石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net
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0001名はまだ無い
2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?
語り合いましょう!
0601人間七七四年
2016/06/19(日) 21:31:19.08ID:GicE8O5g関ヶ原当時ぐらいなら世間的には律義者扱いだろ
0602人間七七四年
2016/06/19(日) 21:47:06.55ID:u9ibs5ci大坂にいる豊臣の人質を自分の管理下に置こうとしたこともない
それどころか会津征伐をはじめ重要な政治決定は全て秀頼に事前報告して許可を取るなど秀頼重視主義を取っていた
むしろ三成たちの方が自分たちだけでなんでも決められる、豊臣の財物・人質・秀頼の身柄をは全て自分たちの管理物だという態度を見せて
秀頼軽視主義を取っていた
0603人間七七四年
2016/06/19(日) 22:27:18.22ID:p41om1IH三成 官僚政治
この違いかと
0604人間七七四年
2016/06/19(日) 22:33:01.73ID:etP8bvfm0605人間七七四年
2016/06/19(日) 22:54:14.01ID:SUyILvdOその官僚組織を基盤とする官僚政治なんて成立しようもない。
三成はあくまで「近習」「側近政治」
0607人間七七四年
2016/06/20(月) 00:12:28.84ID:fRFKTrPa大阪城への毛利軍入城に関して三成が秀頼に申請して秀頼が許可を出したか、出してないよね。
勝手に七手組を戦場に連れ出したよね。
正規の許可を出して招集した上杉遠征軍の出遅れ組を勝手に西軍に組み込んだよね。
豊臣政庁の伏見城を秀頼の許可もなく攻撃して落城させたよね。
秀頼の許可もなく勝手に小早川秀秋に関白職をやらせると約束したよね。
豊臣家の人質である諸大名の妻子を秀頼に無許可で大阪城内に拉致しようとしたよね。
これだけのことしておいて秀頼軽視主義じゃないとは片腹痛いわw
0608人間七七四年
2016/06/20(月) 00:21:17.97ID:2bJggDRI石田三成は仮に勝っても、小早川にした約束はどうする気だったんだろうな。関白やるから味方になれとか、佐和山の大名程度でよく約束したもんだ。
0609人間七七四年
2016/06/20(月) 00:26:29.80ID:ec8QKINU0610人間七七四年
2016/06/20(月) 00:48:57.17ID:lR2tqVdd家康の事もそれほど信じてはいなかった
自分を軽んじていた部下も信じられなかった
あまつさえ自分自身の判断さえ信じ切ることが出来なくなった
0611人間七七四年
2016/06/20(月) 00:53:12.38ID:b11ON3XL0612人間七七四年
2016/06/20(月) 03:21:16.87ID:FvjVZgxl三成はもっとヤバさを感じないといけなかった
0613人間七七四年
2016/06/20(月) 07:31:32.11ID:R/dGqPx2秀次切腹スレで、命令書ガァに対して、そんなもん関係無いって回答がやたらあった。
結局、そういうことだろ。
秀頼(側近含む)は、負けた時のことを考えて、証拠になるような物を発給しなかっただけじゃないの?
欲得で、お互い動いてるだろう。
逆に秀頼が無関係なら、いくら暢気なテルモでも、ああも簡単には退去出来ないだろ
0614人間七七四年
2016/06/20(月) 14:04:41.33ID:Po7bSjdJ男子だったら三成の子孫が将軍だったかも
0615人間七七四年
2016/06/20(月) 15:00:43.12ID:4gyZsH0n事前に話をつけたからこそのあの布陣だし
真田丸でも言ってたが、アポ無しで急に裏切るのと調略は全く別だよな
0616人間七七四年
2016/06/20(月) 15:09:41.14ID:K6bkRo4z0617人間七七四年
2016/06/20(月) 15:31:02.33ID:q0CbENOe減封で雇いきれなくなった家臣も三成の家臣になってるから
秀秋は三成を恨んでいたとしてもおかしくないからな
というか秀秋って秀頼が生まれた後に養子に出されるわ
秀次事件の影響で丹波亀山を没収されるわで
秀頼様御為と言われてもピンとこないだろうな
0618人間七七四年
2016/06/20(月) 15:36:43.82ID:az3N/WBo上杉は討伐されて取り潰され、代わって結城秀康あたりが大老に昇格
毛利は広家が実権を握って徳川に屈服
前田は屈服済み
徳川の加増は限定的だが、加藤、福島、黒田、浅野など豊臣系大名にも大領を与えずに済む
石田は失脚したまま
島津は徳川より
不満分子は宇喜多、佐竹くらいだが、上杉ですら討伐された状況で軍事行動をとるとは考えにくい
家康の将軍就任を止める勢力も存在せず、ほぼ史実と同様の流れだったのではないか
徐々に豊臣公儀の力を奪って、大阪の陣だな
仮にいくつかの大名が豊臣方についても徳川勝利は揺るぎない
0619人間七七四年
2016/06/20(月) 15:41:47.76ID:az3N/WBo三成挙兵ではなく、上杉討伐を何とか阻止するべきだった
五大老は何がなんでも我慢して家康の寿命を待つしかない
もしくは前田討伐のときに挙兵して家康を倒さなければいけなかった
上杉討伐が始まった時点でほぼ詰んでたのではないか
三成挙兵は一発逆転にかけて、かけに負けただけ
0620人間七七四年
2016/06/20(月) 15:46:00.52ID:lKXhccec上杉も何度も何度も上洛要請しているのに全く聴き入れす、これも放置すれば豊臣の権威に関わる。
前田も上杉も豊臣のことを欠片も考えておらず、むしろ豊臣政権の立場を保持しようとしたのが家康。
0621人間七七四年
2016/06/20(月) 16:08:09.61ID:stNIyKgYもちろん本人たちも帰国したかったんだろうけど
0623人間七七四年
2016/06/20(月) 17:16:10.21ID:TV1KFZgj0624人間七七四年
2016/06/20(月) 20:24:05.36ID:ec8QKINU0625人間七七四年
2016/06/20(月) 20:51:45.07ID:HwTZVIzz減封はされないが家康に屈従。
国政への発言権を失う。
0626人間七七四年
2016/06/20(月) 21:00:33.50ID:lKXhccecその裁判を嫌がって上杉が頑なに上洛しなかったってこと。
0627人間七七四年
2016/06/20(月) 22:18:41.70ID:lR2tqVdd上杉派の武士を越後に残して一揆を扇動している」
がすべて事実ならば完全に景勝が悪人
謀反を疑われても仕方ないが
家康に命じられてのでっち上げなら話は別
0628人間七七四年
2016/06/20(月) 22:24:09.05ID:TV1KFZgj0629人間七七四年
2016/06/20(月) 22:46:24.06ID:4b9Mvngt関白約束するとか越権行為というか異常だよな。
0630人間七七四年
2016/06/20(月) 23:11:23.87ID:61Dgknl/そんな史料がどこにある
0632人間七七四年
2016/06/20(月) 23:37:23.01ID:61Dgknl/うーん。
それだけではな。
本当にそんな記述があるのかわからんし
引用できる?
すまん煽っているわけではなく、でっち上げる奴がよくいるので
0634人間七七四年
2016/06/21(火) 00:14:05.40ID:YTIihsME0639人間七七四年
2016/06/21(火) 07:54:58.88ID:HkO3JO0A奉行職についてたんだろ?
公金横領で莫大な資産を持ってたんじゃね?
そう考えれば、関ヶ原なんてのをやった理由もわかる。
ほっときゃ大久保長安だっけかみたいになるだろ
0640人間七七四年
2016/06/21(火) 17:03:40.35ID:w2Opqtes0641人間七七四年
2016/06/21(火) 23:59:06.52ID:N5Tu3vN60642人間七七四年
2016/06/22(水) 09:01:57.33ID:Lm9uBZ4m0643人間七七四年
2016/06/22(水) 21:47:49.76ID:tL0CnNSJ関ケ原に総大将がいないという間抜けな状態を見ても
0644人間七七四年
2016/06/22(水) 22:04:27.21ID:cUFFAOL90645人間七七四年
2016/06/22(水) 22:56:57.20ID:Lm9uBZ4m0646人間七七四年
2016/06/23(木) 00:43:12.41ID:f90EKc8Z家康首班政権で干されたから謀反
という事なら分かりやすいんだけど
そんな単純なわけはないよな
0647人間七七四年
2016/06/23(木) 04:21:14.49ID:vTvTUg6L感じですよね。
比較的主君に忠実な重臣に謀反の言い掛かりを付けて討伐し、何故か都が手薄で挙兵を
誘ってるwwwwww
そして反対派にわざとと挙兵させて都に反転、一気に主君を無力化する。
但し、この方法は狐と狸の化かし合いなので、挙兵規模が大きく成りすぎるとあっさり
負ける事も有りって所ですね。
と言うか、家康と同じ事やって滅んだ人も多いですよね。
0648人間七七四年
2016/06/23(木) 08:45:34.71ID:Iur1cmQT堀直政「あ?上杉はクソ野郎だぞ」
0649人間七七四年
2016/06/23(木) 08:49:05.15ID:KJFO55Uzとはいえ家康も必死だからね
秀頼成人後にとりつぶされるかもしれない
最大領土を持ってるから標的になりやすい
それならチャンスがあるうちに磐石にしておこうと考えたのだろう
0650人間七七四年
2016/06/23(木) 09:54:08.24ID:fWTADHYe三奉行も半数が死に側用人だけが残るようなもの
0651人間七七四年
2016/06/23(木) 15:15:59.94ID:NgPb33JE0652人間七七四年
2016/06/23(木) 17:04:25.61ID:jukPoBn1https://www.youtube.com/watch?v=n38mMv8TF3M
0653人間七七四年
2016/06/23(木) 19:35:58.26ID:PjWNH4erとまで言っているのだから。秀頼が成人するまで暫定だけどな。
五大老の中で、実力は家康が突出しているわけだが、では仲間となると、他の4人が反・家康で
ぐるになってしまったから(五奉行もだ)、その中では比較的には中立的なのは、前田家ぐらい。
反・家康で結束したとはいえ、けっこう中身はバラバラだ。
秀吉が家康へ対する信頼ぶりは、ものすごいもので、まず、妹を家康の正妻に出す。
足りなければ、と、今度は、母親を人質同然で家康の元に送り込む。
それらは有名だけど、さらに追い打ちの女攻めがあった。
なんと、秀吉没後の遺言として、淀君を家康の正妻として送り込む、という実話があった。
そこまでするか!。秀吉が毛利家に対する態度とは大違いで、家康をまさに兄弟/家族として
扱っていたことがわかる。毛利家に対しては冷たい。宇喜田家、前田家へも婚姻政策を仕掛けては
いるが、家康には破格の待遇だ。
なお、淀君と家康の結婚話は、多門院日記にも載っていて実話である。ドタキャン破談になったが。
0654人間七七四年
2016/06/23(木) 20:28:58.30ID:aNEHkkzr天智天皇も大海人(天武天皇)にそう言ったよね
0655人間七七四年
2016/06/23(木) 21:58:44.94ID:YkbV23xZ0656人間七七四年
2016/06/23(木) 22:29:00.83ID:xmw4k53h幼い息子の行く末は、普通に実力No.1に託すだろ。
No.1を警戒して、No.2以下に期待するとか普通ないから。
それなら最初から、No.1にならないように手をうつ。
史実は全く逆で、さらにパワーアップさせてたからな。
0657人間七七四年
2016/06/24(金) 01:43:49.95ID:tv/42sY/実際には、前田利家に家康を封じ込めさせる計画だと思うんだけど?
宇喜多秀家の正室の豪姫は、秀吉の養女で有ると同時に利家の娘です。
つまり、秀吉と利家の婿なんですよね。
前田を中心に姻戚関係を見ると、充分徳川に対抗出来る勢力ですよ?
上杉景勝も徳川嫌いで有名な人だし、利家にあと10年寿命があれば家康は
何も出来ない気がします。
後、秀頼の傅役ですし、本当に信用してるのは前田利家だと思うけどな?
寧ろ、もし野望が有るなら乗っ取っても良いよ、友情に熱い利家なら秀頼の身が
立つようにしてくれるだろうからって思ってそう。
利家に野望が有るなら、家康より簡単に出来る立場なんですよね。
0658人間七七四年
2016/06/24(金) 04:44:30.04ID:QQWEHze50659人間七七四年
2016/06/24(金) 06:08:54.10ID:hsEcosBG意外なことに第一が石田三成。あと淀君。
0660人間七七四年
2016/06/24(金) 06:30:03.73ID:hsEcosBG劣っていると判断していたのが実情だからな。
だから、織田信長も幼少の頃より連れ歩いた前田利家には柴田勝家の与力どまり。
前田家への石高は、秀吉が与えたわけだけど、出世は秀吉の方が早かったし。
一方家康となると年下なのに、軍の実力も大名間からの信望も、利家以上。あと、
致命的なのは、秀吉が亡くなったときは利家も病んでいて、その後の利家vs家康
の交渉では、利家はすでに死相が出ていたことだ。精力みなぎる家康にかなうわけがない。
0661人間七七四年
2016/06/24(金) 06:37:51.81ID:0V7bYYaH0662人間七七四年
2016/06/24(金) 06:57:40.29ID:SDawq+EU本人としては辞めた後に無理矢理引っ張り出された形なんだからわざわざ天下人なんてやりたくもなかろうよ。
ていうかそんな気骨があるんなら元気な頃からとっくにやってるがな。
0663人間七七四年
2016/06/24(金) 09:23:06.20ID:hsEcosBGオイラの個人的経験からいっても臨終まぎわに頼まれると(そして実際に死なれてしまうと)
これは相当こたえる。死んだ人はもう無力だけど、こっちが気にしてしまうんだよな。
強力だから、オマイらも死ぬときは
若者に頼み事をするといい。
0664人間七七四年
2016/06/24(金) 14:18:06.78ID:2Yi+2z/R0665人間七七四年
2016/06/24(金) 14:30:19.69ID:nSMobREL0666人間七七四年
2016/06/24(金) 15:48:48.86ID:hsEcosBG家康から見れば「小僧め」としか見えない。せめて勝頼みたいな勝ち気ならよかったのだが。
二台目はバカと相場は決まっている。例外はいるが。
0667人間七七四年
2016/06/24(金) 17:24:44.21ID:7FPycykM0668人間七七四年
2016/06/24(金) 18:25:16.41ID:hZLXpnD1言いたいことは分かる。託される人間の思考、行動を縛ることあるわな。
スピリチュアルな意味でない言霊だわ。家康もそうだったから豊臣滅亡まで15年かけたのかねぇ。
0669人間七七四年
2016/06/24(金) 20:03:41.97ID:au0U0Uwl0670人間七七四年
2016/06/24(金) 21:13:56.10ID:/ByOY38N隠居してある程度時間も立場も自由な利家に秀頼の扶育を
それぞれ任せたと考えると普通に妥当な役割分担じゃね?
0671人間七七四年
2016/06/24(金) 22:06:50.48ID:tv/42sY/家康は下手に大老から外すと危険だから取り込む、本当に危険な動きをしたら利家に
討たせるって事じゃないかな。
実際に家康が私的な婚姻しようとして、大阪、伏見の対立に成ったじゃないですか?
あそこで利家が健康なら、徳川討伐の陣ぶれを出して徳川、前田の戦だと思う。
結局問題は、利長がうっかり国元に帰った事だと思う。
大阪に居れば、傅役に謀反の言い掛かりを付けるのは無理に近いです。
そして役目がら、5000かそこらの兵力を大阪に置いても大丈夫でしょう。
多分、何と言われようと俺は秀頼様を守るで帰国しなければ良いだけです。
0672人間七七四年
2016/06/24(金) 22:39:39.88ID:IxcTAlXJ利家は死病に取りつかれていたから、昔の傾奇者に戻ったんじゃないのW
従来の利家なら計算高く強者に鞍替えするはずで、秀吉が秀頼の扶育を頼まれても
家康に尻尾振って、秀頼の扶育をお任せしますと家康に秀頼を差し出しかねない。
しかし死病に取りつかれて、欲の皮が剥がれたんだろう。
それで、はるか昔の傾奇者だったころの自分に戻ったのかもな。
0673人間七七四年
2016/06/24(金) 23:04:11.37ID:SrqavXuK0675人間七七四年
2016/06/25(土) 00:59:13.46ID:vJXN9gmRそもそも家康信者とそれにかみつく奴らの罵り合いだから
ここのみんな自分に都合のいい言い分しか引き合いに出してない
0676人間七七四年
2016/06/25(土) 02:20:59.92ID:7Kl95pnR0677人間七七四年
2016/06/25(土) 03:18:49.39ID:6GQJmV/00678人間七七四年
2016/06/25(土) 06:15:46.56ID:4BmHuAcyでも資料第一主義に成ると、明らかに変な言い分を信じるしか無い事に成るんだよね?
中国の史書でも、それは幾ら何でも変だろうって話は多いですし?
徳川は250年も続いたから、色々無茶苦茶な正当化が有る訳でしてね。
魏の曹操でも生きてる内は後漢を滅ぼして無いです。
孫娘を送って大阪を囲んだ訳だから評判悪く成る訳です。
0681人間七七四年
2016/06/25(土) 09:10:22.23ID:jY/+OKYgえーと家康と秀頼の事にふれた人間が処刑されてた気が
当時は秀吉はともかく秀頼に触れるのはタブー
0683人間七七四年
2016/06/25(土) 11:28:53.11ID:jEPoyi8mあるとすれば秀頼が無能であることを隠したい、秀頼が死んだことを重大なことにしたいという
豊臣信者の脳内だけだろう
0684人間七七四年
2016/06/25(土) 11:56:32.36ID:N8VlfWyS豊臣ファンの間ではいつまでも無垢な君主であり続けるのさ。
0685人間七七四年
2016/06/25(土) 12:48:28.86ID:jEPoyi8m0686人間七七四年
2016/06/25(土) 15:38:42.16ID:2N6/s2xM武士として華やかに散った平敦盛>>>最後まで逃げ続けた豊臣秀頼
これだけは言える
0687人間七七四年
2016/06/25(土) 16:08:24.61ID:FAXtnVy90688人間七七四年
2016/06/25(土) 16:42:42.26ID:bGIC1ExQ敵の挑発に乗って引き返したら討ち取られましたってだけだよね
0689人間七七四年
2016/06/25(土) 17:03:16.56ID:WO4a8shJ0690人間七七四年
2016/06/25(土) 17:21:45.68ID:4BmHuAcy訳ですからね。
しかもこんな場合の常道の、一族の内紛と言う事にして名目上の主君を建てる事すら
やってないです。
姜斉を乗っ取り、史書に主君を殺したって書かれてる田常ですら事後に名目上の主君を
建ててますからね。
まあ、秀忠に大阪攻めをする根性が無いと思われたんでしょうね。
0692人間七七四年
2016/06/26(日) 00:02:35.34ID:eDhNx4tS牛一は、秀吉からも信頼されているね。
なお、秀吉のことを「猿」とか「六つ」とかは一言も書いてない。書けない。
0693人間七七四年
2016/06/26(日) 00:08:47.58ID:eDhNx4tS申告したとしても却下されただろ。伊達政宗と家康の結びつきが強まることについて
他の大老たちがウンとうなづくわけもない。
でも、伊達家から持ち込まれたこんな良い話を、家康が断るのは変だ。他の大老たちは
足を引っ張るだけだろ。相談しても無駄。無許可だとかいうが、
家康の子供たちには、各地の大名たちから良い縁談が次々に持ち込まれているのが現状だったからな。
0694人間七七四年
2016/06/26(日) 00:17:54.61ID:eDhNx4tS思うよ。
というのは、やられた家康も自分が臨終間際には、政宗の手を取って頼み込んでいるからだ。
「秀忠を頼む」との遺言を、政宗は家康から受けた。家康は秀吉と同じことをやってる。
つまり効いたわけよ。(秀頼を滅ぼしたけどさ。でもそうなるまでに充分譲歩してる)
0695人間七七四年
2016/06/26(日) 01:06:31.83ID:1EFK9ZIS秀吉の臨終にそっくりの場面が、約20年前に有るんだよね。
備前の極悪人で有名な宇喜多直家が、息子の秀家の事を秀吉に頼む場面がね。
一代成り上がりで主家の天神山浦上を乗っ取った大名だから、家中に元同僚や上司の
大封を持つ重臣だらけなんよ。
完全に豊臣家を小型にした感じですね。
勿論秀吉は約束を守り、だから臨終の場面に宇喜多秀家がいた訳ですけど。
0696人間七七四年
2016/06/26(日) 01:12:10.83ID:vqLZoPOQでも婚姻の件って利家や奉行連中が私婚だ私婚だとはいってるけど
結局どうすれば私婚じゃないのかあいつら全く言ってないんだよな
0697人間七七四年
2016/06/26(日) 01:20:42.19ID:He0t8spt0698人間七七四年
2016/06/26(日) 07:28:12.06ID:u+6mzsdu豊臣には三成をはじめとした何をするか分からない奸臣が大勢いるし
母親の淀も狂った落城マニアだし
約束を守ることなど家康の意思以前に不可能な状態だった
0699人間七七四年
2016/06/26(日) 08:52:50.29ID:eDhNx4tS以下コピペ。脚色はあるにしても元ネタの史実はあるのだろう。まだ確認とれてないが。
第2回目の遭遇シーンは、直家が病床に伏し余命を悟ったとき、直家は秀吉に備前沼城への
来城を願い出た。なにせ、謀略冷血漢で有名な直家のこと、どんな仕掛けがあるかも知れぬ
岡山城へ、のこのこと出かけることはあり得ない話である。黒田官兵衛は反対したが、秀吉
は出かけた。おそらく、第1回目の遭遇シーンで、好色秀吉と妖艶おふくの間に、なんらか
の以心伝心の確かな感触があったのかも知れない。秀吉は、直家の願いを聞き入れ、人質の
八郎を伴い備前沼城へ行き、直家の枕元で八郎の元服式を行い、「秀吉」の「秀」の字を
とって「秀家」と名付けた。秀吉は秀家のいわば「親代わり」となったのである。NHK大河
ドラマ黒田官兵衛では、この時、直家が「わしが死んだら側女にしてやってくれないか」と
秀吉に、すべてを託すシーンになっている。
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