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戦国ちょっといい話40

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0001人間七七四年2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0574人間七七四年2014/08/21(木) 09:39:21.02ID:xqAfmiYk
>>571
あんた毒されすぎや
そんなこと言ってたら普通の味噌料理食べれねぇぞ
0575人間七七四年2014/08/21(木) 09:45:31.91ID:WIa9Dm61
味噌煮込みうどんはアウトだが、ドテ丼はいけるわけやな。
0576人間七七四年2014/08/21(木) 11:38:13.88ID:25n7FkmV
>>573
味噌なんて自家製するもの
誰でもやってるよ
0577人間七七四年2014/08/21(木) 11:49:12.82ID:aqMLrz8E
肥で熟成させた味噌は濃厚って朝鮮人から聞いた
0578人間七七四年2014/08/21(木) 11:55:09.07ID:o0z3FI3y
>>576
しかしながら現在のように一般に普及したのは江戸期からとも言われてるみたいだよ
0579人間七七四年2014/08/21(木) 12:39:40.11ID:OmKO2R2B
>>574
こ、この板に来た時だけだから大丈夫だし(震え糞)
0580人間七七四年2014/08/21(木) 19:32:36.27ID:4u75mfED
名古屋名物の麺類は駅のきしめん一択だから(震え声)
0581人間七七四年2014/08/21(木) 20:15:02.20ID:Q+baSbzc
た、台湾ラーメンアメリカン…
0582sc→net未反映分のコピー2014/08/21(木) 23:37:38.35ID:wxSgOPL/
親子二代

延沢光昌は大豪で知られた延沢満延の息子であったが、まだ年端も往かぬ頃に父を亡くし、老臣に育てられていた

光昌は有路但馬・笹原石見といった重代の家老らから生前の父の武勇談を聞くのが好きだった

有路「亡き殿(満延)は、18歳のときに山形両所宮の鐘を1人で外し、鶴子(尾花沢市)まで担いで帰って来ましてな」
笹原「人々はその剛力にほおと感嘆の声を上げたものですじゃ」

慶長の時代になり、光昌も立派な若武者へと成長した

光昌「父に出来た事、父の血を引き有路と笹原に武芸を教えられたこの身なら、やってやれない事は無いのではないか?」

光昌は中山長崎の円同寺といった寺の鐘が名宝と聞き、住職に「それがしがこの鐘を持ち上げる事が出来たら、鐘を譲っては頂けないか」と掛け合ってみた

住職「お父君は生きる伝説として勇力で名を馳せましたが、この鐘は半端な重さではございませぬ
まぁ、見事持ち上げられたらそれは天命という事ですので差し上げましょう」

光昌「どれ」

ひょい

住職「!」

光昌「う〜ん。ま、持って帰れない重さじゃないな」

住職「お約束でしたので、その鐘はご自由になされてくだされ」

光昌「手で持つにも疲れるな…かぶって行くか」

光昌は親指で鐘乳をえぐると鐘に覗き穴を開けた



この鐘は現在山形市長谷堂の清源寺に
「慶長時代に最上の重臣延沢某が中山から持って帰って来たもの」とした寺伝と合わせて現存している

※光昌ではなく、父の満延が中山から長谷堂に持って来たといった伝承もあり
0583sc→net未反映分のコピー2014/08/21(木) 23:59:58.21ID:wxSgOPL/
山形の鶯(うぐいす)

奥州の大守輝宗の北の方※は 義光大守とは姉君※なれば 義光の嫡子修理太夫へ異国の珍物の名も知れぬ織物巻物武具の類迄 折々進せらる
政宗御幼君のころ 義光へ御使札の有りしに衣更着半ばの事成るに
頃日 鶯の初音を聞き侍りき 最上は雪深き所なれば 如何床敷思し召るらめ
と仰せ遣わされば
義光も御心根はいと優しく思召けめと 甥子の事なれば 武士の習い 月花に心とろけては 後は公家のやうに気高きばかりにて 世を鎮る用心に疎しとや思召けん
其返事に鶯の声二月中に初音御聞候事 珍希思召けん
吾等は去年の春聞置申候得ば 毎年聞度共不存候
と仰せ越されけるとかや
政宗にも御親しみの中なれば 御腹立を無かりしとかや
『奥羽軍談』

※最上義光の妹の義姫(お東の方・保春院)は、義光の姉といった説もある
0584sc→net未反映分のコピー2014/08/22(金) 00:00:53.11ID:k/wP8bZN
義光親子と政宗対談の事

政宗最上へ御越し有りし時 たまたまの御対面にも 互に律義の魏々として 下々の出合の如く和かなる交りにも無りけり
義光珍希思召 三国の珍物を調べあり 御馳走て 武具太刀の名作等お慰みとして集め置き玉ひて 嫡子修理太夫 彼是咄し相手に成り申しされけるは
此重宝の内 何れにも御意に入候はば 何にても進上申すべく候 殊に左文字長銘の正宗 蛇切丸 石割刀 其外焼物甲冑の類にても 御望次第札御候得かし
と仰せければ
政宗からからと御笑い
吾等も相応に宝多く持ち候得ば此様なり 物に望み之無し
と仰らる
義康其時
貴殿の御宝物何々にてか哉
問いければ
政宗宣ひけるは
名取 亘理 柴田 刈田の国郡と伊達 片倉など申す侍共 松島 塩釜など申す名所に候得ば 我等に外の望なし
と仰せける
是は孔子 所謂君子の三宝とは土地 人民 政事なり 金銀を財にするは小人の下愚なり とありしを聞き玉へるなるべし
義光大に喜び玉ひて
貴殿(政宗)は頃日学文を勤らるると見へたり 実や三日向顔をされば旧時の思ひをなすなという事あり 頼もしきはべる
と誉め玉ひけるとかや
『奥羽軍談』
0585sc→net未反映分のコピー2014/08/22(金) 00:02:17.53ID:k/wP8bZN
最上義光、さりげなく政宗に家臣自慢をする

政宗が山形城を訪れての夕刻過ぎ、義光の近臣らが行き来する中に、政宗は壮年武士の中にただならぬ雰囲気を纏わせた伊良子宗牛と成沢道忠といった老武者の姿を見つけた

政宗が「伯父上、あの者たちは?」と問うと

義光は「あの左側にいるのが伊良子宗牛と(堀喜吽の従兄弟の)山名一吽で、わし(義光)の七宝のひとつだよ。右に座っているのが成沢道忠と氏家守棟に延沢満延。ふたつとない、かけがえのない国の宝だ」と破顔して答えた

政宗「…(あれが柏木山の戦いで父の輝宗が苦汁を舐めさせられた伊良子と成沢か!)」

政宗は義光の言にキッと二人を睨めつけたと言う

その晩の政宗の機嫌は頗る悪かったと伝わる

『奥羽軍談』
0586sc→net未反映分のコピー2014/08/22(金) 04:12:22.03ID:k/wP8bZN
※顔文字を用いた逸話ですいません

日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙

(●∀・)「よぁ、忠宗元気か?急ぎ用件に入るよ。家康のとっつあんの法要に合わせて、日光に諸大名が燈籠を献じるんだって?

江戸では噂になってるんだろうが、仙台にいる俺のとこにはそんな話はなかなか届かなかったよ。

ちぃ!油断した!

だがしか−し!そんなイベントを知らなかったじゃ済まされんだろ?

話を聞いてすぐに土井利勝を脅…、いや土井に頼んで伊達家が燈籠を設置するのに相応しい場所をゲットしたぜ!

石の燈籠じゃ期限に間に合わんから、みんなが驚く様な鉄製の燈籠を職人にオーダーしたよ!

手当を弾んで急がせて、10日くらいで作らせる。

完成次第日光に送らせるから安心しろ。」

(●∀゚)「(今井)宗薫よ、おめえとはマブダチだと思ってたのに、なんでこんな重要な話を手紙の端にも書かねえんだ?
危うく他家の笑い者になるとこだったじゃねえか!?」

(●∀・)「あ、(桑山)左近さん、江戸の噂話を知らせてくれてありがとう!政宗助かったよ!」
家康の一周忌に合わせ
政宗は鉄燈籠を献じに日光と江戸へと上がった

政宗の性格がよくわかる、日光の鉄燈籠献上の手紙にまつわる話
0587sc→net未反映分のコピー2014/08/22(金) 04:14:21.80ID:k/wP8bZN
義光の容貌の詳細

義光公は(肌の)色が白く冷静そうな目をしており
珠の様な御声は威厳と慈愛を含まれていた

若き頃に多賀湯(蔵王高湯)で盗賊の首魁をお討ちになられたが
その際に敵に馬乗りにされ、お顔にいくつか刀傷を負われた

傷は平素は目立たぬものの、終生跡として遺り、殿が喜悦破顔をなされた際には瞼(まぶた)や頬(ほお)等にそのときの傷がうっすらと浮かび上がったものである

「最上家伝」等
0588人間七七四年2014/08/22(金) 07:41:22.12ID:HYzwZq+e
>>586
土井さんに難癖つけて、対応するのは酒井さんか。
0589人間七七四年2014/08/22(金) 22:52:49.96ID:+DBCS/sn
最上厨イライラする。scってなんだよ糞が
連投せずに日を分けて投稿しろよ
改行変で読みにくいし、人に読んでもらう気無いだろ
0590人間七七四年2014/08/22(金) 23:08:38.61ID:4meds4pl
992 名前:人間七七四年 [sage] :2014/08/22(金) 08:40:22.71 ID:k/wP8bZN
名前欄「sc→net未反映分のコピー」です

4月の2ちゃんねる騒動でnet(従来の2ちゃんねる)とsc(ひろゆきサイト)を混同したまま、時折sc側からも話の投下やコメントをしておりました

連投になりましたが、現行スレで自分が投下した逸話についてはこれでおおよそ従来の2ちゃんねるに移行が終わりました
(コメントについては時期外れのものや他の方のコメントもありますのでコピー&ペーストは行いません)

まとめ管理人様・サイト利用のみなさまにはご迷惑をお掛け致します


一連の投稿の後に悪い話に書かれた文章
あちらでscから転載するようになってるの?という質問にやるならやれば?って返答があり引っかかった人(この最上関連の逸話を投稿した人)がいた模様
つまり最初から読ませる気もコメントさせる気もない
再投稿だからね
0591人間七七四年2014/08/22(金) 23:27:58.28ID:+DBCS/sn
やっぱり他の人のこと考えてないんだな
マナー悪いしやたら浮いてるし最上のこと大っ嫌いになってきた
0592人間七七四年2014/08/22(金) 23:30:25.94ID:J53LQJZg
やっぱ最上厨くっせぇ奴だな・・・逸話が臭いだけならともかくピラミッド民かよ
0593人間七七四年2014/08/22(金) 23:48:01.44ID:k/wP8bZN
連投をした者です
従来の2ちゃんねるが4月にしばらくの間一切パソコンからも携帯からも書き込みが出来ず、
2ちゃんねるの管理人を名乗るひろゆき氏のscへの誘導のスレッドがトップ付近にあったために、
規制やタイムラグが少ないscの方が投下には楽なケースがままあり、そちらを時折利用しておりました
ただ、まとめサイトの話もコメントの番号も今となっては当然の事ながら、まったくscの物が反映なされなかったために、
スレが終わる前に現行スレで自分が以前に同スレに書いた物だけをscから移行した具合になります

※2ちゃんねるの物はscでそのまま見られますが、scは別サイトのために、そちらに書込んだものは2ちゃんねる本板にはまったく記載されない事を知りませんでした
0594人間七七四年2014/08/22(金) 23:52:53.29ID:/iavdTcx
まともに逸話書き込んでる人間に文句言うのはマナー違反だな
0595人間七七四年2014/08/23(土) 00:32:01.95ID:Nh75DstQ
マナーとか言い出しちゃったよ
そうじゃねぇだろオイ
0596人間七七四年2014/08/23(土) 01:00:51.59ID:wTv4dMXI
言い訳見苦しい。そんな御託並べるぐらいなら最上の逸話でも書いてくれた方がマシ
0597人間七七四年2014/08/23(土) 01:10:15.88ID:XKRqQQbs
喧嘩するとあの人くるぞー
0598人間七七四年2014/08/23(土) 01:11:39.78ID:SBZr1q8x
朝鮮の役の頃のこと。

朝鮮より帰国した一人の男が、天草にイエズス会のコレジオ(学院)に来訪した。
彼はその出身地である田舎に小さい教会を建て、そこで一生を捧げたいとの殊勝な望みを抱いて
やってきたのであった。

その動機を尋ねられると、彼は「デウスが驚くべき異常な方法で私を死から救ってくださったからだ。」
と答えた。

この男は朝鮮で重病を患い、人間的なあらゆる救助の道を絶たれ、完全に人々から見捨てられていた。
その窮状から身を救い得るものも、何一つなかった。
その時、彼はキリシタンであったので、以前に元気であった頃に祈っていたコンタツ(ロザリオ)を
思い出し、それが彼の身体を養い、健康を授ける力を秘めているように思えた。そこで見捨てられていた彼は
非常な信心を抱きながら、そのコンタツを食べ始めたのである。

我等の主なるゼウスは、彼に憐れみの目を注ぎ給い、口にはコンタツ以外何も入れなかったにもかかわらず、
彼を数日間養い、この風変わりな薬だけで、その病気を癒やし健康を回復することを嘉し給うたのである。

(ルイス・フロイス『日本史』)

ロザリオを食べて重病を直した男のお話。
0599人間七七四年2014/08/23(土) 01:40:52.31ID:CO0cZlew
宇治拾遺物語の木喰上人的な
0600人間七七四年2014/08/23(土) 06:01:54.26ID:VGxedgaW
篭城に備えて壁などに食料を塗りこむように
彼はロザリオに偽装した食料を持っていたのだ!(どや!)
0601人間七七四年2014/08/23(土) 06:53:39.17ID:lCeyV+k8
節子それ芋がら縄やない、ロザリオや!
0602人間七七四年2014/08/23(土) 07:24:55.01ID:XKRqQQbs
>>600
妙に納得してしまったw
朝鮮人参が元だったとか。
0603人間七七四年2014/08/23(土) 08:13:50.79ID:0IosOAsG
ずいきかもしれん
0604人間七七四年2014/08/23(土) 09:43:10.38ID:e/PyDSiw
偉大なるデウスによる奇蹟であり
兵糧丸などという物は全く関係ありません
0605人間七七四年2014/08/23(土) 12:00:58.34ID:/gJNbv0q
『一日の事ならばどうもこらへらるべし、翌日も又一日也』

生野織部孝時はいつもこう言っていたそうだ。

「奉公というものは、今日一日限りだとさえ思えば、どんなことでも出来る。
一日のことならがまんも出来る。
明日もまた、今日一日と思えばよい」 【葉隠】
0606人間七七四年2014/08/23(土) 15:55:56.27ID:5lrlOEhB
>>598
既出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5752.html
0607人間七七四年2014/08/23(土) 16:32:37.54ID:RLbRkTeE
実は十字架ではなく、例の薬の入ってる島津の印籠(薬入れ)だった線もきっと
0608人間七七四年2014/08/23(土) 17:14:18.74ID:Ww2GlhIc
>>583
『 其返事に鶯の声二月中に初音御聞候事 珍希思召けん
吾等は去年の春聞置申候得ば 毎年聞度共不存候
と仰せ越されけるとかや』

誰かこの部分の現代訳お願い致します
0609人間七七四年2014/08/24(日) 01:12:47.61ID:X1lQPXma
>>608
其返事に鶯の声二月中に初音御聞候事 珍希思召けん
吾等は去年の春聞置申候得ば 毎年聞度共不存候
と仰せ越されけるとかや

その返事に うぐいすの初鳴きを(雪も残る)二月中にお聞きになられた事は非常に珍しく思います
(しかし)私たちは去年の春に聞き貯めて置きましたので
特に毎年聞かなくても構いませんよ それほど気にしないでください とおっしゃったとか

…でいいのかな?
0610人間七七四年2014/08/24(日) 01:20:13.88ID:X1lQPXma
最上義光(´・ω・`)「さすがまーくん、お義に似てかわいいな。でも、風雅に傾いては公家の様に現実には疎めになるから、武家なら世の中の辛さを知るのも勉強だよ。社交辞令抜きに臍曲がりも大切だからね」
06116082014/08/24(日) 08:13:11.08ID:xhjth5gN
>>609>>610
ありがとうございました
0612人間七七四年2014/08/24(日) 10:10:52.99ID:0arsK0cD
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0613人間七七四年2014/08/25(月) 02:23:11.35ID:1ZNZCFfk
豊臣秀吉による醍醐の花見の時のこと。
秀吉の近習の者達が、徳川家康のことを言い出し、種にして悪口をし大いに笑っていた。

秀吉はこれを聞くと、このように言い出した

「家康の藝は3つあり、それは常人の及ぶものではない。
第一に、武略が衆に優れている。
第二に、思慮良き人物である。
第三に、金銀を多く持っている。

この三つは人に笑われるべきではない大藝である。
お前たちは一体、何を笑っているのか?」

しかし近習達はこれを聞いて
「いったい徳川殿の何が良くて、殿下はいつも贔屓をされるのか?」
と言い合ったそうである。

(徳川実紀)
0614人間七七四年2014/08/25(月) 13:22:21.73ID:9K4T4MFw
直江兼続と白狐

蒲生氏郷の死により越後の上杉景勝が会津に移封されると、直江兼続は米沢城主として国境にある城の整備に取り掛かった
兼続配下の中津川彦七が荒砥城に入り、早速城域の整備の一環として八幡神社の社殿の修繕を試みた

上方では情勢が緊迫し、兼続は長期の自給戦闘を見据え山形攻め(最上陣)を決定
自ら二万五千の軍勢を率いて米沢を発った

はじめに最上の支城の畑谷城を攻撃しようと間道を探るのに、霧の中荒砥城の守護神である御楯稲荷神社の白狐が直江軍の先に現れ、その誘導に従い直江軍は畑谷城の搦手に至った

畑谷城主江口道連は剛の者であったが、搦手を直江・色部の鉄砲隊に押さえられ、同城はわずか二日で落城してしまった

「八乙女八幡神社縁起」「白鷹町の昔話・狐越街道」ほか
0615人間七七四年2014/08/25(月) 14:42:37.36ID:QLGnEtuN
>>613
流石に「秀吉の近習」を貶しすぎる気もするが、
0616人間七七四年2014/08/25(月) 17:53:32.16ID:15yqjOSp
>>613
既出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6859.html
0617人間七七四年2014/08/26(火) 02:46:45.19ID:mFadfzs3
金銀が多いなら消費させろよ
0618人間七七四年2014/08/26(火) 06:53:14.62ID:Eu0g8OYB
ピラミッドを建てて先祖を篤く奉るように
0619人間七七四年2014/08/26(火) 15:51:58.79ID:ZS5qmx2o
>>617
家光は太閤様の忠臣説
0620人間七七四年2014/08/26(火) 19:45:33.93ID:z6GT5VCN
大阪冬の陣の折のこと。将軍秀忠が天満より備前島あたりまで巡視をしたことがあり、この時秀忠は
有馬豊氏の陣の井楼に登った。

しかしその辺りの豊臣方は将軍の馬印を見知っていたので、そこの将軍がいると、井楼に向かって火矢を
射掛け大筒を打ちかけた。この状況に秀忠の近臣達は「ここは危ない、どうか降りて下さい!」と
諌めたが、秀忠はこれを聞き入れなかった。

ここに、水野日向守勝成が馳参り、この有り様を見て、秀忠にこう申し上げた

「斥候は一口を見切るものですが、巡視は全体を判断することが要の行為です。一ヶ所に長くとどまる
べきではありません。鴫野の方へもお出であって然るべきでしょう、」

秀忠はこれに「尤もである」と答え、鴫野方面へと移動した。

この時、鴫野にあった上杉の陣では、今から将軍秀忠が参らせられると聞くと同時に、直江山城守兼続が下知し、
早々に城に向かって鉄砲を打ちかけた。

この上杉勢の攻撃で、城中の者達は先手を打たれ対応せざるを得ず、将軍秀忠が通行する時、そちらに向かって
鉄砲を放つことはなかった。
この事に秀忠は、「上杉の陣法さすがなり」と感じ入ったという。

(校合雑記)
0621人間七七四年2014/08/26(火) 21:50:10.38ID:ZvXxC2kb
冬の陣か…
0622人間七七四年2014/08/27(水) 13:33:38.38ID:BIQ3geQA
直江って調子こいて無様晒すイメージしかなかったから何か新鮮
0623人間七七四年2014/08/27(水) 14:45:17.62ID:a0Amvvn8
というか三河武士に危ない言ったら降りるわけないぞw
0624人間七七四年2014/08/27(水) 15:59:00.57ID:KrZabrnT
秀忠が三河武士といえるかは少し微妙だな
0625人間七七四年2014/08/27(水) 17:40:48.60ID:ZwnCDNgH
遠江生まれなのか、秀忠
0626人間七七四年2014/08/27(水) 19:56:58.10ID:pO7Zi7iM
しかし秀忠もめんどくさい系であることは間違いない
0627人間七七四年2014/08/27(水) 21:10:04.56ID:kH36n6ob
将軍秀忠の御前に細川忠興が参上した時、秀忠は忠興に尋ねた

「天下の政治とは、どのように考えて執り行うべきか?」

忠興はこう答えた

「四角い器に丸い蓋をするように執り行うのが、宜しかろうと存じます。」

これに秀忠も「尤もである」と言った。
また、この時は重臣たちが列待していた折でもあったので、次にこのように尋ねた

「人はどのような者を善人と言うべきであろうか?」

これに忠興は
「明石浦の牡蠣殻の如きを、よき人と申すべきでしょう。」

秀忠はこの返答に大いに感じ入った。
後で秀忠は重臣たちに、「先に忠興が言ったことを、お前たちはどのように心得たか?」と尋ねた。
しかし何れも「何とも解りませんでした」と申し上げた。
そこで秀忠は

「明石は世に聞こえた風浪激しい場所である。その浦に生きる牡蠣の殻は、波にもまれ姿が良い。
人もまたそのように、様々な辛き目にあって、人にもまれたものが良い。ということだ。」
と仰せになられた。

(葛藤別紙)

ちなみに「四角い器に丸い蓋」というのは、「四隅に隙間ができるが、それを許容するのが支配者としての余裕だ」
という意味とのことです。
0628人間七七四年2014/08/27(水) 22:27:04.61ID:pvDEam2g
確か中国のなんかでも同じようなことが言われてたな
0629人間七七四年2014/08/27(水) 22:42:06.55ID:wMWtxOuO
無粋と分かっていても「直接そう言えば良いだろ」と思ってしまう
0630人間七七四年2014/08/28(木) 07:32:42.03ID:WPRpFlsY
知り合いの話なんだけど
そいつが無職スロプーで
母親と二人暮らしなんだけど母親が突発性の緑内障になり
今すぐ病院に行かないと失明する、ってくらいヤバいときに
金がないんで放置してたら そいつに別居してる兄貴がいて
「とにかくすぐに病院連れて行けよ!」って20万置いて行った
兄貴も忙しいんで金置いて仕事に戻ったらしいんだけど
そのバカは置いていった金に手をつけて「押忍 番長!」を打ち
結局20万全部負けた
母親には適当にドラッグストアで買った目薬を与えて寝かせておいた
母は地獄の苦しみの中で
「ああ、ありがとう、XXちゃんが目薬買ってきてくれたんで楽になったよ」
と言いながら食事もとらず ボロ布団のなかで徐々に失明していった
衰弱しきった母を兄が救急車で運んだときには完全に失明し極度の栄養失調
に陥ってたらしい
0631人間七七四年2014/08/28(木) 11:21:19.63ID:PA/lRxib
>>629

高虎が二案だしたのと同じようなことだろ
答えそのものを言ってしまうと、忠興が将軍に「教えた」ことになってしまうから
0632人間七七四年2014/08/28(木) 21:13:22.38ID:4zOv+m4z
毛屋主水武久は佐々成政に仕えていたが、成政の切腹のあと、中津に来て黒田家に三百石で仕えた。

さて、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の結果、蒲生氏郷が伊勢松坂十二万石から、
会津四十二万石を賜った。氏郷は俄に大大名と成ったため、この時毛屋主水に、一万石で
自らに仕えるようにと密かに書状を送った。

しかし、主水はこれに
「只今私に高禄を賜るとのことですが、朝鮮への出兵をひかえて他家に移るというのは、
私の本意ではありません。
もし、つつがなく帰朝できましたら、御意に従うでしょう。」
と、断った。

氏郷と主水の間には、かつてこのような事があった

羽柴秀吉による播磨三木城攻めの頃、毛屋主水は山崎源太左衛門(片家)に仕えていた。
この頃彼は、田原金十郎と名乗っていた。

さて、その三木城攻めの最中、秀吉の軍は敗北し、これに参加していた蒲生氏郷の部隊は郎従ら皆逃げ去り、
氏郷の身も危うし、との時、毛屋主水が馳来て近づく敵を追い散らした。
そして氏郷に向かって言った

「私は田原金十郎と申して、山崎家の家人です。貴公と我が主君とは不和ですが、
只今の急難、見捨てがたきによって救い奉る!」

これに氏郷は感激し、主水に向かい「今日の芳志、絶対に忘れない!」と叫んだ。

これ故に、氏郷は兼ねてから毛屋主水の武勇をよく知っており、かつ、昔の忠節を思い出し、
あのような書状を出して、大禄を遣わして召し抱えたいと言ってきたのである。

(黒田家臣伝)
0633人間七七四年2014/08/28(木) 22:09:17.22ID:6ZpOri4S
>>632
さすが工場長。いつでもスカウトを忘れないな。
0634人間七七四年2014/08/28(木) 22:19:22.23ID:WPRpFlsY
知り合いの話なんだけど
そいつが無職スロプーで
母親と二人暮らしなんだけど母親が突発性の緑内障になり
今すぐ病院に行かないと失明する、ってくらいヤバいときに
金がないんで放置してたら そいつに別居してる兄貴がいて
「とにかくすぐに病院連れて行けよ!」って20万置いて行った
兄貴も忙しいんで金置いて仕事に戻ったらしいんだけど
そのバカは置いていった金に手をつけて「押忍 番長!」を打ち
結局20万全部負けた
母親には適当にドラッグストアで買った目薬を与えて寝かせておいた
母は地獄の苦しみの中で
「ああ、ありがとう、XXちゃんが目薬買ってきてくれたんで楽になったよ」
と言いながら食事もとらず ボロ布団のなかで徐々に失明していった
衰弱しきった母を兄が救急車で運んだときには完全に失明し極度の栄養失調
に陥ってたらしい
0635人間七七四年2014/08/28(木) 22:20:06.89ID:8aXF40D2
いつも断られてる気がするが。
0636人間七七四年2014/08/29(金) 01:23:04.92ID:tayKb6Jk
酒田三十六人衆

元和8(1622)最上氏が改易となり、庄内には酒井忠勝が入部した
忠勝は酒田湊を取り締まる有力商人である三十六人衆を城に呼び
「そなたらを酒井家の御家人として召し抱よう」と伝えた
しかし彼らの中から鐙屋の池田惣左衛門や本間・二木某らといった者たちが立て続けに
「二君仕えずと古くからの言葉にございます
一合の米も酒井家から貰う筋合いはございません
また我々は暮らしに困る程飢えている訳ではなく、地所も株も田地も持っております
だからあなた様のお世話にならる必要はありません」と答えた
『夢宅年代記』

三河武士以上にめんどくさそうな、酒田の自治に誇りを持っていた商人衆たちのお話
0637人間七七四年2014/08/29(金) 01:25:59.82ID:tayKb6Jk
×元和8(1622)
○元和8(1622)年

×だからあなた様のお世話にならる必要はありません」と答えた
○だからあなた様のお世話になる必要はありません」と答えた

編集が終わる前にうっかり投稿してしまいました…
0638人間七七四年2014/08/29(金) 03:31:03.06ID:m+Yjh9js
株……?
0639人間七七四年2014/08/29(金) 04:07:21.43ID:tayKb6Jk
>>638
職業上・営業上の特権
「相撲の年寄の−」
江戸時代に売買の対象とされた名跡や役職など
「御家人−」
独自の流通網
0640人間七七四年2014/08/29(金) 07:22:31.86ID:tayKb6Jk
とある士の死

慶長6(1601)年、志村光安の軍が上杉領東禅寺城を攻めたときの話である

城攻めの最中、光安は城下で上杉軍の哨戒部隊と遭遇し、交戦の末一人の眉目麗しい若武者を捕縛した

若武者は光安に「死んだ仲間に申し訳がない。武士の名誉を知るならどうか殺してくれないか」と涙ながらに頼んだが、光安は「(東禅寺)城は(最上軍に囲まれ)孤立無援で間もなく落ちる。せっかく生き永らえた命を粗末にせぬ様に」と説得をした

しばらくし東禅寺城は最上軍に降伏し、開城

最上義光の命で庄内にいた上杉兵は米沢への帰途についたが
眉間に皺を寄せ、米沢行きに葛藤を覚える様に見えた若武者に光安は
「上杉家に戻るのに後ろめたさを感じるのなら、我が下で働かぬか?」と彼を勧誘した

光安は彼を気に掛け、若武者も光安に次第に心を開き、酒田三万石に加増となった光安は彼を常に近くに置き可愛がった

1609年、死の枕元で光安は彼に「儂が死んだ後も子の光惟を頼む」と言伝をして逝世した

しかし1614年
彼が別の用事で庄内を空けている間に一栗の反乱により志村光惟が暗殺された



光惟の葬儀が終わり
慶長19(1614)年暮秋、一人の士が酒田青原寺の志村光安の墓の前で腹を斬った



かつての若武者の名は力丸所左衛門。上杉の重臣で東禅寺城主であった志駄義秀の甥の話である

『奥羽永慶軍記』ほか
0641人間七七四年2014/08/30(土) 09:17:20.16ID:ojhfRzwC
>>639
へぇ〜、そうだったのか
0642人間七七四年2014/08/31(日) 10:45:12.88ID:ROZLsEFt
動物に対しても、よく手入れをして、可愛がることを忘れてはならぬ。
『論語』にも、
「犬はよく見張り役をつとめ、馬は労働を尽くしてくれる。
犬馬といえども人の仲間である」
とある

武田信繁
(信玄家法より)

動物にも優しい誠の武士な弟さん
0643人間七七四年2014/08/31(日) 11:13:27.87ID:wWZHwm8F
猫苦手なのに役に立つからって猫飼い始めたりするしな
0644人間七七四年2014/08/31(日) 11:23:25.62ID:bNfl38y/
論語にそんなのあったっけ
「今の奴らは親を養えば孝行だと思っていやがるが、犬や馬だって養ってるじゃねえか、どう違うんだおい」
てのなら為政第二であるけど
0645人間七七四年2014/08/31(日) 11:24:52.53ID:4+Xin9oD
武田信繁家訓は小学校で教えてもいいレベル
0646人間七七四年2014/08/31(日) 11:55:34.44ID:ROZLsEFt
>>644
立派な人ってのはそういうもんなんだろ
論語本場の王陽明もかなり改造して読んでるし
0647人間七七四年2014/08/31(日) 17:51:55.21ID:1X3OZN8C
朝鮮においてどの場所でのことだったのか、加藤清正の陣が大山の麓に
あったために、ある夜、陣に虎がやって来た。

虎は馬を宙に引っ提げ、虎落の上を飛び出て行った。これに清正が、
「口惜しきことだ!」と怒っていると、また虎がやって来て、小姓の
上月左膳をも噛み殺した。

清正は夜が明けると、山を取り巻いて虎を狩った。すると、一匹の虎が
生い茂る萱原を掻き分けて、清正目掛けて近づいて来た。

清正は大きな岩の上にいて、鉄砲を持ち、虎を狙う。その距離は三十間ほど。
虎は清正を睨んで立ち止まった。人々は鉄砲を揃えて虎を撃とうとするが、
清正は命じて撃たせない。自ら撃ち殺そうという意志である。

そして虎は近くまで猛り来たり、口を開けて清正に飛び掛かった。その時、
清正は鉄砲を撃ち、弾丸は虎の喉に撃ち込まれた。虎はその場に倒れ、
起き上がろうとしたが、痛手だったために、最後には死んでしまった。

――『常山紀談』
0648人間七七四年2014/08/31(日) 18:06:12.27ID:i+Z3YF2j
まーた虎が現れたのか
0649人間七七四年2014/08/31(日) 18:25:21.61ID:udAZ+Tf3
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-626.html
一応既出ではある
0650人間七七四年2014/08/31(日) 21:15:12.05ID:7kjw5D5s
ちょっちゅね
0651人間七七四年2014/08/31(日) 22:09:05.23ID:v7OmkEM2
何代目の虎よ?
0652人間七七四年2014/08/31(日) 22:17:44.16ID:m7QtZXsZ
慶長5年(1600)9月14日、関ヶ原の決戦前夜、徳川家康の元に、黒田長政より家臣・毛屋主水(武久)を以って
言上の旨があった。家康は毛屋主水を御前に召し物語をした折、彼に「敵はどれほど居るか」と問うた。

主水は御陣の縁の端に寄りながら申し上げた
「それがしが見たところ、2,3万もあるだろうか、と思われます。」

「それは思いの外の小勢であるな。他の者達は10万もあると言っているが、汝一人そう見積もった
理由は何か?」

「仰せのごとく、総勢は10余万も居るでしょう。しかし実際に敵として存在しているのは、わずかに
2,3万に過ぎません。」

これは毛屋主水が、金吾(小早川秀秋)、毛利の人々が内通していることを内々に聞いていたため、
このように申し上げたのである。

家康も内心思っていたことを毛屋主水が言い当てたため、これを聞いて大変機嫌よく、御前にあった
饅頭の折を主水に与えた。主水はこれを頂き、縁に腰を掛けてその饅頭を尽く食して後、陣へと帰っていった。

その後に成って家康は側の者達にこう言った
「忘れていた。彼の本氏を聞いておくべきだった。」

「彼は毛屋主水と申す者ですが…」

「いや元々はそうではない。毛屋とは越前の地名であり、彼が毛屋を氏としたのは、毛屋にて軍功があったため、
地名を以って氏としたのだ。」

側の者達は家康が、末々の陪臣のことまでそのように覚えている事に、大いに驚いたという。
(落穂集)

実際に、毛屋主水は元は田原金十郎と言い、柴田勝家に使えていた時代、越前の毛屋で活躍したため
名字を毛屋に変えたとされています。
0653人間七七四年2014/08/31(日) 23:14:03.85ID:8Duv/Xh3
>>652
権現様はカリスマ性があるな
絶妙に心を掴むね
0654人間七七四年2014/09/01(月) 00:07:32.23ID:G7ZpfY8D
一瞬、命名シリーズになるのかと思った
0655人間七七四年2014/09/01(月) 00:44:04.16ID:acnxzFJE
権現様の記憶力は驚異
0656人間七七四年2014/09/01(月) 00:55:58.92ID:lW9XLkck
孕石「忘れてくれても良かったのに・・・・」
0657人間七七四年2014/09/01(月) 03:39:25.25ID:Bq6cj/Aq
長谷堂城の門の話

元和の最上家信(義俊)改易により、山形南西の支城・長谷堂城は幕府の命令により上杉家に接収される事になった

出羽の各城も小国城は戸沢氏、延沢城・鮭延城は伊達氏により前後に兵糧庫を押さえられ収公された


上杉の代官「これが慶長の折に当家の山城守(直江兼続)が苦汁を呑まされた長谷堂城ですか。こうなってしまうと呆気ないものですな」
最上方の代官・坂上重内(坂光秀の子、坂光重か?)「平和な御世、当地は「長谷堂館(だて・たち・やかた)」や「亀山の御楯(かめやまのみたて)」と呼ばれております。城ではなく、館、楯ですよ」
上杉の代官「…それがしには立派な城に見えますがな」


上杉の代官は兵糧庫を押さえると、米沢から連れて来た兵や人足らに城山の建物の破却を命じ、さっそく作業に取り掛かった

長谷堂城には代々門番を勤めていた某(なにがし)といった者があった

某「坂上様、上杉の奴腹が無茶苦茶をしております!狼藉を止められないのですか?」
坂上重内「接収というのは、普通は乱取をしてはいけないのが約束事だが、上杉家にとってこの長谷堂の「城」は因縁深い場所だからな」
某「最上家が改易されたからと言っても余りに酷うございます」
坂上重内「そちは重代この城を守り、その想いは海よりも深く、水と魚の様に切り離せぬ関係だものな。
…なにがあっても俺が責任を取るから、お前は城の門を持って帰れ」
某「ええんだが?」

某は長谷堂城門の扉戸を外し自宅に持ち帰ると、囲炉裏の梁上に隠した

門扉は代々その子孫に受け継がれた

門扉は左右2枚で、幅は合わせて約2メートル、高さは約1.9メートル
上杉軍が放ったとされる鉄砲の銃弾の跡も残る

1955年に紆余曲折を経て山形大学資料館に収蔵され、今に伝わる

「上杉家御年譜」「山形古話」ほか
0658人間七七四年2014/09/01(月) 10:15:25.66ID:4Q13TtUX
近くの名古屋城の門扉を思い浮かべてどうやって持ち帰ったんだ?
と思ってたら案外小さいんだな。
0659人間七七四年2014/09/01(月) 14:25:27.80ID:N1E0Jmmn
そら小さいほど守り易くなるからな
0660人間七七四年2014/09/01(月) 14:29:30.83ID:PZq97E5O
大きさが倍だと、16倍突破されやすくなるらしい

流体力学の本によれば、なんて
0661人間七七四年2014/09/01(月) 15:17:34.46ID:QP9K5ZN6
そうか、城門をにじり口にすればいいのか
0662人間七七四年2014/09/01(月) 16:39:13.58ID:Bq6cj/Aq
イメージをするなら長谷堂城門の扉戸一枚の大きさは襖(ふすま)やアパート・マンションの戸と同じくらいのもの
戸板周りの門柱や梁、屋根も揃えばそこそこのサイズにはなる

(2010年10月5日)山形大学は、高感度加速器質量分析装置を用いた年代測定で、伝・長谷堂城大手門扉が15世紀半ばから17世紀前半のものであると発表した

年代測定の結果、正面扉の回転支柱は文安2年(1445)から寛永9年(1632)に、また右側の回転支柱は寛正4年(1463)から寛永13年(1636)に伐採された木である確率が極めて高いことが示された

この扉は城の門番を務めた人物の子孫が代々保存してきたが、昭和30年(1955)に購入者が山形大学博物館に寄贈した

長谷堂城そのものは元和8年(1622)に最上氏が改易となると、廃城となっている(一部を編集)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4657519&;id=57449661
0663人間七七四年2014/09/01(月) 17:04:29.91ID:Bq6cj/Aq
>>662
かつての門番の自宅の家屋の建替(改築)時に「然るべき場所に寄贈する」といった約束での購入者といった表現になるらしいので、悪い意味ではないはず
06646632014/09/01(月) 17:51:15.32ID:Bq6cj/Aq
×かつての門番の自宅の家屋
○かつての門番の子孫の方の家屋

…やってしまった…
0665人間七七四年2014/09/02(火) 22:30:00.18ID:gLSh0Sgh
前田利常は鼻毛が伸び過ぎていた。それは大変見苦しいものであったが、誰もこれを
申し出す者は居なかった。

重臣である本多安房守(政重)は、出張の土産として鏡を進上し、
また近習の者達に申し付け、夜詰めの際には利常の前でわざと鼻毛を抜かせ、
それとなく気付いてもらうようにしたが、まったく気にする様子はなかった。

この頃、利常の近くで仕えている掃除坊主が湯治に行った。これに横山左衛門佐が指図して、
鼻毛抜きを土産として利常に捧げた。彼はこれを見ると老臣以下を呼び集めた

「私の鼻毛が伸びているのを、何れもおかしな事だと思い、世上にては『鼻毛の伸びたうつけ者』などと
言われている事は、この利常も心得ておる。

近頃安房守が鏡を送ってきたり、近習の者達が懐に顔を差し入れて鼻毛を抜き、痛そうな顔をしていたり、
今度この坊主が鼻毛抜きを持参してきたりしたのも、お前たちが指図しなければどうしてこのような
事があるだろうか。

私は全て解った上で、そのまま差し置いていたのだ。その意味をお前たちに申し聞かすため、
今呼び集めたのである。

私は現在、大名の上座にして、官禄も日本有数の存在である。
この利常が利口を鼻の先に顕すようなら、人々は気を使い大いに疑いを持ち、考えもしないような難儀を
被ることもあるだろう。
私がたわけであると人に知らせてこそ、心やすく三ヶ国を領し、何れも楽しむことが出来るのだ。」

(明良洪範)

前田利常の、鼻毛を伸ばす理由、である。
0666人間七七四年2014/09/03(水) 01:31:59.51ID:a31q1JhW
家康、例のことをまだ根に持っていたのか


ある日、家康が代官等がいる前で、言った。
家康  「道路工事させていたんだけど、今日開通したさ」
代官たち「道路工事? どこのことっすか?」
家康  「こないだ丹沢と喧嘩したところwwww」
代官たち「ああwwwwww 例のガケっすかwwwwww」
家康  「(グフフ、丹沢め。次の鷹狩りでは目にもの見せてくれるww)」
それは、こんな出来事からであった。

武田遺臣・丹沢正忠は鷹に詳しかったので、家康はいつもお供に加えていた。
ある日の鷹狩のことである。

丹沢「家康様、この先は谷で、ガケになってて通れないっすよー」
家康「何を言う丹沢、この先にそんな場所はないぞ。わしは駿河に育ったんだから、
    甲州人のお前なんぞよりこの辺りはよっぽど詳しいのだ」

と、丹沢の言葉を無視して進んで行くと・・・

丹沢「ほらwwww 通れないじゃないっすかwwwww」
家康「ば、馬鹿なっ!? ……おい丹沢!! 何故通れないと言わなかった!!」
丹沢「言ったじゃないっすかwwww ひでえwwww」

家康は道を変えてから丹沢に命令した。

家康「よし丹沢、この先に鳥はいるか見て来い」
丹沢「行ってきました。鳥の姿は見えなかったっすね」

しかしその道を進むと、鳥がたくさん舞い降りていた。

家康「丹沢、どうだwwww お前の目にはこれが見えんのかwwww」
丹沢「さっきはいなかったんですよ!! サボってたわけじゃありません! 今来たんでしょう!」
家康「ププwwww そんなことは、言わんでもとっくに分かっとるわwwww」
丹沢「(ビキビキビキビキ)」

家康は帰ってから「今日は一日中、丹沢と喧嘩して愉快だったwww」
などと周囲に言ってはみたものの、まだ根に持っていたのかもしれない。
ついに谷を埋めさせて、実際に通れるようにしてしまったのである。
0667人間七七四年2014/09/03(水) 01:33:40.45ID:a31q1JhW
この後、
『このように家康公は、お遊びの際のこともよくお心にとめられる方で、
「誰とはあの時あそこで酒を飲んだ」「誰にはあの時あそこで飯をおごった」
などと覚えてらっしゃり、そのことを話題にされることが常々あったのである。』

と綺麗にまとめているが、誰に飯をおごったか覚えているとかすっごいケチくさい。

家臣と他愛ない口喧嘩をして楽しんでいた、君臣の情も美しい良い話?
ケチのくせにムキになって道路工事までやらかしてしまった、悪い話?www

(原文)丹沢七右衛門正忠といひしは。武田が家人なりしが。
関東へうつらせたまふころより當家に参り。元より鷹の事に精しければ。いつも御供にめし加へらる。
ある時ならせたまふに。正忠この路筋には田切(谷の両側がガケになっている場所)のあれば。御路をかへ給へと申す。
君われ幼きより駿河にて生長したれば。路の案内よくしりたり。この路にさる所なしと宣ひて成せ給ふに。
はたして路絶たれば笑はせ給ひながら。丹沢かゝる田切のあるを。何とてしらさぬとて咎め給ふ。
また鳥の有無を見せにつかはされしに。かへりて来て見えずと申。
やがてその筋通御有に。鳥あまた下り居たれば。丹沢いかに汝には見えぬかと宣へば。
先にはなかりしが。たゞ今入懸しなりと申せば。そはわれもとくよりしりたりとてまた/\咎め給ふ。
還御のゝち。今日は日ひとひ丹沢とあらがひて。いとおかしかりしと仰らる。
後に、其日ならせられし道路の経営の事仰出されしに。代官等いづれの地かと伺へば。
先日丹沢とあらがひし所よと仰られしにて。速に分りたりしとぞ。
かく御遊行の折の事も。よく御心にとめられ。
誰はいつの時いづれにて酒のみし。膳給はりしなどゝ。おぼしいでゝ仰られし事つね/\″おはしましき。


東照宮御実紀附録巻二十四
ttp://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/tosyogu-h24.html
0668人間七七四年2014/09/03(水) 07:12:03.36ID:pRFXYSMW
「膳給はり」を「飯を奢った」と訳すのはかなり無理がある
0669人間七七四年2014/09/03(水) 07:17:05.83ID:9YxrKypW
>>667>>668
ご馳走した、が適当?
0670人間七七四年2014/09/03(水) 12:56:01.43ID:Ld2NlI/9
悪意のある現代訳をする自分自身の『ケチ』さに早く気づいてもらいたいと思ったw
0671人間七七四年2014/09/03(水) 13:27:39.13ID:hdRQjglp
ケチのくせに、ってなあ
0672人間七七四年2014/09/03(水) 13:50:08.03ID:7vh4XO9I
そんな人におすすめ!吉川弘文館より出版されている、徳川実紀を現代語訳した「家康公伝」!
現在全五巻で発売中です!
0673人間七七四年2014/09/03(水) 14:38:34.13ID:bmxlt6U4
ケチならワリカンにするか財布を忘れた振りをする
誰にご馳走したか覚えてる奴なんて普通に執念深いっていうんだよ
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