徳川よりに考えるならば
徳川家の存続のためには政治の主導権を握るしかなかった
なぜなら徳川家は豊臣政権で突出しており
足利政権で六分の一殿と呼ばれた山名氏が粛清されたように粛清される
あるいは蒲生や丹羽のように家康亡き後大幅に勢力削減される可能性もある

秀吉存命中は個人的な関係で良かったけど、秀頼成人後や豊臣官僚が実権を握った状態だとどうなるか分からない

あくまで自衛のためにやってきた結果、豊臣家を滅ぼせる状態になって
それなら死ぬ前に滅ぼしておこうと判断したのだろう