
花のようなる2m150kg
0690人間七七四年2016/06/25(土) 17:21:45.68ID:4BmHuAcy
下剋上にしても、ほんの20年前まで主君として仕えてた相手の子を攻め滅ぼした
訳ですからね。
しかもこんな場合の常道の、一族の内紛と言う事にして名目上の主君を建てる事すら
やってないです。
姜斉を乗っ取り、史書に主君を殺したって書かれてる田常ですら事後に名目上の主君を
建ててますからね。
まあ、秀忠に大阪攻めをする根性が無いと思われたんでしょうね。
0691人間七七四年2016/06/25(土) 17:58:17.48ID:e827zk5e
>>690
逆。大阪攻めの主導権を握っていたのは秀忠で家康は責任だけおっかぶせられた
0692人間七七四年2016/06/26(日) 00:02:35.34ID:eDhNx4tS
秀頼の教育係は、信長公記を書いたあの太田牛一ね。
牛一は、秀吉からも信頼されているね。
なお、秀吉のことを「猿」とか「六つ」とかは一言も書いてない。書けない。
0693人間七七四年2016/06/26(日) 00:08:47.58ID:eDhNx4tS
政宗と家康は五郎八姫と松平忠輝の婚姻を、無許可で行う。ことが問題となったわけだが、
申告したとしても却下されただろ。伊達政宗と家康の結びつきが強まることについて
他の大老たちがウンとうなづくわけもない。
でも、伊達家から持ち込まれたこんな良い話を、家康が断るのは変だ。他の大老たちは
足を引っ張るだけだろ。相談しても無駄。無許可だとかいうが、
家康の子供たちには、各地の大名たちから良い縁談が次々に持ち込まれているのが現状だったからな。
0694人間七七四年2016/06/26(日) 00:17:54.61ID:eDhNx4tS
>>668 秀吉は、臨終間際に頼まれると断りにくいということを知っててわざとやったと
思うよ。
というのは、やられた家康も自分が臨終間際には、政宗の手を取って頼み込んでいるからだ。
「秀忠を頼む」との遺言を、政宗は家康から受けた。家康は秀吉と同じことをやってる。
つまり効いたわけよ。(秀頼を滅ぼしたけどさ。でもそうなるまでに充分譲歩してる)
0695人間七七四年2016/06/26(日) 01:06:31.83ID:1EFK9ZIS
>>694
秀吉の臨終にそっくりの場面が、約20年前に有るんだよね。
備前の極悪人で有名な宇喜多直家が、息子の秀家の事を秀吉に頼む場面がね。
一代成り上がりで主家の天神山浦上を乗っ取った大名だから、家中に元同僚や上司の
大封を持つ重臣だらけなんよ。
完全に豊臣家を小型にした感じですね。
勿論秀吉は約束を守り、だから臨終の場面に宇喜多秀家がいた訳ですけど。
0696人間七七四年2016/06/26(日) 01:12:10.83ID:vqLZoPOQ
>>693
でも婚姻の件って利家や奉行連中が私婚だ私婚だとはいってるけど
結局どうすれば私婚じゃないのかあいつら全く言ってないんだよな
0697人間七七四年2016/06/26(日) 01:20:42.19ID:He0t8spt
なにこの臨終リレー
0698人間七七四年2016/06/26(日) 07:28:12.06ID:u+6mzsdu
>>695
豊臣には三成をはじめとした何をするか分からない奸臣が大勢いるし
母親の淀も狂った落城マニアだし
約束を守ることなど家康の意思以前に不可能な状態だった
0699人間七七四年2016/06/26(日) 08:52:50.29ID:eDhNx4tS
>>695 そんな話があったかな?と思って検索したら、NHK大河ドラマじゃないか。
以下コピペ。脚色はあるにしても元ネタの史実はあるのだろう。まだ確認とれてないが。

第2回目の遭遇シーンは、直家が病床に伏し余命を悟ったとき、直家は秀吉に備前沼城への
来城を願い出た。なにせ、謀略冷血漢で有名な直家のこと、どんな仕掛けがあるかも知れぬ
岡山城へ、のこのこと出かけることはあり得ない話である。黒田官兵衛は反対したが、秀吉
は出かけた。おそらく、第1回目の遭遇シーンで、好色秀吉と妖艶おふくの間に、なんらか
の以心伝心の確かな感触があったのかも知れない。秀吉は、直家の願いを聞き入れ、人質の
八郎を伴い備前沼城へ行き、直家の枕元で八郎の元服式を行い、「秀吉」の「秀」の字を
とって「秀家」と名付けた。秀吉は秀家のいわば「親代わり」となったのである。NHK大河
ドラマ黒田官兵衛では、この時、直家が「わしが死んだら側女にしてやってくれないか」と
秀吉に、すべてを託すシーンになっている。
0700人間七七四年2016/06/26(日) 09:12:37.61ID:eDhNx4tS
一応確認が取れた
http://ameblo.jp/bukenotoryo1118/entry-11886562919.html
直家の妻の美女も、直家の死亡のあとは秀吉の側室になった。
秀吉は宇喜多直家のやり方を真似したんだね。
秀吉は自分の死を迎える直前に、家康へ秀頼を頼むと同時に、淀君を家康の側室になるよう遺言。
家康も承知した。
しかし!、淀君が断固拒絶して、全てをぶちこわしてしまう。家康はますます怒る。
0701人間七七四年2016/06/26(日) 09:39:44.58ID:LR78p6eC
いやもう、それって天下の豊臣単独維持諦めてるやないですか…
ほとんど禅譲やんかー!!
0702人間七七四年2016/06/26(日) 09:51:39.16ID:NeTpV+9+
秀吉は豊臣政権は自分一人で作り上げたという自負があるし、実際にその通りで死んだらお仕舞いとは認識していたのだろう
だからこそ、自分に匹敵する家康にしか後を託せないと判断した

もうちっとその辺を周知徹底するべきではあった
言っちゃあ悪いが遺言は中途半端過ぎる
0703人間七七四年2016/06/26(日) 10:58:01.02ID:eDhNx4tS
石田三成に問題があったんじゃないかなあ。家康が中心となって秀頼を養育して、三成らがもり立てて
いくという筋道を、三成が家康を排除しようとして戦いにしてしまったというか。
そんな過激派の三成をうまく使っていた秀吉も凄いが。

とはいえ、関ヶ原で10万vs10万の大兵力の拮抗となったように、家康が秀頼を維持しつつも内政を
していくことにあたって、ものすごい反対派の大勢力がいたわけだ。秀吉の晩年の失政が原因だがな。
0704人間七七四年2016/06/26(日) 11:18:30.55ID:eDhNx4tS
家康は250万石という筆頭家老で、大大名の前田家すらそれの2倍以上もあって、
秀吉から遺言もあって大阪城で内政を摂っていたのに、
五大老のうちじつに三人もが敵に回ってしまう。五奉行も同様。

突出した抜群の石高を持っていても、この窮地だもんな。大バクチの勝負に勝って、
日本の過半数の石高を取ったり入れ替えたりできて盤石の体制を築くことができたものの、
まったくきわどすぎる。
0705人間七七四年2016/06/26(日) 11:56:34.43ID:u+6mzsdu
兵力が拮抗しているといっても実際に命がけで家康に反対する奴はごく少数しかいない
大老・奉行だって本気で反対して戦ったのは三成と秀家の二人しかいないし
その二人もやばくなったら逃げたわけで
真剣に反対しているわけでもないのに西軍なんてものを結成してなんとなく感覚で自滅した間抜けが大半だった
0706人間七七四年2016/06/26(日) 12:10:31.79ID:Rq+3sCd0
毛利、上杉、伊達、島津(義久)あたりは、ヒャッハーの時代が再び来る、
期待していたんだろ。そんな動きだ。
家康による安定政権なんぞ望んでいない。
0707人間七七四年2016/06/26(日) 12:19:33.77ID:NeTpV+9+
天下統一したら秀吉の悪夢だから前のがマシとは思う
全国津々浦々で天下統一が良いと思うのは家康の天下になってから
0708人間七七四年2016/06/26(日) 12:31:35.14ID:u+6mzsdu
>>706
ヒャッハーの時代が再び来ると期待するというのは
裏を返せば自分で家康を倒す気はないということだからね
自分で家康を倒せばそのまま自分が天下人になれるわけで
大半の大名が自分以外の誰かが戦って家康を倒してくれたらとリスク放棄に走った結果が西軍の惨敗に繋がった
0709人間七七四年2016/06/26(日) 13:14:44.64ID:qdOlnPq1
大谷「西軍が自分たちの領地を守るために全国に散ってしまった
それがなければ関ケ原にはさらに数万の勢力が集まっていたはずだ」
0710人間七七四年2016/06/26(日) 14:01:48.67ID:F1SJBdnT
>>706
そこらは元は戦国大名だからな
0711人間七七四年2016/06/26(日) 15:12:53.73ID:u+6mzsdu
東軍は織田・豊臣の下で長く戦ってきた連中が多いので
担ぐ御輿を変えても組織の一員として戦うことに慣れているのに対し
西軍は少し前まで独立大名だったという連中が多い
秀吉の力にやむなく従ったがその前は自分だけで戦っていたような連中だ
抑えていた秀吉が死んだのにみんなで一致団結して戦おうなんて西軍にはありえない可能性だった
0712人間七七四年2016/06/26(日) 16:00:11.55ID:ndfcT/A1
>>711
その見方をだと関ヶ原は豊臣政権に対する外様大名の反乱というところか
三成一派は別にして
0713人間七七四年2016/06/26(日) 16:20:25.24ID:Aqi+iyOd
当時の常識からしたら中央政権が全国を統一支配っていう状態のほうが異常事態だから
地方には出先機関があってそれぞれが別個に機能するのが普通
0714人間七七四年2016/06/26(日) 21:25:41.84ID:Rq+3sCd0
家康から国政主導権を取り返したい三成一派と、
地方で勝手にやりたい外様大名の利益が一致したわけだろ。

秀吉遺言通りに家康主導で政権が安定してしまったら困るわな。
0715人間七七四年2016/06/26(日) 21:50:40.22ID:u+6mzsdu
利益は一致しても外様大名は地方で好き勝手やりたいだけなので
関ヶ原で三成一派と一蓮托生して真剣に戦おうなんて気はまったくない
家康との戦いは三成一派だけで頑張ってというのが本音だからね
0716人間七七四年2016/06/27(月) 05:43:15.79ID:K7/niCsA
>>715
真剣じゃないにしては、新三本の矢が勢揃いした毛利って、金も人間も余りまくりの状態だったとでも?
0717人間七七四年2016/06/27(月) 05:47:11.43ID:NpLyb5wp
三成は20万石とはいえ、なんといっても京都に近い。
京への近さは有利。
情報や他の大名への根回しを思えば、地方の100万石にも匹敵するだろう。

大谷吉継は敦賀の5万石ほどだが、これも石高はたいしたことなくても、京への日本海貿易の
重要拠点であり、コメの生産よりも貿易の方がはるかに価値ある拠点だから、5万石どころでは
ないそれ以上の力がある。
0718人間七七四年2016/06/27(月) 05:51:15.54ID:NpLyb5wp
>>716 毛利は、家康とは「兄弟のように思っている」と約束をかわしながらも
実態は兵を各地に侵攻させて、しかも前もって準備のうえで三成の書状がくるやいなや
兵を進めている。上杉景勝以上に好戦的だ。家康に対しては二枚舌で、それが関ヶ原のあとでは
バレて、120万石から30万石に減らされたのは、妥当かつ公正な判断。
0719人間七七四年2016/06/27(月) 12:15:43.89ID:Ic1PXPxr
石田三成が天下の政権をみるなんて、どの道無理だよな。秀吉は家康を危険視はしていたが、秀頼と政権運営のためには家康は欠かせないことは自覚していたんじゃないのか?
0720人間七七四年2016/06/27(月) 12:31:18.77ID:+3OaR9P8
秀頼がもう少し頭良かったら、氏真、信雄、有楽あたりの生き様に
自分が生き残る道を見い出せたはず
0721人間七七四年2016/06/27(月) 15:23:09.40ID:LiC9AaeN
今川は同盟者や従属者に寝首を掻かれた形で滅ぼされたが、
氏真がそれにムキになって武田や徳川に徹底抗戦して殺されても、アホという評価にしかならない
最初から赤の他人だった氏政すら最近まではあれだった訳だし
織田と秀吉の関係もそうだし、強い者に従うは自然の流れだわい
徳川にとって従った豊臣を殺すメリットは、殺すデメリット程無いんやから
0722人間七七四年2016/06/27(月) 15:42:13.94ID:NpLyb5wp
石田三成は、性格がとんがりすぎる。
もっと温和に政権運営できないのだろうか。
物の言い方も上から目線だったようだし。
0723人間七七四年2016/06/27(月) 17:56:03.74ID:F3QZf94M
>>722
政権運営じたい不可能。
それは秀吉時代の朝鮮出兵での徹底した誤魔化しと不正で実証されています。
0724人間七七四年2016/06/27(月) 18:47:33.45ID:UuqGxzYW
>>719
普通に隙が有れば減封するつもりじゃなかったのかな?
丹羽長秀や蒲生氏郷死後の減封を見ればね。
会津に反徳川の大名を置いて、東海道に豊臣恩顧の大名を置いてるのは何時でも
攻め込める形ですしね。
もし豊臣秀次が生きてる状況だと、逆に虐められるの徳川の方ですよね。
会津の城普請を徳川の費用持ちでやれくらい言われそう。
家康だって名古屋城のお手伝い普請を外様大名にさせてますからね。
まあ、本当はなんか言い掛かりつけて減封するつもりだったと思う。
豊臣秀次事件で全てが狂ったんでしょう。
0725人間七七四年2016/06/27(月) 19:45:26.73ID:NpLyb5wp
身近な家族が死ぬと、気がおかしくなってくるからな。自分の身に照らし合わせればわかる。
秀吉の子種が無いことは、家康のせいではないし、秀次事件もこれまた家康のせいでもない。
残り少ない秀吉の親類関係は、次々に死んでしまった。
なにしろ、秀吉は、妻の親類関係や母親の親類はいるけれど、
【秀吉は、父親の親類がいない】
という特徴がある。弥右衛門だか竹阿弥だか、どっちにしても母子家庭みたいにして
育った家庭であって、父親を憎んでいるから、父方の親類から大名に取り立てた者はいない。
0726人間七七四年2016/06/27(月) 19:51:43.47ID:NpLyb5wp
石田三成は秀吉の領地である近江出身ではあるが、
秀吉は、血縁関係の乏しさは仕方なかったにしても、地縁関係から取り立てた者は
一応、石田三成とか、尾張国愛智郡中村出身の加藤清正とかはいるが、
秀吉は、故郷である中村への愛着は、あまり無い。幼少のころ、いじめられたので、
秀吉はえらくなってから、たまたま中村を通ったとき、かつて秀吉をいじめた奴を思い出して、
処刑しようとした。既に死んだと言われたので殺せなかったが。
0727人間七七四年2016/06/27(月) 20:05:06.93ID:sLy2L7i9
>>725
正則は父方の親族説があったはずだけど
0728人間七七四年2016/06/27(月) 20:41:46.42ID:UuqGxzYW
家康は三河時代からの同族の家臣の家臣の領地をほとんど増やして無いよね。
転封前は同族の領地の総計が30万石くらい、しかも一等地だから家康と言えど
一族の意向を無視するのは厳しい。
それが変わらず、家康の蔵入り地が行き成り100万石くらいに成った訳だから
一種のクーデターだと思います。
なんか家康って、妙に冷めてる人なんだよな。
0729人間七七四年2016/06/27(月) 22:14:27.20ID:NpLyb5wp
>>727 福島正則は、母が大政所(秀吉母・仲)の姉妹であったという説が一般的で、
父が筑阿弥(秀吉義父)の兄弟だったという異説もある、という程度。
父系は、おぼろげな情報しかない。
秀吉も、秀吉の母も、父親(夫)のことは言いたがらなかったので、資料は乏しい。

が、とんでもない事例でうっかり出てしまっている。
というのは、秀吉の「兄弟」であると自称する男が出てきたからだ。秀吉は気乗りしなかったが、
母親が本当に息子であるかどうか、確認したがったので、(当時、秀吉はすでに天下人である)
その男を、秀吉と母の前に、連れ出してきて、面会した。が、母親は「こんな男は知らない」と
言い放ったので、
(つまり、母はかつてのつきあってた彼氏?との間に男児を産んでたようで、その彼とは結婚は
 してなく子とも別れたことを暗示している。だから確認したがった)
秀吉は即座にその自称、弟の首をはねて殺害している。
さらに後日、今度は秀吉の「妹」だという女があらわれた。これは母に確認することもなく、
処刑した。母には秀吉や秀長以外にも男児がいた。
0730人間七七四年2016/06/27(月) 22:28:23.32ID:ok/CiNfb
>>728
家康は家臣の知行増やすより、寄騎を付けて部隊規模を大きくする人です
0731人間七七四年2016/06/27(月) 23:01:53.15ID:UqLBhIdu
>>729
どうも、秀吉は私生児だったんじゃないかって説があるな
父親の身分うんぬん以前に。
そうなると、実父が今川だったか織田だったかの足軽説も怪しくなってくる
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