この後、
『このように家康公は、お遊びの際のこともよくお心にとめられる方で、
「誰とはあの時あそこで酒を飲んだ」「誰にはあの時あそこで飯をおごった」
などと覚えてらっしゃり、そのことを話題にされることが常々あったのである。』

と綺麗にまとめているが、誰に飯をおごったか覚えているとかすっごいケチくさい。

家臣と他愛ない口喧嘩をして楽しんでいた、君臣の情も美しい良い話?
ケチのくせにムキになって道路工事までやらかしてしまった、悪い話?www

(原文)丹沢七右衛門正忠といひしは。武田が家人なりしが。
関東へうつらせたまふころより當家に参り。元より鷹の事に精しければ。いつも御供にめし加へらる。
ある時ならせたまふに。正忠この路筋には田切(谷の両側がガケになっている場所)のあれば。御路をかへ給へと申す。
君われ幼きより駿河にて生長したれば。路の案内よくしりたり。この路にさる所なしと宣ひて成せ給ふに。
はたして路絶たれば笑はせ給ひながら。丹沢かゝる田切のあるを。何とてしらさぬとて咎め給ふ。
また鳥の有無を見せにつかはされしに。かへりて来て見えずと申。
やがてその筋通御有に。鳥あまた下り居たれば。丹沢いかに汝には見えぬかと宣へば。
先にはなかりしが。たゞ今入懸しなりと申せば。そはわれもとくよりしりたりとてまた/\咎め給ふ。
還御のゝち。今日は日ひとひ丹沢とあらがひて。いとおかしかりしと仰らる。
後に、其日ならせられし道路の経営の事仰出されしに。代官等いづれの地かと伺へば。
先日丹沢とあらがひし所よと仰られしにて。速に分りたりしとぞ。
かく御遊行の折の事も。よく御心にとめられ。
誰はいつの時いづれにて酒のみし。膳給はりしなどゝ。おぼしいでゝ仰られし事つね/\″おはしましき。


東照宮御実紀附録巻二十四
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