戦国ちょっといい話40
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0001人間七七四年
2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0504人間七七四年
2014/08/11(月) 06:48:07.17ID:YGWrDYtG0506人間七七四年
2014/08/11(月) 09:12:36.62ID:749mzh7m今までネタレベルでわいわい言ってただけなのに
なぜ今年になってから急に家康は脱糞してない!みたいな感じになるんだよ
0507人間七七四年
2014/08/11(月) 09:36:54.22ID:Dh+9Bs5Gこれの真偽はともかく
馬に乗ったまま漏らすなんて日常的なことなんじゃないのかな
ゼロ戦のパイロットがお尻に敷いてるパラシュートが汚物まみれと同じように
0508人間七七四年
2014/08/11(月) 15:52:31.95ID:+KpDkZT1朝鮮の役の際、諸将は武具甲冑の破損に苦労していた
結局、漆を塗って修繕することになったのだが漆風呂(漆室)が無かった為に
なかなか漆が乾かず難儀していた
しかし、機転の効く者が現れて漆を塗った物の周りに馬糞を集めて
置いておいたところ、漆は一晩の内に乾いた
【常山紀談拾遺】
0509人間七七四年
2014/08/11(月) 15:58:05.95ID:N86wRwig家康も子の長丸(後の秀忠)を送ったが、秀吉は彼については
必要ないと直ぐに返している
これを受けた家康は、これは自身の領地に配下の者を入れる
交換条件と判断し、本多正信に街道と城の修繕を命じた
果たせるかな、日を置かずして秀吉より家康へ城に自身の兵を
入れることを求める書状が家康に届いた
天下人とそれに継ぐ次なる天下人の腹の探り合いの一例
なお、本多重次はそんな裏話を全く知らず、家を他人に預ける
行為に激怒したとか
0510人間七七四年
2014/08/11(月) 17:50:59.76ID:0w5DdgYuその行為がどういうことになるのかまるで考えられないし。
0512人間七七四年
2014/08/11(月) 23:15:16.68ID:k9s/OsBWのかどうかはしらん
0513人間七七四年
2014/08/11(月) 23:49:48.19ID:2A9Go/gj馬糞は堆肥にも使われてて、太陽にあてるとホッカホカになるんだそうな
0514人間七七四年
2014/08/12(火) 00:21:03.76ID:LSJYRDcDクッソ〜ウマいこと考えやがったな
0515人間七七四年
2014/08/12(火) 00:45:18.24ID:ddiCqz/aでも権現様は変に気が利く家臣より愚直な家臣の方が好みだから
作左もそういう方向に自分を伸ばしたのかも
0516人間七七四年
2014/08/12(火) 08:22:04.25ID:wYsRkkcC日本の風土に合った素材でもっと活用できないかと研究が進められてるけどコスト面で厳しいとか
0517人間七七四年
2014/08/13(水) 00:41:17.17ID:HE1eSi5P0518人間七七四年
2014/08/13(水) 06:37:09.91ID:/ldvhjCE0520人間七七四年
2014/08/14(木) 20:40:40.95ID:TDAdipgH毛利元就を攻めた、いわゆる土取場の戦いでのこと。
尼子方の三澤蔵人は無双の大力であり、三間二尺(約6メートル)の長身の槍を持ち戦っている所に、
毛利方の波田野源左衛門利春が名乗り打ちかかったが、すぐさま槍で打ち倒される。波田野はそれでも
再び起き上がろうとしたが、そこを三澤に突き殺された。
次に内藤九朗右衛門が三澤に突き懸かり、暫く勝負がなかったが、三澤は両手に槍と太刀を持って戦い、
終に内藤を打ち倒した。
さらに三戸与五郎が長刀を持って打って懸かる。これに三澤は太刀を鞘に納め、槍によって
横打ちに打ち倒した。
与五郎も4,5度起き上がろうとしたが、その度に打ち倒され突き伏せられた。
井上源左衛門も言葉をかけて打って懸った。これに三澤は槍を持って拝み打ちに討ってくる。
井上も槍でこれを打ち払おうとしたが、その槍も三澤の大力により柄が打ち折られた。そこで井上は
太刀を抜き斬り付け、組み付いたが、最後は押し伏せられて討たれた。
これを見ていた毛利元就は、井上與次郎に命じて三澤を射させた。
與次郎の矢は三澤の目の上に刺さる。
三澤は右手で槍を振り回しながら、左手でその矢を抜こうとした。
ここで渡辺太郎左衛門が槍を持って三澤の脇腹を突く。三澤もすかさず渡辺の左の股を突き、
二人は同時に倒れた。
そこに有地美作が駆け込み、終に三澤を討ち取った。
彼は首を下人に持たせ、渡辺に肩を貸して、連れ退いたと言われる。
(芸侯三家誌)
毛利軍による尼子のモンスター退治の模様である。
0521人間七七四年
2014/08/14(木) 20:49:58.29ID:IsQmw8eC一騎打ちで射落とすって卑怯にも程があるな
0522人間七七四年
2014/08/14(木) 22:17:10.90ID:un+A3g7z0523人間七七四年
2014/08/14(木) 23:44:15.43ID:RsybBwhs矛盾してないかい
0524人間七七四年
2014/08/14(木) 23:53:56.22ID:TDAdipgH主君の面前だからだよ。敵に聞かせてるんじゃなくて元就に聞かせてるんだよ。論功行賞の為にね。
そもそも名乗りというのは味方に聞かせるためのものだ。
0525人間七七四年
2014/08/15(金) 18:38:34.15ID:1k4Pl6Q90526人間七七四年
2014/08/15(金) 19:22:02.39ID:fRWohwEL0527人間七七四年
2014/08/15(金) 19:54:22.03ID:X5uo09h/0528人間七七四年
2014/08/15(金) 20:04:20.94ID:fRWohwEL0529人間七七四年
2014/08/15(金) 22:38:37.55ID:P5gwxBDx0530人間七七四年
2014/08/15(金) 22:52:50.61ID:dLGK/Zw40531人間七七四年
2014/08/16(土) 16:12:20.57ID:rqIcLjxbここまでヒャッハーしてる奴は手に負えないからさっさと射殺すのが正解だな。
戦国時代じゃ卑怯でもなんでもない。
0532人間七七四年
2014/08/16(土) 18:54:35.22ID:SqwW5iiH0534人間七七四年
2014/08/16(土) 20:35:12.71ID:6VvO833r0535人間七七四年
2014/08/16(土) 21:29:01.42ID:6ZJ9Kvda0536人間七七四年
2014/08/16(土) 22:08:50.00ID:oZ8TZBKa0537人間七七四年
2014/08/16(土) 22:15:17.31ID:NqOkPysG0538人間七七四年
2014/08/16(土) 22:15:27.72ID:9yxPcZQ20539人間七七四年
2014/08/16(土) 22:21:34.83ID:NqOkPysG0540人間七七四年
2014/08/16(土) 22:23:07.18ID:xsgsEIHY「我が子元春には未だに妻室が無い。誰の娘を娶るべきか、元春の心を聞いてきてほしい。」
そこで児玉が元春にこれを聞くと、元春は
「それに関しては、唯父元就の命に従うだけだ。ただ、私に選べというのなら、熊谷伊豆守信直の娘が良い。」
児玉はこれを聞くと
「熊谷の娘は、憚りながら悪女であると聞き及んでおります。もしや聞き誤り、かの娘が容貌美しいと思われて
いるのではありませんか?」
「いや、私も醜いと聞いている。しかれども今中国に、熊谷信直に勝る侍大将は居ない。
私が彼と親しくなれば、信直はいよいよ元就に対し忠志を尽くすであろう。
彼と私が元就の先陣にあって謀戦を励むにおいては、いかなる強敵・堅陣であっても、これを破るのに
難しい事があるだろうか。
これは父元就に対しては孝であり、私自身においては、武功を顕す謀ともなるであろう。」
児玉はこれを聞いて感じ入り、すぐに元就の元へ行きこの事を説明すると、元就も大いに喜び、
終に熊谷の嫡女を、元春のために娶られたという。
(芸侯三家誌)
吉川元春の嫁取りの逸話である。
0541人間七七四年
2014/08/17(日) 01:45:30.42ID:bLgdl1H3理由は後付け
0542人間七七四年
2014/08/17(日) 02:32:54.03ID:Q9NvVqIk0543人間七七四年
2014/08/17(日) 02:38:39.62ID:xR3u/Nfxヤワラちゃんみたいなのだったんだろう
0544人間七七四年
2014/08/17(日) 02:45:09.50ID:ke4jFHHh0545人間七七四年
2014/08/17(日) 02:51:06.73ID:BFwh3Z2q0547人間七七四年
2014/08/17(日) 08:54:57.46ID:60h2dRZF0548人間七七四年
2014/08/17(日) 09:43:55.87ID:LA87lVqNまた、武田光和に嫁いだ新庄局の叔母は美人だったと言われるし、陰徳記を書いた香川氏は熊谷氏の同僚(武田時代)から後年毛利傘下になってからはライバル視してたと言う話も有るし…
実は不美人ではなかったんじゃないかと思う今日この頃。
0549人間七七四年
2014/08/17(日) 09:50:44.70ID:2DmfOBk9平安時代のおなごは下膨れが〜ぐらいしか知らない
0550人間七七四年
2014/08/17(日) 10:08:46.39ID:jR02EXhj80年代→聖子ちゃんカット
から今までに至るまで髪型から服装とか色々変遷有ったからなぁ…
0551人間七七四年
2014/08/17(日) 10:12:34.24ID:lsq+fZgL0552人間七七四年
2014/08/17(日) 10:37:04.37ID:bLgdl1H30553人間七七四年
2014/08/17(日) 14:36:45.69ID:sit330gk(一久)は流れ矢に肘を射られてしまった。
このようなところに、庄林隼人(一心)が馳せて来るのを見た森本は、
「もしもし、手負いしてしまった。この矢を抜いてくだされ」
と言った。庄林が馬から下りて矢を抜き捨てると、森本は、
「なんとまあ、快いことだ!」
と言うや否や、馬にひらりと打ち乗り、一鞭打ってさっと駆け出し、
「庄林殿、続かれよ!」
と言い捨てて、敵に出会い、首を得た。二人とも清正の士大将にして、
大剛の者である。森本の槍は白鳥毛を鞘とし、庄林は黒鳥毛を鞘とした。
世の人は、黒鳥毛、白鳥毛、と言い合った(渾名したという意味か)。
――『常山紀談』
0554人間七七四年
2014/08/17(日) 14:48:56.56ID:XnkegDf9ストレートだなw
0555人間七七四年
2014/08/17(日) 14:51:59.73ID:VVjdKVfzアンコールワット落書きしたやつの父親か
0556人間七七四年
2014/08/17(日) 17:20:21.80ID:LA87lVqN森本義太夫が乗った馬ってまさかとは思うが庄林隼人が乗ってた馬じゃないよね?
森本義太夫が助けて貰った上に馬盗…拝借して活躍した様に見えるんだが…
0558人間七七四年
2014/08/19(火) 01:13:12.98ID:NVBzc2vDhttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5263221.jpg
0559人間七七四年
2014/08/19(火) 02:18:27.62ID:a53UwM3Q0560人間七七四年
2014/08/19(火) 03:31:41.79ID:d7FygVCn武蔵国岩渕まで移動し、そこで井伊直政を召して「汝は軍装整い次第出陣し、蒲生、浅野に協力して、九戸での
軍事を相計るように」と命じた。
この命令に対し、本多正信が御前に出て、この様に意見した
「井伊直政は当家の執権の一人です。なので今回の討ち手には、先ず彼よりも下位の者を遣わされ、
それで事がうまく行かなかった時にこそ、直政を遣わされれば、その事態に充当することになるのでは
ありませんか?」
しかしこれを聞いた家康はこう答えた
「それは思慮の無い者の言うことだ。我が婿であった北条氏直も、そのような事をしていたよ。
よいか、事のはじめに軽き者を遣わし、それで埒が明かないからといってまた重き者を遣わせば、
初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
つまり、故なくして家臣を殺してしまうわけである。惜しむべきことではないだろうか?」
後年(慶長13年(1608))、筒井伊賀守定次の改易があった時、その居城である伊賀上野城受け取りのために、
本多忠勝、松平忠政を始め徳川家の重臣ら数名遣わされた。この時家康は
「伊賀守は江戸に有り、上野の城は家人らのみが守りいたのであるから、あのように多人数を遣わすには
及ばないのであるが、事の初めに厳かにしたものを、今更手軽くするというのも、事態において終始が符合しなくなる。
物に例えれば、今回のことは、膝を隠す程度の川を徒歩で渡るのに高尻かかげて渡るようなものである。
これは余りに用心が過ぎた事ではあるが、少なくとも溺れる心配は無い。」
と仰せになった。
(岩淵夜話)
徳川家康の、人の使い方に関しての逸話である。
0561人間七七四年
2014/08/19(火) 06:31:19.28ID:/OcyhjoA0562人間七七四年
2014/08/19(火) 09:59:46.57ID:Wepqw2CM0563人間七七四年
2014/08/19(火) 11:49:49.35ID:qBlS8TRv0564人間七七四年
2014/08/19(火) 12:36:09.77ID:1w8EhYMz>初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
これだな。
0566人間七七四年
2014/08/19(火) 18:59:42.05ID:GxCbKM3k0567人間七七四年
2014/08/19(火) 20:53:01.10ID:Qb4sfRkvhttp://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1408446258/
0568人間七七四年
2014/08/19(火) 23:18:10.60ID:OXAmeywB「信州のお年寄りが語る生活の知恵三六五日」という本に
「どうさん湯」という、古くから「どうさんころばし医者泣かせ」と呼ばれていた風邪の治療薬について書かれていた。
(味噌大さじ1杯、きざみねぎ大さじ2分の1、のりまたは生姜か柚子少々。これに沸騰したお湯をカップ三杯入れて、
熱いところを飲むと風邪の初期に効果あり)
この「どうさん」というのが、隣国美濃の斎藤道三か、はたまた医者の曲直瀬道三かと思って調べたら、
三田村鳶魚「未完随筆百種 第三」享和雑記述巻2 17「道三湯の事」に
食後に湯を飲む時、味噌汁を混ぜて飲むのを世の中の人は「道三湯」と言っている。
(曲直瀬)道三は太閤秀吉公の名医で、病気に対して薬を投与したところ、効果が必ずあったということで、
食後の湯に味噌汁を加えれば薬となること、曲直瀬道三の薬と同様に効果があるというので
このような名前がついたのだろう。
と書かれていた。戦国時代の名医の名が広く知れ渡っていたということで書いとく。
0569人間七七四年
2014/08/20(水) 04:03:32.05ID:vePvP3rc0571人間七七四年
2014/08/20(水) 23:49:43.10ID:SIND0Lufウンコ食べてる姿しか想像出来ないや
0572人間七七四年
2014/08/21(木) 00:43:50.99ID:b74Q9C160573人間七七四年
2014/08/21(木) 05:22:39.73ID:chxQT8CQ当時としては味噌なんて従軍時以外にはそうそうに手に入るもんではないのでは
0575人間七七四年
2014/08/21(木) 09:45:31.91ID:WIa9Dm610577人間七七四年
2014/08/21(木) 11:49:12.82ID:aqMLrz8E0580人間七七四年
2014/08/21(木) 19:32:36.27ID:4u75mfED0581人間七七四年
2014/08/21(木) 20:15:02.20ID:Q+baSbzc0582sc→net未反映分のコピー
2014/08/21(木) 23:37:38.35ID:wxSgOPL/延沢光昌は大豪で知られた延沢満延の息子であったが、まだ年端も往かぬ頃に父を亡くし、老臣に育てられていた
光昌は有路但馬・笹原石見といった重代の家老らから生前の父の武勇談を聞くのが好きだった
有路「亡き殿(満延)は、18歳のときに山形両所宮の鐘を1人で外し、鶴子(尾花沢市)まで担いで帰って来ましてな」
笹原「人々はその剛力にほおと感嘆の声を上げたものですじゃ」
慶長の時代になり、光昌も立派な若武者へと成長した
光昌「父に出来た事、父の血を引き有路と笹原に武芸を教えられたこの身なら、やってやれない事は無いのではないか?」
光昌は中山長崎の円同寺といった寺の鐘が名宝と聞き、住職に「それがしがこの鐘を持ち上げる事が出来たら、鐘を譲っては頂けないか」と掛け合ってみた
住職「お父君は生きる伝説として勇力で名を馳せましたが、この鐘は半端な重さではございませぬ
まぁ、見事持ち上げられたらそれは天命という事ですので差し上げましょう」
光昌「どれ」
ひょい
住職「!」
光昌「う〜ん。ま、持って帰れない重さじゃないな」
住職「お約束でしたので、その鐘はご自由になされてくだされ」
光昌「手で持つにも疲れるな…かぶって行くか」
光昌は親指で鐘乳をえぐると鐘に覗き穴を開けた
この鐘は現在山形市長谷堂の清源寺に
「慶長時代に最上の重臣延沢某が中山から持って帰って来たもの」とした寺伝と合わせて現存している
※光昌ではなく、父の満延が中山から長谷堂に持って来たといった伝承もあり
0583sc→net未反映分のコピー
2014/08/21(木) 23:59:58.21ID:wxSgOPL/奥州の大守輝宗の北の方※は 義光大守とは姉君※なれば 義光の嫡子修理太夫へ異国の珍物の名も知れぬ織物巻物武具の類迄 折々進せらる
政宗御幼君のころ 義光へ御使札の有りしに衣更着半ばの事成るに
頃日 鶯の初音を聞き侍りき 最上は雪深き所なれば 如何床敷思し召るらめ
と仰せ遣わされば
義光も御心根はいと優しく思召けめと 甥子の事なれば 武士の習い 月花に心とろけては 後は公家のやうに気高きばかりにて 世を鎮る用心に疎しとや思召けん
其返事に鶯の声二月中に初音御聞候事 珍希思召けん
吾等は去年の春聞置申候得ば 毎年聞度共不存候
と仰せ越されけるとかや
政宗にも御親しみの中なれば 御腹立を無かりしとかや
『奥羽軍談』
※最上義光の妹の義姫(お東の方・保春院)は、義光の姉といった説もある
0584sc→net未反映分のコピー
2014/08/22(金) 00:00:53.11ID:k/wP8bZN政宗最上へ御越し有りし時 たまたまの御対面にも 互に律義の魏々として 下々の出合の如く和かなる交りにも無りけり
義光珍希思召 三国の珍物を調べあり 御馳走て 武具太刀の名作等お慰みとして集め置き玉ひて 嫡子修理太夫 彼是咄し相手に成り申しされけるは
此重宝の内 何れにも御意に入候はば 何にても進上申すべく候 殊に左文字長銘の正宗 蛇切丸 石割刀 其外焼物甲冑の類にても 御望次第札御候得かし
と仰せければ
政宗からからと御笑い
吾等も相応に宝多く持ち候得ば此様なり 物に望み之無し
と仰らる
義康其時
貴殿の御宝物何々にてか哉
問いければ
政宗宣ひけるは
名取 亘理 柴田 刈田の国郡と伊達 片倉など申す侍共 松島 塩釜など申す名所に候得ば 我等に外の望なし
と仰せける
是は孔子 所謂君子の三宝とは土地 人民 政事なり 金銀を財にするは小人の下愚なり とありしを聞き玉へるなるべし
義光大に喜び玉ひて
貴殿(政宗)は頃日学文を勤らるると見へたり 実や三日向顔をされば旧時の思ひをなすなという事あり 頼もしきはべる
と誉め玉ひけるとかや
『奥羽軍談』
0585sc→net未反映分のコピー
2014/08/22(金) 00:02:17.53ID:k/wP8bZN政宗が山形城を訪れての夕刻過ぎ、義光の近臣らが行き来する中に、政宗は壮年武士の中にただならぬ雰囲気を纏わせた伊良子宗牛と成沢道忠といった老武者の姿を見つけた
政宗が「伯父上、あの者たちは?」と問うと
義光は「あの左側にいるのが伊良子宗牛と(堀喜吽の従兄弟の)山名一吽で、わし(義光)の七宝のひとつだよ。右に座っているのが成沢道忠と氏家守棟に延沢満延。ふたつとない、かけがえのない国の宝だ」と破顔して答えた
政宗「…(あれが柏木山の戦いで父の輝宗が苦汁を舐めさせられた伊良子と成沢か!)」
政宗は義光の言にキッと二人を睨めつけたと言う
その晩の政宗の機嫌は頗る悪かったと伝わる
『奥羽軍談』
0586sc→net未反映分のコピー
2014/08/22(金) 04:12:22.03ID:k/wP8bZN日光の鉄燈籠に関する政宗の手紙
(●∀・)「よぁ、忠宗元気か?急ぎ用件に入るよ。家康のとっつあんの法要に合わせて、日光に諸大名が燈籠を献じるんだって?
江戸では噂になってるんだろうが、仙台にいる俺のとこにはそんな話はなかなか届かなかったよ。
ちぃ!油断した!
だがしか−し!そんなイベントを知らなかったじゃ済まされんだろ?
話を聞いてすぐに土井利勝を脅…、いや土井に頼んで伊達家が燈籠を設置するのに相応しい場所をゲットしたぜ!
石の燈籠じゃ期限に間に合わんから、みんなが驚く様な鉄製の燈籠を職人にオーダーしたよ!
手当を弾んで急がせて、10日くらいで作らせる。
完成次第日光に送らせるから安心しろ。」
(●∀゚)「(今井)宗薫よ、おめえとはマブダチだと思ってたのに、なんでこんな重要な話を手紙の端にも書かねえんだ?
危うく他家の笑い者になるとこだったじゃねえか!?」
(●∀・)「あ、(桑山)左近さん、江戸の噂話を知らせてくれてありがとう!政宗助かったよ!」
家康の一周忌に合わせ
政宗は鉄燈籠を献じに日光と江戸へと上がった
政宗の性格がよくわかる、日光の鉄燈籠献上の手紙にまつわる話
0587sc→net未反映分のコピー
2014/08/22(金) 04:14:21.80ID:k/wP8bZN義光公は(肌の)色が白く冷静そうな目をしており
珠の様な御声は威厳と慈愛を含まれていた
若き頃に多賀湯(蔵王高湯)で盗賊の首魁をお討ちになられたが
その際に敵に馬乗りにされ、お顔にいくつか刀傷を負われた
傷は平素は目立たぬものの、終生跡として遺り、殿が喜悦破顔をなされた際には瞼(まぶた)や頬(ほお)等にそのときの傷がうっすらと浮かび上がったものである
「最上家伝」等
0589人間七七四年
2014/08/22(金) 22:52:49.96ID:+DBCS/sn連投せずに日を分けて投稿しろよ
改行変で読みにくいし、人に読んでもらう気無いだろ
0590人間七七四年
2014/08/22(金) 23:08:38.61ID:4meds4pl名前欄「sc→net未反映分のコピー」です
4月の2ちゃんねる騒動でnet(従来の2ちゃんねる)とsc(ひろゆきサイト)を混同したまま、時折sc側からも話の投下やコメントをしておりました
連投になりましたが、現行スレで自分が投下した逸話についてはこれでおおよそ従来の2ちゃんねるに移行が終わりました
(コメントについては時期外れのものや他の方のコメントもありますのでコピー&ペーストは行いません)
まとめ管理人様・サイト利用のみなさまにはご迷惑をお掛け致します
一連の投稿の後に悪い話に書かれた文章
あちらでscから転載するようになってるの?という質問にやるならやれば?って返答があり引っかかった人(この最上関連の逸話を投稿した人)がいた模様
つまり最初から読ませる気もコメントさせる気もない
再投稿だからね
0591人間七七四年
2014/08/22(金) 23:27:58.28ID:+DBCS/snマナー悪いしやたら浮いてるし最上のこと大っ嫌いになってきた
0592人間七七四年
2014/08/22(金) 23:30:25.94ID:J53LQJZg0593人間七七四年
2014/08/22(金) 23:48:01.44ID:k/wP8bZN従来の2ちゃんねるが4月にしばらくの間一切パソコンからも携帯からも書き込みが出来ず、
2ちゃんねるの管理人を名乗るひろゆき氏のscへの誘導のスレッドがトップ付近にあったために、
規制やタイムラグが少ないscの方が投下には楽なケースがままあり、そちらを時折利用しておりました
ただ、まとめサイトの話もコメントの番号も今となっては当然の事ながら、まったくscの物が反映なされなかったために、
スレが終わる前に現行スレで自分が以前に同スレに書いた物だけをscから移行した具合になります
※2ちゃんねるの物はscでそのまま見られますが、scは別サイトのために、そちらに書込んだものは2ちゃんねる本板にはまったく記載されない事を知りませんでした
0594人間七七四年
2014/08/22(金) 23:52:53.29ID:/iavdTcx0595人間七七四年
2014/08/23(土) 00:32:01.95ID:Nh75DstQそうじゃねぇだろオイ
0596人間七七四年
2014/08/23(土) 01:00:51.59ID:wTv4dMXI0597人間七七四年
2014/08/23(土) 01:10:15.88ID:XKRqQQbs0598人間七七四年
2014/08/23(土) 01:11:39.78ID:SBZr1q8x朝鮮より帰国した一人の男が、天草にイエズス会のコレジオ(学院)に来訪した。
彼はその出身地である田舎に小さい教会を建て、そこで一生を捧げたいとの殊勝な望みを抱いて
やってきたのであった。
その動機を尋ねられると、彼は「デウスが驚くべき異常な方法で私を死から救ってくださったからだ。」
と答えた。
この男は朝鮮で重病を患い、人間的なあらゆる救助の道を絶たれ、完全に人々から見捨てられていた。
その窮状から身を救い得るものも、何一つなかった。
その時、彼はキリシタンであったので、以前に元気であった頃に祈っていたコンタツ(ロザリオ)を
思い出し、それが彼の身体を養い、健康を授ける力を秘めているように思えた。そこで見捨てられていた彼は
非常な信心を抱きながら、そのコンタツを食べ始めたのである。
我等の主なるゼウスは、彼に憐れみの目を注ぎ給い、口にはコンタツ以外何も入れなかったにもかかわらず、
彼を数日間養い、この風変わりな薬だけで、その病気を癒やし健康を回復することを嘉し給うたのである。
(ルイス・フロイス『日本史』)
ロザリオを食べて重病を直した男のお話。
0599人間七七四年
2014/08/23(土) 01:40:52.31ID:CO0cZlew0600人間七七四年
2014/08/23(土) 06:01:54.26ID:VGxedgaW彼はロザリオに偽装した食料を持っていたのだ!(どや!)
0601人間七七四年
2014/08/23(土) 06:53:39.17ID:lCeyV+k80603人間七七四年
2014/08/23(土) 08:13:50.79ID:0IosOAsG■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています