石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net
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0001名はまだ無い
2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?
語り合いましょう!
0033人間七七四年
2016/04/09(土) 16:30:11.01ID:iZ86vAl3やはり秀長が死去した頃じゃないかな。
あの時期に前後して妹、母親、鶴松と家族の死去が相次いだからな。
三好長慶も弟、息子の相次ぐ死去でおかしくなったし。
0034人間七七四年
2016/04/09(土) 17:24:51.42ID:QI0QBJQ6秀長の生前から残虐性を露わにしてましたが?
ボケたのではなく、最初からサイコパスで、
権力が強まるに従って衝動を抑えなくても通るようになっただけでしょ
0035人間七七四年
2016/04/09(土) 20:01:38.56ID:oZtl3Gp3家康が最初から裏で弾いていたように見える
0036人間七七四年
2016/04/09(土) 20:19:44.57ID:F+VCf6hT0037人間七七四年
2016/04/09(土) 23:58:30.83ID:DUOX0F7T三成たちがあまりにも無能であるため関白継承や海外遠征で失敗を繰り返しただけ
だから秀吉は仕方なく建て直しのため家康を筆頭大老として政権に招聘した
招聘された家康が失敗を繰り返した無能奉行たちをリストラするのは当たり前であり
家康に天下の野心があるかどうかなんて次元以前の問題だろう
関ヶ原なんて単にリストラされた無能官僚が地位にしがみつこうとして
慌てて忠臣気取りを始めて起こした謀反でしかない
0038人間七七四年
2016/04/10(日) 10:57:43.91ID:7Pvyqyt4三成は単なる雇われ官僚でしかないからな
兵站も講和交渉も失敗して現場からの評価も最悪ならリストラされるのは必然といっていい
それなのにリストラが気に食わないからとやったこともない忠臣のふりをして武力で返り咲きを企てるのだから
三成こそ豊臣を腐敗させる病原菌であるのは間違いない
0039人間七七四年
2016/04/10(日) 11:15:59.22ID:PRHDyCCeその結果だけを見れば忠臣だわな
少なくとも福島正則よりは
0040人間七七四年
2016/04/10(日) 11:34:31.70ID:5cTRIzIDA.家康が豊臣家を滅ぼしたという結果
B.三成が豊臣家にとっての忠臣が否か
AとBとの間には何の関係もありませんが
0041人間七七四年
2016/04/10(日) 11:49:12.82ID:PRHDyCCe↓
勝った家康はその後豊臣家を滅ぼした
↓
その結果から遡れば家康を打倒しようとした三成は忠臣
一般的にはこういう見方が多いでしょって話ね
三成も野心があったかもしれないし、三成が挙兵しなければ家康が天下を狙うこともなかったかもしれないけど
逆に家康がその後豊臣家を盛り立てていれば、三成が忠臣という評価はなかっただろうなと
単なる謀反人扱いだっただろう
0042人間七七四年
2016/04/10(日) 12:17:44.44ID:7Pvyqyt4自分で勝手に豊臣家のためとか言って暴れだすのは忠臣でもなんでもなくただの謀反人
末期の三成に対して豊臣が制御を失っているのは明らかであり
三成に対して忠臣だと評価しているのは忠臣の意味を正しく理解していない人間だよ
0043人間七七四年
2016/04/10(日) 13:40:36.44ID:+kk93xBH秀頼が行政権を持って、政権を運営する事なんか不可能だろ。
結局お飾りになるんだから、政権を安定させられるのは誰かという話。
三成の挙兵は明らかに豊臣家の地位を下げた。
家康に後事を託した秀吉の判断は正しい。
0044人間七七四年
2016/04/10(日) 13:51:29.83ID:jY3T7igS0045人間七七四年
2016/04/10(日) 14:04:02.39ID:+kk93xBH三成信者の根は、秀吉死亡からスタートし豊臣家滅亡という結果論で導かれる。
秀吉生前の対家康方針は全く無視する。
秀吉生前の動きを踏まえて遺言状を読めば、その意図するところはアホでもわかる。
遺言状だけを切り取って、大老奉行制を解釈しようとするから無理が生じる。
まぁ、昨今は西軍贔屓しないと本が売れないからねぇ(笑
0046人間七七四年
2016/04/10(日) 14:43:01.09ID:7Pvyqyt4豊臣家を盛り立てるという意味で言えば西軍蜂起前の状況こそ理想だったんだよな
家康は秀頼を抱きかかえて威張り散らしたこともなければ大坂の豊臣の人質を勝手に自分の管理物にしたこともない
むしろ会津征伐を含めて重要な政治決定は全て事前に秀頼に報告して許可を貰うという形式を守っていた
この時点の豊臣は文治派が騒ぎを起こす以外は政権誕生以来の最も安定した状況で秀頼の立場も尊重されていた
よく三成信者が言うような家康が一人で好き勝手にやりたい放題をやっていたわけではなったのに
それを三成たちが自分の地位が守られないからと武装蜂起して豊臣の安定体制を破壊してしまった
家康がその後豊臣家を盛り立てていればと書いている人がいるけど
家康が豊臣家を盛り立てていた体制を無に返したのが三成なわけで
結果論から忠臣だと評価することさえも問題だろう
0047人間七七四年
2016/04/10(日) 14:57:24.56ID:BmbO3Q920048人間七七四年
2016/04/10(日) 15:20:22.26ID:A6+DuLDd然り、然り
まあ、関ケ原以前の家康の政権構想は、豊臣関白家下の徳川執権体制くらいが
せいぜいだったろうに。リストラ官僚の三成と外様の毛利たちが騒乱を起こしたおかげ
で天下を取ったのはいいが、天下統治のヴジョンが無かったので、幕府システムによる
統治を思いつくのに3年もかかった上に、武家諸法度や公家諸法度を発布するのに15年
以上も時間を費やした事実を見ても、小説でよく関ケ原以前から政権奪取の構想があった
みたいに家康を持ち上げられてるが噴飯物の話だな。
0049人間七七四年
2016/04/10(日) 15:30:26.94ID:jY3T7igSとはいえ、「三成は秀頼様を殺害しようとしている」という主張は誰もしては無いですよね?
0050人間七七四年
2016/04/10(日) 16:21:12.04ID:+kk93xBH謀反の意味をよく調べてみるといい。
三成の挙兵は、当時の法・制度に照らして謀反に該当する。
蜂須賀書状や、松井書状でも、これを謀反とみなしている。
実際、豊臣家も三成挙兵に正当性を持たせていない。
0051人間七七四年
2016/04/10(日) 16:47:26.65ID:aqjY4KvB三成のせいで後に秀頼自身が主張しても「はぁ?お前何言ってんの?」「こいつだめだ…」という政情になってしまった
0052人間七七四年
2016/04/10(日) 18:27:05.16ID:A6+DuLDd同意
幼君(7歳)秀頼補佐=司馬懿ポジションの家康を弾劾するのは無理筋
成人(15歳)秀頼補佐=曹丕ポジションの家康なら弾劾できたのにね。
たった8年が待てなかった三成に豊臣家忠臣と名乗る資格はない。
0053人間七七四年
2016/04/10(日) 18:43:17.34ID:+kk93xBH政権の構造と、挙兵による豊臣家へのマイナス効果が予見出来ないはずがないんだよね。
忠義で挙兵したのなら、実は恐ろしくバカという事。
関ヶ原の三成において、忠義と有能は並立しない。
0054人間七七四年
2016/04/10(日) 19:07:50.99ID:NWbo9MtS徳川史観においてはなぜか関が原で謀反人を懲らしめた忠臣扱いされているんだが
失笑せざるをえんw
0055人間七七四年
2016/04/10(日) 20:51:52.62ID:NnD5xHsJ0056人間七七四年
2016/04/10(日) 20:52:41.53ID:c5tkL/OI家康は長らく独立した戦国大名だったわけで。
豊臣家とは敵国として争った過去があり、家臣だった期間も短い。
豊臣家の忠臣であるべき理由が全くないわな。
全国の大名、一家残らず不忠という事でw
0057人間七七四年
2016/04/10(日) 20:59:27.21ID:A6+DuLDdそれは結果論だろ。
仮に家康没後に大坂の陣が勃発して秀忠が秀頼を滅ぼしたら
関ケ原の家康は、官渡の戦い後の曹操や五丈原後の司馬懿と同じポジション
だから豊臣家の大忠臣と称賛されてるよ。
阿保の大阪が、家康が死ぬまで我慢できずに開戦したおかげで晩節を汚された
家康こそ、いい面の皮で気の毒だよ。
まあ、おかげで秀忠が簒奪者の汚名を被らなかったわけで、大坂様様だろうね。
0058人間七七四年
2016/04/10(日) 21:51:31.13ID:2Hf/dPxE0059人間七七四年
2016/04/10(日) 21:51:48.47ID:7Pvyqyt4三成が優秀な人材というのも怪しいな
三成は現場と協調して仕事するタイプではなく秀吉の権威を振りかざして押さえつけるタイプなので
秀吉から海の彼方に離れた朝鮮や秀吉死後の関ヶ原だとトラブルまみれで組織を空中分解させてしまう
三成が優秀でいられるのは絶対的なパトロンがすぐ近くで全面的に支援してくれる特殊な状況下だけだ
豊臣政権が誕生した当初は秀吉の権威を諸大名に叩き込む必要があるので
1580年代までなら三成のような人材は必要悪といえなくもないが
1590年代に入ると三成は優秀どころか単なる問題児でしかなくなる
まして秀吉死後だったら三成なんて真っ先にリストラしなければいけない足枷だよ
三成がとても優秀な人材とは呼べないことは間違いないだろう
0060人間七七四年
2016/04/10(日) 21:59:37.08ID:MpXx0guvとりあえず上杉は潰す
前田は屈服済み
残るは毛利と宇喜多
三成の考えとしては、上杉と同じように順番に倒されていくと考えて
それなら今のうちに勝負をかけようとして決起した
三成を忠臣と考える人もおそらくそうだろう
もちろん結果的にはむしろ邪魔物を一度に弱体化できて、徳川が天下を狙う助けになったわけだけど
逆に徳川よりに考えると、三成が決起したから天下を狙えそうになって、だからそもそも豊臣の家臣ではないことでもあるので、豊臣も滅ぼして天下をとっただけ
三成が決起しなければ、豊臣政権下で徳川が実権を握る形になっていただろうから、三成こそ不忠という考えか
0061人間七七四年
2016/04/10(日) 22:11:12.97ID:RN9xGnsG徳川家の存続のためには政治の主導権を握るしかなかった
なぜなら徳川家は豊臣政権で突出しており
足利政権で六分の一殿と呼ばれた山名氏が粛清されたように粛清される
あるいは蒲生や丹羽のように家康亡き後大幅に勢力削減される可能性もある
秀吉存命中は個人的な関係で良かったけど、秀頼成人後や豊臣官僚が実権を握った状態だとどうなるか分からない
あくまで自衛のためにやってきた結果、豊臣家を滅ぼせる状態になって
それなら死ぬ前に滅ぼしておこうと判断したのだろう
0062人間七七四年
2016/04/10(日) 22:17:44.63ID:4mUbjDeJ部下にはされるだろうが
天皇家にとっては到着してくれなくて良かった
0063人間七七四年
2016/04/10(日) 23:11:40.81ID:jIumv0kPそもそも既に三成は隠居してるので、国政に口出そうとするのはお門違い。
屈服した前田は国政への発言権を失ったが、減封など経済的なペナルティは一切受けていない。
列強(大老)が並立するより、徳川一強の方が政権運営が安定するのは当たり前。
実際、西軍のまとまりのなさは史実が証明している。
家康が私腹を肥やしていない事もあり、天下安寧の見地に立てば、
家康による他大老の弱体化は正しい。
0064人間七七四年
2016/04/10(日) 23:13:09.66ID:2SNGH85W0065人間七七四年
2016/04/10(日) 23:16:54.38ID:jIumv0kP言わなくてもわかると思うけど。
0066人間七七四年
2016/04/10(日) 23:18:25.71ID:BmbO3Q920067人間七七四年
2016/04/10(日) 23:39:45.09ID:NWbo9MtSだからこそ良心の呵責とかいったものから逃れるためなのか
主筋を攻め潰す事の是非を学者に諮問したりしたのだろう
秀忠が豊臣家を攻め潰す事はたぶんできない。
家康が死ぬと急速に徳川家の力は衰えるだろうし、秀頼の天下になると
いう落首もあるがおそらくそうなると家康は考えたと思う。
秀忠個人も12歳の時、豊臣家に人質に来た際、秀吉夫妻に可愛がられて
いるのもあり、家康のような決断はできるかどうか疑問がある。
史実でも秀忠は上洛の際にはまず京都新城にいた高台院を訪ねているし。
0068人間七七四年
2016/04/10(日) 23:57:45.17ID:ZNtSBhwa0069人間七七四年
2016/04/11(月) 00:03:53.40ID:fsfzbRz3秀忠は政治的判断を行う際は非情に徹するタイプだぞ。
それに高台院に思い入れはあっても淀に思い入れはないだろう。
千姫に対しても家康の命で輿入れした時点で、娘ではなく豊臣の
嫁って切り捨ててるくらいだし・・・・・
家康没後、徳川弱体化説は神君神話に過ぎないんじゃないかな。
むしろ諸大名の秀忠の発言に対する信頼感は家康以上だし、
やすやすと徳川が弱体化するとは思えないな。
秀忠にとっての平八郎とも言うべき西国無双がいるのを忘れたら
いかんでしょう。
0070人間七七四年
2016/04/11(月) 00:11:29.83ID:fsfzbRz3西国無双のコミュ力だけで黒田、細川、島津、伊達、加藤が徳川に付く可能性がある。
これらの連中が徳川に付いたら毛利、福島、前田が大坂方につく可能性は皆無。
その西国無双を忠犬として使いこなした秀忠をあまり馬鹿にしない方が良いと思うよ。
0071人間七七四年
2016/04/11(月) 00:18:41.65ID:84y0fQb1そういう狂歌がでたのはいわば秀忠の器量や人望に疑問符があった事の裏返し
まぁ遠因は関が原遅参なんだろうけど。
家康が死んでも秀忠が政権を維持できたのは一番害になる主家を滅ぼしたからだと
思うわ。
0072人間七七四年
2016/04/11(月) 00:34:13.54ID:IzUsD3El家康は秀忠に不安があるから自分が生きてる内に豊臣を滅ぼした
この2つどちらか1つなのに三成派と秀頼派が指摘し合わないのがズルい
0073人間七七四年
2016/04/11(月) 00:56:58.56ID:5rExa2St意味わかんね
0074人間七七四年
2016/04/11(月) 02:26:58.53ID:orRjJrnd0075人間七七四年
2016/04/11(月) 03:27:43.12ID:IzUsD3El三成を正当化する人は前者を、秀頼を悲劇の二世扱いする人は後者みたいなことをよく言うけどこの2つは両立するの?
広義の豊臣信者だからって相容れない存在を無視するのは卑怯だろ
0076人間七七四年
2016/04/11(月) 05:17:01.48ID:I64mVVBd良くも悪くもここのところの腐人気を面白く思わない層がアンチ三成のようになってしまって同じ議論の堂堂巡りしちゃってるな
0077人間七七四年
2016/04/11(月) 05:22:48.65ID:I64mVVBdそんなもん誰にだって敵がいるんだから意味ないよ
0078人間七七四年
2016/04/11(月) 08:06:49.41ID:95yWDLmK0079人間七七四年
2016/04/11(月) 09:26:58.47ID:cBXtU/bu手柄は無いが主君に気に入られて、周りからは嫌われてる文官のリーダー
しかし決定的な違いは、こいつは引くべき所は引くという判断が出来なかった
領地や重職を固辞するとか
だから身も主家も滅ぼした
0080人間七七四年
2016/04/11(月) 11:30:42.08ID:TjX538K8本多正信より息子の正純がしっくり来ますわ。
0081人間七七四年
2016/04/11(月) 15:31:17.94ID:TjX538K80082人間七七四年
2016/04/11(月) 15:46:10.46ID:TaDf9Q5R石田三成CM<第一弾>
https://www.youtube.com/watch?v=Bp_JCOWYorA
石田三成CM<第二弾・総集編>
https://youtu.be/yAaNoci3_FQ
0083人間七七四年
2016/04/11(月) 16:13:01.33ID:TjX538K8それは、そう言わないと売れないからでは? 誰が奸臣だと言われた奴のもの買います?
0084人間七七四年
2016/04/11(月) 18:05:44.05ID:gkFbQgWXまあそろそろ再評価されてもいいかもな
関ヶ原の主役の一人なんだから小物なわけないだろうに
0085人間七七四年
2016/04/11(月) 18:21:56.82ID:Q1AzYL25ざっと思いつくだけで内政方面だけでも関わった仕事は
兵站業務・検地・取次(佐竹・島津・相良など)・対明交渉・軍監の統括・蔵入り地の管理・博多の復興とかか
全部一人でやってるわけじゃないにしろ人並み外れた働き者なのは間違いないな
成功してる(博多復興や検地)のも
失敗してる(対明交渉・島津や相良の取次)のもあるけど
秀吉が命じた仕事だろうし失敗してるのは誰がやっても難しかったろうから仕方ない
ただ理由はどうあれ家康を排除すべく行動を起こした結果
結局自分で状況をコントロールできず大爆死したんだからやっぱり評価は下がるなあ
無能だとは思わないけど策士策に溺れた感
0086人間七七四年
2016/04/11(月) 19:15:25.96ID:Ji5PEkzU秀頼はスクスク成長して親父なきあとの秀忠をひざまずかせてただろう
0087人間七七四年
2016/04/11(月) 20:28:39.02ID:Z2R6D0WM将軍になるまでは家の事だけで、天下自体考えて無かったと思う
そんな家康にたかが政権争いの為に、名目で豊臣を担いで大戦吹っ掛けた三成がイカれてる
60近いジジイ、刺激せず適当に余生満喫させてりゃ良かった
0088人間七七四年
2016/04/11(月) 21:46:40.98ID:9ODn4jx5速やかな撤収の決断に加えて現場とトラブルを繰り返した官僚のリストラを進め
少し間をおいた後に新しい地方遠征事業によって諸大名の記憶をリセットさせる必要があった
また豊臣の長期的な課題は安定体制の樹立にあり
豊臣と徳川の合体を勧めて毛利・上杉といった地方の大大名の領地を削る必要があった
こうしてみると家康は短期的にも長期的にも豊臣を立て直す改革を完璧に進めていた
三成が己の地位保全に固執して謀反を起こして豊臣の改革をぶっ潰しただけであり
家康が非難されるいわれはまったくないといえる
0089人間七七四年
2016/04/12(火) 00:18:44.49ID:3PkPCG4Kその関ヶ原の中心人物だから大物という考え方は三成の問題よりも戦国ブームと言いつつ関ヶ原大坂ブームになってた影響かなあ
家康は関ヶ原無しで将軍にならずとも十分大物だった
0090人間七七四年
2016/04/12(火) 04:11:13.00ID:GE1/wcB3秀吉の失策の多くを三成の責任にされてたところあったけどだったら成功した政策にどれだけ関わってたのかと
0091人間七七四年
2016/04/12(火) 06:51:05.37ID:o3mVKeXr利家が生きてて勢力が均衡してる間は安定してた
0092人間七七四年
2016/04/12(火) 08:04:09.56ID:E6bdAyU50093人間七七四年
2016/04/12(火) 08:51:08.20ID:XYTxPFkI朝鮮で非戦闘の身分で、秀吉のお気に入りを利用して、嫌いな大名を上に讒言し左遷しまくって家中の争いを作った
思えば関ヶ原で豊臣を担ごうとしたのも、そういう面があったんだろうな
朝鮮でだって家臣同士のいさかいを、上の名前借りて優位に話を進めてた奴だし
まあもっと原因を辿るなら朝鮮出兵なんてした秀吉なんだが
0094人間七七四年
2016/04/12(火) 11:25:35.92ID:5DVrxhlZそもそも石田三成って本当に融通の利かない嫌われ者なのかと
佐竹や眞田とは昵懇、伊達からは浅野との仲裁を頼まれてる。また本多忠勝とも交流があったらしい
関ヶ原に至る過程でも、福島正則を説得することは可能と踏んでいたことが書状から読める
なお福島正則が東軍として好戦的にふるまったのは、向背不分明を自覚していたからだろう、この点で三法師殿は反対側の陣営でそれを自覚していたため、三成の目付にいいところを見せようとはやった可能性が高い
0095人間七七四年
2016/04/12(火) 12:38:57.40ID:S5kHWBEA親族や友人知人を厚遇してそれ以外の人間に蛇蝎のごとく嫌われる
出頭人によくあるパターンだけど身贔屓をしすぎたんだろうね
0096人間七七四年
2016/04/12(火) 13:20:43.10ID:MwNR/jpxよく三成ファンは徳川による貶め、情報操作とか言ってるが。
0097人間七七四年
2016/04/12(火) 13:38:29.27ID:D4z+FZKC狸が勝手に婚姻政策やり出すから怒るのも当然 遺言違反 そら怒るわ 彼こそ豊臣の忠臣
0098人間七七四年
2016/04/12(火) 13:48:03.59ID:oLYkpmN9家康のやり方に不満を持ってたのは三成だけじゃないわな
0100人間七七四年
2016/04/12(火) 14:18:04.20ID:BQQz+Qk1それについての反対派の中心だった前田利家も、最終的には家康の言い分を認め和解している。
0102人間七七四年
2016/04/12(火) 14:45:15.87ID:oLYkpmN9自分だけ有力大名と関係を結べば
反発されるのは仕方ないわな
0103人間七七四年
2016/04/12(火) 14:48:17.81ID:Qpj8eYEMあの場は何が何でも隠忍自重するべきで、好機が来るのを待つのが得策なのに。
0104人間七七四年
2016/04/12(火) 14:55:20.44ID:BQQz+Qk1つもりだった、という説が出てきてて(関ヶ原当時の上杉領内で、上杉征伐軍を防ぐための防御施設等の遺構が
一切発見できないらしい)
だとすると三成は、上杉征伐を成功させて家康がさらに強大化するのを防ぐためにあのタイミングで挙兵した
可能性がある。
0105人間七七四年
2016/04/12(火) 15:15:47.87ID:Qpj8eYEM遺構は破壊したのでは?
井伊直政も家康の命令で石田三成につながるものは破壊している。
会津藩は徳川親藩と縁戚ばかりが入ったから壊し尽くした可能性もあると思う。
0106人間七七四年
2016/04/12(火) 15:18:07.67ID:l4Cz8lAI後世の創作なんだよなあそれ
0107人間七七四年
2016/04/12(火) 15:23:57.00ID:BQQz+Qk1破壊しても発掘すれば痕跡は出てくる。昨今の考古学的な調査で、関ヶ原の時の上杉軍の遺構と
思われていたのが、実は江戸時代や明治の戊辰戦争の時のものだと判明したそうな。
0108人間七七四年
2016/04/12(火) 15:50:23.31ID:26ga59wvしかも養子ではなく直系で。
他大名と勝手に婚姻施策を進めようと、正直些細な話としか思えん。
むしろ三成等の方が揚げ足とりに見える構図だな。
0109人間七七四年
2016/04/12(火) 15:56:57.47ID:qA9/dLzR豊臣家の臣下とはいえ、もともとは秀吉に一から取り立てられた大名でもないしな
少なくとも執権北条氏のようなポジション、あわよくば簒奪してやろうくらいは最初から普通に考えてたんじゃないかな
執権北条氏が頼朝の死後に次々と政敵を倒していったように、家康もチャンスが来たとばかりに潰しにかかったんだろう
もし家康がやらなければ何十年後かに徳川が潰されるかもしれなかったから
0110人間七七四年
2016/04/12(火) 16:34:40.95ID:BQQz+Qk1完全に徳川独自の政権だからなあ。だからこそ二重公儀論なんてものも出てくるわけで。
当初の徳川幕府はそれこそ初期鎌倉幕府のようなもので、鎌倉幕府が朝廷と併存していたように、
豊臣政権との併存も十分可能だと考えていただろうよ。
0111人間七七四年
2016/04/12(火) 17:04:43.19ID:d6PxLfRL0113人間七七四年
2016/04/12(火) 17:45:45.80ID:pJ57+r1G0115人間七七四年
2016/04/12(火) 20:38:11.27ID:pJ57+r1G0116人間七七四年
2016/04/12(火) 21:09:04.57ID:Qpj8eYEM書いてるじゃないか。
0117人間七七四年
2016/04/12(火) 21:12:49.63ID:BQQz+Qk1いやだからその他多くの本の中の一つじゃん。出版もその他多くと一緒にだし、
家康が特に吾妻鑑を愛好した証拠なんて一切ないっつーの。
0119人間七七四年
2016/04/12(火) 22:18:20.57ID:BQQz+Qk1そもそも>>115に出ているのは当時の基礎教養の書籍で、端的に言えば「読書好きだよ」と言っているに過ぎない。
そして、例えば家康は四書五経の講義は何回も受けているが、吾妻鑑については1,2回程度しか記録がない。
こういったこと以外でも、家康が殊更に、他の書籍以上に吾妻鑑を重視したという記録や出来事は一切存在しない。
よて家康が吾妻鑑マニアだったというのは後世の創作である。
0121人間七七四年
2016/04/12(火) 23:16:25.40ID:BQQz+Qk1そりゃ吾妻鑑の権威を上げようとして書いたもんだろ。事実として家康が吾妻鑑愛好家だったという記録はない。
0122人間七七四年
2016/04/12(火) 23:34:05.12ID:F413IrA/0123人間七七四年
2016/04/12(火) 23:40:07.89ID:bu7qi/Fk本の帯にある作家や芸能人の推薦文みたいなもんか
0124人間七七四年
2016/04/13(水) 00:16:05.18ID:3ZrcVuSdそうかな?
三成以外で家康の政務に強い不満があったのはそれこそ三成の派閥舎弟連中くらいじゃないか?
真田は家康の大老としての政務とは別の次元で仲が悪いだけだし
輝元は言うことやることが支離滅裂なだけなので参考外だろう
そもそも三成と派閥舎弟以外に本当に不満がある奴が少ないから西軍があっさり消滅したわけだしな
0125人間七七四年
2016/04/13(水) 00:19:25.44ID:LLY9mGOS間違いない
0126人間七七四年
2016/04/13(水) 01:32:50.64ID:ExN0EGKG不満がなきゃ家康暗殺の風聞が流れたりしないし
西軍にあそこまで加わらないわな
0127人間七七四年
2016/04/13(水) 02:15:19.96ID:5Bvo0o9n0129人間七七四年
2016/04/13(水) 07:28:40.57ID:ExN0EGKG三成天才すぎだろ
0130人間七七四年
2016/04/13(水) 07:37:06.46ID:MsJ/Lpq1三成が天才って。
確かに事務処理能力は誰よりも天才だったでしょうが。
0131人間七七四年
2016/04/13(水) 10:05:58.48ID:Iim7BD1h■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています