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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0503人間七七四年2016/06/01(水) 16:23:06.78ID:FXa7xHbe
同一世界物でもないのにどの作品でも似たような描き方するならそういう見方してると思われても仕方ないかな
本当に優れた作家なら180度変えても魅力的に描けるだろう
0504人間七七四年2016/06/01(水) 18:05:52.55ID:ux1kraHQ
いや、そら作家のしての作風や個性がぶれぶれになるだけだろ

例えば、徳川秀忠が腹黒極悪人でない隆慶一郎作品が有ったとしたら
隆慶一郎作品読んだ気にならんだろうし
0505人間七七四年2016/06/01(水) 19:14:58.48ID:RIdb/e/s
「司馬史観」なんていって祭り上げたマスコミの責任だろ
そりゃあんだけ持ち上げられたら本人もその気になるわ
0506人間七七四年2016/06/02(木) 00:42:36.33ID:hjFtDRDX
>>504
逆に同作家の前の作品じゃ極悪人に書いてたのに
次の作品じゃ凄い正義の人になってるとかやる
作家いがいといるけど俺はあっちのほうが萎えるわ
0507人間七七四年2016/06/02(木) 07:58:47.72ID:p/cGU2N4
>>502も俺と同じく、著名な先祖もいないし、思い入れのある歴史上の人物もいないから、そう思うんだろうけど
これはフィクションですの一言で、実在の人物を貶めて良い筈が無いくらいわかるよな?

遠い過去の人を、どう貶したって、取り締まる法律も無いし、
慣習的にボロカスな人も多いからほったらかしてるだけ
0508人間七七四年2016/06/02(木) 10:41:34.21ID:ck5+1XBh
石田三成って、佐和山を得る前はあまり知行ないのに権力はあったのかな?
0509人間七七四年2016/06/02(木) 20:00:03.90ID:/g5B4VIe
>>506
多角的な見解ができる作家ということで、
高評価を与えるべきだろ
0510人間七七四年2016/06/03(金) 00:19:25.96ID:NiHXeJa6
>>508
近習の権力は所領に比例するわけじゃないからなあ
0511人間七七四年2016/06/04(土) 01:53:04.93ID:Ddg07pol
佐和山って5年しかいなかった三成が善政敷いて民に慕われた名君と崇められるほど戦国時代や江戸時代の統治はダメダメだったのか
光秀もだけどああいうのが本能寺関ヶ原なく死んでたら絶対そんな評価されてないと思う
0512人間七七四年2016/06/04(土) 09:57:35.00ID:HAuKOGu0
そもそも豊臣領地自体が二公一民の重税なのに
三成の領地だけ善政なのは不自然なんだよね
だからこそ三成は多くの大名から収入を補うための汚職・横領をしていると疑われていた
民に慕われた名君と崇められたいと思うのは構わないけど
財源を明確にしないと結局は自分の首を絞めるだけになってしまう
0513人間七七四年2016/06/04(土) 19:28:07.63ID:RGDMINMM
>>512
上杉の年貢持ち去り事件を何故か握りつぶしたりしてるし、疑惑は絶えないのよね。
内府ちかひの条々とか言ってるてめえは汚職官僚でございますとか言ってたんだとしたら面白いが
0514人間七七四年2016/06/05(日) 06:45:15.94ID:yMaLzH55
ていうか、石田三成の善行とされる大半のものが、江戸時代の信頼性の疑わしい軍記とかなんだよね。悪いのもそれ系が半分はあるが。

石田三成ファンはよく幕府が人物像を歪めたとか言っているが。
0515人間七七四年2016/06/05(日) 07:13:22.21ID:uRfp4+2t
あと三成が佐和山で善政したなんてのは、江戸期どころか戦後に成って言われ始めた話だ
0516人間七七四年2016/06/05(日) 07:50:17.84ID:OZrB5bEs
ありゃあ佐和山の「地元の英雄の表彰」の一環だわな
0517人間七七四年2016/06/05(日) 08:13:06.85ID:6GRl8YQe
安政の大獄で井伊にケチが付いたから、替わりの郷土の英雄として祭り上げられただけだな
0518人間七七四年2016/06/05(日) 12:45:14.26ID:E1PwGNwY
三成は舛添みたいに自分個人の金はケチって貯金にも執着しないが
公金だったら湯水のごとく使うタイプなんだろうな
0519人間七七四年2016/06/05(日) 16:10:05.01ID:YGEHzs+7
実際、江戸幕府は自身らを正統化するために石田三成を歪めたのかな?
0520人間七七四年2016/06/05(日) 17:14:54.82ID:wbrbRXkI
幕府主導ではなくても媚びたがりってがいるからな
0521人間七七四年2016/06/05(日) 19:57:21.33ID:In0jCuvi
真面目な話、家光の時代くらいになると、世間的に三成は「どうでもいい」存在。
0522人間七七四年2016/06/06(月) 06:56:20.48ID:TW8JGt6l
>>516
それを思うと、高知県民に今だに嫌われ続ける
山内一豊って……
0523人間七七四年2016/06/06(月) 08:04:07.06ID:tUtE+UoL
>>522
無理に持ち上げなくても坂本龍馬がいるから
0524人間七七四年2016/06/06(月) 20:12:30.19ID:QrDLk0up
>>523
支配者層じゃないただのスパイだろ龍馬は
0525人間七七四年2016/06/06(月) 20:47:44.86ID:DxW7PNXL
ホームラン級の馬鹿だな…
0526人間七七四年2016/06/06(月) 21:32:16.76ID:doq2Ad4V
地域の英雄として祭り上げらるかどうかの話であって、
支配者層か否かは全然関係ない
どうしてこう、論点が何であるのかを把握できない奴って産まれてくるのだろう
0527人間七七四年2016/06/06(月) 21:45:33.40ID:HRo4eoRQ
地元の英雄を顕彰ってのは歴史上のスターがいないから
それを作り出そうって運動だからね

既にいる土地では流行らんよ
0528人間七七四年2016/06/07(火) 13:13:53.42ID:hyaoyfFP
しかも地元の英雄、坂本龍馬をいじめてた支配者のご先祖様and騙し討ち野郎だからなあ。
0529人間七七四年2016/06/07(火) 18:09:25.10ID:8oZIa4M2
三成も龍馬も司馬遼さまさまだな
0530人間七七四年2016/06/11(土) 21:36:46.54ID:8DmO6lhc
>>514
家康は三成の佐和山隠居後、息子を取り立てようとしてたし
関ヶ原戦後も三成の息子達は助命しているところをみると
敗軍の将として責任のとらせるという事で処刑したけどで
三成自身をそう憎んでる感じはしないんだよな
0531人間七七四年2016/06/11(土) 23:50:55.64ID:Wa+Iahx5
>>530
三成の無念は俺が果たす!みたい事を言いそうな連中は関ヶ原で駆逐した。
人望の無さぶりから言って親石田勢力みたいなが御輿に担ぐ可能性も薄いし
あえて子供を殺すまでもなくなったって打算もあるのでは。
0532人間七七四年2016/06/12(日) 00:18:07.00ID:vdbr9mIT
>>530
そもそも、石田三成が西軍の首謀者だったのか?
近江半分も無い、木っ端大名だぞ?
家康自身が、こんなのを首魁なんて通らないよなと思いつつ、他に殺せる奴がいないから生け贄にしたからこそ
子供にまでは、真剣に討手を差し向けなかったんじゃないのかな?
0533人間七七四年2016/06/12(日) 00:26:15.86ID:vCOUOdQI
首謀者側ではあったけどスケープゴートで処刑された感
0534人間七七四年2016/06/12(日) 01:30:42.40ID:mdOdKcMc
総大将の輝元は処刑するには官位が高すぎたし秀家はほとぼりがさめるまで上手く身を隠していたからな
0535人間七七四年2016/06/12(日) 07:10:26.99ID:C6SLaHRc
そもそも三成のせいで豊臣家は分断した
これは秀吉が何より怖れていた事で、
だからこそ特に警戒した家康に任せてでも自分の死後の豊臣家を束ね上げさせた

それがどうだ?三成のせいで豊臣恩顧は東西バラバラ
三成が引き起こした関ヶ原の結末は家康には絶対逆らうなという空気
淀の方が家康が死ねば豊臣に天下は戻ってくるという目論見も関ヶ原の後じゃ遅すぎた
0536人間七七四年2016/06/12(日) 07:13:50.61ID:C6SLaHRc
三成は義臣だ忠臣であるって考えは結局のところ家康が天下を奪ったからを前提にしてるんだよね
でも一方を持ち上げる口実にもう一方の否定を根拠とするのってただのオタクのdisり合いと変わらなくないか?
家康が実際天下を奪おうが三成の実績がどうなのかってのに全然関係ないと思うが
0537人間七七四年2016/06/12(日) 07:26:06.38ID:oALlHbpt
>>532
木っ端は言い過ぎでは?
一応、奉行として中央政権に参画していた実力者のひとりだし。
0538人間七七四年2016/06/12(日) 10:34:37.95ID:4qcIBhPP
「中心」だよ
0539人間七七四年2016/06/12(日) 10:40:22.94ID:6bAjxrXG
そもそも秀吉と奉行が関白継承や朝鮮での講和に失敗を繰り返したから
秀吉が三顧の礼で家康を招聘したわけで
家康が天下を狙うかどうかなんてその後の話でしかない
家康がどうこうの前にまず三成たち奉行がこれまでの失敗の責任を取って総辞職するべきで
そのうえで家康をどうするかは残りの人間たちに委ねるべきだった

三成は自分の責任を誤魔化して政権にしがみつくため家康を利用しただけであり
評価する余地などまったく存在しない
0540人間七七四年2016/06/12(日) 13:08:52.64ID:32W6bjja
>>533-534
事の発端となった上杉は何故か転封・減封で済んだしね。
0541人間七七四年2016/06/12(日) 13:26:54.97ID:JV//eFSD
関ケ原が無ければ家康存命中に豊臣を完全に潰すのは難しかったかもしれんからなあ。
まあ結果論なら何とでも言えるが。
0542人間七七四年2016/06/12(日) 13:57:06.11ID:YyiI8O70
>>540
上杉を潰すなら、徳川家が総力あげないと無理。周りの大名だけでは手に負えない。自ら血を流すような真似は徳川家康はしないよ。
0543人間七七四年2016/06/12(日) 16:39:50.06ID:vdbr9mIT
>>537
奉行の実態って、わかってるんだろうか?
大大名が大老として政権に参画してるし、秀吉自体がかなりの強権を有していたと聞く状態で
仮に財務を見ていたとしても、旧大蔵官僚はおろか現財務官僚程の権力は無いと思うんだが?
それとも、蔵入地からの収入を横領してたんだろうか
0544人間七七四年2016/06/14(火) 00:20:19.45ID:BkhDdi+4
東軍に限らずほとんどの大名が奉行の城には山のような金銀財宝があると信じきっていたからな
三成は関ヶ原の戦費で使い切ってしまったが
長束の水口城には5千枚を超える黄金があったから
奉行の横領は相当なものだったのだろう
0545人間七七四年2016/06/14(火) 00:27:13.26ID:oAPfjfrn
取次ぎやってる人がかなりの利益を得てたのは江戸初期の事例でもあるし
三成もそういう目で見られてたとしてもおかしくはないな
0546人間七七四年2016/06/14(火) 01:00:03.87ID:LF3X8Z6i
権力者への取り次ぎ役なんて裏金と無縁ではいられまい。
そういう便宜もある程度ははかれなきゃ重職まで出世できなかろうよ。
なのに三成だけクリーンだなんてあり得ない。
0547人間七七四年2016/06/14(火) 01:18:04.21ID:u19oslPb
>>546
いやいや、金で融通が効く男だったらあそこまで憎まれて無いでしょ
ロベスピエール的清貧さが売りであり欠点でもあった男だと思うぞ
0548人間七七四年2016/06/14(火) 06:09:42.12ID:KODkRS7f
>>547
お前の中ではそうなんだろう
お前の中ではな
0549人間七七四年2016/06/14(火) 06:19:12.38ID:FaI9Tc0e
清貧な男なら挙兵しない
0550人間七七四年2016/06/14(火) 06:39:19.10ID:gpqCgRpN
前田利家が長生きして家康と対立して戦争になっていれば三成のその後はだいぶ変わっていただろうな
0551人間七七四年2016/06/14(火) 06:45:57.10ID:1uIZEKZ1
>>550
柴田勝家
「あいつにそこまでの気概ないから」
0552人間七七四年2016/06/14(火) 08:09:24.20ID:ZKPHKVmZ
>>544
横領した金を使い切って、あの程度なんだろ?
それとも、自分じゃ大軍を率いる力が無いのは理解してたから、例えば小早川に金でも融通してたとでも?

何だか、切腹の理由が横領がばれたせいに思えてきた
0553人間七七四年2016/06/14(火) 12:40:47.16ID:M0/nkg6R
三成って現代で言う所の桝添みたいな感じじゃない?
0554人間七七四年2016/06/14(火) 15:58:12.63ID:hDcvg9it
「三成佞臣論」はこうして生まれた!
石田三成はなぜ「嫌われ役」となったのか
ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160613-00010000-php_r-bus_all

従来、利休の切腹や彼の木像が一条戻り橋に晒された事件の裏に三成がいたとされてきました。
その根拠は、公家吉田兼見の日記『兼見卿記』に、三成が利休の切腹後、その妻も刑に処した噂があると記しているからです。
しかし利休の妻、宗恩が没したのは、ずっと後年の慶長年間のこと。
それだけを見ても、兼見の記述が、「噂」を記したに過ぎないことがわかります。
もっともそうした噂が当時、流れたということは、三成が秀吉の命令に忠実に動く人物であると、多くの人に認識されていたことの証ともいえます。
0555人間七七四年2016/06/14(火) 18:28:02.90ID:+BOMRO69
>>554
噂を記すのも、大切なことなんだよ当時は。それが誤りかどうかは別だけど。

噂にそんなことが一時的とはいえ上ったなら、三成ならやりかねないと当時の人々に思われていた可能性がありますよ。
0556人間七七四年2016/06/15(水) 13:46:52.05ID:kXLPbiBo
利休を切腹させるべく、豊臣の威を借りて行動した主体は前田玄以だったのにな
三成は従というか、事件の脇役にすぎない
町衆からは、よほど疑惑の眼で見られていたか
0557人間七七四年2016/06/15(水) 18:27:13.88ID:IeUJ8jAg
石田三成が1600年に挙兵しなかったら、豊臣はもう少し時間稼ぎはできたんじゃないだろうか?
あんな馬鹿な挙兵する必要はあったのかな?
石田三成マンセーの小説では豊臣への忠義だったというが。
0558人間七七四年2016/06/15(水) 21:16:38.21ID:0GeP12YS
時間稼ぎどころか、家康が征夷大将軍に任じられる事もなく、
武家を統率するのは不可能で。
0559人間七七四年2016/06/16(木) 00:04:02.90ID:dm8rEAPv
関ヶ原が無ければ、家康は五大老筆頭として豊臣政権下で権力を握るだろうけど、将軍になって自分が天下人になるだけの力を存命中に持つのは無理だろう
0560人間七七四年2016/06/16(木) 05:58:02.09ID:sqhtXW5M
挙兵無しなら上杉討伐はどうなったろ?
三成の動きに関わらず、上杉に難癖はつけたと思うし
0561人間七七四年2016/06/16(木) 18:26:41.05ID:/zYz56bg
>>559
豊臣家執権のような立場で諸大名を威圧しながら
理由をつけて残り四大老を潰すか領地を減らしつつ
三成のようなうるさい官僚を粛正して自分に忠実な者に替えていくはず
加藤、福島あたりが単発挙兵するかもしれないが簡単につぶせるだろう
後は家康の寿命次第だが徳川家が事実上天下人になるには
鎌倉北条氏のように数代かかるかも
0562人間七七四年2016/06/16(木) 19:31:57.17ID:YdszKiS+
>>561
はず
だろう
かも
0563人間七七四年2016/06/16(木) 21:00:35.13ID:CpyNJIi2
>>561
家康は、従った大名に対しては全く減封してないよ。
前田なんかいい例。
上杉や毛利などを潰す前提で語っている時点で既に誤り。
0564人間七七四年2016/06/16(木) 23:31:05.62ID:zKVUiqzX
>>561
徳川を北条に準えてるのが間違い
鎌倉幕府成立時で考えれば、徳川は、足利、小山、結城、三浦を合わせた程の力がある。
北条程の、無理をする必要もなければ、
北条程、苦労する謂われもない
0565人間七七四年2016/06/18(土) 10:31:25.24ID:QnsL0/2x
そもそも家康は無理なんかしていないからな
秀吉が関白を粛清して空位にし、石田・小西が偽講和で朝鮮を泥沼化させる大失態を犯し続けたから
秀吉から請われる形で政権に招聘されただけだ
むしろ家康は朝鮮からの撤退を実現させて奸臣のリストラに着手するなど豊臣を立て直していた
権力に執念を燃やし無理をして謀反を起こしたのは石田側であって家康じゃない
0566人間七七四年2016/06/18(土) 10:59:27.29ID:7eByLUs2
上杉討伐はしただろう
そして取り潰し
会津には結城秀康を入れて大老昇格、清華成
伊達には刈田郡など
最上には庄内
他の参戦大名には蔵入地から恩賞

あとは毛利宇喜多に難癖つければ関ヶ原後とたいして変わらないのでは?
史実より西軍大名が多く残っていても大半は徳川派に靡くだろうから関係なし
むしろ福島や加藤に大領をやらなくて済む

上杉を潰しにかかった時点でほとんど勝負は決まっていただろう
史実よりほんの数年時間がかかったくらいじゃないだろうか
0567人間七七四年2016/06/18(土) 11:00:38.69ID:JzSheGOt
>>565
なら秀吉は何で石田三成、小西行長らを存命中に処罰しなかったんだろうか?
0568人間七七四年2016/06/18(土) 11:16:21.12ID:QnsL0/2x
まだ朝鮮出兵が続いているからだろ
終わったのが秀吉の死後なのだから処罰も秀吉の死後に下すのが当然だろう
0569人間七七四年2016/06/18(土) 11:44:53.37ID:8wU1KqA4
対抗馬を潰して秀吉の遺した五大老五奉行を破壊しにいったのは家康なんですが
0570人間七七四年2016/06/18(土) 11:48:38.54ID:QakI1RqO
秀吉の遺志は本当に合議制なのかという話があって
0571人間七七四年2016/06/18(土) 11:59:20.29ID:8wU1KqA4
>>570
秀吉の遺言では秀頼成人まで五奉行が政務を取って
伏見に家康、大坂に前田を置いて反乱や謀反に対処する体制だぞ
0572人間七七四年2016/06/18(土) 12:03:12.46ID:QnsL0/2x
つまり三成ら奉行が謀反を起こせば家康が鎮圧するのは正当だということ
0573人間七七四年2016/06/18(土) 12:51:07.00ID:QakI1RqO
>>571
五奉行は事務で決済は家康、政策決定は家康と利家が行うというのが浅野家文書にある覚書の内容だったはず
0574人間七七四年2016/06/18(土) 12:52:48.24ID:8wU1KqA4
>>572
秀吉は過去の経験から家臣の一人に力を持たせないためにこいつらに縁辺組ませようとしてる
だから謀反は地方に対してでこの権力分散体制を破壊することじゃないぞ
0575人間七七四年2016/06/18(土) 13:50:16.42ID:WKUubREV
>>574
0576人間七七四年2016/06/18(土) 14:31:11.49ID:UmhlAn7N
五奉行五奉行とはいうが秀吉が名前を挙げたのは前田玄以増田長盛長束正家くらいじゃなかったっけ
三成と浅野長政って遺言で名前が出てきたことあったっけ
0577人間七七四年2016/06/18(土) 15:59:57.40ID:QakI1RqO
早稲田大学所蔵の遺言覚書には五人の奉行とあるが、名があるのは長束正家と前田玄以だな
0578人間七七四年2016/06/18(土) 20:17:34.85ID:U900JeMs
>>574
中央集権を志向していた豊臣政権が、なぜに領邦制に面舵を切る?
コ川家による豊臣政権の中央集権化の方が、
本来目指していた運営体制に沿っている。
0579人間七七四年2016/06/18(土) 22:02:20.25ID:GXy4vGYI
そもそも豊臣だけなんだよな
日本がどうなるかより秀吉の遺言とかその家による政権の維持の方が大事なことのように言われるのって
0580人間七七四年2016/06/18(土) 22:44:13.79ID:RvgTZKDu
秀吉の政権って歴史上特に何も生み出して無いのにな
0581人間七七四年2016/06/18(土) 23:26:45.16ID:m+h6DjxH
>>566
毛利は上杉征伐の前に小早川隆景遺領問題に介入されてる
0582人間七七四年2016/06/19(日) 03:27:23.02ID:S+CIwWjC
>>579
豊臣シンパに多いが徳川の朱子学中心主義は批判する癖に秀長死後悪政続きだった秀吉政権には無償の奉公を求めているのは滑稽至極
「伊達、最上らは徳川恩顧の大名だから将軍家に尽くせ」と言われたら自分達の発言がどれだけおかしいか気付くはず
家康について過剰に持ち上げる徳川シンパはいてもこんな発言した者は今まで見たことがない
0583人間七七四年2016/06/19(日) 03:34:53.37ID:AFgLG4ce
完全に結果論からやけど形だけでも五大老の役は利家じゃなく利長に任せるべきだったな
実務は利家に任せるとしても
0584人間七七四年2016/06/19(日) 03:49:42.85ID:m3NQHJGx
>>583
利家の死後、利長が大老職引き継いでるのだが。
0585人間七七四年2016/06/19(日) 10:12:56.78ID:FxpWARYh
>>583
前田、徳川の二頭立てがしたかったんなら、せめて加賀に加えて越前くらい持たしてからの話だな
(それだって前田が伝説レベルの強者だったとしてだが)
三遠駿に加えての甲信よりは、関八州が見劣りしたとしても、
徳川が飛びぬけた存在なのは間違いない。
それで二頭体制なんか有り得ない。
0586人間七七四年2016/06/19(日) 11:14:23.38ID:hN6i50xs
そもそも五大老五奉行って言っても、ほぼ窓際だった浅野を除いた四大老四奉行が束になってようやく家康の勢力と近郊が取れた程度だしな。
0587人間七七四年2016/06/19(日) 12:30:05.32ID:kk++JdKT
家康とそれ以外では差があり過ぎる。
この現実を無視して、五大老五奉行による合議とか、
真顔で議論する奴はアホとしか思えん。
机上の空論。
0588人間七七四年2016/06/19(日) 14:50:38.08ID:u9ibs5ci
五大老五奉行は10人が協力してやっと日本が統治できるという体制ではなく
統治するだけなら家康一人で十分だけど
家康一人で政権をまわしたら徳川政権になってしまうから
他の9人で一生懸命に家康の足を引っ張りましょうという体制だからな

現実的に10人いる必要がなく他の9人をどれだけリストラしても統治機能上は問題ないというのでは
こんなシステムを維持できるわけがない
0589人間七七四年2016/06/19(日) 15:49:51.37ID:tFUQBsWy
家康の足を引っ張るどころか豊家の足を引っ張るとはwww
0590人間七七四年2016/06/19(日) 18:33:25.26ID:etP8bvfm
本当に不要だからなぁ、他の9人w
0591人間七七四年2016/06/19(日) 18:35:05.59ID:D4uL0z93
なにしろ自国運営どころか家臣の統率すら疑わしいのが9人の中に混ざってるくらいだしな。
0592人間七七四年2016/06/19(日) 19:15:07.41ID:3mP/35rn
大老奉行制は誓紙に書かれた最優先事項の勝手な縁組を
家康が破った時にこそ実行すべきだったし実際にした
四大老四奉行が一糸乱れぬ結束をもってすべての権限を奪う
それによって戦に持ち込めるか持ち込めずとも家康の力を
削げるだけ削いでおかなければならなかった

それを三成が頓挫させたから豊臣家を潰した張本人と叩かれたわけか
0593人間七七四年2016/06/19(日) 19:23:38.31ID:88/2InmQ
縁組の件もバカ正直に守ると適齢期を過ぎる大名の子女問題が発生するよね。
まあ秀頼命の秀吉には関係ないことだろうけれど、みんなたまったもんじゃないよね。
0594人間七七四年2016/06/19(日) 19:25:43.19ID:D4uL0z93
>>593
そもそも当代の天下人"ごとき"にそんな権限が本当にあるとでも思ってたのかと。
0595人間七七四年2016/06/19(日) 19:30:10.81ID:q80wrGwY
大名同士の縁組は秀吉の許可取れよっていう決まりを
秀吉の死後どうするか決めてなかったのが混乱の元だからなあ
しかもこれも秀次事件の影響でできたルールだし
0596人間七七四年2016/06/19(日) 19:40:03.40ID:3mP/35rn
利家は病気になる前からさんざん三成に
「家康は殿下の死後必ず天下を狙う」としつこく嘆願されていたが
んな事お前に言われなくても知ってるわという心境だったし
だからって前田家だけでどうにかするには徳川は強大すぎる
俺一人を焚き付けてるヒマがあったら
加藤や福島たち武断派大名の信頼さっさと取り戻せや
みたいに思ってたのかな
0597人間七七四年2016/06/19(日) 20:22:49.23ID:D4uL0z93
>>596
むしろ「俺を頼るとかバカじゃねえの」と内心嘲笑ってたんじゃないかね。
そもそも損得計算の結果として柴田勝家を裏切って秀吉配下になった男なんだぞ。
0598人間七七四年2016/06/19(日) 20:52:48.30ID:88/2InmQ
5人の年寄りの中で実力がある相対的に一番信用できる大名が家康だったと考えるべきなのかな
0599人間七七四年2016/06/19(日) 21:09:46.38ID:tFUQBsWy
>>597
家康排除して俺が天下に号令かけると思ってたろうに。
0600人間七七四年2016/06/19(日) 21:19:57.59ID:SUyILvdO
>>599
そんな高尚な人間じゃねえよ利家は
0601人間七七四年2016/06/19(日) 21:31:19.08ID:GicE8O5g
今だと家康は狸親父イメージあるけど
関ヶ原当時ぐらいなら世間的には律義者扱いだろ
0602人間七七四年2016/06/19(日) 21:47:06.55ID:u9ibs5ci
そもそも当時の家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らしたこともなければ
大坂にいる豊臣の人質を自分の管理下に置こうとしたこともない
それどころか会津征伐をはじめ重要な政治決定は全て秀頼に事前報告して許可を取るなど秀頼重視主義を取っていた
むしろ三成たちの方が自分たちだけでなんでも決められる、豊臣の財物・人質・秀頼の身柄をは全て自分たちの管理物だという態度を見せて
秀頼軽視主義を取っていた
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