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戦国ちょっといい話40

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0001人間七七四年2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0482人間七七四年2014/08/09(土) 16:32:42.14ID:ZhboR2P7
なぜそっちの名前になるw
安定感あるな権現様は。
0483人間七七四年2014/08/09(土) 23:38:50.70ID:Qzute8E0
合渡川の戦いの時、黒田長政の家中・神谷小介は先駆けして
川を渡り、待ち受けている敵の中へ叫び声を上げて攻め入った。

そのために小介は槍玉に挙げられ、まさに危ういという時、
長政の軍兵が進んで攻め寄せ、敵を追い立てた。

小介は流れる血のために朱色に染まっているので、戸板に
乗せられて長政の前にやって来た。この時に小介は、

今日、自分と先を争うような者は、長政以外ありえない、

と思ったので、長政をきっと見て、

「小介より先立って槍を合わせた者は一人もいません!」

と言った。これに長政は、

「お前でなければ誰が先駆けをすることだろうか。手負い致した
者が、気を張って物を言うのは、(体に障るから)よくない」

と言った。後に小介は有馬の温泉に浴し、傷は癒えた。

――『常山紀談』
0484人間七七四年2014/08/10(日) 00:06:13.88ID:zK7iNSJp
>>481
松平姓から改名って子孫はだいぶ損した気分だったんじゃw
0485人間七七四年2014/08/10(日) 01:00:13.54ID:EKsYzcFH
不死身の男たち

前田家の軍勢が真田丸を攻めていた時のことである
前田家の家臣に小田切所右衛門は真田丸に接近しすぎたために、真田軍の放った銃弾に当たってしまった
しかし、所右衛門は当たった銃弾を抜き取ってまるで何もなかったかのように傍に居た平野弥次右衛門に、その銃弾を見せた
そうして笑いながら会話していると、今度は銃弾が所右衛門の額に命中した
それでも所右衛門は

「兜というのは大事な物だな、この兜は元々は信玄公が持っておった物ぞ」

と言って再び銃弾を取り出した
銃弾の痕からは血が流れ出たが所右衛門はまったく怯む様子を見せなかった
その武者ぶりを敵味方共に賞賛した


所右衛門が当たった銃弾を見せた平野弥次右衛門の従者に五右衛門という者が居た
五右衛門は矢面に立ち、18発の銃弾が五右衛門をかすって傷を負わせた
その大剛な振る舞いを見た真田丸からは賞賛の声が挙がり

「姓名をお聞かせ頂きたい」

と声がしたが五右衛門は姓を持っていなかった
そこで平野弥次右衛門は己が姓をつかわした
すると、五右衛門は大声で

「平野弥次右衛門の下人五右衛門という者であるが、これまで御供した褒美として只今氏を賜り、平野五右衛門と申すなり」

と名乗りを上げた

                                    『常山紀談』
0486人間七七四年2014/08/10(日) 01:09:43.13ID:pkm8roq1
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3980.html
後半は既出か
0487人間七七四年2014/08/10(日) 02:26:50.55ID:jnDhl7TE
只今っていう氏を賜ったのかと思った
0488人間七七四年2014/08/10(日) 16:35:04.79ID:Cmq6S9gA
>>484
松平もピンきりだからなあ。へたな松平よりも「権現様ご由緒」の苗字の方が江戸時代は価値が高かったと思う。
0489人間七七四年2014/08/10(日) 16:37:57.47ID:kH9FBMSo
松平性の希少化
糞漏らし由来の苗字

win-winの関係
0490人間七七四年2014/08/10(日) 16:53:24.75ID:Cmq6S9gA
>>489
糞洩らしは明治後の創作なんで江戸期には何の関係もないな
0491人間七七四年2014/08/10(日) 18:10:24.63ID:ZKmTc2VJ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8378.html
脱糞したという噂はあったようだが
0492人間七七四年2014/08/10(日) 18:12:44.42ID:Cmq6S9gA
>>491
噂じゃなくて悪口とはっきり書いてあるのに
0493人間七七四年2014/08/10(日) 18:14:01.13ID:ZKmTc2VJ
>>492
悪口が噂になったからわざわざ改正版で否定した、と解釈してるんだが
0494人間七七四年2014/08/10(日) 18:16:43.54ID:Cmq6S9gA
>>493
解釈の根拠が無いならそれはただの妄想だぞ?
0495人間七七四年2014/08/10(日) 18:22:50.42ID:ZKmTc2VJ
じゃあ
大久保忠佐が「家康が脱糞した」といったのは知れ渡ってたとして
後の話が落とされて、脱糞の噂ができた可能性がある
としておくか
0496人間七七四年2014/08/10(日) 18:30:26.39ID:R9KA2SIW
三河風土記に糞漏らしネタが書かれてんのに
明治以降の創作だから関係ない?
0497人間七七四年2014/08/10(日) 18:38:46.80ID:HAULJanr
どっちにしたってずっと後世の話だろ。
つか論争なら他所でやれ
0498人間七七四年2014/08/10(日) 20:41:20.57ID:UCmgEEfA
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/

こちらでどうぞ。
0499人間七七四年2014/08/10(日) 22:40:27.63ID:6xU/Tsxp
脱糞ネタをなかった事にしようとしても無駄だぞ
ここは審議スレじゃなくて逸話スレだ
0500人間七七四年2014/08/10(日) 23:30:36.91ID:coB3wW0i
???「日記とは、死後公表されることを狙って、他人の悪口を書き連ねておく文章」
0501人間七七四年2014/08/11(月) 00:11:51.56ID:Z2oXRHJt
佐々成政が、いわゆるさらさら越をして、密かに浜松の徳川家康の元に辿り着いた時のこと。
家康は家臣の高力與次郎正長を召して
「佐々成政という人は大変な人傑である。ああいった人物とは知人と成って、その様子を
見習うように」と命じた。

さて、家康は佐々に
「私は元より秀吉と遺恨はありません。しかし信雄殿の衰弱を見るに忍びなく、故織田殿の
旧好を忘れかね、わずかにこれを助けたのみなのです。ですが、信雄殿が秀吉と
和議を結んだと聞けば、私のこれまでの信義も、詮無きことに成りました。

さりながら成政殿が旧主の為に義兵を起こすというのであれば、私からも援兵を出しましょう。」
そう言って懇ろに饗した。

この後、成政は家康との物語の中に、家康を武田信玄に、自身を上杉謙信に比して
大いに自負の念を披露した。

酒井忠次は、この佐々の自負を聞いて大変に腹を立て
「ああいう馬鹿者に御加勢なさることは無用です!」と家康に詰め寄った。
しかし家康は

「彼は元より大剛の士であるのだから、その勇気に任せて、失言をしてしまうのも仕方がない。
そんな事を気にしてはいけない。」

と語った。

(柏崎物語)

家康が、佐々成政を非常に高く評価している逸話である。
0502人間七七四年2014/08/11(月) 02:28:57.69ID:KL0Ps1Qa
>>499
「家康が脱糞した」ってのは逸話レベルでも存在しないんだよなあ……
三河後風土記のは文脈的に実際にやったわけじゃないっぽいし
0503人間七七四年2014/08/11(月) 05:34:54.38ID:g5qL9Yxe
脱糞した、て家臣が言った
って三河風土記に書かれている、
ってのを両者とも認めてるのに、なぜ真偽になるのか
噂うんぬんと言ってた人も脱糞が事実とは書いてないのに
0504人間七七四年2014/08/11(月) 06:48:07.17ID:YGWrDYtG
脱糞ではない!焼き味噌じゃ!
0505人間七七四年2014/08/11(月) 06:58:20.07ID:JPzfnsZ7
>>501
評価してると言うより、短所があるからと言って長所まで否定しない話に見える
0506人間七七四年2014/08/11(月) 09:12:36.62ID:749mzh7m
>>502
今までネタレベルでわいわい言ってただけなのに
なぜ今年になってから急に家康は脱糞してない!みたいな感じになるんだよ
0507人間七七四年2014/08/11(月) 09:36:54.22ID:Dh+9Bs5G
といか、戦闘中にいちいち降りて用を足すなんてできないんだから
これの真偽はともかく
馬に乗ったまま漏らすなんて日常的なことなんじゃないのかな
 
ゼロ戦のパイロットがお尻に敷いてるパラシュートが汚物まみれと同じように
0508人間七七四年2014/08/11(月) 15:52:31.95ID:+KpDkZT1
この流れだし、ちょっといい糞の話を


朝鮮の役の際、諸将は武具甲冑の破損に苦労していた
結局、漆を塗って修繕することになったのだが漆風呂(漆室)が無かった為に
なかなか漆が乾かず難儀していた

しかし、機転の効く者が現れて漆を塗った物の周りに馬糞を集めて
置いておいたところ、漆は一晩の内に乾いた



                                      【常山紀談拾遺】
0509人間七七四年2014/08/11(月) 15:58:05.95ID:N86wRwig
秀吉の小田原攻め直前に秀吉は通例の人質を各自求めた
家康も子の長丸(後の秀忠)を送ったが、秀吉は彼については
必要ないと直ぐに返している

これを受けた家康は、これは自身の領地に配下の者を入れる
交換条件と判断し、本多正信に街道と城の修繕を命じた
果たせるかな、日を置かずして秀吉より家康へ城に自身の兵を
入れることを求める書状が家康に届いた

天下人とそれに継ぐ次なる天下人の腹の探り合いの一例


なお、本多重次はそんな裏話を全く知らず、家を他人に預ける
行為に激怒したとか
0510人間七七四年2014/08/11(月) 17:50:59.76ID:0w5DdgYu
鬼の作左って視野が本当に狭いんだよねい…。大政所の寝所の周辺に薪積むとか、
その行為がどういうことになるのかまるで考えられないし。
0511人間七七四年2014/08/11(月) 23:13:14.08ID:wj9aVQnm
>>508
これ、なんで?
0512人間七七四年2014/08/11(月) 23:15:16.68ID:k9s/OsBW
馬糞は乾燥してるから湿気を取る
のかどうかはしらん
0513人間七七四年2014/08/11(月) 23:49:48.19ID:2A9Go/gj
ググったら、漆は湿度70%くらいで乾燥するんだと
馬糞は堆肥にも使われてて、太陽にあてるとホッカホカになるんだそうな
0514人間七七四年2014/08/12(火) 00:21:03.76ID:LSJYRDcD
馬糞サウナってわけか
クッソ〜ウマいこと考えやがったな
0515人間七七四年2014/08/12(火) 00:45:18.24ID:ddiCqz/a
>>510
でも権現様は変に気が利く家臣より愚直な家臣の方が好みだから
作左もそういう方向に自分を伸ばしたのかも
0516人間七七四年2014/08/12(火) 08:22:04.25ID:wYsRkkcC
一般的な塗料は水分が抜けて乾くけど漆は水分を吸って乾くというか固まるんだよね
日本の風土に合った素材でもっと活用できないかと研究が進められてるけどコスト面で厳しいとか
0517人間七七四年2014/08/13(水) 00:41:17.17ID:HE1eSi5P
BANDAIと組んで漆塗りのガンプラとか?
0518人間七七四年2014/08/13(水) 06:37:09.91ID:/ldvhjCE
漆って、韓国だか中国辺りからの輸入が主だっけか?
0519人間七七四年2014/08/14(木) 12:26:22.48ID:WGrXkUfZ
>>510
山岡荘八の小説だと計算づくの行動という事になってるけどね
0520人間七七四年2014/08/14(木) 20:40:40.95ID:TDAdipgH
天文9年(1540)10月11日、尼子誠久率いる新宮党を中心とした尼子方1万が、吉田郡山城の
毛利元就を攻めた、いわゆる土取場の戦いでのこと。

尼子方の三澤蔵人は無双の大力であり、三間二尺(約6メートル)の長身の槍を持ち戦っている所に、
毛利方の波田野源左衛門利春が名乗り打ちかかったが、すぐさま槍で打ち倒される。波田野はそれでも
再び起き上がろうとしたが、そこを三澤に突き殺された。

次に内藤九朗右衛門が三澤に突き懸かり、暫く勝負がなかったが、三澤は両手に槍と太刀を持って戦い、
終に内藤を打ち倒した。

さらに三戸与五郎が長刀を持って打って懸かる。これに三澤は太刀を鞘に納め、槍によって
横打ちに打ち倒した。
与五郎も4,5度起き上がろうとしたが、その度に打ち倒され突き伏せられた。

井上源左衛門も言葉をかけて打って懸った。これに三澤は槍を持って拝み打ちに討ってくる。
井上も槍でこれを打ち払おうとしたが、その槍も三澤の大力により柄が打ち折られた。そこで井上は
太刀を抜き斬り付け、組み付いたが、最後は押し伏せられて討たれた。

これを見ていた毛利元就は、井上與次郎に命じて三澤を射させた。
與次郎の矢は三澤の目の上に刺さる。
三澤は右手で槍を振り回しながら、左手でその矢を抜こうとした。

ここで渡辺太郎左衛門が槍を持って三澤の脇腹を突く。三澤もすかさず渡辺の左の股を突き、
二人は同時に倒れた。
そこに有地美作が駆け込み、終に三澤を討ち取った。
彼は首を下人に持たせ、渡辺に肩を貸して、連れ退いたと言われる。

(芸侯三家誌)

毛利軍による尼子のモンスター退治の模様である。
0521人間七七四年2014/08/14(木) 20:49:58.29ID:IsQmw8eC
悪いほうにもあるがいい話なのか?
一騎打ちで射落とすって卑怯にも程があるな
0522人間七七四年2014/08/14(木) 22:17:10.90ID:un+A3g7z
平安・鎌倉時代じゃないから
0523人間七七四年2014/08/14(木) 23:44:15.43ID:RsybBwhs
なのに名乗るのはなんで?
矛盾してないかい
0524人間七七四年2014/08/14(木) 23:53:56.22ID:TDAdipgH
>>523
主君の面前だからだよ。敵に聞かせてるんじゃなくて元就に聞かせてるんだよ。論功行賞の為にね。
そもそも名乗りというのは味方に聞かせるためのものだ。
0525人間七七四年2014/08/15(金) 18:38:34.15ID:1k4Pl6Q9
一番槍や一番乗り、一番首なんかみんなそうだもんな
0526人間七七四年2014/08/15(金) 19:22:02.39ID:fRWohwEL
この時代にも、一騎打ちを邪魔してはいけないという暗黙のルールがあったらしいけどな。
0527人間七七四年2014/08/15(金) 19:54:22.03ID:X5uo09h/
ないない。脇槍の功なんてどうすんだよw
0528人間七七四年2014/08/15(金) 20:04:20.94ID:fRWohwEL
それは一騎打ちとはまた別だろ
0529人間七七四年2014/08/15(金) 22:38:37.55ID:P5gwxBDx
邪魔しちゃいけないって又兵衛さんがゆってた
0530人間七七四年2014/08/15(金) 22:52:50.61ID:dLGK/Zw4
三河とか黒田とかは受けそうだな。鮭さまは出ようとするが志村さんに止められると
0531人間七七四年2014/08/16(土) 16:12:20.57ID:rqIcLjxb
>520
ここまでヒャッハーしてる奴は手に負えないからさっさと射殺すのが正解だな。
戦国時代じゃ卑怯でもなんでもない。
0532人間七七四年2014/08/16(土) 18:54:35.22ID:SqwW5iiH
????「畳で畳みかけるのがよろしかろう
0533人間七七四年2014/08/16(土) 19:20:21.77ID:NqOkPysG
>>531
弁慶「鎌倉時代でも射殺されましたが、何か」
0534人間七七四年2014/08/16(土) 20:35:12.71ID:6VvO833r
??「殿、そんなことより鈴木大学の弓をどうぞ」
0535人間七七四年2014/08/16(土) 21:29:01.42ID:6ZJ9Kvda
薩摩には確か武器がなくなったんで旗指物の竿で相手殴り殺して武器奪って更に暴れた奴がいなかったか
0536人間七七四年2014/08/16(土) 22:08:50.00ID:oZ8TZBKa
薩摩では平常運転じゃねーのそれ
0537人間七七四年2014/08/16(土) 22:15:17.31ID:NqOkPysG
薩摩隼人なら、ハリネズミのように矢を射込まれてからが本番だよね
0538人間七七四年2014/08/16(土) 22:15:27.72ID:9yxPcZQ2
北九州戦線でも安芸の乃美さんが敵の武器拾って奪って無双してたな
0539人間七七四年2014/08/16(土) 22:21:34.83ID:NqOkPysG
「村上水軍の娘」でネタにされてたな<乃美さんの武器回収技術
0540人間七七四年2014/08/16(土) 22:23:07.18ID:xsgsEIHY
ある時、毛利元就は家臣の児玉三郎右衛門尉を呼んで、この様に言った
「我が子元春には未だに妻室が無い。誰の娘を娶るべきか、元春の心を聞いてきてほしい。」

そこで児玉が元春にこれを聞くと、元春は
「それに関しては、唯父元就の命に従うだけだ。ただ、私に選べというのなら、熊谷伊豆守信直の娘が良い。」

児玉はこれを聞くと
「熊谷の娘は、憚りながら悪女であると聞き及んでおります。もしや聞き誤り、かの娘が容貌美しいと思われて
いるのではありませんか?」

「いや、私も醜いと聞いている。しかれども今中国に、熊谷信直に勝る侍大将は居ない。
私が彼と親しくなれば、信直はいよいよ元就に対し忠志を尽くすであろう。
彼と私が元就の先陣にあって謀戦を励むにおいては、いかなる強敵・堅陣であっても、これを破るのに
難しい事があるだろうか。

これは父元就に対しては孝であり、私自身においては、武功を顕す謀ともなるであろう。」

児玉はこれを聞いて感じ入り、すぐに元就の元へ行きこの事を説明すると、元就も大いに喜び、
終に熊谷の嫡女を、元春のために娶られたという。

(芸侯三家誌)

吉川元春の嫁取りの逸話である。
0541人間七七四年2014/08/17(日) 01:45:30.42ID:bLgdl1H3
ブス専だっただけ
理由は後付け
0542人間七七四年2014/08/17(日) 02:32:54.03ID:Q9NvVqIk
悪女って醜女の意味なのかな
0543人間七七四年2014/08/17(日) 02:38:39.62ID:xR3u/Nfx
名字に熊とか入ってるから
ヤワラちゃんみたいなのだったんだろう
0544人間七七四年2014/08/17(日) 02:45:09.50ID:ke4jFHHh
戦国版勇者谷かよ
0545人間七七四年2014/08/17(日) 02:51:06.73ID:BFwh3Z2q
ttp://blog-imgs-45-origin.fc2.com/y/u/m/yumeringuinvip/63336397.jpg
0546人間七七四年2014/08/17(日) 04:58:26.87ID:jAAhxmxl
>>543
猪熊柔
羨ましい
0547人間七七四年2014/08/17(日) 08:54:57.46ID:60h2dRZF
吉川晃司って末裔だろ。要素入ってるのかねw
0548人間七七四年2014/08/17(日) 09:43:55.87ID:LA87lVqN
吉川広家が生きてた頃に纏められた書物には不美人とは書いてなく、少し後の陰徳記と陰徳太平記から不美人と言う記述がなされとるんよね。
また、武田光和に嫁いだ新庄局の叔母は美人だったと言われるし、陰徳記を書いた香川氏は熊谷氏の同僚(武田時代)から後年毛利傘下になってからはライバル視してたと言う話も有るし…
実は不美人ではなかったんじゃないかと思う今日この頃。
0549人間七七四年2014/08/17(日) 09:50:44.70ID:2DmfOBk9
当時の美醜の価値観って現代とどれくらい違うの?
平安時代のおなごは下膨れが〜ぐらいしか知らない
0550人間七七四年2014/08/17(日) 10:08:46.39ID:jR02EXhj
現代でも
80年代→聖子ちゃんカット

から今までに至るまで髪型から服装とか色々変遷有ったからなぁ…
0551人間七七四年2014/08/17(日) 10:12:34.24ID:lsq+fZgL
つまり戦国一の美人であると言われているお市も現代の人が美人だと思うかどうかはわからないってことだな
0552人間七七四年2014/08/17(日) 10:37:04.37ID:bLgdl1H3
惜しいかな後世、お市の方を云いてお犬の方を云わず
0553人間七七四年2014/08/17(日) 14:36:45.69ID:sit330gk
朝鮮において、どこの戦いでのことか、加藤清正の士大将の森本義太夫
(一久)は流れ矢に肘を射られてしまった。

このようなところに、庄林隼人(一心)が馳せて来るのを見た森本は、

「もしもし、手負いしてしまった。この矢を抜いてくだされ」

と言った。庄林が馬から下りて矢を抜き捨てると、森本は、

「なんとまあ、快いことだ!」

と言うや否や、馬にひらりと打ち乗り、一鞭打ってさっと駆け出し、

「庄林殿、続かれよ!」

と言い捨てて、敵に出会い、首を得た。二人とも清正の士大将にして、
大剛の者である。森本の槍は白鳥毛を鞘とし、庄林は黒鳥毛を鞘とした。
世の人は、黒鳥毛、白鳥毛、と言い合った(渾名したという意味か)。

――『常山紀談』
0554人間七七四年2014/08/17(日) 14:48:56.56ID:XnkegDf9
どこの戦いでのことかw
ストレートだなw
0555人間七七四年2014/08/17(日) 14:51:59.73ID:VVjdKVfz
戦以外でなんか聞いたことあると思ったら
アンコールワット落書きしたやつの父親か
0556人間七七四年2014/08/17(日) 17:20:21.80ID:LA87lVqN
>>553
森本義太夫が乗った馬ってまさかとは思うが庄林隼人が乗ってた馬じゃないよね?
森本義太夫が助けて貰った上に馬盗…拝借して活躍した様に見えるんだが…
0557人間七七四年2014/08/18(月) 06:37:57.44ID:Wv1ssEGW
>>552
お犬さまって佐治一成の母ちゃんか
畠山昭高に嫁いでいた不詳娘と勘違いしていた
0558人間七七四年2014/08/19(火) 01:13:12.98ID:NVBzc2vD
面白画像
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org5263221.jpg
0559人間七七四年2014/08/19(火) 02:18:27.62ID:a53UwM3Q
なんで鹿なんだよw
0560人間七七四年2014/08/19(火) 03:31:41.79ID:d7FygVCn
天正19年(1591)、奥州に九戸政実の乱が起こった時、豊臣秀吉よりその鎮定の命を受けた徳川家康は
武蔵国岩渕まで移動し、そこで井伊直政を召して「汝は軍装整い次第出陣し、蒲生、浅野に協力して、九戸での
軍事を相計るように」と命じた。

この命令に対し、本多正信が御前に出て、この様に意見した
「井伊直政は当家の執権の一人です。なので今回の討ち手には、先ず彼よりも下位の者を遣わされ、
それで事がうまく行かなかった時にこそ、直政を遣わされれば、その事態に充当することになるのでは
ありませんか?」

しかしこれを聞いた家康はこう答えた
「それは思慮の無い者の言うことだ。我が婿であった北条氏直も、そのような事をしていたよ。
よいか、事のはじめに軽き者を遣わし、それで埒が明かないからといってまた重き者を遣わせば、
初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
つまり、故なくして家臣を殺してしまうわけである。惜しむべきことではないだろうか?」

後年(慶長13年(1608))、筒井伊賀守定次の改易があった時、その居城である伊賀上野城受け取りのために、
本多忠勝、松平忠政を始め徳川家の重臣ら数名遣わされた。この時家康は

「伊賀守は江戸に有り、上野の城は家人らのみが守りいたのであるから、あのように多人数を遣わすには
及ばないのであるが、事の初めに厳かにしたものを、今更手軽くするというのも、事態において終始が符合しなくなる。

物に例えれば、今回のことは、膝を隠す程度の川を徒歩で渡るのに高尻かかげて渡るようなものである。
これは余りに用心が過ぎた事ではあるが、少なくとも溺れる心配は無い。」
と仰せになった。

(岩淵夜話)

徳川家康の、人の使い方に関しての逸話である。
0561人間七七四年2014/08/19(火) 06:31:19.28ID:/OcyhjoA
家康公が九戸を舐めてはいなかった話しですね。
0562人間七七四年2014/08/19(火) 09:59:46.57ID:Wepqw2CM
最初が肝心要
0563人間七七四年2014/08/19(火) 11:49:49.35ID:qBlS8TRv
島原の乱には活かされなかった模様
0564人間七七四年2014/08/19(火) 12:36:09.77ID:1w8EhYMz
あー、そういえば、まさに
>初めに遣わした者は面目を失い、討ち死にするより外無くなるであろう。
これだな。
0565人間七七四年2014/08/19(火) 12:39:22.28ID:JYcLMTUL
>>560
氏直の名前が若干唐突な印象だったけど本の名前ググって腑に落ちた
0566人間七七四年2014/08/19(火) 18:59:42.05ID:GxCbKM3k
島原の乱の時代じゃもう大阪や関ヶ原の前に戦場踏んだ世代自体ほとんどお亡くなりになってるし・・・・
0567人間七七四年2014/08/19(火) 20:53:01.10ID:Qb4sfRkv
ISISの情報源になった秋元さん、事の重大さを指摘してくれた大学教授に逆ギレし脅迫へ
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1408446258/
0568人間七七四年2014/08/19(火) 23:18:10.60ID:OXAmeywB
戦国と言っていいか微妙だが
「信州のお年寄りが語る生活の知恵三六五日」という本に
「どうさん湯」という、古くから「どうさんころばし医者泣かせ」と呼ばれていた風邪の治療薬について書かれていた。
(味噌大さじ1杯、きざみねぎ大さじ2分の1、のりまたは生姜か柚子少々。これに沸騰したお湯をカップ三杯入れて、
熱いところを飲むと風邪の初期に効果あり)

この「どうさん」というのが、隣国美濃の斎藤道三か、はたまた医者の曲直瀬道三かと思って調べたら、
三田村鳶魚「未完随筆百種 第三」享和雑記述巻2 17「道三湯の事」に
食後に湯を飲む時、味噌汁を混ぜて飲むのを世の中の人は「道三湯」と言っている。
(曲直瀬)道三は太閤秀吉公の名医で、病気に対して薬を投与したところ、効果が必ずあったということで、
食後の湯に味噌汁を加えれば薬となること、曲直瀬道三の薬と同様に効果があるというので
このような名前がついたのだろう。

と書かれていた。戦国時代の名医の名が広く知れ渡っていたということで書いとく。
0569人間七七四年2014/08/20(水) 04:03:32.05ID:vePvP3rc
甲斐のトクホンみたいな?
0570人間七七四年2014/08/20(水) 23:44:21.69ID:cmpaBT7h
>>568
う、うまそう
これと玄米のにぎりめしが喰いたい
0571人間七七四年2014/08/20(水) 23:49:43.10ID:SIND0Luf
味噌ってワード出てきたせいで
ウンコ食べてる姿しか想像出来ないや
0572人間七七四年2014/08/21(木) 00:43:50.99ID:b74Q9C16
おみおつけではないんか?
0573人間七七四年2014/08/21(木) 05:22:39.73ID:chxQT8CQ
そうでしょうな
当時としては味噌なんて従軍時以外にはそうそうに手に入るもんではないのでは
0574人間七七四年2014/08/21(木) 09:39:21.02ID:xqAfmiYk
>>571
あんた毒されすぎや
そんなこと言ってたら普通の味噌料理食べれねぇぞ
0575人間七七四年2014/08/21(木) 09:45:31.91ID:WIa9Dm61
味噌煮込みうどんはアウトだが、ドテ丼はいけるわけやな。
0576人間七七四年2014/08/21(木) 11:38:13.88ID:25n7FkmV
>>573
味噌なんて自家製するもの
誰でもやってるよ
0577人間七七四年2014/08/21(木) 11:49:12.82ID:aqMLrz8E
肥で熟成させた味噌は濃厚って朝鮮人から聞いた
0578人間七七四年2014/08/21(木) 11:55:09.07ID:o0z3FI3y
>>576
しかしながら現在のように一般に普及したのは江戸期からとも言われてるみたいだよ
0579人間七七四年2014/08/21(木) 12:39:40.11ID:OmKO2R2B
>>574
こ、この板に来た時だけだから大丈夫だし(震え糞)
0580人間七七四年2014/08/21(木) 19:32:36.27ID:4u75mfED
名古屋名物の麺類は駅のきしめん一択だから(震え声)
0581人間七七四年2014/08/21(木) 20:15:02.20ID:Q+baSbzc
た、台湾ラーメンアメリカン…
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