石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net
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2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?
語り合いましょう!
0525人間七七四年
2016/06/06(月) 20:47:44.86ID:DxW7PNXL0526人間七七四年
2016/06/06(月) 21:32:16.76ID:doq2Ad4V支配者層か否かは全然関係ない
どうしてこう、論点が何であるのかを把握できない奴って産まれてくるのだろう
0527人間七七四年
2016/06/06(月) 21:45:33.40ID:HRo4eoRQそれを作り出そうって運動だからね
既にいる土地では流行らんよ
0528人間七七四年
2016/06/07(火) 13:13:53.42ID:hyaoyfFP0529人間七七四年
2016/06/07(火) 18:09:25.10ID:8oZIa4M20530人間七七四年
2016/06/11(土) 21:36:46.54ID:8DmO6lhc家康は三成の佐和山隠居後、息子を取り立てようとしてたし
関ヶ原戦後も三成の息子達は助命しているところをみると
敗軍の将として責任のとらせるという事で処刑したけどで
三成自身をそう憎んでる感じはしないんだよな
0531人間七七四年
2016/06/11(土) 23:50:55.64ID:Wa+Iahx5三成の無念は俺が果たす!みたい事を言いそうな連中は関ヶ原で駆逐した。
人望の無さぶりから言って親石田勢力みたいなが御輿に担ぐ可能性も薄いし
あえて子供を殺すまでもなくなったって打算もあるのでは。
0532人間七七四年
2016/06/12(日) 00:18:07.00ID:vdbr9mITそもそも、石田三成が西軍の首謀者だったのか?
近江半分も無い、木っ端大名だぞ?
家康自身が、こんなのを首魁なんて通らないよなと思いつつ、他に殺せる奴がいないから生け贄にしたからこそ
子供にまでは、真剣に討手を差し向けなかったんじゃないのかな?
0533人間七七四年
2016/06/12(日) 00:26:15.86ID:vCOUOdQI0534人間七七四年
2016/06/12(日) 01:30:42.40ID:mdOdKcMc0535人間七七四年
2016/06/12(日) 07:10:26.99ID:C6SLaHRcこれは秀吉が何より怖れていた事で、
だからこそ特に警戒した家康に任せてでも自分の死後の豊臣家を束ね上げさせた
それがどうだ?三成のせいで豊臣恩顧は東西バラバラ
三成が引き起こした関ヶ原の結末は家康には絶対逆らうなという空気
淀の方が家康が死ねば豊臣に天下は戻ってくるという目論見も関ヶ原の後じゃ遅すぎた
0536人間七七四年
2016/06/12(日) 07:13:50.61ID:C6SLaHRcでも一方を持ち上げる口実にもう一方の否定を根拠とするのってただのオタクのdisり合いと変わらなくないか?
家康が実際天下を奪おうが三成の実績がどうなのかってのに全然関係ないと思うが
0537人間七七四年
2016/06/12(日) 07:26:06.38ID:oALlHbpt木っ端は言い過ぎでは?
一応、奉行として中央政権に参画していた実力者のひとりだし。
0538人間七七四年
2016/06/12(日) 10:34:37.95ID:4qcIBhPP0539人間七七四年
2016/06/12(日) 10:40:22.94ID:6bAjxrXG秀吉が三顧の礼で家康を招聘したわけで
家康が天下を狙うかどうかなんてその後の話でしかない
家康がどうこうの前にまず三成たち奉行がこれまでの失敗の責任を取って総辞職するべきで
そのうえで家康をどうするかは残りの人間たちに委ねるべきだった
三成は自分の責任を誤魔化して政権にしがみつくため家康を利用しただけであり
評価する余地などまったく存在しない
0540人間七七四年
2016/06/12(日) 13:08:52.64ID:32W6bjja事の発端となった上杉は何故か転封・減封で済んだしね。
0541人間七七四年
2016/06/12(日) 13:26:54.97ID:JV//eFSDまあ結果論なら何とでも言えるが。
0542人間七七四年
2016/06/12(日) 13:57:06.11ID:YyiI8O70上杉を潰すなら、徳川家が総力あげないと無理。周りの大名だけでは手に負えない。自ら血を流すような真似は徳川家康はしないよ。
0543人間七七四年
2016/06/12(日) 16:39:50.06ID:vdbr9mIT奉行の実態って、わかってるんだろうか?
大大名が大老として政権に参画してるし、秀吉自体がかなりの強権を有していたと聞く状態で
仮に財務を見ていたとしても、旧大蔵官僚はおろか現財務官僚程の権力は無いと思うんだが?
それとも、蔵入地からの収入を横領してたんだろうか
0544人間七七四年
2016/06/14(火) 00:20:19.45ID:BkhDdi+4三成は関ヶ原の戦費で使い切ってしまったが
長束の水口城には5千枚を超える黄金があったから
奉行の横領は相当なものだったのだろう
0545人間七七四年
2016/06/14(火) 00:27:13.26ID:oAPfjfrn三成もそういう目で見られてたとしてもおかしくはないな
0546人間七七四年
2016/06/14(火) 01:00:03.87ID:LF3X8Z6iそういう便宜もある程度ははかれなきゃ重職まで出世できなかろうよ。
なのに三成だけクリーンだなんてあり得ない。
0547人間七七四年
2016/06/14(火) 01:18:04.21ID:u19oslPbいやいや、金で融通が効く男だったらあそこまで憎まれて無いでしょ
ロベスピエール的清貧さが売りであり欠点でもあった男だと思うぞ
0548人間七七四年
2016/06/14(火) 06:09:42.12ID:KODkRS7fお前の中ではそうなんだろう
お前の中ではな
0549人間七七四年
2016/06/14(火) 06:19:12.38ID:FaI9Tc0e0550人間七七四年
2016/06/14(火) 06:39:19.10ID:gpqCgRpN0552人間七七四年
2016/06/14(火) 08:09:24.20ID:ZKPHKVmZ横領した金を使い切って、あの程度なんだろ?
それとも、自分じゃ大軍を率いる力が無いのは理解してたから、例えば小早川に金でも融通してたとでも?
何だか、切腹の理由が横領がばれたせいに思えてきた
0553人間七七四年
2016/06/14(火) 12:40:47.16ID:M0/nkg6R0554人間七七四年
2016/06/14(火) 15:58:12.63ID:hDcvg9it石田三成はなぜ「嫌われ役」となったのか
ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160613-00010000-php_r-bus_all
従来、利休の切腹や彼の木像が一条戻り橋に晒された事件の裏に三成がいたとされてきました。
その根拠は、公家吉田兼見の日記『兼見卿記』に、三成が利休の切腹後、その妻も刑に処した噂があると記しているからです。
しかし利休の妻、宗恩が没したのは、ずっと後年の慶長年間のこと。
それだけを見ても、兼見の記述が、「噂」を記したに過ぎないことがわかります。
もっともそうした噂が当時、流れたということは、三成が秀吉の命令に忠実に動く人物であると、多くの人に認識されていたことの証ともいえます。
0555人間七七四年
2016/06/14(火) 18:28:02.90ID:+BOMRO69噂を記すのも、大切なことなんだよ当時は。それが誤りかどうかは別だけど。
噂にそんなことが一時的とはいえ上ったなら、三成ならやりかねないと当時の人々に思われていた可能性がありますよ。
0556人間七七四年
2016/06/15(水) 13:46:52.05ID:kXLPbiBo三成は従というか、事件の脇役にすぎない
町衆からは、よほど疑惑の眼で見られていたか
0557人間七七四年
2016/06/15(水) 18:27:13.88ID:IeUJ8jAgあんな馬鹿な挙兵する必要はあったのかな?
石田三成マンセーの小説では豊臣への忠義だったというが。
0558人間七七四年
2016/06/15(水) 21:16:38.21ID:0GeP12YS武家を統率するのは不可能で。
0559人間七七四年
2016/06/16(木) 00:04:02.90ID:dm8rEAPv0560人間七七四年
2016/06/16(木) 05:58:02.09ID:sqhtXW5M三成の動きに関わらず、上杉に難癖はつけたと思うし
0561人間七七四年
2016/06/16(木) 18:26:41.05ID:/zYz56bg豊臣家執権のような立場で諸大名を威圧しながら
理由をつけて残り四大老を潰すか領地を減らしつつ
三成のようなうるさい官僚を粛正して自分に忠実な者に替えていくはず
加藤、福島あたりが単発挙兵するかもしれないが簡単につぶせるだろう
後は家康の寿命次第だが徳川家が事実上天下人になるには
鎌倉北条氏のように数代かかるかも
0563人間七七四年
2016/06/16(木) 21:00:35.13ID:CpyNJIi2家康は、従った大名に対しては全く減封してないよ。
前田なんかいい例。
上杉や毛利などを潰す前提で語っている時点で既に誤り。
0564人間七七四年
2016/06/16(木) 23:31:05.62ID:zKVUiqzX徳川を北条に準えてるのが間違い
鎌倉幕府成立時で考えれば、徳川は、足利、小山、結城、三浦を合わせた程の力がある。
北条程の、無理をする必要もなければ、
北条程、苦労する謂われもない
0565人間七七四年
2016/06/18(土) 10:31:25.24ID:QnsL0/2x秀吉が関白を粛清して空位にし、石田・小西が偽講和で朝鮮を泥沼化させる大失態を犯し続けたから
秀吉から請われる形で政権に招聘されただけだ
むしろ家康は朝鮮からの撤退を実現させて奸臣のリストラに着手するなど豊臣を立て直していた
権力に執念を燃やし無理をして謀反を起こしたのは石田側であって家康じゃない
0566人間七七四年
2016/06/18(土) 10:59:27.29ID:7eByLUs2そして取り潰し
会津には結城秀康を入れて大老昇格、清華成
伊達には刈田郡など
最上には庄内
他の参戦大名には蔵入地から恩賞
あとは毛利宇喜多に難癖つければ関ヶ原後とたいして変わらないのでは?
史実より西軍大名が多く残っていても大半は徳川派に靡くだろうから関係なし
むしろ福島や加藤に大領をやらなくて済む
上杉を潰しにかかった時点でほとんど勝負は決まっていただろう
史実よりほんの数年時間がかかったくらいじゃないだろうか
0567人間七七四年
2016/06/18(土) 11:00:38.69ID:JzSheGOtなら秀吉は何で石田三成、小西行長らを存命中に処罰しなかったんだろうか?
0568人間七七四年
2016/06/18(土) 11:16:21.12ID:QnsL0/2x終わったのが秀吉の死後なのだから処罰も秀吉の死後に下すのが当然だろう
0569人間七七四年
2016/06/18(土) 11:44:53.37ID:8wU1KqA40570人間七七四年
2016/06/18(土) 11:48:38.54ID:QakI1RqO0571人間七七四年
2016/06/18(土) 11:59:20.29ID:8wU1KqA4秀吉の遺言では秀頼成人まで五奉行が政務を取って
伏見に家康、大坂に前田を置いて反乱や謀反に対処する体制だぞ
0572人間七七四年
2016/06/18(土) 12:03:12.46ID:QnsL0/2x0573人間七七四年
2016/06/18(土) 12:51:07.00ID:QakI1RqO五奉行は事務で決済は家康、政策決定は家康と利家が行うというのが浅野家文書にある覚書の内容だったはず
0574人間七七四年
2016/06/18(土) 12:52:48.24ID:8wU1KqA4秀吉は過去の経験から家臣の一人に力を持たせないためにこいつらに縁辺組ませようとしてる
だから謀反は地方に対してでこの権力分散体制を破壊することじゃないぞ
0576人間七七四年
2016/06/18(土) 14:31:11.49ID:UmhlAn7N三成と浅野長政って遺言で名前が出てきたことあったっけ
0577人間七七四年
2016/06/18(土) 15:59:57.40ID:QakI1RqO0578人間七七四年
2016/06/18(土) 20:17:34.85ID:U900JeMs中央集権を志向していた豊臣政権が、なぜに領邦制に面舵を切る?
コ川家による豊臣政権の中央集権化の方が、
本来目指していた運営体制に沿っている。
0579人間七七四年
2016/06/18(土) 22:02:20.25ID:GXy4vGYI日本がどうなるかより秀吉の遺言とかその家による政権の維持の方が大事なことのように言われるのって
0580人間七七四年
2016/06/18(土) 22:44:13.79ID:RvgTZKDu0582人間七七四年
2016/06/19(日) 03:27:23.02ID:S+CIwWjC豊臣シンパに多いが徳川の朱子学中心主義は批判する癖に秀長死後悪政続きだった秀吉政権には無償の奉公を求めているのは滑稽至極
「伊達、最上らは徳川恩顧の大名だから将軍家に尽くせ」と言われたら自分達の発言がどれだけおかしいか気付くはず
家康について過剰に持ち上げる徳川シンパはいてもこんな発言した者は今まで見たことがない
0583人間七七四年
2016/06/19(日) 03:34:53.37ID:AFgLG4ce実務は利家に任せるとしても
0585人間七七四年
2016/06/19(日) 10:12:56.78ID:FxpWARYh前田、徳川の二頭立てがしたかったんなら、せめて加賀に加えて越前くらい持たしてからの話だな
(それだって前田が伝説レベルの強者だったとしてだが)
三遠駿に加えての甲信よりは、関八州が見劣りしたとしても、
徳川が飛びぬけた存在なのは間違いない。
それで二頭体制なんか有り得ない。
0586人間七七四年
2016/06/19(日) 11:14:23.38ID:hN6i50xs0587人間七七四年
2016/06/19(日) 12:30:05.32ID:kk++JdKTこの現実を無視して、五大老五奉行による合議とか、
真顔で議論する奴はアホとしか思えん。
机上の空論。
0588人間七七四年
2016/06/19(日) 14:50:38.08ID:u9ibs5ci統治するだけなら家康一人で十分だけど
家康一人で政権をまわしたら徳川政権になってしまうから
他の9人で一生懸命に家康の足を引っ張りましょうという体制だからな
現実的に10人いる必要がなく他の9人をどれだけリストラしても統治機能上は問題ないというのでは
こんなシステムを維持できるわけがない
0589人間七七四年
2016/06/19(日) 15:49:51.37ID:tFUQBsWy0590人間七七四年
2016/06/19(日) 18:33:25.26ID:etP8bvfm0591人間七七四年
2016/06/19(日) 18:35:05.59ID:D4uL0z930592人間七七四年
2016/06/19(日) 19:15:07.41ID:3mP/35rn家康が破った時にこそ実行すべきだったし実際にした
四大老四奉行が一糸乱れぬ結束をもってすべての権限を奪う
それによって戦に持ち込めるか持ち込めずとも家康の力を
削げるだけ削いでおかなければならなかった
それを三成が頓挫させたから豊臣家を潰した張本人と叩かれたわけか
0593人間七七四年
2016/06/19(日) 19:23:38.31ID:88/2InmQまあ秀頼命の秀吉には関係ないことだろうけれど、みんなたまったもんじゃないよね。
0595人間七七四年
2016/06/19(日) 19:30:10.81ID:q80wrGwY秀吉の死後どうするか決めてなかったのが混乱の元だからなあ
しかもこれも秀次事件の影響でできたルールだし
0596人間七七四年
2016/06/19(日) 19:40:03.40ID:3mP/35rn「家康は殿下の死後必ず天下を狙う」としつこく嘆願されていたが
んな事お前に言われなくても知ってるわという心境だったし
だからって前田家だけでどうにかするには徳川は強大すぎる
俺一人を焚き付けてるヒマがあったら
加藤や福島たち武断派大名の信頼さっさと取り戻せや
みたいに思ってたのかな
0597人間七七四年
2016/06/19(日) 20:22:49.23ID:D4uL0z93むしろ「俺を頼るとかバカじゃねえの」と内心嘲笑ってたんじゃないかね。
そもそも損得計算の結果として柴田勝家を裏切って秀吉配下になった男なんだぞ。
0598人間七七四年
2016/06/19(日) 20:52:48.30ID:88/2InmQ0599人間七七四年
2016/06/19(日) 21:09:46.38ID:tFUQBsWy家康排除して俺が天下に号令かけると思ってたろうに。
0601人間七七四年
2016/06/19(日) 21:31:19.08ID:GicE8O5g関ヶ原当時ぐらいなら世間的には律義者扱いだろ
0602人間七七四年
2016/06/19(日) 21:47:06.55ID:u9ibs5ci大坂にいる豊臣の人質を自分の管理下に置こうとしたこともない
それどころか会津征伐をはじめ重要な政治決定は全て秀頼に事前報告して許可を取るなど秀頼重視主義を取っていた
むしろ三成たちの方が自分たちだけでなんでも決められる、豊臣の財物・人質・秀頼の身柄をは全て自分たちの管理物だという態度を見せて
秀頼軽視主義を取っていた
0603人間七七四年
2016/06/19(日) 22:27:18.22ID:p41om1IH三成 官僚政治
この違いかと
0604人間七七四年
2016/06/19(日) 22:33:01.73ID:etP8bvfm0605人間七七四年
2016/06/19(日) 22:54:14.01ID:SUyILvdOその官僚組織を基盤とする官僚政治なんて成立しようもない。
三成はあくまで「近習」「側近政治」
0607人間七七四年
2016/06/20(月) 00:12:28.84ID:fRFKTrPa大阪城への毛利軍入城に関して三成が秀頼に申請して秀頼が許可を出したか、出してないよね。
勝手に七手組を戦場に連れ出したよね。
正規の許可を出して招集した上杉遠征軍の出遅れ組を勝手に西軍に組み込んだよね。
豊臣政庁の伏見城を秀頼の許可もなく攻撃して落城させたよね。
秀頼の許可もなく勝手に小早川秀秋に関白職をやらせると約束したよね。
豊臣家の人質である諸大名の妻子を秀頼に無許可で大阪城内に拉致しようとしたよね。
これだけのことしておいて秀頼軽視主義じゃないとは片腹痛いわw
0608人間七七四年
2016/06/20(月) 00:21:17.97ID:2bJggDRI石田三成は仮に勝っても、小早川にした約束はどうする気だったんだろうな。関白やるから味方になれとか、佐和山の大名程度でよく約束したもんだ。
0609人間七七四年
2016/06/20(月) 00:26:29.80ID:ec8QKINU0610人間七七四年
2016/06/20(月) 00:48:57.17ID:lR2tqVdd家康の事もそれほど信じてはいなかった
自分を軽んじていた部下も信じられなかった
あまつさえ自分自身の判断さえ信じ切ることが出来なくなった
0611人間七七四年
2016/06/20(月) 00:53:12.38ID:b11ON3XL0612人間七七四年
2016/06/20(月) 03:21:16.87ID:FvjVZgxl三成はもっとヤバさを感じないといけなかった
0613人間七七四年
2016/06/20(月) 07:31:32.11ID:R/dGqPx2秀次切腹スレで、命令書ガァに対して、そんなもん関係無いって回答がやたらあった。
結局、そういうことだろ。
秀頼(側近含む)は、負けた時のことを考えて、証拠になるような物を発給しなかっただけじゃないの?
欲得で、お互い動いてるだろう。
逆に秀頼が無関係なら、いくら暢気なテルモでも、ああも簡単には退去出来ないだろ
0614人間七七四年
2016/06/20(月) 14:04:41.33ID:Po7bSjdJ男子だったら三成の子孫が将軍だったかも
0615人間七七四年
2016/06/20(月) 15:00:43.12ID:4gyZsH0n事前に話をつけたからこそのあの布陣だし
真田丸でも言ってたが、アポ無しで急に裏切るのと調略は全く別だよな
0616人間七七四年
2016/06/20(月) 15:09:41.14ID:K6bkRo4z0617人間七七四年
2016/06/20(月) 15:31:02.33ID:q0CbENOe減封で雇いきれなくなった家臣も三成の家臣になってるから
秀秋は三成を恨んでいたとしてもおかしくないからな
というか秀秋って秀頼が生まれた後に養子に出されるわ
秀次事件の影響で丹波亀山を没収されるわで
秀頼様御為と言われてもピンとこないだろうな
0618人間七七四年
2016/06/20(月) 15:36:43.82ID:az3N/WBo上杉は討伐されて取り潰され、代わって結城秀康あたりが大老に昇格
毛利は広家が実権を握って徳川に屈服
前田は屈服済み
徳川の加増は限定的だが、加藤、福島、黒田、浅野など豊臣系大名にも大領を与えずに済む
石田は失脚したまま
島津は徳川より
不満分子は宇喜多、佐竹くらいだが、上杉ですら討伐された状況で軍事行動をとるとは考えにくい
家康の将軍就任を止める勢力も存在せず、ほぼ史実と同様の流れだったのではないか
徐々に豊臣公儀の力を奪って、大阪の陣だな
仮にいくつかの大名が豊臣方についても徳川勝利は揺るぎない
0619人間七七四年
2016/06/20(月) 15:41:47.76ID:az3N/WBo三成挙兵ではなく、上杉討伐を何とか阻止するべきだった
五大老は何がなんでも我慢して家康の寿命を待つしかない
もしくは前田討伐のときに挙兵して家康を倒さなければいけなかった
上杉討伐が始まった時点でほぼ詰んでたのではないか
三成挙兵は一発逆転にかけて、かけに負けただけ
0620人間七七四年
2016/06/20(月) 15:46:00.52ID:lKXhccec上杉も何度も何度も上洛要請しているのに全く聴き入れす、これも放置すれば豊臣の権威に関わる。
前田も上杉も豊臣のことを欠片も考えておらず、むしろ豊臣政権の立場を保持しようとしたのが家康。
0621人間七七四年
2016/06/20(月) 16:08:09.61ID:stNIyKgYもちろん本人たちも帰国したかったんだろうけど
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