戦国ちょっといい話40
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0482人間七七四年
2014/08/09(土) 16:32:42.14ID:ZhboR2P7安定感あるな権現様は。
0483人間七七四年
2014/08/09(土) 23:38:50.70ID:Qzute8E0川を渡り、待ち受けている敵の中へ叫び声を上げて攻め入った。
そのために小介は槍玉に挙げられ、まさに危ういという時、
長政の軍兵が進んで攻め寄せ、敵を追い立てた。
小介は流れる血のために朱色に染まっているので、戸板に
乗せられて長政の前にやって来た。この時に小介は、
今日、自分と先を争うような者は、長政以外ありえない、
と思ったので、長政をきっと見て、
「小介より先立って槍を合わせた者は一人もいません!」
と言った。これに長政は、
「お前でなければ誰が先駆けをすることだろうか。手負い致した
者が、気を張って物を言うのは、(体に障るから)よくない」
と言った。後に小介は有馬の温泉に浴し、傷は癒えた。
――『常山紀談』
0485人間七七四年
2014/08/10(日) 01:00:13.54ID:EKsYzcFH前田家の軍勢が真田丸を攻めていた時のことである
前田家の家臣に小田切所右衛門は真田丸に接近しすぎたために、真田軍の放った銃弾に当たってしまった
しかし、所右衛門は当たった銃弾を抜き取ってまるで何もなかったかのように傍に居た平野弥次右衛門に、その銃弾を見せた
そうして笑いながら会話していると、今度は銃弾が所右衛門の額に命中した
それでも所右衛門は
「兜というのは大事な物だな、この兜は元々は信玄公が持っておった物ぞ」
と言って再び銃弾を取り出した
銃弾の痕からは血が流れ出たが所右衛門はまったく怯む様子を見せなかった
その武者ぶりを敵味方共に賞賛した
所右衛門が当たった銃弾を見せた平野弥次右衛門の従者に五右衛門という者が居た
五右衛門は矢面に立ち、18発の銃弾が五右衛門をかすって傷を負わせた
その大剛な振る舞いを見た真田丸からは賞賛の声が挙がり
「姓名をお聞かせ頂きたい」
と声がしたが五右衛門は姓を持っていなかった
そこで平野弥次右衛門は己が姓をつかわした
すると、五右衛門は大声で
「平野弥次右衛門の下人五右衛門という者であるが、これまで御供した褒美として只今氏を賜り、平野五右衛門と申すなり」
と名乗りを上げた
『常山紀談』
0486人間七七四年
2014/08/10(日) 01:09:43.13ID:pkm8roq1後半は既出か
0487人間七七四年
2014/08/10(日) 02:26:50.55ID:jnDhl7TE0488人間七七四年
2014/08/10(日) 16:35:04.79ID:Cmq6S9gA松平もピンきりだからなあ。へたな松平よりも「権現様ご由緒」の苗字の方が江戸時代は価値が高かったと思う。
0489人間七七四年
2014/08/10(日) 16:37:57.47ID:kH9FBMSo糞漏らし由来の苗字
win-winの関係
0491人間七七四年
2014/08/10(日) 18:10:24.63ID:ZKmTc2VJ脱糞したという噂はあったようだが
0495人間七七四年
2014/08/10(日) 18:22:50.42ID:ZKmTc2VJ大久保忠佐が「家康が脱糞した」といったのは知れ渡ってたとして
後の話が落とされて、脱糞の噂ができた可能性がある
としておくか
0496人間七七四年
2014/08/10(日) 18:30:26.39ID:R9KA2SIW明治以降の創作だから関係ない?
0497人間七七四年
2014/08/10(日) 18:38:46.80ID:HAULJanrつか論争なら他所でやれ
0498人間七七四年
2014/08/10(日) 20:41:20.57ID:UCmgEEfAhttp://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
こちらでどうぞ。
0499人間七七四年
2014/08/10(日) 22:40:27.63ID:6xU/Tsxpここは審議スレじゃなくて逸話スレだ
0500人間七七四年
2014/08/10(日) 23:30:36.91ID:coB3wW0i0501人間七七四年
2014/08/11(月) 00:11:51.56ID:Z2oXRHJt家康は家臣の高力與次郎正長を召して
「佐々成政という人は大変な人傑である。ああいった人物とは知人と成って、その様子を
見習うように」と命じた。
さて、家康は佐々に
「私は元より秀吉と遺恨はありません。しかし信雄殿の衰弱を見るに忍びなく、故織田殿の
旧好を忘れかね、わずかにこれを助けたのみなのです。ですが、信雄殿が秀吉と
和議を結んだと聞けば、私のこれまでの信義も、詮無きことに成りました。
さりながら成政殿が旧主の為に義兵を起こすというのであれば、私からも援兵を出しましょう。」
そう言って懇ろに饗した。
この後、成政は家康との物語の中に、家康を武田信玄に、自身を上杉謙信に比して
大いに自負の念を披露した。
酒井忠次は、この佐々の自負を聞いて大変に腹を立て
「ああいう馬鹿者に御加勢なさることは無用です!」と家康に詰め寄った。
しかし家康は
「彼は元より大剛の士であるのだから、その勇気に任せて、失言をしてしまうのも仕方がない。
そんな事を気にしてはいけない。」
と語った。
(柏崎物語)
家康が、佐々成政を非常に高く評価している逸話である。
0502人間七七四年
2014/08/11(月) 02:28:57.69ID:KL0Ps1Qa「家康が脱糞した」ってのは逸話レベルでも存在しないんだよなあ……
三河後風土記のは文脈的に実際にやったわけじゃないっぽいし
0503人間七七四年
2014/08/11(月) 05:34:54.38ID:g5qL9Yxeって三河風土記に書かれている、
ってのを両者とも認めてるのに、なぜ真偽になるのか
噂うんぬんと言ってた人も脱糞が事実とは書いてないのに
0504人間七七四年
2014/08/11(月) 06:48:07.17ID:YGWrDYtG0506人間七七四年
2014/08/11(月) 09:12:36.62ID:749mzh7m今までネタレベルでわいわい言ってただけなのに
なぜ今年になってから急に家康は脱糞してない!みたいな感じになるんだよ
0507人間七七四年
2014/08/11(月) 09:36:54.22ID:Dh+9Bs5Gこれの真偽はともかく
馬に乗ったまま漏らすなんて日常的なことなんじゃないのかな
ゼロ戦のパイロットがお尻に敷いてるパラシュートが汚物まみれと同じように
0508人間七七四年
2014/08/11(月) 15:52:31.95ID:+KpDkZT1朝鮮の役の際、諸将は武具甲冑の破損に苦労していた
結局、漆を塗って修繕することになったのだが漆風呂(漆室)が無かった為に
なかなか漆が乾かず難儀していた
しかし、機転の効く者が現れて漆を塗った物の周りに馬糞を集めて
置いておいたところ、漆は一晩の内に乾いた
【常山紀談拾遺】
0509人間七七四年
2014/08/11(月) 15:58:05.95ID:N86wRwig家康も子の長丸(後の秀忠)を送ったが、秀吉は彼については
必要ないと直ぐに返している
これを受けた家康は、これは自身の領地に配下の者を入れる
交換条件と判断し、本多正信に街道と城の修繕を命じた
果たせるかな、日を置かずして秀吉より家康へ城に自身の兵を
入れることを求める書状が家康に届いた
天下人とそれに継ぐ次なる天下人の腹の探り合いの一例
なお、本多重次はそんな裏話を全く知らず、家を他人に預ける
行為に激怒したとか
0510人間七七四年
2014/08/11(月) 17:50:59.76ID:0w5DdgYuその行為がどういうことになるのかまるで考えられないし。
0512人間七七四年
2014/08/11(月) 23:15:16.68ID:k9s/OsBWのかどうかはしらん
0513人間七七四年
2014/08/11(月) 23:49:48.19ID:2A9Go/gj馬糞は堆肥にも使われてて、太陽にあてるとホッカホカになるんだそうな
0514人間七七四年
2014/08/12(火) 00:21:03.76ID:LSJYRDcDクッソ〜ウマいこと考えやがったな
0515人間七七四年
2014/08/12(火) 00:45:18.24ID:ddiCqz/aでも権現様は変に気が利く家臣より愚直な家臣の方が好みだから
作左もそういう方向に自分を伸ばしたのかも
0516人間七七四年
2014/08/12(火) 08:22:04.25ID:wYsRkkcC日本の風土に合った素材でもっと活用できないかと研究が進められてるけどコスト面で厳しいとか
0517人間七七四年
2014/08/13(水) 00:41:17.17ID:HE1eSi5P0518人間七七四年
2014/08/13(水) 06:37:09.91ID:/ldvhjCE0520人間七七四年
2014/08/14(木) 20:40:40.95ID:TDAdipgH毛利元就を攻めた、いわゆる土取場の戦いでのこと。
尼子方の三澤蔵人は無双の大力であり、三間二尺(約6メートル)の長身の槍を持ち戦っている所に、
毛利方の波田野源左衛門利春が名乗り打ちかかったが、すぐさま槍で打ち倒される。波田野はそれでも
再び起き上がろうとしたが、そこを三澤に突き殺された。
次に内藤九朗右衛門が三澤に突き懸かり、暫く勝負がなかったが、三澤は両手に槍と太刀を持って戦い、
終に内藤を打ち倒した。
さらに三戸与五郎が長刀を持って打って懸かる。これに三澤は太刀を鞘に納め、槍によって
横打ちに打ち倒した。
与五郎も4,5度起き上がろうとしたが、その度に打ち倒され突き伏せられた。
井上源左衛門も言葉をかけて打って懸った。これに三澤は槍を持って拝み打ちに討ってくる。
井上も槍でこれを打ち払おうとしたが、その槍も三澤の大力により柄が打ち折られた。そこで井上は
太刀を抜き斬り付け、組み付いたが、最後は押し伏せられて討たれた。
これを見ていた毛利元就は、井上與次郎に命じて三澤を射させた。
與次郎の矢は三澤の目の上に刺さる。
三澤は右手で槍を振り回しながら、左手でその矢を抜こうとした。
ここで渡辺太郎左衛門が槍を持って三澤の脇腹を突く。三澤もすかさず渡辺の左の股を突き、
二人は同時に倒れた。
そこに有地美作が駆け込み、終に三澤を討ち取った。
彼は首を下人に持たせ、渡辺に肩を貸して、連れ退いたと言われる。
(芸侯三家誌)
毛利軍による尼子のモンスター退治の模様である。
0521人間七七四年
2014/08/14(木) 20:49:58.29ID:IsQmw8eC一騎打ちで射落とすって卑怯にも程があるな
0522人間七七四年
2014/08/14(木) 22:17:10.90ID:un+A3g7z0523人間七七四年
2014/08/14(木) 23:44:15.43ID:RsybBwhs矛盾してないかい
0524人間七七四年
2014/08/14(木) 23:53:56.22ID:TDAdipgH主君の面前だからだよ。敵に聞かせてるんじゃなくて元就に聞かせてるんだよ。論功行賞の為にね。
そもそも名乗りというのは味方に聞かせるためのものだ。
0525人間七七四年
2014/08/15(金) 18:38:34.15ID:1k4Pl6Q90526人間七七四年
2014/08/15(金) 19:22:02.39ID:fRWohwEL0527人間七七四年
2014/08/15(金) 19:54:22.03ID:X5uo09h/0528人間七七四年
2014/08/15(金) 20:04:20.94ID:fRWohwEL0529人間七七四年
2014/08/15(金) 22:38:37.55ID:P5gwxBDx0530人間七七四年
2014/08/15(金) 22:52:50.61ID:dLGK/Zw40531人間七七四年
2014/08/16(土) 16:12:20.57ID:rqIcLjxbここまでヒャッハーしてる奴は手に負えないからさっさと射殺すのが正解だな。
戦国時代じゃ卑怯でもなんでもない。
0532人間七七四年
2014/08/16(土) 18:54:35.22ID:SqwW5iiH0534人間七七四年
2014/08/16(土) 20:35:12.71ID:6VvO833r0535人間七七四年
2014/08/16(土) 21:29:01.42ID:6ZJ9Kvda0536人間七七四年
2014/08/16(土) 22:08:50.00ID:oZ8TZBKa0537人間七七四年
2014/08/16(土) 22:15:17.31ID:NqOkPysG0538人間七七四年
2014/08/16(土) 22:15:27.72ID:9yxPcZQ20539人間七七四年
2014/08/16(土) 22:21:34.83ID:NqOkPysG0540人間七七四年
2014/08/16(土) 22:23:07.18ID:xsgsEIHY「我が子元春には未だに妻室が無い。誰の娘を娶るべきか、元春の心を聞いてきてほしい。」
そこで児玉が元春にこれを聞くと、元春は
「それに関しては、唯父元就の命に従うだけだ。ただ、私に選べというのなら、熊谷伊豆守信直の娘が良い。」
児玉はこれを聞くと
「熊谷の娘は、憚りながら悪女であると聞き及んでおります。もしや聞き誤り、かの娘が容貌美しいと思われて
いるのではありませんか?」
「いや、私も醜いと聞いている。しかれども今中国に、熊谷信直に勝る侍大将は居ない。
私が彼と親しくなれば、信直はいよいよ元就に対し忠志を尽くすであろう。
彼と私が元就の先陣にあって謀戦を励むにおいては、いかなる強敵・堅陣であっても、これを破るのに
難しい事があるだろうか。
これは父元就に対しては孝であり、私自身においては、武功を顕す謀ともなるであろう。」
児玉はこれを聞いて感じ入り、すぐに元就の元へ行きこの事を説明すると、元就も大いに喜び、
終に熊谷の嫡女を、元春のために娶られたという。
(芸侯三家誌)
吉川元春の嫁取りの逸話である。
0541人間七七四年
2014/08/17(日) 01:45:30.42ID:bLgdl1H3理由は後付け
0542人間七七四年
2014/08/17(日) 02:32:54.03ID:Q9NvVqIk0543人間七七四年
2014/08/17(日) 02:38:39.62ID:xR3u/Nfxヤワラちゃんみたいなのだったんだろう
0544人間七七四年
2014/08/17(日) 02:45:09.50ID:ke4jFHHh0545人間七七四年
2014/08/17(日) 02:51:06.73ID:BFwh3Z2q0547人間七七四年
2014/08/17(日) 08:54:57.46ID:60h2dRZF0548人間七七四年
2014/08/17(日) 09:43:55.87ID:LA87lVqNまた、武田光和に嫁いだ新庄局の叔母は美人だったと言われるし、陰徳記を書いた香川氏は熊谷氏の同僚(武田時代)から後年毛利傘下になってからはライバル視してたと言う話も有るし…
実は不美人ではなかったんじゃないかと思う今日この頃。
0549人間七七四年
2014/08/17(日) 09:50:44.70ID:2DmfOBk9平安時代のおなごは下膨れが〜ぐらいしか知らない
0550人間七七四年
2014/08/17(日) 10:08:46.39ID:jR02EXhj80年代→聖子ちゃんカット
から今までに至るまで髪型から服装とか色々変遷有ったからなぁ…
0551人間七七四年
2014/08/17(日) 10:12:34.24ID:lsq+fZgL0552人間七七四年
2014/08/17(日) 10:37:04.37ID:bLgdl1H30553人間七七四年
2014/08/17(日) 14:36:45.69ID:sit330gk(一久)は流れ矢に肘を射られてしまった。
このようなところに、庄林隼人(一心)が馳せて来るのを見た森本は、
「もしもし、手負いしてしまった。この矢を抜いてくだされ」
と言った。庄林が馬から下りて矢を抜き捨てると、森本は、
「なんとまあ、快いことだ!」
と言うや否や、馬にひらりと打ち乗り、一鞭打ってさっと駆け出し、
「庄林殿、続かれよ!」
と言い捨てて、敵に出会い、首を得た。二人とも清正の士大将にして、
大剛の者である。森本の槍は白鳥毛を鞘とし、庄林は黒鳥毛を鞘とした。
世の人は、黒鳥毛、白鳥毛、と言い合った(渾名したという意味か)。
――『常山紀談』
0554人間七七四年
2014/08/17(日) 14:48:56.56ID:XnkegDf9ストレートだなw
0555人間七七四年
2014/08/17(日) 14:51:59.73ID:VVjdKVfzアンコールワット落書きしたやつの父親か
0556人間七七四年
2014/08/17(日) 17:20:21.80ID:LA87lVqN森本義太夫が乗った馬ってまさかとは思うが庄林隼人が乗ってた馬じゃないよね?
森本義太夫が助けて貰った上に馬盗…拝借して活躍した様に見えるんだが…
0558人間七七四年
2014/08/19(火) 01:13:12.98ID:NVBzc2vDhttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5263221.jpg
0559人間七七四年
2014/08/19(火) 02:18:27.62ID:a53UwM3Q0560人間七七四年
2014/08/19(火) 03:31:41.79ID:d7FygVCn武蔵国岩渕まで移動し、そこで井伊直政を召して「汝は軍装整い次第出陣し、蒲生、浅野に協力して、九戸での
軍事を相計るように」と命じた。
この命令に対し、本多正信が御前に出て、この様に意見した
「井伊直政は当家の執権の一人です。なので今回の討ち手には、先ず彼よりも下位の者を遣わされ、
それで事がうまく行かなかった時にこそ、直政を遣わされれば、その事態に充当することになるのでは
ありませんか?」
しかしこれを聞いた家康はこう答えた
「それは思慮の無い者の言うことだ。我が婿であった北条氏直も、そのような事をしていたよ。
よいか、事のはじめに軽き者を遣わし、それで埒が明かないからといってまた重き者を遣わせば、
初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
つまり、故なくして家臣を殺してしまうわけである。惜しむべきことではないだろうか?」
後年(慶長13年(1608))、筒井伊賀守定次の改易があった時、その居城である伊賀上野城受け取りのために、
本多忠勝、松平忠政を始め徳川家の重臣ら数名遣わされた。この時家康は
「伊賀守は江戸に有り、上野の城は家人らのみが守りいたのであるから、あのように多人数を遣わすには
及ばないのであるが、事の初めに厳かにしたものを、今更手軽くするというのも、事態において終始が符合しなくなる。
物に例えれば、今回のことは、膝を隠す程度の川を徒歩で渡るのに高尻かかげて渡るようなものである。
これは余りに用心が過ぎた事ではあるが、少なくとも溺れる心配は無い。」
と仰せになった。
(岩淵夜話)
徳川家康の、人の使い方に関しての逸話である。
0561人間七七四年
2014/08/19(火) 06:31:19.28ID:/OcyhjoA0562人間七七四年
2014/08/19(火) 09:59:46.57ID:Wepqw2CM0563人間七七四年
2014/08/19(火) 11:49:49.35ID:qBlS8TRv0564人間七七四年
2014/08/19(火) 12:36:09.77ID:1w8EhYMz>初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
これだな。
0566人間七七四年
2014/08/19(火) 18:59:42.05ID:GxCbKM3k0567人間七七四年
2014/08/19(火) 20:53:01.10ID:Qb4sfRkvhttp://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1408446258/
0568人間七七四年
2014/08/19(火) 23:18:10.60ID:OXAmeywB「信州のお年寄りが語る生活の知恵三六五日」という本に
「どうさん湯」という、古くから「どうさんころばし医者泣かせ」と呼ばれていた風邪の治療薬について書かれていた。
(味噌大さじ1杯、きざみねぎ大さじ2分の1、のりまたは生姜か柚子少々。これに沸騰したお湯をカップ三杯入れて、
熱いところを飲むと風邪の初期に効果あり)
この「どうさん」というのが、隣国美濃の斎藤道三か、はたまた医者の曲直瀬道三かと思って調べたら、
三田村鳶魚「未完随筆百種 第三」享和雑記述巻2 17「道三湯の事」に
食後に湯を飲む時、味噌汁を混ぜて飲むのを世の中の人は「道三湯」と言っている。
(曲直瀬)道三は太閤秀吉公の名医で、病気に対して薬を投与したところ、効果が必ずあったということで、
食後の湯に味噌汁を加えれば薬となること、曲直瀬道三の薬と同様に効果があるというので
このような名前がついたのだろう。
と書かれていた。戦国時代の名医の名が広く知れ渡っていたということで書いとく。
0569人間七七四年
2014/08/20(水) 04:03:32.05ID:vePvP3rc0571人間七七四年
2014/08/20(水) 23:49:43.10ID:SIND0Lufウンコ食べてる姿しか想像出来ないや
0572人間七七四年
2014/08/21(木) 00:43:50.99ID:b74Q9C160573人間七七四年
2014/08/21(木) 05:22:39.73ID:chxQT8CQ当時としては味噌なんて従軍時以外にはそうそうに手に入るもんではないのでは
0575人間七七四年
2014/08/21(木) 09:45:31.91ID:WIa9Dm610577人間七七四年
2014/08/21(木) 11:49:12.82ID:aqMLrz8E0580人間七七四年
2014/08/21(木) 19:32:36.27ID:4u75mfED0581人間七七四年
2014/08/21(木) 20:15:02.20ID:Q+baSbzc■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています