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関ヶ原合戦の真実 Part2 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/01/26(火) 20:21:57.57ID:FPbCvk/k
1600年9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。

前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
0002人間七七四年2016/01/27(水) 09:00:16.04ID:FRemmpbZ
新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い
白峰 旬 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4863669283
0003人間七七四年2016/01/27(水) 09:02:22.00ID:FRemmpbZ
>>2
関ヶ原合戦にはよく知られたおなじみのエピソードが多い。
しかしそれを歴史的に検証するとどうなのか?
本書では一次史料を用い、小早川秀秋への「問鉄砲」はフィクションであり、
小早川秀秋は開戦と同時に裏切り石田三成方は瞬時に敗北したこと、
家康の小山評定は歴史的事実とは言えないことなどが、次々に検証されていく。
生駒利豊書状の真に迫る白兵戦のすさまじい描写、細川忠隆の首注文史料の数字が語る実戦の具体性も
本書の見どころである。

【序章】関ヶ原合戦はどう語られてきたのか―江戸時代に誕生した関ヶ原合戦像?
【第一章】関ヶ原合戦当日の虚像を剥ぐ?【第二章】関ヶ原合戦以前の通説を正す
【第三章】小早川秀秋を裏切らせた「問鉄砲」はフィクションである
【第四章】『日本戦史』の布陣図に歴史的根拠はない?【終 章】すりかえられた天下取りの戦い
0004人間七七四年2016/01/27(水) 09:56:44.87ID:JWYs2tfZ
『関ケ原前夜』光成準治は良書だったな。
0005人間七七四年2016/01/27(水) 10:36:15.46ID:1J0SxBdm
>>2-3
『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』は名著なのですか?
0006人間七七四年2016/01/27(水) 21:33:58.26ID:bhyK0Sqw
関ヶ原合戦と石田三成
矢部 健太郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4642064583
0007人間七七四年2016/01/27(水) 22:31:30.95ID:TTCISsd4
関ヶ原合戦の研究本、関連本の紹介スレか、ここは
0008人間七七四年2016/01/28(木) 14:17:27.21ID:S4/bJmss
>>6
著者の矢部健太郎ってどういう人なんですか?
0009人間七七四年2016/01/28(木) 14:54:54.86ID:orldLVCS
>>8
三成大好きマン
0010人間七七四年2016/01/28(木) 22:00:51.29ID:3AQGeY4K
天下分け目の戦いという言葉で勝った家康が天下を狙っていたように思われがちだが
実は権力を我が物にしようとしていたのは三成の方で
家康は三成に狙われたことに気付いてから味方を集めて基盤を固めようとしたに過ぎなかったという考えは新鮮だった
0011人間七七四年2016/01/28(木) 22:17:24.48ID:GRZeNs8D
>>6
この人、秀次は秀吉に切腹させられたんじゃなくて
自決したって主張してる人でしょう
0012人間七七四年2016/01/29(金) 13:34:44.35ID:uuuvY/qx
言うほど家康は簒奪しようと思ってたとは思えないし、三成が豊臣家のために戦っていた様にも思えない
0013人間七七四年2016/01/29(金) 19:50:58.85ID:dcq/G7nk
家康にも野心はあっただろうがどうせ俺が取らなくても他の奴が取るしな状況だったからなあ。
徳川幕府が毛利幕府になるか前田幕府になるかそんぐらいの違いでしかない。
0014人間七七四年2016/01/29(金) 20:22:08.15ID:XhPXym2u
真面目に当時の日本で天下を采配でたのは家康だけだから、
それ以外は全て戦国乱世に逆戻り
0015人間七七四年2016/01/30(土) 01:29:05.78ID:tbFoTAqY
役者的に家康は勝てば天下、三成は勝てば豊臣家政権を専横ってだけで中身は変わらない
0016人間七七四年2016/01/30(土) 07:34:38.47ID:i4DULEMM
家康がいないと豊臣政権即座に崩壊するのだが
0017人間七七四年2016/01/30(土) 10:11:46.48ID:uo0MpSQf
石田三成が勝っても豊臣が存続できたかはかなり微妙ではないかな。
0018人間七七四年2016/01/30(土) 10:22:55.43ID:mX4mY3MG
豊臣家は当面存続できるんじゃない。
豊臣政権は延々と権力争いが続くgdgd政権になりそうだし
0019人間七七四年2016/01/30(土) 10:40:29.02ID:i4DULEMM
>>18
全員がそっぽを向いて雲か霞のごとく消え去りそう
0020人間七七四年2016/01/30(土) 10:57:03.10ID:4oyBpEpL
西軍の主戦力は海千山千の外様大名達だからな。
秀吉の死はチャンス到来だったであろう面々。
家康中心の豊臣政権とかやめて欲しかったろうな。
三成はその外様大名達を利用して内戦起こしただけだろ。
なんで西軍が豊臣家の忠臣達になるのか意味不明。
0021人間七七四年2016/01/30(土) 13:25:20.23ID:a9HIOi4t
まぁ三成はあのまんまじゃ政権から追い出されて消えるだけだったから
分が悪くとも賭けに出る理由はあったと思う
0022人間七七四年2016/01/30(土) 13:25:25.26ID:+1ffKzvX
確かに西軍大名を見ると豊臣古参といえる大名はいないし
信長時代から同僚として秀吉と関係していたような大名も皆無といっていい
つい最近になってから豊臣に来たような新参者がほとんどなのに
豊臣を守ろうとしている忠臣なんて言われても説得力がない
豊臣家本体の支援がまったくなかったのも長年忠義を尽くした実績がないのだから当然だろう
0023人間七七四年2016/01/30(土) 14:45:09.45ID:iutIMJDl
そもそも豊臣自体が織田に義理を尽くしてないのに
その豊臣に義理を尽くす道理がない
秀信に十三万石と中納言でお茶を濁したんだから
65万石(実際はもっと多かった)+右大臣の秀頼なんてかなり厚遇されてるよな。
0024人間七七四年2016/01/30(土) 17:43:01.07ID:h+tQPsDY
北政所が秀吉死後は豊臣家の天下は一代限りと見ていたというのは真実だろうか
0025人間七七四年2016/01/30(土) 23:01:26.38ID:P0D3+ut1
北政所は東軍支持だったのと同じくらい根拠の薄そうな話だね
0026人間七七四年2016/01/31(日) 12:06:22.81ID:d6YM0rBI
何の権力もない北政所がどちらを支持しようが戦には何の影響もないんだが
なぜか過大評価されて自分で支持勢力が選べて軍を集められるかのように扱われているね
関ヶ原で最も過大評価されているのは間違いなく北政所だろう
0027人間七七四年2016/01/31(日) 17:07:16.50ID:OsCk+XVC
あの人、関ヶ原当時は政治に積極的に関わる気ナッシングでしょ
大阪占拠した西軍に乞われたから仕方なく大津城の開城とかに協力しただけで
ただ名前の利用価値はあったからどっちの陣営も担ぎ出そうとするわな
0028人間七七四年2016/02/01(月) 11:27:31.22ID:Al+N2U2s
強いてどちらかといえば西軍寄りな気がするね
0029人間七七四年2016/02/01(月) 12:45:42.96ID:nJTWzDsi
大阪に近い京都に住んでて容易に脱出なんてできないから自分の身の安全を考えれば西軍よりにならざるを得ないよね
0030人間七七四年2016/02/01(月) 13:28:48.62ID:+i2sW3z0
それなのに西軍よりの立場が明確ではないのは積極的に西軍に加担する気はなかったということやね
0031人間七七四年2016/02/01(月) 15:44:25.31ID:yT9JqvLq
淀は家康寄りだったんじゃなかったっけ
0032人間七七四年2016/02/01(月) 15:53:23.84ID:4U8xTSJU
だって淀と家康は縁戚関係だもの
淀から見れば家康は信長に庇護されてた頃から知ってる相手だし
三成や毛利とどっちを信用するかといえば言うまでもない
0033人間七七四年2016/02/01(月) 19:08:26.53ID:J1n1eqYS
総大将は毛利だしな
三成がいくら空手形出してもしょうがないw
0034人間七七四年2016/02/01(月) 20:42:20.52ID:mg/bbiW5
知れば知るほど西軍は賊軍だなw
0035人間七七四年2016/02/01(月) 20:48:25.32ID:yaM6OLG+
毛利も小早川隆景でも生きてれば天下とれたのになw
0036人間七七四年2016/02/01(月) 21:20:07.73ID:6XBOy1zb
>>35
無理だろ。隆景は無理せず、No.2を目指す主義だから、せいぜい100万石ぐらい維持したまま江戸時代に突入ってとこじゃね?
秀吉が隆景に後を託したとも思えないし。
0037人間七七四年2016/02/01(月) 21:31:07.89ID:isku5UMO
>>35
天下とかそういうのどうでもいいから
甥っ子に徳川一族との縁組をホイホイ勧めそうなんだよなあ
0038人間七七四年2016/02/01(月) 21:33:49.62ID:yaM6OLG+
小早川も養子受け入れて秀秋が獅子奮迅
福島正則も小山評定で勲功一番だけれども結局は・・・両方とも改易取り潰しで可哀想だわな

関ヶ原でまともに戦った毛利って秀吉縁者の秀秋くらいw
0039人間七七四年2016/02/01(月) 21:38:04.78ID:6XBOy1zb
秀秋の縁者っていうと豊臣家の縁者で大名ばかりだからなぁ。継承者がいない。
毛利からつけられた家臣も隆景と一緒に引き上げてて、毛利との縁は完全に切れてるし。
0040人間七七四年2016/02/01(月) 21:44:27.99ID:yaM6OLG+
毛利ってよくわかんないもんなw
信長包囲網したり中国大返しの時は秀吉助けたり

関ヶ原じゃ総大将なのに三成ばかりだもんなw
0041人間七七四年2016/02/01(月) 21:59:07.68ID:yD7mI3+V
>>40
助けたっていうか、吉川と小早川とで
意見が割れてグダグダしてただけやけどね
0042人間七七四年2016/02/01(月) 23:05:52.83ID:9UOrRrxj
ぶっちゃけ毛利の両川って過大評価だと思う。
九州では大友に勝てず、中国では秀吉にゴリゴリ傘下を削り取られて。
本能寺がもう1,2年遅かったら滅んでる。
0043人間七七四年2016/02/01(月) 23:14:50.57ID:yD7mI3+V
>>42
でもその両川にやられた大名達は
0044人間七七四年2016/02/01(月) 23:37:39.90ID:VN4vH5oT
>>43
両川が屈服さた大名というと
三村宇都宮南条山名尼子再興軍あたりか
0045人間七七四年2016/02/01(月) 23:42:27.46ID:9UOrRrxj
どれも落ち目の雑魚だなあ
0046人間七七四年2016/02/01(月) 23:44:27.88ID:yD7mI3+V
>>44
大内さんが抜けてますよ
0047人間七七四年2016/02/01(月) 23:51:57.73ID:VN4vH5oT
>>46
すまん
素で忘れた
0048人間七七四年2016/02/02(火) 00:03:39.31ID:Ii8g6nTf
>>44
たしかに、その辺の人らは大内含めて
ノブヤボ的に言えば、雑魚以外の何物でもないが…
見方を変えれば室町の気風が濃厚な、すごくめんどくさい人らとも言えるし。
一概に楽ゲーとは言えないのでは?
0049人間七七四年2016/02/02(火) 00:06:26.56ID:YRU+2om/
>>48
まぁ、大内やら尼子は全盛期過ぎてるからね

ってか元就がワザとずらしたんだけどね
0050人間七七四年2016/02/02(火) 00:46:36.84ID:EJZdAvWL
>>42
1.2年じゃなくて本能寺の時の信長親征で滅んでたはずの運のよさ
0051人間七七四年2016/02/02(火) 06:11:51.30ID:gse6omJ4
>>42
その書き方だとまるでその時期の大友が弱いみたいじゃないですかーやだー
0052人間七七四年2016/02/02(火) 06:39:06.45ID:kBdWKz9L
>>51
両川が勝ちきれなかったのは事実だが、本拠地で戦ってるのに押しまくられてたのは大友の方じゃん。
地元の小領主にも造反されまくりで。
大内再起軍の蜂起って策が決まらなければ負けてるだろ、そのまま。
0053人間七七四年2016/02/02(火) 14:05:26.50ID:+JouKs2U
当時生き残るには家康に取り入るしか無かったそうせずまんまと潰された奴等はアホ
昌幸とか裏切りまくってた辺り見ても、大局を見る能力は無かったとしか思えない
島津は当初東軍に着こうとしてて、仕方なく西軍に入って負けても所領安堵って有能
0054人間七七四年2016/02/02(火) 14:08:30.63ID:jj+qPwzk
>>53
昌幸は大局みてたから信之が徳川についたんだろ?

島津も本来は取り潰しだったけど鹿児島なんて最南端だし島津は余力があったからね 時間かかったら他のやつらが謀反するから島津を許した
0055人間七七四年2016/02/02(火) 16:01:00.05ID:EJZdAvWL
島津本国は度重なる輝元や秀家の参加要請や義弘の援軍要請を全部拒否した
いわば消極的東軍だからもともと改易する理由がない
0056人間七七四年2016/02/02(火) 16:32:48.11ID:jj+qPwzk
>>55
というか義弘も東軍に付きたいって意思表示してて行き違いで西軍になっただけだどね義久は援軍は出さないって発言してるし
0057人間七七四年2016/02/02(火) 16:34:54.92ID:S+m1FoKv
消極的東軍で召し上げになった大名いくつもあるだろが
0058人間七七四年2016/02/02(火) 17:42:37.91ID:yEehfHuA
>>54
信之が徳川についたのは信之自身の意思や
昌幸なんて息子の留守中に沼田乗っ取ろうとして嫁に追い返されてるやん
真田は別に苦肉の策に走ったわけじゃなくそれぞれが自分の意思で勝手に動いただけ
0059人間七七四年2016/02/02(火) 17:45:51.13ID:UdqzM1GA
長曽我部盛親は徳川に加担しよう密使を送ったが、西軍が近江の愛知川に設置した警戒線を突破できず戻ってきたそうだな
0060人間七七四年2016/02/02(火) 17:46:22.88ID:yEehfHuA
まあ島津と徹底抗戦して戦局グダらせるほどの余裕が当時の家康になかっただけの話だね
毛利や上杉に対してもそう。早期に収拾つけんと天下の采配人としての評価にケチつくだけだし。
結局、取り潰されたのは反抗されたところでプちっと潰せるような弱小大名ばかり。
毛利・上杉・佐竹といった大身は減封程度で済んでる。
0061人間七七四年2016/02/02(火) 17:52:40.15ID:zynyyCpe
>>58
まず、信之が徳川に付いたのは犬伏で
昌幸信之信繁で徳川に付くか豊臣に付くかで話合った結果信之は徳川に付く事を選んだ 昌幸も了承してた

沼田城は 昌幸なら乗っ取りに行くのは分かりきってたから事前に信之から城に入れるなと命令されてた。

徳川には昌幸の弟の信伊もいたしね
0062人間七七四年2016/02/02(火) 17:53:23.02ID:zynyyCpe
>>59
長宗我部は可哀想だよね 東軍に付くからって兄貴まで殺したのにね
0063人間七七四年2016/02/02(火) 18:40:41.70ID:bJGhbsaj
義弘の姿勢に関しては通説の見直しが進んでる
積極的参加は光成さんあたりで桐野さんは消極的参加というところか
時系列がおかしいw
0064人間七七四年2016/02/02(火) 19:39:11.92ID:3KvJGtBy
義弘は一応遠島処分になっている
桜島だけどw
0065人間七七四年2016/02/02(火) 20:02:24.89ID:UdqzM1GA
お台場に軟禁して島流し扱いするようなものだ
0066人間七七四年2016/02/02(火) 20:08:41.56ID:aGhN+qFK
日本史上の遠島処理の中でも最短距離クラスなんじゃないかという疑問
0067人間七七四年2016/02/02(火) 20:15:21.02ID:zynyyCpe
桜島って意味なし(笑)
0068人間七七四年2016/02/02(火) 20:39:52.04ID:BJye4763
一応当時の桜島は現在と違って地続きじゃないな
0069人間七七四年2016/02/02(火) 20:43:45.35ID:zynyyCpe
そうなんや
0070人間七七四年2016/02/03(水) 19:46:27.05ID:GOqHUcoy
関ヶ原があったから豊臣は10年生きられた
関ヶ原直前で大阪城包囲されてるから、天皇の勅命あれば秀頼救出目的で総攻撃→連れ出した後騒動の責任取らせる
西軍(豊臣)は詰んでいる
0071人間七七四年2016/02/03(水) 20:27:07.92ID:f9Gkt88M
意味不明
0072人間七七四年2016/02/03(水) 22:54:49.70ID:gUfgTEMj
秀吉の織田家に対する掌返しぶりを見れば家康はまだ義理を果たしたほうだと思う
つうか秀吉にあっさり鞍替えした織田家臣連中マジで忠誠心欠片もないな
徳川についた豊臣恩顧連中はまだ義理堅かった方だわ
0073人間七七四年2016/02/04(木) 00:48:12.53ID:vnHQRZD+
信長と自分たちが築いた織田勢力圏を潰さないための苦肉の策や。
信雄か幼君に継がせてたら潰れてただろ
0074人間七七四年2016/02/04(木) 07:54:11.70ID:EUv6OzRw
徳川って遠征して強敵を倒したことがないよね。

長州征討は負けたし
0075人間七七四年2016/02/04(木) 09:55:28.42ID:puD/Xcgr
2015冬イベ組
朝霜 4-5でドロップ
U-511 春イベで早くも再入手可能
香取 通常建造でも入手可能
天城 1年コース



2015春イベ組

高波、roma 夏イベ以降ドロップで再入手可
リットリオ クリスマス期間限定ドロップ
秋津洲 16冬イベでドロップ
葛城 1年コース濃厚

なんでこうも雲龍型だししぶられるん?
0076人間七七四年2016/02/04(木) 09:56:28.41ID:puD/Xcgr
誤爆ORZ
0077人間七七四年2016/02/04(木) 23:25:46.24ID:/tZNDu64
>>74
関ヶ原や大坂攻めは遠征ではないのか?
それとも豊臣みたいに朝鮮まで行けというのか?
0078人間七七四年2016/02/04(木) 23:56:43.78ID:m0/ZOzHJ
>>74
幕末の徳川かぁ まあ財政難で火縄銃で負けたんだよね?
参勤交代やらで大名から怨みかってたし
島津なんて治水事業の恨み抱えたままだからね

負けて仕方ないか
0079人間七七四年2016/02/05(金) 07:53:08.13ID:/gAdrxDZ
長州征伐は当初前線で纏まった一次征伐の処分を後方の幕閣がより厳しい処分を命じて決着が長引き、
そのままグダグダして二次征伐に突入なので戦争前から負けていたようなもの
0080人間七七四年2016/02/05(金) 14:54:35.17ID:DUwS6g4+
幕末の実態って江戸幕府vs薩長じゃなくて実際は一橋一派VS薩長だからな
0081人間七七四年2016/02/05(金) 16:14:50.17ID:GALeVIGw
要は遠征しないかんような状態になったらダメってことだな
0082人間七七四年2016/02/05(金) 16:37:02.75ID:Xa9vCQqP
万が一、薩摩の島津義弘が家康に降伏せずに抗戦していれば、黒田や伊達が家康の権力をひっくり返しにかかる恐れは、明瞭であった
0083人間七七四年2016/02/05(金) 18:38:04.30ID:iFgt6mUM
島津が徹底抗戦した場合は島津征伐で事態の収拾が遅れ
その分だけ徳川政権樹立のスケジュールが遅れ
地理的に徳川の独力だけで事を治めるのも難しいので
西国大名たちの手を借りることになりそうなればそいつらの発言力が増し
徳川的にあまり美味しくない展開になるからな。
具体的に言えば家康の将軍就任幕府開設が数年単位で遅れる
当時の平均寿命で考えれば数年の差がかなりシビア
結果的に家康は長生きしたけど
家康と秀頼だったらみんな家康につくけど秀忠と秀頼だったら
秀頼に傾くやつも結構いただろうしな
0084人間七七四年2016/02/05(金) 22:06:28.94ID:MsarzB/b
>>38
家康が汚い奴だと証明されたな
0085人間七七四年2016/02/06(土) 08:24:29.47ID:8FzagI5e
豊臣秀頼様のための戦といいながら
豊臣家本体は参戦してないんだから締まらない戦だよなあ。
大坂の陣を考えるなら豊臣氏本体は8まん位動員可能だったんだろうに。
それができたなら東軍はどうにもならない。
おそらく家康はむしろ福島らを悪者にして成敗すらした可能性も
見えてくる。三成は優秀だが欠けてる感が大きいんだよなあ。
0086人間七七四年2016/02/06(土) 08:33:55.89ID:bg9YZ5NP
東軍敗退の暁には福島や加藤ら反三成に罪を着せるか。
0087人間七七四年2016/02/06(土) 08:51:26.50ID:70eCGfRc
>>85
家康について行ったのが豊臣正規軍なんだが
0088人間七七四年2016/02/06(土) 10:46:27.54ID:MfxHWAtp
>>87
矢部健太郎派なんじゃないの?
「三奉行が西軍についたから豊臣正規軍は西軍!東軍は正規軍の肩書をはく奪されたんだ!」って論の
0089人間七七四年2016/02/06(土) 11:59:44.12ID:YrMcXr4L
豊臣は家康に対して、三成謀反の鎮圧を依頼している。
0090人間七七四年2016/02/06(土) 13:15:19.31ID:7TjmxqtM
秀頼は西軍の人質みたいな物だからな
0091人間七七四年2016/02/06(土) 13:17:59.88ID:kE+yDypR
初期からどっちに転んでもOKな手を打った
蜂須賀さんちぐう有能
狸がマジで褒め言葉
0092人間七七四年2016/02/07(日) 01:32:28.86ID:+I9eTDkW
>>84
アンチ家康は相変わらず自分で根拠も示すこともできず
必死だな
0093人間七七四年2016/02/07(日) 01:35:10.84ID:xABXp5ty
維新斉も手勢が500って少な過ぎねw
人望なさすぎだろ
0094人間七七四年2016/02/07(日) 06:29:14.87ID:EMSGNY56
アケゲ速報 ペドフィリア 人殺し ひき逃げ 通州事件 スパムブログ 詐欺サイト 天安門事件 ステマ 民主党支持
0095人間七七四年2016/02/07(日) 09:09:53.07ID:daPdCX0C
それにしても小早川の監視役の小川や赤座、朽木なども寝返るとは大谷義継も想定外だったろうね
0096人間七七四年2016/02/07(日) 09:41:16.88ID:RNghFP+c
>>93
島津は内乱の真っただ中だったから自由に使える兵隊の余裕なんてない
0097人間七七四年2016/02/07(日) 10:59:04.59ID:IdBEXAIl
>>95
実年齢を除けば地位も力も全て小早川よりはるか格下の3人が監視なんて最初から無理だろ
そもそも3人とも大谷の家臣でもなんでもないから
小早川の行動に服従するしか事実上の選択肢はない
大谷の想定がありえない空論だっただけ
0098人間七七四年2016/02/07(日) 11:37:18.96ID:RNghFP+c
脇坂なんか元々東軍の藤堂と仲良しだしな
0099人間七七四年2016/02/07(日) 12:41:53.80ID:MQ7wuExw
大谷刑部と宇喜多中納言くらいだろ
まともに戦ってたの

長宗我部・吉川なんて戦闘に参加せずに終わっている
0100人間七七四年2016/02/07(日) 13:10:41.44ID:Kd2+emmN
関所を閉められて居場所なくして西軍に参加した連中に何か期待したなら大谷義継が馬鹿なだけ
0101人間七七四年2016/02/07(日) 13:11:28.32ID:CD9zNCU3
まともに戦ったのは石治少、大刑少、備前中納言。小摂は戦意薄く、島津は襲ってくる敵兵を撃退するだけ。しかも敗けが確定したら逃げ込んでくる他の大名の敗残兵を追い散らしていた
0102人間七七四年2016/02/07(日) 13:35:34.51ID:EXpTCDW3
島津はわけわからん。
なんで徳川本陣目前で方向変えたんだよw
0103人間七七四年2016/02/07(日) 14:09:58.77ID:MQ7wuExw
井伊の赤鬼に致命傷を負わせたのは捨てがまりの島津兵か?
0104人間七七四年2016/02/07(日) 14:40:55.22ID:Kd2+emmN
一年以上バリバリ戦後処理して死ぬ致命傷ってすごいな
0105人間七七四年2016/02/07(日) 14:50:23.35ID:qr2P2i5n
島津の凄いのは関ヶ原で撤退戦してる時に謀反起こした伊集院を悪久がぶっ殺した事だね
それでお咎めなしなんだしね
0106人間七七四年2016/02/07(日) 14:51:00.45ID:rIA0pGb1
その時の鉄砲傷で直政は花押が書けなくってるな
0107人間七七四年2016/02/07(日) 16:05:38.13ID:CD9zNCU3
島津は、義久、義弘、忠恒の三頭体制で統一が図られていなかった
0108人間七七四年2016/02/07(日) 16:22:43.00ID:jVMV4yK5
島津は3000だよ
0109人間七七四年2016/02/07(日) 17:38:45.59ID:CD9zNCU3
島津義弘に3000
0110人間七七四年2016/02/07(日) 18:45:54.03ID:cTE0Z8cd
西軍とかいうただのお友達軍団
他は囲い込み、西で会津に行かなくて東軍に入り損ねた奴等
東軍は会津征伐の豊臣正規軍
0111人間七七四年2016/02/07(日) 18:52:58.47ID:VRTeDH0e
若いっていいよな
年食ったら煽りなんてする気にもならん
0112人間七七四年2016/02/07(日) 19:56:19.47ID:oqzjN8C+
>>104
怪我人にバリバリ戦後処理させた結果衰弱死したんじゃないのかアレ…
0113人間七七四年2016/02/07(日) 20:00:53.47ID:Kd2+emmN
そやねバリバリ戦後処理させたのが致命傷やね
0114人間七七四年2016/02/07(日) 20:06:28.53ID:XRULYKdS
四天王で経世の才があったのは井伊直政くらい
後は三河譜代の武断派ばかり
0115人間七七四年2016/02/07(日) 20:33:51.92ID:GxLEG3wl
同じ球団からの先発組が東軍で
リリーフ組が西軍なだけ
0116人間七七四年2016/02/09(火) 22:56:34.17ID:+oLEytEM
仮に前田利家が長寿で長生きしていたらどうだったんだろう?
0117人間七七四年2016/02/09(火) 23:23:39.59ID:EEuXavus
秀長と合わせてよくこの仮定する人いるけど、なら秀吉が長生きしてたら〜で良くない?
0118人間七七四年2016/02/09(火) 23:26:14.31ID:uLlHhqeJ
利家の経歴から考えると利長とあまり変わらないと思われ
0119人間七七四年2016/02/10(水) 00:37:10.64ID:3SygrFYq
TBSの関ヶ原見たけど史実もあんな感じなのかね?
0120人間七七四年2016/02/10(水) 08:58:57.39ID:7H/v5oiA
>>119
史実はわからないことだらけ
ドラマとかは後世の軍記物など怪しい資料による通説を鵜呑みにして作ってる
0121人間七七四年2016/02/10(水) 11:02:04.56ID:PGWs8o0B
>>116
家康よりも長生きしてたならだいぶ状況違っただろうけど
家康より先に死んだら変わらんかっただろうね
この時代、やはり個人のコネクションがものを言うね
利家存命時は前田党だった大名が死亡と同時に徳川に鞍替えしてるし
同じことは家康にも言えて仮に豊臣を滅ぼす前に家康の寿命尽きてたら
徳川の世が安泰だったかはわからんね
跡取りの秀忠に求心力がなかったから
なんだかんだいって関ヶ原の遅参は大きかった
本当は家康のミスなんだけど家康のせいにはできなかったしね
かといって秀康や忠吉では家中が割れるし
0122人間七七四年2016/02/10(水) 11:09:25.56ID:PGWs8o0B
結局、徳川のよが安泰だった理由は家康が長生きしたからの一言に尽きる

・外様の有力大名が軒並み代替わりを起こして
・秀忠の対抗馬になって家中を割る要素になりかねない秀康や忠吉が先に死んで
・豊臣家を完全に滅ぼす

まで家康の寿命がもったというのが最大の勝因
秀忠は後は邪魔な忠輝と忠直をと本多正純を処分すればよかっただけだから
これが仮に家康が関ヶ原から数年も経たないうちに病死してたら今度は徳川家が内部分裂起こしてもおかしくはない。
0123人間七七四年2016/02/10(水) 11:10:12.17ID:Evums7pn
徳川は余程秀吉から信頼を得ていたんだろうな
家康が死んだら豊臣政権が崩壊するくらいの地位を
0124人間七七四年2016/02/10(水) 11:19:09.80ID:i4UV1X3y
>跡取りの秀忠に求心力がなかったから
これ根拠ないよね
0125人間七七四年2016/02/10(水) 16:26:02.46ID:XVsrJ2zZ
利家の享年62って普通に長生きだろ
家康は確かに長生きしたけど、まず能力が無ければ天下は取れなかったろ
0126人間七七四年2016/02/10(水) 18:11:40.43ID:7OGTOq6t
戦国時代は平均寿命は50歳くらいだしな
0127人間七七四年2016/02/11(木) 07:34:05.67ID:KqHL0vN4
家康はカス
あんな腹黒い奴が今の官僚どもの手本となっているから日本は救われない
0128人間七七四年2016/02/11(木) 09:19:04.84ID:ZHE5aLHo
輝元みたいな大将になっておいて戦わない奴や、三成みたいな争いの火種蒔くだけの奴はもっと良くないからね
当時一番マシだったのが家康だったという話
0129人間七七四年2016/02/11(木) 12:04:29.80ID:sO+FfIzD
輝元は西国では戦ってなかったか
火事場泥棒の如く
0130人間七七四年2016/02/11(木) 12:10:19.01ID:t7g6kLdT
むしろ輝元が意欲的だったのがかえって仇になった
いらんところに戦力分散させて肝心の濃尾地域の奪取がままならない
0131人間七七四年2016/02/11(木) 12:45:44.45ID:w7cgUmBP
>>130
でもそれは広家が進言したのもあるでしょ?
0132人間七七四年2016/02/11(木) 14:47:24.78ID:V+i2JFnp
会った事も無い実在の人物に創作のイメージでカスとか腹黒とか言うって正気の沙汰じゃないよな
実績や事実から言うならまだしも
簒奪したと言っても、豊臣がまず簒奪で作り上げられた天下だし
0133人間七七四年2016/02/11(木) 15:13:08.05ID:FdlPrBqJ
>>132
うん、そうだね 秀吉は重要な書状を燃やしてる可能性は高いよね
0134人間七七四年2016/02/11(木) 16:09:47.49ID:v4LmXyeJ
輝元は阿波や伊予なと゛四国に兵を出していた
0135人間七七四年2016/02/12(金) 00:00:52.86ID:BB+LwGzB
輝元が欲しかったのは天下じゃなくて自国周辺の領地だったんだろう
0136人間七七四年2016/02/12(金) 00:34:38.09ID:VxnTFi0W
まず足元を固めようとしたのは分かるけど
関ヶ原がすぐに決着ついたもんだからどうしても悪い印象になるのはしょうがないな
0137人間七七四年2016/02/12(金) 01:40:07.954859ID:8t87EPVd
西軍が勝っても毛利は武功が無いので領土分配に預かれないし
発言力も高まることは無い
最大武功の真田と同格くらいになるんじゃね
0138人間七七四年2016/02/12(金) 01:50:16.537069ID:ZzBZGVil
真田が最大武功とかw
0139人間七七四年2016/02/12(金) 07:28:58.881979ID:wj8bJ6Fr
西軍じたい毛利の存在抜きじゃ成り立たないんだからなにを言ってるんだボケ
そんなこと言うたら徳川も失態続きで武功なんてないがな
嫡子は遅参するわ四男は抜け駆け起こすわ
0140人間七七四年2016/02/12(金) 08:37:12.304406ID:SlKBHfx7
遅参は計算と言われているけど

徳川軍は温存させて外様同士潰し合う
何せ勝ち決定の戦なんだから

それでも万が一を考えて
関ヶ原の近くに陣取っていたんじゃないかな?
0141人間七七四年2016/02/12(金) 10:11:23.31ID:V/nc6P6f
つか、徳川は杭瀬川でやられてますしね

毛利を抑え込む布陣をしてからよかったのともし輝元に才気があればやばかったかも
0142人間七七四年2016/02/12(金) 15:32:50.81ID:Trg0kzEg
>>140
あれが計算だったら家康はあんなにイライラしていないし後で逆ギレしたりもしない
純然たる誤算以外のなにものでもない
なにより徳川の跡取りは戦下手という印象を持たれてしまったことが一番のマイナス
家康は是が非でも自分が生きてる内に全ての片をつける必要性に迫られることになった
0143人間七七四年2016/02/12(金) 15:43:54.58ID:dPVlpjGt
大津城が落城寸前で、大津が落ちれば毛利元康、立花親成ら15000が関ヶ原に雪崩れ込んでくるから、遅延した秀忠軍と大津城の寄せ手を相殺し、
麾下の8万の兵で、12万の西軍と対決する決意を固めたのである
0144人間七七四年2016/02/12(金) 15:48:57.75ID:Trg0kzEg
結果論になるけど大津城と田辺城にはりつけた無駄兵が西軍の大きな敗因
秀忠隊の遅れという東軍一番の誤算を活かすチャンスを失った
秀包が関ヶ原にいたら吉川の意見が幅をきかすことができたか分からんかったし
0145人間七七四年2016/02/12(金) 17:15:05.48ID:B1M5jwxM
三成は佐和山で篭城でもしとけばよかったのになw
0146人間七七四年2016/02/12(金) 17:36:46.47ID:V/nc6P6f
>>145
ホントだよ佐和山で籠城戦してればよかったのにね。
0147人間七七四年2016/02/12(金) 18:04:19.98ID:rHmJKFsu
肝心の旗振り役が佐和山で籠城してたりしたら、華麗にスルーされて
大阪を押さえられてそれで終わりだろ。
0148人間七七四年2016/02/12(金) 18:16:17.15ID:SiEEj//0
大垣でしょ
もしくは島津の言うように夜襲か
0149人間七七四年2016/02/12(金) 18:43:03.52ID:P4UwQUEV
大垣城は比較的小規模で大軍の籠城には向かないし、地形的に水攻めで無力化可能
小早川はゆうゆう寝返れるし東軍にとっては願ったりだな
夜襲は川越しながらの夜襲なんて無謀、歴戦の義弘がそんなこと進言するはずがない捏造だ!と
島津びいきに捏造判定されるほど下策
結局関ヶ原転進が最上
0150人間七七四年2016/02/12(金) 19:50:27.92ID:AhpccMIL
佐和山に戻ろうにも毛利勢が南宮山に到着するまでは、東軍に包囲されてたし
0151人間七七四年2016/02/12(金) 21:52:32.84ID:V/nc6P6f
>>150
いや、大河では戻ってましたよ
0152人間七七四年2016/02/12(金) 22:00:36.07ID:P4UwQUEV
はい
0153人間七七四年2016/02/12(金) 22:58:26.99ID:pldEixso
>>139
一応直政隊忠吉隊が戦い、
最後に家康の旗本隊も戦ったからそれに見合った領土はもらえたけど
毛利は何もしてないだろ
0154人間七七四年2016/02/12(金) 23:01:23.67ID:pldEixso
松平忠吉と井伊直政は家康が殺したんじゃないか
この二人が生きてたら徳川家が割れるだろ
0155人間七七四年2016/02/12(金) 23:03:09.85ID:V/nc6P6f
>>154
なぜ割れるの?
0156人間七七四年2016/02/12(金) 23:06:14.50ID:pldEixso
この二人だけ手柄挙げたから
0157人間七七四年2016/02/12(金) 23:10:15.21ID:AhpccMIL
>>151
  、ミ川川川彡                 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
  ミ       彡              ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
 三  ギ  そ  三            ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
 三.  ャ  れ  三    ,. -‐==- 、, /!li/'/   l'' l', ',ヾ,ヽ;
 三  グ  は  三  ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
 三  で       三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
 三.   言  ひ  三  .,,__/      . ,' ン′    ̄
 三   っ  ょ  三   /           i l,
 三.  て   っ  三  ノ ..::.:... ,_  i    !  `´'      J
 三   る  と  三  iェァメ`'7rュ、,ー'    i }エ=、
  三   の   し  三 ノ "'    ̄     ! '';;;;;;;
  三   か  て  三. iヽ,_ン     J   l
  三  !?    三  !し=、 ヽ         i         ,.
   彡      ミ   ! "'' `'′      ヽ、,,__,,..,_ィ,..r,',",
    彡川川川ミ.   l        _, ,   | ` ー、≡=,ン _,,,
              ヽ、 _,,,,,ィニ三"'"  ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
                `, i'''ニ'" ,. -‐'"   `/
               ヽ !  i´       /
               ノレ'ー'!      / O
0158人間七七四年2016/02/13(土) 07:24:39.10ID:7QCe2bNi
>>153
直政忠吉は抜け駆け
家康の関係者でなければ処罰されてもおかしくない
武功どころかむしろマイナス
0159人間七七四年2016/02/13(土) 07:29:42.13ID:7QCe2bNi
その件で福島に借りを作ってしまったから伊奈事件のときに
合わせ技で直臣の首を差し出さなければならなくなった
0160人間七七四年2016/02/13(土) 08:10:56.05ID:UP9x1th8
>>158
あれは先陣であるはずの正則が中々開戦しないから軍監である正則が無理やり開戦した
後、忠吉・直政と島津は終始ガチ戦闘している
0161人間七七四年2016/02/13(土) 08:40:33.45ID:ZcmhpxLd
先陣としては開戦できないから軍監として無理やり開戦する福島正則

新解釈だな
0162人間七七四年2016/02/13(土) 09:10:46.60ID:UP9x1th8
訂正
>>158
あれは先陣であるはずの正則が中々開戦しないから軍監である直政が無理やり開戦した
後、忠吉・直政と島津は終始ガチ戦闘している

指摘サンクス
0163人間七七四年2016/02/13(土) 12:36:02.76ID:28r1XeST
島津は中盤になってか三成から出陣要請があったように戦ってないし
忠吉・直政の抜け駆けも物見と称した少数部隊だからガチる環境じゃない
0164人間七七四年2016/02/13(土) 12:38:23.56ID:UP9x1th8
>>163
あれは島津の言い訳
実際は最初からガチコンで、動かなかったのは小西
0165人間七七四年2016/02/13(土) 22:55:45.22ID:28r1XeST
つまんないレスつけんな
0166人間七七四年2016/02/14(日) 00:34:31.29ID:xral3Hd8
http://i.imgur.com/q5GTmQA.jpg
0167人間七七四年2016/02/14(日) 10:08:27.68ID:qOONo6VX
そもそも島津が開戦時からガチンコしていたというのは?

あくまでも石田陣に長寿院を派遣して手立てをしていただけじゃないのか?
0168人間七七四年2016/02/14(日) 10:40:25.97ID:0fO4WPZq
>>167
戦わなかったとあるのは島津側の覚書のみで、他家の軍記では戦ったと記している
松平忠吉が奮戦したことはそのことを直政が伝えた結城秀康の返書にあるし

島津側の覚書は他にも亀井茲矩が当初は西軍だったとか書いているし
0169人間七七四年2016/02/14(日) 10:50:09.97ID:Y2bbe1H8
他家史料には島津を後備え脇備えとしるしてるものもあるしなぁ
0170人間七七四年2016/02/14(日) 10:53:19.75ID:OIVIpuaU
>松平忠吉が奮戦したことはそのことを直政が伝えた結城秀康の返書にある

そりゃ自分の娘婿の自慢話だからいくらでも話盛るわな
誰も咎める奴はおらんし
0171人間七七四年2016/02/14(日) 10:59:47.41ID:JLOtV7ym
島津撤退時に戦ったのを混同してるんじゃね
0172人間七七四年2016/02/14(日) 11:03:45.36ID:0fO4WPZq
>>169
あれは山中村から北国街道へ行軍した西軍の二番手が島津でることを記した記述を、
配陣順と勘違いしただけ
>>170
他にも忠吉家臣が組討ちしたことを記す感状がある
大根畑で功を成したので大根と名乗るべしとかw
0173人間七七四年2016/02/14(日) 11:05:02.04ID:OIVIpuaU
徳川方の資料は基本大本営発表と思っとけばいいよ
いくら話を盛ってもそれを咎める人間は誰もいないんだから
0174人間七七四年2016/02/14(日) 11:05:06.12ID:0fO4WPZq
>>171
あれは戦い続けた直政・忠吉が追撃したということ
0175人間七七四年2016/02/14(日) 11:06:06.86ID:0fO4WPZq
>>173
西軍なのに生き残った島津や毛利の方が言い訳するための改ざんが多い
0176人間七七四年2016/02/14(日) 11:11:15.26ID:JLOtV7ym
抜け駆け時と撤退時に戦ったからずっと戦ってると勘違いしちゃったのか
0177人間七七四年2016/02/14(日) 11:12:33.56ID:Y2bbe1H8
孫引きだからなんともいえんが原文はあきらかに戦闘中のもんだけどね
つかそっちの史料って何だろうか?
0178人間七七四年2016/02/14(日) 11:31:31.41ID:0fO4WPZq
関原始末記では始終戦った、竹中本関原御合戦記も緒戦の抜け駆けを記した上で
そのまま本格的な戦闘に突入したという記述

なお忠吉負傷は緒戦で島津の兵と組討ちしたため
0179人間七七四年2016/02/14(日) 11:53:19.43ID:JLOtV7ym
関原始末記って墓穴?
0180人間七七四年2016/02/14(日) 12:56:37.04ID:bTAkiYJn
>若狭国小浜藩主で幕府の老中(のちに大老)を務めた酒井忠勝(さかいただかつ 1587―1662)の著。
>関ヶ原の戦から年月が経過し神君(徳川家康)の大いなる武功の記憶が薄れつつあることを憂慮した忠勝が、
>自身の見聞や古老の話をもとに、林羅山とその子鵞峰に編集させたもので、別名を『関原合戦始末記』。明暦2年(1656)の成立です。

典型的な徳川プッシュのための資料じゃん
>神君(徳川家康)の大いなる武功の記憶が薄れつつあることを憂慮
とかいう時点でねえ……
0181人間七七四年2016/02/14(日) 13:02:55.69ID:bTAkiYJn
ちなみに当の酒井忠勝は秀忠の軍にいたから関ヶ原の現場にはいなかったよね
当事者でなかった人が伝聞で聞いたことを関ヶ原から半世紀も経ってから編纂したものということだ
0182人間七七四年2016/02/14(日) 13:10:26.31ID:0fO4WPZq
それを言ったら、島津が戦わなかったとする史料も碌なもんはないのだけど
0183人間七七四年2016/02/14(日) 14:40:20.82ID:JLOtV7ym
戦闘の中身なんて軍記物に頼らなければ何も分からんから
関原始末記を参考にして何の問題も無い。ましな方だし
ただ関原始末記だと宇喜多島津と戦ったことしか判らないだろ。抜け駆けと撤退時やん
あと根拠も無くお前の史料は捏造、俺の史料は無条件で正しい、しかも曲解って
まんま菅沼でワロス。ぶれねぇなぁw
0184人間七七四年2016/02/14(日) 16:02:27.34ID:0fO4WPZq
竹中本関原御合戦記や東西記には大勢の敵と戦ったとあるけど
それに島津が3,000いたのに撤退時には1,000程(『石卵余史』)というのは、
それ以前に戦闘したからかと
0185人間七七四年2016/02/14(日) 17:34:13.20ID:LOwfiphH
>>184
その開戦時3千という数字がのってる資料と撤退時千とのってる資料は同一のものなのか?
そうでなければ意味はないな。
0186人間七七四年2016/02/14(日) 19:55:29.54ID:0fO4WPZq
>>185
同一ではないが、殆ど戦闘しなかったのなら島津は三千人で撤退したことになるな
0187人間七七四年2016/02/14(日) 20:53:21.65ID:LOwfiphH
話にならないな
そもそもの参戦人数自体が資料によって異なるのに
違う資料同士の数字持ち出して都合よく張り合わせるとか
ますますもって菅沼くさいな
0188人間七七四年2016/02/15(月) 08:30:03.02ID:KmQd/LCS
>>187
島津は吉川広家書状を始め軍記の多くに三千、後は大三川志に四千とある位
0189人間七七四年2016/02/15(月) 15:12:30.40ID:sVIJzDLg
そもそも旧記雑録収録記録から推測される島津隊(豊久含)の兵数は1500足らずなんでしょ。
これを後世の都合合わせの為とは余りにも短縮的だと思うが。

桐野氏の受け売りだけど。
0190人間七七四年2016/02/15(月) 17:51:22.85ID:KmQd/LCS
>>189
あれ増援の人数を総数にしているけど、端数まで入れているから総数ではなく雑兵も入れた数かと
それに書状に書いてある分で全部とも思えんし
0191人間七七四年2016/02/15(月) 17:52:13.88ID:KmQd/LCS
>>190
訂正
あれ、増援の人数を総数にしているけど、端数まで入れているから総数ではなく侍だけの数かと
それに書状に書いてある分で全部とも思えんし
0192人間七七四年2016/02/15(月) 18:17:51.85ID:utfmQPIs
関ヶ原の島津の動きは本当に謎
家康寄りと言われる本国でも
加藤清正に攻められてる小西家に援軍行ってるみたいだし
0193人間七七四年2016/02/15(月) 18:26:10.06ID:suHAN7oJ
そもそも3千が千に減った理由がずっと戦ってたからというのも無理がある
敗色が濃くなれば雑兵はぞろぞろと逃げ出すもんだから戦っていようがいまいが
退却戦になることには何分の一の数になってるなんてのはザラにある
軍法会議のある近代の軍隊じゃねえんだし
0194人間七七四年2016/02/15(月) 19:00:03.65ID:eTmyvYNi
菅沼もどきだなこりゃw
0195人間七七四年2016/02/15(月) 19:43:04.13ID:/r+oIAHC
>>192
このスレの住人を含めて島津も諸将も、
どっちが本当の豊臣軍か、判然としなか分かったんだよ。
0196人間七七四年2016/02/15(月) 21:32:47.23ID:KmQd/LCS
>>193
そういう記述はどこかにあるの?
0197人間七七四年2016/02/15(月) 23:55:01.49ID:FwklMJxy
島津のは苗字の無い小者まで含んでたよね。

義弘自身が千足らずと記述、度重なる援軍要請をしているのに三、四千もあるのは些か疑問。
0198人間七七四年2016/02/16(火) 00:23:32.76ID:X5Zcx4HP
そういうこというと菅沼のことだから島津の記述は改竄の疑いとか言い出すぞ
自分の都合のいい資料は絶対、都合の悪い資料は捏造の人だから
0199人間七七四年2016/02/16(火) 06:53:42.84ID:+EwNsl5D
いや、真面目に「島津に逆らうつもりはなかった。鳥居が城に入れてくれなかったから、成り行きで西軍に加わっただけ」って主張するための捏造が混ざってるから島津の資料は信用ならん。
0200人間七七四年2016/02/16(火) 08:37:24.94ID:aufmtvy6
ほら、案の定言い出したwwwww
わかりやす過ぎ
0201人間七七四年2016/02/16(火) 08:56:49.14ID:xHjZvTVZ
>>197
最初は7,000を求め内半分を至急送れと言っているが、後になると5,000を送れとなるので、
2,000程は到着してそう
0202人間七七四年2016/02/16(火) 09:44:08.38ID:17eDvpXT
ここにも都合の悪い意見を言う奴は菅沼認定してしまうアホが現れてしまったか
0203人間七七四年2016/02/16(火) 10:17:04.30ID:GKn4rhpC
菅沼さんちーす
0204人間七七四年2016/02/16(火) 10:46:28.40ID:ON+h0Pxe
関ヶ原における島津の退き口の話って、ただ単に撤収するタイミング逃して包囲されてフルボッコにされただけではないかと
ただ戦後島津は大大名として残ったので、島津の言い分が公式に採用されただけのような気が
島津の人数が1500だろうが、3〜5000だろうが、薩摩にたどり着いたのが100人切ってた時点でアウトだろう
当主の義弘が生き延びたんで過大評価されてるだけ
0205人間七七四年2016/02/16(火) 12:35:14.19ID:xHjZvTVZ
関ヶ原合戦の島津史観は、江戸時代に西軍なのに生き残った言い訳をし、
明治時代に幕府を倒したので顕彰が入り意味不明になっている
0206人間七七四年2016/02/16(火) 13:02:01.22ID:LZcajCQ3
8月中に1000人の内、そして豊久勢の国元よりの増援、本国(直臣・志願)より関ヶ原への増援約400名+中馬大蔵始めおっとり刀たち。

本戦日(15日)討死246名
18日討死1名
23日討死33名
28日討死196名
討死は締めて476名+数百名?
ついでに伏見での討死は22名。

生還者=大坂への義弘に同行した生還者は76名+義弘とはぐれ京へ逃れた者300名+α=400名程度か?
0207人間七七四年2016/02/17(水) 19:12:19.81ID:jtHjFKNC
http://i.imgur.com/KcoAf5l.jpg
0208人間七七四年2016/02/23(火) 09:37:00.33ID:WdzuTFCx
☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。
0209人間七七四年2016/02/23(火) 22:45:39.76ID:1ufg1seM
>>204
その1500人どころか、最盛期の島津全軍で戦った秀吉の九州征伐の結果を見れば、
島津なんて大したことないのは明白
0210人間七七四年2016/02/23(火) 23:11:06.70ID:uo1GkZP2
その島津をお咎め無しで済ませるしかなかった徳川はヘタレ以外のなにものでもないな
0211人間七七四年2016/02/24(水) 01:05:56.57ID:roaVAY+x
毛利上杉宇喜多の三大老処分しなきゃいけないのに
九州遠征の余力はないだろう
0212人間七七四年2016/02/24(水) 09:15:03.43ID:PhnOeWzv
つまりそれが当時の徳川の力の限界だったわけだ
0213人間七七四年2016/02/24(水) 11:54:43.12ID:eFZTyv2d
ま、治まってるんですけどね
0214人間七七四年2016/02/24(水) 11:57:11.10ID:OZ8/vebl
安定を優先させるか、安定よりも処罰を優先させるか、ってだけの話だ。
家康は安定させたほうが処罰を断行したよりリスクが小さいと判断しただけの話。そしてその判断は結果から見て正しかった。
0215人間七七四年2016/02/24(水) 12:38:28.76ID:tgrL5wwO
でも幕末で仇になったよね
0216人間七七四年2016/02/24(水) 12:45:58.95ID:9HYOWl8U
黒田らがあわよくば島津領もと狙ってただけで
島津本国は家康と対立してた訳でもないし討伐する理由がない
0217人間七七四年2016/02/24(水) 13:54:10.71ID:e/jVtp2M
260年後の倒幕を理由に家康の島津に対する扱いを責めるのはさすがに無理がある
家康の子か孫の代に島津の反乱がおきて大問題になったのならまだ分かるけど
0218人間七七四年2016/02/24(水) 17:07:28.66ID:OZ8/vebl
そもそも家康が島津を残したのは、島津の武力を恐れたのではなく、
島津と明の間にルートが有ったことを重視したため。その証拠に島津と講和がまとまると、家康は即座に
島津を通じて明に朝鮮役の時の捕虜を返還し、国交正常化を打診している。
そういう視点があっての島津の赦免であって、島津家だけを見てたら何もわからんわな。
0219人間七七四年2016/02/24(水) 17:21:08.88ID:c3YnLM7P
ところで家康は何ゆえ義弘に会津行ってる間の伏見城留守番を依頼したんだろう
庄内の乱のゴタゴタが解決した直後で京に島津の兵がいないの分かってるくせに
(4/27時点)
0220人間七七四年2016/02/24(水) 17:23:22.24ID:I2bfNlM6
>>219
あれは島津の史料でしか確認できなかったと思ったけど
0221人間七七四年2016/02/24(水) 18:12:07.06ID:OZ8/vebl
当時誰が見てもゴリゴリの三成派閥で持ってる兵数も雀の涙の島津義弘を、何が悲しゅうて家康が伏見城に入れなきゃならんのかと。
0222人間七七四年2016/02/25(木) 00:30:07.55ID:EhxDwNXR
その唯一の島津側の史料を確認したけど
伏見城の留守番を頼まれたから兵を送ってよ
って義弘から国元の義久宛に
4/27付けの書状で確認できるんだよね

もちろん書状では伏見城留守番以外に
庄内についても触れてるけどね


もしあの大長文かつ当時の状況じゃないと書けないような内容の書状を
関ヶ原後に偽装するために書いたとしたら
義久も義弘も有能すぎて天下取れないとおかしいレベル
それでも史料は捏造だーって否定するってんなら何一つ議論成立しないわw
0223人間七七四年2016/02/25(木) 01:09:51.74ID:XfVVnq2u
>>221
西国大名は上杉討伐時に大坂京の留守居役だから島津だけ特別に頼んだ訳でもなく
また島津だけゴタゴタを理由に特別扱いも出来なかったんじゃね
0224人間七七四年2016/02/25(木) 07:02:09.40ID:rz2wFYN0
豊久の領地は一時ながら没収されたんだよな。
かわいそうに。
0225人間七七四年2016/02/27(土) 12:23:14.49ID:832/Cvfj
石田三成方の記録で、島津隊は6000人というのがあるようだが、
1000人程度は薩摩から派遣してもらって、

残りは京、大阪で雑兵を雇ったということは無いの?
それなら、あっという間に島津隊が四散したのも分かるんだが
0226人間七七四年2016/02/27(土) 12:25:56.38ID:1x3a0f8i
>>225
あれは動員を命じた数
つまり三成は予定の人数書いてドヤ顔していた訳だ
0227人間七七四年2016/02/27(土) 13:41:03.60ID:XgP8Ra7H
京、伏見、大坂の常勤衆が小姓こみで200人
上洛した「心ある人」が300人
が義弘の配下

豊久の上洛命令で佐土原衆が1000人

合計1500人が一番説得力ありそうな数字だよね
0228人間七七四年2016/02/27(土) 22:38:17.09ID:BNsuCMCd
1500人のうち320人が高学歴・底辺
0229人間七七四年2016/02/28(日) 15:52:18.91ID:KYTQJC9D
小早川が開戦早々寝返ってたという説は本当?
0230人間七七四年2016/02/28(日) 15:55:53.19ID:RTpfv5yA
>>229
命じられた伊勢平定に参加せず、佐和山近くでとどまった後
関が原に移動し、先に布陣してた西軍の伊藤隊を追い出して陣取ってる
それを寝返ってたと見るかどうかじゃないか
ま、それ以前に家康に味方するお手紙送ってるから、元々西軍ではないな
0231人間七七四年2016/02/28(日) 16:25:05.39ID:KYTQJC9D
単に伊藤隊を追い出して陣取ったことじゃなくて
戦闘当日、開戦と同時に裏切り他の西軍にたいして攻撃を開始したかどうかを知りたい。

因みに白峰旬『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』では
「小早川秀秋は開戦と同時に裏切り石田三成方は瞬時に敗北した」とある
これは本当なのかどうか
0232人間七七四年2016/02/28(日) 17:03:34.99ID:crO8u1es
大谷吉継って関ヶ原本戦では討死しただけで特に何もやってないよね?
なんであんなに過大評価されてるの?
0233人間七七四年2016/02/28(日) 17:53:33.36ID:c4MOCCbW
秀吉が100万の兵を率いさせてみたいって言ったから
0234人間七七四年2016/02/28(日) 17:58:15.57ID:crO8u1es
それって真実?
関ヶ原の奮戦だって後世の創作っぽいし
しかも自害じゃなくて討死なら悠長に辞世の句なんか詠んでる暇はないよな
0235人間七七四年2016/02/28(日) 18:29:43.29ID:OohSJbob
>>231
薩藩旧記雑録に収録されている
参陣当事者の覚書とか日記を読む限りだと
開戦直後に裏切ったように読み取れなかったけどなあ
0236人間七七四年2016/02/28(日) 19:01:14.60ID:1PFNYoai
>>234
小早川勢の死傷者みるに奮戦自体は事実だろ
しかし家康がつけた目付が戦死って解せないよね
ドサクサに紛れて小早川がやっちまったんだろうか
0237人間七七四年2016/02/28(日) 19:10:28.76ID:PtmwOWUg
>>236
あの目付、死んだのは事実だけど福島正則隊の横で普通に戦死
0238人間七七四年2016/02/28(日) 19:22:14.16ID:1PFNYoai
なんで目付が前線で戦っちゃうのかなあと疑問。
ウィキペによると松野の代わりだったそうだけど
そんなの小早川の家中で用意できんかったものなのか
0239人間七七四年2016/02/28(日) 19:32:29.64ID:PtmwOWUg
>>238
実は目付でも何でもなく、寄合衆の一員
0240人間七七四年2016/02/28(日) 19:42:27.28ID:cmd3Sgpn
しかしなんでああも簡単に岐阜城落ちたんだろ。
そのせいで決戦が早くなって西軍は立花宗茂とかが率いてた数万が決戦に間に合わず
東軍も秀忠率いる徳川家主力3万5千が間に合わなかった。
岐阜城の織田秀信がもうチョイ粘ってたら、東軍が勝つのは変わらんだろうけど
かなり戦局は変わってた気がする
0241人間七七四年2016/02/28(日) 19:47:28.80ID:SO2A2HVt
>>236
実際に小早川を攻めていたのは宇喜多、島津、石田、小西隊だったという噂。
大谷は遅れて参陣し早々に討死したとも言われている。
0242人間七七四年2016/02/28(日) 19:47:42.99ID:1PFNYoai
・秀信がうってでたのが裏目に出て兵数を減らした
・攻め手に岐阜城を知り尽くした池田輝政がいた

理由としてはこの2点。
0243人間七七四年2016/02/28(日) 19:49:47.92ID:1PFNYoai
大谷は討ち死にじゃなくて自刃っしょ。島左近と勘違いしてない?
討ち死にだったらなんで首が発見されんかったの?
大谷吉次の首とったどーと名乗り出る奴ぐらい出てきそうなもんだけど。
0244人間七七四年2016/02/28(日) 19:59:06.85ID:VcUDcrye
吉川書状をもとにした新説だな
関ヶ原の本戦に関しても研究が進んで通説批判が盛んやな
0245人間七七四年2016/02/28(日) 20:19:53.87ID:cmd3Sgpn
>>242
ありがとう、やっぱそれくらいの理由がないとああも簡単に落ちんわな
ただ、籠城して大垣からの援軍待たなかったのは、岐阜城知り尽くしている池田がいたからかな
0246人間七七四年2016/02/28(日) 20:24:47.38ID:cmd3Sgpn
しかし、石田三成ってなんでああも味方に敵つくるかねぇ
通説だと本戦で真面目に戦ってたの宇喜多だけってイメージあるし
宇喜多も宇喜多で豊臣がどうのこうのというより徳川憎しで突っ込んだ感じだし
0247人間七七四年2016/02/28(日) 21:52:39.77ID:8i+MnqKv
>>231
秀秋側からの「開戦と同時に山を下りて攻撃しようと思ったが霧が濃くて下りられなかった」って主張のことじゃないの?
0248人間七七四年2016/02/28(日) 22:05:51.08ID:7XLERNMp
関ヶ原の実情って小早川に後方を遮断された西軍が、慌てて小早川を攻撃した所を東軍本体に挟撃されたってことか?
0249人間七七四年2016/02/28(日) 22:19:32.89ID:PtmwOWUg
しようとしたけど東軍が来たので慌てて、中山道から北国街道までの間に展開しなおして開戦
0250人間七七四年2016/02/28(日) 22:42:02.45ID:4WW7vZMO
>>244
本戦数日前の石田三成の書状で大谷吉継はやる気が無いと書かれていたんだよな
0251人間七七四年2016/02/29(月) 01:03:02.66ID:r/qm6uJZ
>>246
大谷吉継だか島左近だかも
「おめーは態度がでかくて傲慢なんだよね。敵が多すぎ」
って言われてたんじゃなかったっけ?
0252人間七七四年2016/02/29(月) 01:04:47.91ID:nfmbd3uH
大谷が忠告した話だったけど初出って何なんだろう
0253人間七七四年2016/02/29(月) 07:48:48.44ID:4Sb30tYa
>>250
大谷吉継については特に言及はないけど
0254人間七七四年2016/02/29(月) 08:27:44.40ID:Pgj3DJS4
>>252
常山紀談かもしれんなぁ。
同時代史料にはなかったと思うが。
0255人間七七四年2016/02/29(月) 08:29:56.89ID:FAAcTCwR
100万の兵をなんたらいうのも同時代の史料には無いでね?
0256人間七七四年2016/02/29(月) 10:58:57.62ID:QH9A7nhN
滝川に「忠義を尽くす」書状送ったそばから厩橋への攻撃に諸国から総動員する北条親子

小早川に関しては秀秋や吉川広家への(成功したにもかかわらずの)風当たりの強さからも
実情は察するに余る
天下様への体面状面罵まではできぬが、
要は選択を誤ったってことだろ
0257人間七七四年2016/02/29(月) 15:45:49.04ID:z9BUS5mb
>>222
義久は家康よりだったから、そういわないと兵をよこしてくれないから
嘘ついたんじゃないか?
0258人間七七四年2016/02/29(月) 16:00:10.42ID:QH9A7nhN
内府寄りってのがそもそも捏造ってことよ
何度もいわれてることだが、西軍が勝ってたら余裕で徹頭徹尾の西軍だったアピールしてるよ
0259人間七七四年2016/02/29(月) 16:19:28.30ID:QXgGqD4g
また捏造来たよ
0260人間七七四年2016/02/29(月) 16:48:25.30ID:z9BUS5mb
>>258
そりゃそうだろう
二股外交二枚舌が、この時代の常だから
どっちにも保険をかけて、必死で勝者側に取り入るのが生き残る術だし
義弘は三成に、義久は家康にと両天秤してたから、その駆け引きとして
伏見城の留守居を家康に任されたから兵よこしてと文を書いただけ
0261人間七七四年2016/02/29(月) 17:01:43.44ID:4Sb30tYa
三成挙兵時点ではその状況を利用して、伏見城を内側から占拠しようとした節がある
何しろ本丸と二ノ丸の間を守備位置として要求しているし

http://blog-imgs-26.fc2.com/3/d/k/3dkyoto/20120410171006480.jpg
0262人間七七四年2016/02/29(月) 20:14:54.99ID:iT/J/EM6
伏見城って見事に5奉行の郭でぐるっと囲んでるんだな 
0263人間七七四年2016/02/29(月) 21:02:40.06ID:T189vIaX
>>262
あくまで「伝承」と「推測」だぞ。研究の成果でもなんでもない。
こんなもの信じる奴は本当にアホ
0264人間七七四年2016/02/29(月) 22:11:52.65ID:iT/J/EM6
信じた俺がアホだったw
0265人間七七四年2016/02/29(月) 23:24:22.83ID:123cxXmE
何で増田は右衛門丸でも四の丸でもなくて
四丸何だろう?
0266人間七七四年2016/03/01(火) 15:42:37.57ID:0YKO+nwp
岐阜城攻城戦の際に墨俣で、島津方の押川郷兵衛(強兵衛)に首を獲られた哀れな武者はどの家中とかいう記録は無いのかな?
0267人間七七四年2016/03/01(火) 22:34:13.99ID:Nr/66fUM
>>243
島左近は京都で隠遁生活を送ったらしいよ
0268人間七七四年2016/03/01(火) 23:08:50.39ID:Afey1jmg
>>246
このスレに、面と向かって「お前は俺の親友だ!」と言える相手がいる奴いないだろ?
三成にはいた
0269人間七七四年2016/03/01(火) 23:27:44.98ID:UwraBA0J
>>268
誰?
0270人間七七四年2016/03/02(水) 00:46:30.78ID:1XAYQFpo
さすがにその質問はないんじゃない?
何しにこのスレを見に来たの?
0271人間七七四年2016/03/02(水) 01:42:57.59ID:ycNB0Bwt
輝元だろ。
三成が隠居させられたときに守れなくて惨めなほど悔しいとか手紙が残ってる
西軍友情パワーや
0272人間七七四年2016/03/02(水) 02:20:53.85ID:C8HVSpyg
まぁ、三成にホントに人望なけりゃ、
そもそもあれだけの軍は集まらないわな。
0273人間七七四年2016/03/02(水) 03:50:47.69ID:AF4dE2rr
西軍がみんな三成に惹かれて味方したとでも思ってるのかこいつは
0274人間七七四年2016/03/02(水) 04:37:43.89ID:C8HVSpyg
徳川治世のの巷説鵜呑みにしてるのがいるなw
0275人間七七四年2016/03/02(水) 04:58:01.93ID:3tU9V1Xt
嫌われてるのにとりあえず人が集まった
ということは、それなりの大義名分は
あったわけで、徳川軍よりかえって西軍の方が
忠義と言うか正義はあったようにもとれるのだよね。
勝てば官軍・・
0276人間七七四年2016/03/02(水) 07:47:51.03ID:5Esnc/7y
大坂城の人質確保して脅しただけとも考えられる
0277人間七七四年2016/03/02(水) 07:52:34.07ID:1XAYQFpo
結果的に石田方が多かったのは
露骨な豊臣政権崩壊工作、
家康の専横が目に余まった
アンチ家康的な危機感かな、という気がする
0278人間七七四年2016/03/02(水) 07:52:54.77ID:K7quy9qY
アホか。
毛利輝元が東軍についてたら、つまり中国地方が丸々東軍だったら、
誰も三成に味方などしない。
理由は100%勝ち目がないから。
0279人間七七四年2016/03/02(水) 08:03:40.34ID:YJz2w1RG
水野さんの論文読んだ人いるかな
0280人間七七四年2016/03/02(水) 08:54:15.27ID:POdSIcx5
分かりやすく例えるなら家康が自民党
西軍が民主党その他
0281人間七七四年2016/03/02(水) 09:21:41.45ID:AF4dE2rr
>>274-275
毛利宇喜多の二大老と三奉行+石田大谷で畿内封鎖してるんだぞ?
西軍に人が集まったんじゃなくて西軍が無理やり諸侯を集めたんだよ
0282人間七七四年2016/03/02(水) 09:33:09.82ID:cVJ1pVsD
天皇から見れば当時の天皇は豊臣側だけどね
豊臣は天皇の権威を回復に努めた

水戸藩や明治政府によって長い年月洗脳された今の国民の感覚でいえば
豊臣側の方が大義名分があり、徳川は天皇に逆らう者であるというように見えるが
家康は関ヶ原では豊臣秀頼を操り人形にしてる光成を悪としてうったので、天皇からみれば
大義名分は家康にありとなる。

また、徳川は知ってのとおり、幕府設立後、天皇権力(朝廷権威)のはく奪を行った
ただ家康は徳川幕府を倒すのは天皇と考えたため、天皇よりの水戸徳川藩を作った
こうすれば、徳川幕府が天皇に倒されても天皇側についている水戸藩は残るので徳川家は滅びることはないと考えた
0283人間七七四年2016/03/02(水) 10:04:00.98ID:5Esnc/7y
>>282
天皇だけに限定しても、秀吉死後に皇位継承で秀吉指名の継承者を外そうとしているのだけど、
0284人間七七四年2016/03/02(水) 10:42:34.85ID:K9RXgT2d
>徳川は知ってのとおり、幕府設立後、天皇権力(朝廷権威)のはく奪を行った
アホだろお前
0285人間七七四年2016/03/02(水) 11:42:39.62ID:wWhaCO9v
未来予知はできないので幕府成立以後の事象で関ヶ原を論じるのは無意味
0286人間七七四年2016/03/02(水) 11:58:17.80ID:1XAYQFpo
その後の結果から当時の事情を推測せざるを得ないけど
視点を誤るとただの陰謀論になっちゃうよね

本能寺の変黒幕説みたいに
0287人間七七四年2016/03/02(水) 12:19:45.70ID:K9RXgT2d
天皇の代理人たる関白を元関白の身で勝手にぶっ殺した秀吉の方こそ不敬
0288人間七七四年2016/03/02(水) 12:23:48.66ID:cVJ1pVsD
>>284
後陽成天皇の1603年に、徳川家康を征夷大将軍を任じ、江戸幕府が開かれる。
朝廷権威の抑制をはかる幕府は干渉を強め、官位の叙任権や元号の改元も幕府が握る

慶長18年(1613年)の「公家衆法度」の制定を招き、さらに慶長20年(1615年)の「禁中並公家諸法度」制定

女帝の明正天皇になって徳川を外威とみなし、皇室から徳川の血を排除し、朝幕関係は悪化
後世までその累が及ばぬようにするという意図などをもって、娘の明正天皇を即位

あほはおまえ
0289人間七七四年2016/03/02(水) 12:35:48.50ID:cVJ1pVsD
>>285
今の天皇と、明治、昭和(戦争終結まで)の天皇と、徳川幕府が開かれるまでの天皇と
徳川幕府での天皇とでは天皇権力が違う

徳川幕府前の天皇は権力あり
徳川幕府後は天皇は飾りになる
明治政府後は天皇の権力を復活

関ヶ原の戦いは天皇は豊臣の家臣争いという姿勢だった
これを家康が豊臣を打倒するという形の関ヶ原としてやったのだが
そう見せないようにしたのがうまいとこ
打倒するとして謳えば、徳川につく大名はもっと少ない
0290人間七七四年2016/03/02(水) 12:46:49.52ID:ycNB0Bwt
ほんまのあほだった
0291人間七七四年2016/03/02(水) 12:47:17.65ID:K9RXgT2d
また菅沼くんが出没したようだ
0292人間七七四年2016/03/02(水) 15:59:26.52ID:3tU9V1Xt
秀吉の遺訓を破った、という内府違条は
その時点でも正当性があったとは思うけどね。
内紛を利用した家康がうまかった。
0293人間七七四年2016/03/02(水) 16:14:36.54ID:1XAYQFpo
三成が武断派にとことん嫌われていたって言っても
敵意むき出しだったのって福島正則と他にどれくらいいたんだろう

ほとんどは家康が勝ちそうだから尻尾を振ったタイプのような
0294人間七七四年2016/03/02(水) 16:32:03.09ID:K9RXgT2d
利家死んだときに襲撃かけようとしたメンバー
加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明
ここらへんは家康関係なく三成ぶっ殺せだと思われる
特に忠興はガラシャ殺されるわ実家襲われるわで怒り心頭
0295人間七七四年2016/03/02(水) 17:07:57.05ID:3tU9V1Xt
三成は、みんな韓国で死んでれば豊臣は
安泰だったのに、とか思ってたろうな。
0296人間七七四年2016/03/02(水) 17:37:51.99ID:5Esnc/7y
>>292
遺訓破りなら三成の方が先だけどね
0297人間七七四年2016/03/02(水) 18:28:02.59ID:YJz2w1RG
幼稚な流れ
0298人間七七四年2016/03/02(水) 18:29:58.55ID:JTxmMrRv
>>289
>>285に対して何が言いたいか全く分からん
0299人間七七四年2016/03/02(水) 18:46:39.70ID:3tU9V1Xt
>>296
そなのか?
0300人間七七四年2016/03/02(水) 19:50:47.05ID:5Esnc/7y
>>299
輝元と浅野長政以外の四奉行で起請文書いている
0301人間七七四年2016/03/02(水) 20:22:28.25ID:YJz2w1RG
8月28日付起請文案文w
0302人間七七四年2016/03/02(水) 20:25:47.79ID:3tU9V1Xt
>>300
具体的にどういう遺訓を?
0303人間七七四年2016/03/02(水) 20:30:27.68ID:5Esnc/7y
>>302
徒党を組むことの禁止
0304人間七七四年2016/03/02(水) 20:57:41.07ID:1BbTkruQ
秀吉死後の豊臣家って徒党を組んでの権力闘争しかしてないよな
家康・利家の対立とか七将襲撃とか極めつけは関ヶ原だけど
秀吉が五大老五奉行の合議制なんていう不安定な体制を残さざるを得なかったのが原因だよな
合議制なんて意見が対立したら強力な仲介者がいない限り
最終的には徒党を組んでの派閥争いにしかならんのだから
0305人間七七四年2016/03/02(水) 21:27:52.84ID:3tU9V1Xt
>。303
家康の私婚は最初いつぐらいだっけ?
0306人間七七四年2016/03/02(水) 21:58:12.91ID:qbOoIXq+
そもそも秀吉自身が約束破りまくって織田から天下を乗っ取ったんだから
豊臣がなにされても文句言う資格ないよ
0307人間七七四年2016/03/02(水) 22:12:37.38ID:qjSQcFqM
賤ヶ岳の原因も、清州会議で畿内での城の築城、改築禁止が決議されたを秀吉が無視して山崎城の建築はじめたことからだし
0308人間七七四年2016/03/02(水) 22:33:11.06ID:5Esnc/7y
>>305
問題になったのは慶長4年1月
0309人間七七四年2016/03/02(水) 23:03:37.06ID:AF4dE2rr
>>304
遺言を見る限り秀吉は家康に全権を委任したかったみたいだけどな
ひっくり返して合議にもってったのは奉行衆か、利家か、輝元か
0310人間七七四年2016/03/03(木) 00:11:19.71ID:jyujNUrh
ちょ〜結果論だが、全権委任どころか
抹殺しておけば・・
0311人間七七四年2016/03/03(木) 00:15:32.67ID:23E5b8t+
家康抹殺なんかしてたら秀吉の生きてる間に豊臣政権潰れていたわ
0312人間七七四年2016/03/03(木) 00:35:56.19ID:NhOJb94F
毛利上杉も潰しておかないとね
0313人間七七四年2016/03/03(木) 00:37:39.37ID:adyXwawk
家康の立ち回りが奇跡的に上手かったんであって、秀吉の失策では無い
国替えで250万石とか普通はまとめられなくて自滅する
それで潰せなかったんだからもう終わりだよ
0314人間七七四年2016/03/03(木) 00:42:38.09ID:TRoh23JV
>>310
秀吉存命中でも家康いなきゃ豊臣政権運営できてなかったんだけど、手の込んだ自殺かな?
0315人間七七四年2016/03/03(木) 00:53:52.86ID:giYnc9lj
だいたい秀吉は横暴だけど実力者に対してはかなり気を使ってる。
徳川と毛利に対してはノータッチの聖域扱い。
伊達や島津も問題起こしてばっかだけどこじらせたくないからお咎め無し。
そうでもしないとあっさり瓦解する政権構造だったから。
0316人間七七四年2016/03/03(木) 04:28:04.57ID:YENhXfkY
俺も大学生の頃
高校生と付き合ってた。
会う度にセックスばかりしてたけど
制服を脱がす時は、やっぱ興奮したよ。
あれから15年。あいつも今はオッサンだな。
0317人間七七四年2016/03/03(木) 07:49:54.87ID:IaYykqaB
悪循環なんだよな
0318人間七七四年2016/03/03(木) 08:24:47.49ID:Nhi8AsRo
秀次事件で輿入れしたばっかの最上の娘は殺して
正室の池田輝政の妹はお咎め無しというダブスタぶり
0319人間七七四年2016/03/03(木) 08:27:19.58ID:o7sPerTC
>>309
三成と正家が帰洛してから合議制が持ち上がったから奉行衆
そもそも合議制が本当に秀吉の意志かも怪しい
0320人間七七四年2016/03/03(木) 08:29:39.89ID:IaYykqaB
半端なつまみぐい
0321人間七七四年2016/03/03(木) 08:53:08.87ID:TRoh23JV
上杉征伐の時、三奉行は反対を唱え続けて終いには
「家康は秀頼様を見捨てました!政権から排除します!」と言いだしてるけど
じゃあ実際家康はどうすればよかったんだろうな?
畿内に上杉逆心の噂が流れてたのは事実だから上杉を捨て置くと豊臣政権の威信の低下になるんだけど。
そもそも秀頼を見捨てたってどういう意味で言ったのだろう
0322人間七七四年2016/03/03(木) 11:49:56.94ID:uz68DnUK
秀吉は毛利に対して弱体化工作してるんだけど
0323人間七七四年2016/03/03(木) 12:31:13.85ID:Nhi8AsRo
してないよ。秀秋の件は隆景が秀吉に恩を売るために自分から申し出たこと。
毛利乗っ取り云々は後世の創作。
秀元の独立は後になって実子が生まれると思わずに養子にした輝元の自業自得だし。
0324人間七七四年2016/03/03(木) 15:50:09.00ID:HnRTR0zh
秀吉の仕打ちってどこか陽性なんだよな
徳川時代の陰湿さと比べて
0325人間七七四年2016/03/03(木) 15:55:31.51ID:NhOJb94F
畜生塚は陽性
0326人間七七四年2016/03/03(木) 16:18:58.09ID:5CoWhNnS
落首事件も陽性
0327人間七七四年2016/03/03(木) 16:26:08.96ID:HnRTR0zh
陽性の仕置きとしては
蒲生氏郷への120万石大封
繰り返される天下様と思え発言
ほめ言葉の盛大なディスカウントセール(ど糞家康に秀吉死後利用されたが)

なにより息子が超天才とか


つか、ATOKひどすぎ!
万石・冊封(大封のとこ先に冊封と書いてる)すらでてこない
歴史好きが弄ってる端末なのにマジ受ける
0328人間七七四年2016/03/03(木) 19:45:58.65ID:UwM24fs0
>>318
家康のとりなしがあったんだろうけど、あの時代、
織田家の旧家臣閥っていうのも無視できないからな。
0329人間七七四年2016/03/03(木) 19:51:22.83ID:2cGsFGZx
細川忠興は秀次から借りた金の返済を急に迫られて家康が代わりに用立て
毛利は秀次から借りた金をそのまま踏み倒しても無問題
半端に理性のブレーキかかってるのが性質悪い
0330人間七七四年2016/03/03(木) 20:29:22.44ID:93eozmLp
治部の少に過ぎたるもの二つあり
島の左近と佐和山の城

三成はあの島左近を心酔させるほどの何かを持っていたわけだし、真田幸村や直江兼続、大谷吉継も親友と呼べるほどに昵懇だった
0331人間七七四年2016/03/03(木) 20:31:00.71ID:93eozmLp
>>316
お前ホモなの?
0332人間七七四年2016/03/03(木) 21:17:59.74ID:2cGsFGZx
三成は左近に限らず武闘派を囲ってただけだと思うぞ
秀次や蒲生の旧家臣からも物色してたし
もう家臣団の顔ぶれみるだけでこいつ戦する気満々としか思えない
0333人間七七四年2016/03/03(木) 21:31:22.57ID:23E5b8t+
>>330
噂のバサラ脳ってやつか
0334人間七七四年2016/03/03(木) 22:26:43.26ID:48XJPXcd
三成は金正恩よりもひどい血に餓えた粛清狂であり
関白だろうが筆頭大老だろうが気に食わなければ殺しにいかないと気が済まない常軌を逸した人間だった
そういう人間だからこそスカウトしてきた家臣が血に餓えた戦闘狂ばかりなのは当然だった
0335人間七七四年2016/03/03(木) 22:55:00.40ID:2cGsFGZx
秀次事件に関してはむしろ三成は止めようとした側だjけどね
秀次ノリノリでぶっ殺したがってたのはむしろ福島正則
0336人間七七四年2016/03/04(金) 00:15:40.80ID:Y2bAjZ7S
徳川秀忠が尾張あたりで駐屯していたが活躍出来なかった
というか兵を留めていただけらしい。
0337人間七七四年2016/03/04(金) 09:08:09.55ID:PG16HYi8
らしい。
0338人間七七四年2016/03/09(水) 00:16:34.58ID:9zkjVU3b
三成が九州で50万石与えると言われたのを断ったって、いつごろから言われだした逸話なんでしょう
正直秀吉がそんな抜擢人事するとは思えない
秀吉って領土大盤振る舞いなイメージ強いけど、それって外様や本能寺以降配下になった前田、蒲生、堀みたいな旧織田家臣とかで
自分子飼いとか早くから与力につけられてる連中はそれほど大盤振る舞いしてない印象(それでも徳川よりは多いが)
それにタイミング的にもあり得ない
三成って朝鮮出兵の時は軍監で直接前線で戦ってないわけだから戦争終結後に加増ならわかるけど
戦争の真っ最中に加増するのはないと思う、兵站とかの功績だというのならほかにも担当してるのいるわけだし
三成だけに大加増なんてしたら不満が出る
それどころか現地で悶着起こしまくって、不和の種をまくどころか水やって肥やしをやってる状態
こんな人間に加増なんてしたら普通まずいのわかるはずだから
秀吉が言い出しても家康利家あたりがとめるだろう
なんか秀吉周りは秀吉が常習的に大言壮語はくもんだからこういう逸話が多い気がする
0339人間七七四年2016/03/09(水) 00:48:19.10ID:6g5TuEtN
誰が50万石なんて言ってるか知らないけど
九州で30万石断った話なら三成が家臣に宛てた書状やね。
0340人間七七四年2016/03/09(水) 00:58:00.80ID:9zkjVU3b
>>339
なるほど家臣への手紙ですか
30万石くらいならあり得ない話でもないかな
ありがとうございます
0341人間七七四年2016/03/09(水) 11:37:06.21ID:jCUqr32G
秀秋から取り上げた土地を代わりに三成に与える話になったけど
三成自身が中央を離れたくなかったのと家康の口添えがあって
結局、秀秋が元通り返り咲いたという話
0342人間七七四年2016/03/10(木) 23:04:37.49ID:9AjAm9q4
文禄4年(1595年)、秀秋は小早川隆景の所領30万7,000石を相続する形で筑前(名島城)国主となった。

慶長3年(1598年)、朝鮮から帰国した小早川秀秋には秀吉より越前北ノ庄15万石への転封命令が下った。
秀吉はその筑前(名島城)を石田三成に与えようとしたが、三成はこれを辞退する。
しかし筑後の旧小早川領は太閤蔵入地となり、石田三成と浅野長政が代官になっている。

この転封の際の大幅な減封により、秀秋家中は多くの家臣を解雇することとなり、長く付家老として秀秋を補佐してきた山口宗永もこの時、秀吉直臣の加賀大聖寺城主となって秀秋の元を離れている。
隆景以来の旧小早川家家臣の高尾又兵衛や神保源右衛門らは、代官として派遣されてきた石田三成の家臣として吸収された。

慶長3年(1598年)8月の秀吉の死去以降、豊臣政権が五大老による合議で運営されはじめると、秀吉遺命として翌慶長4年(1599年)2月5日付け徳川家康ら五大老連署の知行宛行状が発行されて、小早川秀秋は旧領の筑前名島30万7,000石へ復帰した。
0343人間七七四年2016/03/10(木) 23:17:35.83ID:tGjW1vQR
>>23
信長は天下統一したわけじゃないし、秀信以前に信雄はたっぷりもらってたろ
0344人間七七四年2016/03/10(木) 23:36:17.25ID:XA1bJQ0Y
>>343
だな
秀吉は厚遇してんのに信雄が秀吉になんども逆らうから秀吉もな・・・
なんにしても織田は秀吉、家康と残したわけだから恩義は感じてんだろ
0345人間七七四年2016/03/10(木) 23:46:56.46ID:T0aJ8U9F
織田の大分は親豊臣だっただろ
秀吉は織田を手厚く遇している
0346人間七七四年2016/03/11(金) 07:12:50.88ID:2cihpWhB
>>345
家康は天皇をも自分の権力下に置いて日本を乗っ取った極悪人
朝敵として撃たれて当然
0347人間七七四年2016/03/11(金) 07:35:55.36ID:6IjYeYke
文藝春秋SPECIAL 2016春

 カリスマ考証家が語り尽くす大河ドラマ「真田丸」の世界 - 二木謙一
  http://blogos.com/article/163052/

 メガヒットゲーム『信長の野望』創造と破壊 創造者は語る?シブサワ・コウ(コーエーテクモホールディングス代表取締役社長)
  http://blogos.com/article/163054/

 世界史のなかの戦国時代?石見銀山が世界経済を動かす - 岡本隆司(京都府立大学准教授)
  http://blogos.com/article/164535/

 世界史のなかの戦国時代?異常気象 小氷河期が戦乱を生んだ - 田家康(日本気象予報士会東京支部長)
  http://blogos.com/article/164537/

 戦国大名 究極のサバイバル戦略?今川義元 桶狭間に散った「東海王国」の野望 - 小和田哲男(静岡大学名誉教授)
  http://blogos.com/article/165961/

 戦国大名 究極のサバイバル戦略?武田信玄 風林火山「人は石垣」の人事術 - 加藤廣(作家)
  http://blogos.com/article/165962/
 
0348人間七七四年2016/03/11(金) 13:27:51.94ID:7ao83UXI
関ヶ原合戦で西軍を裏切った、小早川中納言秀秋。
これに同調した、赤座、小川、朽木、それに賤ヶ岳七本槍で有名な
脇坂安治。
脇坂は裏切りの功により、江戸時代は播磨国竜野藩主を勤め、明治維新後、
子爵。
今、テレビのニュースで報道される、タレント女医が脇坂家直系の子孫。
0349人間七七四年2016/03/11(金) 14:22:58.90ID:MtyzJnP9
>>348
血統が江戸初期に入れ替わっているのに?
0350人間七七四年2016/03/11(金) 14:30:57.42ID:OjjGC6RE
日本は天皇家を除いて血統重視してないからな。
0351人間七七四年2016/03/11(金) 14:32:39.96ID:bnbFFRZU
現当主が赤の他人つってるけどな
0352人間七七四年2016/03/11(金) 15:52:09.06ID:2SlkSpUL
女医は先祖は城に住んでたと証言してるけどな
0353人間七七四年2016/03/11(金) 15:56:23.11ID:amSE5Oj+
>>352
下人や女中でも城に住んでた事にはなるな
0354人間七七四年2016/03/11(金) 16:31:34.35ID:lfkdWJwv
恥知らずの血統など誇ってなんになる
ちなみにうちは家系図差し出さなかったので糞家康に冷や飯食わされたわ
0355人間七七四年2016/03/11(金) 16:46:20.50ID:d3h/IXpX
>>354
ああ、室町時代は足利の支流だと主張してたのに後から新田の嫡流だと言いだした家ですか
0356人間七七四年2016/03/11(金) 16:53:23.57ID:Gz2qeUid
>>355
そんな家いくらでもあるやろw
そもそも徳川が
0357人間七七四年2016/03/11(金) 16:58:09.64ID:7ao83UXI
東軍の武将
細川忠興のご子孫は首相をされました。
0358人間七七四年2016/03/11(金) 17:01:18.37ID:d3h/IXpX
>>356
岩松が冷や飯食わされたのはほぼ自業自得なのに家康のせいにするからつい
0359人間七七四年2016/03/11(金) 17:14:40.62ID:TwNuc3hI
本多忠勝の家臣・浜名三郎兵衛も東軍の武将として活躍した。
忠勝は本陣で家康の世話してたから、子の本多忠政のもとで戦ったらしい。
0360人間七七四年2016/03/11(金) 19:13:12.03ID:lfkdWJwv
>>355
関東廂番では渋川の次席
といっても渋川は綾小路の実家なだけで実質門葉の首席
最初から嫡家の扱いだわ
0361人間七七四年2016/03/11(金) 19:34:49.28ID:8vo6UyEE
>>348
毛利が日和ったんで負けたんだろ

天下取りなんだから輝元が関ヶ原で
秀秋が大阪城留守居役でもおかしくない
明治維新までご苦労なこったな長州w
0362人間七七四年2016/03/11(金) 20:52:51.61ID:M5vIxLz0
>>348 否定されてるじゃん。

【戦国時代】脇坂安治の子孫が脇坂英理子容疑者との縁戚関係否定 (日刊スポーツ)
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1457637715/
0363人間七七四年2016/03/11(金) 21:17:58.54ID:d3h/IXpX
>>360
それ結局足利家一門の扱いだったって証拠では?
0364人間七七四年2016/03/11(金) 21:43:26.91ID:sSRLRqGu
京極が大津城に籠城などという馬鹿なことをしでかさなければ・・・
0365人間七七四年2016/03/11(金) 22:12:01.60ID:NH+dehzm
どっちのいみで?
東軍なら西国無双会戦日まで足止めしてるんだし満点でしょ
0366人間七七四年2016/03/11(金) 22:44:34.44ID:+ozuQr5n
京極高次本人は功績を認められて加増されてるし
弟の高知も含めて一族で厚遇されてるんだから
高次が馬鹿なことをしたとは言えないよね
0367人間七七四年2016/03/12(土) 13:25:22.40ID:apqBFUtV
大津城に籠城しなければ
大津城は廃城にならなかったし
彦根城にはもっと素晴らしい天守が建ってたはず
0368人間七七四年2016/03/12(土) 19:16:03.47ID:UuO6uAQQ
意味分からん
0369人間七七四年2016/03/12(土) 21:29:01.40ID:O08pod52
なんか関ヶ原合戦って西軍についた人は高く評価されるけど、東軍サイドは低く見られがちですよね
秀忠の徳川主力3万超を数日足止めしたと真田は評価されてるけど
上でも述べましたが西国無双足止めして本戦に参加させなかった京極とか
田辺城で同じように西軍足止めした細川や
伏見城で玉砕こそしたけど10日以上足止めした鳥居あたりを真田くらいに評価した話って聞いたことない
0370人間七七四年2016/03/12(土) 22:34:13.71ID:HJeuu9BJ
評価はその人の実績に応じてされるもので
京極高次は妹や嫁の縁で出世した蛍大名と呼ばれてたくらいで関ヶ原まで目立った功績はないし
鳥居元忠は功績は十分にあるけど第一次上田合戦で昌幸に退けられてるから
この二人を関ヶ原での働きでもって真田昌幸と同等の評価にするのは実績的に難しい
細川藤考に関しては十分名将として評価されてると思うが
0371人間七七四年2016/03/12(土) 23:05:41.34ID:21n22LJM
そもそも秀忠の遅参は最近ではただの大雨による情報伝達ミスで昌幸の働きはあんま関係ないってことになってるな
0372人間七七四年2016/03/13(日) 00:12:30.30ID:xS1RCwSr
判官びいきだろ
0373人間七七四年2016/03/13(日) 00:53:19.03ID:LVzVXRbr
幽斉の田辺城戦に関しては攻め手がまとまっていなくて緩かったのを把握した上で引き伸ばしてた感じ
0374人間七七四年2016/03/13(日) 02:25:40.56ID:N6NxmoFx
大津城は13日の攻撃だけでほぼ壊滅状態で翌日降伏決定したから
戦い自体の内容はそれほど評価できない
京極家の軍記でも立花軍ツエーって内容だし
0375人間七七四年2016/03/13(日) 11:49:42.21ID:XTEBXmNN
369ですが、ちょっと言葉が足りませんでしたね
足止めした大名が名将とかそういう意味でなく、足止めした事実が軽んじられてるという感じで言いました
別に京極、鳥居が真田超える名将とかというわけじゃなく
足止めした結果が所属軍の勝利につながったことを、あまり言われてないんで
子供のころに読んだ学研まんがの日本の歴史とかでも真田は書かれてるけど東軍サイドは鳥居くらいだったので
0376人間七七四年2016/03/13(日) 11:56:17.50ID:xS1RCwSr
当然の疑問やね
0377人間七七四年2016/03/13(日) 12:17:43.87ID:IIcb1sVX
ぶっちゃけ鳥居は戦略的には実は無駄死になんだけどね
家康の命令が届かなかったから死守せざるを得なかっただけで
家康自身のミスを隠すために忠義の美談扱いにして誤魔化しただけ
0378人間七七四年2016/03/13(日) 12:53:13.09ID:plFShPKK
西軍の過大評価は判官贔屓されてるからだろ
敗者の特権だよ
0379人間七七四年2016/03/13(日) 12:54:21.30ID:YBF/ap9Q
家康が伏見城守将に元服した子がいる者だけを宛てがった点から、
当初から全滅という可能性を考慮したと思うけどね
0380人間七七四年2016/03/13(日) 22:05:24.08ID:BgPt4iiV
西軍なんて気に入らない奴は関白だろうが筆頭大老だろうがかまわず排斥を企てる
まさに豊臣を腐敗させた癌細胞みたいな連中なのに
判官贔屓で評価されるなんて真面目に豊臣のために働いていた東軍大名が可哀相だよ
0381人間七七四年2016/03/13(日) 22:21:07.22ID:PkrG0Yhk
岩松八弥は親父ともども糞みたいな倅始末しとけばよかった
0382人間七七四年2016/03/14(月) 21:50:07.34ID:apclAuJC
西軍なんて竜頭蛇尾そのものだからなぁ
三成の書状のの前期の頃と感情の高ぶりと
後半の頃の苛立ちの落差なんてひどいもんだ
0383人間七七四年2016/03/14(月) 21:56:06.64ID:AMAINsY9
>>381
どうやって殺せと…
当時家康織田家の人質として尾張にいたんだが
0384人間七七四年2016/03/15(火) 06:26:39.44ID:7baXaSdH
布陣をみた白人野郎が西軍勝ったっしょ?
いえ、勝ったのは東軍ですwwww

真実か
0385人間七七四年2016/03/15(火) 09:31:09.89ID:qDcyVMdJ
そりゃ小早川秀秋とか裏切らない前提なら必勝の布陣やろ
0386人間七七四年2016/03/15(火) 09:44:30.34ID:QQxFn35A
そもそも布陣図が根拠薄弱で信憑性が薄い
0387人間七七四年2016/03/16(水) 11:26:31.35ID:T/2Dqs4v
江戸時代の軍学者が妄想でかいた布陣が一人歩きして
現地の案内図にも掲載されるまでになったからね
0388人間七七四年2016/03/16(水) 11:57:06.07ID:NopG9EIu
伊勢攻めの途中の鈴鹿峠で秀秋が反転して、近江で滞陣している時点で
裏切りのタイミングは関ヶ原合戦開始直後が新説としてあがってるな
0389人間七七四年2016/03/17(木) 00:08:28.84ID:hyzT1G8j
そもそも西軍が畿内で蜂起した時に小山にいて反転までしなければいけない東軍が
両者の中間よりはるか西で畿内の入り口である関ヶ原まで行って決戦している時点で
布陣がどうこう以前の問題だよ
自軍がまったく進軍できず相手があっという間に攻めてきたら処刑確実の首謀者連中以外はまじめに戦わないだろう
小早川なんて瑣末な結果のひとつであって西軍の敗因の根本ではない
0390人間七七四年2016/03/17(木) 09:21:59.86ID:bPiqp7Pa
関ヶ原で東軍が行き当たりばったり
…というより布陣などなく福島の突出に端を発した行軍中に西軍にでくわして大混乱してたことは、同時代の記録から明らかだから
しかも徳川視点の資料でだぞ(関ヶ原覚書・卜斎記など)
0391人間七七四年2016/03/17(木) 09:48:22.87ID:roOlkSBR
>>390
> 軍にでくわして大混乱してたことは、同時代の記録から明らかだから
西軍はもっと大混乱したんだよ
0392人間七七四年2016/03/17(木) 10:10:15.49ID:bPiqp7Pa
>>391
しかも家康は合戦中、焦燥時の癖である爪を噛みちぎる行為をみせ、また周囲の者に対して怒りからくる八つ当たりだろうが槍をぶんまわしたりしてる
早朝、福島からの伝令を聞いて支度してたときは小姓に長久手の武勲を聞かせるくらい上機嫌だったのにな

鉄砲打ち掛けによる脅迫の逸話も、小早川の参戦が遅れたことを無理くり東照神君の知謀の結果のようにみせようとした苦しい説明だな
0393人間七七四年2016/03/17(木) 10:16:50.39ID:YhMaYVGB
戦局が一挙に流動化すればある程度の混乱は当然
後、家康の苛立ちは戦場では何時ものことだし、
挙げている逸話がそれこそ軍記から現代小説まで無茶苦茶なのだが
0394人間七七四年2016/03/17(木) 11:46:48.30ID:6UzlzMVn
姉川の合戦も布陣もへったくりもなくて移動中の織田徳川に浅井が突撃したんだろ
複数家が混在した戦場できれいに布陣なんて事前に合同訓練もなし無線機なしでどうやってやるのって話だわな
0395人間七七四年2016/03/17(木) 12:05:53.73ID:/ElDcpkn
関ヶ原の本戦程、勝ってから戦うという茶番臭い戦も無い
過程全無視でそこだけ切り取って、どっちが勝ったでしょう?ってどんな糞問題よ
0396人間七七四年2016/03/17(木) 13:05:44.24ID:frsij8zz
家康がイライラしてたから何だよって言うね
0397人間七七四年2016/03/17(木) 17:02:30.31ID:7o2HUH1H
試合前のボクサーが興奮してたからって、そいつが不利てわけでもないしな。
0398人間七七四年2016/03/17(木) 20:00:58.86ID:m4DXeJ1I
いきあたりばったりでポカやらかしたのは東軍も西軍も同じ。
結局は両者のポカの量が同じなら地力で勝る東軍が勝つよねってだけの話。
0399人間七七四年2016/03/19(土) 21:46:08.84ID:owGfelqX
古戦場 世界サミット、関ケ原で開催 戦争と平和考える
毎日新聞2016年3月19日 19時14分(最終更新 3月19日 19時14分)

天下分け目の戦いで知られる岐阜県関ケ原町で19日、ナポレオンが大敗したベルギー・ワーテルロー、南北戦争の激戦地・米ゲティズバーグの関係者も交えた「世界古戦場サミット」が開かれた。

戦争と平和について考えようと、県と町が初めて企画。古戦場3カ所の文化担当職員らによる公開討論では「史跡の保存継承に住民の協力は不可欠」「新世代には過去を学んでほしい」などの意見が出た。

古戦場は平和の意味を問いかける場所と位置付けた「共同宣言」も採択。この地で勝利した徳川家康も、敗れた石田三成も、歴史が語り継がれ、天下太平の世が続くことを願っている。【岡正勝】

http://mainichi.jp/articles/20160320/k00/00m/040/035000c
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3906478&;media_id=2
0400人間七七四年2016/03/20(日) 02:02:45.12ID:HajZ+CeI
真田幸村でも家康本陣に肉薄できたのに情けない西軍諸将
0401人間七七四年2016/03/20(日) 06:12:58.50ID:9wbgYQHn
あれはほとんど明石の手柄
0402人間七七四年2016/03/20(日) 07:15:53.24ID:28PC8Ciw
そもそも家康本陣に肉薄したってのが作り話
0403人間七七四年2016/03/20(日) 08:11:21.91ID:nvLXCZ0D
家康は関ヶ原で島左近の放った刺客によって成敗された。
これが実話。
0404人間七七四年2016/03/20(日) 08:42:28.52ID:pLDzY1eR
だから岩松八弥がみんな殺ってりゃあのゴミ一家に振り回されないで済んだんだ
今からでも遅くない・・まあ殺れとはいわないよ殺れとは、でもまあ、ね
0405人間七七四年2016/03/20(日) 12:04:34.40ID:bUgXNZgN
>>400
三成のような首謀者連中を除けば西軍諸将は無駄に抵抗しなければ助命はしてもらえるからな
下手に家康本陣に肉薄なんかしたら三成に脅されたとの言い訳もできずに処刑される危険があるだろ
西軍諸将はしっかりとリスクマネジメントをしていたといえる
0406人間七七四年2016/03/20(日) 15:16:32.46ID:Ne7x0o7q
島津軍はぶっちゃけ家康本陣にブッ込めば内府の首を取れた気がする
0407人間七七四年2016/03/20(日) 15:48:28.41ID:lw/Gh2XX
逃げる家康のウンコで滑って転んで頭打って死ぬ豊久の姿が目に浮かぶわ
0408人間七七四年2016/03/20(日) 15:50:19.72ID:sSzIzrKt
秀頼の黄母衣衆は関ヶ原に参加したと聞いたけどどんな扱いだったの?
0409人間七七四年2016/03/20(日) 15:52:56.45ID:Bhi7QT9+
三成の相備
0410人間七七四年2016/03/20(日) 15:54:13.60ID:iTLUFB/X
石田三成の後備えで戦闘には参加せずらしい
0411人間七七四年2016/03/20(日) 16:28:21.62ID:Bhi7QT9+
後というか横かと
0412人間七七四年2016/03/20(日) 16:34:53.34ID:OT9jXYZN
黒母衣に比べると地味過ぎる

三成じゃな・・・武功なしの奉行職だしな
0413人間七七四年2016/03/20(日) 17:41:52.27ID:dey2KFhb
>>400
関が原の布陣図を信じるなら、家康本陣は分厚い東軍諸将の前衛にカバーされている
夏の陣の家康前衛は、隙間が多い
0414人間七七四年2016/03/21(月) 08:48:03.56ID:Ly231jRR
黄母衣衆をわずかに参加させたあたりが、
豊臣家の西軍に対する意志がリアルに伝わるな。
0415人間七七四年2016/03/21(月) 10:18:55.91ID:La7wdwWr
>>414
どーだろ?
この時点で「豊臣家」という存在はまだいないんじゃないかな
大野治長だって東軍にいるし

関ヶ原の合戦当時は、まだ「公儀としての豊臣政権」と、「豊臣家(武家・公家)」の家政が
分離していなかったし、豊臣家家宰というほどの存在も設置されていなかった
だから、大老・奉行たちが、天下=「豊臣政権」の運営と「豊臣家」の家政運営を
一体化して行っていた

結果として、奉行たちが西軍に加担し敗れ去ると、「豊臣家」の家政にも空白が
できてしまった
戦後に、織田信包・片桐且元が家康の命によって家政を担当し、それに大野治長・
織田有楽・幼い秀頼の親権者としての淀殿らが加わり、そこで初めて「豊臣家」として
形ができたというべきだろう

だから、西軍に参加した旗本衆は、「大義が西軍側にあると思った」か、「奉行の命令で
仕方なく参加」したか、「自分の欲望に従って勝ちそうな方に賭けた」だけで、豊臣家の
意志ではないだろう
0416人間七七四年2016/03/21(月) 11:05:12.75ID:TAzFpuZY
他にも七手組や弓鉄砲衆の一部等が参加したともされ、豊臣旗本も結構動員された臭い
都合が悪く無かったことにされたので、絶対的戦力差で三成奮戦という話になった
0417人間七七四年2016/03/21(月) 11:09:37.08ID:497TVpTj
畿内占領されてるのに一切手をかしませんとはいえんだろ。戦後を考えても
0418人間七七四年2016/03/21(月) 12:56:13.93ID:La7wdwWr
>>417
でしょうね
参加者たちにどういう思惑があったにせよ、家康が平和的に大坂城を開城させるために、
大野治長を淀殿の元に送って
「この戦いは三成がやったこと。豊臣家は関係あると思っていません」
と言わせたことで、豊臣家とその直属の旗本・組衆は無罪放免になった
その代り、旗本相当で万石以上の大名級の西軍参加者は根こそぎ消されちゃった

母衣衆の三好房一なんて、上杉征伐軍に参加し、そのまま東軍になったのに、
「従軍中に西軍により河内国内の領地を押えられ失領したから」という理不尽な理由で
1万石から2300石へ減封という処置
記録に残っていないけど、西軍に内通でもしてたのかな?
東軍参加者で減封になったのは、秋田実季・日根野吉明の西軍内通組だからなあ
0419人間七七四年2016/03/21(月) 13:20:50.36ID:3PVKd6vA
>>417
人の場合は命令してもいないのに勝手に動いたと言い訳も立つが
金や米に手足が生えて勝手に動くことはありえないからな
軍資金も兵糧も与えず切り捨て可能な捨て駒だけ出したということから
積極的に西軍に肩入れする気がないのは明らかだと思う
0420人間七七四年2016/03/26(土) 21:06:31.81ID:hgcokJWK
東軍の中では三成の目的は何だと言われてたの?
秀頼に謀反を起こすとでも言われてたの?
びんたん ver Kuma/3.00/16
Mozilla/5.0 (Linux; Android 5.1; KYV34 Build/100.2.2300) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/49.0.2623.91 Mobile Safari/537.36
0421人間七七四年2016/03/26(土) 21:13:16.11ID:sD2szMy3
それこそ「天下の私物化」だよ
0422人間七七四年2016/03/26(土) 21:46:33.67ID:6BzBjULn
当時は戦をする場合は秀頼に事前報告して許可を取り朝廷に届け出るのが義務であり
家康も会津征伐に際してはしっかりと手続きを遵守していた
ところが三成は俺が豊臣家のためだと言ったからいいんだ、俺たち側の大老・奉行こそが政権の支配者なんだと言い放ち
手続きを無視して勝手に戦を始めてしまった
東軍からすれば三成の行為は天下を私物化するための謀反でしかなかった
0423人間七七四年2016/03/26(土) 22:09:50.28ID:jkymRHWR
後に家康が豊臣家を滅ぼすので、この点には触れず三成を正当化しようとする
研究者が多いよね。
0424人間七七四年2016/03/26(土) 22:31:33.78ID:YKlEQM2M
この点ww
0425人間七七四年2016/03/27(日) 09:45:10.05ID:VEz8kt5b
井伊直政はほんとに島津の追撃で負傷したのかどうか
0426人間七七四年2016/03/27(日) 10:30:49.43ID:Qwl0utdK
負傷はしたらしいが、良く言われるようにそれが原因で死んだ、というのは嘘
0427人間七七四年2016/03/27(日) 13:04:29.36ID:VEz8kt5b
島津ファンが退き口を大手柄のように語るのがずっと違和感ある
井伊直政討ち取ったとかね
0428人間七七四年2016/03/27(日) 13:08:43.99ID:dxmX8EjW
あの状況で大将が生還した事は素直に賞賛されるべきだと思うが
そのために隊が壊滅した事を都合良く忘れてる奴は結構いるな
0429人間七七四年2016/03/27(日) 22:37:13.41ID:MXltZSkP
島津なんて戦国から維新・西南戦争まで兵は使い捨て何人死のうがどうでもよいが信条だからな
0430人間七七四年2016/03/28(月) 01:37:57.42ID:iCjxHZyW
五大老の前田が家康に屈服した時点で次の天下人は家康
あとはただの詰めの将棋
0431人間七七四年2016/03/28(月) 02:07:45.55ID:EKs4raLg
前田利家って人望あったって言われてるけど、織田家の旧臣に嫌われてない?
丹羽長重が前田嫌いっていうのは有名だけど、池田も森も徳川派だし。

細川とか蒲生とかは前田派だけど、両方外様系家臣だし、
織田家の旧臣が以外と前田にはついてないのが印象的なんだけど。
0432人間七七四年2016/03/28(月) 02:11:22.75ID:EKs4raLg
蒲生は家康の娘と結婚した段階で前田派を離れてるし、
細川忠興も前田利家の娘をもらってる長男を利家が死ぬとすぐ廃嫡したから、
別に前田利家が好きってわけでもないみたいだし。
0433人間七七四年2016/03/28(月) 03:14:47.70ID:1b9Y3swy
忠興が廃嫡したのはどこまでが政治か感情か境がわからないけど
独立性の高い家臣だった松井康之はバリバリの家康派
0434人間七七四年2016/03/28(月) 09:22:48.61ID:X67QGWch
>>431
池田とか徳川の縁戚だし丹羽は自分の領地を前田に持ってかれたようなもんだから
そりゃ前田になびくはずがない
0435人間七七四年2016/03/28(月) 12:02:50.51ID:EKs4raLg
堀とか森は?
0436人間七七四年2016/03/28(月) 13:09:46.74ID:EKs4raLg
やっぱり賤ヶ岳の裏切りのせいで織田家中では利家の評価はいまいちだったんじゃない?
0437人間七七四年2016/03/28(月) 16:00:01.08ID:W47HaoQX
秀吉が蒲生と池田を家康の婿にしたのは本当に不思議だ
0438人間七七四年2016/03/28(月) 16:47:27.66ID:I45vlf2w
斡旋者として自分の権威を示したかったんじゃね?
死後はそのポジションを家康がまるごと引き継ぐが。
0439人間七七四年2016/03/28(月) 17:19:01.93ID:W47HaoQX
蒲生を家康の縁戚にしたあとで、蒲生の所領を大幅減するとか、
秀次の配下だった池田を家康の縁戚にしたあとで、秀次を失脚させるとか
意味不明な行動が多いんだけど。
0440人間七七四年2016/03/28(月) 17:47:13.16ID:I45vlf2w
蒲生に関しては跡取りが幼く家中がボロボロだったからしゃあない
家康や秀次が反対したからしばらく様子見したけど結局、家中がまとまらなかったんで
没ッシュートするしかなかった。
0441人間七七四年2016/03/28(月) 18:41:49.24ID:DemqXdSQ
>>439
アレは蒲生まで派閥に取り込んだ家康に、反家康派が反発して巻き返した結果だと言われる
0442人間七七四年2016/03/28(月) 20:56:49.71ID:W47HaoQX
でも蒲生との縁組は秀吉の命令なんだよね
そんなこと最初からしなきゃいいのにしてからなんで電報するのよ
0443人間七七四年2016/03/28(月) 20:57:45.74ID:W47HaoQX
電報→減封
0444人間七七四年2016/03/28(月) 21:03:02.75ID:BCSkCv2o
実は秀吉自身が家康を頼りにしていたのかもな
0445人間七七四年2016/03/28(月) 21:08:33.57ID:D+6gZ2+f
>>444
どうみても
そうなんだよな
0446人間七七四年2016/03/28(月) 21:24:39.69ID:DemqXdSQ
秀吉の遺言では秀吉死後の家康の独裁を認めている。それがいわゆる五大老五奉行の協議制になったのは秀吉の死後の奉行衆たちの巻き返しによる。
0447人間七七四年2016/03/28(月) 21:25:33.53ID:Czxa/1nH
秀吉が朝鮮で好き勝手できたのも、東国を徳川が抑えていたからだし
0448人間七七四年2016/03/28(月) 21:56:43.48ID:adiu+T6r
遺言覚書体制w
あんな論文真に受けてるのなんてw
0449人間七七四年2016/03/28(月) 22:35:12.48ID:W47HaoQX
秀吉はいつからぼけてたのかな
0450人間七七四年2016/03/28(月) 22:37:17.95ID:DemqXdSQ
>>448
具体的反証無しの捨て台詞、流石です。
0451人間七七四年2016/03/28(月) 23:46:38.93ID:d6R2jo2k
>>449
個人的には鶴松死亡から壊れだしたのかなぁ〜と考察してるな。
鶴松死亡を受けて秀次に(かなり無茶ぶりだが)跡目を継がせようとしたあたりが
大名として現実的な思考ができていた限界点で、お拾い様誕生からはもう完全にイカれてたと見てる。
0452人間七七四年2016/03/29(火) 11:30:11.41ID:gkscNTwO
秀吉は家康が高齢に加えて秀忠の戦下手は十分承知してたはず
誤算は三成が家康健在のうちに挙兵したことだろ
三成は彦根で大人しくしてたら豊臣政権は形だけでも存続はしてた
0453人間七七四年2016/03/29(火) 11:53:02.80ID:mLaGZFVq
>>452
その考えなら秀吉が死ぬ頃なら秀忠は秀頼の外戚になる予定だから、むしろ計算通りかもよ
0454人間七七四年2016/03/29(火) 13:07:06.60ID:+X5FME7u
秀吉的には神輿扱いでもいいから徳川家に秀頼を守ってほしかったんじゃないかな
0455人間七七四年2016/03/29(火) 14:05:03.65ID:D+R4Gn3y
おいおい、それじゃ三成ってとんだ糞野郎じゃないかw
0456人間七七四年2016/03/29(火) 14:51:41.36ID:bmcGapxZ
三成にとって自分のいない豊臣政権など、何の価値もないから
0457人間七七四年2016/03/29(火) 16:18:18.24ID:RX0uuIYe
三成はあの状況で挙兵できた事は大したもんだがそこが限界だった
家康を排除出来たとしても戦後を三成にコントロール出来ると思えん
0458人間七七四年2016/03/29(火) 20:19:45.25ID:ajGN26Iv
南宮山で一番戦場のいいとこに着陣した
毛利が調略されて動かないのでは話にならない
0459人間七七四年2016/03/29(火) 23:00:01.92ID:5PwRvQVN
家康の謀略にしてやられた三成
いえやすみたいな汚い奴が今の日本の企業社会にはびこっている
だから日本はダメになってしまった沈んでしまった
0460人間七七四年2016/03/29(火) 23:59:14.06ID:tZx92A5e
>>457
正直、奉行クラスが秀頼本人と淀の身柄を抑えて「秀頼様のために」と言えば挙兵程度は三成以外でも通せる。
でも、その手口を使ってまで掲げた征伐に失敗すると自分の家どころか豊臣の権威まで地に落ちる事になるから
徳川はあえてその手を使わずあれこれ手間暇かけて上杉征伐の理屈をひねり出してる。
0461人間七七四年2016/03/30(水) 00:27:42.77ID:S5fZvckv
理屈もなにも上杉が年貢を持ち逃げしたり武器・浪人を集めていたのは事実だよ
しかも詰問されただけで逆ギレして挑発文書を送って上洛拒否だから征伐されて当たり前だろう
日本中の大名が上杉と同じ行動をとったら豊臣政権は崩壊して戦国乱世に戻ってしまう
そこを無視して家康が難癖つけて会津征伐を始めたように言われているのは本来なら重大な誤りといえる
関ヶ原以前の家康はむしろ悪質官僚をリストラしたり諸大名の乱れた振る舞いに対して綱紀粛正を進めたりして豊臣を立て直そうとしていた
三成が暴走して豊臣を根本から破壊したため新政権での統治に切り替えただけだ
0462人間七七四年2016/03/30(水) 07:37:32.82ID:Ln1tFvB+
悪貨は良貨を駆逐する
0463人間七七四年2016/03/30(水) 07:43:17.78ID:IrDJBviU
>>462
確かに江戸幕府は「永楽銭も鐚銭も同価値じゃ」で撰銭問題を解決したね
0464人間七七四年2016/03/30(水) 10:59:18.21ID:xN6wE/ot
江戸幕府も駆逐されちゃったしな
0465人間七七四年2016/03/30(水) 11:46:36.18ID:UIm/6kv8
もし三成が上杉討伐を傍観してそのまま歴史の表舞台から退場してたとしても
淀と徳川の確執が高まって結局は武力衝突
清正とか正則が豊臣側で参戦するだろうから短期決戦にはならんだろうけど
0466人間七七四年2016/03/30(水) 13:24:46.31ID:KhlbrmPN
淀って親とは言わんまでも徳川に近いのに対立に走るとしたらどんなことがあげられるのかな
この時期に露骨に潰しにくるとは思えんし
0467人間七七四年2016/03/30(水) 18:33:41.28ID:8Xmg7lP3
そもそも淀は妹二人とも東軍方なんだから、淀が東軍西軍どっちに親近感持ってるかなんて馬鹿でもわかるわな
0468人間七七四年2016/03/30(水) 19:54:57.51ID:8y3iM508
徳川と豊臣の関係が怪しくなったのは秀忠が将軍就任して
秀頼に秀忠と面会するように要求したあたりからだよね?
>>465のifだとそもそも家康の征夷大将軍就任につながる関ヶ原が起こらないんだけど
どういう成り行きで淀と家康が対立するようになるんだろう
0469人間七七四年2016/03/30(水) 20:58:15.62ID:GMoVR64q
>>468
淀が主体ではなくなっているが、秀頼が親政したがって対立というベタなパターンはありうるな
0470人間七七四年2016/03/30(水) 21:05:41.30ID:3H5hoV5Y
淀は家康寄りってのはよく言われるし
てか現代の人が思ってる以上に、当時の人物の家康への信頼度や好感度は高かったし、家康に実権がある事は皆当然だと思っていた
三成は政敵排除、自分の復権の為に謀反起こして、それに豊臣の名を使用して大規模にしてしまっただけ
毛利が西に入った事がまずかった
0471人間七七四年2016/03/30(水) 21:55:40.26ID:HzblPJEs
>>470
おまえ良くそんな大嘘がこけるな
家康なんて昔から悪役の代表だぞ
0472人間七七四年2016/03/30(水) 21:58:50.18ID:IrDJBviU
>>471
その「昔」は昭和ですか?
0473人間七七四年2016/03/30(水) 22:21:55.37ID:+vSwVdOz
悪役の代表とする史料は何です?
0474人間七七四年2016/03/30(水) 22:45:11.01ID:HzblPJEs
天下の大悪人徳川家康
これ定説ですが何か?
0475人間七七四年2016/03/30(水) 22:49:47.66ID:NDo4IkUm
家康アンチは程度が低いのばっかりだな
0476人間七七四年2016/03/30(水) 23:20:42.37ID:Qdgnegfg
というか普通に歴史をまともに知らないだけかと
0477人間七七四年2016/03/30(水) 23:54:32.37ID:8y3iM508
>>469
関ヶ原がなければ豊臣家にとって有為の人材が死ぬこともなくなるだろうし
秀頼の教育環境はよくなるだろうから大分違った育ち方するんだろうな
0478人間七七四年2016/03/31(木) 01:18:06.06ID:8XJ+VLu8
>>470
地方および地域全体の盟主も兼ねる大老はまだしも奉行組がやる気なさすぎた。
奉行らがサボっていてもトラブルは待ってくれないんだから居残ってる徳川が何とかするしかなくて
どうにか解決してしまえば、それ以降「有事にサボってたお前ら、もう来なくて良いよ」と判断されるだろそりゃあ。
主家への忠義とかどうとかを論ずる以前の問題だよ。
0479人間七七四年2016/03/31(木) 12:30:48.44ID:10lJTEiq
三中老というのが何してたのか?っていうのはあるな
五大老と奉行衆は対立してたらしいが
0480人間七七四年2016/03/31(木) 18:32:14.46ID:nz/Ud6sG
毛利が本気なら勝てなくは無かっただろうけど、
それで総大将の毛利が徳川級の勢力になったら三成的に何の意味無いんじゃないか?
毛利って言っても豊臣には何の恩義も無いし、西に着くまでは徳川の同盟者で、家康一味の幹部みたいな奴等だった訳だし
0481人間七七四年2016/03/31(木) 22:26:24.82ID:3hsKKsRJ
>>479
そもそも三中老なんてものに当る職制が本当にあったのかって
疑われているからな
0482人間七七四年2016/04/01(金) 02:22:23.20ID:X9sbx/zQ
>>480
三成が後世言われているような豊臣家の忠臣ではなく、単に失脚した官僚が返り咲きを狙ったのだと考えれば、自分の後ろ楯になってくれるなら毛利が執権家になろうと、毛利幕府が誕生しようと構わんかったのだ、と考えることができる
0483人間七七四年2016/04/01(金) 07:11:17.69ID:DdbB5vrf
三中老の無能っぷりは異常
0484人間七七四年2016/04/01(金) 09:11:45.48ID:6ipnfBMJ
五奉行と呼ばれる三成達官僚連中は、自分達を年寄と称し
家康達五家老連中を奉行と言ってたらしいが
自分達が政権を担うんだと言う気概は兎も角として
秀吉と言う後ろ盾を失った後の自分達の実力、影響力に対しての
客観視が欠けていたな
0485人間七七四年2016/04/01(金) 09:30:58.56ID:q8KEpmAM
三成は誰かの庇護が在って初めて権力を行使できる立場だからな。
秀吉の後前田利家を頼ったが、利家が死ねば家康どころか清正達七将ごときに追い落とされる始末。
それで今度は毛利を頼ったのが関ヶ原
0486人間七七四年2016/04/01(金) 10:43:27.38ID:YLOBCnXw
権力者秀吉が死んで頼るものを失った人達のうち、
寵臣・石田三成が発狂したのが関ヶ原
愛妾・淀が発狂したのが大坂の陣という感じかな
0487人間七七四年2016/04/01(金) 11:58:32.71ID:0Z+C182n
淀は和平派だよ
ブチ切れたのは秀頼の方
0488人間七七四年2016/04/01(金) 12:11:30.24ID:ImRBwNtS
もし秀頼が賢かったとして転封を受け入れて土下座外交でのりきれてたかというと疑問だねえ
僻地におしこまれたあげくに家光に難癖つけられて明治維新のときには1万石の大名になってたとかがおちになってただろ
0489人間七七四年2016/04/01(金) 12:40:21.59ID:3h7WVc3r
1万石の公家なら超でかい顔で来てウハウハだったのにな
中途半端な武家やってたら警戒されるわ例のごとく財政難で苦労するわで良い事無さそう
0490人間七七四年2016/04/01(金) 13:30:01.92ID:Su9ROFsW
1万石の所領からのあがりじゃ公家でやってくのは無理だろ。
官位もらえねーよ。
0491人間七七四年2016/04/01(金) 13:47:33.46ID:3h7WVc3r
突っ込みどころしかないレスされても
0492人間七七四年2016/04/01(金) 13:55:22.15ID:Su9ROFsW
んじゃ、出自不明の成り上がりが金もなく
どうやっていけるのか解説してくれや。
0493人間七七四年2016/04/01(金) 14:50:17.49ID:aJolbWUL
>>492
それ以前に近世の公家の収入がどれくらいか知ってる?
0494人間七七四年2016/04/01(金) 15:22:03.80ID:0Z+C182n
>>488
柔順にしてりゃ前田家ぐらいの待遇で飼ってもらえたんじゃないの?
家康的にも禅譲という形を取った方が色々と有難かったし。
朱子学を採用する手前、簒奪という形はとりたくなかったしね。
大阪の陣に先駆けてやったことが儒学者による理論武装だからな。
0495人間七七四年2016/04/01(金) 15:39:23.25ID:XI2h59z/
ここは大坂の陣ではなく、関ヶ原のスレなのだけど
0496人間七七四年2016/04/01(金) 16:25:21.95ID:4wX5+K8n
関ヶ原で仮に西軍が勝ってたとしても、天下の処分なんて決まってないと思うけど
西軍は負けたらあっさりすぎたな。
0497人間七七四年2016/04/01(金) 17:16:32.62ID:Su9ROFsW
>>493
むろん知ってるさ。1万石というのは公家としては破格だが、豊臣家は
所詮成り上がりもの、金もないのに公家扱いされるかといえば甚だ怪しい。
武家扱いなら1万石の大名は従5位下で、昇殿が許されるかどうかという
ポジションなのに、1万石で超でかい顔できてウハウハの公家暮らしとか
なに妄想垂れ流してんだ、という話。
0498人間七七四年2016/04/01(金) 21:39:51.15ID:+vyOogTF
>>497
豊臣秀吉が関白になった、という前例がある以上、豊臣家は摂関家。
後は朝廷に出仕してきちんと仕事しつつ、他家より有利な財政事情を生かして猟官運動をすればよい。
家職をどうするのか、って問題はあるけど。
0499人間七七四年2016/04/01(金) 21:46:19.40ID:A7oEzUnB
> 後は朝廷に出仕してきちんと仕事しつつ、他家より有利な財政事情を生かして猟官運動をすればよい。

これがまず無理ゲーな気がする
0500人間七七四年2016/04/01(金) 22:01:26.52ID:rYeF0V8m
北条氏は何代経っても貴種にはなりきれなかったのに
なぜか一代で貴種になった豊臣家
0501人間七七四年2016/04/01(金) 22:37:25.14ID:6xBVbLMZ
>>500
そりゃあ太閤秀吉様が朝廷を大事にして莫大な財宝を献上したからね
それに引き換え家康の野郎は朝廷を軽んじて天皇をも自分の支配下に置こうとした
公家諸法度を乱発して締め付けたし
明治維新の後、明治天皇は秀吉の恩義に報いるために豊国神社の建立を各地で進めたし
久能山東照宮と日光東照宮には豊臣秀吉を家康の上座に祀るよう指示したくらいだし
0502人間七七四年2016/04/01(金) 22:48:07.39ID:+Ra6nJgx
>>501
呼吸をするが如く嘘を吐く
0503人間七七四年2016/04/01(金) 23:00:02.30ID:rYeF0V8m
家康は豊臣家を殷、自分を周の武王になぞらえてたみたいだけど
豊臣家がいなかったら
天皇家を殷になぞらえてた可能性もあるね
0504人間七七四年2016/04/01(金) 23:14:46.12ID:lV0TU/72
>>502
どこが嘘なのか言ってみろこのアホ
0505人間七七四年2016/04/01(金) 23:18:16.07ID:q8KEpmAM
>>504
秀吉が朝廷にあてがったけちくさい所領を大幅に拡充して朝廷の財政を回復させたのが徳川幕府なんですが
0506人間七七四年2016/04/01(金) 23:23:24.97ID:qJrWp/Fg
あと公家諸法度も禁裏側からの要請だな
0507人間七七四年2016/04/01(金) 23:29:40.45ID:XI2h59z/
秀吉時代の朝廷の所領が七千石で幕府時代が三万石だっけ
司馬の小説程度の知識で語るから困る
0508人間七七四年2016/04/01(金) 23:42:02.79ID:c6HrRSyC
秀吉は関白を殺害したうえに大臣のほとんどを空位にするなど朝廷を滅茶苦茶にした
秀吉が死んだ時点では武家と公家をあわせても大臣は家康ただ一人だけで
もちろん関白もいないという異常事態だった
むしろ家康は秀吉によって混乱状態になった朝廷を立て直したというのが史実だよ
0509人間七七四年2016/04/02(土) 00:27:44.92ID:neO3Cby3
どの話でも当時の家康の大物っぷりが分かるな
0510人間七七四年2016/04/02(土) 01:18:10.35ID:5V4L06V6
それって大物なのかな
朝廷を保護するって家柄コンプレックスの保守主義の小物の家康エピソード
0511人間七七四年2016/04/02(土) 01:38:27.25ID:EOfVqn4W
確かに秀吉は関白を殺したり明から日本国王を授与されたりと
朝廷どころか日本を破壊するエピソードが満載だよね
0512人間七七四年2016/04/02(土) 01:52:34.19ID:f6IEGKka
>>510
つまり信長も小物だと
0513人間七七四年2016/04/02(土) 02:36:00.09ID:aT9nh1LF
武家の棟梁は幕府開くもんな
その点で公家文化にかぶれると朝倉・大内はじめ御家断絶パターンが多い
0514人間七七四年2016/04/02(土) 03:09:03.02ID:5V4L06V6
>>512
信長は利用中に死んだからな。日本を統一したあと信長は朝廷を潰しただろうよ。
0515人間七七四年2016/04/02(土) 04:31:14.59ID:UN4ZyV5w
安土城の例の御殿からすれば、信長は朝廷を
むやみに潰したりはせず利用法を心得てたんだと
思うぞ。敬意とかは全くもってなさそうだけどな。
0516人間七七四年2016/04/02(土) 04:36:37.63ID:5V4L06V6
あの御殿には信長が住んだんだろうね。隠居して。
0517人間七七四年2016/04/02(土) 07:31:55.34ID:8Nt+bgS/
>>516
信長は一般的な意味ではすでに「隠居」してる状態だった。
家督は信忠に譲ってる。
0518人間七七四年2016/04/02(土) 07:54:17.06ID:pM95eUQ6
家康は姑息な田舎者
0519人間七七四年2016/04/02(土) 08:05:43.10ID:5V4L06V6
>>517
天皇を滅ぼした後はってことだよ
0520人間七七四年2016/04/02(土) 08:07:56.93ID:5V4L06V6
信長は天皇を潰す気はなかったって力説するやつってお前以外にもいるけど、
ネトウヨなのかなキモイ
0521人間七七四年2016/04/02(土) 09:22:06.76ID:1MUiW9ug
釣れる?
0522人間七七四年2016/04/02(土) 09:59:41.46ID:e5BFyQ18
嘘だと言われて証拠を求めたら、四方八方殴られて、反論出さずに屁をこいた
0523人間七七四年2016/04/02(土) 10:21:26.23ID:pM95eUQ6
薩長東京新政府は日光東照宮を焼き払おうとしたが、地元の嘆願により中止した。
その代わりに豊臣秀吉を家康の上座に祀らせた。
これ豆な。
0524人間七七四年2016/04/02(土) 10:31:15.76ID:PwWrb+wY
ついでにいうと
家康ら東軍による会津仕置の意趣返しで
徳川系の会津勢を必要以上に徹底的に破壊したのが
新政府軍(西軍とも自称)による会津征伐(会津戦争)な
0525人間七七四年2016/04/02(土) 10:55:50.13ID:EOfVqn4W
薩長東京新政府は後にアメリカを使って日本中を焼き払ったうえで降伏して属国になったけど
これも実は意趣返しだったんだよな
0526人間七七四年2016/04/02(土) 11:13:04.37ID:pM95eUQ6
考えてみれば会津てかわいそう
徳川に利用されて京都守護してたけど悪者にされて、今また東京電力によって原発事故で
0527人間七七四年2016/04/02(土) 14:43:29.81ID:RNJVLEcm
会津はハッキリ言えば自業自得
幕末の後半は一会桑政権と薩摩の戦い
長州は薩摩の鉄砲弾
裏で薩長に対するテロを支援しながら俺のところは中立なんて無茶苦茶ほざくもんだから
仲間の奥羽列藩から謝る気あるならもっと真剣に謝れとたしなめられる始末
本当の被害者は会津の巻き添えになった奥羽列藩
0528人間七七四年2016/04/02(土) 16:18:40.76ID:oQUg+4GL
結果論で見ると家康は下手に刺激せず、適当に良い思いさせてれば簒奪なんて無かったよな
家康自身あの時点で晩年だし、下手な博打に出ず、自分の死後の徳川の安寧の為に、周りと仲良くやりつつ反乱分子の排除しか考えてなかったろ
0529人間七七四年2016/04/02(土) 20:13:59.08ID:lqxJ8KrH
>>527
長州は薩摩の鉄砲玉というか、
むしろ西郷のような大人物がいないせいで会津はひどい目にあわされたというべきだろう

薩摩藩邸を焼討ちにした庄内藩を西郷は赦した
それだけの太っ腹な処置が西郷には可能だったということ
0530人間七七四年2016/04/03(日) 00:28:03.01ID:vNRC5Jbe
薩摩も大久保死後はゴミしかいないけどな
0531人間七七四年2016/04/03(日) 13:18:56.22ID:6hwxNeMU
朝廷工作じゃ長州に一日の長があったという事か

毛利が大江なんとかの繋がりで勤王の志がという話らしい
0532人間七七四年2016/04/03(日) 13:45:59.66ID:tamAWkvC
キチ外はなぜか幕末の話が好き
0533人間七七四年2016/04/03(日) 15:09:58.65ID:CBl6v1tc
信長の嫡孫秀信を何故陣頭に立たせなんだのか 病弱とは言え、士気は違ってた
0534人間七七四年2016/04/03(日) 18:54:12.26ID:QY3TIhsN
景時は狂信的だったわけではない
御家人の弾劾にさらされても弁明すらなかった
その御家人たちは最後は北条に挑発され各個撃破されてる
大族三浦氏など一門からでた侍所筆頭の和田を義時の挑発で破滅させられたあげく、本家も滅ぼされて最後は北条の家人にされてる

大族ではないが豊臣子飼いの分断と内府支持に決定的な役割を果たした愚かな福島正則の末路は、三浦氏の末路とやや似てる
とはいえ鵺のごとき相手にまったく吸収された福島正則の末とは違い、三浦の裔は北条氏蕩滅に蜂起した新田の苦境を救って北条全滅を強くアシストしてるが
0535人間七七四年2016/04/03(日) 20:10:15.55ID:tNLv/mUJ
>>533
陣頭に立たせるも何も関ヶ原に先立つ岐阜城攻防戦で負けてるのに
そこからどうやって関ヶ原に参戦するというのか
0536人間七七四年2016/04/03(日) 22:12:29.69ID:A7zbebrJ
>>534
三成が勝手に武装蜂起して豊臣の支配者気取りをしているのだから
福島が家康を支持して三成の反乱を鎮圧するのは当たり前だろ
0537人間七七四年2016/04/03(日) 22:28:53.21ID:QY3TIhsN
>>536
秀吉死後とくに活発化した家康を四大老五奉行が弾劾した事実がある
前田利家存命時には
徳川家康は伏見の上屋敷を退去してる
前田は四大老五奉行の執権者として徳川家康と武力衝突寸前だった

勝手に武装蜂起とは、前田利家亡きあと毛利輝元が「涙がでるほど悔しい」とまで言わしめた
徳川家康の行動のことかな?
0538人間七七四年2016/04/03(日) 22:49:26.94ID:fWJqRNMK
徳川が勝手に武装蜂起したとする史料出してよ
0539人間七七四年2016/04/03(日) 22:56:54.86ID:x0Eq9Owy
>>535
というか西軍も本当なら岐阜城あたりを自陣の防衛ラインにしたかったのでは。
0540人間七七四年2016/04/03(日) 22:57:57.21ID:A7zbebrJ
毛利輝元が涙がでるほど悔しいとかいうわりにやったことは
出陣要請も拒否って大坂に引き篭もり、家康が来るとさっさと逃げ出したことだけだからな
輝元の言うことは支離滅裂なので考慮するだけ馬鹿馬鹿しい
0541人間七七四年2016/04/03(日) 23:20:10.37ID:idCnPcKL
膠着状態からが本番、そこから本気だそうと思ってた
0542人間七七四年2016/04/03(日) 23:52:00.24ID:anlInAEt
感情がどうであれ、やってることはクーデターだから、大坂を迂闊に離れられなかった
0543人間七七四年2016/04/04(月) 08:58:14.18ID:fzAunJee
治部に留守番させればいいじやん
0544人間七七四年2016/04/04(月) 10:31:55.67ID:CpvzHSnA
輝元が自ら出陣して本陣で陣頭指揮
そこに家康の誘いがきて優柔不断な輝元は不戦に転じる
本陣の様子がおかしいとさっして西軍は四散する
輝元を大坂にとめおいた三成はやはり知恵者だったわけだ
0545人間七七四年2016/04/04(月) 10:34:18.76ID:ftdTozwH
【歴史】関ケ原の合戦の呼び名は当初、「青野カ原の合戦」だった?…合戦直後の文書に記載
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1459733018/
0546人間七七四年2016/04/04(月) 12:54:27.35ID:3W1d2CSo
♪武将といえば三成〜いちごろくぜろ!滋賀県生まれ〜♪
0547人間七七四年2016/04/04(月) 14:35:20.09ID:gA7NOr9H
輝元が大阪から離れたら即座に淀は逆賊毛利を討ての激を飛ばしかねなかったからな
軍事力盾のクーデターだからおいそれと大阪城を開けるわけにいかん
0548人間七七四年2016/04/04(月) 14:37:22.54ID:gA7NOr9H
>>539
当初の戦略では東軍が戻ってくる前に美濃と尾張制圧して
三河で家康を迎え撃つだよ。
輝元があちこちに色気だしたせいで尾張に進行する前にストップで
逆に美濃を取り返される始末
0549人間七七四年2016/04/04(月) 14:45:57.63ID:Ui1A1/0Z
長期戦に備えての補給路の安全対策だろ、
上杉も豊臣恩顧も役立たずであっという間に帰って来ちゃっただけで
0550人間七七四年2016/04/04(月) 21:19:22.91ID:2s48o+oV
色気っていうか、本国を空にして三河で徳川とにらみ合ってたら、黒田官兵衛が本気で西国を制圧しちまうだろ。
毛利はそれでもかなりの戦力を前線に出してて、広島城を守る兵力が足りないありさまだった。
0551人間七七四年2016/04/04(月) 23:11:55.38ID:AJw4hJyG
>>550
さすがにそこまでいくと加藤が黒田の野望見抜くと思うが
鍋島もどう動くか分からんし九州で一悶着あるんじゃないか
0552人間七七四年2016/04/05(火) 00:53:21.18ID:ajdYwf8Q
加藤も黒田の仲間やで
0553人間七七四年2016/04/05(火) 08:47:51.51ID:lVFL6ce6
>>547
大坂(秀頼居城)には両大老のうちどちらかが在城する
それを守ったんだよ
三河の律儀者は家柄もなにもかも仮面だったが
名門大江氏の裔は本当の律儀者だっただけ

まあ、最後に徳川宗家(今の宗家の先祖)を粉砕し、おまけに南蛮の技術であの地域を根こそぎ汚染していエタヒニン扱いされるとこまでもっていったわけだから
0554人間七七四年2016/04/05(火) 08:55:52.57ID:slsDzDLx
>>550
黒田にそこまでの力はない
あいつが九州勢力拡大し始めたのは関ヶ原の大局が決した後の火事場泥棒
家康さしてりゃ良かった云々はただの吹かし
0555人間七七四年2016/04/05(火) 11:18:20.25ID:Yaxr41a8
戦いの場所は「青野カ原」 合戦直後の文書に記載
http://mainichi.jp/articles/20160404/k00/00m/040/146000c
0556人間七七四年2016/04/05(火) 11:33:58.45ID:ajdYwf8Q
青野ヶ原は結構前から言われてるが南北朝期の戦いと混同されるから名称は関ヶ原のまま
0557人間七七四年2016/04/05(火) 11:40:42.57ID:OD6R1q59
ちょっ関ヶ原関連の古文書読めば青野ヶ原なんてなんぼでも出てくるのに、今更感強いなあ
0558人間七七四年2016/04/05(火) 11:42:12.93ID:OD6R1q59
むしろこの近衛前久書状のポイントは、毛利輝元が領地半減を受け入れた上で大阪城を退去した、って部分だろ
0559人間七七四年2016/04/06(水) 09:32:42.86ID:vY95KbxK
毛利は日和見してたと言うより、火事場泥棒的に
四国や九州方面など西国方面の領地狙いしてただけだしなぁ
0560人間七七四年2016/04/06(水) 11:00:25.69ID:lAFEKYNd
大内旧領に何かあるのかな
毛利は度々九州出兵してるが

小早川旧領じゃあるみたいだが筑前・筑後あたり
0561人間七七四年2016/04/06(水) 12:40:29.86ID:4R2drdQI
瀬戸内や関門海峡の利権も片側だけじゃねぇ
0562人間七七四年2016/04/06(水) 13:14:00.25ID:BnxiOyi9
筑前 筑後で50万石超えるからね
貧しい毛利領からみたら隣の青い芝生状態
0563人間七七四年2016/04/06(水) 16:27:24.93ID:HrhWEU8T
単純に実利があることと同時に大内の全てを毛利が継承したと正当性をアピールできるからね
0564人間七七四年2016/04/07(木) 11:50:37.76ID:+FnzAPPp
まあ良く言われてるように長引くと思ったから地盤固め考えたんじゃないか
関ヶ原は一日で決着がついたと言われたりもするけど、家康が大坂城を出立した
六月十六日から数えれば、決戦まで三か月、輝元が大坂城に入ってからも
二か月くらいあったわけだし
0565人間七七四年2016/04/07(木) 14:48:16.93ID:X4YEldQl
>>563
長州藩で維新のときに活躍したのは旧大内系だっけ?
感慨深い
0566人間七七四年2016/04/07(木) 15:56:10.26ID:WpBi0PP8
そもそも関ヶ原の役って呼称がおかしくないか
大坂の陣とかと違って、岐阜は勿論、大津や田辺、東北、九州、四国など
関ヶ原以外でも関連した戦が行われていたのに
0567人間七七四年2016/04/07(木) 16:38:53.30ID:ayq6d7kE
慶長の役だと唐入りと被るからなあ
慶長癸卯の役とでも呼ぶ?
0568人間七七四年2016/04/07(木) 16:39:48.19ID:ayq6d7kE
あ、ごめん
癸卯じゃなくて庚子だった
0569人間七七四年2016/04/07(木) 20:12:21.58ID:nN/joG22
じゃあそれで行こう
0570人間七七四年2016/04/07(木) 20:44:52.86ID:ayq6d7kE
ググってみたら実際に岩手県史や秋田県史では慶長庚子の役や慶長庚子の兵乱と呼ばれているらしい
0571人間七七四年2016/04/07(木) 21:44:14.69ID:+FnzAPPp
>>566
他にも北陸や伊勢とかでも戦いは有ったわけだし、有名な上田での戦いもあった
主力同士のぶつかり合いがあったとは言え、半日程度でけりがついた関ヶ原の戦いで括るのはおかしいな
実際西の関ヶ原とか東北の関ヶ原とか、無理矢理な題名の小説や関連本もあるわけだし
0572人間七七四年2016/04/07(木) 22:08:25.72ID:p4hhlqzd
関ヶ原が西軍蜂起から関ヶ原での決着までの期間の代表的な呼称になってるんだからしょうがないのでは
0573人間七七四年2016/04/07(木) 22:39:19.42ID:mRjb2BZ/
合戦名なんて桶狭間や長篠からして実際は場所ちゃうし
0574人間七七四年2016/04/08(金) 10:52:41.95ID:KNWAOFyp
子供の頃に読んだ子供向け伝記「織田信長」で

「桶狭間じゃのうて田楽狭間だろ?」
「いや、田楽狭間は桶狭間のなかにあるので、桶狭間と呼んでいいんだ」

というくだりがあったんだが、庶民がんな会話するのかよw
と思た
0575人間七七四年2016/04/08(金) 10:55:54.36ID:i3FUymcX
そういう突っ込みはキリがないから
極論すれば大河ドラマで標準語で喋るのはおかしいなんて話になるし
0576人間七七四年2016/04/08(金) 12:07:22.35ID:BmN3pu7t
慶長の乱がしっくりくる
三成らの反主流派クーデターて意味で
0577人間七七四年2016/04/08(金) 17:26:07.10ID:oauQbOFw
ここの戦いで全てが決着したのだから、やっぱり関ヶ原の戦いでいいよ
0578人間七七四年2016/04/08(金) 18:19:47.16ID:wX2tR8C9
関ヶ原までの先頭を網羅した言い方を臨むなら。関ヶ原戦役とでも呼ぶといい
0579人間七七四年2016/04/10(日) 00:19:48.25ID:NFRDmwwO
慶長5年戦争で良いだろ
0580人間七七四年2016/04/10(日) 00:38:04.86ID:G9A5xgEK
東軍 家康軍9万 徳川本隊4万
西軍 三成軍8万以上 毛利立花の分隊1万5千
大坂の毛利本隊1万以上?
0581人間七七四年2016/04/10(日) 11:06:30.52ID:BX2FmqZR
西軍は関ヶ原の決戦前に兵糧不足で崩壊気味
0582人間七七四年2016/04/11(月) 09:36:22.83ID:g5NPkXWK
書状から見える三成の戦前期と後期のテンションの差は酷いな
0583人間七七四年2016/04/11(月) 20:46:36.59ID:JVtMWEhQ
南宮山登ってみたけど、毛利秀元陣跡予想以上に狭いんだね
途中も兵士置けそうな場所少ないし、秀元軍のほとんどの兵は麓にいたんだろうな
0584人間七七四年2016/04/11(月) 21:24:32.21ID:swM7AXIe
関ヶ原の真実といえば前スレにあった白峰の西軍側が公儀の主張は酷かったな
小山評定とかに関してもそうだったけど、まだ矢部や平山あたりと同様に徳川史観を打破するんだって必死なのかな
0585人間七七四年2016/04/11(月) 21:27:57.26ID:1D4U5n6w
白峰はそれが平常運転
0586人間七七四年2016/04/11(月) 21:37:54.98ID:9ODn4jx5
朝廷とは別の公儀を立てられるのは将軍が幕府を開いた場合に限られる
関白や太政大臣に朝廷とは別の公儀を立てる権限はない
当時の日本は朝廷公儀でありその中で唯一の大臣である家康が朝廷公儀を運営していただけ
まして中納言や治部少がせいぜいでしかない連中が公儀を名乗れるわけがない
0587人間七七四年2016/04/11(月) 21:41:04.83ID:Z9eD/wQs
なんか自演も感じるぐらい見飽きた流れ 
0588人間七七四年2016/04/11(月) 22:03:53.80ID:g5NPkXWK
>>584
>石田・毛利連合政権成立の論拠
> 【1】豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼を直接推戴した
>【2】毛利輝元が公儀の城郭である大坂城に入城して豊臣秀頼を直接補佐した
>【3】自らを「公儀」と称した
>【4】政権の所在地である大坂を中心とした上方を完全に掌握していた
>【5】大名(細川忠興)を改易にして、近隣の諸大名に城受け取りを命じた
>【6】大名に所領(知行)を与えた

前スレのコピペだけど、これがそうだったね
ネット住民は兎も角、これで研究者たちを納得させられるのかな?
0589人間七七四年2016/04/11(月) 22:06:39.79ID:ip10ooku
こんなんがまかり通るなら押し入り強盗でも公儀名乗れるわ
どこのイスラム国ですかと。
0590人間七七四年2016/04/11(月) 22:32:16.22ID:LcoVqlJ2
そら、周りが排除できなくて認めざるを得なくなったらなるんじゃね?
イスラエルなんてまさにイスラム国じゃん。
0591人間七七四年2016/04/11(月) 23:26:27.06ID:IoCtMYLU
>>588
> >【4】政権の所在地である大坂を中心とした上方を完全に掌握していた
ハァ?大津城はなんやねん
0592人間七七四年2016/04/12(火) 00:13:30.43ID:lUgMHOHW
ドヤ顔で白峰の名前出す奴いるよなー。
0593人間七七四年2016/04/12(火) 00:17:29.79ID:CUZXxnMp
近江は畿内ではないが
0594人間七七四年2016/04/12(火) 03:54:14.77ID:1sHNxU6x
>>590
イスラエルとイスラム国は全く違うからw
0595人間七七四年2016/04/12(火) 05:04:37.61ID:dm7Fs0q+
近代史も分からん奴が参加してるのか
中卒はご遠慮してほしい…
0596人間七七四年2016/04/12(火) 07:09:48.27ID:gjlmqFqE
白峰アンチが定期的にだしてる感ありあり
0597人間七七四年2016/04/12(火) 10:06:29.55ID:BJuxv/0N
ここのスレの住民は真田丸をどうみてるのかな?
0598人間七七四年2016/04/12(火) 11:07:39.45ID:4ugLsbyG
>>594
イスラエルはむしろ公的には大正義なんだよなあ
周辺国家にいくら顰蹙買おうとも
0599人間七七四年2016/04/12(火) 16:37:25.13ID:GWDvO0IT
>>597
あれは大河じゃなくてコメディだよね
清洲会議なんかと同じノリ
0600人間七七四年2016/04/12(火) 16:39:54.27ID:aOSs31Gk
大河って別に歴史ドキュメンタリーじゃないんだからコメディでもいいんじゃないかと思うけど
0601人間七七四年2016/04/12(火) 17:08:56.32ID:mdUOg+e/
コメディにせよ重厚な云々にせよ
ドラマとしては楽しめてるな。なんだかんだで
0602人間七七四年2016/04/12(火) 21:00:13.25ID:1EFquO8s
茶々があの経歴で天真爛漫な少女ってのは無理がある
あの頃の茶々を竹内結子が演じるのはもっと無理がある
0603人間七七四年2016/04/13(水) 08:08:34.46ID:UxyuufZt
>>602
鼻の穴がデカ過ぎだからな
0604人間七七四年2016/04/13(水) 13:15:28.06ID:1mkBzwt5
秀頼役は寺田心でいいな。当時の秀頼と同じ7歳だし。
0605人間七七四年2016/04/13(水) 20:08:44.44ID:IM1GmK1u
『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』は名著
0606人間七七四年2016/04/13(水) 20:19:24.44ID:ug0Sv2rs
わざとらしくあげるw
0607人間七七四年2016/04/15(金) 21:18:48.22ID:VwPYmkg0
で、結局小山評定ってあったの、無かったの?
0608人間七七四年2016/04/15(金) 21:41:42.42ID:kD9hKzSS
三成が謀反を起こしたから鎮圧すると筆頭大老である家康から諸大名に伝える必要はあるが
議論するという意味での評定なんてする必要もないし理由もない
0609人間七七四年2016/04/16(土) 11:06:39.47ID:g78DF216
上杉討伐軍が小山で進軍を停止して引き返した以上は
小山の地で何かしらの軍議はあったのは間違いない

ただし小説のようなドラマチックなやり取りがあったかどうかは不明
黒田長政の工作、福島正則の先陣など、所詮逸話の域を出ないが、それを否定する必要もない
なんかやり取りあったんだろうねー、と想像した方が楽しいから
0610人間七七四年2016/04/16(土) 20:04:43.40ID:/iqem9iN
たまに関ヶ原後、西国は豊臣系大名が配置されて
それが徳川の限界だったみたいに書かれてる本見かけるけど
黒田とか藤堂とか池田とか細川なんかみたいに
すでに豊臣系か怪しい大名とか結構いるし、どうなんだろう
0611人間七七四年2016/04/16(土) 20:09:54.91ID:3x7u35CQ
>>610
江戸から京まで全て譜代大名で塗り潰された方が重要なのだが
まぁ、西日本の学者の言うことだから
0612人間七七四年2016/04/16(土) 20:22:41.32ID:K+MKhiru
>>610
実際、限界ではあった。というか関ヶ原の後そんなに領地やるつもりなかったけど
徳川軍がほとんど戦わずに関ヶ原の片が付いてしまったから大盤振る舞いせざるを得なかった
理想としては数年内に豊臣相手に完全な禅譲を果たしたかったところだが関ヶ原で徳川軍が
たいして活躍できなかったんで予定が十年は遅れた。
家康の当初の皮算用通りだったら大阪の陣すら起こることなく完全に徳川の世になってただろう
0613人間七七四年2016/04/16(土) 20:28:14.41ID:eKrsW2py
>>612
典型的な徳川陰謀論だな
0614人間七七四年2016/04/16(土) 20:28:34.11ID:c+ytMoKA
>>610
外様にはとっとと新しい領地をあげなきゃいけないんだから元西軍領が多い西日本に外様が集中するのは当然だろう
0615人間七七四年2016/04/16(土) 20:30:37.95ID:eKrsW2py
関ヶ原後に西日本が独立状態になっていたというのなら限界だろうが、関ヶ原後もかっちり江戸幕府に統制されてたんだから
限界どころかその強大さを表していると見るべきだよなあ
0616人間七七四年2016/04/16(土) 21:00:59.50ID:mdWJlZDC
そもそも徳川にとっての外様大名の大半は豊臣にとっても外様大名なんだが
徳川の譜代大名以外は全て豊臣系大名という間違った思い込みがあるからおかしな主張が展開される
0617人間七七四年2016/04/16(土) 21:45:31.26ID:fe3M1aB/
>>614
西国大名領と上杉領しか基本空いてないからなw
0618人間七七四年2016/04/17(日) 02:00:00.71ID:os17hAYh
関ヶ原古戦場へ行って霊感のある方などが
体調不良になることはありますでしょうか
0619人間七七四年2016/04/17(日) 09:39:43.03ID:WytbZ4y4
>>618
聴いたこともない
0620人間七七四年2016/04/17(日) 09:52:42.21ID:Yqly+vL6
ちゃんと戦後直ぐに首塚作って供養しているから問題無い
0621人間七七四年2016/04/17(日) 11:29:37.78ID:oVaRq1nf
>>618
東京大空襲の方がはるかに死人が出てるわけだが、東京都在住の霊能者が体調不良になりっぱなしってこともないだろ
0622人間七七四年2016/04/17(日) 11:48:19.27ID:5Ls7e75o
関ヶ原で体調不良ならスカイツリーに行ったら発狂かショック死だわな
0623人間七七四年2016/04/17(日) 12:19:30.44ID:/ITwSmsl
>>607
無いと山内の掛川城明け渡しの功績のお陰で、土佐貰った話とか訳分からくなるし、
会津征伐に参加してた武将のうち何家かは先行して西上してたかもしれないけど、
結構な数の武将達は残って、上杉の抑えはどうするかとか、西上がどう行う過の話し合いは
あったんじゃないのかな
>>610
黒田とか池田とか娘婿を西国でも要所に配してるし問題ないだろう
0624人間七七四年2016/04/18(月) 01:43:45.11ID:dL1SKv4a
ありがとうございます みなさまのおかげで安心いたしました
先週の日曜、古戦場に初めて行ったのですが、次の日から
突然に腰から左腿にかけての鈍痛?がひどく、
一緒に行ったもう一人も体が痛いと言っています
気になったのは、あの日やむなく石田光成陣跡の近くにある
トイレに入ったのですが、それがまずかったのではと後で気になって
いました
みなさんのお言葉に安堵いたしました ありがとうございました
0625人間七七四年2016/04/18(月) 02:45:13.40ID:yDM09Qzn
名前間違える方が罰当たりそうだがw
0626人間七七四年2016/04/18(月) 09:11:48.99ID:3DM23xT/
>>607
伝わるような全員が小山にあつまったのはない可能性が高い
0627人間七七四年2016/04/18(月) 16:02:24.12ID:egGm/cop
大体集まったと思うけど
0628人間七七四年2016/04/18(月) 16:36:36.42ID:3DM23xT/
>>627
どこに書いてある?
0629人間七七四年2016/04/18(月) 18:13:55.70ID:29nbu2MH
光成さんも小山会議否定派かな
黒田長政がいなかったということで
0630人間七七四年2016/04/18(月) 21:04:15.45ID:PTnnLh2U
光成→三成かw失礼しました
0631人間七七四年2016/04/18(月) 21:28:26.18ID:SRuCt/Qk
>>630
>>629の言ってる光成さんって、光成準治さんの事かと思ったんだけど違うのかな
0632人間七七四年2016/04/18(月) 21:59:53.48ID:egGm/cop
>>628
集まって無いという人は旅程から否定するけど、あれ軍勢と同道せずに
少数の供回りで近場から小山に出向けば解決するんだよね
0633人間七七四年2016/04/19(火) 12:46:25.72ID:7l9E/FCE
これを言っては実もふたもないが一次史料であっても書状の日付に全面的な信頼は置けないんだよねぇ
普段は無視できるレベルの話だが1日2日をシビアに判定するこの件については考慮の必要が出てきちゃう。
0634人間七七四年2016/04/19(火) 15:02:58.06ID:WVb8/JUb
日付、場所、出席者、すべてが明記してある資料があるとしてもそれが1つだけならその信頼性がとわれるのに
この件に関しては日付、場所、出席者を明記してある資料が1つもないんだからな
0635人間七七四年2016/04/19(火) 15:29:23.85ID:tW9/F6qJ
毎度ながらこの手の話は、明確に否定できる史料が無い限り、通説が正しいとするべき
0636人間七七四年2016/04/21(木) 01:51:43.07ID:0oLPBRzX
>>631 624の事でした
>>629さん大変申し訳ございませんでした
0637人間七七四年2016/04/21(木) 10:05:17.22ID:qMm5zm/V
先週、体重110キロの俺が
岐阜城にロープウエイ使わずに馬の背登山道から往復したら
膝と腰と足首が滅茶苦茶痛くなったんだが、何かの呪いですか?
0638人間七七四年2016/04/21(木) 10:09:50.69ID:5uuenVNQ
のろいじゃなくておもいだろってやかましいわ
0639人間七七四年2016/04/21(木) 10:48:52.00ID:J0EtZlTT
呪いだな
織田秀信公の恨み節が聞こえるようだ
0640人間七七四年2016/04/22(金) 02:43:33.48ID:3eUOlcNx
>>637
戦国なら家来が輿をおっぽり出して逃亡してたかもしれないので
現代に生まれて幸運と思うべきでしょう
0641人間七七四年2016/04/22(金) 05:02:54.70ID:TkT1GXNa
>>637
そういえばデブ過ぎて遊園地のアトラクションから落ちたバカいたな
0642人間七七四年2016/04/22(金) 11:43:02.04ID:by9ZZ02x
秀秋は伏見城攻めの時は西軍だったわけだけど、
関ヶ原の時は既に東軍だったって話になっているが
そうなると寝返った正式な時期ってどうなるんだろう
0643人間七七四年2016/04/22(金) 15:35:35.27ID:WGijXAF9
松尾山に陣取った時点かなあ
0644人間七七四年2016/04/22(金) 16:16:20.93ID:+YsORCJQ
秀秋は上杉攻めに向かう途中で西軍巻き込まれただけで、
最初から気分は東軍というか所領回復の恩もあるし、
家康にシンパシーがあったんじゃないの。
0645人間七七四年2016/04/22(金) 19:58:07.41ID:QhqB6hUS
秀秋の寝返りと言えば、幸長と長政が北政所の事を考えて
行動するよう秀秋が勧誘した書状があって、これが北政所が
東軍よりの証拠みたいな話もあったけど、単に幸長と長政が
北政所の名前を利用しただけだよな
0646人間七七四年2016/04/22(金) 20:41:18.00ID:+wrt6VBf
大坂に飛脚を立てれば1日で正否が分かる情報的優位にたってる秀秋に対して北政所を騙る意味が無い
問題は「不味い立場の北政所を救えるのはお前だけ」ちゅう誘い文句だけじゃ
東軍よりで現状西軍内で不味い立場に居いるから味方になり西軍破って助け出せか、
西軍よりで東軍が勝ったら戦後不味い立場になるから手柄立てて擁護しろか
どのようにも取れるのでその書状でどっちよりかは判断できない所
0647人間七七四年2016/04/23(土) 07:24:52.22ID:Sv6Z6pYg
秀秋の実兄弟の多くも西軍だしなあ
多くの西軍参加小大名がそうだったように
毛利が大軍で大阪に居座ってるから右に倣えだったかと
ほんと毛利って減封で済まされたのがおかしいわ
そこらへんが当時の家康の限界でもあったんだろうねえ
0648人間七七四年2016/04/23(土) 18:39:34.83ID:thZPZVza
>>612
秀忠到着してたら天皇の地位も奪えてたかも
0649人間七七四年2016/04/23(土) 19:48:59.31ID:b8HJ4cR8
>>648
阿呆か
0650人間七七四年2016/04/23(土) 19:51:41.20ID:j/yFdFvA
阿呆やろな
0651人間七七四年2016/04/23(土) 21:03:11.32ID:ORIx1VK8
・毛利・上杉は首謀者筆頭格なのに減封で許す
・島津にいたってはお咎めなし
・伊達の利敵行為は不問(そのかわり百万石のお墨付きは無効)
・福島に抗議されたら直臣を切腹させる

ここらへん並べると家康も結構、余裕がなかったんだなあと思う
毛利に関しちゃ大阪の陣でも佐野道可でやらかしてるのに追及しきれなかったし
0652人間七七四年2016/04/23(土) 21:09:23.73ID:FavJkGYq
無能の糞漏らしに毛利を潰すなんて無理に決まってる
0653人間七七四年2016/04/23(土) 21:20:30.87ID:FNxVeqnt
>>652
その無能に敗北されたり、滅ぼされた大名はじゃあ何なんだって話だな
0654人間七七四年2016/04/23(土) 21:26:16.45ID:thZPZVza
>>649
秀吉が天皇になるとかの話はあったやろ
0655人間七七四年2016/04/23(土) 21:29:47.66ID:j/yFdFvA
阿呆
0656人間七七四年2016/04/23(土) 21:32:31.05ID:I0Yl7va5
本気で馬鹿らしいな
0657人間七七四年2016/04/23(土) 22:16:31.83ID:xKcQIW7Z
>>651
単純に家康が甘いのだろう
その甘さで短期間に収束したし
0658人間七七四年2016/04/23(土) 23:13:06.57ID:NC8T3kCt
>>655
信長の野望で歴史を学んだ低脳?
北条も天皇の廃位をやったし
足利は皇統を弄び、義満に至っては準后にまで登った
秀吉は関白を豊臣という家から出した
徳川から天皇を出しても不思議じゃないだろ
あんなんでも源朝臣なんだから
実際、徳川の血を引く天皇くらいいんじゃないの?
0659人間七七四年2016/04/23(土) 23:21:42.34ID:MKD4vYEh
阿呆
0660人間七七四年2016/04/23(土) 23:58:43.16ID:j/yFdFvA
>>658
阿呆
0661人間七七四年2016/04/24(日) 10:08:15.35ID:mNnb129g
>>658
現在の天皇家は織田と徳川と浅井と豊臣(秀吉の姉の方)の血を引いてます
0662人間七七四年2016/04/25(月) 14:33:30.55ID:qoT29EGm
>>661
島津もお忘れなく
0663人間七七四年2016/04/25(月) 20:45:15.13ID:oTUvEwfX
天皇っていうか、
易姓革命できるだろ
0664人間七七四年2016/04/25(月) 20:45:51.01ID:A3vbsQR+
ひいてるだけで天皇家と武士じゃ世界が違う
0665人間七七四年2016/04/25(月) 20:47:47.25ID:A3vbsQR+
1番濃いのは藤原血じゃね?
0666人間七七四年2016/04/26(火) 21:22:26.75ID:dH+3UqRR
史実では天皇を越えるためには先に豊臣を越えなければいけない
0667人間七七四年2016/04/26(火) 21:35:39.57ID:LPMXj7Eq
関ヶ原の話がなんで天皇家の血の話になってるんだ
それを言い出せば古くは逆賊扱いの蘇我氏とかの血も入ってるだろうに
それより同じ朝廷の事について語るならば、例えば田辺城の戦い以外で
朝廷が関ヶ原で行った事とか、その影響とか考える方がいいんじゃないか
0668人間七七四年2016/04/26(火) 21:46:47.91ID:sHJPFu0t
壬申の乱も、関ヶ原で決戦があったそうです
徳川VS石田の戦闘の最中、伊吹山の上空に銀色の光る物体が静止し、
南宮山の毛利軍からも見え、陣中の記録文書にも残る
0669人間七七四年2016/04/26(火) 22:15:29.84ID:Bj3nN3uE
血のつながりで悪いが、源平も元は天皇家なんで戦国武将もほとんど血が繋がってるのかなww
そんなこと言ったら人類皆兄弟だが。
そう考えると面白い
0670人間七七四年2016/04/26(火) 22:17:08.03ID:dH+3UqRR
>>667
血統じゃなくて、
易姓革命が起こる可能性があったかどうかの話ね
天海も何か言ってたな
0671人間七七四年2016/04/27(水) 08:01:45.41ID:fvFRKQfJ
>>668
それは未来人が開発した地球製のタイムマシンでしょうね。
未来人が歴史的な戦いを見に来たのでしょう。
0672人間七七四年2016/04/27(水) 21:24:54.78ID:81SCzsD7
関ヶ原で島津が寡兵しか連れて来られなかったのは
義久と義弘の不仲の所為みたいな話もあるけど
信憑性はどんなものだろうか
0673人間七七四年2016/04/27(水) 21:31:20.62ID:b6oh9ULX
>>672
色々説がありすぎて確かなことは存在しないけど
兄弟不仲を理由に本国から兵を送らなかったのは最も可能性が低いと思う。

庄内の乱鎮圧直後のため、兵を送るには不安があったという理由が一番しっくりくる。
0674人間七七四年2016/04/27(水) 21:35:22.39ID:idNlYBCe
今さ島津義久みたら、正室が自分の爺ちゃんの娘なんか!おばさんってことか!
0675人間七七四年2016/04/27(水) 21:41:26.43ID:b6oh9ULX
>>674
さらに言うと、継室さえもお爺ちゃんの外孫だ
0676人間七七四年2016/04/27(水) 21:50:22.36ID:idNlYBCe
義久どうしちまったんだ…
0677人間七七四年2016/04/27(水) 21:54:17.47ID:PeEXiD50
きれいな叔母さんとか興奮する
0678人間七七四年2016/04/27(水) 21:57:18.47ID:b6oh9ULX
義久公はお爺ちゃんに溺愛されていたから正室も継室もお爺ちゃんの意向かと

だからこそ関ヶ原で石田方の敗戦で窮地に立たされても
何が何でも島津家を守りぬく、並々ならぬ覚悟があったんじゃないかな
0679人間七七四年2016/04/27(水) 21:59:57.98ID:BD28m/Tm
>>673
義久は朝鮮の前半でも渋っていたじゃん。
0680人間七七四年2016/04/27(水) 22:11:32.35ID:b6oh9ULX
>>679
朝鮮出兵の日本一の大遅陣も諸説ある

・豊家に貢献することこそが島津家の生き残る道だと思った義弘と、
 必要以上の肩入れは豊家に取り込まれて(家臣化されて)しまうことを恐れて距離を取りたかった義久の意向
 (当時は徳川、毛利、島津だけが国持ち大名として認められていて、其れ以外は全て豊家の家臣という扱い)

・秀吉の御朱印状政策によって島津家の当主が誰なのか不明になり
 島津家家臣団もどちらの命令に従えばいいのか分からん状態

・そもそも家臣団が農民出身関白の言うことなんぞ聞けるかボケと反抗的すぎて、
 新しい時代の支配体制に移行しきれていなかった
0681人間七七四年2016/04/28(木) 00:05:50.81ID:Mt2+imGS
島津は大名権力が脆弱だから家臣たちを説得して回ってやっと身動きが取れる。
当然迅速な行動なぞ出来るはずも無く、大坂出仕、朝鮮征伐、関ヶ原後の上洛、大坂の陣等々事あるごとにすべて遅参
もうただの島津病や。(毛利も史料上似たような面があるがここまではひどくない)
0682人間七七四年2016/04/28(木) 12:26:45.13ID:SSnHFHiN
島津義弘って敵中突破とか武勇伝あるけど、義弘ってもう60〜70のおじいちゃんでしょ
前田慶次も当時60以上と言われてるけどさ
0683人間七七四年2016/04/28(木) 16:52:40.85ID:RTAKcLwD
マンガみたいに主将が自ら大立ち回りする訳じゃねーからw
0684人間七七四年2016/04/28(木) 17:41:12.49ID:0L+zKEPD
義弘自ら太刀を振るった、と史料上で確実に確認できるのは数える程度しかないね

初陣・脇元合戦
蒲生城攻め
木崎原
根白坂(羽柴秀長軍)
朝鮮

関ヶ原は周りを厳重に守られて
抜刀すらもしてないんじゃないかな
0685人間七七四年2016/04/28(木) 20:00:59.34ID:u9upswDi
島津の敵中突破って持ち上げられてるけど、ほぼ壊滅に近いんじゃないのかな
関ヶ原に参加した島津兵は1500〜3000くらいって諸説分かれているが
大将の義弘こそ生き延びたものの、副将格の豊久をはじめ多くの武将を討たれ
生き残った兵も100きってたみたいだし
0686人間七七四年2016/04/28(木) 20:47:40.76ID:RTAKcLwD
残兵の多少ではなく、義弘を落ち延びさせれば勝ちという判断でいいでしょ。
豊久もその為の捨て石という自覚があったんだし。
0687人間七七四年2016/04/28(木) 21:34:21.70ID:0L+zKEPD
>>685
>生き残った兵も100きってたみたいだし

それはとても有名だけど
明らかに誤認があるんだよね

確かに生き残ったのは80人弱
ただしそれは義弘と共に生き残り、堺に到着できた人数なんだ

実際には退却戦の途中に捨て奸として残り
義弘の無事を確認した後に、戦場から退却できた者
あえて関ヶ原の島津陣に残って敵を引きつけて退却した者
有名な島津越え経由で退却した者
豊久隊に随行して途中ではぐれた者など
義弘含む80人弱以外にも無事に帰国できた者が結構いる

さすがに正確な人数は把握できないけど
史料からはざっくり200人以上は推測されるのよ

阿多盛淳や豊久の壮絶な討ち死にが有名すぎて総員全滅のイメージがあるけど
実際には80弱+200人以上が島津隊で生き残った人数なんだ


ここからは個人的な推測だけど
島津隊には押川強兵衛など島津の忍者衆である”山くぐり”も多数参戦していたようなので
道無き道を超えるのは案外お手の物だったのかな、と思っている
0688人間七七四年2016/04/28(木) 21:43:55.85ID:z8BOcwvq
つうか兵士の大半は島津の直臣ってわけでもない雑兵だろうから
そんなものは敗勢になれば四散するだろうから
その分考慮に入れるとだいぶ生き残りの%上がるんでない
0689人間七七四年2016/04/28(木) 21:54:33.03ID:opMHUgUQ
山くぐりってどんなやつらなの?
0690人間七七四年2016/04/28(木) 22:19:24.86ID:FW/XmVsB
>>688
島津大坂屋敷詰めと義弘の援軍要請に答え本国の意向を無視してわざわざ薩摩からやってきた忠義に厚い精鋭だよ
量的にはともかく重臣連中だけでなく質的にも痛い損失
0691人間七七四年2016/04/29(金) 00:07:29.57ID:FzOMgbIh
すてがまりやぞ
0692人間七七四年2016/04/29(金) 00:18:27.06ID:ikgFEWgz
>>689
山くぐり衆は四兄弟のお爺ちゃんである日新公と父の貴久公が
薩摩統一を果たす前辺りから育成を始めたらしい、
いわゆる薩摩の忍者集団。

当然ながら実態はトップシークレットなので不明。
史料には”配下の者が山くぐりを放って探らせた所・・・”みたいに
名前だけは時々見えるくらい。

「山くぐりの技を身につけた者」という形で人物紹介されることもある

なので全くの憶測にしかならないけど
やってることは本当にいわゆる忍者的な諜報活動がメインかと。
「山を潜(くぐ)る術」を身につけた真田十勇士も真っ青な特殊な訓練を受けた超精鋭の戦士じゃないかな、と。


貴久公と四兄弟の誕生の地である伊作の近くに、
金峰山という修験道の山があって、
死んで当然のような厳しい修行をしていたようで
そこら辺も山くぐりと関係があるのでは、と予想してたりw
0693人間七七四年2016/04/29(金) 07:53:37.74ID:ePMFKaYg
>>692
詳しくどうもです!
勉強になります。
でも日新斎はやっぱ抜け目ないなw
分家からのし上がるやつは凄い
0694人間七七四年2016/04/29(金) 23:52:54.12ID:ikgFEWgz
>>688
島津家の史料に合戦で亡くなった殉国者名簿というのがある
これは姓のない雑兵まで判明した限り書かれているものだと思われるだが

ここには当然ながら朝鮮役やら関ヶ原やら一連での戦で亡くなった者の名前が列挙されている。

で、9月15日の当日から退却して堺に到着した9月23日までの間に
約260名の名前が書かれているんだよね
さらに9月28日の豊後沖での黒田水軍との戦死者として約170名が連なっている

つまり430名ほどが一連の戦死者である模様

参陣した人数は豊久隊が佐土原衆の1000人
義弘隊が京・大坂詰め衆、薩摩義勇兵で構成された500人と言われているが
もし殉国者名簿を鵜呑みにするなら1000人ほどは帰国できたということに?

さすがにそれは多すぎるかw
0695人間七七四年2016/04/30(土) 08:20:55.85ID:HcJdv1n+
名簿で把握していない某もそりゃたくさんいるだろうからねえ
0696人間七七四年2016/04/30(土) 08:23:42.58ID:HcJdv1n+
把握してるだけで3割死んでたなら実際は5割は越えてそうだなあ
6割までいくかどうかってとこか。比率としてはかなりのものだな。
0697人間七七四年2016/04/30(土) 19:17:34.51ID:q6uhGX3x
>>694
兵数が非戦闘員の陣夫や小物込みだとしたら1500人の半分750人が戦闘員
戦闘員750人中260人戦死で負傷者は戦死の3〜4倍が一般的なので軍としては文字通り殲滅ちゅう話だな
0698人間七七四年2016/04/30(土) 23:21:42.27ID:Hxp/+AAB
戦国時代だと戦死率が全体の一割でも軍隊としてアウトだと聞いたことあるな
負傷者も合わせたら、ほぼ戦力として体を成さないとかで
0699人間七七四年2016/04/30(土) 23:46:39.55ID:16Do/bTz
朝鮮征伐や大坂の陣では1割どころじゃなくても敵を圧倒してたりしてるぜ
0700人間七七四年2016/05/01(日) 00:55:29.03ID:r9ykq8Cs
ということは、相手の兵を殺さずに戦闘不能になるくらいの重症にした方がダメージでかいのかな?
0701人間七七四年2016/05/01(日) 01:00:44.42ID:PXSqjnUI
関ヶ原の敵中突破で義弘SUGEEEて一般的にも有名になったけど
その成功は明らかに島津兵の必死の働きに因るところが大きいよね
0702人間七七四年2016/05/01(日) 19:46:34.58ID:N5Amvi4W
島津兵はすごいな。ゆうても精鋭だし
義弘に関してはとっとと切腹しとけ
0703人間七七四年2016/05/02(月) 12:00:32.85ID:4zm9LeS9
実際当時の敵中突破の評価はどうだったんだろう
島津征伐が行われなかったと言う結果から
後世評価が高まった感じがする
0704人間七七四年2016/05/02(月) 12:02:30.72ID:c/eobTxc
>>703
明治期の資料改竄の成果じゃないの?
0705人間七七四年2016/05/02(月) 18:03:24.50ID:+xSS6T0o
島津側の資料で自画自賛している以外に同時代や近い時代でアレを賞賛しているものは一切存在しない
0706人間七七四年2016/05/02(月) 18:08:19.41ID:0faeWSt+
東軍側の資料には石田らのおまけのように書かれてる「島津もやっつけた。」だけ。
0707人間七七四年2016/05/04(水) 19:23:50.49ID:BXO8+fCd
本領安堵された事も、敵中突破が後世高く評価される理由の一つなのかね
0708人間七七四年2016/05/05(木) 08:56:34.38ID:YwNwBvEm
このときに毛利と島津を取り潰してたら明治維新はどうなったろうね
0709人間七七四年2016/05/05(木) 09:54:51.27ID:nE8mMDEf
島津や毛利の代わりに徳川幕府から仮想敵とされた藩が代わりに維新を起こします
0710人間七七四年2016/05/05(木) 15:01:58.47ID:uoZxhnaj
あの場所に配置された大名がメインプレイヤーになるのは変わらないと思うよ
0711人間七七四年2016/05/05(木) 15:03:20.44ID:uoZxhnaj
あ、間違い、大名じゃなくて藩ね
0712人間七七四年2016/05/05(木) 16:28:20.47ID:YwNwBvEm
>>710
豊後みたいに細分化して小藩だらけになったかもしれんじゃん
0713人間七七四年2016/05/05(木) 21:38:37.91ID:YyOFRyTP
>>712
周防長門を細分化したら家光期からの基本政策である「海防策」が成り立たなくなる
0714人間七七四年2016/05/06(金) 01:40:24.53ID:/mdgTvzJ
じゃあ会津の松平を長州におく
0715人間七七四年2016/05/06(金) 09:52:07.29ID:EI6eYuLq
会津の松平が出来るのは家光の時代だぞ
当時はまだ保科だったけど
0716人間七七四年2016/05/06(金) 10:47:47.01ID:s70A3rI5
>>714
周防移転を心待ちにしてた3歳という愛称で親しまれるお殿様の存在を忘れちゃいけない
0717人間七七四年2016/05/06(金) 12:04:16.28ID:nD8ej1pU
>>716
「海防策」の流れからすると肥後から移すのは無意味なんじゃないか?
0718人間七七四年2016/05/06(金) 18:16:07.15ID:s70A3rI5
>>717
黒田もあんな所を貰ってるし
鬼の弟だって良い所貰ってる
3歳さんだって期待くらいしたんじゃね?
(ソースは2ch(笑))
0719人間七七四年2016/05/07(土) 00:27:56.66ID:MnqAA7OP
下関や坊津みたいな港持ってる藩は強いよな
秀吉が長崎にしたみたいに天領にするだけの力が当時の徳川にはなかったんだよな
0720人間七七四年2016/05/07(土) 07:48:51.73ID:pIuCqZ73
本拠地の違いだな
0721人間七七四年2016/05/07(土) 08:05:19.48ID:d67M8wKB
用は幕府に隠れて密貿易ができる藩は強い
0722人間七七四年2016/05/07(土) 17:20:43.20ID:6W9phGG+
>>719
必要性が無かっただけなんじゃないか?
秀吉にせよ家康にせよ、必要以上に直轄を増やした訳でも無いし
0723人間七七四年2016/05/07(土) 21:43:46.17ID:tp3Sf+zn
関ヶ原の戦いって三成達が大垣城を無視して大坂を攻めるって
流布した東軍方の作戦に引っかかった三成が関ヶ原にお引き出されたんじゃなくて
松尾山を占領した小早川勢を討つ為、三成達が出陣したところ
それを知った東軍勢も出陣し、両軍が遭遇したのが関ヶ原って本を読んだけど
前者と後者では今どちらが説としては優勢なのかな
0724人間七七四年2016/05/07(土) 21:58:01.78ID:c8fFZCS+
松尾山を占領した小早川を裏切らせないために横に陣を引いた。
0725人間七七四年2016/05/07(土) 22:08:00.56ID:6W9phGG+
>>723
最初のは参謀本部、二つ目は慶長年中卜斎記かな
戦いの経過は史料によってまちまちなので、特に有力と言われるような説はないです。
0726人間七七四年2016/05/07(土) 22:46:48.57ID:D6jxs/h8
当時の書状見る限りでは、西軍の移動は秀秋と家康の着陣が原因
0727人間七七四年2016/05/08(日) 14:50:58.83ID:3vxNZd2Q
>>724
結果をみると完全に失策だったな
0728人間七七四年2016/05/08(日) 16:02:07.54ID:IUO3mVz0
ほっといて小早川が裏切ったら大坂との間を遮断されて結局終わりだから
大垣城に籠っても水攻めで孤立無力化されて結局終わり
関ヶ原での一発に掛けるのが正解。しかし一発なんて当然無いからやっぱり終わり
0729人間七七四年2016/05/08(日) 18:48:58.96ID:CXGDZk46
結局、それしかない状況に追い込まれた時点で負けなのね
真珠湾のときの日本しかり。
0730人間七七四年2016/05/08(日) 19:32:56.93ID:GIlmcrrr
せめて三成が関が原を引き延ばせば、黒田勘兵衛が第3勢力として九州から上洛。
豊臣滅亡はなかったろうな。
0731人間七七四年2016/05/08(日) 20:07:24.38ID:QBzK5aW0
なんでだよ
0732人間七七四年2016/05/08(日) 20:48:48.15ID:9Xtez/W5
せめて三成が関が原を引き延ばせば、直江兼続が南下して上洛。
豊臣滅亡はなかったろうな。
0733人間七七四年2016/05/08(日) 20:52:18.01ID:CXGDZk46
ないない。上杉は当面は最上領を取ることしか考えて無い。
最上領を取らんことには飛び地の庄内・佐渡が切り離されてどうにもならんし
0734人間七七四年2016/05/08(日) 21:08:51.00ID:2xwiY7kB
>>728
取れる選択肢の狭さについては緒戦で織田秀信が負けちゃったのが響いてるのよね。
信長の孫があんなに使えない奴だとは思わなかったって事だろうか?
0735人間七七四年2016/05/08(日) 22:16:16.80ID:SIIba21c
秀信というより城の問題じゃないんかね
0736人間七七四年2016/05/08(日) 22:20:27.04ID:UeFHWLWN
秀吉の息子が使えない奴だったからな、信長の孫に至ってはカスみたいなものだよな
0737人間七七四年2016/05/09(月) 07:21:55.99ID:Kr96XM0e
一度、西軍側についた美濃諸将があっさり籠絡されて東軍についたからな
結局、西軍は速さが足りなかったんよ。東軍が引き返してくるまでに濃尾地域は抑えとかなきゃあかんかった。
田辺だの伊予だの伊勢だのあちこちに色気をだしたのが間違い。
0738人間七七四年2016/05/09(月) 09:27:25.12ID:pdLvmNpO
>>737
それだけ畿内周辺すら平定させられなかったんだからしょうがないだろ
0739人間七七四年2016/05/09(月) 12:32:07.36ID:VBMnmnbB
>>737
田辺はまだしも伊予や伊勢は、東軍先鋒が戻ってからの話だろ
0740人間七七四年2016/05/09(月) 16:47:58.32ID:F6L8DutJ
>>793
伊勢は押えておかないと東軍主力が到着して伊勢方面から畿内に進攻される可能性がある

伊予は毛利が自身の勢力拡張のために近視眼的にやった感じ
0741人間七七四年2016/05/10(火) 00:56:15.60ID:D3DqO21M
本当は毛利が勢力拡大のために首謀して奉行衆を抱き込んで仕掛けたんだが
緒戦で失敗したから三成らを生け贄にしてお家の取り潰しだけは避けた
…なんて可能性が無いとは言いきれないのよね。
後の大阪の陣でも家来をこっそり送り込んでたようだし
0742人間七七四年2016/05/10(火) 06:38:47.85ID:n862VPPO
>>741
そのネタは以前に菅沼が荒らしに使ってたやつだな。
面白い命題ではあったが、毛利勢以外の軍勢を奉行衆がコントロールしてる時点で無理がある。
大坂の陣の話も本当に輝元らの指示かはハッキリしてないしな。
0743人間七七四年2016/05/10(火) 13:12:02.75ID:8e60zE6L
まあ、毛利は途中までかなりノリ気だったよね
岐阜があっさり落ちたんでひよって三成と安国寺をトカゲのしっぽ切りしたけど
大阪入ったあとで家康がてめぇらガチ首謀者じゃねえかと激怒するレベル
0744人間七七四年2016/05/10(火) 21:54:41.72ID:7Hot/if4
西軍のために戦ってなかっただけ。
西軍総大将の立場を利用して、毛利家のために動いた。
全力出して豊臣家のために戦う理由なんてないので、
さっさと大坂城を退去。
0745人間七七四年2016/05/11(水) 00:42:36.88ID:1zaLXt7G
>>744
忠義や血族、譜代って概念をサクサク切り捨てていった豊臣政権の幹部に相応しい行動ではあるのかも。
0746人間七七四年2016/05/11(水) 12:31:31.78ID:o9uMqMuW
>>745
秀吉一代で成り上がったから譜代はいないが
血族重視だし従属させた地域勢力に忠義を求めるありきたりな戦国大名スタイルだろ
0747人間七七四年2016/05/11(水) 13:51:44.87ID:wGJvRA5Q
元々、毛利に豊臣に対して忠義を尽くす義理は別にないけどな。
0748人間七七四年2016/05/11(水) 14:34:37.72ID:xNfLkw55
毛利も上杉も豊臣とはwin-winの関係だったから従属しただけ
0749人間七七四年2016/05/11(水) 18:54:39.23ID:aeUP07n6
世の中的には。
東西決戦に、プラス黒田第3勢力という枠組がわかりやすくて面白いからな。
この構図だと、上杉・毛利は戦略眼のないヘタレとなってしまうわけ。
0750人間七七四年2016/05/11(水) 21:40:55.44ID:tdf9De9O
土豪上がりの徳川とかも譜代はいないはずなんだがな
0751人間七七四年2016/05/11(水) 22:53:58.54ID:KyuHQ0dR
>>749
関ヶ原以降、混乱が続くことを想定していたのならば、
毛利の四国侵攻や、上杉の山形侵攻は戦国大名の家として正しいと思う。
0752人間七七四年2016/05/11(水) 23:56:59.79ID:LF+4a8tb
>>748
上杉はともかく毛利はwin-winかと言われるとちょっと疑問。
正直、持ち出しの方が多い気がする。

>>750
土豪と言っても松平は三河に根を下ろしてから長いし
清康の代に威勢を張ったからな。

譜代と呼べる家臣は十分にいた。
0753人間七七四年2016/05/12(木) 00:03:30.26ID:lpkqYaEd
>>750
お前歴史を全く知らないのな
0754人間七七四年2016/05/12(木) 01:53:13.85ID:I7PUSzwD
秀吉の場合子飼いが譜代の代わりだろ
0755人間七七四年2016/05/12(木) 10:46:30.96ID:FPIFZLvR
>>754
代を重ねればそれが譜代になるわけだが、
秀吉本人には忠誠心はあっても、豊臣家に対しては
それがなかったのが秀吉子飼い大名のほとんどだろ。
0756人間七七四年2016/05/12(木) 10:51:00.32ID:TcljbiKt
そもそも譜代と外様でなにが違うかって忠誠心とかそういうのじゃなく
代を重ねて利権を共有してきた実績だからね
先祖の頃から一緒に甘い汁吸ってきたからこれからも一緒に甘い汁吸おうぜとかそんなの
そういう意味では家康も譜代は少なかった。
いることはいたけど松平さんシャッチョさんが相次いで早死にの零細企業だったから。
0757人間七七四年2016/05/12(木) 11:00:42.33ID:TcljbiKt
重臣クラスでいうなら榊原康正は元は陪臣だし井伊直政にいたっては今川の家臣だったし
本当の意味で譜代と言える安祥譜代は、酒井、大久保、本多、阿部、石川、青山、植村の七家で
そのうち石川は数正が離反。本多も正信の方は一度離反してからの出戻りだからそこで譜代の資格は一旦途切れてるし
本当の意味で譜代と呼べる家臣が少数派だったから岡崎譜代とか駿河譜代とか自分の代で臣従したやつらも
譜代扱いせざるを得なかった
0758人間七七四年2016/05/12(木) 13:53:20.37ID:9h7tEzgK
豊臣家は人材不足が過ぎるんだよ
それに対し家康は普代もさることながら、積極的に人を求めた
この差だわ
0759人間七七四年2016/05/12(木) 21:50:39.25ID:demN/fyy
家康の家臣団の人材の豊富さが異様なんだよな
司馬あたりの所為で脳筋扱いされる事が多いけど
板倉勝重、重宗親子や伊奈忠次、忠治親子を筆頭に
文官も結構粒揃いで豊富だし
0760人間七七四年2016/05/12(木) 22:04:09.84ID:Ti8ITp6g
人材育成の信長、人心掌握の秀吉、人材収集の家康ってイメージだわ
0761人間七七四年2016/05/12(木) 22:07:31.54ID:UWDLL7Kl
>>759
まあ劉邦並に何でこんな人材揃っているのって感じだしなぁ
0762人間七七四年2016/05/13(金) 00:05:01.27ID:3Nb414DO
今川、武田、北条と当時の先進大名の制度を取り込んでいけたのも大きい
まぁ長安みたいなやんちゃも居たけど
0763人間七七四年2016/05/13(金) 08:27:47.14ID:yn/sDdwS
>>761
実際、家康はマジで劉邦タイプだったと思う
家康個人のスペックは案外たいしたことないけど
将の将としては十分だったんで天下取れた
0764人間七七四年2016/05/13(金) 08:36:47.61ID:yn/sDdwS
WG三式は夜戦まで生き残ってなきゃ意味ないから
普通に連撃装備にした方が安定度増して強かったりするんだよなあ
WG×2大淀やWG三式航巡が決め手になった展開が驚くほど少ない
0765人間七七四年2016/05/13(金) 08:37:03.38ID:yn/sDdwS
誤爆ORZ
0766人間七七四年2016/05/13(金) 21:09:30.24ID:pu+yQPvZ
>>763
劉邦は敵対した項羽や三傑と言われた張良、蕭何、韓信がチート過ぎるだけで
武将としても政治家としても上位に入る人間だけどな
0767人間七七四年2016/05/13(金) 22:01:47.13ID:eVCq3GyH
>>766
それこそ家康もだな
0768人間七七四年2016/05/14(土) 02:23:17.45ID:PsWp9sKq
それはそうなんだが、家康の一番の長所はなんと言っても
やることやりきるまで長生きしたことだとオモ。
0769人間七七四年2016/05/14(土) 08:53:50.50ID:3jzv88zW
わりと誤解されがちだけど、江戸幕府は家康の時点じゃ全然完成してなくて、基礎を作り上げたのは秀忠の時代であり、おおよそ完成させたのは家光の時代。
後世の視点からはともかく、家康の立場からしてみたら晩年の時点で「やることをやりきった」とは思えなかっただろう。
0770人間七七四年2016/05/14(土) 09:09:03.77ID:1ZSCA2Wi
家康は「これでざっと済んだな」と言って死んでるよ
0771人間七七四年2016/05/14(土) 09:24:00.60ID:3jzv88zW
>>770
あれは「(言い残しておくことは)ざっと済んだ」って意味だぞ
0772人間七七四年2016/05/14(土) 09:28:16.96ID:PsWp9sKq
ドヤァしてるけど、それこそ後代の視点だな。
家康にドンだけ生きてろっつーんだよw
 
まさにその三代目までの指名を済ませてるわけで、
死ぬときに秀吉みたいに後顧の憂いはなかったと
思うぞ。
0773人間七七四年2016/05/14(土) 09:46:32.93ID:Ff8YOaAB
これは突っ込まれても仕方ないな。

家康自身が江戸幕府の完成形なるものを構想した形跡はないし、類似する政権を
見たこともさえ無いんだから、やることリストにすら入ってないだろう。

大坂は片付いたし、最晩年に気にかかったのは政宗の挙動くらいじゃないか?
0774人間七七四年2016/05/14(土) 09:50:15.71ID:3hpC6RGL
>>773
秀忠の有能性を理解している人って少ないよね。
0775人間七七四年2016/05/14(土) 12:55:08.59ID:+JwjrSFt
秀忠は北条氏綱みたいなもんだな
功績が早雲に吸われている

晩年の家康なんて身内贔屓、外様放置、異国品愛でるのが趣味と、
後世の保守的評価なんてお笑い同然の、長生きして晩年謳歌してるだけの爺
0776人間七七四年2016/05/14(土) 15:52:02.75ID:xO+9sbAs
家康晩年は完全に隠居してるよな。実権は完全に秀忠と側近に移ってる。
大坂役関連だけだろ、政治に口出ししてたの。
0777人間七七四年2016/05/14(土) 16:43:56.97ID:Ff8YOaAB
家康隠居説はありえんわ
そりゃシーズン中は鷹狩三昧だが、
駿府では大名の出仕を受け、
代替などを承認し、文書の発給も
最晩年まで続いているからな
0778人間七七四年2016/05/14(土) 21:50:46.98ID:JhrBZwAH
秀吉に比べると家康は本当に跡継ぎにも家臣にも恵まれてるし、
死の間際の不安の差も秀吉と家康とじゃ大きかっただろうな
0779人間七七四年2016/05/15(日) 12:33:21.20ID:KqOwRE1V
>>778
キチガイは常人とは価値観が違うから、
存外秀吉は心配ごとなんか何も無かったかもしれん。
それこそ北東の陸続きに伊達、上杉
南西の海の向こうに島津を残したまま寿命を迎えた家康の方が心配ごとは多かったんじゃね?

なんせ秀吉はキチガイらしいから
0780人間七七四年2016/05/15(日) 12:53:31.44ID:429n4YrA
なんか無知っぷりが半端ないなw
0781人間七七四年2016/05/15(日) 23:05:17.00ID:6vtHtg2u
>>778
家康は本当に人材に恵まれてるな
家臣や息子は勿論、側室も阿茶局や
お梶の様に才色兼備の女性がいるし
色だけしか逸話が見えない秀吉の
側室とは違うな
0782人間七七四年2016/05/16(月) 20:07:02.68ID:fiN+ymTE
家康の加増国替えが秀吉の失策みたいに言われてるのが解せない
縁もゆかりも無い、前領主時代引くレベルの善政だった240万石の統治とか普通無理だろ

実際佐々成政は国替えで死んだし
0783人間七七四年2016/05/16(月) 21:19:27.34ID:JWFXXoTI
失策でもなんもない。無理でもない。逆に佐々みたいに失敗されても困る
0784人間七七四年2016/05/16(月) 21:30:32.93ID:gGhtz/KQ
家康以外に関東・奥州に睨みを利かせる人材が豊臣にいなかったんや
豊臣政権は大大名の力に依存してかろうじて成り立ってる状態だったからな
秀吉が唐入りなんか後回しにして国内の統治を最優先にしてればまだ違ったんだろうけど
強行軍の対外戦争のために国内は有力大名に丸投げとかいう無茶苦茶やらかすから
0785人間七七四年2016/05/16(月) 22:24:15.61ID:Mk19TIzW
>>784
順調に推移すれば少なくとも秀忠と秀康に分裂。
更に有能家臣も独立させられていたろうからねえ。
0786人間七七四年2016/05/16(月) 22:36:35.61ID:NDg3NPQo
秀忠と秀康に分裂って何のこっちゃ
0787人間七七四年2016/05/16(月) 23:00:24.04ID:Mk19TIzW
>>786
他でもやっている。豊臣政権の大名領内への介入だよ。島津が領国を三分四分されたように。
0788人間七七四年2016/05/16(月) 23:02:28.78ID:WhUbB0uf
784から話が飛んでない?
0789人間七七四年2016/05/17(火) 02:46:46.68ID:xfo0Shvo
秀康は結城家の跡取りのはずだが…
秀忠と忠吉と信吉で分割するというならわかる
0790人間七七四年2016/05/17(火) 09:13:15.54ID:3ACQOF1+
>>788
スレタイからズレまくってる時点で今更としか言いようが無い
0791人間七七四年2016/05/18(水) 12:49:53.26ID:qhm4HQPJ
井伊と本多と榊原は秀吉の肝いりで十万石だったからいずれは独立させるつもりだったろうね。
兼続や片倉小十郎にもなにかと粉かけてたし。あまり靡かなかったけど。
靡いた伊集院は秀吉が死んですぐに島津から粛清されるという。
0792人間七七四年2016/05/18(水) 22:11:39.23ID:WHfw+7uY
国衆ならまだ分かるが、側近が独立とか有り得んわな
0793人間七七四年2016/05/18(水) 22:18:09.24ID:e9nuD6Bk
まあ石川数正なんて前例があるからね
本多はともかく井伊と榊原は厳密には外様だったし
0794人間七七四年2016/05/18(水) 22:32:55.87ID:y1pMaG22
大谷吉継が西軍に付いたのは三成との友情が理由ではなく
本当は西軍寄りだった北政所に仕える母親の東殿に説得された所為だって
説を読んだが友情説とどっちが信憑性が高いだろう
0795人間七七四年2016/05/18(水) 23:03:16.13ID:e9nuD6Bk
理由としては半々ってとこじゃね?
後世の創作話じゃ三成の無謀を知りつつも義によってどうたら系の話にされるけど
実際は大谷も三成と一緒にノリノリだったって話は聞いたことがある
0796人間七七四年2016/05/18(水) 23:35:17.56ID:U4+XWQ69
そもそも三成と吉継の友情自体に疑問が
0797人間七七四年2016/05/19(木) 04:31:37.31ID:Ga2bfi1S
>>794
まずは『本当は西軍寄りだった北政所』の証明から始めないといけないだろw
0798人間七七四年2016/05/19(木) 06:34:46.00ID:NZEKbYw/
少なくとも東軍よりではなかったのは事実だろうけどね。
関ヶ原当時の北政所の立ち位置としては周囲が毛利と三成の軍勢で
ガッチリ固められてたから仕方なく協力したというのが妥当なところか
0799人間七七四年2016/05/19(木) 08:04:44.47ID:xzSAT+tG
西軍寄りだと言われていた茶々も、実際はどちら寄りだったのだろうか
0800人間七七四年2016/05/19(木) 08:06:11.82ID:5vrhrsXb
北政所は一貫した態度ではないなー。

特に岐阜が落ちてからは京都新城の一部を破却したり
公家に下賜したりするなど奇妙な行動が目立つ。
0801人間七七四年2016/05/19(木) 08:08:19.55ID:Pn127/+v
>>799
淀殿はどうみても東軍寄りだろ。総大将の毛利輝元が本丸に入るのを拒絶し露骨に不快感表しているし、
直接の親族である妹の嫁ぎ先は全部東軍
0802人間七七四年2016/05/19(木) 08:31:16.56ID:9w47wGM3
まあ義演准后日記によれば伏見城攻めに
秀頼の馬周りが参陣してて、大久保彦左とか
徳川家臣団の中には秀頼は西軍側だったと
見做してた人間もいたみたいだが
0803人間七七四年2016/05/19(木) 08:40:30.82ID:jCgKLtIz
>>802
まあ大友義統の下向も正式に領地を与えられたからだし、豊臣家はベッタリ西軍だわな。
秀頼が幼少ゆえ無関係だったってのは和睦時の方便だろうな。
0804人間七七四年2016/05/19(木) 10:26:28.81ID:BsHq6x3Y
当時、大阪近辺にいた奴は西軍に協力する以外の選択肢がほぼなかったからな
蜂須賀みたいに東軍が勝つ方に張って全部投げ捨て高野山に退避なんて真似はそうそう誰にもできることではないし
0805人間七七四年2016/05/19(木) 12:31:25.38ID:jCgKLtIz
>>804
あれ家政の意思じゃなくて、普通に改易されただけなんじゃないか?
三成襲撃事件のメンバーだし。
0806人間七七四年2016/05/19(木) 13:07:55.89ID:S5GhVgTP
西軍を批判して領地接取だから自分の意思と言っていいだろ。生駒も
0807人間七七四年2016/05/19(木) 20:08:33.99ID:Uhd0WMzA
豊臣家が西軍に組する理由が全くない。
0808人間七七四年2016/05/19(木) 21:59:12.45ID:Os1J2X75
>>804
氏家とか気の毒ではある。
嫌々ながら西軍に従おうとした矢先に決着、そのまま改易…
0809人間七七四年2016/05/19(木) 22:21:02.47ID:U2Juh15E
家康に同行していない西大名は意思問わず強制参加
家康はちゃんとアカを落としした
そりゃ統率力は段違いよな
0810人間七七四年2016/05/20(金) 07:18:36.86ID:e+NsZrJ2
>>807
家老である奉行衆はもちろん家中がゴッソリ参戦してる時点で
豊臣家は完全に西軍。
0811人間七七四年2016/05/20(金) 07:23:43.67ID:EKsbfQWo
で、西軍に組する理由は?
0812人間七七四年2016/05/20(金) 07:35:22.63ID:cTYkPU38
西軍はとにかくやる気のある武将がいない
やる気まんまんの加藤、福島だけで全員やられたんじゃねーか?
0813人間七七四年2016/05/20(金) 07:59:01.00ID:iiVBJaZR
>>810
ゴッソリって誰だよ?
主要な豊臣大名はほとんど東軍だろ。
0814人間七七四年2016/05/20(金) 08:17:32.65ID:uxmiSA0x
>>813
頭に血が上りすぎて字が読めないか?
奉行って書いてるだろ
豊臣政権下での側近衆が西軍だってことだ
徳川に力があったら問答無用で豊臣を滅ぼしにかかれるくらいには、
豊臣が西軍の首魁の証拠には出来る
0815人間七七四年2016/05/20(金) 08:19:50.10ID:w0+EzRoc
まあ秀頼名義で軍資金まで与えてる以上、形式上は西軍になるだろうね
実際はどっちが勝っても言い訳が立つように立ち回ったってところだろうけど
0816人間七七四年2016/05/20(金) 13:08:53.57ID:iiVBJaZR
>>814
フルネームで挙げてもらえる?(笑
一人一人詳しく検証するから。
三成がガチで西軍なのはわかってるから省略していいよ。
0817人間七七四年2016/05/20(金) 13:13:26.12ID:uxmiSA0x
>>816
wikiでもひけ無能
いや無脳か
0818人間七七四年2016/05/20(金) 14:10:38.42ID:iiVBJaZR
いやいや(笑
なんで挙げられないの??
簡単でしょ???
0819人間七七四年2016/05/20(金) 14:47:16.11ID:Qrgqx47L
はいストップ
ここでそんな糞つまんない煽り合いしても何の生産性もない

双方引け
0820人間七七四年2016/05/20(金) 14:47:19.27ID:eUPv2qtk
程度の低い自演のやり取りは控えてもらえるかな
0821人間七七四年2016/05/20(金) 15:18:12.81ID:p/ywGOQQ
自演やめたらこのスレのレスほとんど無くなるやん
0822人間七七四年2016/05/20(金) 15:55:33.02ID:iiVBJaZR
うーん、>>814が大名を挙げてくれれば、面白い議論が始まると思うけど。
スタートラインにも立てないとか、自信がないなら偉そうな事言うなと。
0823人間七七四年2016/05/20(金) 17:51:45.26ID:K7pmSch8
>>817
wikiの丸写しでいいから書いてあげなよ。じゃなきゃ、あなたの方が無能者の放言扱いされてしまうよ
0824人間七七四年2016/05/20(金) 19:33:52.13ID:mQGHkub8
家中と書いてるし主だった大名以外をあげてくれるんじゃないのかな
0825人間七七四年2016/05/20(金) 19:39:43.63ID:iiVBJaZR
議論の核であるんだけどね。
(議論にすらなってないけど)
豊臣家が西軍だったと確信出来る大名なら有りかと。
0826人間七七四年2016/05/20(金) 23:43:22.38ID:vUyTejp+
家康が勝てば絶大な権力を持つことは目に見えてるし
そうなれば豊臣の立場に暗雲が立ち込めるのは明らか
必然的に豊臣家の本心は西軍となる
0827人間七七四年2016/05/21(土) 00:23:38.23ID:nAGOKn1n
戦う前から家康は絶大な権力を持ってるんじゃないの
そもそも家康に権力を渡して秀頼成人までの政務を代行してもらおうとしたのは豊臣家だろ
0828人間七七四年2016/05/21(土) 00:47:20.53ID:Ksh/Dv8t
いや、それはあくまで家康がそういう方向に持っていったというだけで、
秀吉の今わの際ビジョンでは合議制の相互監視だろ。
0829人間七七四年2016/05/21(土) 01:07:20.77ID:Y17VOXgI
関東250万石に加増したのは秀吉だよ。
家康を内大臣にしたのも秀吉。
養子ではなく実子(千姫)と秀頼の婚約を決めたのも秀吉。
遺言で家康に政務を託したのも、もちろん秀吉。

これだけ破格の待遇を行って、合議制を期待するアホはいない。
0830人間七七四年2016/05/21(土) 01:22:17.45ID:MEpjl5KK
>>828
秀吉の構想はあくまで家康への権限集中だよ
秀吉の死後に合議制にひっくり返されたけど
0831人間七七四年2016/05/21(土) 02:39:19.20ID:Ksh/Dv8t
そんな上手い訳にいくはずがないのは、織田家から簒奪した当の秀吉が
誰よりもよく判ってたはずで、そうでもして家康の善意にすがらなくては
いけなかったのが末期の秀吉の立場という話だろ。
0832人間七七四年2016/05/21(土) 03:26:14.49ID:s1dHLkPV
そもそも家康は関が原後すら豊臣家の仕組みや組織を奪わず、全く独自の公儀を作っている。
家康は簒奪者でわないわな。
0833人間七七四年2016/05/21(土) 03:56:17.57ID:Ksh/Dv8t
独自の公儀を作って既成体制を骨抜きにすればそれは
フツー簒奪じゃないのw >832の基準がサッパリ不明だわ
0834人間七七四年2016/05/21(土) 03:58:31.37ID:s1dHLkPV
>>833
簒奪の意味知ってる?
0835人間七七四年2016/05/21(土) 04:00:54.96ID:Ksh/Dv8t
>>834
は?そのまま返すしかないけどw
0836人間七七四年2016/05/21(土) 07:13:28.09ID:bQYrWJ4E
>>830
合議制が秀吉の意図でなかった事は同意できるが
秀吉の構想は家康・利家の二頭体制だろ。

家康が政治を差配し、利家が家中を纏める。
0837人間七七四年2016/05/21(土) 08:57:01.71ID:Y17VOXgI
>家康が政治を差配し、利家が家中を纏める。

二頭体制ではあるが、キミの言う通り両者が平等な権力を与えられた体制ではない。
あくまで国政の最高権力は家康に託された。
決定権限の範囲が違うというだけ。
0838人間七七四年2016/05/21(土) 09:16:07.36ID:CASSjeVJ
西国を輝元が、東国を家康が差配するんでしょ?
0839人間七七四年2016/05/21(土) 09:37:44.53ID:14Y+BBMp
関白           豊臣秀頼
政所執事        前田利家
侍所頭人・関東管領 徳川家康
西国探題        毛利輝元
奥州探題        上杉景勝
小侍所別当      宇喜多秀家
評定衆          五奉行、三中老

というイメージ
0840人間七七四年2016/05/21(土) 10:59:53.17ID:bU69ySsg
>>838
あれは秀次事件後で隆景存命時の話
0841人間七七四年2016/05/21(土) 11:00:08.11ID:pHCqulG8
一強がまとめてた合議制というと鎌倉幕府かな。あれもわやくちゃだけど
0842人間七七四年2016/05/21(土) 11:23:32.50ID:UW/idaGu
出兵の許可を与えていた東軍、
勝手に蜂起して城に入ってきた西軍、

普通の感覚なら東軍に寄るよな
0843人間七七四年2016/05/21(土) 11:48:43.42ID:kl7dibKh
そもそも秀頼との関係性で言えば家康の方が身内で三成・輝元の方が赤の他人だからな
西軍は赤の他人の分際で馴れ馴れしいだけ
その馴れ馴れしさに騙されて家康の方が外敵、三成・輝元の方が秀頼の身内と勘違いする奴がいるのが驚きだ
0844人間七七四年2016/05/21(土) 13:21:15.14ID:A5geZY6v
>>840
しかも秀次事件の後は、ホントに体調不良だったのか
ラスボスに嫌気がさしてたのかわからんが、
隠居宣言して自分から土俵を降りてしまってるな。
その後は死ぬまで三原に籠りがちだったし。
おじいちゃんがここでもうひと頑張りしてたら、
中央での毛利や西国勢の存在感ももっとマシになってたかも知れないのに
0845人間七七四年2016/05/21(土) 13:46:54.55ID:kI0fFBiB
>>841
一強ってどこ?
承久の乱までまとまってもいないし、合議制でもなかったってこと?
0846人間七七四年2016/05/21(土) 21:05:20.16ID:EZ1M/KY3
調べれば調べるほど、豊臣家の西軍はあり得ないんだよな。
研究者でも、西軍の正当性を主張する人はいても、豊臣家が西軍だとは絶対言わない。

豊臣家が西軍だったら、自動的に西軍が正当性を持つので、ほとんどの議論が不要になる。
0847人間七七四年2016/05/21(土) 23:04:40.25ID:bQYrWJ4E
同じ餌で延々と続ける。
つまんない釣りは要らない。
0848人間七七四年2016/05/21(土) 23:23:39.39ID:Y17VOXgI
まぁでも、実際反論出来ないしな。
0849人間七七四年2016/05/22(日) 09:30:25.36ID:ZnumGM4O
>>846
豊臣家の正当性ってなんだ?
あれか六代目山口組が正当だから神戸山口組は六代目山口組の為に犯罪を犯せって考えている暴力団関係の人か?
内乱の鎮圧に出た内大臣に対して、戦争を仕掛けるなんて、即朝敵認定だろ
0850人間七七四年2016/05/22(日) 09:43:04.07ID:EgDFiUeF
家康オタが延々と自説を叫ぶスレ
0851人間七七四年2016/05/22(日) 09:47:38.27ID:Bf+Mj0o/
そういうレッテルを貼る以外に何も出来ないのな
0852人間七七四年2016/05/22(日) 09:53:15.91ID:ZnumGM4O
公権力を持たない豊臣家の私兵集団に憧れを持つ、はぐれ者が豊臣の肩を無理やり持つ為の暴論を書き綴ってるだけじゃないの?
0853人間七七四年2016/05/22(日) 10:45:17.22ID:MhjEI2Xz
句読点
0854人間七七四年2016/05/22(日) 11:04:14.43ID:7NwJooPo
>>849
公儀。
0855人間七七四年2016/05/22(日) 12:39:11.32ID:fkdI1LhV
三成挙兵後に公儀を名乗ってるのは西軍で、東軍は公儀と言う言葉を
使用しなくなったと言う事実はある。

これで西軍のみが公儀性を持っていたという白峰氏のような主張も
あるが、言葉遊びに過ぎない面もあるし、解釈次第でどんな結論にも
持って行けるのでビミョー。
0856人間七七四年2016/05/22(日) 13:32:29.39ID:y38u13Lv
その通り。ただの言葉遊び。
公儀を主張したら公儀性を有し、しなければ失うとか。。。
本当に大学教授かと疑いたくなるような論拠。
地位や権力、権威などが、主張の有無で無くなるわけないだろうと。
0857人間七七四年2016/05/22(日) 20:02:13.70ID:sQIMUVE2
西軍が公儀を主張したら公儀性を有するって
イスラム国が自分で国と主張しているから国家性を有すると言っているのと同じだろ
0858人間七七四年2016/05/22(日) 21:09:13.02ID:yy/wxhUl
前スレに白峰の西軍公儀の論拠とそれに対する反論のレスがあったんで
貼ってみた

石田・毛利連合政権成立の論拠
【1】豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼を直接推戴した
【2】毛利輝元が公儀の城郭である大坂城に入城して豊臣秀頼を直接補佐した
【3】自らを「公儀」と称した
【4】政権の所在地である大坂を中心とした上方を完全に掌握していた
【5】大名(細川忠興)を改易にして、近隣の諸大名に城受け取りを命じた
【6】大名に所領(知行)を与えた

1に関しては秀頼を直接推戴したって言うけど、家康みたいに出陣前秀頼や朝廷から
使者が来たわけでもないし、2は単純に実力をもって西の丸を徳川方から奪い取っただけでしょう。
3は論外だし、4、5、6は戦における自勢力圏の確保と敵と味方に関しての当たり前の行動にしか
思えないんだけど。しかも5が達成できたのは関ヶ原の決戦の二日前の有様だし。
0859人間七七四年2016/05/22(日) 21:56:27.92ID:MhjEI2Xz
何度目だこの流れw
0860人間七七四年2016/05/22(日) 21:59:01.44ID:G8kWcnWC
やっぱり白峰みたいなオモチャは必要なんやなって
0861人間七七四年2016/05/22(日) 22:11:37.79ID:MhjEI2Xz
おもちゃだって何度も遊べばあきるw
粘着が自演でだしてきてるということかなこれは
0862人間七七四年2016/05/22(日) 23:00:28.72ID:ZnumGM4O
いやいや、俺は初めて知った
>>858には感謝する

秀吉王朝と考えれば良いのか?
そして幼君としての秀頼と摂政としての家康と考えれば、
確かに家康は日本史上まれにみる大逆人だな


秀吉って、足利義満でさえ出来なかったことを一代でやってのけたんだ
0863人間七七四年2016/05/22(日) 23:10:00.36ID:BnRTAaww
自演も飽きたな
0864人間七七四年2016/05/22(日) 23:25:22.78ID:yy/wxhUl
自演呼ばわりでも構わないけど、気に食わないならまず反論してくれないかな
レッテル貼りして逃げるしかないなら仕方ないけど
0865人間七七四年2016/05/23(月) 00:18:48.54ID:d40YFGaJ
開き直りか自演野郎
0866人間七七四年2016/05/23(月) 00:26:27.19ID:mmjq3dMs
つか反論すればいいじゃん。
出来ないなら引っ込んでろよ。
0867人間七七四年2016/05/23(月) 01:25:56.23ID:C82dFD9x
必死やな自演君
0868人間七七四年2016/05/23(月) 04:11:44.60ID:nwjwofvg
家臣同士の争いで、豊臣の方針としては中立
その上での戦争でどっちが正当とか、頭が悪いとしか思えない
西軍が勝ったら天下は豊臣に戻ると何故言い切れるのか
というか本当にそういう風に思えるのか
0869人間七七四年2016/05/23(月) 06:28:46.97ID:6+CQ3xLU
>>868
両天秤を中立とは普通いわない
0870人間七七四年2016/05/23(月) 06:38:23.00ID:LDYW9ddw
ネトウヨの歴史好きとかこの手の正当論争好きそうだw
0871人間七七四年2016/05/23(月) 07:53:13.86ID:nSs5gfEx
お前ら今日は月曜日だぞ。そろそろ仕事に行こうぜ
0872人間七七四年2016/05/23(月) 23:54:51.41ID:Wpvne5FB
>>862
家康は秀頼を道具にして威張り散らしたこともなければ
大坂の豊臣の人質を勝手に自分の管理物にしたこともない
むしろ家康は秀頼の摂政としてまじめに仕事をしており
朝鮮から兵を撤退させ現場とトラブルを繰り返す奸臣をリストラしたりするなど
豊臣の建て直しに力を注いでいた

むしろ豊臣を崩壊させた大逆人は三成ら奉行だろう
朝鮮では偽講和や豊臣恩顧への処罰を扇動する讒言を繰り返し
秀吉が死ぬと豊臣の人質や財産を勝手に自分たちのものにしようとしたうえに
秀頼も身柄も自分たちの管理物にしようとしていた
そしてついには摂政が気に食わないから殺そうと勝手に武装蜂起までする始末
これでは家康がいくら真面目に仕事をしたところで豊臣の崩壊を食い止めることは不可能だった

家康に出来ることは日本が無政府状態に戻らないように新政権に切り替えるのが精一杯だった
0873人間七七四年2016/05/24(火) 02:37:37.12ID:XYTsyTKL
以上、家康は無私無欲の聖人であったというお話でした。

はい、次行ってみよー
0874人間七七四年2016/05/24(火) 06:45:56.02ID:TJZ9Ib9p
>>858
白峰氏の主張もアレだが反論もちと雑だな。

1、2は別に批判するほどの根拠では無いな。家康とて大坂には
実力で入城したし、輝元も豊臣家の中核たる奉行衆から請われて
入城してる。

3は白峰氏の主張に無理がある。公儀を名乗る事が出来たという
のは確かに大事な要素ではあるが、それによる影響をキチンと
調べないと意味が無い。

4は上方周辺の諸侯を動員できてるから妥当。ただし畿内すら
掌握できておらず、完全からはほど遠い。

5は城を受け取れず、戦になった時点で面目丸潰れで
しかも杵築は接収にも失敗した。むしろ蜂須賀、生駒を改易に
して城を受け取った点を評価するべきだろう。

6は近江の家康所領などを与えてはいるが、もともと豊臣家
の代官が把握してた所領。その他は切り取り次第の状況で
公儀性を発揮してるとは言い難い。
0875人間七七四年2016/05/24(火) 07:07:39.31ID:niAE0vZh
白峰と本多ってまだ論争しているの?
0876人間七七四年2016/05/24(火) 07:22:00.94ID:j7Uq7uIN
白峰以外の名前は出ないもんかね
関ヶ原関連でなんかないのか
0877人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/05/24(火) 08:28:17.54ID:fAAiPgt8
>>876
笠谷和比古とか矢部健太郎、光成準治や本多隆成
二木謙一や三池純正、宮本義己、小和田哲男
渡邊大門、相川司、桐野作人などなど関ヶ原関連の本書いてる人は
適当に挙げた名前の人以外にも、結構いると思うけどね
0878人間七七四年2016/05/24(火) 13:17:48.08ID:U1pTIBC4
どっちが正統性があったかとか意味あるのか?
当然どっちも正統性を主張してるし、一定の筋は通ってるだろ
だから天下分け目の戦いになったわけで、結果的に勝った方の理屈が通ったというだけ
0879人間七七四年2016/05/24(火) 13:57:47.11ID:XssIZDoo
三成の筋は全く通ってないよ。
0880人間七七四年2016/05/24(火) 14:29:36.90ID:VDYIFhae
その根拠は?
0881人間七七四年2016/05/24(火) 16:21:48.23ID:kimbQ46O
加藤、福島、黒田が悪い
0882人間七七四年2016/05/24(火) 19:56:14.37ID:XssIZDoo
>>880
三成の挙兵は非合法。
0883人間七七四年2016/05/24(火) 23:20:14.15ID:GKRqxCsz
戦国時代に合法もクソもないと思うが
そもそも武士自体、律令制度から勝手に逸脱したヤクザ集団なんだし
0884人間七七四年2016/05/24(火) 23:40:22.13ID:xs5GQeQN
西軍に付きながら、大名に復帰して重用された立花宗茂って一体何者だ
0885人間七七四年2016/05/24(火) 23:52:26.17ID:neIR7iT4
>>880
そもそも三成ら奉行が失政を重ねたから家康が招聘されたわけで
その家康に対して三成が政権にしがみつくために命を狙うことに正当性などあるわけがない
三成は豊臣を私物化しているとしかいえない
0886人間七七四年2016/05/25(水) 00:00:20.34ID:KmHBrZDx
合法というか当時三成は奉行職を解任されて蟄居中の身だし
秀吉の遺言で国務の代行者に指定された家康と比べれば
五大老の輝元を担いだとはいえ正統性という点では見劣りするのでは
0887人間七七四年2016/05/25(水) 05:27:26.43ID:XC9IdgBe
公儀性ならまだしも、正当性論議は無意味だろ。
正当性を重要視するなら、織田政権を簒奪した豊臣政権自体の全否定になっちまう。
0888人間七七四年2016/05/25(水) 06:31:46.50ID:JPJAR39L
そういうのが好きなのがネトウヨ
0889人間七七四年2016/05/25(水) 06:50:19.62ID:K73ObNlv
三成は太閤殿下の遺徳をないがしろにする家康に我慢できず、やむにやまれす蜂起した忠臣だぞ
0890人間七七四年2016/05/25(水) 07:51:54.57ID:pJyJZwHp
>>887
全くならない。
0891人間七七四年2016/05/25(水) 08:31:30.67ID:8QuP2xaC
あー、なるほど見事にネトウヨ思考のツボを突いてますな…
0892人間七七四年2016/05/25(水) 08:46:07.79ID:eE5A7ymu
>>887
だいたい武士の存在からしてヤクザが武力に物言わせて朝廷脅迫して政権分捕ったシロモノなんだから
正統性もへったくれもないわな 基本勝った奴が正義
0893人間七七四年2016/05/25(水) 08:55:35.20ID:PfjSv80A
一人芝居のかまってちゃんヒマ過ぎだろ
0894人間七七四年2016/05/25(水) 09:01:11.04ID:1vu+rkCi
事実が問題なんであって、正当とか正義とか言い出すのはあたまの弱い子
0895人間七七四年2016/05/25(水) 12:16:11.32ID:/OdjLdQz
家康に全部任すが秀吉の遺言だからなあ
むしろ死人に口無しで、好き勝手都合の良い様に、あること無いこと騙ってるのは三成の方にも見えるが
0896人間七七四年2016/05/25(水) 13:26:18.95ID:6JsqtRvb
>>884
ぐう有能なコミュ力魔人
0897人間七七四年2016/05/25(水) 14:19:00.36ID:JdM2yE6P
>>894
お前、犯罪者だろ

非犯罪者であるなら、公儀に正当性の裏付けを求めるものだ。
毛利方は多少乱暴ではあるが、秀頼の確保に成功してるから、秀頼が公儀であるなら、その正当性は相当に高いだろう。
対して家康の正当性は公儀によって保証されているのか?
一般に内大臣とされているが、豊臣から与えられた物であれば、家康はクーデターを起こす時の将軍のテンプレートに沿っている。
秀頼が敵方にある時点で謀反人であることは決定だ。
どっかの作家が、徳川は公儀を名乗ってないと書いたらしいが、存分、家康も大逆人指定の覚悟はしていたのかもしれん
0898人間七七四年2016/05/25(水) 14:25:05.83ID:1vu+rkCi
だいたい3行超の長文レスするやつはアスペw
0899人間七七四年2016/05/25(水) 14:33:16.10ID:4gaXKT6l
>>897
丸っきり犯罪者の論理だな
0900人間七七四年2016/05/25(水) 14:44:29.70ID:JdM2yE6P
>>899
現実社会で犯罪を犯す前に入院した方が良いぞ、犯罪者予備軍
0901人間七七四年2016/05/25(水) 14:52:36.72ID:PddE3mHW
お前毎日いるよな
0902人間七七四年2016/05/25(水) 15:01:03.48ID:CFWAcYSE
>>884
フリーにしといて浪人組として大阪入城されたらたまったもんじゃないから速攻で囲いこんだ
大阪の陣で入城した奴らはそういう囲い込みから漏れた二線級の武将ばかり
0903人間七七四年2016/05/25(水) 16:07:59.56ID:2HhErc28
立花宗茂って本当に有能だったんだな
有能なだけで恩情貰えるって、他の西の大名がいかに無能だらけの寄せ集めだったか考えたくないな
でも長宗我部は復帰させたれよって思うわ
色々悲惨過ぎるだろ
0904人間七七四年2016/05/25(水) 16:14:39.40ID:PddE3mHW
何時も忘れられる丹羽長重
0905人間七七四年2016/05/25(水) 16:22:39.21ID:n3Jcb+y6
>>897
自分たちに正当性がないのを自覚していたから秀頼奪取という暴挙にでたんだね
0906人間七七四年2016/05/25(水) 16:39:19.52ID:/9DDWLKo
良血サラブレッドかつ自分の力で大名になった立花と
無能なボンボンで自分の代で禄高を1/10に減らした丹羽
0907人間七七四年2016/05/25(水) 16:58:14.59ID:OzwLKJxV
>>903
長宗我部はダメだよ
取り成して貰ってる最中に猜疑心にかられて兄貴ぶっ殺して改易くらったから
0908人間七七四年2016/05/25(水) 18:23:42.48ID:pJyJZwHp
正当性が不要なら、三成は単なる敗者、謀反人確定。家康は正義で終了。

そうじゃないだろ、という事で西軍に正当性を持たせる議論が始まったわけ。

で、結局どうやっても正当性がないというオチがつくんだけどね。
0909人間七七四年2016/05/25(水) 18:47:45.88ID:JPJAR39L
戦国史じゃなくて近代史のほうがおもしろいんじゃないの
そっち思考のひとはさw
0910人間七七四年2016/05/25(水) 19:30:51.86ID:n3Jcb+y6
丹羽が無能かあ
0911人間七七四年2016/05/25(水) 21:50:44.10ID:pJyJZwHp
本論で反論出来ない事で、キミが可哀想だとは思うよ。
見当はずれの話で自分を慰められるなら、キミを否定はしないよ。
0912人間七七四年2016/05/25(水) 21:51:41.83ID:pJyJZwHp
>>909ね。
0913人間七七四年2016/05/25(水) 22:53:25.66ID:EUZNHs4T
徳川秀忠がまぬけすぎる
0914人間七七四年2016/05/26(木) 05:37:22.80ID:jaIpjjx+
基本武士の世界では、領地の安堵と新恩給付する人が主君でしょ?
合議制を崩して家康だけの花押で文書出してる時点で...と思うけどね?
秀吉の遺言は、合議制で家康を封じ込めるのが目的だと思うし。
家康一人の判断で領地の加増とかしたら、実質豊臣の領地を山分けにして
るのと同じでしょ?
0915人間七七四年2016/05/26(木) 05:49:55.96ID:qR0Qz2Io
遺言には合議うんぬんは一切ないけどな
0916人間七七四年2016/05/26(木) 06:41:45.09ID:k2HR4iSh
合議制は秀吉死後に決めた仕組み。
0917人間七七四年2016/05/26(木) 08:09:20.36ID:bv9HUxU0
秀吉の遺言は、政務のことは家康、豊臣家中のことは利家が見ろ、だよ。
他の三大老や5奉行と合議して決めろ、なんて言ってない。
ローマ的に言えば、家康は独裁官に任じられてる。
0918人間七七四年2016/05/26(木) 08:49:40.73ID:g/IOyku3
ぶっちゃけた話、家康が決めなかったら他の誰が決めるの?って状態だったからな。
0919人間七七四年2016/05/26(木) 09:08:03.18ID:kCaXmJS5
秀吉が家康に遺言で頼んだから正当だとかいっても
家康が秀頼を頼まれたのに滅ぼしたって時点で正当でもなんでもない

プラグマティズムであって正当性とかいってもね
0920人間七七四年2016/05/26(木) 09:16:09.06ID:Fuik+Qgj
>>919
典型的な時系列による環境・立場の変化がわからない馬鹿だな
0921人間七七四年2016/05/26(木) 09:23:28.29ID:kCaXmJS5
時がたったら正当性の根拠が変わるってのがまさしくプラグマティズム
0922人間七七四年2016/05/26(木) 09:36:58.62ID:+3atFnzQ
>>920
時系列は関係ないだろ
徳川幕府の正当性には豊臣朝廷?による認可が無いって話なんだろう。


それ以前に、秀頼に何の理由があって政権の首班としての正当性があるんだ?
死んだ太閤の息子であることが正当性の保証になるのか?
古来、藤原不比等にしても権力の正当性を天皇に求めてきた日本で
豊臣とは天皇による保証を必要としない革命政権ということか?

そうなると徳川の立ち位置がまた微妙になるが(白色革命の首班になるな)
0923人間七七四年2016/05/26(木) 09:41:44.69ID:+3atFnzQ
>>914理論であれば
軍事衝突の際の指導的位置に付けない豊臣秀頼に武家の頭領の資格は無い。

ていうか、そういうヤクザな世界から脱却するために鎌倉幕府は苦労したと思うんだがな
0924人間七七四年2016/05/26(木) 09:51:18.94ID:Fuik+Qgj
なんかID:+3atFnzQ は脳内ファンタジー歴史が展開してるらしいな
0925人間七七四年2016/05/26(木) 09:54:46.64ID:+3atFnzQ
>>924
中学校程度の歴史も理解出来ないバカ発見
0926人間七七四年2016/05/26(木) 09:55:31.31ID:kCaXmJS5
だいたい正当性とか正義とか持ちだす奴は結局は好き嫌いを言ってるだけ
好き嫌いで事実にバイアスをかけるために正当性を使ってる
0927人間七七四年2016/05/26(木) 10:12:57.44ID:Fuik+Qgj
>>925
いいかい?1611年(慶長16年)3月28日の二条城会見で豊臣秀頼は徳川家康に事実上臣従してるんだぞ。
一つ賢くなったね、良かったねえ。
0928人間七七四年2016/05/26(木) 12:25:11.29ID:zFeWOz6l
なんつーか毎日同じパターンの自演ばかりで飽きたぞ。
他に出し物は無いのか?
0929人間七七四年2016/05/26(木) 13:57:46.74ID:XUq9M1+C
>>928
キミが出せよ
0930人間七七四年2016/05/26(木) 14:51:44.78ID:VwOQ6Djg
毎日、一人で二役やって虚しくないの君?
0931人間七七四年2016/05/26(木) 15:06:04.88ID:kWfovEN6
つまんないよね
0932人間七七四年2016/05/26(木) 15:37:26.24ID:LIX8WSS0
関ヶ原当時の筋と豊臣滅亡は関係無くね?
結果的に豊臣滅ぼしたから正当じゃないなら、それでも結果的に国を平和に治めたんだから、家康の行い全てが正当になる
0933人間七七四年2016/05/26(木) 16:44:06.09ID:iVaxaEB0
結果的に江戸幕府のせいで日本は西欧列強に遅れをとり、戦争に負けたので家康は悪!!
と言ったことを言う人はいるよね。
0934人間七七四年2016/05/26(木) 16:51:14.30ID:j99pumAh
二次大戦の敗戦の責任を問うなら日露の勝ちで増長した薩長の馬鹿のせいだがな。
あのとき内情ボロボロで審判のアメリカに泣きついてようやく勝ち扱いにしてもらったってのに
天狗になって身の程もわきまえなくなるから。
0935人間七七四年2016/05/26(木) 17:00:09.07ID:LfQt1IBi
>>933
信長が天下統一してたら海洋進出してアジアの海を支配してたと思う。
もちろん日本も国際化してヨーロッパに劣らぬ大国になっていた。
0936人間七七四年2016/05/26(木) 17:46:51.25ID:Gp7amsxT
>>935
秀吉と同じく中国に進出して同じ終わり方でしょう
そもそも海に出て何をする?
0937人間七七四年2016/05/26(木) 17:59:07.53ID:jtOafoEm
五大老や太閤遺言に関しては堀越さんが論文も出してるけど読んでる人いるのかね
なんか史料解釈が甘い宮本さんの解釈を無批判に用いてる人いるけど
0938人間七七四年2016/05/26(木) 18:03:13.06ID:jtOafoEm
笠谷さんの二重公儀論もかなり強引だけど本多さんあたりがいう二条城会見で秀頼臣従も
同じようなもんだな
0939人間七七四年2016/05/26(木) 18:04:23.90ID:j99pumAh
>>935
海外に出ばると国内のリソースがそっちにいくから結果として国内が廃れるんだよね
戦後の日本の経済成長は大陸から撤退したからその分のリソースを国内に集中できたおかげ
0940人間七七四年2016/05/26(木) 18:10:14.80ID:kWfovEN6
>>937
年寄という用語を奉行より地位が上だと根本的な間違いを犯してる2人ですね
0941人間七七四年2016/05/26(木) 18:45:38.43ID:NKrJDCj3
家康のアホは人間のクズ
0942人間七七四年2016/05/26(木) 19:16:50.78ID:LqAAcC/I
>>937
堀越の論って「三成が政権から外されてるとかありえないんですけどおおお!」とかいう論外な奴じゃなかったっけ
0943人間七七四年2016/05/26(木) 20:41:41.99ID:+niXi4KX
家康は積極的海外貿易派だしな
時計とか新しい物、珍しい物とか大好きだし
そもそも鎖国をやったのは家光だし
まあ家光は盆暗みたいだったから
実際は父親で保守的傾向のある秀忠や
秀忠が家光の為に遺した家臣たちのせいかもしれんが
0944人間七七四年2016/05/26(木) 21:01:35.30ID:k28rpY6O
日本は鎖国はしていないよ
松平定信が歴史を捏造して鎖国していたことにしただけ
日本がやっていたのは海禁政策(貿易を幕府が独占する政策)
今どき、鎖国とか言ってる人は歴史知識が20世紀で止まってる
0945人間七七四年2016/05/26(木) 21:54:52.54ID:RI9QmTmZ
思うけど、秀吉の天下統一って歴史的に何か意味あったかな
秀吉がいなくても、家康は天下取れたと思うし
0946人間七七四年2016/05/26(木) 22:17:21.80ID:5EGqthSW
何言ってんだこいつ
0947人間七七四年2016/05/26(木) 23:07:39.55ID:k28rpY6O
>>945
北条も毛利も徳川よりずっと石高上だったし徳川独力での統一は流石に無理ゲー
秀吉にコバンザメしてナンバー2の地位を確保して強い奴は軒並み秀吉が叩き潰した後だからこその家康の天下
小牧長久手の後も家康が徹底抗戦してたら同盟者を切り崩され、石川数正のように内部からも切り崩され滅亡するしかなかった
一番高く売れる時期に秀吉に恩を売りまくるのが当時の家康にとって最良の選択
0948人間七七四年2016/05/26(木) 23:17:59.27ID:TB7HsOyG
秀吉がいなかったら、信長死後は織田家で家康は大きく出れたんじゃないか
光秀、勝家よりは家康の方が上手だろ
0949人間七七四年2016/05/26(木) 23:25:14.80ID:zFeWOz6l
>>938
二重公儀論は関ヶ原で即一大名に没落を否定した点に意義があるし、二条城も秀頼が下目に回った契機の研究を深化させた点に意義がある。

歴史研究はエラー訂正の連続だから、最初に発表した内容がそのまま通用する事は滅多にないし、場合によっては完全否定される事もあるが、最初に発表した研究に価値が無くなる訳じゃ無いと思う。
悪いのは研究の進展をチェックせず、戯言を垂れ流す輩じゃなかろうか。
0950人間七七四年2016/05/26(木) 23:34:07.72ID:I5aLx8Zg
家康の経済政策ってほぼ秀吉のまんまだから
秀吉の統一がなかったら家康がどう日本を治めてたか興味あるな
0951人間七七四年2016/05/26(木) 23:47:47.86ID:TB7HsOyG
独力で民政に溺れた関東をまとめるぐらいに治力はあるから、適材適所で無難にやれたと思う
家康個人は凡人だが、こいつの人材収集に対する貪欲っぷりはヤバいからな
0952人間七七四年2016/05/27(金) 00:26:49.09ID:pLa6H6+Y
壊れたレコードみたいに同じ話を繰り返す馬鹿はどうにかならんのか?
0953人間七七四年2016/05/27(金) 00:37:47.07ID:oaZQnmOt
馬鹿だからどうにも
0954人間七七四年2016/05/27(金) 08:10:10.38ID:sutyOG9c
>>951
自分の限界を自覚した上で、足りない部分を人材で補填するのは名君の第一歩
0955人間七七四年2016/05/27(金) 10:12:02.82ID:nD92ZbTj
現代社会も同じだな。
0956人間七七四年2016/05/27(金) 11:35:28.10ID:/T4MmyjF
>>919
そうだね
結局遺言を守ってねーじゃんって話になる
関ヶ原のときは遺言を守る気はあったけど、三成が先に遺言を破ったから守らなかっただけだなんて理屈は都合がよすぎる

家康の存命中は秀頼を滅ぼさなかったというなら、説得力があるけど
0957人間七七四年2016/05/27(金) 14:06:20.95ID:OGq8sHcq
>>956
方針が常に一貫している人間なぞ稀だろ
お前の思考の方が都合よすぎる
0958人間七七四年2016/05/27(金) 14:39:21.75ID:K/VRgf+s
家康オタはご都合主義
0959人間七七四年2016/05/27(金) 18:05:07.59ID:vU/We5pN
つか、論理的思考ができないっぽいなw
0960人間七七四年2016/05/27(金) 18:40:39.56ID:7e9WUD82
>>956
だから夏の陣前の段階でも転封で何とかしようとしたじゃん
0961人間七七四年2016/05/27(金) 19:58:30.54ID:itnL1gb5
>>957
遺言ガァの返しが方針ガァ?
つまり、
>>957も家康は豊臣秀頼の家臣で、主君を無視して主君より上の官位について、主君を滅ぼしたって考えてるの?
0962人間七七四年2016/05/27(金) 20:07:31.98ID:OGq8sHcq
>>961
んー、「家康は関ヶ原までは遺言を遵守するつもりだったが、
勝利後は秀頼を超える権威を手に入れたので遺言に背いて秀頼より上位の官職を得た」って考えてる

>>959
「最終的に秀頼を殺したから家康は最初から秀頼を殺す気だったに違いない」っていうのが論理的思考だとはたまげたなあ
0963人間七七四年2016/05/27(金) 20:08:28.77ID:p55hEUBv
>>950
次スレよろ
0964人間七七四年2016/05/27(金) 20:17:31.33ID:npq8C3Hk
はい
関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1464347783/
0965人間七七四年2016/05/27(金) 20:18:08.61ID:oaZQnmOt
おつ
0966人間七七四年2016/05/27(金) 20:21:54.06ID:itnL1gb5
>>962
家康は義理堅いんだか計算高いんだかで
秀吉無き後も官位も貰えない小僧の家臣をやってたんだが、
関ヶ原で自信が出来て家臣を卒業したって考えか?

死んだ後も、周りを黙らせられるくらい秀吉って、途轍もない権力を持ってたんだろうか?
恩があるから奉公がある(もしくは逆も)なんてヤクザもビビる倫理観の無い武士とは思えないくらい家康って立派なのな
(恩と言うには…な関東いふうを秀吉はくれたが秀頼にはそれだけの権力は無いだろ?)
0967人間七七四年2016/05/27(金) 20:51:46.88ID:MXHyuZCl
理由は単純だよ
秀吉死亡当時は家康が抜けていたとはいえ上杉、毛利のような百万石以上の大大名がゴロゴロしてた。
徳川独力だけでこれらを全部倒して天下取るのは中々に骨の折れるし下手すれば家康の寿命が持たない(結果的に長生きしたが)
だから家康には秀頼という御輿を最大限利用する必要があったのさ
関ヶ原から十年も経って幕府の土台も固まり、豊臣恩顧大名も世代交代が進んでようやく秀頼という御輿が必要なくなった
それでも相手が殊勝にしてりゃ攻め滅ぼすまではしなかっただろうけどかえって厚遇しすぎたせいで秀頼の方が増長した
0968人間七七四年2016/05/27(金) 21:06:53.60ID:G1KZPdFo
自演ばかりでつまらん。
しかも頭におがくずが詰まってるような内容で、あからさまな突っ込み待ちだしな。
もうちょっとヒネれ
0969人間七七四年2016/05/27(金) 21:59:31.50ID:itnL1gb5
>>968
お前のストーリーくらい書いてみろ!
0970人間七七四年2016/05/27(金) 23:10:08.08ID:c0FupsmO
三成は秀吉から単なる中堅文官という扱いしか受けていなかったのに
秀吉が死んだことを利用して勝手に軍事司令官の権限があるかのような振る舞いを始めた
そして家康の脅威を誇張して敵視政策を進めて本気で豊臣の軍事指揮権を握ろうとした
家康に天下を取る気があるかどうかなんてたいした問題じゃない
三成のような危険人物がいれば正当防衛的に権力を固めるしかないわけ
0971人間七七四年2016/05/28(土) 01:05:57.59ID:UnLhgl4R
>>962
>956から、方針が常に一貫している人間なぞ稀、という反論で、さらにいきなり
「最終的に秀頼を殺したから家康は最初から秀頼を殺す気だったに違いない」って
帰結になるのは、まさに非論理的以外の何者でもないと思うが…つか基地外レベルw
0972人間七七四年2016/05/28(土) 02:27:39.67ID:nEXfWJN5
皆自分の為の豊臣家にしたいって思ってるだけだろ
忠臣も悪臣も無いわい
0973人間七七四年2016/05/28(土) 03:05:04.30ID:LSndXQ0x
>>971
難癖ばかりでお前が何を主張したいのか全くわからないんだけど
0974人間七七四年2016/05/28(土) 03:22:06.27ID:UnLhgl4R
>>973
難癖じゃなく、飛びまくりのアンタの脳内論理は誰も理解できないと思うよw
0975人間七七四年2016/05/28(土) 06:38:34.87ID:tN9kC8Q/
子供が自作ストーリーを発表するスレになっとるな
0976人間七七四年2016/05/28(土) 07:52:41.97ID:rZK8oxbu
通説自体が想像の産物で大した根拠はない
0977人間七七四年2016/05/28(土) 08:00:24.99ID:xQOmXVtH
>>975
戦国時代の歴史研究家なんて全部その程度なんじゃ?

辻褄さえ、あってりゃ何でもありだろ
0978人間七七四年2016/05/28(土) 08:45:28.97ID:A4LK15MQ
リアルではやめとけよ、ここだけにしとけ
0979人間七七四年2016/05/28(土) 09:17:58.30ID:xQOmXVtH
>>978
歴史研究家じゃないからリアルじゃ言えないわな
0980人間七七四年2016/05/28(土) 09:18:41.95ID:kPMAXKWH
家康オタの自演が始まるか?
0981人間七七四年2016/05/28(土) 11:26:59.92ID:0CtCoXDM
>>980
結局学問的な議論じゃ負けるからレッテル貼りに逃げるんだなお前。哀れだなあ
0982人間七七四年2016/05/28(土) 14:28:01.82ID:kqUKIy+A
我慢できずに出てきたw
0983人間七七四年2016/05/28(土) 16:01:59.61ID:nZv7NqA3
徳川史観丸出しの焼き味噌厨が
脳内妄想前回の作文を披露するスレだからな
0984人間七七四年2016/05/28(土) 16:41:19.40ID:rZK8oxbu
こんなとこで学問的な議論とか見たことないぞw
0985人間七七四年2016/05/28(土) 18:47:31.48ID:xQOmXVtH
>>984
学問として成立するくらい、論理的かつ実証のある、日本の通称戦国時代の議論なんて存在するのか?
長らく教科書に載ってる桶狭間だって、遠駿の支配者が驕り肥えした空馬鹿って説明だぞ
0986人間七七四年2016/05/28(土) 21:30:42.94ID:vGDpsqnO
関ヶ原で勝って
家康「あれ? もしかして俺勝てるんじゃね?」って気付いてしまったのかな
0987人間七七四年2016/05/28(土) 21:37:59.14ID:coYh21Wv
>>917
家康のクズはそんなことを決めた秀吉を祀る豊国神社を打ち壊したんだよね 
0988人間七七四年2016/05/28(土) 22:00:05.45ID:tL0A0Xm8
>>987
そりゃ豊臣家が滅んだのにその豊臣家を守護する豊国神社がどんな禍ツ神になるか、
だからこそ方広寺の鎮守へとすることで怨霊になるのを抑えた
0989人間七七四年2016/05/29(日) 00:40:03.69ID:NGMpRr2O
>>986
あれ? 為政者としても信長・秀吉より俺のほうが優秀だぞ、と気付いたんだろう
実際にやってみる前にそう言うのはただのはったりだから
0990人間七七四年2016/05/29(日) 03:24:54.33ID:WIiBAU2Q
家康アンチは自演しかしないなあ
0991人間七七四年2016/05/29(日) 06:41:13.40ID:xNW8RP4Q
>>987
あれは秀吉を秀次のように祭ることで秀吉への敬意を表したものだろ
豊臣関白にふさわしい弔い方なのだから何の問題もない
0992人間七七四年2016/05/29(日) 11:51:41.38ID:RQD1T5gy
そろそろ埋めるか
0993人間七七四年2016/05/29(日) 17:46:18.48ID:wgx26QR+
>>992
誰を?
小早川秀秋とか?
0994人間七七四年2016/05/30(月) 06:34:10.94ID:B24+mf7V
うめ
0995人間七七四年2016/05/30(月) 06:34:46.32ID:B24+mf7V
うめ
0996人間七七四年2016/05/30(月) 06:36:05.26ID:B24+mf7V
埋め
0997人間七七四年2016/05/30(月) 06:36:43.40ID:B24+mf7V
0998人間七七四年2016/05/30(月) 06:37:17.92ID:B24+mf7V
うめ
0999人間七七四年2016/05/30(月) 06:37:42.87ID:B24+mf7V
999
1000人間七七四年2016/05/30(月) 06:38:35.40ID:B24+mf7V
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