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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0600人間七七四年2016/06/19(日) 21:19:57.59ID:SUyILvdO
>>599
そんな高尚な人間じゃねえよ利家は
0601人間七七四年2016/06/19(日) 21:31:19.08ID:GicE8O5g
今だと家康は狸親父イメージあるけど
関ヶ原当時ぐらいなら世間的には律義者扱いだろ
0602人間七七四年2016/06/19(日) 21:47:06.55ID:u9ibs5ci
そもそも当時の家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らしたこともなければ
大坂にいる豊臣の人質を自分の管理下に置こうとしたこともない
それどころか会津征伐をはじめ重要な政治決定は全て秀頼に事前報告して許可を取るなど秀頼重視主義を取っていた
むしろ三成たちの方が自分たちだけでなんでも決められる、豊臣の財物・人質・秀頼の身柄をは全て自分たちの管理物だという態度を見せて
秀頼軽視主義を取っていた
0603人間七七四年2016/06/19(日) 22:27:18.22ID:p41om1IH
家康 外戚政治
三成 官僚政治
この違いかと
0604人間七七四年2016/06/19(日) 22:33:01.73ID:etP8bvfm
官僚は上に決済する人がいないと、とことん暴走するから
0605人間七七四年2016/06/19(日) 22:54:14.01ID:SUyILvdO
というか三成は官僚政治じゃねえよ。豊臣家に官僚組織がないんだから、
その官僚組織を基盤とする官僚政治なんて成立しようもない。
三成はあくまで「近習」「側近政治」
0606人間七七四年2016/06/19(日) 23:31:41.12ID:pO90gRQs
>>602
三成たちの秀頼軽視主義とは具体的に何
0607人間七七四年2016/06/20(月) 00:12:28.84ID:fRFKTrPa
>>606
大阪城への毛利軍入城に関して三成が秀頼に申請して秀頼が許可を出したか、出してないよね。
勝手に七手組を戦場に連れ出したよね。
正規の許可を出して招集した上杉遠征軍の出遅れ組を勝手に西軍に組み込んだよね。
豊臣政庁の伏見城を秀頼の許可もなく攻撃して落城させたよね。
秀頼の許可もなく勝手に小早川秀秋に関白職をやらせると約束したよね。
豊臣家の人質である諸大名の妻子を秀頼に無許可で大阪城内に拉致しようとしたよね。

これだけのことしておいて秀頼軽視主義じゃないとは片腹痛いわw
0608人間七七四年2016/06/20(月) 00:21:17.97ID:2bJggDRI
>>607
石田三成は仮に勝っても、小早川にした約束はどうする気だったんだろうな。関白やるから味方になれとか、佐和山の大名程度でよく約束したもんだ。
0609人間七七四年2016/06/20(月) 00:26:29.80ID:ec8QKINU
まあだから裏切ったとも言えるのでは
0610人間七七四年2016/06/20(月) 00:48:57.17ID:lR2tqVdd
秀秋は三成を信用してなかった
家康の事もそれほど信じてはいなかった
自分を軽んじていた部下も信じられなかった
あまつさえ自分自身の判断さえ信じ切ることが出来なくなった
0611人間七七四年2016/06/20(月) 00:53:12.38ID:b11ON3XL
立場からすれば秀秋が裏切ったんじゃなくて三成が形だけでも味方してくれていた人にまで見放された
0612人間七七四年2016/06/20(月) 03:21:16.87ID:FvjVZgxl
まあ、秀秋が松尾山を勝手に占拠した時点で
三成はもっとヤバさを感じないといけなかった
0613人間七七四年2016/06/20(月) 07:31:32.11ID:R/dGqPx2
>>607
秀次切腹スレで、命令書ガァに対して、そんなもん関係無いって回答がやたらあった。
結局、そういうことだろ。
秀頼(側近含む)は、負けた時のことを考えて、証拠になるような物を発給しなかっただけじゃないの?
欲得で、お互い動いてるだろう。

逆に秀頼が無関係なら、いくら暢気なテルモでも、ああも簡単には退去出来ないだろ
0614人間七七四年2016/06/20(月) 14:04:41.33ID:Po7bSjdJ
家光の初子千代姫は三成の玄孫
男子だったら三成の子孫が将軍だったかも
0615人間七七四年2016/06/20(月) 15:00:43.12ID:4gyZsH0n
秀秋も広家も最初から本意は家康側で、そこを囲い込みで仕方無くって感じだしなあ
事前に話をつけたからこそのあの布陣だし
真田丸でも言ってたが、アポ無しで急に裏切るのと調略は全く別だよな
0616人間七七四年2016/06/20(月) 15:09:41.14ID:K6bkRo4z
そもそも囲い込みができなきゃ最初から勝負になってないからな
0617人間七七四年2016/06/20(月) 15:31:02.33ID:q0CbENOe
慶長の役で領地を取り上げられて三成の管理にされたし
減封で雇いきれなくなった家臣も三成の家臣になってるから
秀秋は三成を恨んでいたとしてもおかしくないからな
というか秀秋って秀頼が生まれた後に養子に出されるわ
秀次事件の影響で丹波亀山を没収されるわで
秀頼様御為と言われてもピンとこないだろうな
0618人間七七四年2016/06/20(月) 15:36:43.82ID:az3N/WBo
三成の挙兵がなければ

上杉は討伐されて取り潰され、代わって結城秀康あたりが大老に昇格
毛利は広家が実権を握って徳川に屈服
前田は屈服済み
徳川の加増は限定的だが、加藤、福島、黒田、浅野など豊臣系大名にも大領を与えずに済む
石田は失脚したまま
島津は徳川より

不満分子は宇喜多、佐竹くらいだが、上杉ですら討伐された状況で軍事行動をとるとは考えにくい
家康の将軍就任を止める勢力も存在せず、ほぼ史実と同様の流れだったのではないか

徐々に豊臣公儀の力を奪って、大阪の陣だな
仮にいくつかの大名が豊臣方についても徳川勝利は揺るぎない
0619人間七七四年2016/06/20(月) 15:41:47.76ID:az3N/WBo
豊臣政権の延命を考えるなら
三成挙兵ではなく、上杉討伐を何とか阻止するべきだった
五大老は何がなんでも我慢して家康の寿命を待つしかない
もしくは前田討伐のときに挙兵して家康を倒さなければいけなかった

上杉討伐が始まった時点でほぼ詰んでたのではないか
三成挙兵は一発逆転にかけて、かけに負けただけ
0620人間七七四年2016/06/20(月) 15:46:00.52ID:lKXhccec
そもそも前田は秀頼にすら挨拶せずの無断帰国だからこれを処罰しなければ豊臣の権威そのものがガタ落ちするので処罰せざるを得ない。

上杉も何度も何度も上洛要請しているのに全く聴き入れす、これも放置すれば豊臣の権威に関わる。

前田も上杉も豊臣のことを欠片も考えておらず、むしろ豊臣政権の立場を保持しようとしたのが家康。
0621人間七七四年2016/06/20(月) 16:08:09.61ID:stNIyKgY
利長も景勝も家康に言われて帰国したのでは?
もちろん本人たちも帰国したかったんだろうけど
0622人間七七四年2016/06/20(月) 16:15:51.73ID:lKXhccec
>>621
利長は家康にも無断で帰国だぞ。謀叛と取られて当然
0623人間七七四年2016/06/20(月) 17:16:10.21ID:TV1KFZgj
景勝は許可をとって在国してたんだけど堀家が上杉謀反の通報をしたので上洛要請
0624人間七七四年2016/06/20(月) 20:24:05.36ID:ec8QKINU
景勝がホイホイ上洛してたらどーなってたかね
0625人間七七四年2016/06/20(月) 20:51:45.07ID:HwTZVIzz
前田利長に同じ。
減封はされないが家康に屈従。
国政への発言権を失う。
0626人間七七四年2016/06/20(月) 21:00:33.50ID:lKXhccec
つか直江状もそうだけど堀からの告発が問題だったわけで、上洛したら堀と直接対決しての裁判だったんだろ。
その裁判を嫌がって上杉が頑なに上洛しなかったってこと。
0627人間七七四年2016/06/20(月) 22:18:41.70ID:lR2tqVdd
堀秀治が訴えた「下半分の年貢を渡さないどころか
上杉派の武士を越後に残して一揆を扇動している」
がすべて事実ならば完全に景勝が悪人
謀反を疑われても仕方ないが
家康に命じられてのでっち上げなら話は別
0628人間七七四年2016/06/20(月) 22:24:09.05ID:TV1KFZgj
史料もないのに「家康に命じられてのでっち上げ」とか
0629人間七七四年2016/06/20(月) 22:46:24.06ID:4b9Mvngt
石田三成は西軍首謀者というが、19万石のこいつにどれだけの発言力あったんだろ。
関白約束するとか越権行為というか異常だよな。
0630人間七七四年2016/06/20(月) 23:11:23.87ID:61Dgknl/
>>620
そんな史料がどこにある
0631人間七七四年2016/06/20(月) 23:16:53.63ID:TV1KFZgj
>>630
前田の無断帰国については関ヶ原合戦誌記と上杉家御年譜景勝公
0632人間七七四年2016/06/20(月) 23:37:23.01ID:61Dgknl/
>>631
うーん。
それだけではな。
本当にそんな記述があるのかわからんし
引用できる?

すまん煽っているわけではなく、でっち上げる奴がよくいるので
0633人間七七四年2016/06/20(月) 23:43:17.85ID:TV1KFZgj
>>632
家康スレ荒らしてるような奴に頼まれても……
0634人間七七四年2016/06/21(火) 00:14:05.40ID:YTIihsME
加賀征伐に関して豊臣家は関係ないだろ
0635人間七七四年2016/06/21(火) 00:15:20.59ID:qBcS+riJ
>>634
あるだろ普通に考えて
0636人間七七四年2016/06/21(火) 00:18:21.26ID:YTIihsME
>>635
加賀征伐って利長の無断帰国が理由じゃなくて家康暗殺計画の噂が原因なんだろ?
0637人間七七四年2016/06/21(火) 00:21:41.06ID:qBcS+riJ
>>636
無断帰国と暗殺計画の二本柱だぞ。
あと噂じゃなくて取り調べの結果証言まで出てる疑惑な。
0638人間七七四年2016/06/21(火) 00:31:32.42ID:YTIihsME
>>637
書状みたいなの残ってるの?
0639人間七七四年2016/06/21(火) 07:54:58.88ID:HkO3JO0A
>>629
奉行職についてたんだろ?
公金横領で莫大な資産を持ってたんじゃね?
そう考えれば、関ヶ原なんてのをやった理由もわかる。
ほっときゃ大久保長安だっけかみたいになるだろ
0640人間七七四年2016/06/21(火) 17:03:40.35ID:w2Opqtes
石田三成って事務処理は得意でも、政策とかはなかったんじゃないか?
0641人間七七四年2016/06/21(火) 23:59:06.52ID:N5Tu3vN6
日本を二分する戦いを主導できるっていうだけでも能力的に凄いことは間違いない
0642人間七七四年2016/06/22(水) 09:01:57.33ID:Lm9uBZ4m
果たして主導したのか?という話があるし
0643人間七七四年2016/06/22(水) 21:47:49.76ID:tL0CnNSJ
毛利が責任を逃れるために三成を首謀者に仕立て上げた説?
関ケ原に総大将がいないという間抜けな状態を見ても
0644人間七七四年2016/06/22(水) 22:04:27.21ID:cUFFAOL9
そもそも関ヶ原はあくまで前線で絵の衝突に過ぎ無かったわけだが。西軍の意図に反して家康が出現したので話が変わっただけで
0645人間七七四年2016/06/22(水) 22:56:57.20ID:Lm9uBZ4m
あれは正しく家康得意の隠密機動戦がなせる技
0646人間七七四年2016/06/23(木) 00:43:12.41ID:f90EKc8Z
秀次政権になったら干される可能性大なので事前につぶす
家康首班政権で干されたから謀反

という事なら分かりやすいんだけど
そんな単純なわけはないよな
0647人間七七四年2016/06/23(木) 04:21:14.49ID:vTvTUg6L
でも、関ケ原直前のあれこれって歴史に詳しいと良く有る乗っ取りのテンプレみたいな
感じですよね。
比較的主君に忠実な重臣に謀反の言い掛かりを付けて討伐し、何故か都が手薄で挙兵を
誘ってるwwwwww
そして反対派にわざとと挙兵させて都に反転、一気に主君を無力化する。
但し、この方法は狐と狸の化かし合いなので、挙兵規模が大きく成りすぎるとあっさり
負ける事も有りって所ですね。
と言うか、家康と同じ事やって滅んだ人も多いですよね。
0648人間七七四年2016/06/23(木) 08:45:34.71ID:Iur1cmQT
>比較的主君に忠実な重臣に謀反の言い掛かりを付けて
堀直政「あ?上杉はクソ野郎だぞ」
0649人間七七四年2016/06/23(木) 08:49:05.15ID:KJFO55Uz
>>647
とはいえ家康も必死だからね
秀頼成人後にとりつぶされるかもしれない
最大領土を持ってるから標的になりやすい
それならチャンスがあるうちに磐石にしておこうと考えたのだろう
0650人間七七四年2016/06/23(木) 09:54:08.24ID:fWTADHYe
江戸幕府で例えるなら、秀吉が死ぬということは将軍と老中と若年寄が全員死んで、
三奉行も半数が死に側用人だけが残るようなもの
0651人間七七四年2016/06/23(木) 15:15:59.94ID:NgPb33JE
「君側の奸を討つ」は古今東西クーデター時の常套句
0652人間七七四年2016/06/23(木) 17:04:25.61ID:jukPoBn1
俺こそ史上最強
https://www.youtube.com/watch?v=n38mMv8TF3M
0653人間七七四年2016/06/23(木) 19:35:58.26ID:PjWNH4er
意外なことに、家康の最大の味方は、秀吉だった。遺言で、家康に天下のことは任せる
とまで言っているのだから。秀頼が成人するまで暫定だけどな。
五大老の中で、実力は家康が突出しているわけだが、では仲間となると、他の4人が反・家康で
ぐるになってしまったから(五奉行もだ)、その中では比較的には中立的なのは、前田家ぐらい。
反・家康で結束したとはいえ、けっこう中身はバラバラだ。

秀吉が家康へ対する信頼ぶりは、ものすごいもので、まず、妹を家康の正妻に出す。
足りなければ、と、今度は、母親を人質同然で家康の元に送り込む。
それらは有名だけど、さらに追い打ちの女攻めがあった。

なんと、秀吉没後の遺言として、淀君を家康の正妻として送り込む、という実話があった。
そこまでするか!。秀吉が毛利家に対する態度とは大違いで、家康をまさに兄弟/家族として
扱っていたことがわかる。毛利家に対しては冷たい。宇喜田家、前田家へも婚姻政策を仕掛けては
いるが、家康には破格の待遇だ。
なお、淀君と家康の結婚話は、多門院日記にも載っていて実話である。ドタキャン破談になったが。
0654人間七七四年2016/06/23(木) 20:28:58.30ID:aNEHkkzr
>>653
天智天皇も大海人(天武天皇)にそう言ったよね
0655人間七七四年2016/06/23(木) 21:58:44.94ID:YkbV23xZ
淀殿は大久保長安に手込めにされたからな(漫画にそう書いてあったし)
0656人間七七四年2016/06/23(木) 22:29:00.83ID:xmw4k53h
普通に父親の立場で考えてみろよ。
幼い息子の行く末は、普通に実力No.1に託すだろ。
No.1を警戒して、No.2以下に期待するとか普通ないから。
それなら最初から、No.1にならないように手をうつ。
史実は全く逆で、さらにパワーアップさせてたからな。
0657人間七七四年2016/06/24(金) 01:43:49.95ID:tv/42sY/
>>653
実際には、前田利家に家康を封じ込めさせる計画だと思うんだけど?
宇喜多秀家の正室の豪姫は、秀吉の養女で有ると同時に利家の娘です。
つまり、秀吉と利家の婿なんですよね。
前田を中心に姻戚関係を見ると、充分徳川に対抗出来る勢力ですよ?
上杉景勝も徳川嫌いで有名な人だし、利家にあと10年寿命があれば家康は
何も出来ない気がします。
後、秀頼の傅役ですし、本当に信用してるのは前田利家だと思うけどな?
寧ろ、もし野望が有るなら乗っ取っても良いよ、友情に熱い利家なら秀頼の身が
立つようにしてくれるだろうからって思ってそう。
利家に野望が有るなら、家康より簡単に出来る立場なんですよね。
0658人間七七四年2016/06/24(金) 04:44:30.04ID:QQWEHze5
秀吉が遺した個人の寿命に左右されるシステム下で人の寿命を待てなかったのが三成
0659人間七七四年2016/06/24(金) 06:08:54.10ID:hsEcosBG
秀吉亡きあとに、戦乱を起こしそうなやっかい者は、
意外なことに第一が石田三成。あと淀君。
0660人間七七四年2016/06/24(金) 06:30:03.73ID:hsEcosBG
前田利家は、100万石で大老には任命したけれども、秀吉は自分自身と比べれば
劣っていると判断していたのが実情だからな。
だから、織田信長も幼少の頃より連れ歩いた前田利家には柴田勝家の与力どまり。
前田家への石高は、秀吉が与えたわけだけど、出世は秀吉の方が早かったし。
一方家康となると年下なのに、軍の実力も大名間からの信望も、利家以上。あと、
致命的なのは、秀吉が亡くなったときは利家も病んでいて、その後の利家vs家康
の交渉では、利家はすでに死相が出ていたことだ。精力みなぎる家康にかなうわけがない。
0661人間七七四年2016/06/24(金) 06:37:51.81ID:0V7bYYaH
あいつ結局風見鶏だし
0662人間七七四年2016/06/24(金) 06:57:40.29ID:SDawq+EU
利家って秀吉が危篤状態になって五大老云々言い出すより前に隠居願い出してなかったっけ。
本人としては辞めた後に無理矢理引っ張り出された形なんだからわざわざ天下人なんてやりたくもなかろうよ。
ていうかそんな気骨があるんなら元気な頃からとっくにやってるがな。
0663人間七七四年2016/06/24(金) 09:23:06.20ID:hsEcosBG
秀吉が死ぬ直前に家康の手をとって「秀頼を頼む」と言ったというのは有名だが、

オイラの個人的経験からいっても臨終まぎわに頼まれると(そして実際に死なれてしまうと)
これは相当こたえる。死んだ人はもう無力だけど、こっちが気にしてしまうんだよな。
強力だから、オマイらも死ぬときは
若者に頼み事をするといい。
0664人間七七四年2016/06/24(金) 14:18:06.78ID:2Yi+2z/R
秀吉が死んだ後で20年近くも生きるとか普通は思わんよな
0665人間七七四年2016/06/24(金) 14:30:19.69ID:nSMobREL
利家が一番信用出来ない事は、秀吉が一番良く知ってるがな。
0666人間七七四年2016/06/24(金) 15:48:48.86ID:hsEcosBG
利家の長男が二代目のボンクラだからだろ。利長が五大老を引き継いだところで、
家康から見れば「小僧め」としか見えない。せめて勝頼みたいな勝ち気ならよかったのだが。
二台目はバカと相場は決まっている。例外はいるが。
0667人間七七四年2016/06/24(金) 17:24:44.21ID:7FPycykM
黒田家の2代目かしら
0668人間七七四年2016/06/24(金) 18:25:16.41ID:hZLXpnD1
>>663
言いたいことは分かる。託される人間の思考、行動を縛ることあるわな。
スピリチュアルな意味でない言霊だわ。家康もそうだったから豊臣滅亡まで15年かけたのかねぇ。
0669人間七七四年2016/06/24(金) 20:03:41.97ID:au0U0Uwl
最初は政権内での主導権争いを勝ち抜いて豊臣政権を牛耳る、くらいは考えて実行していただろうけれど、あんなかたちで滅ぼす事になるとは家康も驚いたんじゃないかな?
0670人間七七四年2016/06/24(金) 21:13:56.10ID:/ByOY38N
現役でバリバリ働いてる家康に政務を
隠居してある程度時間も立場も自由な利家に秀頼の扶育を
それぞれ任せたと考えると普通に妥当な役割分担じゃね?
0671人間七七四年2016/06/24(金) 22:06:50.48ID:tv/42sY/
>>670
家康は下手に大老から外すと危険だから取り込む、本当に危険な動きをしたら利家に
討たせるって事じゃないかな。
実際に家康が私的な婚姻しようとして、大阪、伏見の対立に成ったじゃないですか?
あそこで利家が健康なら、徳川討伐の陣ぶれを出して徳川、前田の戦だと思う。
結局問題は、利長がうっかり国元に帰った事だと思う。
大阪に居れば、傅役に謀反の言い掛かりを付けるのは無理に近いです。
そして役目がら、5000かそこらの兵力を大阪に置いても大丈夫でしょう。
多分、何と言われようと俺は秀頼様を守るで帰国しなければ良いだけです。
0672人間七七四年2016/06/24(金) 22:39:39.88ID:IxcTAlXJ
>>671
利家は死病に取りつかれていたから、昔の傾奇者に戻ったんじゃないのW
従来の利家なら計算高く強者に鞍替えするはずで、秀吉が秀頼の扶育を頼まれても
家康に尻尾振って、秀頼の扶育をお任せしますと家康に秀頼を差し出しかねない。
しかし死病に取りつかれて、欲の皮が剥がれたんだろう。
それで、はるか昔の傾奇者だったころの自分に戻ったのかもな。
0673人間七七四年2016/06/24(金) 23:04:11.37ID:SrqavXuK
何故ここの連中は軍記どころか小説ソースで話を進めているのか。無知なのか
0674人間七七四年2016/06/25(土) 00:15:08.39ID:e827zk5e
>>671
そもそも婚姻問題は利家と奉行衆の難癖だろ
0675人間七七四年2016/06/25(土) 00:59:13.46ID:vJXN9gmR
>>673
そもそも家康信者とそれにかみつく奴らの罵り合いだから
ここのみんな自分に都合のいい言い分しか引き合いに出してない
0676人間七七四年2016/06/25(土) 02:20:59.92ID:7Kl95pnR
でも家康がいないと政権運営できないのも事実。三成が政権運営とか冗談としか思えない。
0677人間七七四年2016/06/25(土) 03:18:49.39ID:6GQJmV/0
三成信者は進退窮まると三成に全権与えなかった秀吉や戦場についていかなかった秀頼が悪いと言い出す
0678人間七七四年2016/06/25(土) 06:15:46.56ID:4BmHuAcy
>>675
でも資料第一主義に成ると、明らかに変な言い分を信じるしか無い事に成るんだよね?
中国の史書でも、それは幾ら何でも変だろうって話は多いですし?
徳川は250年も続いたから、色々無茶苦茶な正当化が有る訳でしてね。
魏の曹操でも生きてる内は後漢を滅ぼして無いです。
孫娘を送って大阪を囲んだ訳だから評判悪く成る訳です。
0679人間七七四年2016/06/25(土) 06:40:43.11ID:MXbV8OFW
>>676
三成みたい人間はスタッフとしては必須だけど権力の頂点に立っちゃいけないよね。
0680人間七七四年2016/06/25(土) 07:37:45.20ID:3Pl+VEsR
>>678
中国みたいな組織的な正史編纂と異説抹殺は行われていない
0681人間七七四年2016/06/25(土) 09:10:22.23ID:jY/+OKYg
>>680
えーと家康と秀頼の事にふれた人間が処刑されてた気が
当時は秀吉はともかく秀頼に触れるのはタブー
0682人間七七四年2016/06/25(土) 09:24:50.99ID:3Pl+VEsR
>>681
具体に示されないと何とも言えない
0683人間七七四年2016/06/25(土) 11:28:53.11ID:jEPoyi8m
秀頼に触れたらタブーだなんて事実はない
あるとすれば秀頼が無能であることを隠したい、秀頼が死んだことを重大なことにしたいという
豊臣信者の脳内だけだろう
0684人間七七四年2016/06/25(土) 11:56:32.36ID:N8VlfWyS
秀頼はタブー視されているよ、未だに御袋様の言いなり史観が幅を利かせているのがその証拠。
豊臣ファンの間ではいつまでも無垢な君主であり続けるのさ。
0685人間七七四年2016/06/25(土) 12:48:28.86ID:jEPoyi8m
タブーと無能な馬鹿評価を混同していないか?
0686人間七七四年2016/06/25(土) 15:38:42.16ID:2N6/s2xM
同じ太政大臣の子孫としてなら
武士として華やかに散った平敦盛>>>最後まで逃げ続けた豊臣秀頼
これだけは言える
0687人間七七四年2016/06/25(土) 16:08:24.61ID:FAXtnVy9
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて」史観
0688人間七七四年2016/06/25(土) 16:42:42.26ID:bGIC1ExQ
敦盛ってなんか美談になってるけど奇襲受けて逃げようとしたところを
敵の挑発に乗って引き返したら討ち取られましたってだけだよね
0689人間七七四年2016/06/25(土) 17:03:16.56ID:WO4a8shJ
花のようなる2m150kg
0690人間七七四年2016/06/25(土) 17:21:45.68ID:4BmHuAcy
下剋上にしても、ほんの20年前まで主君として仕えてた相手の子を攻め滅ぼした
訳ですからね。
しかもこんな場合の常道の、一族の内紛と言う事にして名目上の主君を建てる事すら
やってないです。
姜斉を乗っ取り、史書に主君を殺したって書かれてる田常ですら事後に名目上の主君を
建ててますからね。
まあ、秀忠に大阪攻めをする根性が無いと思われたんでしょうね。
0691人間七七四年2016/06/25(土) 17:58:17.48ID:e827zk5e
>>690
逆。大阪攻めの主導権を握っていたのは秀忠で家康は責任だけおっかぶせられた
0692人間七七四年2016/06/26(日) 00:02:35.34ID:eDhNx4tS
秀頼の教育係は、信長公記を書いたあの太田牛一ね。
牛一は、秀吉からも信頼されているね。
なお、秀吉のことを「猿」とか「六つ」とかは一言も書いてない。書けない。
0693人間七七四年2016/06/26(日) 00:08:47.58ID:eDhNx4tS
政宗と家康は五郎八姫と松平忠輝の婚姻を、無許可で行う。ことが問題となったわけだが、
申告したとしても却下されただろ。伊達政宗と家康の結びつきが強まることについて
他の大老たちがウンとうなづくわけもない。
でも、伊達家から持ち込まれたこんな良い話を、家康が断るのは変だ。他の大老たちは
足を引っ張るだけだろ。相談しても無駄。無許可だとかいうが、
家康の子供たちには、各地の大名たちから良い縁談が次々に持ち込まれているのが現状だったからな。
0694人間七七四年2016/06/26(日) 00:17:54.61ID:eDhNx4tS
>>668 秀吉は、臨終間際に頼まれると断りにくいということを知っててわざとやったと
思うよ。
というのは、やられた家康も自分が臨終間際には、政宗の手を取って頼み込んでいるからだ。
「秀忠を頼む」との遺言を、政宗は家康から受けた。家康は秀吉と同じことをやってる。
つまり効いたわけよ。(秀頼を滅ぼしたけどさ。でもそうなるまでに充分譲歩してる)
0695人間七七四年2016/06/26(日) 01:06:31.83ID:1EFK9ZIS
>>694
秀吉の臨終にそっくりの場面が、約20年前に有るんだよね。
備前の極悪人で有名な宇喜多直家が、息子の秀家の事を秀吉に頼む場面がね。
一代成り上がりで主家の天神山浦上を乗っ取った大名だから、家中に元同僚や上司の
大封を持つ重臣だらけなんよ。
完全に豊臣家を小型にした感じですね。
勿論秀吉は約束を守り、だから臨終の場面に宇喜多秀家がいた訳ですけど。
0696人間七七四年2016/06/26(日) 01:12:10.83ID:vqLZoPOQ
>>693
でも婚姻の件って利家や奉行連中が私婚だ私婚だとはいってるけど
結局どうすれば私婚じゃないのかあいつら全く言ってないんだよな
0697人間七七四年2016/06/26(日) 01:20:42.19ID:He0t8spt
なにこの臨終リレー
0698人間七七四年2016/06/26(日) 07:28:12.06ID:u+6mzsdu
>>695
豊臣には三成をはじめとした何をするか分からない奸臣が大勢いるし
母親の淀も狂った落城マニアだし
約束を守ることなど家康の意思以前に不可能な状態だった
0699人間七七四年2016/06/26(日) 08:52:50.29ID:eDhNx4tS
>>695 そんな話があったかな?と思って検索したら、NHK大河ドラマじゃないか。
以下コピペ。脚色はあるにしても元ネタの史実はあるのだろう。まだ確認とれてないが。

第2回目の遭遇シーンは、直家が病床に伏し余命を悟ったとき、直家は秀吉に備前沼城への
来城を願い出た。なにせ、謀略冷血漢で有名な直家のこと、どんな仕掛けがあるかも知れぬ
岡山城へ、のこのこと出かけることはあり得ない話である。黒田官兵衛は反対したが、秀吉
は出かけた。おそらく、第1回目の遭遇シーンで、好色秀吉と妖艶おふくの間に、なんらか
の以心伝心の確かな感触があったのかも知れない。秀吉は、直家の願いを聞き入れ、人質の
八郎を伴い備前沼城へ行き、直家の枕元で八郎の元服式を行い、「秀吉」の「秀」の字を
とって「秀家」と名付けた。秀吉は秀家のいわば「親代わり」となったのである。NHK大河
ドラマ黒田官兵衛では、この時、直家が「わしが死んだら側女にしてやってくれないか」と
秀吉に、すべてを託すシーンになっている。
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