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戦国ちょっといい話40

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0001人間七七四年2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0362人間七七四年2014/07/26(土) 09:32:16.31ID:2UE5AZie
>>361
そういや昔、某MMOスレ民がゲーム内の素材と料理法で仕上げて写真をアップしてたっけか
0363人間七七四年2014/07/26(土) 09:50:34.10ID:ENrhe7f5
何かで出てた「たまごのふわふわ」?なら作ってみたいな
0364人間七七四年2014/07/26(土) 09:58:58.12ID:DdbAyVs1
酒飲んだ後に碁を売ったのか。
0365人間七七四年2014/07/26(土) 12:43:47.83ID:axf17gV4
六花亭と聞くと北海道のお土産のほうを連想してしまう
0366人間七七四年2014/07/26(土) 12:50:48.42ID:cF4X+d7l
3升飲んで酒が不得手とか俺は生きてける自信がない
0367人間七七四年2014/07/26(土) 15:22:17.91ID:KmwpVQjX
酒と共に運ばれて来る山盛りの○セイバターサンド
0368人間七七四年2014/07/26(土) 15:31:36.50ID:esuODCTo
 仙台ワラシ
 寛永13年3月隠居城若林にて伊達政宗は、寝所でうたた寝してると
小さな子が現れ「ホレ、出発の支度が整ったよ早く行こう」と催促してきた
政宗「ホウ、随分早いな。」と身体を起こそうとするが金縛りにあって
動けない。堪らず腰元を呼び起きたがその子は襖に消えていったのだ。
 そして、最後の出府し江戸で引き取るのは3ヶ月後。政宗には座敷わらしが見えていた話
 
東北怪談全集より
0369人間七七四年2014/07/26(土) 15:57:48.82ID:1co0NzCY
頭?人間もそう数えられないかw
0370人間七七四年2014/07/26(土) 22:39:31.64ID:Co23d2UJ
さて加藤清正がある時に家人の加藤右馬允、並河志摩、庄林隼人、森本義太夫、
三宅角左衛門、木村又蔵、飯田覚兵衛、その他一騎当千の勇士らと同座で昔の
物語りをされた時、清正が、

「源義経の家士である武蔵房弁慶ほどの忠臣は、今も昔もいるはずがない」

と申されたところ、森本義太夫が

「いや、武蔵房弁慶ほどの忠臣は昔は知りませんが、今は幾人もいるでしょう。
ですが、その主君の源義経ほどの大将は、今はいるはずもありません」

と申したので、清正を初め家人一同は笑いなさったということである。

名将良士と言われる人は、皆君臣の間が睦まじかったそうだ。神君(徳川家康)
は人を引き立てなさることをよくなさった。ある時の御話の折、

「昔の鈴木三郎重家を忠義を兼ねた良士であると世に言うが、我が家には重家の
ような忠義の士が幾人もいる」

と、仰せられたそうである。

陶淵明の『渠も亦人の子也』(『此もまた人の子なり』)とは、本当に
格言というべきである。この言葉は高貴下賤ともによく人情に通じている。
名将良士が心を用いるところはここにある。

――『明良洪範続編』
0371人間七七四年2014/07/26(土) 22:42:18.22ID:PPRdKStg
九州仲間の某家で同様の話があったならば…
0372人間七七四年2014/07/27(日) 03:42:11.27ID:zLeQ/84T
NGMSさんちか
0373人間七七四年2014/07/27(日) 03:45:59.82ID:mZBctROr
並河、三宅、木村ってなんか明智さんとこの旧臣っぽく感じなくもない
0374人間七七四年2014/07/27(日) 08:37:07.44ID:V+cZAXqT
でもこういう主従だか何だか分からん状態で放置しておくとお家騒動に繋がるのよね
太平の世では早急に悪久すべき
0375人間七七四年2014/07/27(日) 10:50:20.36ID:m510hudy
国衆を家臣化する過程は大名によって違うから一概に悪久するべきかと言うとビミョー
0376人間七七四年2014/07/27(日) 11:17:44.06ID:XnQ916Jd
>>371

黒田武士は知らんが、三河武士にはある

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2639.html
0377人間七七四年2014/07/27(日) 12:20:12.06ID:+EQiIhCF
三河武士だと全員拙者のことでござる!とか思ってそうだなw
0378人間七七四年2014/07/27(日) 21:50:36.34ID:xw6A6oT7
想像しただけでめんどくさいw
0379人間七七四年2014/07/28(月) 02:56:43.87ID:NuNQEtm4
面倒すぎるw
0380人間七七四年2014/07/28(月) 03:37:48.78ID:9WmG8ITM
自分でそう思ってるくせに主君の言うことにあれくれ理屈つけて従わないんですね
分かります
0381人間七七四年2014/07/28(月) 03:54:52.65ID:BsmDQudM
長篠の戦いの前、徳川家康は竹広村の弾正山に陣を据えていたが、家臣たちは武田の猛勢を聞いて
恐れ、どうにも怯えた様子を見せていた。

そこで家康は酒井忠次を呼んでこう命じた。「いつもの海老すくいの狂言をせよ。」

忠次畏まり、つっと立って海老すくいを舞った。これは有名な絶技の芸であったので、一座の者達は皆
笑いのツボに入り大爆笑した。
これによし徳川の三軍にあった武田への恐怖の念はいつの間にか一散したのである。
(忠次かしこまりつと立て舞けるが、兼ての絶技なれば一座の者みなゑつぼに入て哄と
笑い出しにより、三軍恐怖の念いつとなく一散してけり)

(東武談叢)

酒井忠次の妙技海老すくい、徳川軍から恐怖を払う。というお話。
0382人間七七四年2014/07/28(月) 04:15:08.51ID:ieY8KXOP
太鼓も叩くし案外芸人肌な面白いおじさんだったのかもしれないね
0383人間七七四年2014/07/28(月) 04:43:26.31ID:0U1KnlTJ
出ますぞ、酒井様の腰さばきが!
0384人間七七四年2014/07/28(月) 07:02:38.28ID:g/gxe8er
ツボに入るってこんな古い時代からある表現だったんだ
0385人間七七四年2014/07/28(月) 09:44:31.66ID:yaZjXFV0
海老掬いが無ければ長篠で負けていたかもしれないのか
これは歴史が動いた瞬間ですわ
0386人間七七四年2014/07/28(月) 09:50:16.77ID:JPO4AgR6
筆頭家老自らエビすくいを披露し、長篠前哨戦では速攻で武田軍の側面をつく、こりゃ大河ドラマ級の活躍ですわ。
0387人間七七四年2014/07/28(月) 14:57:47.46ID:bY1WnWpb
三軍て何?
0388人間七七四年2014/07/28(月) 15:11:02.63ID:ZKq6NRc7
全軍
0389人間七七四年2014/07/28(月) 17:22:09.44ID:wBqsu5SX
えっファーム以下のやつらじゃなかったのかよ
0390人間七七四年2014/07/28(月) 19:09:03.66ID:hmwj7KpU
陸軍海軍空軍・・・えっ空?

真面目に答えると>>388の言う通り春秋時代の三軍(上軍中軍下軍)に倣い全軍を意味する
0391人間七七四年2014/07/28(月) 20:45:46.48ID:0U1KnlTJ
実は三河軍団の略
0392人間七七四年2014/07/28(月) 22:39:54.15ID:OF6jLvwu
>>384
戦国どころか、平家物語の有名なシーンでも使われてたりする。

大納言気色変はつて、さつと立たれけるが、御前に立てられたりける瓶子を、狩衣の袖に掛けて引き倒されたりけるを、
法皇叡覧あつて、あれはいかにと仰せければ、大納言立ち返かへつて、瓶子倒れ候ひぬとぞ申されける。
法皇も『笑壺に入らせおはしまし』、者ども参つて猿楽仕れと仰せければ、平判官康頼つと参つて、あああまりに瓶子の多う候ふに、もて酔ひて候ふと申す。
俊寛僧都、さてそれをば、いかが仕るべきやらん。西光法師、ただ首を取るにはしかじとて、瓶子の首を取つてぞ入りにける。
0393人間七七四年2014/07/28(月) 22:55:27.49ID:AM0twxp2
>>381
信長の野望で鼓舞の上位コマンドに海老すくいを導入すべき
士気↑
統率↑
0394人間七七四年2014/07/28(月) 23:17:39.03ID:JGXRelj8
しかし景勝には効かなかった!
0395人間七七四年2014/07/28(月) 23:49:29.49ID:dd979FBF
へうげものの海老すくい
http://www.youtube.com/watch?v=FVvxOgmxeGA

横山光輝の「徳川家康」では天正壬午の乱後、北条との同盟の席で
海老すくいを披露し、徳川は大した事ないと北条を油断させてたw

万能技過ぎるwww
0396人間七七四年2014/07/28(月) 23:58:28.40ID:ibhhCUUn
えび酒井
0397人間七七四年2014/07/29(火) 00:18:46.24ID:73ZyftsL
酒井シュリンプ
0398人間七七四年2014/07/29(火) 10:14:32.40ID:Vr+xRufE
>>392
勉強になった。相変わらず侮れんスレだw
0399人間七七四年2014/07/30(水) 00:43:10.83ID:s9grfJZd
浜名湖名物なのか海老すくい
0400人間七七四年2014/07/30(水) 15:43:25.83ID:eu5p67WC
意外な人の意外な高評価?

豊臣秀吉の御前にて、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、蒲生氏郷、毛利輝元などが話していた時のこと
秀吉は
「たとえば昨今、織田上野介に兵五千、蒲生に兵一万をつけて合戦させたとする。どちらに味方すべきだろうか?」
と言った。
いづれも返答しかねていたが、秀吉は
「それがしは上野介につくべし。その故は、蒲生方より兜付きの首を五つ程も取るならば、その内に氏郷の首もあるだろう。
上野介方は四千九百まで討ち取られる分には、上野介は討死しないだろう。
然れば大将のはやく討ち取られたる方こそ、大きなる負けなり。」
と言ったという。

武功雑記

※織田上野介=織田信包

激しく既出の気がするけど、このパターンは無かった気がするので
0401人間七七四年2014/07/30(水) 15:49:46.32ID:nayFSFDk
野と総が混同された?
0402人間七七四年2014/07/30(水) 16:28:51.85ID:SgluMGfl
そのいいようだと誰も気を悪くしないしな。打ち取られるのもいつも先頭にいるってことだし
・・・志村さんのお小言タイム?
0403人間七七四年2014/07/30(水) 17:03:30.45ID:UsXN/Doc
へうげものスレの過去ログにこういうのが

名無しんぼ@お腹いっぱい[] 2010/01/23(土) 21:00:26 ID:Le1hu93a0

所用で酒井家のご当主にご挨拶に伺ったのだが、つい弾みで「えびすくい」について聞いてしまった・・

ついかっとなってやった
今は反省している

へうげものという漫画があることはご存じなかったそうです。

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 21:06:52 ID:E5ISRcS80

それでえびすくいの方はどうだったんですか
現代に至るまで踊りの秘伝が一子相伝で当主に伝わってたりするの

名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 2010/01/23(土) 22:20:49 ID:Le1hu93a0

酒井の太鼓は歌舞伎の演目になっているくらい有名な話だが、歴史上の出来事としては「史実」と言いきることができるものではなく、
「逸話」と呼ぶべきものでしょう。忠次公も踊り自体は知っていたかもしれないが、海老すくいの話も同じように「逸話」と言うべきだと
思います。とのことでした。
あ、それから、踊れないそうです(笑
0404人間七七四年2014/07/30(水) 17:21:17.90ID:W6uMAL1B
>>401
信ちゃんは先頭だろks
0405人間七七四年2014/07/30(水) 17:36:03.20ID:oYAnjCtX
>>404
いや、これとそっくりな話で信長と氏郷のパターンがあるんだよ。
俺も信長のが誤って伝わったんだと思うが
0406人間七七四年2014/07/30(水) 17:39:37.33ID:nayFSFDk
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3294.html
有名なバージョンは信長だし
0407人間七七四年2014/07/30(水) 21:46:31.09ID:vkO2DVH/
でも結局信長は謀反で死ぬからね 氏郷につくのが正解だろ
0408人間七七四年2014/07/30(水) 22:16:02.19ID:mSVmn9LE
たとえ氏郷が討ち取られようともいずれ第二第三の蒲生が…
0409人間七七四年2014/07/31(木) 00:13:35.60ID:2az/Ewhc
量産型蒲生がいるから氏郷が死んでも何とかなるとw
0410人間七七四年2014/07/31(木) 00:21:08.21ID:jq6ueLWV
(宣教師ヴァリニャーノの)室での滞留により大いに利益を被った二番目の人物は、官兵衛殿の一人息子で後継者であるカイノカミ(=黒田長政)であった。
彼は関白の了承を得、すでに父から豊後国を渡されており、これを所有し統治している。
洗礼名をダミアンと称し、当時二十二歳、または二十三歳であった。
だが極めて優れた理解力と知識の持ち主で、その秀でた勇気と勤勉と相まって、日本で彼に優る者はごく僅かしかなく、したがって関白殿から気に入られ寵遇されていた。
五年前に父の官兵衛が関白の軍勢の武将として、一軍を率いて秋月を襲撃した時に、この息子は関白の命令により、戦場へ父に会いに来た。
当時、彼は十七歳であった。
その折、彼の父は彼がすぐにキリシタンになるように説得し、彼はその地で幾つかの説教を聞き、多くの家臣とともに受洗した。
だがこのたび関白の迫害が襲った時には、まだキリシタンとしては日が浅く、若輩で、我らの教えについてはほとんどなにも知ってはいなかった。
つねに自分がキリシタンであるとは公言していたものの、彼は聴聞したことに大いなる疑問を抱いていた。
特に人間が救われるためには、洗礼を受けてキリシタンになる必要があるということが納得できなかった。
彼には、人間は道理にしたがって正しく生きさえすれば、いかなる宗教によっても救われると思えたからである。


「フロイス日本史」より、1590〜1591年頃の黒田長政についての話
0411人間七七四年2014/07/31(木) 00:29:46.71ID:ApMjhh46
なぜダミヤンにしてしまったのだろうか。ネタキャラすぎる。
0412人間七七四年2014/07/31(木) 09:21:34.33ID:2ok5d24F
>>403
ご当主もなかなか見識が高いな
そういう受け答えはなかなかできないぜ
0413人間七七四年2014/07/31(木) 15:44:37.11ID:XOlX5q1B
>>405
信長だったら戦いが始まる前に逃げてるよ
全滅しても生き残ってる身の振り方だったら本能寺で死んでないな
0414人間七七四年2014/07/31(木) 20:00:43.04ID:0F7DRCgx
>>413
お前は何を言ってるんだ
0415人間七七四年2014/07/31(木) 21:29:54.66ID:NPJnKbx2
菅沼に安価をつけないで下さい
0416人間七七四年2014/08/01(金) 02:08:45.02ID:a7OerG84
他スレでの争い持ち込むなよ
0417人間七七四年2014/08/01(金) 08:23:13.85ID:OCqpYQAu
なんだまた連呼リアン織田厨わいてるのか
0418人間七七四年2014/08/01(金) 09:08:33.47ID:HVMVvfHT
そのバカに構う大馬鹿もな
0419人間七七四年2014/08/01(金) 10:57:36.83ID:GX53B0Pc
酒井忠勝は安藤直次に会って、紀州にいる自分の親戚のことを頼み込んだ。

これに直次は、「こちらの者は皆麾下の縁りの人々なので、そのもとの仰せに
従うためには、皆々の依頼にも従いませねば叶い難いので、御容赦ください」

と言って、ただ何ということも無い様子であったという。

――『名将言行録』
0420人間七七四年2014/08/01(金) 18:48:19.72ID:KiJaldDG
全滅してもそのなかに首がないのは誰だろ?天庵さまとか朝倉の爺さん、真田パパあたりは首獲れない感じがするんだが
0421人間七七四年2014/08/01(金) 19:56:08.06ID:LDaddAct
>>420
天庵様「ちくしょー!こうなったら討ち死にしてやる!」
菅谷さん「殿を止めろ!(ズルズル」
こうなるだろう
0422人間七七四年2014/08/01(金) 20:29:38.90ID:Zrl4+mJj
道糞さん
0423人間七七四年2014/08/01(金) 21:40:37.01ID:jdVeTkmv
>>420
一条信龍とか?
一度の合戦で4度討ち死にしたらしいけど本人は無事だったとか
0424人間七七四年2014/08/01(金) 22:22:40.24ID:Yi3BdW15
爆死すれば首は無いな
0425人間七七四年2014/08/01(金) 22:24:45.94ID:47sCxrg+
首が飛んでった将門公はカウントされますか
0426人間七七四年2014/08/02(土) 05:49:37.74ID:eOslnO/2
すり替えておいたのさ
0427人間七七四年2014/08/02(土) 08:29:02.64ID:xE9j+uNr
http://i.imgur.com/jB1vamv.jpg
0428人間七七四年2014/08/02(土) 09:29:19.62ID:7vn1JyHr
>>427
guro
0429人間七七四年2014/08/02(土) 11:11:43.53ID:NCUBK8vG
猫の開き
合成?
0430人間七七四年2014/08/02(土) 11:30:07.34ID:sZGLbLgx
たぶん福岡猫虐待事件かと
0431人間七七四年2014/08/03(日) 11:29:24.66ID:nTp+xxm0
虐待って表現甘すぎるだろ
0432人間七七四年2014/08/03(日) 15:00:02.63ID:AfNl1bl9
伊賀の侍である拓殖三之丞清広は、天正9年(1581)三河の徳川家康の下に参り、
「配下の伊賀者共々、織田家を叛き御当家に属したい。願わくば御書を賜らん。」
と申し上げた。しかし家康は

「当家は織田家と親交が深い。そのため御書を与えるのは難しい。今までのよう織田に属して、
本領を守るべきであろう。しかしどうしても我々に従おうというのなら、我が領国に移住するように。」
と答えた。

その後、伊賀の者達は皆織田家の命に従わなかったため、織田右府(信長)は大いに怒り、尽く誅伐
したため、みな山林に逃げ隠れ時節を伺った。

このような時に、本能寺の変が起こった。

伊賀越えをして三河へと帰ろうとする家康の元に拓殖清広は、一族の傳兵衛甚八郎宗吉、山中覚兵衛、
米地半助、その他甲賀の美濃部管三郎茂濃、和田八郎定教、武藤大炊茂秀らを引き連れ参上した。
彼らは皆人質を出して伊賀の道を案内し、鹿伏兎越の険難を経て伊勢までお供をした。

この時、伊勢までお供した輩は、後々召し出されて直参と成り、鹿伏兎越までお供して、途中で帰国した
二百人ほどの者達は、服部半蔵正成に属させ、伊賀同心として諸隊に配置された。
またこの年の六月に尾張において召し出された者達は、専ら陣中の間諜を勤め、後に後閣(大奥)の
番衛を勤めた。今も後閣に附属する伊賀者の先祖はこれである。
また甲賀者も武島、美濃部、伴などという者達は直参と成り、それ以下は諸隊に配置されて、与力同心と
なった者もあった。
(徳川実紀)

徳川の、伊賀者、甲賀者の由来についての逸話である。
0433人間七七四年2014/08/03(日) 18:21:40.16ID:I6K+/Yrz
んー…
0434人間七七四年2014/08/03(日) 20:05:51.04ID:OBLY9kN3
あー…
0435人間七七四年2014/08/05(火) 11:54:10.10ID:b8dJHAwn
長久手の戦いにおいて、羽柴秀吉軍の森武蔵守長可、池田勝入を討ち取る戦果を上げた徳川家康は、その後
小幡城へと入った。

ここに榊原康政、大須賀康高らが御前に出て、この様に申し上げた
「今夜、敵陣の様子を伺いましたが、秀吉の軍は日中長途を駆けてきたので、皆疲れ果て
正体もなく倒れるように眠っています。ここで夜討ちをかけて辛き目を見せてやりましょう!」

しかし家康は首を振り、「いやいや」と言ってこれという仰せもなかった。
皆が御前を下がった後、家康は本田豊後守広孝を召して、
「お前は城門を巡視して、一人も門外に出さないように」
と命じた。

そして間もなく湯漬けを食すと、出陣を触れ、『なるべく物静かに揃え』と命じた。
このため皆『必ず夜討をかけるのだ』と思っていたが、そうではなく、家康は小牧城へと入った。
これに人々は、思いもよらぬことだと感じた。

後日、家康は浜松城において、この時のことを語った

「あの時、お前たちが夜討をかけろと言ったのは、秀吉を討つことが出来ると思ってか?
それとも、ただ戦に勝とうと言うまでのことか?」

一同、顔を見合わせて、ややあって
「秀吉を討ち取るまでは考えていませんでした。ただ、戦えば必ず勝利すると思って申し上げたのです。」

家康はこの答えを聞くと
「私もそのようには思った。だが、敵を皆殺しにしたとしても、秀吉一人を逃してしまえば
却って悪しき事態となったであろう。昼の合戦において池田・森の両人を討ったことさえ、
一人でも良かったと思っていたのだ。」
と言った。

(岩淵夜話別集)

小牧長久手合戦が、家康にとっても色々と難解な戦であったことを表す逸話である。
0436人間七七四年2014/08/05(火) 12:37:03.44ID:TWdXO505
家康隙がない。
これじゃ名人戦になるわけだわ。
0437人間七七四年2014/08/05(火) 12:42:18.27ID:6W4uCpiW
絶対勝てない相手にどう上手く負けるか修行しつくした熟練の駿河人
0438人間七七四年2014/08/05(火) 13:29:39.39ID:TY4Krwfl
どちらにしても討っておいてよかったのは

…鬼武蔵だろうな
0439人間七七四年2014/08/05(火) 14:12:25.81ID:nO8C0IrR
鬼武蔵を討ったいい話
0440人間七七四年2014/08/05(火) 14:50:51.31ID:j9EDO2I9
三河人と駿河人それぞれの良いところを貪欲に取り込んだ知勇の人だが
面倒くささも人一倍なのが家康
0441人間七七四年2014/08/05(火) 18:23:53.87ID:d32SMxTa
>>435
成る程・・・正に名人だったんだな
家康の戦話で一番凄みを感じたわ
0442人間七七四年2014/08/05(火) 19:13:45.11ID:OhIJmNMB
勝ちに溺れない、っていう難しいことをサラッとやれるのが名人の凄味だな
0443人間七七四年2014/08/05(火) 19:53:52.07ID:M6xd0Icw
ここまで家康の自演
0444人間七七四年2014/08/05(火) 20:08:17.24ID:l0aDdUFS
と表裏比興の者が申しておる
0445人間七七四年2014/08/05(火) 20:54:35.18ID:cHoFIy4o
安い挑発に乗って城を飛び出した若き日もありました・・・
0446人間七七四年2014/08/05(火) 21:22:42.25ID:EddA60go
権現様は小牧長久手の戦で覚醒したイメージがある。
0447人間七七四年2014/08/05(火) 21:22:48.40ID:kXnEVWKt
若気の至りでミソ付けちゃったのね
0448人間七七四年2014/08/05(火) 21:48:39.35ID:eN+cpMUh
>>435
秀吉の軍て秀吉本隊のことか?
そりゃ無謀だし止めるわな
0449人間七七四年2014/08/06(水) 08:50:17.54ID:x6kOzirZ
ほんとは湯漬けを食ってる間「行こうかなー止めようかなー」て考えてたんじゃないのー?
0450人間七七四年2014/08/06(水) 09:37:23.54ID:Xo5UjVMb
秀吉側でも家康の所在を掴みつつあり、朝駆けを決意した上での
夜営だった(翌朝空振りして悔しがった)

実は危機一髪であったのかも知れず、夜討ちを回避して小牧山城へ
速やかに移動したのは実に慎重にして機敏だった
0451人間七七四年2014/08/06(水) 10:54:18.76ID:Ba3+hWVe
>>446
初陣の大高城兵糧入れからすでに才能見せつけてると思う
0452人間七七四年2014/08/06(水) 14:00:13.93ID:ZtFjIi4q
さすがにそれはちょっと
0453人間七七四年2014/08/06(水) 15:02:06.36ID:k7nfbB38
公(家康)の天下を取る、大坂にあらずして関ヶ原にあり、
関ヶ原にあらずして、小牧にあり、
小牧にあらずして、天正壬午、にあらずして、伊賀越え、
にあらずして、高天神城、にあらずして、長篠、にあらずして、
三方ヶ原、にあらずして、一言坂、にあらずして、姉川、にあらずして、
三河一向一揆、にあらずして、遠江侵攻、にあらずして、岡崎城奪取、
にあらずして、大高城兵糧入れにあり

と神君史観
0454人間七七四年2014/08/06(水) 15:29:24.34ID:7s6IIfxo
小田原攻めぬけてる
0455人間七七四年2014/08/06(水) 15:34:30.66ID:k7nfbB38
だって元の頼山陽のが関ヶ原から小牧に飛んでるし
0456人間七七四年2014/08/06(水) 20:31:07.84ID:98kmiJGQ
小田原は完全に秀吉の下についてやった戦だから江戸時代では数に入れれなかったのかもな
実際には小田原でも徳川軍が北条方の支城を落としまくる徳川無双が起こってたらしいが
0457人間七七四年2014/08/06(水) 21:15:34.48ID:pDXU8vlg
それもちょっと
0458人間七七四年2014/08/06(水) 21:17:40.77ID:nSnDUXdK
>>457
普通に記録見ただけで、徳川軍が怒涛の勢いで北条の支城落としまくってるのがわかると思うんだけど?
0459人間七七四年2014/08/06(水) 21:26:16.17ID:Qa4TiG4i
そりゃ本気出さないと後で何されるかわかったもんじゃ無いしな。
0460人間七七四年2014/08/06(水) 21:56:02.65ID:UNRYu4SA
相手が相手だけにな
0461人間七七四年2014/08/07(木) 06:59:44.49ID:wiLnEwjc
小田原に戦力を引き抜かれてる状態だから、支城はボロボロ落ちるわなぁ
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